Coolier - 新生・東方創想話

紅魔館の冥土さん(11)

2006/02/16 06:55:19
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   ある程度腰を据えて読まれる事をお勧めします。








<PM 07:30>


人気の無い廊下を、音速で通り抜けてゆく、世にも奇妙な物体。
動体視力に優れた者ならば、それがぐるぐると回る人のようなものであると気付くだろう。
移動方法に回転を採用する者など、幻想郷広しと言えども、せいぜいが三人程度しか存在しない。
そして、その内の一人である八雲藍こそが、この回転体の正体であった。

「待っていろぉおおおおおお! 今助けに行くぞぉおおおおおおおおお!」

気勢を上げつつ奇声を上げる藍。
そんな既成の概念に囚われない行動は規制ラインギリギリだ。
左手には年季を帯びすぎて瘴気すら放っている銘物の包丁。
右手には魂すら掬い取ると称される伝説のおたま。
実は割烹着も着込んでいこうと思っていたのだが、従業員規則に抵触するとの理由から、服装はメイド服のままである。
まぁどの道、傍目にはコントロールを失ったエレメンタルハーベスターが飛んでいるとしか見えないのだが。

こうして彼女が飛んでいるには訳がある。
簡潔に記すなら、調理班からの応援要請を受けたからだ。
招待客も殆どが訪れ、手持ち無沙汰気味であったこともあり、藍は自ら望んで志願した。
本音は、登場以来まともに活躍した試しが無いからだったのだが、あえて言っていない。
彼女にだってプライドくらいあるのだ。

「(あと少し……見えた!)」

視界の遥か前方に、厨房の入り口が映る。
そんな状態でよく認識できるものと思うが、彼女にとって回転する事など呼吸を行うのと同じようなものである。
よって何も問題は無い。精神面以外は。
藍は勢いを殺すことなく、扉に向けて突貫……せずに、何故か直前でぴたりと停止した。

「いや待てよ。
 確か、前にもこんな事があったような……」

記憶から該当する項目を探り当てるのは、彼女にとってはそう難しい事ではなかった。
思い起こすは半年前の博麗神社での出来事。
食魔との戦いに挑んだ二人の勇者を支援すべく飛び込んだ藍を迎えたのは、戦いの終結を告げる寝息だった。
その後、泣きながら皿洗いに励んだときのエンディングテーマは、幻聴と言えども忘れられない。
貴方の意気込みは結果と反比例するように決められている。と宣告されたようなものである。
いや、事実、紫にそう言われたのだが。


「……そうだ、期待をすれば裏切られる。
 ははは、分かりきったことだったな」

藍の心は決まった。
手にした包丁とおたまを、ええい何処へなりと飛んで行けとばかりに投げ捨てる。
別に惜しくはない。
どうせマヨヒガに帰れば百本単位で予備があるのだ。
そして痒くもない鼻をほじりつつ、足で扉を開く。
すべてはやる気の無さの演出である。
「うぃーっす。お助けに参ったぞーっと」
出す声も、午前一時のサラリーマン模したものという念の入れようである。






「摂氏30000度オーバー! 燃えてるとかそういう域じゃない! むしろ萌え!」
「ああっ!? ファイアーフォッスルに進化してる!」
「シーラカンスなんて揚げようとしたの誰よー!!」




「って、戦場!?」
厨房内を鮮烈なる紅が埋め尽くしていた。
とでも書き記せば格好よく映るかと思ったが、実際は中華鍋が燃えているだけである。
いや、『だけ』と言うには些かデンジャラスだったが。


とりあえず、右往左往するメイド連中を二年半振りの新スペルで黙らせておく。
問題は盛大に火柱を上げる中華鍋だが、ここは終身名誉おさんどんの腕の見せ所とばかりに、
手近にあった白菜を千切って、無事消火に成功する。
βビームの力も、生活の知恵には敵わなかったらしい。











「ありがとうございます、本当に助かりました」
「こんな形で面目躍如なんてしたくなかったがな……」


戦いは終わり、厨房は再び本来の役割を取り戻していた。
会場のほうは盛況なのか、送り出す料理の量と比例して、空となった食器が送り返されてくる。
数の暴力の前には、幽々子の存在の有無など大した問題でもなかったようだ。
さて、藍に任された役目だが、やはりというか、その食器の後始末……要するに皿洗いであった。
厨房を救った英雄のやる仕事とは到底思えない。
が、もはや悟りの域に達している彼女は、気にする素振りをまったく見せる事なく、淡々と食器と格闘していた。

「もしかして、慣れてます?」
隣に立っていた鈴仙から声がかかる。
無論、立っているだけではなく、彼女もまた皿洗いに励んでいる。
が、その手際はお世辞にも良いとは言えず、せいぜいが藍の速度の四割といった所だった。
「……まあな」
他に答えようが無い。
数百年も家事をやっていれば、嫌でも慣れる。
そういう観点から見ると、鈴仙はまだ家事修行が足りないように思われた。
というか、他にも色々と足りない。
特にスカートの丈が。
「しかし、その格好。もう少しなんとかならないのか?」
「なるものなら、とっくに実行してます」
「……そうか、失礼」
出来る事ならば変わってやりたいというのが藍の本音だが、あえて口にしない。
それを実行してしまうと、自分にとって不本意な風評が立つのが分かりきっていたからだ。




『奥様、聞きました? 八雲さん家のアレがまたやらかしたそうよ?』
『あらやだ! 脱ぎ捨てるだけじゃ飽き足らなかったのかしらねぇ』
『本当に怖いこと。アレを野放しにしては子供に悪影響ですわ』




「……」
藍はぶんぶんと頭を振って妄想を振り払う。
別に悪評如きは気にしないが、それにより橙の好感度が下がるのには耐え切れない。
よって却下。
「どうかしました?」
「い、いや、何でもないぞ、うん。
 ……と、ところで妖夢はどうした? 確か、あいつも来ていた筈だが」
誤魔化すように言葉尻に付け加える。
幸い鈴仙は、そんな様子にも気付くことなく、手を動かしながら答えた。
「もう会場に向かわせましたよ。放っておくと、終わるまで手伝ってそうでしたから」
「……そうか」
藍が小さく答えたのを最後に、二人の間から会話が途切れた。




「(お人良しというか、何と言うか……)」
鈴仙の言葉に、藍はどうしても同情心を抑えられなかった。
藍の知る限りでは、鈴仙は紅魔館とは何の関係も無い。
その筈なのに、こうして理不尽な格好をさせられては、
パーティーに参加する事も許されずに、無益な労働を押し付けられているのだから。
己の意思でメイドになった自分はともかく、これではあまりにも気の毒だ。
にも関わらず、鈴仙は、妖夢を気遣う余裕を持っていたらしい。
いったいどんな生活をしていれば、このような思考回路が形成されるのか。
それが、なおのこと不憫だった。

……実際には、とっくの昔に我慢の限界を越え、錯乱して大暴れしたという過程があったのだが、
生憎として藍はそれを知らない。

「鈴仙、だったか。お前は何か……誰にも譲れない物を持っているか?」
「はあ?」
「いいから、答えてくれ」
「……」
この忙しい時に何を言い出すのか。
とばかりに非難の視線を送る鈴仙だったが、藍の表情が真剣である事に気付くと、
止む無く視線を戻しては押し黙る。
そして、考える事数秒。

「……勿論、ありますよ」

少し不機嫌そうに答える鈴仙。
その直後。







「ならば良し!」







藍が、まるで明後日の方向に視線を向けつつ叫びを上げていた。
何時の間にか、目に縦のラインが入っているのも謎だった。
「ちょ、ちょっと、急に叫び出さないで下さいよ!」
「あ、いや、すまん。一度言って見たかったんだ。
 ともかく、そういうものがある限りは大丈夫だ。強く生きろよ鈴仙」
「は、はぁ……」
何故に、前触れ無しにシャウトするような奇人から、そのような事を言われなければならないのか。
満足気な藍とは裏腹に、またしても一つ、世の理不尽を抱え込む鈴仙であった。


「こらぁー! そこのきつねうどん! 手が止まってるわよ!」
「「きつねうどん!?」」














<PM 08:00>

「遅いなぁ……」

丁度、藍が疾走した廊下の対称に位置する場所。そこに小柄なメイドが佇んでいた。
脇役でありながら主人公よりも出番が多い気がする魂魄妖夢である。
もしかしたら脇役では無いのかもしれないが、
なら何役なのさ? と問われてもやはり答えようが無いのでスルーさせてもらう。
毎度の事だが、私は忙しいのだ。

さて、何故彼女がこんな場所で立ちんぼ状態となっているのかだが、
時間は遡る事、十分前。
いつまでも厨房を離れようとしない妖夢と妹紅に業を煮やした鈴仙は、ついに強権を発動した。
と表現すると、まるで悪いことのようだが、要は気を利かせたのだ。
確かに、心の底から使用人根性の染み付いた妖夢と、自称炎の料理人の妹紅にとっては、
パーティー会場などという慣れない場所よりも、厨房のほうが居心地が良かったのかもしれないが、
ならそれで、と言える程には、鈴仙の心は荒んではいなかった。
ギリギリだが。

今更お客様というのも変な話だと思った二人であったが、
まぁそこまで言うならば、と日本人らしい答弁をもって厨房を退出した。
……までは良かったのだが。

『あー、その、ちょっと待っててくれる?』
『え? どうかしたんですか?』
『いや、まぁ、うん、野暮用というか』
『???』
『その、んーと、ねぇ、例え何年生きててようと避けるに避けられない事態というか……。
 あーもう! どうして伝わらないかなぁ!?』
『あ……し、失礼しました。ごゆっくりどうぞ』
『……あい』

というウィットに富んだ会話を経て、現在に至るという訳だ。
いや、むしろウェットが正しいのだろうが、少々下品なのでこの表現は避けておきたい。
これが霊夢や魔理沙ならば、迷わずに放って先に行っていたのだろうが、
残念なことに、妖夢にはそういう選択肢を選ぶ度量は備わっていなかった。


そして、ひたすらに待つこと数分。
今だに妹紅が現れる気配は無い。

「悪いのかな……」

主語は無い。その辺は弁えている。
が、流石に暇になったのか、妖夢は何ともなしに周囲を見渡し始めた。

薄暗く、見通しの悪い廊下。
至るところを染め尽くす紅色。
極端に少ない窓。
無駄に豪奢な調度品。


率直に感想を述べると、趣味が悪いの一言。
もちろん、ここの主の嗜好や特性は心得てはいたが、それでも思わざるを得ないのだ。
それに加え、趣味云々を通り越して疑念すら抱く光景が、妖夢の視界に入っていた。
壁と天井の境界辺りにぽっかりと空いた大穴がそれである。

「なんだろ、これ……」

丁度、人間一人が通過できるくらいの大きさ。
というか、どう見ても人の形そのもの。
ただし、足の部分が二股に分かれておらず、そういう意味ではむしろ十字架に近い形かもしれない。
余程退屈だったのか、妖夢は物の試しとばかりに、穴に身体を捻じ込んだ。
上手い具合にすっぽりと収まる事に成功する。

「人類は十進法を採用しました」

なんとなく口に出してみた。

「……」

即座に染まる頬。
やらなきゃ良かった、という後悔が妖夢を襲う。
誰も見ていなかったというのがせめてもの救いかと思いきや。



「それ、楽しい?」
「!?」



予期せぬ声に、妖夢は即座に身を翻しては身構える。
声の主は、探すまでもなく視界に入っていた。

「……?」

少し困ったような表情を浮かべる少女。
かなり小柄である妖夢と比べても、さらに小さい。
そんな知り合いは、レミリアか萃香くらいのものだったが、この少女は初対面だった。

「(……って、私は何を警戒しているの)」

妖夢は腰の刀から手を離すと、壁の穴から飛び降り、改めて少女と向き直る。

「……別に楽しくはなかったです」
「あ、やっぱり」

分かっているなら聞くな。と言いたかったが、口には出さない。
それよりも問題は、この少女が何者かという件だった。
紅魔館内で会ったのだから、住人と見るのが妥当な線であるが、今日ばかりはそれも当てはまらない。
なにしろ、一つ壁を隔てた向こうには、日頃見かけない有象無象の輩が山盛りなのだ。
ならば一人くらい、内部をうろついていたとしても、何ら不思議ではない。

「ところで、貴方誰?」
「へ?」

今口にしようと思っていたところに、逆に問いただされた。
恐らくは、向こうの少女としても同じ状況なのだろう。

「メイド服着てるけど、新人? なんか最近多いわね」
「いえ、これは流れで仕方なくと言いますか……」

考えてみれば、何故だろう。
咲夜曰く、『例え一時であろうと、紅魔館で働く者はメイド服を着用せねばならない』との事だったが、
それを言うなら、某門番や某司書は一体何なのか。
永きに渡り役目を勤め上げた者のみが、私服へのクラスチェンジが許されるのだろうか?
決して答えの出る事の無い難問である。
ともあれ、それは見ず知らずの少女に持ちかける問いで無いのは確かだ。

「私は魂魄妖夢。一応、今日の招待客です」
「あ、そ」

気の無い返事だった。
聞いてきたから答えたというのに、この態度。
妖夢が多少の憤りを覚えたのも、無理は無かろう。

「……こちらが答えたのだから、貴方も名乗るのが筋では?」
「筋ねぇ。六萬なら三九萬だっけ。あー、セオリーが多すぎて覚えるのめんどー」
「……」

果たして、この少女は会話をする気があるのか。
麻雀は嫌いじゃないが、それはシリーズが違うのだ。

「どうしたの? 何か別人みたいな表情になってるよ」
「誰のせいだと思ってる」
「さあ……誰だろ。私は貴方じゃないから分からないわ。
 あ、名前だっけ。フランドール・スカーレットよ」
「スカーレット……?」

どこか聞き覚えのある響き。
それが、この館の主のファミリーネームだと思い出すまで、そう時間は必要としなかった。

「……なるほど、貴方が例の妹様か」

聞いた話では、幽々子に遊ばれているとの事で、多少の同情と共に親近感を感じていた相手だが、
実際に会ってみると、それが間違った認識であったと気付かされる。
いや、それは本能的なものだったのかもしれない。
これまでに味わった事のない違和感のようなものが、フランドールから感じられたのだ。

「例の? 何それ」
「こっちの話よ。ともかく、私は貴方と話すような事は何も無い。
 待ち人が来たら直ぐに行くから、放っておいて」

我ながら表裏が激しいとは思う。
少なくとも招待された客が、主賓の一族に対して取る態度では無いだろう。
だが、そう自覚していながらも、スイッチを切り替えざるを得なかったというのが妖夢の本音である。
そして、その判断が正しかったのは、すぐに証明された。

「ふぅん……」
「!?」

考えるよりも早く、全力で飛び上がる妖夢。
その瞬間、それまで自分の立っていた床が、大きく爆ぜた。



「く……貴様、何を!」

妖夢は抗議の声を上げる。
判断が早かったせいか、直接的な被害は無い。
それでも、弾け飛んだ床材やら、舞い上がった塵埃やらはどうにもならない。
借り物のメイド服が汚れる等という事態は、まこと好ましくないのだ。
だが、当のフランドールはというと。

「あ、凄い凄い。これに反応したんだ」

等と言いつつ、ぱちぱちと手を叩いていた。
その表情から、彼女が本当に感心しているのだと推測できる。
したくはなかったが。


「……」

訝しげな視線を向けたまま、地面へと着地する妖夢。
その手には、愛用の長刀、楼観剣がしっかと握られていた。

どうしてこうなったのかは分からない。
だが、降りかかる火の粉は、振り払わねばならない。
火の粉というより、燃え盛る火炎に等しい気もしたが、それならなおのことだ。

「遊びたいの? でも、私も人を待ってるんだけどなぁ」
「先に手を出したのはそっちだろう」
「子供の癖に、細かい事を気にするのね」
「お前が言うな!」

先手必勝、とばかりに切り込みの体勢に入る妖夢。
人符『現世斬』
妖夢がもっとも頻繁に使用するスペルカードである。
その実態は至ってシンプル。
一直線に目標へと疾走し、斬り潰すという技だ。
それだけを聞くと、わざわざスペルカードを使う必要性も感じられない気もしようものだが、
実際に目の当たりにすれば、本質を理解するに易い。
速い。
とにかく速いのだ。
並の妖怪程度ならば、自分が何をされたのかを理解する前に、その存在を消されているだろう。
が、残念ながらフランドールは並どころか、特盛りだった。
つゆだくも加えようと思ったが、それは色々と問題なので無かったことに。

「遅いよ」

半分程距離を詰めたところで、フランドールが始めて動きを見せた。
手に持っていた、曲がりくねった棒のようなものを、無造作に振るったのだ。

「なっ!?」

妖夢は驚愕の声を上げると共に、加速した体に急制動をかけた。
驚いたのは、反応した事にではない。
その程度はいくら楽観的であろうとも予測は付く。
問題は、その無造作極まりない動きがもたらした現象にある。
ただの棒切れだった筈のものは、獄炎の刀身を持った長大な剣……レーヴァティンへと変貌を遂げていたのだ。
そんな際物と正面からぶつかり合えば、例え楼観剣は無事でも、己の身体は只では済むまい。
そう判断したが故の行動である。

急停止した妖夢は、間髪入れずに楼観剣を振るう。
狙いは、迫り来る焔の刃。
ただ避けるだけでは、第二波が来た時に対応し切れないと見たのだ。

「……ぜいっ!!」

妖夢の一撃は、狙い違わずレーヴァティンへと炸裂した。
無論、打ち消せる程の威力はなかったが、それでも軌道を逸らすには十分であろう。
が、次に起こったのは、妖夢は元より、フランドールすら予測し得なかったものだった。






「お待たせー。いやー、洋館のアレって本当に変な形しててさぁ……」
「「あ」」






二人の声がハモる。
流れを変えたレーヴァティンの行く末へと視線を送ると、
そこには、屈託の無い笑みを浮かべつつ手を拭く、妹紅の姿。
揃った条件から、次に何が起こるかは想像するに易かった。
妖夢は迫り来る惨劇を夢想し思わず目を閉じる。
また一方のフランドールは、ただ事実を確認するためだけに視線を送った。

果たして彼女は期待を裏切らなかった。

「もげらっ!?」

悲鳴とも断末魔ともつかない叫びを上げては、錐揉み状に吹き飛んでゆく何か。
それが妹紅であると断言するには、些かビジュアル面に問題があったが、
ともあれ誰かしらの命が失われたのは確かだろう。







「「……」」

妖夢とフランドールの視線が合う。
共に浮かべたのは、苦笑い。
結果として、この場に相応しい表情を浮かべざるを得なかったのだ。

もっとも、妖夢がこの時何を考えていたかというと、
『ああ、後片付けが大変だろうなぁ』等という現実的かつ冷めたものであった。
間接的であるとはいえ、加害者の思考とは思えない。
しかし、それはスイッチを切り替えた故の残酷さというよりは、
心の奥底で理解していたというほうが正しいだろう。
この後、何が起こるのかを。


「あたた……もう、何なのよいきなり」
「!?」

先程の断末魔から時間にして僅かに数秒後。
立ち込める粉塵の向こう側から届いた声に、妖夢は身を硬くする。
予想通り、と言うのは簡単だが、現実に目の当たりにするとなると話は別なのだ。

「(これが、蓬莱人……!)」

視線の先に佇む人物……妹紅の姿は、先程までと何ら変化は無い。
強いて言うなら、着用しているもんぺの裾が若干解れている程度だ。
レーヴァティンの直撃を受けた際に、服ごとバラバラになっていた気もしたが、
恐らくは気のせいだったのだろう。
「あ、あの。大丈夫……なんですか?」
「んー、見ての通り。
 ……でもねぇ、確かに私は死ぬことにゃ慣れてるけどさ。
 人生でも五本の指に数え上げられる開放感に浸っていた中、
 突然ミンチにされた挙句ミディアムで焼かれたんじゃ、良い気持ちはしないよ?」
「は、はぁ、申し訳無いです」
とりあえず謝っておく。
ミンチになった割には至って元気な様子であったが、本人が言うのだからそうなのだろう。
「ま、別にいいけど」
いいんかい。との突っ込みは、この場において封殺された。

「へぇ。コンティニュー出来るんだ」
「コンティニュー? 違うわ、フリープレイよ。
 無停電電源も搭載してるから、多い日も安心」
「それは便利ね」
「でも、コンパネは消耗品だから無制限とも行かないの。
 それでも良いなら、試してみる?」
「是非とも」



「……」
ここで妖夢は、ある事態に気が付いた。
妹紅の瞳は、既に自分を向いていない。
そしてフランドールもまた、妹紅しか視界に入っていなかったのだ。

「(……また、か)」

その光景は、妖夢の気を萎えさせるには十分であった。
事態が自分の手を離れて進んで行くのには慣れている。
そして、いくら抗った所で無駄であるとも理解していたのだ。
「……」
妖夢は楼観剣を鞘へと収めると、二人から視線を外した。
止める気はまったく無い。
また、介入するだけの気概も無い。
こうなる事は運命だった。と、どこぞの親玉のような台詞を心に浮かべるだけである。
本音を言うならば、不満なのだろう。
だが、妖夢自身、何を不満としているのかが理解出来ていない。
故に、今の彼女に出来るのは、その場を立ち去る事のみだった。


『フランちゃーん、どこー?』


くるりと踵を返したその時だった。
廊下の遥か前方。
距離が余程遠いのか、気付かなくとも何ら不思議では無い程度の音量である。
だが、その声を妖夢が聞き逃す筈も無く、瞬時にその位置に向けて駆け出すに至った。

やがて、一人のメイドの姿が妖夢の視界へと入って来る。
こちらに向けてぱたぱたと駆け寄る……というのは正しくないだろう。
何しろそのメイド、文字通り地に足が付いていなかったりする。
ふよふよともどかしいような速度で近付くそれは、やがて妖夢の存在に気付くと、動きを止めた。

「あ……」
「……幽々子様……」

幽々子と妖夢、およそ四日振りの対面の瞬間であった。












<PM 8:30>


「……」
「……」

傍から見れば、先輩メイドが新人に訓示を送っているように映るだろうか。
だが、この二人は紛れも無く西行寺幽々子と魂魄妖夢である。
薄暗い廊下の片隅という舞台設定は、冥界の住人たる彼女達には格好のロケーションと言えない事もないが、
今の二人は共にメイド服を着用しており、なおかつこの廊下は紅魔館の内部である。
やはり異常と呼ぶのが相応しい。

「……」
「……」

二人が対面を果たしてから早数分。
今だに一言の会話も無い。

居心地が悪かった。
直立し、幽々子へと真っ直ぐに視線を向け、言葉を待っていた妖夢であったが、沈黙が破られる事は無い。
それを崩すのは自分の役割では無い。というのが妖夢の判断だからだ。
が、当の幽々子の様子はというと、明らかに不自然なものと感じられた。
まず、妖夢の方を見ていない。
時折視線を合わせようとはしているのだが、直ぐにまた明後日の方向へと目を逸らしてしまう。
また、口を開いては何かを言いかけて閉じるという忙しない様すら見せている。
それは今までに妖夢が目にしたことのない光景である。
勿論、下らない悪戯が発覚した時など、幽々子側に後ろ暗い事があった時には、似たような情景が展開されたのだが、
そんな時でも、常に幽々子の態度には一本芯が通っていたと感じられた。
悪く言えば開き直っていたのだが、この状況においてはそんな悪癖すらも渇望せざるを得ない。

「……幽々子様、お久し振りです」
「……」

止む無く妖夢は口火を切る。
だが、それでも幽々子の様子に変化は無い。

「その……慣れぬ生活でさぞや苦労なさっていた事でしょう。心中お察しします」
「……」
「ですが、この祝賀会さえ終われば、元通りの生活に戻れます。今しばらく辛抱を……」
「……止めて下さい」

そこで初めて、幽々子が口を開く。
だが、それは妖夢が望んでいたような言葉ではなかった。

「幽々子、様?」
「私は紅魔館の侍従、花子です。
 幽々子なる人物には心当たりはありませんし、貴方の事も存じ上げません。
 人違いをなさっておいででは?」

いくら妖夢が鈍感とは言え、この言葉を信用するほど酷くは無かった。
外見、声質、雰囲気、どこをどう判断しても、この人物は幽々子である。
紅魔館がクローン技術でも開発していれば話は別だろうが、そんな噂は聞いたことがないし、
大体実践するような物好きもいないだろう。
重要なのは、そんなわざとらしい嘘ですら吐かなければいけない理由。
しかし、妖夢の目にそれを読み取る事は出来なかった。

「貴方は西行寺幽々子ではない。そう言われるのですね?」

妖夢は懇願するように問いかける。
『やーね、冗談よ、冗談。もう、そんなに思いつめたような顔しないの』
いつもの笑顔で、そんな風に言ってくれるよう願って。

「ええ、その通りですわ」

だが、現実はかくも厳しい。






「そう、ですか。
 申し訳ありません、私の勘違いだったようです。
 ……失礼します、花子さん」

妖夢は顔を伏せつつ、一息に言い切ると、だっ、と駆け出していった。
それを止める手も、追う姿も、無い。



やがて、廊下は再びの静寂へと包まれる。
正確には、遠く前方から破裂音やら炸裂音やらが届かない事も無かったのだが、
事実として彼女の耳には何も入っていなかったのだから仕方ない。

「……ごめんね、妖夢」
「謝るくらいなら、どうしてあんな事を言ったの?」
「え?」

振り向いた先には、まったくの無表情の紫の姿があった。
突然現れるのは何時もの事であり、驚きには値しない。
が、この場には現れて欲しくなかったというのが、今の幽々子の本音だろう。

「メイド服、似合ってるわよ。まるでずっと昔からそうやっていたみたい」
「……ありがと」
「怒らないの? 褒め言葉を言ったつもりは無いんだけど」
「怒るような理由が無いもの。むしろ喜ばしいわ」
「……そう」
「で、用はそれだけかしら? 私、こう見えても忙しいの。早く……」
最後まで言い切る事は出来なかった。
逸らした筈の視線が、強制的に引き戻される。
それが、紫に胸倉を掴まれたからだと理解するまで、左程の時間は必要としなかった。

「……」
「……何をするのよ。服が伸びてしまうわ」

それまでとうって変わり、怒りに満ちた視線が幽々子を貫く。

「本気で言っているの?」
「当たり前でしょう。貴方の馬鹿力で引っ張られては布地が可哀想よ」
「……まさか、これほどまでに腑抜けているとはね」

紫は吐き捨てるように呟くと、その手を離す。
自由の身になった幽々子だが、淡々と襟元を正すのみで、特に動きに出る事は無かった。

「予定変更。貴方には事実だけを伝えさせて貰うわ」
「何かしら」
「白玉楼の管理、及び妖夢の処遇は私が預かります。
 だから貴方は安心して紅魔館のメイドさんを続けて頂戴」
「随分と勤勉になったのね」
「なりもするわよ。本来ならなければいけない人物が、こうも変わってしまったのではね」
「……で、妖夢自身はそれを知っているの?」
「まだよ。でも、今となればすんなりと受け入れるでしょう。
 もっとも、嫌と言ったところで、強制的に受け入れさせるつもりだけど」
「酷いご主人様ね」
「貴方ほどじゃないわ」
 
話は終わった、とばかりに紫は己の背後へとスキマを展開させる。

「じゃ、さようなら幽々子。……いえ、花子さんだったかしら」
「別にどっちでも良いわよ。
 ……でもね、紫。一つだけ言っておくわ」
「?」

紫は僅かばかりの期待感。そしてそれを遥かに上回る不信感をもって振り返る。
どうして、最後という時になってから動きを見せるのか、と。
それは幽々子らしいといえば、まこと幽々子らしい行動ではあるが、
今見せてもらっても困るだけである。

「貴方は思っている程に、妖夢という子の本質を理解してはいないわ」
「……どういう意味?」
「さあ、ね。正直な所、私にも良く分からないわ。
 ……でも、遠からずそれは証明される。そんな気がするの」
「……」

話はそれで終わりだった。
紫は視線を外すと、スキマへと体を入れる。

「(苦し紛れにまた訳の分からない事を……)」

己の心に生まれた違和感を振り払うかのように。







「……さて、と。フランちゃんの様子を見に行かなくてはね」
幽々子は消え行くスキマを見送ると、くるりと踵を返す。

「あれ?」

そこで初めて、己の身の変調に思いが至る。
意思とは無関係に、手足が小刻みに震えていたのだ。

「……今日は妙に冷えるものね。まったく、この館は防寒設備がなってないわ」

亡霊たるもの、寒さに震えたりする訳がない。
そう自覚していながらも、口に出さざるを得なかった。
でなければ、説明が付かなかったから。














<PM 9:00>

レミリア・スカーレット生誕502年式典というのが本日のパーティーの名目である。
紅魔館の主、偉大なる吸血鬼の王の生誕を畏れ、崇め、奉り、ついでに祝うのだ。
だが、招待客の中で、それを理解していた者がどれだけいた事だろうか。
単にタダで飲み食いが出来るから、その程度の認識が殆どであるといっても差し支え無い。

『ここまで挑戦すること十二人! しかし、今だに合格点に達するものはなし!』

問題は、一番理解していなければならない筈の、この人物までもが怪しいという点だ。

『ですが皆様! この程度で諦めてはなりません! 
 達成率ゼロとは即ち、貴方が最初の一人になれるという裏返し!』

マイク片手に美声を響き渡らせるは、十六夜咲夜その人。
今の彼女の肩書きは、メイド長である前に、司会進行役というものだった。
そして現在執り行われているのは、スカーレット杯争奪一発芸大会という、
式典の名から遠ざかる事遥か冥王星のあたりという代物。
それでいいのか、という突っ込みが無い辺り絶望的である。

『まだまだ我等が主、レミリア・スカーレット様を唸らせる機会は残されております!
 私はその姿を心から応援するものです……!!』

余程興が乗ってきているのか、咲夜の表情は陶酔と呼ぶに相応しい。
そんな彼女のはっちゃけっぷりに拍車をかけるのは、会場の空気。
無数の人妖が集まった中に、大量の酒を投入する。
そのシンプルな図式は、晩秋の屋外という肌寒いはずの空間を、熱気で包み込むに最適なものだった。

『ならばここは再生蟲姫様が行こう!』
『いや、ここはこのハサミ本読み妖怪が!』
『ここは一つ、闇の発生しない宵闇妖怪に是非!』
『探究心を忘れた秘封倶楽部に任せなさい!』
『誰だよお前ら!』
『では満を持して魔界神様の出番という事で!』
『魔界帰れ!』
『この皆殺しフラワー様もちょうど暇になってきた所よ!』
『wooops!』
『しかし、一万人以上もいると、中々決まらないわね』

流石に本当に一万人もいるかどうかは怪しいが、大変な賑わいであるのは確かである。
ついでに、この台詞のみで出番を終えた面々に謝罪の言葉を述べておこう。
誰かは知らないが。

『はいはい、それなりに静粛に! あんまりはっちゃけると刺しますわよ!
 というわけで次の挑戦者は私の独断と偏見で決めさせて頂きます! 
 では……そこのおつむの足りなそうな貴方に決定!』
「何よそれ!!」

遺憾の意を示しつつ壇上に上ったのは、氷精チルノ。
もっとも、選ばれたという響きが嬉しかったのだろう。顔は笑っていたりする。

『はい、では早速やってもらいましょう。どのような演目で?』
「決まってるでしょ! 氷精が見せるのは氷芸!」

チルノは、些か過剰と思われる自信を漲らせつつ、何やら文様を描き出した。








「チルノちゃん、頑張れー! って、いきなり失敗ー!?」
そんな壇上を、食いるように見つめるのは、大妖精。
というか、実際に手にしたハンカチを噛み締めている。
「まぁ、アレじゃどっちみち駄目でしょうねぇ……」
そしてもう一人。
大妖精とは対照的にどこか微笑まし気な様子で眺める、太ましい妖怪がいた。

「……」

もとい、グラマラスな女性がいた。
冬の忘れ物こと、レティ・ホワイトロックである。

さて、何故彼女達がここにいるのかと尋ねれば、招待状が届いただね来ただわさと答える他無い。
元々近くに住んでいるというだけで、紅魔館とは縁もゆかりもスキマも無かった筈の彼女等であるが、
今年の晩春に起こったとある出来事を境に、その状況は大きく変わっていた。
現に彼女達に用意された席は、主賓からほど近い位置に設けられており、その作りも一回り豪奢となっていた。
事実上のVIPクオリティ……ではなく待遇である。
そうなるに至った理由を知るものはごく少数だが、誰も気にしていないのでさして問題は無かった。


「レティさん、レティさんってば」
「……んー?」
「大丈夫ですか? 調子が良くないみたいですけど」
「あー、うん。平気平気。ちょっと眠いだけよ」
「あまり無理しないで下さいね。ただでさえ今年は休眠期間が短かったんですから。
 冬本番が来る前にダウンしたんじゃ冬妖の名が泣きますよ?」
「……はいはい」
さり気なくキツい言葉を放つ大妖精に、思わず苦笑い。
もっとも、その心配は杞憂に終わるだろう。
いつに無く速い寒気の到来により、レティもまた例年より速いお出ましを迎えた。
即ち、暦は秋なのに気候は冬という食い違いが、今の体調の悪さを生み出していたのだ。
ならば、これから先、良くこそなれども悪くなる筈が無い。
誰かしらが冬度を集めるという酔狂な真似でもやらかさなければ、だが。
「それに、あの悪名高き赤い悪魔から賓客扱いで招待されたのよ? これを逃す手は無いでしょう」
「あ、悪名って、本人すぐそこにいるんですよ?」
「いいのいいの。彼女も世辞なんて欲しくないでしょうからね」
そう言うとレティは、舞台を挟んだ向こう側……本日の主役であるレミリアの席へとウインクを送る。
すると、既に気付いていたのか、レミリアはわざとらしく肩を竦める仕草を取って見せた。
「ほらね?」
「はぁー……話には聞いてたけど、本当にとんでもない事をやらかしたんですねー」
「……その言い方だと、まるで犯罪者ね」
間違いであるとも言えなかったが。






「……残念! コメントする価値無し! ありがとうございました! はい、退場退場!」

そんな事を話している内に、何時の間にかチルノの出番は終わっていた。
やはりというか、素晴らしく無残な結果だったようである。
もっとも、今の芸では当然の結果だろうというのが一同の認識なのだが、
どうもチルノ自身はそう思ってはいなかったのか、
今にも溶けてしまうのではないかというくらい、脳天から蒸気を噴出させていた。

「チ、チルノちゃん、落ち着いて!」
「そうよ。たかが余興じゃないの」
「全然切れて無いわ! あたいを切れさせたなら大したもんよっ!!」
「「……」」

何とも対応に困る台詞であったが、切れている事は確かと思われた。
流石は瞬間湯沸かし器と名高いだけはある。
何にせよ、ここで暴れられては拙い。
もしも怒りに任せて氷柱の一本でも打ち放とうものなら、それに百倍する打ち返し弾を放たれ、
晴れてチルノは今宵のおつまみへと変化するだろう。
そうなる前に、電光石火のリンガリングコールドスタナーで鎮めて沈めるべきか。
少々チルノの生命活動に異常をきたす可能性もあるが、なあに返って免疫力が付く。

等と物騒な思考を進めていたレティであったが、次なるチルノの台詞によって強制的に我に返される事となった。
「……ま、いっか。この借りはレティが返してくれるもんね」
「は?」
「は? じゃないでしょ。ほら、行った行った」
先程の憤りっぷりは何処へ行ったのか、ニコニコ顔で背中を押すチルノ。
「ちょ、ちょい待って! どうしてそうなるの!?
 私は一発芸なんて出来ないし、そもそもやらないってば!」
「またまたー、どうせ今日も何か企んでたんでしょ?
 そんなにもったいぶらなくてもいいってば」
「だ、だから、本当に……」

『それでは他薦による挑戦者の登場です! 
 黒幕ことレティ・ホワイトロック嬢! 張り切って壇上へどうぞ!』

必死の抗弁は、咲夜の大音声によって見事に掻き消された。
しかも、ご丁寧にスポットライトまで浴びせる始末である。
当然、観衆の注目は、意図するまでもなくレティへと集中する。



『おお、黒幕だ!』
『謀に定評のある黒幕が一発芸を!?』
『黒幕! 黒幕!』




「(何で期待されてるのーーー!?)」

レティの動揺は極みへと達した。
反応を見る限りでは、黒幕の存在は大多数の人妖に知れ渡っていたようである。
広めたのは誰なのかは、考えるまでもないだろう。
いくらチルノが(検閲削除)で(放送禁止)かつ(スキマ)とはいえ、
ここまで壮絶な勘違いをしていたとは想定外であった。
レティは助けを求めるように、隣席の大妖精へと視線を向ける。

「……どうしたんですか? 今こそ黒幕の力を示すチャンスじゃないですか」
「って、貴方まで誤解してたのね……」
やはり無駄だった。

確かにレティは今年の晩春、レミリアと幽々子という幻想郷の大物二人を打ち倒す荒業をやってのけた。
だが、それはあくまでも麻雀という極めつけに狭い範疇の出来事であり、
しかも一週間に渡って入念な仕込みを入れた上でのものだ。
そんな経験など、この場において役立つ筈も無い。
神速のツバメ返しを披露したところで、返ってくるのは失笑とため息だろう。
大体にして、影で暗躍するからこその黒幕なのに、皆が期待して出迎えたのでは本末転倒だ。

「(! そうよ! 暗躍!)」

レティの脳裏に、僅かながらの希望の光が見え隠れする。……気がした。




『では早速お願いしま……』
「ちょい待った」
『はい?』
「先に言っておくけど、私は人様を唸らせるような芸なんて出来ないわ」
『は? そ、それなら何故ここに?』

チルノのせいだ。と言うは容易いが、それはチルノを傷つけるのみならず、
期待を持って出迎えた観衆をも失望させる行為だ。
それならば……いや、だからこそ、レティは賭けに出た。

「早合点しないで。私は何も出来ない……ただし、事を成せる人物を見出すのは可能よ」
『……』
「言うなら、プロデュース能力という奴? 
 それをもって、そこのお嬢様を納得させましょう。どう?」
『……はぁ、如何なさいますか? お嬢様』
「いいわ。やらせて御覧なさい」

レミリアは台座に肘をかけたまま、ぶっきらぼうに呟いた。
心底どうでもよかったのかも知れない。

『許可が得られましたので、その方向で決定!
 では、早速お願いしましょう!』
「任せなさい」

俄かにざわつき出した観衆を余所に、レティは人物の選定へと入る。
言ってはみたものの、上手く行く確証など無い。
ただ、己の観察眼と洞察力、そしてこの場を支配するお約束の空気に賭けるのみだ。

「(……む)」

レティの視線が、ある一点で停止した。
その席は、肉眼でも認識できそうなどんよりとしたオーラに包まれており、
到底祝賀の席に相応しい雰囲気ではない。
その空気を作り出している主は、一人の妖怪少女。
コップ酒片手にぶつぶつと呟く様から、へべれけに酔っていると言って間違い無いだろう。

「そこの焼き鳥!」
「はろほれてぃあ~~ふぇ~?」

返答なのかボケてるのか判別に苦しむ所である。
が、もはや後には引けない。
己の眼力を信じるならば、この少女こそが現状打開の切り札なのだ。
多分。

「ゆけー、ゆけー、ゆーうっしゃー、みすちぃー、みすちぃ~~」
「ほら、歌はいいからさっさとこっちに来る」
「あははー、葱が鴨背負ってたくさーん」

何やら大変な光景が見えているようだが、聞いたところで無意味なので聞かないでおく。

『……で、このアルコール漬けの鳥が挑戦者という事で宜しいのですか?』
「いえ、まだ何かが足りないわ……もう一つ、確固たる小骨……じゃなくてバックボーンが……」
『はぁ、左様で』

呆れた様子の咲夜を余所に、レティは再び視線を走らせる。
既に方向性は決まっている。
後は、それを実践へと映すことの出来る人物を探し当てるのみ。

「(……いた!)」

今度の目標は、客席ではなかった。

「そこのリックドム! お出でなさい!」

レティが声を向けたのは、会場の壁際に位置する、一段程高く設えられた舞台。
開演してから今に至るまで、延々と楽曲とも騒音とも付かない微妙な音を醸し出している集団である。
その名を、プリズムリバー三姉妹という。
何のいやがらせかと思いきやさにあらず、それは紅魔館直々の依頼によるものだった。
彼女等の織り成す音は、時として場の空気を大きく変える力を持つ。
が、本日の状況はその力を作用させるにはいささか厳しすぎた。
一万対三では勝負になる筈も無いのだ。
従って、無駄にハイテンションとなった客にとっては、優雅なる楽曲も騒音。
彼女等の演奏が投げやりになったところで、誰も責められまい。

「……リックドムって誰?」
「姉さんの事じゃない? 黒いし」
「あー、言われてみればそんな気が」
「え、納得するの!?」
「ほら、御指名なんだから、さっさと行った行った」
「出番あって良かったわね、姉さん」
「嬉しくない! 大体、私がリックドムなら貴方達は連邦とシャア専用……」

ルナサの抵抗は、無慈悲なる妹達の前にはまったくの無駄だった。
二人がかりでずいずいと押し出され、ついには壇上へと押しやられてしまう。
ともあれ、ここにレティが希望する面子が揃ったのだ。

「……私はリックドムじゃない」
「うぃっく……しねっ、しねっ、しねっ、しんじまぇ~」
「ああ、見事なファーストコンタクト……成功は約束されたようなものね」
『どこがやねん』

レティは咲夜の冷たい突っ込みを毎度の如くスルーすると、
ミスティアとルナサの二人を連れ、なにやら片隅でひそひそと密談を始めた。

「……から、貴方が使う……」
「……も。……うものが……」
「……ざざむし~……」


壇上にて突如として繰り広げられる、怪しい会議のようなもの。
それが意外にも絵になっていたのだから、不思議なものだ。
事実、観衆からは不満の声一つとして上がらない。
むしろ、黒幕と密談というキーワードの組み合わせによる期待感のほうが大きかったのだろう。




時間にしておよそ五分。
ようやく密談は終わりを告げたのか、三人はそれぞれ動き出した。
ミスティアは舞台の前方、一番目立つ場所へ。
ルナサはその背後に控えるような位置に。
そしてレティは役目を終えたとばかりに、舞台の袖の咲夜の元へ。

「お待たせしたわ、準備完了よ」
『あー、はいはい。ではとっととご披露願います』

お前には失望した。とでも言いたげである。
そんな投げやりな咲夜の合図と同時に、
弦楽器特有の音色が、会場内へと響き出した。


一言で言うなら、重い。
二言で言うなら、重くて苦しい。
三言で言うなら、重くて苦しくて暗い。
四言で言うなら……切りがないので止めておこう。
とにかく、鬱な音色だった。
各自の努力にて保たれていたはずの空気も、一瞬にして陰鬱な色へと塗り換えられてしまう。
確かに、聞く者の気持ちを落とさせる音を使うのは、ルナサの得意とする所であるが、
こうも他の要素を投げ捨て、鬱一色へと特化した曲となると稀であった。

「わ~たぁ~しぃ~はぁ~~よ~すぅ~~ずぅめぇ~~」

そんな音色に、ミスティアの歌声が乗せられた。
散々に酔っているにも関わらず、彼女の歌声には一点の曇りも無い。
……否。
曇りしかなかったのだ。

「くぅ~わ~れ~るぅ~~だぁ~~~け~のぉ~」

救いの欠片も見当たらない歌詞。
助長するかのように、ミスティアの声質もトーンが低く、かつ重い。
そんな破滅的な歌が、これまた絶望的なルナサの演奏に乗せられたのだから救えない。
つい数分前まで多いに盛り上がっていた筈の空間は、即座に陰鬱のズンドコに突き落とされた。

「なぁ~にもぉ~えらぁ~れずぅ~なぁ~にもぉ~のこぉ~せずぅ~~」

ただただ、ミスティアは唄い続ける。
世界の中心で愛を唄わず、紅魔館の中心で鬱を。
そしてルナサは奏でる。
人の暗黒面のみを抉り出した凄惨な音色を。

楽しむ為に来たのに、どうしてこんな拷問を受けにゃならんのか。
そんな感想を抱く剛の者もいたりするが、それは大いなる勘違いである。
この宴は、レミリアを楽しませるのが第一目的であり、客がどう思おうと二の次なのだ。
大体にして、気に喰わないのなら止めるなり立ち去るなりすれば良いのに、誰も実行しようとはしない。
それは何故か?
理由は、すぐに知れる事となろう。


「かぁじぃ~られるぅ~~だぁ~~け~のぉ~~……」
「……えー、ご清聴ありがとう御座いました」

どれ程の時間が経過しただろう。
ルナサの礼を締めとして、悪夢の時間はようやく終わりを告げていた。

観衆一同は、閑として声も無い。
ライブの直後だというのに、まるで通夜のような雰囲気である。




『……え、ええと……そ、それではお嬢様に判定を頂きましょう……』

そんな中、咲夜は司会進行の矜持をもって、何とか場の復旧を務めようとしていた。
もっとも、その声に力は無く、彼女もまた気力を根こそぎ奪われているのが伺い知れる。
「……」
『お嬢様?』
「……」
促されたレミリアは、腕組みをしては黙して語らなかった。
それにより生み出された沈黙は、嫌が応にも観衆の不安を煽り立てる。

すわ惨劇か。
ここはやはり『恋の魔法はれみりあうー』を唄うべきではなかったのか。
いやいや妖夢。

等と、憶測ともつかぬ戯言を吐き始める始末である。



「……感想を述べましょう」

一同の不安が頂点へと達しようとしたその時、
レミリアはかっ、と目を見開くと、視線を壇上の面々に向けた。

「幻想郷の暗部を読み解いた読解力に、それを歌へと乗せる歌唱力」
「……すぅー……」

唄い終えた時点で限界に達していたのだろう。
ミスティアは静かに寝息を奏でるのみだった。

「突き抜けた一つの方向性こそが真の調和を生み出すと証明した伴奏」
「……」

ルナサは瞑目して久しい。
語るべき言葉は、すべてヴァイオリンに乗せた、とでも言いたげだ。

「これらを即興で見出した観察眼と、実際にやろうとした胆力……」
「……ふふ……」

レティは薄く笑いを浮かべる。
大物感溢れる受け答えだが、内心は相当にビクビク物である。
当ての無い賭けは、本来黒幕の成すべき所では無いのだ。

「……その答えがこれよ! 受け取りなさい!」

レミリアは、力強く一つのボタンを叩いた。





 れ~ み~ り~ あ~ う~






迫力ある合図とは裏腹に、膝の力が抜けそうな合成音が五つ、会場内に響き渡った。

『……』
「め、メイド長! 進行! 進行!」
『……はっ!?』

呆然と立ち尽くしていた咲夜が、袖からかかった声に我に返る。
そして、慌ててマイクに口を近づけると、全身全霊を持って声を上げた。

『……ついに出ましたッ! 本日初の満点! 
 偉大なる達成者、レティ・ホワイトロック及びミスティア・ローレライ、ルナサ・プリズムリバーの三人に、
 皆様、盛大なる拍手をお願いします!!』

どう聞いてもヤケクソだった。
が、空気という物は恐ろしい。
咲夜の叫びにより、動揺の極みにあった観衆は自我を取り戻し、
そして言われるがままの行動を取り始めたのだ。
たちまち鳴り響くのは、割れんばかりの拍手、そして歓声。
群集心理と呼ぶは容易いが、それだけでは説明の付かない狂喜の光景である。










「……とんだ茶番もあったものね」
誰もが心の底で感じていながらも、場の雰囲気に塗りつぶされた台詞。
それをぼそりと口にする者がいた。
紫である。
「ったく、こんなものを見せられるくらいなら、家で飲んでいたほうがマシだったわ」
愚痴のようなものを延々と垂れ流しながらも、休む事なく杯を傾け続ける。
既にテーブルの上は、シャンパンタワーが作れそうな量のグラスで埋まっていた。
紫が席についてからまだ数十分しか経過していないのだが、それはそれ、これはこれ。
隙間妖怪という存在を常識の範疇で捉えてはならないのだ。

本来ならば、この席の人口密度はもっと多いはずだった。
だが、紫の関係者のうち、実に75%が紅魔館で使役されているという事実が、
ゆかりんひとりぼっちな状況を生み出していたのだ。
もっとも彼女が不機嫌な理由はそれだけではない。
むしろ、残りの25%が問題だった。

「(遅いわね妖夢……どうしたのかしら)」

紫の対面に位置する席は空のまま。
てっきり自分より先に戻っていたものと思っていたのだが、その推測は外れていた。
それどころか、いつまで経っても姿を見せようともしない。
館内で迷っているのでは、という考えも無い事は無かったが、
いくら妖夢が抜けていたとしてもそれは想像し難い。
となると、何か別の理由でやって来れないのだろうか。
さては先程の痛烈な対応にショックを受け、何処かで泣き濡れているのか。
いやいや、それだけには留まらず、世の無常さを儚んでは、身を投げようとしているのやもしれぬ。
んなアホな。との突っ込みが入りそうな妄想だが、今の紫はひとりぼっちであるが故、誰も突っ込まない。
そもそもにして、紫がこのような妄想を蠢かせることからして妙だった。
自覚していないというだけで、十分にアルコールが回っているとしか思えない。

「駄目よ! 早まらないで!」

紫は勢い良く立ち上がると、虚空へと向けて叫びを上げた。
勢いが良すぎたのか、卓上のグラスがいくつか落下し、かしゃりと音を立てて砕け散る。
しかしながら、盛大なる歓喜の渦に巻き込まれているこの会場に、彼女の動向に気を留めるものがいるはずもなく、
叫びは速攻で大歓声の前にかき消されていた。
が、それは問題では無かった。
何故ならば、妄想のままに当てずっぽうで向けた視線の先……。
紅魔館の屋上部に、本当に人の影のようなものが見えたのだ。

「マジっスか!? 妖夢! そんな所から飛び降りたって死ぬどころか痛いだけよ!」
「何がですか?」
「……え?」

慌てて飛び立とうとしたところに、背後から声がかかる。
恐る恐る振り向くと、そこにはきょとんとした様子の妖夢がいた。
別に、泣いてなかった。
もちろん身投げしてもいないかった。
今だにメイド服のままである事を除けば、まったく普段通りの姿である。
「も、もう、驚かせないで頂戴。今まで何処へ行っていたの?」
「済みません。少し館内で迷いまして……」
「って、そっちが正解だったの!?」
「……??」
別の意味で力が抜けたのか、紫はへなへなと倒れこむように椅子へと座り込む。
そして妖夢もまた、倣うように席に着いた。

「(……失念していたわ。やはりこの子は生まれ持っての天然気質を備えている。
  これは苦労しそうね……)」

紫は再び新品のグラスを手にすると、思考の渦へと突入する。
議題はもちろん、先程の幽々子との会話内容についてである。
ありのままを伝える訳には行かないので、いかに妖夢が納得できるよう脚色するか。
酒に酔うという平時では考えられない状態の紫にとっては、些か難題ではあるが、
これを無視しては、今宵の宴は永遠に終わらないのだ。

が、後に紫はこの時の行動を後悔する事になる。
何故自分は、もっとしっかり妖夢の確かめようとしなかったのか、と。





『皆様! 達成者は現れましたが、そこに留まるものではありません!
 いえ! むしろ、達成者の看板は決して名目上のものでは無いという証明なのです!
 さあ、更なる高みを目指す挑戦者よ、来たれ!』

咲夜の絶唱を機に、一万名と号される招待客から、我こそはとの声が続々と挙がりだす。

「どうして、皆さんあんなに必死なんでしょう?」
「さぁねぇ。雰囲気やら酒やらに毒されてるか、それとも賞品が余程魅力的に映るのか……」
「……賞品、ですか?」
「ええ。何でも、『どんな願いでも一つだけ叶える』だそうよ。
 分かりやすく、かつ胡散臭すぎて、確認する気も起きないけどね」
「……」
「……妖夢?」
「いいなぁ……そうだ紫様、アレをやりましょう。いえ、やります」
「え?」

聞き返すよりも早く、妖夢は立ち上がっていた。
能面のように無機質な表情を貼り付けて。
感情の揺れが大きく、喜怒哀楽の表現が激しい彼女に、まったく似つかわしくない表情。
剣士としてはそれで正解なのかもしれないが、それが今現在の魂魄妖夢に到達できた域なのかは、まこと疑わしい。
ならば……何故?

「よ、妖夢?」
「では、ちょっと行ってきますね」

聞いていないのか、それとも聞こえてすらいないのか、
妖夢は紫の言葉をまったく無視しては、喧騒の渦へと歩み寄って行く。

「(……まさか!?)

紫はここに来て初めて、妖夢の異常さへと思いが至った。
落ち着いているから大丈夫なのだろう。との判断は余りにも安易だったという他無い。
「妖夢! 止めなさい! 今の貴方がアレをやるのは余りにも危険よ!」
「うるさい」
制止の声を上げる紫に対し、妖夢は一言冷たく言い放つと、
するすると群集をすり抜けるように動き、ついには壇上まで到達してしまった。


「参加を希望します」
『あら、妖……おほん。これは珍しい挑戦者ですこと。
 皆様! この少女の自薦に意義はおありですか?』

顔見知りの贔屓目か、咲夜はらしからぬ提案を口にした。
当然、それで観衆が納まるはずもなく、次々に不満の声が挙がりだした。

『あるに決まってるでしょ! チョイ役舐めるなコラ!』
『あたしゃ向こう三日間も並んでたんだよ! 
 それを横入りされたんじゃ、ご先祖様に申し訳が立たないっての!』
『お前も一緒に連れて行くぞ!!』 
『ぶち殺すぞゴミめらっ……!』
『はい、異議無しですね! 
 それでは早速やってもらいましょう! 張り切ってどうぞ!』

だが、咲夜はそれらの声を一切合財無視して、場を進行させた。
どの道、自分が独断で決めなければどうにもならないものではあるし、
何よりもあの妖夢が自分から一発芸をやるという行為に興味をそそられたのだ。

しかし、結果的に見れば、これが最後の分岐点であった。
もしもこの時、咲夜が妖夢の様子をしっかりと把握していたなら、この宴は至極平穏に終わったのかもしれない。
が、それはあくまでも仮定である。

「魂魄妖夢、変身します」
『え?』

妖夢が白楼剣を天へと向けて掲げると、その刀身が淡く輝きを帯び始める。
やがて、その輝きは、妖夢の全身へと広がってゆく。

そして、メイド服が宙を舞い……。
世界は光に包まれた。

『駄目だ! それは私にのみ許された一文だ!』

うるさい。








『くっ……一体、何が』

光が収まった事を確認すると、咲夜はゆっくりと目を開く。
司会の意地なのか、今だマイクは握られたままだ。

『え……よ、妖夢?』

目当ての人物を認識するは容易かった。
だが、それが本当に妖夢であるかどうかは、確信が持てない。

「……」

舞台の上空に浮かび、双剣を手に眼下を見下ろす一人の少女。
その格好はというと、メイド服が飛んだのだから当然全裸……等という事はなく、
黒を基調とした、無駄とまで思われる細かい装飾の施された衣装。
俗に言うゴスロリという類のものである。
だが、何故かスカートだけは、基本を無視した極めて短い作りをしていた。
そんな格好で宙に浮いているものだから……見える。

『(……ええと、どうしたものかしら。素晴らしく似合ってはいるんだけど、掟破りと言えばそうだし……。
  いえ、むしろオリジナリティを効かせてると評するべき……? でもそれではあの下着の説明が……)』

咲夜はマイク片手に、脳内に浮かんだ感想を纏め始めた。
彼女は司会というだけで、審査する必要性などまったくをもって無いのだが、それは無粋というものだ。
いや、むしろこういった思考は現実逃避に近い。
何故ならば、依然として無機質な表情のまま妖夢の瞳が、紅に染まっているのを認識してしまったから。

「貴様等が……」

『え?』

「貴様等が、幽々子様を歪めたのかっ!!」

刹那、妖夢の手にした剣が、横薙ぎに振り切られる。
その目標は……眼下に位置していた咲夜だった。





咲夜は状況が認識出来ずにいた。
いや、網膜に写し取られた映像が脳へと伝達するよりも、状況変化が早かったとでも言うべきか。
それほどまでに、妖夢の一閃の速度は、常軌を逸していたのだ。
だが、そういった理論的な解法とは別に、直感のようなものから感じ取ってはいた。
こんな間抜けな状況で死ぬのかな、と。

「(……あら?)」

しかし、幸運にもその直感は外れていた。
次に咲夜の脳内に伝えられた情報は、己の眼前へと立ちはだかる、どこかで見た後姿。

『貴方、どうして……』
「ごめんなさいね。少し、失敗したみたい」

その人物……紫は、多重に渡る結界を展開したまま、小さく答えた。

『失敗って、どういう意味よ。またあんたの仕業なの!?』
「違うとも言えないし、そうとも言えないわ。というか、いい加減マイクを離しなさい。
 読み辛くて仕方ないわ」
『は? あ、え、ええ』
読み辛いという意味は分からなかったが、とりあえずマイク不要説には同意しておいた。
この異常事態を、観衆へと伝える理由は無い。
「で、どういう事なのよ。納得の行く説明はして貰えるのかしら?」
「……多分無理ね。それに、時間が無いわ」
そう言うと紫は、視線を上空へと送る。
対する妖夢は、無表情を崩すことなく、口を開いた。


「紫様。邪魔をしないで下さい。
 正義の為には、そいつらを生かしておいてはならないのです」


「あー……やっぱり反転しちゃったのね」
「だから、反転って何よ」
「見ての通り。今のあの子は、妖夢であって妖夢じゃないわ。
 心の中に折り重なった負の感情……それがノイズとなって、ああいう形を取ったのよ。
 本当なら、愛と勇気のラブリー魔法少女まじかるよーむに変身する筈だったのに……」
「……」
咲夜は言葉に窮した。
ネーミングセンスについては、自分とあまり差異を感じられないので問わない。
だが、そもそもにして変身とはどういう事なのだろうか。
突っ込んだ所でまともな回答が得られるとも思えないが。
「まぁ、妖夢の様子が妙だった理由は分かったわ。
 丸くなった訳じゃなくて、単に二面性が極端に出ていただけなのね」
「そうなるわね」
「で、アレ。何とかなるわけ? 危うく死ぬ所だったんだけど」
咲夜がそう言いつつ視線を動かした瞬間に、再び妖夢の剣撃が放たれていた。
紫の結界に阻まれ、直接的な被害を与えるには至らなかったものの、
その衝撃は結界越しにでもはっきりと感じ取れる程に強力なものだった。
「……多分」
「多分!?」
「だって、仕方ないでしょう! あんなに黒くなっちゃうだなんて想定してなかったもの!」
「元凶の癖に逆ギレするんじゃないの!」


「どうも、先に排除しなければいけない奴がいるようね」
妖夢は軽く舌打ちをすると、手にした双剣を振り上げるような独特の構えを取る。
その狙いが誰にあるかは、想像するまでもないことだった。


「……やっぱり、私の事かしら」
「状況的に貴方以外に無いでしょ。
 力を与えた主を真っ先に殺そうとするだなんて、とんだ魔法少女もいたものね。
 むしろ変身ヒーローのほうが相応しかったんじゃないかしら」
「嫌よ、そんなの可愛く無いわ」
軽口を叩きつつも、その表情はいつになく真剣である。
いかに状況が切迫しているかが分かろうものだ。

「妖夢! 無駄な事は止めなさい! 貴方に私が斬れるとでも思っているの!」
「無駄かどうかは……」

剣を振りかぶる軌道を大きくすると同時に、時流の法則が乱れ始めた。
知覚する速度と、実際に行動する速度が一致しない。
まるで水の中を歩いているような、そんな感覚が紫達を襲った。

「……斬れば分かる!」

そんな中、ただ一人だけ、平時と何ら変わらぬ動きを持って突進する妖夢の姿があった。
来る。と認識していても、体がそれに反応してくれない。
故に、この時の紫が取れた行動は、展開した結界をさらに強化するだけだった。
もっとも、ある種の楽観を抱いていた感はある。
境界の操作を生業として軽く数百年を越える自分の結界が、
少し力を得た程度で調子に乗った未熟者に破られるはずもないと。

事実、妖夢の剣閃は、紫の結界を破るには至らなかった。
しかし……。





「……え?」
予測していたような激しい衝撃は感じられない。
それを生み出す筈だった妖夢の姿は、紫を通り抜けて背後へと着地している。
思っていた程に、妖夢の力は高まってはいなかったのか?
それとも、直前で思い留まったのか?
もしくは、狙いが別の何かにあったのか?
幾多もの可能性が浮かび上がり、そして全部まとめて消失した。

「(なら、どうして私は倒れてるのよ……)」
それが、全ての答えだった。


「無理しないほうが良いですよ。暫くは声も出ないと思います」
「……」
「しかし、私も侮られたものですね。
 いくら結界を強固にした所で、その内側の紫様自身は無防備。
 ならば話は簡単……結界の中から斬れば済むんですから」
「……」
「どうやったのかって? それは秘密です。
 白楼剣を使ったのは、せめてもの情けです。
 ……しばらくの間、そこで私の正義を見届けて下さい」

正義。
何とも分かりやすく、それでいて虫唾の走るようなフレーズ。
確かに己の信ずるものに準じれば、それは正義である。
それが他者の道理と一致するかどうかなど、知った事ではないのだろう。
思い込みと言うは容易いが、それを理念とした者ほど手に負えないものはない。

「(幽々子……貴方の言葉の意味、やっと分かったわ)」

『貴方は思っている程に、妖夢という子の本質を理解してはいない』
言った幽々子自身にも分かっていないというあやふやな物であったが、
それはある意味、正しかったのだろう。
究極的に言ってしまえば、妖夢にとって幽々子以外の存在など皆同じ。
どうしたところで、八雲紫は西行寺幽々子とは成り得なかったのだ。
それが今、こういう最悪の形で噴出する事になろうとは。

「(ごめんね……)」

それが誰に対しての謝罪なのかは分からない。
確かなのは、紫はこの瞬間に、表舞台から降ろされたという事実である。







「まさか……アイツが倒されるだなんて……」

咲夜は、眼前で起きた光景に、動揺を隠しきれずにいた。
あの八雲紫を一撃で屠る……正確には気絶させただけなのだが、それでも驚愕に値する出来事である。
それと同時に、今の妖夢を止めうるだけの強制力が無くなったに等しいという事実が、重く圧し掛かった。
紫を上回る力を持つものなど、多くの心当たりがある筈も無い。
強いて言うならば、博麗の力を全開にした霊夢くらいのものだろう。
だが、その霊夢はというと、会場にはいるのだろうが、まったく動きを見せる気配が無い。
これを余興とでも認識しているのか、それとも自分が出て行くような事態では無いと思っているのか。
真相は定かではないが、霊夢自身が動こうとしない以上はどうすることも出来ない。

「(……いえ、そういえば確か……)」

変身直後に妖夢が口にした言葉を思い起こす。
あの時確かに、妖夢は幽々子の名前を呼んでいた。
ならば、幽々子さえ来れば、平穏に事は収まるのではないか?

「……無理ね」

だが、その考えは即座に振り払われた。
紅魔館の侍従として任に付いている筈の幽々子が、いまこの場に現れないという現実。
それは、何かしらの理由で、幽々子は来る事が出来ないとの証明だった。
また仮に、幽々子自身に妖夢が暴走に至った原因があるのだとしたら、状況はなお絶望的である。
言葉のニュアンスからして、それこそ紅魔館の住人を全殺しにするまで、妖夢が収まる事はあるまい。
そして最悪のパターンは、幽々子がすべてを知った上で、状況を黙認しているというもの。
これが幽々子なりの復讐だと考えれば、その可能性にも頷けてしまう。

「(まったく、最後の最後までかき回してくれちゃって……お嬢様もどうしてあんな奴を……)」

そこで、己の失念していた事象に、初めて思い至る。

「(……って、そういえばお嬢様は!?)」

咲夜は神速の勢いで、主の席へと視線を動かす。
が、そこには誰の姿も無い。
続けざまに、脳内に基本搭載されているレミリア様レーダーをフル回転させる。
だが、やはりレミリアの姿は認識できなかった。

「一体何処へ……」

主が忽然と姿を消した。
それは本来ならば、最高レベルの非常事態だ。
だが、現状を省みるに、むしろ僥倖であるとも言えた。
もしもレミリアがこの場にいたとしたら、むしろ喜び勇んで妖夢と刃を交え兼ねない。
だが、それは余りにも危険である。
レミリアの力を疑うつもりはないが、今の妖夢相手では、そう楽観的にもなれないのだ。

ともあれ、こうして考えに浸っているのは、もう終わり。
既に妖夢はその視線を、紫からこちらへと移しているのだ。
ならば、自分のやるべき事はただ一つ。



『総員、戦闘配備! 
 倒す必要も、ひっ捕らえる必要も無いわ! 
 ただ生きて時間を稼ぎなさい!
 なお、これは訓練では無い! 
 繰り返す! これは訓練では無い!』



咲夜は宙へと舞い上がると、腹に力を込めて叫ぶ。
司会進行の証であるマイクは、今もう一つの意味をもって活用されたのだ。

メイド達は、号令に反応して……いや、一部に至っては、声がかかるよりも先に動き出していた。
妖夢、そして咲夜の周囲へと、雲霞の如く現れる紅魔館メイド衆。
皆それぞれ、己の得意とする得物を手にしては、臨戦態勢へと突入する。
誰一人として、表情に迷いは無い。

そして、それを出迎える形となった妖夢は、初めて表情に変化を見せた。
もっとも、好ましいものとは言い難い。
それは、狩猟者が獲物を見つけた時の顔……陰惨なる笑みだったのだ。

「そっちから来てくれるなら手間が省ける……皆、冥界で償うがいい!」

ここに、平穏なる祝賀の舞台は終わりを告げた。















……その筈なのだが、誰もがそう認識しているとも限らないのが面白い所だったりする。
咲夜の号令は、多くの者が耳にした記憶があるだろう定型文だった。
それは……演劇。
故に、招待客の大半は、現状をまったく別の視点で捉えていたのだ。

「魔法少女に剣劇にバトル物ってwwwwwありえねwwwww」
「最後まで客を飽きさせない……これが紅魔館クオリティね……!」
「で、これって何てエロゲ?」

何故か某住人が多いように思える発言の数々だが、この際それは無視。
ともかく、これが本物の緊急事態であると認識できたのは、
紅魔館のスタッフを除けば、ごく一部の人妖に過ぎなかったのだ。








さて、そのごく一部の中の一人に、ある少女がいた。
メイド服を着用していることから、紅魔館のスタッフであると推測されるが、
戦闘の輪へと加わっていない事から、真相は定かではない。
少女はただ、地上からある一点を見つめるのみである。

「こういう事、ね」

ぼそりと呟きを上げると、視線を外し、ゆっくりと歩みを進める。
何か思うところがあるのか、足取りは決して軽くない。
だが、それでもさして広いわけでも無い会場のこと。
少女が目指すべき人物の元へ辿り着くまで、そう時間は要さなかった。

「……っと、来たわね」
「はい」

出迎えたのは、元紅魔館代理補佐心得、八意永琳。
そして、答えた少女は、館内で調理作業にあたっていた筈の、鈴仙・優曇華院・イナバであった。



「もう答えは分かっているけど、一応聞いておくわ。
 ……やるのね、ウドンゲ?」
「はい。その為に来たんですから」
「私の記憶が確かなら、あの子は貴方の友人だった筈だけど、それでも迷いは無い?」
「……どうでしょうか。
 多分、無いと言えば嘘になります。
 少し前までの私なら、むしろ加勢する側に回っていたかも知れません。
 でも、私は妖夢には少なからず助けられました」
「だから、今度は私が助ける番、ということ?」

心無しか、永琳の視線が鋭くなる。
だが、鈴仙は目を逸らさず、真っ直ぐに視線を受け止める。

「違います。
 そんなものは、ただの建前に過ぎません。
 私は……私の矜持の為に、戦うんです。
 そこに、他人の意思が介入する余地なんてありません」

そうきっぱりと言い切った。

「良く出来ました」

その途端に永琳の視線が、柔らかいものへと戻る。
鈴仙の答えは、永琳を満足させるに十分なものだったのだ。

「にしても紛らわしい。もし頷いていたら張っ倒す所だったわよ」
「それくらい分かってます。何年弟子やってると思ってるんですか」
「そんなの忘れたわよ。……ま、それなら大丈夫でしょう。
 貴方は自らの力で、矜持とやらを証明して見せなさい」
「はいっ!」









「……と言いたいところだけど」

まさに匠の技とも言える切り替えしだった。
今まさに飛び立たんとしていた鈴仙は、当然の如く盛大にすっ転ぶ。

「し、ししょおぉ~、どうしてこのタイミングで言うんですかぁ~」
「あー、ごめんなさいね。
 でもねぇウドンゲ。ぶっちゃけた話、あの化物に勝てると思う?
 いくら意気込みがあった所で、真正面からぶつかったりしたら、それこそ即死よ?」
「そ、それはそうですけど……」
「まぁ、死んだって無理やりにでも生き返らせてあげるけど、そういう問題でも無いし。
 何より、向こうが反則技使ってるのに、こっちが正々堂々と行くのって馬鹿げてるでしょう?」
「……うー……でも、どうすれば……」
先程までの気合は何処へやら、たちまちヘタレ兎へと逆戻りする鈴仙。
いや、自然体で臨むという意味にとれば、これも悪いものではないのだ。多分。
「決まってるでしょ。アレ、やるわよ」
「え」
「え。じゃないの。こういう時を思って用意してたんだから」
「う、嘘です! あれって絶対に師匠の趣味ですよ!」
「黙らっしゃい。趣味と実益を兼ねてるのよ。何の問題があって?」
「そんな言い訳……って、え!? 否定してない!?」
格好よさげだった筈の雰囲気は、いつの間にか吉本時空へと支配されていた。
もっとも、観客は望むべくもないので、些か盛り上がりには欠ける。
盛り上げるには、起爆剤が必要。
そして、彼女等にはそれがあった。
「問答無用! 準備は進めておくから、さっさと行ってらっしゃい!」
「はぁーい……」
「あ、待った」
「……何ですかぁ」
「ドーピングコンソメスープ。飲んでおく?」
「いりませんっ!」



鈴仙が頼りなく飛び去っていったのを確認すると、永琳はスカートのポケットから何かを取り出した。
ヘアバンドのような形状をしているが、片側から口元に伸びるように突起があるのが特徴的である。
それを装着した永琳は、周囲に誰もいないにも関わらず、言葉を発し出したのだ。

「……あー、あー、てゐ、聞こえてる?」
『……』
「……起きろーーーー!」
『うきゃっ!? ……あー、はいはい、全然寝てなんかいませんよー……』
「……」
『……』
「……てゐ?」
『……済みません。寝てましたー』
「もう……それじゃ留守番の意味が無いじゃないの。
 貴方がどうしてもと言うから任せたっていうのに」
『うー……わざわざ連絡したのはお説教の為?』
「ああ、そうそう、本題を忘れる所だったわ。
 てゐ、合神許可を出すわ。チェック過程は全てパスして、最速で進めて頂戴」
『え!? ガチっスか!?』
「ガチっスよ。バリバリのガチンコよ。むしろセメント? いえ、シュート? 折っていい?」
『突っ込みませんけど、りょーかい! ただちに起動にかかりまーす!』

「これでよし、と」
通信が切れたのを確認すると、永琳は腕組みをして、傍観の体勢へと入る。
「……さて、どう出ることやら」
後はすべて、鈴仙次第である。








 


「くあっ……!」
『三番隊、下がりなさい! 負傷者を優先して!』
「くぅ……メイド長! 突撃許可を!」
『駄目、絶対駄目よ! 何度も言わせないで! ただ生き延びる事だけを考えるの!』

黒妖夢と紅魔館メイド衆の戦いは、予想通り極めて一方的に動いていた。
いや、戦いと呼べるかどうかも怪しい。
数に物を言わせて、無尽蔵の攻撃を送り続けるメイド衆であったが、それが妖夢を捉える事は一度として無い。
妖夢の方はと言うと余裕なのか、それとも楽しんでいるのか、積極的に攻勢に出る事は無かった。
そうでなければ、百戦錬磨のメイド衆といえども、既に全滅していた可能性は否定できない。

『(……分かってはいたけれど、絶望的ね)』

咲夜は歯噛みをして戦況を見つめる。
これまで咲夜は、一度として戦線へと出ていない。
それは、兵卒達を取りまとめるものとして当然ではあったが、内心は違う。
少なくとも、自分の能力さえ発揮できれば、戦闘らしきものが成り立つとは思っていた。
だが、あくまでもそれは、発揮できたならの話。
数日前まで死の縁にいた咲夜に、それを望むのは余りに酷であった。
故に、こうして後方での指揮に専念せざるを得なかったのだ。

『(せめて……加勢があれば……)』

そう思った矢先の事。



「そこまでよ!!!」



凛とした声は、戦闘中であった筈の面々の意識を向けるには十分だった。
が、視線を向けると同時に、殆どのメイド達は力なく肩を落とす。
そして、見なかったことにして戦闘を継続するのだった。

「って、何その反応!?」
当然、声の主……鈴仙としては面白い筈もなく、怒りの意を表明する。
『何、じゃないでしょ。邪魔だからすっこんでなさい』
「……」
追い討ちをかけるかのように、咲夜の冷たい言葉が響いた。
悲しいかな、これが鈴仙の置かれた現状である。
馬鹿にされているというのは、流石に御幣があるものの、
こういった荒事において役立つ存在とは認識されていないのだ。



が、そんな中でただ一人。
この場において、最大の強者である筈の妖夢だけは、鈴仙の存在を大きく受け止めていた。

「鈴仙さん……」

妖夢は動きを止めると、真っ直ぐに鈴仙へと視線を送る。
無論、メイド達の攻撃は続いていたが、それが妖夢へと届く事は無い。
己の半身たる魂魄が、まるで妖夢を守るかのように周囲を高速で旋回しているのだ。

「ファンネル……」
「?」
「……じゃなくて、妖夢!」

しばしその光景に見入っていた鈴仙であったが、我に返ると気を昂ぶらせるかのように大声を上げる。

「貴方がどうしてブチ切れてるのかは知らないわ。
 でも、そんな事はどうでもいい。私は、貴方を倒す」
「……何故ですか。貴方はむしろ私の同胞の筈。
 それとも、紅魔館の一員として目覚めたとでも言うつもりですか?」
「違うわよ。こいつらが全員なます切りにされようと私の知った事じゃないわ」

先程の扱いがよほど気に障っていたのか、鈴仙の口調には私怨が存分に混ざっていた。

「でも、ね。それでも、私にだって決して譲れない物があるのよ。
 ……そして妖夢。貴方はそれを踏み越えてしまったの」

そこまで言うと、鈴仙は溜めを作るかのように顔を伏せる。
それは脳天踵落としを食らわせられる暇があるくらい大きな隙であったが、
勢いに飲まれたのか、誰一人として動く者はなかった。

そして、鈴仙は溜めに溜めた息を開放し、叫ぶ。

「それがっ!!!」

解き放たれた大音量は、大気を揺るがし、異質なる気流を生み出す。
舞い上がった気流は、ものの見事に鈴仙のスカートを直撃した。
翻る布地。
そして……露となる水色と白の横縞模様。






「縞パンよ!!!!」













「「「「「「……」」」」」」

鈴仙の力強い宣言は、中庭を埋め尽くす人妖達の沈黙を大いに誘った。
無理もない、これほどまでにリアクションに困る事態はそうそうあるものではないのだ。
ギャグと笑い飛ばすには、あまりにも真剣だった。
本気と受け取るには、あまりにも事象が突飛すぎた。
無かったことにするには、あまりにも響きが重すぎた。
もっとも、こんな状況でも我を貫き通す輩もいないことはない。

「……しまぱん?」

あろうことか、言葉を受けた当人である妖夢こそが、その一人であった。

「そう、縞パン!」
「……あのう、しまぱんって何ですか?」
「天然を装っても無駄よ! 
 あんたの狙いが、幻想郷縞パン女王の座にある事くらい気付いてるわ!
 でも、そうはさせない。
 縞パンを着用せし者は、一人しか選ばれないのよ!!」
「……???……」

鈴仙は勢いに任せて畳み掛けて行くが、どうにも妖夢の反応は思わしくなかった。
ぽかん、と口を半開きにし、まるでアホの子を見るような顔である。
というか、何時の間にか素に戻っている節すらある。
そういう意味では、鈴仙の行動もあながち無意味ではなかった。
いや、それどころか、既に任務完了と言って良いだろう。
彼女は、誰にもできなかった大役を、言葉のみをもって果たしたのだ……!




が、そんな事は当人には関係無いのである。

「ね、ねぇ、本当に分かってないの?」
「……はあ」
「ほら、ちょっとスカート捲って見なさいよ」
「はあ、では失礼して……」
「って、こら! 違う! 私じゃなくて自分の!」
「……はあ」

妖夢は相変わらずの間抜け顔のままに、己の下半身を覆う布地をそろりと捲り上げた。
その瞬間、観衆の一部から歓声らしきものが上がったようだが、もの凄い勢いで掻き消えていた。
不思議なこともあるものだ。

「あ、ドロワーズじゃない……」
「って、今気付いたの!?」
「済みません。何故かここ数分の記憶が無いものですから」
「……」

ここに来て鈴仙は気が付いた。
自分はとんでもない思い違いをしていたのではないか、と。
だが、こうなってはもう後には引けない。
間もなく、永琳謹製のアレも届く筈。
ではそういうことで、で済ませるには、事態は進みすぎたのだ。



「……でも……」

ごく小さな呟き。
だが、鈴仙の卓越した聴力は、それを捉えるには十分なものがあった。

「不思議です……今までは、この格好になったからだと思っていましたけど……。
 この漲る力の源は、間違いなくこの縞パン……!」
「……どうやら気が付いたようね」

んなもん気付くな。と誰かが突っ込みを入れたが、やはり封殺された。
今の二人の間に、突っ込みなどは無粋なのだ。

「……ごめんなさい、鈴仙さん」
「?」
「気付いてしまったからにはもう、私も引くことは出来ません。
 縞パンの力は……いえ、縞パンは私のもの!」
「言うわね。でも、貴方が縞パンを身につけるには、十七年と八ヶ月早いわ。
 それでも欲するのなら……私を倒して行くことね」
妙に数値が具体的だった。
「それでも、です」
「……そう。やはり、こうなる運命だったのね」

鈴仙は、宙を回るようにくるりと反転すると、妖夢から距離を置く。
その際に、件の縞パンが一切認識できなかったのが不思議だったが、
それが自称縞パン女王とやらの力なのだろう。
あまり役に立ちそうもないが。

「(後は……)」

妖夢がまだ動きを見せていないのを確認すると、ちらりと下方へと視線を送る鈴仙。
そこには、指先で丸印を作る永琳の姿があった。

「ですが、鈴仙さん。貴方の能力で今の私に勝てるとでも思っているんですか?」
「参ったわね。少しばかり力を手に入れたくらいで……自信過剰も良いところよ。
 その思い上がり……身を持って知りなさい!」

その時、二人の遥か上空から飛来する物体があった。
それが何であるのか、認識するよりも早く、鈴仙の体が光に包まれる。

『って、またなの!?』

咲夜の叫びは、夜空へと空しく響いた。



光に包まれた鈴仙の元へ、無数の飛来物がまるで吸い寄せられたかのように寄り集まる。
僅かに浮かび上がるシルエットは、次第にその姿を変える。
蔑まされし月兎から、ただ戦いのみに生きる戦乙女へと。

フィニッシュを飾るのは、鈴仙、永琳、
そして何故かこの場にいないはずのてゐの三者による、絶唱だった。


「「「合身!!! 兎神咆哮ウドンゲイン!!!」」」


集中線とバックフラッシュの嵐の中に浮かび上がる、一つの影。
それは、全身を金属製と思わしきパーツで包み、ポーズを決めた鈴仙の姿だった。
が、何故か下半身……というか腰回りの部分だけは素のままである。
いや、何故かと問うのは、もはや無粋だろう。
縞パン女王とやらの矜持、恐るべしだ。





「……はっ!?」

ここでようやく妖夢は我に返った。
……いや、この表現は正しくないだろう。
何しろ、長々とした装着シーンの間も、はっきりと状況を認識していたのだから。
だが、それにも関わらず妖夢が動く事は無かった。
何故か?
その問いには、彼女は知っていたからだ、と答えよう。

「くっ……変身シーンの間は絶対に手を出しちゃいけない……なんて恐ろしい枷なの……!」

だそうだ。
律儀と呼ぶか、アホと呼ぶかは各自の判断に委ねたい所である。




そんな中、鈴仙は生まれ変わった己の体を、確かめるように見渡す。

「(……さて、決めてはみたものの、殆どのパーツはぶっつけ本番……。
  それどころか、今だに理解していない機能も複数……無茶苦茶も良いところね)」

だが、それでもやるしかない。
今の妖夢を倒すには、この合神は必要不可欠なのだ。

「さあ、妖夢。決着を付けましょう」

内心の不安を押し殺すように、はっきりとした口調で宣言する。

「……ええ、これでようやく私も本気で戦えます」

そして妖夢もまた、過剰と称された自信を隠すことなく漲らせ、答えた。


二人の変身少女が空を駆ける。
一方は、己の矜持の為に。
一方は、己の正義の為に。
名目は違えども、意味するところはただ一つ。


「「縞パン女王の座は、渡さない!!!」」















「なんでやねん!!」


遅れに遅れ、溜めに溜めてそれは放たれた。
使い古されたというにやぶさかではない突っ込み。
だが、彼女には、それを発さないという選択肢は残されていなかった。
その声の主は、本来ならば主人公である筈なのに、
この物語では脇役を通り越して通行人A程度の扱いとなっている少女、博麗霊夢である。
むしろ、彼女が過去に登場していた事を覚えている者がいるのか、甚だ疑問である。
些か棘のある紹介ではないか? と突っ込みがあるかもしれないが、それは気のせい。多分。

無論、二人から返答がある筈もなく、突っ込みは底冷えするような風に流されていった。
元々期待はしていなかったのだろう、霊夢はため息をつきつつ立ち上がる。
律儀にコケていたのだ。

「ったく、どんな因縁があるのかと思ったら馬鹿らしい……ん?」

何気なく視線を動かした霊夢は、ある一つの事実に気が付く。
例えば、妖夢に叩き落とされ蹲っていたはずの一人のメイド。
それが今は、何やら上空を見上げつつ、ぽろぽろと涙を零している。
笑いすぎの為でも、目にゴミが入ったわけでも無いのは明らかだった。
他にも、拳を固めては振り回しつつ上空に向けて声援を送る者、激しく嗚咽しては地面に頭を擦り付ける者、等々。
共通しているのは、誰もが妖夢と鈴仙の叫びを真摯に受け止めていたという事だ。
「なんで……? も、もしかして、みんな変な薬でも飲まされて……」
「この大馬鹿三太郎!!」
「へぶっし!!」
ただでさえ動揺しているところに、視界の外……完全な背後からの攻撃である。
これには、いかな霊夢と言えども回避のしようも無く、メメタァと奇妙な効果音付きで吹き飛ばされるに至った。

「な、な、な、何て殴り方すんのよー!! というか三太郎って誰よー!!」
後頭部を押さえながら、勢い込んで声を上げつつ向き直る霊夢。
そこには、もう見慣れすぎるくらい見慣れた襲撃者の姿があった。
「……悪い、殴った事は謝るぜ」
魔理沙は、神妙な面持ちで、紅くなった手の甲をさすっていた。
要は、そうなるくらい強烈にブン殴ったという事である。
「謝るんなら最初っからしないでよ!」
「でもな、霊夢。お前、本当にあいつらを見て何も思わないのか?」
「何もって……」

霊夢は改めて上空を見やる。
片や、ヒラヒラかつフリフリの衣装に身を包み、冷徹に双剣を振り回す妖夢。
片や、全身の至る所に金属製のパーツを装着し、二丁拳銃を乱射する鈴仙。
絶え間なく翻るスカート。
そして、輝く縞パン。

これらの符号が意味するものは、一つ。

「……馬鹿?」

結局、何度見たところで、結論は同じだった。

「それ、本気で言ってるのか?」
「些か脱力してるのは認めるけど、一応本気よ」
「……そうか。お前には、あいつらの縞パンに賭ける情熱が分からないんだな」
「んなもん分かる訳無いでしょ。というか分かりたくも無いわよ」
「残念だぜ」
霊夢の吐き捨てるような台詞に、魔理沙は小さく答えると、帽子を被り直す。
その行動を起点に、魔理沙の視線は、刺し貫くが如き鋭い物へと変貌を遂げた。
「霊夢。お前の空気の読めなさ加減にゃ、もうウンザリだ。
 あいつらに代わって……私が修正してやる!!」
魔理沙を中心に、魔力の渦が発生されるのが感じ取れる。
それは、紛うことなき戦闘態勢である。


「……ウンザリしてるのはこっちだっての」
対する霊夢は、どこまでも冷たくどこか悲しげな視線で見つめ返す。
「麻雀の時といい、毎回毎回簡単に乗せられてくれちゃって……苦労するのは誰だと思ってんのよ」
場の空気に流されない無重力の巫女は、時として状況から剥離を招く。
これはその極めつけだった。
「でも、もういい。この苛立ちは、あんたを叩きのめして解消させてもらうわ」
すっ、と何処からお払い某を取り出すと、宙で袈裟を切る。
思惑はどうあれ、霊夢もまた、臨戦態勢に突入したのだ。


こうしてまた一つ、とことん無意味な抗争が生まれた。
無論、誰も気付かなかったが。














「……体重不足で失格っ!?」
「あ、紫様、気がつかれましたか」
「ふぇ?」

紫は、ぱちぱちと目をしばたき、しばし己の意識の覚醒を待った。

ここは紅魔館。
自分は今、地面へと寝転んでいる。
そして、視線の先にいるのは、全裸の狐。

「着てますってば。勝手に人の性癖を捏造しないでください」
「やーね。軽いインドネシアンジョークよ。
 というか、性癖自体は捏造じゃないでしょ」
「その件については後ほど……ま、それだけ言えるなら、心配する必要も無さそうですね」
「いけず」

紫は口を尖らせつつ、起き上がる。
硬い地面の上に寝転がっていたからか、やや頭が痛む。
こういう状況なら、膝枕をするのが当然の役割だろうに、
相変わらずこの狐には慎みと配慮が足りない。

「そういう発言をするから私も冷たい対応を取らざるを得ないんです。いい加減に自覚してください」
「え、貴方何時の間に読唇術を!?」
「何時の間にというか昔からできますが。そもそも紫様、口に出してたじゃないですか」
「ハハハ、こやつめ」
「ハハハ……」

藍の声が悲しみに滲んでいるのは、恐らく気のせいだろう。
悲しむ理由などどこにもありはしないのだから。

「さて、と。どういう状況になっているのかしら」
「と、言われましても……私も今しがた来た所ですし。
 まぁ、あちらをご覧になれば理解できるのでは?」
「む?」

促されるままに、視線を送る。
そして、速攻で戻す。

「よく分かったわ。大腸のしくみが」
「それは良かったです。今度は腎臓のしくみも勉強しましょう」
「……軽いブラジリアンジョークはともかくとして、何だか大変な事になってるみたいね。
 あの兎ちゃんが、自分からあんなにはっちゃけるだなんて、一体何があったのかしら」
「……さ、さぁ……何故でしょうね」
藍は思わず口篭る。
自分がけしかけたせいであるとも言えるし、そうではないとも言える。
別段、直接引き金を引いた訳でもないのだから、口篭る必要など無いのではあるが。

「ともあれ、もうこんな茶番は懲り懲りよ。さっさと始末付けましょう」
「それは同意ですが……」
「ん? 何よ」
「……いえ、私の聞いた話が確かならば、
 紫様は妖夢に倒されてあのような醜態を晒していたそうじゃないですか。
 止める事なんて出来るんですか?」
「……」
それを言われると痛かった。
いくら油断があったといえ、妖夢に負けたという事実は覆せない。
が、彼女には成すべき使命がある。
このまま妖夢を野放しにしては、幻想郷のバランスが保てないのだ。
「……多分平気でしょ。いざとなれば貴方を盾にするわ」
「さりげなく酷い事を言わないで下さい。
 ……まぁ、私とてそう易々とやられるつもりはありませんが」
「OK、やる気のようね。……じゃ行くわよ」

「駄目よ」

跳躍の体勢へと入っていた二人を、背後からの声が押し止めた。

「駄目って何がよ、貴方何様よ」
「八意永琳様よ。言わなかった?」
出鼻を挫かれ不機嫌極まりない様子の紫の言葉。
だが、それにも永琳はまったく動じることなく、独特のセンスで受け答える。
扇子ではない。似合いそうではあるが。
「で、その永琳様とやらは何で邪魔するのよ。二十文字以内で答えなさい」
「不肖の弟子が己を見出す絶好の機会だからよ」
「……」
紫は、脳内で漢字変換を行いつつ、指を折って計測を始めた。
やがて、その表情が多いに曇る。
「……らーん! この赤黒が苛めるのー!」
「はいはい、話は私が聞きますから、とっとと引っ込んで下さい」
「わーい」


「(……何か、目覚めてから幼児化が進んでる気が……)」
藍は、痛む頭を抑えながら、紫と入れ替わるように永琳と向かい合った。
「あー、で、何だったかな。鈴仙が己を見出す機会だとか?」
「ええ、そうよ。切っ掛けを与えてくれた貴方には感謝しているわ」
早速先手を打たれる。
先程の紫とのやり取りといい、この人物相手に口で戦うのは些か分が悪い。
そう藍は感じ取っていた。
「ん、まぁ、お前さんの言う事も分からないじゃないさ。
 回りがどう思っていようが、あいつら自身が価値を見つけたのなら、それは否定されるべきじゃない。
 ……でも、あの戦いに鈴仙が勝つという証拠は何処にある?」
「無いに決まってるでしょう。だからこそ『機会』と言ったのよ」
「……すると何か。別に、どちらが勝とうが構わない。そういう事か?」
「話が早くて助かるわ。皆、貴方のように頭が回ってくれれば楽なんだけど」
「……」
褒めているのだろうが、まったく良い気分がしなかった。
分が良い悪いの問題ではない。
この人物とは、根本的に相容れる気がしないのだ。
「そういう訳で、片が付くまで大人しく傍観してはくれないかしら。
 私としても、あまり荒っぽい手段に出たくは無いのよ」
「……言うじゃないか。出来るとでも?」
「出来もしない事は言わないわ」
「ぬかせ!」

藍は躊躇することなく懐のクナイを投げつけた。
一瞬の動きであったが、その数は優に百本を越える。
それもただ無造作に放るだけではない。
反応されることを想定し、回避するルートを塞ぐように。
また、何かしらの手段で防御されることを考え、それを打ち抜けるべく幾重にも射線を重ねる。

が、実際の結果は、そのどれにも該当しなかった。

「な……!?」

それまで目前にいたはずの永琳が、それこそ忽然と姿を消したのだ。
高速で動いて回避したというのは考えられない。
例え光の速度であろうとも捉えられる……それだけの動体視力を藍は持っていたからだ。
だが、現実に永琳の動きは見えなかった。
なら、何故?

「もう、やっぱりこうなるのね」
「!?」

声の方向、それは己の背後。
藍は、思考を働かせるよりも早く、本能的に爪を振るう。
が、それも空しく空を切る。
既に永琳は、藍から大きく距離を開いていたのだ。



「(空間転移か……? いや、予備動作すら無かった以上、それは不自然だ。ならば一体……)」

目まぐるしく思考を働かせるも、解は一向に導き出されない。
その苛立ちは、直接的な声となって表へと出た。

「貴様、一体何者だ?」
「だから何度も言ってるじゃないの。竹林へと隠れ住む麗しの姫の従者、八意永琳よ。
 ……そういえば、姫は何処へ行ったのかしら。貴方、知らない?」
「知るか!」
憤りに身を任せ、スペルカードを取り出す。
相手の思惑に乗せられていることは自覚していたが、それでも抑えるべき術を持たなかったのだ。
あるとすれば、ただ一つだけ。


「待ちなさい、藍」


それは、絶対的な抑止力を持った声。

「……っ」

藍は、思考の余地を根こそぎ投げ捨て、声の主へ向け飛び退った。

「……紫様、申し訳ありません」
「気にしないで。どうも、遊んでいる場合じゃないみたいだしね」
「って、やっぱり遊んでいたんですか」
愚痴を漏らしつつも、藍が紫に逆らう気は無い。
自分では、アレはどうすることも出来ないと、理解してしまったから。
紫はそんな藍の頭をぽん、と軽く叩くと、先程とは逆に自ら永琳と向かい合った。

「どうやら、少しばかり本気を出す気になったようね。
 そんなにあの兎さんが大切なのかしら」
「そうね。否定はしないわ」
「そう……でも、私もはいそうですかと引き下がる訳には行かないの。分かるでしょう?」
「ええ、存分にね。尻拭い…とは少し違うかしら。
 ああ、そうそう、貴方にもプライドがあるという事ね」
「小正解」
 
紫は答えると同時に、掲げた手からスキマを展開する。
それ自体は至ってありふれた光景だが、問題はその範囲。
最初は等身大程度であったスキマは次第に肥大し、ついには眼前の永琳にまで到達しようとしていたのだ。
だが、それでも永琳は動かない。

「これも、分かっていたとでも言うの?」
「ええ。幻想郷を愛する貴方が、こんな場所で『本気』になれる筈も無いものね。
 仕方ないから付き合ってあげる」
「お心遣い、感謝致しますわ」

二人は薄く笑みを浮かべたまま、スキマへと飲み込まれ、消える。
その場に残されたのは、硬い表情の藍一人。

「紫様……」















<PM 10:00>



争いの拡散は、留まる事を知らなかった。
今や紅魔館の敷地内の至るところで戦闘が繰り広げられている。
それぞれ何かしらの理由があるのだろうが、戦闘であることには変わりない。
もはや事は、妖夢と鈴仙だけの問題ではないのだ。

「……」

そんな会場の様子を、一望できる地点。
紅魔館のシンボルマークとも言える巨大な時計塔。
その頂点に立ち、無機質な瞳で眼下を眺める一人のメイドがいた。
誰あろう、幽々子である。

「結局……動く、動かざるに関わらず、こうなるのね」

それはただの独り言。
今の彼女へと話しかけるものは誰もいない。

妖夢との別離の後、幽々子はフランドールの元へと向かった。
そこで彼女が目にしたものは、何者かと弾幕ごっこに興じるフランドールの姿。
それは、自分と対面していた時には見たことの無い、生命力に満ち溢れたものだった。
もっとも、これは贔屓目な感想であり、客観的に称するなら、狂気に支配されていたと言えるだろう。
が、それすらも幽々子は引き出す事が出来なかった。
仲良くなった、と言うだけなら聞こえは良いが、それは単なる上辺だけの付き合いだったのではないか。
心に潜む感情すら見せずして、深き交流など求めるべくもないのだから。

「……まぁ、それは私も同じ事だけど」

故に、幽々子はここにいる。
誰と会うわけでもなく、何をするでもなく。
ただ一人で呆然と、別世界のような出来事を見つめるのみだった。


「……それにしても、冷えるわね」
「当たり前じゃないの。馬鹿は高い所に登りたがるって言うけど、いくらなんでも高すぎよ」

言葉が返されたのは、驚きには値しない。
これだけの妖気を抱え込んだ存在、いくら気が抜けていようとも認識するは容易かった。

「ちなみにここは、私のみに許された特等席。これからは許可無しに登らないことね」
「そうでしたか、申し訳ありません。レミリア様はやはり高い所がお好きなのですね」
「そうよ。……あれ?」
「ストップ。今、レミリア様が感じられた感情は精神的疾患の一種です。
 しずめる方法は……何でしたっけ?」
「そんなの私が知る訳無いでしょ」
「それもそうですね」

幽々子は図らずして、小さな笑みを浮かべた。
今の自分が求めていたのは、この下らないやり取りなのだ、と。
まさかそれを、レミリア相手に実感するとは思いもよらなかったが。

「宜しいんですか?」
「何がよ」
「仮にも本日の主役が、このような場所で一従者如きを構っていることが、です」
「仮にもは余計よ。大体、今の状況で私の存在を気にかけている奴がいると思う?」
「……いえ」
一瞬、自分の事を言われたような気がしたが、すぐにそれが思い違いだと認識する。
そういう意味では、今の二人は似た物同士なのだろう。
片や、本日記念すべき生誕の日を迎えた、紅魔館のお嬢様。
片や、侍従へと身を窶しているとはいえ、紛れも無い冥界の姫。
それが二人して、このような寒空の下で、お供も無しに会話を交わしているという事実。
素晴らしく滑稽で、素晴らしく愉快だった。

「ま、確かに愉快な話じゃないけど、こうも見事なまでに滅茶苦茶にされれば諦めも付くわ。
 それに、あれ以上益体も無い芸を見させ続けられるよりは、こっちのほうがずっと面白いもの。
 で、そんな所に、思いつめたような表情で突っ立っているメイドが視界に入った、と。
 そこで一声かけようと動くのは、慈悲深き紅魔館当主として当然の行動だと思わない?」
「成る程。慈悲深いかどうかは議論の余地がありそうですが、とりあえずは納得しましたわ」
「一言……いえ、二言多い。ったく、あんたは少し教育してやる必要性がありそうね」

その言葉の響きに、幽々子は僅かに身を硬くする。
が、次にレミリアの取った行動は、幽々子の予測の範疇を超えていた。

「という訳で、ここは寒いし、勉強部屋へ行きましょう」
「へ?」
「ほら、愚図愚図しないの」

レミリアは幽々子の袖を引っ掴むと、問答無用で歩き出す。
抵抗することも考えたが、所詮は亡霊の細腕。
腕力自慢の吸血鬼相手に抗う術があるはずもなく、結局はずるずると引き摺られていった。






「あの……ここは?」
「ん、見ての通りだけど」
「見て分からないから聞いているのですが」

幽々子引き回しの刑は、それ程長くは続かなかった。
というか一瞬である。
なぜなら、レミリアの向かった先は、先程までいた場所の直下。
時計塔の内部に位置する場所であった。
それだけを聞くと、無数の歯車がぎっこんぎっこんと音を立て、
フランケンやらせむし男やらが出迎えるデンジャラスな場所が想像出来るが、
実際には、何てことのない、普通の小部屋であった。

「んー、余り言いたく無いのよね」
「そうですか、なら結構です」
「って、そこで引かないでよ!」
「もう、聞いて欲しいのならそう仰って下さいな」
「……」

レミリアは眉間に浮いた皺を抑えつつ、ゆっくりと口を開いた。

「ここは、ね。私の隠し小部屋」
「そのままですね」
「……私だって、時々一人になりたい事くらいあるの。
 そんな時の為に、ここを作ったのよ。
 だから、ここには咲夜も入っては来れないわ」
「え?」
流石にその言葉には、幽々子も驚きを隠せなかった。

「何よ。まだ突っ込み足りないの?」
「い、いえ、そのような場所に私を連れられた事が意外でして……」
「……そういえば、どうしてかしらね。
 ま、主様の気紛れとでも思っておきなさい」
「はぁ……」

困惑する幽々子を余所に、レミリアは室内へと歩みを進める。
さして広くもない、小部屋と呼ぶに相応しい場所ではあったが、
そんな雰囲気とは裏腹に、掃除はきちんと行き届いているようで、埃一つ落ちてはいなかった。

「(……ってことは、レミリア自ら掃除してるって事よね)」
 
帽子の変わりに三角巾を巻き、腕まくりをしてはモップを動かすレミリアの姿を想像する。
それは、不自然というよりは、むしろ微笑ましい光景に映った。

「で、そんな場所だから当然、あるべきものはある、と」

幽々子の思考など知るよしもないレミリアが、壁際に設えられた戸棚を開く。
そこに並ぶは、無数の洋酒の瓶。
日本酒以外はあまり造詣が深くない幽々子だが、それが高級な品である事くらいは想像が付いた。

「という事は?」
「皆まで言わせるつもり?」
「……いえ、それには及びません。お心遣い、感謝致しますわ」
「勘違いするんじゃないの。私がそうしたいだけで、あんたはそれに付き合わされるだけなのよ」
「それも存じ上げております」
「……ったく。まぁ流石にツマミは無いけど、それくらいは我慢しなさ……」

振り向いたレミリアの目が、驚きに見開かれる。
何時の間にか幽々子の両手には、オードブルの数々が並べられた皿が乗っていたのだ。

「そうですね。こうなると分かっていたら、もっと持ってこれたのですけど」
「……ったく、あんたの食い意地には負けるわ」
「恐れ入ります」

幽々子はにっこりと微笑んで見せる。

今だ収まりの欠片も見えない騒乱の渦の中、
レミリアと幽々子による奇妙な酒盛りが、ひっそりと幕を開けた。












<PM 10:30>


「ふはー、ふごー、ふぐー、ふかー」
「はひー、ふひー、へひー、ほひー」

言語障害ではない。
ましてや、通信障害など有り得ない。
前述の珍妙な声……正しくは息を漏らしたのは、紛れも無く二人の人妖である。


「ふぅー、ふぅー……ふぅー……」

フランドールは、息を整えつつ、次なる算段を練っていた。
……が、悲しいかな、まともなアイデアは何一つとして思い浮かばなかった。
というのも、既に思いつくだけの作戦、及びスペルカードはのきなみ展開済みである。
にもかかわらず、眼前の相手は壊れてはいない。
というか、壊れてくれない。
記憶が乱れているのでなければ、既に複数回に渡って完全なる破壊の手ごたえを感じた筈なのだが、
戦いが続いている以上、それは気のせいだったと思うしかないのだ。

「いい加減……ゲームオーバーでしょっ!!」

それでも、フランドールは弾幕を展開した。
まるで、それ以外に語る術を知らないかのように。






「はふー、はふー……って、待ったー! まだ息が……」

乱れる息を押さえ込み、必死の抗弁をする妹紅であったが、生憎として相手は無機物。
言葉による制止が通じる筈もなく、弾幕の雨あられに晒される羽目となった。
「えーと……右下、右下っ!」
謎の言葉を呟きつつ、必死に体を動かす。
直後、目の前を巨大な弾が通過して行ったが、直接的な被害は無い。
フランドール自身にも弾幕を展開し続ける余裕が無かったのが幸いだった。

「本当……しつこいのね」
「お嬢ちゃんに言われたかー無いわよ。ったく、今日は死なないつもりだったのに……」
既にして、リザレクションを慣行すること六回。
死ぬことには慣れていたが、ここまでやられるのは、輝夜を除けばあの満月の晩以来である。

「(あの化け物の妹だけはあるって事か……)」

レミリアのような、熟達した技量は感じられない。
だが、それを補って余りあるだけの、無尽蔵のパワーをフランドールは持っていた。
しかも性質の悪いことに、この永い弾幕戦を通じて、
段々と戦いの経験値を積んでいる節すら感じられたのだ。

「……冗談じゃないっての。そう簡単にレベルアップされてたまるもんですか。
 私が輝夜と戦えるまで、どれだけ苦労したと思って……」
「呼んだ?」
「……あ?」

予期せぬ声に、妹紅は反射的に振り向く。
ちょうどその瞬間、フランドールの次なる弾幕が妹紅に向けて降り注いだ。

「びぎゃっち!!」
「あ」

哀れ妹紅は、またしても妹紅だったものへと姿を変える。
まぁ、それも僅か数秒ではあるのだが。

「……って、輝夜! あんたねぇ!」
「自分の命よりも私の声を優先するだなんて……愛の力はかくも偉大なのね」
「んなもん無い! つーかいつまでアロハシャツ着てるのよ! もう旅行は終わってんのよ!?」
「え、ここで脱げと言うの? ううん、恥ずかしいけど、もこたんが言うのなら……」
「脱がんでいい! あと、もこたん言うな!」


再生を果たした妹紅と、何時の間にか姿を現した輝夜の間で繰り広げられる漫才。
が、それを目の当たりにする観客は、一人しかおらず。
そして漫才を理解するほどに成熟もしてはいない相手だった。

「……ちょっと、あんた誰よ。人が遊んでいるところを邪魔しないで」
「私の事かしら」
「他に誰がいるのよ」
「んーそうね。例えば、貴方の後ろの人とか」
「えっ?」
慌てて、フランドールは背後を振り返る。
だが、そこには人影は愚か、一切の動く者の影は見当たらなかった。
「何よ、誰もいな……」


最後まで言い切る事は許されなかった。
再び正面を向いたフランドールが見たものは、己の視界全面を覆い尽くす七色の弾幕。

「っ……! あああっ!!」

フランドールは一切の思考を捨て、身を躍らせる。
ふよふよと頼り無さげに映る弾幕は、その一つ一つが致命的なダメージを負わせるだけの力を秘めていた。
無論、理解していた訳では無いが、それはもはや本能と言って良い。
辛うじて、本当に辛うじて、フランドールは弾幕を回避し切ったのだ。

「……っ……はぁ……はぁ……」
「へぇ、避けたのね。偉い偉い」
「……はぁ……騙し撃ち……はぁ……しておいて……よく言う……はぁ…」
「あら。卑怯とでも言うつもり?
 でもねお嬢さん。本来、戦いにルールなんてものは存在しないのよ。
 教えてくれる人はいなかったのかしら?」
「……くっ……はぁ……はぁ……」

今だ息が戻らないフランドールを余所に、輝夜はくすくすと笑い声を上げる。
が、そんな中、いかにも不満気な声が響いた。

「ちょい待った。その娘とは私が弾幕りあってる最中よ。
 いきなり横取りなんてあんたらしくはあるけど、認めないわよ」
「硬いこと言わないの。もこたん、もう十分お疲れでしょう?」
「……まぁ、そうだけど。……って、もこたん言うなってば」
「何の事は無い、選手交代という奴よ。……そちらのお嬢さんも、問題無いでしょ?」

そう言うと、輝夜はくるりと背後へ向き直った。
妹紅のほうもそれ以上争うつもりはなかったのか、肩を竦めては壁際へと座り込んだ。







「(……何よ……こいつ……)」

今だに息が戻らない。
数時間にも渡る妹紅との戦闘、そして止めとばかりに沸き起こった突然の回避劇は、
フランドールを極限状態へと追い込んでいた。

「……ふぅ……望む……所よ……」

だが、それでもフランドールは戦闘継続を決意した。
意地などというものではない。
そんな言葉は、彼女の辞書には記載されていない。
単に、この目の前で笑みを浮かべ続ける女を、滅茶苦茶に壊してやりたいという一心だった。
その為ならば、自分の体の状態など、知ったことではない。
……明らかに矛盾した思考であるが、まさにそれこそがフランドールという少女の原点であり、すべて。
即ち、狂気。

「そう、なら早速」
「……っ!」

そう答えた直後、微笑もそのままに、新たなる弾幕を展開する輝夜。
対抗するかのように、フランドールもまた、なけなしの魔力を振り絞った。

フランドールは、知らなかった。
輝夜もまた、自分とは別種の狂気を孕んでいるということを。

そして、もう一つ。
疲弊し、消耗しきった心の奥底、
その遥か深くから、何かが芽生えつつあるのを。















<PM 11:00>

「この剣の輝きを見ろ! 斬魔剣弐の太刀ぃっ!」
「スゥィーーツ! そんなお遊戯、ポジトロンライフルの前には無力よっ!」


会場上空にて繰り広げられる、凄絶なる戦闘。
字面を見る限りでは、とてもそうは思えないのだが、凄絶と言ったら凄絶なのだ。
ともかく、そんな感じのものを、咲夜は呆然と眺めていた。

「……私は、どうするべきなのかしら」

とりあえず、最大の危機は去った。
正確には先送りにしただけなのだが、今は鈴仙に任せるより他無い。
が、何時の間にか、会場全域へと伝染した戦闘に関しては如何なものか。
止めろと言われても、自分に止められるのは時間くらいのもの。
判断を仰ごうにも、レミリアの姿は一向に発見できない。
配下に指示を送ろうにも、殆どの人員は加療中で動くことすらままならない。
ならばいったい、どうしろと言うのか。
咲夜は考える。
この場における、最良の選択肢を。

「……うん」

彼女の明晰なる頭脳は、答えを導くに容易かった。
咲夜は、もはや体の一部に等しくなったマイクを手に取る。

『皆様! 本日は我等が主、レミリア・スカーレット様生誕祭への参加、真にありがとうございました!
 宴もたけなわではありますが、只今を持ちまして一端お開きとさせて頂きたく存じます! 
 辛うじて意識の残っている方は後始末……もとい、後夜祭への参加をご検討下さい! 
 それでは、グッナイっ!』

咲夜は一度の息継ぎも交えることなく言い切ると、体の一部を全力で放り投げる。
それは同時に、事態の収拾をもブン投げた証でもあった。
もっとも、誰も彼女を責める事など出来はしまい。









「……困ったわね」
「って、今更それを言いますか」

そしてここにも一人。
事態を投げた……というよりは、最初から関わろうともしなかった人物がいた。

「今更とは何よ。出番が無かったのだから仕方ないじゃない!
 所詮はラジオと同じで、声を出さない限り存在は認識されないのよ!」
「逆切れした上に、意味不明な事を叫び出さないで下さいってば」
「もう、ああ言えばこう言う。そんな子に育てた覚えは無いわよ?」
「育てられた覚えもありませんよ。というか私のほうが年上じゃないですか」
「……橙、この悪魔の皮を被った小姑が私を苛めるの。助けてー」
「……自業自得じゃない?」
「裏切られた!?」

漫才ではない。至極当然の光景である。
もっとも、自認していないだけで、幻想郷屈指の芸人と称される彼女であるから、
日常会話すらも芸の一つであると判断することもできよう。
ともあれ、図書館組一同は概ね平和であった。

「で、どうします? と言っても、今更どうこう出来るような事態とも思えませんが」
「まあ道理ね。……そうね。ここは一つ、未知の知識を習得する機会とでも考えてみましょうか」
「はぁ?」
また、寝惚けた事を抜かしてケツかる。とでも言いたげな小悪魔の表情。
無論、パチュリーは我関せずで言葉を続ける。
「あの二人を見て、どう思った?」
「どう、と言われましても……誰もが悩みを抱えて生きているんだなぁ、としか」
「そんな新聞の投書欄みたいな受け答えじゃ、私は納得しないわ。
 いい? 彼女らが使用している力は、幻想郷の常識からして到底存在し得ないものなの。
 例えば、アレ」
パチュリーが指さした先には、何やら巨大な筒を担いだ鈴仙の姿。
巨大と言われても困る、もっと正確に何メートル何センチ何ミリメートルなのか答えたまえ。
と問われるのは遺憾でイカンゆえ、あらかじめ言っておこう。
全長2メートル43センチ0ミリである。
「あの、おっきい座薬がどうかしたんですか?」
「座薬って……あんなものを使うってどんな巨人よ。
 そうじゃなくて、アレは立派な兵器なの」
「はぁ、どのような?」
「仕方ない、答えてあげましょう。アレは……」
そこで、パチュリーの言葉が途切れる。
心なしか、顔色まで変わったように見受けられた。
すわ喘息の発作か、と思いきやさにあらず。

「(……何だったかしら……)」

ど忘れしていたのだった。

「パチュリー様?」
「え、ええと、待ちなさい。今答えるから。アレは、ね。その、ううん……」
「忘れたの?」
「ば、馬鹿こくでねぇ! この私がそんな間抜けな行為をやらかすとでも……」

「ICBM。大陸間弾道ミサイルの略称だ。その射程距離は、遥か千里を越えると言う。
 もっとも本来のものは、人が抱えられるような大きさじゃない。
 よって類似品ないしは模造品だろうな。……勉強不足だぞ、知識人?」
「そ、そう。そのソレよ。うん」

パチュリーは真っ赤になった顔もそのままに、声の主へと視線を向ける。

「ええと、慧音だったかしら。……いたの?」
「いたんだ。誰かさんの言う通り、声を出さなければ認識されないもんでな」
「……知り合い?」

そこで橙が、きょとんとした様子で問いかける。

「ああ、そういえば橙は会って無かったわね」
「うん」
「コレは、上白沢慧音、月夜の晩の丑三つ時に出歩く悪い子を追い回しては
 根こそぎ食べ歩くという世にも危険な狂獣よ」
「……お前の記憶力はいったいどうなってるんだ」
「違った?」
「名前以外に正しい部分を探すほうが難しいぞ」

慧音は、呆れたように言い捨てると、橙と視線を合わせるように膝を曲げる。

「あー、後半部分は忘れてくれ。アレは少しばかり知識が溢れかえりすぎて、頭が大変な事になってるんだ」
「うん。知ってる」
「って、また裏切られたーー!?」
「ただの事実じゃないですか」
「止めまで!?」

パチュリーはよよよ、とわざとらしい泣き声を上げながら、その場へ倒れこんだ。
無論、心配する者は無い。

「ま、ちょっとした切っ掛けで知り合って、それ以来懇意……
 という程でもないが、時々相手をさせてもらってる。
 で、お前さんは? この前に来た時は見かけなかったが」
「あ、うん。……って、何て言ったら良いんだろ」
「?」
「ああ、この子……橙ちゃんは、図書館の新入りお手伝いさんです」
フォローするように、小悪魔が割って入る。
「そうか、ならこれから会う機会もあるだろう。よろしくな」
「……それは、どうかな」
「ん?」
その時、橙の顔が僅かに曇ったのを、慧音は見逃さなかった。

「……ま、いろいろ経験するのは悪い事じゃない。
 例えそれが好ましい事態でなかったとしてもな。
 嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、それらすべての積み重ねこそ……へぶっし!?」

積み重ねはへぶっし。
訓示にしては、少々意味が不鮮明であった。
それを述べた当人は、何時の間にか睡眠体制へと入っているので、真意を聞く事も出来ない。

「今のは、覇皇剣雷撃鷲爪斬……の流れ弾よ。
 その剣筋は、文字通り雷を帯びた鷲の一薙ぎの如き鮮烈さを誇るわ。
 特に、あのように金属製の防具を身につけた相手には一層効果的よ。
 ……勉強不足ね、知識人?」

何時の間に復活したのか、得意げに語るパチュリー。
 
「し、知ってたぞ……物理的に答える暇が無かっただけだ……」

それでも慧音は律儀に起き上がり、答えた。
実のところ、意外と負けず嫌いなだけかもしれないが。





「……ねぇ、小悪魔さん」
「……何?」
「何か、雰囲気が変わってきたように感じるんだけど……気のせいかな?」
「……ううん、それは正しいわ。
 そうね、教えてあげる。こういうのを……」

二人が視線を上げた先には、共に本を手にしては延々と問答を続けるパチュリーと慧音の姿。
また時折、流れ弾の直撃を貰うことも忘れない。
にも拘らず、いずれも速攻で復活するのだが、それは不思議でも何でもない。
それを証明するのが、次なる小悪魔の台詞である。

「……ドリフ時空って言うのよ」
「……そ、そうなんだ」

こうして橙は、又一つ、無駄な知識を身につけたのだった。










<PM 11:30>

名家のお嬢様二人による、秘密の酒宴。
響きだけを聞けば、まこと雅であり、加えてどこか淫靡な雰囲気すら感じられよう。

が、その光景を実際に目の当たりにしたならば、とてもそんな事は言えまい。

「……ありゃ、もう空」
「もう……飲みすぎですわ。お酒はもう少し落ち着いて嗜まれなくては」
「ラッパ飲みしてるあんたが言うな」

レミリアはふん、と鼻を鳴らして空き瓶を放り投げる。
続けて幽々子も、薄っすらと笑みを浮かべつつ、瓶を投擲。
既にその方向には空き瓶の山が出来ていた。
その成果あってか、二人の顔は紅に染まっている。

元来、吸血鬼にしろ亡霊にしろ、常人と比較するにはあまりにもかけ離れた体質を持っている。
故に、彼女等にとっての酒とは、あくまでも味を楽しむものであり、酔う為のものではなかった。
が、この場における羽目の外し具合は、そんな常識すらも覆すものだった。

「……ねぇ、花子」
「はい?」
「あんたさ……あの娘の事、どう思ってるの?」

そう言いながら、やや眠たげになった視線を、窓の外へと移す。
そこには、今だに死闘を繰り広げている妖夢と鈴仙の姿。

「……どう、とは?」
「そのままの意味よ。……というかあんた、本当に何考えてるのよ?
 何があったかは知らないけど、それでもあの娘が、心の底からあんたを慕ってる事くらいは分かるわ。
 だったら、それに答えてやれば済む問題じゃないの……」
「意外ですね。そのような事に首を突っ込まれるだなんて」
「うるさい。今日は気紛れの在庫一層セールなのよ。
 で、どうなの。答えなさい」
「そうですね……きっと……」

幽々子が答えとなる言葉を紡ごうとした、その瞬間だった。
どぉん、と。鈍い衝撃が、この時計塔にまで響き渡ったのだ。

「……ん、何よ今の。あいつらまた、何処か壊したの?」
「いえ、それにしては振動の元が近すぎます。恐らくは館内……って、まさか」
「館内? というかあんた、何か心当たりあるの?」
「ええと、あると言えばあるのですが。……ともかく、外をご覧になれば分かるかと」
「……」

レミリアは訝しげな表情のままに、再び窓の外へ目をやる。
また、続けて幽々子もそれに倣う。

二人が目にしたもの。
それは、まったく想像も付かなかった組み合わせと、その結果だった。










「……く、あっ! ……はぁ……ううっ……!」

呼吸音と苦悶の声の区別が付かない。
ただ、己の体の求めるままに、肺の空気を吐き出すのみである。
これを疲弊というならば、今まで疲弊と思っていたものは何だったのか。

「中々に頑丈ね。これほど粘るとは思わなかったわ」

そんな事を、最悪の形で教えてくれた相手が、ゆっくりとにじり寄る。

「でも、流石に飽きてきたわ。そろそろ終わりにしましょう」
「……うっ……く……ふぅっ……」

答えられない。
既に答える術を持ち合わせていない。
そんな状況であるにも関わらず、フランドールは立ち上がった。
もはや、弾幕を展開することなど、叶わぬこと遠いのに、だ。
何故か?
もし、フランドールに返答する余裕があったのなら、こう答えたろう。

『その理由が、分かりそうだったから』



「じゃあ最後は、取っておきの秘宝を見せてあげましょう。
 ……新難題『エイジャの赤石』」
「……ぁっ……」

何の皮肉か。
己の家名とする、紅を彩った閃光が、フランドールを刺し貫く。

こうして、彼女の長い戦いは、敗北を持って終局を告げた。








「(……痛い……)」

意識は直ぐに取り戻すことが出来た。
こういう時、吸血鬼の頑強な肉体は、頼もしくもあり、逆に憎らしくもあった。
常人ならば軽く数十回は失われているだろう生命も、こうしてはっきりと自分の中にある。
だからこそ、こんな理不尽極まりない苦痛にも耐えねばならないのだ。

「(……でも……なんか、すっきりしたかな……)」、

先程まで蠢いていた身を焦がすような衝動は、とうに消え去っている。
その変わりに、言いようのない満足感が、フランドールを包んでいた。
今日、自分は全力で戦った。
それこそ、掛け値無しの全力である。
後も先も考えず、考えうる全ての戦法を駆使し、持ちうるあらゆるスペルを展開した。
その結果、敗北という二文字が残されはしたが、きっと些細な問題なのだろう。
でなければ、こんな感覚を味わう筈もない、と。




「さて、何か感想はあるかしら?」
「……最悪……もう、声出すのも億劫よ」
「でしょうねぇ。でも、そうやって一度くらい限界を見ておかないと、未来暗いわよ?」
「……そういうもの?」
「そういうもの。いい勉強になったとでも思いなさい」
「……うん」

あら、と意外そうな様子で、輝夜はフランドールを見やる。
そこに、先程までの常軌を逸した姿はない。
今はただの、ストレートに感情を現す少女だった。
……否、それも正しくは無いだろう。
フランドールは最初から最後まで常に一定の思考を保っていた。
が、単にそれを示す術を知らなかっただけなのだ。

「そういえば、名前も言ってなかったわね」
「……別に、どうでもいい」
「聞こえないわ。私は蓬莱山輝夜。肩書きは……永遠亭の当主といった所かしら」
「……永遠亭?」
「私達の住居よ。竹林の奥深くに隠された、少し古臭いけど素敵な場所。
 ま、ここからは少し遠いけど、気が向いたらいつでもいらっしゃいな。それなりに歓迎するわ」
「……」
フランドールの表情が、どこかしら悲しげなものへと僅かに変化を見せた。
それに気付いたのか、輝夜の口調にいくらか剣呑な物が含まれる。
「あら、何よ、その顔。 私の誘いが受けられないとでも?」
「……違うわよ。私は、外に出たくても……」
「参考までに言っておきますけど、うちには私よりも遥かに強い従者やら、
 幻想郷至上稀にみる卑猥さを誇る月兎やら、
 他人の弱みに付け込む事を生業とする兎やらが大量に生息してるわ」
「……?」
「だから、貴方程度がいくら暴れたところで、誰も気にしたりしないわ。
 もし、そんな狭量な輩がいるとしたら、顔が見てみたいものね」
「……あ……」
「永遠亭だけの話じゃないわ。
 この幻想郷という世界は、貴方が思っている以上に寛大なのよ。
 もちろん、それに付随して責任も背負う必要があるのだけど……。
 ま、それはこれから先の話ね」
「……ありがと」
「へ、変な娘ね。礼を言う場面を間違えてるわよ?」

その言葉が、照れ隠しによるものだというのは、誰の目にも明白である。
慣れぬ事は言うものじゃない、そう自問する輝夜であった。

「ええと、フランドールだったかしら。貴方、生きて何年になる?」
「……んー。496年と、少しかな」
「短い短い。絶望するなり、悟った風を装ったりするなら、
 せめてあと千年くらいは生きてみることね」
「……ばーか。あんた達と一緒にしないでよ」

その憎まれ口を最後に、フランドールは瞳を閉じたかと思うと、すぐさま小さな寝息を立てはじめる。
ここに来て、ようやく真なる限界を迎えたといった所か。
それでも、蓬莱人二人を相手に、半日近くに渡って戦い続けたことを思えば、よく持ったほうだろう。

輝夜はそれを確認すると、くるりと踵を返す。
出迎えたのは、どこか不貞腐れたような表情の妹紅。

「さて……そろそろ帰ろうかしら」
「あ? いいの? 例の卑猥さを極めた兎とやらが、まだ頑張ってるけど?」
「いいのいいの。夜更かしは美容の大敵よ。
 大体、この私がわざわざ、ペット一匹如きに構ってられるものですか。
 そういう面倒なものは、全部永琳の仕事にしてあるわ」
「……左様で」

妹紅は呆れたように呟くと、投げやりに手を振りつつ輝夜の横を通り過ぎる。

「え、一緒に帰らないの?」
「何が楽しくて、あんたと二人で帰らにゃならんのさ。
 私は慧音を待つから、あんたは一人寂しく夜道を歩きなさい」
「うー、いけず」
「いけずで結構。ほなさいなら」 

言葉ほどに期待はしていなかったのか、それ以上輝夜が妹紅を追う事は無かった。
代わりという訳でもないのだろうが、それまで一度も視線を送らなかった方角……時計塔へと輝夜が顔を向ける。
そして、小さく手を振った。








「……」
「……あ、あの、レミリア様?」
「うがーーーーーーっ!! そうよ! 全部私が悪いのよ! フランに悲しい思いをさせたのも! 
 咲夜の胸が一向に大きくならないのも! 門番の名前が覚えられないのも!」
「れ、レミリア様、落ち着いて下さいまし! どうか気を確かに! というか後半は私怨です!」
「私は正常よ! ったく、よりにもよってあの引き篭もりに教えられるだなんてね!
 あー、腹立たしいったらありゃしないわ」
「まぁ、少しばかり同感ではありますが……でも」
「……でも、何よ」
「言ってもよろしいのですか?」
「どうせ駄目って言っても無駄でしょ。言いなさい」
促された幽々子は、止む無くといった様子で口を開く。
「……長きに渡って引き篭もらざるを得なかった輝夜だからこそ、説得力があったのでしょう。
 ならば、この邂逅は偶然の産物ではありますが、望ましいものであったと言えるのでは?」

が、それに対し、レミリアは仏頂面を隠すことなく答える。
まったく、予想外の言葉を含めて。
「……分かってるわよ、それくらい。大体、偶然でも何でもないもの」
「え?」
「花子、次のお酒持ってきなさい。こうなったら飲まないとやってられないわ」
「は、はぁ……というか、まさかレミリア様。能力を……」
「うっさい! 早くする!」

追い立てるように飛び交う酒瓶。
幽々子はそれを横移動で回避しつつ、自分なりの感想を纏めた。

「(……全部想定済みでありながら、あの感情の激変振り。
  結局のところ、妹バカに敵うものは無いという事かしらねぇ)」

だそうだ。













<PM 11:45>

既に、半ば廃墟と化した紅魔館中庭。
無数に行われていた戦闘も、今となってはほとんどが終結の時を迎えていた。
今日という長い長い一日の終わりは、着実に近づいているのだ。

だが、そんな中も、ただ一つだけ。
まだ決着の着かない勝負が、残されていた。

「ざっ……せいっ!!」
「……くっ!?」

今だ衰えを見せぬ妖夢の剣戟が、鈴仙を襲う。
直撃こそ免れたものの、また一つ、体を覆うパーツが粉微塵に破壊されていた。

「つっ……当たれっ!」

鈴仙は、痛みという感覚を思考の外へと無理やり追い出し、振り返りざまに射撃を放つ。
だが、その弾道は、妖夢の体を通過することはなかった。

「……くぅ……何で、当たらないのよ……」
「……どうやら、限界のようですね」

鈴仙の沈痛な呟きは、果たして妖夢の耳まで届いていた。
もっとも、聞こえておらずとも、今の鈴仙が限界であることは容易く理解できたろう。
既に、今の鈴仙の身体に残されたパーツはごく一部。
それも、今にも崩れ落ちそうなくらい、年季が要っていた。
絶え間なく投下されていた銃器の数々も、もはや絶える事久しい。

片やの妖夢は、外見的にはほとんど変わりはない。
無論、これだけながく動き続けているのだから、いくらかの疲労はあろうが、
それでも鈴仙とは比べるべくもない程度のものだろう。

「(……これは……駄目かなぁ……)」

それまで、戦いの場に集中することで忘れようとしていたもの。
弱気の虫が、ついに顔を出し始める。

「鈴仙さん。貴方は十分にやりました。お陰でこっちは、機会を完全に逃してしまいました」
「……機会って、何よ」
「もちろん。ここの連中に、天誅を食らわせてやる機会です」
「……ちっ」

思わず舌打ちをする。
この後に及んで、まだそんな事を覚えていたのかという苛立ちからだ。

「妖夢あんたね……何があったのかは知らないけど……それ、本気で言ってるの?」
「当たり前です。そうしなければ……幽々子様は救われない」
「……馬鹿。本当に馬鹿」

繰り返し口に出す。
顔を覗かせていたはずの弱気の虫が、何時の間にか何処かへ逃げ去っていったのが分かる。
それほどまでに、鈴仙は怒りを抑えられなかった。

「馬鹿……単細胞……天然……縞パン二号……」
「って、いい加減にして下さい。というかあなたが一号と認めた覚えはありません」
「うっさい! いい加減にするのはあんたよ!」

激昂は即座に行動となって現れた。
鈴仙は、勢い良く飛び上がると、月を背にするように妖夢の上空へと位置を取る。

「幽々子様、幽々子様、幽々子様! あんた何!? そんなにあの人が大事なの!?」
「決まってるでしょう! この意思は誰にも否定される筋合いは無い!」

即座に反応した妖夢は、猛然と突進を開始した。
自然、その視線は、鈴仙の顔へと集中する。

「そうかもね……!」

その瞬間。鈴仙は最後の切り札を開放した。

「……!?」

鈴仙が持ち合わせた力。
それは、決して銃弾を操ったり、重火器を使用したりするものではない。
あくまでもそれは副次的な要素。
彼女が持つ本来の力……見たものを狂気へと導く魔の瞳こそが、それである。
それでも、今の妖夢ならば耐えられる筈であった。
……これまでに、一度でも放たれていたならば。
そう、鈴仙はここに至るまで、一度としてその瞳の力を使用してはいなかったのだ。

あらかじめ存在を認識している事柄なら、身体が自然と対応してくれる。
だが、この戦闘において、妖夢は邪眼の存在を完全に失念していた。
それ故に、影響を回避するには至らなかったのだ。

「くっ……!?」

たちまちの内に狂う平衡感覚、そして視界。
自分が今、どこを飛んでいるのか。
鈴仙はいったい、どこから狙っているのか。
たった今目の前にいたはずの存在なのに、認識することが出来ないのだ。
そのもどかしさは、妖夢の平常心を奪うに十分だった。

「それだけ心酔するくらいだもの……さぞかし立派な人なんでしょうね」

鈴仙の叫びが、耳へと届く。
ここに、妖夢は活路を見出した。

「(声……! これで大体の位置は分かる! ならば後は……)」

その場所へと、いかにして正確に辿り着き、そして斬撃を加えるか。
結論はすぐに出た。

「でも、それならなおさら……!」
「……はあっ!!」

妖夢は迷わず目を閉じると、信ずるがままに剣戟を奔らせたのだ。
狂わされた感覚は、すぐにどうこう出来るものではない。
ならば後は己の技量を頼りにするより他無いのだ。と。
それは、言うなれば、開き直りに過ぎない。
だが同時に、妖夢の拠り所とも言える結論であった。

結論から言えば、妖夢が放った一撃は、狙い違わず目標を直撃した。
無謀とも思われた狙いは、ものの見事に当たったのだ。
……が、それはあくまでも妖夢自身が当りを付けた目標に過ぎない。
妖夢は、その手ごたえが、あまりにもあやふやなものであると気付く。
本能的に目を開けた先に飛散していたのは、鈴仙が装着していた筈の金属片だった。
それが囮であったと気付いた時には、もう遅い。

「あんたが信じてあげなきゃ……駄目じゃないのっ!!!」

メタフィジカルマインド。
残されたすべての力を注ぎ込んだ、ただ一発の弾丸。
それは、無防備となっていた妖夢へと確かに到達し……そして炸裂した。







「(……あー……当たったぁ……)」

上空で響いた爆発音を耳にした鈴仙は、心の中で事が成されたのを確認する。
肉眼で確認しないのは、もう視線を動かす力が残っていないから。
達成を口に出さないのは、もう言葉を紡ぐ気力が残っていないから。
そんな行為すら出来なくなっていた彼女に、飛行するだけの力が残っているはずもなく、
今や鈴仙は、重力に引かれるまま、自由落下運動に入っていた。

果たして、妖夢がこの一撃で沈んだのか、それを確認する術は無い。
あったところで、もはや自分にはどうする事もできない。
そも、意識を保つことすら怪しいのだ。

「(師匠……私、頑張りましたよね?)」
「……46点ってとこかしら」

突如、自らの体が重力に逆らい、その場に制止するのが感じ取れた。
信じていなかった訳ではない。
しかしながら、実際に事態に遭遇してみると、また抱くべき感慨も深い。

「……あ……ししょ……」
「ああもう、喋らないの。一体何をどうすればこうも手酷くやられるのやら」
「……」
「おまけに、私が夜なべしてこさえた武器もパーツも全損? もう言葉も無いわ」
「……」
「また行商に出向かないと、材料費さえ賄えないわね。本当、困ったこと」
「……」
「……でも、まぁ」
「……」
「……よく頑張ったわね、ウドンゲ」
「……はい」

その瞬間まで意識を保とうと努力していたのは、卑しい行為だったのだろうか?
鈴仙の自問は、答えを得ることなく、闇へと消えた。












「……あ……」

己の身を襲う衝撃。
それに対し、妖夢が抱いた感想は、ごく単純なものだった。

「(……痛い)」

一つ、鈴仙は勘違いをしていた。
この戦い、決して妖夢は、余裕を持って望んでいた訳ではない。
むしろ、身体的に限界に近いものを無理やり引き出して戦っていたのだから、
積み重なる疲労は、妖夢のほうが大きかったくらいである。

故に、これまでと変わらぬ動きを見せていたこの今際も、既に妖夢の意識は失われかけていた。
そして迎えた着弾の意味するところ。それは……

「(そうか……私は、負けたんだ)」

そう自覚した瞬間に、妖夢を着飾っていた衣装が、元の格好……メイド服へと変貌する。
どういう機構だったのかは分からないが、知る必要も無いだろう。

『あんたが信じてあげなきゃ、駄目じゃないのっ!!!』

鈴仙が最後に残した言葉が、頭の中で反芻される。
馬鹿らしい。
何がといえば、おめでたい己の思考が、だ。
第三者……それも、決して自分達と近しい相手でもなかった鈴仙に言われて、初めて気付くとは。
自分が、白玉楼にて初めて任に付くに当たり、誓った事は何だ?
そう、答えは最初から出ていたのだ。

もっとも、気付く事が出来ただけ幸運だったかもしれない。
自分の考えが確かならば、機会はまだ残されているのだ。

だから、教えてくれた鈴仙には感謝を。
それと、巻き込んでしまった多くの人々に謝罪を。
そして……。

「(幽々子様……お休みなさい)」








「っしょっとぉ!」

勢いのある掛け声と共に、藍は妖夢の身体を抱き止める。
最後の最後に来て、ようやく面目躍如といった様子だった。

「ふぅ……まったく、あんまり心配をかけさせるな」
「……」
「後で紫様にも謝って……おかなくてもいいか。アレはまぁ自業自得だしな」
「……」
「って、妖夢? もしかして、もうおねんねなのか?」
「……」
「……なんて事だ。私は、締めの言葉を貰う相手にもなれないのか……」

藍は、妖夢を抱きかかえたまま、涙に咽ぶ。
それが感動の涙でないのは、誰の目にも明らかだった。

「何を訳の分からない事を言ってるの?」
「あ」

顔を上げた藍が、今思い出した、とばかりに視線を動かす。
そこには、仏頂面と呼ぶに相応しいものを貼り付けた、紫の姿があった。

「お、お疲れ様です。……ええと、何か怒ってますか?」
「怒ってないわよ。不機嫌なだけ」
「そ、それを怒ってるって言うんじゃ」
「……うっさいわね。そんなにお望みなら、いくらでも怒って差し上げてよ?」
「お、そうだ! もうこんな時間じゃないか! 早く橙を迎えに行かなくては!
 それでは紫様! 妖夢をお願いします!」
「あ、ちょっと……」

引きとめに応じることなく、電光石火で飛び去ってゆく藍。
さしもの紫も、これには呆れるより他無かった。

「……すぐそこにいるのに、迎えに行くも何も無いじゃないのよ、ねぇ」

紫は、己の腕の中に収まった妖夢に向けて、静かに語りかけた。

「貴方には言いたいことが山ほどあるけど……ま、それはこの際忘れましょう」
「……」
「その役目を担うのは、私ではないものね」
「……」
「……あー、いえ、でも、やっぱり、私を切ろうとしたのは許せないわね。
 少し折檻してやろうかしら。えいえい」
「……んぅー……」
「……冗談よ、冗談。そんなに怖い顔しないの」
「……」
「聞いてる? だから貴方は早いとこ、残したものにケリをつけなさい。
 それが、この騒乱を生み出した者が取る責任よ」

果たしてそれは、本当に妖夢へと向けられた言葉だったのか。
真相を知るものは、ごく僅かである。














「……」
「さて、今度はあんたが懺悔する番かしら」
「……別に、懺悔するような事なんてありませんわ」
「はぁ? あんた、まだそんな事……」
「というか、察して下さいな。今はとても考えが纏まらないのです。
 私はお嬢様のように、未来を見通す事など出来ないのですから」
「……まぁ、そういう事にしておいてあげてもいいけど」

それでもやはり納得が行かないのか、レミリアは不満気な表情を隠そうとはしなかった。

「それに……ほら」
「ん? ……ああ、そういえばそうね」

幽々子が指し示す方向。
そこにあるものを確認すると、レミリアは合点が行ったとばかりに頷いた。

「では、その前に、お渡ししておきましょうか……レミリア様、お誕生日おめでとう御座います」
「は? い、いきなり何よ」
「あら、ご存知ありませんか? 誕生日には、贈り物をするものなのですよ」

そう言うと幽々子は、レミリアの背丈近くもあろう大きな長方形の箱を取り出した。
そんなものを何処に隠していたのかは、乙女の秘密とやらで情報封鎖されている為に不明だった。
まこと残念だが、仕方あるまい。

「……え」

さて、それに対して、レミリアの反応は極めて分かりやすいものだった。
最初に訝しげな視線を送り、続けて驚きに目を見開き、
更には僅かに顔を綻ばせ、最後には怒ったような表情を作って見せたのだ。

「ま、まぁ、くれるというなら貰ってあげない事もないけど……って、何を笑ってるのよ」
「ふふ、今日のレミリア様には驚かされてばかりですから、最後くらいは反撃させてもらおうかと」
「……成る程、いい攻撃だったわ。褒めてあげる」
「恐れ入ります」

幽々子はぺこりと頭を下げると、扉に向けて歩きだした。
……正確には浮いて近付いていったというのが正しいのだが、それはそれ。

「もう行くの?」
「はい、物事には順序というものがありますので」

扉を半分ほど開けたところで、幽々子はくるりと振り返った。
その手に握られているのは、メイドの証たるホワイトブリム。

「短い間ですが、お世話になりました。
 ここでの経験は、決して忘れる事は無いでしょう」
「……」
「それでは、失礼させていただきます。ごきげんよう、レミリア様」
「……ええ、さようなら、花子」


レミリアの声は、ぱたりと閉じられた扉により、打ち消された。











<PM 11:55>


『こーらー! そこ! 手を休めるんじゃないの!』
「うう……どうしてこんな目に……」
『無駄口を叩かない! あんた達が働かない事には、紅魔館の夜明けは来ないのよ!』
「そんなの知ったこっちゃないっての……」

幾度もの離別を経て、再び咲夜の元へと帰ってきたマイクが、快調に唸る。
数時間前まで祝賀の賛辞に包まれていた筈の会場は、
今は何処に出しても恥ずかしくない土木工事現場に変貌を遂げていた。
不幸にも借り出された見ず知らずの人員には、同情を禁じえない。
いや、さてはどこか聞き覚えのある名前もあるのかもしれないが、それは追求しないでおく。
プライド、大切。

『はぁ……まったく、こんな所をお嬢様に見られたどうなったことか……』
「呼んだ?」
『!?』

咲夜の声にならない叫びが、盛大なノイズとなって周囲へと響き渡る。

『お、お、お、おぜうさま! い、一体、今の今まで何処のどちらにおいでおられたてまつらてたのですか?』
「言動が乱れてるわよ。あと、やかましいからそのマイク捨てなさい」
『は、はい、直ちに』

こうなる運命だった、としか言いようが無い。
出会いと別れを繰り返し、強固な絆を持ったはずのマイクも、レミリアの一声の前にはまるで無力だった。
さらば、マイク!

「で、これは何の真似よ?」
「はぁ……見ての通りとしか申し上げようがありません。
 あ、でもご安心下さいませ。明朝までには完了させてみせますわ」
「ああ、それなら、別にいいわ」
「は?」

レミリアから飛び出した意外な台詞に、咲夜は言葉を失った。

「(もしや、目を離した隙に、変なものでも食べて脳に異常をきたしたの?
  いえ、でも、お嬢様には脳なんて無いから、異常なんて起こるはずもないし……)」

「……何だか、とても失礼な思考をしてるようだけど、多分違うわよ。
 工事なら、もう少し後で始めなさいって意味よ」
「あ、し、失礼致しました。……って、それは何故?」
「すぐ分かるわ」

その時。
ぼーん、ぼーん、と、時計塔の鐘が鳴り響く。
三つ、四つ、五つ。六つ……。
そして……十二回目の音が鳴った瞬間。

「よい……しょっと!」
「お、お嬢様!?」

何時の間にかレミリアの手には真紅の槍が握られていた。
そして、何を思ったのか、それを全力で時計塔に向けて投げ飛ばしたのだ。
槍は、狙い違わず時計塔を直撃。
嗚呼、紅魔館のシンボルは、主の突発的な気紛れによって崩壊を迎えたのだ。

……というのは、咲夜を含めた周囲の人物の認識。
レミリアは知っていた。
その場所に、誰が現れるのかを。



「……まったく、これが態々尋ねてやったお客様に対するお出迎えかしら?」

「普通のお客様は、そんな場所から現れたりしないものよ」



時計塔の前面。
位置的に、まるでそれを守るかのような登場地点。
が、本人にその意図があったかどうかは、まこと怪しい。
恐らくは、一番目立ちそうな場所だからという判断なのだろう。
それを看破していたレミリアもまた大したものであるが。

「ま、細かい事はいいわ。レミリア、502歳と1日の記念日おめでとう」
「あら、ありがとう。でも、随分と半端なお祝いね」
「ええ、そう思ったのだけど、何故か私には昨晩の招待状が届かなかったのよ」
「それは不思議な事もあったものね。世界は今だ謎に満ち溢れてるという事かしら」
「探求はまた後ほどという事で。今はただ、純粋にお祝いをしたい気分なの」
「へぇ、どういう形のお祝いかしら?」
「それは勿論……」

瞬間、月明かりに照らされ、露となる人物の姿。
青を基調とした和服でありながら、各部にフリル満載というミスマッチな衣装。
帯の代わりには、大きなリボン。
癖のある髪を覆うのは、柔らかな布地の帽子。

そして、額に潸然と輝く渦模様。



「私、西行寺幽々子の手による、盛大なる弾幕の宴ですわ!」

「ならば返杯もしなくてはね。礼は不要よ、受け取りなさい!」













こうして、紅魔館の一番長い日は終わりを告げた。

だが、あえてここに追記をするならば……。

その一分後に、紅魔館の二番目に長い日が始まったという事実だろう。


どうも、YDSです。

……って、長っ!
しかも実はまだ終わってなかったり。
この後エピローグ的なものへと続きます。

では、次回も……じゃなくて次回をよろしくお願いします。
YDS
[email protected]
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36.80名前が無い程度の能力削除
不覚にもきつねうどんでワロタw
40.100っお削除
微塵も衰えていませんね、あなたのギャグ
そして、楽しく読ませていただきました。
58.100名前が無い程度の能力削除
長っっっっっ!!!!!!
でも超おもしろかったです。デモンペイ(ry
62.100名前が無い程度の能力削除
「ぶちころすぞゴミめら」で笑ったww
やっぱあんたはサイコーです!
69.100名前が無い程度の能力削除
一日長すぎだろwwwww
各々の思惑は分かったが幽々子だけが何考えてるのか良く分からんw