Coolier - 新生・東方創想話

水に溶ける

2024/03/25 23:59:49
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光の無い世界を、ミルク色の破片が、ふわふわと落ちていく。軽々と舞い落ちるそれは、まるで雪のようだった。
しかし、ここは水中である。水の中に雪が降るはずない。仮にこの暗闇が深海であれば、この雪はマリンスノーであったかもしれない。けれどもこの暗黒は、淡水で満たされていた。
上から下へ。
天から地へ。
頂から底へ。
降り注ぐプランクトンの死骸は止まることをしらない。数えきれないほどの白い綿が、底に向けて沈んでいく。
哀れな肉片たちが、漆黒の世界に沈んでいく。光の差さない世界に溶け込んでいく。
「願わくば、再び生を受けられますように」
戎瓔花は一人、それらに向けて祈りを捧げる。



気が付いたときには、もうここにいた。
どうやってここに来たのかはわからない。どうしてここにいるのかもわからない。もちろん、ここがどういった場所なのかもわからない。

あーーー、あーーーー、あーーーーーー

大声で叫んでみたけれど、その声は反響せずに暗闇に吸い込まれていく。
そうだ。ここは、暗いのだ。
灯りを求めて首を回しても、どこを見ても黒、黒、黒。目を開いても、黒。目を瞑っても、黒。そんなことだから、目を開いているのかもわからない。右を見ても左を見ても、上を向いても下を向いても、そこにあるのは真っ暗闇。ためしに手を動かしてみても、その軌跡は映らない。
いや、そもそも腕は動いているのだろうか。
右手に意識を向けて上下させてみる。肩から順に腕をあげ、肩から順に腕を下げる。ミシミシと関節が軋む感覚がした。
でも、軋む音はしない。真っ暗闇だから腕も見えない。あくまで動いた感覚だけ。
そのまま左手、左足、右足と動かしてみる。やっぱり変わらない。凝り固まった関節がパキパキと鳴る。そんな感覚だけが脳に届いた。

ほんとうにうごいているのかな……

だって、ほら。いまの独り言も、どんな風に聞こえた?
その独り言は、本当に声?
その声は、鼓膜を震わせた?
その声は、音を伴っていた?
もしかして、心の内で思っただけじゃない?
うーん。これは一人だと判断できそうにないな。でも、だからといって頼める人が居ないことくらいわかっているのだけれど。少し前なら、返事が返ってきたんだけどね。
そう。少し前までは、声を上げると遠くから声が聞こえたんだ。
だれかーーーーーーーと、叫べば
「ほら、あの子が何か言ってる」
遙か遠くの彼方から、そんな声が聞こえてきたんだ。
ここせまいーーーーーーーーと、叫べば
「はいはい。どうしましたかー?」
輪郭のぼやけた柔らかい声が、暖かな明かりの向こうから返ってきた。
そういえば、ときおり耳障りな甲高い音が聞こえることがあった。そんなときは、音が鳴り止んでしばらく経った後、決まってあの声が聞こえてくる。
「元気に育っていますね」
その時に聞こえる声だけは、いつもの柔らかい声とは違って、なんだか無色透明な声だった。声に色なんてないでしょう、なんて言わないで。それくらい空っぽなの。でも、もしかしたら、何か膜のようなもので声が覆われていて、だから中身がわからないだけかもしれないのだけど。
でも、その声も、あの柔らかい声も、暗闇に透かして見えた温かな明かりも、今はもうない。
目の前に広がるものは、吸い込まれるような黒一色。そうしてここは、とても冷たい。
そうだ。ここはとても冷たいのだ。あの声が聞こえたときは、もっと温かかったはずなのに。思えば、あのときは腕を動かせば、その様子こそ今と同じで見えなかったけれど、なんだかとても重たいものを腕全体で押し動かしているような感覚がした。押し動かすとは言うものの、腕が捉えたそれはとても大きくて、動きの主導権はこちらにはなかった気がする。
あれはきっと、搔きわける。そうだ。なにかとても大きく重たいものを、腕全体で掻きわけていたんだ。
掻きわけても、掻きわけても、それはどこまでもあった。両手両足頭首どれをどう動かしてもそれは押しわけられたし、そうしてせっかく分け入った場所をそれはすぐさま満たしてしまうから、一度動かした体を元の位置に戻すころには、また同じように掻きのける必要があった。
そんな動きは、一見すれば無駄に見えてしまうだろう。実際、あの頃はすぐに飽きてしまっていた。しかし、今であればわかる。あの動きには、自分を確認するという意味があったのだと。
何かに当たるということは、何かがあるということだ。そこに何かがあるとわかるということは、自分が居るということなのだ。なぜならば、何かに当たるということは、そこを目掛けて動く物が在ることをも同時に証明してくれるから。自分の腕が何かにぶつかれば、腕と何かがあることがわかる。
では、振るった腕が何にも当たらなければ、その腕は本当に在るのだろうか。
自分は今、そういった状況にいる。

だれかいませんか? ここにだれか、いませんか?

そう、声を大にして叫ぶ。でも、はたしてそれが声なのか、それとも思っただけなのか。その判断は、自分だけでは付けられない。
もし、ここに誰かが居れば。
もし、ここに誰かがやって来てくれれば。
そうすれば、この声が本当に声なのか、判断ができるのに。
「うーん。これはむずかしいなぁ」
不意に、声が聞こえた。
「居る……ってことで、いいのかな」
声は頭上から聞こえた。慌てて頭を上に向けたけど、そこに暖かい色はない。
「こんなところで長い間よくがんばったね。寂しかったでしょ」

うーん。さみしくはないかな。ついさっきまでねむっていたみたいなの。

まだ、寂しくはなかった。気が付いたのはさっきのことで、まだ寂しさを覚えるほど時間が経っていないから。でも、自分以外の声が聞こえてホッとしたことは、まぎれもない事実だった。
「それにしても、あなたのお母さんも酷い人だね。流すなら川にしてくれれば、すぐに私が迎えに来れたのに」

おかあさん? おかあさんって、だれ?

お母さん。その響きが、なぜか無性に懐かしかった。そして、胸が暖かくなる。その暖かさは、あの柔らかな声が聞こえると決まって見えた、あの暖かな色とそっくりだった。
「あなた、こっちまで手は伸ばせる? ごめんね。私、小さくて」

うん。だいじょうぶ。ちょっとまってて。

右手を頭上にうんと伸ばす。己の指先に触れるであろう、何かの感触に思いを馳せながら、目いっぱい伸ばす。
でも。
「あー、――やっぱり難しいかな?」
いまだ未熟な右手、その先にある三本の指は、ただ空を切るばかり。

まって、じゃあ、こんどはもうひとつのてをのばすから!

そうして差し伸ばされた左足は、出産適齢期の胎児とは思えないほど短い。
「本当に、あなたのお母さんは無責任だね。それとも、覚悟を決めきる前に生まれちゃったのかな」
ここは外の世界。無味な屋上。満天の星空の下、月明かりを反射して、白く輝く円い筒。
その上で瓔花はかがみこみ、ポッカリと空いた深淵に首を伸ばし入れ、昏く暗い水底に向け、何事かを呟き続けている。
彼女が覗き込む水面には、胎児が浮かんでいた。その白く小さな胴体からは、二本の棒とひとつの突起があるのみであって、あとは何もない。目を凝らしてみれば、ちょこんと飛び出た突起には小さな丸いものが付いている。三つのくぼみがあることから、瓔花はそこを顔だと判断した。
しかし、それは瓔花だからわかること。見慣れない我々にしてみれば、眼下に浮かぶ”それ”は、ぶよぶよとした肉塊にしか見えない。腐り爛れた異臭を放つ、かつてヒトだったもの。
「うん。大丈夫だからね。すぐ一緒になれるから」
胎児の肉体に残された二本の棒は、どうやら腕と足のようだった。どちらも未熟であり、発達の段階で生じた何らかの障壁により、その成長が阻害されたことは明らかだった。しかし、ただ四肢が不満足なままの出産にしては、胴体の様子がおかしい。白くふやけきった腕と足の反対側には、間違いなく何かが着いていた痕跡があるのだ。まるで、何かが千切れたような。
もう一度、じっくりと胎児の周囲を観察する。すると、肉塊の周りに白い小さなものが二つ、半分浮き沈みしているのが目に入った。
「……ねえ、あなた。あなたは、いつからここにいるの?」

だから、それはわからないって。さっきいったよ

無論、返事はない。目の前のものに命は無いのだ。当たり前だ。
しかし、意思はあるようだった。まだ、中に居るのだ。

ねえ、ここ、つめたいの。はやくあたたかくしてよ。むかえにきてくれたんだよね?

この胎児の肉体は死んでいる。それは確かだ。だが、魂は残っているようだった。
瓔花は、子どもの魂を賽の河原に連れて行くことができる。しかし、干渉できるのは魂だけであり、肉体相手には無力だった。つまり、肉体に籠られてしまっては、瓔花にはどうすることもできないのだ。
しかし、目の前を漂う胎児の魂は、本来であれば川を渡っているはずだ。それが、なぜか此岸にいる。
つまり、イレギュラー。
それは、常から外れた状態。
道を外れたひとりの子ども。
そうして私は、戎瓔花。水子のアイドルで、水子たちのリーダーだ。
そんな私はいま、私はひとりぼっちのこの子をかわいそうだと思い、なんとかして賽の河原に連れていきたいと、心の底から願っているのだ。
だから瓔花は、実力行使に出ることにした。
確かに、瓔花は肉体に触れることができない。であるのならば、肉体を壊せばいい。
外世界における瓔花の肉体は、亡きわが子が安寧に暮らせるよう祈る親の思念で形成されている。
信仰は、十分にあるのだ。
「もう、寂しくないからね。一緒にいようね」
したがって、その身に満ちる霊力は幻想郷におけるそれと同等である。
突如として生じた無数の光球が、瓔花の小柄な背丈を覆い隠す。
「……ごめんね」

なにが? どうしてあやまるの? まぶしいよ。

頭上がにわかに明るくなる。そちらを見やると、そこにはいくつもの光があるではないか。白く輝くそれらひとつひとつからは、あの柔らかな声から感じた暖かさを感じ取ることができた。
いくつもの暖かな光が押し寄せる。
腕が、足が、胴体が、次々と光に呑み込まれる。と、同時に快適な暖かさは消え失せ、煮えくり返るように熱くなる。そうして熱を感じたかと思えば、今度は冷たくなっていく。
パキパキ、ポキポキという軽い音が、自身の内から聞こえる。樹脂で塗装された内壁を、冷たく反響した。
押し寄せる熱と冷に翻弄されていると、ふと全身が冷え切っていくことに気が付いた。熱に侵された部位は、一度冷えきると、間髪入れずに冷感すらも薄れていく。いや、それどころではない。肉体そのものの感覚すらも消えていくではないか。
遠のく意識を繋ぎとめるように、口を開く。

どうなるの。こわいよ。だれかたすけt

「ようこそ! 賽の河原へ」
次に目を開けると、目の前に女の子がいた。
自分がバラバラになる感覚。それに恐怖し瞑目した、ほんの一瞬の出来事のはずなのに。いつの間にか、世界に光が戻っていた。
自身に投げかけられた言葉の真意は理解することはできなかったが、己に向けられたであろう声には聞き覚えがある。
「もしかして、貴女が?」
「さっきはびっくりさせてごめんね。でも、もう大丈夫! あなたは一人じゃない!」
女の子の背後には、石がうず高く積み上げられている。足下に目をやれば、石でいっぱいだった。
「わたしの名前は戎瓔花。ここに暮らすみんなのリーダーなの」
「これからよろしくね!」
賽の河原に、新たな仲間が加わった。






最近、水道水に澱が混ざるようになった。
麦茶ポットに水を注ぎながら、ふと、律子は思う。
ポットの中では、小さな気泡がしゅわしゅわと破裂していった。しぶとい泡がいくつか残っているが、これはすぐに消えるだろう。
コップを満たした水の中をふわふわと滞留する澱に気が付いたのは、いつのことだろう。具体的な日時は覚えていないが、たしか先週頃だったような。
「ここも古いからなあ。そろそろ修理が必要かもな」
それとなく夫に伝えると、ネクタイを締めながら幸喜は答えた。
律子の住むアパートは、バブルが弾ける少し前に建てられた。つまり、もうじき40年になる。メンテナンスは定期的に入れているが、根本的な寿命が近づいているのだろう。
梅雨が過ぎ、本格的な夏が見えてきた頃合いだ。ちょうど、今週末は空調も見てもらう予定だった。
「今週末にも業者に連絡してみるよ。じゃ、行ってくる」
空調のついでに見てもらおうな。そう言いながら、幸喜は玄関扉を開け放つ。
「ほら、綾音。お父さんをお見送りしよう」
「ぱぱ、いってらっしゃい」
「ん~~~!!! ありがとう綾音、パパがんばるよ!」
「じゃあ、気を付けてね」
「ありがとう。行ってきます」
これが我が家のルーティーン。朝7時に幸喜を見送り、その一時間後には綾音を保育園に連れて行き、そのまま私も出勤だ。
エレベーターを降りると、初夏にしては強い日差しが肌を突き刺した。エレベーターホールを出てすぐの場所で、見慣れた女性が子どもの手を引いている。同じアパートに暮らす、ママ友の花田さんだ。
「あ、おはようございます」
「おはようございます。綾音ちゃんは今日も可愛いわね」
「寛太くんこそ、最近急に大きくなって。男の子ってすごいですね」
「そうなのよ! もう、ぐんぐん大きくなっちゃって」
そんな他愛もない話をしながら、保育園への道中を歩む。雑談に花を咲かせていると、不意に花田さんが問いかけてきた。
「そういえば。最近、うちの水に澱が混じるんだよね。律子さんのところはどう?」
「あ、ちょうど今朝も夫と話したところ。先週くらいからかな、たまに混ざってますよね」
「やっぱり? 飯塚さんのところもそうみたいで。この分だと、アパート全体の問題なのかもね」
どうやら、問題は我が家だけではなかったようだ。思ったよりも規模が大きくなりそうだった。
「アパート規模だったら、やっぱり貯水槽が原因……?」
「そうかもねえ。――死体が浮かんでいたりして?」
思わずふり返る。
遠ざかりつつある自宅アパートの屋上では、円筒形の貯水槽が、ギラギラとした陽光を白く照り返していた。律子の暮らすアパートでは、一度すべての水が貯水槽に集められたあと、そこから伸びる導管を通り各家庭へと給水されていく。
「え、なんですかそれ。冗談のつもりですか? やめてくださいよ」
唐突に挟まれた不快なジョークに顔を歪めながら、非難の意思を隠さずに問いただす。
「あ、ごめんごめん。ちょうど最近、そういうホラー小説を読んだところだったから――」
「花田さんの悪いところ、出てますよ」
「ごめんなさい……」
それから、いつものように花田さんのホラー語りが始まって、それに相槌を打ちながら歩いていると、いつの間にか綾音の通う保育園の前についていた。
花田と別れ、園の門を潜る。
「綾音ちゃん。お母さんにいってらっしゃい、しようか」
「まま、いってらっしゃい」
「行ってきまーす! ……よろしくお願いします」
あとは、オフィスへ向かうのみ。保育園を出た途端、相変わらずの陽射しに思わずたじろいでしまったのは内緒だ。
「あっつ。7月の暑さじゃないよ」
言いながら、水筒に口をつける。キンキンに冷えた麦茶がとてもおいしい。
「ん?」
舌の側面に何かがぶつかった。飲み込まないよう、注意深く舌と歯で挟み込み、ポケットティッシュに吐き出してみる。
「なんだこれ」
水筒に混じっていた固形物。それは、二ミリほどの欠片だった。ミルク色のそれは、食材の残渣ほど柔らかそうには見えず、かといって水筒の内側に塗られたコーティング剤にも見えず。
たとえるならそれは、生物的な組織のようだった。爪や歯といった硬い部位が、強い衝撃を受けて粉々になった、そのうちのひと欠片。
「詰め物、取れちゃったのかな」
今週末は歯医者に行こう。
異物をくるんだティッシュをしまいながら、律子は決心した。
集合住宅にお住まいの方、申し訳ございません!!!!!!!


気が付いたら2024年も4ヶ月目に差し掛かろうとしていてびっくりしました。ひさしぶりの投稿です。もう3月25日なんですね。
後味の悪い話を書きたくなったので書きました。最近の集合住宅は貯水槽が地上にあるんですね。今も屋上にあるのかと思ってました。
よー
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コメント



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1.100あよ削除
ゾワっとしたけどすごく面白かったです!一見何言ってんだと思われる人が真実を言い当てている概念…。
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.80竹者削除
よかったです
4.90東ノ目削除
ベースとして怪談に類される話なのが、瓔花視点で前半部を読んだ場合限定で心温まる話になるところに、彼女が水子のアイドルであるが故の倫理観のずれが表現されているのかなとも思いました
5.100名前が無い程度の能力削除
ぞくりとしました。良かったです。
6.100南条削除
面白かったです
新たな仲間を無邪気に迎え入れる瓔花と、その後に来る急なホラー展開に震えました
7.100名前が無い程度の能力削除
語り手が不安定に入れ替わっていくのが不気味で、特に地の文に「私」が出現したときの静かな衝撃に目を離せなくなりました。