Coolier - 新生・東方創想話

鳥めづる巫女

2024/03/17 21:53:08
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***1***


「いつも置かせてくださりありがとうございます」

 幾多の妖気が封じられている本棚の間を、軽快なヴァイオリン曲が踊る。明るく、そして暖かくなった季節を表現する音楽。
 大きな花を咲かせながら音を奏でていく蓄音機のラッパを挟んで、貸本屋、鈴奈庵では二人の女性が対峙していた。

「それではこちらが、今回の新聞になります。よろしくお願いしますね」
「はい。こちらこそ、いつもありがとうございます」
 深紅色の風呂敷を差し出しながら、枯葉色のジャケットに身を包んだ女性――射命丸文が、恭しく一礼する。
 鈴奈庵の店番である少女、本居小鈴はずっしり重みのある風呂敷を受け取ると、ぺこりとお辞儀をした。
 小鈴の趣味により外来本や妖魔本が熱心に蒐集されている鈴奈庵では、人間に姿をやつした妖怪たち相手との商売も積極的に行うようになっている。
 この鴉天狗のルポライター、射命丸文は、その中でも最も古い知り合いの一人。彼女の新聞『文々。新聞』を鈴奈庵で置かせてもらうようになってから、既に何年かの月日が過ぎていて。この丁寧な挨拶も、もうすっかり馴染みのやり取りとなっていた。
 けれど。一見いつも通りのように見える今日の文には、ほんの少しだけ、普段と違っているところがあって。
「…おや」
 面白いものを見つけたように声音を弾ませながら、文が小さく目を歪ませる。
「そんなにこちらをチラチラ覗かれて、どうかなさいましたか?」
「えっ…あっ、すみません、そのっ」
 揶揄うように聞かれ、小鈴は大慌てで顔を逸らそうとする。けれど、赤らんだ頬は仄かなランプにはっきり映し出されていて、文はさらに上機嫌そうに口許を綻ばせる。意地の悪い文に小鈴は口をむずむず動かしながら、文の方に向き直って。
「その髪飾り、文さんに似合っているなぁ、と思いまして…」
「あぁ、これですか」
 まるで今存在を思い出したように、文はわざとらしく目を丸くさせる。「最初から気付いていたでしょう」と抗議するようにジト目で睨み返すも、文はやはりニコリと、余裕の笑みで受け流すだけで。その顔がもうまたズルいくらいに可憐なものだから、小鈴はさらに頬を紅潮させる。
 今日の文の髪には、桜の花をあしらった髪飾りが留められていた。一輪、二輪、薄桃色の小さな花が咲いたシンプルなそれは、けれどカラスの黒髪を持つ文の魅力を良く引き出している。特に、ボーイッシュで中性的な雰囲気が際立っていた「社会派ルポライターあや」の場合、たおやかで可愛らしい桜の髪飾りは一種のギャップも生み出し、小鈴の目を強く惹きつけていた。
「ここから少し離れたところに、手作りの小物を売っているお店があるでしょう」
「…あぁ。強面の親父さんが営んでいる、あの」
「そうそう。そちらを取材で訪れた時に見つけて来たのです」
 曰く、そのお店では、桜の他にも、蒲公英(たんぽぽ)に菖蒲(あやめ)、藤花や山吹――これから咲く様々な花をあしらった髪飾りを、新作として売り出しているらしい。寡黙な職人が一つ一つ精魂込めて作り上げた繊細で可憐な一品に、女性からの注目が今集まっているのだとか。
 へぇぇ、と頷く小鈴の目が、僅かにきらめく。妖魔本の虫として一風変わった人生を歩んでいる彼女も、こういうところはやはり普通の人間だ。文はほんのり優しい視線を小鈴に向けると、にこり、首を傾げてみせて。
「小鈴さんに似合いそうな花飾りもたくさんありましたよ。せっかく暖かくなりましたしどうです、阿求さんも誘ってみては」
「ふぇっ」
 唐突に友人の名前を出され、小鈴は素っ頓狂な声をあげる。菫色の上品な髪にいつもとは違う花飾りをつけようとしている阿求を想像し、小鈴はまた耳が熱くなっていくのを感じる。
「あはは、まさかぁ。私がそんなところに誘いに行ったところで、今持っているので十分だわなんて、そっけなく断るだけですよ」
「ふぅん…そうですかねぇ」
 なんとか誤魔化そうと笑ってみせる小鈴に、文は意味ありげに微笑み返す。妖しい光を宿した夕陽色の瞳を見つめていると、期待と不安が胸の鼓動となってだんだんと自分の中で渦巻いていって。
「…あの」
「おっと、こうしている場合ではありませんでした。では小鈴さん、名残惜しいですが本日はこれにて」
「あっ…はい…またよろしくお願いします…」
 なんとか引き留めようとする言葉をするりと躱し、文はもう一度、笑顔で一礼する。呆気にとられ、挨拶を返すことしか出来ない小鈴を置いて、文はそのまま外へと駆け出すように出て行ってしまった。
「もー…」
 「文さんってば、いつもこうなんだから」とぼやきながら、小鈴は脱力する。空を軽やかに飛ぶようなヴァイオリンの音だけが、一人になった貸本屋に反響していく。
 ぐたっと机に突っ伏しながら、小鈴はさっきのことをぼんやり思い出す。小鈴がさっき文のことをチラチラ見ていたのは、桜の髪飾りが気になったから、だけではない。文が、心なしか幼い子供の笑顔を見せていたような気がしたからだ。まるで、何かが楽しみで仕方ない、というような、うずうず、わくわく、ちょっと落ち着かない笑顔。もしかしたら自分よりも人間らしいかもしれない、眩しくて純粋な笑顔。
 いつもは「大人」として冷静に接しようとする文がそうなるなんて、一つしか考えられない。きっと、いつもとは違うおしゃれをした自分を、早く「あの人」に見せたかったのだろう。
 これを見たら「あの人」はどんな反応をしてくれるのかな。それに対し、自分は何て言ってあげようかな、なんて。
「…良いなぁ」
 春真っ盛り、誰よりも若々しい鴉天狗に思いを馳せ、小鈴はぽつりと呟く。
 やっぱり文の言う通り、今度声をかけてみようかな。そんなことをぼんやり考えながら、小鈴は新聞の包まれた風呂敷を解き始めた。


***2***


「んーっ…!」

 日差しを全身に浴びながら、射命丸文は大きく伸びをする。桜をあしらった髪飾りが、太陽の光を反射してちらちらときらめく。あぁ、今日の空気は一段と気持ち良い。
「よしっ。行きますか」
 気合いを入れ直した文は雄々しい黒翼を現出させると、東に狙いを定め一気に飛び出していった。
 麗らかな風に持ち上げられ、大空を滑るように進む。満開になった桜並木から、花弁が次々と風に運ばれているのが見える。最近まで寒い日々が続いていた幻想郷も、すっかり春本番。あらゆる生命が息を吹き返す季節の到来だ。
「チィーッ!」
「ピピピ!」
 花吹雪を掻い潜るように翼を柔らかく旋回させていると、文に鳴きかける声が聞こえる。振り返ってみると、桜の細枝から、身体を寄せ合っていた小鳥たちが、文に挨拶するように口々に鳴きかけていて。にこり、微笑みを返してあげると、まるで先生を慕う子供のように文のところへと羽ばたいて来る。
 文の指先に止まった小鳥たちは腕白に鳴きかけると、そのまま先を飛んでいこうとする。ほほう、この私に、空を飛ぶ速さで挑もうというのね?良いわよ、なら競走しましょう?もう一度翼を羽ばたかせると、先を行く小鳥たちを追いかけ始める。追い抜いたり、また抜かされたりという戯れをくり返しながら先を進んでいると、桜並木の果てに目的地である朱色の大鳥居――博麗神社が見えて来た。
 あぁ、来た来た。待ち望んでいた時間に、胸が高鳴るのが分かる。
 今日はあの子――博麗霊夢はどうしているのかしら、と考えると、翼がさらに軽くなったように感じられる。
 この穏やかな季節だ。いつものあの子なら、暖かさに甘えて今ごろ眠りこけているだろうか。
 そうだとしたら、次の一面は決まりかしら。また霊夢が悔しがって、顔を真っ赤にこちらを追いかけて来るかな。
 様々な期待に胸を膨らませながら、ラストスパートとばかりに文は大きく翼を羽ばたかせた。

「こーら。そんなところに止まられたら掃き掃除が出来ないじゃない」

 けれど、文の予想に反し、この日の博麗神社は「客」で溢れかえっていた。
 と言っても、神社で祭が開かれているという訳ではない。気まぐれな友人たちが、花見に集まって来た訳でもない。
「はいはい。後でちゃんと構ってあげるから。向こうでしばらく待ってなさい」
 霊夢が諭すように言うと、巫女服の袖にくっついていた「客」――スズメが「チュン!」と元気よく返事をする。パタタ、と羽ばたいた先に視線を向けると、何羽ものスズメたちが、参道の脇をピョンピョン跳ねていたり、のんびり日向ぼっこをしているのが目に入る。清らかなさえずりに耳を傾けると、メジロやエナガ、ヒヨドリなど、たくさんの小鳥たちが桜の枝に休んでいるのが分かる。首を器用に曲げて蜜を取っている者もいれば、仲良く羽繕いしあっている者もいたり、皆この空間を、自由に謳歌していて。
 パシャリ、眼前の景色をレンズに収める。カメラから離した夕陽色の瞳は、未だにぽかんと見開かれている。

 桜咲きこぼれる今日の博麗神社は、すっかり小鳥たちの楽園と化していた。

「…ちょっと」
「げっ。また一羽増えた」
「む」
 こちらに気付き鬱陶しそうに眉を歪める霊夢に、文は口を尖らせる。何故だか、胸の中に靄が立ち込め始めるのを感じる。
 自分を見て霊夢が嫌そうにする反応なんて、いつものことなのに。むしろ、そうしてこちらに噛みついてくることは、嬉しいことのはずなのに。
 気を取り直すように「こほん」と咳ばらいをすると、文は厳しい目を霊夢に向ける。
「どうしたのですか、そんなくっつかれて」
「それが、私にも判らないの」
 さっきのとはまた別のスズメたちが「遊んで遊んで」とばかりに霊夢のもとへ集まって来る。「はいはい、後でね」とスズメたちを軽くあしらいながら、彼女は釈然としないように眉尻を下げる。
「暖かくなったなー、そろそろ花見の準備しないとかなーって思ってたら、いつの間にかこんなに集まって来て」
「そんな筈がないでしょう」
 気のせいか語気が荒く聞こえる文の言葉に、霊夢は眉を顰める。
「どうしてそんなこと言えるのよ」
「『いつの間にか』で野生の子たちが人に近付く訳ありません。まさかとは思いますが、餌付けでもしたのではないでしょうね」
「してないわよそんなこと」
 ちょうど指先に止まっていたスズメに「ねぇ?」と首を傾げると、スズメは「チュン!」と肯定するように鳴く。確かに、改めて辺りを見回してみても、ここに集まっている小鳥たちは、本心からこの空間に居心地の良さを感じているようで、霊夢が嘘をついているとはとても思えない。
 では何故…そう疑問を巡らせていた文のもとに、一羽のエナガが飛び込んで来る。差し出した指に止まらせてあげたそのエナガには、目の左側にだけ黒い羽毛がついた、ちょっと珍しい見た目をしていて。
 「あっ」と驚きの声が出そうになる。一羽のエナガをきっかけに、文の訪れに気付いた何羽かの鳥が、仲間が来たとばかりに足下に集まって来る。元気良く鳴きかけてくる彼らの声を聞いて、やっと文は事の経緯(いきさつ)を把握した。
「…はぁ、なるほど。本当に無自覚のようで」
 パタタ、パタタ、と嬉しそうに羽ばたく彼らを見て、文は大きくため息をつく。
 霊夢が小鳥たちを集めたのではない。小鳥たちの方が、霊夢を慕いここに来ることを選んだ。
 幻想郷中の人妖から愛をいっぱいに受けたこの巫女は、気まぐれに飛び回る小鳥たちの心もつかみ取ってしまったのだ。
「それを言うなら、アンタこそ」
「何がです」
「この子たちよ。それこそ、アンタの差し金なんじゃないの?」
 ずぃ、と腰を屈めた霊夢が、こちらを覗きこむ。警戒する猫のように半眼にさせた少女の顔は、やっぱりいつも文が見慣れているもので。ありもしない「企み」を見抜いてやろうという鋭くも幼い視線も、きっといつもならたまらなく高揚するものだっただろう。
 けれど、今日はどうしてもそういう気分にはなれない。
「どうなのよ」
 ちらり、指に止まっているエナガに目配せする。意を汲み取ったエナガがその場から飛び立つのを見届けると、小さなため息と共に、霊夢の肩をやんわりと引き剥がす。
「違いますよ。少なくとも、私が『差し向けた』訳ではありません」
「ふぅん?なんだか含みのある言い方ね」
「別に良いじゃないですか。偽り無き事実を述べただけです」
 なおもこちらを訝しむ霊夢に大仰に手を挙げてみせながら、文は「それに」と補足する。
「どうやら、この子たちが貴方を気に入っているのは事実みたいですし。貴方とて、まんざらではないのでしょう?」
「…まぁ、それはそうだけど」
 バツが悪そうに、霊夢は文から目を逸らす。けれど同時に、いつになくそっけない文の反応に、引っかかりを覚える。気のせいか、ほんのちょっとだけ怒っているみたいな、拗ねているみたいな。ともかく、珍しい文だ。
「ねぇ、ちょっとアンタ」
 意を決して「どうしたのよ」と聞きかけたその時「チュン!」と呼びかけるような鳴き声が耳に入って来た。
「ん?」
 鳴き声の方向を見下ろせば、二羽のスズメが、霊夢に対して向かい合っているのが分かる。一羽はスズメにしては大柄でふっくらとした体格をしている。さっき鳴きかけて来たのはこっちのスズメだろう。そしてもう一羽はというと、短い嘴で、一輪の桜をラッパのように器用にくわえていた。ピョン、ピョン、と跳ねながら嘴を突き出す仕草に、霊夢は彼らと視線を合わせるようにその場にしゃがみこむ。
「私に、くれるの?」
 試みに聞いてみると、大柄なスズメが「チュン!」と肯定するように返す。とはいえ、霊夢は鳥たちの言語が分かる訳ではない。人間である自分の言葉を、彼らが分かっているはずもない。
 それでも霊夢は、力強い鳴き声に押されるように、ゆっくりとスズメの方へ右手を差し伸べる。すると、桜をくわえていたスズメがパタタ、と霊夢の方へ羽ばたきだして、ぽとり、その花を掌へ落とす。受け取った霊夢は、花弁を崩したりしないよう慎重に左手でつまむと、そのまま射干玉の黒髪にかざすように手を運んで。
「…どう?似合ってる、かしら?」
 少し不安げにはにかみながら首を傾げてみせると、小鳥たちは応えるように美しいさえずりを奏でだす。ある鳥はピョン、ピョン、と感動したように跳ねまわって、またある者は霊夢のまわりをくるくる旋回するように飛び回って。のどかな陽光と桜花に包まれた博麗神社に、小鳥たちによる即興の求愛が始まった。

「えへへ…」

 小鳥たちの中心にいる霊夢は、にへらと可愛らしく微笑む。たとえ戯れと分かっていても、こうして素直な愛情を向けられていると分かったら、嬉しくない訳はなくて。幸せいっぱいの笑顔を輝かせながら、霊夢は彼らのさえずりに耳を傾けていた。
 けれど、愛らしい歌垣を皆が楽しんでいる中で、射命丸文は一人、外側で突っ立っていた。いつもなら迷わず写真に収めるような、永久保存確定の光景であるにも関わらず、カメラに手をかけることすら彼女には出来ずにいた。
 胸に立ちこめていた靄が濃く、具体的な形を取りつつある。自分の抱く気持ちの正体を認めたくなくて、こらえるように目一杯歯を食いしばって。
「ん、ん!」
 大きな咳払いで、強引にさえずりを止めさせる。のどかな雰囲気に水を差されてしまったのを咎めるように、霊夢は顔を顰める。
「何よ」
「『何よ』ではありません。今の貴方にはやることがあった筈では?」
 文の言葉を聞いた霊夢は「あっ」と目を丸くさせる。
「そうだわ、境内の掃除」
 まったく、こういうところが甘いんだから。慌てて箒を取る霊夢にため息を一つ吐くと、ぱん、ぱん、と手を叩き、小鳥たちの視線をこちらに向けさせる。
「ほら、こっち」
 さっと手を挙げるのを合図に、参道に居た小鳥たちが一斉に文のところへ飛び立つ。そうして彼らが来てくれたことを確認すると、そのまま縁側の方まで小鳥たちを引き連れてあげて。
「この子達は私が見てるから、さっさと済ませなさい」
 そうして振り返った文を、しかし霊夢はまじまじと見つめる。慣れた手際で小鳥たちを集めた文には、帽子、肩、袖、指先と、様々なところに小鳥たちが羽根を休めていて。懐かれるのを通り越してもはや身内のように思われているのか、ツンツンと遠慮なしにつっついているような子まで居たりして。
「…アンタの姿、何だか間抜けね」
 そんな素直にこぼされた感想にすら、今の文はぴりついてしまう。自慢である夕陽色の瞳が、僅かに澱む。
 駄目だ。いつもみたいな余裕をまったく持つことが出来ない。見て欲しいところはそこじゃない、言って欲しかった言葉はそれじゃない、と、叫びたくなってしまう。
「巫女の掃除なんて画が面白くないんですよ!さあ早く」
 雑念を払いたいあまり乱暴に返事をすると、霊夢もすっかり機嫌を損ね、目を険しくさせた。
「画にならないなんて言ってた割には、さっき私のこと撮ってたくせに。気付いてるんだからね」
「あれは記事にはなるから良いんです」
「ふぅん?」
「『鳥たちが集う博麗神社、語義通り"閑古鳥が鳴く"』ってね」
 「カッコー」と、耳馴染みのあるさえずりが聞こえてくる。まるで初めから示し合わせていたかのようなタイミングの良さに、流石の文も目を丸くさせる。カッコウの訪れはもう少し先だと思っていたのに。随分と、せっかちにやって来た子が居たものね。
「アンタ後で覚えてなさいよ」
 すっかり膨れっ面になった霊夢はそう文に言い捨てると、ぷぃ、と目を背け掃除を再開させる。掃除――とはいっても、箒の動かし方が無闇に強く雑なものだから、集めるはずの花弁はむしろますます無秩序に散らばっていって。
「…はぁ、まったく」
 こんなことでは、一体いつになったら終わるんだか。
「前途多難ね」
 自分の今と重ね合わせるように、文は独り言ちる。はらはらと、光をいっぱいに浴びながら揺蕩う桜を眺め、けれどそれでも、文の気分は晴れることがなかった。


***3***


 認めざるを得ない。
 確かに文は、小鳥たちを博麗神社へ行くよう「仕向けた」訳ではない。
 けれど、彼らが博麗神社に訪れるきっかけを作ったのは、紛れもなく射命丸文だった。

 今でも覚えている。陽光に和らいだ残雪からふきのとうが顔を出し、ささやかなせせらぎが辺りを奏でだした、そんな冬の暮れ。
 大木の枝に腰かけていた文のもとに、羽毛をたっぷり膨らませた鳥たちが、待ち望んでいたように集まっていた。
 鴉天狗である文は、鳥たちの言語を自在に聞き分けることが出来る。また、一時的に妖力を貸し与えることで、自分の言語を鳥たちに伝えることも出来る。そのため文は、時々こうして鳥たちと集まっては、彼らの日常について話を聞き、語り合う機会を設けていた。幻想郷を自在に飛び、けれど幻想郷でのみ生きることを決めた彼女にとって、この会話は、外からの長旅についても聞くことの出来る、貴重な時間でもあった。
 この日も、元気いっぱいに繰り広げられるおしゃべりに、文は頬を綻ばせながら、耳を傾ける。中には、さえずりがなかなか上手く歌えなくて落ち込んでいた子の練習にも付き合ってあげたりして。
 一頻り会話も弾んだところで、一羽のエナガが『ねぇねぇ』とばかりに文をつつく。左側の目にだけ黒い羽毛の走った、一風変わった見た目のエナガだった。
 指の先にちょこんと乗せてあげると、エナガはよく通る声で文に鳴きかける。『君はこれからどこに行くのー?』と聞いている。
 『ふふ、知りたい?』
 そういたずらっぽく聞いてみれば、他の鳥たちも皆ぱたぱた羽ばたかせ『知りたーい!』と返事をする。好奇心に満ちた彼らの愛らしさにすっかり癒された文は、にっこりと微笑むまま、風の吹く方向を指さした。
 『ほら。あそこに赤色をした大きなものが立っているの、見えるかしら?』
 未だ雪をたたえ眠り続けている冬の木々の景色に、大きな朱の鳥居がひときわ映えている。博麗神社の大鳥居だ。
 『私はこれから、あそこまで飛んでいくつもりなの』
 赤くてもの珍しい鳥居の存在に、小鳥たちは興奮気味に目を輝かせる。くるくる踊るように旋回しながら「何しに行くのー?」「ごはん!?おいしいごはんあるの!?」と皆代わる代わる聞いてきて。すっかり幸福感に包まれた文は、肩や指に彼らを止めてあげると、眩いばかりの笑顔を見せて。

 『あそこにはね、とーっても面白い子が暮らしてるのよ!』

「ピチチ!」
 元気な鳴き声に、文の意識が引き戻される。長い尾羽をぴょこぴょこ跳ねさせながら「撫でて撫でて」と指先に止まる、エナガの姿。目の左側にだけ黒い羽毛のある珍しい見た目は、紛れもなくあの時に居た子だった。
 指先でなぞるように頭を撫でる。気持ち良さそうに目を閉じるエナガを見て、近くに居たメジロやヒヨドリも「ぼくも撫でてー」と人懐っこく飛び込んで来る。鳴き声の声音に良く耳を傾けてみると、彼らもやっぱり、あの時文の話を聞いていた子たちで。
 …あぁ、やってしまったな、とため息を吐く。あの時、上機嫌に任せて喋りすぎてしまった。
「貴方たちね」
 嘴の先を指で小突きながら、文はむすっと口を尖らせる。
「目の付けどころは買うけど、ここは私の『縄張り』よ」
 「チィチィ!」「ピピピ!」と一斉に文句を浴びせられる。「そんなお話聞いてないぞー!」「貴方たちも遊びに行ってみなさいと君が言ったんだぞー!」「そーだそーだ!」…「そんなこと言ってないわ」と反論しかけて、しかしすぐに口をつぐませる。言った。確かにそんなことを言った。「ぼくたちも行っても良い?」とばかりのきらきらした瞳に負け、何も考えずに頷いてしまった。
「ごちゃごちゃ言わない」
 抗議する嘴をもう一回ずつ、ちょんちょん小突いていく。なおも生意気に鳴き続ける三羽に、けれど文はこれ以上何も言えず、もう一度ため息をつく。あぁ本当、あの時まで遡って自分を引っ叩いてやりたい。
「そこ!うるさい」
 掃き掃除を続けていた霊夢が、鳥たちの喧騒を咎める。叱られているのが伝わったかのようにピタッと鳴き止む鳥たちの傍らで、文はじっとりとした視線を霊夢に向ける。
「貴方こそ集中なさいよ。ほら、花びらがそこら中で散らかってますよー」
「アンタが散らかしてるんでしょ」
「何でもかんでも風のせいにしないでください」
 「ふん!」と鼻息を鳴らしながら、霊夢は再び箒を忙しなく動かし始める。三度ため息と共に頭を緩く横に振ると、さっきの鳥たちの視線に気付く。反発することなくこちらを見つめる瞳からは、本当に文の機嫌を損ねてしまったのではないかと、心配しているのが伝わって来る。思わぬ反応に呆気に取られていると「喧嘩しないで」と懇願するように、小さく鳴きかけてきて。どこまでも無垢な小鳥たちの表情に、巣くっていた靄がだんだんと和らいでいくのが分かった。
「ごめんね」
 眉尻を下げながらそう呟くと、文は代わる代わる、小鳥たちの頭を撫で回す。うっとりとした鳴き声を上げ、ここもここも、とばかりに喉を上げて甘えて来るのを見ると、つい笑みがこぼれてしまう。

 分かっている。間違っているのは自分だ。
 博麗神社は――博麗霊夢は決して、自分の「縄張り」などではない。

 『えへへ…』

 桜の精が顕現したようだった、さっきの霊夢を思い出す。
 小鳥たちのさえずりを聞いて蕩けるように笑っていた顔は、まさに自分が願う幻想郷そのものの姿だった。博麗霊夢が皆に心から愛され、一人の人間として誰よりも自由に幸せに生きている、そんな射命丸文の希望が体現された瞬間だった。
 それは射命丸文にとって、何よりも祝福すべきことだった。ただ自分も一緒に笑って、あの輪の中に交われば良かったのだ。
 思わせぶりな言葉を囁いてあげれば、きっと霊夢はあっという間に顔を真っ赤にさせたことだろう。耳まで真っ赤にさせたところを撫でて、さらに口説くような歌を歌ってあげれば、照れくささに負けて、いつものように噛みついて来たかもしれない。
 それが出来れば、きっと最高に幸福な時間となったことだろう。この子たちだって、自分たちのことを素直に祝福したり囃し立てたりしてくれたに違いない。
 けれど文には、それが出来なかった。どうしようもなく根深い自分の見栄が、あの輪へ踏み出すことを許さなかった。
「…良いわね、貴方たちは」
 羨望の言葉がこぼれてしまう。甘えるように身を委ねていた小鳥たちが「?」とばかりに首を傾げる。
 文には、彼らのように生きることは許されない。だって、射命丸文は鴉天狗なのだから。
 鴉天狗は常に孤高に、誇り高く生きなければいけない。いつ、どんな時であれ、気を抜いてはいけないの。
 常に己を律し、適切な距離を保ち、導き手としてふさわしい振る舞いをしないといけないの。
 だから、必要以上に彼女に踏み込んだりしたら、決していけないの――
 気を紛らわすためにくせっ毛を弄っていると、カチン、と硬い感触がぶつかる。正体を探るように指を這わせると、今日のためにつけてきた、桜をあしらった髪飾りであることに気付いて。

 『…どう?似合ってる、かしら?』

 カチ、カチ、無機質な冷たい感触に爪を立てる。なんとか抑え込みかけていた欲が、再び噴き返そうとしている。
 スズメから贈られた桜を挿頭(かざし)にした霊夢は、小鳥たちに不安そうに聞いていた――そのいじらしい乙女の目を、文に向けてくれなかった。
 似合っていると喜ぶ鳥たちの反応を見た霊夢は、それだけで満足そうに破顔した――やっぱり、文に似合っているか聞いてくれなかった。

 『げっ。また一羽増えた』

 『この子たちよ。それこそ、アンタの差し金なんじゃないの?』

 『アンタ後で覚えてなさいよ』

 文に向けられたのは、いつもみたいな鬱陶しそうな視線ばかりだった。せっかく反応を楽しみに身に着けたこの髪飾りを、霊夢は見てくれなかった。
 膨れ上がっていく寂しさをこらえるように、文は下唇を噛む。たまには自分のことを見て欲しい、自分のことも構って欲しいなんて、駄々っ子のような我儘が心の中でのたうち回る。
 駄目。そんなこと駄目。がしがし、叩くように髪を弄ることで、なんとか雑念を追い払おうとする。しっかりなさい、射命丸文。貴方は鴉天狗なの。博麗霊夢にも、小鳥たちにも模範となって動かないといけないの。だから、こんなみっともない誘惑に、決して乗ってはいけないの。だから射命丸文。それが分かったら、早くいつもの貴方に戻りなさい。
「ピィー?」
「チチチ」
「ピチチチ!」
 「大丈夫?」と鳴きかけてくる声に、文はハッと顔を上げる。視線の先には、さっきまで文に撫でられていた小鳥たちの姿。
 様子のおかしい文を気遣い「元気出して!」と励ます小鳥たちに、文はふっと癒される。けれど、再び小鳥たちを指先で撫でようと伸ばしかけたその時、まるでその瞬間を待っていたかのように誘惑が文の中に滑り込んできた。

 もし。もし、ほんの少しの間だけ、自分が鴉天狗であることを忘れることが出来るなら?
 自分が「射命丸文」であることを忘れることが出来るなら?

 ぴたり、小鳥たちを撫でるはずの指が止まる。夕陽色をした目が、突飛な発想に大きく見開かれる。

 そうしたら貴方だって、立場云々を気にしなくたって良くなるでしょう?
 この子たちみたいに、あの子に甘えることが許されるはずでしょう?

 何を馬鹿なことを、そんなこと出来る訳ない、そう振り払いたいはずなのに。頭はすっかり凍りついて動けない。暴れ出していく期待に、固く保たれていた意地が徐々に押さえつけられていく。
 再び文の異変を感じ取った小鳥たちは、何とか意識を呼び戻そうと必死に鳴き続ける。けれど、彼らが今どんなことを伝えようとしているのかすら、文の耳には入って来なくて。管狐の囁き声にも似た、甘ったるく耳心地の良い誘惑が、ようやく引っかかった獲物に対し勝ち誇った笑みを剥ける。

 ――その方法も、貴方は持ち合わせているはずよ?

 ぴくり。空気の変化を鋭く察知し、小鳥たちは一斉に文のもとから飛び退く。
 咄嗟に参道まで避難した彼らはきょろきょろとお互いに目を合わせると、ぴったりと息の合った動きで霊夢の方へと羽ばたいていく。
 直後。一人取り残された射命丸文を中心に、一陣のつむじ風が吹き出していく。風の輪郭をなぞるように舞い上がっていく花弁に遮られ、文の姿はあっという間に見えなくなってしまった。


***4***


 ざっざっ、と霊夢は手を休めることなく、箒を動かし続けていた。参道の端に小さく積み上がった花弁の山を見て、そろそろ良さそうかしら、と額を拭う。と、何かが落ちて来る気配に反射的に手をつかむと、一片の花弁が、掌に収まっていて。嫌な予感がして躊躇いがちに後ろを振り返ると、さっき掃き終わったばかりの参道には、おかわりとばかりに桜が散り敷かれていた。
「…あぁ、もう」
 結局全く片付かない参道の有様に、霊夢は脱力する。陽光に照らされて呑気に空を旅する花弁を、恨めしげに見つめる。こんなんじゃあいつまで経っても終わる筈ないじゃない。どうせそろそろ花見の宴会しよう、なんて声かけに来る時期だろうし、その時に誰かに押し付けてやろうかしら。
「チィチィ」
 陽気に奏でられる鳥のさえずり。枝が弾むように揺れると同時に、薄桃色の花弁がちらちらと舞っていく。見上げてみると、一羽のメジロが、桜の小枝から小枝へと飛び回っていた。首を器用に伸ばして花の蜜を吸うと、きょろきょろ次の花を探し求め、足の力だけで枝へ飛び移る。身軽な移動に霊夢が目を丸くさせていると、そのメジロは次の枝へ、そのまた次の枝へも、羽を広げることなく、繊細な身体能力だけで跳ねまわり続けて。その度に揺れた枝から花弁がたくさん落ちていったけど、もう霊夢は気に留めていなかった。
「チィ!」
 霊夢が見ていることに気付いたのか、メジロはさっきよりもどこか誇らしげに鳴きかける。霊夢が小さく拍手すると、メジロは彼女の傍まで飛んできて、喉をぐぃーっと伸ばして日向ぼっこを始める。へぇ。メジロの喉ってこんなに明るい黄色をしていたのね。とっても綺麗…また一つ、この子たちを知ることが出来たわ。
 何だかんだ、小鳥たちが居る空間にも慣れてしまった。そりゃあ、最初こんなに境内に集まっているのを見た時には、何か異変でも起こったのかと、ものすごくびっくりしたけど。ぽかぽかと日向ぼっこしていたり、仲良く鳴き交わしていたりする姿に、いつしか励まされるようになった。
 そうしているうちに、霊夢も自分から小鳥たちに近付くようになった。
 鈴奈庵から借りた博物図譜を読み耽って、一羽一羽何という鳥か見分けられるようになった。けれど、やっと全員覚えられたわ、とため息を吐いたところにまた初めましての子が来て、また図譜と睨めっこを繰り返したりもした。
 古くなって使われなくなった手水舎を改造して、鳥たちの水場を準備してあげたりもした。ぱちゃぱちゃ羽を震わせ、気持ち良さそうに水浴びしている様子を見ると、心が温かくなった。その後、びしょ濡れのままこちらに飛んで来ようとしている子が居て、流石に乾いてからにしなさい、と叱ったりもしたけど。
 気持ち良さそうに日向ぼっこしているメジロを、じっと見つめる。この子たちは気まぐれな存在だ。いつここからまた旅立ってしまうか分からないし、それでも構わない。けれど、もし彼らにとって、ここが安心出来る場所だと思ってくれているなら、それはとても嬉しい。ここに居てくれる間は、この子たちのことをちゃんと知って、接することが出来るようになりたい。

 『ほら、こっち』

 手ぶりだけで小鳥たちを集めた文の姿が思い出される。そういえば、文はこの子たちの言葉も聞き分けられそうだったわよね。
 この子たちがいつもどんなことを話しているのか、後でちょっと聞いてみようかしら。
 文との話題が出来たことにほんの少し頬を緩ませていると、ばたばた慌ただしい羽音が足下に来るのが聞こえて来た。
「…ん?」
 それも、一羽、二羽ではない。多分、何羽もの鳥が一斉にやって来た羽音。
「ピィー、ピィー」
「チチチ」
 休んでいたメジロを一回放してあげてから、視線を下げる。たくさんの小鳥たちが霊夢に鳴いているのが見えて、霊夢は目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「ピィーチチチ」
「ピィピィ」
 ひたすらに鳴きかける小鳥たちを見つめ、霊夢は目を丸くさせる。この子たちはさっき、掃き掃除のために文に預けた子たちではなかったか。一体どうしたのだろう。
 きょとんと首を傾げるだけの鈍い反応に、小鳥たちは刹那顔を見合わせる。そうして再び霊夢に視線を向けると、羽を羽ばたかせ、足を跳ねさせ、何かを訴えかけるように声を張り上げる。
「ピィー!ピィー!」
「チチチ!」
「ピィーチチチ!」
 生暖かい風に吹かれ、花弁が騒がしく転がっていく。鬼気迫る表情で慌ただしく鳴き続ける小鳥たちに、だんだんと霊夢は顔を固まらせる。
 そうだ。射命丸文は、一度面倒を見ると決めたらしっかりその役目を全うしてくれる天狗だ。義理固くて、優しくて、そういうところがとても信頼出来る天狗。だから、この子たちがここに居る時点で、そもそもおかしいのだ。

 もしかして、文に何かあったんじゃ――

 首元へ嫌な汗が流れていく。引きずられるような風の音が耳に響き、足ががくがくに崩れそうになる。一度こびりついた考えは、どれだけ頭を横に振っても取れる気配がなくて。とうとう居てもたってもいられなくて、文の居る縁側へと、勢い良く振り返る。

 そこに、射命丸文の姿はなかった。
 その代わり、夕陽色の瞳をたたえた一羽のカラスが、縁側で羽根を休めていた。

 まったく想像していなかった光景に、緊張が一気にしぼんでいく。文の名を叫ぼうとした口が、ぽかんと半開きになる。
 ほっそりとした嘴。カラスにしては比較的小柄でスリムな体躯。立派に手入れされた玄翼は、日向にあって紫に翠に、彩り豊かに波打っている。背筋を伸ばし、澄ましたように構えている様に、どうしてだか、ものすごく既視感を抱いてしまう。
 自分を呼んだ小鳥たちと顔を見合わせる。けれど彼らも、目の前の景色に戸惑うように、きょろきょろ辺りを見回すばかりで。どうやらこの子たちにとっても想像していた事態ではないらしい。それならばと決意を固め、霊夢は一歩、また一歩とそのカラスへ近付き始めた。
 カラスは霊夢の接近に気付いても逃げる様子がなく、むしろ早くこっちに来なさいと誘うように「カァ」と一声鳴く。挑発的ともとれる鳴き声に霊夢は頬をひくつかせるも、すぐに大きく呼吸をして己を落ち着かせてから、カラスの前まで辿り着く。
「ふーん…」
 その場にしゃがみこむと、まじまじ、探るような視線をカラスに向ける。突然の来訪者を訝しむ霊夢の顔にもカラスは全く動じることもなく、そのまま二人は睨めっこを始める。
 真っ直ぐ、綺麗な光が宿った目。腹が立つくらいに整った顔。細くも逞しく鍛えられた足は、きっと普段から活発に歩き回っているのだろうことを想像させてくれる。
「ねぇ、」
 見守っている小鳥たちも固唾を呑んでしまうほど張り詰めた空気の中で、最初に息を吸ったのは霊夢だった。

「アンタ、もしかして文なの?」

 「グワァ」と、豆鉄砲を喰らったような鳴き声が、カラスから漏れた。
 カラスは落ち着かない足取りで霊夢から後ずさると、おろおろと顔を迷わせる。けれど、すぐに我に返って霊夢に視線を戻すと、鳥とは思えない速度で頭を横に振る。
 さっきまでの余裕に満ちた姿はどこへやら、あまりに挙動不審なカラスの反応に、様子を見つめていた小鳥たちも顔を見合わせ、目をぱちぱち瞬きさせる。けれど霊夢は、特にそれを指摘することなく「ふーん」と引き下がる。
「あのさ。さっきまで、いけすかない天狗が一羽居たと思うんだけど。知らない?」
 再び、カラスは勢い良く頭を横に振る。今度は霊夢は疑うように「ふーん?」と眉を顰め、そのまま一気にカラスに顔を近付ける。嘴に吐息がかかる程の距離まで詰められたカラスは、先程よりもさらにしどろもどろに顔を逸らそうとする。
 また始まる睨めっこ。小鳥たちももはや興味津々といった様子で霊夢たちを見つめている中、カラスだけが気まずさを抱き続けていて。けれど先に引き下がったのはやはり霊夢だった。
「…そう」
 大きなため息と共に顔を離すと、霊夢はカラスの横に腰かける。その距離は、カラスの歩幅でほんの二、三歩ほど。
 ピンチを乗り切ったことにカラスは安堵の息をつくと、一歩、霊夢に接近する。柔らかな巫女服から、ほんのりと良い香り。緊張の中に穏やかな温もりが入り込むのを感じると、カラスはもう一歩、勇気を出そうとする。
 さっきの小鳥たちと同じことをして欲しいと、霊夢に甘えるために。
「ったく、この子たちのお世話もほっぽりだして、どこ行っちゃったのよ」
 けれど、ぽつりとこぼされる霊夢の呟きに、カラスの足は止まる。
 カラスよりも背の高いはずの少女は、けれど俯いていてずっと小さな存在に見えてしまう。
「…今日はこの子たち以外誰も居ないから、ゆっくり話せるかな、て思ってたのに」
 掠れるような鳴き声が、カラスから漏れる。口をへの字に曲げ、スカートをぎゅっと握って、寂しさを堪えている様子がひしひしと伝わって来て。カラスの胸に、罪悪感が澱み始める。踏み出そうとしていたはずの足が、一歩、二歩と下がってしまう。
「今年初めての花見はアイツと出来るのかなって、すごく嬉しかったのに」
 満開の桜に包まれた参道では、花の雪が降り続けている。暖かな風に枝がこすれれば、陽光の筋が戯れるように薄桃色の花弁を輝かせていく。まさに絶好の花見日和。こんな空間に二人で居れるなんて気付いたら、幸せでいっぱいになったことだろう。
「良いお茶っ葉だっていただいて来たのに…お茶菓子だって買ってあったのに…」
 今にも泣きだしそうな声が聞こえる度に、カラスは息が苦しくなる。胸が抉られるような思いがして、顔を歪ませる。
「本当、居て欲しい時に限って、すぐ居なくなっちゃうんだもん…」
 自分のしてしまったことの重さがのしかかって、カラスはうなだれる。瑞々しい艶をたたえていた紫黒の翼も、すっかり色をなくして、萎れてしまって。

「――文の、馬鹿」

 ぽきり。カラスの中で、何かが折れる音がした。しょんぼり落ち込んでいた背中を向けて、とぼとぼ、その場を立ち去ろうとした。
 カラスを激励しようと、小鳥たちが口々に鳴きかける。「がんばれー!」「ゆうきだして!」「あきらめるなー!」など、いじらしいカラスをみんなが応援してくれている。けれど彼らの声も、カラスには響くことはない。
 大切にするはずの少女を、傷付けてしまった。笑顔にさせたかった少女に、こんなつらい顔をさせてしまった。
 カラスにとっては、その「事実」が全てだった。博麗霊夢の傍に居る資格など、自分にはとっくになかったのだ。
 …けれど、思い込みで視野が狭くなったカラスは、気付いていない。
「だ、か、ら、」
 それまで顔を俯かせていた霊夢が、玩具を見つけた子供のような笑みを、カラスに向けていたことに。

「アイツの代わりに、今日はアンタに付き合ってもらうわね」

 直後。羽ばたこうとしていたカラスの体が、包み込まれるように持ち上げられた。
 何が起こっているのか分からず、「カァ?」と間の抜けた声が出る。何かにつかまれていて羽を広げることが出来ないまま、けれど何故かカラスの体は宙を浮いている。せめてもの抵抗とばかりに足をばたつかせても、体は一向に動くことがなくて、そのまま後ろへ運ばれていく。
「――文が、悪いんだから」
 撫でるような美しい囁き声に、全身の羽毛が逆立つ。恐怖と共にどこか期待する気持ちすら誘発され、ばたつかせていた足もつい止めてしまう。反応豊かなカラスの様子に囁き声の主は満足そうに口端を歪めると、そのまま自分の膝の上に、カラスをゆっくりと着地させる。
「文句はぜーんぶ、アイツに言いなさいよね?」
 深紅色の布地。馴染みのありすぎる匂い。無邪気で幼さの残る声。
 満面の笑みでこちらを見下ろす博麗霊夢を見て、ようやくカラスは、少女の策に嵌まっていたことに気が付いた。
 慌ててその場から逃げようとするも、何故か羽を勢い良く広げることが出来ない。逞しく鍛えられているはずの足にも力が入らなくて、その場にへたり込んで。まるで小さな穴から水が抜け出ていくように抵抗する意志が削がれていく。
「ほーらほら、暴れないの」
 してやったり、とばかりに諭してくる霊夢を、カラスは朦朧とした目で睨みつける。「こんなことして、ただでは済まないわよ!」とばかりに「グワァグワァ」と威嚇する。けれどその鳴き声にすら、覇気が出ていない。その事実に、カラスはますます焦燥を募らせていく。
 実は、さっきカラスが立ち去ろうと背中を向けた時に霊夢は小さな御札を掌に準備していた。それは、妖力を制限する作用を持った札であり、カラスを捕まえる時にそれを翼に貼り付けておいたのだ。
 当然、それは普通のカラスに貼っても、何の効力を持たないもの。もしこのカラスがただの鳥だったら、霊夢の思惑など関係なく、あっという間にその場から抜け出していたであろう。けれど、このカラスはというと、今やすっかり霊夢の膝で力なくへたりこんでしまっていて。それこそが、霊夢の「勘」が正解だったことを示す、何よりの証だった。
「そうそう。大人しくそこに観念なさい?」
 なおも抵抗のために顔を上げたカラスの喉元を、指先でくすぐる。喉から耳の辺りまで労わるように撫でてあげると、カラスはすっかり目を閉じて、蕩けるような声を出してしまう。孤高を気取る自分のプライドもだんだんと溶かされ、むしろもっと撫でて欲しいとばかりに、自分から喉をさらしてしまう。
「ふふ。ここが良いの?」
 その様子を見逃さなかった霊夢は、穏やかに目を細めると、さらに繊細な手つきで首から耳にかけて丁寧に撫でていく。その声音からは、さっきまでの悪戯っぽさはなく、素直な慈しみと喜びに満ちていて。
 梳かされて柔らかくなった羽毛は、陽光に照らされ艶を取り戻していく。「いいないいなー」とばかりに羨む小鳥たちの鳴き声が、参道から心地良く響いてくる。
「それじゃあ…こっちはどうかしら?」
 柔らかく滑らかな布地。何よりも自分を満たしてくれる匂い。ずっと聞き続けていたい、愛おしい声。
 細く温かな指先が、今度は後頭部のあたりに触れる。桜の花弁が舞う穏やかな陽だまりに、カラスはうとうとと視界を微睡ませていく。遠い昔に忘れてしまった心地良さを全身に感じ、縋るような声で鳴き続ける。
「ガゥ…ガァ…」
 もっとそこを撫でて欲しい、と身体をすり寄せる。呼吸と共におなかが小さく動いているのが分かって、カラスはうっとりと目を細める。安心しきった様子でこちらに甘えてくるカラスに霊夢は優しく微笑みかけると、梳かすように後頭部を撫で続ける。
 あぁ…きもちいい…あったかい…
「ガァ…グワァ…」
 れいむのこえがきこえる…れいむがいきてる…
「クァ……クワァ…」
 いま、わたし…とっても……しあわ…せ…

「ふふっ」

 数分後。囃し立てるように鳴き続ける小鳥たちに、霊夢は「しーっ」と人差し指を立てる。霊夢の意志が伝わったのか、小鳥たちも鳴き声を止めて、二人の様子をそっと見つめることにする。
 膝の上で撫でられていたカラスは、頭を羽に畳みながら、穏やかな眠りについていた。
 甘えるように体を近付けながら寝息を立てる姿はとても愛らしくて、良く眠れますように、と頭を撫でてあげる。
「…あ、そうだわ」
 不意に顔を輝かせながら、霊夢は懐から錦の巾着を取り出す。巾着に入れていたのは、さっきスズメから贈られた一輪の桜。
 花弁を崩さないよう慎重に付け根の部分をつまむと、そのまま眠っているカラスの頭にかざしてあげる。
 美しい黒の羽毛をたたえたカラスの姿に、薄桃色の花弁は、霊夢の思った通り、たおやかに映えていた。

「やっぱり、とても似合ってるじゃない」

 さっきまで桜の髪飾りをつけていた鴉天狗を思い出しながら、霊夢は頬を上気させる。ずっと言いたかったことをやっと口に出すことが出来て、ほんの少し、気分がすっきりとする。
 本当は、こういうことを起きている時に言えるようになるとなお良いんだろうけど。そこはまぁ、今後に向けての課題ということで。
「文」
 射命丸文。いつもお洒落で、綺麗で、そして格好良くて。愛する幻想郷のために大空を飛び回り続けている頑張り屋さん。
 きっと、霊夢の知らないところで、いつも彼女は気を張りつめていたのだろう。こうして安心して眠る時間なんて、なかなか作ることが出来なかっただろう。
「文」
 だからせめて、今だけは。コイツが鴉天狗であることを「忘れられる」今だけは、こうさせてあげたい。

「――おやすみ、文」

 翼を撫でてあげながら、霊夢は優しく囁きかける。温もりに満ちた夢の中で、カラスは「カァ…」と小さく返事をするように鳴いた。
射命丸文さんは博麗霊夢さんのことになると変なところで意固地になるし思考が暴走しちゃったりします。まったく可愛いですね。しっかり休みなさい。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
UTABITO
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
3.100あよ削除
あやれいむかわいい…。
ご馳走様です
6.100名前が無い程度の能力削除
いやはやいじらしくて可愛いです……
7.100東ノ目削除
博麗神社が鳥で溢れかえる小事件を通して描写する手法が話に深みが出ていいなと思いました。そしてあやれいむは無論のこと鳥も可愛い
8.100南条削除
面白かったです
小鳥にもらったプレゼントを髪に飾って喜ぶ霊夢がとてもかわいらしかったです