Coolier - 新生・東方創想話

ファインダー越しの深淵

2024/01/26 11:24:10
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「なぜ文さんは、マトモな記事を書かないんですか?」

 息苦しい夜だった。空は朧雲に閉ざされて、薄ら寒い。
 月もまた見えず、その代わり、八目鰻屋の軒先で薄明かりを放つ提灯が冷めた風に揺れていた。

「……珍しく椛の方から誘ってきたと思えば、奢りの代償は耳タコの嫌味とはね」
「そんなんじゃありません」

 女将の夜雀が振るう包丁の、たん、たん、たん、たん、たん……という単調な音色。
 顔を上げた先で、一匹の夜盗蛾がふらふらと飛んでいた。月を目指し提灯へ。ああ、その先はダメですよ……と言う間もない。
 じっ、と切ない音がした。夜盗蛾だった有機物の塊が炎に灼かれて堕ちていく。闇の中へと。
 まあ、言っても聞きやしないだろうが。

「たまたま知ったんですが……文さん、昔、弟子がいたそうじゃないですか」

 傾けた御猪口から流れ滴る液体の味が、すっと消えた。両翼が逆立つ。
 今すぐにこの白狼を叩きのめすのと、このまま酔えもしない酒を飲み続けるのと……どちらがいいだろうか。
 などと考える間にも、椛は知った口を聞き続けた。

「そのお弟子さんは凄く真面目な記事を書いてたって。弟子ってことは、文さんが教えたんですよね? あなたの記事は飛ばし記事ばかりなのに、何故――」
「椛」
「は、はい」
「ファインダー越しに闇を見たことはある?」
「え……」

 いったいどこのどいつが、噂好きの白狼天狗にこんなことを吹き込んだのか。
 はたてか? まさか飯綱丸様? いや、椛一人でも調べればすぐに分かることか。
 長命種の弱み。精算しきれぬ膨大な過去が常に私の背中にへばりついている。だから長命種たちはいつも出不精で、物臭で――臆病なんだ。

「今でも私は真面目に記事を書いてるつもりだ……と言ったら」
「はは……前に一度、鴉天狗の記事品評大会に出てみましたよ。ピンからキリまですべてゴシップでした。まあ文さんのは大分マシな方だと思いますよ。たしかに碌でもない飛ばし記事ばかりですが、はなっから読者を騙す気のやつよりは誠実です」
「いつだって誠実よ。清く正しい射命丸って……」
「それで、どんなお弟子さんだったんですか? 今は何をされてるんでしょう? 鴉天狗が書いた真面目な記事、一度読んでみたいですけどねぇ」
「女将さん、タバコある?」
「置いてませんよ」
「あ、そ……煙管でもいいんだけど」
「すみません。次はご用意しておきますから」

 どうだか。鳥頭の女将のことだ、忘れてしまうに決まってる。同じ鳥類としてどうしてそう何もかも忘れていけるのか不思議だ。
 いやむしろ私も、彼女のように全て忘れてしまえれば楽だったのか?

「なんだってそんなに私の弟子が気になるわけ」
「さっき言った通りですよ。お弟子さんは真面目な記事を書いてたらしいのに、なんで文さんはマトモな記事書かないのかなって! それに、私も半分は文さんの弟子みたいなもんじゃないですか」
「そうかしら……」
「そうですよ! だって文さんはよく私に体罰……ああじゃなくて、情熱的指導を授けてくれますよね? おかげで腕っぷしが強いって仲間からも頼られるんですよ、私」

 嫌味なのか、本気で言ってるのか。もう好きにしてくれ。

「で、そのお弟子さんは私から見て姉弟子に当たるわけで。お姉様も同じように文さんの過酷なイジメ……じゃなかった、情熱的指導を受けてたのかなぁ、と」
「……」
「文さん?」

 苛立たしい。
 脳天気な椛のことはもちろん。でも、それだけじゃない。
 もうあの子が死んで随分立つのに、未だその顔をまざまざ思い出せることが苛立たしい。
 アホの椛に話してやるつもりは毛頭ない。
 
 それでも。
 
 嗚呼、否が応でも私は、あの子との日々を昨日のように思い出せてしまう。
 けれど同時に、記憶の蓋を蹴り飛ばされるまであの子のことをご丁寧に封じ込めていた、私のお利口さ。
 それが何よりも、苛立たしかった。


 ◯


「文さん! 文さん! 待ってくださいよ文さん!」

 そう、あの子はたしかに鴉天狗だったが、どちらかといえば犬に似ていた。特に心拍数の早い小型犬。
 いつも私の後ろを飛びながら、理由もなく嬉しそうにして。一度そのことを問うたら、彼女はケロッとした顔で、

「だって、尊敬する文さんの下で学べるんですよ! 嬉しくないわけ無いじゃないですか!」

 まあ、嫌な気分はしなかった。
 当時私は、室町八代将軍の正室・日野富子と将軍の実弟・足利義視の対立に関するスクープをすっぱぬいたばかりで、妖怪界隈じゃあちょっとした有名人だったから。
 そろそろ弟子の一人くらいついても当然だ、と天狗になっていたわけだ。文字通り。

「いい? 報道の心得は清く正しく誠実に。ファインダーが切り取る長方形の世界は狭いが深い。どうしても記者の主観と願望が入り混じるわ。だからこそ信念を持ち、誇りを持って仕事に当たること! それがいい記事を書くための唯一最大のコツよ! わかったわね?」

 今思えば笑ってしまうような天狗っぷりだ。それでもあの子は逐一「はい!」とか「なるほど!」と小気味いい返事をしては、先の丸まった鉛筆でいそいそとメモを取っていた。
 そう、確かにあの子は要領のいい方じゃなかった。私や、当時からライバルだったはたてからすれば、どうしてこの程度のことができないんだろう? というミスをあの子はよくやらかしていた。

「文ざぁあああん! ずみまぜええええええん! なにもじでないのに壊れまじだああああああ!」

 無残な姿になった河童製の蒸気式輪転機の前で土下座するあの子のことを、今でも覚えている。室町将軍のスクープで稼いだ金を注ぎ込んだ、最新式だったのに。

「そ、そ、そうなの……あ、あなたに怪我がなくて、よ、よ、よかったわ……」
「ごべんなざいいいいいいい!」

 うん、まあ、あの時ばかりは涙が出たな。二人で夜通し袖を濡らし、河童が見積もった修理費用の額を見てもう一度泣いた。もっとも……結局は差し引きゼロになったのだけど。
 今ではあの輪転機もとっくに寿命を迎えて引退済みだ。けれど捨ててはいない。捨てられるわけがない。

 ……とにかく、あの子は類まれな熱意に突き動かされていた。きっと要領が悪い分を努力で補おうとしていたんだろう。それが私にも良い刺激になった。
 笑い話としては「射命丸のオフィスは四六時中灯りをつけっぱなしだが、油が勿体ない。ちゃんと火を消してから出るように!」と、上司に怒られたことがある。なんてことはない、私とあの子で昼となく夜となく記事を書き続けていただけなのだ。

 そして次第に私たちはプライベートの時間も、記事を書くことについて、報道ということについて、話し合うようになっていった。

「あの、文さん。文さんは先輩天狗たちの記事についてどう思いますか?」
「どう……って、どういうこと?」
「こんなこと言うの、生意気かもしれませんけど……先輩方の書く記事はゴシップばかりですよね? 私はもっと事実を報道するべきだと思うんです」
「わかるわ、その気持ち」

 当時は私も「正統派」を気取っていたから、これは常に最大の議題だった。椛に今更言われるまでもなく、鴉天狗の記事品評大会で入賞するのはいつだって面白おかしいゴシップ記事ばかり。
 まだ青かった私はそれが気に食わなくて、幕府の上空に四六時中張り付いてネタをあげたものだ。
 あの記事が評価されたことで少しは体質も変わるかと期待したけれど……凝り固まった体質は容易に解きほぐせない、という収穫があっただけ。

「わ、私は、もっと文さんのような記者が評価されるべきだと思います! やれ幕府で飼われている猫がどうだの、やれ側室の足の引っ張り合いがこうだの! そんな記事ばかり評価されるのおかしいですよ!」
「そういう体質なのよ。とどのつまりは気疲れのしない、波風の立たない情報が好まれるんだわ。たとえその大半が嘘だろうと、焼き直しだろうと、適当に読者の興味を引いて、大衆を喜ばす愛撫のような記事が望まれてる」
「そんなの報道の意味がありません!」

 私には彼女の言わんとする事がよくわかった。
 時は応仁。私のスクープした日野富子の強欲に端を発する跡目争いの火種は、遂に京の都全域を焼き尽くす戦の業火となって久しい。
 たしかに人の世のうねりなど妖怪には関係ないかもしれない。それでも、この大スペクタクルを報じないでいったい何を記者と呼べるのか?
 私たちはどちらからともなく互いに頷き合うと、幻想郷よりはるか西の空へと飛んだ。その道中、私は彼女の決心を聞くことができた。

「私、人間向けに記事を書こうと思うんです」
「人間に?」

 あの頃はまだ、天狗の記事は妖怪の読み物というのが一般常識。そもそも文字媒体を読める人間がどれほど居る? 強いて言えば京の都だが、あそこは妖怪への警戒心が強すぎる。
 しかし時代は常に移ろうもの。彼女の言うことにも、たしかに一理が産まれつつあった

 つまり、幻想郷。

 ほんの百年ほど前にできたこの奇妙な結界には、いったいどこから連れてきたのやら、それまで類を見ないほどの人間がまとまって暮らしていた。さらに都合のいいことに、おそらく大陸からの亡命者なのだろうが、読み書きを教えられる者が少なくない数混じっていた。
 ゆえに僅か百年のうち、ただの山奥だった結界内集落は、京の都に負けぬほどの文化を急速に獲得しつつあった……。

「確かに幻想郷の集落は規模こそ大きいけど……所詮は妖怪の餌場。私たちは恐れられて終わりじゃない?」
「かもしれません。でも、人間は妖怪よりずっと脆く寿命も短いでしょう。長命の私たちよりも情報の価値が高いと思うんです。ゴシップなんかじゃなく、本当の報道を読んでくれると思うんです!」
「そ、それはそうかも……」
「実は私、このごろ幻想郷の人間と交流してるんですよ」
「えっ!?」
「も、もちろん正体は隠してますよ! でもおかげで確信したんです! きっとあそこは新しい市場になります! 特にあのスキマ妖怪が連れてきた亡命知識人たちは、外の世界の情報に飢えています。郷の人間からも信頼の厚い彼らに記事を売り込めば、そこから一気に読者を増やせると思うんです!」
「……すごい。筋は通ってる」
「ありがとうございます! だから後は、人間の読者に訴えるような記事を作るだけなんですよ!」

 そう熱く語る彼女の双眸は星空のように輝いていた。
 たぶん、彼女には商才があったのだろう。天狗よりむしろ河童に産まれたほうが大成したかもしれない。その証拠に、今じゃ私もはたても人間の郷はお得意様だ。

 ……でも。

 実際のところあの子は鴉天狗で、報道こそ彼女の生き甲斐で、私たちは京の都に再びのスクープを求めた。
 むかう地平線上、徐々にくっきりと見え始める黒い靄。それがすべて都に巻き起こるケイオスの証。混乱と死の証。

「これは……」

 そう漏らしたのはいったい、私とあの子のどちらだったろうか。
 燃え盛る家々。そこかしこに放置されたまま蛆の湧いた死体。それを土足で踏みつけながら斬りつけ合い、殺し合う武者たち。枯れ枝から木の葉が散るように、風の吹く度にここでは命が消えていく。

「うぇ……」

 無論、戦乱など珍しくもない。人は常に殺し合うが本能のように生き急ぐ。
 が……その時の眼前に広がる光景は、その死臭の濃さは、これまでのとは明らかに違っていた。
 生産能力の向上、人口の増大。
 さらに言えば私たちは少し、引きこもりすぎていた。閉ざされた排他的な天狗社会の中に。痛みのないゴシップが持て囃される停滞した文化の中に。
 特にあの子は私よりずっと若かったから。もしかしたら、大規模な戦乱の傷痕を見たのは初めてだったのかもしれない。

「とにかく手分けして情報を集めましょう。カメラ、持ってるよね?」
「は、はい」

 と言っても、何を撮ったらいいかなんてわからなかった。ここはまるで黒く濁った水瓶の中。飽和した死があちこちに結晶化している。
 私は遮二無二飛び回って悲劇を蒐集していった。ただただ原色の死が積み上がる世界だ。記者としての誇りも、信念も、そこではちっぽけな意味しか持たない。もし意味があるとすれば、こみ上げる吐き気を抑えてなおファインダーを覗き込み続ける気力の源としてのみ。

 ……私は自分が天狗でよかったと思った。もし人の身でここに立っていれば、とても精神が堪えられなかったろう。

 私はファインダーを覗き込む。長方形の窓が、飽和した死を呆気なく切り取る。
 ピントがずれればその度に死もその像をぼやけさせる。
 一方で冷静に構図を計算し、より死が効率よく写るよう計算する私がいる。
 
 ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ。シャッターを切る乾いた音。
 
 燃え盛る炎にまかれ、奇怪な方向にめきめきと歪んでいく老人の死体を、その一瞬一瞬を手放さぬよう、揺らめく炎の眩い光に賢明に追いすがるように、私は露出の調整を素早く行ってはまた、シャッターを切る。

 ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ。
 
 ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ………………………。

 まる三日、そんなことをしていた。我を取り戻したのはフィルムが尽きたからだが、新しく取ってくる気にはならなかった。
 それに、妖怪の山で待ってるはずのあの子を放置するのも忍びなかったから。
 沈みゆく黄昏の太陽に背を向け、私は東へと飛び戻った。

 けれど、彼女はまだ帰ってきていなかった。

 あの子がようやくオフィスに戻ってきたのは、それからさらに一ヶ月後。ちょうど野分が直撃した酷い土砂降りの夜。
 私はとっくに原稿を仕上げていたが、あの子と読み比べがしたくって、まだ世に出す前だった。これでようやくそれができる……と、呑気に考えたのを今でも覚えている。

「おかえ……」

 翼が凍りついた。
 コールタールを流し固めたような漆黒の瞳が私を一瞥する。以前にあの子の目の中で輝いていた星々の煌めきは……いったいどこへ消え失せたのだろう?
 私がなにか言うのを待たず、彼女は濡れた足取りで現像用の暗室へと消えた。

 ……あの子の原稿があがったのはそれから、更に一週間後のこと。既に出来上がっていた自分の原稿と比べて私は、一目で勝負にならないと理解した。
 もちろん私のと同じくたった数頁の記事だ。だが確かにそこには、あの京の都に渦巻く地獄が折りたたまれて仕舞われていた。手のひらサイズの阿鼻叫喚。
 
 私は自分の記事を出すのをやめにした。後にも先にもそんなことはもう無いだろう。
 あの子の報道に「負けた」と思ったから。たしかにそれもある。
 ただそれ以上に、記事を書き上げてから自室に引き籠もってしまったあの子に代わり、赤入れから印刷から発刊まで何もかも、私がやらざるを得なかったからだ。

 とはいえ、その価値はあった。

 結論から言って、あの子の記事は凄まじい反響をもたらした。想定通り情報に飢えた幻想郷の人間たちに飛ぶように売れたし、さすがの天狗社会も無視することはできなかった。
 誰もが遠く西方の戦火について話し合うようになった。郷には京から都落ちした者も混じっていたようで、支援物資を送ろうなどという話すら出たくらいだ。
 中でも人々の話題をさらったのは、あの子が撮り溜めた膨大な写真のうちの一つ。
 それは餓死寸前の少女を写したもので、すぐ傍らには一匹の鳶が屍肉を待ち構えて佇んでいる、というものだった……。

「関所が抑えられてるんです。各陣営が争い合って、京都は陸の孤島なんです。だからたくさんの人が刃で死ぬより、炎で死ぬより、なによりも、飢えて死んでいくんです。ゆっくり、ゆっくりと」

 彼女の記事が鴉天狗の品評大会で一位になった、と、私が報告しに行った時のことだ。
 固く閉ざされた扉越しの言葉は、酷くくぐもっていた。

「私たちは天狗だから。その気になれば、都に食料を届けて彼らを救えるのかもしれません。でも……だからなんだっていうんです? きっと食料は武者たちに奪われ、戦乱を長引かせるだけでしょう。そもそも……この戦が終わって、でもそんなの何にもならないじゃないですか。人間はきっとまたすぐ争いを始める。またすぐ同じことが起こるんです。この先何十年も、何百年も、何千年も何万年も!」
「……あまり、彼らに感情移入しすぎ無い方がいい。けっきょく私たちは人間じゃないし、人間もまた私たちのようには生きられない」
「わかってますよ。わかってます。わかってるんですよ……」

 今にして思えば、たぶん、あの子は幻想郷の人間たちと相当に交流があったんだろう。真面目で誠実な彼女のことだ、妖怪と人間の垣根を軽々と超えて仲良くなれたに違いない。
 それで感情移入をしすぎてしまったのだろうか? たぶんそれも理由の一つだが、きっと根本的なところではないだろう。

「大会の賞金、前に壊した輪転機の修理費に宛ててください。いろいろ迷惑をかけてすみませんでした、文さん」

 それが私の聞いた、あの子の最後の言葉になった。


 ◯


 ふと我に返ると、すぐ隣では椛がいびきをかいていた。平和なものだ。叩き起こそうとして……代わりにカメラを取り出す。
 ファインダーの狭い長方形に椛の間抜け面が大写しになっている。シャッターを切る音。眩いフラッシュ。椛が慌てて飛び起きる。

「はぇえ!? 敵襲か!?」

 しかしすぐに異常がないと悟ったのか、再び眠りの世界に戻っていった。どんだけ飲んだのよ、こいつ。
 それから今度は、カメラを背後の暗闇に向ける。ファインダーには闇だけが写っている。ぞくりと背中が震える。
 
 ……なぜ、私たち鴉天狗は「マトモな」記事を書かないのか。
 
 あの時、自室で首を吊っているあの子を見つけた時、私は唐突にそれを理解した。
 ファインダーが切り取る長方形の世界は狭いが深い。それはこの世に満ちる深淵をあまりにあけすけに写しすぎてしまう。
 
 きっと、彼女は純粋すぎたのだろう。
 
 純粋だから、記者として、ファインダー越しに深淵を覗き込みすぎてしまった。
 だから死んでしまった。その深淵に沈んでいく膨大な命を見た後でなお、光の世界にのうのうと生きるのが耐えられなくなったのかもしれない。

 そしてあれ以来、私は「マトモな」記事を目指すのをやめた。他の鴉天狗たちと同様に、毒にも薬にもならない、読者を愛撫するためだけのゴシップ記事を書き続けている。
 そういえば当時、自殺したあの子のことを「臆病だ」と罵る者たちがいた。人間の死体に動揺するなど天狗の恥晒しだ、と。
 けれど……本当に臆病なのは、いったいどちらなのだろう?

 私は死にたくない。

 カメラを降ろすと、夜に満ちる深淵が私をそっと見つめていた。
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コメント



0.90簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.90福哭傀のクロ削除
カメラとか新聞とかの有無は、
妖怪の世界ではそうなんや!で問題ないのですが、
取り上げる内容に対して、何より弟子天狗に思い入れを持つのに量もしくは濃度が足りなかった気がしました。
途中途中の描写は好きでした。
3.80名前が無い程度の能力削除
お弟子さんの描写があまりにも人間側のソレ過ぎて少し違和感があったのですが、まとまっていて面白いお話でした。
5.100名前が無い程度の能力削除
レンズ越しで闇をのぞく、長命者の生きながらえる術としては必要なのでしょうがやるせなさがありますね。良かったです。
7.90東ノ目削除
戦場記者というのが現実に存在することを踏まえたときに結局弟子が弱かったと思う面が正直あるのですが、それでとどまらなかった文の優しさがあるのかなと