Coolier - 新生・東方創想話

幻想の嗜好品

2023/12/04 20:43:05
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「今日はスペシャルなアイテムがあります」
 蓮子はそう言って、手のひらくらいの大きさをした赤い木箱を差し出した。なんとなく重厚感のあるデザインだったが、持ってみても重さは無い。
「なんだろう。開けていいのよね?」
 蓮子は得意げな顔をするだけで何も言わない。つまり肯定ね。私の予想では、なんらかの未確認生物のミイラだと思う。このサイズなら小人の全身か、もしくは指みたいな体の一部か。いずれにしても蓮子は偽物を掴まされた可能性が高い。
 緊張したように唾を飲み、呼吸を整える。というのはふりで、実際には蓮子にかける慰めの言葉を一通り考えていた。考え終えて、おもむろに蓋を開けてみる。
「これは……」口を突いて出た言葉は、考えていたどれでもなかった。「何指?」
「ミイラの指じゃないよ」蓮子は箱の中の細長いものを一本取り上げ、口にくわえるような仕草をしてみせる。「紙巻煙草。本物だよ。東京の実家に眠ってたの」
 令和三十五年に禁煙法が成立して以降、周囲に有害な煙を振り撒く紙巻煙草はこの国から姿を消していた。他人に迷惑をかけない自宅等での喫煙は許されていたものの、安価で安全でスタイリッシュな代替商品も台頭し、昔ながらの紙巻煙草は売れなくなったのだ。今ではこの形をした煙草は、名作劇場の古典映画や、時代設定が古い漫画の中でしか出てこない。紫色をした煙草の煙は、往時の世界の残り香だった。
 一部で予想されていたとおり、手に入らなくなった煙草の価格は数十年の間に高騰した。ヴィンテージの旧型酒に何千万というお金を出す人がいるのだから、不思議な話ではない。蓮子が持ってきた小箱も当時市販されていたそのままではないだろう。誰かが箱の中に煙草を納めて、より価格がつり上がるように演出したのだ。小さな桐の箱の中には、たった二本の煙草しか入っていなかった。
「念のため聞くけど、違法なやつじゃないわよね?」
「もちろんよ。多分。家の中だし」
「蓮子はもう試したの?」
 蓮子は首を振った。「メリーといっしょに試そうかなって」多分、一人で試すのが怖かったんだろう。
「じゃあ……」私は今度こそ本当に、少しだけ緊張していた。「吸ってみる?」
 蓮子のポケットからマッチ箱が現れた。こちらは蓮子が普段から携帯しているアイテムだ。闇夜の探索には文明の光ではなく、原初の灯りが欠かせないから。らしい。
 シュッ、という聞きなれた音とともにマッチの頭薬が発火する。火事になったら嫌だから、二人で洗面所に移動した。
「ねえ、暗くしようよ」
 私は言われるがままに壁のスイッチを押した。電気が消え、マッチの力強い炎が部屋の中をゆらゆらと揺らす。片手に煙草を掴んだ蓮子の顔が、ぼんやりと浮かび上がっている。自分の家にいるはずなのに、まるで知らない世界へ迷い込んでしまったようだ。
「よし……」蓮子は恐る恐る両手を近付けた。私の心臓も不思議と高鳴る。煙草の先に、オレンジ色の火が触れた。
「……あれ? なんか……つかない」
「たしか、吸いながらつけるのよ。ネットで読んだことある気がする」
「ん……? あっ」蓮子が煙草をくわえて再挑戦した数秒後、その先端が真っ赤に輝いた。「ついた、つい……ゴホッ!」
「大丈夫?」
 蓮子は激しくむせながら、もう一度煙草に口を近付けてみる。そして再びせき込んで、吸っていた煙草を私に差し出した。
「メ、メリーも吸ってみて。メリーなら楽しめるかも」
 蓮子は楽しめなかったということね。「じゃあ、失礼して……」
 私は警戒しながら少しずつ吸ってみたから、蓮子みたいにはならなかった。でも……。
「……電気、つけるね」
 部屋の明かりが真っ白に閃くと、そこにはまだチリチリと燃え続けている一本の紙巻煙草と、独特な匂いのする灰色の煙だけが残った。重苦しい炎の魔力は、幻のように消え失せていた。
 私たちは互いの涙目を見合わせた。感想は一致したようだ。
「うーむ。こんな感じなのね。煙草って。換気扇のスイッチこれ?」
「うん。すごく変な感じ。やっぱり賞味期限が切れてるのかしら? 慣れれば良くなるのかもね」
「まだ吸ってみる? もう一本残ってるけど」
「うーん、私はもういいかな」私は洗面台の蛇口をひねり、吸いかけの煙草の火を消した。「それより、残ったのは売っちゃいましょうよ。高く売れるんでしょ?」
「あっ、そうか。これでどのくらいの値が付くんだろう。一本だけでも売れるかなぁ。秘封倶楽部の活動資金は常に逼迫しているからね」
 私と蓮子は煙草の味を楽しむことに失敗した。おそらく、私たちのような現代人がこれを楽しむことができる唯一の方法は、「吸わずに所有し続ける」ことだったのだ。
 一生に一度しか味わえない嗜好品は本当の意味での嗜好品ではない。煙草も酒も珈琲も、初めての摂取は常に未知である。あとになってからその体験を思い返して、もう一度味わいたいという気持ちになったとき、初めてその人にとっての嗜好品となるのだ。そうでなければ、その体験は思い出の中で少しずつ熟成し、いつしか手の届かない幻想になっていく。私たち二人にとって、紙巻煙草は幻想のアイテムだった。
 この箱に残った一本の煙草はどんな人の手に渡るのだろう。お金持ちのコレクターに所有され、暗い引き出しか倉庫の中で百年の眠りにつくのだろうか。それとも……。

 この煙草を嗜好品にしてくれる幻想の人々が、どこかにまだいるのだろうか。


Twitterでフォロワーさんたちが「秘封×煙草」の是非について唸っていたので書いてみました。たまにはこんな秘封倶楽部。

https://twitter.com/K_T_Takenoko
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
二人が共有する喫煙という秘事、なんだかドキドキしちゃいました
3.100名前が無い程度の能力削除
期待の割なんかびみょーな感じで終わる煙草宇佐見蓮子、しっくりきてとても良かったです
天然物の嗜好品と秘封時代のあれこれも考えることができて良いですね
7.90福哭傀のクロ削除
この短さでノスタルジーが詰まっていてとてもよきでした。
売る発想がないにもかかわらず、2本あるのに1本の煙草を共有する2人に対して、
いやそうはならんやろという思いと
秘封はこういうのでいいんだよという思いでした。
9.90東ノ目削除
ある意味で知らなかった方が良かったこと、なんでしょうか。もっとも秘封俱楽部の二人にとっては煙草の味が口に合わないということもまた、知ること自体に価値がある秘だったのでしょうが。面白かったです
11.100南条削除
面白かったです
ドキドキしながら回し呑みしている二人がかわいらしかったです
12.100ケスタ削除
1本は残しておくつもりだったのかさも当然のように二人で1本共有するあたりがなんというかなんというか。体験するまでの盛り上がりと終わってみてのガッカリ感は未知への探求のあるあるなんでしょうね
14.100名前が無い程度の能力削除
雰囲気が良かったです。考えてみれば紙タバコが未来では過去の遺物になっていてもおかしくないんですよね。そう思うと少し物悲しい気分になりました。