Coolier - 新生・東方創想話

紅い日々 -2-

2006/01/18 07:31:46
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「……それにしても。よくもあれだけ食べられたものね」

 食後、パチュリーのいる書斎へと向かう途中でレミリアが呆れ気味にそんなことを言う。

「ここ最近……まともな物を食べてなかったんだもの。しょうがないじゃない」

 少女の方はそれに膨れっ面をしながら返した。
 そして続ける。

「でも意外ね。吸血鬼の棲み処に人間が食べるようなものがあるなんて」
「人間の血と肉。吸血鬼や他の妖怪にとって基本的に最高の食事ではあるけど、そればかりでも厭きるわ」
「……それもそうよね」
「ま、なんにせよ栄養だけは偏らないようにお願いね。……肉を食べなくても、血は吸わせてもらうだろうから」
「…………吸血鬼のために栄養バランスを考えるつもりなんて、毛頭ないわ」
「何なら追い出しても……殺してもいいのだけど?」
「それは、少なくともあなたが私の事を調べてからなんでしょう?」

 ……何やらちょっとした緊張が廊下に漂う。
 食事中から、2人は色々と話をしていたのだが。
 少女の方は連れてこられた理由が『時間を止める能力』があるのではという事。
 それについて何かわかるまで『当面は殺される心配は無い』事を理解すると、少なくとも口調だけは随分と強気になってきた。
 それどころかレミリアの事を呼び捨てにしてしまう始末だった。
 たったそれだけの事でここまで強気になるなんて、珍しい人間だ、とレミリアは思う。
 人間同士での中でこうなるのならあるだろうとは思うが、圧倒的過ぎる力の差のある相手にここまで出来るのだから、間違いなく珍しい。

「……それで、今度はどこに連れて行く気なの? レミリア」
「私の友人が色々知っているかもしれないから。お前を見せて、場合によっては調べてもらう」
「あら、それは怖い」

 少女がそう言った直後、食堂のものよりはずいぶんと小さ目の扉の前で、レミリアが立ち止まる。

「パチェー、入るわよー」

 そう言いながらガタン、と扉を勢いよく開いた。

「……開きながらそんな事を言っても意味がないと思うのだけど、レミィ」
「細かい事は気にしないの。それより、連れてきたわ、例の人間」

 レミリアがそう言った後、少女も部屋に入ってくる。
 それを見たパチュリーは、

「殺さずに、連れてきたの?」

 開口一番、そんな事を言い放った。

「そうでないと、調べられないでしょう?」
「……てっきり勢い余って殺すだろうと思っていたから」
「あ、そう。私だって力加減ぐらい出来るってば」

 そう言いながら深く溜め息。
 ……レミリアと知り合ってから一度、興味を持った人間が居たから連れてくると言って、その人間が生きていなかった事があるからパチュリーはそう言ったのだが。

「何この……埃臭過ぎる部屋は」
「……いい度胸した人間じゃない」
「あー、パチェ。おもむろにスペルカードとか取り出さない」
「初対面の魔女に、その魔女が居る部屋を埃臭いなんて。失礼な人間だわ」
「事実だしいいんじゃないの?」

 レミリアにそう言われ、パチュリーは黙り込む。

「全く……小悪魔にでも掃除させたら?」
「あの子は本の整理だけで手一杯よ。まだ召喚して十数年。
 人間じゃあるまいし、急成長するわけでもないんだから。すぐにへたっちゃうみたいよ」
「……ま、それ以前にパチェが掃除すべきだと思うけどね」
「…………他人の使い魔に自分の部屋の掃除させてるレミィにそんな事言われたくない」

 それもそうか、と頷いた後、

「それで……この人間」

 レミリアは話を本題へと移した。

「そうね。見た感じからもう何か出来そうだわ。……東洋の人間?」
「えぇ。こいつ自身がそう言っていたわ。混血のようだけど」

 そう言ってレミリアが親指で後ろを指し、振り向く。
 ……と、つい数秒前までそこに居た少女が居ない。

「へー、魔女とは聞いてたけど、実際よりも部屋を広くしたり出来るんだ。
 しっかしこの本の数……というか部屋の汚さの割に本は随分と綺麗ねぇ……」
「…………」
「……人間?」
「あー、一応、多分、間違いなく」

 何となく疑問を吹っかけたパチュリーに返したレミリアの返事はあまりにも曖昧だ。
 ……つい何時間か前までそれこそ殺す殺さないの雰囲気の中にあった少女が、あんな風にしているのだ。
 先ほどの廊下での会話も含めて、レミリアだって疑いたくもなる。

「ところでそこの人間……えぇと、名前は」
「名前に関しては何も言わないと思うわよ? 一度聞いたけど、教えてくれなかったし」
「…………名前、ね」

 名前に関しての話をし始めた2人に少女はそう言うと、深く溜め息を吐いた。

「……あなたたちに教えられるわけ、ないじゃない?」
「本当に、いい度胸をした人間ね? 力関係が分かっていないのかしら」
「一応、わかっているつもりだけど。でもどうやらしばらく殺される心配はなさそうだから」

 ……人の多い街から離れ、碌に人間のいない森の中にある館に来て開き直っているのか。
 それとも生来こんな性格の人間なのか。
 そんな事はパチュリーにはわからなかったが、何にせよ変わった人間だとは思う。

「それに、教えられるわけがないって言うのも、別に度胸がいいとかそんなんじゃないわ」
「……じゃあどういう理由なの?」

 少女の言った言葉に今度はレミリアが反応した。
 まるで、気に入らないとでも言いたげな口調で。
 必要最低限、それ以下の照明しかない部屋で、それでもわかるほど少女の表情が曇った。
 それこそまるで……自分はこの世界に居るのが相応しくないとでも言わんばかりに。

「……アパートから出て2,3日した時にね、事故に遭ったのよ。一応病院で治療もしたわ。
 他の患者に嫌気が差して、勝手に抜け出したけど。頭を強く打った。……記憶喪失って奴ね、多分」

 曇った表情は今度は自嘲するようなものに変わった。
 パタン、と本を閉じて本棚に収める。

「…………はぁ?」

 少女に対して、レミリアが恐ろしく間の抜けた声を出した。
 当たり前の事だ。
 何故ならこの少女は……。

「記憶喪失って……下手な嘘はやめなさい。お前は私に身の上話をしただろう? それどころか今だって」
「あら? 嘘じゃないわよ、吸血鬼さん。だって、本当に思い出せないんだもの」

 少女が少しだけ奥のほうに歩き、本棚に収まった本のタイトルを興味深そうに見ている。

「……名前だけが、ね。どんな記憶からも、都合よく名前の部分だけがすっぱり抜けているの」
「……なんだって?」

 そんな事が、と次ごうとしてしかし出来なかった。

「成る程、そういう事だったの」

 ……パチュリーが口を挟んだから。

「成る程って……何納得してるのよ、パチェ」
「もし名前を嫌っているなどしていたなら、他の記憶が大丈夫でも頭を打った拍子に名前だけを忘れてしまう事もあるかも知れない」
「名前ぐらいでそんな……」
「人間って言うのはね。……弱い生き物なの。
 私たちと違って、名前がなかったり、気に入らなかったりすると自分の存在意義を疑うほどに弱い」
「…………」

 その程度の説明じゃ納得行かない、と言わんばかりにレミリアが顔をしかめる。

「まぁ、ある方が呼びやすいのは確かだけれど、今この館に居る人間はあの子だけなのだし問題はないんじゃないかしら」
「…………それもそうね」
「まさか、人じゃない知的生命体ばかり集うところに来ちゃう事になるなんて」

 運がないなぁ、と続けながら少女は興味をそそられたタイトルの本を引き抜こうとする。
 …と、その時、

「その本はダメ! それゲホッ、ゴホッ」

 唐突にパチュリーが叫んだ。
 広い空間に声が木霊し、しかし次がれようとした言葉は激しい咳により途切れる。
 それ以前にその言葉は遅く、既に本は引き抜かれていたのだが。
 一瞬後、本が自ら開き、何か……言い知れぬ力を解放したように、少女は感じた。
 だが、少女にはそう感じただけでもレミリアとパチュリーにはわかった。
 放出されたのは、本にしては膨大すぎる魔力。
 空間操作によって通常より大きくなった書斎が、揺れる。
 ……何らかの能力によるものなどではなく、魔法による空間操作を施しているために放出された魔力に干渉を受けのだ。
 さらに間違いなくその本の魔力の質も高い。
 身体が弱いとは言え、パチュリーは間違いなく強大な力を持った魔女と言える。
 そんな魔女が空間を広げるために使用した魔力に干渉しているのだから。

 ……と言っても、レミリアにはそれが長く続くようには思えなかった。
 どうであれ所詮、本だ。長い年月で魔力を得たに過ぎない。
 さらにパチュリーの魔力に干渉するほどのものとは言え、そんな物に干渉すれば意志を持たない魔力は結局押さえ込まれるのがオチだ。
 だが……。

「っ!」

 本が少女を飲み込もうとしていた。
 意志のない魔力はほぼ例外なく意志ある何かを求める。
 その対象は、……普通その魔力を解放させた者だ。
 押さえ込まれるのがオチでも、その前にそれを求める。
 勿論その程度で意志を得られるはずなどないのだが。

「あぁ、もう!」

 放っておいても構わないのに。
 死のうが居なくなろうが、ただ興味を持った玩具で遊べなくなる。
 その程度のレベルのはずだ。
 だと言うのに、気付けばレミリアは床を蹴っていた。

 自分よりも大きな身体を左腕に抱えると、右の爪でその本を一閃した。
 本が真っ二つになる。
 瞬間、起こるのは共鳴するような音。
 本来ひとつであった魔力が無理に引き裂かれたために繋がろうとしている。
 ……が、それもすぐに収まった。
 何らかの生命体が放った魔力なら兎も角、意志を持たぬそれが分かたれたところでそう簡単に戻る事もない。
 また、長くそこに居続ける事も出来ない。
 魔力が霧散し、消え失せた後に残ったのはそれを収めていた本だ。
 文字が消えている。恐らく本に記されていた文字が力を持っていたのだろう。

「……あぁう……。あの本の文字はけほっ、まだ、こほっ、完全には解読してなかったのに」

 咳込むパチュリーが散らばった本を手で丁寧に退かしつつレミリアと少女の近くまでやってきた。
 どうやら先ほどの激しい咳は生まれつきの喘息の影響よりは、柄にもなく大きな声を出した事で咽たと言った方がいいのだろうか。
 その咳は既に軽いものとなっている。

「ちょちょちょちょちょ……あー、えとえとえと! な、何があったんですかぱつりーさまぁ!?」

 と、そこで何やら飛び出してきた。
 寝間着姿で、レミリアと同じように背中に羽を生やした少女だ。
 蝙蝠、というよりは何かの絵本で見た、悪魔のような羽。
 ――かわいい。
 少女は、この状況で何故だかそんな事を考えてしまう。
 そりゃあ、レミリアと同じ悪魔っぽいのになんかあたふたしてしかも微妙にたれ目でそれなりに小さいのが寝間着姿で出てきて舌噛んで『ぱつりーさま』などと言うのを見れば無理もないかもしれないが。

「あぁ、小悪魔。寝ていたところを悪いんだけど……片付け手伝ってくれないかしら」
「あ、はいっ。……それよりも、何があったか聞いてもよろしいですか?」
「……片付けてから話すわ」
「あ、私も手伝うわ。本を読もうとしたのは私だし」
「うーん、何か1人でどっか行くのも気が引けるし。私も手伝う、パチェ」

 意外、とでも言うべきか。
 少女とレミリアが手伝うと言ってきた。
 ――……というか、あの状況の後で平然としてる人間って。
 少女が本当に人間か疑いたくなったのはこれで2度目だ。
 だが、そんな思考を振り払いパチュリーは静かに言葉を紡ぐ。

「……出てけ」
「はい?」
「ん?」

 少女とレミリアがなんで?と言わんばかりの顔をした後、

「お前ら逆に散らかしそうだから出てけー!」

 パチュリーが、ちょっと……というかかなり、壊れた。


  *


「あぁ、もう。パチェも酷いわね。人の善意をあんな風に」
「本当に。2人よりは4人の方が楽でしょうに」

 『人』の善意やら『○人』やらあまり適切ではないように思えるが。
 何であれレミリアと少女はプンスカ怒りながら廊下を歩いていた。
 ……逆に散らかしそう、というのも納得出来そうな怒り具合だ。
 これの場所がわからんあれの場所がわからんもうしらーん、どかーん。
 ……みたいな。

「ふああぁぁ……」

 そこで、少女が唐突に欠伸。

「……あぁ。人間は普通もう寝てる時間か」

 レミリアの方は何で欠伸?と思い、勝手に結論に至った。

「そうね。……部屋に案内しましょう。掃除してないから汚いけど、それは明日にでも自分でしなさい」
「あら? 部屋を貰えるの?」
「お前は、吸血鬼と同じ部屋で寝たい?」
「殺されないと分かってるから、別に構わないけど?」
「…………」

 呆れた。
 本当にそれだけの理由で吸血鬼と同じ部屋で寝る事を拒まないのか、と。
 数時間前に思った愚かだとか、面白いとか、もはやそんな話ではない。
 頭の悪い、もしくは意地の悪い小娘。レミリアはこいつの正体はそんな奴なのだと思う。

「それとも、レミリアは私と一緒の部屋で寝るのは嫌?」
「嫌に決まってるじゃない。なんで私が人間なんかと」
「あらそう。ならしょうがないわね」

 吐き捨てるなり早足になったレミリアを少女が追う、……が、すぐに立ち止まった。

「どうしたの?」
「この……扉」

 触れる。
 冬の冷たい空気の中、冷え切っている廊下。
 その中でもいっそう冷えた、大きく……そして恐らくは厚い鉄の扉に。

「あぁ……ついでだから言っておきましょうか。この扉は絶対に開けないこと。
 ……まぁ、パチェが何重にも結界を張っているから、人間ごときに破れる訳がないけど」
「……何があるの?」
「『ある』じゃなくて『居る』ね。……そんな事はどうでもいいわ。とにかくそこは開けない、入らない。それを守りなさい」
「……入ったら死にでもするのかしら?」

 自分が殺してきた事と、2日連続で死の恐怖に遭った事。
 そして、殺されると思ってついて来たここで、少なくとも数日の生を保障された事からか。
 まるで死に対する感覚が麻痺でもしているような、或いは死を嘲笑うかのような、そんな口調で少女はレミリアに問う。

 ……だからレミリアは大袈裟なようで、けれど間違ってはいない内容で話す事にする。

「そうね。死ねるならまだマシかもしれない」
「……どういうこと?」
「その扉を開いて、中をしばらく行ったところにある部屋に、私の妹が居るの」
「妹?」
「えぇ。あの子の力は強大すぎる上に、手加減の仕方も知らないから。肉片ひとつ、いえ、血液の一滴すら残らないでしょうね」

 ……恐怖、というほどでの感情ではないが。
 明らかに少女の表情が険しくなった。

「死と定義される範疇に納まる程度なら、さっきも言ったようにまだマシなほう。……ここに入ったら『消滅』するわよ?」
「…………」
「あはは。そんな顔しないの。入らなければいいだけなんだから。それ以前に入ろうとしても入れないでしょうけどね」
「じゃあもし入れて、何かあったらまたレミリアが助けてくれるのかな?」

 少女が何気なく言った言葉にレミリアが動きを止める。

「調子に乗るな。さっきはあんな詰まらない事で死なれても困るから助けただけ」

 ……ちょっとした、嘘。
 詰まらない事で死なれても困るからではなく、気付けば助けていたのだから。

「……その詰まらない事で、服がズタズタになってるなんてねぇ」
「…………」

 バツが悪そうに、レミリアが視線を逸らす。
 ……実際、レミリア自身には傷ひとつなかったものの、その白い衣服はところどころが破れていたり、糸が解れていたりしていた。

「……貸して。私が直しておいてあげるわ。これだけ広いんだから、探せば裁縫道具ぐらいあるでしょうし」
「別にいいわよ。服がこれだけってわけじゃないんだし。これはもう着れないだろうけど」
「じゃあ、その服、私が貰ってもいいかしら?」
「……変わった奴ね、ホント。そこまでして直そうとする理由があるの?」
「あるわ。助けてもらったお礼がしたいんだもの」
「お前を殺そうとした相手に?」
「それとこれとは、話が別」

 何が別なものか、と思う。
 だが……ここでこれ以上話しても、少女は引き下がりそうにない。
 だから、

「まぁ、いいわ。……捨てるなり直して私に返すなり、好きにしなさい」

 そう言うとレミリアはもぞもぞと服を脱いで、それを少女に手渡した。


  *


 濃紺と漆黒の入り混じった風景がある。
 日が沈んだ直後の空の色だ。
 その空からはこれでもかと言わんばかりに冷たい風が吹き降ろしている。
 そしてそんな空の下で、震えている人影があった。
 紅魔館の門番を務める妖怪、紅美鈴だ。
 厚着こそしてはいるが、僅かな隙間から容赦なく冬の風が入り込んで肌に当たり、とにかく冷える。

「あーもー! 昨日は割と暖かかったのになんで今日はこんなに寒いのー!?」

 叫んだ。
 とりあえず叫ばなきゃやってられない気分だった。

「……妖怪でもやっぱり寒さには弱いのかしら?」

 ……と、そこでそんな声が聞こえた。
 少しばかり呆れも含んだような声。
 その声の方に美鈴は振り向く。
 視線の先にあるのは空が暗くなってもなお紅いとわかる紅魔館と。

「…………メイド?」
「まぁ、着ている服からして間違いではないけれど」
「あなた……昨日お嬢様が連れて来た人間よね? 何でこんな所に?」
「レミ……お嬢様が『やる事がないのなら美鈴に温かい飲み物でも持って行きなさい』って言ったから」

 そう言いながらお盆に乗せていたカップを美鈴に手渡す。

「……というかそもそも何故メイド服」
「お嬢様がね。夕暮れ時に起きてくるなり『これから私がお前を殺すまでの間メイドとして仕えなさい』なんて言い出したのよ。
 ……驚きはしたけど。そこで逆らう権利は私にはなさそうだったし」
「そっかぁ、私もなんか覚えあるわ」
「……そうなの?」
「まぁ、この館にあるメイド服がどれも着れなくて、いきなり門番に回されたけどね」

 そこまで言うと美鈴はゴクゴクと紅茶を飲み、至福の顔で息を吐いた。
 そしてその息が白くなり舞い上がって消えてゆくのを見ながら、少女が呟く。

「あなたの身長にも合いそうなメイド服は見たけど?」
「あ、いや。胸の辺りが」
「…………」
「…………」
「今この館に居る者であなただけが大きいのね。なんかずるい」
「あー、パチュリー様とか着やせするタイプみたいで、結構大きいわよ」

 そこで訪れたのは長い沈黙。
 もう一度紅茶を口に含み、幸せそうな顔をする美鈴に、

「ぶっかけてもいいかしら?」

 少女が自分の分の紅茶を少し後ろに構えながらそんな事を言う。

「いらないのなら貰うけど?」

 とりあえず問答無用でぶっかけた。

「あちゃちゃちゃちゃ! いや、ちょ、てゆーかホント熱い!」
「はい、とりあえずハンカチ」
「あー、もう何ていうかあなた。こう……人間と妖怪の力の差って奴をわかってる?」

 少女が差し出したハンカチを受け取って顔を拭き始めた美鈴が半眼で呆れるようにしながら少女に問うた。
 ……手に持った紅茶を一滴も溢していないのは見事としか言いようがないだろうか。

「実はパチュリーにも言ったのだけれど、わかっているつもりよ」
「……なのによく平気でこんな事が出来るわね。そりゃあ、お嬢様やパチュリー様相手には全く敵わないけれど。
 私でも、……その気になればあなたみたいな人間の少女ひとり、片手で殺せるわよ?」
「じゃあここで見せて貰えるかしら? 尤も、お嬢様がしばらくは殺さないように言っている人間を殺して。
 ……その結果あなたがどうなるかは私の知った事ではないけれど」
「…………」

 少女の強気とも達観ともとれる発言に美鈴はただ言葉を失くす。
 何なんだこの少女は、と思いながら。
 ……美鈴とて、人間は勿論並の妖怪よりはかなり強い。
 さらに妖怪である以上人間なんかよりは全然丈夫な身体をしている。
 妖怪は弱くとも妙に身体が丈夫な奴もいるので、そちらは安易に比較する事は出来ないが。
 ……それでも、死は怖いと、美鈴はそう思っている。
 もし美鈴がこの少女を殺せば、レミリアは間違いなく美鈴を殺すだろう。
 気に入っているとか、信頼がどうとか、そんな話ではない。
 ただ主の言いつけを守らなかったとして、殺されるはずだ。
 美鈴は死が怖いと思うから勿論少女を殺す気など――今のところではあるが――毛頭ない。
 難しくない。考えれば誰でもすぐにわかる事だ。
 主従関係など話を聞けばすぐに理解出来るのだから。
 だが……普通の人間なら力の差を気にするあまり忘れてしまいそうな事でもある。

「あなた人間としては……普通じゃあ、ないわね」
「そりゃそうよ。あいつは異端の力を持った奴だと畏怖され、迫害され。
 挙句その能力……『時間を止める能力』に興味を持った吸血鬼にこんなところに連れてこられるような人間なんだから」
「……そんな事をそんな風に平然と言えるなんて、人間どころか妖怪の枠に入れてみても普通じゃないかも」
「褒め言葉として受け取っておくわ。……じゃあ、私は寒いから戻るわね。頑張ってね、門番さん」

 少女が早足で館へと戻っていく。
 それを見送りながら、美鈴はふと気付いた。
 ――……水分被ったせいか顔が無駄にスースーして冷えるなぁ。


  *


 等間隔に並べられた高く聳え立つ本棚の間を、レミリアは横向きに飛んでいた。
 本の背表紙を見ながら飛ぶためだ。
 スピードは全速でないにせよ、それなりに速い。
 だがレミリアはひとつも見逃すことなく優れた動体視力で目的の本かどうかをしっかりと確かめていた。

「あった」

 急ブレーキをかけ1回転。
 本を抜いてパラパラとページを捲る。

「よし、多分間違いないわね」

 そう呟くと今度は先ほどまでよりも速く飛び、パチュリーの元へ向かう。

「パーチェー、あったわよー!」
「…………」

 パチュリーが呆れるようにレミリアを見上げた瞬間、ドーンという音が室内に轟いた。
 パラパラと僅かに木屑が舞い落ちた後、視線を本に戻してからパチュリーが静かに口を開いた。

「……レミィ。本が傷むから足を本棚につけて止まるのはやめて欲しいのだけど」
「大丈夫よ。ちゃんと枠にしてるから」
「衝撃が伝わるでしょう、衝撃が」

 そう言いながらパチュリーは思う。
 ――昨日片付け手伝わせなくてよかったわ。

「それであってる? パチェ」

 そんなパチュリーの心を知ってか知らずか、レミリアは笑いながら本を渡し、パチュリーの言っていたものかどうかを確認する。

「えぇ。確か以前読んだ時に、時間操作や空間操作に関する記述があったから」
「……でも、なんで東洋の本なの? そっちの系統なら西洋の方がいいと思うんだけど」
「そうね。確かにそうだわ。けれどそもそもそんな類の能力に関する事を記述した本が少ないの」

 それに、と言いながら読んでいた本を閉じ、レミリアの方を見て続ける。

「あの娘が東洋の血を混ぜた人間のようだから。……こっちでは過去に魔女狩りも行われているしね」
「あぁ……」
「その時に種族としての魔女も幾らか殺されたし、魔女狩りと言うけど、人間の……」

 息苦しくなったのか一度言葉を切り、深呼吸してからまた続ける。

「人間の魔法使いは何らかの形で男女見境なく殺されていたわ。すべて『魔女』とされて。
 ……対立している者をそうではないのに魔女として告発していたって言うのは、人間らしくて笑える話ね」
「つまり……あれが西洋の人間の魔法使いの血を受け継いでいる可能性は無に等しいという事ね。それが混血ならなおの事、か」
「えぇ。まぁ、魔法でないというのはレミィの話を聞いて、あの娘がここに来る前から断定していたのだけど。
 意図的に使えなかった時点で魔法として習得したものではなく、何らかの形で備わっている能力と考えるのが妥当だし」
「そういえば最初話したときに本能的に、とか言ってたわね。……でも、人間に魔法以外でそんな事が、なんて。信じ難いわ」
「……私もよ。まだもしかしたらレミィがただ取り逃がしただけなんじゃないかとも思っているし」
「それはない。普通にやってて私が人間を取り逃がすなんて有り得ないもの。時間を止めたりでもされない限りね」
「そこまで言い切るあなたが信じ難いなんて言ってどうするのよ……」

 心底呆れながらそう言うと、パチュリーは本に目を落とした。
 一方レミリアははぁ、とひとつ溜め息を吐いて手近にあった椅子にどっかと腰掛ける。
 そして頬杖をつきながら考える。
 ……確かに、時間でも止められない限り自分が人間と言う獲物を取り逃がす事は有り得ないのだと。
 それでもやはり人間が魔法も使わず時間を止めたなどというのも信じ難いのだ。
 そして思考に詰まり、むーと唸りながら机に伏した直後、扉をノックする音が聞こえた。

「失礼します。お嬢様、紅茶をお持ちしました」
「うわぁ……」

 入って来た少女の言葉に、レミリアは情けない声を挙げる。
 同時に、自分の肩を抱いた。

「その反応は一体」
「いや……ちょっと寒気が」
「お嬢様からメイドにご指名なさいましたのに、酷いですわ」
「あああぁぁぁあああぁぁっ」

 ――私ってどういう風に思われてるのかしら?
 よほど気持ち悪かったのか、頭を抱えてしまったレミリアを見ながら少女は少しばかり悩む。
 が、次の瞬間にレミリアは真顔に戻り。

「まぁ、私から言ったんだから、いいけど」
「そんな事を言いながらぶつぶつと『耐えろレミリア耐えろレミリア』と自らに暗示をかけないで下さい」
「……仕えろと言っただけでここまで真剣にやってのけてくれるとは思わなかったな」
「どうせ仕えるなら完全で瀟洒に、と思っただけです。拒否権はなかったのですし」
「拒否権って……。そりゃ、こっちとしてもタダで置いとく気にはならないでしょうに」
「あら? 実験動物も飼っておく間は餌を与えないといけませんよ?」
「……お前は私に仕えたいのか仕えたくないのかどっちなんだ」

 そんなレミリアの言葉に少女はただ笑みを浮かべ、ティーセットを乗せたお盆をテーブルに置いた。
 ――ただ面白がっているだけ、という事か。
 気に入らない。
 だと言うのにレミリアはどうも突き放す気にもなれなかった。
 何故かはレミリア自身にも分かりはしなかったが。
 今までに見た人間とはまるで違うからだろうか。

 気に入らないのに……嫌いにも、どうでもいいという気分にすらなれなかった。


  *


 意識は闇の中にあった。
 何もないその闇の中、体が感じるのは気持ちよさだ。
 もう色々と限界で、目を開けばそこにあるであろう突き抜けるような蒼の空の事などどうでもよかった。
 ただ今は闇の中に居たい、と思う。
 そしてこのまま……。

「なに眠りこけてるのよこの乳妖怪」
「ぷげっ!?」

 そこで紅美鈴は目を覚ました。
 針と思しき物で割と深く刺し込まれている。額に。
 刺したのは例の……2週間ほど前にここに来た人間の少女。
 この程度で死にはしない。妖怪だから。
 だが、それでも寝ている時に不意にそんな事をされれば……。

「いっつわぁー!」

 半端なく痛い。

「折角気持ちよく寝てたのに何すんのよ!?」
「……門番があなただけだから眠るのは仕方のないことだけれど。今は眠っていてもいい時間ではないでしょう?
 職務怠慢でお嬢様に報告するわよ? あと紅茶あげない」
「すいませんでした」
「よろしい」

 少女は美鈴に紅茶を手渡す。
 立ち上がるその湯気を見て美鈴が呆けるような顔になったがそれはあまり気にしないことにした。

「……にしても、あんたが来てもう2週間になるのよねぇ」

 よく生きてるもんだわ、と続けた後で美鈴は紅茶を啜る。

「なかなかいい書籍が見つからないらしいわね。それじゃあ実験も何も出来ないでしょう」
「本当にそれだけの理由だと思ってるの?」
「どういう事? 私にはそれ以外の理由なんて考えられないのだけど」
「なぁんか、私にはあなたが来てからお嬢様が変わったように見えるのよねぇ」

 少女の行動はやたら変わっていると美鈴は思っていた。
 昼頃にはこうやって美鈴に飲み物を渡しにやってきたり、小悪魔の手伝いで書斎の本の整理をしておきながら。
 ……夕方前には眠り始めて、レミリアの起き出すより少し前に起きているのだ。

「……もしかしたら、好かれてたりするんじゃない?」
「私、そっち方面は興味ないわよ」
「そういう意味じゃなくて」
「どっちにしてもそんな事はないと思うわ。お嬢様は吸血鬼、私は人間」

 空を見上げて少女は溜め息。
 もういつ死んでもいいと思っているかのような。
 それは強気でも達観でもなく、今は諦めに近い。
 非日常という奴はどうにも人を変えてしまう。

「さて……そろそろ寝なきゃ、お嬢様を起こす時間に私が起きられなくなっちゃうわね」
「ありがとね、紅茶」

 そう言った美鈴に対し、これも私の仕事だし、と言うと少女は立ち上がる。
 そして土埃を払ってから、

「じゃ、もうサボらないようにね」

 笑顔で言った。

「サボらないわよ。……あ、そうだ。お嬢様に伝えておいて欲しい事があるんだけど」
「お慕いしておりました、私と同じ夜を過ごしてくださいね。わかったわ」
「言ってないし」
「で、何かしら?」
「真面目な話。……ここ10日。毎日、この近くで人間を見かけるのよ」

 ザッ、と。
 風が吹いて木々を揺らす。
 雲が太陽を覆い隠し、光が弱くなる。

「どういうこと?」

 そんな事があるものか、と少女は思う。
 どう考えてもこのあたりは人間の来るような場所ではない。
 少し行けば農家などがあるものの、その程度で森の中に位置するここには来ないと聞いていた。

「理由なんてわからないわよ。あと妙な事に……その人間からは殺気なんてものは微塵も感じないわ」
「……余計おかしな話ね」

 ここに人間が来るとすれば……少女のように吸血鬼に興味を持たれる稀有な人間か。
 はたまた迷い込んだ人間か。
 ……或いは吸血鬼、レミリアを狩ろうとするヴァンパイアハンターと言ったところだ。
 勿論第一の可能性はない。
 有り得るとしたら第二、第三。
 だが……。

「例えば、さ!」

 美鈴が腕を軽く一振りし、弾を一発森のほうへ向けて放つ。
 それが木に当たり、へこんだ。
 同時、脅えるような声と草を掻き分ける音がして、やがて遠ざかっていく。

「……殺気どころか、怖がってすらいたみたいだけど」

 ……そもそも少女はそこに人間が居るなどとすら考えもしなかったが。

「殺気がないとすれば迷い込んだ者と考えるのが妥当だわ。
 ……けど、10日も連続でなんて、普通に考えておかしいのよ」
「そうね。……わかった。報告しておくわ」
「大した事はないと思うんだけど。一応、お願い」
「えぇ。……そうだ。最後に、あなたに良い事を教えてあげるわ」
「……なに?」

 疑問を顔に浮かべた美鈴に対し、少女は意地悪な笑みを向ける。
 そして自らの額を指で差しながら、言った。

「針。刺さったまんまよ」


  *


「うあああぁぁぁああぁっ!!」
「荒れてるわね……」

 ワシャワシャと蒼の髪を掻き毟るレミリアを見ながらパチュリーは呆れていた。
 自分からあの少女の事……というよりはその能力に関して調べてくれと頼んできたのに、これじゃあ進まないと思わず溜め息が漏れる。
 普段周りの事など全く気にせずにパチュリーは本を読むが、さすがに連日夜になるたびこれは勘弁して欲しいと思う。

「……パチェはこんな私を心配してくれないのね」
「…………」

 ――いやなんでそんなまた。
 しかも上目遣いである。
 別にそれで黄色い声を出しながらレミリアに抱きつくような性癖はパチュリーにはありはしないが、これまで連日だとホントやってられなくなる。

「どうせまた、あの人間の事でしょう? どうでもいいじゃないの」

 ぶっちゃけて言えば、その内殺すような存在なのだ。
 それに対していちいち頭を抱えてどうするのかと。

「だって! 連れてきてから2週間、飽きもせずにあの人間私を起こしに来るのよ。
 それだけじゃなくて紅茶は淹れるし、食事は作るし、部屋は掃除するし!」
「だからそれがどうでもいいって……」

 レミリアはぶんぶんと腕を振る。
 それを見ながらどうもあの人間を気にしすぎだ、とパチュリーは思う。
 魔女狩りの時に狩られた事からもわかるが、魔女というものは他の妖怪よりも人間と接する事が多い。
 そのため、パチュリーはあの少女が変わった人間だという事は理解できる。
 吸血鬼に連れてこられて、挙句メイドとして仕えて律儀にその吸血鬼の活動する時間に起きている。
 これが変わっていないわけがない。
 だが、それでもパチュリーにとっては。

「所詮人間じゃないの……」

 確かに書斎の本の整理を手伝ってくれてはいる。
 でもそれだけの事だ。
 多少情はかけようとも、少なくともパチュリーにとってはそこまで取り乱すほどの事ではない。

「そうなんだけど……なんか気になるというか……あぁ、もうどう言えばいいかよくわからない」
「レミィはあまり人間に接した事がないからじゃないの?」

 もっと違う感情としてレミリアがあの人間の少女に気をかけているようにも思えなくもなかったが。
 しかしレミリアと出会う前まで僅かとは言え人間と接して暮らしてきたパチュリーと違い、レミリアが人間と接する事が皆無に等しかったのもまた事実だ。
 血を吸い、肉を喰らい、自身を狙う者を排除こそすれど、それは『接する』とはどうにも言い難い事なのだから。
 そう考えれば『気になる』というのもそう不思議ではない。

「ま、いいや。ぱぱっとあいつの能力を詳しく調べて、何も出来ないようなら殺そう」
「まぁ、今それが出来なくて苦労してるのだけどね」

 ここ2週間で調べた文献に大きな鍵となる物はなかった。
 東洋に限らず西洋の物にも手を出してみたが、そちらの方が明らかに弱くもあった。
 八方塞に近い状態になっていると言っていいのだ。
 ――もしこのまま碌な資料が見つからず、少女の能力に関して何も変化がなければ。
 パチュリーはそんな風に思い、考える。
 レミリアは少女を殺すだろうか、と。
 答えは今はどちらともし難い。
 ただひとつ確かな事は。

「……時間がかかればかかるほど、側に置こうとするでしょうね」

 いつの間にだか離れ、小悪魔を弄って遊んでいるレミリアを見ながらそう呟いた。
 あの少女、従者としては立派なものだろう。
 その内心がどうであれ少なくとも表向きはかなり便利だ。
 別になくて困るようなものでもない。
 だが、便利だという理由で殺さずに置く事は十分に考えられる。
 そう結論して、パチュリーは再び本に目線を戻し、読み始めた。







 その次の瞬間である。



 バタンと豪快に書斎の扉が開けられた。
 もうふざけんな、とパチュリーはそう思う。
 レミリアにせよ少女にせよ何でそんなにも私の書斎を荒らすのかと。
 思いっきりそう怒鳴りたい気分になった。
 喘息がヤバイ事になるから怒鳴らないが。

「お嬢様、お食事をお持ちしました」
「……あのね、人間」
「何かしら、パチュリー」
「あまり荒々しい開け方をしないで欲しいのだけど」
「あ、ごめんなさい。つい」

 ついってなんだ、ついって。
 その程度の事で書斎の一部を傷つけられる方の身にもなってみろ。
 パチュリーはそんな事を思うが、言っても無駄なのはここ数日でよくわかった。
 さっさとやる事やってここから追い出すなり処分……つまりは殺すなりする方が言い聞かせるより手っ取り早いとすら感じる。

「お前も懲りずによくやるわね……」
「もう日課になってますから」

 呆れを孕んだレミリアの言葉に少女は本当に当たり前のように返した。
 ……その食事というのもただの食事ではない。
 基本的に捕らえておいた、もしくは殺して保存しておいた人間の肉や血というものを使っている。
 レミリアは最初、割と本気で人間が人間を食材として使う事が出来るのかと心配したが。
 ……少女は平然とやってのけた。
 主の言いつけならそれが当然と言わんばかりに。

「で、お前は食べないの? 美味しいけど」
「私もさすがに同じ人間の肉を食べようとは思いませんわ」

 ……当然、食べまではしなかったが。

「そうそう、そう言えば。美鈴からの伝言があるんです」
「伝言……? 珍しいわね、どんなの?」
「お慕いしておりました。私と同じ夜」
「ぶっ飛ばすわよ?」
「ここ最近……10日ほどですが、毎日館の近くに人間が現れるそうです」
「10日連続で?」

 訝しげな表情を作ったレミリアを気にせず、少女は続ける。
 ここの住人たちには冗談も通じないのか、などと思いながら。
 そもそもここに住んでいる連中は人じゃあないのだが。

「それも、全く殺気を持たない人間が、です」
「…………」

 レミリアはフォークを持ちながら、少し思案するようにする。

「今日は私も一瞬見ましたが、脅えているようにも見えました」
「なら、気にする必要もなさそうね」

 そう言うと、レミリアは食事を始める。
 本当にどうでもいいから気にしない、とでも言わんばかりの顔をしながら。

「ところで……妹様の分は」

 そんな顔で食事を進めるレミリアを見ながらふと気になり、少女はそれを言葉にした。

「それは私が後で持って行くから、置いておいて」

 ……作るのは毎回2人分。 
 あの結界と鉄の扉の先にある地下室に持っていくのは毎度レミリアだったが。
 最初は少女もそれをやると言っていたものの、それだけはレミリアが譲らなかった。
 面白い玩具に消えてもらっては困る、とそんな事を言って。
 ……それどころか少女は仮にも『仕える』立場にあるのにその妹の名前すら教えては貰っていない。
 ――そのうち殺す相手にそんなものまで教える必要はないと言う事でしょうね。

「あ、そういえばお嬢様。アレ、直りましたよ」

 いつかは殺される、そんな考えを少女は抑え、食事をしているレミリアに笑顔を向けた。

「……アレ? 直った? 何の話よ」
「お忘れになったんですか? 酷いですわ。ちょっとお待ちになってください」

 そう言い、少女は書斎を出て行く。
 そして数分後に、綺麗に畳んだ白い服を持ってきた。

「……私がここに来た日に、ズタズタになってしまった衣服です」
「本当に……直してたの?」
「えぇ。元より直すつもりでしたし、仕える身となったのなら余計直さなくてはいけませんし」
「呆れた」
「ふふ。お褒めの言葉として、受け取っておきます」
「勝手にしなさい」

 そう言うとレミリアは僅かに残った食事に手を伸ばす。
 そしてそれを食べ終わると、

「……人間」
「はい、なんでしょう?」
「…………ありがとう」

 服の、礼を言った。

「はいっ」

 少女は、笑顔で返事をした。

「……何かちょっと良い感じの雰囲気に水を差してしまうけれど、いいかしら?」
「何かあったの? パチェ」
「えぇ。レミィ、ちょっとあっちでお話しましょう」

 そう言い、随分と離れたところにあるソファを指差す。

「そこの人間の能力に関する、お話よ」


  *


 部屋のドアを静かに閉じ、レミリアは息を吐く。

「……人間」

 そこには、パチュリーとの話が長くなりそうだったので戻るように言っておいたはずの少女が居た。

「お嬢様。ちょっと待ってくださいね。もう少しでベッドメーキングが終わり」
「誰もそんな事を聞こうとしたわけじゃない」

 少女に最後まで言わせず、レミリアは半ば怒りを含んだ声で言う。

「……何かあったんですか?」
「もういいよ」
「はい?」
「もう仕えなくてもいい。場合によっては、お前は数日後には死ぬ事になりそうだから。
 残りの数日ぐらい、好きに生きなさい。この館の中で、だけどね」

 らしくない事をしている、というのはレミリア自身わかっていた。
 だが……本当は数日前から視えるのだ。
 運命、という奴が。細かいところまで見えるわけではない。
 ただ少女が死ぬという、単純な構図だけが見えるのだ。
 運命を操る事は出来る、だが、無理にその形を変える必要もそうはない。
 人間如きに僅かでも気を許すなんて、とは思う。
 けれど、それならこれぐらいは許されるだろう、とも。
 それでも最後の一線、いつかは『殺す』という事だけは譲る気はなかったのだし。

「……何か、手段が見つかったんですか?」
「えぇ。成功すれば……お前の能力の資質が高ければ、能力は発現するそうよ」
「なら、仕えなくてもいいとか、死ぬという事にはならないと思いますが」
「お前の能力の資質が低ければ、確実に死ぬんだって」
「…………」
「連れてきて2週間、私たち人ならざる妖だけの棲む場所に居て。
 能力に関してなんの動きも見せないお前の能力の資質が高いとは、かなり考えにくいけど?」
「……それもそうですね」
「そういう事よ。だから」
「はい、好きに生きさせてもらいます」

 そう言うと少女はレミリアの横を通り、出入り口へと向かう。
 そして振り返り、微笑みながら言った。

「今日の就寝前の紅茶、どのようなものになさいます?」
「それが……」
「はい。私の選んだ、残り数日の好きな生き方です」

 ――本当に、人間は愚かね。
 最初少女を見た時……ジャック・ザ・リッパーだと暗示をかけるように呟いていた時に思ったこと。
 力の差を認識しても、なお抵抗しようとした少女に対して思ったこと。
 それらと違っても、本当に人間は愚かだと思う。

「……本当に、愚かで……変わった人間だわ。普通じゃない」
「そりゃそうですよ」

 少女は溜め息を吐いて、続ける。

「あいつは異端の力を持った奴だと畏怖され、迫害され。
 挙句その能力、『時間を止める能力』に興味を持った吸血鬼にこんなところに連れてこられて。
 仕えろと言われ、それまで反抗するようにすらしていたのに何故か従うような人間なんですから」
「私に仕え続ける理由はないでしょう?」
「……何故かはわかりませんけど、仕えろと言われた時。これが私の在り方じゃないのかと感じたんです。
 半分近く遊ぶような気持ちでしたけど、今は吸血鬼に仕えるのが一番あってるんじゃないかと思っています」

 それを聞いてくす……、と。
 レミリアが口元を歪める。
 見た目からは考えられない、恐ろしい笑みだ。

「吸血鬼に仕える従者……それも人間。なら何をすればいいか、わかるわね?」
「言う必要はありません」
「……」
「ここに来た日、私は言いました。『吸血鬼のために栄養バランスを考えるつもりなんて、毛頭ない』と」

 少女がそう言った瞬間。
 床を蹴る音がしてレミリアが少女の顎に手をかける。

「それはつまり?」
「わかっているのでしょう?」
「過去にそう言って、今は言う必要がない。そしてあなたは今、私に仕える身」
「はい、正解です」
「メイドでなければ選ぶ事が出来る。メイドにはどちらも選ぶ必要はない。選ばせない。ただ主の……私の思うがままに」

 レミリアは少女の腕を引き、ベッドに押し倒す。
 少女の目には少しだけの、怯えるような感情が浮かんでいた。
 少女から見えるのは、暗すぎる部屋ではっきりと輝いて見える紅い瞳と、幼い顔。
 けれど鋭い牙を持った悪魔。吸血鬼。
 少女の着ているメイド服の胸元を裂き、そこに手を添えながら首筋に舌を這わす。

「んっ……」
「いい声だ」

 舌を這わす事を止め、今度は牙を首筋に突き立てた。
 恐怖に歪んだ表情を浮かべる人間の血が、レミリアにとっては一番美味い。
 本来なら少しの恐怖を抱きつつも、拒否なく受け入れる少女の血は求めるものではない。
 だが。
 理由はなかった。レミリア自身、何故かもわからない。
 ただ美味いと、そう感じた。 

 血を吸い、溢しながら、レミリアは思う。
 ――残りの数日で、厭きるほどお前の血を吸ってあげる。

少しここは甘いかなーとは思いつつも、やるだけやれたかな、とも。
翔菜
[email protected]
http://www.little-wing.org/
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