Coolier - 新生・東方創想話

紅い日々 -1-

2006/01/18 07:30:38
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・オリキャラが少々。






 三日月と無数の星が輝く夜の空の下を、銀髪の少女が駆けていた。
 その顔は恐怖に歪み、綺麗な肌からは止め処なく汗が噴き出している。

 ――殺される殺されるコロサレル。

 少女の思考は今、ただそれだけ埋め尽くされていた。
 ……死ぬ事など、怖くはないと思っていた。
 ……それこそ人を殺す事と同じくらいには、怖くないと思っていた。
 なのに少女は、殺される事が怖くて逃げている。
 走りながら、恐怖に歪んだ顔を失笑へと変えていく。
 走り、失笑する自らの姿はもし他人が見ればどんなに滑稽に映るのだろうかと思う。

 だが、突然に頭の中の何かが叫ぶ。
 逃げる必要などあるものか、と。
 貴様はダレだ。貴様の存在価値は何だ、と
 知っている。知らぬはずがない。
 少女が知っている今の自分自身は、そしてその価値の在り方は、こんな事で恐れるような者ではない。
 倫敦を恐怖に陥れる人間がこんな事で逃げ惑ってどうすると思う。
 そして少女は立ち止まる。
 その手にナイフを握り締め、恐怖と確かに向き合う。

「私は……」

 躊躇い、また、何かが叫ぶ。
 言え、貴様の名は例え他人の物を借りた物であろうが、それは貴様の在り方としては正しいのだから、と。
 そしてその叫びに彼女は従う。

「私は……ジャック・ザ・リッパーだ」


  *


 風になびく綺麗で細やかな蒼の髪と、見るものを凍りつかせるような恐ろしさを秘める紅い目を持った幼い少女は立ち止まった人間を無表情で眺めつつも、内心呆れていた。
 ――人間は、本当に愚かで弱い生き物だわ。
 銀髪の少女とはそれなりの距離があるが、……宙に浮く少女、吸血鬼たるレミリア・スカーレットの聴覚は確かにその言葉をとらえていた。
 ……ジャック・ザ・リッパー。
 レミリアが数十年前に、この倫敦で直接見たことのあるそれはもはや人間ではなかった。
 復讐心から狂気に溺れ、狂気を愛し、人間でありながら人間をやめたような者だ。
 それはレミリアや他の強大な力を持った吸血鬼や魔女、魔法使い相手には足元にすら遠く及ばなくとも、生半可なそれでは傷ひとつつける事すら出来ぬほどの人間。
 そして目の前の少女は、自らをジャック・ザ・リッパーだと、云った。
 否、そうではなく、自らに暗示をかけるように、まるで定義するように呟いたとでも言うべきか。
 思考し、どちらにせよ愚かだと、レミリアはそう思う。
 少女は確かにレミリアが狙った人間を、殺した。
 今にも泣き出しそうな笑みをその顔に浮かべながら、だ。
 本物のジャック・ザ・リッパーなら泣きそうになどならないだろう。
 心の底から楽しそうに笑いながら、人間が化け物と呼ぶ吸血鬼らが人間を殺す時よりも慈悲なく殺してみせるだろう。

「ま、何にせよ」

 躊躇う事はない。慈悲も同情も必要ない。
 少女は食事を邪魔したのだ。
 レミリアは対象を吸血鬼化させるほどの血を吸う事はない。
 人間ではなくなる、そんな絶望を与える事は出来ないのだ。
 ……が、人間とは『桁外れ』という言葉では表現しきれないほどの身体能力を持っている。
 魔力や霊力を使用して何かする事もない。
 普通は殺しはしないが、人間などその気になれば簡単に殺せる。
 血を吸って、邪魔した罰に殺して、それで終わり。
 こんな夜に出歩いて人を殺していたような少女だ。
 ひとつ死体を処理する必要が出るだけで悲しむ者などいるまい。
 尤も……。

「死体を処理するのは人間だし、悲しむ者が居ようが、私には関係がないのだけれど」

 口元にひとつ、見た目からは想像すら出来ぬ笑みを浮かべ、レミリアは空から地へと向かう。
 ――さぁ、あなたの血は、美味しいかしら?
 血が美味しければ肉も美味いだろう。
 もし血が美味しければ持ち帰ろう、そんな事を考えながら。
 少しばかり身体能力の優れた人間なら誰でも避けられるような速さで、爪の一撃を眼下の少女へと走らせた。


  *


 目の前の空気が穿たれる。
 蝙蝠の羽を持つ、人間の姿をした化け物、吸血鬼。
 少女はそれの放つ一撃をとてつもなく速いと認識しながらも、しかし躱した。
 腰ほどまでの長さの銀髪が数本、数センチ切断され宙に舞う。
 すれ違いざまに見た、自分よりもかなり背丈の低い少女の……吸血鬼の紅い目を脳裏に浮かべながら考える。
 否、ただ考えるというよりはまるで他の誰かが脳に文字を書き込むような、そんな感覚で思考する。
 それに従い、振り抜いたナイフは空を切った、が。
 ――いける。
 勝てる、否、殺せる。
 そして自らを守れる。そう思った。

 次に吸血鬼が放った蹴りを、少女は骨を軋ませながらも腕で止める。
 伝わる衝撃と痛みは意識の外に放り出し、無理矢理に身体を動かし、反撃を行う。

「死ねっ!」

 振り抜いたナイフはまたも空を切り、しかし先ほどよりも吸血鬼に近い位置を通った。
 続けざまに少女は振り被り、ナイフを投擲する。
 そしてすぐさま取り出したナイフでの攻撃を、今までよりも大きな動きで吸血鬼は躱す。
 外れた事を認識した瞬間、少女はバックステップで距離を取りながらまたナイフを投擲。

「へぇ、やるじゃない」

 吸血鬼が見下すように言葉を発する。
 ――私を……殺人鬼を見下すな、吸血鬼風情が。
 次のナイフを取り出す。……ナイフはこれで残り2本。
 無闇に投擲など出来ない。

「……」

 少女は顔を、恐怖ではなく強引に作った、偽りともとれる笑みで歪ませる。
 そして吸血鬼に向かって、ナイフを構え突っ込んでいく。
 単純に突っ込むだけの攻撃など子供でも避けられる、そんな事はわかっていた。
 それでいいのだ。
 右手にナイフを持ったまま突っ込み、躱されたところをジャンパーの左ポケットにある拳銃で撃つ。
 それが少女の狙い。
 吸血鬼が、ほとんど予想通りの動きで攻撃をかわした。
 瞬間……踏ん張り、反転すると同時に拳銃を取り出し、撃った。
 狙いは心臓。ブレで多少ズレても、外れる事はない。
 銃声が轟く。好かぬ銃声が。
 人を殺した、その手応えを感じさせぬから好かぬ銃声が。

 その銃声の後、そこにあるのは先ほどまでの物を遥かに凌駕する恐怖だった。
 歯が震える。
 目を開き、ただ目の前の吸血鬼を見る。

「……ふぅん、見た目は変わらないのに。20年前のものより、随分と良くなっているのね」

 そう言いながら、白く細い右の人差し指と親指に挟んだ弾丸を投げ捨てる。
 それが地面に落ち、響く小さな音は、少女にとってはまさに死の宣告。

「だってほら、指が赤くなったもの」

 吸血鬼が人差し指と親指の平を見せ付ける。
 白い肌にくっきりと浮かぶ赤い色。紅と呼ぶには至らない、ただの赤。
 ただそれだけで、目の前の吸血鬼には傷ひとつついてはいない。
 馬鹿らしい、自らの力を過信していたのだと、ここに至って少女はようやく気付いた。
 吸血鬼は本気を出してなどいない。ただ、遊んでみただけだ。
 それはそう、恐らくきっと。
 ……余裕の表情が、恐怖に歪み、白目を剥きながら息絶える姿を見たいがために。
 所詮少女は殺人鬼。つまるところ人以外のものは、殺せない。
 見下された時、そう自覚した時点で逃げに転じるべきだったのだ。
 くっ、と息を漏らし、駆ける。
 逃げなければならない。コロサレルから。
 そうだ、勝てるわけがない。
 拳銃の弾丸を指で止めるようなバケモノ相手に、殺人鬼の少女が何か出来るわけなどない。

「あはは、また追いかけっこね?」

 足で地を駆る少女を、再び飛びながら追いかける。
 先ほどと同じく、一定の距離を保ちながら。
 が、吸血鬼の方が1分と経たずそれにももう飽きた。
 だから。

「そろそろ、血を頂くわね」

 ――その後で、嬲り殺してあげる。
 少女は一瞬だけ後ろを見る。
 吸血鬼の牙が、月の光を反射している、そんな気がした。
 実際には影になって、まともに見えてすらいないのに、だ。

「いやぁああぁあぁぁああああぁあああ!!!!」

 初めて、叫んだ。
 どれだけ追い回されたかも分からない。
 けれど決して短くなかったその時間、何度も恐怖しながらも……一度は対峙し、しかし力の差を見せ付けながらも。
 決して出なかった。誰かに助けを請うための行為を、ここに来て行ったのだ。
 その瞬間だった。


 ……時が、確かに……止まった。


 少女は気付かず逃げ続ける。
 吸血鬼は、レミリアは。
 気付けば目の前に少女が居なかった事に。
 ただ、呆然としていた。


  *


 幻想的な明かりを灯した空間がある。
 まるで何かの儀式を行うために作られたような模様をした壁、天井。
 それだけではなく、テーブルや椅子までもがその雰囲気を醸し出している。
 立方体の部屋を構成するそれらのもの全てをその幻想的な明かりが照らし続けていた。
 ……そうとは思えぬ見た目だが、ここは会議室だ。
 倫敦の郊外にある教会の地下に作られたその部屋には、30ほどの人間が集っていた。

 そして部屋の在り方だけではない。
 そこに響くのは怒声、誰にも届かぬひ弱な声で主張する声、罵倒する声。
 おおよそ話の内容も会議などとは思えぬ内容であった。

「20年ぶりにスカーレットデビルが現れたのだろう!? この機会を逃してどうする!
 奴ほどの吸血鬼、この機会に狩らねば必ずや我らに今まで以上の害を成すぞ!」
「慎重になれと言っている! ただ早急に狩ろうとしても、逆に寛大な被害が出るだけだ!」

 問題になっているのは、……最近、巷を騒がしている吸血鬼だ。
 それがスカーレットデビル……レミリア・スカーレットと確認され、今ここに居る者たちに召集がかかったのだ。

「今も人間が追い回されているというではないか! 今、出て行って隙を突いて狩ればいい!!」
「そうだ! いくら奴とて遠距離から不意に放たれる強力な攻撃、察知しても躱す事は出来まい!!
 第一! 慎重になどと悠長な事を言っているから、以前のように取り逃がすのだろう! 腰抜けどもが!」

 その言葉にも次々に反論が出る。
 反論に次ぐ反論。終わる気配は、ない。

「静まれ!! 今ここで話す事は今後どうするかだと言ったろう!? すぐに出るか否かではない!!」

 ……が、1人の初老の男が声を発し、一先ずその場を沈めた。

「……出たいというなら勝手にスカーレットデビルを狩りに行き、死んで来い」

 まだ僅かに残っていたざわめきもその言葉によって完全に治まる。

「それに、今追い回されているというのも……銀髪の異端の力を持った、それも東洋の島国の血の混ざった女だろう?
 ……殺す必要はないにせよ、死んでくれて損のない人間だ。放っておけ。奴が殺してくれるのなら、それもまた一興だ」

 ……ここでまた起こる僅かなざわめきは、その全てが肯定の意見だ。
 黙り込むものこそ居れど、否定するものは1人とて居なかった。

「……満月の夜を狙う。奴の力もだが、私の力もそこで極限たるものとなるのだからな」
「しかしっ……!」
「……私以外に、奴に深手を負わせられる者がいるのか? 援護もいらん。邪魔なだけだからな」
「…………」
「20年前のように、右腕を消し飛ばすだけでは済まさぬさ」

 目を閉じ、決意する。
 ――今度は、命までも消し飛ばしてやる。


  *


「……時間を止めた? 人間が?」
「えぇ。突然目の前から居なくなったのでしょう? ならそう考えるのが普通だわ。
 人間が吸血鬼から逃げ切るような身体能力を持っているなんて、そっちの方が考えにくいし」

 埃臭い書斎で生まれたレミリアの半ば驚きを孕んだ声に、その書斎の主たるパチュリー・ノーレッジは平然と返した。
 レミリアは魔法か何かだろうか、と思う。
 そんなレミリアを他所にパチュリーは手に取った本のページを捲り、視線をそちらに向けぬまま続ける。

「人間は……まぁ、所詮その多くが『人間』という枠を少し出る程度でしかないのだけど、潜在的な能力が高くてもそれを自由に使うことの出来ないケースが多い。
 だからあなたと対峙した時には時間は止まらなかった。恐らく逃げていた時に生命の危機を感じて、本能的にその能力を発動したんじゃないかしら?」
「ふぅん……20年前に、手加減してあげたら見事に私の右腕を吹っ飛ばしてくれた人間がいたけど、そいつより出来るのかしら」
「意識的に何か使える、という事を考えると恐らくその時の人間の方が優れているでしょうね」
「なら、やっぱり人間は大した事ないわね」

 黒いカーテンの掛かった、この部屋にある唯一の窓の方を見ながらレミリアが言う。
 時刻は夕刻。
 まだ西日が強く差す頃合だ。
 この書斎、魔法による空間操作を内部から施していて、実際よりも2~3倍ほど広いのだが、如何せん方角を変えたり窓を無くしたりする事は出来ず、レミリアにとってこの時間帯は非常に過ごしにくい部屋となっている。
 パチュリーが本が傷むからと言って常にカーテンをしてはいるが過ごしにくいものは過ごしにくいらしい。
 そもそもこの時間帯にレミリアが起きていること自体が珍しいのだが。
 これと言った照明機器もないので、パチュリーは魔法でランプを手元に引き寄せ、その光で本を照らしている。
 魔法での光で照らしてもいいのだろうが、それではパチュリーが本に集中した際強くしすぎて本を傷める危険性もあるため、やらない。

「……さてと、そろそろ陽も沈むわね」
「そうね」

 黒いカーテンとは言っても完全に光を遮断できているわけではなく、外が明るいか暗いか程度は十分にわかる。
 この部屋から見るところ外に明るさはなく、半分以上は沈んでいるだろうとレミリアは判断する。

「今から準備すれば、丁度いいか」
「どこか出かけるの?」
「えぇ。ちょっと昨日の人間を探してくる」
「……物好きね」

 パチュリーのそんな言葉など気にも留めず、レミリアは書斎から飛び出していった。


  *


 陽が完全に沈んでから一刻ほどした頃、強い風が吹き始め少女は反射的にジャンパーの襟に鼻までを埋めた。
 冬の始めから住むところを無くし、もう冷え切った空気には慣れたというのに風が運ぶ冷たさは慣れないどころか嫌いでさえある。
 寒さを肌で感じているのにそこにわざわざ突き刺すように違う冷たさを与えるから、というのが理由だ。

「…………」

 今度は空を見上げ、何か言葉を発しようとして、けれど少女はそれを飲み込む。
 闇に浮かぶ月に対する綺麗という感想などまるで人のようではないか、と思ったからだ。
 その後で何度も脳内で反芻する。
 ――私はジャック・ザ・リッパーなんだから。
 と。
 つまるところ殺人鬼、昨日わかったこと、吸血鬼など殺せるはずもない。
 けれど少女は人を殺せる。それこそまるで鬼のように。
 例えば本物の鬼には人間に見えても、今の自分は人間から見れば鬼なんだ、と少女自身よくわからない答えを導き出す。
 そしてそのよく分からない答えに、それでもいいと無理矢理に納得する。
 ……今の少女にとって、自分自身が何かなど本当はどうでもよかったのだ。
 ただ、自らが人を殺す理由を、自らに対してのみ悪い事ではないと思わせればいい。
 精神が病まぬなら後付の理由であっても、また良し。
 今の少女には、名など必要なかった。
 だけども、ただの『殺人鬼』は詰まらない。
 だから少女は自身の中に悪魔を棲まわす。
 そして自らの殺人を肯定する意味も込めるため、その悪魔に名を与えてもらう。
 今宵もまた、悪魔が叫ぶ。
 言え。貴様の名を、と。
 ――そう、私は鬼だ。
 その人を殺す鬼は名を持つ。
 例え借り物であっても、それは自身の在り方としては正しいものだと、少女は信じ。

「ジャック・ザ・リッパーという名の、鬼だ」

 ――吸血鬼に遭う確率などそう高くもない。
 そんな楽観的な思考と同時に醜い笑みを浮かべ、華奢な体つきの少女の様相をした人を殺す鬼が、倫敦を恐怖に陥れるべく、駆けた。


  *


「……綺麗な、月ね」

 満月には程遠い強い月の光を浴びながら、レミリア・スカーレットは倫敦の上空を飛んでいた。
 レミリアの生きてきた数百年の間に人の持つ技術は発展し、人々は夜でも強い光を、火を使わずに得ている。
 その光は日を経るごとに増え、空さえも照らし、月の光を弱くしていった。
 けれど……今夜の月は満月でもないと言うのに、やたらと明るい。
 だがこれでも恐らく、数百年前のものには劣る光なのだろう、とレミリアは思う。

「けれど、綺麗な事には変わりないか」

 それは、いい事だ。
 月が綺麗に見えるのは月の輝きが強いという事なのだから。
 月が強く輝く事は吸血鬼、否、世の人ならざる者たちにとってみればありがたいことだ。
 その中でも吸血鬼とは特に、月の力に左右されやすいものでもある。

「さて」

 昨晩、少女を見つけた場所で止まり、気配を探す。
 強く吹き付ける風の中で目を閉じ、それが揺らす木々のざわめきを感じ取る。
 流れる気配の中に、微量な霊力や魔力といったものが混じっている。
 どれもこれも違う質で、弱々しすぎる……つまりは人間のもの。

「……これ、かな?」

 その中で、他に比べて強いものがあった。
 まるで空間に流れる全てに逆らうような、そんな霊力が。
 無論正確な場所までは掴めない、が。

「近いのは、確かね」

 後は己の勘に頼る事にし、レミリアは飛ぶ。
 まずは今よりも高い位置へ。
 一通り地上を見下ろすと、今度は北へと飛んだ。

 全速で飛ぶこと3分。
 道を歩く他の人間に穢れたものを見るような、或いは畏怖するような目をされている銀髪の少女が居た。
 その少女は腰までの銀髪を風になびかせ、まるで睨むように人々を見据えている。
 ――獲物の吟味か。
 そう感じ、その後で笑う。
 少女が、内心で脅えているように見えたから。
 そう……恐らくは人を殺すことに対する脅え。
 昨晩、泣きそうな顔をしながら口だけには笑みを浮かべ、人を殺していた少女。
 表だけは狂気で纏っていても中身はやはり正常なようにレミリアには見えたのだ。

 ザッ、と。
 1歩大きく地面を踏みしめ、少女が駆けた。
 薄暗い路地に入った女を追っているように見える。

「獲物を決めた、って事かしらね。……人間を助ける事になるのは癪だけど、しょうがないか」

 無駄な時間をかけるよりはマシだ。
 人気がなくなったところで少女の前に姿を現そうと決め、レミリアは後を追った。


  *


 昨晩、吸血鬼に追われていた時と同じく呼吸を荒くしながら少女は思う。
 ――そう、これだこれだこれだ!
 快感。
 同じ疲労でも違う。
 自分に恐怖を覚える獲物を追い回すのと、自分が恐怖を覚え逃げ回るのとでは、全然違う。
 僅かに見える人間は、必死に走り何かから逃げる女を気にはしない。
 厄介ごとに進んで関わりたい人間など居はしないのだ。
 中身に潜んだ理性が叫ぶ。
 殺すな。追うな。人に見られている。殺せば疑われる……と。
 だが表に纏った狂気がそれを抑え込み、支配すらし、叫ぶ。
 見つからなければいい。証拠を残すな。殺せ……と。

「あははっ……!」

 楽しそうで、悲しそうな笑み。
 まだ僅かに残る罪の意識は少女の瞳を潤す。
 だがそれによって霞んだ視界は獲物だけを確かに映し出し、狂気による支配を促す物となる。
 僅かばかりに人の居た薄暗い路地から、まるで人気のない袋小路へと少女は女を追い詰めた。

「はい、そこまでー♪」

 刹那、楽しそうな。
 幼なすぎる、けれどそれに似つかわしくない雰囲気をした少女の声が聞こえた。

 たっ、と。
 羽を振りながら……吸血鬼が、レミリアが少女と逃げていた女の間に降り立つ。

「こんばんは、殺人鬼さん」
「お前……また、なんでっ!?」
「昨日取り逃がしたから、という事に今はして置きましょうか」

 くす……、とレミリアが少女に向けた笑みはまるで探していた面白い玩具を見つけた無邪気な子供のよう。
 一方少女の表情は固まり、体は萎縮する。

「そこの人間」
「ひっ」
「さっさとどっか行きなさい。私とこいつの話が終わってもそこに居たら、遠慮なく殺させてもらうわ」
「え……ぁ、ぁ、ぇ、……あ」

 ――まったく。
 恐怖で声も出ないのか、と思う。
 手にナイフを握った少女よりは見た目、軽く10年は歳を重ねている。
 だと言うのに、女はこの程度の事で――レミリアにとってはだが――それほどまでに脅えている。

「……もう少しわかりやすく言うわ。死にたくなかったら、出来るだけ早く私の前から消え失せなさい。
 正直なところ言うと、今すぐに殺したいくらい邪魔なのよ、あなた」
「ひあっ……!?」

 恐怖で、今まで以上に顔を歪ませ……否、それだけではない。
 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら駆け出し、レミリアと少女の横を通り女は袋小路から抜け出す。
 ――……醜い。
 恐怖に歪んだだけの顔はその後を考えると美しくすらあるというのに、涙や鼻水を垂れ流すだけでそれはどこまでも醜くなる。
 そんな事を思いながら目の前の少女と目を合わせる。
 その顔は昨晩と同じように恐怖に歪んでいる、が。
 抵抗しようという意志が確かに感じられた。
 本当に愚かだ、とレミリアは思う。けれどそれが面白い、とも。
 昨晩は逃げ回り、抵抗して力の差を見せ付けられた相手に対し今度は最初から抵抗しようとしている。
 もしかすると少女はレミリアの想像を絶する愚か者で、昨晩の数時間では力の差を認識出来なかったのか。
 だとするとレミリアにとってこれほど面白い事もあるまい。

「……何の用なの?」
「そうねぇ。ちょっとあなたに興味が湧いたのよ。私から何らかの方法で逃げ切った、あなたにね」
「何を……あなたがわざと逃がしたんでしょう? でないと、人間が吸血鬼から逃げ切れるわけなんてない」
「あら、普通は逃げ切れないという事はわかっていたのね?」
「…………」

 ――いつまで経っても力の差を認識出来ないほど愚かでもないという事か。
 そう思い、レミリアは苦笑。
 ならばなおの事、抵抗などしてどうするのか、と。
 逃げても抵抗しても敵わないのなら、まだ逃げた方がマシというものだろう。
 抵抗するよりはまだ逃げる方がいくらか助かる可能性もあるに決まっている。
 それとも、力の差を認識しても結局のところ人間は愚かなのか。
 ――違うか。
 そんな思考をレミリアは即座に否定する。
 逃げた方がマシ、ではない。逃げてもらった方が楽しい、なのだ。
 半ば相手の立場に立つようにして考えた事自体が間違い。
 ただ己の立場に立つのであれば、より楽しもうと思考するべきだろう。
 相手が……人間が愚かだとか、そんな事は関係ない。
 圧倒的な力で逃げる相手を屠る快感。
 抵抗してくる者は同じように屠る事が出来ても、快感が劣る。
 欲しいのは自らが明らかに優れていると確かに認識出来る状況から来る快感だ。
 だから少しでも多いそれを得るために、逃げて欲しいと思うのだ。

「まぁ、……」

 今はそんな事はどうでもいい、と判断する。
 ただ、時間を止めたかもしれない少女に少しばかり興味が湧いただけ。
 より多い快感を得ようとする自分の思考も、ましてや少女の言葉などそれ以上にどうでもいい事だ。

「今はそんな事はどうでもいいわ」

 その判断を少女に伝えるように口にし、続ける。

「今、ここで私に殺されるか……ついてくるか、選びなさい」
「巫山戯るな! 誰が……吸血鬼の言う事なんか、ぁがっ!?」

 そこまで言ったところで、首を掴まれた。
 見えなかった。初動も、残像すらも。
 自らが首を掴まれるまで、レミリアは……吸血鬼は視界から確かに失せた。
 それほどのスピード。
 それほどの力の差。
 それほどの……種族としての、能力の違い。

 レミリアは首を掴んだまま足を地に付ける。
 息を止めぬ程度、しかし逃げられぬ程度に掴んでいれば、昨晩のように時を止められても逃げる事は出来ない。
 少女は膝を地面につけ、それでも憎々しげな視線をレミリアに向けている。

「じゃあ、ちょっと選択肢を変えましょうか?」

 意地悪な、見た目相応ともとれる笑みを浮かべレミリアは少女に新たな選択肢を告げる。

「ここで私にじわじわと、苦しみながら嬲り殺されるのと。
 ……ついてきて、生き永らえるかを選びなさい。尤も、ついてきたところで命の保証なんてするつもりもないけれどね」
「…………」

 それは確かな効果を得た。少女の顔から抵抗の意志が失せ、恐怖だけとなっていく。
 圧倒的な力の差は、否、圧倒的過ぎる……人間と悪魔たる吸血鬼の力の差は。
 苦しみも与えず、一瞬で少女を死に導くほどのもの。
 それだけではなく、或いは肉片程度しか残らぬほどのもの。
 だが……大は小を兼ねる、とでも言うべきか。
 それほどの力の差があれば、苦しめながら少しずつ死に向かわせる事も出来るだろう。

 カラン、と。
 乾いた金属音が辺りに響く。
 その音が完全に無くなった後で、レミリアは掴んでいた少女の首を離した。
 ……もう少女に抵抗の意思はない、あるのはただ死への恐怖だけ。
 そう感じたからだ。


 少女は項垂れながら、自らを見下ろすレミリアを見上げる。
 ――私は。
 負けた、と。昨晩よりは冷静だからこそ死の恐怖に怯えながらもそう思う。
 けれどそれは違う。負けたのではない。負けてすらいない。
 負けることすら許されぬ力の関係を思い知らされただけの話だ。
 レミリアが少女に背を向ける。

「さぁ、ついてきなさい」
「えぇ……」

 ――負けた? 巫山戯るな。貴様は。
 目の前の悪魔とは違う、棲みついた悪魔が言う。

「……そうね。背に乗りなさい。結構距離があるから。正直なところ歩くのは面倒だわ」
「……わかったわ」

 ――貴様は誰だ。死に対して恐怖を抱く事が許されるような者か?
 その問いかけは何をさせるためのものなのか。

「――――」
「……? どうしたの?」

 ――コロセ殺せ殺せ殺せコロセコロセヤレヤレヤレ殺れ殺れヤレコロセ殺せ。
 響く音は虚像とも言うべき殺人鬼としての本能か。
 それとも常人としての恐怖から逃れるための本能か。
 ……一瞬少女の頭を掠めたそんな思考には意味などなかった。
 どちらにせよ『本能』ならば、成すべき事はひとつなのだから。

「私はああぁぁああぁあっ !」
「っ!? ……はぁ」

 少女の咆哮にレミリアは少し驚き、しかしすぐに溜め息をついた。
 ――どこか、抜けてたわね。
 少女は昨日、ナイフの他に武器を持っていた。
 その事を失念していたのだ。
 並の吸血鬼なら――人間が何らかの方法によってなりえた程度の吸血鬼なら――まず確実に深手を負うであろう程の、人間が作った武器。
 個人ではどこまでも弱いから、その弱い力では何も出来ないから。
 だからこそ人間が作り出した冷たい鉄の塊。
 自らの肉体で命を切り裂く吸血鬼より。
 自らの霊力で命を切り裂く吸血鬼より。
 冷たく、無感情に命を切り裂く黒光りするそれが。
 その銃口が、レミリアの額に当てられる。

 ……だが、レミリアは無論並の吸血鬼でなど無い。
 爪で鉄を弾くような音が、人間がそれをする時とは比較出来ぬ大音量で空間を支配する。
 レミリアの爪は確かに鉄の塊を弾き飛ばした。
 深手どころか、撃たせすらしなかった。
 そして指先に力を込め、レミリアは弾を撃つ。
 紅い、血の塊のようなものが拳銃を撃ち抜き、破壊した。

「最後のは……」
「…………」
「まるで、あなたじゃなかったみたいね」

 碌に少女の事を知りもしないのに、レミリアは自然とそんな事を言う。
 けれど、それが素直な感想でもある。
 そして少女の頭を一瞬だけ掠めた思考の答えでもあった。
 今のは。
 昨晩の、悲しみという感情を抱いたまま人間を殺していた少女ではない。
 抵抗という意志でレミリアを睨んだ少女でもない。
 ただ純粋に殺しを楽しむような……まさに、ジャック・ザ・リッパーの片鱗を持ちえたような。
 だがそれを特には気にかけず、レミリアは少女に声をかける。

「……来なさい。まぁ、温かい食事くらいなら出してあげましょう」


  *


 夜は妖怪のテリトリーだ。
 集団ならいざ知れず、人間が1人で妖怪に刃向かう事など出来ぬ時。
 これは妖怪と人間の間にあった当たり前の認識であるが、近頃の人間はそれを忘れかけている、と紅美鈴は思う。
 例えばそれは、幾人もの発明家が研究を行い、人間に火とは違う新たな光をもたらしてからか。
 はたまた妖怪にすら手出しをさせなかった、出来なかったほどの世界大戦の後からか。
 まぁ、そんな事はどうでもいいか、と結論付けてから紅美鈴は再び眼前の敵と向き合う。

 人間。恐らくはヴァンパイアハンター……吸血鬼狩りを目的とした連中。
 もともとそれは何らかの形で組織として存在するものだが、時折人間の得意とする集団行動から抜け出して勝手に個人で吸血鬼を狩ろうとする奴もいるという話は主から聞いていたし、今まで何度も相手にして来た。
 人間が吸血鬼を、と言うと普通はそれだけで馬鹿らしく聞こえるが、美鈴は特段そうとも思っていなかった。
 人間というものは決して弱くはない、と紅美鈴は知っている。
 元々彼女は大陸の西の国で名を馳せた妖怪だ。人間同士の戦場に現れ、人間を攫って行った。
 結局のところそれで人間に付け狙われ、数百の軍勢に深手を負わされたところをたまたま今の主に救われた。
 彼らとて数多い生き物の頂点に立った生き物だ。
 自らを超える生き物に対してはその圧倒的を誇る数と貪欲な知識欲から生み出す兵器で淘汰してきた。
 それによって抵抗の余地もなく殺された大妖怪……吸血鬼も、悪魔も、魔法使いも魔女もいる。
 だから彼らが弱いはずなどあるものか、と。
 紅美鈴はそう思うのだ。

「はあああぁぁっ!」
「でも、それはねぇ……!」

 向かってくる人間に対し余裕の笑顔で美鈴は対応する。
 確かに人間は弱くはない。寧ろ強くすらある。
 それを踏まえた上で続ける。

「群れた時だけの話なのよ……!」

 群れる人間は強い。自らの弱さを知っていて群れるのだから。
 だからこそ。

「群れから離れた人間が強いなんて事は絶対に有り得ない!」
「人ならざる者などに俺がああぁぁっ!」

 人間が放った金属片が魔法によって急加速し、一直線に美鈴へと向かってくる。
 が、美鈴はそれを避けることなく、ただ突っ込み、破壊した。
 頬が擦り切れ、僅かに出血する。

「だって、自分が弱い事を知らないんだもの!」

 自らが弱い、だと言うのにそれを認識出来ず自らの力を過信する者が強いはずは無い。
 それは人間だけではない、高い知能を持った生命体だけの話でもない。
 動植物から、この世で生きるありとあらゆる全てのものに言える事だ。

「思いっきり手加減してあげたけど、それでもこれで終わりっ!」
「ぉがっ!?」

 一発だけの弾を以ってしてその向かってきた人間の喉を裂いた。
 どさっ、という人間が地面に伏す音と自らが踏みしめた土の音の後で美鈴はその人間の方に振り向く。
 そして、

「……何は、ともあれ」

 わなわなと体を震わせ、

「久々の高級食肉げっとぉ!」

 拳を夜空へ向かって突き上げた。
 涙を流した。
 ――いやもうほんとこの時をどれだけ待ち侘びたか。
 目を閉じ、うんうんと頷く。
 これまでこの悪魔の棲む紅き館、紅魔館まで来て憐れにも悪魔たる吸血鬼、主を狩ろうとする人間を倒してきた。
 けれどその人間は全てが食料として主に分捕られていたのだ。
 そりゃあ、取り分もあるにはあったがどうにも美味い部分は全部持って行かれて。
 それどころか肉が食いたいあまりに捕らえた動物の肉もいいとこだけ持ってかれた。
 確かに美鈴は死にかけていた自らを救ってくれた主に感謝はしているがそれにしたってこれは酷すぎると思っていた。

 だが、今現在主は留守にしている。
 要するに……。

「お嬢様が帰ってくるまでに食べちゃえば」

 目が光り輝く。
 お前本当に大陸の西の国で名を馳せた妖怪なのかと問いたくなるような少女の笑顔。

「……あら、お楽しみのようね。美鈴」
「あれ?」

 かなり聞き覚えのある声に美鈴は動きを止める。
 ギシギシギシという音でも出そうな動きで後ろを見ると。

「ま、今回に限っては少しくらいあなたの取り分も増やしてあげる」

 美鈴の主である吸血鬼が。
 人間どもに、他の吸血鬼など全ての妖怪にもスカーレットデビルと恐れられる吸血鬼……レミリア・スカーレットが、そこに居た。




 何故か生きた人間を後ろに連れて。


  *


 長い廊下がある。
 普段は極々僅かな窓から差し込む月の光しか明かりがなく、足元は愚か一寸先も碌に見えないような廊下だ。
 だが、それはあくまで人間や普通の妖怪どもの目での話。
 吸血鬼であるが故に夜目の利くレミリアにはしっかりと見えている。
 ただ今は魔法によって壁の照明が点けられており、比較的明るかった。
 そしてその廊下に今照明が点けられている理由である、人間の少女の声が響く。

「……あの、門のところにいたのは?」

 出たのはどうでもいい疑問だ。
 本当に聞きたい事は自分が連れてこられた理由。
 だが……その理由には全く見当もつかないのに少女は何故かそれに恐れを抱いていた。
 だから、どうでもいい疑問の答えをレミリアに問う。
 歩を止めてからレミリアはそれに答える。

「うちの門番よ。昔気まぐれで助けたのが縁でね。留守中に何かあっても困るし、どうせだから門番として置いているのよ。
 ……ま、なんか気弱そうにも見えたかもしれないけど、そこそこ強いわよ?
 友人は書斎から出ないし、その使い魔は私と同じ悪魔だけど、まだ弱いし。留守に何かあったら、ねぇ。
 ……そういうのもあって、美鈴の事は結構信頼しているわ」
「そう……」
「それだけ?」
「…………えぇ」

 あらそう、と言うとレミリアはまた前を向いて歩き出した。
 またも沈黙が訪れる。
 もともと無理矢理連れてこられただけの少女に出せる話題はそうないのだから、レミリアが話さないのならそうなるだろう。

「そう言えば人間。……あなた、何で人殺しなんてしていたのかしら?」

 ……まるで面白い玩具の遊び方を、その玩具自身に聞くような。
 そんな風にレミリアは少女に問うた。
 はた、と。
 後ろで立ち止まる気配がした。

「……少なくとも、父の事は記憶にはない。母には2年も前に死なれた」
「……? そんな話をしたいわけじゃ」

 ないのよ、そう言おうとしてしかし言えなかった。
 そこにあるのは人を殺していた時の悲しそうな顔をした少女でもなく。
 抵抗の意志を持ったそれでも、つい先ほど拳銃で超至近からレミリアを撃とうとした時の殺しを楽しむような表情とも違う。
 ……弱々し過ぎる、10代半ばの人間の少女のそれでしかなかったから。

「東洋の島国の血を混ぜ、異端の力を持った女だと誰にも相手にされなかった。
 ……家賃は何とか払っていたのに、住んでいたところも今年の冬の始め頃に追い出された」
「……まぁ、その髪の色からして、普通じゃないんでしょうね。肌の色もこの国の人間のものとは違うようだし……何より」

 ……レミリアの友人の……パチュリーの考えが正しければ。
 時間を止めるほどの力があれば他の人間とは違う何かを無意識に起こし、畏怖の目を向けられるのも無理は無い。

「……大方、自らが生きるために殺しを始めて、それを誤魔化す為に狂った振りでもしていたのか。
 本当…………人間というのは、どこまでも愚かな生き物ね。その程度の事、誤魔化す必要もないでしょうに」
「…………っ」

 少女はまるで否定しようかという風に顔を上げ、しかしすぐに伏せた。

「ところで、人間。お前の名前は? ……人間って言うのも、どうにも呼びにくくてね」
「………………」
「……ダンマリ、かしら?」

 そんな事を言ってみても、少女はそれについては答えなかった。
 ――吸血鬼になど、名乗りたくなどないとでも言うつもりか?
 まぁ、それはそれで支障は無いのだが。
 レミリアにとって人間の名など知っておいても得はない。
 ただ、少なくとも数日はここに置くのだから知っておいた方がいいかも知れないと、そう思っただけの事。
 単なる気まぐれ。
 ……どうせ行く行くは殺すのだから、知る事になろうが知らないままだろうが、本当はどちらでも構わなかった。

 再び暗い廊下をレミリアと少女は歩き始める。
 そして、そこから数十歩のところでレミリアは歩を止めた。

「さ、ここよ」
「……?」

 訝しそうな顔をしながら少女は扉を見る。
 ……大きい。中に何があるのか。……何をされるのか。
 そんな事を考えてしまう。

 キィ、と音を立て扉が開いて行く。

「……食堂?」

 そこにあったのはやたらと広い食堂のような……というか奥の方にキッチンのようなものもあるし、まさにそれだった。

「そ。温かい食事くらい出すと言ったでしょう? ……ま、材料は適当にあるから、作るなら自分でやりなさい」

 はぁ…と気の抜けた息を吐き、少女は床にぺたんと座り込んだ。
 恐怖が、一気に抜けたから。
 吸血鬼に無理矢理連れてこられて。
 何をされるかと思えば、本当に食事をさせようとしてきた。

「ははは……」

 乾いた笑みを浮かべると、少女は。
 とりあえずゆっくりと、立ち上がった。





 ……ちなみに先ほどレミリアが言った美鈴に対する信頼というのは数年後に脆くも崩れ去るのだが、それはまた別のお話。

オリキャラは少し迷ったのですが、伏線というか後半突然出てくるのを避けたかったので。
ヴワルに関して調べたのですが詳しいデータは得られず、あれも咲夜さんの空間操作で広くなってるんじゃないかと思い、この時点ではまだちょっとした空間操作でほどほどに大きくなったパチュリーの書斎という見解で、ひとつ。

※1/19 誤字等修正しました。ご指摘ありがとうございます。
翔菜
[email protected]
http://www.little-wing.org/
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コメント



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誤字とか>一発だけの弾を持ってして:以ってして
動物の肉もいいとこだって持ってかれた。:「動物の肉の」か、「いいとこだけ」

>――さぁ、あなたの血は、美味しいかしら?
CV:ひと美 に聞こえた人はメルブラやってる。