Coolier - 新生・東方創想話

指定席 (前)

2005/12/28 15:15:26
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  みんなの声が聞こえる。
  楽しかった日々のみんなの姿が、そこに見える。

  別れ離れても、いつも一緒に「生きていた」みんなへ。
  とっても、大好きでした。ありがとう。



  大切な思い出が燃えていく。全てが灰になっていく。
  炎が、目の前まで迫ってきた。

  神様。もし居るのでしたら。この身が消える前に、もうすこしだけ、時間を下さい。
  たいせつな人の為に、あとすこしだけ、時間を。



  最後に精一杯の力を込めて、わたしはこの約束を―









-----

  「気をつけてね、行ってらっしゃい」


 朝早く出て行く父。
見送る娘は、今日も私一人だった。

 私以外の娘達は、父が出かける様な早い時間には起きてこない。
日が高くなるに連れて一人起き、二人起きしてくる。
 そして…その日も三人目は、一番幼い妹だった。


  「レイラ、もっと早く起きて頂戴。食器が片づかないわ」


 母親のような言葉で、私はいつものねぼすけを急かした。





 母が夭折し、この家は長女の私が守っている。
次女の陽気さに疲れ、三女の狡猾さに振り回され、そして四女の幼さに手を焼く。
 毎朝父にからかわれるまでもなく、毎日天手古舞いの日々だ。
それでも私は長女だから、それなりに自覚があったわけで、自分に妥協は許さなかった。
家のことを隙無くこなし、妹達にも気を使って、一家を切り盛りした。



 遙か彼方、遠く聞こえる銃の音。
 時代は、戦争の真っ只中にあった。
 昔は平和だったこの街にも最近、戦火の手が忍び寄ってきた。

 私はいつも不思議だった。命を賭してまで曲げられない宗教とは一体何だろう?
神のため神のためと奮い立っては斃れていく憐れな人たち。
この世界はどうにかなってしまったの?

 この宗教戦争が始まって以来、父の朝は早くなり、家を空けることも多くなった。
貴族であるゆえ自らその手に銃を持つことは勿論なかったし、そもそも戦争に加担することもしなかったが、
街に生きる貴族として、父は父なりに、背負うものを感じていたのだろう。
毎日出かけては、街の平和の為に働いていた。


 神のためと街を焼き、人に銃を構え、自分も斃れる、それの何が英雄だ…
父は口癖のようにそう言っていた。
 悲壮な父の背中。それはひょっとしたら、どこかの「英雄」が放った銃弾に斃れた母への、
せめてもの償いだったのかもしれない。


 
 そんな父に、心配などかけられない。
こんな中で妹たちを守れるのは、姉しか居ないと思ったから。
 銃弾から守る盾にも、母を失った悲しみの癒しにもなれやしない無力な私だけど、
それでも私達が幸せに生きる為に、私の責任は重い。



  「まったく、毎朝寝坊ばっかりして…さ早く食べなさい」



 そうして私は今朝も、責任感の塊を末の妹にぶつけた。





-----

 ごちそうさま!と一言言い残して庭に出るレイラを見ながら、
私は窓の外に目をやる
 見れば空から、白い粉雪がはらはらと舞い落ちて来た。



 今年ももう終わりが近い。
最後まで、この家は何か満たされないまま一年が終わっていく。

 今度晴れたらピクニックに行こう、次の休みには演奏会をしよう…
毎週のように父や妹とそんな話をしたのに、一度も実現しないまま、幾度もの休日が過ぎた。
 金曜日の夜はいつもキッチンのテーブルにお弁当箱や水筒を支度したのに、
一度もそれに中身を入れる事は無かった。

 まるで決まり事のように土曜の朝に戻す道具。
どことなく悲しげなお弁当箱に、随分と父を…いや、この時代を恨んだものだ。

 街を焼いていく炎は容赦がない。
私達の大切なものを次々と、「灰」に変えていく。

 ふと窓を見れば、いくつもの粉雪が窓にぶつかり、煌めいては消えていった。




 ――…



 不意に、レイラの声がした。
気付けば横に、心配そうな顔。
どうやら知らぬ間に目を閉じて、後かたづけの手を止めてしまっていたらしい。

 小さくため息をつき、目を閉じ首を横に振った。
そして、なんでもないわと言葉を継ごうとした私の目の前に、不意に何かが突き出された。
ふわりと優しい香りが、鼻腔をくすぐる。

  「?」

 ようやく目の焦点が合って視界に現れたそれは、小さな白い花だった。
薄く黄色がかった、可愛らしい花だ。

  「どこから採ってきたの?これ…」

 お庭から、とレイラは答えたが、どうもしっくりこない。
屋敷の庭に、こんな花が咲いていた記憶がなかった。
一つだけ咲いてた、と言うレイラの言葉を信じれば、きっと何かに紛れて、一粒だけ種が落ちたのだろう。

  「だめじゃないレイラ、花は生きてるのよ。
   あなたが摘んじゃったから、この花は死んでしまったわ」

 横からメルランが意地悪を言う。
 どれだけご大層な花でもないのだが、それでもレイラには堪えたらしく、
しんじゃったの…?と小声で呟いている。

 私はここぞとばかり、身を乗り出す。


  「そうよ、花も一本一本生きているの。
   私達一人一人が息をして、こうしてお日様の下で生きてるのと同じように、
   この花も呼吸をして、お日様を浴びて、一所懸命生きていたの。
   花も生き物、大事な命なの。摘んでしまったら死んでしまう。大切に扱わなきゃだめよ?」

 
 私の言葉に、こくん、と頷くレイラ。

 こういう情操教育も姉としてのつとめ。
人間として情緒が豊かになれば、それだけ優れた音楽を作る土壌となる。
 メルランやリリカは口々にまだ早い等と言うが、何も難しいことではない。音楽は人を癒す物なのだ。
作る人、演奏する人が他人を癒せなければ、心に響く音楽など作れはしない。
その為には…「三つ子の魂百まで」というやつである。


 一歩外に出れば、いつ殺されてもおかしくない時代。
庭の小花なんかよりずっとたやすく、簡単に命が摘み取られていく。

  「どっちが雑草なのかしら…」



 レイラはその花を手に持ったまま、どこかへ駆け出していく。
 そのレイラの手の中で、花が泣いているように見えた。
 

  「もう。レイラに変なことばっかり教えないでよ」

 傍で聴いていたリリカが口を尖らせる。

  「何が変な事よ」
  「いや、だから…」

 きっぱりとした私の言葉に、むう、と口を噤むその姿に、私はため息をついた。
分かっている。リリカは必ずしも、幼い頃からレイラに堅苦しいことを教え込むことに賛成していない。
音楽なんて好きならば良いの、要はセンスよ、というのがリリカの口癖だ。


 私自身それは否定しないし、その言葉に説得力があるだけのリリカの才能も知っている。
でも、その音楽をより楽しんで貰うために、私は自分のやっていることを間違いだと思ってはいなかった。
 それに、リリカの場合は単純にレイラに甘いのだ。基本的に。



 音楽は難しい。
例えばどんなに優れた音楽でも、演奏が下手では台無しだし、聴く者が鈍ければ馬耳東風。
その上聴く者の気持ち次第ではうるさいだけだし、更にそれらが最高に上手く行っても、
長く聴けば飽きて嫌になる。

 では何が優れた音楽だというのか…その問いはきっと、出口のない迷路だ。
だから答えが出ないまでも、優れた音楽への努力と工夫だけは惜しまないようにすれば、
それが優れた音楽への道になるのだろう。

  「ほら、また手が止まってるわよ!」

 リリカに茶化されて、再び我に返る。
考え事をしていたとはいえ、こうも度々手を止めてしまうのは、きっと疲れているのだろう。

  「良いから、アンタはレイラと遊んでらっしゃい」

 そう言って私は吹っ切るように、いささか乱暴にレイラの食器を片づけたのだった。




 レイラは素直で聞き分けが良かった。
私の言うことも、しっかり飲み込んで理解してくれた。

 それからしばらく、レイラは私に「いのち」を伝えに来た。
あそこで綺麗な花が咲いていたよ、庭にかわいい子犬が来てたよ…
毎日のように嬉しそうに報告するレイラの姿が、微笑ましかった。



 そんなある日。その日も、レイラは私に何か言いたそうな瞳を向けて歩み寄ってくる。

  「今日は何を見つけたの?」

 先を制して、私はレイラに問いかける。

  「鳥のヒナ!」

  「ふうん、ヒナ鳥ねえ。
   …ヒナ?どこに?」

  「屋根のところ」





 レイラに案内され出てみると、確かに軒先に、小さな鳥の巣が作られていた。
中から小さなヒナたちが、親鳥の帰還を、鳴き声を上げながら口を開けて待っている。
3羽…4羽かしら?


  「よく見つけたわねえ、あんなところの巣を」

  「あの鳥達も、生きてるんだよね」

  「そうね。鳥のヒナは沢山の危険に狙われているの。
   いつ大きな鳥に食べられてしまってもおかしくない。
   だから親鳥が、一所懸命世話しているのよ」

 私はそう説明して、家に戻った。
しかしその後も、鳥達のことが気になった。



 それから毎朝、鳥達の様子をひそかに伺うのが私の日課になった。
親鳥は懸命に世話をして、ヒナたちに餌を運んでくる。
そのおかげですくすく元気に育っていく鳥達を、私は毎朝じっと観察していた。






 そう、あの日の朝も。
 そうやって私はいつもどおり観察した。

  「へえ、そんなのがあるの」

 食堂に戻ると、珍しくリリカが早起きをしていて。
私はそのことを食卓で紹介したことを覚えている。 
マグカップにコーヒーを注ぎながら、私は得意げに説明した。

  「そう、それで親鳥も一所懸命でね。
   見てて可愛らしいし、いじらしくて」



 説明しながら、なんとなく私は、鳥達に惹かれる理由が分かってきた気がしていた。
きっと私は、自分達の姿を無意識に重ねているのだろう。
 幼い子達の為に、必死で羽ばたき世話をする親鳥と、沢山の危険に囲まれながら
何とか生きようとする小さな命。
 そう考えるとまるで、私達の写しのようにも見えた。

 目の前に、私が守るべき命がある。
そのために私は、出来る限りのことをしてあげなければ。
何しろ我が家には、親鳥が一羽居ないのだから。

 鳥達の姿に、私はまた一段と、決意を固めた。




 まさに、その直後だったのだ。 




  「ねえ、その巣、見せて!
   どこにあるの?」

  「ええ、こっちよ…」

 リリカが席を立ち、私も飲みかけのコーヒーを手にしたまま立ち上がり、 
二人が歩きだそうとした瞬間。



 呼び鈴が鳴った。


 
 誰かしらと訝しむも束の間、迎えもしないのに見知らぬ男が勝手に居間に入ってくる。
その男の鬼気迫る表情が、只事ではないことを知らせていた。

 彼は一つ呼吸を整えると、上気した顔で、一言だけ叫んだ。




  「公爵が亡くなった」



 

 手からマグカップが滑り落ち、床に砕け散った。
 凄まじい破壊音に驚いた親鳥が、巣から飛び立つ羽音が聞こえた。










-----


 それからの時間は、あっという間に去った。
 気が付いたら、年は明けていた。


 私達には悲しむ間さえなかった。
葬儀を済ませ、広大な屋敷を片づけ、やっと落ち着いた頃には一月も半ばになっていた。



 

 父の死は事故だったそうだ。
街の道を歩いていた時、どこかの誰かが撃った銃弾が、父を貫いたという。
撃った人は分からない。父を殺したことを知っているかどうかさえ、分からないそうだ。
何も知らない人間の手が、また一つ命を消した。それも、たった一つの、大切な命を。

 それは余りにも残酷すぎるほど、「ありふれた」ことだったのだけれど。




 遺品を整理し、片づけ終えたこの屋敷は、4人の姉妹だけで住むには、あまりに広大だった。
狭いより良いと人は言ったが、無駄に空間があると、色んな事を考えてしまうのだ。
父の思い出も沢山あるこの場所だが、いつまでも思い出に縛られているわけにもいかないし、
何より私達だけでは暮らしていけない。

 危険なこの街を考え、私とメルランの二人は、父の伝を頼り、別の街へと移り住むことに決めた。



 顔の広かった父のお陰で、意外にもすんなりと私達の「疎開先」は決まった。 
そして、私達に示されたその行き先は…4つあった。

 幼い妹もいるし出来れば避けたかったが、やはり4人も一手に世話をしてくれるところがあるはずもない。
 何より世話をしてくれる大人達に、そんな我が侭が言えるはずもない。





  「今朝、叔父さんから話があってね…私達、離ればなれになることになった」


 大事な話があると、一つの部屋に集めた妹達を前にして。
 出来るだけあっさりと、私は要点だけを告げた。
どう前置きしても残酷すぎると考えて、それならばと、単刀直入に事実を告げたのだ。

 それが妹たちに出来る、精一杯の心遣いだった。



 案の定3人は口々に異を唱えたが、私は必死に事情を説明した。
一緒に世話をしてくれるような人が今はいないこと。このままここにいても危ないし、生きていけないこと。
街が平和になるまでの避難で、その後はまた一緒に暮らせること。

 私の説得に、メルランもリリカも、渋々首を縦に振った。
彼女達も、ある程度事情は知っている。ここで意固地になっても
どうにもならないことを、理解してくれているだろう。

  「この家は、どうなるの?」

 リリカが不安そうな目を私に向ける。

  「叔父さんが管理してくれるって。傷まないようにはしておくからって…」

 どことなく、安堵感のようなものが流れた。

 私だけじゃなく、姉妹みんなにとってこの家は、何より大切な、父との思い出だ。
離れるのは辛いし、いつかは戻りたい場所。
自分が帰るまで、なんとかこの家だけは…みんながそう思っただろう。

  「そうね…この家が残っているなら、きっといつか…」
  「ええ。街が落ち着いたら、また一緒に…暮らしましょうね…」

 メルランの言葉を、私もそのまま、自分に言い聞かせた。
いつか、また。

 きっと…? 

 いつか…?


 分かっている。
 私達は、恐らく…




 

  「本当に…また一緒に…暮らせるよね…?」


 リリカが震える声で、不安を代弁する。



 誰も、答えることが出来なかった。
 誰もが分かっていた。

 親を失った私達が、この危険な時代、離れ離れに移り住んでいく。
そんなことをすれば…どうなるのか…



 窓の外遠く、また銃の音が聞こえる。
 長い静寂が、部屋を支配した。

 …




  「わたしは、ここにいる」




 不意に、それまでずっと口を噤んでいたレイラが喋った。
 私は、その意味するところを一瞬理解しかねた。

  「ここに…って何言ってるの」
  「ここにいる」
  「だから言ったでしょ?ここは危ないって」
  「お願い」

 泣きもせず、騒ぎもせず。
 静かな眼に凛とした意思を湛えて、レイラは強い口調で私に迫った。
 そこに、いつものあどけない面影はなかった。
 あるのは、人生の一大決意を果たし、梃子でも動きそうにない頑なな視線だけだ。

 
  「ちょっと待って」

 私は必死でそれに抗った。

 この街が危険だからという理由でこの地を離れようとしているのだ。
それで一人だけ、まして末っ子がこの場に残るなど、冗談じゃない。


  「お父さんのことを忘れたの?」
  「…」
  「この街が危ないのは分かっているでしょう?
   またいつか暮らせるから、それまで辛抱して頂戴」
  「嫌」
  「レイラ…」

 まるで取り付く島もないと言った有り様に、私は困った視線を他の妹に向ける。
彼女らもまた、いつもと違うレイラの頑固さに戸惑っている様子だ。

  「レイラ、ルナサの言うことを聞いて」

 見かねたメルランが助け船を出すが、レイラは首を横に振るだけ。

  「レイラ、お願い。我侭を言わないで」

 私の言葉にも同じ。
そして、私の目をまっすぐ見つめた。




  「だって、ここにお父さんがいるから」


 つぶやくようにぽつりと、レイラは一言だけ言った。

  「レイラ…」

  「お父さんはここにいる。だからわたしも、ここにいる」




 レイラは強い口調で、改めてそう言った。
 凛然とした態度と、どこと無く空恐ろしささえ感じる鬼気迫る表情に、誰もが押し黙ってしまった。
 

 それっきり、私達が何を言ってもなだめても、レイラが翻意することはなかった。



 生まれるのがあと100年早ければ、私達はきっと仲の良い姉妹として、
優しい父と母の元、この屋敷で何事もなく生きていただろう。
 勿論生まれた時代を恨んでも何も解決しはしない。それでも、ただでさえ多感な歳の姉妹なのに、
急に生涯の別れになるかも知れないとなっては、そう容易に受け入れられるものではない。
まして、亡くした父や母との思い出が詰まった屋敷だ。



 私は仕方なく、件の叔父に相談し、どうにかレイラをこの屋敷で世話して貰うことになった。
平身低頭の私に叔父は、必ず迎えに来なよ、と、私の目を見て言ってくれた。


 あとでその事を告げると、勿論メルランやリリカは反対した。
一番幼い妹が一番危険なところに残るとなっては、到底受け入れられるものではない。
それは良く分かっているし、私も内心その不安が無いといえば嘘になる。

 それでも、私は叔父の力も借りて何とか二人を説得した。
私はいささか強い口調で二人を半ば強引に説き伏せ、事は決まった。





 話を合わせ、私達3人は同じ日の同じ時に、この家を後にすることが決まった。
その前の夜、私達は父の部屋に集まった。

 いつもはみんな、好き勝手自分の部屋にこもるのだが、今日だけは、みんなと一緒に居たいと、誰もが思った。
そこで、思い出の父の部屋で、最後の床に就くことにした。



 父の大きなベッドに並んで寝る、4人の姉妹。

 もちろん…と言っても良いだろう、誰も眠ってなどいなかった。眠れなかった。
他愛もない話が誰からともなく振られては、誰からともなく応え返した。
 普段なら寝て起きれば忘れているようなそんなやりとりが、いつまでもだらだらと続いた。



 もう僅かな時間しか、残されていないことをみんな知っていた。
だから、残酷な朝陽が昇るまで、私達は布団の中別れ盃の如く、とりとめもないお喋りを続けた。
このお喋りが出来る明日が、もう二度と巡ることはないのだ。
ひとときでも長く、この大好きな妹たちと、最後の「姉妹」を楽しみたい…私は布団の中で、涙を堪えるのに必死だった。

 夢ならまたいつか見られるだろう。遠く離れても、いつだって見られるだろう。
でも、夢じゃない妹たちの温もりは、今日で終わりなのだ。
 そう思うと、睡魔などどこかへ消え失せた。
眠りの淵に足を踏み入れる時間など、もったいなくて仕方がなかった。



 時計の針は残酷なまでに正確に時を刻み続ける。
居間に置かれた柱時計の鐘の音が部屋まで聞こえてくる度、私達の会話は途切れた。

 その回数を一回ずつ増やしながら鐘は、まるで死刑執行台のカウントダウンのように、
私達に与えられた未来をどんどんと削り取っていく。



 哀しいほどに時はあっという間に流れ去って、鐘は、とうとう6つを一気に叩いた。
 私の頬に、薄日が当たり始める。



 もう時間は無いと思った。
 この「夢」を伝えられるなら、今しかない。



  「レイラ…」

  「なに…?」

  「聞いて欲しいの」



 レイラの首がこちらを振り向くのを枕の音で感じながら、私はレイラに背を向けたまま、ゆっくりと話した。



  「あなたに頼みたいことがあるの。
   私達はきっと、何とかしていつか戻ってくる。
   何があっても、必ずもう一度、あなたたちと一緒に暮らすわ。

   だからそのときまで、私達の楽器を預かっていて欲しいの。
   私のヴァイオリンと、メルランのトランペット、リリカのキーボードや打楽器。
   それを、あなたに…」

  「良いの?持って行かなくて」

  「良いのよ。私達の楽器は、一人では音楽を奏でられない。
   三人が揃って初めて、あの楽器達は意味を持つの」

  「…」

  「あの楽器は、ここに残しておいて。
   そして、きっちりと手入れもしておいて頂戴。
   私達3人がいつ帰ってきても…すぐにまた、プリズムリバー楽団で演奏会を出来るように」

  「分かった。分かったけど…」



 レイラが口ごもる。



  「何?」

  「わたしも、ひとつだけ頼みがあるの」

  「良いわよ。言いなさい」

  「みんなが帰ってくるまで、わたしあの楽器を掃除しておく。
   いつでもコンサート、出来るようにしておく。

   だからその代わり…みんなが帰ってきた時は…わたしを…
   いちばん最初の、コンサートのお客様にして!」



 空元気を振り絞るように、レイラは最後に、震える大声を出した。






  「バカ…そんなの…」




 あとの言葉が、続かなかった。
 どうしようもなく、止めどもなく涙が溢れた。

 隣の布団からも、その向こうからも…堪えきれない嗚咽が聞こえる。
 枕に、いくつもの滴が落ちた。

 元々、父の枕だったものが涙に濡れていく。  
 なんだか、父も一緒に泣いてくれている…そんな気がした。



 哀しい運命に翻弄されながら、レイラはこんなに逞しくなりました…
私は枕についた涙の染みを見ながら、胸の中で父に報告した。
 


 


 レイラが意地を張った時、当然ながら、泣こうが喚こうが力ずくで屋敷から引き離すことだって勿論出来た。
というか、それが最善の選択だっただろう。

 それをしなかった理由。私には希望があった。
レイラがここに居てくれれば、いつか彼女を中心として、4人の姉妹が再会出来るんじゃないか…そう思っていた。

 根拠ももちろん無いし、幼いレイラに勝手にそんな役を負わせるのは自分勝手だとも知っていた。
ましてそれが危険な場所であるから、姉として散々迷った。


 それでも、最後に私は一つだけ、レイラの我が侭に負けないくらい、私の我が侭を通すことにした。
見たこともない場所へたった一人で移り住んでいく3人の姉達にとって、妹がこの家に残っていることは
必ずや未来の希望になる。



 レイラの小さな手には、幸せの扉の鍵が握られた。
それを使う時は、いつになるのだろう。
やがて時代が変わり、再会の機会が巡った時。そのときまで私は、元気に生き残っていられるのだろうか。

 いや、私だけじゃない。4人とも、生き残っていなければいけない。
この時代にあって、それがどれだけ困難なことか…みんな分かっているはずだ。



 それでも、信じたい未来がある限り、頑張ろう。  
 もう一度、みんな揃った明日を迎えたいから。



  「メルラン、リリカ、楽器を持って」
  「「え?」」

  「最後のコンサートよ。
   …ううん、『活動休止前最後』の…コンサートよ!」


 私は勢いよく、布団から跳ね起きる。
メルランもリリカも、涙を拭いながら立ち上がる。



 手にした私のヴァイオリンには、埃が積もっていた。
父の死以来、楽器など構っている暇がなかったから。



 それぞれ軽く埃を払い、3人は楽器を構えた。



  「レイラ…曲は何が良い?」

  「何でも良いよ」

  「じゃあショパンの『別れ』を…
   いや、別れだけど別れじゃないもんね…それはまずいか」

  「うーん…じゃあ、楽しい曲が良いな!」


 レイラはニッコリと笑って、そう言った。
私も、メルランもリリカも笑い返す。





  「オーケー、じゃあ飛びきりのヤツを演奏しよう。

   本日は『プリズムリバー楽団』コンサートへ、ようこそ!」



 私の改まった挨拶に、一人だけの拍手が部屋に響く。



  「それではご静聴願います。
   私達のオリジナル曲、『幽霊楽団-phantom amsemble-』です!!」



 リリカのキーボードが、ソロのイントロを奏でる。
私とメルランが、それに同調していく。

   氷柱のようなリリカの細い指。
  白黒の絨毯に踊れば、一人オーケストラのキーボードだ。
  彼女の十指が生む音色で、音楽はぐっと厚くなる。





 曲が転調する。ここはメルランが主旋律をとる。
徐々に盛り上がる音楽。3人の動きが、大きく激しくなっていく。

   軽やかな高音に変わっていく彼女の吐息
  ソファの温かさと、軍隊の勇敢さを兼ね備えたトランペット。
  聴くだけで気持ちを昂ぶらせるような、元気の出る音。





 曲はいよいよサビにかかる。
私とメルランとリリカ、三人が好き勝手に演奏しているように見えて、絶妙のハーモニーを生み出す。

   私の手に握られた、弓という細い棒。
  私のヴァイオリンは、癒しの音色。
  穏やかな波のような音の芸術で、聴衆は静かで落ち着いた時間を手に入れる。





 音は激しく、そして楽しく奏でられていく。
レイラも楽しそうに見てくれている。


 別れの悲しさは、今ひととき、その存在感も薄れていた。
ずっとこんな時間が続けば…と、4人はそれぞれ、心で願った。



 私達は渾身の力で、一番大切な人のための、たった一人のためのコンサートを終えた。






-----

 その朝は、雨だった。
旅日和とはいかなかったね、とリリカは言ったが、
まるでその雨が私達の別れを邪魔してくれているように私には見えて、なんだか有り難うを言いたい気分だった。



  「さて、行きましょうか」

 私はつとめて明るく、二人の妹に声をかけた。
 行きましょうか、と言っても、三人は目の前の十字路を、それぞれ別の方へ進んでいくのだから、
誰を誘うわけでもないのだけど。

  「じゃあね、レイラ。また…いつかね」

 また緩みそうになる涙腺を必死で引き締めて、私はレイラに声をかける。
するとレイラはぽつりと、静かに言葉を口にした。


  「わたし、もう花は抜かないから。」

  「え??」

 何を言っているのか、私は理解しかねた。
 戸惑う私を見ると、レイラは庭先に咲く、小さな花を指さしながら、私に向き直る。






  「花は生きてるんだよね!
   どんな花も、一本一本生きてる。
   鳥さん達と、一緒なんだよね!

   わたし、もうお花、抜いたりしないから!」




 
 力強くそう宣言する、懸命に生きようとする一輪の花。
 その頭の上を、今日も親鳥がヒナの幸福のため、大空を羽ばたいていった。




                            《前編・完   後編へ続く》
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