Coolier - 新生・東方創想話

美鈴の家出~女はつらいよ恋慕編~

2005/12/22 06:08:42
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 注:このお話は、拙作「美鈴の家出」シリーズの第三作目となっています。前作を未読の方は、まずはそちらからご一読下さると、話がつながって「そーなのかー」になれます。
   付け加えて、このお話は、過剰なまでの百合分と砂糖の中に埋もれそうになるくらいの甘々成分で構成されております。
   そういうのが好きという人も嫌いという人も、一度は読んで砂糖に埋もれてください。っていうか埋もれるべし。中身としては、ちょい、R15指定……かな?









「美鈴さん、美鈴さん。起きてください」
 ゆさゆさと、美鈴を揺さぶる女性が一人。
「ん~……あぅ~……まだ、朝には早いですよぅ……。お願いですから、もう少しだけ……」
「寝ぼけてる場合じゃないですってば!」
 耳元で、彼女――鈴仙・優曇華院・イナバは思いっきり怒鳴った。
「ひゃあっ!?」
 何か、同じような展開があったような、と頭の中で思いながらも飛び起きた美鈴は、そのまま、こちらを覗き込むようにして座していた鈴仙と見事におでことおでこで衝突してしまい、両者、そのまま痛みにしばらくの間、うずくまる。
「い、いたたた……」
「っつぅ~……」
 それでも、沈黙が続いていたのは数秒のことだった。鈴仙がおでこをさすりながら、
「大変です、美鈴さん」
「……一体、何があったんですか?」
 外はまだ暗い。
 試しに部屋の中の時計を見たら、時刻は午前の三時にさしかかるか否かだった。
「さっき、チルノちゃんとルーミアちゃんが、大慌てで飛び込んできたんです。
 それで……驚かないで、冷静に聞いてください」
「は、はい?」
 あまりにも、相手の神妙な物言いに、一体何事かと美鈴がかしこまる。
 鈴仙は、一度、大きく息を吸うと、
「……咲夜さんが、雪崩に巻き込まれたらしく、行方不明になったそうです」
「……えっ?」
「その様子を……っていうか、たまたま、通りかかったレティさんが見ていたらしくて。大慌てで、周りの人たちに知らせて、それが今、ここにまで」
「咲夜……さんが……?」
「はい。おおよそ、今から一時間も……いえ、三十分程度、前のことでしょうか」
「咲夜さんがっ!?」
 布団をはねのけて、鈴仙の肩を掴む。
「咲夜さんが、雪崩に!? どこで!? どうして!?」
「お、落ち着いてください! 今、永遠亭の兎たちも捜索に向かってますし、紅魔館の方にだって一報が届いてます! ともかく、私たちも……!」
「……嘘……そんな……」
 思いっきり美鈴に揺さぶられ、平衡感覚をなくしたのか、ふらつく鈴仙は、「外で待っています」と言い残して、ふらふらと歩いていった。
 しばし、呆然としていた美鈴は、それでも一瞬の間に衣服を着替え、立ち上がると同時、飛ぶように廊下を駆け抜けていく。
「あら、来たようね」
「え、永琳さん! 咲夜さんが……!」
「場所は、ここから北方におよそ、飛行して二十分ほど。雪山の中腹辺りだそうよ」
「……そんな……」
「ともあれ、急ぎましょう。雪崩に巻き込まれたら、もって十分と言われているし」
「十分って……!」
 間に合わないじゃないですか、と叫びそうになったが、それよりは、咲夜を探しに行く方が先決だと考えたらしい。美鈴は、永琳達を振り切って、夜の空に向かって飛んでいく。
 とにかくひたすら全力疾走。己の力の消費など考えない。
 飛んで、飛んで、飛び続けて。
「あっ、めーりんねーちゃん!」
「おねーちゃん!」
「チルノちゃん、ルーミアちゃん! 咲夜さんは!?」
 その、咲夜が失踪した場所というのはすぐにわかった。すでにそこには多くの人妖が集まっていて、大捜索が行われていたからである。その中には、霊夢や魔理沙といった人間の姿も伺える。
「わ、わかんない……」
「ともかく、ものすごく、辺り一帯に亘って崩れたってレティおねーさんが言ってたの……」
「……そう」
「ちょっと! レティ! あんた、寒さを操るなら、この辺りの寒さを何とかしなさいよ!」
「無茶言わないでちょうだい。大自然の力に、たとえ、その力の一端を握る妖怪である私であっても対抗できるわけがないでしょうが」
「えーい、こうなったらマスタースパークでこの辺り一帯を……!」
「咲夜さんごと吹っ飛ばすつもり!?」
「それに、魔理沙。こんな雪山で大きな音を立てたら、また雪崩が起きるわ」
 霊夢はレティにくってかかり、魔理沙はアリスとパチュリーにたしなめられる。
 そして。
「……お嬢様」
「……」
 咲夜が心配で心配で、いても立ってもいられない、といった具合に、今にも泣きそうな顔をしている妹を連れてやってきたレミリアが、美鈴をにらみつける。
 そして、一言。
「とっとと探せ、このバカ!」
 今にも美鈴にかみつきそうな勢いで、彼女が吼えた。
「バカって何だよ! 元はと言えば、お前達が悪いんじゃないか!」
「そうだよ! 美鈴おねーちゃんは悪くないんだ!」
「何を言っているの! 美鈴が失踪なんてしなければ、咲夜はこんな事には巻き込まれなかったのよ!」
「その原因を作ったのはどっちさ!」
「そうだ!」
 普段なら、その圧倒的存在感から、抗することの出来ないレミリアを前にしても、チルノとルーミアが全く引かずに美鈴を擁護した。彼女たちからしてみれば、『自分たちの大好きなお姉ちゃん』を泣かせた相手のことが、絶対に許せないのだろう。しかし、レミリアにしてみれば、自分が寵愛を授けている咲夜に『もしも』が起きてしまったことにいらだちを隠せない。結局、両者の利害は完全対立し、もって、このにらみ合いが形成されてしまっている。
「うぇぇ……ひっく……」
 そんな、喧々囂々な様子に耐えかねたのか、フランドールが泣き出した。その彼女を、慌てて、紅魔館のメイドが慰めに入る。
「あなた達、いい加減になさい!」
 その場に割って入るのは、永琳である。
「こんなところでケンカして、咲夜さんが見つかるのなら、いくらでもケンカしてて構わないわ! でも、そんな不毛な争いをやっている間に彼女の命は削られていくのよ! わかったら、黙ってとっととやるべき事をやりなさい!」
「こっ……の!」
「何? その目は。
 私の言うことに間違いがあるというのなら、正論を持ってきなさい。そうしたら、話くらいは聞いてあげる」
 吸血鬼の瞳にも負けないくらい鋭い瞳で相手をにらみ据えながら、永琳。対するレミリアは、しばらく、彼女をにらみつけていたが、やがて、『やめた』とばかりに首を振ると、無言で咲夜の捜索に戻っていく。
「あなた達も」
「……うん」
「おねーちゃん、急ごう」
「え、ええ」
「美鈴さん」
「……はい」
「さっきも言った通り、雪崩に巻き込まれた人間が生きていられるのは、もって十分と言われている。見つかった時には最悪の結果になっていることも、充分に想像できるわ。心しておきなさい」
「……はいっ」
 涙がにじんできた。
 まさか、と言う事態が目の前に想像できて、どうしようもなく辛かった。それで泣いても解決しない。そんなことはわかっているのに、ぽたぽたと落ちる雫は止めようがない。彼女は涙を流しながら、歯を食いしばり、拳を握りしめて、咲夜の捜索を開始する。
「姫、それから、妹紅さん。悪いのですけど、炎を使って辺りの雪を、慎重に溶かしてください」
「やれるだけはやってみるわ」
「さすがに、こういう事態なら、いがみ合いやっている場合じゃないな」
「永琳殿、私はあちらを探してくる」
「ええ」
 永遠亭組も手際よく、役目を分担し、広い雪原に散った。
 暗い夜空に、いくつもの、光の珠が浮かんでいる。誰かの術なのだろう。それで照らされる範囲全てが、雪崩によって突き崩されたと思われる空間だった。そこを、皆、片手にスコップなどを持って、必死に雪を掘り返しながら咲夜を探す。
「咲夜さん……咲夜さん……咲夜さん……!」
 うわごとのようにつぶやきながら、美鈴は、素手で雪を掘り返していた。下手な道具を使うより、鍛えた己の肉体を使う方が効率がいいのだろう。目の色が尋常ではない。必死に雪を探りながら、手応えがないことを悟ると、すぐ次の場所へと移動し、咲夜を探す。
 ――自分のせいだ。
 彼女は、内心で猛省した。
 あんな、突拍子もない行動なんて取らなければよかったのだ、と。咲夜が己のことを、どれほど慈しんでくれていたか、それくらいは知っている。相手のことを、それくらい、よく理解している。しかし、結局、それは上辺だけのものだったのだ。
 永琳に言われたことが蘇る。ミスティアに言われたことが蘇る。
「咲夜さん……!」
 浮かぶ涙を必死でぬぐいつつ、彼女は相手を捜し続ける。
「ちょっと、リグル! あんた、無茶しすぎだって!」
「……だって、そんなこと言われても……」
「そう言うミスティアねーちゃんも、体、震えてるよ。一回戻りなって」
「そーなのかー……じゃない。急ごう、ほら!」
 そんな声が、耳に届く。
「霊夢、そっち、いたか!?」
「いない!」
「上海、蓬莱、そっちは?」
「……どうやら、知らないようね」
「ああっ、もう……! どうして、こんな季節の冬山に入るのよ、人間ってば!」
 騒ぐ声が響き渡る。
「咲夜、死んじゃやだー! 死んじゃやだよぉ~!」
「フランドール様、落ち着いてください」
「大丈夫、咲夜さまは、必ず生きてます。大丈夫ですから」
 泣きじゃくる声が、胸に痛い。
「咲夜は……咲夜は、私が死なせないわ。
 美鈴、そっちは!?」
 自分と同じような心を持って、ひたすらに雪をかき分ける声も。
「これだけの雪を溶かしても、まだまだ……いやになるわね」
「ちくしょう。何で、こんなに雪が積もってるんだよ」
「愚痴を言っても仕方ないですよ、姫」
「妹紅、お前はもっと、上の方を探すんだ」
「師匠、ウサギが数人、凍傷気味です!」
 脇目もふらず、自分たちに出来ることを最大限、成し遂げようとする言葉も。
「……こんなの……!」
 全部、いらない。
 全部、ここにあってはならない。
 ――こんな事態がなければ、こんな状況にはならなかった。それを招いたのは、他でもない、美鈴自身。少なくとも、彼女はそう思っていた。
 だから、全ての声が、耳に痛い。呪いの言葉に聞こえる。
 よくも咲夜を、と。
 誰もが己を罵っているようにも聞こえる。
 耳を塞いで逃げ出したい。自分には責任はないのだと、闇雲に逃げ回りたい。
 ――早く、見つかって。
 多分に、その気持ちには、己が苦しみから解放されたいという願いがあった。こんな辛さに耐えるのは無理だから。だから、お願いだから、見つかってください。
「神様でも、仏様でも、何でもいい……! お願い、咲夜さんを助けて……!」
 かじかむ両手。もうすでに、指先に感覚はない。
 全身の体温が下がってきているようだった。体が重い。ふと気がつけば、彼女もまた、雪の中に埋もれ、雪まみれになっている。
 汗が空気と呼応して凍り付く刃となり、確実に体力を奪い取っていく。疲労が蓄積し、同時に、心の疲れも積み上がり、どんどん意識を削っていく。
「咲夜さん……」
 もはや、残されたのは執念だけ。何としても、咲夜を見つけ出すという執念だけ。
 彼女の無事を祈って。
 この苦しみから、己が解放されることを祈って。
 結局、それは独善なんだな、と思いながら。ふっと、足下が揺らいだ。
「しっかりなさい!」
 横手から差し入れられる手に、体が支えられる。
「あなた、逃げ出すつもりなの!? 諦めるつもりなの!? 答えなさい!」
 視線をやれば、レミリアがいた。
 普段、彼女が一度も見せたことのない真剣な表情と眼差しを作っている。そこに宿る色は、何色だろうか。
「あの子が苦しんでるのなら、あなたも苦しめ! 私も苦しむから!
 私が……私が……!」
「……お嬢様?」
「……私が、あの子を、一人で行かせたりしなければ……。私が……身勝手なことしなければ……!」
 ぽたりと、彼女の両目から涙が落ちる。
「……だから! だから、私も苦しいのよ! あんただけじゃないのよ!
 お願いだから……諦めないでよ……」
 美鈴の両手を包み込み、彼女は懇願すると、再び捜索へと戻っていく。
 萎えそうだった気持ちを必死に奮い立たせるに値する何かが、確かに、そこにあった。ふらつく足で雪の斜面を踏みつけ、腐って落ちてしまいそうな指先で、再び、美鈴は雪をかき分けていく。
「……絶対……助けてみせる……!」
 だから、待っててください、咲夜さん。
 雪を掘り、雪面を泳ぎ、彼女は、体力の限りを尽くして。
 ――そうして。
「……声?」
 耳に、何か、か細いものが聞こえたような気がした。
 耳を澄ませば、捜索隊の声が響き渡っている。だが、その中にあって、小さいながらも確実な響き。
「……咲夜さん!」
 彼女はその声の源へ、雪をかき分け、突き進んだ。
 真っ白な壁を突き崩し、押し固められた冷たい牢獄を打ち崩した先に。
「いた……」
 目を閉じ、身動き一つしない、咲夜の姿があった。
「見つけましたーっ!」
 再び雪崩が起きてもおかしくないくらいの声を上げ、美鈴は宣言する。
 それを聞いて、一同が集まってきた。そして、全員で、ゆっくり、慎重に咲夜を雪の中から掘り出していく。
「……まずいわね。体温が下がりきって仮死状態になってる。おまけに、しばらく酸素も供給されていなかっただろうから……」
 掘り出された咲夜の様子を、手っ取り早く診療した永琳は、これが生死の境を分けるものだと判断したのか、全速力で、彼女を永遠亭に運ぶよう、鈴仙達に言いつけた。
 捜索隊は、そのまま、雪面を蹴って永遠亭に向かって飛んでいく。
「……よかった」
 その中で、一人、ふらつきながらもその場に残った美鈴はぽつりとつぶやいて、息をついた。その時、ふと、視界の端に何かが映る。何だろうと思って取り上げたそれは、ずっと、何か、雪の圧力とは違うもので圧迫を加えられていたかのように奇妙な形に歪んだ、紙袋だった。


「……どうなの? 咲夜は」
「非常に危険な状態ですね。先にも言った通り、体温が下がりすぎてます。本来、人間の体温は三十六度そこそこなのに、今の彼女は二十度もないでしょう。加えて、長時間の酸素欠乏により、脳に深刻なダメージが想像できます。たとえ、目を開けても、果たして意識があるかどうか……」
「……そんな……」
 彼女の濡れた服を脱がせ、診療をしていた永琳が素直に答えた。青白いを通り越して、もはや、咲夜の肌は真っ白。そこには、人間として生きているべき『生き物』としての息吹は感じられなかった。
 レミリアが絶望し、つぶやく。その瞳は狼狽と失望で揺れ、暗い影が、幼い体を包み込んでいく。
 そして、その視線は、鈴仙に、指先の凍傷の治療を受けている美鈴に向く。
「美鈴!」
 その彼女に飛びかかり、畳の上に押し倒し、
「あんたが……! あんたのせいで……!」
「……お嬢様……」
「私も……私も、悪かった! でも、元々は、あんたのせいよ! あんたが、あんなことしなければ! あんたのせいで、咲夜がっ!
 謝れ! 死んで謝れ、この……!」
「やめなさい」
 振り上げた拳の先に光る、真っ赤な刃が、がきん、という鈍い音と共に美鈴の前に展開した結界に当たって弾かれた。それをやったのは――この場で、そう言うことが出来そうな人間はただ一人。
「何でよ!? 何で邪魔するの!?」
 レミリアの、涙をたたえた、やり場のない怒りに揺れる瞳が霊夢を見据える。
「……美鈴さんに責任があるのなら、私だって同罪よ。咲夜さんに、美鈴さんについて、嘘を教えたの……私だもん」
「それなら、私も同じかしらね」
 永琳も、小さく、その後に言葉を続けた。
 他にも何名か、気まずい表情をしているものがいる。美鈴の行方について、皆、咲夜に訊ねられたのだろう。行き先は知らなくとも、『知らない』の一言で突っぱねてしまったことに、少なからず、罪悪感を感じているようだった。
「……誰の責任でもない。これは、咲夜さん自身の責任よ。あなたのやるせない気持ち、よくわかるから」
「でも……だけど……!」
「……彼女を責める暇があったら、今は、ね?」
 優しさと切なさが混じり合ったその一言に、幼い吸血鬼の、涙の許容量が限界を超えた。止めどなくあふれていくそれを手でぬぐいながら、「ごめんなさい」と誰にともなく、彼女は許しを請う。
「皆さん、静かにしてください。ともあれ、今は彼女の治療が最優先です」
 肩を落とすレミリアを、そっと、霊夢が抱えてその場を後にする。彼女たちに続く形で、心配そうに咲夜を見つめていたもの達は、その部屋を後にした。
「美鈴さん」
 あなたも、と永琳が視線を向ける。
「……咲夜さん……ダメなんですか?」
「彼女が人間である以上、例外はない」
 冷たい一言だった。
 しかし、これが、人の生き死にに立ち会う『医者』というものなのだろう。時に冷徹に、残酷に真実を伝えることも、彼女たちには必要とされているのだから。
 あまりにも辛い言葉に、美鈴は唇をかみしめる。
「私の……せいだ……」
 震える声で、何とか言葉を紡ぎ出す。
 握った拳が小刻みに揺れ、小さな背中がさらに小さくなっていく。ゆらりと揺れる陽炎のように、ゆったりと、消えていく。
「……私が……こんな……」
「そう言うのを、何というか知ってる?」
 振り向かず、治療に当たる医者が言う。
 助手に向かって、「とにかく、保温を最優先にして」と言葉を投げかけながら、
「自分勝手、っていうのよ」
 一瞬で、室内の気温が下がっていく一言だった。
 潤む瞳で、相手をにらみつけるように視線を上げる。しかし、それにすら、相手は視線を返さず、
「そうやって、自分の責任だ、で全てが丸く収まるのなら、いくらでも悔いてちょうだい。それで彼女が目を覚まして、奇跡の復活をするのなら、私はいくらでも、あなたに後悔を強いる。
 でも、そうじゃないでしょ? あなたがそうやって泣いていても、自分を悔いても、彼女が目を覚ます事なんてない。奇跡なんて起きない。
 あなたの責任なんて、これっぽっちもない」
「でも……!」
 元々は、自分が紅魔館を飛び出したから。
 そう続けようとして、
「あなたがそうなる原因を作ったのは、誰?」
「……それは……!」
「この人じゃないの?」
「で、でも、私が門番としての責務を果たせなかったのは……!」
「なら、その原因を作った人が、そんな無茶をしなければよかったのでしょう?」
 屁理屈だった。
 屁理屈には違いないのだが、なぜか、反論できない。それどころか、むしろ、そちらの方が正しいのでは、と思えてくる。責任転嫁ではない。世の中にある真実が一つだとするのなら、それこそが真実に思えて仕方がなかった。
「世の中にはね、因果応報という言葉があるの。いいことも悪いことも、自分のやったことは、遠からず巡り巡って自分に必ず返ってくる。彼女が、あなたに対して心ない言葉を投げかけたのなら、それの報いを、彼女は受けたことになる。
 ……もっとも、私や霊夢さんが、きちんと彼女に真実を話さなかったから、今の状況がある。私にも責任の一端はありそうね」
「……」
「……私が、彼女に本当のことを喋らなかったのは、単に、元の木阿弥に戻ってしまうことを恐れたからよ。彼女は、何にもわかってなかった。自分のなしたことが、どれほどの過ちであるのかを。彼女は賢いから、それくらい、少しの時間をおけば理解してくれると思ってた。
 ……見通しが甘かったわね」
 物事は、全て、突発的に起こるものだわ、と永琳は続ける。
「師匠、こうなったら、温浴療法で……」
「バカなことを言わないで。全身凍傷に近い人間にそんなことをしたら、手足切断じゃすまないわよ」
「す、すいません」
 焦りもあるのだろう。突発的に、医療に携わるものとしてあるまじき発言をした鈴仙を、永琳がしかりつける。
「誰にも責任がないとは言わない。むしろ、全員に責任がある。
 あなたにだって、それはあるけれど。でも、あなたが悔いることではない。あなたは悪くない」
「……でも」
「でも、は結構。
 本当にこの人のことを想っているのなら、もう、自分を卑下するのはやめなさい。それはあなたの悪い癖よ。この人達に言われない?」
 そう言えば、と心の中では思い当たることがある。
「精神とか、そう言うのは、肉体を支配するのよ。肉体が精神の入れ物に過ぎないというのに、その中身が入れ物を超えてあふれてしまっているのが、人間のみならず、生き物の真理。
 そうであるから、心が自分を拒絶するのなら、自分はそれに対して、本来の自分たることが出来ない。いい加減に目を覚ましなさい。あなたをそこまで追い込んでいるのは、他の誰でもない、あなた自身なんだ、って。この人の言葉とか、それに連なることとかは、全て単なるきっかけに過ぎない。私はそう思う。
 ……まぁ、年長者の意見だから。参考程度に留めておいて。
 さあ、ウドンゲ。とにかく、何としても彼女を救うわよ。伊達に、長生きしてないわ。持てる技術を、惜しみなく使わせてもらいましょう」
「はい」
 あとはもう、目もくれないどころか、美鈴の存在すら、その場にないようなものとして、二人は治療を開始する。飛び交う医療用語など、美鈴にはわかるはずもない。ただ、その場で拳を握って座していることしか出来ない。
「……まずいわね。末端の細胞が壊死を始めてるわ。ウドンゲ、そこの棚にある、二十八番の薬を取ってきて」
「はい」
「あと、注射器も。気休め程度にしかならないだろうけど、ないよりはマシよ」
「はい」
「それから、三十五番の薬も一緒に。心臓が止まりかけてるわ」
 聞けば聞くほど、不安と絶望が襲ってくる。
 その場にいることが出来ないくらいに、辛い。それなのに足が動かないのは、どうしてだろうか。永琳も、別段、「出て行け」とは改めて言わなかった。そこにいてもいいと言っているのだろうか。それとも、『いてもいなくても同じ』に過ぎない存在なのだろうか。己は。
 ……いやだ。
 ぽつりと、つぶやく。
 いやだ。そんなの。絶対嫌だ。
 ――私が――。
「滞っている血の流れを、どうにかして回復させてやらないとね。ウドンゲ、百二番の……」
「……あの」
 私が――!
「何?」
 後ろから響く声に、永琳は振り向かない。鈴仙が持ってきた薬の中身を注射器へと入れて、それを咲夜の肌に突き刺す。
「人間って……どうやって生きてるんですか?」
「そうね。簡単に言ってしまえば、心臓と脳さえ無事ならば、あとはいくらでもどうにかしてみせる自信はあるけれど」
「それは、どうすれば蘇りますか?」
「何かの強い刺激か……あるいは、彼女自身が持つ生命力と、それこそ、外部から、どうにかして体力……って言うのかしら? そう言うものをプラスしてやれば、生命体の持つ力は強いからね。自己修復してくれると思うけれど。
 ああ、ウドンゲ。注射器の針、新しいのに取り替えて」
「……じゃあ、私も何かお手伝い出来ますか?」
 そこで、初めて永琳が振り返った。
「医学の心得もないくせに?」
「はい」
「何がしたいの?」
「咲夜さんを助けたいです」
 私、が。
「あなたに何が出来ると思ってるの?」
「何かが出来ると思ったから、声をかけました」
 しっかりとした眼差しで永琳を見据え、言う。
 ふむ、と彼女は腕組みをして、わずかに沈思黙考した後、
「そうね。あなた、確か、気、操るのよね?」
「は、はい」
「気は人間の生命力そのものだと言われているわ。
 あなた、彼女の気を増進することは?」
「……それは出来ません。でも、外から注入することなら」
「よろしい。じゃあ、それをお願い。あと、まぁ、とても単純な方法だけど、彼女をあっためて。体温の低下が止まらないの」
 出来る? と視線で問いかけてくる。
 出来ます、と美鈴は答えた。
 私が、咲夜さんを、必ず、助ける。他の誰でもない、この、私が。
「よし。
 聞いた? ウドンゲ。これが最後の勝負よ」
「はい。薬の方は?」
「彼女の生命力が強まってくれれば、下手な薬は、逆に命取りよ。まずは経過を観察後、適切なものを」
「了解しました」
 ちらりと、鈴仙が美鈴に視線をやる。
 ……うわぁ、と小さな声を上げて、思わず、頬が赤くなる。
「……これがセオリーなんですよね?」
「そうね。しっかりと、彼女を抱きしめてあげて。かなり冷たいと思うから、驚かないように」
 失礼します、とつぶやきながら、一糸まとわぬ姿になった彼女は、布団の上に寝かされている、死人のような冷たさを持った咲夜の横に寄り添い、ぎゅっとその体を抱きしめた。途端、氷を抱いているかのような冷たさを感じ、震え上がる。
 それでも、何かをこらえるように表情を引き締めて、すぅっと息を吸う。
「一番手っ取り早い方法なので……咲夜さん、ごめんなさい」
 青白い唇に、そっと自分の唇を重ねて、胸の中にため込んだものを吹き込んでいく。
 咲夜の胸が、大きく膨らむのを確認してから、そっと顔を離して、あとはもう、その冷たい体を抱きしめるだけだ。
「終わったの?」
「はい。一応」
「よし。
 ウドンゲ、患者の様子を子細漏らさず観察して。状況が変わったら、一気に仕掛ける」
「はい」
「……咲夜さん。頑張ってください」
 耳を寄せれば、小さな呼吸の音が聞こえる。視線を向ければ、静かに胸が上下しているのがわかる。肌に頬を当てれば、本当に小さな命の息吹があるのがわかる。
 まだ、彼女は生きている。
 彼女は強い。
 自分なんて、かなわないくらいに強い。それくらい、痛いほどよくわかっている。
 だから、信頼できる。絶対に大丈夫だ、と。こんなにまで、みんなが彼女のために頑張っているのだから。その期待を裏切る人ではないと、わかっているから。
「……ちゃんと起きてくれないと、私、あなたに謝れないんですから」
 そうつぶやいて、あとはもう、信じるだけだった。


 虚ろな眼差しを開いてみれば、彼岸が見えた。
 それが本当に彼岸なのだろうかと疑えば、疑う余地のないものが見えた。
 妙に、それは暖かい。
 手を伸ばせば触れられる距離にある、暖かいそれは、とても幸せそうで。自分には縁遠いものに思えた。だから、ここは、彼岸なのだと。この世ではないのだと。
 もう、遠く遠く過去の遺物として忘れ去ってしまったものが目の前にあるはずがないのだから。
 ああ、私は死んだのか、と。
 思った。
 それに絶望し、同時に、悲しいものを感じた。何を悲しむ必要が、自分にはあるのか。それがわからないままに涙を流す。
 このまま、流れていきたくない。この場を離れて、そこに流れていってしまいたくない。抗いようのない力の中、どうにかしてもがき。それでも、どうすることも出来ずに、体は無情な強流に呑まれて消えていく。
 行きたくない。そこに行きたくない。お願いだから、私を帰らせて。
 その必死の訴えの中、彼女は逆らうことも許されないまま、彼岸に飲み込まれていき――言いようのない、何かに包まれた。


「……ん……」
 まぶしさに身じろぎをして、目を開ける。
 ぼんやりとにじんだ視界には、こちらを覗き込む、二人の女の姿。どちらも、ほっとしたように、安堵の息をついている。
「ここは……」
 なんてありがちなセリフをつぶやいているのかしら、と内心では己を笑いながら、身を起こそうとして。しかし、体にあまり力が入らず、結局、上半身を起こすので精一杯だった。
 すでに、外は明るい。
「おはようございます、咲夜さん。お目覚めはいかが?」
「頭が、まだぼんやりとしているけれど……。
 ……って、ここは?」
「ここは永遠亭ですよ。ああ、でも、本当によかった。一時は危篤状態でしたから」
 危篤状態。誰が? 自分が? なぜ?
 おぼろげな記憶をたどり、深い記憶の海へと潜っていけば、うっすらと見える、記憶の固まり。それを手繰り寄せて、彼女は表情を硬直させる。
「そう……そうよ。確か、私は美鈴を探して、雪山で……」
「本当に、危ないところだったのよ。奇跡が起きなければ、あなたは今頃、あちらの世界で幽々子さん達にお世話になっていたのではないかしら」
「……奇跡?」
「と言うか、人為的に起こせるものを奇跡というのかどうかは、今一度、定義の確認が必要だけどね」
 見てご覧なさいな、と彼女――永琳が、咲夜に促してきた。
 言われて、自分の体を見下ろしてみる。裸だった。まぁ、これはいい。恐らく、あの後、自分は雪の下から助け出されて、永琳に治療を受けていたのだろうから。
 しかし、この、肌に当たる柔らかい感覚と、もう一本の腕は……?
 その源を手繰ってみれば、
「んなっ……!?」
 自分の隣で、同じく、白い素肌をさらして眠っている、探し人の姿。
「なっ、ななっ!? なぁっ!?」
 彼女と自分を指さし、交互に視線をやりながら、その視線を永琳に向けたり鈴仙に向けたり、美鈴の胸部のごく一部を見て殺意が湧いたりしながら、
「これはっ!?」
 ようやく言葉を紡ぎ出せたのは、たっぷり、パニックになってから五分は過ぎた頃だった。永琳達はその間、笑っているだけ。何ともタチの悪いからかいである。
「ふふっ。彼女が、奇跡を起こしてくれたのよ」
「情熱的でしたよね」
「じっ、情熱的!?」
「ええ。ああ、先生、目の毒だわ」
「私もです。ただでさえ、目が赤いのに、よけい赤くなっちゃいそう」
「……っ!」
 顔を真っ赤に染めて、咲夜は、服などまとっていないというのに、どこからかナイフを取り出してそれを逆手に持つと、恥ずかしさ紛れのためか、美鈴にそれを向けようとする。
 しかし、ぽん、とそのお腹の上に、小さな紙袋が置かれる。それで、咲夜は『あ』という表情になった。それは、何ともたとえづらい、複雑な顔。
「……これ……」
「あなたが、雪の下で、しっかり抱きしめていたのよ。運び出す時に落としてしまったようだけど、美鈴さんが持ってきたの。中身は、悪いと思ったけど見せてもらったわ」
「……」
「素直になりなさい」
 咲夜の瞳を覗き込みながら、一言。それには、強制力と同時に『いい加減にしなさい、このバカ』というお叱りの――だが、暖かい色が含まれていた。
「……はい」
 手にした紙袋の中身を、もう一度、確認してから。視線を逸らして、彼女はうなずいた。
 それならいい、と永琳はうなずいて、すっと、衣擦れの音を立てて立ち上がる。
「さあ、ウドンゲ。私たちは、ちょっと席を外しましょうか」
「そうですね。お二人に悪いですもんね」
「ちょっと、そこのウサギ! どういう意味!?」
 かーっと、頬が熱くなるのを感じる。心なしか、心臓の拍動も速くなったような、そんな感じがした。その感情の源は――もちろん、言うまでもない。
「さあさあ、邪魔者は退散しましょうか」
「咲夜さん、どうぞごゆっくり」
「こらー!」
 顔を真っ赤にして、手にしたナイフを放り投げる。しかし、普段の勢いと鋭さはどこへやら。へにょへにょと飛んだそれは、情けなく畳の上に落ちた。くすくすと笑う永琳と鈴仙は、そのまま、障子の向こうへと姿を消してしまう。
 咲夜は、もう、何とも言えない、恥ずかしさと屈辱と怒りと、それから少しだけ、嬉しさのようなものを混ぜ合わせた表情でそれをにらみつけていたが、やがて、視線を美鈴に移すと、
「美鈴」
「ん……」
「美鈴っ」
「ん……ふあ……」
「美鈴!」
「んんっ……あんっ……」
「何でそんなに変な声出すのよ、あんたは」
 やたら艶っぽい声を上げて身をよじる美鈴に、咲夜の頬に汗一筋。
 それでもしばらく、根気よく彼女を揺さぶることで、何とか、美鈴の目を覚まさせることに成功する。目を開けた彼女は、ふぁ~、と大あくびをしながら体を伸ばす。その際、咲夜の目の前で、憎らしいくらいに彼女の双丘が揺れたが、拳を握るだけで勘弁しておいてやるつもりらしかった。
「……あ」
 やがて、美鈴の視線が咲夜に向く。
 そのまま、まるで時間が停止したかのように、ぴたりと同じ姿勢で固まる彼女。
「おはよう。いい夢は見られた?」
 そんな彼女に、出来る限り、不安を与えないように、ふんわりとした微笑みを見せる。多分に唇の端が引きつっていたが、美鈴には、そんなことは関係なかったらしい。
 見る見るうちに、彼女の表情が歪み、目からは涙がこぼれだして、
「咲夜さぁぁぁぁぁーん!」
 全力で、彼女は咲夜に飛びついた。
「うわっぷ!?」
「うわぁぁぁぁ~ん! よかった、よかった、よかったぁぁぁぁぁ! 生きてたんですねぇ!」
「もが……苦し……! 息……でき……!」
「私、心配してました! 咲夜さんが死んじゃったらどうしようって! でも、でも、やっぱり生きててくれたんですねぇぇぇぇぇ!」
「窒息死するわぁ!」
 彼女のでかい胸に挟まれて、必死にもがいた末、何とか脱出した咲夜がナイフ片手に思いっきり怒鳴った。
「……はぁ……はぁ……。あなたね、せっかく助かったこの命を、また奪ってくれるつもりなの!?」
「あ……あぅ……そういうつもりじゃ……」
「……ったく。頭の中身が空っぽだから、乳ばっかりでかくなるのよ。無駄なのよ、それ」
「……無駄でしょうか……」
 自分の胸を掴んで持ち上げる。むかつくくらいに質と量を咲夜の目に誇示するそれは、柔らかいマシュマロのようにふにふにと形をゆがめて、咲夜の心に怒りの炎を燃え上がらせる。
「と、ともかく!」
 そこで、何とか話を区切る。これ以上、胸談義が続くと、問答無用で殺人ドールを解き放ってしまいそうになったからである。
「……探したわよ、美鈴」
 息を整えると、途端に自分がしおらしくなるのがわかった。先ほどまでの雰囲気などどこへやら、小さな声で、不安の色をその中ににじませながら、咲夜はつぶやく。
「……はい。ごめんなさい」
「全く、あの程度で職務放棄して逃げ出すなんて……。何を考えているのよ」
「うぅ……だってぇ……」
「だって、じゃない」
 ぴしゃりと言われて、美鈴が思わず、その場に正座して背筋を伸ばす。頬を伝うのは、冷や汗だろう。
「あなたのせいで、メイド長の仕事は滞るわ、雪山で雪崩に巻き込まれるわ、挙げ句、死にかけるわ。
 このお礼は、たっぷり、してあげないといけないかしら」
「う……あの……せめて、操りドールで……」
「却下」
「ふぇぇ……」
 ふっふっふ、と笑いながら、咲夜がすちゃりとナイフを構える。それの先端を美鈴へと向けて、にんまりと、鉄の笑み。
 美鈴は目を閉じて体をこわばらせ、「さらば我が人生」と小さくつぶやいた。
 ――のだが。
「……ったく」
 次の瞬間、あったのは、冷たい鉄の感触でも、肌に刃が食い込む独特の痛みでもなく。
「……ほえ?」
 がさがさという小さな音。そして、何かが取り出されるような、そんな柔らかい音。
「私も、毎度毎度、お仕置きしてばかりじゃないって言ったでしょ」
「……あ、これ……」
 ふんわりとした、何とも言えない柔らかい感覚。首回りをゆったりと包み込む、暖かなそれは。
「……マフラー?」
 色とりどりの毛糸で織られた、立派なマフラーだった。その暖かさは格別。そんなはずはないのだが、体が一気に温かくなっていって、そして、心までが優しさという名の毛糸に包まれているような、そんな感じもしてしまう。
「もうそろそろ冬でしょ? だから、そろそろ、寒くなるかなと思って……。
 い、言っておくけれど、あなたのために作ったんじゃないのよ? お嬢様達の分を作って、た、たまたま、毛糸があまったから……それなら、って思っただけで」
「……咲夜さん?」
「何よ!」
「……ありがとうございます」
 恥ずかしさなのか。
 しどろもどろになって言い訳をする咲夜に、本当に嬉しそうに、そして、本当に幸せそうに笑いながら美鈴が感謝の言葉を述べた。
 それを受けて、咲夜の勢いも収まっていく。ゆったりと、ゆっくりと。
 彼女は頬を赤くしたまま、ぷいっとそっぽを向く。
「……そう。感謝してくれるならいいわ。
 あと……セーターとか、手袋とかもあるけど……そっちはまだ……出来てないから」
 そろそろと、美鈴に顔を向ける。その顔が、気恥ずかしさで、まともに見られなかった。嬉しそうに微笑んでいる彼女を見ると、頭がおかしくなってしまいそうだった。体が壊れてしまいそうだった。だから、すぐにまた顔を逸らして。それでも、意思確認だけはしておかないといけない、と自分に言い聞かせ、葛藤を経て、出来たらいる? と視線で問いかける。
 無論、いります、と美鈴は笑顔でうなずいた。
 ――その時の気持ちを、想いを、どう表現したらいいものだろうか。何とも言えない。言葉などと言う無粋なもので、自分の今の気持ちを表現したくなかった。
 喜びも。幸せも。
 何もかもを超越してしまった。だから、咲夜は何も言わなかった。何も言わずに、ふっと肩をすくめる。
「……じゃ、服、着ましょうか」
「動けますか?」
「……う~ん。ちょっと厳しいかな」
 上半身は動くんだけどね、と苦笑い。
「……それじゃ」
「あ、ちょっと……」
「恥ずかしいけど、あったかいですよ」
 美鈴は、咲夜を布団の中に引き込むと、二人で肌を寄せあい、枕を並べた。そして、その上に、暖かな毛布をかぶる。
「……もう」
 少しだけ、嬉しそうに、咲夜が微笑んだ。
「ちょっと言い方は違いますけど、独り寝の夜は寂しいじゃないですか?」
「確かに」
「なら、少しくらいは、誰かの隣にいたって悪い事じゃないですよ」
「それは詭弁のような気もするけれど?」
「あれ。わかっちゃいました?」
 わからいでか、と彼女は苦笑した。
 そうして、少しだけ、体を美鈴にすりつける。
「まだ寒いですか?」
「少し、ね」
「そうですかぁ……」
 どうやら、悩んでいるらしい。
 ん~、と形のいい眉を精一杯しかめ、可愛らしい顔に難しい表情を浮かべていた美鈴は、ふと、視線を、自分の首回りを包んでいるマフラーに向ける。
「そう言えば、どうしてこれ、作ってくれたんですか?」
「さっきも言ったでしょ? もう、外は寒くなってきたから、って」
「いえ、そうじゃないんですけど……。まぁ、いいや」
 何が言いたいの? とばかりに視線を向ける。
 しかし、美鈴はというと、嬉しそうにそれに頬をすり寄せながら、
「けれど、これ、ちょっぴり長くないですか?」
「……わ、悪い?」
「いえ、別に」
「仕方ないじゃない。その……毛糸玉、余ってたんだから。全部使わないともったいないでしょ」
 だからって、この長さはないと思いますよ?
 笑いかけてくる美鈴に、恥ずかしくなって、咲夜はそっぽを向いた。そんな彼女へと、美鈴が身を寄せて、そうして、ふんわりと。
「……あ」
「でも、この長さだったら、二人であったまるには充分ですね」
 背中側から声。
 首元を包む、マフラーの暖かさ。背中に当たる、彼女の肌。柔らかく、繊細で。わずかな呼吸の音と一緒に、胸元のふくらみが背中でこすれるのがわかる。わずかに押し付けられて、わずかに離れていって。
「……咲夜さん」
「……な、なに?」
「あったかいですね」
 それは、本当に、何気ないただの一言だったのだろう。
 しかし、それは、咲夜にとっては黄金の左ストレートをクロスカウンターで食らったに等しかった。
 ぼむっ、という妙な擬音と共に顔が真っ赤に染まり、心臓が恐ろしいくらいの速度で鼓動を刻み始める。ああ、もう、うるさい。黙れ。そう言って自分の胸に手を当てるのだが、一向にそれは収まってくれない。
 それに加えて。
「寒いのでしたら、もうちょっとくっつきますね」
「ち、ちょっと、こら……」
 首筋に彼女の手が回り、さらに、美鈴が体を密着させてくるものだから。
 いよいよ、心臓の鼓動は鐘どころか大砲の着弾のような音を立てて動き出し、顔を中心に、体がかーっと熱くなってくる。
「あったかいですか?」
「……あ、あったかい……けど」
「よかった。
 本当に……心配したんです」
「……ん」
 首筋に回される彼女の手に、そっと、掌を重ねる。
 美鈴の声音が変わったのを察する。気配が入れ替わったのがわかる。重ねた掌で、ぎゅっと彼女の小さな手を包み込む。それは、痛々しい包帯に覆われていた。
 ……とくん、と。
 胸が鳴る。
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「だって……私が、そもそも、紅魔館を勝手に飛び出したから……。
 ……どうしようって思ったんです。雪の中から、冷たい咲夜さんが出てきた時。このまま、もう、目を開けないのかなって思ったら……私……」
「……美鈴?」
「ごめんなさい……ごめんなさい、咲夜さん……。勝手なことをして……本当に……」
 小さなすすり泣きの声。
「私……私、咲夜さんのこと、何にもわかってなかった……。ずっとずっと、わかっていたふりをして……。こんなに、あなたは優しいのに……それなのに……。
 私……贅沢して……それが当たり前だって思ってて……。そんなこと、ないのに……。咲夜さんは、咲夜さんの精一杯を私にぶつけてくれていたのに。なのに……なのに私は……!
 本当に……本当に、本当にっ……! ごめ……なさい……!」
 背中に当たる、悲しい音色に咲夜はそっと振り返る。美鈴の瞳からは、涙があふれていた。雫が彼女の肌を伝って、枕を濡らす。悲しさも、自分への怒りも、全てがごちゃまぜになって、彼女に涙を流させていた。そんな彼女を見ていると、どうしようもなく、辛くなる。あなたは悪くない。あなたが悪いんじゃない。全部は、私のせいだから。
 その言葉を、言いたくて。
 そうして、泣いている彼女を抱きしめると、優しく、その頭をなでて、
「いいの。私の方こそ……ごめんなさい。
 本当にあなたのことを大切に思っているのなら、あんな事、言うべきではなかったわね」
「え……?」
「あなたの技能は貴重なのよ。色々と。
 もちろん、それは、紅魔館にとってと言うだけじゃなくて……その……私にとっても」
「咲夜……さん?」
「……あなたみたいに気が利くようになりたい」
 優しい言葉を投げかけながら、そっと、美鈴の耳元に口を寄せる。
「人間には変身願望があるの。男性なら女性に、とか、女性なら男性に、とか。
 私は……あなたみたいに、誰に対しても優しくて、好かれていて、気が利いていて、かわいい女になりたかった」
「……そんな」
 そんなことは初耳だった。
 むしろ、こちらが咲夜に憧れるならわかるのだが、相手が自分のようなものに憧れていたのだと言われても。そんなことを聞かされても。
 どう答えていいかわからなくて、涙も止まってしまう。
「……あなたに謝りたかった。きっと、あれは、あなたに対する嫉妬もあったのね。
 永琳さんが、私にあなたの居場所を教えてくれなかったのは、きっとそう言う意味だったのね」
「あの……一人で納得されても……」
「……ごめんね、美鈴」
「……あっ……」
 ぽろりと。
 一滴の雫が、彼女の瞳からこぼれたのを、美鈴は見逃さなかった。
 ぽたぽたと落ちた雫は、そのまま、二人の肌の上に重なって流れていく。
「本当にごめんなさい……。あなたのこと……あんな……。私を許して……」
「……許すとか、許さないとかじゃないです……。
 私だって、咲夜さんに逢いたかった……一人でいるのが、寂しくて……。紅魔館のみんなに会いたかった……! 一番、咲夜さんに逢いたかった……!
 ごめんなさい……! ごめんなさい、咲夜さん……!」
「あなたのことが心配だった……。私が傷つけた、あなたが心配だった……! どこかで泣いてるんじゃないかって……あなたの、あの笑顔が、もう二度と見られないんじゃないかって……!
 あなたに……逢いたかった……! 逢って、謝りたかった……! 心から……私が、私の持っている全部をあなたに伝えたくて……。しがらみも、上下関係も、どうでもいいから! 私は、十六夜咲夜は、あなたに……逢いたかった……!」
 自分に素直になれ、とは。
 第三者から見て、とても自分勝手な意味に使われることがある。そんなことを他人に強制して何がしたいのだと。それを言われたものは、そう思う。
 しかし、その言葉に、本当の正しい意味が備わった時は、そうでもない。むしろ、それに、人は感謝する。
 こんな風に。
 言いたくても言えなかった言葉を。心からの一言を発するきっかけになるのだから。
 互いが互いに触れあいながら、雫をこぼす。その雫は、言葉というものを伝える媒介となり、意思を表示する媒体ともなる。こぼれ落ちるそれは、純粋なもの。純粋な、全ての発露。そこに嘘はない。そこに身分はない。ただ、そこにあるのは、『自分』という存在を定義するだけの、極めて純粋な固まりのみ。
 だから、素直になれる。
 自分を飾るものなど、何一つないから。何一つ、持ち合わせていないから。
 だから、全部をさらけ出せる。隠し持っていたものを全て、相手に見せることが出来る。自分という『命』そのものから、その相手に伝えたいものを、全部。
「ねぇ……美鈴」
「……はい?」
 ぐすっ、と二人は鼻をすすりながら、嗚咽をこらえつつ。
 視線を絡め合う。
「私のこと……好き?」
「とっても大好きです」
 即答だった。
 もう、何をいえというのか。それ以外に、自分には、どんな答えがあるのだと。
 美鈴の瞳は、それを語っている。まっすぐにぶつけられる想いに、咲夜の顔に笑顔が浮かび、同時に真っ赤に染まった頬が、その気持ちを物語り。
「……じゃあ、いい?」
「え?」
「動かないでね」
「……あ、あの、さく……んっ……」
 柔らかい唇と唇が重なり合い、二人の顔が最接近する。目を白黒させた美鈴の前で、咲夜は瞳を閉じて、唇に全ての気持ちを込めていた。
「ん……んんっ……」
 少しだけ抵抗して身をよじってみるのだが、咲夜の方から、積極的に体を重なり合わせてくる。体と体が重なり合い、肌が触れあい、心も重なっていく。
「んん……」
 段々、抵抗する意識も薄れてきて、全てを任せてしまいたくなる。開いていた瞳も、ゆるりと溶けていく。目元に、新しい涙が浮かんできた。それでぼやけた彼女の顔が見たくなくて、美鈴も目を閉じた。
 そっと唇が割り広げられて、舌が差し入れられた。
「んむ……」
「あふ……」
 互いに首筋に腕を絡め合って、ぎゅっと抱きしめあう。
 心臓の鼓動が重なる。その音が相手に聞こえてしまっているのだろうか。それを思うと、とても恥ずかしかった。こんなに胸を高鳴らせている。こんなに、想いが弾けてしまっている。私って、なんて、節操のない女なんだろう、と。
 恥ずかしい。辛い。切ない。早く、離れたい。こんな私を、この人に知られたくない。
 ――それでも、優しい重なりは続いていた。
 いつまでもいつまでも続くかのように。唇は互いの気持ちを代弁する。重なるそれは、決して、離れようとしない。まだまだくっついていたい。まだまだ重なっていたい。どうせなら、永遠に。もう二度と、誰にも邪魔されないくらいに、永遠に。
 咲夜は、ふと、思った。
 そうだ。ここが彼岸なのだ、と。目の前で、自分と唇を重ね合わせている彼女の中こそが、自分がいつか帰るべき、彼岸の境目なのだ、と。
 ここが此岸でなくて、当然だった。
「んっ……」
「ふぅ……ん……」
 小さな息と声を漏らして、キスを続ける。
 静かに響く衣擦れの音。濡れた音。肌と肌が触れあって、重なる音。わずかに瞳を開けると、美鈴が顔を真っ赤にして身をよじっていた。こちらから逃げようとしているのかもしれない。
 そんなのは許さない、とばかりに、咲夜は彼女を抱きしめる腕に力を込めて、左手を、そっと、彼女の胸のふくらみに押し当ててそれを握った。ぴくん、と美鈴が体を反応させて、切なそうに、一度、大きく息を吸った。
 それを見計らって、さらに深く唇を重ね、舌を差し入れる。ちゅっ、と音を立てて彼女の口の中を味わいながら、より深く、自分と彼女を重ね合わせていく。
 暖かくて。幸せで。
 こんな世界がこちらの『世界』であるはずがないと思って。
 それなら、ずっと、ここにいたいと。
 彼女は思った。
「ん……」
「……はぁ」
 唇をようやく離して、二人は少しだけ、距離を空けた。とろけた視線が絡み合い、混じり合って一つになる。二人とも、その姿勢のまま、硬直する。
 体勢が変わり、今は美鈴が下、咲夜が上になっている。唇を繋いだ銀の糸がぽたりと雫となって落ちて、美鈴の頬を伝っていく。
「咲夜……さん……?」
 目を潤ませ、頬を真っ赤に上気させて。わずかに呼吸を乱しながら、声を上げる。そこに含まれている音は、とろけた女の音。目の前の相手に向けられる、最上級の、心からの、『愛』の響き。
 言葉に出すと安っぽい気持ちになってしまうのに、それを声には出さずに、目に映して放つと、それは何よりも強いメッセージとなる。自分が今、どんな顔をしているか、美鈴にはわかっているのだろうか。
 全てをとろかしてしまう、魔性の魅力をたたえた女の顔が、そこにある。
「……いや?」
 咲夜は、そっと訊ねる。
 この先に進んでしまうことを。もう、後戻りできない彼岸の彼方に突き進んでしまうことを。渡し船はない。呼び戻してくれる声もない。それでもいいのか、と。そこにいるのは、私だけなのに。私とあなただけなのに。たった二人の、寂しい世界に進んでしまうことを、あなたは望んでくれるのか、と。
 私と、あなただけ、という。この世ではない、彼岸へと。
 ――静かに、美鈴が首を振る。
 左右に。
「受け入れてくれる?」
 うん、と。
 うなずいた。
 あなたとなら、どこにだって行ける。あなたと一緒なら、永遠に寂しくない。あなたさえ、そばにいれば。
 美鈴の瞳が語る。
 ――愛というのは。切なくて、悲しいもの。そこに形成される世界には、他の誰もが入り込んでくることは出来ない。無限に、その世界には、その二人しか存在することが出来ない。永久に孤立するのだ。だから、愛は牢獄であり、結婚は人生の墓場なのである。それがいいと、心から望まなくては、決して受け入れてはいけないものなのだ。
 それでも、美鈴はそれを望んだ。心から。
 目の前にいる人と、永久(とこしえ)の絆を誓い合うことを。もう、後戻りなんて出来なくてもいい。あなたと一緒にいたい、と。そう望んだから。
 美鈴は、咲夜へ腕をもう一度、絡ませる。二人を繋ぐのは、暖かな、マフラーの姿を借りた絆の糸と、切なさと喜びの混じり合った彼岸につながる渡し船。
 ありがとうと小さな囁きを告げて、そっと、掌で彼女を包み込んで。そうして、もう一度、唇を重ね合わせようとして――、
「さくやー! めーりーん!」
 ばたーん、という音と共に障子が勢いよく開かれた。ついでに言えば、元気のいい、聞いたことのある声も一緒に。
 笑顔で飛び込んできたのは、フランドール。
「永琳のお姉ちゃんに聞いたよ! 目が……って……あれ?」
 彼女の瞳が、不思議そうに揺れるのと、咲夜と美鈴の顔が凍り付き、音速すら超えるのではないかと思われる早業で服を着込んで、ぱっと体を離すのとは、ほぼ同時だった。
 っていうか、あり得ない早業のそれは、まるで時間が停止して再び動き出したかのよう。
「……あれ? 今、咲夜と美鈴が……」
「な、ななななな何でしょうか、フランドール様!」
「今、お風呂でもないのに、裸で抱き合っていたような……」
「い、いやですねぇ、フランドール様っ! そっ、そそそんなこと、あるわけがないじゃないですか! ね、ねぇ、咲夜さん!」
「え、ええ、そうね! その通りね! 全くその通りね!」
「ん~……?」
 今の光景と、現在の光景とを重ね合わせて、結局、認識が追いつかなかったのか。
 フランドールは、笑顔で、てててっ、と歩いてきて、咲夜に抱きついた。
「よかったね!」
「え、ええ、はい、そうですね!」
「咲夜、汗が流れてるよ? 暑いの?」
「そ、そんなことはありません! はい!」
「そっかぁ。
 それじゃ、向こうに行こう! お姉さまも、みんなも、心配してるよ! それにね、美味しいお菓子があるんだよ。うさちゃんの形をしたおまんじゅう。咲夜に食べさせてあげようと思って、フランが咲夜の分、用意したんだよ!」
「は、ははは……」
 引きつった笑いを浮かべながら、咲夜はちらりと美鈴を見る。
『さっきのこと、誰かにばれないよう、気をつけなさい。全力で』
 その瞳は、有無を言わさず、それを語っていた。と言うか、この場に飛び込んできたのがフランドールで、少なからず、ほっとしているらしい。それ以外のものが相手だったら、容赦なくぼこぼこにして強制的に記憶を喪失させなくてはならなかっただろう。お子様が相手で本当によかった、と。二人して、安堵の息をつく。
「ほらほら。早く行こうよ!」
 フランドールに連れられて、二人は立ち上がると、彼女に手を引かれて廊下を歩いていく。
「咲夜さん、その……」
 くいくいと、フランドールにはわからないように、美鈴は咲夜の服を引っ張って、少しだけ上目遣いに訊ねる。
「……何?」
「……さっきのあれって……」
「……その……えっと……。い、いいでしょ! 忘れなさい!」
 ばしん、と頭を叩かれて、美鈴は涙目になる。
 ……恥ずかしがりにもほどがあるとは、このことだろうか。あそこまでお互いを結びつけておきながら、今さらそれをほどこうなどとは。もはや、両者が持った絆の糸は固結び状態の上にぐちゃぐちゃに絡まってしまって、もう二度と、決してほどけないというのに。
「おねーさまー! 咲夜と美鈴、連れてきたよー!」
 がらっと開けられた障子の向こうで、咲夜の無事を祈っていた一同が彼女を見て、何とも言えない、暖かな表情を浮かべた。ちなみにその片隅には永琳と鈴仙がいて、にこにこと笑っている。その顔は、まるで全てを見透かしているようでもあった。ぐっ、と咲夜も美鈴も言葉に詰まる。
 だが、
「よかった……咲夜……」
 その場で静かに上がった、本当に、心の底から安堵した声に、それはかき消された。
「……お嬢様」
「心配したんだからね……バカぁ……」
 真っ先に、レミリアが咲夜にしがみついて、小さな泣き声を上げ始めた。そんなしおらしい彼女を見て、少なからず、驚愕の表情を浮かべるもの達が数名。普段の傍若無人ぶりが、誰にとっても、レミリアのイメージとして備わっていたのだろう。
 しかし、実際は、こんなものだ。彼女は、肉体に精神を束縛された『子供』なのである。
「はい。ご心配おかけしました」
「美鈴さん、お疲れ様」
「一人で残って看病なんて、やるな、お前」
「……あはは。元々、私が悪いんですし」
 かけられる言葉に笑いながら。
 ちらりと咲夜を見る。
 彼女は涙を流すレミリアを抱きながら、優しい笑顔を浮かべていた。そんな彼女を見ていると、唇に重ねられた、あの暖かい感覚と、語りかけられた、柔らかい心を思い出してしまって。
「どうしたの? 美鈴」
「い、いえ。何でもありませんよ、パチュリー様」
 顔を真っ赤にしてしまって、心配されてしまったのだった。




 ――さて。

 こうして、無事、美鈴は紅魔館に戻り、いつもと同じ日々を送ることになるのだが。



「紅美鈴、本日より、業務に復帰致します。
 本当に、申しわけありませんでした」
 紅魔館の主、レミリアを前に、腰を九十度に折り曲げて、彼女は頭を下げる。そのすぐ後ろには咲夜が付き添っていて、「本当に申しわけありませんでした」と頭を下げる。
 室内には、レミリアの他にパチュリーがいる。レミリアはつまらなさそうに、テーブルに頬杖をつきながら二人を見つめ、パチュリーは、そんな二人に興味などないと言わんばかりに本のページを繰っている。
「……それで、あの……」
「――まあ」
 言葉を続けようとした美鈴を遮り、
「うちは常に人手不足だから。そこの穴埋めをしてくれるというのなら、私は何も言わないわ」
「お嬢様……!」
「ただし」
 感動し、思わず、涙を流しそうになった美鈴に向かって。
「その代わりに、ちゃんと罰は受けてもらうわよ?」
「は、はい! それについては、咲夜さんにも言われていました。何もなく、ただ、復帰を許可してもらえるなんて思っていませんから」
「そう。それならいいわ」
 彼女は、そこで初めて楽しそうな表情を浮かべた。
 あの顔は、何か悪巧みをしている顔だ。一瞬で、美鈴と咲夜はそれを感じ取る。何やらいや~な予感が漂い、逃げ出そうかどうしようか、美鈴が迷っていると、
「実はね」
 逃げるのに失敗する一言が告げられてしまった。
 美鈴の前に、何やら手にしてレミリアがやってくる。
「あなたは、紅魔館の従者の一人。となれば、メイド服は必須でしょう?」
「は、はあ……」
 まぁ、確かに、それは道理である。
「だから、あなたの分のメイド服をデザインしておいたわ。それを身につけて、これから一週間、仕事に励みなさい」
「……え?」
「何?」
「え、いや、あの……これだけですか?」
「そうよ?」
 ほっと、安堵のため息。
 何だ、そのくらいなら大丈夫だ。美鈴は安心して、受け取ったメイド服に視線をやる。
 てっきり、火の上を走らされたり、紅魔館の周りの湖を五十周などといったいぢめを受けるのかと思って、内心でははらはらしていたのだろう。美鈴の顔は笑顔だった。
 ……その詳細を見るまでは。
「……あの~」
「何かしら?」
「これ……メイド服……ですよね?」
「そうよ?」
 それは確かにメイド服なのだが。
 だが、しかし。
「……妙に布地が少ないような気がするんですけど」
 そうなのだ。
 本来、メイド服……というか、服というものは体を包み込むのが目的のはずなのだが。
「言ったでしょう? 懲罰だ、って」
「こ、これを着て外に立てと……!」
「何? 文句があるの?」
 ある。と言うか、ない方がおかしい。
 だが、しかし。
 このわがまま吸血鬼を前にそんなことを言えば、二十四時間耐久弾幕レースに持ち込まれるのは目に見えている。さすがにそれは死ぬ。と言うか、助かってもしばらくの間、間違いなくベッドの上の人になる。
 ……のだが。
 むしろそっちの方がいいかな、と思えてくるデザインなのだ。それは。
「何で……その……胸元とかの生地がないんでしょう……。ついでに言うなら、えらいスカートが短いような……」
「懲罰だもの。
 裸で市中引き回し、なんて。昔の西洋では珍しくもなかったでしょう」
「そうね」
 と、同意するのはパチュリー。本に顔を隠しているが、わかる。笑っている。めちゃめちゃ楽しそうに笑っている。本を握った手や肩が小刻みにぷるぷる震えているのだ。
「……」
「下着なし」
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
「そ、その、お嬢様。さすがにそう言うのはちょっと……」
「あら、あなた、私に意見をするの?」
「いや、さすがにそれは……」
 さすがに、美鈴がかわいそうに思えたのだろう。咲夜が横から仲裁にはいるのだが、
「ちょうどいいわ。あなたも私を心配させたのだから、罰として、同じ衣装を着て、一週間、働きなさい」
「げっ」
「うっふふふ。やぶ蛇、って知ってた?」
 にやにやと笑う吸血鬼の瞳は。
 これ以上ないほど、『こ、この小娘……』と思わせる視線だったという。



「さあ、今日も元気に知識の探求だぜー……って……」
「と、止まってくださーい!」
「……中国」
「何も言わずに回れ右して帰ってください! さもないと、もう本気と書いてマジで殴ります!」
「……」
 今日も紅魔館の図書館に強奪に来た黒白の魔法使いは、美鈴をじーっと見つめ、
「寒さで頭が狂ったか?」
「きえぇぇぇぇぇぇぇぇーっ!!」
「って、おい!? ちょっと待……!」
 何やら奇声を上げて美鈴が彼女に飛びかかり、オーラをまとった拳の一撃が彼女を直撃する。
「んなバカなぁぁぁぁぁー……!」
 ドップラー効果を残し、湖の彼方に吹っ飛んでいく魔理沙。これまで、彼女に連戦連敗を喫していた美鈴が、初めて魔理沙を撃墜した瞬間であった。
「……す、すごい……」
「隊長……実は強かったんですね……」
「あなた達、何見てるの!」
 ほとんど素っ裸の格好で空に浮かぶ女性が一人。
 ……冷静に見ると、かなりシュールな光景であったという。
 
 一方。
「あのー……咲夜さま……」
「……何」
「その格好で空は飛ばない方がいいと思います……。色々と下から丸見えですから……」
 そんなよけいな忠告をしたメイドが殺人ドールの餌食になったとも言われているが、それはまた別の話。



「ふん。私を心配させるから悪いのよ」
「本当に素直じゃないわね」
「お黙り!」



 無論、寒空の下、それでも一生懸命頑張って職務に励んだメイド長と門番は、その後、仲良くそろって風邪を引きましたとさ。素直じゃない主を持ってしまったことを後悔するべきなのだろうが、それでも、この紅魔館で働きたいと思ってしまうのは、やはり、ここが自分の『家』であり、遠い昔に忘れてしまったものを思い出させてくれる、大切な場所だからなのだろう。
 ついでに言えば。
 二人を結びつける絆の中で、一番強い絆なのが、この『場所』なのだろう。……多分。恐らくは。

 めでたしめでたし?
どこまで行っても寸止めだけど、実は、もう、二度と離れられないくらいにつながっている絆というものが大好きです。
「スキ」や「アイシテル」という単語だけでは収まらない関係というのでしょうか。
そんなものを演出できるカップルって、幻想郷にはどれくらいいるのでしょう。
――そう思って、昔の偉い人の言葉を思い出しました。
「ないならば、自分で作ればいい」
というわけで、咲夜さん×美鈴なお話でした。
さて、そういうわけで。

次回:「美鈴の家出~女はつらいよ帰郷編~」
夢は、追い続けていれば、いつか必ずかなうものなのだから(声:某王国騎士団長)
haruka
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甘─────────────────────い!!!!
58.80名前が無い程度の能力削除
こりゃ甘い
59.100名前が無い程度の能力削除
こっ…これは、砂糖だ!
66.100時空や空間を翔る程度の能力削除
素直な心・・・・・
皆誰もが持っている心・・・・
でも、素直に出せないのが・・・
素直な心・・・・・
大切に人にしか出せない・・・・・
素直な心・・・・・
69.100名前が無い程度の能力削除
甘い!!
フランちゃんが来なかったらどうなっていたのやらwww
70.100名前が無い程度の能力削除
素敵に甘すぎる!
ツンデレでイザって時に積極的で…GJ!すぎる咲夜さんだ。
捜索に紫がいれば!って思ったけど、彼女は冬眠中なんだなぁ。
74.70名前が無い程度の能力削除
ちょっ、なんだこりゃwww
フランがナイスだった・・・
76.100名前が無い程度の能力削除
よし、俺も紅魔館に就職しよう。うーん、しかし永遠亭も捨て難い…
いや大穴で白玉楼か?いや、でも死ななきゃ駄目か
とにかく乙っす
85.70名前が無い程度の能力削除
甘すぎるぜベイビー……。
後半の糖尿病になりそうな甘さはともかくとして、医療中の動きと美鈴の自虐が相まって更に緊迫感が出てて読んでるだけで自分も緊張した。
105.無評価ルカ削除
あ…蟻の大群が寄ってくるような甘さ…
107.100名前が無い程度の能力削除
うおおお!凄く甘い!!!