Coolier - 新生・東方創想話

絹糸のような細い雨を

2020/07/07 22:02:29
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 人は、降りやまない雨など、ないのだと言う。
 きっといつか、晴れ間が覗く。永遠に続く夜もない。必ず、朝が来る──

「……やまない雨など、ないのです」
 いっそ永遠に雨が降り続いて、あらゆる都市の水没した水の星になってしまえば良い。青娥娘々は、そんな憂鬱な口調で、明日への希望めいたその言葉を口にした。
 所は、蕭条とした破れ寺。雨と、霧の、その合間から、ほんの気持ちばかり雨に近付いたほどの、絹糸のような細い雨が降っている。
 荒れたお堂の周囲は、雨靄の白い紗によって覆われている。道中で見た首無し地蔵も、そう遠くない場所にいらしたはずだが、ここからはもう、目には見えなかった。そぼ降る雨と、荒れたお堂と、濡れた藪、それらだけが世界の全てのよう。
 あるいは、争いの無い平和な世界とは、何もかも滅び去ってしまったような、水没の景色をして言うのかも知れない。冥界の静謐に、どこか似ている。
 カン、カン、カタン、と、機織りの音が響いていた。
 嫋やかなるは、地上の棚機津女よ。
 魂魄妖夢はその規則正しい音を背中に聴きながら、朽ちた板材のマシな所に腰掛けて、何をするでもなく雨を眺めている。
 もうずっと長いこと、雨模様が続いているそうだ。春を思わせる穏やかな小糠雨は、萎れかけの紫陽花を覆い隠す。
「そうですね」
 思いがけず感情の籠らない空返事のようになって、妖夢は少し戸惑った。少し、遠くの方を見ていた。
「綺麗な雨です。永遠に降り続けば良いと思う気持ちも、生まれて来ようというものです」
「それでも、やまない雨はない。永遠は、存在しない」
 手元の作業を止めないまま、青娥は言う。
「六百年ほど前のことでした」
 とある破れ寺に、盗賊に追われて逃げ込んだ親子がいた。
 殺された。
 と、青娥はその経緯について、単純な事実だけを口にした。
「──以来、このお堂には血の雨が降り注いでいた」
 絹糸のように細い雨が、降るともなしに降っている。言ってしまえば、美しい光景だった。
「血の雨ならば、やみましたよ。あんなに酷い豪雨でしたのに、ね」
「……」
「誰が、何をしたわけでもない。ただ、時の流れのみによる変化です」
 雨音も静かならば、目に映るものも古色蒼然としている。美しい光景だ。意味を知ってなお、その事実は変わらない。
「決して拭えない怨念があったはずです。血の雨は、子を目の前で殺された母の、血の涙です。それでも盗賊は……まったくの別件で私の手に掛かるまで生きていたし、血の雨の降るお堂に迷い込む人間もいなかった。あれだけの怨念があって、誰一人たりとも呪い殺したわけでもない」
 何事も無かったのだ。
 何事も無く、血の雨はやんだ。
「そして、誰からも忘れられて、今、幻想郷にある」
 お堂には、ひとりと半分と、小数点以下の人影がある。
 青娥がひとり、妖夢が半分、霞んで見えない、心の目を凝らしてようやく女性と分かる薄い影が、小数点以下。お堂の隅の方、そこにいるのだと知っていても、見失ってしまいそう。
 永劫に降り続くかに思われた血の雨からは血の気が失われ、今、妖夢が見ている雨は白く清らかですらあり、その雨脚も弱い。雨の中に繰り出したとて、雨粒が肌を叩くようには感じられないほどの、優しい小降りだ。怨念は浄化された。誰が何をするでもなく、長い時間が怨霊を癒した。
 血の雨が降っていたなんて、嘘みたい。
「……無為って、ことですか?」
「それを言い出し始めたら、この世に意味のあることなど何一つとして有りはしませんよ」
「でも、怨んで、呪って、小さな引っ掻き瑕一つさえ残せないなんて……」
「妖夢は、いっそ人が死んでいれば良かったと思いますか?」
 青娥の意地悪な言い方に反発しようとして、うまくはいかない。
「そういうことじゃなくて……」
「あら、そう?」
「……私は、ただ」
 ただ、何?
「いいえ。なんでもありません。なるようになっただけのことですもんね。怨んだのだから人を殺さなければならない。そんな決まり事は、人を殺してはいけないという決まり事と同じ程度には、意味も価値もありっこない」
「ええ、その通り。この世には何も無いのです。有り体に言って、色即是空に代表される概念ですね。ただしこれは、この世界の色が無色透明であると説明するものではない。人が目で物を見る時、その事物には否応なしに色が付く。しかし概念としてどうであれ、その目に見えているものに最初から無視を決め込むのは、あまり冷静な態度ではありませんね。怨んだのだから人を殺さなければならない。そんな決まり事は、人を殺してはいけないという決まり事と同じ程度には、きちんと意義のあることなのですよ」
「……やっぱり、四人か五人くらい、死んでいれば良かった、と?」
 カン、カン、カタン、と機織りの音。
 音の調子は乱れていない。
「ねぇ、妖夢。他の誰でもない貴方が、どう思うのですか? 私? 私なら……そうですね、親を殺された子であれば、食指は動いたでしょうか。ただ、子を殺された母というのは、さほど、ときめきを感じませんね」
「私は……」
 それで? 私は、何?
 魂魄妖夢なら、白い雨にどんな色を付ける?
「私は、寂しいです」
 朴訥とした一言に、青娥は何も返さなかった。

「……ああ、十人でも二十人でも、死んでいれば良かったんだ」

 しとしと。未だやまない雨が降っている。
 青娥は善も悪も説かない。ただ静かに、微笑んだような気配があった。嗤ったのかも知れない。
「いつか必ず時間が解決する。ことによっては、残酷なことかも知れませんね」
 死んでも許さないと呪ったはずだ。どれだけ呪い殺しても飽き足らなかったはずだ。
 絶対に許さないと誓ったのに、憎悪は次第に薄れていく。時間の流れによって解決する。怨んで、呪って、それでも世界に対して何の爪痕も残せずに消えていく喘鳴がある。結果、何事もなく、誰も殺さず、怨霊は消えた。喜んで受け入れるべき事実が、妖夢には、どうしてか寂しいのだ。
「ねぇ」
 問い質す妖夢の声は、清澄に倦んでいる。
「……無為ってことじゃないですか。何も残せない、そんなことって、ありますか? あって良いんですか?」
「ありますよ。あって良いのか悪いのか、そんなこと、物事の有無には関係のないことです。今、貴方が見ている怨みの消えた景色が答えです。どこに血の赤色が見えますか?」
 青娥の答えは残酷だった。
 残酷で、しかし誠実でもあった。冷たい言葉にも突き放されたように感じなかったのは、青娥の答えが、自分の逃げ道を用意したものでなかったからだろう。ちゃんと向き合ってくれている、そう感じられた。
「長い時を経たのです。骸など、野に還りましょう」
 成仏。救済。そのように、言って良いかどうか。
「時間は、残酷ですね」
「ええ、残酷です」
「やまない雨は、決してない」
「明けない夜もまた、ないように」
「雨はあがる」
「夜は明ける」
「そして、傷も癒える」
 その事実を、残酷だと感じる。
 絶対に許さないのだと、そう誓ったところで、絶対なんて無いのだから。
「永遠は、ない。あるとしたら、満ちては欠ける月や、朝の訪れと夜の訪れの繰り返しが、永遠……」
「永遠など、ありませんよ」
 妖夢の呟きに、青娥はそう返す。
 くすりと微笑が零れる気配があった。
「だってほら、太陽って、いつか破裂するそうですよ?」
「そうなった日からは、ずっと夜のままですね」
「ただし、この星も吹き飛んでいるかも知れません」
「あは、永遠なんてないんだ」
「砕けた石が寄り集まって、新しい星になります」
「……じゃあ、永遠ですね」
「ええ、永遠です」
 永遠なんかなくて、永遠があって、そうやって、繰り返していく。
 その繰り返しの中に、とてもちっぽけな、取るに足らない怨念がある。その爪痕を、せめて自分だけは感じておきたかったと思うのは、下らないのだろうか、傲慢なのだろうか。どういう種類の感傷なのかも、妖夢には分からなかった。
 ただ、未だ降りやまず、だけどいつかは降りやむ雨を見ている。
 絹糸のように細く白い雨。血の雨が降っていたことなど忘れたように清浄で美しい景色。どうせこの世界は、血の雨を降らせる程度の怨念など、それこそ雨雲程度の気軽さで生み出しているくせに。雨はそこかしこで降っているし、やんでもいる。それがどうして今だけは、まあ美しいと言って良い部類の景色を見せているのだろう。
「……一つ、良いですか? 例えば一億年降り続く雨があったとしても、やんでしまうのでしょうか」
「ええ、きっと」
 さも祈りのような言葉は、楽観ではなく、悲観から来ている。
「星の破裂する頃には、時間が解決しています」
 それはそうだろう。妖夢だって、そう思う。
「……雨は」
 悲しい気分になりますね。
 そう感じている心地さえ、そう悪いものでもないのだから救われない、救われなくても構わない。雨は寂しいけれど、妖夢は、この雨のことが嫌いではない。世界の全てを嫌いになったとしても、この雨のことだけは好いていられるようにも感じられた。
「さあ、できました」
 一仕事終えた、という声。
「もうこっちを見ても良いですよ」
 その声に振り向いた時には、機織り機はどこかに消えていた。そして、
「……あっ」
 と言う間もあったかどうか、羽衣を与えられた偽物の天女が、軒先から雨の中へ飛び立った。
「行っちゃいましたね」
 雨の羽衣。
 身に着けた者を雨に還す。そういう小道具だった。
「どこへ、消えてしまったんでしょう」
「妖夢のその問いは、雨はどこへ消えるのかという問いに同じです」
「土の中へ?」
「そして、天に立ち昇る。実の所、雨はどこへも消えてはいないのです。気化した水分は空の上で集まっては雲となり、また雨となって地上に降り注ぐ」
 循環。
 繰り返し。
 そういう形の永遠。
「じゃあ、あの女性も消えたわけじゃない」
 消えたと言うなら、雨のように消えたのだ。それは、野に、空に、還ったと言うのだ。
「ええ、消えてなんかいない。この寺に巣食っていた怨恨は、消えたわけではないのです。……これは真実ですが、欺瞞のように聴こえますね」
「…………」
 正しいことが為されたのだとは、妖夢には思えない。青娥が善いことをしたとも思えない。
 斬れと言われれば、斬ることはできた。
 斬ることが相応しい時も、ある。でも、今日は違う。簡単に斬ってしまいたくは、なかったように思うのだ。だって、もし最後の最後まで簡単に消えてしまったら、本当に全部、嘘みたいになる。
 反対に、終わらせなければ良かったんだろうか。我が子が殺された瞬間を思い出せ。一言、そう囁いた青娥が符呪の一つでも仕掛けたのなら、今度こそ呪いを撒き散らそうと、また血の雨が降り始めただろう。
 きっと、そんなのは間違っている。でも、青娥なら間違ったことをする。
 人倫に外れていようが、面白いのなら、やる。霍青娥はそういう女だ。
 ……面白くは、ないのか。
 面白くないなら、やらない。霍青娥はそういう女だ。
「綺麗でしたね」
 妖夢は、思う所を口にした。
 雨に還った天女は綺麗だった。だから青娥が何をしたと言うなら、正しいことや善いことをしたのではなく、綺麗なことをしたのだ。
「貴方は、凄いんですね」
 本心からの言葉に、青娥は困った風な笑みを浮かべる。
「私が……?」
「だって私は、どうせ斬るしか能がありませんから。……羽衣って、作れるんですね」
「材料さえ調達できれば、まあ。普通は、雨をまとまった形で切り出す方が難しいんですけどね」
「そうなんですか?」
「誂えたように丁度良い雨が降っていた。そういうことにしましょう」
「……ええ、そうですね」
 絹糸のような細い雨。確かに、織物には向いていそう。
 そんな雨も程無くやんで、さも希望の象徴然として光の階が差す。
「雨、やんじゃいましたね」
「ええ。やまない雨は、ない」
 今日だけで、何度聞いたか分からない言葉だった。
「やまない雨は、ない。たとえそれが、寂しいことだとしても。たとえその事実が受け入れがたく、許せないのだとしても。私なんかが何を思っていても、雨はやむんですね……」
 雨上がりの景色は輝くだろう。小さな命たちは久方の太陽を寿ぐだろう。水溜まりは日の光を反射して煌くだろう。空には美しい虹だって架かるだろう。
 妖夢は今にも倒れそうな柱に背を預けたまま動かず、天気が雨模様から控え目な晴れの空に移り変わっていく様を見届けた。
 その景色を素直に美しいと感じたし、やっぱり素直に寂しいとも思った。
 太陽が眩し過ぎるから、晴れ間の空に手を翳す。
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気が良かったです
2.100終身削除
久しぶりのよう×せい?いやせい×よう?もう名も分からないような幽霊や雨や星を通して2人の見方や感じ方からの終わるものやその意味とかの考えが段々と浮かび上がってくるのに不思議と引き込まれていくようで考えさせられるものがあってとても良かったです
6.100サク_ウマ削除
幻想的で良いですね。雨を切り出す妖夢とそれを織って羽衣を作る娘々、という発想に唸らされました。
7.100名前が無い程度の能力削除
やまない雨はない……いい響きですね
8.100名前が無い程度の能力削除
すき
9.100ヘンプ削除
雨、やまないものは無い。
そんなことはあるんですね。雨はやまないわけじゃない……
とても良かったです。
10.100夏後冬前削除
言葉の使い方が抜群に丁寧で美しくてメチャクチャ好きでした。どこか整った口上のようで素晴らしい。
11.100南条削除
おもしろかったです
これはキレイな娘々
12.100こしょ削除
文章がとても美しく思いました
13.100めそふらん削除
諸行無常というテーマの表現が素晴らしかったです。
個人的には凄く好みの作品でした
15.100モブ削除
「平等なのは時間だけ」という言葉を聞いたことがあります。その言葉を強く思い出す作品でした。綺麗でした。