Coolier - 新生・東方創想話

菫子 in 臨海学校

2020/05/17 13:12:24
最終更新
サイズ
27.4KB
ページ数
1
閲覧数
685
評価数
12/12
POINT
1140
Rate
17.92

分類タグ

「まあ、最期に見る景色としては悪くないかもね。」
リゾート地だろうか、紺碧の海を見下ろす眺望台に少女が一人立っていた。齢は十代後半に差し掛かろうというところ、赤い眼鏡を掛けたその姿は幾分垢抜けない。紫色の制服は地元の有名私立高校のものだった。海風に吹かれてくせ毛が重たげにゆらりとたなびく。夏の日差しに照らされてブラウンの髪が輝いていた。飛ばされないよう帽子を片手で押さえる。もう片方の手にはビニール袋、中には小さな薬瓶が一つ。

少女はここで命を絶とうとしていた。しかし所謂自殺というには少し毛色が違うのかもしれない。彼女にとって死ぬことは目的ではなく手段なのである。そして彼女はこれが決して悲劇などではなく前向きな行為であると信じて疑わなかった。絶景が広がるこの場所へ来たのも、せっかくなら最期に綺麗な景色を見ておきたいという動機からだった。

少女は所謂超能力を使うことができた。念じるだけで離れたものを動かすことができたし、瞬間移動をすることだってできた。他人の何倍も不思議な経験をして来た彼女にとって、この世界の日常は退屈なものだった。そんな彼女が周囲の人間に興味を持てないのも当然であった。何の面白みもない”普通”な人間との関わり合いなど時間の無駄としか思えなかったのである。

そんな少女に転機が訪れたのは少し前のこと。夢の中でのみ行くことのできる不思議な世界で、彼女は自分と同じ”異常”な者達との出会いを果たした。現実ではあり得ないことが当然のように起こる世界だった。人一倍強い彼女の知的好奇心を満たすものがたくさんあった。刺激にあふれた夢の世界に依存するまでに、そう長い時間はかからなかった。

「永遠に夢の世界にいるためには、昏睡したまま目を覚まさなければいい」これが少女の至った結論である。現実の世界に未練はなかった。つまらない現世で浪費する命より幻想郷での生活の方が何倍も魅力的だった。

そんな幻想郷完全移住計画を立てていたころ、とあるイベントが近づいていた。臨海学校である。いやはや流石は私立というべきか、合宿地は有名リゾート地だった。少女はそういう類のものを下らないお遊びとして忌み嫌っていたし、それは行先がどこであろうと同じはずであったが今回ばかりは話が違った。自死のシチュエーションを考えていた彼女にとって、綺麗な景色の中での決行というのは少なからず魅力的だった。加えて海というのが都合がよかった。幻想郷には海がない。「土産話として向こうの住人達に海の話をしてやろう」彼女はそうほくそ笑んで初めての学校行事への参加を決めた。




―1日目昼―
そういう訳で早速宿を抜け出すと、海のよく見える場所へとやってきた。海風がうだるような暑さを和らげている。手すりに身を寄せて砂浜から水平線へと視線を移すと、透き通る水色から深い青へのグラデーションが美しかった。季節は夏真っ只中、海に反射する太陽光が眩しい。煌めく光に幸せな未来の予兆を感じながら薬瓶を手に取る。ビニール袋は手の動くまま投げ捨てた。瓶の蓋を開ける。蒼い海を背景に白い錠剤は酷く無機質に輝いていた。
「水買ってくればよかったなあ。」
量の多さに思わず面食らう。とはいえ飲みなれた薬、少しずつ飲めば問題ないだろう。そう考えながら振り返り、無造作に据え置かれた長椅子に座る。

ふと見上げると、ビニール袋が頭上をふわふわと飛んでいた。風に煽られては高く舞い上がり、またすぐにゆらゆら落ちてくる。雲一つない空を泳ぐそれはまるでクラゲのようだった。
「そういえば、今はお盆だったかしら。」
せっかくの盆休みに臨海学校なんて入れるなよと誰かがぼやいていたな、と(名も知らぬ)同級生の会話を思い出す。お盆の時期になるとクラゲが増えるとネットで見た記憶がある。こんな時期に海に行くなどと言い出すとは教師も大概頭が悪いのかもしれない、まったく嫌気がさす世の中である。

もうこんな世界ともおさらばだ。心の中で吐き捨てて薬を数個手のひらに広げる。何回かに分けて飲み干そう、そう考えながら錠剤を口の中へ放り込んだそのときだった。

「あー!菫子ちゃんポイ捨てはダメだよー!」
背後で元気な声が鳴り響く。夏の暑さをも吹き飛ばすような、透き通る声だった。

突然の来訪者に驚いて錠剤が喉に詰まる。思わずむせこんでしまう。意図せぬタイミングの嚥下に身体が拒否反応を示していた。独特の苦しさに顔をしかめつつ、胸を叩いて無理やり飲み込む。近くでバサバサとビニール袋を掴む音が聞こえた。

とても長い間もがき苦しんでいた気がする。脂汗も収まって大分落ち着いたのでやっとのことで顔を上げる。と、眼の前に少女が立っていた。慌てて瓶を後ろ手に隠す。今度は冷や汗がにじみ出る。どこまで見られていた?企みが明るみに出ればややこしいことになるのは分かっている。
「もう。そんな反応しなくてもいいじゃない、せっかく心配してあげたのに。」
警戒が顔に出ていたせいか、露骨に怪訝そうな顔をされる。様子を見るにどうやら背中をさすってくれていたらしい、有難迷惑もいいところなのだが。一応、自殺を図っていたことはバレていないようなので少しほっとした。

安心したところで、邪魔をしてきたこの少女に対するいら立ちが湧き上がってくる。
「あんた誰?突然なによ?」
ぶっきらぼうに尋ねる。
「信じられない、同じクラスなのに覚えてないなんて。A子よ、A子。まあ菫子ちゃんなら仕方ないかー。周りのことなんか興味ないもんねー。」
笑いながらビニール袋をこちらの顏の前で振り回しておちょくってくる。腹立たしい子だった。クラスメイトの名前なんて覚えているはずがない。顔を見れば思い出すかもと少女の顏をまじまじと見つめてみる。日焼けのせいか褐色の肌をしたその子は、よく見ると福耳が特徴的で幼げな顔立ちをしていた。座っている自分より少し背が高いくらいだから小さい子だなと思った。見覚えはなかった。

「A子だかB子だか知らないけど関係ないでしょ、どっか行ってよ。」
早く去って行って欲しい。背中に物を隠し続けるこの姿勢も疲れるのだ。
「関係ありまーす。初日から逃げ出した貴女を捕まえるのがクラスのアイドルの仕事なんでーす。」
わざとらしい口調だった。文句が口を衝こうとしたが、先に腕を引っ張られて声がでなかった。勢いに負けて立ち上がってしまう。立ち眩みか少しクラっとした。バレないように瓶を反対の手に持ち換えて体の陰に隠す。
「ほら、宿舎に戻るわよ!」
幼子を叱るようにそう言うと、A子は腕を掴んだまま力強く先導していく。引きずられるように連れていかれる。身体に上手く力が入らない。瞼が妙に重たい。「ヤバっ、効き目早すぎ」そう思った時には既に視界は暗く、ヘロヘロと倒れ込んでしまった。意識が遠のいていく。

「ていうか何でアイドルなのよ、クラス委員とかじゃないの?」そんな取り留めもない思考が最後の記憶だった。




―1日目夕方―
目が覚めると知らない天井だった。なんのことはない、宿の自室に寝かされているようだ。臨海学校で個室とは流石金の力。寝返りを打つと、太腿の辺りに硬い感触があった。触ってみるとスカートのポケットに薬の瓶が入っている。失くしていないようで一安心だった。

外はもう薄暗い。あれからどのくらい経ったのだろう。ベッドに寝転がったまま先のことを思い出す。振り返ってみると、倒れたのは移動疲れと暑さと睡眠薬というトリプルコンボのせいなのだろう。何だかんだあの状況に興奮していたのもあるかもしれない。上体を起こしてみる。特に問題はない。幸か不幸か体調はすっかり回復しているようだった。健全なる魂は健全なる肉体に宿るという。どうやら魂の健全さが証明されたようだなどと思ってしまい苦笑する。

とはいえ考えれば考えるほどストレスの溜る話だった。深いため息をつきながら文字通り頭を抱えてしまう。計画は失敗するわ、変な子に絡まれるわと―。鬱憤を晴らすようにそのまま伸びへと移行する。数秒間身体を縦に引っ張る、これだけで大分リフレッシュできたような気がした。伸ばしきった腕を乱雑に降ろすと、ゴツンと手の甲に硬いものが当たった。

「ん?」
奇妙な感触に違和感を覚えながら暗がりに目を凝らすと、ベッドの淵からこちらを覗き込む女の顔が―。

「ぎゃああああああああああああああああああ!!!!!!!」
女子高生とは思えない叫び声と共に布団を投げつける。
「待って待っ、私だから!A子!不審者じゃないから!」
「悪霊退散!悪霊退散!南無阿弥陀仏!!!」
何やら声が聞こえた気がしたが除霊の呪文(?)で遮って息が続く限り枕で殴り続けた。後になって思うと、このときパニックになっていて本当に良かった。もし冷静に侵入者の排除に動いていたら、A子は今頃焼死体になるか念動力でミンチになっていたかもしれない。この世に未練はないが、それでも人殺しになるのは嫌だった。


「す゛み゛ま゛せ゛ん゛て゛し゛た゛」
枕攻撃による無力化が成功した後、A子を床に正座させての事情聴取が始まっていた。もちろん電気は点けた。話によると、昼間、つい先ほどまで元気だったクラスメイトが急に倒れたことに責任を感じた彼女は、肩を担いで先生の所まで連れて行ってくれたらしい。その後養護教諭に車酔いか熱中症だろうと言われ、自室のベッドで寝かせる運びになったとのこと。それでも心配だったA子は部屋にこっそり忍び込んで付き添いを続け、いつの間にか寝てしまった。そして頭に何かがぶつかった衝撃で目が覚めたとのことだった。

「ごめんね、ホントにごめんね。私が無理やり引っ張ったせいで倒れちゃって、菫子ちゃんが死んじゃったらどうしようかと思ったら怖くて離れられなくて。なのに怖がらせちゃって―。」
A子は震えた声で謝り続けていた。顔はクシャクシャだし言葉の隙間には嗚咽が漏れていた。こう泣きじゃくられるとこっちが悪者のような気分で居心地が悪かった。地べたで号泣する少女をベッドに座して見下ろすこっちの身にもなって欲しい。しかし客観的に見れば、今日一連の流れの中でどちらに非があるかは一目瞭然だった。加えて「私が無理やり引っ張ったせいで倒れ」た訳では(おそらく)ないので、なおさら後ろめたく感じてしまう。さっさと追い払うつもりがなんともやりづらい

そんな気後れのせいでこちら側としてもあたふたとした対応になる。あくまで気後れのせいであって根本的なコミュニケーション能力のせいではないのだと信じたい。
「あ、あのね、A子。大丈夫、私は元気だから。倒れたのは私のせいだし、それにA子はずっと傍にいてくれたでしょ?それで十分だから。」
こうも優し気な言葉が自分の口から飛び出たことに驚いた。気を遣ったって何の得にもならないのに。たまに耳にする、草食動物を育てる肉食獣はこんな気持ちなのかと全く関係のない話題が頭に浮かぶ。そんな腹の内を知ってか知らずかA子は心底嬉しそうな表情で、
「ホント?もう体調は大丈夫なのね!よかったあああ。」
とこぼすと、また涙を流し始めるのであった。そして倒れこむように抱き着いてくる。避けようとしたが、足を捕らわれる。ちょうどこちらの足元にすがるようなかたちになる。昼間の威勢は何処へやら、落ち込んでみたり嬉し泣きをしてみたりコロコロと表情の変わる子だった。


そのまましばらくすると、「よしっ」と呟いてA子が声を立ち上がった。
「それじゃあ夜ご飯食べに行こ!もうみんな外に出てるよ!」
まだ赤い目をしているが、元気そうな声だった。そういえば初日の夜は外でバーベキューをするとかなんとかだった気がする。
「いや、あんた一人で行きなさいよ。」
当然断る。療養という口実まで手に入れたのだ、そんなお遊びに参加する気はない。
「え?やっぱりまだ調子悪いの?」
そうウルウルした瞳で見つめないで欲しい。たじろいでしまう。
「別にそういう訳じゃないけど―。」
体調がすぐれないのだと適当にいなせばよかったと思う。しかしそういった嘘を許さない魔力がA子にはあった。
「なら行こうよ!菫子ちゃんもお腹減ってるでしょ。」
断固断ろうとしたが、A子の言葉に反応したように腹の虫が音を上げる。弁解の余地はなかった。




―1日目夜―
A子にドナドナされて宿泊施設内のバーベキュー場へ来ていた。大幅に遅刻しているのもあって、隠れるように隅の方に座っていた。
「あら、菫子ちゃん全然食べないのね。そんなんじゃ大きくなれないよ。」
種々雑多、山盛りの食べ物が乗った紙皿を抱えてA子がグリルから戻ってきた。そのまま隣に座る。どうして付きまとってくるのか。クラスメイトの中に混ざればよかろうに。ちなみにさっきから隙を見て逃げようとはしたものの、その度に「えー、菫子ちゃんどこ行っちゃうの?」と叫ばれるので周りの目が気になっておちおち身動きもできない。


「私さ、地元にね、海を見たことがない友達がいるの。」
わざわざタコさんの形に切ったウインナーを頬張りながらA子が話し始めた。雑談に参加する義理はないのでスルーに徹していたが、A子は構わず続ける。
「だからこの時期は海へ行って、帰った時にその子たちに海の話をしてあげるんだ。すごく喜んでくれるのよ。」
まあ内陸部出身ならそういうこともあるのだろうか。しかし海を知りたいなら今どきネットなり何なりで十分だろうに、わざわざ人づてに話を聞くとは酔狂なお友達である。そこまで考えたところで思い当たる節があり、つい「あ。」と声が漏れてしまった。目ざとく食いつかれる。
「ん?なになに?何か言いたいことがある?喋って喋って!私ばっかり話すんじゃつまんないんだから。」
ホタテの身を殻から外していた手を止めてA子が身を乗り出す。こいつ海鮮ばっかり食べてるなと思った。それにしてもこう屈託のない笑顔を振りまけるのは才能だと感じる。その眩しさに当てられたのか、ごく普通に返答してしまった。
「いや、私にも似たような知り合いがいるなって。」
今までのスタンスの手前、「友人」という表現はできなかった。

「へえー。そんな友達がいるなんて意外。」
絶対そう言うと思っていた。うすうす感じてはいたが、なかなかに失礼な奴である。それともこれが普通の友人同士の会話なのだろうか。
「でもそれなら私たち似た者同士だね!二人でいっぱい思い出作って持って帰ろうね!」
「いや別に思い出とかは―。」
言葉を遮るようにA子がグイッと距離を詰めてくる。
「まあまあそう水臭いこと言わずに。私たちの仲でしょ。エビウサ動物コンビじゃん!」
「エビ?」
一体何の話かと聞き返す。
「あれ、言ってなかったっけ?私名字が『エビ』から始まるからさ。あ、エビちゃんって呼んでくれてもいいよ。」
A子は「名前と合わせてダブルエーだぜ」と付け加えて両手で逆さまのVサインを作っている。
「カニじゃん。」
思わずツッコんでしまう。口を滑らせてしまったと思った。
「カニじゃありませーん。エビちゃんでーす。」
A子はそう言いながらハサミになった手をこちら側に伸ばした。そのまま器用に紙皿から焼きエビをつまんでいく。行儀が悪い。あと人の皿に手を出すな。悪態をつこうとしたが、カニのモノマネをする芸人を思い出して吹き出してしまった。
「ん、お皿空になったね。エビウサコンビで狩猟開始じゃ!」
人のごはんまで瞬く間にたいらげるとA子は屈託なく笑ってそう言った。もはや逆らう気力もなく、A子に連れられてクラスメイト達が立食するグリルの方へ向かう。A子の天真爛漫な姿を見ていると、鬱陶しく感じつつもどこか引き込まれてしまいそうになる。まるで真夏の太陽のようだった。



それから1、2時間が経った。自室の戸を開ける。慣れないことをしたせいか、酷い疲労感に包まれる。レベルの低い集まりに与してしまったと辟易した。意味もなくギャーギャーと騒ぐのは頭の悪い行為だと思っていた。迂闊にもA子のリズムに飲まれた自分を呪った。気安い会話を楽しんでいた自分を認めてあげられるほど大人ではなかった。

一日で色々ありすぎた。臨海学校は1泊2日、明日中に計画を完遂してしまえばいい。今日はもうこのまま寝てしまおう。ポケットに収まる瓶の冷たさを感じながらそのままベッドに倒れ込んだ。




―2日目朝―
窓越しに見る夜明けの空はグレーがかった水色をしている。かなり早く目が覚めたのは夢のせいだった。

夢の中では眼の前に大きな川が流れていた。対岸が見えないほど幅のある川。その河原をあてもなくさまよっていた。どこまで行っても先細りも広がりもしない、真っ直ぐ無限に続くその川沿いを歩き続けていた。ところどころに石を積んでできた塔があった。塔の高さはせいぜい膝下程度。遠目からは河原でまばらに生える雑草のようにも見える。視線を上げれば空は暗い雲で覆われて昼か夜かも分からない。不思議と怖くはなかった。ただ無性に寂しくとても悲しかった。

寝覚めが良いはずもないので二度寝しようと再度布団に潜り込む。朝の静寂の中、遠くの部屋から楽し気な笑い声が聞こえる。早起きして談笑しているのか、はたまた昨晩から寝る間も惜しんでゲームでもしているのか。どうも気になって眠れなかった。


突然、蹴破られたかような勢いでドアが開けられる。吃驚して布団から顔を出す。
「おはよー!菫子ちゃん、起きてるー?」
ドアの隙間からA子が顔をのぞかせていた。ひょこッというオノマトペが聞こえた気がする。
「ちょっと何勝手に開けてるのよ。」
寝癖をおさえながら布団からはいずり出て戸口へ向かう。結局二度寝はできなかったので身体はすっと動く。もうすっかり明るい。既に日差しは上機嫌のようだ。こちとら朝から超不機嫌なのだが。
「だって私が誘わないと菫子ちゃんまた一人でどこかいっちゃうでしょう。みんな午前中ビーチで遊ぶって。一緒に行こうよ。」
半開きのドアから頭だけ出したまま喋るA子。部屋に入ろうとはしないあたり最低限の常識はあると褒めるべきか。
「余計なお世話よ。いいから放っといて。」
そう言い放って無理やりドアを閉める。やっぱり七面倒な奴だと思った。ドアを押す腕に力を込める。
「ちょっ、落ちる!首が!落ちるから!ストップ!」
A子の悲鳴がこだましていた。


結局A子の勢い(というより物理的な力)に押し負け海辺まできていた。浜では同級生たちがビニールシートを敷いていた。スイカ割りでもするのだろうか。風がかなり強く、シートを押さえるのになかなか苦戦している。あそこに混ざる気はさらさらないので砂浜には入らずその手前の階段に座り込んだ。

「駄々をこねてないでさー。皆のところに行こうよー。」
砂地に降りたA子は海を背にこちらを振り返ってそう呼びかける。ちょうど目線が同じくらいの高さにあった。A子はいつの間にか、白くて何というかヒラヒラした水着に着替えていた。ちなみにこちらは体操着姿である。当初の予定だと海で遊ぶつもりなどなかったのだ、水着などない。
「もう、何が嫌なのさ。」
A子が階段を上りながら尋ねる。
「だって、下らないことで騒いで馬鹿みたいじゃない。部屋でスマホいじってた方がよっぽど実りがあるわ。」
流石に「できればさっさと向こうの世界に行きたい」というところまでは言わなかった。とはいえうっかり本心を吐露してしまったと少し後悔する。

一方当然のように隣に座ったA子は、それを聞いてクスクス笑っていた。
「なにそれ。菫子ちゃんも私と馬鹿してたくせに。昨日も今朝も。」
はっとさせられた。嫌っていたはずの行為を自分でやっていたのか。「そんなはずは」と記憶を掘り返してみるが、確かに益体もないことをしていた気がする。発端はA子なので釈然としない部分はあるのだが。
「でも菫子ちゃんいい顔してたねー。実ははしゃぐのも好きなんじゃないのかなー?」
A子はニヤニヤしながらこちらを覗き込んでいる。ばつが悪くてそっぽを向いた。何の知的収穫もない所行を楽しんでいたとは。ポリシーに反する自身の行動、というより感情に戸惑う。
「やっぱりアイドルと一緒にいたらテンション上がっちゃうもんねー。仕方ないよねー。」
ウフフフフとA子が気持ち悪く笑うのでそれは無視した。

一通り笑い終えた後、A子がぽつりぽつりと喋りだした。珍しく落ち着いた声色だった。
「私がさ、地元の友達のために海へ来てるって話覚えてる?」
そのせいで奇妙なシンパシーを感じてしまったのだ、もちろん覚えている。声に出さずとも伝わったのかA子は続けた。
「でも私頭悪いから、上手く伝えられなくて。話しても『青い?広い?塩水?』って反応になっちゃうんだよね。」
エヘヘと照れ隠しに笑う。「いやいや、ものを知らなさすぎるでしょその友人」と言いたくなったが、考えてみれば幻想郷の住人も同じような返しをすると思うのでそういうものなのかもしれない。A子もそのことを気にしている様子ではなかった。
「だからね、海はどんなだったかよりも、そこで誰と会って何をしたかについてお話することにしてるんだ。思い出っていうのかな。それだったら私も喋りやすいし、聞いてるみんなも楽しいでしょ?」

「私さ、小さい頃の楽しい記憶があんまりないの。だから夏の間ここで過ごすのがすっごい幸せなんだ。あの頃作れなかった思い出をみんなと作るぞーって感じで。」
軽やかな口調とは裏腹に、自らの過去について話すA子の目は物悲しさを湛えていた。何故か分からないが、その悲しさは身に覚えがあった。暗い川を眺めるような―。A子の行動の裏にある思いが推し量られるようだった。

「思い出」。意識したこともない単語だった。自分は人より優れていて、劣った周囲との関わりは無価値だと思ってきた。幻想郷との関係も、あくまで知的好奇心の上に成り立つものだった。そんな自分の中に「誰と会って何をしたか」という記憶はあるだろうか。今まで切り捨ててきたものこそが「思い出」なのではないだろうか。自分は今それをどう考えているのか。

沈思しかけていたが、A子の声で我に返った。
「なんか湿っぽくなっちゃったね。ごめんごめん。」
A子は立ち上がってお尻をポンポンと軽くはたく。顔を上げたときにはもう、いつものあのはじけるような笑みが戻っていた。
「まあ兎に角そういう訳だから。ほら、みんなのところ行こ!」
この短い間に何度こうやって呼び掛けられたのか。「ふぅ」と一息入れると、聞きなれたその声に初めて応じる。
「仕方ないわね。あんたの思い出作りを手伝ってあげるわよ。」
「よしっ!そうこなくちゃ!」
もはや手を引かれるまでもなく二人で階段を下りた。靴を脱ぎ捨てる。砂浜は思っていたよりも柔らかくバランスを崩しそうになる。海風に強く押し返される。だがそんなことを気にしてはいられない。先を急ぐA子に負けじと走り出した。




―2日目昼―
お昼が近づき、皆が宿に戻り始めたタイミングでまた一人抜け出した。行先は昨日と同じ高台。奇しくも時刻までほぼ同じだった。
「んー、やっぱり風が気持ちいいわね。」
一度シャワーを浴びた身体だと夏の風も心地よい。砂まみれになった体操着は見て見ぬふりをしてビニール袋に封印し、制服(+いつもの帽子)に着替えていた。ポケットには例の瓶。

海は着色料を加えたのかと思うほど鮮やかな青色をしていた。白い砂浜とのコントラストがどこか幻想的にも見える。不吉なほど美しいとはこういうことを言うのだろうか。ここが一番眺めの良い場所だと思っていた。帰りのバスが出るまでそう時間はない。「どうせならきれいな景色の中で」という当初の目標を達成するにはこれがラストチャンスだった。本来この場所にこだわる必要はないし、やろうと思えば帰ってからでも問題はないのだが、ここを逃せば服薬自殺なんて二度と決行に移せないような予感がしていた。

フェンスにもたれかかって遠くの海を見つめる。胸下程度の高さの柵は身を委ねるのにちょうどよかった。キラキラと輝く水面は変わらず美しい。そう、綺麗ではあるのだ。しかしそこに面白さは感じない。だからこんなつまらない世界を捨て去って、ずっと幻想郷にいたいと考えていた。眠り続けてそのまま死んでしまえばいいと、現世の命より夢の中の世界が大切だと。「現世は下らない」その思い自体は今も変わっていなかった。

ポケットから薬瓶を取り出す。

いざ瓶の蓋に手を掛けてみるとどういう訳か力が入らない。約24時間前にはあんなに簡単にできた動作がままならない。もどかしかった。さっさと向こうの世界に行きたいはずのに。
「どうすればいいのよ。」
深いため息とともに項垂れる。正確には「どうすればいいか」というより「どうしたいか」という部分で揺れ動いていた。

ふと眼下に目を遣ると、砂浜に立つA子が見えた。こちらへ向かって手を振っている。正直ストーキングされてるんじゃないかと思う。昨日今日とどれだけA子と過ごしたのか。


と、そのとき一際強い風が吹いた。帽子が飛ばされる。反射的に手を伸ばした。フェンスの向こうへ行った帽子には届かない。思わず身を乗り出す。これが間違いだった。乗り上げた胴を支点に身体が半回転する。視界に切り立った断崖と荒々しく寄せる波が映る。そのまま頭から落ちる。瞬間、心臓が浮き上がるような無重力感に襲われる。フリーフォール―。

崖から落ちたという状況を理解するが早いか、まず身を守るために身体を強張らせた。人間命の危機に瀕すると脳が超高速で働くというがどうやら本当らしい。ゴツゴツした岩肌がやけにはっきり目に映る。それを見て岩に打ち付けられればどうせ即死だと諦める。ここまでコンマ何秒だろうか。その後は「考え込んで浮足立ってたんだな」と後悔したり「現世でもう少し生きるのも悪くないなと思ってたところだったのに」と悲嘆してみたりしたが、マーフィーの法則とという単語が思い浮かんだところで身体に強い衝撃が走った。

鼻の奥がつんと痛い。身体にまとわりつく水の感覚。音が遠い。落下速度が急激に遅くなる。怖くて閉じていた目をなんとか開けると、ぼやけた暗い青の世界が広がる。意外にも痛みはほぼなかった。不幸中の幸いか、岩場は避けて着水したらしい。

落ちたの勢いのまましばらく沈む。上下左右何も分からない。がむしゃらにもがくが水の抵抗と服の重さでうまく動けない。意識して息を止める。沈み切ったところで明るい方が上と分かる。流れが強かった。明確に息苦しさを感じ始めた。上へ上へと水を掻くが進んでいる気がしない。足先に触れる海藻か何かの感触に死のイメージを呼び起こされ、思わず口から空気が漏れた。代わりとばかりに海水が流入する。喉全体が水でいっぱいになる。パニックだった。苦しい。明らかに入ってはならない場所に水が侵入するのが分かる。痛みさえ伴う苦しさに耐えられず意識を手放した。



気がつくと、暗い空の下、大きな川の畔にいた。見覚えがあるが詳しく思い出せない。記憶を反芻した結果、確か海に落ちて溺れたのだと思い至る。はっとして周囲を見渡してみるが、河原が広がっているだけだった。これが死ぬということなのだろうか。妙に落ち着いた頭で考える。ショックではあったが「死後の世界を楽しめばいいさ」と負け惜しみのように呟いてみた。眠ったまま死ぬことはできなかったが、これでも幻想郷に行けはしないかと前向きに捉えようともしてみる。

ふと視界の端に動くものを捉えた。対岸に小さな人影があった。暗くてよく分からないが、こちらに向かって両手を振っているようにも見える。声も聞こえたかもしれないが、多分気のせいだろう。そういえばさっきもこんな感じで遠くにA子の姿を見たなとぼんやり考えていた。

特に意識したわけではないが、視覚情報を端緒にして芋づる式にA子との思い出が想起されていた。座り込んで思索に耽ってみる。思えばエネルギッシュな出会いだった。それから数時間で号泣されるという体験もした。話してみると意外にも近いところがあった。A子に連れられて、周囲の人間の輪の中へ入っていった―。

石の上に乗せたお尻が痛みを訴えだしたころ、体の芯から熱いものがこみ上げてきた。言葉にできない思いが慟哭としてあふれ出す。死にたくなかった。まだやり残したことがたくさんあった。もっと皆と思い出を作りたかった。死後の世界での楽しみを妄想してみたとして誤魔化すことのできぬ激情だった。なんと皮肉なことだろう、取り返しがつかなくなって初めて大事にものに気づくとは。いや、心の奥底ではずっと前から分かっていたのかもしれない。どちらにせよもはや詮無き話であった。

やり場のない感情が発露を求め、拳を脚に打ち付ける。予想外にも硬い感触が返ってくる。ポケットには薬の入った瓶が入っていた。「お前を逃がさない」と言われているようだった。こいつのせいだと思った。こんな道具があるから向こうの世界に入り浸り、大切なものをないがしろにしてしまったのだと。居ても立ってもいられず、その瓶を握りしめたまま岸辺へ走り出す。勢いのまま川へ投げ捨てた。八つ当たりと分かっていても抑えられなかった。

対岸にはまだ人影が見えた。何と言っているかは分からないが今度はその声も聞こえていた。

低い放物線を描いた薬瓶は、ボチャンと音を立てて沈んでいった。すると、何があったか急に川の水位が上がりだした。想像だにしない現象に一瞬目が点になる。しかしそんなことは我知らずと川底から湧き上がるようにグングンと水かさは増し、もう太腿のあたりまで浸かっていた。「なんだかこんな民話ありそうだ」などと現実逃避をしている間に水の流れに押されて姿勢を崩してしまう。ついさっき味わった溺没の感覚に再度襲われる―。



悲鳴とも泣き声とも思える呼び声が聞こえる気がする。ああ、はっきりとは聞こえないがこれはA子の声だろう。

むせかえるように水を吐き出した。横隔膜が暴れていてうまく息ができない。不規則な呼吸を繰り返す。耳に水が入っているのか、音はぼんやりとしか聞こえない。目を開けると澄み渡る青空が広がっていた。明るさという刺激が強すぎてすぐに瞼を下す。そのまま数十秒経って、ようやっと脳に酸素が行き渡ったのかだんだんと状況が分かってきた。とりあえず自分は今、仰向けに寝ているらしい。

濡れそぼった身体にへばりつく砂粒が気持ち悪かった。しかしそんな肉体的な不快感とは比較にならないほどの安堵に目頭が熱くなる。命が助かったことに対してではない。まだこの世で皆と、A子と一緒に過ごせるということに対しての幸福感だった。

大分落ち着き、先ほどから聞こえていた音を声と認識する。
「菫子ちゃん!菫子ちゃん!気がついたのね!よかったあああ!」
一度間近で聞いたことのある泣き声だった。首を少しひねると、枕元の位置にA子がへたり込んでいた。なだれ込むように抱き締められる。何となしに手を回したA子の身体はこちらと同じくずぶ濡れだった。「何であんたまでビショビショなのよ」そんなことを尋ねる元気も理由もありはしなかった。ただただA子の少し低めな体温が愛おしかった。



それから数十分が経ち、部屋へと戻る途中で担任に見つかった二人はお説教を喰らっていた。となるはずが、A子はいつの間にかいなくなっていたので一人で叱られていた。自分だけ逃げおおせるのはズルいと思う。事の顛末を子細に語る訳にはいかないので海に入って遊んでいたと述べたところ、それはもうこっぴどく怒鳴られる羽目になった。けれど「他の皆が帰る支度をしているときにこんな問題を起こして。ただでさえUターンラッシュの混雑で遅れそうなのに」というのはこんな時期に臨海学校を企画した先生達が悪いと思った。その後、身体中にミミズが這ったような赤い腫れがあったので養護教諭に見てもらったところ、クラゲに刺されたのだろうということで氷嚢を渡された。でもそれはクラゲの多くなるタイミングで海での行事を開催したせいだと思う。

結局それからA子の姿を見ることはなかった。まさか一人だけ叱責を逃れたことを後ろめたく思って合わせる顔がないのでは、と我ながら杜撰な推理を立ててみたりした。流石にそれはないだろうと思いつつも「私がA子に怒る理由なんてないのにな」と考えていた。今A子に伝えるべきは、諸々の感謝と「これからもよろしく」という他愛もない関係の約束なのだから。




―9月第一月曜日―
新学期が始まった。いつもと変わらない朝。いつもの教室、いつもの席でいつものように机に突っ伏していた。ガヤガヤといつも通りの喧騒。

キーンコーンカーンコーン。チャイムが鳴り、教室前方で戸の開く気配がした。

トントンと肩を叩かれる。隣の席から声を掛けられた。
「ちょっと、起きたほうがいいよ。始業式の前に出席取るんだって。出席番号最初でしょ、宇佐見さん。」
寝ぼけ眼をこすっていると、
「いやあ、臨海学校の宇佐見さんすごかったね。バーベキューで目立ちまくるわ、体操着で砂浜に来るわ、海に飛び込むわ。宇佐見さんって近寄りがたい雰囲気あったけど、意外とお茶目で何だか安心した。」
と肘で小突かれた。確かにそんなことをしていた記憶があった。思い出すと顔から火が出そうになる。

「出席取るぞー。宇佐見―。」
「はぁい。」
「新学期だからってはしゃぎすぎるなよー。」
担任教師にまで茶化された。あれ以来、というか主に今朝から周囲にえらく絡まれる。「雰囲気変わったね」とも言われた。担任のアレはムカつくが、それ以外はまあ悪い気はしなかった。
「次、小川―。」
点呼が続く。

臨海学校については何故か霞がかかったように思い出せない部分があった。2日間誰かとずっと一緒にいた気がする。しかしそれが何者か思い出せない。一方で柄にもなくはっちゃけていた記憶ははっきりとある。非常に恥ずかしい。ただ、ああやって浮かれて過ごすのもたまには良いだろう。幻想郷への完全移住はしばらく保留して、たまに向こうに行ったときに現世での経験を自慢してやろうと思う。

記憶の断片が海を漂うクラゲのようにフワフワと流れ去っていく。思い出だけが鮮明に胸に刻まれているのだった。
お読みいただきありがとうございました。
筆者は臨海学校に行ったことはないのですが川に飛び込んで溺れかけたことはあります。これから暑くなりますが水遊びには気をつけましょう。
ふさびし
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.簡易評価なし
1.100終身削除
実際に溺れたことがあるんですね…鼻に水が入って痛むのとか描写がとてもリアルに感じました どこか折れ曲がっていて自分を閉じ込めてしまっているような菫子が危なげだったのと戎の純粋な優しさが印象的でした 菫子も自分を見つめ直して向き合って生きていけるようになれたのかなと思いました 
2.90奇声を発する程度の能力削除
優しい感じもあって良かったです
3.100サク_ウマ削除
なるほど民話的でした。イマジナリーなフレンドと董子の親和性は確かに高いと思います。
正道で読んでいて心地よい作品でした。お見事でした。
4.90名前が無い程度の能力削除
ひねくれ学生の青春の一ページって感じで好き
5.100Actadust削除
A子と死に触れ合う中、菫子の揺れる心理描写がとても素敵でした。
菫子の現で見つけた光が、これからも輝き続けますように。
6.100こしょ削除
少し不思議な青春でした
7.100名前が無い程度の能力削除
こんな菫子もいいよね!
8.70夏後冬前削除
菫子と瓔花の絡み、という着眼点がいいですね。自死と水子という関係性がいい。
時刻の経過を章の冒頭で説明しちゃうのはもったいないです。描写で判るように書いてあげるべきです。
一人称視点と三人称視点の書き方が混ざってしまっている感じがします。どちらかに統一した書き方を心がけるといいと思います。
9.90名前が無い程度の能力削除
良かったです。ひねくれ菫子とA子の天真爛漫さがどこか妙にかみ合って面白いなぁと思って読んでました。
10.100南条削除
面白かったです
引っ張られるままにずるずると生き続けちゃう董子がかわいらしかったです
溺れたときの迫力もすさまじかったと思いました
11.100モブ削除
とても色を意識できる作品だなあと感じました。教室の隅っこを見たときの、なんとなくここではないデジャブを感じるような作品でした。ご馳走様でした。面白かったです。
12.100名前が無い程度の能力削除
菫子は原作からずっとこの人半分自殺したいんじゃないかと思ってたから気になってたから面白く感じました
イマジナリーフレンドはこいしちゃんかも