Coolier - 新生・東方創想話

鏡合わせの二人

2020/01/10 02:31:14
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一.



 満月の到来を告げる、不気味な獣の遠吠えが暗い夜空に木霊する。地上を監視しているかのように妖しく光るこの存在は、全ての妖怪の力を増し、等しく人間を狂わせる。梅雨の分厚い雲に覆われても、その影響が消える事はない。

 妖怪の主に仕える、紅魔館のメイド・十六夜咲夜は、頃来のこの月の力に悩まされていた。
 妖怪や妖精が住むこの館において、彼女は唯一の人間である。ここに住む妖怪たちが、月の力にあてられ多少気が荒くなる事があっても、彼女は然程気にしなかった。それ程の気概でないと、人間に妖怪の下僕は務まらない。
 咲夜の問題は、彼女自身に関する事だった。妖怪に囲まれて生きている所為で、人間である彼女でも、満月が近づくと妖怪と同様の力を授かるようになっていた。つまり、満月の下では気が大きくなり、力が増すに従ってそれを振りかざしたいという欲求が強くなってしまうのである。その事を自覚している彼女は、毎月冷静にこの日に対処してきた。

 普段の彼女ならば、満月の日が来ようと自我のコントロールを失うような事態は無かった。しかし近頃は、雨続きのこの季節が、彼女を酷く疲弊させていた。
 今年の梅雨は、例年と比べ明らかに長引いている。雨が降ると彼女の主・レミリアは館から外へ出ることが出来ず、宴会好きの彼女は、結果的に人を呼ぶ機会が増える。その宴会の準備に気を取られ、咲夜は暫く休むことが出来ずにいた。

 咲夜は深呼吸をしながら、紅魔館の廊下の壁に寄り掛かる。拳を握りしめると、心臓の鼓動が早くなり、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
 月の影響がない普段の生活でも、破壊欲を感じる事は時々あった。それが先天的なものか、後天的なものなのかは彼女自身も分からなかったが、それが自身の異常性であるということは認識していた。だが、生活に支障が出る程ではなかったので、今までは嗜好のようなものだと思って無視してきた。
 蒐集家でもある咲夜は、集めたコレクションを自ら破壊するような野蛮な真似はしない。けれども、それを妄想すると、気分がすっとする自分がいるのを認めていた。この満月の夜、疲弊した咲夜の心は、その妄想を現実のものにしようと肉体に働きかけてきていた。

 咲夜は傍にある花瓶を手に取る。美しいデザインが施されたそれにアトランダムにヒビが入り、そのパターン毎に新しい顔を見せるのは、前衛的な芸術として受け入れる価値があるのではないか。そんな自らを正当化する理由を考えながら、咲夜は花瓶を握りしめ振り上げる。
「咲夜さん!」

 背後からの突然の声で我に返った。咲夜は冷静に花瓶をテーブルの上に戻し、振り返る。
「……どうかした?」
 声の主はメイド妖精だった。咲夜の行動に特に驚いた様子は無く、彼女は普段通り上司である咲夜に話しかける。
「お嬢様が呼んでいます」
「ああ、ご苦労様」
「いえ、お疲れ様です。それより、下から活け花を見上げるなんて風流ですね。花見には遠く及びませんが」
「変化の無い花見より、よっぽどアトラクティブな芸術になるはずだったんだけどね」

 メイド妖精は怪訝そうな顔で咲夜を見る。咲夜はそれを気にも留めず、コツコツと靴の音を響かせながら歩いて行く。
 相変わらず、胸の鼓動は収まらない。今日も一日、激務なのは変わらない。咲夜はため息をつきながら、この苦悩の原因のもとへと急いだ。



二.



「どうぞ」
 咲夜はどこからともなく取り出したティーポットで、銀製のティーカップに液体を注ぐ。その液体の正体は、彼女のみが知る不完全情報だ。
「で、今日は何を混入させたのよ」
「何も。忙しくて、そんな事してる余裕はありませんわ」
 咲夜は部屋の壁に掛けられた絵を見ながら、またため息をついた。彼女の不機嫌そうな表情を他所に、レミリアはティーカップの中を覗いている。

「……これ、見る前は紅茶だと思っていたのだけど。観測された事実と帰納的推論に基づくと、明らかに違う」
 咲夜は直感でレミリアが睨みつけてくるのを事前に察知して、うまく目線を逸らす。
「というか、これって……」
 レミリアは咲夜より大きなため息をつき、咲夜を指差した。
「咲夜、ティーポットの中を見てみなさいよ」
「何ですか、中には何も……ありませんよ」

 咲夜が言い淀んだのを聞き、レミリアの眉がピクリと動く。
「文字通り『何も無い』のね? ティーストレーナーさえも」
「正確には、『液体以外何も無い』ですね」

 レミリアは呆れ顔で咲夜を見ながら、ティーカップを口元に運ぶ。いつもの優雅なティータイムとは程遠い。彼女はその中身を一気に飲み干し、虚しく呟いた。
「……お湯だわ、これ」
「だから、私は最初に言いましたよ。『何も混入させてない』って」
「……狙ってやったと言うなら、最高傑作だと思うわ。いや、狙ってなくても、あんたの天然っぷりは賞賛に値するわね」
「照れます」
「そういうとこよ、あんた」

 日付が変わり、十二時を告げる時計のチャイムが鳴る。咲夜はどこからともなく取り出したコルクボードを壁に貼り付け、何やら始めようとしている。レミリアは椅子の上で足をぶらぶらさせながら、その様子を訝しげに見つめる。
「咲夜……疲れてるんじゃない? 最近、無理させてると思うし」
「いえ……仕事ですから」
「全く……もう七月も半ばだってのに、何時まで梅雨が続くのかしら」
 咲夜はコルクボードの中心にレミリアの写真を置き、その縁をナイフで留めた。それまで不干渉だったレミリアも、それを見て流石に突っ込まずにはいられなかった。

「私の写真。ちょっと、何するつもりよ」
 咲夜は部屋の反対側まで移動し、ナイフを弄びながら主に応えた。
「新しいダーツの遊び方を考えました。的の中心を狙うのでは余りにも簡単すぎる。だから、枠の中で中心からなるべく遠くを狙うんですよ」
「それの何が新しいのよ。結局、目印に向かって投げてるのと同じだし……ピッチャーにでもなるつもり?」
「ピッチャー? 人間は容器にはなれませんよ」
 完全に興味を失った様子のレミリアを無視して、咲夜はナイフで狙いを定める。
「見ててください……はっ!」

「……あ」
 咲夜の放ったナイフは、途中で曲がることなく、真っ直ぐに、笑顔のレミリアの顔面に突き刺さった。唖然とする咲夜に比べて、レミリアは予想通りといった風にため息をついた。
「調子悪いみたいですね、今日は……」
 咲夜はコルクボードに向かい、レミリアに刺さったナイフを引き抜いた。事後のレミリアの写真は、見るも無残な姿になっている。

「やっぱり、無理してるんでしょう? 目が赤くなってる」
「寝不足ですかね」
「いや……あんたのそれは、普通じゃない」
 レミリアは咲夜の手を引き、傍のソファに座らせる。困惑する咲夜を真剣な目で見ながら、レミリアは咲夜に顔を寄せた。
「……あんたは明確な殺意を抱いた時、その目が不自然に赤くなることがある。充血とかいうレベルじゃなく、ね」
「……そうですね。今日は、こうやってお嬢様を見ていると、間違いを起こしてしまいそうです……」

 レミリアを恍惚とした表情で見る咲夜は、覚束ない様子でレミリアの喉元に手を伸ばす。それがレミリアの喉を捉え、握り潰す力が働く直前で、レミリアは咲夜の手を振り払った。
「……はっ、申し訳ありません、お嬢様……」
「あんたに殺される私じゃない。それより……その不安定な精神状態が気懸かりだな」
「……満月の影響だと思います。暴力的な力が湧いてきて、美しいと感じたものを破壊したくて……我慢出来ないのです」

「このままだと、人間に戻れなくなるかもね」
 レミリアは悲観する素振りを見せず、淡々と事実を語る。このままでは、人間でいられなくなる……その言葉の響きは、咲夜を複雑な感情にさせた。

「……明日は休め。たまには自由に外を見てきな」
「ありがとうございます……」
 レミリアはそれ以上何も言わず、咲夜が落ち着いたのを確認して部屋から出ていった。
 咲夜は全ての力を抜き、ソファに身を任せる。全身の脱力感と共に、胸の中に渦巻く熱い気持ちと、レミリアの柔肌の感触が残った。

 何故、レミリアは従者の不安を懸念する素振りも見せなかったのか。心配するような事ではないと思ったのか、それとも……咲夜が人間を辞めることを、期待しているのだろうか。
 兎に角、このままではいけない。何とかしなければ。そう考える咲夜だったが、眠りにつく最後の一瞬まで、この苛立ちの解消方法は思いつかなかった。



三.



 夏の日差しをひた隠す鼠色の厚雲の下で、生温い風が吹き流れる。雨上がりのこの天候は気分を重くさせるが、咲夜はこの気怠い雰囲気が好きだった。彼女にとって、雨はただ気分が重くなるだけだが、曇りは心地よく気分を重くしてくれるのだ。
 目的地である建物の、脆弱で心細い扉に手をかける。久しぶりに休暇を貰った咲夜は、ふと思いついたこの場所を、特に大した目的も無く訪れたのだった。

「こんにちは」
「ああ、いらっしゃい」
 落ち着いた雰囲気の銀髪の青年が、笑顔で咲夜を迎える。
 彼・森近霖之助は、ここ『香霖堂』の店主であり、唯一の店員である。人里離れたこの店を訪れる者は数少なく、加えて商品を目当てに訪れる者は更に少ない。
 咲夜はこの店を訪れる客の中でも、『更に少ない』部類に入る上客である。もしこの場にその部類に入らない人間がいて、霖之助の彼女に対する態度を見たら、きっと不平を漏らす事だろう。

「今日はどういった用件で?」
「ええ、ファビュラスでデンジャラスな物品を探しに来ました」
 咲夜の漠然とした要望に、早速霖之助の表情が引きつる。彼女のような変わり者が、突飛なサービスを求めてくるのは、ここに入ってきた瞬間から分かっていた事だ。お得意様である以上、この限られた範囲と制限の中で満足してもらうしかない。霖之助は瞬時に判断を下し、強大な妖怪と相対するような決意を持って、商売という名の戦いに打って出た。
「まあ、きっと気に入る物があると思う」

 その後、霖之助は咲夜が気に入りそうな調度品や日用品を幾つも紹介したが、咲夜はぼんやりと曇った表情のまま、いつまで経っても首を縦に振らなかった。
「うーん、やっぱり大した物は無いわね」
「やっぱりって……そろそろ、君が望んでいる物を、もっと具体的に教えてくれないか?」

 咲夜は頬に手を当て、周りの商品を見渡しながら考え込む。実際の所、欲しい品物の具体的なイメージは彼女自身も持ち合わせていなかった。
「実は、今日は暇潰しの為に来ただけで、何か欲しい物がある訳ではないのです。ただ、何か惹かれる物は無いかと」
 品物を購入する意思がある事を確認して、霖之助は少し安心した。彼女が冷やかしに来たのでない事には喜ぶべきだが、それ故に、彼女の要求に答えられないのが余計に悔しい気持ちだった。

「ん……? ここだけ、布が被せてありますね」
「ああ、それは商品ではないんだがね。危険な物だから、隠してあるんだ」
「危険? つまり、私が求める物ですね」
 霖之助が止める間もなく、咲夜は一瞬のうちにそれを暴いた。布に覆われた物の正体は、小さくて四角い、表面に美しいデザインが施された板状の何かだった。

「これは……?」
「……まあ、君になら見せても構わないか」
 霖之助はそれを咲夜に手渡す。咲夜はそれを手の中で転がしながら眺めているうちに、板の真ん中を開くことが出来るのに気づいた。
「それは手鏡だ、見た目上はね。だが勿論、ただの手鏡ではない」
「ふむ、これはなかなか美しい……」

 咲夜は手鏡を開き、鏡に映った自分を見つめる。湿気で少し乱れている前髪を、手櫛で程々に梳かす。美しいデザインと実用性を兼ね備えたこの手鏡を、咲夜は気に入り始めていた。
「そんな風に、手鏡として使う分には、商品として申し分ないのだがね。僕の目には、この物体は『使用者の願いを叶える道具』として見えている」
「何ですって? 確かに、魔力のような不思議な力を感じるけど……」

 霖之助は、『道具の名前とその用途を知る』能力を持っている。だが、その能力を持ってしても、使用方法までは分からない。それが原因で、店内にただ積まれているだけの道具も多いのだが、この手鏡もまたその一つだった。
「そう……この手鏡のような物は、打ち出の小槌や魔法のランプなどのマジックアイテムと同じ力を持っている。残念ながら、どうすれば願いを叶えてくれるかは分からないのだが……」
 とは言っても、霖之助には、特に叶えて欲しい願い事がある訳でもなかった。この道具が力の割に存在感が無く、他の道具に埋もれていた原因のもう一つである。

「でも、これの何が危険なの? とても魅力的なアイテムに見えるのですけれど」
「魅力的……そう、『願いを叶える道具』は、人間にとってそう見える。だからこそ、それが恐怖、狂気、争いなどの象徴として表される事もある」

 咲夜は鏡に映った自分を見つめる。霖之助の長い薀蓄が始まることを察知してか、退屈で不満そうな顔をしていた。
「例として、猿の手や、悪魔との契約が分かりやすいだろうか。その人間の願いを歪曲して叶えたり、願いの代償を求めるという話だ。僕の手に置かれてから、その手鏡はまだ力を発揮していないが、他の誰かの願いを叶えるプラスのエネルギーの代償に、同じ大きさのマイナスのエネルギーを蓄えている可能性がある。このマイナスのエネルギーを蓄え、最後の持ち主に不幸を与えるといった話は――」

「あー、こほん。危険なのは分かりましたが、願いを叶える方法が分からないなら、ただの手鏡と変わらないでしょう?」
 咲夜は霖之助の話を遮るように、手鏡をぱちんと閉じた。その美しく完成された造形は、香霖堂で埃すら被れずに秘蔵されているのが勿体無いと感じる程だ。
「これ、譲って頂けますか? 手鏡としては十分です」
「だから、それは商品じゃない」
「え? それならそうと、最初に言ってくれれば良かったのに」
「最初に言った筈だがね」

 改めてこの手鏡を見てみると、少し派手すぎる気もする。内なる魔力に惹かれただけなのだろうか、酸っぱい葡萄と言うべきか、手に入らない物だと思うと、あまり魅力的な物には見えなくなった。
「まあいいです、今日は冷やかしで帰ります」
 咲夜は手鏡を元にあった場所に戻し、布を掛け直す。手元から離れ、見えなくなると、すぐに興味が薄れた。その程度のものだったという事か。
「申し訳無い、この店には非売品が多いんだ。これに関しては、危険だからという理由もあるがね」
 何も売ることが出来なかった霖之助は、少し落ち込みながら咲夜を見送った。霖之助は本気で商売をしている訳ではないが、正当な客に対して何も売る事が出来ないのは、やはり悔しい気持ちが少なからずあった。

 香霖堂からの帰り道。何も手に入らなかったが、気分転換としては上出来だと咲夜は思った。まだ遅い時間ではないが、他に行くべき場所も思いつかなかった。
 ふと、咲夜はスカートに付いた隠しポケットを探る。普段、物を持ち歩く為に使っているのではなく、主にマジックに使うためのポケットであったので、違和感にはすぐに気づいた。そこには、馴染みは無いが覚えがある、奇妙な触り心地の何かが入っていた。

「これは……さっきの?」
 そこに入っていたのは、つい先程まで触っていたあの手鏡だった。どこから入ってきたのだろう。彼女は霖之助に悟られずに、この手鏡を持ち出すことも出来たが、勿論そんな事はしていない。まるで、鏡が意思を持って彼女に付いてきたようだ。
 これを幸運だと思って、このまま持ち帰る事も出来たが、霖之助の話を聞いた後では、不気味な気持ちにしかならなかった。咲夜は急いで彼にこの手鏡を返しに行くことにした。

 咲夜は起こった事を全て正直に話し、手鏡を元の場所に戻した。霖之助も彼女の話を疑う事は無かった。
 二人で考えても、何が原因かは分からなかった。ただ、嫌な予感がしたのは二人とも同じだった。霖之助は暫くの警戒と、何か起こったらすぐ連絡する事を約束して、咲夜と別れた。
 それから咲夜は、暫く悪寒を感じながら帰り道を歩いていたが、紅魔館に着いてもポケットの中身に何も無い事を確認すると、安心しきってすぐにその事を忘れてしまうのだった。



四.



 強い雨が香霖堂の屋根を打ち、静寂の中に動的な音を生み出す。晴耕雨読とは言うが、雨の日に読書するのは畑仕事が出来ないからではなく、聞き慣れない音の中で、頭が見慣れた物を求めるからである。
 毎年うだる程の暑さになるこの月になっても、今年は梅雨が終わる気配がまるで無い。異常な冷夏になる事に一抹の不安を感じつつも、気温を気にせず読書に集中出来るこの環境に、霖之助は感謝していた。

「こんにちは」
「うわっ!?」
 急な来客に驚いて、霖之助は本から顔を上げる。いつの間に入ってきたのだろうか、扉の前には先日も訪れてきた紅魔館のメイドが立っていた。雨の音で気づかなかったか、読書に集中しすぎていたか。霖之助は思考しながら、瞬時に営業スマイルを作り上げる。

「この雨の中、わざわざ?」
「ええ、今日は欲しい物がありまして」
「ほう、それは一体なんだい?」
「人を殺すのに適した道具はありませんか?」

 咲夜の危険な要望に、霖之助の表情が引きつる。彼女に限った話ではないが、ここを訪れる少女は毎度、見た目からは想像出来ないような要望を言ってくる。これに対して、彼女を知らない普通の店主ならば当然聞き返すのだろうが、霖之助は手慣れた様子で受け流した。
「そんな物、ここにある訳無いよ……と言いたい所だが、君の場合はその条件を満たさない物の方が少ないんじゃないか」
「例えば、これとか?」

 咲夜は傍の家電製品に触れ、霖之助に笑顔を向ける。
「おっと、店内では暴力禁止だ」
 霖之助の脳裏に嫌な予感がよぎり、思わず身構える。彼女に対して身構えた所で、大した意味は為さないのだが。

「……ぷっ」
 真剣な表情をする霖之助を見て、咲夜は思わず吹き出した。家電製品をぺちぺちと叩きながら、挑発気味に言う。
「そんなプリミティブな殺人、する訳無いじゃないですか」
「そ、そうか」
 霖之助は構えを解く。嫌な予感はただの勘違いだと悟り、思わず脱力する。
「大体、君にはナイフがあるだろう? それで十分じゃないか」
「そうでした、私にはナイフがあるんでした」
 咲夜は不敵に笑いながら、霖之助をじっと見つめる。彼女がどこまで本気なのか、霖之助には判断しかねた。

「ありがとうございました、霖之助さん」
 後味の悪さを残しながら、咲夜は雨が降る扉の向こう側へと消えていった。この悪天候の中、彼女を見送る気にはならなかった。
 霖之助は再び椅子に腰掛け、手に持った本へと目を落とす。思わず中断された時間を取り戻すように、彼は暫く本の世界に没頭し続けていた。



五.



 天上に昇る夏の日差しが、地上の全てをじりじりと照らす。あらゆる窓がカーテンで仕切られた紅魔館の中では気づきにくいが、じわじわと上がる室温が、本格的な夏の到来を否が応でも知らせにきていた。
 満月が昇ったあの日から、数日が経つ。あの日に感じた葛藤の苦しみが嘘だったかのように、近頃の咲夜は晴れやかな気持ちで日々を過ごせていた。今までもそうだったように、時間があの苦しみを解決してくれたのだと、彼女は前向きに考えていた。
 今日から実施された紅魔館の大掃除も、気力が有り余った咲夜が提案した事だ。だが、ここまで暑くなるのは予想外だった。汗をかかないようにゆっくりと、咲夜は広間の掃除を進めていく。

「咲夜ー!! 出てきなさーーい!!」
 静けさを切り裂く唐突な大声に、咲夜は思わず顔を顰めた。自由奔放な彼女を思い起こさせる、聞き覚えのある声だ。咲夜が声の主のいる方へと向かうと、彼女は猛ダッシュで咲夜の元に駆け寄ってきた。

「はぁ、はぁ……咲夜! あんた、何て事してくれたのよ!」
「一体何ですか、大声出して」
 声の主・博麗霊夢は、深刻な顔をしながら咲夜の肩を掴む。心当たりの無い咲夜にとって、その真剣な表情は物珍しい面白顔にしか見えなかった。
「あんたが、あんたが人殺したって……!」
「はぁ……とりあえず落ち着きなさい、霊夢。場所を変えて話しましょう」
「……そうね、悪かったわ」

 いつにも増して焦燥した様子の霊夢は、ソファに腰掛けても落ち着き無く視線を動かしている。茶を取りに行こうとした咲夜を制して、二人は向かい合う。
「それで、私が何したって?」
「あんたが人を殺したって話よ! 本当の事なの?」
「それぐらい、別に驚く事じゃないと思うけど」
「ふざけないで! 私は真剣な話をしに来たの!!」
 咲夜ははぁ、と大きなため息をつき、何も入っていないティーカップを指で弄びながら口を開いた。

「……あなたの代わりに、私が状況を整理してあげるから、順を追って話してくれる?」
「そ、そうね……まずはこの話の出処だけど。最近、人里で殺人事件が多発してるの。被害者の共通点の無さと、犯行の手順から、同一犯による無差別殺人だと思われてる」
「ふぅん。それで、どうして私が殺したと思ったの?」
「あんたみたいな格好してるの、他にいないからね。特徴からしてあんたとしか思えない、殺人犯を見たって言う人が遂に現れたのよ」
「それで、その殺人はいつ?」
「昨日の深夜。人里の中でも民家の無い場所で、それまでの事件と同様に、被害者の身体には大量のナイフが刺さったままだった」

 そこまで話した所で、霊夢は不安になって、咲夜をじっと見つめる。それから我慢できなくなって、咲夜の手を取り、ぎゅっと握りしめた。
「ねぇ……私は、あんたがそんな事する奴だなんて思ってない。本当は違うんでしょう? ねぇ……」
 普段と全く異なる様子の霊夢を見て、咲夜の心には愉悦を通り越して同情が芽生えてきた。これ以上遊ぶのは流石に可哀想だ。

「昨日、私は紅魔館から一歩も外に出ていないわ。夜はお嬢様に付きっきりだったから、その事はお嬢様に聞けば分かる筈」
「で、でも……あんたには能力があるでしょう? それを使えば、矛盾しないわ」
「それじゃあ私は、『殺人現場を目撃されるために』わざわざ時を動かして殺したというの?」
 咲夜の反論を聞いて、霊夢は少しずつ頭の中で整理がついてきたようだ。最終的に彼女に判断を下させたのは、咲夜への信頼の気持ちだった。
「私は動機が無い快楽殺人なんてしない」
「……そうよね、あんたはそんな奴じゃないって、私自身がよく知ってる……だったら、私があんたの無実を証明しないと」

 そう思い立って飛び出そうとする霊夢の目の前に、急に咲夜が現れた。いつの間にか二人は同じソファに座っていて、霊夢は咲夜に膝枕されていた。能力を使ったのだ。
「ちょっ、あんた何して――」
「ねぇ霊夢。その殺人は私がした事じゃないし、私が犯人じゃなければ完全犯罪は不可能なのだから、真犯人はいずれ捕まると思う。でもね……」

「私が人を殺す事を厭うていると思うのなら、それは違う。する必要が無いからしないだけであって、私は里の人間が殺されようと何とも思わない」

 咲夜は霊夢の首筋をなぞりながら、サディスティックな笑みを浮かべる。命の危険を思わせる自らの鼓動の感触と、妖怪じみた咲夜の表情を見て、霊夢は急に血の気が引いていくのを感じた。
「ねぇ霊夢。私、美しい物がバラバラに破壊される瞬間が大好きなの。この世の全ての美しい物は、壊されるその瞬間が最も美しくなれるのだと思う。勿論、人間も例外じゃなく、ね……」

「いやッ」
 恐怖に耐えられなくなった霊夢は悲鳴を上げ、思わず咲夜を突き飛ばした。霊夢は咲夜がそんな人間ではないと表では思いつつも、もしかしたら、という気持ちが裏にある事を自覚した。だが、それを信じたくはなかった。
「違う……違う、あんたはそんな化物じみた奴じゃない!! 私が真犯人を捕まえて、それを証明してやるから!!」
 霊夢は咲夜の方を見ずに、走って部屋から出ていった。その様子を咲夜は不思議そうに見つめていた。

 何故彼女は、私の為にそこまでしてくれるのだろうか。彼女から見た私は、一体どんな人間なのだろうかと、咲夜は心の中で一人ごちた。
 霊夢を試す気持ちは少なからずあった。だが、彼女の意思がそこまで堅いというならば、咲夜自身も行動を起こさない訳にはいかなかった。里の人間に罪をなすり付けられようがどうでも良い事だが、自分を信じる霊夢の気持ちを裏切る事は出来なかった。



六.



 うだるような暑さの中、ようやく辿り着いた楽園に、咲夜は思わず深い息を吐く。"本物の"瞬間移動が出来れば、こんな暑さを感じる事も無いのだが。
「……いらっしゃいませ」
 愛想の悪い給仕が出てきた。睨みつけるような接客に目を瞑れば、店のアイドルとして申し分無い美しさだ。その意味では、働く場所を間違えていると思わざるを得ない。
 案内された席でしばらく休んでいると、盆を持った給仕が戻ってきた。彼女はテーブルに羊羹と茶を雑に置くと、咲夜を見下すようにしながらぼそっと呟いた。
「ごゆっくり」

「ああ、やっぱりここにいたか」
 咲夜が羊羹を半分ほど食べ終えた所で、新たな客がやって来た。その客は遠慮無く咲夜の席の向かいに座り、大きな帽子を脱いで自らの金髪を手櫛で梳いながら笑う。
「やっぱりって何よ」
「お前、いつもより暑そうな格好してるな」
「あなたはいつも通り暑そうだけどね」

 咲夜の目の前の少女・霧雨魔理沙は、思わず暑さに耐えきれないため息を吐いた。この店に入る前の咲夜と同じだ。
「もしかして、変装してるのか?」
「変装? 失礼ね、私服を着ているだけよ」
「ああ悪い、いつもより目立ってるのに変装とは言わないな」
 魔理沙は咲夜から奪った伊達眼鏡をかけ、フッと笑う。それを見た咲夜は、魔理沙より大きなため息を吐いた。

「私の休憩の邪魔をしに来たの?」
「わざわざ私服で人里に来るなんて、何か訳有りみたいだな?」
「わざわざ私に会いに来るなんて、全部知ってるんでしょ」
 微妙に会話が成り立たないことに苛立ちを覚えた咲夜が、魔理沙に厳しい視線を送る。それに耐えきれなくなった魔理沙は、苦笑いしながら口を開いた。

「いやぁ、お前も苦労してるみたいだな。直接人里に来てるとは思わなかったが」
「あなたをどれぐらい信用していいものか」
「勿論、私も協力するつもりだよ。お前には少なからず世話になってるし」
「はぁ……私はね、人殺しの罪をなすり付けられようが、どうでもいいの。ただ……」
「霊夢が、私の無実を絶対に証明するからって」

「へえ。あの他人に無関心で有名な霊夢がねぇ」
 魔理沙は羊羹を食べながらニヤニヤと笑う。
「霊夢は一体何を考えているのか……」
「そうか? 私には何となく、霊夢の気持ちも分かるけどなぁ」
「どういう事?」
「いやさ、霊夢とお前は……何となく、似てるんだよな」

 怪訝そうな顔をする咲夜に対し、魔理沙は妙に納得した様子だ。その理由を彼女は語り始める。
「他人に無関心なのは、お前も同じだろ?」
「まあ、お嬢様以外には」
「そのレミリアも、もっと従順なメイドが欲しいってたまに愚痴ってるよな」
 不服そうな顔をする咲夜を無視して、魔理沙は話を続ける。

「強い奴に媚びる訳でもなく。結局、霊夢が皆に好かれるのは、誰に対しても平等だからなんだよ。無関心なのはその裏返しだ」
「私もそれと同じだと?」
「お前は気づいてないみたいだけどな。霊夢はお前に何かを感じていても不思議じゃない」
「何よ、それ……」

 変わらず浮かない表情の咲夜を見て、魔理沙はけらけらと笑う。誂われているように感じた咲夜は、不機嫌そうに手元の皿を机の隅へと寄せた。
「あとは、何も考えてなさそうな所かな」
「馬鹿にしてる?」
「多分、気分屋なんだろうな。だから受動的で、能動的でもあるような二面性を感じるんだ」
「……?」
「まあ、霊夢のはただの気分だと思って良い。あんまり深く考える必要は無い」
「……そうね」

「それよりさ、何か捜査のアテはあるのか?」
 咲夜は何も答えない。
「……もしかして、何も無いまま探してたのか?」
「仕方無いじゃない。それに、私の能力を使えば、怪しい奴はすぐ調べられるわ。結局、私以外でナイフを持ってる人間が犯人な訳でしょ」
 相変わらずな奴だなと、魔理沙は苦笑いする。
「霊夢も虱潰しに探してるらしいし。そういう所まで一緒だな」
「そういうあなたは、なにか良い考えがあるの?」
「そうだなぁ。聞きたいか?」
「いえ、別に」
「まあ聞けよ。こういうミステリーは、推理を楽しむもんだろ」
 魔理沙は最後に残った羊羹を口に運び、済んだ皿を机の隅に寄せる。その後深呼吸を一つすると、傍に置いてあった帽子を深く被り直した。

「犯人が、ナイフを使って殺人を起こしたのは間違い無い。そうなると気になるのは、何処でそのナイフを入手したか」
「ナイフなんて、誰でも持ってるでしょ?」
「西洋かぶれのお前は知らないかもしれないが、人里でナイフを使う人間は多くない。そうなると、必然的にナイフを扱う店も少なくなる」
「……それで?」
「同じナイフを売っている店を探して、そこで一日中張るんだよ。犯人は毎回それを使い捨てにするから、いつかは犯人が来る筈だ」

 魔理沙の推理を聞いて、咲夜はため息を吐いた。彼女を信頼したのは良いものの、ただの野次馬だったかもしれない。
「はぁ。何と言うか、チープな推理ね。ミステリーでも何でも無いじゃない」
「酷い言い様だな」
 聞いて損したと言わんばかりに、咲夜は魔理沙をじっと睨む。
「大体、犯人が同じナイフを買いに来るとは限らないわ。それに、そんな悠長な手段取ってられない」
「まあ、それはそうだな。私は地道に探すから、お前はお前で頑張ってくれ」

「じゃ、私はそろそろ行くかな」
 魔理沙は立ち上がり、伸びを一つした。店の出口を見て、外の暑さが頭を過る。
「おっと、忘れる所だった。香霖がお前の事を呼んでたぞ。何でも、急ぎの用事らしい」
「あの店主が?」
「直接来ない事に関しては、許してやってくれ。あいつ、基本的に店から離れないんだ」
「店に来いって、今それどころじゃないんだけど」
「手がかりが欲しいんだろ? 何か知ってるみたいだったぞ、私には教えてくれなかったが」

 香霖堂と言えば、最近訪れたばかりの場所だ。そしてあの時、あそこで不思議な事が起こったのを、咲夜は思い出した。今回の事件と関係があるのだろうか。もしそうならば、彼に対する苦情も含めて、あの場所を訪れるべきなのだろう。
 いつの間にか魔理沙はいなくなっていた。支払いを押し付けられた事に気づき、咲夜の口からは再三のため息が溢れた。



七.



 鬱蒼とした雨の中、木の枝葉から落ちた水滴が傘に当たり、音を出しながら弾けて消える。普段遣いの日傘と比べて、すぐに『音』を上げる傘だなと咲夜は思った。
 念の為ポケットに手を入れてから、咲夜は香霖堂の扉に手をかける。ガラス張りのそれにぼんやりと見える向こう側で、何かが自分を見て笑っているような気がした。

 扉を開けると、呼び鈴がじゃらじゃらと音を立てる。客人をもてなすには随分と無神経な音だと感じる程に、今の心に余裕が無いことを気づかされた。
 入り口からすぐ目の付く位置に、霖之助はいた。彼は咲夜を視認すると、本を閉じ、自ら立ち上がった。

「お呼びでしょうか、店主様」
 咲夜の皮肉を込めた挨拶に、霖之助は思わず苦笑いする。
「いや、本当に申し訳無い、お客様。早速だが、茶を淹れてもてなす事も出来ないのをお許し頂きたい」
 珍しく、霖之助は少し焦燥している様子だった。今の状況は、彼にとっても不利益なものであるのだと、咲夜はすぐに理解した。

「君によく似た人間が、人里で殺人事件を起こしたと聞いて。点と線が繋がったような想いだよ」
「あなたが黒幕なのね? 全て話して貰うわよ」
「おいおい、容疑者は君の方だろう」
 霖之助は咲夜を連れて、布が被せられた陳列棚に向かう。

「君は、あの時の手鏡を覚えているかな?」
「ええ、勿論。私が此処に来たのは、心当たりがあっての事ですから」
 霖之助は被さった布を引き剥がす。前回訪れた際に、咲夜がそこで見た筈の物は、咲夜の想定通りそこには存在していなかった。
「見ての通りだ。いつの間にか、あの手鏡が消えていた」
 咲夜が手鏡を盗む気が無かった事は、あの日に二人で確かめた通りだ。ならば、何故手鏡は消えたのか。霖之助は心当たりがある様子だった。

「一つ、聞きたい事がある。君があの時、例の手鏡を見てから、この香霖堂を訪れたのは今日が初めてか?」
「そうね」
「……今日のような雨の日に、傘も差さずに此処を訪れた事は無いか?」
「無い。今日も傘を差してきたわ」
「……やはり、か」
 一人で納得する霖之助に対し、咲夜は不満気な顔をしている。
「早く、私の点も線で繋いでくれないかしら」

 何か後ろめたい事でもあるかのように、霖之助はひっそりと語り始める。
「君にあの手鏡を見せてから数日後、君……いや、君の姿をした者が香霖堂にやってきたんだ。その時、僕は他の事に夢中になっていたから、それが入り口からやって来たのか、それすらも覚束ない」
「それで、通常営業――化け物に商品を売る、をやっていたと?」
「奴は、殺しに使える道具は無いかと僕に聞いてきた。君の姿をしていたから、当然疑問にも思わなかった」
「まあ、失礼ね」
「兎角、それから一言二言交わして、結局奴は何も買わずに雨の中を出ていった」

 咲夜は眉を顰め、ため息を吐きながら会話を遮った。
「もう十分よ。あの手鏡が、私に化けて悪さをしてる。そういう事でしょ?」
「そう考えれば、色々と辻褄が合うんだ。殺人が起きた時期、捕まらない犯人……そして何よりも、あの手鏡の正体」
「正体? 確か、あの道具は……」
「『願いを叶える』手鏡だ。そして、この系統のマジックアイテムは……あの時も言ったように、必ずしも使用者にとってプラスに働くとは限らない」

 霖之助は椅子に腰掛け、口の前で手を組みながら咲夜を見据える。
「君はあの時、手鏡に触れた。そして、あれはどうしてか、殺人という形で君の『願いを叶えた』んだ」
「……私が、この事件のトリガーになったと?」
 重苦しい空気が流れる。咲夜は自らにかけられた疑いを、決して否定しようとはしなかった。心当たりがあったからだ。

 一方の霖之助は、咲夜を責める様子も無く、静かに語り始める。
「……人間には、ある種の二面性がある。自らの欲望を果たそうとする『主観』と、理性でそれを制する『客観』だ。客観により抑制された主観は、無意識の下に潜伏して、望みを叶える機会を待ち続けている」
「君は手鏡の前で、願いを言った訳でも、思った訳でも無いだろう。だがあの手鏡は、君の意思とは無関係な部分の、抑圧された主観を映し出した。これが『願いを叶える』道具の恐ろしい一面なんだ」

 咲夜は思い出す。満月の夜に感じた葛藤の苦しみが嘘のように消えたのは、自分の代わりに欲望を果たす『誰か』がいたからだったのだ。自らが招いた事である以上、こんな事に霊夢や魔理沙たちを巻き込む訳にはいかない。

「……思った通り、ミステリーでも何でも無かったわね。こんな馬鹿馬鹿しい話、私がそいつを退治して終わりにするわ」
「元を辿れば、こうなったのは僕の責任だ。出来る事なら、何でも協力しよう」
「犯人が捕まらないのは、昼間はただの手鏡になってるって事かしら。虱潰しに探しても見つかりそうに無いわね。何か手がかりになるような物は……」
 霖之助はしばらく考えた後、思い出したかのように立ち上がり、店の商品の一つに手をかけた。

「これは奴が店を訪れた際に触れた商品。君は知っているかもしれないが、電気式の炊飯器だ」
「鈍器としてなら使えそうだけど」
 霖之助は突っ込みたくなる気持ちをぐっと抑え、説明を続ける。
「奴の正体はマジックアイテムだ。この炊飯器に、奴の魔力が残っているかもしれない」
「確かに、異変でマジックアイテムを扱った事はあるけど……」

 咲夜が炊飯器に触れると、確かに僅かな魔力が感じられた。異変で扱ったものとは異なる感触だ。
「必要なら、それは貸しておくよ」
「え? これを持って犯人を捜せと?」
「鈍器になるんだろう? 丁度良いじゃないか」
「これ、一応商品なんでしょ……良いの?」
「今回の事件を解決するためなら、それぐらい安い物だよ」

 炊飯器の無駄な重みに眉を顰めつつ、咲夜は店の入口へと向かう。
「これでツケを払ったと思わないでよ。後で必ずお礼を貰いに来るから」
 咲夜の口調に、霖之助は酷いデジャヴを覚えた。事件を解決するために奮闘する姿と、存外に現金な態度は、あの巫女と全く同じだ。一つ違う点を言えば、彼女は香霖堂の正式な客であるという事だ。
「またのお越しを」



八.



 真夜中の人里。今宵の人里は、普段のそれとは明らかに異なる様子だった。入口の門は閉め切られ、住居の少ない里の外れにも提灯の明かりが跋扈している。事件に備えて、人里の警備が強化されたようだ。今日に限って締め出されるとは思わなかったが、人里の中は彼らに任せる事にした。
 手元の魔力を頼りに、咲夜は人里の外を探索する。時を止められない偽者に負ける筈は無い。奴を確認出来たら、すぐに動きを封じて、それからたっぷり絞ってやろうと思った。

 しばらく歩いて、林の中を探し始めた頃、咲夜は手元の魔力と同じ反応を感じた。炊飯器を放り投げ、咄嗟に近くの木の陰に身を隠す。
 魔力を付随した何かが、遠くからこちら側に向かって来ている。それを確信した瞬間、咲夜は能力を使って時を止めた。
 ライターで明かりを確保し、気配の根源へと向かっていく。それから一、二分ほど歩いた場所で、エプロンドレスとヘッドドレスを身に着けた、一人の銀髪の女を発見した。

「……成程、確かに私だわ」
 自らと全く同じ顔をしたそれに驚きつつも、咲夜は何本かのナイフを相手の服に食い込ませ、木に磔にした。それから夜の暗さにうんざりして、再びライターに火を灯してから時を動かした。

「……っ! これは……?」
 咲夜の姿をしたそれが、驚きに一瞬目を見開く。想定通りの反応だ。やはりこいつは時を止める事が出来ない、そう確信した咲夜は偽者を指差して言った。
「さあ、観念しなさい。私の偽者」
 だが、偽者は咲夜を視認するとすぐに余裕の表情に変わった。自らの状況を確かめてから、咲夜に質問を投げかける。
「ねえ、今何をしたの?」
「……こそこそと殺人をして回っていたあなたと違って、私は時を止める事が出来るの。残念だけど」
 それを聞くと、偽者は嬉しそうに笑った。不気味な態度に、咲夜は不穏な空気を感じ後ずさる。
「へぇ、あなたは時を止められるのね」
「……質問するのは私の方よ。あなた、香霖堂にいた手鏡でしょう?」

「私は、あなたの中のあなた」
 磔にされた咲夜が、身動きの取れない状態のまま目の前の咲夜を見て目を細める。
「やりきれないあなたの代わりに、あなたの心を満たしていたの」
「頼んでないわよ、そんな事」
「私は望んでいたのよ。あなたの心の中で、ずっと」

 苛ついた咲夜がナイフを突き出そうとして、隠し持ったナイフに手をかけようとした。だが次の瞬間、咲夜の想定とは真逆に、磔から脱出していたもう一人の咲夜にナイフを突き立てられていた。
「あなたを演じなければならないのに。時を止められるなら、もっと早く言ってよ」

 咲夜は敵の実力を侮っていた事を思い知った。奴は願いを叶える道具なだけあって、思い通りの事が出来るらしい。それほどの能力を持った者を拘束するのは難しいだろう。
「ここで私に対処するなら、殺すしかない。そうでしょう?」
「……分かっているなら、大人しくしてなさい」
 咲夜はナイフを抜き、切っ先をもう一人の咲夜に向ける。それに対して、もう一人の咲夜は手に持ったナイフを投げ捨て、咲夜に向かって不気味に微笑んだ。
「ええ、大人しくするわ。あなたに殺されるのなら本望だもの」
「……何のつもりよ」

「あなたは拷問で苦しめながら殺すのが大好きな殺人鬼。そうやって他人を殺したのも、一度や二度では無い」
「何を言って……」
「そして私は死ぬべき悪人で、殺しても何の後腐れも無い。罪の意識があなたの大好きな拷問を遠ざけているなら、私は理想的な相手でしょう?」
 知ったような口で挑発的に笑うもう一人の咲夜に対し、咲夜は苛つきと共に強い殺意を覚える。相手の思う壺だと分かっていても、心の底からやって来る衝動を抑えられない。

「それ以上無駄口叩いたら……二度と喋れなくさせるわよ」
「早く本当の自分に気づきなさい。まともな人間からは程遠い、殺人鬼としての自分に」
 苛つきが頂点に達した咲夜は、もう一人の咲夜の肩口にナイフを突き刺した。彼女の悲鳴が辺りに木霊する。理性ではそれがわざとらしいと分かっていても、本能の自分は喜んでいるのを感じた。

「……ぐ……っぁ……!」
「あなたには聞きたい事がたくさんあるの。すぐには殺さない」
 もう一人の咲夜は痛みに顔を歪めつつも、咲夜を見る挑発的な目線は変わらない。それを睨みつけながら、咲夜はもう一本のナイフを取り出した。

「はぁ、はぁ……正義感を盾にした拷問は……気持ち良いかしら」
 この状況を楽しんでいる自分が、確かにいる。目の前にいるこいつは、自らの醜い人格の代弁者なのだと気付かされ、咲夜は顔を歪めた。
「あなたはずっと、破壊する事が大好きなもう一人の自分を抱えてた……そう、私をね」
「……黙りなさい!」
「ふふっ……私が憎いの? そうよね、私という人格が無ければ、少しはまともな人間でいられたかもしれないものね」
 その言葉に、咲夜は反射的にナイフを突き刺した。太腿を刺されたもう一人の咲夜は、痛みを押し殺しながら不敵に笑う。

「……そうよ! お前さえいなければ、私はこんな歪んだ人間じゃなかったのに!」
 咲夜は更にナイフを取り出し、もう一人の咲夜に向ける。着ているその服は、既に返り血で真っ赤に染まっていた。
「はははっ……あなたはもう、人間じゃない……本能に理性を乗っ取られた一体の化け物」
 脇腹にナイフを突き刺す。まるで刀が収まる鞘のように、彼女の身体はその刃を簡単に受け入れていく。
「……っぐ、ぁああッ!!」
「……殺してやる……!」
 咲夜の目が、血の色と同じ赤に変わる。快楽と復讐の為だけに獲物を狩る彼女を、妨げる物はもう何も無かった。

「これで、あなたの人格は入れ替わった……私の望み通りに。でも」
 虚ろな目をしながら、それでももう一人の咲夜は妖しく笑う。急所を外しながらナイフを刺す、それは彼女の言う通り、完全な拷問のやり方だった。
「その残虐性、ここであなたと別れるのが本当に惜しい。だから」
「なっ……!?」
 返り血がかかるほど近くにいた咲夜が、もう一人の咲夜にぎゅっと引き寄せられる。ぞっとする予感に振りほどこうとした時、咲夜の顔に血が降りかかり、思わず目を瞑ってしまった。

「地獄で会おう、人殺し」

 咲夜が血を拭った後には、もう一人の咲夜の肩口に刺さったナイフが消失していた。それに気がついた次の瞬間、咲夜の背中からほんのり温い何かが侵入してきた。そして強烈な目眩の後に、もう一人の咲夜に縋り付きながら血を吐いた。
 声を出す事すら出来なかった。次第に呼吸が出来なくなって、全身が締め付けられるような感覚に陥る。落としたライターの灯が、それよりも赤い血の海に飲まれて消える。遅れて、咲夜の身体が血の海に沈む。
 スローになった時の流れの中で、奴の笑い声が聞こえる。だが、極限状態で鋭敏になった咲夜の聴覚は、他の音を聞き逃さなかった。
 誰かがこちらに向かって走ってくる。薄れゆく意識の中で、咲夜は彼女の事を思い浮かべた。

 誰に媚びる訳でもなく、自己顕示欲の為でもなく、淡々と異変を解決していく彼女の事を、羨ましく思う事もあった。誰にとっても英雄であり、畏敬の象徴である彼女を嫌う者はおらず、そんな彼女の周りにはたくさんの人妖がいた。
 咲夜自身は、その中の有象無象に過ぎないのだと自らを評価していた。だが、彼女は他人に優劣を付けないという事も知っていた。それこそが自らと彼女の絶対的な差であり、彼女のような人間になれない一番の理由だと思っていたからだ。
 そんな彼女が助けに来てくれたと思い込むのは、都合が良過ぎるだろうか。彼女だったら、こんな不覚を取る事も無いのだろうか。彼女のような強さを得るには、どうすれば……そんな事を考えている内に、咲夜の意識は闇に落ちた。




九.



「咲夜」
 穏やかな囁き声に反応して、目を開ける。咲夜は子供の身体には大きすぎるベッドの上で横になっていて、隣でレミリアがこちらを見つめていた。苦しそうに身を捩る咲夜の頭を撫で、レミリアは宥めるように問いかける。
「眠れないの?」

 咲夜は返事の代わりにレミリアの手を取り、ぎゅっと握りしめる。それによって、心の奥底から来る感情が幾分か和らいだが、この感情に対処するための方法が分からず、不安そうにレミリアを見つめ返した。

「ああ、可哀想な娘。愛情の表現方法すら、教えられなかったのね」

 自らを取り巻く環境の所為で、咲夜は他の人間が当然のように知っている感情の伝え方を必要としなかった。今までは、ただ自分だけが満たされていれば良かった。それがレミリアという大切な存在が出来てからは、複雑な感情に悩まされる事が多くなった。特に今夜は、巨大な感情の前にどうすれば良いか分からず戸惑っていた。

「いい、咲夜。他人への欲求をずっと我慢していても、本質的な解決にはならない。だからと言って、暴力でそれを満たすのは蛮人のやり方」

 今まで誰からも愛されなかった咲夜は、それ以外の方法を知らなかった。暴力こそが唯一の快楽であり、その為に自らが傷つく事すら厭わなかった。

「相手の事が『好き』だと伝える、簡単な方法。誰も傷つけない、最も人間らしいやり方」

 レミリアは目を瞑るようにと優しく促し、咲夜の頬に唇を寄せる。それからそっと口付けすると、握りしめていた咲夜の手が緩まり、すっと落ちた。

「あなたは最初から知っていたのよ、人間だから。ただ、思い出しただけ」

 落ち着いた暗闇の中で、咲夜は過去に他人から愛情を与えられた経験を思い出す。思いついた最初の経験は今と全く同じ状況で、故にこれが夢なのだと気づかされた。どうしてこの夢を見ているのか分からなかったが、今はただ、レミリアの愛を受けながら眠りたいと思った。

「おやすみ、咲夜」



十.



 身に余るベッドの上で、咲夜は目を開ける。今度は夢じゃなければ良いが、背中の傷が鋭く痛む。今見ているこれは死ぬ直前、若しくは死んだ後に過去を振り返る幻影の連続に思えた。
 だが、妙に澄んだ咲夜の思考は、すぐに別の結論を導いた。痛みを感じられるのは、この上無い生きている証拠だ。そして何よりも、自らの足の上に頭を預け、眠りこけている者の存在が咲夜を安心させた。

「……霊夢?」
 咲夜の声に反応して、目前の紅白ががばっと頭を上げる。そして何事も無い咲夜の顔を視認すると、安心しきったような大きなため息を吐いた。
「良かったぁ……死んじゃったのかと思った」
「私、生きている自信があまり無いのだけど」
「少なくとも私は生きてるから、あんたも生きてるわよ」
「あなたが助けてくれたの?」
「そうよ、背中にナイフがぶっ刺さったあんたを見て絶望したけどね」

 それからあの手鏡は霊夢が封印した事、咲夜の傷は致命的なものでない事などが告げられ、咲夜はようやく自分が生きている事を実感できた。背中の傷は痛むが、診察によればもう再生が始まっているらしい。霊夢には人間離れしていると驚かれたが、自分ではよく分からなかった。
「ねぇ、先生を呼んできてくれない?」
「そうね、あんたが生き返った事を報告しないと」

 霊夢は部屋を出てからすぐ、医者を連れて戻ってきた。見覚えのあるその医者は、元気な姿の咲夜を見ても特に驚いた様子は無かった。
「私の傷が治ってきているというのは、本当なのでしょうか」
「ええ」
「家に帰っても良いですか?」
「九十九パーセントお勧めしないけど、患者の意思が最優先だから帰っても良いわよ」

 淡々と告げる医者に対して、霊夢が異を唱える。
「ちょっと、駄目に決まってるでしょ。まだ傷が塞がってないんだから、大人しくしてなさいよ」
「大丈夫、血液なら私の家にもたくさんありますから」
「ま、好きにしなさい。私は忙しいから、用があったら兎を呼んでね」
 医者はそれ以上何も言うことなく、忙しなく部屋から出ていった。

「大体、どうやって帰るつもりなのよ。まだ歩けないでしょ」
「それは……霊夢、あなたにお願いするわ」
「はぁ!? 私だって、ずっとここにいて疲れてるんだから!」
「じゃあ、魔理沙に来てくれるように頼んでくれない?」
「魔理沙? 別に良いけど……」
 結局ミステリーを楽しんでいただけの魔理沙なら、協力してくれるだろう。乗り心地は悪いかもしれないが。

「じゃあ、私は帰るから」
「霊夢。引き止めるようで悪いんだけど……話したい事があって」
 何時にもなく真剣な様子の咲夜に、帰りかけていた霊夢の足が止まる。困り顔をしながら、霊夢は近くの椅子に腰掛けた。

「あなたはどうして……私を、助けてくれたの?」
 霊夢は窓の外の景色を眺めながら答える。
「異変だと思ったからよ。あんたを犯人だと疑わなかったのは……何となく、そんな奴じゃないと思ったから」
「でも……私は、あなたが思うような人じゃないかもしれない」
 咲夜は偽者と対峙した時の事を思い出す。あいつにナイフを突き立てたのは間違いなく自分で、その時の感触が今でも忘れられない。

「人里で無差別殺人をする私は、確かに存在したのよ……あの手鏡は、私の心の中の欲望を映していたのだから」
 霊夢は咲夜の方に向き直り、怪訝そうな顔で咲夜を見つめる。
「あいつと何があったのか知らないけど。あれは人間を誑かす妖怪そのもので、あんたの心を弄んでいただけなのよ」
「私は……妖怪なのかもしれない。少なくとも、あの時の私は……」

 俯いて言葉を詰まらせる咲夜に対し、霊夢は咲夜の手をぎゅっと握りしめる。呆気にとられた咲夜は、思わずその手を握り返した。
「……そっちはどう思ってるか知らないけど、私はあんたの事を特別だと思ってる。何故かって……」
「……あんたは、私と同じ人間。実際の所は知らないけど、少なくともそう自称してる。あんたがレミリアの眷属にならないのも、特別な意識があるんだと思ってる」
「魔理沙や早苗も同じ。妖怪に囲まれた生活をしているからこそ、自分が人間だっていうのを忘れちゃ駄目なのよ。妖怪に囲まれながら人間である事を守っているあんたは、私にとって特別なの」

 咲夜のこれまでの疑念が晴らされていくのと同時に、霊夢が自分を特別な存在だと認めてくれているのが嬉しかった。少し照れくさいと思ったが、あの霊夢がここまで言うのだから、冗談だとも思えなかった。
「……今回はあなたに助けられたから、しばらくは人間でいる事にするわ」
「何よ、それ」
 霊夢は言い過ぎたと思ったのか、咲夜に向かって照れくさそうに笑う。それから握った手を放そうとしたが、思いも寄らず咲夜に手を引っ張られた。

「ちょっ、何を……!」
「幸い、人間らしくいられる方法を思い出したのよね」
 咲夜は目を瞑り、霊夢の手にゆっくり顔を近づける。固唾を呑んでそれを見る霊夢を置き去りにして、咲夜は霊夢の手の甲に優しく口付けし、微笑んだ。

「私の気持ち、伝わった?」
「あ、あんた……恥ずかしくないわけ?」
 顔を赤らめる霊夢を見て、咲夜は誂うように笑う。実際、これがそれほど恥ずかしいものだとは思わなかった。
「もう! あんたの気持ちは分かったから、帰るわよ!」
「ええ、おやすみなさい」
「これから宴会シーズンだから、元気になったら必ず来るのよ!」

 霊夢はそう言い残し、部屋から出ていった。神社に宴会シーズンじゃない時期があるのだろうか。どちらにせよ、レミリアが宴会に興味を持たない訳が無いし、行かない理由も無い。
 これから幻想郷では、人間には過酷な夏が始まる。だが宴会に集まる者にとっては、その夏の暑さも肴の一部だ。多くの苦しみの中に、僅かな楽しみを見出すのが人間の性だとするならば、夏はそれの象徴とも言えるかもしれない。少なくとも霊夢は、夏即ち宴会だと思っているようだ。



十一.



 夏の長い昼が終わり、過ごしやすい夜がやって来る。昼の暑さを耐え抜いて夜に飲む酒は、夏にしか味わえない銘酒だ。人間にとって、夜は光を奪われる恐怖の時間だというのに、この季節に限っては歓迎する者も多かった。
 雨続きの梅雨には見られなかった満月が、今宵はよく見える。むしろ、見られていると言うべきかもしれない。今夜の博麗神社には、満月に見られた人妖が集まり、宴会で月見られ酒を呷っている。そんな特別感もあってか、宴会に参加した咲夜も少なからず浮かれていた。
 酒の場の常として、咲夜は派手に酔っ払う事は無かった。レミリアの世話をしなければならないし、何より彼女自身が翌日に響くまで酔い潰れるのは好きではなかった。だが、今夜ばかりはそれも悪くないと思った。

「おう、咲夜」
 顔が少し火照った魔理沙がやって来た。久々に外出した咲夜だが、彼女は久しぶりという感じでも無かった。咲夜が紅魔館で療治していた間、話し相手になってくれた事が何度かあったのだ。
「楽しんでるみたいだな、お前にしては」
「どうして分かるのよ」
「見れば分かるよ。まあ、久しぶりの娑婆は楽しいだろうな」

 魔理沙は咲夜の向かいに座り、周りの騒ぎを眺めている。そして手元の酒が無い事に気づくと、咲夜の盃に手を伸ばした。
「ちょっと貰うぜ」
「怪我人だと思って。奪おうとしても無駄よ」
「えー、どうせ飲まないだろ?」
 飲まれるぐらいなら、と思った咲夜は、盃を傾け一気にそれを飲み干す。珍しいもんを見た、といった具合に魔理沙は感嘆の声をあげ拍手した。
「今日はいけそうな気がするわ」
「やめとけよ。そういう日は大体、明日になって後悔するんだ」

「そうだ、香霖がこれ渡してくれって」
 魔理沙は懐から取り出した手紙を咲夜に手渡す。それは僅かに膨らんでおり、中に何かが入っている事が分かった。
「許してやってくれよ。あいつは仕事に熱心なだけなんだ」
「道具探し以外では、何としても店から離れる気は無いみたいね」
「こんな場には来ないし、紅魔館なんてもっと無理だろ」
 霖之助に恨みなどは無いし、まあこれで許そう、と咲夜は思った。だが、あそこにあるマジックアイテムと呼ばれる代物には、今後一切関わりたくないとも思った。

「咲夜ぁ~」
 完全に出来上がった霊夢が、酒瓶を片手に絡んできた。ここまで派手に酔っ払うのも、酒が上手い時期においては良くある事だ。
「おっと、面倒臭い奴が来たな。じゃあな咲夜」
 逃げるように別の場所に向かった魔理沙と入れ替わって、霊夢がどかりと座り込む。元気になった咲夜を見て、嬉しそうに笑う。

「もう大丈夫なの?」
「ええ、今日の料理を持ってこられるぐらいには」
 霊夢は周りの騒がしさが嫌で、人が少ない咲夜の周りに避難してきたようだ。今日は久しぶりの晴空の宴会というだけあって、普段と比べて皆好き勝手に暴れている。

 改めて見る普段の霊夢は、異変を解決する巫女とは思えない程だらしない。だが、彼女がどんなに頑張っても、神社に信仰は集まらない訳だし、彼女がこうなるのも仕方無いとも思えた。
「何というか……今回の件で、霊夢の凄さが改めて分かったわ。でも、誰にも感謝されないのに、どうしてあなたは続けられるの?」
 それを聞いて、霊夢はため息をつきながら咲夜を気怠げに見つめる。それから、くだらないといった風に口を開いた。
「それが仕事だからよ。あんたにもあるでしょう? ワガママお嬢様を世話する仕事が。だから、あんたは気にしなくていいのよ」

 霊夢の意見を聞いて、あの時不覚を取ったのが納得できるのと同時に、対抗心が芽生えてきた。咲夜は異変の専門家ではないが、霊夢や魔理沙たちに実力で遅れを取るつもりは無かった。
「私だって、負けないんだから」
「あんたにはあんたの、別の凄い所があるわよ」

 霊夢は咲夜の手料理を口に運び、酒瓶を傾ける。美味しそうに食べる彼女の姿を見れば、作った甲斐があるというものだ。
「うん、美味しい。最初は素材の差だけだと思ってたけど、やっぱりあんたには敵わないわ」
 霊夢らしくない素直な言葉に、咲夜は何と言えば良いか分からずに狼狽える。
「レミリアが羨ましい……こんな料理を毎日食べられるなんて」
「自分で作ろうって気は無いのね」

 霊夢はまた酒瓶を呷り、ため息をついて咲夜を見据える。
「ねぇ、あんな奴じゃなくて、私のメイドになってくれない?」
「あなたにメイドを雇う余裕があるの? というか、神社にメイドいなかったっけ?」
「お金は出せないけどね、レミリアからもお金を貰ってるわけじゃないでしょ?」
 じっと顔を見つめながら、霊夢は咲夜にじりじりと近づく。本気なのか冗談なのか、いまいち判然とせず咲夜は狼狽える事しか出来ない。

「何が欲しいの、咲夜」
「酔いすぎじゃないかしら、あなた」
 至近距離の霊夢に髪を撫でられ、咲夜は思わず身震いする。そして、今まで感じた事の無い感情に襲われて、頭の中が真っ白になる。
「そうだ。あんたに膝枕されたの、思い出したわ」
「……え?」

 パニック状態の咲夜の頭は、何の抵抗も無しに霊夢の膝上に導かれる。火照った顔で咲夜を見下す霊夢の表情は、普段の彼女からは想像出来ない程艶やかだった。
「ま、待って霊夢、強引すぎるわ」
「あんたにされた事をしてるだけよ」
 今、この場で膝枕されている事の奇妙さは、酔った霊夢と思考停止した咲夜の頭では判断出来なかった。ただ、咲夜は強引にされているこの状況に対し、興奮を覚えている自分がいる事は認められた。それは今まで感知出来ていなかった自分で、そんな自分が存在する事に動揺を隠せなかった。

「あんた、人間らしさがどうとか、言ってたわね。キスする時に」
「な、何を言ってるの? ちょっと、落ち着いて……」
「キスが欲しいのね、咲夜?」

 自らの頭上から発せられた、その言葉の突飛さと引力に、咲夜の思考は完全に止まった。そして、残った本能の部分は感情に素直に従って、咲夜の身体に命令を出した。咲夜は自分が何をしているのか、されているのか分からないまま、首を縦に振っていた。

「私のモノになりなさい、咲夜」

 霊夢の右手が咲夜の頬に触れ、咲夜は思わず生唾を飲み込む。心臓が飛び出る程脈打っているこの状況で、咲夜はあの時キスを恥ずかしがっていた霊夢の気持ちを理解した。他人との感情のやり取りは、咲夜が想像していたよりもずっと本能的で、感性を刺激されるものだと思い知った。

 霊夢の顔が近づいてくる。咲夜は急に、魔理沙のあの言葉を思い出した。『受動的であり、能動的でもある』。霊夢は一見他人に関心が無いように見えて、心の奥底では強引に他人を求める大胆さを抱えているのだ。咲夜と霊夢が似ているという魔理沙の考えを分からされているような気がした。

 咲夜は自分の中の感情を少しでも抑えるために目を瞑る。霊夢の顔が見えなくなって、頭の後ろにある太腿の柔らかさと、霊夢の指先の温かさがより鮮明に感じられ、逆に扇情的に感じてしまった。ここまでされて、最早咲夜に抵抗する気力は残っていなかった。全身を脱力させ、霊夢の膝枕に身を任せる。霊夢の顔がギリギリまで近づいてきて、彼女の吐息が感じられ――

「……酒臭ぁッ!!」
「ぐえっ!」

 思考を挟む余地も無く、咲夜は霊夢を突き飛ばした。それは単純な感情の発露による行動で、故に力の加減は出来なかった。本気で突き飛ばされた霊夢は数センチ浮き、着地した後仰向けのまま動かなくなった。

「れ……霊夢ー!」
「大変だー! 霊夢が死んだぞー! ぎゃははははは!」
 ……周りの者が霊夢の惨状を見て大笑いしている。責任を感じた咲夜は、その後もずっと霊夢を介抱していたが、夜が更けても霊夢は目覚めなかった。レミリアの帰りもあり、朝まではいられなかったので、結局放置したまま神社を後にした。

 眠りにつく直前まで、咲夜は霊夢に対して抱いたあの気持ちを忘れられなかった。酒の席のジョーク……だと思いたいが、あのスリルを日常的に味わえるなら、二度と過ちを犯す事も無さそうだ。あの時のレミリアの『人間らしいやり方』というのが、咲夜を人間として引き止めてくれているように感じた。そして、それはやはり彼女の言う通り、人間なら誰しもが知っている根源的な愛情の表現方法なのだ。



十二.



 昼下がりの博麗神社。響き渡る蝉の声が、宴会上がりの神社を対照的に目立たせる。片付けをする者がいなかったのか、神社の境内はいつもより荒れ果てていた。
 鳥居の前で、咲夜はふうと息を吐く。高地に位置する神社は涼しい筈だと思ったが、この暑さでは誤差の範囲だった。日陰をうまく通りながら本堂に向かって歩いていくと、縁側でぐったりしている巫女が嫌でも目に入った。

「霊夢」
「ん……咲夜?」
 霊夢は腕で目を覆った仰向けの姿勢から動かない。声で判断したのだろうか。相変わらず、この時期は無防備な巫女だと咲夜は思った。
「何してるのよ」
「暑い。頭痛い。何もする気が起きない」
「もう……何か食べたの? 私が作りましょうか?」
「いや……いい。自分でやるから」

 霊夢はのっそりと起き上がり、手櫛で自らの荒れた髪を梳く。それから彼女が服から取り出した物を見て、咲夜は思わず声を上げて後ずさった。
「ちょ、ちょっとそれ……」

 霊夢がその薄い板を開くと、白百合色の背景に桜が象られた見事な刺繍の面と、彼女自身を照らす鏡の面に分かれた。その鏡を見つめながら、彼女は面倒そうに答える。
「あー、あれとは関係ないから。あれは二重の意味で厳重に封印してあるわ。誰かに盗まれるかもしれないからね」
 咲夜は胸を撫で下ろす。よく見れば、あの手鏡とは形もデザインも全く違う。専門家の彼女に任せておけば、あの手鏡の件はきっと大丈夫だろう。

「じゃあ、それは?」
「霖之助さんから貰ったの。今回の件で」
 霊夢は手鏡の刺繍を見て、嬉しそうに笑う。それは確かに美しい。咲夜は少し羨ましく思った。
「私、霖之助さんから物を貰うって無いから、嬉しくって」
 霊夢はしばらく、お気に入りのこの手鏡を身に着けるらしい。だらしない夏の霊夢にはぴったりだ。流石は商売人だと咲夜は思った。

「そういえば、あんた何しに来たの?」
「ああ……お嬢様の日傘を忘れてきたから、それを取りに」
「それなら、多分その辺に落っこちてるわ」
 この分だと、宴会後から境内に手を付けていないのだろう。あまりのいい加減さに、咲夜は思わず苦笑した。

「昨日は失敗したなぁ。咲夜、私の面倒を見てくれたんでしょう?」
「え。ま、まぁね」
「何にも覚えてないけど。ありがとね」
 霊夢のカラッとした態度に、咲夜は後悔と罪悪感を覚えた。それから、どうしても気になって、恐る恐る霊夢に質問する。
「……何も覚えて無いの? 何も?」
「周りに乗せられて酒を呑んでからは、何も覚えて無い。何で?」
「い、いや別に」

 霊夢が昨晩の事を覚えていないのは幸運だったが、どこか残念に思っている自分自身を咲夜は認めていた。霊夢の印象に残らなかった事が悔しかった。一人であんなに高揚していた自分が馬鹿みたいじゃない。忘れたと言うなら、と咲夜は半ば意地になって、ある事を決心した。

「霊夢」
「何?」

「ありがと」

 咲夜は霊夢の頬にキスをした。これしか思いつかなかった。そして、こんな子供じみた戯れを恥ずかしいと思った。それから居たたまれない気持ちになって、駆け足で神社を後にした。

 残された霊夢は、ただ困惑していた。手ぶらで帰っていく咲夜を見て、一言呟いた。
「……あいつ、何しに来たの?」









『感謝の意を込めて 贈ります
尚 クレームは受け付けません』
 威圧的な文面のカードの他に、もう一枚紙が入っているのに気がついた。

『これは無意な戯言だと思って、読み流して欲しい。
魔理沙が、君と霊夢はよく似ているという話をしていた。だが、僕にとって見ればそれは少し違う。
鏡にはありのままの自分が映ると思いがちだが、実際に映っているのは左右対称になった自分だ。対称軸である中心以外は、逆の自分だとも言える。
君達は、正しい意味で鏡合わせだ。一見似ているように見えても、対照的だと思えるような面もある。その違いは、君達が互いに切磋琢磨していく上で必要なものなんだと僕は思う。
そしてこれは僕の老婆心だが、霊夢は他人がいないと生きていけない人間だ。良き友人として、これからも彼女を支えてやってほしい』

 咲夜は手紙の中に入っていた物を取り出す。それが何なのか、誰に言われずとも分かった。
 その薄い板を開くと、漆色の背景に真朱で象られた紅葉が浮かぶ、可憐な刺繍の面と、自らを映し出す鏡の面に分かれた。邪推すれば、霊夢と比べてダークな人間という事なのだろうか。だが、それを見て咲夜が感じた印象は、羨望を伴った美しさではなく、安堵を伴った快さだった。

 咲夜は鏡を覗き込む。初めに、自分はこんな表情をしていたのかと驚いて、すぐに真顔になった。だがそれから、客観視した今の自分が余りにも可笑しくて、思わず笑った。手鏡を畳むと、自分が今どんな表情をしているのか少し不安になった。

 一通り眺めた後、咲夜はコレクションが揃ったキャビネットの引き出しの鍵を開け、その中に手鏡を入れた。それからすぐに引き出しを閉め、鍵を掛けた。

 こんな物をずっと持っていたら、いつ背中を刺されるか不安でしょうがない。それに……大切な物は、大切に保管しなければならない。それが蒐集家の性だ。

 こんな所まで霊夢と対照になるなんて、と咲夜は心の中で笑った。それから服中のあらゆるポケットを調べ、何も無い事を確認した所で、日傘を忘れてきた事に気づいた。



Crapena
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コメント



0.250簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
3.100奇声を発する程度の能力削除
とても良く面白かったです
4.100サク_ウマ削除
咲夜という存在の読み解きかたというものはなかなか難しいものだと思っているのですが、なるほどその視点があったかと唸らされたような思いです。
お見事でした。非常に素敵な解釈であり物語だと思いました。良かったです。
8.100名前が無い程度の能力削除
すごい面白かった!
咲夜の苦悩と手鏡の異変が密接に関わり合ったストーリーがとてもいいです
それを乗り越えてからの霊咲……すばらしいの一言です
10.100終身削除
自分の暗いところを否応なしに突きつけられて動揺して、苦しみながらも霊夢や他の人妖に助けてもらって何というか人の持ってる大切なものに気づくことが出来たのかなと思いました こういう幻想郷全体を巻き込むものでは無いのかも知れないけど誰かの命に関わるとか深刻でしかもそれが咲夜達とかに深く関係することのような事件を見るとなんだかいつもの異変以上にハラハラしてしまいます