Coolier - 新生・東方創想話

古明地ダイアリ― ~消えたプリンの謎、そして地霊殿は爆発する~

2019/11/11 17:27:54
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「私のプリンが……ない!」
 その日、地霊殿の一角が爆発した。


 柱時計の鐘が鳴った。時刻は15時、丁度小腹が空いてくる時間である。私は資料の編纂作業を中断して、大きく伸びをした。思えば昼食も碌に摂ってない。椅子に座りっぱなしだったせいかお尻が痛い。仕事はまだ山積みであるが、一度休憩を挟むことにした。
 私は用意したおやつをペットたちに配った。子犬のシャーロックにお手製のジャーキーを与えていると、その横をお空が小躍りしながら駆けて行った。お空とは愛称で、本名は霊烏路空という。彼女はこの地霊殿内で数少ない、人型をとれる優秀なペットである。
「プリン~♪」
 鼻歌交じりにスキップする姿はなんとも愛らしい。烏は地上ではゴミを食い荒らす害鳥だとか、黒い身体が災いをもたらすだとか悪いイメージばかりがついて回っている。悲しいことだ。人間たちは、烏は狡猾な生き物だと誤解している。こんなにも無邪気だというのに。強大な力が手に入ったから地上を征服しよう、なんてその最もたる例ではないか。外に迷惑をかけるのは少々いただけないが、巫女が解決してくれたので良しである。
 そんな素晴らしく無知な彼女の脳内は、黄色くて柔らかな甘味の事でいっぱいで、私のことなど目にも入ってないようだった。わざわざレシピを地上から取り寄せてまで用意した甲斐がある。
「いいなぁ」
 シャーロックがクウンとごちた。
「まぁ、あなたにはふさわしいおやつを用意したというのに」
「僕も人型になりたいなぁ」
 そうは言いつつもジャーキーをもそもそと食べる姿が愛らしくて、私はついつい頭をわしわしと撫でまわしてしまう。存分にわしわしとしたところで手を離すと、シャーロックは満足気に口の周りをひと舐めして中庭へと走っていった。
「私もおやつにしようかしら」
 そう呟いた矢先、台所の方でお空の声が聞こえた。そして、同時に爆発音が鳴り響いたのだった。

 
 そして今に至る。すぐさま台所に駆け付けた私は爆発の規模と被害を確認した。
 壁が崩れており、漆喰がむき出しになっていた。幸い風穴は開いていないが、真っ黒な焦げ跡は天井まで続いていた。お空がプリンを取り出そうと扉を開けた冷蔵庫は、外面のみならず中まで黒焦げになっていた。食材も消滅していた。衝撃で棚から落ちたのか床には割れた食器類が散乱していた。
 しかし、被害はそのくらいであり、この程度で済んでよかったと安堵した。一歩間違えれば、屋敷ごと崩れていたかもしれないのだ。
「さとり様! 私のプリンが消えてしまいました、それはもう忽然と!」
「報告ありがとう、偉いわ」
 どうやらお空は一刻も早くおやつが消失したことを伝えなければならないと思っているようだった。エネルギーが暴発するほどプリンに期待していたと思うと嬉しかったので、私はとりあえず誉めてあげた。
「それどころじゃないでしょ、このおバカ!」
「痛っ、仕方ないでしょ、おやつがないんだもん」
 何事かと駆け付けたお燐こと火焔猫燐は、すぐに事情を呑み込んだ様子で部屋爆破犯を叱りつけていた。四の五の言っても始まらないので、私は怒り狂うお燐を宥めながらとりあえず報告を受けることにした。彼女は今しがた旧都から戻ってきたところである。
「おかえりなさいお燐、まずは報告を」
「え、ああはい、ええと、明日の昼すぎで良いそうです。もてなしは結構だとか」
 お燐に頼んだのは予定調節である。月に一度、鬼の頭領から旧都の状況について報告を受けることにしているのだ。地底の秩序を守るには重要なことであるが、先方は面倒な案件としか思っていないのである。
「わかりました。さてと、けが人はいなかったようですし、良しとします。二人で協力して片付けておくように」
 冷蔵庫を失ったのは痛手であるが、仕方がない。今度、地上の神がお空の様子を見に下りてきた時にでもねだることにしよう。エネルギーが暴走したとでも伝えればいいだろう。それまでは氷で代用すればよい。
「なんであたいまで……いや、言わなくてもわかりますけど」
「あなたも覚りの能力に目覚めたのね、嬉しいわ」
 勿論冗談だ。長く一緒にいると自然と次の言葉を予想できるようになるものである。
 理由は簡単で、お空一人に片付けさせるといつ放棄するかわからないため、お目付け役が必要なのである。その役目はもっぱらお燐が請け負っていた。お空は世間が噂するほど馬鹿ではない。言いつけを守るくらいはできる。しかし、元が鳥だけに色々と忘れっぽいため、食器の位置などを覚えているはずがないのだ。ゆえに片付けは苦手分野である。
 そんな友人に対してお燐は特大のため息をついた。
「なんかその、ごめんね、お燐」
 そんなお燐の姿を見て、お空は彼女なりに反省したようだった。えらい、許してあげる。お燐にはあとでご褒美にマタタビ酒を与えよう。
「あたいはいいけどさぁ、さとり様に迷惑かけちゃダメだっての」
「うん、わかってる。すみませんでしたさとり様。ところで私のおやつはいずこに消えてしまったのですかね」
 どうも気になって仕方がないようだ。片付けとプリンの事が頭の中で交互に浮かんでは消えている。
 おやつを盗み食いする者なんて限られている気もするが、そこではたと思った。先ほどのシャーロックもそうだが、お空たちが食べる食物はほかのペットたちにとって魅力的に映るものなのだ。それだけで動機となりうる。それに手段のほうも、プリンは冷蔵庫の中にあったのだから、扉を開け閉めする知能と技能があればペットたちにも十分可能である。
「ふむ、探しておくわ」
 仕事の合間にペットたちの話を聞くだけだ。最近は怨霊のコントロールやら何やらで忙しく、碌に休憩もとれていなかったため気分転換に丁度いいかもしれない。
「そう言うことでしたらあたいが」
「お燐は片付けと、今日の夕食担当でしょう。そっちをお願い。それに」
 私は一度息を吸い込んだ後、胸を張ってこう言った。
「この覚り妖怪の力をもってすれば、犯人探しなんて夕飯前よ」


 さて、聞き込み開始である。悪戯や好奇心による窃盗をそこまで咎めるつもりはないが、味を占められても困る。今後繰り返されるようでは冷蔵庫がいくつあっても足りない。それに主人の眼を欺いて不埒な行為をする輩が出るのはよろしくない。管理者の責任として、私はプリン窃盗犯を見つけ出さなければならないのだ。
 一番可能性がある人物は地霊殿に現在居ないと思われるため、まずは近くにいたとケイブと呼ばれている狸に声をかけた。ケイブというのはただの仇名で、隠神刑部のもじりらしい。今は一人で行動しているようだが、いつもは団二郎とか、茶釜をもじって狸なのにガマと呼ばれている仲間と一緒に居ることが多い。
「プリン? おいらは存じませんが。多分あいつらも違うと思います」
 二匹の狸の顔を思い浮かべて、ケイブはそう伝えた。嘘をついていないかと尋ねると首をブンブン振った。
「さとり様に嘘などつけるもんですか。おいらたちはそんなでかいタマ持っとりやせん。きっと狐のやつですよ、狡賢いったらありゃしない。きっとさとり様を騙くらかそうって魂胆なんだ」
 おほほと手を口にあてて笑う狐の姿を思い浮かべていた。やたら力説していたので、次は狐に聞いてみようと思った。狸たちは正直者である。地霊殿にいる以上嘘をついて身を守る必要などないのだ。私は興奮気味のケイブを宥め、ありがとうと告げた。
 

 此処のペットは殆どが妖怪化していない普通の動物である。先の狸も人を化かす能力等は持っていない。お空やお燐は例外で人型になることができるのだ。
 そしてこれから話を聞こうとしている狐もその例外になりかけている存在であった。普段は使ってない一番右隅の小部屋に居て、どこから持ち込んだのかわからない鏡と睨めっこしているので、見つけるのは容易であった。
「あたしは全く存じ上げません」
 彼の名前はごんという。ごんは地霊殿で唯一の狐で、日夜人型をとる特訓をしているという珍しいペットだ。毎日しゃれこうべを被っては化粧をし、私のもとに見せに来る。ちなみに性別は雄である。指先も器用で、ペンを握ったり、箸で食事をしたりと相当な努力家だ。最近は二足歩行ができるようになったらしく、誉めてあげると飛び跳ねて喜んでいた。
 そんな真面目なごんが盗みを働くとは考えにくい。嘘もついていないようだった。
「まったく、直接喧嘩を売れないから陰でこそこそ言うんですよあいつらは、本当に玉無しですよ。狸のくせにキンタマが小さいからいつまでたっても化けられないのです」
 私は少し笑ってしまった。二匹とも敵対心があるのに話の中身は似たようなものだったからである。
兎も角、狸と狐はこれでアリバイが成立した。こういう時に覚り妖怪の強みが活きる。普通犯人捜しというものは容疑者を絞り、考証や心理攻めを繰り返してアリバイを崩し、証拠を叩きつけるという一連の流れがある。しかしこの心を読む能力にかかれば、そんな七面倒な手順を無視することができるのだ。我ながら素晴らしい能力だと思う。
「なんでしたら、あたしも手伝いましょうか? さとり様はお忙しいでしょう」
「これは気分転換なので構わない」と伝えると、ごんはまた特訓のため鏡台のほうへと向き直った。


 次に声をかけたのは豚のプラチナと、よだかのスターである。種は違うが、馬が合うのか彼らはいつも一緒に居る。プラチナは養豚場から運よく逃げ出して、スターは気絶するまで羽ばたき続けた後に此処に辿りついたのだそうだが真偽は不明だ。地底に養豚場などないので地上もしくは外から迷い込んできたのかもしれないし、単に何かそういう映像を見て思い込んでいるだけかもしれない。遠い過去を覗くことは難しい。読心は、万能ではあるが全能ではないのだ。ちなみに名前は自称であり、そう呼んでほしいと頼まれている。
 全くの余談であるが、地霊殿にはプラチナ以外にも「銀」と「金」と呼ばれているペットがいる。銅はいないため絶賛募集中だ。洒落で河童とか良いかもしれない。
 そんなことを考えながら私は一匹と一羽にプリンの事を聞いた。
「はて、知ってるかい、スター」
「さぁ、私は知りません。それに私達のかぎ爪と豚足では冷蔵庫の扉を開けることもままなりません」
 言われてみればその通りである。四つ足や鳥類には今回の犯行は難しい。言い方を変えて、台所で何か不審な影を見なかったかを聞いた。
 一匹と一羽は考える仕草をした。些細な事でもいいと伝えると、おもむろにスターがくちばしを開いた。
「ああ、そう言えば夜に見かけましたよ。昨夜物音で起きたのです。君も居ただろう」
「さあ、起きたけど僕は君と違って夜目がきかないから。暗くなると本も書類も読めないよ」
「そもそも私らは字なんて読まないだろう」
 彼らのやり取りを聞き流しながら私は考えた。
「なるほど夜……」
 時間帯の事を考慮していなかった。プリンを作ったのは昨日の夕食後である。数は私とこいし、お空、お燐の分で四つと考えていたのだが中途半端に牛乳が余ったためプリン液の量を増やし結局は五つ用意した。冷蔵庫に入れたのが9時頃で、固まるまでに3時間はかかるから犯行は今日の0時以降に行われたと考えて良いだろう。お空が気づいたのが今日の15時過ぎ、ということは0時から15時までの15時間で犯行は行われたのだ……
 段々探偵らしくなってきた。安楽椅子探偵さとり、面白そうだ。もし書店で見かけたのなら真っ先に手に取って購入を決めるだろう。結局は能力で解決してしまうに違いないが、それもまた良しだ。
 私は目撃証言をしているスターに時刻と影の特徴について尋ねた。
「時間はすみません覚えてません。実は意識もおぼろげだったのではっきりと見たわけではないのですが、二足歩行でしたね。背丈は丁度さとり様ぐらいだったかと」
「時間なら僕がわかります。ええと3時ごろでした」
「時計の針が見えないのにわかるのかい?」
「鐘が鳴ったのが聞こえたんです。広間の時計は3時間おきに鳴って、僕たちが寝たのが12時過ぎでしたから」
「それだと6時でもありうるだろう」
「あっそうか、6時かもしれないです」
 どちらにせよ私が眠っている間に犯行が行われたとみて間違いなさそうだ。
 さて、証言が見間違いでないと仮定したとして、プリン盗み食い犯は二足歩行で夜行性の可能性が高い。私は聞き込みを続けることにした。


 次に声をかけたのはチンパンジーのコーネリアスである。二足歩行のペットとなると先の狐は例外であるが、猿人類の彼らが真っ先に思い浮かぶ。私は背が低い方なので彼らと並ぶと大体同じくらいである。
「さて、わかりません。眠ってましたから。そもそも自分たちは夜行性ではないですし」
 予想はついていたが、やはり違うらしい。彼らは日の出とともに起床する昼行性の生き物である。尤も、地獄に太陽の光は差し込まないので朝も夜も無いようなものではあるのだが、そこは時計の針が教えてくれる。時間に合わせて消灯しているのだ。地霊殿では灯りが消えたら夜、ということにしている。あとは動物のもつ体内時計に任せて気ままに行動すればよろしい。それを邪魔する天敵は居ないのだ。
「まぁ猿はちいとこれが得手なやつが多いですからね。すぐ腕を伸ばしてしまうんです」
 コーネリアスは面目ないといった風に人差し指で鉤を作りながらそう言った。
 彼の潔白がわかったので十分である。それに特技があるのは良いことだ。腕が伸びるなんて妖怪じみてて素晴らしいではないか、気にしないでよいとそう伝えた。
「あいや、そういうつもりでは。なんかすみません」
 冗談である。だが、手先が器用なのは立派なことだ。彼らはそれをもっと誇りに思うべきだ。手癖が悪いのは感心しないが、普段の悪戯程度なら大目に見てもかまわない。今回はお空がお茶目してしまったので大事になっているだけである。
 人、動物問わず己が持つ何かしらの才気は発揮してこそ価値がある。その力が世間一般の倫理に反することだとしても例外ではない。らしく在る、それこそが自由の秘訣なのだ。秩序の為と咎められ、時には虐げられることもあるが、それは巡り合わせというもので、大げさな言葉で表現するならば、定められた運命に他ならない。受け入れたうえで抵抗するか逃走するかを選択すればよいだけだ。
「悪戯はあなたたちの勝手だけど、相手を選んだ方が良いわ。怪我してからでは遅いのよ」と助言すると、ニホンザルのように顔を赤くしてコーネリアスは去っていった。


 その後も結構な数のペットに声をかけたが、これと言った情報は得られなかった。手癖が悪いという猿たち全員に話を聞いたが、今回ばかりは潔白を主張しており、また嘘吐きも居なかった。
 時間を割いてペットたちの話を聞けたので、最初は有意義だと感じていたが、途中からなかなか犯人像にたどり着かないことに苛立ちを覚えてきた。そうこうしていると夕餉の時間になってしまった。
 お燐が私を呼んでいたので食堂へと向かった。
 食堂に入ると鼻と目にくる刺激臭が漂ってきた。お燐たちはお行儀よく席に座って、私が来るのを待っていた。その中にはこいしも居た。どうやら地上から戻ってきたらしい。
「お姉ちゃん遅いよ」
 こいしはわざとらしく頬を膨らませてみせた。
「用があって、なんか久しぶりねこいし」
「いつもいるよ。非道いっ、お姉ちゃんは私の事をそこらの石ころのようにしか見てないのね!」
「こいし様、私はそんなこと思ってませんよ! いつもお慕い申しております」
「きゃあ大胆、なでなでしてあげる」
 よよよと泣き崩れるふりをしていたところに、お空が唐突に言い放ったおかげで、妹がペットを愛でるという微笑ましい光景が見られた。
 いつもそこに居て、いつも居ないのがこいしだ。私たちではこいしという事象を見たいときに見ることができない。3日間顔を合わせないこともざらにある。放浪癖があるこいしをつなぎ留めておくことなど不可能である。
「まぁまぁ喧嘩? かな、まあいいか、ほどほどにして食べましょうよ」
 お燐がそう促してくれたのでいただきますと手を合わせた。今日の献立は地獄風麻婆豆腐だ。ぐつぐつと煮えていて非常に熱そうである。
「お燐にしては珍しいわね」
 今日の料理番はお燐である。猫舌の彼女が好んで作るとは思えなかった。
「ふうふう、こいし様が、ふうあちっ、作ってって、ふうふう、辛いのは平気ですから」
「能ある鷹の爪が隠し味なの」
 真っ赤な液体を掬ってみると、確かに赤い欠片が刻み入れられていた。
「買出しに行った時に丁度こいし様と会ったんですよ。それでこれがいいって」
「ふふん、辛いものは食欲増進効果があるの、ほらお空を見て」
 お空は一心不乱に麻婆豆腐を食べていた。流れる汗も気にせずに匙を口へ運ぶ、脳内は旨いと辛いという単純な感想で埋め尽くされていた。反対にお燐は諦めたようで、レンゲを器の端に引っ掛け手を止めていた。冷めるまで口をつけないつもりのようだ。
「そもそも今日はお肉を焼くつもりでいたんですよ。こないだ地上で良質なのが手に入りましたから、ほんとコレクションにしたいくらいのやつ。ベーコンにしてたのを入れてたのに」
「ええーでも最初から冷蔵庫空っぽだったよ」
「あんたが蒸発させたからでしょ!」
「そうだったけ、あれ」
 そんなやり取りを聞きつつ、私もお燐同様に数口食べてレンゲを置いた。あまり食指が動かないのだ。
「ふう」
「あれ、お口に合いませんでしたか?」
「お姉ちゃん辛いの好きでしょ」
 お燐が心配を声に出し、こいしも確かめるようにそう言った。私は決して辛いものが苦手ではない。むしろ刺激的なものは目が覚めるためよく食べていた。
「そう言うわけじゃないわ。なんか咽を通らなくて」
 食欲が減退するほどプリンの事を思いつめてしまったのだろうか。そこまで重大な事ではないはずなのだが。自分では気づかないうちに、深層心理的なものが何かを知らせているのかもしれない。
「どう思うこいし?」
「何が?」
「そんなに思いつめているように見えるかしら」
「多分疲れてるんだよ、休んだ方がいいって」
 こいしがそう言うならそうなのだろう。無意識はこいしの専売特許である。
「そうですよ、最近多忙ですからね。怨霊もやたら張り切ってますし。今日はお休みになられてはいかがです」
 お燐は私の仕事を肩代わりする気でいた。今日中に仕上げなければならない仕事は、午前中のうちに終わらせたのでその必要はないが、休むという提案は飲むことにした。
「そうね、そうするわ。ああ、仕事は結構よ」
「はい、わかりました。明日の朝にでも消化のいいものを用意しときます」
「ありがとう」
 調理番も変わってくれるなんて、なんて飼い主思いな猫なのだろう。彼女の脳裏にはおかゆが浮かんでいた。今日の夜に仕込んでおくつもりのようだった。
「ところでこいし、冷蔵庫のプリンを盗み食いしなかったかしら」
 一応尋ねておくことにした。彼女は心を閉ざしているため、読み取ることができないのである。
「何それ、してないよー。知ってたら食べてたのに」
 正直にそう言うあたり犯人ではないのだろう。私は妹の証言を信じることにした。
 犯人捜しは明日に回そう。疲労を布団で癒して、それから行動しても遅くはない。食事前の苛立ちも多分疲れのせいだろう。
 私は12時の鐘が鳴る前にベッドに潜り込んだ。火の鳥の羽が織り込まれたという眉唾物の羽毛布団はぬくぬくとしていて、思いつめている割にはぐっすりと眠れた。


 こんな夢を見た。身体がずっしりと重く、湖の底へ沈んでいくような感覚に支配され、次々と実体のない色彩のみの映像が流れては消える。呼吸はできるが少し苦しい。肺が押しつけられ、深く息を吸うことができない。
 目の前を人影が通り過ぎた。追いかけようとしても身体は動いてくれない。それ以前に目を開けられない。サードアイの瞼すら閉じているというのに何かがいることがわかるのだ。
 そこでようやく私の脳が覚醒し始めている事がわかった。手足を動かすことはできるが寝返りは打てない。縄で胴体を縛られているかのようだ。
重い瞼をこじ開けると目の前にはこいしがいた。
「重いわ」
 私に馬乗りになり、こちらの瞳をのぞき込んでいた。
「あ、起きた。重くないもん」
「どうしたの」
「起こしに来たのよ。名付けて嬉し恥ずかしこいし目覚まし」
 名称がけたたましい。だが世話焼きの目覚ましのおかげで、目はすっきりと冴えていた。90分間隔に覚醒のタイミングを持って来ると目覚めが良いとは聞くが、現在は7時45分でその周期とはずれているようだった。
「ありがとね」と一応は言っておいた。
 目覚ましと聞いてふと地霊殿には鶏がいないことに気づき、飼おうかと考えた。丁度最近こいしから地上の話を聞いて知ったのだが、閻魔様の管轄下に優秀な鶏がいるそうだ。仕事の関係上、会う機会もあるかもしれない。
 朝食を摂ろうと提案されたので、顔を洗って食堂へ向かった。お腹はあまり空いていないのだが、朝餉は一日の活力につながる、と物の本に書いてあった気がするので食べることにした。
 食堂に着くと、お茶碗が用意されていた。その横にはおかゆを炊いたであろう釜が置かれていた。釜にはお燐の筆跡で「温めて食べてください」と書置きがなされた紙が貼ってあった。彼女はきっと今頃四つ足形態で丸まって寝ているはずだ。朝の内は人型をとらないことが多い。
 私は釜を火にかけようと取っ手を掴んだ。そして持ち上げるとき違和感を覚えた。思ったよりも軽いのだ。蓋を開けてみると、中身は空であった。いくらかご飯粒がこびりついていたが腹の足しにはならなそうだ。
「あれ、誰かつまみ食いしたのかな」
「そのようね」
 同一犯か否かは不確かだが、二度目の盗み食いが起きた。私は平静を保っていたが、同時にある種の使命感すら覚えていた。これは明らかな私に対する挑戦、もしくは反抗だと思った。
「残念だったね、おかゆ」
「ええ」
 今日は朝から聞き込み調査開始である。こうなったら片っ端から話を聞いていくほかない。生憎今日は午後から来客があるので早いに越したことはない。
 おかゆを食べられたことに怒りを覚えているのではない、この私を欺こうとしている者が居ることが何よりも重大なのだ。


 初めに声をかけたのは中庭を散歩していたペットだ。地霊殿の中庭は屋敷の中心に位置し、緑で溢れている。ただでさえ地底には青々とした植物が少ないので、この場所はペットたちの憩いの場となっている。
 そんな庭をのっしのっしとゆっくり歩く彼は天涯孤独なサイのコロである。自らそう名乗っており、由来は賽子のようにフラれ続けているからと自虐的なものであった。ちなみに地霊殿唯一のサイであるため、番になれるペットは存在しない。
「私ではありません。私の手ではそのようなことはできませんし、私を手伝ってくれる者など誰一人としておりません」
 彼はいつも後ろ向きだ。猛然と突進するサイのイメージとは真逆の性格である。
「私ではあなたの孤独を埋められないかしら」
 口調が寂しげだったのでそう伝えてみた。あくまで主としてだが協力は惜しまないつもりだ。なんなら、もう一頭サイを飼っても良い。
「お気になさらず、私はこの角のように一人で歩みますから」
 犀の角のようにただ一人歩め、仏陀の言葉だ。なんと教養があるのだろう、と私は感心した。逞しいその角は誇りなのだ。
 彼は孤独を愛しているのだ。後ろ向きに聞こえるが、それは勝手な第三者の感覚で、彼にしてみればおせっかいでしかなかった。事実、彼の心には孤独を恐れる者のどんよりとした靄はかかってはいなかった。まっさらな空間でひとり哀愁を唄う詩人のように、心地の良い孤独に酔っていた。独りよがりというならばそうなのだろう、だが私には、彼の心象はカラフルに塗りたくった絵画よりも充実しているように思えた。
 硬質な角を一撫でして、私は別のペットのもとに向かった。


 次に話しかけたのは同じく中庭で休んでいた馬の銀太である。早起きで5時頃から地霊殿内を散歩している。すでに老齢であり、古株でもある彼は他のペットから親しみを込めて銀さんと呼ばれていた。昔は異国の地で風のように駆け、その名を馳せていたそうだが、今ではその面影もない。
「いやぁすまんがわかりませんのう。最近めっきり食欲が失せてしもうて」
 昔は浴びるほどに水をかっ食らっていたが、今はほんの少しで十分だという。世話のかからない優秀なペットではあるのだが、がっついて貪り食らうような野性味を見せてくれる子のほうが見ていて楽しいと思ってしまうのは、身勝手な飼い主心というものだろう。
 食欲どころか、同種の雌が居ないせいか、彼が色欲をむき出しにしているところですら見たことがない。活きの良い若い雌を飼えば変わるだろうか。
 余計なことを考えながら私は、不審な影を見かけなかったかを尋ねた。銀太はうなだれて、暫く考える仕草をした。
「そう言えば、明朝に散歩していると何か足早に走っていく者がいた気がするの。朝から走り込みとは、と感心したもんで」
「む、誰だかわかるかしら。あと、いつ頃?」
「時刻は、はて、儂が起きるのが5時頃じゃから、それより後だろうて。誰かは、暗くて見えなかったからのう……」
「なるほど」
 銀太は懸命に記憶を掘り起こそうとしてくれていた。イメージを読み取ると、もやがかかり、はっきりとはしてないがぼんやりと姿が浮かんでいた。ネズミのような小動物でも、大型の肉食獣でもないようだった。
「ああ、思い出したわい。今日じゃなくて一昨日の朝じゃ」
「ありがとね。また何か思い出したら教えて頂戴」
 結局、正確な姿は捉えていなかったようであるが、時刻に関してはプラチナたちとの証言とも一致していた。プリンの件は6時前後行われたとみて間違いなさそうだ。


 時計の鐘が十二時を知らせたので私は厨房に向かい、ペットの餌を用意した。せっかちな子は厨房までついて来たりもしていた。乾燥したトウモロコシを砕いたものを白い羽のハトの夫婦に与えていると、そこへお燐が通りかかった。ハトを見てうずうずとしていたが、猫の衝動をぐっと堪え、私に声をかけてきた。
「さとり様、お昼は摂られましたか」
「まだよ」
 朝餉を食べられなかった私を心配しているらしく、今にも食堂に向かってほしいようだった。食欲はあまりなかったが、このままだらだらと屋敷を回るのも良くないように思えた。午後からは来客もある。一区切りつけるために私は簡単な食事を摂ることにした。


 妖怪用缶詰をひとつだけ開け、味わうこともなく胃に詰め込んだ。そして食休みをした後、私は書斎兼自室へ行き、書類を整理した。
 来客といったが、遊びに来るわけではない。そもそも地霊殿に遊びに来る奇異な者など存在しない。
「さとり様。勇儀様が来られました。お通ししましょうか?」
「ええ、お願い」
 来客とは鬼の四天王こと星熊勇儀である。彼女は地底に巣食う荒くれ者ども、その中でも特に力の強い種族である鬼たちの統括をしている。いわばリーダー的な存在であり、秩序を保つのに一役買ってくれていた。彼らは皆好き放題やっているようには見えるが、その中にも最低限、理性という名の秩序は存在しており、もしそれが崩壊すれば血気盛んな彼らはお互いが奪い合い、削り合い、闘争という狂気の果てに死体と怨念のみが残るだろう。それも妖怪らしいが、あまりに寂しい。地底には退治する人間が存在しないのだから、抑止力が必要なのだ。
 私が大広間に向かうとすでに勇儀はどっかりとソファーに腰を下ろしていた。用意した紅茶に手も付けず、二階の壁のステンドグラスを見つめていた。中庭からの光が差し込むステンドグラスは華やかで、見る者を釘付けにする魔力を持っているようにさえ思える。二階に上がるとより近くでその美しさを堪能できるが、手で触れるには足を地面から浮かす必要があった。
 見とれているようだったので心を覗いてみたが、勇儀は「老朽化しているな、割れそうだ」と別の感想を抱いていた。鬼は建築業が得意である。いずれ改築でも頼むことにしよう。
 私が来たとわかると、勇儀は淡々と近況を報告してくれた。
「以上、概ね変わりなく適度に騒いでいるよ。乱痴気とまではいかない程度でね」
「ありがたい、多少の騒ぎは仕方ないですが、ひどい暴力沙汰になるようでしたら止めてくださいね」
「あいよ」
 口では言っているが、正直な鬼の性か、顔つきは渋かった。今にも舌打ちをしそうだ。彼女は本当は先陣を切って騒ぎに混ざり、油を注ぎ、燃え上がらせて、身を焦がすほどに滾りたいのだ。
 勇儀は知性と力の両方を兼ね備えているため、鬼の党首格として皆をまとめ上げられるのだ。私はそのカリスマ性を高く買っているのだが、当の本人は面白くないようである。
「ふむ、暴力は鬼の本質だ、ですか」
「あー面倒くさい。口に出さなかったことをわざわざ言い当てるかね」
「覚り妖怪の本質ですから」
 相手が思ったことを言葉にするのが覚りという妖怪本来の姿だ。
「たく、直したほうがいいよそれ」
「鬼は嘘が嫌いなのでは? 心を偽ることはできませんよ」
 鬼はその力が強大ゆえに自身に枷をつける。嘘が嫌いというのもその一つである。嘘は軟弱物が自身を守るために使うものであると信じ、頑なに拒むのだ。己の強さに対する自負であった。
「私だって言いたくないことの一つくらいある。ほじくり返すなっての、だから嫌われるんだよ」
 鬼は本当に正直だ。心の中と発した言葉が全く同じである。それに彼女は力がある分、私を極端に恐れることもないので話しやすかった。
 嫌われている自覚は多少あるが、それは私にとっては何の枷にもならない。人に忌み嫌われる妖怪にも嫌われるのが覚りなのだ。
「まぁ考えておきます。お時間を取らせましたね。これお詫びの菓子です。ぜひどうぞ。ご安心を。ワインやウイスキー等の洋風の酒なら合いますよ。何なら味見でも」
 菓子、の時点で少しがっかりした心を見せたので、先手を打ってそう付け加えた。
「ああ、ああそうかい、じゃ今日はこいつで飲むかな」
 勇儀は頬を綻ばせていた。酒が絡むと上機嫌になるのも鬼の性である。菓子の入った箱を手渡すと、勇儀は今日の晩酌の事を考えながら中身をのぞき込んだ。一口サイズの丸い形状で、黄色っぽいそれを指で摘み、口へと放り込んだ。
「ぜひぜひ。私が手づから作ったものです。イエローケーキっていうんですけど」
「おわっ、お前のペット用だろこれ!」
「冗談です」
 口に含んだそれをぺっと吐き出してしまった勇儀はすこぶる機嫌が悪かった。
「はぁーもう、ああ、畜生だめだ。よし、喧嘩だ喧嘩」
 そもそもからして分かり合えないところはあるのだが、彼女は鬼らしく、拳を交えれば何か理解できるかもしれないと本気で思っているのだ。苛ついたから殴る、私が反撃をする、それを捌いてまた殴る……そして最後には肩を抱き合って酒を酌み交わす、という如何にもなビジョンが彼女の脳内に浮かんでいた。すがすがしいほどに直情的で、陰りのないその心は美しいものであったが、残念ながら私はか弱いので応じることはできそうにない。
「遠慮しておきます。痛いのは嫌いです。それに張り合いのない喧嘩なんてお好きじゃないでしょう」
「知ってるか。鬼は強い奴が好きだが、弱い者いじめも大好きなんだよ」
 言い切った刹那、鞭を打った時のような炸裂音が響いた。勇儀は己の拳を固く握り、私の鼻先寸前のところまで突き出していた。目を瞑る暇もないほどで、音が鼓膜を抜けた後に私の心臓はトカトカと高鳴った。
 彼女に敵意はない、それは始めからわかっていた。だが、鬼の拳は敵意がなくとも私を慄かせるには十分すぎる迫力があった。
「少し、怖かったです」
 口をへの字に曲げて不機嫌さを見せつつ、正直に言った。本当は「当てないのはわかってましたよ」とでも言うつもりだったのだが、冷や汗を流した状態では強がりだと思われそうなのでやめた。
「これが鬼流の冗談さね」
 勇儀はニカリと歯を見せて笑った。彼女の中で冗談というものは嘘には含まれないらしい。


 結局、紅茶には手を付けずに勇儀は帰った。
 私は今日の分の仕事を片付けるべく、書斎に戻り机に向かった。先の報告もまとめておかなければならない。
 休息を十分にとり、気分転換もできたので頭は冴えていた。思った以上に仕事は捗り、今日中に終わらせることができそうであった。
「んー」
 私は大きく伸びをした。ついでに丁度小腹もすいてきたのでおやつを食べることにした。
 机の三段あるうち二段目の引き出しを開ける。そこには二つの箱がある。片方には私の日記兼小説が綴られた鍵付きの本が一冊入っている。鍵付きではあるが、実は鍵を無くしてしまったので、うっかり机に出しっぱなしにした時などはこいしに読まれてしまっていた。見られて悶絶するような内容ではないため構わないのだが、持ち出されて朗読会をされた時は流石に叱っておいた。
 そしてもう片方の箱にはお菓子がぎっしりと詰まっているのだ。誰にも教えていない私だけの秘密の箱である。ペットたちと一緒に食べるおやつも良いが、こうやって独り占めするのも楽しい。私は箱のふたを開けた。
「……!」
 そこにあるはずのクッキーやチョコレートが消えていた。欠片すら残っていなかった。私は怒りを覚えた。
「これは……」
 悪戯の域を超えている。明らかに私に対する反逆だ。お菓子を全部食べてみせることで「お前の管理下には置かれない」という宣戦布告をして見せたのだ。そうとしか考えられなかった。確かに、鍵をかけていたわけではないので見つけてしまえば食べることは簡単だ。だが、このお菓子を見つけるには書斎に来て机を漁らなければならない。なぜなら私以外、この机にお菓子があることを知らないからだ。
 なぜ犯人は机を漁ったのか。お菓子が目的だったとすればまずは冷蔵庫、または戸棚を漁るだろう。わざわざ書斎に来る必要はない筈だ。だとすれば、私が知らず知らずのうちにお菓子の事を口走ったか、もしくは書斎そのものに用があったかである。
 私は注意深く、辺りを見回した。もし、私への反抗なら罠が仕掛けてある可能性もあるだろう。書斎に何かしらの罠を仕掛け、ついでに見つけたお菓子を食べる。つじつまは合っている、と思ったところでその考えを捨てた。そもそも罠があるならとっくに発動しているはずだ。
 なぜ犯人は、このような暴挙に及んだのだろうか。プリン、おかゆに引き続き、今度は秘蔵のお菓子である。私の逆鱗に触れたいのだろうか。鬼とは違う小賢しい喧嘩を売って何をしたいのか、見当もつかなかった。頭脳戦を仕掛けてきているのだろうか。
「とりあえず、聞き込み再開ね」
 予想もへったくれもない。全員に話を聞けば解決するのである。


 まずはネズミの群れに声をかけることにした。決まった寝床を持たない彼らの行動範囲は非常に広く、そのうえ貪食で、時には地霊殿の外まで狩りに出かけていることもあった。どこに出没してもおかしくはなく、仮に彼らが犯人ではないにしても何かしらの手掛かりはつかめる。
 私は群れの長であるジングルスに聞くことにした。彼は群れの中で最も長寿で最も利口であった。彼ほどに知的なネズミを私は知らない。物の本によると、なんでもネズミは生物の中で最も賢いそうだ、二番目はイルカだという。ゆえに知恵比べを挑んでくるなら彼らが怪しいと踏んだのだ。
「盗人を探しているのよ。何か知らないかしら。賢いネズミのお頭さん」
 口調が皮肉屋のそれになってしまった。私はどうやら相当焦っているらしい。
「おいらたちの小さな頭は白いハツカネズミのように賢くはないですが、かといって黒くもありません。どうかしたのですか、さとり様」
「いえ、ちょっとね。疑って悪かったわね」
 彼らではなかった。私は謝罪の後、それならと何か台所や書斎の近くで不審な影を見なかったかを尋ねた。
 彼らの回答は沈黙であった。書斎に近づいた者はいないらしい。それどころか昨日は足を怪我してしまった仲間がいたのでずっと台所に居たのだそうだ。彼らは見たものを懸命に思い出そうとしてくれていた。記憶の断片に浮かんだのは私、こいし、お燐、お空、プラチナ、スター、銀太、トラのパール、そしてもう一匹、ペットではない動物の姿だ。
「イタチ、かしら?」
 彼らのイメージはまだシルエットでよくわからない。イタチのようなカワウソのような細長い体型の動物である。
「ああ、ああそうです、あれは確かにイタチでした」
「本当にイタチなの?」
「ええ、確かにイタチです」
「本当に?」
「確かにイタチです」
 念を押して確認した。私が聞くたびに彼らは懸命に記憶を呼び起こしてくれた。答えるたびにそのイメージは鮮明になり、シルエットに色がついた。茶色い体毛につぶらな目、間違いなくイタチである。
 迷い子だろうか。お腹を空かせて地霊殿にたどり着いたのかもしれない。此処なら少し獰猛な子もいるが、鬼が闊歩する旧都に比べれば幾分か生存率が上がるだろう。動物の本能が、この場所に導いたのかもしれない。
 そう考えると、急に保護欲がうずいた。
「何時頃見かけたの?」
「ええと、一昨日の夜でした」
「ありがとう」
 もしかしたらいまだに潜伏しているのかもしれない。調査から目的変更、小さな侵入者の捜索開始である。私の苛立ちはすっかりと消え失せていた。侵入者なら、通りでペットたちに聞いてもわからないはずだった。私の能力を出し抜く不届き者がいるわけではなかった。
 私は少し安堵した。こいしのようなイレギュラーが何人も居ては困る。生き物は機械ではないのだから肉体と精神のバランスを取って生きている。均衡が崩れてしまえば狂気に陥り、あてもなく生きるか、破滅へ向かうかだ。人間も、動物も、妖怪もそれは変わらない。そしてその精神に深く干渉できるのが覚り妖怪なのだ。
 だから忌み嫌われ、恐れられる。それが正常、普通、世界の理だ。覚り妖怪はかくあるべし、である。


 イタチの捜索中に、ふとお空の言葉を思い出した。彼女は「最初から冷蔵庫空っぽだったよ」と言っていた。お空の記憶野は可愛らしい容量であるが、もしその言葉が真実だった場合、俄然プリン盗み食い事件の真相が侵入者によるものであった可能性が高くなる。
 イタチは一昨日夜遅くに食べ物を求めて侵入した。何らかの方法で冷蔵庫を開けて、中身を食い荒らした。地霊殿の冷蔵庫にはそれほど食材は入っていないので空腹なら食べきれるだろう。はっきりとは覚えてないが、あの日の冷蔵庫の中身は生肉に魚、加工肉と飲み物、それとプリンだ。だが、そこで物音を聞いたスターたちが台所へ来た。イタチは身を隠そうと逃げ出した。夜だったのでスターたちは影として見ただけで、その姿をしっかりと記憶できなかった。
 銀太も影を見たと言っていた。5時に起きる銀太、鐘の音を聞いたというプラチナ、二匹の証言からするに一昨日の6時頃に犯行は行われたのだろう。
冷蔵庫は空っぽだ。なぜ、お空がおやつの時間に開ける前に気づく者がいなかったのか。理由は簡単だ。必然に近いいくつもの条件がそろったうえでの偶然である。
 冷蔵庫に触れる可能性のある者は私、こいし、お燐、お空、そして猿たちだけである。猿たちは日ごろから触れているわけではない上に、冷蔵庫の中身など把握しておらず気づきようがないため除外する。
 まず、私だがその日は寝坊してしまい起きたのは9時過ぎである。ご飯は前日の内にプリンの仕込みと同時に炊いていたがそれ以外は用意していなかった。空腹なわけでもなく、むしろ不養生が祟ってお腹が張っている感覚さえあったので朝食は摂らなかったのだ。ついでに仕事に熱が入ってしまい昼食も摂り損ねた。
 次にこいしだが、彼女はこの日は朝から地上に遊びに行っており帰ってきたのは午後になってからだった。
 次にお燐。彼女は朝は猫形態をとっているので、棚に入っているキャットフードを食べたはずだ。昼は旧都に出向いていたのでそこで食べたのだろう。午後に会った時、思考の片隅に「鬼一口」という食堂の焼き鉄魚定食の味の記憶がほんのりと残っていた。
 そしてお空だが彼女も朝は弱い。朝食を食べ損ねた彼女はゆで卵をいくつか食べて、さらにお弁当に持って灼熱地獄跡もとい間欠泉管理をしていたはずである。ちなみにお空の自室には彼女の大好物であるゆで卵が常備してある。私とお燐で常に切らさないように作り続けているのだ。前に一度お空が自分で作ろうと試みて台所を丸焦げにしてしまったからである。
 謎が見えてきた。迷いイタチは冷蔵庫を空にして、その後一日潜伏し、昨日の夜から今日の昼までにおかゆとお菓子を食べたのだ。不可解なのはお菓子だ。部屋に侵入するとは、相当鼻が利くのだろうか。
 考えていても仕方がない。発見できれば済む話である。私の推理は単なる娯楽でしかないのだ。
 私が床下の貯蔵庫をのぞき込んでいると不意に背後で唸るような鳴き声が聞こえた。トラが喉を鳴らしたのだ。私はそう言えばと、ネズミたちのイメージにトラのパールが混じっていたのを思い出して顔を出した。
 パールが目の前でゴロゴロと可愛らしく喉を鳴らしていたのが見えた。彼は三頭のトラの内一頭で、一番血の気が強く、普段は小動物を追いかけまわして遊んでいた。彼にとってはただの戯れで、危害を加えるつもりはないのだが、ネズミや小鹿たちは大変迷惑していた。私も時に叱ることはあるが、嗜める程度に済ませていた。
「丁度よかったわ。あなた、台所に昨日か一昨日行ったかしら」
「俺ですかい。ああ行きましたよ。なんか朝っぱらに狐みたいなのがこそこそしてたんでね、取っ捕まえようかと。逃げられましたがね」
「その子、迷い子かもしれないのよ。見つけたら保護しといてくれるかしら。ちなみに狐じゃなくてイタチよ」
私は保護の部分を強調して伝えた。
「イタチねぇ。狡賢い印象がありますがね。手荒な真似をしないで済むかどうか怪しいですが、まぁ頑張ります。あいつらにも協力してもらいますよ」
 あいつらというのはもう二匹のトラの事だ。ちなみにその一匹の名前が、金である。三頭の内最も倹約家でしっかり者だが、他二頭曰く「一番おっかねー」のだそうだ。もう一頭はカンカンと呼ばれており、いつも顔を真っ赤にしている。しかし怒っているわけではなく、常に酒で酔っ払っているのである。
 三頭が協力してくれるのはありがたい。威圧感は多少あるが、皆根はいい子である。


「どこかなー、迷いイタチさーん」
 私はできるだけやさしい声で呼びかけながらイタチを探し続けた。棚の裏、机の下、箪笥の中、換気口、とにかく入り込めそうなところは片っ端から見て回った。
「ご飯を食べさせてあげるから、私のペットにならないかしら」
 呼びかけに応答はない。上手く隠れたのか、それともすでに地霊殿を出たのかわからなかった。埒が明かないので私は強硬手段に出ることにした。
 大広間に着いた。誰も居ないと思ったが二階にお燐とお空が居た。どうやら二人してステンドグラスを眺めているようだ。お空はこちらに気づき、階段を下りて駆け寄ってきた。
「さとり様、何してるんですか? もしや侵入者が! 私が核融合炉を離れている時を狙って……」
 半分正解だ。私が返答する前に彼女の頭の中では侵入者との死闘が繰り広げられていた。ちなみにその敵のイメージは赤と白と黒がごちゃ混ぜになった巨大な二足歩行の生物である。このまま炉にすっ飛んでいきそうな勢いだったので、否定しておくことにした。
「違うわ。あなたこそ何をしていたのかしら」
「はい、ええとお燐に呼ばれて、で、あのガラスを見てたんです。いつ見てもきれいだなって」
 お空も曲がりなりにも烏であるため光るものが好きだ。蒐集癖があるわけではないが、たまにガラスや宝石の類をじっと見つめていることがある。その時の彼女の心は実に色彩豊かで透き通っていた。
 あのステンドグラスを見る者の心は十人十色で結構面白い。彼女のように色彩をそのままとらえて投影する者もいれば、いくらしたのだろうと金勘定をはじめる者もいる。物の見方一つに個性が出るのだ。
 二階からお燐の声が聞こえてきた。
「お空ーさとり様の邪魔しちゃダメでしょう」
「あっ、ではこれで」
 そう言うとお空はまたステンドグラスの元へと駆けて行った。お空がお燐のところへ戻ったところで、私は目を瞑った。
 強硬手段をこれから行う。正直疲労が溜まるのであまりしたくないのだが、仕方がない。新しいペットの為である。私は両眼を閉じた状態でサードアイのみを見開いた。
 脳内に直接言葉が流れ込んでくる。お燐とお空だ。
「…………ここらへん……どこ……ここだって…………だからどこ……」
 時折見たものの映像が断片的に紛れ込む。鮮やかな色彩、光、そこに混じるノイズはお燐たちの思考だ。さらに集中する。小部屋へ、庭へ、地下へと能力を広げる。ペットたちの思考を拾った。
「お腹空いたなぁ……逃げろ逃げろ…………眠いなぁ……今日は化粧の乗りがよろしくない……今ならばれないかも……もっとだよもっといるさ…………」
 走馬灯さながら次々と流れてくる声と映像は、中途半端に混ぜた絵の具のように混沌としていた。完全に溶け合わさることは決してない極彩色が渦を巻き、身体にまとわりつき、感覚を麻痺させる。
「うう、ふううう」
 その中から自分が知っている声を一つずつ消した。彼らの思考を摘み、意識野から放り出したのだ。いつも彼らの思考を読み取っている私にしてみれば造作もないことだ。
 そして異物に気づいた。なじみのない思考だ。私はさらに声を消した。そして、最後に動き回っている思考が残った。間違いない、これがイタチだ。「逃げなければ」と走り回っているようだ。場所は近い、大広間との位置関係からするに中庭だ。
 私は両眼を薄く開き、庭へと駆けた。捕らえた思考を逃さないように集中を保持して、新しいペットの元へ走った。扉を開くと緑が広がった。さて、どこに隠れた。視覚よりも、聴覚よりも、直感よりも正確なこの瞳は見たものをとらえて離さないのだ。
「さ……ま……あ……いっ!」
 どこからか声が聞こえた瞬間、私は飛び出す影を見た。
「しまった……! ああああああ!」
 影は、それが何かを認識する前に消えた。
 否、消えたのではなく、視界を奪われたのだ。サードアイをやられた! 鋭利な刃だった。動物の爪でも牙でもない、それは剃刀のように研ぎ澄まされていた。
 激しい痛みが全身を蝕み、流れる血液を沸騰させる。何も見えない、誰もそこに居ない。痛い。
 奴だ。私が探していた侵入者の正体、イタチはイタチでも――


「カマイタチっ……!」
 目が覚めたがそこに侵入者の姿はなかった。その代わりに心配そうな目でこちらをのぞき込んでいるお燐の顔が映り込んだ。私はどうやら気絶していたようだ。
「さとり様っ! 良かったぁ……!」
「お燐……それに」
 他のペットたちもそろい踏みしていた。狭い一室のベッドで横たわる私と取り囲む動物たち、さながら仏涅槃図だ。一様に心配そうな目でこちらを見ていたが私が起き上がるとほっと安堵の表情を浮かべたようだった。
「「ごめんなさいさとり様っ!」」
 声が二つ重なった。お燐とお空のようだった。
「どうしたの」
「あたいの、あたいのせいなんです! あそこで、ちゃんとしてればっ」
「さとり様ごめんなさい!」
 ひたすら涙目で謝り続けるお空と、拳を握って己を責め立てるお燐。落ち着いて状況を説明するよう促すと、とぎれとぎれに事の真相を話してくれた。
 私が庭に出た時、丁度ステンドグラスが割れたらしい。なんでも、老朽化していたから補正しようとしたのだそう。ガラスとガラスの間のつなぎ目、そこの鉛線に熱を加え接着し直そうとしたところ温度調節をしくじり、ガラスが割れてしまったのだとか。いくつかの破片が落下し、丁度私のサードアイに直撃したのだ。私は侵入者に集中していたため、気づけなかったのだ。
 無機物に悪意はない。事故の類は予測不可であるため今後はもっと気を付けなければと思った。
「いいわ、事故だもの。あなたたちに責任はないわ。幸い五体は無事のようだし」
「でも、さとり様ぁひぐ」
「サードアイがそんなに傷ついてしまっては……でしょう」
「え? あ、じゃあもう、もしかして治って……」
「大丈夫よ、少し痛かったけど。問題ないわ」
 何も問題ない。今もジンジンと持続する痛みはあるが、瞼を開けることはできる。充血しているため暫くは安静にしていたほうが良いだろう。
「良かったぁ、てっきりあたい……」
「ええ大丈夫よ。今にも泣きそうなお空にも伝えてあげて」
「お空、さとり様大丈夫だってさ! だから、そんな顔しないで」
 お燐が言うと、お空の表情も柔らかいものになった。安堵の思いは周りに広がったようで、笑顔を見せるペットも居た。安心したのか、何匹かは部屋から出ていった。
「そうだっ、カマイタチ、もとい侵入者は?」
 犯人ではないとしても、侵入者はいたはずである。私が能力を使用したとき、明らかになじみのない思考が混じっていたからだ。
「それは本人から」
 お燐が身体を少し動かすと、体長30cm位の小柄のイタチが、二足歩行で姿を見せた。
「あっし、カマイタチの三郎と申します。一応妖怪です……すみませんでした!」
 通る声で歯切れよくそう言うと、彼は深々と頭を下げた。人語を解せるあたり本当に妖怪のようだ。謝るということは彼が窃盗犯なのだろう。
「そう、あなたが食料を盗んだのね」
「はい」
「なぜ逃げなかったのかしら」
 食料が目的なら漁るだけ漁ってあとはとんずらしたほうが良いに決まっている。見つかるのを恐れたのか、それとも帰る場所がもうないのか。問いかけると、申し訳なさそうにカマイタチは順を追って説明してくれた。それは懺悔であった。私の部屋に残ったペットたちが彼の言葉を聞いていた。
「あっしは、三兄弟の末っ子です。兄貴たちはすでに退治されました。地底に逃げ込んだは良いものの何せ腕っぷしがものを言う場所ですので、弱小妖怪のあっしでは食いものにすらありつけませんでした。一昨日、此処にたどり着いたのです。排気口を伝って中に入りました。そして食糧庫を見つけたので、そこにあった肉や魚を食い荒らしました。その時に物音がしたのでまた排気口に隠れました。本当は逃げるつもりだったのですが、外に出ても鬼ばかりでまた飲まず食わずの生活になると考えると足が止まりました。そこで、正直に言いますがあっしはここで泥棒しながら潜み続けようと思ったのです」
 概ね予想通りである。食糧庫というのが冷蔵庫のことだろう。彼がそこまで言ったところで、一部の人語がわかるペットたちが騒ぎ立てた。怒ってくれている彼女らを宥め、私は続きを促した。
「本当に浅ましい考えだったと思います。あっしは、それから食糧庫を出ました。動物たちも多数いるのでうまくいけば溶け込めると思ったんです」
 なるほど不審な影と聞いてもペットたちがピンとこなかったわけである。彼は普通の体躯で、速度さえ抑えれば何らイタチと変わらないのだ。馬の銀太もそうだが、見かけてはいるが気づかなかったのだ。精々、私が連れてきた新顔だろうとしか思わなかったに違いない。
「本当に申し訳ございません! 話は燐さんから伺いました。あなたは、あっしを保護しようとしてくれたと聞き、己の所業を恥じております。怪我をしまったのも、もとはと言えばあっしのせいです。償いは必ずや、なんでもします、何なりと」
 煮るなり焼くなり好きにしろといった風に、彼はもう一度頭を下げた。
 どうするか、答えは決まっている。
「なんでもね。じゃあそうね、あなたは今日からここで暮らしてもらいます。勿論ペットとしてね」
「えっ」
 キョトンとしていた。言葉の意味を理解しつつも、予想と反していたためすんなりと入ってこない、といった表情である。
「あくまでペットですので、条件もあります。その鎌を他のペットたちに向けないこと、あとそうね、身体を清潔に保つことと、ご飯をちゃんと食べること。自堕落は認めませんよ。守れますか」
 私はにこりと笑顔を作って見せた。笑顔は元来、獣が牙をむく行為であったというが、人型をとる私たちは違う。笑顔には様々な意味がある。喜び、余裕、やけくそ、誘惑、恍惚、疚しさの隠れ蓑、そして受容。今の私の笑みは素晴らしく柔和で、暖かなものであるに違いなかった。
「……はいっ」
 そして彼はそれに答えてくれた。この日、地霊殿に新しいペットが一匹加わった。


 その後、いろいろと詳しい話をお燐に聞いた。
 なんでもトラのパールがイタチ捜索を頼まれた直後に見つけたので、保護しようとしたらしいが逃げてしまったのだとか。彼は強面だから仕方がない。もし雄たけびでも上げようものなら侵入者に限らず全ペットが慌てふためくだろう。
 パールに出くわして、身の危険を感じたカマイタチは逃げることにした。そして丁度、庭に出た時に私が能力で察知したのだ。
 私が倒れた後、パールがお燐に捜索のことを伝達したのだとか。お燐はすぐさま侵入者を見つけ、その俊敏なキャットウォークで捕まえたのだそうだ。問い詰めるとカマイタチであることが発覚した。そして、いかに主が寛容であるかを説くとカマイタチは豹変したようにボロボロと涙を流し、今回の件を自白するに至ったのだそうだ。
 何はともあれ一件落着である。




 ここからは私、狐のごんが書き手を務めさせていただきます。なぜかと言いますと、さとり様が筆を折ってしまったからです。実はこの事件は終わりではありません。偶々、私は現場を目撃しましたので、日ごろの文字書き練習としている日記に事の詳細を連ねさせていただきます。
 カマイタチの三郎が地霊殿の新しいメンバーになったその日の夜でした。皆が寝静まる中、書斎から声が聞こえてきました。野次馬根性と言いますでしょうか、私の悪癖で、どうしても様子を見に行きたくなってしまい、忍び足で駆け付けました。
 見つからないように足音を殺して近づき覗きこみます。すると書斎では、口論のようなものが始まっていました。話しているのはさとり様とこいし様です。
「思ったのよ、何かがおかしいって。ペットたちの証言では、見かけた影は二足歩行で私くらいの大きさだったって。三郎はどう見ても小柄すぎる。それに三郎に直接聞いたのだけど、食べたのは生肉や魚で、プリンやお菓子の事について何も知らなかったわ」
 さとり様は二足歩行の部分を強調して言いました。こいし様は首をかしげておりました。
「どういうこと、それ」
「つまりね、カマイタチが侵入する前に誰かがすでに冷蔵庫の中身を食べていたってことなの。プリンとか、あとは加工肉とかね。調理せずに人が食べられるもの」
「辻褄は合うね。スターたちが見たのは3時か6時だもんね」
「……そう、彼らは3時にプリン泥棒を見た。そして6時頃に三郎が来て、残っていたものを食べた。決定的な証言はなかったけど、銀太が朝、不審な影を見たと言っているわね」
 すべてわかっている、そんな調子であえてまどろっこしく言葉を重ねているようでした。そして一呼吸置き、こう切り出しました。
「ところで、なぜスターたちの証言を知ってるのかしら、こいし」
「だってお姉ちゃんの日記見たもん」
「ふうん、ということは書斎に入って引き出しを開けたということね。あの日はちゃんとしまっておいたはずだもの」
「別に、いつも怒らないじゃん」
「ええ、日記を見てることに関しては言うことはないわ。でも、引き出しに触れたのよね」
「まあ開けたけど」
 引き出しに何かあるのでしょうか。私には知る由もないのですが、さとり様はさも重大なことであるというふうな口ぶりです。こいし様の一言一句をしっかりと聞いているようでした。
「お姉ちゃんね、あなたの事を結構信用しているのよ。心は読めないけど、姉妹だもの。だからあまり詮索したり疑ったりしないようにしてるのよ」
「うん、知ってる。地上に出てもあんまガミガミ言わないもんね」
「まぁ不可侵条約を破ってるわけだから悩みの種ではあるんだけど、それは別に構わないわ」
「正確には構ってる暇もないんでしょ。旧都のほうが悩みの種が多いって感じ」
「まあそんなところね、話が逸れたわ。ところでこいし、何か隠してることはないかしら。覚り妖怪は気になって気になって仕方がないのよ」
「……何が言いたいの」
 終始笑顔で会話されていたこいし様も少し表情を曇らせました。他人の感情に左右されないのがこいし様の特徴ではあるのですが、なんとなくさとり様の含みを持たせた言い方が気になったのでしょう。
「こいし、嘘をついたわね。プリンのことは知らないって言っていたじゃない」
「何が? 何のこと?」
「昨日の夕食の時の事よ。実はね、冷蔵庫を漁った三郎はプリンは食べてないし見てもないって言うのよ。加工肉等もなかったって。それにおかゆも、お菓子も」
「う、ん? おかゆって今朝の? それにお菓子って何」
「まずプリンだけど、スターたちは3時か6時に二足歩行の影を見たと言っているわ。これは3時に冷蔵庫を開けた人型の影を見たのね。そして6時に三郎が泥棒に入った。走り去る影は銀太が見たわ。つまり、冷蔵庫は二度開けられたとみて良い」
 ひとつずつ確認するように話していました。
「ちょっと待ってよ」
「そしておかゆもお菓子も三郎は食べていない。特にお菓子は当然ね。誰も場所を知らないもの。引き出しを開けたあなた以外は」
「だから、何のこと――」
「こいし、私の言いたいことがわからないのかしら。そうよね、第三の瞳は閉じているものね」
 こいし様の疑問を遮って発した言葉には失望と侮蔑が込められているようでした。
「お姉ちゃん……怒ってるの」
「いいえ、全然。でもこいし、嘘はいけないわ。あなたが盗み食いをしたのでしょう」
 怒りではないのは私にもわかりました。それはもっと冷たい蔑みの棘でした。チクリと細い針を体中に刺すような、そんな言葉です。
 もし自分が相対していたらと考えると身の毛もよだちます。恐ろしいです。私はさとり様の凄さは微笑みに隠された底知れなさと余裕だと思っていました。ですが、この時むき出しの悪意が奥底に込められた無表情を見て、さとり様もまた地底の妖怪なのだなとひしひしと感じました。
「違うわ、違う。私じゃない。そうだわ、盗み食いをしたのはお姉ちゃんよっ!」
 こいし様は口調を荒げて反論しました。
「ふうん、また適当な嘘かしら」
「お姉ちゃん最近疲れてたみたいだから、私の能力使ったのっ。お姉ちゃんの無意識を操ったのよ。お腹空いてたんでしょ。多分」
 こいし様は無意識を操ります。無意識とは出鱈目なものではありません。己にとって最良の選択を行おうとする意識に縛られない力のことです。さとり様が日ごろのストレスから生じた食欲を抱えていたとして、こいし様が能力を使ったとします。その場合、本能が食欲を満たそうとして、無意識下に大量に食べ物を摂取してしまうでしょう。こういった過食は人間にもよくある話だそうです。
 なるほど、さとり様とこいし様は似たような体躯ですから暗闇で見かけたら区別もつくはずがございません。
「絶対そうだよ! 多分一人で冷蔵庫の中身食べちゃったんでしょ、だから食欲なかったんだ。せっかく辛いの用意したのにさ。おかゆだって夜中に起きて食べたんでしょ」
「何を証拠に……」
 そう言いつつさとり様は自身の腹部に手を持っていきました。そう言えば、最近碌に食事を摂られていなかった気がします。お燐さんも心配していました。
「じゃあ体重計にでも乗ってみてよ、それだけ食べたんだから増えてるでしょ」
「……余計な事をしてくれたのね、ありがとう」
「酷いっお姉ちゃんのためにやったのに! 疲れてるって聞いたから、今日の朝起こしてあげたんだよ。ほら90分置きに起きると目覚めが良いって言うでしょ。夢の周期をたどってさぁ。変だなって思ったよ。だって12時に寝たのに、周期が変わっていたんだもの。絶対どっかで起きたんだ」
「ああ、なるほどそれで目覚ましだったのね…………心を閉ざしていなければややこしくなることもなかったのに」
「……」
 皮肉交じりの棘がある言葉は途切れませんでしたが、どうも焦っているようでした。あとに引けなくなったと言いますか、一触即発の雰囲気です。
「犯人でないのはわかったわ、でも嘘はついたでしょう、私は何もしてないって。お姉ちゃん悲しいわ」
 取り乱した様子は見せませんでしたが、苦し紛れに怒りの理屈をこねているように思えました。
「だってそれはおやつの事でしょ、本当に知らないし。私は無意識をちょこっと操っただけで支配したわけじゃない。それに、それに嘘ついてるのはお姉ちゃんのほうでしょ!」
「な、何を言うのよ!」
 さとり様はここで初めて声を荒げました。
「その目本当は見えてないんでしょ」
「なっ何を証拠に」
「わかるよ、ほらお姉ちゃんの日記、小説かな。この時から動物たちの声が聞こえなくなってるじゃん!」
 こいし様は机の上の日記帳を開きました。そしてさとり様に見せつけるように持つと、開いたページの文字を指さしました。
「そんなこと、ないわ。ほら、お燐のとことか……」
「ごまかしたって無理だって。言葉を予想するくらいできるし、あてずっぽでしょ。」
 長く一緒にいると自然と次の言葉を予想できるようになるものです。それに加えて、あの時の状況ではお燐さんは心配以外の感情は持っていなかったでしょう。
「それにさ、地の文にまったく感情の描写がないし、あと――」
「こ、こいしっ黙りなさいっ!」
 さとり様はそれ以上言わせまいと傍に駆け寄り、こいし様の口を塞ぎました。焦燥が行動に表れてました。これほどに動揺したさとり様は見たことがありません。右の掌で口を覆った後、持っていた日記帳を反対の手で払い落としました。しかし、その程度で止められるわけもなく、こいし様は声をくぐもらせながら続けました。
「大体さぁ、今も気づいてないじゃん。ほら後ろに」
 こいし様は私の方を指さしました。どうやら鼻の先が見えてしまっていたようです。そう言えばおかしいと思いました。さとり様が私の気配に気づかないはずがないのです。
 さとり様は鬼の形相で距離を詰めてきました。私の頬を両手でつかみ、紙一重の位置まで顔を近づけてこちらの眼をのぞき込んできました。その時私は初めて恐怖を間近に感じました。
「聞いてたのね。いいこと、今日の事は忘れなさい、誰にも言わず漏らさず、一言でも口にしたら、あなたはいい子だものね、わかってると思うけど」
 息を切らせて、目じりを吊り上げて威圧するように私に語りかけました。必死に笑顔を取り繕うとしているのですが口元が引きつりぴくぴくと痙攣しているかのようです。余裕は一切ありませんでしたが、代わりに強い脅迫の意思がくみ取れました。己が能力に全幅の信頼を置くさとり様にとっては、理性や威厳をかなぐり捨ててでも隠さなければないほどに重大な事なのでしょう。
 もしかすると存在そのものに影響を与えてしまうのかもしれません。能力のない瞳の奥に鬼が宿っておりました。一言喋るごとに指に力が入り、頬がちぎれるかと思ったところでようやく拘束が解かれました。
 私は脱兎のごとくその場から逃げました。さとり様はこいし様の方に向き直ったようで、叫びに近い声を出しました。
「考えなし! あんたなんか、覚りの恥さらしよ!」 
「あーそう言うこと言うんだ! お姉ちゃんの馬鹿っ! 短腕! 貧乳! あ、無意識でほんとの事言っちゃった!」
「わざとらしい! それにあんたも大して変わらないじゃない! この――」
 書斎からは延々と直情的で中身のない罵倒が聞こえてきました。売り言葉に買い言葉、針どころか槍で鼓膜をえぐり合うような激しい応酬でした。喧嘩は次第に熱を帯びて、二人とも後半は嗚咽交じりにひたすら喚き散らしておりました。私は耳を塞ぎ、声が届かなくなるまでひたすら走りました。


 次の日です。いつものようにさとり様は笑顔で挨拶してくれました。こいし様も一緒です。顔には涙の痕が残っておりました。
「おはよう。昨日はごめんなさいね。大丈夫、もう落ち着いたわ」
「いやーすごかったね昨日は、狂瀾怒濤って感じ」
「半分はあなただけどね」
 お二人とも冷静さを取り戻したようでした。雨降って地固まるとはこのことでしょうか。
「いえいえ滅相もない、こちらこそ聞き耳を立ててすみませんでした」
「いいのよ。過ぎたことは仕方ないわ、それにあなたは偶然居合わせただけだものね」
「そう言っていただけると、あたしも気が楽です」
 にこりと笑ってみせるとお二人は一緒に食堂に向かわれました。仲直りしたようで何よりです。
 昨日の狂気じみた喧騒は他のペットには気づかれていないようです。声を聴いた者もいますが、内容までは覚えていないでしょう。そもそも、お二人の声だと思うペットは居ないはずです。あまりにも普段と違っていましたから。勿論私も吹聴するつもりはございません。これはあくまで私の文字練習のための日記です、と言い訳しておきます。日記を書いている今この瞬間がとても楽しくてどうしてもやめられないのです。さとり様なら共感してくれると思います。
 さて、この日記について何も言及してこないということは、まださとり様の眼が治っていない証拠です。眼が治り次第、すぐに看破され燃やされてしまうでしょう。それで構いません。私が周りに吹聴するつもりではないことさえわかってもらえれば、寛容なさとり様は許してくれます。私は狡賢い狐ですからそのくらいは打算するのです。
 お二人の心情は詳しくはわかりません。ですが、さとり様は地底の管理職という立場です。むしゃくしゃした気持ちをそのままぶつけられるのは実の妹のこいし様くらいなものなのだと思います。また、こいし様も自分に正直な方ですからどうしても正面衝突してしまいます。それで良いのだと思います。最後には元に戻ります。
 誰にも屈しない心を持つさとり様と、誰にも縛られない心を持つこいし様。ですが、感情がある限りは鬱憤が溜まることもあるでしょう。それを発散できないこともあるでしょう。
 地霊殿はたまに爆発するくらいで丁度良いのかもしれません。
11点ぽいのを書いてみたかった。ついでに怒らせてみたかった。普段余裕ある強者が激昂するのなんかいいよね。
しかし、外來韋編でまさかの反則探偵さとりとは、なんとタイムリーな。探偵役似合うよね、おねえちゃん。
灯眼
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白く楽しめました
2.100モブ削除
ごんのライティング能力が高くてすごい。
スターとプラチナはきっとさとりがピンチの時には合体して時を止めてくれるのでしょう。面白かったです。御馳走様でした。
3.100サク_ウマ削除
お見事でした。伏線の回収が相変わらずスマートで素晴らしいです。合間合間に挟まれたネタも良く利いていて楽しめました。面白かったです。
4.70名前が無い程度の能力削除
ペットがみんなしっかり個性を持っていてとてもいいなと思いました
最後のさとりの発狂(?)も新鮮な感じですき
5.100終身削除
歩き方の様子がポイントなのかなと思ったんですけどそうだとしたら最後の文が恐ろしすぎる さとり様特有の読心があったりとかペット一匹一匹の様子が細かく書かれていて誰が犯人なのか探そうとすると意識して見ていく必要があってなんだかとてもワクワクして良かったです