Coolier - 新生・東方創想話

スパナ

2019/10/11 23:01:22
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 突然だが、霧雨魔理沙の家には「開かずの間」が存在する。




 最初にその存在に気付いたのは魔理沙の友人である魔法使いの少女、アリス・マーガトロイドであった。いつからアリスが魔理沙の家に入り浸るようになったのかはもう不明だが、とにかく、アリスはよく魔理沙の家に来る。そして、お節介にも散らかった部屋を掃除したり、溜まった洗濯物を洗ったりと、まるで母親のような真似をするのである。

 別に魔理沙本人に頼まれてやっている訳でもなく、どうやらアリス自身が相当な世話好きのようで、半ば強引に魔理沙の家へと訪ねてくるのだ。魔理沙にとっても別にそれが嫌だという訳もなく、二人はそういう奇妙な半同棲生活を長年送っていた。

 正直言うと、アリスが魔理沙の家の奥にある『謎のドア』の存在に気付いていたのはもうだいぶ昔である。

「ねぇ魔理沙、この部屋は何?」

 そう聞けばすぐに疑問は解消されるだろうが、アリスは何も言わなかった。「ねぇ魔理沙、この部屋は」と口にしようと思った途端、嫌な予感がしたのだ。その予感を何に例えるべきか、まるで触れてはいけないタブー、覗き込んではならない深淵のような物かもしれない。

 例えば、知り合いの家に招かれた際、毎夜のバラエティ番組を豪快に映す65インチのTVよりもはるかに大きな肖像画がリビングのど真ん中に飾ってあって、そこに胡散臭い恰好(まるで神仏を崇拝する者のような)をした変なオッサンが描かれていたとしよう。

「これ、誰ですか?」

 ……なんて、迂闊に聞いてはいけない。どんなに気になったとしても、気軽にタッチするにはあまりにも危険すぎる物品である。もしくは、何処のメーカーも分からないような変な缶詰の山とか、ラベルの貼っていない怪しい健康飲料なども当てはまる。「これ何?」なんて簡単に聞いてはならない。その質問は大概、いわゆる宗教やネズミ講などのうすら寒い事情へと繋がっていたりするからだ。……まぁこれに限らず、そもそも家とはプライバシーの倉庫なのだから、他者があれこれと詮索する事自体が間違っているのである。

 そう、家とは、そこに住む者の心を表す場所だ。故に、家の中にはどうしても他人に見られてはならない、もしくは触れられてはならないような、とてつもなく仄暗い場所が必ず存在する。ベッドの下、引き出しの二番目、母校の卒業アルバム、本棚に隠してあるノート、それはまさに、他人が踏み込んではならない暗黒の場所、秘密の領域……家とは、そういう恥部を隠すための場所でもあるのだ。

 アリスはピンときた。普段はあまり人付き合いをしないくせに、そういう他人のタブーを感じ取る事には不思議と長けていた。この部屋は、この扉はおそらく、可憐で純真無垢な少女、霧雨魔理沙の裏側、他人が踏み込んではならない『禁断の花園』へ続いているのだと――。

 故に、アリスは長年、その部屋が何なのかを魔理沙に問えずにいた。毎週のように魔理沙の家を訪れるが、アリスは何処かその部屋を、そのドアを避けて過ごすようになった。視界に入れるのも嫌だった。ここはおそらく、魔理沙にとっての秘密のスペース、心の中に巣食う得体のしれない闇の顕現、禁制の結界である。……アリスは頑なにその部屋を、開かずの間を無視し続けた。もし、無暗に触れたら、あの銀色に輝くドアノブに手をかけてしまえば、おそらく、魔理沙との間に確実な不和が生じる。アリスは勝手にそう思い込んでいた。

 ……だが、そういう存在ほど好奇心を刺激するのは何故だろうか?

 端的に言うと、アリスは魔理沙の事を友達として心から好いていた。つまり恋愛感情などではなく、彼女の事を人として大事に思っていたのだ。裏表もなく、活発で、根暗な自分にも平等に接してくれる。魔理沙はアリスに無い物をたくさん持っていた。そりゃあ、時には一緒にいて疲れたり、喧嘩をする事だってあるが、陰と陽の凹凸同士、魔理沙とアリスは意外にも気の合う仲であった。

 そんな二人の間に、突如現れたのがこの「開かずの間」である。気にならない訳がない。アリスは魔理沙の家を後にし、自宅に帰ってくるたびに悶々とした気分に襲われた。それは単純な、至極当然な好奇心であった。

 あの部屋には、一体何があるんだろう?

 アリスは毎夜、頭の中であの開かずの間について夢想する。あのドアの奥に待っているのは果たして何だろうか? ただの物置かもしれないし、もしくは、使われなくなった地下室へと続いているだけかもしれない。それならまだ良い。だが……アリスの妄想はここでとんでもなく飛躍してしまう。まるで不条理文学のような光景を脳裏に思い浮かべる。家の間取り的に、おそらくあの開かずの間の広さはせいぜい四畳半といった具合だろう。例えば、例えばだが――。

 実は、あの扉の向こうには幻想郷とは違う別の世界が広がっており、魔理沙は皆に内緒でその世界へと足を運び、自分たちの想像もつかないようなメルヘン溢れる大冒険に出ているのではなかろうか? この妄想だけで一本の長編小説が書ける。あまりにも夢想過ぎる。

 もしくは、あの部屋の中は秘密の拷問器具が敷き詰められており、魔理沙は人を誑かしてあの部屋に監禁し、猟奇的な責め苦を加えて毎夜楽しんでいるというのはどうだろうか。……まぁ、これはあまり現実的ではない。アリスは毎週、二回、もしくは三回といった頻度で魔理沙の家を訪ねている。アリスも魔法使いの端くれである。生き物の「死」の香り、血の臭い、もしくは怨念を残した魂の残滓などが仮に魔理沙の部屋にあふれていた場合、アリスなら魔力を使用するまでもなく簡単に感知出来る。サスペンス劇の小説ならそういう展開も面白いかもしれないが、その可能性は限りなくゼロに近いだろう。

 ……少々下世話な話だが、魔理沙にはそういう性的な意味で所謂『ハードコア』な側面があり、あの部屋には大量に買い込んだ性玩具が山のように積んであったとしたらどうだろう? 他人に見られたくない、人目を避けたい、という心理の大半が「羞恥」である。人間の羞恥なんてたかが知れている。とくに性癖に関しては、人は異常なほど他人の目を警戒する生き物である。……もし、あの部屋を無理に開けた途端、その中に猥褻な写真や本、または特殊な性的嗜好によるグッズの類が溢れていたとしたら? そんな理由で、アリスと魔理沙の関係に致命的なズレが生じるだろうか? 何かが変わるだろうか?

 いずれにせよ、ああ、眠れない、眠れない。

 そんな日々を、もう何年も続けている。

 魔理沙はアリスにかなり懐いていた。魔法使いを志す者として、アリスの事は純粋に尊敬しているし、友達としても気楽に接する事が出来るので、魔理沙はアリスの事が好きだった。二人は友達というより、もうほとんど姉妹のような、ある種の家族のような関係を築いていた。アリスは魔理沙の恥ずかしい秘密をいくつも知っているし、それは魔理沙も同様であった。お互いに何も隠す物がないほど、二人は信頼しあっていた。長年、この家に訪ねる日々を送っていたアリスだが、アリス自身はそれを幸せな時間だと感じていた。魔理沙とはすべてを共有出来るほど親しくなったし、魔理沙も、アリスにならどんな事も相談できるほど心を許していた。

 二人の間に、壁はもうない。
 
 なのに、あの「開かずの間」の話だけは未だに出来なかった。
 
 これまでよく辛抱強く沈黙を貫けたもんだと、アリスは自分で感心してしまう。時には、心が揺れ動く事もあった。魔理沙の留守中を見計らい、アリスは魔理沙宅に侵入し、思い切ってあの開かずの間を「開けて」しまおうかと画策した事もあった。これは、魔理沙への信頼を裏切る事と同義、つまり、越えてはならない一線である。だとしても、アリスは好奇心に圧し潰されそうになり、その禁断の作戦を実行しようとした事がある。魔理沙が用事で人間の里へ出かけている時を見計らい、アリスは魔理沙の家に忍び込み、その開かずの間を開けようと企んだのだ。

 あとは、この小さなドアノブを軽く捻り、引くだけである。それだけで、長年に渡る好奇心との戦争に終止符を打つ事が出来る。アリスはようやく、苦痛の呪縛から解放されるのだ。アリスはゴクリと唾をのみ、ゆっくりとドアノブに触れた。それはひんやりと冷たく、寡黙である。

 ……だが、ドアノブに触れた途端、アリスは瞬時に我に返ってしまった。私は一体、何をしているのだと、何を、やろうとしていたのだ、と。これは、アリスが自ら課した事だ。ここが、魔理沙の神聖なる場所なのだとしたら、勝手に踏み込むのは御法度だと――。アリスは、己の行為を酷く恥じた。これは、魔理沙への冒涜であり、裏切りであり、彼女への友情を汚すような、何処までも卑劣な行為であった。

 禁断の一線を越えようとしたのはそれが最後であった。その日以来、アリスは何度も自分を律し、記憶の中からあの開かずの間の事を抹消し続けた。例えあの部屋に何があろうと、魔理沙への友愛は変わらない。アリスはその日以来、何度も襲ってくる好奇心に襲われながら、それでもひたすら耐え続けた。信頼を、裏切ってはならないと――。

 内心、アリスはもうボロボロだった。いくら頑なに自分を抑え続けていようと、心にまで蓋をする事は出来ない。アリスは、心の中に天使と悪魔を飼っていた。魔理沙への友情を取り、あの開かずの間については一切触れるなと天使が言う。つべこべ言わず、さっさと魔理沙にあの部屋の事を聞き出して楽になっちゃえよと悪魔が言う。アリスは知っている。こういう時、悪魔はとても優しい。優しく、宿主を堕落の道に引きずり込もうとする。アリスは、己の内に潜む清らかな天使の声にのみ耳を傾け続けた。

 そんなある日の早朝――。

 いつも通り、アリスは魔理沙の家を訪ね、これまたいつも通り、脱ぎっ放しの衣服を片付けたり、食器を洗ったりしていた。少し遅れ、魔理沙が寝ぼけた様子で寝室からやってくる。

「ううーん、むにゃむにゃ……トイレ……」

 魔理沙はまだ夢見心地の顔であった。これもまたいつも通りの光景だったので、アリスは苦笑し、微笑ましそうに魔理沙の歩く姿を見つめていた。何も変わらない、相変わらずの、穏やかな朝だ。

 ――その時、事態が動く。

 魔理沙は寝ぼけながら、トイレのドアではなく、別のドアを開けようとしたのだ。「トイレ」等と言いながら、トイレとは全く逆の方へと歩いていたから、アリスも若干「変だな」と思っていた。

 魔理沙が開けようとしていたのは、なんと、例の『開かずの間』の扉であった。

 その光景を見た途端、アリスは、全身の血が冷たくなっていくのを感じた。魔理沙が開かずの間に対して何らかのアクションを起こしている光景を見るのは、おそらくこれが初めてである。

「ああ、間違えた……」

 ドアノブを捻る前に、魔理沙はぱちんと目を覚ました。そのまま何食わぬ顔で踵を返し、再びいつも通りに厠へと向かう。

 アリスにとって、これはまたとない機会であった。魔理沙は今日、初めて自らの意思で開かずの間の扉を開けようとした。寝ぼけていたとは言え、これは事実だ。

だったら、だったら――。

 魔理沙は顔を洗い、陽気な気分でアリスに「おはよう」と告げる。アリスはそのまま黙って簡単な朝食を作り、魔理沙にそれを食べさせる。ここまではいつも通りだ。

 さて、ここからである。

「あ、あのさ、魔理沙……」

 アリスは何気なさを装いながら、軽く、雑談のように魔理沙に語りかけた。

「んー? どうしたの?」

 魔理沙はとても幸せそうに朝食のトーストを頬張っている。アリスは、若干額に汗をかきながら、焦らず、ゆっくりと次の言葉を思案する。だが、どうにも難しい。この緊張は、長年連れ添った異性にプロポーズをする際のソレを遥かに超えている。アリスはゆっくり呼吸を整え、何処か怯えた表情で魔理沙の目をじっと見た。

「ずっと、ずっと気になっていたんだけどさ」

 いよいよだ。いよいよアリスは、魔理沙の裏側へと足を踏み入れる。これまで何度も好奇心の圧に潰されそうになりながらも、聞き出す事の出来なかった「大いなる謎」に、今日、アリスは思い切ってタッチする事になるのだ。その結果、どうなるかは分からない。アリスの心の中で、天使が必死にアリスに語りかける。今ならまだ引き返せる、と。しかし、アリスの心の天秤は、すでに悪魔の側へ傾いてしまっていた。アリスはそこで、気味の悪い笑みを浮かべながら、あくまで、あくまでも雑談であるかのように、その一言を呟いた。

「あの部屋って、何なの?」
 
 アリスの声は若干震えていた。

 無理もない。これまで幾度も魔理沙に問いかけようとしては、自身の喉元で殺し続けていた言葉なのだから。だが今日、アリスはついに面と向かって、あの開かずの間について触れてしまった。アリスは顔を伏せたまま、開かずの間に向かって指をさした。魔理沙がトーストの最後の一欠けらをもぐもぐと咀嚼しながら、アリスの指の方向を見る。もう、先ほどのように彼女は寝ぼけてはいない。聞かれたからには、答える以外の道はない。アリスは、魔理沙の顔を見るのが怖くて、ただひたすら目を逸らし続けた。どんな顔をしているのだろうか? 怒っているのか、それとも無表情なのか、はたまた、悲しんだりしていないだろうか――。しばらく沈黙が続くかと思われたが、アリスのその問いに対し、意外にも、魔理沙は即答してきた。


「……分かんない」


 これまで、アリスはこの日を数千回、数万回と脳内でシミュレーションしてきた。「この部屋は何?」に対する魔理沙の回答は、アリスの想定ではおよそ7000通りあった。だが、実際の魔理沙の答えは、そのアリスの想定のどれにも該当しなかった。『分かんない』、まさかそんな言葉が返って来るとは、夢にも思わなかった。アリスの額から、汗が一滴垂れる。

「……分かんないって、どういう事?」

 アリスは硬直したまま、魔理沙に向って質問する。その表情はこの世の終わりを見たかのように引き攣っていた。そのアリスの顔が何だかとても怖くて、魔理沙は少しだけ怖気づいたように狼狽える。

「……そのまんまだよ。あの部屋に何があるのか、私も知らないんだ。第一、あの部屋に入った事なんて一度もないし……」

 魔理沙の困ったような返答に、アリスは呼吸を整え、キッと魔理沙を睨んだ。魔理沙が「ひぇっ」と可愛らしい悲鳴を小さく上げる。

 本来、魔理沙はこの程度の事でいちいち悲鳴を上げたりしないが、アリスと二人きりの時は別だ。魔理沙は身内からの「無条件」の愛を受けた経験が極端に乏しい。故に、アリスと二人きりの時はとことん甘えん坊さんになってしまうのである。そのせいで、アリスに怒られたり睨まれたりすると、まるで母親に厳しく叱られた子供のように酷く委縮し、怯えてしまうのだ。……もっと分かりやすく言えば、アリスと二人きりの時、魔理沙は精神年齢が5歳児レベルになってしまうのである。ある一定の条件で精神が幼児化してしまう人間は意外と世の中に多い。

 アリスは、腹の底から怒りを、というより憤りを感じていた。一体、私が、どれだけ悩んで、この質問をしたのか、アンタに、分かるかし、ら? この、バカ、魔理、沙ッ!
 
 魔理沙が涙目になって怯えているのに気付いて、喉から放たれそうになる罵声をぐっと飲みこみ、アリスは自分を落ち着かせ、諭すように魔理沙に語りかけた。

「つまり何、アンタ、あの部屋が何なのか知らないで、今までずっと過ごしてきたっていうの? 今の今までずっと?」

 アリスは西洋人特有の整った顔をしているが、怒った時は非常におっかない表情になる。魔理沙は「うぅー」と縮こまりながら小さく頷く。アリスはきつい表情のまま、続いて質問する。

「アンタさ、あの部屋が何なのか、一切気にならない訳?」

「……ど、どうでもいいって思ってたから」

「何でよっ! 自分の家でしょうがっ!」
 
 アリスはついカッとなって声を荒げてしまう。魔理沙は怯えながら「ご、ごめんなさい」とアリスに向かって謝罪してしまう。このままでは拉致が明かない。アリスはうんと深いため息をつく。

「っていうか、何で一度も入った事ないのよ?」

「……あ、開かないんだよう。鍵とかないのに、建付けが悪いのか分かんないけど、押しても引いても開かないんだよう」

 魔理沙にそう言われ、アリスはすぐに立ち上がり、例の開かずの間の前に立つ。このままずっと開かずの間、開かずの間と呼び続けるのも何だか据わりが悪い。これからはこの部屋を『謎ルーム』と呼ぶ事にしよう。いや、やっぱりやめよう。アリスは魔理沙に見つめられながら、ゆっくりとそのドアノブに手をかける。……あれだけ切望していた瞬間だというのに、アリスの心は何処か淀んだままであった。このモヤモヤを晴らすつもりで、アリスはドアノブを捻り、思い切り手前へ引いた。ついに念願の、開かずの間を破る瞬間である。

 しかし、ドアはガチャガチャと鈍い音を立てるばかりで、押しても引いても開く事はなかった。確かに魔理沙の言う通り、構造上の欠陥でドアが開かなくなっている様子である。だったら――。

(このドアを破るには相当な力が必要ね……。並大抵のパワーじゃびくともしないわ)

アリスはそう思いながら、指先に魔力を集中させた。

「ちょ、アリス! 何しているんだっ!」

 アリスの周囲に激しい電撃が発生し、バチバチと火花を散らしながら踊り狂っている。魔理沙は堪らず彼女に向って叫ぶが、アリス自身は至極正常な様子であった。

「下がっていなさい魔理沙、近くに来るとあなたも巻き込まれるわよ」

 アリスの淡々とした声を聞き、魔理沙は立ち眩みを覚えた。どうしてコイツはこんなに『開かずの間』に執着するんだ。家主である私が「どうでもいい」と言っているのだから、それで良いじゃないか。

「駄目よ! そんなの私の気が済まないわ!」

 アリスの訳分からない謎の意地に圧倒されながら、魔理沙は困った表情で立ち尽くしていた。このままでは何をされるかわかったものではない。魔理沙は意を決し、彼女の前へと立ちはだかる。

「ちょっと待ってよ! アリス! この家では私がルールだ! ルールに従わないと、アリスだって出禁にしちゃうんだからなっ!」

 アリスが強引にドアを破壊する前に、魔理沙は慌てて両手を広げ、アリクイが威嚇する時のようなポーズで通せんぼする。このままアリスに好き勝手させては家が危ない。ここは私の家だ! 魔理沙の決死の抵抗である。しかし、アリスは余裕そうに鼻で笑う。

「あら? 毎度毎度この家の掃除や洗濯は誰がしてあげてると思っているの? 毎回ご飯を作っているのは何処の誰かしら?」

「そ、それは……うう……っ!」

 それはあまりにも卑怯なカードである。実家暮らしの子供が『お母様』に逆らえないように、魔理沙もまた、アリスには強気に出れないのだ。

「そんな生意気な事ばっかり言ってたら、もう魔理沙の大好きな料理、作ってあげないんだからねっ!」

 ここでとどめとばかりにアリスが最強の一手を打つ。ついに魔理沙は口を紡いでしまった。これ以上反抗すれば、もうアリスお手製の食事にありつけなくなる。ちなみにこれは余談だが、魔理沙は一応一通りの家事は出来る。しかし、性格があまりにもズボラな為、アリスに頼らないと生きていけない身体となってしまっていたのだ。

「っ! うう……わ、分かったよう……」

 アリスの体内に宿る膨大な魔力が、小さな雷のように可視化されていく。これは、一種の身体強化の魔法である。アリスは自身が制作した人形を魔法の糸で操る事を得意としており、それを日常の家事や命名決闘法案(スペルカードルール)にも使用している。

 その中でも戦闘面において、アリスは相手から距離を取り、人形達で攻撃する事を基本のスタイルとしていた。しかし例外として近距離での格闘になった際は、このように身体を魔力で補強して戦うのである。手足に魔力を軽くコーティングさせるだけでその力は常人の数倍にも跳ね上がるのだが、アリスは今、体内に貯蔵された魔力を完全に使い切るつもりで身体強化の魔法を発動しようとしているのである。アリスの華奢な身体から魔力が溢れ、そこから発せられる熱風により、付近に設置してある家具が激しい音を立てて振動する。彼女の周りは蜃気楼のように鈍く歪んでいた。

 ……もしかしなくても、アリスは、全身全霊の力でもってこのドアを無理やりぶち破るつもりだ! 否、このままアリスの魔力放出を許してしまうと開かずの間のドアだけではなく、激しい振動によってこの家自体が倒壊したっておかしくはない。慌てて魔理沙が止めに入る。

「わああっ! やめてよアリス! おうちが壊れちゃう! もうやめてよお!」

 魔理沙が泣きながらアリスに叫んだ。重ねて説明するが、本来魔理沙はこんな子供みたいに情けない泣き言を漏らすような人間ではないのだが、アリスと二人でいる時だけは究極の「甘ちゃん」モードになってしまい、精神的に幼児退行してしまうため、このように幼げな口調になってしまうのだ。
アリスは聞く耳持たず、全開になるまで体内の魔力を手足に巡らせる。アリスの目が青く、雷光のように鋭く光っている。身に纏うオーラは獣のソレであった。
 
 魔力を十分に消費し、完全に肉体を強化しきったアリスは、コォ……ッ、とサイボーグのようなうなり声を上げながら、ゆっくりと開かずの間のドアノブを再度握る。一定の水準を超えた魔力消費により、アリスの精神はもはや無に等しかった。だが、その強靭な握力でドアノブを握った瞬間、アリスの脳裏に、奇妙な光景が広がった。

 それはまるで、数千年を生きる大樹の側面に触れているかのような、何処までも雄大で、何処までも果てしない存在と対峙しているかのような錯覚に陥ったのである。アリスは顔を歪ませ、そのまま、自身の持つ全ての魔力によって、ドアを思い切り引く。その瞬間、アリスは床を砕き、辺り一帯に計り知れないほどの衝撃波を放った。

 だが――。

「嘘、でしょ……?」

 確かにアリスは、本気の本気、フルパワーでドアを引いた。魔理沙には申し訳ないが、それこそ、このドアを破壊するつもりで。だが結果は、開かずの間のドアはまったくの無傷であった。部品一本損傷していない。何事もなかったかのように、ドアは沈黙を保っていたのだ。アリスは唖然とし、そのまま床にへたり込んだ。先ほど踏み抜いた床の木片がアリスの膝に鋭く突き刺さった。ずぶりと。

「ぎゃああああ痛ったああああっ!」

 アリスは泣き叫びながら床を転げ回る。そんなアリスをあざ笑うかのように、開かずの間のドアは冷たく堅牢であり続ける。恐らく、核ミサイルでもこの扉は破壊出来ないだろう。

「うわああああっ! 大丈夫かアリスーっ!」

 魔理沙がわーっと泣きながら蹲るアリスへと駆け寄る。普段ならこの程度の傷など気にもしないのだが、著しく魔力を使用した事により、魔力が傷の回復にまで回っていない様子である。

「な、何なのよ……このドア……」

 まさに戦慄であった。アリスは一切の加減なく、思い切りドアを引っ張った筈であった。あれだけ身体強化の魔法を施したのに、傷一つ付かないのはいくら何でもおかしい。

「あんまりよ……こんなの……ムカつくっ! 最低っ! 汚らわしいっ!」

 あんなに悩んだのに、あんなに苦しい想いをしたというのに、開かずの間は無情であった。口惜しさと膝の痛みに泣き喚くアリスを介抱しながら、魔理沙は静かに囁いた。

「……きっとアリスは疲れているんだ。疲労は生物共通の害だぜ。よく分かんないけどストレスと疲労が体内に蓄積し過ぎると脳みそに問題が生じるんだってさ」

 あまり、アリスに甘えてばかりでは良くない。
そろそろ私も自立しよう。魔理沙は固く決心した。

 あれからしばらく経ち、ようやくアリスの精神は安定した。
 
 本来の落ち着きを取り戻したアリスは、幸いにも例の『開かずの間』に対し、以前ほど執着しなくなっていた。。永遠亭によるセラピーと投薬とカウンセリングを経て、少しずつだが前向きに物事を考えられるようにまで回復した。アリスはもう、トチ狂ってなどいなかった。
 
 結局、魔理沙の家にある『開かずの間』の正体は分からないままであった。後日、幻想郷に住む妖怪達が魔理沙の家を訪ね、各々の能力でもって開かずの間の扉を破壊しようとしたが、全ては徒労に終わった。ドアではなく壁を破壊して部屋に侵入するという作戦も決行されたが、壁はドアと同等か、それ以上の強度を有しており、とてもじゃないが破壊は不可能であった。

 以来、相変わらずその部屋は謎のままである。だが、アリスと魔理沙はそれに関わらず、静かで穏やかな日々を送っていた。時折、アリスは開かずの間の中を想像する。あの部屋には一体何があるのか――それは想像を絶するような代物かもしれないし、意外と呆気ない物が放置されてあるだけかもしれない。もしくは、何も無いのかも。以前と違い、アリスの想像は明るい物となっていた。それもその筈だ。

 以前のアリスにとって、あの開かずの間は、魔理沙と自分の間を隔てる壁でしかなかったのだから。だが蓋を開けてみれば、この家に住んでいる当の本人ですら、開かずの間が何なのか知らなかったのだからお笑いである。もうアリスと魔理沙の間に、壁はない。固く閉ざされていると思っていた魔理沙の、秘密の部屋――。

 彼女の心の扉は、とっくの昔に開いていたのだから。







 ……。

 夜、魔理沙の家にて。
 アリスが帰宅した事を確認し、魔理沙は例の『開かずの間』の前に立ち、己のみが知っている呪文を小声で詠唱する。すると、開かずの間のドアが小気味よい音を立てながら、静かに開いたのである。今まで、神羅万象古今東西津々浦々の魑魅魍魎共がこぞってこのドアを開けようと奮闘し、惨敗していったというのに、魔理沙はそれを詠唱一つで開け放ったのだ。

「ふう、ようやくアリスも落ち着いてくれたか……」

 実を言うと、このドアには、妖怪の賢者である八雲紫の結界が二重に施されていたのだ。並大抵どころか、名のある神にだってこのドアを破壊する事は出来ないだろう。つまり――。

 この部屋には、それほどの何かが隠されているのである。

「しかし、冷や冷やしたぜ。『コレ』をアリスに知られる訳にはいかないからな……」

 窓から入り込む月明かりに照らされながら、魔理沙は笑っていた。




『開かずの間』に隠されていた物――、その正体は――。

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