Coolier - 新生・東方創想話

正体不明の軍団長は彼女なのか?

2019/09/17 23:32:30
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 一 組長会議


 畜生界の中心に、ひときわ高く大きなビルがあった。

 すぐ隣に、鍵穴みたいな形をした中洲の霊長園が広がっていた。
 ビルの展望台からは、中洲に生い茂る木々や季節の花、人間霊達のうごめく様子を一目に収めることができた。

 つい数ヶ月前までは、動物霊達に人気の観光スポットだった。
 しかし霊長園に埴安神袿姫が降り立ち、陶器によって構成された無敵の要塞に作り変えてしまった。

 そのビルの前に、無数の車が現れた。
 ピカピカに磨かれた黒塗りの車群に囲まれ、真っ赤なオープンカーが鋭い一つ目のように走っていた。
 後部座席には驪駒早鬼が三人分のソファーを独り占めにして、テンガロンハットで顔を隠しピクリとも動かず車の走るに任せていた。

 車を操るオオカミ霊が、早鬼に向けて声をかけた。

「組長、間も無く到着です。ご準備を」

 早鬼は短く「おう」と答えると、オープンカーが止まる頃には扉を飛び越えアスファルトの上に降り立ってしまっていた。
 テンガロンハットのつばを左手で持ち上げ、険しい目でビルを見上げた。
 その間彼女の右手は、腰まで届くポニーテールの裏側に回されたままだった。

 彼女を囲む車から、次々に動物霊達が姿を現した。
 鋭い牙と俊敏さが持ち味のオオカミ霊、強烈な突進力を持つイノシシ霊達が、早鬼を守るように取り囲んだ。

「お前達はここで待っていな。
 一時間経って何の合図も無かったら、踏み込むんだよ」

 動物霊達がざあっと左右に別れて、早鬼の歩く道を作った。
 彼女がビルに歩み近づくにつれ、表情に苛立ちが増していった。

 ビルのふもとに、兵隊の一群が集まっていた。
 それらの多くは茶色い肌、茶色い鎧兜を持っており、目と口のあるべき場所には黒い大穴がぽっかりと開いていた。

 勁牙組の動物霊達は、一ミリのずれもなく並び立った土の兵隊を見て一斉にどよめき立った。
 オオカミ霊の一人が、早鬼に近づいておずおずと言った。

「まずいですぜ、組長。
 あいつらには俺たちじゃ到底かなわねえ」
「ああ、わかっている」

 早鬼は右手を隠したまま、兵隊の列に近づいていった。
 その真ん中に、金色に光る鎧を着けた杖刀偶磨弓が立っていた。

「物々しいご到着ですね、驪駒様。
 これほどの大軍団で押しかける必要などないのでは?」
「そちらこそ、そんなに埴輪兵士を連れているじゃないか。
 戦争でも始めたいのかい?」
「我々は袿姫様に請われ警備しています。
 トップ会談を誰かが台無しにしてしまわぬようにと」

 ポニーテール越しに、早鬼の右手が小さく揺れた。

「そいつは間違いなく、我々ではないな。
 さあそこを退け、遅刻は大嫌いなんだ」
「その前に、右手に持ったものを預かりましょう。
 平和な会議には不要なものです」
「これは私のお守りだ。
 手元にないと落ち着かん。
 平和な会議なら使わずに終わるだろう」

 言うが早いか、早鬼は一息に地面を蹴った。
 黒い翼をはためかせ、埴輪兵の上を飛び越えた。

「退かす必要もなかったね」

 兵団の背後に降り立つと、ビルにゆうゆうと踏み込んだ。
 エントランスホールは人払いがなされており、わずかな数のスタッフを除いたら見える動物霊の姿はなかった。
 早鬼は一番奥にあったエレベーターに乗り込むと、案内員に最上階を告げた。

 ゴウン、と音を立ててエレベーターが動き出した。
 早鬼はわずかな重みを体に受けながら、左手でスカートのポケットを探った。
 薄い紙の手応えがあった。

「吉弔め。今度は何を企んでやがるんだ。
 埴安神におもねるつもりか」

 先がポケットから引き出したのは、金箔に縁取られた立派な封筒だった。
 差出人には鬼傑組組長の吉弔八千慧の名前があった。

【今後の人間霊の取り扱いについて、埴安神との間で話をつけたく思います。
 他の組長も招くつもりですので遅滞なくお越しください】

 そんな手紙と共に、最上階にある展望レストランの招待状が送られてきた。

 早鬼としては不機嫌を隠せない。
 八千慧は搦め手と根回しを好む女だった。
 早鬼の知らないところで八千慧と袿姫との間に何らかのやりとりがあったことは、想像に難くなかった。

 エレベーターの扉が開いた。
 展望台は総面ガラス張りとなっており、三方から畜生界の空がよく見えた。
 早鬼はウェイターに招待状を突きつけると、正面にある大テーブルに歩み寄った。

 三畳分はある円卓に真っ白なクロスが敷かれ、中央には紅白の生け花、周りには白磁の皿や銀の光を放つナイフとフォークがお行儀良く並べられていた。
 椅子は五人分あり、そのうちの三つは既に先客によって埋まっていた。

「あら、珍しい。
 驪駒が遅れてくるなんて。
 羽の手入れに手間取ってでもいたのですか?」
「うちの部下達が少々トロかっただけさ」

 テンガロンハットを脱ぎ捨てた。
 早鬼の手を離れた帽子は片隅にあつらえられたポールハンガーに向けて飛んでいき、枝の一つに引っかかった。
 頭の上に細長い一対の耳が露わになった。

 亀甲を背負った八千慧は椅子に浅く腰掛け背もたれに鱗で覆われた尻尾を引っ掛け、スープ皿に手をかけたまま早鬼を笑顔で見上げていた。

「遅いと言っても指定された刻限の二十分も前じゃないか。
 おおかた私に指定した時間よりも早い時間を示し合わせて、先に始めていたというところだろう」
「たまたまですよ。
 偶然あなたよりも早く来た者が、三人いたというだけです」
「その通りですわ。
 だって早くいただかないと、せっかくのお料理が冷めてしまいますもの」

 八千慧の向かいに座った饕餮地羊(とうてつ ちよ)がステーキにナイフを入れた。
 強欲同盟の盟主は切り分けた肉を口に運ぶまでの間、一切の音を立てることはなかった。

 早鬼もまた空いている席に腰掛けると、ウェイターにメインディッシュを早々に持ってくるように頼んだ。
 さらに横目で地羊の様子を眺めた。
 地羊は宝石を複雑な文様のように散りばめた青銅色のドレスを身にまとう、柔らかな銀髪の女だった。

 ただ普通と違うのは、側頭部から渦を巻いて伸びている羊の角と、もう一つ。

「饕餮よ、お前はもう少し遠慮という言葉を知りな。
 ビル中の食材を食い尽くすつもりかい?」
「あら、失礼ですわ。
 まだ朝餉の十分の一もいただいていないというのに」

 地羊の脇には、十枚ほどの皿が積まれていた。
 先日の偶像侵略戦争に際して彼女が一切顔を出さなかったのは、間違いなく食事が忙しかったせいだろうと早鬼は考えた。

 早鬼の席にステーキが届くのを見計らって、八千慧がパンパンと手を打った。

「では人数も揃ったことですし、始めるとしましょうか。
 議題は招待状にも記した通りですが、今後の人間霊の取り扱いについて埴安神と取り決めを交わそうと思います」
「このような形で、あなた達と食卓を囲むことになろうとはね。
 あの人間達には痛い目に遭わされたけれど、これも怪我の功名ということかしら」

 八千慧と地羊の間で、埴安神袿姫が無邪気に笑った。
 彼女は長髪を頭巾で後ろに流し、この会合の場においてすらも作業用のエプロンを身につけポケットを工具でいっぱいにしていた。
 あれらを駆使した造形術に、動物霊達は手も足も出なかった。

 早鬼は左手でフォークを持つと、ステーキの肉を一息に突き刺して全てを持ち上げた。

「白々しいことだ。
 だいたいのところは、吉弔と埴安神の間で概ね決まっているのだろう?
 そいつを読み上げてくれりゃ済む話じゃないか」
「驪駒はせっかちですね。
 こういうものには、きちんとした段取りというものがあるのですよ」

 早鬼はステーキ肉を食いちぎりながら、八千慧の口上を辛抱強く聞いた。

 曰く、今後人間霊は霊長園から各組織へと貸し出すものとし、労働内容に応じてしかるべきレンタル料を人間霊に支払うものとする。

 曰く、人間霊の労働時間は一日の三分の一を上限とし、それを超える場合に各組織は追加の貸し賃を支払わなければならないものとする。

 曰く、それでもなお過酷な労働や長時間の残業を人間霊に要求するなら、袿姫には偶像達を派遣してでもそれらを抑止する権利を与える。
 等々。



「私には、私を信仰してくれる人間霊達を守る義務がある。
 それを尊重してくれるのならば、吉弔が示してくれた条件を飲んでもいいよ」

 と、袿姫はすんなりと八千慧の話を受け入れた。
 地羊はウェイターに二皿の追加を請うた。

「と、いうわけで我々は埴安神から条件の合意を得ることができました。
 饕餮も異論はないみたいですし、後は驪駒に反論がなければ手打ちということになるでしょう」
「便利なものだな、段取りという言葉は。
 茶番劇を綺麗に言い換えることができるのだから」

 早鬼はフォークに残った最後の一切れを頬張った。

「人間霊を甘やかし過ぎじゃないか?
 奴らがなぜ畜生界に落ちたか知らんはずはあるまい、埴安神よ。
 生前畜生に劣る大罪を犯し、人間界への輪廻を許されなかった連中の末路が、我々の餌であり道具であり奴隷なのだ。
 そんな連中に甘い顔を見せたら、立ち所に増長するだろう」
「心配はいらないわ。
 人間霊達が受ける恩恵は、私に注がれる信仰心が前提にあるのだから」

 袿姫は淀みなく早鬼に答えた。
 想定問答集でも用意していたかのような迷いの無さだった。

「もしも人間霊達が調子に乗って私への信仰をないがしろにすることがあれば、私は迷いなく彼らへ向ける庇護を捨てるでしょう。
 その時はまた食うなりこき使うなり、好きにすればいい。
 そうはならないことを祈りたいものだわ。
 この提案はあなた達にも得のあるものだしね」
「貸し賃を払って、丸一日働かせられない。
 そんな条件のどこに我々の得があるというんだ?」
「適切な休憩、適切な報酬。
 人間と言わず全ての霊を最も効率的に働かせるのに必要なものよ。
 休みなく使い続けるよりも、ずっとね」
「動物霊は疲れ知らずだ。
 人間の尺度が当てになるものかよ」

 早鬼は身を乗り出して、鋭い視線を袿姫に向けた。
 右手に隠し持ったリボルバーが、かすかなトリガー音を鳴らした。

「それでも信用して良かろうな、埴安神?
 取るもの取って労働力の質は以前と変わらない、なんてことになりゃもう一度生身の人間をけしかけることになるぞ」
「落ち着きなさい、驪駒。
 それも含めて了承すると、彼女は言っているのです」

 早鬼は八千慧を見た。
 彼女は赤ワインを口に含んで、己の喉を潤した。

「驪駒の言う通りです。
 今の我々には切り札がある。
 おかげでようやく我々は、埴安神と同じテーブルに着くことができたのです。
 今度は騙すのではなくて、適切な報酬を支払って人間に助っ人に来てもらいましょう。
 埴安神に支払うコストよりも、大きくなるかどうかを見極めた上でね。
 それでも驪駒がことを構えたいと言うなら、止めはしませんが」

 早鬼は袿姫を見た。
 そして再び、八千慧を見た。
 それから地羊が十二枚目の皿をテーブルに積み上げたところで、ようやく腰を落としたのだった。

「まあ、良かろう。
 私一人突っ張ったところで、吉弔と饕餮に利するだけだからな。
 それから」

 早鬼は隣の席に視線をやった。
 その椅子に座るべき者は未だこの場に現れず、皿の白が雪のような寒々しさを醸し出していた。

「卑劣隠密軍団の頭目は、今日も欠席というわけだ。
 吉弔、こいつにも招待状を出したのか」
「一応、席は用意したのですがね。
 招待状の送り先すらわからないと来ています」
「不誠実の極みだな」

 爪楊枝を一本取って、口にくわえた。
 早鬼を苛立たせるのは、袿姫ばかりではなかった。

 その組織は規模、実力、名前すらも一切が不明だった。
 毒や罠、寄生に擬態といったありとあらゆる卑劣な手段を用いて、畜生界をしたたかに生き抜いていた。
 その組織に属するマムシ霊やヨタカ霊などが情報を売りにやって来るので、存在していることだけは明らかだった。

 しかしそのリーダーの姿は、誰も見たことがない。
 早鬼はもちろんのこと、八千慧や地羊もこの組織の存在を快く思っていなかった。

「饕餮よ、お前は何か知らんのか。
 ご自慢の広域監視網にも、奴らは引っかからないのか」
「さて、どうかしら。
 俯瞰は全体を一目に収められますけれども、矮小な連中を捉えるのには向いておりませんの。
 そのくせ情報には敏感なのですから、本当に小賢しいですわね。
 偶像軍団への憑依を最初に試みたのも、きやつらだったかしら」
「中身がらんどうの偶像達には、まるで通じなかったけれどね」

 袿姫が胸を張った。
 地羊は十五枚目のステーキにナイフを入れながら、そんな彼女の姿を横目にちらりと眺めた。

「しかしそんなあなたでも、きやつらの居場所を割り出す偶像は作れていないのではなくて?
 お気をつけあそばせ。
 きやつらに寝首をかかれた泡沫組織の頭目は数知れませんわ」

 袿姫が凍りついた。
 早鬼はそんな彼女を他所に、左手で爪楊枝を弄んだ。

「おおかた、先の異変でも奴ら何かを手にしたかも知れんな。
 まったく気に入らない」

 早鬼は楊枝をくわえたまま、立ち上がった。
 ポールハンガーに歩み寄り、テンガロンハットをかぶり直した。
 そんな早鬼に、吉弔が声をかけた。

「あら、もうお帰りに?
 まだ議題は終わっていませんが」
「どうせ残っているのは、形式ばかりの手打ちだけだろう?
 茶番劇で溜まったストレスの、ぶつけ先を探しに行くんだよ」
「正体不明の軍団の主を探しに行くと言うのですか?
 止めておきなさい。
 筋肉馬鹿のあなたには荷が勝ちすぎていますよ」
「見つけられてないお前に筋肉馬鹿呼ばわりされるいわれはないな。
 勁牙組は畜生界最大最強の組織だぞ。
 組織力にものを言わせて正体不明軍団の正体を暴き出してやるさ」

 と、早鬼はエレベーターに乗り込んだ。
 自動ドアが閉まる様子を、袿姫と八千慧は呆然と見送った。
 地羊は更に三皿を追加でオーダーしていた。

「彼女、いつもあんな感じなのかしら」
「恥ずかしながら。
 畜生界では一番畜生らしい性格をしていますから、人気だけはあるのです」
「まあ、暴れるに任せておけばよろしいですわ。
 どうせあの駄馬はろくな成果も得られずに、ヒンヒン泣いて帰って来るに決まっています」


 §


「などと言って、私を笑っているのだろうな。
 あいつらと来たら」

 早鬼は再びオープンカーに乗り込むと、後部座席で文字通りに羽を伸ばしていた。
 運転手が早鬼に向けて、恐る恐る声をかけた。

「しかし組長、どうやって探すおつもりで?
 これまで何度も人海戦術をしかけてシラミ潰しに探しましたが、その度にガセネタをつかまされて右往左往する羽目になりましたぜ」
「ああ、知恵あるシラミというのは厄介だな。
 だが今回はしっかりとした当てがあるのだ」

 オープンカーが一瞬、左右に揺れた。
 早鬼はテンガロンハットを押さえつけた。

「ハンドルさばきを乱すほどのものかよ」
「す、すみません。
 その当てというのは当てになるものなんですかい?」
「長年奴らに煮え湯を飲まされ続けた経験則に基づくものだ。
 探してみる価値はあるだろう。
 いいか、正体不明軍団のリーダーといえば、長いことどんな妖怪でどんな能力を持っているのかすら明らかになっていなかった。
 これはもう、存在しないと考えるのが妥当じゃないか」
「そ、存在しない?
 死んでるってことですか」
「あるいは畜生界の外にいて、安全な場所から手下に指図しているか、だ。
 畜生界にいないのなら、いくら探しても見つからないのも道理だろう?」
「な、なるほど。
 そいつは珍しくも冴えたお考えですぜ組長」
「いちいち失礼な奴っちゃなお前。
 まあ、それより後は畜生界以外のどこにいるかだが」

 早鬼は足を組んだ。
 その上に頬杖を突いて、思案の構えをとった。

「地獄界餓鬼界は過酷な環境だ。
 修羅界は年中戦争ばかりしていて荒れ放題。
 天界は入ることすら難しい。
 となれば残っているのはたった一つ。
 人間界よ」


 二、二ッ岩商店


「動物霊の出没騒動収束に向かう、と。
 大して盛り上がりのない異変だったね」

 封獣ぬえは四畳半の茶の間にあぐらをかいて、新聞紙に目を通していた。
 それは天狗が時々持ってくるもので、異変未満の出来事を面白おかしく記事にまとめていた。

「巫女が異変の解決に向かったらしいのう。
 おぬし、探りを入れてはおらぬのか?」

 二ッ岩マミゾウがぬえに尋ねた。
 彼女はぬえの古くからの友人で、今は化け狸の正体を隠して人里で穀物の種や苗などを人間に売る仕事をしていた。

「動物霊の出所が三途の川だからね。
 出る幕がない。
 あちら側で巫女がなんとかしたんだろう」

 ぬえは新聞紙を四つに畳んだ。
 今まで異変の全貌が新聞の記事になったことはなかったし、今回もないだろう。
 天狗がわざとやっているのか、とても鈍感なのかは誰にもわからなかった。

「いつになくテンションが低いのう。
 珍しいこともあったものよ」
「あんまり近づきたくない所で起こっていた異変だからね。
 三途の川と言えば、あれだろう?」
「なるほど、彼岸か。
 あるいは地獄か」

 マミゾウは受け答えながら、ぬえの様子をチラチラと観察した。
 彼女はあぐらの上に頬杖をついて、心底つまらなそうな態度を見せていた。

「トラウマでも刺激されたか?
 おぬしも一時は封印されていたからのう」
「まあ地獄は、控えめに言って地獄だったよ。
 あの頃はまだ、地獄のコンパクト化が進む前さ。
 私のような妖怪がいっぱいいて、地獄の総大将の座を巡って日がな闘争を繰り広げていた」

 マミゾウは黙ってぬえの昔話を聞いた。
 取り留めない話で紛れる憂鬱もあるだろうと考えてのことだった。

「特に危険なのが、やはり鬼どもさ。
 地獄の獄吏に飽きたならず者の集団とか、人間の奸計でもって住処を追われた地上の鬼とか、そうした連中が徒党を組んで、鬼同士で闘いを繰り広げていた。
 他の妖怪なんざ、雑魚扱いされるだけでもマシな方だったよ」
「おぬしも雑魚扱い、というわけかい」
「実際奴等は私のことをなめてかかってたよ。
 そんな鬼どもを時にはあしらい、時にはやり過ごしとやりながら生きてた時に出会ったのが今の命蓮寺の連中だよ」
「あれじゃな。
 白蓮和尚が魔界に封印され、連中はそれとは別に地獄に封印されたっちゅう」
「それ。あいつらにそんな経緯があったなんて、その時の私は知らなかったけどね。
 白蓮と別れたばっかりのあいつらは覇気がなくて、半分死人みたいな雰囲気を漂わせていたよ。
 そんな連中を見てたらなんだかいたたまれなくなって、よく絡むようになった」
「おぬしは時々、人間くさいことをするところがあるのう」
「そうかね?」


 三、回想 八百年前、地獄の辺境にて


 人骨が無数に散らばる荒野の真ん中に、一艘の帆かけ舟があった。
 周りには海はおろか水の溜まり場すらなく、鎖や倒木を用いてどうにか転倒を免れているという有様であった。

 かつての聖輦船は、空を飛ぶ船であった。
 しかしその飛ぶべき空は岩天井に塞がれており、地獄に吹き荒れ続ける業風の中では宙に浮かぶことすら難しかった。

 ぬえは大風の中を、時折ふらつきながら聖輦船に向かっていた。
 身体中に傷をこさえており、滴る血は地上に落ちるはるか前に吹き飛ばされて乾いていった。

 そうやってやっとのことで傾いだ甲板の上に降り立つと、ぬえは大きくよろめいてその場に崩れ落ちた。
 ややあって、船倉の扉から村紗水蜜が顔を出した。

「ぬえさん!
 またボロボロになって!」
「大丈夫だって。
 こんな怪我すぐに治るから」

 水蜜はぬえの体を担ぎ上げた。
 薄汚れた服の上に、新しい血の色が混ざった。

「まったく無茶ばかりして。
 今度こそ本当に死んじゃいますよ!」
「ああ、鬼の四天王って奴はたいそうなもんだね。
 取り巻きが多過ぎて、近寄ることもできやしない。
 だが追っ手には囮を掴ませてやったよ。
 今頃正反対の方角に船を追っかけ続けてるな」
「少し、黙っててください!」

 ぬえを船倉に運び込んだ。
 そこには、十数人の妖怪が雑魚寝をしていた。
 一様にぐったりとうなだれ、動く気力を失っていた。

 その中に、雲居一輪がいた。
 片膝を立てて濁った目で、ぬえを引きずる水蜜を眺めていた。
 その隣では、雲山が小さくなってもいた。

 水蜜は勢いをつけて、ぬえを一輪の隣に転がした。
 ぬえには受け身を取る元気すら無かった。

「あんまり粗末に扱うと、鵺さんここで死んじゃうわ」
「さっきは大丈夫って、言ってました!」

 一輪は大きく息を吐いた。
 おかしな転がり方をしたぬえの寝姿を直してやった。

「ねえ、船長。
 また聖輦船を飛ばせるようになるまで、どのくらいの妖力が要るかしら」
「まだ、全然足りませんね。
 白蓮様だったら一瞬とかからず充填できますけど」
「それまで、奴等から逃げ切れるかわかんないよねぇ」

 しばらくの間、外の風がごうごうとうなる音だけが聞こえた。
 再び、一輪が口を開いた。

「どっかの軍門に下っちゃおうか?
 有力な鬼に頭を下げれば、悪いようにはならないと思う」
「そしたらずっと、奴隷の扱いになるぞ」

 ぬえの言葉に、一輪は黙り込んだ。
 彼女らには、それができない理由があった。

「例え地上の封印が解けたとしても、奴隷はずっと続くぞ。
 外、出たいんだろう?」
「そりゃあ、出たいわ。
 でも鵺さんだって、限界じゃない」

 周りにいた、数人の妖怪が顔を上げた。
 一様に濁った目を、一輪達に向けていた。
 顔やら腹やらに、包帯を巻きつけた者もいた。

「鬼とまともに戦える者なんて、ここには数えるくらいしかいない。
 都には数千の鬼がいる。
 いくら妖術に自信があるからって、鵺さん一人じゃ到底無理だよ」
「残念ながら、一輪に同意するしかないです。
 このまま鬼と戦い続けるためには、どうにかしてこちら側の味方を増やさなくてはならないでしょうね」
「味方なあ」

 ぬえは船倉の天井を見上げながら、瞬きした。
 そうしてしばらくすると、ゆっくりと起き上がった。
 一輪がぬえの肩を押さえた。

「鵺さん、まだ寝ていた方が」
「すぐに治ると言ったろう?
 それより心当たりが一つある。
 試しに頭を下げてみようか」

 ゆらりと甲板に戻る階段に向かい始めた。
 一輪と水蜜はそんなぬえを見ると、互いに顔を見合わせた。
 次の瞬間には、水蜜がぬえを追って歩き出していた。

 ぬえは甲板に出ると、刃のような赤い右翼、ねじれた矢印のような青い左翼を広げると、再び業風に逆らって上空へ飛び出した。
 水蜜もまた身の丈ほどもある錨を背負い、それに続いた。

「着いて来なくてもいいのに」
「そういうわけにはいかないでしょう。
 ろくでもない相手と勝手に同盟なんてさせられません」

 ぬえは水蜜を見ると背中を探った。
 どこからともなく引き出されたのは、小さな蛇のような物体だった。
 手にした者の正体を奪う正体不明のタネは、水蜜達を窮地から幾度も救ってきた。

「どこで誰が私達を見ているかも知れん。持っていな」
「どこへ向かうつもりなのですか」
「そいつは都の端っこに住んでいてね」

 しばらく二人が飛んでいくと、砂嵐の中に眩しいほどの明かりが見えてきた。
 鬼達が自らの力を駆使して作り上げた、鬼の都だ。
 よそ者に対する扱いは厳しかった。

 ぬえはしばらく都の明かりへ近づくように飛んでいたが、指で水蜜に方向を指し示すと左手に向きを変えた。
 明かりの大きさが一定であるのを保ちながら、回り込むように飛び続けた。

 一方の水蜜は、ぬえに続きながら悪い予感をよぎらせていた。
 都の端っこに住む妖怪には、心当たりがあった。
 都に住むことを許されながら、穢れ者のような扱いを受けている妖怪が。

 ぬえは高度を下げると、骨と岩の物陰に紛れながら都へだんだん近づいていった。
 そうして二人は、一件の屋敷にたどり着いた。

 槍のように鋭く削られた杭を組み合わせた柵で仕切られた、大きな敷地だった。
 その中心に建つ屋敷は壁のところどころに漆喰の剥げ落ちた場所を作って、業風が強まる度にギイギイと不満そうな音を立てた。
 また屋敷を取り囲む庭には、オオカミやらヤマネコやらが放し飼いになっていた。
 彼らはぬえと水蜜に向けて、ギラギラとした無数の視線を向けた。

 水蜜の予感通りの場所だった。
 彼女はぬえをにらんで、不満の声を上げた。

「もう少し、まともな協力先は思いつかなかったのですか?
 怨霊守りのサトリ妖怪なんて」
「残念なことに、地獄にはこれ以上話せそうな妖怪はいない」

 サトリ妖怪は、都にはびこる怨霊を押さえ込む役割を担っていた。
 いかに強い鬼でも怨霊に取り憑かれれば心を病み、最悪死んでしまう。
 サトリ妖怪はそんな怨霊の心を読み、鬼達から遠ざけることができた。
 しかしサトリ妖怪の力は鬼からも嫌われているため、怨霊を都から引き離すことを口実として都の隅に追いやられていた。

「うーん、敵の敵は味方とはいいますが。
 心を読む妖怪は、私達にとってもたちが悪いですよ」
「読まれて困るような裏心があるのかい?
 私達は実際いっぱいいっぱいだ。
 話をしてみる価値はあると思うね」

 ぬえは柵に手をかけ、一気に飛び越えた。
 水蜜は手を泳がせて、柵の手前でそれを見送った。

「サトリに会うのが嫌なら、そこで待っていな。
 私が話をつけてくるからさ」
「あ、あまり私達が不利になるようなこと言わないでくださいよ!?」

 ぬえは水蜜に背を向けたまま、手を挙げた。
 水蜜は追いかけることも考えたが、この屋敷に住むサトリ妖怪や怨霊達のことを考えると足がすくんで動けなかった。

「どこまで恐れ知らずなのだろう、あの妖怪は」


 四、珍客来襲


「と、私は危険も顧みずにサトリ妖怪の住処へ踏み込んだわけだ。
 その頃から怨霊の屋敷は、あの古明地さとりが仕切っていてね」
「だいぶん盛り上がってきたが、話の方もずいぶんと盛っちゃおらんかのう?」

 マミゾウが水を差した。
 ぬえは両手でろくろを回すような姿勢を取ったまま固まった。
 外から行き交う人々の喧騒が聞こえてきた。

「なんだよ、さてはホラ話だと思ってるな?
 わりと嘘は言ってないんだけど」
「嘘かどうかはさて置いても、記憶というものは都合よく脚色されてしまうものじゃ。
 増して八百年も昔の話なら、ほとんど忘れてしまってもいよう」
「そんなことはない。
 何しろ地獄の記憶だよ?」

 ぬえが躍起になっていると、外からバタバタという騒がしい足音が近づいてきた。
 その音は二ッ岩商店の前のあたりで止まると、襖の向こうから声が聞こえてきた。

「すみませーん!
 ぬえさんいてますかー!?」

 ぬえとマミゾウがいっせいに総毛立ち、ちゃぶ台の茶碗がビリビリと震えた。
 声が止んだ後も二人の耳の中ではキンキンとした耳鳴りが続き、耳を塞いで嵐が過ぎ去るのを待たされた。
 マミゾウが頭を振りながら、立ち上がった。

「た、大した音波攻撃じゃ」
「あの馬鹿山彦、里中で何やってんだ」

 ぬえがこめかみに青筋を寄せながら、襖を開けた。
 店先ではマミゾウの弟子達が軒並み目を回して土間に転がっていた。
 唯一頭に頭巾を被った幽谷響子だけがその場に立って、ぬえの登場を待ち構えていた。
 彼女はぬえの姿を見るなり、頬を緩ませた。

「よ、良かった。ぬえさん、いたぁ」
「こんのバ幽谷、何考えてんだ!
 人里ん中だぞ!?」
「ご、ごめんなさい。
 でも大変なんだよう。
 とんでもない奴がぬえさんに会わせろって」
「とんでもない奴?
 何だい、挑戦者か何かか?」

 ぬえの後ろから、マミゾウも顔を出した。

「おぬし、しくじったか?
 誰かの恨みを買うようなことでもしでかしたか」
「そういった心当たりはさっぱりだなぁ」

 響子はぬえの手首を掴んだ。
 切羽詰まった表情を浮かべていた。

「とにかく、戻ってきてよ。
 あいつをあのまま放置しといたら、お寺を破壊しかねないわ」
「穏やかじゃないな。
 どこの何者なんだ?」
「どっかの組長だって言ってた!
 ヤクザかも!」


 五、少し前の博麗神社


 博麗霊夢は縁側に座る女を見下ろしながら、顔面の筋肉を引きつらせていた。
 彼女の両手の中では、哀れな竹箒がミシミシと音を立てていた。

「そう邪険な態度を取らんでくれよ。
 今日は別にお前と闘いに来たわけじゃない」
「私以外の誰かと闘うつもりではあるのね」

 早鬼は霊夢の憎まれ口を否定せず、薄く笑うばかりだった。
 霊夢としては、哀れな対戦者の無事を願わずにはいられなかった。

 霊夢が早鬼と初めて相対したのは、地獄界と畜生界との境界近くでのことだった。
 あの時は動物霊を自らに憑依させて強化した状態で、それでもやっと勝てたのだ。



「地獄の連中が、あんたが出て来るのを止めてたでしょうに。
 どう人間界にやって来たのよ」
「多少遠回りになるが、餓鬼界修羅界を経由して来た。
 私の足ならさしてかからん。
 あんまり速すぎて部下達を置いてけぼりにしちまったがな」
「相変わらずブラックなのね」
「そんなことより、人探しだ。
 お前ほど強い巫女なら、ここら辺の妖怪は軒並みシメているだろう?
 だったら心当たりはないか」
「えっと、正体不明軍団のリーダーだっけ?
 そんな奴が、どうやって幻想郷(こっち)から畜生界にいる軍団に指示を出してるってのよ」
「連中は各々が独立した密偵として動いている。
 出してる指示は本当に大雑把で、あとは現場が個々に判断して行動しているというところだろう」
「そんな親玉、必要かしらね?
 正体不明なら、一人該当しそうな奴がいないこともないわ」
「どこにいる、何て妖怪だ」
「何でも正体不明にしてしまう鵺妖怪よ。
 今は命蓮寺ってお寺に居候してるはずだけど」
「よしよし、最初に神社へ来たのは正解だったな」

 早鬼は勢いつけて立ち上がった。
 霊夢は、境内に向けて歩き出した早鬼に声をかけた。

「あら、もう行くの?
 お茶くらい出すのに」
「茶が冷める時間ももったいないくらいでね。
 奴に逃げられる前に、行って確かめないと」

 早鬼は地面を蹴って、上空に出た。
 その姿はあっという間に豆粒と化した。

 霊夢は黙ってそれを見送った。
 雲が東に少し流れたところで、大きなため息をついた。

「命蓮寺も災難ね。
 まあ、何も教えなかったら別の奴が災難に遭ってただろうし」
「災難とは、何の話だ?」

 早鬼とは別の声が聞こえてきた。
 霊夢は声の方に首を向けて、目を見開いた。

「おや、あんたは。今日は千客万来ね」


 六、命蓮寺


 妖怪達が寝泊まりする命蓮寺の宿坊には多くの門徒が集まり、固唾を呑んで境内に広がる光景を見守っていた。
 彼らが注目しているのは境内にあぐらするテンガロンハットの妖怪だ。

「鵺さんはまだ戻らないのか」
「そもそもあの人、面倒くさがって戻って来ないんじゃ」
「あなた達、少し落ち着きなさい」

 背後の襖が開いて、聖白蓮が顔を出した。
 背後には寅丸星を引き連れてもいた。

「皆、本堂の方に避難してください。
 一輪と船長は、残っていてもらえるかしら」
「やっぱりそうなりますよねえ」

 一輪と水蜜は肩を落とした。
 一輪は金輪を、水蜜は柄杓を握りしめた。

「あの妖怪と、戦いになるのでしょうか」
「ぬえが戻って来ず、最悪の場合はそうなるでしょう。
 あの方はかなりの強者と見ます」

 二人は唾を飲み込み、改めて境内に居座る早鬼の姿を眺めた。

「あいつ、畜生界から来たと言ったわね。
 船長、鵺さんは畜生界にいたことがあるの?」
「さあ。会う前はどうか知りませんし、私たちといた時もそんな暇はなかったと思いますが。
 しかし地獄で戦いに明け暮れていた時のあれは、正体不明の軍勢と言えなくもありません」


 七、回想 七百年前、鬼の都


 都のあちらこちらから、火の手が上がっていた。

 火事と喧嘩は都の日常茶飯事ではあったが、その日のそれは、規模が違っていた。
 炎の森の狭間に、家の屋根を越える影が蠢いているのまで見えた。

 火に巻かれた館の一つが、音を立てて崩れ落ちた。
 その瓦礫をものともせず、武器を手に突き進む鬼の集団があった。

「くまなく探せ!
 奴等火の中でも構わず向かって来るぞ!」
「あれを見ろ、兄弟」

 鬼達の頭上を、屋根から屋根へ飛び移る影が見えた。

「逃げる奴ぁ捨て置け!
 どうせまた囮に決まってる!」

 鬼達は指示を行き渡らせるために、大声を張り上げていた。
 だから足元を転がって来た小さな物音に気づくのが、大分遅れてしまった。

 一人の足に、小さなものがぶつかる感触があった。
 次の瞬間、鬼達を中心に爆発が起こった。

「ぐわーっ!」
「畜生、炸裂弾か!」

 鬼達は煙を振り払いながら、攻撃者の姿を探して回った。
 今度は地上に注意を向けたため、新たな脅威に気づくのにまたしても遅れた。

「うおおおおおお!」

 雄叫びと共に、大きな影が上空から落ちてきた。
 一輪は鬼達の背後に降り立つと、金輪を振り上げて相方に呼ばわった。

「叩き潰せ、雲山!」

 鬼達の頭上に薄紅色の雲が現れて、鬼達の数倍はあろう禿頭の筋肉質な老人の形を取った。
 巨大な拳が幾つも降り注ぎ、虚を突かれた鬼達を次々に殴り倒した。
 雲山の巨躯を前に鬼達は浮き足立ち、次々と宙を舞った。

「畜生、体勢を立て直せ!
 もたもたするな!」

 無事な鬼達が徒党をなし、雲山に挑みかかろうとした。
 そこに新たな影が突っ込んできた。
 巨大な錨が鬼の土手っ腹に食い込み、そのままなぎ倒した。

 錨に繋がる鎖がぴんと伸びて、倒れた鬼の元を離れていった。
 それは十字路に立ちはだかる水蜜の足元に落ちて、ズシンと音を立てた。

 水蜜の周りには、たった今投げつけたものに加えて七基の錨が転がっていた。
 彼女が腕を振ると、手の中に収まった鎖がいっせいにジャラリと鳴った。

「貴様ら全員、血の海に沈めーっ!」

 水蜜の叫びと同時に、錨が八方へ飛び出した。
 建屋も、炎も、鬼達もお構いなしに破壊の大津波をまき散らした。

 辛うじて錨の直撃を免れた鬼の一人が、目を剥いて都の破壊者達を見回した。
 その奥に、さらに信じられないものが現れた。

 ずしん、ずしんと地響きを上げながら、鋭く長い牙を生やした巨大な虎が建物の陰から姿を見せるところだった。
 虎は鬼達を見据えて威嚇の雄叫びを上げた。

「ガルルルルルルルル!」
「ゆ、夢でも見てんのかこいつは」
「正夢だ!」

 一輪の叫びと同時に、雲山が鬼を薙ぎ払った。
 一輪はもはや吹っ飛ぶ鬼に目もくれなかった。

「船長! 鵺さんを見た!?」
「見失いました!
 この勢いはそう長持ちしません。
 頑張ってもらわないと!」
「この期に及んで逃げたりなんかしてないよね、あの人!」

 その時突然、一輪と水蜜の間の建屋が真っ二つに裂けた。
 裂け目から小さな影が飛び出して、地面を勢いよく転げた。
 起き上がった黒い姿は、二人の見慣れた相手だった。

「鵺さん!?」
「さすがに今のは、ちょいと堪えたな。
 もうしばらく、取り巻きの掃除を頼む」

 割れた建屋の奥から、一人の鬼が姿を現した。
 鉄の下駄をガランガランとかき鳴らす、天を衝くような一角を額に頂いた鬼だった。

 左右から、新たに鬼の一群が現れた。
 一輪が雲山をけしかけ、水蜜が錨を振り回し、剣虎が鬼をちぎっては投げた。
 ぬえと一角鬼の周りは、にわかに乱戦模様となった。

「これでようやく一対一で語らう機会ができたな、四天王様よ!」
「ああ、情緒ある逢瀬には程遠いがね!」

 星熊勇儀は手ぶらの両手をバキボキと鳴らした。
 周りの鬼がそれを見て恐れおののいた。

「ほ、星熊姐さん、盃は」
「あんまりお前らが馬鹿騒ぎするものだから、落としちまったじゃないか。
 お前、私が勝ったら盃を探すのを手伝ってもらうよ。
 あいつがないと酒が楽しめなくてな」

 見ていた鬼の誰もが、ぬえの跡形もなく消し飛ぶ顛末を思い描いた。
 勇儀が戦いの時ですら手に持つ星熊盃は、相手に与えるハンデであると同時に、やり過ぎないための枷でもあった。

「あいにく探し物は得意じゃなくてね。
 代わりに私が勝ったら一つ願いを聞いてもらおうか」
「ほう」

 勇儀は鉄下駄で地面を踏みしめた。
 踏み出すたびに、大きな亀裂が蜘蛛の巣のように走った。

「奇襲、不意打ち、囮に情報撹乱に同士討ちの誘発。
 しかもあの都でいちばんの嫌われ者と、同盟まで組んでいたとは思わなんだよ。
 卑怯に卑怯を重ねてまで、この星熊に叶えさせたい望みとはなんだ。
 試しに言ってみな」
「自由を!」

 周囲の罵声を跳ね除けるほどの声が、勇儀の耳にまで届いた。

「いかなる弱肉強食の掟にも与しない自由を私達によこせ、四天王よ。
 私達には貴様らの王になってやる気も、奴隷になってやる気もないんだ」

 勇儀は腰に手を当てて、ぬえの姿を見下ろした。
 鬼がまた一人、錨の殴打で飛んで行った。
 すると勇儀は静かに、肩を震わせ笑い始めた。

「解せない。解せないねえ。
 お前は卑怯な手なんか使わなくとも、実際大したものだ。
 そんなお前の願いが、そんなみみっちいものでいいのか。
 弱小の妖怪どもを守るだけのために、勝利を費やしてもいいと言うのか」
「あいつらは弱くもなんともないよ。
 ついでに言えば、弱いものをいたぶる趣味もない」
「言ってくれる。
 こんな場所にも地上の噂は届かんわけじゃないんだよ。
 人間の都を騒がした鵺の妖怪、あれはいったいなんだと言うんだい?」
「届いてないなあ。
 全く、届いてない」

 肩を震わせ笑うのが、ぬえの番になった。

「あれは木偶人形に正体不明のタネを憑けただけの代物。
 それをお内裏に引きこもって偉そうにしていた連中が、勝手に怖がっただけさ。
 あんなアライグマの出来損ないが私だと思ったのだとしたら、正体不明を理解するにゃ程遠いな」


 八、勁牙の組長と正体不明


「お待たせしました!
 ぬえさん、連れてきたよー!」

 境内を震わすほどの響子の声が、一輪と水蜜の記憶にしばしの帳を下ろした。
 その声を聞いた早鬼は、ゆっくりと腰を上げた。

 響子に先導される形で、ぬえが境内に入ってきた。
 そこへ白蓮が近づいてきて、声をかけた。

「よく帰ってきてくれました、と言いたいところですが。
 やれますか?」
「あいつがその気なら、やるしかないんじゃないかね」

 ぬえは早鬼を眺めた。
 彼女はスカートの埃を左手と尻尾で払っていた。

「やめてもいいのですよ。
 私達全員でかかっていけば、撃退できないこともないでしょう」
「それであいつが満足するなら、それでもいいけどねえ。
 一目でわかるが、ありゃ自分が納得するまで何度でも来るだろうね」

 変装用の和服を脱いだ。
 赤青の翼が露わになった。
 早鬼はそれを見て、喜色を浮かべた。

「なるほど、正体不明の妖怪に相応しい、いびつななりをしているな。
 私は驪駒早鬼、畜生界一の大軍団、勁牙組の組長である。
 貴様も名乗るがいい」
「封獣ぬえ、命蓮寺の居候。
 道すがら事情は聞いた。
 私は確かに正体不明を操る妖怪だけど、お前の言う正体不明の軍団とやらのことは知らないね」
「そりゃ、そう言うだろうな。
 知ってても知らなくても」

 ぬえは早鬼と少し離れた場所に立ち止まり、それ以上近づかなかった。
 本堂に集まった妖怪達が息を飲んで、その様子を見守った。

「だからお前の言葉の真贋は、戦って判断するとしよう。
 わざと負けようものなら貴様の首を畜生界に持ち帰って、晒し者にしてくれる」
「それしか判別の方法はないの?
 畜生界の連中は、上から下までバトルマニアばかりだね」

 早鬼は、くくくとくぐもった笑いを漏らした。
 その周りに炎の玉が次々と浮かび上がった。

「その言葉。
 畜生界を知る者と断じるに十分。
 始めよう。
 勁牙の疾技(はやわざ)、見て腰を抜かすなよ」

 早鬼の周りにばらばらと炎がばら撒かれた。
 ぬえは歩いてその間をすり抜けた。

「速い、ってほどでもなくない?」
「これを見てから言え。
 喰らえ勁疾技スリリングショット!」

 右手に隠したリボルバーを露わにして、立て続けに撃ち放った。

 バララララララララッ。
 連発どころか、列を成した機関銃がいっせいに撃つかのような音と弾丸が境内を覆い尽くした。
 白蓮が響子を背後にかばった。

「なるほど、確かにスリリングだね。
 タネがわからなければ」

 早鬼が目を見開いた。
 防御体制の妖怪達が顔を上げた。
 弾幕の雨が晴れた跡に残ったぬえは、元の場所から一歩も動いていなかった。

「早撃ち連射は、ターゲットをあえて外したまやかしだ。
 そいつに当たるのは、弾幕に恐れをなして動き回る臆病者だけってわけだ」
「初見で見切るたぁ、なかなかのものだな」
「あんなハッタリ、見切れんほうがどうかしてる。
 お前に本物の目くらましを教えてやろう」

 ぬえの周囲に、黒雲が浮かび上がった。
 平安のダーククラウドは、たちまちのうちにぬえを覆い隠した。
 早鬼はぎりぎりと歯を鳴らした。

「貴様、白昼堂々隠遁を使うか。
 その黒ずくめは保護色じみた擬態のためか」
「汚れが目立たなくて助かってるよ」

 黒雲の中から、光線の雨が先に向けて降り注いだ。
 早鬼は物騒な雨の中一歩も動かなかった。

「貴様こそ、この程度の弾幕で私を撃ち落とせると思ったか。
 勁疾技ライトニングネイ!」

 早鬼が周囲に撃ち放った弾丸が、光の尾を引いた。
 二種類の光線が交錯し、黒雲を晴らした。

 残されたぬえは、肩口に破れ目を作っていた。

「少しは本気でやるつもりになったか?」
「まあ、それじゃ密度をほんの少し増やすとしようか」

 ぬえの体から緑色の物体がぬるりと滑り出た。
 それらは周囲に躍り出て、とぐろを巻いた。
 早鬼が表情を歪めた。

「くそキモい弾幕を使いやがって」
「おっ。鵺的スネークショーはお気に召さないかね?」

 蛇の群れが早鬼を目がけて飛び出した。
 早鬼はそれらを蹴り飛ばし、踏み潰した。

「蛇という奴は卑劣軍団の代表みたいな動物だ。
 手足のない姿で嫌悪感を誘い、口先は達者で裏表があって、毒を持つ者までいる。
 気に入ってる奴など畜生界ではそうそういない」
「この機会に克服してはいかがかな?」
「とっくの昔に克服しとるわ!
 勁疾技ブラックペガサス流星弾!」

 再び、リボルバーを連射した。
 低速と高速の弾丸が流星群のように入り混じり、ぬえと蛇の群れを襲った。
 ぬえは蛇が撃たれるのも構わず、その間をほぼ動かずにすり抜けた。

 響子は白蓮の背後からその様子を眺めて瞬きした。

「な、なんかすごく大したことなさそうですね?」
「ぬえの弾道見極めがとても上手だから、そのように見えているだけですよ。
 攻め手が速く、瞬時の判断が求められ、実際に避けるのはとても難しいはずです」

 実際に仕掛けている早鬼自身も、そのことはよくわかっていた。
 弾幕の中でも平時のように立っているぬえを見て、こめかみに汗を浮かべた。
 攻め方を変える必要に迫られていた。

 最後の流星弾を撃ち尽くすと同時に、早鬼は大きく跳び離れ、ぬえから距離を取った。

「勁疾技トライアングルチェイス!」

 宿坊の塀を蹴り飛ばして、ぬえへ向け一直線に突っ込んだ。
 空中で体勢を変えて飛び蹴りの姿勢を作り、ぬえを突き刺すように蹴りつけた。

 ガツンという激しい衝突音。
 早鬼のブーツの踵を、ぬえが持つ三叉槍が受け止めていた。

「さっきっから気になってんだけどね。
 スペカ名叫ばないと弾幕出せないの?」
「そっちの方が格好いいだろうが!」

 再び跳び離れ、二度目の蹴りを繰り出した。
 響子はやはり、唖然としていた。

「さっきよりも大味になったような」
「いえ。三角蹴りのあの軌跡をご覧なさい」

 白蓮は早鬼の動きを指差した。
 彼女の通った跡に、胡乱な弾丸が空中静止していた。

「あれを残すことによりぬえの逃げ道を塞ぎ、確実に三角蹴りを当てようという意図なのです」

 早鬼の飛び蹴りが、ぬえの脇をかすめた。
 その跡にも弾丸が残り、彼女の頬を焼いた。
 早鬼がぬえの背後に降り立ち、彼女に向けて声を上げた。

「ちったぁ反撃してみろ、面白くもねえ!」
「仕方ないなあ。
 弾幕パターンも把握したし、お望み通りにしてあげよう」

 ぬえは三叉槍を縦に構えた。
 再び黒雲が現れ、ぬえを覆い隠した。

「馬鹿の一つ覚えの煙幕か?
 勁牙の闘士に一度見た技は通用しねえ!」

 早鬼は再び、三角蹴りを繰り出した。
 目指す先は、黒雲の中心。
 ぬえが逃げに転じる前に仕留めようという算段だろう。
 飛び蹴りの体勢のまま、黒雲に高速で突っ込んでいった。
 すると、

「ぐわーっ!?」

 響いたのは早鬼の悲鳴だった。
 黒雲が晴れると、三叉槍を構えたままのぬえと、境内で膝をついた早鬼の姿が現れた。
 ぬえの周りに浮いた弾丸が、周囲に散った。

「誰がさっきと同じスペカを出すと言った。
 正体不明の暗闇(アンディファインドダークネス)に突っ込むからそうなるんだ」
「煙幕の中に弾幕の罠とは、姑息な真似をしやがって。
 しかし、手応えはあったぞ」

 ぬえの体が、小さく揺らいだ。
 ワンピースの脇腹が破れ、赤い蹴り跡が残っていた。
 白蓮が、一輪が水蜜が息を飲んだが、ぬえは余裕の笑顔を作った。

「急所は外れてる。
 こんなもんダメージのうちに入らないね」
「さて、いつまで強がれるかな?」

 その時、命蓮寺の外から大勢の足音が聞こえてきた。
 門から、塀から、夥しい数のオオカミが現れて、戦いの場を取り囲んだ。
 白蓮が魔人経巻を手に、それらを見回した。

「何事ですか」

 オオカミの一頭が、声高に叫んだ。

「失敬、我々勁牙組の者でごぜえやす!
 組長、遅参申し訳ございやせん!」

 早鬼が勝算の笑みを浮かべた。
 彼女はオオカミ霊達に声をかけた。

「構わん。
 強行軍の被害状況はどうだ」
「へい、修羅界の軍人どもに因縁つけられて半数が足止め食らっとりやす!」
「半数で済んだなら上等。
 援護射撃を頼むぞ」
「合点!」

 一輪、水蜜が立ち上がりかけた。
 白蓮も声を上げた。

「一対一の勝負では?」
「あいにく、これが勁牙組のやり方だ。
 どんな相手でも全力で叩き潰すのさ」

 白蓮は魔人経巻を携え、戦場に進み出ようとした。
 それを一人の腕が遮った。

「野暮じゃろ。
 儂もよく子分に手伝わせる。
 あやつのやることを責められん」

 マミゾウはぬえを指し示した。
 彼女は三叉槍を肩に担いで、背中を探っていた。

「それにのう。
 ぬえが数の暴力に潰れるようなタマじゃと思うか?」
「それは、確かに」

 ぬえが片手を振った。
 背後に光り輝く円盤が姿を現した。
 オオカミ霊達が、色めき立った。

「その烏合の衆に何ができるか、やってみな。
 言っとくが、私の使い魔は一筋縄じゃいかんよ」

 早鬼が腕を振り上げた。
 オオカミ霊達が彼女の背後に並び、弾幕をぬえに射かける。

「さあ、恐れずついてきな(フォロミーアンアフライド)!」

 円盤が動き出し、早鬼に向けて弾幕を放ちながら突撃を開始した。
 早鬼はそれらの一つにリボルバーを向け、トリガーを引いた。
 ボウンとけたたましい音がして、円盤が吹き飛んだ。

「なんだ、こいつは」

 早鬼は円盤の跡に残ったものに目を見開いた。
 ボロボロに壊れた蛇の玩具がそこにあった。

「こんなちっぽけなものに、UFOの上っ面を被せたってのか」
「正体不明のタネは憑いたものの認識を奪い取る。
 色も形も見た者の認識通りに変わるのさ」

 リボルバーから口径に釣り合わない大きさの弾丸が打ち出され、円盤を片端から粉砕した。
 銃を振るいながら、早鬼は歯ぎしりした。

「気に入らないねえ。
 擬態に、蛇に、罠に、寄生する使い魔。あの軍団のやり口とそっくりだ。
 貴様やはり、軍団の頭目じゃないのか」
「だから知らないったら。
 そんな軍団、会った覚えもないよ」
「すっとぼけたことを抜かすな!
 貴様の全ての弾幕が、軍団の存在そのものなのだ。
 さあ、白状しろ。
 貴様の目的は何だ。
 正体不明の軍団を率いて、畜生界で何を成そうとしている?」
「私は人間界の人畜無害な連中を脅かすのが楽しいんだ。
 好き好んで畜生界まで行かんよ」
「まだしらばっくれるのか!」

 巨大弾を立て続けに三連発。
 円盤群が全て粉微塵となった。

「撃ち方止め!
 集え鬼形の衆愚(ホイポロイ)よ!
 あの嘘つきを取り囲み、嬲り殺しにしてしまえ!」
「合点、組長!」

 早鬼の姿が、影と同化するように真っ黒になった。
 ぬえが何かに気がつき弾幕を浴びせたが、全てが早鬼の体をすり抜けていった。

「耐久弾幕か」

 オオカミ霊達が大挙して押し寄せ、輪になってぬえを取り囲んだ。

「ウォルルルルル!」
「グルルル!」

 と、威嚇の声を上げながら輪の間隔を次第に狭めていった。
 ぬえはそれを見て肩をすくめた。

「ハンティングかい?
 これは弾幕ごっこだよ」

 ぬえは輪に向けて弾幕を放った。
 すると、

「ギャンッ!」

 オオカミ霊が悲鳴を上げて打ち倒された。
 その場に大量の弾丸を撒き散らしながら。

「なるほど、撃ち返しか。
 我慢大会だね」
「素直に白状すれば、オオカミどもに喰わせるのだけは勘弁してやるぞ」

 早鬼の声だけがぬえの耳に届いた。
 ぬえはその場で棒立ちになってオオカミ霊達を見回した。

「白状したよ。
 軍団なんて、本当に知らないったら」
「だったら貴様の弾幕と軍団の類似は何だと言うんだ!」
「偶然じゃない?
 世の中、卑怯な手段とやらで生きてる者はいっぱいいる。
 それはむしろ、普通のことだと思うんだけどね?」
「おのれ、まだ言うか」

 ぬえはオオカミの輪にできた隙間から外に出て、撃ち返し弾をすり抜けた。
 しかし周りにはさらに大きな輪ができて、ぬえの逃走を抑え込んだ。

「ならばせめて貴様の首を畜生界に持ち帰り、首実検に用いてくれよう。
 大将首を持ち帰ったとあれば、奴らも意気消沈するだろうからな」
「いやー、そこは写真とかで我慢してくんないかな?
 戦国時代じゃあるまいに」



 再び迫り来るオオカミ霊に囲まれながら、ぬえは考えた。
 面倒くさいのに絡まれてしまった。
 しかも弾幕の腕が立つのがさらにタチが悪い。
 逃げ回ってもあの鋭い脚で追ってくるだろう。
 先程食らった蹴り傷がズキリと痛んだ。
 急所は確かに外したが、あの一撃は鬼にも匹敵した。

 とは言え、早鬼もその際に相応のダメージを被ったはずだ。
 加えて耐久弾幕には時間稼ぎの意味合いもあった。
 気づいているかどうかはさて置き、追い込まれていることは間違いない。

 この弾幕をやり過ごし、まずは勝とう。
 その後こいつをどうあしらうかは、その時考えよう。

 そんな思惑を巡らせていたところ、早鬼とは別の声が耳に飛び込んできた。

「派手にやっているようだね」
「あら、神子さんじゃないですか。
 野次馬とは珍しいこともあったものです」
「何、たまたま神社に寄ったらこちらに面白そうなやつが行ったと聞いたものでね」

 ぬえにも聞き覚えのある声であった。
 あれは豊聡耳神子の声だ。
 命蓮寺と信仰獲得を競ったのも、今や昔。
 外野の仙人は呑気なものだ。

 そこで再び、早鬼の声が聞こえてきた。

「どういうことだ。
 私の耳がおかしくなったか。
 なぜ、あの方がここにいる」

 ぬえはその声に、先ほどまでと異なる空気を感じ取った。
 何かに動揺するかのような。

「お前の言うあの方ってのは、まさかあれのことかい?」

 早鬼の影に向けて輪の外を指差した。
 オオカミ霊の向こうに、笏を掲げて笑う神子が見えた。

 黒い影が、ガタガタと震え始めたように見えた。

「た、た、た、たたたたたたたた、太子様ぁ!?」

 早鬼が実体化した。
 オオカミ霊達が何事かと足を止めた。
 次の瞬間には早鬼が列を飛び越え、神子の方向へ一目散に走り寄っていた。

 ぬえは無言で、その後頭部に向けて弾丸を一発投げた。

 スコン、といい音がして、早鬼が前のめりに倒れた。

「スペルブレイクってことで」

 命蓮寺の全てが静まった。
 ぬえが、白蓮達が、オオカミ霊達が、うつ伏せの早鬼に注目した。

「どうした、君。
 自分からスペルカード宣言を破棄するとは」

 神子がしゃがみ込んで、早鬼の頭を笏で突いた。

 突然、早鬼が起き上がった。
 神子に向けて、片膝を突いた。

「お久しぶりっす太子様!
 お亡くなりになったはずでは!?」
「ん? ああ、最近復活してね。
 というか君は誰だい?」
「お忘れっすか、黒駒っす!
 太子様に才覚を見出され、あまりの嬉しさにハッスルして信濃までご案内した、あの黒駒っす!」

 一瞬、神子は天を見上げた。
 オオカミ霊達が輪を崩して、ぬえの周りに集まった。
 そこで、神子は自分の手をポンと打ち合わせた。

「あー、君はあれか。
 甲斐国からの献上品に混じっていた、あの黒駒だったのか。
 娘御の形をしていたから、気がつかなかったよ」
「その黒駒っす。
 復活って言いましたか。太子様やっぱりすげえっすパネエっす!
 飛鳥ん頃から超人じみてましたけど、今もバリバリっすねえ!
 アレっすか。今も国をシメてんすか!」
「その辺はライバルも多いので、なかなかままならなくてな」

 神子は早鬼の勢いに押され気味であったが、持ち上げられるのには満更でもない様子だった。
 すぐ隣では、白蓮が二人の様子を微笑ましげに眺めていた。

「稀有なこともあったものです。
 お二人は旧知の間柄だったのですね」
「ああ、ざっと千四百年ぶりの再会ということになるな。
 君が封印されてたのは千年だったか」
「そういうとこ妙な対抗心持ってますよね」

 ぬえはその光景を棒立ちで眺めていた。
 その脇から、オオカミ霊の話し声が聞こえた。

「組長、すげえ尻尾振ってる」
「ああ、あんなデレた組長見たことねえ」
「おい、誰かカメラ持ってねえかカメラ」

 ざわつくオオカミ霊達を他所に、ぬえは一歩、二歩と後ずさった。
 誰もぬえの動きを気にかけてないのを確かめると、踵を返した。

「まあ、積もる話もあるだろうってことで。
 邪魔者はとっとと去るとしよう」
「いや、ちょっと待ちなさい。
 あれでめでたしになるわけないでしょう?」

 ぬえの前に、二つの影が立ちはだかった。
 村紗は腰に手を当てて、ぬえに詰め寄った。

「本っ当に心当たりがないんですか?
 正体不明の軍団とやらに」
「本っ当に知らないんだって。
 能力がそれ向きだからって、全部私の仕業にしないでほしいな」

 一輪が水蜜の隣で片目を細めた。
 雲山もその隣で顔をしかめていた。

「鵺さんが裏で何かしでかしてるかと思うと、その言葉を鵜呑みにできないよ。
 私達の見てない隙に、畜生界でそんな軍団を作ってたとかではないの?」
「どこまで信用ないんだろうな、私は」

 ぬえは空を見上げて頭をかいた。
 太陽は未だ高く、いつもよりも眩しく見えた。

「私は畜生界で、そんな軍団なんか作っちゃいない。
 ただ、サトリに頼まれて畜生界の連中をスカウトしに行ったことがあるってだけだよ」

 一輪と水蜜は、いっせいに瞬きした。
 一度互いの顔を見合わせると、ぬえを見て声を揃えた。

「それ、初耳!」


 九、回想 八百年前、地霊殿


 ぬえが通されたのは紫と黒の床を持つ、目の痛くなりそうな部屋だった。
 差し出された席は膝よりも高く、足を折り曲げないと落ち着かない。

 客間には沢山の動物が居並び、ぬえの動きに目を光らせていた。
 ぬえはそれらに目線を寄越すことなく、取っ手がついた奇妙な器に注がれた血のように赤い液体、つまりはティーカップの紅茶に口をつけた。
 ぬえの見たことも聞いたこともない渡来品で、部屋は満たされていた。

「この子達は、私の合図がなければあなたを襲うことはありません。
 ご安心下さい」

 動物達の中心に、サトリ妖怪の古明地さとりがいた。
 心臓の辺りに不気味な眼球が浮かんで、ぬえの様子を凝視していた。
 あの第三の眼でぬえの心を読むので、やりにくいことこの上ない。
 またソファーにはもう一人、さとりの膝を枕の代わりにして古明地こいしが寝そべっていた。
 宝石みたいに生気のない目をして、張り付いた笑顔でぬえを見上げていた。
 彼女もさとりとは異質の、危険な空気を漂わせていた。

 心を読まれるならば、余計な言葉は必要あるまい。
 ぬえは早速本題を切り出すことにした。

「取引がしたい。
 私達には鬼どもに対抗できるだけの数が必要だ」

 さとりは、こいしの髪をそっと撫でた。

「都の鬼どもには私も嫌気が差していたところです。
 私が怨霊を抑えているから平和に喧嘩ができるというのに。
 しかし私が不穏な連中とつるんでいると知れれば、ただでは済まされないでしょう。
 その危険を進んで侵せるだけの利益を、あなたは私に与えることができますか?」
「鬼どもとの戦争に勝ったら、統治権はあんたにくれてやるよ。
 見返りも求めない。
 私達は、こんな所からとっとと出たくて仕方がないんだからね」
「つまりは私が地底を手中に収めるのを、あなた方が滅私奉公で手助けすると?」

 ぬえは一瞬、茶の水面に映った自分の顔を見た。

「まあ、そうなる」
「あなた方は心身ともに追い込まれ、退っ引きならない状況にあるはず。
 あなたのお仲間は、その条件のことをご存知なのかしら?」

 ぬえは天井を見上げた。

「条件はこの場の思いつきだが、あいつらも嫌とは言わんだろう、ですか。
 お友達を省みない無計画な行動は、慎んだ方がよろしいかと」
「では、交渉は決裂かね?」
「まあまあ、そう短絡的にならずに。
 鬼を敵に回す代償が己が身一つの傭兵というのは、いささか頼りないというだけです。
 同盟のためならなんでもしようという気概があなたにあるなら、私からの仕事を頼まれてくれませんか」
「犬の真似して靴でも舐めればよろしいか」
「もっと大変なことですよ。
 私が手塩にかけた地獄の獣達は皆精強ですが、都の鬼にはまだ数で負けています。
 文字通りの犬死ににさせたくもありませんしね。
 あなたには地獄の隣、畜生界に向かっていただき、動物霊達を集めてきて欲しいのです」
「畜生界だって。
 弱肉強食の坩堝みたいな場所じゃないか」
「そう。鬼達よりもずっと昔から、適者生存の世界で戦い続けている猛者達が集う場所です。
 最初から強い鬼を出し抜く知恵を持つ者もいるでしょう。
 もしその者達を味方につけられれば、心強い増援になると同時に私も癒されます」
「目的はどちらかと言えばそっちの方か」
「平安の大妖怪にとっても、いささか荷が重い仕事かしら?」

 ぬえは温くなった紅茶を、喉に流し込んだ。
 あからさまな挑発だが、乗らずにはいられない。

「朝飯前の仕事さ。
 千匹でも万匹でも連れてきてやるから、大船で乗ったつもりでいてくれ。
 ただし、私の眼鏡は少々正体不明な方向に偏るぞ。
 役に立つかどうかは、私基準になる」
「それでも構いません。
 むしろ鬼を相手にするくらいなら、少し不可解なくらいが丁度いい」

 さとりは薄く笑うと、こいしの頭を膝に乗せたまま右手を差し出した。
 ぬえはその手をしばらく見ると、自分の手を少し服で擦ってから、握り返した。

「正体不明のあなたが選り抜いた精兵がいかなるものになるか、今から楽しみにしています」


 十、眠れる軍団長


「というわけで私は畜生界に渡り、私基準で役に立ちそうな動物財を見繕っては口八丁手八丁、弾幕も使って動物霊を地獄に招いたんだ。
 当然、有象無象もいるから戦い方を仕込んだ上でね。
 その日を生きるのも必死な連中ばかりだったから、皆いい生徒だったしいい師匠でもあったよ」

 そこまで言ったところで、ぬえはろくろを回すような手を止めた。
 一輪も水蜜もぬえに向け、目を細め歯をむき出していた。

「言ったことなかったっけ?」
「言ってねえよ!」

 二人の声が寸分違わず重なった。
 一輪は目を伏せて、額に人差し指を当てた。

「そう言えば鵺さん、度々いなくなることがあったわね。
 サトリからの頼まれごとだ。
 お前達に悪いようにはならない。
 なんて言って出て行くから、地霊殿でアルバイトでもしてたのかと」

 水蜜は柄杓をマイクのように持ち、ぬえに突きつけた。

「で、その動物霊達はどこに行ったんですかぬえさん」
「ほとんどの連中はサトリが匿ってたよ。
 元から動物の集まる屋敷だったから、その中に霊が混じったところで違和感がなくってね。
 居心地がいいからってんでそのまま地霊殿に居ついた奴もいる。
 でも大半は鬼との戦争にかたがついたら、畜生界に戻っていったんじゃないかな?」
「つまり鵺さんが教育した動物霊達が、畜生界に戻った、と」
「そいつらがどうなったのか、ぬえさんはご存知なんですか」
「さあ? 今もわりと逞しく生きてるのかもしれないよ?
 何しろ、私の教え子だからねえ」

 そこでぬえは一つ、大きなあくびをした。
 重みのあるまぶたをどうにか持ち上げた。

「悪いけど、いろいろ限界だわ。
 少し横にならせてよ」
 一輪と水蜜は、ぬえを揃って見送った。
 宿坊を目指す彼女の背中は、時々左右にふらついた。
 残った二人は、お互いを見た。

「ねえ、船長。
 やっぱり軍団長って」
「止めときましょう」
「えっ」

 二人は再び、宿坊の方を見た。
 ぬえの姿が、玄関に消える様子が見えた。

「仮にぬえさんの教育した動物霊達が、ぬえさんを師と仰ぎ軍団長に祭り上げていたとして。
 多分何の意味もありません。
 私達にとっても、ぬえさんにとっても。
 ぬえさんは寺の居候で、一番の問題児。
 地獄を平定した大英雄にも動物霊を束ねる大悪党にもなれない、ただの向こう見ずな妖怪ですよ。
 少なくとも本人は、そうなることを望んでないみたいですから」

 一輪は一息ついて、背後に目をやった。
 早鬼と神子が、肩を組んでいる様子が見えた。

(正体不明の軍団長は彼女なのか? 完)
強欲同盟盟主 饕餮地羊(とうてつ ちよ)Toutetsu Chiyo 種族:饕餮(とうてつ) 能力:あらゆる食物を平らげ、あらゆる宝物を手に入れる程度の能力 巨体や飛行能力で畜生界を蹂躙する強欲同盟の盟主。彼女自身もまた強欲の名に違わぬ底無しの食欲と財欲に満たされており、一日のほぼ全ての時間を食事と財宝探しに費やしている。偶像の侵略に対して彼女が表に出てこなかったのは食事が忙しかったからではあるが、その実吉弔の策が失敗した際に乗じて勢力を拡大したいという意図もあった。残念ながらその試みは上手くいかなかったようだが、袿姫が倒された現在も諦めずに畜生界の覇権を握る機会、そして無敵の偶像すらも自らの意のままに操る機会を狙っている。強欲な反面、受けた恩は必ず返す義理堅い面もある。功績のあった部下には必ず手厚い恩賞を与えて報いるため、彼女同様強欲な者達には人気がある。

という妄想。

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コメント



0.150簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
挿絵すごっ!
鬼形獣組はほんとまた色々な切り口できそうです。
2.100サク_ウマ削除
はえーよホセ。
相変わらずたくさんのキャラをわちゃわちゃ動かすのが上手いなと感じます。
確かにぬえに教育されて鬼どもと殴り合っていた小物動物霊どもであれば、正体秘匿もお手の物でしょうね。
面白かったです。お見事でした。
3.90奇声を発する程度の能力削除
とても面白く良かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
みーこっさき! みーこっさき!