Coolier - 新生・東方創想話

射命丸文の真相

2019/09/08 16:28:38
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 瀑布が飛沫を上げて、猛暑の熱気を幾分か和らげ、虹を作っている。枝垂柳が将棋盤に影を落とす。うだるような夏の暑さなのにここだけは違う。駒が盤上を打つ爽やかな音が響いていた。柳を揺らし、吹き抜ける風もひんやりと涼しい。
 妖怪の山への闖入者が現れる訳でも無く、随分と暇を持て余し気味な犬走椛は、古くからの友人の河童の河城にとりと将棋盤を囲んでいた。
「王手飛車取り」
「そう来るか! でも私は追いつめられてからが強いんだよ、椛」
「にとりは口先ばかりだからなぁ。待ったは聞かないよ? 賭けの百銭は貰いだな」
「ぐぬぬ……」
 追い詰められたにとりは長考する。顔を紅潮させて真剣な様子だ。椛は勝ち誇ったように懐手をして、芭蕉扇を扇いだ。
 その時だった、椛の白狼天狗としての特徴的な耳がぴくぴくと動く。椛は忌々しげに空を仰いだ。
「……またですか。下らない軽口を聞かされるこっちの身にもなってほしいものです」
「どうしたのさ椛? そんな嫌そうな顔をして」
「将棋盤を押さえてください、にとり。今から彼女が来ます」
 えっ? と、にとりが聞き返す前に猛烈な突風が巻き起こった。強烈な風は、将棋盤ごと、にとりを吹き飛ばし、崖下の谷川に突き落とした。暴風を巻き起こした当の主は、驚いた様に目を丸くして、狼狽した声を上げた。
「あややや、大丈夫ですかにとりさん!?」
 射命丸文は、恐る恐る崖下を覗き込む。河童の少女は、水面から顔を出して怒鳴っている。
「なにすんのさ! 河童じゃなきゃ溺れ死ぬ所だよ!」
「あやや、すみません。椛に火急の用事があったもので、この埋め合わせはいつかします」
 文はへらへらと笑いながら、椛に身体を向ける。椛は仏頂面で受け止めた。
「で、何のようですか文様?」
「何か怒ってますか、椛? 私と椛の仲ではありませんか、文様などと堅苦しい呼び方は止めてください」
「そうですか。それでは本題を急いでもらえませんか文様」
「椛はせっかちでいけませんねぇ……」
 文は少し拗ねたように唇を尖らせる。その人を小馬鹿にした態度が、ますます椛の神経に触るのだが、知らないのは射命丸本人だけである。
「実は……、大スクープをリークしました!」
「ほう、それで?」
「妖怪の山の食堂で新メニューが発表されるのです! 清く正しい射命丸の取材網に不可能は無く、その品目とメニューの考案者にインタビューを敢行する事が出来ました! 新メニューは肉じゃがという料理です! なんとメニューを編み出したのは香霖堂の霖之助さんで、無縁塚で拾った現世のレシピから発見して――――」
 嬉しそうに語り続ける文をよそに、椛は無意識の耳を塞いだ。とっくに慣れたものだが、こうなると文は一時間は喋り続ける。文が出版している文々。新聞では、どうでもいい瑣末なことやデマを、構わず第一面でスクープとして掲載するのだ。文は発見したそのどうでもいいことを椛に自慢しに来る。そもそも、哨戒役である白狼天狗の椛と、天狗の中でも立場が高い烏天狗の文とでは立場が違いすぎるのだが、何の因果か、文に気に入られてしまった椛は、三日に一度ほど無駄口を聞かされる羽目になっている。
「――――ということです。どうですか、椛! 素晴らしいでしょう!」
 どうやら文の話が終わったようだ。椛は欠伸を一つして、涙を指で掬った。
「そうですね文様。いつでも文様の慧眼には驚かされます」
「そうでしょう、そうでしょう! 烏天狗達の中でも、こんな斬新な視点を持つことが出来るのは私だけです! それなのに大天狗様といったら――……」
 また文の無駄口が始まりそうだ。椛はたまらず手で遮った。
「ちょっと良いですか? 文様が多才で博識でもあり、かつ容姿も素晴らしい事はとっくに存じております」
「そんなに褒めないでください。照れてしまいます」
 文は恥ずかしそうに顔の前でぶんぶんと両手を振る。千年以上は生きている天狗のくせに、皮肉が通じない事に椛は心配になるが、ここは婉曲に言っておかないといけない。
「文様は烏天狗です。そう軽々と下々の私の元に来てはなりません。大体ですね、河童の夫婦喧嘩だとか、人里の酒屋で巫女が暴れただとか、食堂の新メニューだとか、そのような瑣末な事が、私に毎回連絡をしに来る様な事だと思ってるのですか?」
 文は頬をぷーっと膨らませて、不満そうな顔をする。椛はぶん殴ってやりたいという衝動に駆られるが、ここはぐっと堪える。
「だってぇー、良いじゃないですか私と椛の仲ですよ? 烏天狗は商売相手しかいなくて、手の内を明かせる相手なんて居ないんですよね。私は秀逸な記事を書くために、客観的な意見を聞きたいのです。他の白狼天狗はお世辞ばっか言うので、ちゃんと意見してくれるのは椛ぐらいしか居ないのです」
 椛もたまには意見ぐらいはするのだが、それを全て、右から左へ自分の良いように解釈する。他の仲間達も面倒くさくて意見を避けているだけだろう。客観的な視点なぞ永久に得られないだろうなと思いつつも、きちんと言っておくことにした。
「とにかく! あまりここに来てはいけません! 自分の立場をよくお考えください。私も白狼天狗の間で上官に媚びへつらっていると見られて、居心地の良い訳ではないのです!」
「……分かりました」
 しょぼくれた文は、あからさまに肩を落とし、とぼとぼと歩いて行く。飛び立つために崖の淵まで行くと、ハイライトが消えた死んだ目で振り返った。
「…………それでは椛、今生の別れです。私がそこまで貴女を苦しめているとは思いませんでした。……せめて記憶の隅にでも、射命丸文という友がいた事を留めておいてください。私は筆を折る事で貴方を苦しめた罪に報いましょう。卑小な私なぞが新聞記者などという挑戦をすることが無謀だったのです。墓にはこう刻んでください『烏天狗の愚かなる恥さらし、ここに眠る』と……」
 文の今にも自殺しそうな雰囲気に、椛は耐えられなくて、思わず口にしてしまった。
「ま、待ってください文様! 何も金輪際絶交だとかそんな事を言ってる訳ではありません! 文様の新聞記者としての態度は素晴らしいです! 客観的な新聞作りの為にそこまで考えておられるとは思っておりませんでした!」
「……本当ですか? 私、新聞記者続けても良いのですか?」
「もちろんですとも! 文様は素晴らしいです! 烏天狗の中でも随一です! 文々。新聞が無くては世の人々が嘆き悲しみます!」
 しおれていた文が枯れ草に水をやったように立ち直る。その顔は咲き誇るひまわりの様な満開の笑顔になった。
「そうですよね! 私も心の片隅ではそう思ってました。私を待っている読者のためにも書き続けなければなりません! やはり椛と話していると活力が湧いてきますね! 皆が待つ明日の朝刊のために、私は行かなくてはなりません。では椛、また来ます!」
 文は飛び上がると、轟音を立てて大風を起こしながら飛び去った。残された椛は、なんであんな心にもない賛辞を言ったのだろうと一人頭を抱えた。
 滝壺から登ってきたにとりは、苦々しげな顔で苦悩してうずくまっている椛をみて、迷った様子ながらも声を掛けた。
「……椛、苦労しているみたいだね」
「にとり、私、天狗辞めようかな……。なんで心ない上官にこんなに何度も心を折られながら勤め続けているのか分かんない……」
 にとりは優しく椛の肩を抱いた。
「河童の里は君を受け入れるよ……」
 椛の苦悩をよそに瀑布は滔々と流れ、日は中天から傾くのであった。妖怪の山の日常はこうして過ぎてゆく。



 妖怪の山、天狗たちの居住区の一角に文々。新聞社と看板が掲げられた一軒家がある。新聞社などと大層な看板をぶら下げているが、そこは射命丸文の単なる住居兼作業場である。
 部屋の様子は一言で言って乱雑。文が脱ぎ捨てた衣服や、一人で晩酌した後の酒瓶や缶詰の空き缶、思いつきを書き散らしたメモの断片、読みさしの本が所構わず散乱している。ゴミが層になって積み重なり、悪臭を放っているのだが、この家の主は無関心であるようだ。
 無意識ながら犬走椛の心をさんざんへし折って、ご機嫌な様子の文はなにやら作業を始めた様である。
 口笛を吹きながら文は、エプロンを身につける。木箱を引き寄せると、中にあった文字が逆に刻された版木を、木枠に嵌めていく。
 文には印刷する方法にもこだわりがあり、昔ながらの木版印刷を使用している。烏天狗の一部はガリ版刷りなどを採用しているが、文にとっては文字がかすれて読めたものではないという思いがある。その点、木版印刷ならば、鮮明な文字を印刷することが出来るのだ。組み終わった版は、写真とともに天狗の共同印刷所に持ち込んで数千部を印刷することができる。
 インクで手を汚しながらも、満足の行く仕事ができた文は、一人でほっこりと笑う。
「こんな素晴らしい記事が書けるというのは、やはり私は数千年に一度の天才ですね。さて、今日の早刷りまでに印刷所に持ち込まねば」
 文が立ち上がり、玄関まで足早に行こうとした時、版木が入った箱を蹴飛ばした。
「あやや! 版木が!」
 文は慌てて拾い集めた。梓の木で出来たそれは一文字一文字職人が手作りした高級品である。細かい一文字分の版木も高価なのである。普段、生活費をケチって貧乏生活の文ではあるが、新聞に使う、ライカのカメラと版木には全財産を注ぎ込んでいる。無くしてしまってはかなわない。
 本棚の隙間に一個転がり込んだのを見つけた文は、手を伸ばしてそれを掴んだ。手を引き抜くと一枚の紙片も一緒に掴んでいたようだ。
「これで全部ですね。なんでしょう? いつのでしょうね、このメモは?」
 ふと手にしたメモが気になった文は、それに目を通す。安心して緩みきっていた顔に緊張が走る。
「これは……ひょっとして!」
 文は急いで本棚から、妖怪の山の損益計算書の資料を取り出す。メモと合わせて、併読していき一つの結論に辿り着いた。
「信じられない……妖怪の山でこんな陰謀が行われているとは……これは大スクープです!」
 文は組み上がっていた最新号の木版も忘れて、カメラを掴むと玄関に駆けて行き、もどかしく一本歯の下駄に足を突っ込み、外へ飛び出した。
 目的地は天狗を総括する大天狗の元へ。誰にも縛られず、何者も恐れない射命丸文の一世一代の取材が始まろうとしていた。

 慌てて大天狗の屯所へ駆けてゆく文だったが、それを邪魔するものがいた。天狗の共同印刷所の前を駆け抜けようとした時、文を呼び止める声がした。
「文ぁ、ちょっと待ちなさいよ! みんな並んでいるんだから割り込みは許さないわよ!」
「なんですか? 私は急いでいるのです。止めないでください!」
「なによ! どうせ大したことない三文記事を書き散らしているだけの新聞でしょ! 急いだ所で誰も読んでくれないわよ!」
 目的地へ急ぎ、意識もそこに向かっていた文だが、新聞をバカにされた怒りで立ち止まった。文はその声の主を睨めつけた。
「聞き捨てなりませんね、はたて。訂正してください。文々。新聞は、民衆に真実を伝える社会の木鐸なのです」
 声の主の姫海棠はたては、携帯電話を片手に気怠げにツインテールを弄んでいる。枝毛を一つ抜き取ると、吐息で吹き飛ばした。睨みつける文を忌々しげに睨み返し、火花を散らす。
「何が社会の木鐸よ。書いてることはゴシップやデマばかりじゃない! あんな記事は赤子が小指一本で書けるわよ! 誇大妄想も大概にしなさい!」
「貴女の花果子念報なんて、妄想ポエムが延々と書き殴られた、それこそチラシの裏にでも書いとけという内容ではありませんか。購買数ほぼ0という弱小新聞の負け犬の遠吠えなんて聞きたくありませんねぇ」
「なんて言った文! 購買数は関係ないわよ! 花果子念報は数少ない読者の心に響く文章を志して推敲に推敲を重ねているのよ。読者満足度は各社新聞の中でも一番よ!」
「その結果が購買数ほぼ0ですか? 文章は読まれないと意味がありません。それがどんなに手間をかけた文章だとしても、読者がいないと只の妄想です。分かりますか、はたて。貴女は紙くずを撒き散らしているだけの妄想疾患患者です。文々。新聞を毎日写筆して、読まれる文章を学びなさい」
 ぐうの音も出ないぐらいに言い負かされたはたては、握りつぶさんばかりに携帯を握りしめ、唇を噛んだ。その目には涙が滲んでる。
 文は満足気な表情で鼻高々である。しばらくはたてをなぶって楽しもうとしていたようだが、肝心の取材の事を思い出してはっとした。
「こんな所で貴女と遊んでる暇はありませんでした! 私には大スクープの取材があるのです! さらばです、はたて。精々、購読者0の新聞で妄想ポエムを書き連ねてください」
 文は、はたてへの罵倒だけ残してその場を走り去ろうとした。ところが、はたては土煙を上げて文を追走しはじめた。
「あやや、何で付いてくるのですか、はたて! 貴女に付き合ってる時間はないのです!」
 はたては執念を滾らせた、底火の燻っている目で睨みつける。地獄の底から響いてくる様な声でブツブツと呟く。
「……許さない、絶対に許さない! どこまでも監視してやる……念写であんたの無様な姿を撮影して、妖怪の山中に号外で撒き散らしてやる! あんたの行く先々全部に付き纏って不幸になるまで尾行してやる……!」
 はたては完全に陰湿なストーカーの執念に火がついている。
 文はかつてこの目を見たことがある。はたてが完全に自室に引きこもっていた頃、『現代の闇! 天狗にまで広がる引きこもりの恐怖!』というタイトルで記事を書くためにはたてを取材した。なかなかに刺激的で、好評な記事を書くことが出来た。その記事の出来栄えは天狗の頂点、天魔様の耳に届いたぐらいだ。幽鬼の如く、髪を伸ばし放題で顔を覆う前髪から片目だけ覗かせるはたての写真は、見た子供が泣き叫ぶぐらいの迫力だった。
 なぜか、それを逆恨みしたはたては、執拗に念写で文を狙うようになった。それから一年後、文は一睡もできなくなり、どこからかはたてが見つめている恐怖で発狂寸前まで追い込まれた。これは屈辱なのだが、文々。新聞で、初の謝罪記事を掲載する羽目になってしまったのはこの一件だ。
「あやや、何を怒ってるのですか、はたて?」
「今更、謝っても絶対許さないわよ! あんたのせいで私の人生メチャクチャよ!」
「誤解です! 第一、今のはたては家からも出ることができたし、随分とお洒落になったではないですか」
「あんたのあの記事のせいで、私は血反吐吐く思いしながら、社会復帰して美容も研究したのよ! どれだけ周りからバカにされていたか分かる!? 天魔様にまで知られたせいで、もうちょっとで妖怪の山を追放されかかったのよ!」
 はたての執念に燃える目が炯々と暗い輝きを増す。文はその執念に降参するしかなかった。
「仕方ないですねぇ。付いてきても良いですが邪魔しては駄目ですよ」
「あんたが許可しなくても勝手に付いていくわよ! 言っとくけど、大スクープとやらも私の花果子念報に載せるわよ? あんたには死ぬまで付き纏ってやるんだから」
「あやー……」
 走りながら文はため息をつくしか無かった。飛んで幻想郷一のスピードで巻くことはできるが、そうするとはたては念写でどこまでもしつこく付き纏ってくる。念写に関しては実質防ぐ方法はない。今は、はたての好きにやらせるしか無いのだ。
(仕方ないですねぇ、適当に情報を流して、肝心な所ですっぱ抜く他無いようです)
 文が思案をしている間に、二人は街道を走り抜けた。天狗の里の外れにある大天狗の屋敷まではもうすぐだ。

 文とはたては、生け垣に囲まれた大きな門構えの屋敷の前に辿り着いた。大天狗の屋敷だ。はたては訝しそうに文に話しかける。
「で? 何の用で大天狗様の所に来たのよ? 私は肝心な所は何も聞いてないじゃない」
 文は腕組みをして考えた。何を話して、何を話さないか熟考しないと折角のスクープが台無しになる。
「……実はですね、妖怪の山の収支報告書に不審な点を見つけたのです。匿名の寄進者が居るのです。それが恐らく守矢神社が一枚噛んでいる」
 はたての目が鋭くなった。
「何よ! そんなの普通じゃないの。それのどこが大スクープなのよ!」
「どうも規模が普通じゃないのです。守矢神社への人里からの寄進も含めて、ただの喜捨じゃありえない量なのです。守矢神社が裏で何かを企んでいると思われます。そこで、大天狗様に報告して、守矢の不正を正そうということです」
 文は厳しい顔をする。
「守矢の主神の八坂神奈子は強大な力を持つとは言え、ただの新参者ですからね。妖怪の山を昔から支配している者として牽制はしておかなくてはいけないでしょう」
 はたては面倒臭そうに髪をもてあそんだ。
「要するにあんたの点数稼ぎじゃないの。おべっか使って大天狗様に胡麻擦ってるだけじゃない。あーあ、つまんないわね。そんなのいずれ、大天狗様の鞍馬諧報で報告書が載るわよ」
 天狗たちの間では、鞍馬諧報は経済紙的な位置付けである。天狗の新聞らしい面白みは無いが、圧倒的な情報量で時事事情を統計的に分析する新聞は、妖怪の山では一番の購読数を誇る。文の、文々。新聞はゴシップ誌としての扱いである。人里や紅魔館など大口の読者層が居るものの、妖怪の山での扱いは低い。はたての花果子念報に至っては購読者自体が殆どいない。コアなファンが居るが、影響力はゼロに近い。
「まぁ、兎も角、大天狗様に報告だけはしておこうという事です。私だけでは手に余りますからね」
「さっさと済ませなさいよ。やる気が削がれたわ。あんたの言う特ダネだなんてそんなものよね」
 文は内心、ほくそ笑んだ。実際ははたてに話した内容だけではない。これを知っているということは、妖怪の山の弱みを握ったようなものである。この事実を白日の元に晒せば、文々。新聞の購読者数もうなぎ登りである。立場も上がって役職が付くかもしれない。
「ほら、使いっ走りの白狼天狗が来たわよ。さっさとアポとりなさい」
 大天狗配下の白狼天狗がやって来る。文は大天狗との面会の予約を取るために、歩み寄った。

 屋敷の中に通された文とはたては、応接間の前の廊下で立ち尽くしていた。文は腕組みをして虚空を見つめ、はたては忙しく携帯を弄っていた。
「はたて、何をしているのですか?」
「明日の朝刊の下書きよ。誰かさんみたいにボツネタに付き合ってる暇はないの」
 文は、無為な時間に耐えかね話を振ったのだが、はたてはすでにこの件に興味を失ったらしい。文は安堵のため息を一つ吐いた。
 やがてしばらく時間が経つと、襖の内側から大天狗の声が掛かった。
「射命丸、姫海棠、入れ」
「や、今日は早かったですね」
 文は軽口を一つ叩くと、襖を開け放った。
 書籍が山積みされた文机の向こうに、頭襟を頭に乗せた、伝承どおりの初老の天狗の姿があった。手元から視線を動かさず、何やら書き物を続けている。
 大天狗は威厳のあるバリトンで指示を出す。
「二人共座れ、用事はなんだ?」
 仏頂面のはたてと対極的に、営業スマイルに切り替えた文は滑らかに胡麻すりに入る。
「いやいやいや、大天狗様におきましては今日もお忙しい様で。この様な凡愚の為にわざわざお時間をお取りして貰いありがとうございます。お恥ずかしながらこの射命丸文、大天狗様の寛大な心遣いに感動している所でございます。つきましては感謝の謝辞を幾つか述べまして……――」
「世辞は良いから早く要件に入れ」
 大天狗は剣呑な視線を文に送る。その表情には苛立ちが際立っているが、文は構わず空咳をして本題に入る。
「それでは大天狗様。大事件でございます! 私が内密に調査をしていた所、守矢一派の不埒な所業を発見致しました。これは妖怪の山を支配する我々、天狗に弓する反逆行為でございます。つきましては、詳細を調査した上で、私の拙なる新聞で暴き、筆誅を加える許可を! 詳細はこちらに記しております」
 大天狗は文が差し出した書類を受け取って、目を通す。ただでさえ赤い顔が怒りの表情で更に紅潮していく。感情を押し殺した声を絞り出した。
「…………要件というのはこれか? 射命丸」
「はっ! 許可さえ頂ければ、明日の朝刊で守矢の不正を暴く準備は整っております! なんならば、号外ですぐさまにでも!」
「痴れ者!!! 貴様は己の立場を何と心得ている!!」
 大天狗の怒声が部屋を震わせる。調子よくぺらぺらと喋っていた文の表情が凍りつく。怒りの余波を受けた、はたてまで顔がこわばった。
「貴様は、上下の立場を軽視して、わしの面子を潰し、あまつさえ守矢神社にまで迷惑を掛けるつもりか!! もう良い! 貴様に期待したわしが馬鹿だった。とっとと往ね!」
 怯えのあまり泣き笑いの表情になった文は、震え声でなんとか声を絞り出した。
「そこをなんとか許可してもらえませんかね? あと一つ二つ事実確認ができたら発行できるまで整っているんですが……」
「ならぬと言っている!! 貴様の新聞は暫くの間、発禁処分だ! 印刷所にも話は通しておく! なぜこの様な事になったのか、貴様はよく考えておけ!!」
 文の芯の部分が折れた。何も反論できずに脱力するほか無かった。はたては無表情で手を上げた。
「大天狗様、一つ良いですか?」
「なんだ姫海棠? 貴様もこの者の肩を持つのか?」
「いえ、こいつが発禁処分喰らおうが、野垂れ死のうが構わないのですが、件の守矢神社の事というのはそこまで重大な事なのですか?」
 大天狗は顎に手をやり、ため息を付いて首を振った。
「迂闊なことに首を突っ込もうとするな姫海棠。組織にとって末端は知らなくても良い事もあるのだ。言っておくが、射命丸の手助けをしたらお前にも累が及ぶからな?」
 はたては首をふるふると振った。
「とんでもございません、大天狗様。こいつは私にとってただの敵です。分かりました、そのこときちんと胸に収めておきます」
「では、射命丸を連れて早く帰れ。わしにはそれほど暇があるわけではないからな」
 はたてが腰の抜けて抜け殻の様になった文を引きずりながら、大天狗の部屋を出ていったのはそれからしばらく経っての事だった。



 犬走椛は散々だった一日を癒やすために、里に下りて仲間たちと酒席を開く予定をしていた。だが、その予定は月に叢雲、華に風とあっという間に打ち砕かれた。
 打ちひしがれた文と、呆れ果てたはたてが、犬走椛の哨戒地域の滝に現れたのは日が暮れようとしている勤務時間終了間際であった。
 椛はあからさまに嫌な顔をした。そんな様子にも構わずに文は椛にすがりついた。
「椛ぃー! 聞いてください! 大天狗様が酷いのです。私が懇切丁寧にお願いしているというのに、無下に私の新聞が出版停止に追い込まれたのです! これは何かの陰謀です! 椛からもなんとか言ってください!」
 文は椛の腰辺りにベッタリとへばりつく。椛は押しのけようとするが、しっかりと掴まっている文はびくともしない。
「暑苦しい! 離れてください、文様! なんでそんな烏天狗の上層部の揉め事を配下の私の元に持ち込むのですか!? 私なんかに発言権があるわけないじゃないですか!」
 文は上目遣いで、椛の目を覗き込む。その瞳はキラキラと輝いている。
「椛は私の親友ではないですか。真の親友は、こんな時は優しい言葉を掛けて慰めてくれるものです。私にとって癒やしは椛しかいないのです!」
「断固拒否します! 文様は私にとってただの上官です! はたて様も何で傍観してるんですか!? この人を引き剥がす手伝いをしては頂けませんか!?」
 はたては今更気づいた様に、携帯から顔を上げた。面倒臭そうな表情で気怠い声を出す。
「まぁ良いんじゃない? 私には関係ないし。ボロ雑巾が口を利いたと思ったら、ここに至急の用があると言い始めたのよ。そのうち山も追放されるだろう馬鹿の言う事だけど、一応、顔見知りの縁だから連れてきたのは単なる情けよ」
「なんで面倒事を増やすんですか、はたて様! 文様もなんで尻尾をもふもふし始めてるんですか! いい加減離れてください!!」
 椛のふさふさの尻尾に頬ずりしていた文は、恍惚の表情である。
「いやー、椛の尻尾は癒やされますねー。私にとって砂漠のオアシスです」
 よだれを垂らさんばかりの文の顔に椛は蹴りを加えようかと考えたが、上司であるという事実で思いとどまった。
 はたてはその様子を観察していて、いい加減うんざりした様子で切り出した。
「文ぁ、困ってるんだから離してやりなさいよ! 椛になんか用事があったんじゃないの?」
 文は、はっと気が付き、口元を拭いながら立ち上がり、姿勢を正した。
「大切なことを忘れる所でした。椛、しばらくの間、私の取材に協力しなさい。妖怪の山に不正の事実があります。私は誇り高き烏天狗として不正は正さないといけません」
 椛は顔に出して嫌な表情になった。どう考えても越権行為だ。椛の仕事は哨戒天狗のはずだ。
「あのですね文様? 一応、私にも仕事があるのですよ。私の立場も考えてほしいのですが……?」
 文は高飛車な表情で居丈高に言った。
「は? 何を言っているのですか木っ端の白狼天狗が。これは上官命令です。ごちゃごちゃ言わず付いてきなさい」
「……命令ですか? それならば大天狗様に聞いて……」
 文はいやみったらしくため息を付く。
「やれやれ、貴女は上官に逆らうんですか? どうやら立場の違いを教育されて来なかった様ですね。これだから卑しい白狼天狗は困るのです。優しい私だから許してやるようなものですよ。貴女には上官の命令を素直に聞くと言う所から教えないといけないようですね。何故俯いているのですか、命令を受ける時はちゃんと目を見なさい、椛!」
 椛はみぞおちあたりに嫌な重さを感じた。そのうち胃に穴が開くかもしれない。一度、全力で文の顔面をぶん殴ってやればスッキリするだろうが、今のところ妖怪の山全体を敵に回す勇気は無い。だが、何時かは報復してやるという願望は、にとりにはいつも話している。
 文は晴れ晴れとした表情で明るい声を出す。
「いやー、椛が望んで協力してくれるということで百人力です。やはり親友というのは良い物ですね! 作戦会議は家でしましょう」
 椛はしくしくと痛むみぞおちを抱えながら渋面を崩さず、文に付いていく事しか出来なかった。



 三人が玄武の沢を離れて、文々。新聞社に降り立った時、家の前に一人の人物が立っていた。時刻はすでに逢魔が時となっている。
 文は家の前に立っている人物に気がついて、すかさず話しかけた。
「あやや、新規購読者の方ですか? 残念ながら今日の営業時間は終了ですので、改めて明日にでも」
「貴女が射命丸文さんですか?」
 その人物は振り返る。巫女服に特徴的な緑髪と髪飾り。文はすぐにその人物が誰なのか思い至る。
「……守矢神社の東風谷早苗さんですね? 神社に新聞のご用命ですか?」
 早苗はくすくすと笑いながら、文に大幣を突きつけた。文の営業スマイルが崩された。
「何のつもりですか? いきなり不躾な態度ですねぇ」
 早苗は真顔になって、トーンを押し殺して嵌りきった口調で話し始める。その目はあくまでも座っている。
「八坂様から神託がありました。妖怪の山に不心得者がいるそうです。我々の信仰を邪魔しようとするものには、神罰を与えなければなりません。よく普段の行いを考えてくださいね? これから貴女にはその報いが訪れます」
「なっ……」
 文は絶句した。
 早苗は絶句している文を無視して、その側をすり抜けた。文の耳元で囁く。
「よく考えておいてください。守矢の力は絶対です。貴女には神罰が下ります。罪を改めて、守矢への信仰を深めれば奇跡の力で助かるでしょう」
 文の硬直が取れるとともに、慌てて振り返って言い返した。
「変なことを言いますねぇ。山の巫女さん。私は別に守矢神社に何かしようとはしていませんよ?」
 早苗は振り返ろうともせず、独りごちる。
「私は巫女です。神託を伝えるだけです。そして神託はただの真実です。貴女が神託を疑うというならば、不信心者ということでここで滅しておかねばなりません。貴女は私の敵ですか?」
「いえ……、だから決してそのようなことは……」
 早苗はふわりと飛びあがる。呆気に取られている三人をよそに、ぐんぐんとスピードを上げ、飛び去った。
 いち早く気がついた椛は、未だ彼方を見つめたままの文に話しかけた。
「どういうことですか、文様? 守矢神社と何か対立するような事をしたのですか?」
 早苗の飛び去った後を見つめている文は苦々しく答える。
「意外と気付かれるのが早かったですねぇ。これは大天狗様と守矢神社は繋がっていると考えたほうが良いようです」
 はたては、まなじりを釣り上げて文の方を睨みつけた。
「文ぁ、あんたまだあの記事出すつもりだったの!? これ以上は大天狗様を怒らせるだけじゃ済まないわよ!?」
「そんなはたてこそ、ここまで付いて来てなんのつもりですか? もう貴女の興味を持つようなものは無いはずですが?」
 文の忌々しげな視線を受けて、はたては堂々と胸を張る。
「大天狗様が隠すほどの秘密なら花果子念報ですっぱ抜けば大スクープになるはずでしょ? それはともかく、あんたが破滅するまで見届けるのが私の役目なのよ」
「はぁ……、心配してくれているのかと思っていた私が馬鹿でした。それならば邪魔だけはしないでください」
 文は疲れ切った様に肩を落とす。ポケットから鍵を取り出すと、文々。新聞社のドアに突っ込んだ。

 はたては室内に入るなり怒声を上げた。
「なにこれ! 汚な! 文ぁ、あんたどれだけ掃除してないのよ!」
 はたてはつま先立ちで床に落ちている衣類やゴミを踏まない様に歩く。
 椛は入口付近で鼻を押さえて泣きそうになっていた。
「文様、白狼天狗には臭いがキツいです……」
 文はそれにもかかわらず笑顔で着席を勧める。
「あやや、お二人とも貧弱ですねぇ。ひとまず、座る所のゴミを掻き分けて適当に寛いでいてください。私はお茶でも淹れてきます」
 文は笑顔で台所に向かう。はたてと椛の二人は苦い顔で目配せをした。
「椛、あんたちょっと週に一回ぐらい掃除に来なさいよ。親友なんでしょ?」
「なんでですか! 文様はただの上官です! 絶対お断りです! ……それとも命令なんですか?」
「あんなのと一緒にしないでよ。私は白狼天狗にもそれなりの敬意をもって付き合ってるから無茶振りはしないわよ」
「……はたて様……」
 椛が久々の人情に触れたらしくほろりとした所に、文が無神経な大声で割り込んでくる。
「お茶が入りましたー! お茶請けは晩酌の缶詰しかなかったですけど、別にいいですよね?」
 はたては呆れ果てた表情で眺め、椛は冷たい視線を送った。文はそれにもかかわらず、二人の間に割り込んでくる。
「二人共変な顔してますねぇ。私の顔に何か付いてますか?」
「文、あんた最低ね」
「ええ、もとより文様は最悪です」
「あや!? なんですか二人共? 結託して私を追い込むつもりですか? せっかくこうして心を尽くしたおもてなしをしてるというのに、酷いです!」
 文が泣き出さんばかりの表情をして座り込むが、二人の視線は冷めたままである。
 しくしくと泣く振りをしている文を無視して、椛は話を切り出す。
「それで文様。協力をするということですが、どのようなことをすればいいのですか?」
「……そんな酷い事言う椛には答えたくありません!」
 拗ねた文は頬を膨らませてツンとそっぽを向く。
 業を煮やしたはたては、ちゃぶ台に拳骨を落とした。ちゃぶ台の上に乗っていたガラクタが賑やかな音を立てて畳に転がる。
「あのねぇ文! いい加減怒るわよ!! あんたに振り回されている私と椛の事も考えなさい! 今すぐここであんたを見捨てても良いのよ!?」
 はたての剣幕に怯えた文は、ビクリと身体を震わせる。本気で涙目になった文は、しゃくりながら声を絞り出した。
「そんなに責めないでくださいよぅ。私はなにも悪い事していないのに……見捨てないでください、はたてぇ~」
 いい加減うんざりした椛は仲介に入る。
「はいはい、分かりました文様。はたて様、一応話は聞いてやりましょうよ。見捨てるのはその後の判断でも良いはずです」
「椛、見捨てるのが条件に入ってるのですね。酷いです!」
「立場を考えろと言ってるのよ文! 私と椛もあんたには散々振り回されて迷惑してきたのよ!」
 文は胸元で手をもじもじさせる。しばらく迷っていた様だが訥々と語りだした。
「私は今、大天狗様に出版停止処分を喰らってるじゃないですか。だから、逆に考えて世論を動かして出版再開にまで漕ぎ着けないかと思うのです。天狗たちの里で署名を集めて大天狗様に提出したら、認めてもらえるかもしれません」
 はたては枝毛を弄りながら面倒臭そうに答えた。
「ふーん、無理じゃない? あんた、どれだけ烏天狗の間でも悪評が流れているか知ってるの? 幻想郷最悪のデマ天狗ってあんたの事よ」
「そんな! 酷いです! みんなそんなことおくびにも出さないのに……」
「あんた、すぐに大天狗様に告げ口するじゃない。裏では殆ど村八分状態よ」
「あやー……」
 文は本格的にしょぼくれる。
 しかたなしに椛は相槌を入れた。
「まぁ、納得行くまでやればいいじゃないですか。私は別に一日ぐらいは猶予をくれてやってもかまわないと思いますよ?」
「たった一日ですか!? それでは集まるものも集まりませんよ!」
「文様、私も忙しい仕事の中をやりくりして時間を作っているのです。それ以上は無理です」
 文はどん底まで落ち込み、傍目からみても漆黒のオーラを纏っている。場は沈黙の空気に包まれた。たまりかねてはたては、空気を破った。
「兎も角、一日だけは私達も付き合ってやると言ってるのよ。つべこべ言わずに従いなさい!」
「あやー……」
 文は目に涙を貯める。あからさまに肩を落としているが、同情を引く目的がみえみえなので椛とはたては無視した。
「……酷いです……うぐっ……ひっく……」
「…………」
「…………」
 文はさめざめと泣く振りをしているが、椛とはたては沈黙を守り通し無視し続けた。
 やがて文はちらりちらりと二人の様子を窺い見る。相手されていない事を知ると、姿勢を正して正座した。
「……ごほん」
「…………」
「…………」
 椛とはたての冷たい視線に耐えかねた文は、冷めたお茶を取り、一口すする。しかし、次の瞬間、文は激しく咳き込んだ。
「ごほっ! ごほっ! かはっ!」
「…………何してんですか、文様」
「みっともないわね、ちゃんと片付けなさいよ」
「ごほ……違います! お茶の中に何か入っています!」
「何よ、そんなミエミエの嘘……」
 はたては文の湯呑を取ると、指先を茶に浸し、一口舐めた。
「嘘、苦っ、なにこれ毒!?」
「えっ!? 大丈夫ですか、文様!」
 椛はうずくまっている文に慌てて駆け寄った。文の背中を擦ってやる。
「……大丈夫です、椛。すぐに吐き出したので飲み込んでいません……」
「毒なんて、誰が……?」
 焦っている椛をよそに、はたては冷静に分析した。
「守矢神社ね。おそらく先程居た、東風谷早苗が仕込んでいったのよ」
「多分そうでしょう。守矢神社はそこまで私の知っている事実を恐れているのです」
 文は真っ青な顔色ながら、真剣な表情をして決意を発した。
「私は真実を明らかにする責任があります。暴力などには屈しません! たとえ私一人になっても権力者の陰謀には抵抗し続けます!」
 文の真剣な眼差しを受けて、椛は黙って頷く。はたては面倒臭そうに肩をすくめた。
「どうせ何言っても聞かないんでしょ? 仕方ないから、最後まで付き合ってあげるわよ」
「文様の真実を明らかにする戦い、不肖、犬走椛、一命を賭して従わせてもらいます」
 文は会心の笑顔で大きく頷いた。



 同時刻、守矢神社にて。
 東風谷早苗は、拝殿で一人、目を閉じて祈っていた。早苗は祝詞を捧げ、一心不乱に御幣を振るう。夜の拝殿の照明は、蝋燭しかなかった。一寸先も見えぬ闇の中で、早苗は舞っていた。やがて、一連の儀式が終わると、その場に平伏して言葉を待った。
 薄暗い本殿側には八坂神奈子が、片膝を立てて胡座をかいていた。水も漏らさぬ沈黙の中で、片手にした盃から神酒を口にする。ふぅと、細長い息を吐いた。盃を傍らに置くと、ゆっくりと立ち上がった。その表情には何の色も浮かんでいない。
「早苗よ、件の者への要件は済ませたか?」
 早苗は面も上げず答える。
「……はい、八坂様のお言葉を伝えて参りました。いずれ、彼の者も八坂様の元へ降るでしょう」
「ふむ……」
 時が止まったように音がしない。神奈子は衣擦れの音だけを立てて、早苗の側に立った。
「顔を上げよ、早苗。我は今日日この様な嵌りきった神事など求めぬのだ」
 早苗は体だけを起こして、その場に三つ指で正座した。
「……お言葉ですが八坂様。守矢神社の信仰は年々失われております。巫女が正しい伝統を継承しなくては、古き神事も失われてしまうでしょう」
 神奈子は、淡い憐憫の色を目元に漂わせた。
「古きものは失われて行くものだ。お前の様な若い娘が古き戒律に縛られ、その生を費やしてしまうのは見るに耐えぬ。お前は信仰のことなど気にしなくても良い」
「そうでしょうか八坂様? 私は守矢神社を継ぐために現人神として生まれました。八坂様とは一蓮托生の身で御座います。幻想郷に移るのだって、八坂様の乾坤一擲の賭けであることを知っております。私は守矢の二柱の為に一生を捧げる覚悟でございます」
 神奈子はまた悲しげな表情を目元に浮かべ、ため息を吐いた。
「確かに、我々はお前なしでは存在も危ういであろうな。だがな、早苗。お前の一生を捧げられて喜ぶような外道でもないのだ」
 早苗が反論しようとして口を開きかけた時、拝殿の外から誰かが答えた。
「別に良いんじゃないの神奈子? 私は早苗の想いに答えてやればいいだけだと思う」
 早苗と神奈子が声の主に目をやると、洩矢諏訪子が帽子をアミダに被って、柱にもたれ掛かっていた。
「私らはさぁ、所詮、信仰がなくては何にも出来ない存在なわけ。神奈子みたいに何もかもを投げ打って達観するなんて、私には出来ないな。折角、早苗が私達に尽くしてくれるって言ってるんだから、私達は早苗に加護をきちんと与えてやればいいんじゃない?」
「諏訪子……」
 苛立ちが滲む表情で何かを言おうとした神奈子だが、一つため息を付いて表情を消した。
「そのとおりだな諏訪子よ。早苗の想いに我々は応えてやらねばなるまい。それが守矢の神としての役割であろう」
「八坂様……諏訪子様……有難うございます。早苗は一命を賭して尽くさせていただきます」
 神奈子は何か言いたげだが超然とした態度を見せざるを得なかった。諏訪子はもとより退屈した様子で欠伸を一つした。
 諏訪子は何か思い出したような様子で口に出した。
「そう言えばさ、神奈子が妖怪の山の内部にちょっかいを出してるって聞いたんだけど、何してんの?」
 神奈子は火を吹き消したような無表情で答えた。
「重要な事だ。我々は人々を救うためにさまざまな事をせねばならぬ。その中には暗部の仕事も含まれる」
 神奈子の話を聞いて、諏訪子は目を輝かせる。
「へぇ、面白そうな事してるじゃない。何で私を誘わないのさ? 武力行使が必要そうなら私にやらせてよ」
 神奈子は露骨に嫌そうな顔をする。
「お主に任せると、関係者を全てを祟るなんてことをし始めるではないか。そんな単純な仕事ではないのだ。この件は我と早苗で片付ける」
「なんでだよ~。退屈してんだよ~。やらせろよ神奈子~!」
 諏訪子は子供のように駄々をこねる。神奈子はしかめっ面を崩さない。早苗はおろおろと二人の表情を伺っている。
「落ち着いてください諏訪子様! 早苗が一生懸命頑張りますから! 八坂様、諏訪子様を加えては駄目なのですか?」
「駄目だ、諏訪子は基本的に祟り神なのだ。任せれば妖怪の山ごと焼け野原になるだろう。そうなれば信仰どころではない」
 諏訪子は頬を膨らませて不満を表す。
「もういい! 二度と助けてやんないからな! 神奈子のバーカ!」
「あっ! 諏訪子様!」
 遮る早苗の手を振り切って、諏訪子は夜の闇に消えていった。
「大丈夫でしょうか、諏訪子様……」
「腹が減ったら帰ってくるだろう。心配は無用だ」
 諏訪子が荒らしていった空気の中で、神奈子は咳払いを一つして威厳を取り戻した。
「……ともかく、早苗よ。反逆者に忠告はして来たのか?」
「はい、八坂様。仰せのままに射命丸文の元に災いをもたらしてきました」
「そうか、ならば良い。手を引くならばこれ以上の追求はしなくとも構わぬ」
 早苗は慎重に言葉を選んで、神奈子に質問する。
「八坂様。八坂様が全てを知って、最善を尽くしている事は存じているのですが、守矢神社の隠している秘密とは何なのですか?」
 神奈子は超然とした態度で、眉一つ動かさないで答えた。
「早苗よ、お前は余計なことを知らなくて良い。我の言う事だけを聞いて、それを実行していれば良いのだ。我は全ての者を救うために行動している」
「……はい、分かりました。八坂様の仰せのままに」
 早苗は三つ指を付いた姿勢から平伏した。
 二人が沈黙した拝殿の中では、蝋燭の火に虫が飛び込む小さな音だけが微かに響いた。



 次の日、天狗の里の目抜き通りにて、三人は焦燥していた。
「ほら、椛、あそこで暇してる男性の元に行ってきなさい!」
「……文様。この辺りの人たちには全て声を掛けて回りました。多分、無駄です」
「何故そんなに簡単に諦めてしまうのですか、椛!? 根性を見せなさい!!」
「だったらあんたやりなさいよ、文ぁ! 口ばっかりで私達しか動いていないじゃないの!」
 疲労で完全にへばってしまった椛。元よりこの仕事には乗り気でないはたて。口以外は全く動かない文。既に、文の算段は積んでいた。
「何故、貴女達は署名を集めるという簡単な仕事も出来ないのですか! このままでは文々。新聞は永久に発行できないのですよ!?」
「だったらあんたも動けと言ってるのよ、文! なんでふんぞり返って指示ばかりだしているのよ!!」
「私の担当は頭脳労働です。汗水たらして走り回るなんて、下々にさせれば良いのです」
「ぶっ飛ばすわよ文! 誰が下々よ!? 今すぐあんたを見捨てて帰ってもいいのよ!?」
 へたり込んでいた椛は見るに見かねて仲介に入る。
「お二人とも喧嘩は止めてください。折角始めたのだからやるだけやろうではないでしょうか。後、文様、いい加減にしないと私も見捨てますよ?」
「あやっ!? 何か私がしましたか? 私は誠心誠意努力してるのに酷いです」
 オロオロと取り繕う文に対して、二人の視線はあくまでも冷たい。椛はジト目のままで、はたてに伺う。
「私達だけが苦労するのは見合わないので、ここは文様に最初の署名を取らせてみてはどうでしょうか? はたて様?」
「それもそうね。何の反省も見られないこのバカには誠意を見せてもらう必要がありそうね」
「そんな! 絶対無理です! あれだけ二人が声を掛けても誰も相手してくれなかったじゃないですか! 私が行っても無視されるだけです!」
「あんたの意見なんて聞いてないのよ。やりなさい!!」
「私達だけ仕事させられるのは、割に合いません。文様の誠意を見せてください」
「あやー……」
 文は冷徹な目をした二人から逃げ去るように遠ざかった。
 通りには色んなひとが行き交っている。文はその中から話を聞いてくれそうな人を探し求めた。
 だが、行き交う人々は文を見るとヒソヒソと話をしながら、歩み去ってしまう。
「……変ですねぇ。みんな私を避けている様です……」
 文が独り言を言いながら、通りを歩いていると一角で人だかりが出来ているのを見つけた。
「何なんでしょうかあれは? ふむ、立て看板?」
 文が近づくと、人だかりはみんな振り返り、冷たい視線を浴びせた。
「何でしょうか? 私の顔に何か付いてますか?」
 立て看板を見ていた男達が振り返り、罵声を浴びせてきた。
「……おい、射命丸だぞ!」
「恥知らずめ! すぐに叩き出せ!」
「あやっ!? 何事ですか!?」
「この看板を見ろ!」
 文が目を凝らして、看板を読むと達筆で次のように書かれている。
「共同絶交状

 次の者は、天狗の里にとって害にしかならない虫けら以下の腐れ外道であることを確信し、協議の結果、その者の共同絶交を決断した。
 共同絶交以降、その者は存在しない者として扱われる。従って、その者は何が起こっても自己の責任に於いて対処しなければならない。

 対象となる者は『射命丸文』である。

 以上、大天狗記す」
 看板の文字を読んだ後、文は直立不動で直立した。周りの者達がざわめき立つまで、文の時間が消失したように凍結していた。
「………………………………………………………………………………………………………………………………なっ……………………なっ……なんですかこれはーー!!!! なんで、私が村八分されなきゃならないのですか!!!」
 文が頭をかきむしり、のけぞり絶叫していると、その周りに良からぬ風体の男たちが揃って現れた。
「おい、射命丸文。お前がいつまで里にいるつもりだ? 居られるだけで迷惑なんだよ! とっとと失せろ!!」
「簀巻にして滝から突き落とそうぜ。河童共にも通知しておこう」
「俺は触りたくないな、穢れが移る」
 文は相も変わらず、頭を掻きむしっている。苛立った周りの観衆から石が投げつけられた。
「さっさと出て行け、この大愚が!!」
「そうだ、出て行け!!」
 一人が石を投げつけていたのが、伝播するように周りの者も揃って罵倒しながら文に石を投げつける。
 一つの石が文の額に当たる。額から一筋の血が流れ落ちた。
 俯いていた文はぶつぶつと小さく呟き始めた。
「…………貴方達に何が分かるというのですか…………煩いですね、この衆愚が……、貴方達の様な凡百が数万並ぼうとも……」
 文は羽根団扇を取り出して、振り翳した。
「下等な小童天狗風情が!! 千年生きた烏天狗に何をする!! 貴様らが何千向かってこようが、この射命丸文には一寸も刺さらぬわ!!!」
 石を投げつけていた群衆は文の剣幕に一歩ひく。
 文が羽根団扇を一振りすると、巨大な旋風が起こった。さらに一薙すると暴風雨が巻き起こされる。
 周りに集まっていた天狗の里の者達が次々と悲鳴を上げて吹き飛ばされていく。
「クソ、射命丸が本気出してきた! 大天狗様と白狼天狗を呼べ!!」
「子供を早く逃がせ!! 男たちは武器を持って来い!!」
 文に巨漢の天狗が殴りかかってくる。文は片手でその拳を掴み取ると、軽々と無造作に投げ捨てた。その男は数十メートルを土煙を上げながら転がっていった。
「ぴいぴい煩いな雑魚どもが!! このまま纏めて里ごと吹き飛ばしてやろうか!」
 里の者達は波を打って逃げ出した。里の中心に残るのは文ただ一人だった。
 その時、一筋の剣光を閃かせて文に突撃する者がいる。
「発っ!!!!!」
 重量感のある鋼鉄の段平が大地を抉る。文はそれを辛くも避けた。
「…………貴女も私に反逆するのですか? 椛?」
「…………」
 椛は殺気を込めた視線で文を睨みつける。大地に突き刺さっていた段平を軽々と抜くと、頭上に構えた。
「私の任務は里を守る白狼天狗だ! 反逆しているのは貴女だ、射命丸文!! 大人しく縛に付いてもらおう!」
 文の目に悲しみともつかない色が浮かんだが、すぐにかき消された。
「仕方ないですね。私に逆らうものは皆殺しです。情が移っていたので些か手間ですが…………――」
 次の瞬間、文は金縛りにあったように硬直した。動かそうとしても指一つ動かない。苦しげな声で呟いた。
「貴女もですか、はたて……」
 家の影から携帯を片手にしたはたてが現れた。
「念写させてもらったわ。馬鹿だとは思っていたけど、本物の大馬鹿者ね、文」
 はたては無表情で髪を掻き上げた。文は縛から逃れようと藻掻くがピクリとも動くことが出来ない。
「私の念写で縛られた者は、誰であろうと動くことができない。正直言って、妖怪の山に本気を出したあんたに敵う奴なんて大天狗様ぐらいしかいないけど、私でも縛ることはできる」
 文は悔しそうに歯ぎしりをすると、大声で叫んだ。
「……何をやっているのですか椛!! さっさと止めを刺しなさい! 反逆者の私にこれ以上の恥を掻かせないでください!!」
 椛は段平を構え直す。今にも剣光が閃こうとした瞬間に、はたては手で椛を制した。
「椛、ここは私に任せなさい」
「…………はっ! 承知しました!」
 はたてはゆっくりと文の前に歩みを進める。
 憎々しげに睨みつけている文の目を、はたては冷徹な視線で見下ろした。
「……全てを失った気分はどうかしら? 文?」
「はたて……貴女に情けがあるのなら誇りのある死を早く与えてください」
「全然、自分の立場を理解していないみたいね……」
 はたては片手をあげて振り抜いた。文の頬はピシャリと音を立てる。
「アンタは誇り高い烏天狗でしょ! なんでそんなに簡単に諦めるのよ!」
「……私に説教するつもりですか? はたて?」
「だったら、そんな木っ葉天狗みたいに卑屈な態度を取るのは止めなさい! そんなアンタを殺したとしても全然嬉しくないのよ! 烏天狗なら最後まで誇り高い姿を見せなさい!!」
 はたてはイライラと爪を噛んだ。
「あーもー、どうすりゃいいのよ! 大天狗様が来たら本当に殺されるわよ! 殺されるのがアンタだけならいいけど、私もただじゃすまないのよ! アンタの考えに付き合わされた私まで妖怪の山を追放されかねないのよ!」
 椛は不審そうな顔ではたてを窺った。
「はたて様?」
「黙ってなさい椛! …………ねぇ文。アンタの握っている秘密は本当に妖怪の山をひっくり返すぐらいのものなの?」
「…………」
 呆然としている文を傍目に、はたての目はあくまでも座っている。
「……はたて、貴女まさか本気で大天狗様に反逆するつもりですか!?」
「アンタの掴んでるネタ次第よ! 私はアンタとの交渉に乗ってやると言ってるのよ! アンタはどうしたいわけ? このまま大天狗様に殺されたい? それとも、掴んでるネタで妖怪の山の権力構造を全部ひっくり返したい? アンタが持っているネタがどの程度なのか教えなさいよ」
 文の瞳に意志の力が戻る。文は口元を軽く歪めた。
「記者が口先だけで簡単にネタをばらすと思われたのは心外ですが、貴女の判断は正しいです、はたて。私を助けてくれるなら、花果子念報は鞍馬諧報以上の購読者を手に入れることができるでしょう」
「ふーん、なるほどね。まぁいいわ。ちょっと安請け合いな気もしなくもないけど、貸しにしておいてあげる」
 はたては携帯を操作した。文の念写の縛めが解かれる。文は地面に崩れ落ちた。
「はたて様!!」
「椛、これから私達がすることに黙って従いなさい。これは命令よ」
 文は立ち上がると首を左右に振って軽く髪を整え、服についた埃を払った。
「あやー、本気で死ぬかと思いました。賽の河原付近までは行ってましたね。貴女は本当は私の事が好きなんじゃないですか、はたて?」
「ぶっ飛ばすわよ文。この件が終わるまでは付き合ってやるということよ。本当にそのネタ、大丈夫なんでしょうね?」
 はたての訝しげな視線に、文は胸を張って答える。
「当然じゃないですか。はたては大船に乗ったつもりで安心して大丈夫です」
「ふん! まぁ信用してやるけど、また余計なごまかしをしようとしたら、今度こそ死ぬまで念写で縛ってやるわよ?」
「あやや、怖いですねぇ」
 軽口を叩き合いながら笑いあっている烏天狗二人のそばで、椛は肩を怒らせながらそっぽを向いていた。
「まだ怒ってるのですか、椛?」
「…………」
「あのねぇ文、当たり前じゃないの! アンタのせいで私達一行は追われる身よ! これからどうするつもりよ!」
「そうですねぇ……」
 文は頤に手をやって考え込んだ。
「証拠を集めてゲリラ的に新聞を発行するしか無いでしょうねぇ。守矢神社に殴り込んで真相を吐かせましょう。新聞の印刷は、にとりさんがたしか輪転機というものを持っていたのでそれで印刷しましょう。椛が頼めば、にとりさんも嫌な顔はしないのではないですか?」
「私がにとりに頼むのですか!?」
 急に話題を振られた椛は、苛立ちを隠せない表情のままで怒鳴ってしまった。
「お願いします。今の私達には、椛しか頼りになる人は居ないのです」
「……嫌ですよ。何で白狼天狗の私がそんな事まで面倒見る必要があるんですか?」
 はたては、面倒くさそうにツインテールの一端に指を絡ませながら口を開いた。
「私からもお願いするわ、椛。というか、私達と同行している時点で貴女も同罪だからそれが出来ないと、貴女も死罪よ?」
 はたてに指摘されて、椛は悔しそうに唇を噛んだ。俯いてしまい、今にも零れそうなぐらい涙を目にためて、ブツブツと呟いた。
「……私は毎日コツコツと仕事して、ちゃんと規律も守ってきたのに……なんで理不尽な上司の行動に巻き込まれて命まで奪われないといけないのですか!」
 文はそんな椛を見て、ほんわかと笑って答えた。
「椛は私の一番の親友だからです! 親友はどんなときでも一緒です!」
「そういうことよ、こういう傍迷惑な馬鹿に気に入られた時点で覚悟しないといけなかったのよ。諦めなさい椛」
「…………」
 椛は、みぞおちを抱えて苦々しげな表情でしゃがみ込む。本格的に胃に穴が開く寸前なのだが、誰も心配してはくれない。椛は、元気よく守矢神社に向けて歩き出した文の背中を睨みつけて呪詛を送ることしかできなかった。



 東風谷早苗は、境内で日課の掃き掃除をしていた。そこに、洩矢諏訪子が歓声を上げながら駆け込んでくる。
「さなえー! 人里で牛乳プリン買ってきたんだろ! どこ隠したか教えろよー!」
 早苗は、掃除の手を休めて、口を尖らせて注意した。
「駄目ですよ諏訪子様! 八坂様があれは夕餉の後にみんなで食べるものだと仰ってました。ちゃんとご飯を済ませるまで待ってください」
 諏訪子はぶーぶーと不満を垂れ流す。
「早苗は神奈子の言うことばかりしか聞かない! 私だって昔の超偉い神様なんだぞ!? 神奈子と私の扱いに差があるのが気に食わないね!」
 早苗は困ったように愁眉を作った。
「私は一生懸命尽くしているつもりなのですが……。どうすれば諏訪子様に納得して頂けるのでしょうか?」
「だーかーらー、牛乳プリンの場所を教えて、それを神奈子に黙っていたら許してあげるよ!」
「困りましたね……」
 拝殿の奥から八坂神奈子がのっそりと姿を現す。
「何を騒いでいるのだ、二人共?」
「あっ、八坂様。実は諏訪子様が牛乳プリンを……」
「しー! しー! 早苗、それは二人だけの秘密だよ! 神奈子にバラしたらミシャクジ様で祟るからね!」
「はぁ……」
 不審そうな表情をしている神奈子に対して、早苗は愁眉を解く暇がなかった。諏訪子は必死に目を泳がせながら口笛を吹こうとしているが、きちんと吹けていない。
 その時だった、神奈子は空を見上げた。
「……早苗、東南の空だ」
「……えぇ、来ますね。なんで彼女が守矢神社に来るのでしょう?」
「どしたのさ、二人共? 急に険しい顔をして?」
「お客様だ、諏訪子。今回は思う存分お前にも暴れて貰おう」



 超音速に近い速度で飛ばしていた射命丸文だが、守矢神社に近づいたので、後から付いてくる二人を待つために速度を落とした。遠くに見える守矢神社を見つめて呟いた。
「八坂神奈子はちゃんと居ますかねぇ? これで不在だと格好が付きませんね」
 文から少し遅れて姫海棠はたて。その後ろに疲れきった様子の犬走椛が付いてきた。
「それで文。なにか算段はあるの? 流石に守矢の神々に真正面からぶつかって無傷で洗いざらい吐かせるのは無茶だと思うけど?」
 文は顎に手をやって考え込んだ。
「八坂神奈子が油断して、三対一に持ち込ませてくれたなら楽勝なんですがねぇ。東風谷早苗さんが絶対、黙ってはいないでしょう。役割分担をしましょう。私とはたてが八坂神奈子を相手します。椛は早苗さんを押さえ込んでください」
 はたては面倒そうな顔をした。
「殆どノープランなのね。ま、私の念写とアンタの力があれば、いくら八坂神奈子といえども黙らせることは出来るだろうけど」
 椛は疲れ切った様子だが一応、会話に加わる。
「それで文様。東風谷早苗は弾幕ごっこで勝負を付けるのですか? 白狼天狗が人間相手に実力行使をしてしまうと、後々問題になりそうな気がしますが……」
 文は首をひねる。
「そうしないと霊夢さんに怒鳴り込まれる問題になりそうですねぇ。本当はやられたことを考えると実力行使に持ち込みたいのですが、人間を殺したりするとそれどころじゃなくなりますからね」
 椛が眉間に皺を寄せて遠くを見つめた。
「文様……守矢神社の上空に八坂神奈子達がいます。三人で待ち構えているようです」
「あやー、向こうも3人で出てきましたか。神奈子さんの性格的に洩矢諏訪子は出てこないと思ってたのですが……」
 はたては剣呑な声を出す。
「なによ! 本当に何も考えていないんじゃない! 洩矢諏訪子は私が片付けるわよ! アンタは八坂神奈子をなんとかしなさいよ、文!」
 はたては風を巻いて守矢神社の方に飛び去った。椛は千里眼で遠くを睨みつけたまま報告する。
「守矢の3人は別々の方向に飛び去ったようです。一対一でやろうと言うことではないでしょうか?」
「あやー、八坂神奈子と一対一ですか。荷が重いですねぇ……。ま、仕方ないです。行きますよ椛!!」
「はい!」
 文は翼を広げて大空を駆けた。背景に見える山や森が吹き飛ばされるように消えていく。文が相手の元まで距離を縮めるのはすぐだった。



 湖の上に突き立てられた御柱の上で、八坂神奈子は片膝立ちで胡座をかいていた。
 射命丸文は音の壁を突破した轟音を立てて、神奈子の前に急停止した。
「……八坂神奈子さんですね? 要件は分かりますね?」
 神奈子は大仰に口を抑えて欠伸をする。
「小童妖怪がぶんぶんと五月蝿いから出てきてやったわ。早苗が警告は伝えたはずではあるな? こうして我と対峙するということは覚悟は出来ているのであろうな?」
 文は口を歪めて皮肉な笑みを作る。
「あやや、勘違いしないでほしいですね。私は裏取りもせずに新聞を発行するのが嫌なので取材に来ただけです。真相をお話頂けるならば、すぐさまにでもお暇させていただきますよ。それで? 真実はどうなのですか?」
 神奈子の視線が険悪になる。怒気を含んだ声で回答した。
「貴様のような小童に何がわかる! 我は信仰してくれる全ての者の幸せと、妖怪の山を守る責任がある。貴様がやっていることは、平穏無事に過ごしている仲間達を、我に売れと言っているようなものではないか! 貴様の様な卑小な精神で心を弄ぶものに我は屈せぬ!!」
 文は小首をかしげ、淡々と応じた。
「あやー、ご理解いただけないようですねぇ。一部の既得権益を守り続けるというその態度、すでに妖怪の山の民全てに対する背信行為なのですよ。私は全ての真実を明らかにする記者です。そのちっぽけなプライド、粉々に打ち砕いて差し上げましょう」
 文は羽根団扇を翳すと、全力で振り下ろした。風が真空を生み出し、かまいたちの塊が神奈子を襲う。
 神奈子は御柱の上で無反応で座り続けた、かまいたちが殺到しようとしたその瞬間、4本の御柱が神奈子を守るように立ちふさがった。
 巨大な質量がぶつかり合う音が湖に鳴り響いた。もうもうと埃が立ち上っている後、何事もなく胡座をかいたままの神奈子がいた。
「朗報だ射命丸。我はここから一歩も動かぬ。貴様の実力を、出し惜しみせず見せてみよ」
「……舐められたものですね。私は千年生きた烏天狗ですよ? その態度は実に不愉快です!」
 矢継ぎ早に羽根団扇でかまいたちをぶつける文だが、すべて御柱に防がれてしまう。じれた文は神奈子に直接殴りかかろうと突っ込んだ。
「!?」
 両脇にあった御柱が生き物の様に動いて、文を挟んで潰した。
「がっ!!はっ!!」
 神奈子は何の色も浮かべずに、苦悶の表情の文を見つめていた。
「ふむ、御柱だけでは芸がないと思われてしまうだろうな。我は風雨の神徳を持つ者ぞ?」
 神奈子が手をかざすと、天から黒蛇の様に竜巻が伸びてきて文を飲み込んだ。
 文は錐揉みで振り回された挙句、湖の水面に勢い良く頭から叩きつけられた。
「げほっっ! ごほっ!!」
 文は湖に立っている御柱の一つにしがみついて、飲んでしまった水を吐いた。
 文のそんな様子を神奈子は無表情で眺めている。
「大口を叩く割には期待はずれであったな。今立ち去るなら命までは奪わないでおこう」
「……だから! 甘く見るなと言っているのです! 私は真実を知るまでは殺されても引きません!」
「ふむ? まだ心が折れぬのか? 些か軽く見すぎたようであるな」
 神奈子は天に手をかざした。暗雲が立ち込め、湖の周りだけ局所的に暴風雨が発生し始めた。
「褒美だ、射命丸。もう少しだけ力を尽くしてやろう。精々、我を楽しませて見せよ」



 姫海棠はたては、退屈した様子で携帯を弄りながら洩矢諏訪子の前に座り込んでいた。
 諏訪子は鉄の輪を両手に構え頭上に掲げた、珍妙とも言えるポーズで硬直している。その表情は涙ぐんで悔しそうに歯ぎしりしているが、はたては我関せずという態度で携帯を弄っていた。
「……おい、お前! 卑怯だぞ! なんでそんな変な術使えるんだよ!!」
「…………」
「正々堂々と正面から勝負しろよ! 私は久々の出番で張り切って出てきたんだぞ! 影に隠れて術で縛るだけなんて、そんなのが誇り高い天狗のやり方か!?」
「……煩いわねぇ。私には私のやり方があるのよ。パワー馬鹿の文みたいのと一緒にしないで欲しいわね」
 諏訪子の目からとうとう涙が溢れ始めた。はたては一瞥して面倒くさそうにそっぽを向いた。
「私を縛ってどうするつもりだよ? 神奈子には人質ぐらいじゃ通用しないぞ?」
「別にー、知らないわよ。私の役目はアンタの足止めよ。あっちはあっちで文がなんとかするでしょ。私はここで新聞の下書きでもしてるわよ」
「ちくしょう、卑怯だぞ、はなせよぅ」
 諏訪子は暴れようとするが、口以外はピクリとも動かせない。号泣に近いぐらいで泣き喚いているが、はたては完全無視して携帯をぽちぽちと弄っていた。
 やがて、諏訪子は泣き疲れた様子でしゃくり上げるとはたてを怒鳴りつけた。
「おいお前、私にこんなことするとミシャグジ様呼ぶぞ。本当にここら辺一帯がただじゃすまないからやらないだけなんだからな?」
 はたては面倒くさそうに携帯の画面から顔をあげると、一言だけ答えた。
「はぁ? やれば? 別に知らないわよ」
「いいんだな!? やるからな? これやると神奈子に怒られるからやらないだけなんだからな? 本当にミシャグジ様呼んでやる!!!」
 はたてはそんな諏訪子を完全無視して、携帯を弄っていたが、突如、全身に悪寒を感じて慌てて立ち上がった。
 諏訪子の様子を見ると、完全に目が座っている。淡く瞳が紅く輝き、朧気な邪気が目に見えるほど立ち上がっている。
「もう止めたって駄目だからな。ミシャグジ様を呼び出してやる。お前は死ぬ。お前たちの仲間もみんな死ぬ。そして妖怪の山は廃墟になる。もう全部終わりだ!!!」
 諏訪子の小さな体から押し寄せてくる膨大な邪気にはたては戦いた。
 諏訪子の影に鬼灯の様な真っ赤な2つの目が現れた。のたりと巨大な白蛇が影から這い出てきた。
「なによ……これ!!」
 白蛇は真っ赤な目ではたてを見つめる。
 はたてはぼんやりとした様子で意識が遠のいていくのを感じた。
 慌ててはたては、自らの拳を顔に叩きつけた。乱暴に意識が取り戻された。
 諏訪子は、幼い体つきに似合わぬ妖艶な笑みで静かにはたてに語りかける。
「へぇ、お前さんは魂が強いんだね。ミシャグジ様に魅入られて、無事に済んだ者を初めてみたよ」
 相変わらず諏訪子は金縛りに縛られたままなのだが、膨大な邪気を撒き散らし、近くにいるのが息苦しいほどだった。
「ヤバイわね、これ……」
 はたてはすぐさま飛び立って諏訪子から離れた。ミシャグジ様が見えないような林の陰に隠れた。
 乱れた息を整えているはたてだが、周りを確認して戦慄した。
 木々や草木が枯れていっている。飛んでいた鳥が落ちて死んでいる。周り一帯の命を持つもの全てが死に絶えているのだ。
 遠くで諏訪子は声を上げた。
「何処へ隠れたって無駄だ! 解放されたミシャグジ様は生きとし生けるもの全ての命を喰らい尽くす! 今更、後悔しても遅いんだからな!」
 忌々しげに諏訪子の話を聞いていたはたてだが、手足に力が入らなくなってきた事に気がついた。意識が霞みがかってきて、気をぬくとすぐにでも昏倒してしまいそうだ。
「ッ……! こんなのどうすればいいのよ!?」
 諏訪子が勝ち誇る声が聞こえた。
「私を馬鹿にした罰だ! そのまま祟り殺されてしまえ! あはははははっ! ってあれ? ミシャグジ様、なんで私見てるの? え? ちょっと!? ストップ! 私を食べる気!? やめて!!!」
 諏訪子の勝ち誇る声が途中から悲鳴に変わった。辺り一面に撒き散らされた邪気も止まった。
 混濁し始めていた意識が急にクリアになったはたては、恐る恐る林から顔を覗かせて諏訪子の方を窺った。
「ミシャグジ様、さてはお前、私を食べて完全に解放されるつもりだな!! やめて!! 長い付き合いじゃない? なんでちょっと動けないだけで裏切るのさ!!」
 白い巨大な白蛇のミシャグジ様が、金縛りで動けなくなっている諏訪子を頭から丸呑みにしようとしてる。諏訪子は必死で抵抗しようとしてるが、口以外は動けないのでただ泣き叫んでるだけであった。
 はたてはその光景を見て、再び呆れ果てた表情をするしかなかった。
 どうもそのままだと如何にも不味そうなので、はたては諏訪子の前に姿を表した。
 はたての姿を見た諏訪子は必死に泣きすがる。
「助けて!! ミシャグジ様は私を本気で食べるつもりだ!! 私がいないとミシャグジ様が解放されちゃって本当に世界が死滅しちゃう!!」
 はたては複雑な表情をしてため息を一つ吐くと、携帯を操作した。
 金縛りから解き放たれた諏訪子は、すぐさまミシャグジ様の拘束から抜け出して、手にしていた鉄の輪でミシャグジ様の頭を打った。すると巨大だったミシャグジ様はみるみる小さくなって、普通のサイズの白蛇になった。
「ちょっと気を許して解放したら、私を食べようとするなんて! 神奈子の言う通りだよ! 油断も隙も無い!」
 諏訪子は逃げようとする白蛇を捕まえると、帽子の中に押し込めた。
 はたてはその様子を腕組みをして眺めるしかなかった。
 自分を観察しているはたてに気がついた諏訪子は、気まずそうに額を掻いてはにかむ。
「ははは、どうもゴメンね。助かっちゃったかも」
「いえいえ、どういたしまして。……って言うか私の事はもうどうでも良いの?」
 諏訪子は無邪気に小首を傾げた。
「うーん、神奈子の私闘だからねぇ。私はあんたにそこまで怨みはないかな。ミシャグジ様からも助けてもらったしね」
「ふーん、妖怪の山を牛耳ろうとしてる神様なのに妙に素直なのね」
 諏訪子は訝しげな表情をする。
「なにそれ? 詳しく聞かせてよ?」
「え? まさか八坂神奈子から何も聞いてない訳?」
 はたては今までの経緯を諏訪子に伝えた。諏訪子は素直に頷きながら聞く。一通りの内容を聞いて、諏訪子は疑念を隠しもせず顔に出した。
「……変だよそれ。神奈子は誰よりもそんな陰謀を嫌ってるんだ。私が勧めても信念を曲げない奴なんだよ」
「えっ?」
 こんどははたての表情に疑問が浮かぶ。その表情を見て諏訪子はきっぱり答える。
「神奈子の所に行こう。私が話をつけてやる。神奈子がもしそんな謀り事してるなら私が退治してやる」
 複雑な表情をしているはたてをよそ目に、諏訪子は既に飛び立とうとしている。
「そんなところで突っ立ってどうしたのさ? 早く神奈子を退治しに行くよ!」
「なんか……今回の事件は私の思惑なんてどうでも良いこととして進展するらしいわね。まぁ良いわ。私はスクープさえ手に入れられたらなんでもいいのよ」
 踏ん切りを付けたはたては、諏訪子の後を追って宙に飛び立った。
 二人はぐんぐん加速して、湖の方へ飛び去った。



 犬走椛は、守矢神社の境内で段平を片手に東風谷早苗と対峙していた。
 困った表情の椛と対称的に、早苗は冷たい目で椛を睥睨している。
 早苗は嵌りきった口調で口を開いた。
「貴女方は何をやっているのか分かっているのですか? 守矢の思惑に反抗するだけに留まらず、八坂様にまで手を出そうとするとは!! その邪悪な思想は万死に値します!」
 椛は困りきった顔で返答した。
「なんというか、私はこんな事止めようと言ったのですが、私の上司が、あぁ……これは一応形だけの上司なんですけどね、彼女が暴走を始めて、私が止めようとしても全く言うことを聞いてくれないのですよ」
「じゃあ何故、私が八坂様を助けようとしているのに貴女は邪魔するのですか!」
 さらに椛は顔をしかめる。
「これもまた成り行き上というか、私の直属じゃないのですが、上層部の二人がクーデターを始めちゃいましてね。一緒に同行していただけの私も何故か反逆軍の一員です……運が無いですよね。ははは……」
 椛の卑屈な態度に、早苗のやる気もいまいち挫かれている様だが、早苗は気を取り直して声を張った。
「兎に角、こうして八坂様に逆らう逆賊は全て私の敵です! 早く武器を構えなさい! 愚かな妖怪は私が退治してやります!」
「あぁ、これですか」
 椛は握っていた段平に目をやると、地面に突き刺した。
「弾幕ごっこでやりません? 立場上、貴女を八坂神奈子の元へ行かせる訳には行かないんですが、妖怪が人間に危害を加えると博麗神社が黙っていないんですよね」
 能面のようだった早苗の顔が崩れた。そこには多少、憎しみの色が混じっている。
「……また霊夢さんのルールですか? どこまで人を馬鹿にしたら気が済むのですか! 何故、私が本気で怒っているのに妖怪如きに配慮されないといけないのですか!! 武器を構えなさい!! 全力で行きます!」
 早苗の剣幕に椛は渋々、剣を構えた。戦いに備えて、間合いを取った。
 軽く牽制するために段平を早苗の頭上に振り下ろすと、椛の視野から早苗が消えた。
「……全力で来いと言ったはずです。貴女も私を馬鹿にするのですね!」
 いつの間にか、間合いに飛び込んだ早苗が、椛の手首を掴んでいた。
 早苗が剣を握った椛の手首を捻り上げると、激痛で段平を取り落とした。
 椛は早苗に体幹を崩されて、空中を一転して背中から石畳に叩きつけられた。
「がはっ!!!」
「甘く見ないで下さい。私は軍神である八坂様の巫女ですよ。武術の心得ぐらいはあって当然です」
 肺から空気を全部吐き出して、悶絶した椛は落ちていた段平を掴んで、杖代わりにして立ち上がった。
「目の色が変わりましたね。どうやらこれからが本番ですね」
「……お前は彼我の差が分かっていないようだな。いくら人間が鍛えていようが、白狼天狗相手に、人間風情が敵うと思ってるのか!」
 椛は上段に構えて、早苗が居るだろう場所に向けて全力で水平に段平を薙ぎ払った。
 早苗は既にその間合いに居なかった。
 遠目の間合いから、大地を蹴る乾いた音を立てて、早苗は飛び込んだ。
 早苗は段平を振り回して隙だらけの椛の懐に入り込んで、掌底で椛の顎を正確に撃ち抜いた。
「がっ!!」
 掌底の衝撃が椛の脳を揺らす。脳震盪は椛の行動力を奪った。
 早苗は片手で椛の足を掴むと、朽木倒しの型で椛を押し崩した。
 椛は後頭部を石畳に叩きつけて、一瞬、意識を失った。
 意識を取り戻した椛が慌てて早苗の姿を求めると、早苗は椛の右腕に組み付いていた。
「流石に白狼天狗はタフですね。貴女は目が良い。そのせいで簡単に陽動に惑わされる」
 早苗は椛の腕をひしぎ逆十字で固めた。
「私と同じぐらいの体格なのに、そんな大きな段平を振り回すというのは相当に鍛えているのでしょうね。ですが、片腕を砕いたらどうでしょう?」
 椛の右腕の筋が限界まで伸び切った。激痛で椛は悲鳴をあげた。
 早苗は動かなくなった椛の右腕を放し、立ち上がって袴の砂を払った。
「決着はつきましたね。無駄な時間を浪費してしまいました。早く八坂様の所に行かなくては……」
 右腕を押さえてもがいてる椛を傍目に早苗は背を向けた。歩み去ろうとする早苗に椛は大声で叫んだ。
「……待て。勝負はまだ終わってない! 勝手に何処に行くつもりだ!!」
 椛は左手だけで段平を掴み、大地に突き立て杖代わりにして立ち上がる。顔は苦痛に歪み、油汗を流しながらも、片手だけで鋼鉄製の段平を構えようとした。
「私はまだ負けを認めていない! この剣砕かれようとも牙がある! 白狼天狗の心を砕く事は誰にも出来ない!……」
 早苗は驚嘆の表情でそれを見ていたが、やがて憎悪の表情に変わった。感情を押し殺した声で話し始める。
「……どれだけ私を怒らせたら気が済むのですか貴女達は……いいでしょう、貴女に現人神の本当の力を見せて差し上げましょう……」
 椛は片手で段平を引きずりながら早苗の元へ殺到する。椛は叫んだ。
「あああああああああ!!!」
 片手だけで段平を大きく振り回し、遠心力で態勢を崩しながらも早苗の頭上を襲う。
 早苗は御幣で大きく五芒星を描いた。次の瞬間、神社の境内で爆発音が響いた。
 青天の霹靂が椛を貫いた。直撃を受けた椛は立ち尽くして、やがてぐらりと倒れた。その身体からは水蒸気が立ち上がっている。
「何を勘違いしてるのがは知りませんが、私は現人神なのです。神に楯突く妖怪は、奇跡の力で打ち倒されるだけです」
 御幣を懐に収めて、早苗は空へ飛び立とうとした。完全にすべてが終わったつもりだったので、早苗はそれを見たとき目を疑った。
 椛が再び、段平を突いて立ち上がろうとしている。目にはまだ意志の力があり、表情には闘志が漲っている。
「……まだだ! 私はまだ戦える! ここを離れるつもりなら私を殺してみせろ!!」
「なん……で……、なんで! 雷に貫かれて立ち上がれる生き物がいるはずがないじゃないですか!! 貴女はなんでそこまでして戦おうとするのですか!!?」
 椛は左手で段平を薙いだ。バランスを崩しながらも早苗の元へ走り始める。
 早苗は慌てて御幣を翳すと、五芒星を作った。
「化け物!! 八坂様と諏訪子様の加護を受けた私は、妖怪なんかには負けたりしない!!」
 再び、稲妻が椛を撃った。だが、椛は歯を食いしばり耐えた。
「はああああああ!!!!」
 椛は体を軸に段平を振り回して一回転した。
 遠心力のままに段平を振るい、早苗に向けて一閃を叩きつけた。
 段平は早苗の額を掠めて、大地を砕いた。
 椛はそのまま体制を崩して、早苗の懐に倒れこむ。
「…………えっ?」
 早苗は椛の体を抱えたままへたり込んだ。額からは血が一筋流れている。
「まさか……意識を失ったままであんな一撃を放ったのですか?」
 早苗の問いに椛は答えようとしない。すでに体からは完全に力が抜けて死体の様だ。
 早苗は今更ながら恐怖心で身震いした。椛の最後の一撃を頭に受けていたなら、命は無かっただろう。
「どうして貴女ほどの戦士がそこまでして……? 一体、何が起きているというのですか!?」
 能面のようだった早苗の表情は年頃の少女のものに戻った。そして、椛の体を抱えて立ち上がった。
「八坂様に聞かなくては! 妖怪の山に何かが起こっている! 彼女の意思を八坂様に伝えないといけない!!」
 早苗は椛を支えながら空に飛び立つ。
「待っていてください。貴女の意思は無駄にはしません。八坂様ならば貴女を救うことができます!」
 椛を抱えた重みでふらつきながらも、早苗は湖へと向かった。



 八坂神奈子は、うんざりとした表情で目の前の烏天狗を見やった。
「のう、いい加減にせぬか? 実力の差は歴然であろう。これ以上は残忍なだけだ」
 羽根団扇も破れ、全身傷だらけで、飛んでいるのがやっとだという射命丸文はそんな神奈子の言葉を受けて、虚栄を張った。
「……敵のことを心配するとは余裕ですね。そんなことより自分のことを心配しては如何ですか? 真相が明らかになれば貴女は山に居られなくなるのですよ?」
 神奈子は困ったように顎に手をやった。
「それも困ったものであるなぁ。お主も、我に立場があるというのは分かっているであろう? どうかね? 今回は引き分けということで……」
「そこまでだ神奈子!! お前の罪は全部分かっている!!」
 一瞬、顔を見合わせた神奈子と文が振り返ると、そこには自信たっぷりといった態度で腰に手をやった洩矢諏訪子と、うんざりと言った表情の姫海棠はたてが居た。
 諏訪子は、精一杯胸を反らせて大声を張る。
「まさかお前が私まで欺いていたとは思わなかったよ神奈子。だかそれもここまでだ! 妖怪の山を支配しようとするお前の企み、私がすべて終わらせてやる!!」
 はたては、こめかみを揉みながら諏訪子にツッコミを入れる。
「あのね、さっきから言ってるんだけど、八坂神奈子が何やってるかまでは私も分かんないって言ってるでしょ? なんで勢いだけで退治するとまで言っちゃうのよ!?」
「いいんだよ、こういうのはノリで。昔っからあいつ威張ってて気に食わないんだ。諏訪大戦からの積年の恨み、今日で全部返してやる!!」
 神奈子は何が起きているのかサッパリと分からない様子で諏訪子に返した。
「諏訪子よ。お前は我に反逆して射命丸の側に付くというのか?」
「そうだ、お前、昔っから気に食わないんだよ! ボッコボコにしてやる!」
 神奈子の目の光に険のある光が加わる。
「諏訪子よ本気か? 今まで何度かやって来たが、お主が我に勝てたことは一度も無かったであろう? 図に乗るではないぞ?」
 目の色が変わった神奈子の様子を見て、諏訪子はビクリと肩を震わせる。だが、気を取り戻したかのように、また挑発する。
「お前こそ私達三人を相手に勝てると思わないことだね。囲んで叩きのめしてやるよ!」
「ちょっと! なんで私まで仲間の数に入ってるのよ!?」
 神奈子は能面のような表情で天に手をかざす。
「我は三人だろうが一向に構わぬ。まとめてかかってこい!!」
 諏訪子は鉄の輪を構えた、はたては、携帯を神奈子に向ける。
「しかたないわね、一気に畳み掛けるわよ! 文! タイミングを合わせなさい!!」
 文ははたての声に合わせて、羽根団扇を振り下ろした。諏訪子は鉄の輪を投げつける。はたては、念を携帯に込めた。
「調子に……乗るな!!!」
 神奈子はかざしていた手を振り下ろした。
 次の瞬間、烈風が吹き荒れて三人は吹き飛ばされた。
 重ねて神奈子は周りにある何本もの御柱を操り、一気に三人に向けて放った。
「うわ!」
「きゃっ!」
 諏訪子とはたては御柱を叩きつけられて、遠くまで吹き飛んだ。
 文は手をかざして、風で飛んでくる埃が目に入らぬようにして神奈子を見た。
 相も変わらず大きな御柱の上に胡座をかいたままの神奈子の表情は、何の色も感じさせない。文の様子を見て神奈子は冷たい声を放った。
「ここまで侮られては我も黙っているわけにもいくまいな。お前の持つ真相ごと湖の底で眠ってもらおう」
「……っ!」
 文は慌てて身構えた。
 神奈子は文に向けて手をかざし、握り締めた。
 辺りに烈風が吹き荒び、黒竜の様な大竜巻が天より伸びてきた。文は身を翻して逃げようとしたが、長い戦いでダメージを受けてきた身体ではそれ以上速く動くことが出来ず、大竜巻に巻き込まれそうになる。
 その時、何者かが文を抱えて、大竜巻の渦から抜け出した。
 衝撃に備えて目をぎゅっと瞑っていた文は、目を見開いたとき、鳩が豆鉄砲を食ったような表情になってしまった。
「なぜ、貴女が!?」
 東風谷早苗は真剣な表情で文を抱えて、風が届かない場所まで逃げた。
 湖の上に立った大きな御柱の上に立った時、初めて早苗は振り返った。
「……私は分からなくなったのです。一人の戦士が命を賭してまで暴こうとした守矢の真実とは何なのか? 信仰とはなんなのか? 私は八坂様と話し合わねばなりません。貴女がたはそこで待っていてください」
 文が辺りを見渡すと、気を失ったはたてと諏訪子が伸びている。また、その側には生きているのが不思議なほどに傷だらけの犬走椛が横たわっている。
「椛!! これは貴女がやったのですか!? なんでここまで……」
「彼女のことは謝ります。私の未熟さ故にそうならざるを得ませんでした。もう、これ以上の過ちを犯してはいけません! 八坂様は私が止めます!!」
 早苗は遠くにいる神奈子を見据えた。そして椛を振り返ると、おもむろに飛び立った。



 東風谷早苗は八坂神奈子が胡座をかいて座り込んでいる御柱の前にふわりと浮かんだ。
 神奈子は不思議そうな顔をする。
「早苗よ、どうした? あの白狼天狗は片付いたのか?」
 うつむきがちだった早苗は、はっきりと神奈子の目を見据えて話し始めた。
「お話があります八坂様。信仰のことです」
 神奈子はその早苗の様子を見ると、表情を吹き消して受け応えた。
「早苗よ、今はそれどころではないのだ」
 早苗は話す。その声には切実さが含まれている。
「一人の勇敢な山の戦士が死にかけています。これは私が未熟な故にそうなってしまいました。八坂様は『全ての者を救うために行動している』と仰ってました。何故、全てを救うために行動している私達の前にそれを拒否する者たちが現れるのでしょうか?」
 神奈子の表情に初めて苛立ちが現れる。
「早苗! お前まで我の考えを疑おうというのか? お前は今まで通り我の手足として動いていれば良いのだ!」
「…………私は、分からなくなってしまいました。一体、八坂様が隠そうとしている秘密が、命を奪ってまで守ろうとすることなのか? だから、八坂様、私のこの迷いを断ち切るために……」
 早苗は御幣を取り出して構えた。
「……私は貴女と戦います、八坂様!!」



 射命丸文は犬走椛の心音を確認して、命には別状なさそうなことを確認した。抱きかかえていた椛の上半身を下ろすと、振り返った。
 そこには姫海棠はたてと洩矢諏訪子が倒れている。
 はたてと諏訪子はともかく、椛は早く医者に見せないと後遺症が残りそうだ。頑丈な白狼天狗がそれぐらい徹底的に叩きのめされている。
 文は唇を噛んだ。
「……どうやらのんべんだらりと休憩なんてしてる暇はなさそうですね。早く八坂神奈子と話を付けないと……!」
 文は椛をそっと寝かせると、羽根団扇を握り締めて立ち上がった。
 勢いをつけて御柱の上を端まで駆けると、羽根を広げて飛び立った。
 顔に叩きつける猛烈な風に目を細めて、八坂神奈子がいる方向を睨みつけると、そこには黒雲が立ち込めいている。
 その近くまで接近すると、強烈な暴風雨に巻き込まれた。
 文は昼か夜かも分からない、その薄暗闇のなかで神奈子の姿を探し求めた。
 その暗闇の中で強風に逆らいながら東風谷早苗が飛んでいる。
 暴風雨に打たれて全身ずぶ濡れの早苗は、文を見つけるなり叫んだ。
「何故戻ってきたのですか!!」
「何故って、これは私が引き起こした事態です! 私が決着を付けないとならないのです!!」
「八坂様は本気になってます。これ以上、貴女ができることなんてありません! さっさと立ち去りなさい!」
「神奈子さんとは話が付きかけてたんですよ? 諏訪子さんと貴女が乱入してきたから事態が余計にややこしくなったんです! ちゃんと話を付ければ解決するんです! 貴女こそ下がっていてください!」
 早苗はそんな文の様子をみて苛立たしく首を振った。そして、忌々しげに空を見上げた。
「この暴風雨、邪魔ですね。奇跡の力で打ち消します!」
 早苗は御幣で五芒星を作ると、祝詞を重ねて御幣を振り下ろした。
「……六根の内に念じ申す大願を成就なさしめ給へと、恐み恐み白す。吹き閉じよ!!」
 次の瞬間、空の雲が割れて光が差し込んできた。
 文は度肝を抜かれた様に空を見上げていることしか出来なかった。
 明るくなってきた景色の中で、周囲が見え始めた。少し離れた地点で、八坂神奈子は変わらずに片膝を立てた胡座座りのままで佇んでいた。
 神奈子は悲しげな表情で早苗に話しかける。
「……早苗よ。お前は本気で我に逆らおうというのか? 一体、我の何が悪かったというのだ?」
 早苗は眉をひそめて悩んだ後、回答する。
「八坂様を嫌っているという訳ではありません。しかし、今回の一件、あまりにも不幸になった者が多すぎるのです。守矢のやり方が正しいのかどうか、八坂様の力で示して欲しいのです」
 神奈子はムッとした顔になる。
「巫女が祭神を試すというのか!? 早苗よ、お前は調子に乗りすぎではないか? ちょっとばかり力があるからといって驕り高ぶるではないぞ?」
「ぶっちゃけ、今回の八坂様の手際って裏目裏目でしたからね。流石に従ってる私でも理由ぐらいは知りたいかなーって」
「『ぶっちゃけ』は止めぬか早苗。諏訪子が真似するのだ。威厳がなくてかなわぬ」
 早苗は額をポリポリと掻く。
「まぁ、一応、私は現役女子高生ですからね。で、実際の所どうなんですか八坂様?」
「……言えぬ。身内の恥だ。神々にも誇りと言うものがあるのだ……」
「歯切れが悪いですね。八坂様らしくもない」
「しかし、早苗よ。この事実が知られてしまうと守矢の信仰が激減してしまう。ここは我の顔に免じて従ってはくれぬか?」
「困りましたね…………」
 早苗と神奈子はお互いに腕を組んで、首を捻る。
 一方、蚊帳の外の文は、二人の顔を伺いながら頭をフル回転させた。これはチャンスだ。上手くやれば、強敵二人を仲違いさせて漁夫の利を得ることが出来るかもしれない。
 文は揉み手をしながら頭を悩ませている二人の元へ近づく。
「あややややや、これは困りましたねぇ。ところで、東風谷早苗さん? 神奈子さんにうちの椛をあんな風にしてしまう程の大義名分ってのはあるんですかねぇ?」
 早苗はなにかに気がついた様にハッとなり、心底済まなそうな顔になった。
「……分かっています。私には償えない罪があるのです。だからその答えを! 八坂様!」
 神奈子は面倒くさそうな顔で受け答える。
「だから、言っておろう早苗よ。神々の面子の問題なのだ。これを暴露してしまうと立場を無くしてしまう者がいるのだ」
 文は会心の笑みを噛み殺しながら更に畳み掛ける。
「誤魔化されないでください早苗さん! 私は真相を知ってます! 神奈子さんは重大な嘘をついています! それは妖怪の山を私物化して、己の支配下に置こうという重大な陰謀なのです!!」
 早苗は眉間に皺を寄せて、悲しげに神奈子に見つめた。
「何故、そのようなことを八坂様……。誰にでも公平で、誰よりも山の民の事を想っていた貴女はどこへ行ったのですか!」
 神奈子は驚いたような様子で狼狽する。
「早苗よ。お前は我よりも射命丸の方を信用するというのか!? 奴は口からでまかせを抜かしておるのだ!」
「騙されないでください! 早苗さん! 私は今まで謹厳実直に山のために尽くしてきた者なのです。神奈子さんが嘘をついて貴女を騙そうとしているのが許せないのです!」
「射命丸……貴様!!」
 神奈子は苛々とした様子で文を睨みつけた。
「何故、我の事を信用せぬのだ早苗! お前は黙って我に従っておればよいのだ!」
 早苗は黙り込んで俯いて、目を伏せている。やがてぽつりぽつりと独りごちた。
「……八坂様の意図が分からないのです。私はあの白狼天狗を深く傷つけてしまった。……ひょっとしたら死んでしまうかもしれない。もしかしたら、射命丸さんが言うことにも一面の真実があるのでは……? 何故、私は人を傷つける事をしているのですか……? 八坂様は何を隠してらっしゃるのですか?」
 神奈子は激怒し、拳を地面に叩きつけた。
「ええい、忌々しい! 所詮、現人神とはいえど人間の小娘よ…… 妖怪一匹程度の命で神としての大義を見失うとは! もういいわ! 我一人ですべて始末してくれる! まとめてかかってこい!」
 神奈子は手を天にかざした。晴れた空に黒雲が集まり、びょうびょうと風が吹き荒れる。文と早苗は強風で体制を崩した。
「さぁこれからが本番ですよ。神奈子さんは本気です!」
 早苗は泣き出しそうな声で呟いた。
「何故、こんなことに……私はすべての者を救いたいだけなのに……」
 文は冷徹に底光りする目で早苗を睨めた後、面倒臭げに吐き捨てた。
「誰がそんな事を貴女に頼みました? 神頼みなんてするのは弱った時だけですよ。平時にまで干渉してくる神など傲慢の極みです」
「……えっ?」
「己を強者だと信じ、弱者に施しでもするように救いを押し付けようという貴女の考え方は反吐が出ますね。所詮、この世は弱肉強食ですよ。あやや、甘ちゃんの貴女は神奈子さんに守られてなければ弱者の方でしょうがね」
 文は皮肉めいた口ぶりであざ笑う。
「なぜ!? そんな……私は……」
「まぁ、いずれにせよ神奈子さんを孤立させることができた次点で貴女に用はないんですけどね。ご苦労様でした」
「そん……な……」
 早苗はその場にぐったりとへたり込む。文はそれを冷たく見据えると、何も見なかったように振り向き、神奈子の方へ飛び去った。
 後には涙すら出ずに呆然とうずくまる早苗が残された。



 嵐が吹き荒れる湖の中心で、神奈子は片膝を立てて胡座座りで佇んでいた。やがて、飛翔してくる文を認めると、虚ろな目付きから焦点を合わせて見据えた。
「……やってくれたな。射命丸よ」
 文は雨粒に顔を打たれながらも、満面のしたり顔で受け答える。
「さて、何のことですかねぇ? 言ったじゃないですか、私は『すべてを明らかにする記者』であると。邪魔をしてくる者を排除できました。二人で話を付けましょう!!」
 文は天高く飛翔した。神奈子はそんな文に目を向けて、御柱を一斉に発射した。
「あやややや、動揺は明らかですねぇ! 柱の軌道がうまく連動できてませんよ!? そんな平静さを欠いた貴女であれば、なんとか私でも!!」
 文は音速近い高速で神奈子の元へ殺到した。神奈子は焦り、手を交差させて御柱を呼び寄せた。
 射命丸は音速を超える速度をすべて乗せた拳を放った。それは神奈子を守っている御柱を真っ直ぐに打ち砕いた。
 砕けたかけらが舞い散るなかで神奈子は忌々しげに文を睨みつけていた。
「……やぁ、運がいいですね。ですが、この機会を逃すほど、私は不出来ではありません!」
「ちぃ! 射命丸!!」
 さらに勢いを乗せて神奈子の元へ踏み込もうとする文の目の前に、一人の影が飛び込んだ。
「何ですか? 貴女にもう用はありません!」
「どいておらぬか! 早苗!!」
 涙を目一杯に貯めた早苗は、神奈子と文の間に立ちふさがった。
「……駄目です!! 理由がなんであれ八坂様は山のすべての者の期待を背負って立つ者なのです、八坂様!! 私はどうしても貴女の隠している真実が知りたいのです!!」
 文は呆れたような表情で早苗を見下ろした。
「いつまで出番が終わった役者が舞台に立とうとしているのですか? 見苦しいですよ」
 神奈子は苦々しげに早苗に呼びかけた。
「どいておれ早苗! この者は我が始末を付けねばならぬ!」
 早苗は涙をポロポロとこぼしながら神奈子に訴えかけた。
「貴女様ほどの人が何故そこまでして隠し事をしなければならないのですか! もはや信仰などどうでも良いじゃないですか!? これ以上、貴女の信念を汚さないでください!!」
 神奈子は痛い所を突かれた様に険しい表情になった。
「そこまでして立ちはだかるというならば、お前も敵であるぞ早苗!!」
「それがなんだと言うのですか! 歪んでしまった貴女の姿など見たくはなかった……」
「早苗!!」
 神奈子は手をかざして、御柱を放てるように構えた。
「もう一度言う、退け早苗」
「嫌です!!!」
 文は冷めた表情で二人の姿を見ていた。
「あやや、仲間割れもそこまで来ると滑稽ですね。諦めてください早苗さん。これは神奈子さんのプライドの問題です」
 早苗は涙を流しながら文を睨みつけた。
「貴女さえ現れなければ……っ! 穏やかな山の生活が続いていたはずなのに……っ!」
 神奈子は冷え冷えとした視線で文と早苗の二人を見つめていた。その手はいつでも御柱を放てるように構えられている。
「では……決着をつけましょうか、神奈子さん?」
「っ……!! 来い! 射命丸!」
 緊張のためか、電流が走った様に手を高々と掲げた神奈子は、その手を振り下ろした。
 神奈子の背後で待機していた御柱が一斉に放たれた。
 御柱は早苗と文の二人の元へ殺到してくる。
 早苗はやがて来る痛みに備えて、ぎゅっと目を瞑った。
「やれやれ、これだから甘ちゃんは嫌いなんですよねぇ!!!」
 射命丸は、向かってくる御柱に対して、早苗の前に立ち塞がると、羽根団扇を振りかざした。
 猛烈な大旋風が巻き起こり、御柱はぶつかり合いながら軌道が逸れていった。
「射命丸ーーー!!!」
 神奈子は音律でも操る様に手を振りかざした。
 軌道を逸らされ飛び散った御柱が再び、文と早苗の元へ飛来する。
「まったく、面倒ですね!!」
 文は羽根団扇を腰に差すと、拳を固めて、早苗の元へ殺到してきた御柱をまっすぐに打ち砕いた。
「このまま全力で!!!」
 文は、内側に残った力を振り絞り、弾丸の様に一直線で神奈子の元へ飛んだ。その速度は音速を超え、音の壁を越えた衝撃波を生み出す。
「はぁあああああ!!!」
 文は拳を振りかざし、速度をすべて乗せた拳を神奈子に放った。
「止めてください! 射命丸さん!!」
 早苗は大声で叫びを上げる。
「……っつつつ!!」
 一点に向かって集中していた文の精神に隙ができてしまった。文の全力で放った拳は、破裂音を立てて神奈子の掌で受け止められた。
 しかし、今まで片膝立ちの胡座をかいていた神奈子は、立ち上がっている。
 憎悪に満ちた表情で文を睨みつけていた神奈子だが、しばらくすると弾けた様に破顔した。
「……早苗にまで気を遣いながら我にここまで力を使わせるとはな。認めよう、射命丸! ―ーーお前の勝ちだ」



「ふへーー、あやー、一仕事でした」
 文はその場にどすんと腰を下ろした。
「八坂様! 御怪我はありませんか!?」
 早苗は慌てた様子で神奈子の元へ駆け寄る。
「慌てるな早苗。問題ない」
 神奈子は文の拳を受け止めた掌をさすりながら、腰をおろして胡座をかいた。
「まったく、新聞を書くためにここまでするとはの。……誰かに負けたのは数千年ぶりかもしれぬな」
 文はふにゃりと表情を緩める。
「まぁ私は数千年に一人の天才ですからね! ここまで私を手こずらせた神奈子さんは誇っていいですよ!」
「この小童め、大層な口を利くわ!」
 神奈子は笑いながら膝を叩いた。
 早苗は神妙そうな顔で二人の表情を見比べていた。
「ですが、八坂様。守矢神社の秘密というのは……?」
「おぉ、そうであったな。よく調べたの射命丸。お前の考えてる事で概ね間違いなかろう」
 文はちょっと考えたような表情になって、神奈子に問うた。
「……これは記事にして良いのでしょうか? 神奈子さんの立場が危うくなりません?」
 神奈子はさっぱりとした声で文の問いに答えた。
「大したこと無かろう。我にはこの程度の事でここまでの大事にしてしまった貴様と大天狗の考えが分からぬ。我は普通に山の神としての仕事を全うしているだけである」
 早苗に疑問符が浮かぶ番であった。
「……えっ? そういえば射命丸さん、肝心の守矢神社の秘密ってなんなんですか?」
「いやー、それは記事にするまでは誰にも話す事は出来ませんよ。明日の朝刊のスクープを乞うご期待」
「八坂様……?」
「射命丸もこう言ってるであろう。明日の新聞を読めばよいのである」
 にべもなく返された早苗は微妙な表情で首を傾げるしか無かった。
 垂れ込めていた黒雲が割れて、陽光が差し込んでくる。その日差しは夕暮れに近づき、湖面は茜色に日差しを照り返していた。



 翌日、守屋神社。
 八坂神奈子は朝餉を終えて、お茶を一杯啜っているところだった。そばでは午前から気温が上昇しつつある室内の暑さに耐えかねて、洩矢諏訪子が少しでも涼を求めて板敷きの廊下で寝そべっている。
 そこへ、ドカドカと足音を立てながら東風谷早苗が駆け込んできた。
「八坂様!! なんですかこれは!」
 早苗の手には、今日発行されたとおぼしき文々。新聞が握りしめられている。
「ほう? 早苗よどうした?」
「見てください、これ!!」
 早苗は握りしめてぐしゃぐしゃになった新聞を神奈子に手渡す。

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『妖怪の山を私物化する八坂神奈子! 毎年、秋になると届く大量の付け届けの謎を追う!』

 当新聞社の独自の調査によると、守矢神社の八坂神奈子氏がその権力を笠に着て私腹を肥やしている事が明らかになった。

 当新聞社の記者、射命丸文が取材して明らかになったところ、秋になると、八坂神奈子氏は秋静葉氏と秋穣子氏の二人(通称:秋姉妹)より大量の秋の幸を毎年受け取っている事を確認した。

 その代わりとして八坂神奈子氏は秋姉妹の代理として人里の豊穣の祈りを代行しているのだという。

 果たして、公正公明である事が求められる立場である立場の者がこのように私利私欲で己の権力を行使して良いのであろうか! 文々。新聞では引き続きのこの事件を調査して真実を明らかにしてまいります。

(文責:射命丸文)
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「ほう、良く書けておるではないか射命丸の奴」
 早苗は忌々しげに神奈子を睨みつける。
「ここに書かれている事は真実なのですか!?」
 神奈子は困ったような顔をして受け答える。
「仕方ないでは無いか。あの秋姉妹の二人は神の眷属になって、まだ歴史が浅く、神通力も備わって無いのだ。仕方ないので我が代わりに彼女らの仕事を代行しているのである」
 寝返りを打った諏訪子は、肘枕をしながらヘソの辺りを掻いて眠そうにぼやく。
「なーんだあの話だったの? 神奈子が何か企み事しているって話だから変だなーとは思ってたよ」
「だったら初めから姫海棠はたてに説明すれば良かったでは無いか? 何故一緒になって我を裏切ろうなどとしたのだ、諏訪子よ?」
「そんなんノリだよノリ! 退屈してたし、いつもとは違った趣旨で一戦交えたいじゃない? おかげで良い暇つぶしになったよ」
 言いたい事を言い終えた諏訪子は、またごろんとうつ伏せになってずるずると這って板敷きの冷たい部分を探し始めた。
 思案顔の早苗は顔色を伺う様に神奈子に問う。
「しかし、八坂様。秋姉妹の仕事を代行するにしても、この新聞で書かれている様な大量の付け届けというは何でしょうか? 確かに秋になると大量の米と山の幸が届いてたのは思い出しましたが……」
「あぁ、秋姉妹が祈祷の礼として、豊作の年は人里から作物を集めて守矢神社に届けてくれるのだ。一応、無報酬で仕事をするのも何なので気持ちだけはありがたく受け取っておる」
 早苗は渋い顔をして心情を吐露した。
「付け届けは断りません? 八坂様が人里の民の事を思って祈ってるのは分かりますが、新聞でここまで書かれてしまうと守矢神社の評判が……」
 神奈子は難しい顔をして頤に手をやって首をひねった。
「しかしのー、我は秋姉妹が作る干し柿を毎年楽しみにしているのである。あの二人の姉妹神は本当に甘くて旨い干し柿を作るのだ」
 早苗は呆れを躊躇もせず顔に出した。
「……ぶっちゃけあり得ないです! 本当に私利私欲なんじゃないですか! 八坂様ともあろう方が何してるんですか!?」
「えーー?……」
「えー、じゃないですよ! 私が断りに人里に行って来ますからね! まさか、守矢神社の秘密ってこれだったんですか!? 隠すほどの事じゃないじゃ無いですか!」
「『ぶっちゃけ』はやめぬか早苗、諏訪子が真似するのだ……。秋姉妹の面目が保てぬではないか。あの姉妹は曲がりなりにも八百万神の一員ぞ。それにあの者がなぁ……」
 早苗はしばらく考えた上で手を打った。
「なるほど、あの人ですね。……たしかに非常に不味いですね。うちに飛び火しなければいいですけど」
 早苗と神奈子は顔を見合わせて首を傾げる。
 守矢神社の境内からミンミンゼミが飛び立つ。沸き立つような入道雲が遠景に見える。もうじき通り雨が降るのかもしれない。



 同時刻、文々。新聞社。
 新聞を握りしめて血相を変えた姫海棠はたては、乱暴に引き戸を開けた。そこには三角帯で腕を支えた犬走椛が片手で器用にほうきを掃いていた。
「椛、あのバカはどこにいるの!!?」
「え? 文様ですか? 奥の間で昼寝をしていると思いますが……」
 はたてはイライラと爪を噛んだ。
「椛は何をしているのよ! あんなに重傷だったのに、もう診療所を抜け出してこんな所でなにしているのよ!?」
「白狼天狗は頑丈なだけが取り柄ですから……。それにやはり、こんなに荒れ放題になってる文様の家をそのままにはしてられませんでしたので……」
「こんなのほっとけば良いじゃない! あんたは文の事嫌いじゃなかったの!?」
「いえ、今回の一件で文様は本当は私の事を大事にしているのだなと分かりましたし、やはり上司ですので……」
 はたてはオーバーすぎるぐらいの挙動で天を仰いだ。
「椛、これ見た?」
 はたては手にしていた文々。新聞を示した。椛は半ば諦めたような表情で吐き捨てた。
「はい、予想はしてました。大抵、文様が大スクープと言って大騒ぎしているのはこの手の井戸端会議の議題みたいなものばかりですから」
「なんなのよこれ!! 印刷は一人でしたいと言ってたからおかしいとは思ったのよ! 大天狗様も呆れ果てて『捨て置け』といって、村八分の命令を撤回しちゃったわよ!」
「聞きました、おかげで命が助かりました。良かったですよね」
「良くないわよ! こんなので大騒ぎしてた私たちが赤っ恥よ!! 里では子どもたちまで私を指差して笑ってたわよ!」
「よく村八分を撤回してくれましたね、大天狗様?」
「元々、あいつは上司に対する態度も悪すぎなのよ! 表面上はひたすら胡麻すりばっかやってるけど、呼び出されても気分によってはのらりくらりと応じない。約束をしても時間を守らない。こんな事ばっかりやってるから大天狗様も業を煮やしてたのよ! それで今回のバカみたいな記事の詳細は把握してたらしいんで文を潰そうとしたらしいんだけど、八坂神奈子が仲裁してくれたらしいわ」
「なんか、優しすぎですね八坂様……。え、じゃあ、あの東風谷早苗が仕込んで行った毒は……?」
 椛はほうきを置いてお勝手まで歩いていってお茶っ葉の入った缶を開いた。二人は中を覗き込んだ。
「……お茶がカビてます……」
「……………………大天狗様が許しても私が殺すわ! 何なのよ! 私は本当に妖怪の山全部を敵に回す覚悟で文に協力したのよ!」
「花果子念報でこれ書くんですか……?」
「こんなもの書いたら末代まで笑いものよ! …………あいつ絶対に許さない。一度ならず二度までも私を馬鹿にして虚仮にするなんて、念写で恥を暴いて妖怪の山中に撒き散らしてやる!」
 はたては蹴倒す勢いで入り口の戸板を開いて出ていった。椛はため息を一つ吐いて、再び掃き掃除を始めた。部屋の奥からは文のあくびが聞こえる。


 一方変わって、秋姉妹の隠れ社。
 秋穣子は一人で藁を叩いていた。その様子はどこか楽しげだ。
 最近、二人の周りの流れが良くなり始めている。毎年秋は豊作で、豊穣の女神の面目躍如といったところだ。それまで全く認知もされず極貧の暮らしをしていた二人だが、最近、幻想郷を訪れた旧知の仲だった守矢神社の八坂神奈子のとりなしもあってメンツを保つことが出来ている。
 最近ではわずかだが蓄えもできて、里の近くに二人の社を建てようという話になっている。人里の者たちには話をして協力を取り付けて、二人の巫女になる予定の女の子まで用意してもらった。
 まさしく前途洋々。これまでの下積みの時代を乗り越えて、これから幸せが訪れようとしていた。穣子もつい内職の途中に軽い鼻歌まで歌ってしまう。
 入り口で物音がした。
「あ、おかえりなさい。お姉ちゃん」
 秋静葉は青白い顔で新聞を握りしめ、立ち尽くしている。
 それをみて穣子は不思議そうに尋ねた。
「そんな顔して、どうしたのお姉ちゃん?」
「穣子、旅の支度をしなさい。守矢神社と私達の関係が気付かれたわ。……奴が来るわよ」
 穣子の顔が一気に青ざめる。
「まさか……、紅白の悪鬼!」
 その時だった、秋姉妹の隠れ社の扉を叩く者がいる。
「おはようございまーす、博麗神社です。お供え物の徴収に参りました。居るんでしょ? 早く出てきなさい秋姉妹! 隠れても無駄よ、守矢神社に供えた分、うちにも全部出しなさい!」
 二人は全く血の気が引いた顔で見合わせる。
「……ここは私だけで食い止めるわ! 貴女だけでも逃げなさい穣子!」
「駄目だよお姉ちゃん! 私も一緒に戦う!」
「早く出てこい秋姉妹! 社ごと叩き壊すわよ!!」



 山のどこかで二人の女神の悲鳴が聞こえたような気がしたが、それは誰にも知られない物語である。
さて、何年ぶりの東方創想話だろう? 超遅筆なので作品一つ書くのに最低1年ぐらいはかかるんですよねー。

手間暇は掛けて作った作品なので、ポイント・感想よろしくおねがいします。

他にも東方創想話では3つばかし作品作ってるので興味があれば作者名で検索してみて下さい。

ここまでお読みいただいた皆様に最大限の感謝を。
椎野樹
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コメント



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5.70名前が無い程度の能力削除
書き慣れているのがよくわかる文章で安心して読めました
戦闘シーンも絵が思い浮かぶ描写で上手いと思います。

以下は野暮です。
「戦う」という行為は(それがオママゴトでない限り)それ自体が危険で、敢えて危険を選ぶからには相応の理由がないと読者には共感や納得ができません。そしてこの物語は「戦う理由」を終始隠したまま、読者に伝えぬまま進行します。
それが悪いとは言いませんが、理由のわからない戦いはなかなか真剣にはなれません。「戦う理由」を隠すなら戦闘以外にクライマックスを持ってくるべきではなかったでしょうか。
もしくは、当初の理由を隠しつつ二次的な理由を作って戦闘になだれ込むという手もあったかっと思います。(個人的にはこちらの方がこのお話には合っていると思います)