Coolier - 新生・東方創想話

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2019/08/09 17:59:24
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幻想郷も梅雨に入ろうかという夏のある日。
多々良小傘は訝しんでいた。
今日自分はいつものように驚かそうとしてもピクリとも驚かないあのにっくき緑巫女「風祝です。か・ぜ・ほ・う・り」…風祝の東風谷早苗を今度こそ我が手で驚かしてやろうとしていたはずなのだ。
「どうですか小傘さん?美味しいですか?」「不味い訳はないだろうよ。早苗が作ったんだから。神奈子人参あげる」「そりゃそうだ。…いらないわよ。元はあんたのものなんだからあんたが食べなさいよ」
…何故自分は驚かそうとした相手にご馳走されているんだ?!それも凄く豪勢な料理がたっくさん!!!!
「えっと、ああ。うん。美味しいよ早苗」「そうですかぁ。良かった」
でもまぁ、この珍しくさでずむじゃない早苗の笑顔を見てるととりあえずはなんでもいいか、という心持ちになる小傘なのであった。
「あ゛あ゛?!この私が純粋な善意であんたにあげてやってるってのに断るってぇのかい!祟るぞこのクソバシラは!?」「祟ってみろクソガエル!あの流れるような押し付け方のどこに「純粋な善意」とやらがあったんだぁ?!あ゛ぁ゛!?」
…後ろで物騒な言葉が飛び出す割には凄まじくしょーもなく聞こえる言い争いをしている酒臭い神様たちは放っておいて。
「ねぇ早苗。何でわたしにこんなご馳走してくれるの?ありがたいけどさ。…はっ、まさかわちきをまるまる太らせて取って食うためとか言わないよね!?」「あんたは私をなんだと思ってるんですか。…今日は何の日か分かります?」「今日ぉ?今日って…6月11日だよね?何かあったっけ」「…あーもういいですよ小傘さんは知らなくて!」
(…この鈍感傘…)「えー、そんなこと言われるとますます気になるじゃない。何の日なの?」「いいから食べなさいよほら。小傘さんのあのショボくれた生活状態じゃ10年に一度食べられるかどうかですよこんな料理」「地味にひどいね?まぁいいけど。…うぅん、やっぱり美味しい!こんなのが食べさせてもらえるなんて、愛されてるねぇ。わちきったら」
そう。愛されている。幸せである。多々良小傘は。捨てられた忘れ傘は今は幸せな傘として。生きている。これからも生き続けていく。




…本当に?
鼓動が強くなる。動悸が激しくなっていく。
(待って、待ってよ、今は、今だけは…!)
意識が段々と混濁していく。抑えつけた鍵が開いていく。考えていない事、考えたくないことまで考えてしまうこの感覚。でもこんな感覚はとっくに慣れた。けれど、どうしてこんな時に限って。
明らかに様子のおかしい小傘を心配してか早苗が駆け寄る。
「ちょっとどうしたんですか小傘さん?もしかして悪い物でも入って…」笑顔を作る。「…ああ、早苗、ごめん。実は急に用事が入ってたの思い出してさ。こんなにご馳走作ってくれたのに、ごめんね早苗。本当にごめん。それじゃ」「あっ、ちょっと小傘さん!」
足早に神社を出る。早苗に今の自分の状態を悟られるわけにはいかない。悟られたくない。もしも知られたら。本当の『多々良小傘』を知られたら自分はきっと捨てられる。もう一度捨てられてしまう。
だって。

自分が傘だと思えない傘なんて、傘なわけがない。


東風谷早苗は当惑していた。
小傘の様子が見るからにおかしかったからだ。特に解せなかったのは今までずっとおかしい様子だった…という訳でもなく、ついさっき唐突に変な様子になっていた事。あれは一体…?
「だから私はいらないと言ってるだろうがこのファッキンフロッグ!」「あー?人参の一つも食えない軍神がいていいのかぁ!?食えよ食えよぉ!食えないって言うんならこの私が残された人参の分まで祟ってやるぅ!!」「いやお前が食べたくないだけだろうが!」「…」「図星だな?」「…ああ図星だよ!」「ほぉ〜、そうかそうかぁ!認めるかぁ!いや、いいんじゃないかい?認める事は必ずしも悪いことばかりではないからねぇ〜!うん!」「終いにゃお前本当に祟るからな?」
彼女は元々は人を怨んで生まれた捨て傘の付喪神だ。もしかしたらあの様子にはそこが関係しているのかもしれない。
…けど、それよりも今。自分が何よりも気にくわないのは。
(下手な嘘までついて、あんな笑い方しないでよ)


「おーおーおーおーそっちがその気ならこっちにも考えってものがある!」「ほぉー!どんな考えか聞かせてもらおうじゃないかぁええ!?」「おっぱじめるんだよ!」「何が始まるってぇのよ?」「第二次諏訪大戦よ」「へぇー、…クソバシラにしちゃ中々良い考えじゃないか。いいだろうよ!この辺り一帯焼け野原にしてやろうじゃないか…」
瞬間。
先日の宴会の酒が抜けきっていない神々が至極どうでもいい動機で異変級の大事を起こそうとしたその時、…守矢神社の壁に一本の御幣が突き刺さった。
「うるさい!!!!!」
「「ひゃいっ!」」
「人がさっきから考え事してれば好き勝手にベチャクチャベチャクチャベチャクチャ喋り倒して!!…私からすればこの場で今すぐあんたら封印してやったっていいんですよ…?」「「…さーせん…」」
壁に刺さった御幣を引き抜きながら己の遣える神に脅しをかける早苗の背後には蛇と蛙が混ざり合ったような、常人が見ればSAN値直葬待った無しの見るもおぞましいナニカが蠢いていたという。「後継ぎがあんなもん出せるんならうちの神社は当分安泰だねー」…とは、アレを実際に目の当たりにした諏訪子の弁である。
「…御二方!!!」「「はいっ!!」」「少し小傘さんの様子見てきます!!」
「「へぇっ?」」「やっぱりどうにも気になるんです!あの時の小傘さん、明らかに変でした。用事を思い出したみたいに言ってたけど、あんなの噓に決まってます。…でも、何かを思い出したっていうのは嘘じゃないような素振りだったんですよねぇ。一体全体どうなってるのか…」「…やっぱりか」「えっ、何か知ってるんですか?」「いーんにゃ、なんもない。それより。お前あの子を追っかけて何するんだ?」「何するって……分からないです。正直。小傘さんが心配で、それもあるんですけど…何て言えばいいんだろ。なんか、あのまま放っておいたら二度と小傘さんが私の前に現れなくなるような、そんな気がするんです。根拠なんて、…ありません、けど」少しだけ開いた間に早苗の恐れを、絞り出された声に震えを感じたのは気のせいではないだろう。普段は素直じゃないくせに、これだから人間というのは。
「…ほーん?ま、それならそれで別にいいけど」

「そろそろ行ってきていいですか?急がないと不味い気がするんですよ。このままだと何か、取り返しのつかないことになるような…」「まあまあ、そう焦りなさんな。…ちょっと真面目な話させてもらうよ」
先程までの酔っぱらいとは打って変わった様子の諏訪子を見て少々面食らいつつも早苗は話を聞くために諏訪子の方を向く。
「小傘って言ったっけ?あの子、早苗が思ってるより…ううん、早苗だけじゃない。あの子に関わった周りのやつらが思ってるよりもずっと重たいものを抱えてる。そんなもんをずっと背負って生きてきたんだ。ひとつの感情を拗らせたやつほど厄介なものはない」
…それ自分に思いっきり跳ね返ってないか?主に最後のあたり。
諏訪子とはかれこれ何百年の付き合いになる神奈子はそんな事を思ったが、そもそも当の諏訪子がいつもと比べるとそれをわりかし真面目な様子で話していて、早苗も話を特に気にする様子もなく聞いている。自分が余計なことを言って水を差すのもなんだかなと思い、神奈子は静観の構えをとる。
諏訪子が再び口を開く。
「…ここからが本題だ。なあ、早苗。お前はあの子がどんな姿見せたって、それが例えどんなものであったとしても、お前は小傘を小傘のまま見てやれるのか?」
沈黙が広がる。
質問を聞かれた早苗は押し黙ったままだ。恐らく質問の答えを探しているのだろう。
やがて早苗が沈黙を破った。その顔に笑みを繕いながら。
「ふっ。…諏訪子様ったら、私を誰だと思ってるんですかぁ?私は奇跡を司る守矢の天才風祝にして半人半神の現人神!苦しむ傘ひとつ救う事なんて容易いものですよ」「いや、そういう事じゃなくてさぁ…」
己の顔に広がる呆れを隠そうともせずに諏訪子が口を開こうとしたその時だった。
「言われなくたって!小傘さんは小傘さんですよ。変わる事なんてありゃしません。あの傘は。情けなくて、他人を驚かさなきゃ生きていけないのに人一人驚かすことも出来なくて、自分も妖怪のくせしてバカみたいに怖がりで、時々見てて心配になるようなとこがあって、…でも。誰よりも強くて、誰よりも優しい、たった一つの最高の傘なんです。私なんかが追いつく事なんて到底できやしない、たった一つの」
諏訪子と神奈子は息を呑んだ。まさか知らないうちに自分達の子孫がただの弱小妖怪一匹にここまで魅せられているとは、思ってもみなかった。
「それに」
少し間を空けて早苗がまた口を開いた。
「小傘さんを助けられるのは私だけなんですよ」
それはひどく不確かな言葉の筈なのに、確かな確信を感じさせた。
なぜ早苗がここまで自信を持ってこの言葉を発するのかは分からない。だが、考えられるとするならば。
それは、早苗自身の過去に関係するのかもしれない。
思えば、生まれた時から早苗は周りとは違っていた。違いすぎていた。
俗人には持ち得るはずのない緑の髪を持って生まれ、俗人には見えない『もの』が見える緑の瞳を持って生まれ、俗人には理解することのできない類い稀な頭脳を持って現世に生まれ落ちたこの少女は。
誰からも愛されず、誰からも認められず、誰からも捨てられた。そう。捨てられたのだ。
小傘と同じように。
そんな早苗が、小傘の事をここまで想うのは不思議なことではないのだろう。
「…わぁーったわぁーった。答えによっちゃお前を止める事も考えてたけど。…そこまで言うんなら行ってこい。あーでも、結果がどうなってもあたしゃ知らないよ。そもそも私はあの唐傘おばけがどうなろうと知ったこっちゃない立場なんだから。こっちはあんたがああやってグダグダ喋ってるのを「知るか」って突っぱねたって構わないぐらいなのにさぁ。むしろここまで聞いてやったのを感謝されたっていいぐらいだよ」「分かってますよ。…ありがとうございます。私に小傘さんの苦しみを背負う覚悟を持たせてくれて。それじゃ、行ってきます」
こうして早苗が神社を出ようとした、その時。
「あ゛ーーーっ!!!!」「うるさっ、…どうしたんですか突然!?」「大事なこと聞くの忘れてたわ!あんた小傘を追うのはいいけど、まずそもそもどうやって探すのよ?!」「…あっ、忘れてたぁ!あああ、一体どうしたらぁ…!」「ほーらやっぱり!」
「……と、お焦りのあなたに!」「…ああ?」「そんな時には、これ!」
よく分からない茶番を挟んで早苗が唐突に何かを取り出して見せた。
「これって…何かの機械?」「ちょっとした発信機ってやつですよ。今風に言うなら?そう!G!P!S!以前小傘さんが来たときあのいつも持ってる傘に仕込んでおいたんですよ」「…いやあんたさぁ。人のもんに勝手に発信機付ける倫理観とかもそうだけど、色々言いたくて仕方ないけどまずここがどこか分かってんの?あとそれどこで手に入れたのよ」「質問が多いですねぇ。ここは幻想郷でしょ?もっと詳しく言うならこの地点は守矢神社。幻想郷では常識に囚われてはいけないって言いますよねぇ。いつ聞いても至言だわ。どこで手に入れたかってのは、そもそも小傘さんがこれを持ってきたんですよ。「これ拾ってきたんだけど何なのか早苗知らないー?」って。あのいつものバカっぽい感じで。で、丁度良かったから仕込ませていただいたってことですよ」「丁度良くて発信機仕込む神経が分からん…」「…もーいいや。さっさと行って来な。あんたの覚悟の結果がいい方向に行くようにちょっとだけ祈っといてあげる」「ちょっとだけでもありがたいですね。それじゃ、今度こそ行ってきます」
そうして、早苗は神社を出た。
小傘が苦しんでいると言うのならば、自分が助ける。自分がその苦しみを背負う。そんな思いを胸に抱いて。



空模様が、怪しくなってきた。






あれからどれだけ歩いたのか。
あたりに広がる木々を見るにここはどこかの森なのだろう。近くの木へ崩れ落ちるようにして小傘は己の身を落ちつける。
心なしか息が荒い気がするがこれでも今は大分落ち着いたほうだ。…だがこれは一時的なものに過ぎない。いずれまたあの強烈な感覚が襲ってくる。
そうなる前に急いで神社を離れたのだ。早苗が今の自分を見たらきっと心配するに違いないから。早苗はああ見えて誰よりも優しいから。早苗には自分の心配なんてしていてほしくない。早苗にはずっとずっと笑っててほしいから。例えそこに自分がいなくとも。

けれど、今日まで早苗と一緒にいて。自分が早苗の作ったご飯を食べて、早苗が笑っているのを見て。もしかしたら自分もここにいていいのかもしれないと、そう思って。
だが。
「…っ!く、ああぁぁぁあ…!」
再び記憶が溢れてきた。使われた記憶、捨てられた記憶、生まれた記憶、記憶、記憶、記憶。
数えきれない記憶が溢れかえって混濁していく。
打ちつけるような頭の痛みと押し寄せる苦しさや吐き気の前に小傘は只々のたうち回る事しか出来なかった。
記憶が辿られてゆく。
幸せだった記憶。顔も覚えていない、けれど考えられる限りでは持ち主だったのであろう人間に自分の事を使われる幸せ。
けれど、どれだけ幸せでもそれは長く続かない。
捨てられ、悲しみ、苦しんで。恨んで恨んで恨み果てた末に気づけば己の眼に写っていたのは、自分が憎くて憎くて仕方がなかった人間という生き物と同じ形をした少女。
「うっぷっ…!」
自分の中からこみ上げてくる物に耐えられず、小傘は己の中のモノを吐き出していた。
「うぅえっ…うぇっ……げほっ、げほっ、うっ、げぇぇぇ…」
吐き出されていく。早苗が作ってくれたものが、早苗がくれた幸せが、全てが流れていく。
ああ。痛い。吐き出されていくそれが幸せであればあるほど痛くてたまらない。それはまるで鋭利に尖った刃物のようにして心を突き刺す。
お前はあそこにいてはいけないんだと、お前は幸せになってはいけないのだとでも語るように。

「げぇぇぇっ、ぉぇっ、おぇぇぇぇ…」
吐いて吐いて、吐き続けた。
吐いてる間にいつからか降り出した雨にまぎれてこの吐瀉物の形をした苦しみの塊が溶けて消えやしないかと、何度も何度も思った。
けれどそんな事を思ったって、消えるはずなんかなくて。
どこか虚しいものを感じながら吐くだけ吐いて落ち着いた小傘は傘を杖がわりに立ち上がろうとした。

その時だった。
「…小傘さん?」
声が、聞こえた。
それは小傘が今一番聞きたくて、今一番聞きたくなかった声だった。
声の主はまるで見たことのないものでも見るような目で自分を見ていた。けど、それでも自分の事を心配しているというのが嫌でも伝わって。
だけどその目は、その顔は、小傘が見たかった顔ではなくて。
自分が早苗をこんな顔にさせたんだと。早苗の笑顔をこんなに曇らせているのは自分だという事実をむざむざと突きつけられてしまって。
早苗にずっとずっと笑っていてほしいと願ったのは、誰でもない自分自身のはずなのに。

…ああ、やっぱりわたしは早苗の近くにいない方がいいのかもしれない。

「ちょっ、小傘さん!?」「ああ、早苗。いたんだ。なんでいるの?」「何でって」「あぁー、追ってきたのか。そりゃそうだよねぇ。妖怪退治が巫女の本分だもの。明らかに様子が変な妖怪なんてさっさと追っかけてさっさと退治したほうが世の為だもんねぇ」「…いや、あんた何言ってるのよ?変ですよあんたさっきから!ちょっと、小傘さん?」「変?やだなぁ、わたしは最初からわたしだよ?そう。…最初からわたし、は、何にもなれない中途半端な、なに、か…」
どさりという鈍い音が響く。
「〜〜!〜〜!!〜〜〜!?」
(…聞こえないよ)
ふらつく体を動かしているうちに、身体も心も、全てが限界に近かった小傘は薄れる己の意識を手放すのだった。



あーあ、早苗。わたし早苗が作ってくれたご飯、戻しちゃった。怒る?
まぁ、怒るよね。早苗、ごめんね。ごめん、
早苗。
あれ、早苗?どこにいるのよ?
なにかいってよ。…ねえ。



「あぁぁもぉぉぉどこいったのよあのトンチキ傘はぁ!」
早苗は小傘の進んだ形跡を追って猫の一匹いなさそうなこの鬱蒼とした森に入った。
そして小傘を追っていたら聞こえた何かが倒れるような物音の方向に向かっている。あれからどれだけ経っただろうか。それほど時間は経っていない筈だが自分にとっては何分も何時間も経っていたような気がしていた。
とても生きている心地がしなかった。走り続けて恐らく数分程経ってたどり着いた茂みでふらつきながら立ち上がろうとする小傘を見つけるまでは。

そして、今に至る。
「…小傘さん!小傘さん!!まさか…小傘さん!?」
いくら揺すぶっても反応がなく、そんな筈はと早苗は考えうる限りでは最悪の想像をしてしまい小傘の心音を確かめる。
「…ああ、よかったぁ…」
少なくとも鼓動が途切れているという事はなかったようで早苗は己の心中に広がる安堵の色を隠すことができなかった。
「…にしても」
小傘の顔がやけに上気している事に気付いた早苗は小傘の額に手を当てる。
「あっつ!ひどい熱じゃないのよ…!」
妖怪が熱を出したらこんなに熱くなるのかと幻想郷にやってきて早数年程度もない早苗は初めて知り面食らいつつも、ここからこんな大熱を出している小傘を抱えて守矢神社まで戻る事が出来るかを考える。
しかし。
「…無理ですね。まずここが何処か分からない」
自分は小傘が向かった痕跡を辿ってここまで来たのだ。行きについては問題なかったが帰りの事は全く考えていなかった。
諏訪子と神奈子の前ではあれだけ余裕ぶった振る舞いをしていた自分が心の内ではどれだけ動揺していたのかを早苗は痛感した。
「参ったな…」
どうやら小傘を抱えて歩き続けるしかないようだ。しかもさっきまでは気づかなかったがどうにも空模様も怪しい。こうなってくると体力、そして雨が降り出すまでの時間との戦いになる。
「…仕方ない、か。いっちょやりますかね」
こういうシチュエーションはパターンで言えば歩き続けた先に数十年は使われていない老朽化した古い小屋があるものだ。
…まあ、そんなご都合主義が実際にあるはずないとは分かっているがそれでもこんな不気味な森の中に閉じ込め続けられるよりはそのご都合主義を信じて先に進むしかないだろう。
自分は奇跡を司る守矢の風祝。
あり得るはずがない事をあり得るようにするなんてことは飽きるほどやってきた。
そうやって半ば自分に言い聞かせるようにして早苗は未だ意識の戻らない小傘と共に進む事を決めた。なるべく安息できる場所にたどり着くまでに雨が降り出さない事を祈りながら。

「…いや本当にあるんですかぁ!?」
歩き出してから幾程か経ってひとまず森を抜け出すことは出来た。そしてたどり着いた先にはまさにテンプレ通りと言わんばかりの古小屋があったのだ。…確かにあれば助かるとは思ったがいざ実物を見るとご都合主義が過ぎると思うのはあまりにも勝手だろうか。
「まあ、あるものはあるものだし。使わせてもらいますかね」
他に使っている人間がいるかもしれないという可能性はなるべく考えないようにして早苗は古小屋の戸を開ける。

小屋に入った早苗は床の埃を払って熱で呼吸の安定しない小傘を寝かしつける。布団の一つでもあれば良いのだがこんな古ぼけた建物に贅沢は言っていられない。しかも不運というのは重なるものなのか、いま外は今年の幻想郷では初めてではないかと思われる勢いの豪雨に見舞われている。
「小傘さんの意識が戻ったとしても、これじゃどうにもなりませんね…」
このままでは出ようにも出られない。
ただ幸か不幸か豪雨のおかげで小傘の異常に高い体温を下げる為のものには困らない。と言っても巫女装束の袖をちぎって濡らした物しかないが。まぁ、それでも多少の気休めにはなるだろう。せっかくの服に傷つけちゃってごめんなさい神奈子様。
そんな事を思いながら小傘の顔をまじまじと見つめた瞬間、早苗は何かに打ち抜かれたような感覚に襲われた。
普段建物の中にいるよりは外に出ている時間の方が断然長いはずの小傘の肌が異様に白い事に気付いたのだ。小傘自身が端正な顔立ちなのもあってその白さはどこか病的なものを感じさせて。熱で上気した顔が余計にその病的な感覚を加速させる。
今まで感じた事のない思いに戸惑いを隠せずに早苗は小傘の寝顔から顔をそらす。
鼓動で胸が痛む。
(なによ、これ)
これは今回の件でずっと感じていた小傘の事を守りたい、小傘の事が心配だという感情よりは、魔性が発する危うい魅了にかかる感覚に近くて。
信仰するというのはこの感じなのかもしれないと、早苗は自らが隷属する教えに正気を失った目で縋る者もいる事を思い出しながら考えた。正直理解の出来ない感覚だったが実際に自分が限りなく近い状況に置かれるとなるとああなるのも少し納得できる。理解だけはしたくないが。
「…ん」「あ、小傘さん?起きましたか?良かった」
そんな事を思っていたら今の今まで目覚める様子のなかった小傘が遂に目覚めたようだ。早苗は己の中に広がる安心の念を感じながら小傘に駆け寄る。目覚めたばかりの小傘は立ち上がろうとする。だが倒れる直前までも続いたあの打ちつけるような頭の痛みにそれを邪魔される。
「…ッ!」「ちょっと、無理するんじゃないわよ!今までずっと倒れてたんですから、そんなすぐに立てる訳ないでしょうが!それに外は聞けば分かるとおりとんでもない雨なんですよ?今の小傘さんが出たってまたさっきの二の舞になるだけなんですよ!?」「それでも行くんだよ。行かなきゃいけないんだ。だってわたしは傘だから」「傘だからって…それは違うでしょう!あんたが傘だからってそれは小傘さんが自分を大切にしない理由にはならな…」「だったら!!!」
雷が響いた。
「…だったらどうしろって言うのよ」
豪雨の勢いは増すばかりだ。
その雨が今の小傘の心を表しているかのようで、早苗は何も言う事が出来なかった。
「小傘、さん」「…あ、っ、ごめん早苗。ごめん、……ごめんなさい、ごめんなさい…」
浮かされたように頭を抱えてごめんなさいごめんなさいと自分ではない何かに対する謝罪の言葉を繰り返し続ける小傘を見て早苗は何をすればいいのか分からなかった。
(あの子がどんな姿見せたって、それが例えどんなものであったとしても、お前は小傘を小傘として見てやれるのか?)
神社を出る前に聞いた、諏訪子の言葉が脳裏に蘇った。
「…小傘さん…」「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめっ…」
ただ、今の小傘を見ていられなくて。早苗は気付けば小傘を抱きしめていた。
「小傘さん」「ふぇ」「もういいですから小傘さん、…もう、いいから…」「…っ」
早苗はそれから何も言う事はなかった。ただ小傘を受け入れるように、離さないように強く強く抱き続けた。
小傘は早苗に抱かれながら、何をするでもなくただ早苗に縋り付いて震えていた。

とても長い時間だったと、思う。
いつしか震えは収まって落ち着いた様子の小傘が早苗を静かに引き剥がす。
「…もういいんですか?」「うん、ありがと早苗。それから、ごめん」「何を言いますか、謝ることなんてありません。小傘さんが痛かったら私も痛いんですから」「そっ、か。わたしが痛いと、早苗も痛いんだ」
まだどこか正気を保てていないような様子の小傘がぽつりと呟いた。
「わたしは、だれですか」
「小傘さんは小傘さんですよ。それ以上でもそれ以下でもありません」「…うん」
怖かった。小傘が小傘である事を肯定しなければ、小傘が今の何かが違う小傘のままどこかに消えてしまいそうで。
小傘が早苗を見つめる。
「早苗、今から早苗に聞いてほしい話があるんだ」「はい」
小傘の雰囲気が変わった。けどこれは、早苗の知る小傘の姿に近いように感じた。
内心安心しつつも早苗は小傘の話を聞くべく小傘の顔を見て、今もなお揺れているオッドアイを見つめる。
小傘が口を開く。
「わたしはさ、捨てられた傘でしょ?そこは早苗も知ってると思うけど。たださ、これは早苗も知らない事だと思う。
…わたし自分が捨てられるまでの普通の傘だった頃の記憶がおぼろげなんだ。思い出そうって思っても思い出せないの。まるで鍵がかかったみたいに」「鍵ってことは…もしかしてこれまで小傘さんの様子がおかしかったのって」「そ。いつもはぜーんぜん思い出せないのに、ある時急に記憶が溢れてくるんだ。例えるなら、開かないように開かないようにって厳重に閉じられた鍵が無理矢理こじ開けられるように。で、すっごい痛みとかしんどさとか吐き気とかが襲ってくるの。人間はこれを『発作』って言うのかな?ま、違うにしても近いものはあるんじゃないかな。これがただ単に記憶が溢れるってだけなら別に耐えられないこともないけどさ。…辿っちゃうんだよ。記憶を。最初は使ってもらえて、とてもとても幸せな記憶が蘇る。けど段々使われなくなって、見向きもされなくなって、そして。…捨てられて」
早苗は小傘の話を聞いて、正直合点がいった所もあった。今までずっと不思議だったのだ。日頃から小傘は自分が傘である事をしきりに主張していた。それは「自分が傘として生まれたのだから傘である」といういわばアイデンティティーとも言える物。…というよりは、「自分は傘として生まれたのだから傘でなければならない」という強迫観念にも、執着にも感じられて。ずっと彼女の本当の思いが知りたかった。一体何を思っているのか。何を感じていたのか。
…その本心は、ただ苦しかったのだ。自分の過去が思い出せない苦しみ。思い出せても、それはただ自分の味わった痛みの象徴にしかならない苦しみ。人に使われたいはずなのに、人を憎んでしまう苦しみ。小傘にとって自分が自分として存在できる最大の証明である『傘』というアイデンティティー。けれどそれは少し突けば音を立てて崩れる脆い物でしかなくて。
「…痛かった」
小傘がぽつりと呟いた。小傘の雰囲気が、また変わった。
「痛かったんだよ!ずっとずっと!!寒くて暗くて辛くて怖くて!!憎んでも恨んでも呪っても足りなかった!どうしてわたしを捨てたの!?どうして『わたし』がいるまま捨てたの!?ねえ!!壊してよ!いっそのこと魂も何も残らないくらいぐちゃぐちゃに壊してよ!そうしてくれたらこんなに苦しまないで済んだんだ!なのに!…ねぇ、捨てないでよ、捨てないで…」
早苗の胸ぐらを掴んで小傘がまくし立てる。
ずっと疑問に思っていた。
何故そんなに己が傘であることにこだわるのか。何故人間を恨んで生まれた筈なのにその人間に自分を使われようとするのか。
それら全ては、小傘が自分で自分を押さえつけていたからだ。
人を憎む自分を。捨てられた痛みに苦しむ自分を。たった一つのか弱いアイデンティティーに縋るしかない自分を。
全て抑えて。今日神社を出た時のように、痛みを堪えたようにして笑って。
どれだけ苦しかっただろう。どれほど辛かっただろう。
ああ。自分が小傘の記憶になれないのが苦しい。彼女の記憶になれれば、彼女の痛みになれれば。小傘にこんな苦しみなんて味あわせない。痛みとなって、記憶となって、彼女が痛みを感じない場所まですぐに消えてやるのに。
「…あああ、痛い!痛いよ!!幸せなのが痛い!どれだけ幸せであっても結局捨てられる!「...小傘さん」だってわたしは捨てられたゴミだから!早苗だって、誰だって結局わたしの事を捨てる!「小傘さん」見向きもしない!それじゃ傘になんかなれない!誰かを守る傘になる?そんなの誰にも使われないのなら意味がない!「小傘さん!」わたしは、わたしは…」「小傘さん!!」「…さ、なえ」
ならば。自分が痛みになれないなら、せめて自分は彼女の痛みを共に背負いたい。だから。
「小傘さん、あなたは誰にも使われないのなら意味がないって、そんなのは傘じゃないって言いましたよね?今さっき。だったら、…だったら」
けれど。果たして自分は今から言う台詞を彼女に放っていいのか?そもそも彼女との出会いからして自分は散々好き勝手な事を言ってきた。きっとそれも今小傘が苦しんでいる原因の一つだ。なのに、今更涼しい顔をして話せるのか?



ふと、気づいた。
小傘が見つめている。
不安そうな顔で。何も言わずに。
ただただ、見つめ続けている。
...ああ、そうだ。ここにいる理由は最初から決まっていた。
(私は、ただ小傘さんに笑っていてほしいから。あんな作った笑顔じゃなくて、心から小傘さんに笑っててほしいから。だから)

...確かに彼女を苦しめたのは自分だ。だが今彼女を助けられるのもまた自分だけなのだ。それなのに、逃げてどうする。お前は、奇跡を司る守矢の風祝じゃないのか。苦しむ傘一つ救えないで何が奇跡だ。何が現人神だ。
彼女の苦しみを一緒に背負ってみせると言ったのはお前だろう。
「…小傘さんが誰にも使われないなら、小傘さんが誰の持ち物にもなれなくて苦しんでいるなら、私は…あなたの、『多々良小傘』の持ち主になります!!!」
雷が、また響いた。
その時の小傘の表情はよく覚えている。
驚いているような、言われた事をよく理解しきれていないような、何とも形容しがたい表情だった。


…ここから先は何があったのかよく覚えていない。気付けば早苗は守矢神社の、自らが飽きるほど見てきた部屋の天井を見つめていた。
傍らに小傘の姿は、なかった。ただ、紫の唐傘だけが早苗を見つめていた。
「…小傘、さん?」


「…はぁ…」
戻って来た。あの状態の小傘を連れてどうやって守矢神社まで戻ったのかは覚えていない。神奈子と諏訪子が言うには急に変な物音がしたと思ったらボロボロの自分が同じくボロボロで少し酸い匂いがする小傘を抱えて倒れていたらしい。が、そもそもそこまでの顛末を覚えていないのだからどうしようもない。
小傘が今の自分は傘なんかじゃないと、誰かの守るための傘になんてなれないと己の苦しみを吐き出して。ならばと、小傘が誰かの持ち物になれなくて苦しんでいるなら、そんな小傘を自分の持ち物にすると叫んだあの瞬間、あれ以降の一切の記憶がない。
気がついた時には小傘は既に姿を消していた。いつも肌身離さず持っていた傘を置いて。あれから数日経ったが未だに小傘を見たという情報は入っていない。神奈子と諏訪子に聞いても知らないという。
誰より傷つききってるくせに、誰にも言わず誰にも頼らずたった一夜で姿を消したのだ。あの大バカ傘は。

どうして彼女は姿を消したのだろうか。ただ姿を消すだけならまだしも、人里にも妖怪の山にも墓地にすら、何処にもいない。まるで「多々良小傘」という存在の痕跡がまるきり消えたように。もしやと思って博麗神社にもわざわざ足を運んだ。返って来た声は今自分が何よりも聞きたい小傘の声ではなく「あー?ああ、あの唐傘おばけならいないわよ。どこにもいないってんなら成仏して元の傘にでも戻ったんじゃない?ほら、あんたが持ってるそれみたいな。まあ私は知らないけど。
…ていうかあんた、寝てる?凄まじく不健康な顔してるわよ」という縁側で茶ばっかり飲んでる働いてるのか働いてないのかも分からない紅白巫女の無愛想極まりない声だったが。ただ、最後は割と真面目に心配された気がする。そんなにひどい顔をしてるのか今の自分は?まぁ、そんな事はどうでもいい。
そんなことよりも小傘はどこへ行ったのか。霊夢の言うように元の傘に戻ったという可能性もあるが、それならば自分が今持っている傘から瞳と舌が消えてただの傘に戻っている筈だ。何より、…そんな可能性は考えたくない。
考えれば考えるほどため息が出てくる。
「…はぁぁ…」
「ねぇ、なんとかならないのあれ?見てるこっちが気が滅入ってくるんだけど」「うーむ…どーにも、ありゃあやっぱ駄目だったっぽいねえ。いや、わざわざ連れ帰ってたんだし一概にも駄目とは言い切れないか?…何にせよ、何考えてんだあの妖怪唐傘お化けは」「…御二方」「ああ?どうしたのさ早苗」「布教行ってきます。今日の予定でしょ?確か」「…ああ、ええっと、それなんだけどさ。今日の所はいい。そんなだと布教される側も気ぃ滅入って仕方ないし。布教活動で信者が減りましたー、なんてお笑いにもならないよ」「そうだねぇ。どうせなら布教はしなくとも外の人里にでも降りてきたら?少しは気晴らしになるだろうよ」「すいません、気を遣わせて」「いいっていいって。…ああそうだ、言っとくけど。背負いこむんじゃないよ。あの子の事もだけどさ、色んな事をあんたは背負いすぎだから」「分かってますよ。行ってきます」
小傘の置いた傘をその手に未だ握りしめたままの早苗を見送った諏訪子がぽつりと漏らした。
「…ほんとに分かってるのかねぇ」

二柱に勧められて人里に降りたはいいがどうにも何処へも行く気になれない。それどころかこの人だかりの中にもしかしたら小傘の姿があるかもしれないと探してしまう始末。これじゃどうにもならない。
「…はぁ」
先程から止まらない溜息に釣られてか、外の空模様も怪しくなってきた。そう遠くないうちに土砂降りになる気がする。
…だが、そうやって雨が降るからこそ、小傘が自分の事を迎えに来てくれるのではと、思ってしまうのだ。傘は自分が持っているのに。それに今更そんなことを考えたって、結局自分も彼女を傷つけた「人間」の一人でしかないのかもしれないのに。
…ああ、駄目だ。今の自分は何をやっても彼女の事が頭によぎってしまう。
「…小傘さん」「呼んだ?」
…今一瞬凄まじく聞き覚えのある、それも今一番聞きたい声がとてつもなく軽い雰囲気で聞こえた気がするがまあ気のせいか幻覚だろう。いや声が聞こえるんだから幻聴か。
「あなたは何を考えてるんですか、教えてくださいよ。ねぇ」「えぇー?べっつに特段大層なことは考えてないよ?あ、でもここ最近は割と色々考える事はあったかなぁ」
…もし仮にこれが幻聴じゃないとして、こんなにムードも雰囲気も流れも何もないような登場の仕方があるか?思わず吐き出される溜息とともに頭を抱えてしまったがこれは仕方のない事だと思う。
「あ、ちょっと。今凄い失礼な事考えてるでしょ。わちき分かるんだから」「…人がシリアスにもの考えてるってのになーに呑気な事言ってるんですかこの大バカ傘ぁ!!」「うわぁびっくしたぁ!…あ、気づいた?へへー、驚いたでしょ」「…ええ、驚きました!驚いたわよ!!あんたのそのムードの無さにも!今まで何してたのかさっぱり分からなかったのに今になって唐突に現れたことも!全部全部!!全部驚きましたよ!!!」「なんか凄い勢いでボロクソ言われた気がするんだけど?はぁー、相変わらずさでずむだなぁ早苗はほんとに…」
こうしてまたいつものようなじゃれあいが始まろうとしたその時。早苗を我が手で驚かせるという悲願が遂に叶った小傘は今度はまたしても逆に驚かされる羽目になる。
己の言葉を言い終わらないうちに早苗が抱きついてきたのだ。
「おわぁぁ?!」「けど!何よりも、…安心したんです!私とまだこうして関わろうとしてくれる事に、あなたが何事も無くここにいる事に!あなたに傘を返す事ができるのが!小傘さん、私は、私は…!」「…あー。うん、分かってる。でもさ早苗。そんな顔しないで?私はあの時のことで早苗に傷つけられたとか、そんな事は少しも考えてない」
早苗がおずおずと顔を小傘に向ける。その表情はこれから自分が叱られると思っていたのに、それが違っていた子供のような幼さを感じさせた。
「むしろ救われたの。早苗が私の持ち主になってくれるって、早苗が私を使ってくれるって。そう聞いて本当に嬉しかった。でもね、今のままだと多分わたしも早苗もお互いに引っかかったままだと思うから。だから聞かせてもらうよ」「小傘さん…?聞くって、何を」
抱きついている早苗を離す。このままの態勢でもいいのだがそれでは少々喋りにくい。一呼吸置いて、早苗の緑の瞳と自分の片方ずつが色違いの瞳を合わせて小傘が口を開く。
「わたしさ、今日こうやって早苗に会うまでずっと考えてたんだ。わたしは本当に人間を恨んでいるのかって。ずっとずっと考えた。…けど答えは出なかった。わたしは人を恨んでるのかもしれないし、もう恨んでなんかいないのかもしれない。分かんないのよ。ぐちゃぐちゃで。でもひとつだけ確かな答えが出た」「…答え?」
「もう人間がどうとか、そういう事はよく分からないの。これはもしかしたらでしかないけど、そのうちわたしは、人間が憎くて仕方ないわたしだけになってしまうかもしれない。…けど、例えそうなったとしてもわたしは早苗の事なら信じられる。そう思ったの。あれだけ考えて出た答えは結局それしかなかった。でも、それだけで良かったから」
小傘が人里どころか妖怪の山や墓地にすら姿を現さなかった理由。それは彼女が己の答えをずっと探していたからだ。迷って迷って、結局自分が探し続けた答えが見つかることはなかった。けれど確かな、そして今の自分にとって何よりも大切な『早苗を信じる』という答えを見つけ出せた。だからそれで良い。そう思って彼女は再び早苗の前に姿を現したのだ。
そして小傘は早苗に会ったら一番に聞きたかった事を話す。答えがどうであれ、これを聞かなければ自分は早苗の持ち物にはなれない。なれるはずがない。だから。
「ねえ、早苗。…ほんとにわたしでいいの?わたしが早苗と一緒にいていいの?わたしは、『多々良小傘』は、『東風谷早苗』を持ち主にしていいんですか?あなたと共に在る事が許されるんですか?…答えて」
真剣さと、悲痛さがないまぜになったような声色だった。

小傘の問いを聞いた早苗が口を開く。
「奇遇ですね。…私も同じ事考えましたよ。あれだけ言っておきながら、しておきながら私はあなたの持ち主になるって、今更そんなこと言えるのかって。けど、あんなに苦しんでる小傘さんを見捨てられなかった。小傘さんの苦しみを一緒に背負うにはどうしたらいいかって、必死に考えて出たのが私が小傘さんの持ち主になる事だった。これしかないって、そう思ったんです。…だけどそれが本当に正しかったのかどうか分からなくなって!もしかしたら私は小傘さんの傷をより深く抉っただけなんじゃないかって!そう思うと怖くて怖くて仕方がなくて!
…けど、同じだったんですね。私も、小傘さんも。持ち主にさせてほしい、持ち主になってほしい。考えてる事は一緒のくせして一人でウダウダ悩んでた事も。全部全部。同じだったんだ。こう言うとあれですけど、少し嬉しいな」

答えなんて、そんなもの最初から決まっている。ずっと最初から。
「小傘さん、私はあなたが良ければ。私は、『東風谷早苗』は『多々良小傘』の持ち主になります。あなたを私の傘にしてもいいなら、こんなに嬉しい事はありませんから」
心からの想いだった。もしかしたらこれは全て自分の勝手なエゴかもしれない。自惚れかもしれない。けど、どれだけ勝手でもこれが自分の小傘に対する想いだ。それを誰にも否定なんてさせない。

小傘はずっと聞いていた。早苗の本心を。
普段はあんなにさでずむで素直じゃないくせに、そんな早苗がこれだけ自分の事を想ってくれているという事がどうしようもなく嬉しかった。
「そっ、か。わたしは早苗の『もの』になっていいんだね。早苗と一緒にいていいんだよね。…嬉しいなぁ、なんでこんなに嬉しいんだろ。ただ好きとか愛してるとか言われるよりよっぽど嬉しくてたまらない」「私達にとってはこれが所謂愛の言葉なんですよ。きっと」「愛かぁ、愛ねぇ…そういうのともまた違う気がするけどね。じゃあ何なのかって聞かれても分かんないけど」
互いに対する想いの丈を吐き出せた所有者と所有物は語り合う。
ふと小傘が以前から気になっていた疑問を呈する。
「そういえばさ、結局こないだの6月11日って何の日なのよ?聞くに聞けなかったから今聞くけど」「…言わなきゃいけません?」「言わなきゃいけないよ、ずっと気になってたもの」「…ま、もう日にち過ぎてますしね。言っちゃいましょうか。小傘さんは『傘の日』って聞いた事あります?」「え、何そのわちきのためだけにあるような日。聞いたことないのがちとくやしい」「やっぱ聞いた事ありませんかぁ。まぁそうだろうとは思ってましたけど」「…それでさ、何でその『傘の日』っていうのにあーんなご馳走用意してくれたの?もしかして、…わたしの為だったり、する感じ?」
「わたしの為」という言葉を聞いた早苗の様子が明らかにおかしくなる。
どうやら図星だったらしい。
「い、いええ?わ、わ、わわわ、私は別にあなたの為って訳じゃなくて???た、た、たまたま傘の日だって言うんでちょっとしたご馳走作ったらぁ???これまたたまたま小傘さんが来て…ってわひゃぁぁあ?!」
「たまたま」、なんて筈がなくて。
顔を真っ赤にして今更わかりきった照れ隠しをする早苗の姿がどうしようもないくらい愛らしく思えて、気がつけば小傘は早苗の事を力の限りに抱きしめていた。
「ちょ、ちょっ、こ、小傘さん、小傘さん!」「 んあ?ああ、ごめん早苗。止まらなくなっちゃってさ、可愛いなぁ早苗って思ってたら。気づいたらこうしてた」「かわっ…」
「可愛い」という言葉を受けてただでさえ真っ赤だった早苗の顔がより一層赤みを帯びる。
早苗が外の世界から持ってきた本か何かにこういう生き物が書かれてたなぁ、なんて事を思いながら小傘は早苗が包まれるような形に抱き寄せる。
「うう…何で私が小傘さんに抱かれる側なのよ…いつもは逆でしょうがこういうの…」「でも悪くないんでしょ?こういうの」「…う〜!うぅ…」
またしても図星を突かれた早苗はしばらく可愛らしい呻き声を発してぱたぱた暴れていたが少し経つと小傘の体に素直に己の身を預けていた。ぽんぽんと背中を一定のリズムでたたかれるその姿はまるで母に抱かれる子のようにも見えて。押し寄せる味わったことのない感覚に母性ってこういう事なのかなとたまに人里でベビーシッターをする事もある(ただし相手の了承を得ることはない)小傘はふと思って。
一人の人間をこんなに大切だと思ったのはいつぶりだろうかと、思い返す。だが今までを思い返してもこんなに想う事はなかった。
わたしを捨てた、顔も覚えていない元持ち主にこの光景を見せてやりたいなあ。どう思うだろ。
そんな事を思い、自分に身を預ける「今の持ち主」を見つめる。

しばらく経って、早苗の方から小傘を引き離す。
「あれ、もういいの?」「ええ、これ以上抱かれると私の方が保ちません」「えー、わたしは全然大丈夫なのに」「私が大丈夫じゃないんです!」
ペースを握られている相手が逆な事を除けばいつもとさほど変わらない言い合いをしていると体に冷たい感覚を感じて空を見上げる。
「お、降ってきたねぇ」「そうですねぇ」「いよっし!それならばこのわちきが神社まで送ってさしあげようではないか…って、あり?ありりり?傘がない」「小傘さん」「うん?…ああ、そっか。そういや神社に置いてったままだったね。早苗が持ってたんだ。今まで持っててくれてありがと。早苗」
呼びかけると早苗は小傘に傘を渡す。やはりこの傘は自分ではなく小傘が持つべきだと、そう思う。
「ぉぉぉ…ひさしぶりのかんかくぅ……また会えて嬉しいよ我が半身……」
それにしても少しリアクションがオーバーすぎやしないかと、笑みがこぼれた。
「…じゃ、今度こそ帰ろっか、早苗」「ええ。帰りましょ。…そうだ、どうせだし泊まりなさいな。多分明けるまで降るでしょうし、この雨」「うん、それならお言葉に甘えさせてもらおうかな」
本当に愛されている。幸せである。多々良小傘は、捨てられた忘れ傘は今は幸せである。
素直じゃなくて、さでずむで、度の過ぎたナルシストで、たまに少し悪どくて。けれど、自分の事を傘と呼んでくれる。使ってくれる。そんな、他の何よりも大切な持ち主と一緒に生きていく。これからも生き続ける。きっと、忘れ傘にもそんな幸せがあったっていいんだ。小傘は、『もう一度誰かの持ち物になれた傘』はそう思う。




「そういえば小傘さん」「んー?」「あんたさっき素でその傘忘れてたみたいな顔してましたけどまさか本当に忘れてたんじゃないでしょうね」「あー、あれ頭の整理がついたら必ず戻るってメッセージのつもりだったんだけど。分かんなかった?」「…あの状況で分かる訳ないでしょこのオタンコ傘ぁ!!」「えぇ!何で!?」「せめて書き置き残すとか何とかするとかあったでしょうが!?」「無茶言わないでよそこまで頭回らなかったのに!」「回らなかった頭でメッセージ残すなんて片腹痛い事言うんじゃないわよ!」「仕方ないでしょー!あれ以上早苗に迷惑かけられないと思ったんだし!」「…だったら私にここまで迷惑をかけた罰として『小傘さんの今日の晩御飯刺身こんにゃくだけの刑』に処してやりましょう!覚悟なさい!」「せっかく泊まらせといてそれはないでしょぉ?!」「いやむしろ刺身こんにゃくだけで済むって事に感謝しなさいよ人をあれだけ心配させといて!」「こないだみたいなご馳走は出てこないの!?」「金がないんですよ金が!」「いやいやいやないはずないでしょあれだけ信仰だの何だの言っててさぁ!なんなら早苗が奇跡の力使えばいいじゃん!」「言っときますけどねぇ、信仰だの奇跡だのそういうもんにばっか頼るのは頭の足りないバカのすることなんですよバカの!」「それ言っちゃっていいの?!」

少しさでずむすぎるのも、どうかと思うけどね?
表面上では言い合ったり雑に扱うのに実は内心バリバリに共依存な二人って良いよね…ていうかまずこがさなが良いよね…という心持ちで始めたのはいいものの思ってた以上に完成まで手間取りました。
小説むづかしい…

追記:8/18
文章の一部を加筆修正しました。
コメント・点数等非常にありがたく見せてもらっております!
水晶
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コメント



0.50簡易評価
2.100ヘンプ削除
この二人の掛け合いが好きでした。
小傘が早苗の『もの』になるのがよかったです!
面白かったです。
3.90奇声を発する程度の能力削除
二人の掛け合いが良かったです
4.100サク_ウマ削除
共依存いいよね。ゲロインいいよね。分かる。大変分かります。
構築もしっかりしていますし、何より暗い本筋を吹き飛ばすような軽妙な会話が見事です。
初手でこれだけの長さを書けるのは素晴らしいですね。面白かったです。これからも期待しています。
5.100メイ=ヨトーホ=グミン削除
容赦の無い罵り合いのギャグと二人のシリアスな空気が同居しているバランスの取れた温度差でいい感じに展開が進んでいくので面白かったです
普段は小傘ちゃんに対して強気でグイグイいくんだろうけど、こういう時は必死になって探しに行ってあげるように何とか小傘ちゃんの為にと頑張る感じというか結局は敵わないんだなぁっていう早苗さんが非常にツボで良かったです
こがさな最高!
6.100電柱.削除
ギャグもいいけどシリアスシーンに緊張感があってとても良かったです。
次の作品も期待してます。
7.100封筒おとした削除
とても読みやすくてよかってです!
あまりシリアスになりすぎないようにギャグで調整してるのが見事ですね
8.100南条削除
面白かったです
共依存いいと思います
9.100モブ削除
健やかな共依存味を感じる……面白かったです
10.60名前が無い程度の能力削除
こがさないいね