Coolier - 新生・東方創想話

竹藪の中

2019/08/05 00:07:10
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 熱い、熱い。痛い、痛い。
「ん、やっと起きたか。大丈夫か?」
 意識がまだ朦朧とする。
「此処は私の家……あ、いや竹林だよ。迷いの竹林」
 立ち上がろうとしてまた激痛が走る。まるで神経を焼き切られたかのようだ。
「動けないよ。火傷してるんだその足。まあ私が焼いたんだけど」
 頭が回らない。痛みと疲労感がずっしりと身体に覆いかぶさっている。何をしていたのか思い出せない。
「そう怯えるなって、私は藤原妹紅。竹林に住む蓬莱人っていえば噂くらい聞いたことがあるかな」
 自分の足に目をやる。ふくらはぎの皮膚が両方ともただれていた。
「痛いって? それは良かった。生きてるってことを実感できるだろう」
 熱した火箸のような指が触れる。熱い、熱い、熱い。
「なんだ十分元気じゃないか。狂ってるって? 酷いなぁ。もっとおかしい奴だっていっぱいいるってのに」
 妹紅と名乗る少女はむうと不満げな表情を浮かべた。
「そうだ一つ面白い話を聞かせよう。冗談半分で聞いてくれ。うん。私も退屈してたんだ」


 今は昔、竹林の奥に佇む屋敷には蓬莱人二人と大勢の兎たちが暮らしていた。屋敷は誰が名付けたのか知らないが永遠亭と呼ばれている。今でこそ人里の住民にも存在が知られているが、昔は誰の目にも入らない閉ざされた場所であった。
「一つ搗いてはダイコクさま~」
 ぺったんぺったんと兎たちは餅を搗く。それを縁側でのんきに眺めるぺったんたんはあのおとぎ話に出てくる輝夜姫こと蓬莱山輝夜だ。
「精が出るわね」
「まあ他にやることもないですから」
「あら、居たのねイナバ。監督ごくろうさま」
 まるでこの屋敷の空間だけ時間が止まったような錯覚にさえ陥る。それほどにここの住民はのんびりとしていた。
「天気もいいし散歩にでも行きたいわねぇ」
 まるで年寄りのようなことを言う。実際に年齢は……いや、伏せておこう。
「だめですよ、またお師匠様に叱られますって」
「いいわねぇイナバは好き勝手歩けるんだもの」
 本心だろうか、普段から引きこもりライフを満喫している姫君の言葉とは思えない。
「……」
 イナバと呼ばれた兎はなんとも言えない表情を浮かべた。実はこのお姫様は現在、八意永琳の手によってこの屋敷に軟禁されていると言っても過言ではない状態なのだ。なんでも月の民に見つからないようにするためだとか。さながら竹籠の中の鳥、だが当の本人はまったく気にしてないようではあった。
「ねえ今度一緒にお散歩しましょ。体にいいんでしょう」
「ええまあ、散歩は軽い運動にもなりますし、何よりお天道さまの加護を浴びることにもつながります」
 健康マニアのイナバは毎日の散歩を欠かさない。大地をはだしで踏みしめて、竹林に差し込む太陽の光を名一杯その小さな身で受けて、大きく息を吸って吐き出す。自然と一体になったような心地よさを感じられる。
「決まりね。永琳には言っておくから」
「無理ですよ、やるならこっそり――」
「二人で悪だくみかしら」
 振り向くと笑顔の薬師が立っていた。
「あ、えーりん。新薬出来たの?」
「ええまあ、そんなところ。あとは実験が必要なんだけど」
 じろりとイナバに視線を向ける。表情はあくまで笑顔であるが、イナバの本能が危険信号を発していた。
「あいや申し訳ありません、手前実はある種の病気を患っておりまして、その実験とやらに協力するのは吝かではございませんが、何せこの体たらくではお役に立つのは難しいと言いますか」
 この兎は危険を感じた時、反射的に長年培った話術を駆使し、切抜けようとしてしまう癖があった。とりあえず病気と言っておけば何とか見逃してもらえることを経験則で知っているのだ。
「随分饒舌ね、病気なら治してあげるわ全部」
 この言葉に嘘偽りはない。彼女の手にかかれば1000年生きた土蜘蛛もはだしで逃げ出してしまうだろう。イナバは二の句を告げられずにいた。苦し紛れの言い訳しかできそうになかった。
「あいやこれは不治の病でありまして」
「恋煩いね。おませさん」
 たじたじになりながらひねり出した言葉に輝夜が茶々を入れる。自分で茶などここ何百年も淹れてないくせに。
「冗談よ冗談。家族にそんなことするものですか」
「目が本気でしたよ……」
 ただでさえ垂れた耳が余計うなだれる。イナバはいまだに永琳に対する怯えを払拭できないでいた。彼女はイナバとは違って嘘をついたりするわけではないのだがどうも底知れない。彼女が笑みを浮かべた時、兎の本能が危険を訴えてくる。
「まあ竹林はあなたの領域だし、散歩くらい良いでしょう」
「はあ、まあ人なんて滅多に来ないから大丈夫ですよ」
「やったわイナバ。じゃあ今度ね」
 今度というものは永遠に訪れない。どうせ、明日になったら散歩の事など忘れてしまうのだ。悠々自適、否、呆けてる。イナバが気を利かせて誘ったとしても、気分じゃなければやっぱいいやと断るだろう。そう言う姫様なのだ。


 まだ朦朧とするが話の内容の断片が頭に入ってくる程度には覚醒した。
「どうだ、狂ってるだろう。呆けた老人みたいにねじが外れてるんだ」
 妹紅はけらけらと笑っていた。
「ははは、冗談冗談。呆けじゃなくてほんとにおかしいんだって」
 ここから面白くなるとでも言いたげである。今のところ狂気とやらは感じられない。
「あ、言ってなかったな。イナバっていうのは里に来てる薬売りじゃあないよ。もっとちっこい奴」
 一瞬薬売りの少女の顔がちらついたが、関係ないらしい。
「じゃ続きでも」


 イナバと呼ばれた兎には夢、というか目的があった。それはとある神様と逢うことである。この妖怪兎はその意中の神様にお逢いしたいその一心で、今まで生きながらえていると言っても過言ではない程なのだ。今でこそ竹林の長として落ち着いてる様子もあるが、全国津々浦々、各地を駆けずり回っている時期もあった。
 その神様は有名で力も強い。名は色々あるが、大国主といえば誰しも一度は聞いたことがあるはずだ。そのためこの隔離された竹林に姿を現すことはないと言ってもいい。それでも諦めきれず、時間があれば竹林の外に出て情報をかき集めているといった具合なのである。輝夜の言っていた恋煩いもあながち間違いではない。
「う~さぎうさぎ~何見て跳ねる~」
 唄を口ずさみながら竹林を抜ける。二、三日出かけると姫様たちに伝えると「お土産よろしくねー」とのんきに返された。
 イナバは上機嫌だった。有力な情報を手に入れたのだ。
 大国主は出雲に居るらしい。それは知っている。勿論普通に行けば何日もかかるし、行ったところで逢えるとは限らない。一介の妖怪兎に構うほど神様が暇じゃないことはイナバ自身重々承知していた。
 ではどうするか、そこらの妖怪兎は無理でも大妖怪ならどうだろうか。それも神に匹敵するほどの力を持つ存在、妖怪の賢者ならば。
「確か、八雲という名だったはず。随分荘厳というか野面皮というか」
 八雲とは出雲の象徴である。その名を持つ妖怪の賢者に近づけば大国主に逢うことも可能なのではないかとそう踏んだわけである。だが、一つ問題があった。どうもこの八雲とかいう妖怪は神出鬼没でどこに住んでいるのか、いつ姿を見せるのか全く見当がつかないのである。
 有力な情報とはそこだ。なんでも八雲は冥界のお嬢様と仲が良いらしい。そのお嬢様は白玉楼というお屋敷に住んでいて、幽霊の管理役をお偉いさんから仰せつかってるのだとか。真偽は不明だが、行動しなければ始まらないと今冥界に向かっている真っ最中なのだ。
 冥界なら場所を知る者もいる。まずはそのお化けの総大将もといお嬢様に会ってコネを作ろうという魂胆なのである。冥界と顕界は結界で仕切られており容易には侵入できないが、策がないわけではない。
「着いたぁー、はあ、あとは上るだけかぁ」
 聞いた情報を頼りにたどり着いた。ここから空へと昇っていけば結界に突き当たるはずである。その結界を乗り越えれば冥界はすぐだ。
 一度深呼吸し、良しと膝を叩くと兎は首飾りを外した。人参型の首飾りはロケットになっていて中に小さな物ならしまい込める作りである。ぱかりと首飾りを開き、一粒の丸薬を取り出した。えーりんラボからくすねてきたものである。
「……良し」
 イナバは恐れをかみ殺し、丸薬を口に含んだ。そしてこくんと飲み下す。
「うっ」
 一瞬だけ吐き気を感じたが、その後に来る強烈な眩暈によってかき消された。ふらふらと焦点が定まらない。酩酊に似た感覚に陥り、立つこともままならなくなった。視界にも靄がかかり、何も見えなくなる。そしてイナバは意識を手放した。
 一刻の後、目をゆっくりと開いた兎は、己が自分の全身を見つめていることに気づいた。
「やった、成功した……」
 先ほど飲んだ薬は特製の睡眠薬と神経遮断薬を永琳が独自に調合したものだ。服薬すると強烈な眠気に襲われ意識を失い、その後全身の神経が遮断され身体そのものが脱力するというものである。
 経口から服用できる麻酔薬として調合したのだが、これは失敗作であった。睡眠作用の効果持続時間が短すぎて、一瞬で意識が覚醒してしまうのだ。目が覚めても脱力した身体は動かない、つまり強制的に金縛りの状態を引き起こしてしまうのだった。これはこれで使えなくもないが、それなら普通の麻酔薬で十分だという結論に達し、結局作るだけ作って放置されているのだ。破棄されてないのは改善の余地があるからとのことで、いずれ調合に使うのかもしれない。
 そもそも永琳という天才薬師はこのような意味のない、もしくは需要のない薬を趣味で調合しまくっている。瞬きができなくなって兎眼になる薬とか、うさ耳が生えてくる薬とか、媚薬とか。
 さて金縛りとは、身体が動かず意識だけが宙ぶらりんの状態である。その状態で無理やり動こうとするとどうなるか。意識、つまりはその者の魂が肉体を抜け出てしまうことがあるのだ。それが俗にいう幽体離脱である。イナバは意図的にこの現象を引き起こしたのだ。魂と肉体はチャクラで繋がっているため、元に戻るのは容易い。
「これが霊体かぁ。なんか無個性ね」
 地面に突っ伏している身体から視線を外し改めて霊体となった自分を見る。白い、丸い、それだけだった。魂のいで立ちとはかくも地味なもの。思い返すと今まで見た幽霊は皆同じ姿だった。人型に近い姿をとれるのはお岩さんとかお菊さんとか名のある有名霊だけである。
 兎も角、霊体となった兎はふわりと飛び上がった。目論見通り結界に阻まれることなく昇ることができた。上へ上へと雲を突き抜ける。ふと気になって下を見やるがもう地面は見えなかった。その代わり、自分の身体と魂をつないでいるチャクラが伸びていた。
 さらに少し昇ると宙に浮く階段が見えた。この先に白玉楼があるのだろう。イナバは階段に沿って飛んだ。
「何奴?」
 巨大な門が見えたころ、唐突に声が聞こえた。
 声の方を見るとそこには二刀を携えた男が立っていた。白髪頭で、皺の刻まれた顔には顎髭を蓄えている。いで立ちは明らかに老齢であるが、素人目に見てもその男が歴戦の猛者であることは理解できた。冥界の門番か何かだろうか。察するに武芸者だろうから雇われの用心棒かもしれない。よく見ると足がある、霊ではないことは確かだ。
「おぬし冥界の者ではないな。ここは生者の来る場所ではない。早々に立ち去れい」
 達人は目で殺すという。鋭い殺気を向けられイナバは硬直してしまう。その姿はさながら蛇に睨まれた蛙、鬼に目をつけられた天狗、もしくはLuna弾幕の前のEasyシューター。
「あいや失礼、お侍さん。あたしゃ地上に住むしがない野良兎でございます。実はひょんなことから、とある密命を受けまして、そのことをお嬢様に伝達すべく参上仕った次第でございます」
 震えながらも兎はひたすらに出鱈目を並べた。この場しのぎであることは重々承知だが、適当な言葉を連ねてしまうのはもう癖のようなものである。
「む、幽々子様への密命。となると是非曲直庁か?」
 だが、目の前の男には何か思い当たる節があるようで、うまくいけば案内してもらえるかもしれないと打算した兎は出鱈目を続けることにした。
「それは言えませぬ。あくまで私は伝達係を仰せつかっただけでございますゆえ、あとのことはお嬢様に直接窺っていただきたい」
 男は怪訝な表情を浮かべてしばらく考え込んだが、やがてふと顔をあげた。
「わかった。案内しよう」
 こころの中で兎はガッツポーズした。ついでに「ちょろいな」なんて少し思った。
「申し遅れた、某は魂魄妖忌。白玉楼の庭師兼、幽々子様の護衛を任されている」
 丁寧に頭を下げていたが、最後の言葉は異様に鋭かった。護衛を任されているとわざわざ言ったのは、何かあれば刀の錆にしてやるという警告のように思えた。
「私は……イナバというものです」
 覇気に気おされそう答えるので精いっぱいだった。元来、兎というのは臆病なのだ。
 妖忌に案内され、白玉楼に向かった。巨大な門を開くと、そこには雪化粧をした桜の木が何本も並び、幽霊たちがふよふよとひしめき合う広大な敷地が広がっていた。霊の大群に紛れた妖忌を見失わないようにして少し進むと屋敷が見えた。
「着いたぞ、イナバ」
「此処が白玉楼、なのでございますか」
「然り。幽々子様、客人ですぞ」
 妖忌が玄関先で呼ぶと奥から「はーい」というのんきそうな返事があった。妖忌が入れと合図するとイナバはそろそろと中に入った。
 屋敷内を案内され、声の主のもとへとたどり着いた。
「いらっしゃい、小さな兎さん」
 襖を開けるとそこには青色の着物に身を包んだ美しい少女がいた。正座でぺこりと一礼する姿はなんとも厳かな雰囲気を醸し出していたが、ぴょこんとはねた桃色の寝癖で台無しになっていた。仏頂面の妖忌もはあとため息をついてるようだった。見ると炬燵の上に中途半端に剥かれたミカンの皮と飲みかけのお茶がある。先までぐうたらしていたのが目に見えた。
 しかし、イナバはそのこと以前にある事象に驚いていた。
「私が、見えるんですか?」
「そこにいるじゃない、あなたもしかして透明兎のつもりなのかしら」
「いえ、私は半透明……じゃなくて、なぜ私が兎だと」
「わかるわよーそのくらい、そんな長い耳に丸い尻尾、見間違えるわけないわ大好物だし」
「ではなくて、え?」
 ぞくりと一瞬背筋が凍りつきそうになったのと同時に、聞くのは諦めようと思った。本気なのか、わざとなのかわからないが伝え方が悪かったのだと思い込むことにした。それに、もし噂に聞くお嬢様なら霊のもとの姿くらい見抜けても不思議はないと自分を納得させた。
「いや、なんでもないです」
「まあ霊のもとの姿なんて見透かせるんだけどねー」
 やっぱりわざとなのか。イナバはため息をつきそうになるのを堪えた。先ほどまで恐怖の対象だった妖忌に憐れみすら覚えた。
「で、何の用だっけ」
「あ、えと、その」
 兎は急に振られて戸惑ってしまった。
「私はこれにて失礼、幽々子様くれぐれも粗相の無いよう」
「私はいつも楚々よ」
 気をつかった妖忌が退室した。兎は自分の設定、幽々子にしか話せない密命があってここに来たことを思い出した。
「邪魔者は消えたわねふふふ」
 冗談めかしているが、事実そうだと思った。無理に設定を続ける必要がなくなったと言える。
「失礼、挨拶が遅れました。イナバというものです。お目に――」
「私は幽々子よ。よろしくねイナバちゃん」
「……はい、よろしくお願いします。お目にかかることができて光栄です。なんでも冥界の管理をされているとかで」
「まあ別に何かするわけじゃないんだけどねー」
「いやいや、私どもからすれば遥か上空、さながら天上人でございますゆえ。本来はこうしてお会いすることも叶わぬものでして」
 イナバは何とか話をつなげようとおべっかを使う。どうすれば機嫌がよくなるか、探りを入れているのだ。
「あらありがとう。ところで私はぐらかすような言い回し嫌いなのよ。友人を思い出すわ」
 どの口が言うどの口が。それにその友人も酷い謂れようだ。この幽々子にそこまで言われるとは相当胡散臭いに違いない。イナバは思ったが口には出さなかった。この言葉は要件を言えという意味だろうと解釈した。
「はい、では。実は折り入って頼みがありまして。八雲という妖怪をご存じでしょうか」
 おべっかを使うのはやめた。これ以上はぐらかされないよう単刀直入に伝えるほうが良いと思ったのだ。
「知ってるわ、友人よ」
「事情を説明すると長くなるのですが、私はその八雲にある頼みがあるのです」
「ふんふん」
 頷きながら聞いている。
「ですが八雲は神出鬼没と聞きますゆえ居場所どころか手掛かりもつかめず」
「確かに」
「幽々子様は八雲とご友人だと伺いました。なにとぞ、便宜を図ってはいただけないでしょうか。謝礼は必ず」
「無理」
「えっ」
 たった二文字。それはイナバにとって一番聞きたくなかった言葉であった。てっきり「どーしよーかなー」とか適当にからかわれるものだと思っていたのに、やはりいくら友人と言えど軽々しく紹介できる存在ではないのだろう。
「そんな豆鉄砲食ったみたいな顔しないで。今は冬だから無理なの。冬眠してるのよ紫」
「冬眠?」
 ということは春になれば可能ということだろうか。イナバは考えた。
 八雲の名は紫というらしい。しかし冬眠する妖怪だったとは、きっと蛇か何かの妖怪に違いない。……和邇ではないことを祈る。
「では春になれば……」
「それも怪しいけどね。あっちが顔見せに来るだけで、私は居場所を知らないもの」
「はあ」
 友人も知らないとなると相当な秘密主義者のようだ。しかし、此処に来るということはわかったので待ち伏せすればよいと考えた。
「何なら、紫が来る日まで此処に住む? 別に霊の一匹や二匹増えたって困らないし」
「いや、流石にそれはご迷惑でしょうし、わかると思いますが私まだ生者でありまして」
 それに帰る場所もある。連帯性など皆無な組織だが一応は竹林の兎の長である。
「殺してあげるわよ、こうぷつんと」
「ぷつん?」
 イナバからずうっと伸びているチャクラを幽々子は指さした。なんとも物騒なことを平気でおっしゃる。いや彼女にとってみれば造作もないことなのだろう。
「ええ、身体を傷つけないから痛くもかゆくもないわ」
「いやーそれは、ちょいと勘弁願いたい。まだまだ肉体への未練は捨てきれませぬ」
「肉体後にあらわれる理解者を待つのよ、何事も長い目で見るのが大事」
 もう訳が分からなくなってきた。このお嬢様はどうしても自分を殺したいらしい。冥界に来る時点で覚悟は決めていたつもりだが、こうして話が通じる以上殺される方向にもっていくのは避けたい。
「いずれ死にますから、それまではどうか」
「仕方ないわね。うん生きてるのが一番」
 どっちだろうか。理解を諦めるのが賢明な判断に思えた。
「まあ、とりあえず要件はわかったわ。春にと言わず、いつでもおいでなさいな。今度はお茶を用意して待ってるわ」
「わかりました、では次参る際は謝礼として私の住む竹林から最高級の竹の葉を持ってきましょう」
「いいわねー今なら雪見酒ができるわ」
 幽々子は上機嫌だった。きっと退屈していたのだろう。霊たちは話せる者が少ないし、従者も堅物だ。友人である八雲も冬場は来ないのだから余計そうなのだろう。
「では今日のところはこれで失礼します」
「じゃあねイナバちゃん」
「あっ、もう一つ頼みが。実はここに来る際、庭師には私が是非曲直庁からの使いだと嘘をつきました。何とかごまかしていただきたい」
「わかったわ。ゆゆさまにまかせなさい」
「ではっこれにて」
 イナバは一礼し屋敷を出た。すると髭面強面の庭師が現れすぐに案内してくれた。長い階段を下り、肉体に戻ったイナバは意気揚々と竹林に戻るのであった。


「とまあこんな具合だ。しかしすごい情熱だよな、一柱の神様に逢うために奔走するなんてね」
 話を聞く限り、その兎はどうも神話に出てくる因幡の白兎のようだ。
「博麗大結界が成立した今じゃ絶望的だけどね。忘れ去られるはずないし。でもいまだに探してんだよ、あの兎。なんだっけ、そうだてゐだてゐ。いけないなぁ忘れっぽくて」
 てゐというのが名前らしい。
「あ、いま輝夜と同じとか思っただろ、ふざけんな、あいつと一緒にするな。あいつは兎の名前覚えられなくて全部イナバって言ってんだぞ。前そう言ったら「イナバはイナバでしょ」とか抜かしたし、ああむかつく奴」
 熱い熱い熱いっ。
「おおっとすまんすまん。さ、続きを話そう」


 その後てゐは足しげく白玉楼へと通うようになった。八雲と交渉をする上でも幽々子と関係を築いておくのに越したことはない。それに幽々子の話は面白い。たまにあっちこっちに飛ぶのが傷だが不思議と話は合った。長年生きては来たが、初めて触れる死後の世界は思っていたよりも鮮やかで興味深かった。
「えっ幽々子さんって人間じゃないんですか?」
「そうよ、亡霊なのよ」
「だって身体はあるし、足だって」
 幽霊には足がついてないのが通説である。
「正真正銘、完全に、明らかに死亡しており、ご臨終で、この世を去り、事切れてしまい、息を引き取り、白玉楼中の人となり、命が尽きて永遠の眠りにつき、草葉の陰から見守る『故人間』で、お亡くなりになり、幽明相隔て、鬼籍に入り、くたばり、逝去し、お陀仏で、その生涯に幕を閉じた『元人間』よ」
「完全に、えっ何ですって」
 オウム返しにすることは諦めた。兎も角死んでいることは確かである。どうやら亡霊と幽霊は違うらしい。
 その後に聞いたことだが、訓練次第で幽霊も生前の形をとれるとのことだった。てゐはさっそく練習した。まずは自分の姿を正確に記憶することからである。


 てゐは輝夜の部屋にある巨大な姿見で自分の姿を脳裏に焼き付けていた。低い身長、癖のある黒髪、垂れた耳、細くも力強さを内包した腕と足、ない胸。幽々子は完全再現の際は想像力が鍵を握ると言っていた。裏を返せば少し応用が利くのではないだろうか。そんなことを考えてしまう。
「いやいやダメダメ、そんなことしたら私だって気づいてくれないかもしれないし……」
 独り言をつぶやいていると部屋の主が戻ってきた。
「どうしたの最近鏡ばかり見て」
 咎めるわけでもなく、純粋に疑問に思ったようだった。全身が映る鏡は此処にしかないから来るのは必然であるのだが、てゐの事情を知らない以上疑問に思うのも当然であった。
「いやぁ私も姫様のように美しくなりたいなぁと、自分磨きですよ」
「あらまぁおべっかが上手いのね」
 輝夜は謙遜するふりをしたが、実際におべっかなどとは思っておらず、「私が美しいのは当たり前でしょ」とか考えているに違いないのだ。それでも謙遜する私素敵とか思っているのに違いないのだ。私にはわかる。
「確かにね、己を知ることは大切よ。生きているうちは須臾の間にも身体が微細な変化を遂げているのだから」
 これを無常という。時と同じで止まることも戻ることもなく、普通の人間、否、妖怪ですらゆったりと進み続ける。だが、まるで変わらない例外も数少ないが確かに存在する。それは写真のように永遠なのだ。
「うん、この姿見あげるわ」
 気前よくそう言った。
「えっ、ありがとうございます。では遠慮なく頂戴します」
 変化を映すための鏡など輝夜には必要のないものなのだ。


 何度も鏡を見て自身を脳裏に焼き付ける。その記憶を頼りに姿を思い浮かべる。正確に、緻密に。魂は溶けて一度水に還元されるイメージだ。液体を練り上げ、そこから身体を構築していく。顔、首、肩、腕、胴体。そこまで構築したところで集中力が切れてしまった。
「まぁ紫みたい」
 屋敷の縁側から眺めていた幽々子はうふうふと笑っていた。上半身のみが形どり、下にはもやがかかっている。それが空中にふよふよと浮かんでいるのだ。しかし紫みたいとは、その妖怪はどれほど滑稽なのだろうか。神出鬼没で上半身だけぽっと現れる、恐怖でしかない。妖怪としては正しい姿である。
「ううん、なぜできないのでしょうか」
「それは肉体に未練がないからよ」
「はぁ」
「捨ててしまいなさい、残っている記憶が嫌にでも思い出させてくれるわ」
「いやですよ。なぜ私を殺したがるのですか」
「殺そうなんて物騒な、私は誘うだけよ」
 てゐには違いが理解できなかった。幽々子はことあるごとに死を勧めてくる。亡霊というより死神なのではないだろうか。霊は仲間を求めるともいうが、幽々子の場合なんとなく違う気がした。
「お茶をお持ちしました」
 妖忌が襖を開けて入ってきた。お盆には二つの湯飲みと砂糖菓子が乗っている。一礼すると二人の前に湯飲みを差し出し、また襖を閉めた。
 ずずずずっとお茶を一啜りし、幽々子は悪戯に尋ねた。
「じゃ逆に聞くけどなぜ死にたくないの」
 哲学だ。なぜと聞かれれば無限に答えはでる。やりたいことがあるから、死ぬのが怖いから、自分が終わってしまうから……
「終わりは始まりよ。輪にいる限りはね」
「はあ、ではそこから外れた時は……」
 なんとなく聞いてみた。てゐは該当する存在を知っていたからだ。すると幽々子は面白くなさそうな表情を浮かべてこう言った。
「さぁ? 生き物じゃあないわね」


「生きてるって何なんでしょうね」
 困ったときの八意先生である。答えが欲しいわけではなかった。てゐは自分が死にたくない理由を説明できる。ただ少し聞いてみたかっただけなのだ。
「生物学的には、人間は呼吸して、心臓が動いて、瞳孔が正常に機能するようなら生きていると言えるわね。あとは脳」
「まぁそうですよね」
 しれっと永琳は答えてみせた。
 だが、てゐは定義が聞きたいわけではなかった。そのことは永琳も重々承知しているだろう。
「そうね、じゃあ医者として答えるわ。生きてるってことは死んでないってことよ」
 またそう言う複雑なような単純なような言い回しをする。てゐが不服そうにしていると永琳はカウンセリングでもするかのように諭した。
「そうとしか言えないわ、生きた屍なんて言葉もあるけどもののたとえでしかない。生きるためには生きている実感や意味が必要という固定概念ね」
「なるほど、存在の証明ってやつですかね」
「そうね、てゐは生きる意味を見出せなくなったのかしら」
「いえ、そう言うわけではありませんが、お師匠様はどう思っているのかと」
 経験則に基づいたある種の思想を聞いてみたかったのだ。大概の人は人生の中で答えを自分なりに見つける。それは死に対する恐怖を紛らわせ、最終的には受け入れるためである。だが、返ってきたのは予想外のものであった。
「17歳にそれを聞くのかしら」
「……」
 沈黙が空間を支配する。人生経験以前に、死に対する恐怖が希薄な彼女に聞いても仕方のないことかもしれない。てゐはそう思い込むようにした。余計な口を挟もうものなら口を縫合されてしまいそうだからである。薬師が薬の副作用を知り尽くしているように兎は女性に対する禁忌ををよく理解していた。
「まぁ悩みがあったら遠慮せず相談して。落ち着かないようならいい薬があるわ」
 永琳はやさしくそう言った。なんだかんだ言いつつも心配してくれていることは確かである。何かあったら頼りにできる存在が居ることはてゐにとってありがたかった。
「いえ、そう言うわけではないのです。最近ふと考えるようになっただけでして」
 人間でいえばさながら思春期もしくは老年期の哲学である。てゐは今の今まで生きることに疑問を持ったことなどなかった。幽々子と出会って死というものが身近に感じられるようになってからである。
 永琳は何かあったのだろうと感じ取ったが、今はそれ以上追及しないことにした。
「じゃあもう一つ、月人の答えを言うわ。生きるってことは穢れていることよ」
「穢れですか」
「もちろん死もね。生死に縛られることは穢れでしかないわ。概念そのものを超越した清い存在が月人なの。だから生に悩むことも死に怯えることもないわ」
 では永琳はどうなのだろうか。清浄なる月から穢れまみれの地上に堕ちて、いや穢れたから堕ちたのだったか。
「お師匠様は……生きているのですか」
「あたりまえでしょう」
 彼女は堂々と答えた。それは何か宣言のようにも思えた。
 わかってはいたが結局あやふやなままカウンセリングは終了した。こういうのは明確な答えが必要なのではなく、ただ哲学することが大事なのだ。たとえ進展や生産性がなくともである。


 てゐは霊魂から人の型を取るための訓練を怠らなかった。八雲と邂逅を果たせるであろう春までには完璧にしておきたかった。
 訓練の賜物か足以外は完全に再現できるようになっていた。三角巾が似合いそうだ。いかにも幽霊な姿で今日も今日とて白玉楼へ赴いた。
「どうもー」
「おお、兎か。よく来なさった。幽々子様がお待ちかねだ、なんでも話したいことがあるらしい」
 出迎えたのは妖忌だった。ささ、こちらへと屋敷に案内した。
 てゐが来た当初こそ怪しまれてはいたが、幽々子が言いくるめたのかすっかり顔パスで門をくぐることができるようになっていた。
 庭を進みながらてゐは、改まって話とは一体何だろうと考え込む仕草をしていた。すると妖忌はさほど気にしてない調子で答えた。
「なぁに、大したことではあるまい。幽々子様が気まぐれであることはおぬしも存じておろう」
「気まぐれねぇ。いつも振り回されている庭師が言うのなら間違いはないでしょうが」
「はは、困ったものだ」
 長い廊下を歩く、いや飛ぶのはこれで何度目だろうか。しんしんと降る雪を横目に見る。雪化粧した桜の木を見ててゐは、まだ溶けるまでには時間がかかりそうだと思った。
 突き当りの襖を開ける。中から暖かい空気が流れ出た。
「いらっしゃーい」
 炬燵にもたれかかるように突っ伏している幽々子が目に入った。ぬくぬくとして非常に暖かそうだ。天板にはいくつものミカンの皮が花を咲かせていた。
「どうも、へへまずはこれをお納めください」
 どこぞの悪代官ばりの笑みを浮かべ懐から小包を取り出した。
「おお、苦しゅうない」
 ちなみに中身はだいふくである。だが、ただのだいふくではない。九天の滝の傍に住んでいると言われる伝説の小豆洗いが研いだ小豆をつぶし、薬剤師が調合したというサッカリンとか呼ばれているやたら甘い物質が少し混じった砂糖のようなものと、博麗神社に盛られた霊験あらたかな清めの塩を混ぜ、竹林の兎がついた餅でくるんだ逸品である。どこまで本当なのかは誰にもわからない眉唾物だが、味が良いのは確かである。
「山吹色のお菓子よりこっちのほうが好きだわぁ」
「そう言ってもらえて何より。うちらも作りがいがあるってもんでさ」
「妖忌ーお茶お願いね」
「かしこまりました」
「あっついでにミカンも。雪の中に埋めといたやつ」
「はぁ、いつの間に、どのあたりに」
「んーとね、その辺の木のあたり、行けばわかるわちょっと盛り上がっているから」
 幽々子が北の方角を指さした。
 妖忌は一礼し、その場を後にした。半刻もすれば熱くて美味いお茶を淹れた急須と湯呑を乗せた盆を持って戻ってくるだろう。
「それで、話とは」
 幽々子はぬらりと音もたてずに立ち上がった。そして平坦な声で言葉を発した。
「うん、それなんだけどね。あなた、死んでみない?」
 途端にてゐの意識が朦朧とし始めた。幽々子は扇子を閉じたままてゐの方向へと向けている。触れるわけでも、呪文を詠唱しているわけでもない。ただ、立っているだけである。
 誘われる。てゐは直感で理解した。
 桃色の蝶が規則的に舞っている。その光景は息をのむほど美しく、なぜか恐ろしい。だがてゐは目を背けることができなかった。無理に瞳を閉じても瞼の裏に蝶が映り続けた。その蝶は一匹、また一匹と羽をはためかせながらてゐの体内に入り込んできた。
 地に着く足は始めからないが、自分が今空に浮いてるのかすらわからなくなった。まるで無重力の空間にいるようだ。
 心臓の拍動が緩やかになる。普通恐怖を感じた時は飛び出るほどに高く鳴るはずなのに。
 息が詰まる。だが、乱れることはなく苦しさも感じなかった。
 無意識下に動かした手が蝶に触れると、溶けるように指先から染み渡っていった。何かに触れるという感触すら消え去った。ただ、白い光が身体を暖かく包み込んでいるような錯覚に陥った。
「なんてね」
「はっぅあ、はぁあ」
 気が付くと蝶は消えていた。
「これが……死」
 てゐは初めてそれを目の当たりにした。もっと暗いものだと、絶望に打ちひしがれ、己の無力さを嘆き、恨み、生に最後までしがみついてしまう。それが死だと思っていた。だが、幽々子が体感させてくれた死の実感は思っていたよりも、存外心地よいものであった。
「どう? 美しいでしょう。まるで溶ける雪のように儚いわ」
「ええ、とても」
 てゐははっきりと答えた。この同意は嘘偽りのない本心であった。
 それに気づいたのか幽々子は彼女にしては珍しいぱぁっとした明るい笑顔を浮かべた。
「死ぬ気になったかしら」
「……なぜ、私をそんなにも死なせたいのです。私は死にたがりではありません」
「ええ、それが問題なの。生きたがりの兎さん。わかりやすく言うとね、あなたは輪廻を外れようとしているの。多分私よりずうっと長く生きてるでしょう、変わらない姿で」
「……はい」
 健康に気をつかって生きてきた。死、病、痛みが怖い臆病な兎は、それらから必死に逃げ続けてきたのだ。兎は幸か不幸か足がとても速かった。だから、今の今まで生き延びているのだ。
 てゐは年長者に見られないよう振舞ってきたつもりだった。まるで格下、弱い弱い一介の兎に見えるよう常に下手に出ていた。見た目も幼い、それはあの時から変わっていない。もしかしたら気づいてもらえるのではないかという淡い期待すら抱いていた。
 だれがどう見ても幼い妖怪兎にしか見えないてゐだが、どうやらこの亡霊には見破られていたようだ。もしかしたら魂にも年輪のように歳月を知るための印のようなものがあるのかもしれない。
「こうして会えたのも何かの縁だしね。あなたを戻してあげたいの。うまく歯車がかみ合うように。いわば潤滑剤ね、管理者の名は飾りじゃないのよ」
「はぁ、ですが」
「私はまぁ誰が長生きしようと知ったことじゃないんだけど。目の前の友人が、道を踏み外すのを黙って見ていたくはない」
 静かに、されど力強く吐き出された言葉は、てゐの胸にすっと入っていった。
「大丈夫です、必ず死んでみせましょう。しかし来るべき時まで暫しの猶予を」
「来るべき時……ね」
 てゐには肉体を失いたくない明確な理由が実は一つだけあった。誰にも話したことはなかった。とある兎は自らの身を焼いて仏に献上したという。その伝説に習い、もしもう一度逢うことができたのなら、その時は自分の身体を捧げようと心に決めていたのだ。無一文な兎が持つものはこの健康な身体だけである。だが、その健康さには自信があった。新鮮な空気と、必要最低限の栄養、そして適度な運動で維持してきた身体である。自分で言うのもなんだが、時を止めたに等しい若々しい肉は、きっとうまいに違いない。そう思えるほどにてゐは自信を持っていた。
 だが、兎は幽々子と会ってからひとつ欲が出た。願わくば献上した後もずっとあのお方のお傍に居たい。そのための手段として、肉体と魂を完全に分離させる方法があるのなら、やらない手はないと思ったのだ。そのために必死に訓練をしていたのである。
 この自身の胸の内を幽々子に伝えるべきか、てゐは迷った。理解を示してもらえる自信がないのだ。
「目的を果たせばもう肉体に用はないのです。ですがそれまでは、どうしても」
「まあ、わかったわ。待っているからね」
 渋々と幽々子は了承した。理由については深く言及されなかったので、結局言わずじまいであった。
 あとからてゐは聞いたのだが、幽々子の死に誘う力は、対象を苦しませることも、一瞬で絶えさせることも自在なのだそう。今回の誘い方は苦痛を感じさせない方法なのだとか。
 暫く二人が沈黙を保っていると、襖がゆっくりと開かれた。
「すみません遅くなりました。お茶とミカンをお持ちしました。いやぁ幽々子様も意地悪なことをおっしゃる。雪が積もって見えなくなっていましたぞ」
「あら、ごめんね。埋めたの一週間も前だから」
「まったく、お戯れもほどほどにしていただきたい」
 そうは言いつつ妖忌はあまり怒っているようなそぶりは見せなかった。しかも、まさか一週間前のミカンを掘り出すとは、さすがは修羅場をくぐってきた剣士なだけある。荒行には慣れているのだろう。きっと幽々子もそんな妖忌を信頼して多少無理のある頼み事をするのだろう。てゐが感心していると妖忌は盆を炬燵の上に置いた。
「ささ、どうぞ」
 妖忌はまるで血でも塗りたくったかのように真っ赤になった手で湯呑とミカンを差し出した。面白そうに笑っていた幽々子も少しだけばつの悪そうな顔を浮かべていた。


 お茶と冷凍ミカンを堪能したてゐは白玉楼を抜け、チャクラの糸をたどり、肉体に戻った。身体がこわばっていたので一つ大きく伸びをした。
「ううーんーん」
 肩がぽきぽきとなった。長時間寝ていると腰や肩を痛めるそうだ。肉体とはなんとも不便なものだなぁと感じつつてゐは帰路についた。
 歩いている最中、てゐは、自分がどれほど愚かなことをしようとしているのかを考えてしまった。輪廻に背いてまで自分の一方通行な恋慕を伝えたところで、どうなるというのだろうか。もしかしたら記憶にないと一蹴されるかもしれない。最悪、肉体を捧げたところでいまさら兎の肉などいらないと突っぱねられてしまうかもしれない。そうなったとき自分はどうすればよいのか。幽々子との約束通り輪廻に戻ろうとしたところでとても成仏できるとは思えなかった。
 竹林に到着すると真っ先に輝夜がたった一人で出迎えてくれた。
「あらおかえりなさい。イナバ」
「姫様、なぜここに」
 此処は竹林の入り口に近い場所である。輝夜がここまで遠出することは珍しい。まあ、あの引きこもりの姫様にとっては庭に出ることすらも遠出と言えるのだが。
「んー散歩」
「お師匠様が黙っていませんよ。せめて誰かしら御付きを……」
「いいの、付き人なんて私と永琳だけで十分よ」
 付き人と月人をかけたらしい。くだらない。やんごとなき姫君の言葉繰りにはいろんな意味で舌を巻くばかりである。
「まぁ永琳には内密にね」
「わかってますとも」
 言うはずがない。もしも輝夜が一人で出歩いていたなどと永琳が知れば晩餐が兎鍋になるところである。割と冗談ではない。
「イナバが戻ってきてくれて丁度よかったわ。迷ってしまったの」
「……はぁー」
「なによぅ、ちゃんと目印つけてきたんだからね。ほら、そこの竹とかに」
 よく見ると輝夜の指さす方向の竹に傷がついているのが見えた。
「それでも迷ったんですか」
「それでもよ」
 この竹林は来る者を惑わせる。やたら成長の早い竹や曲がりくねった道がそうさせるのだ。目印など役に立つものではない。
 輝夜もそのことを知っているはずだが、あえて一人で散歩したのは暇だったからだろう。彼女にとっては迷うことすらも退屈しのぎに過ぎないのだ。
「でもね凄いのよ。帰りたいなぁってイナバの顔を思い浮かべたらねドンピシャで。私の願いが通じたのね」
 そう言われるとてゐも悪い気はしなかった。
「へへ、では竹先案内人としての務めを果たさせていただきやす」
「じゃあ、ここからは一緒にお散歩ね」
「ついでに冥途の土産話でもお聞かせしましょうか?」
「お願いするわ、死なないけどね」
 輝夜は冗談だと受け取ったようだが、てゐにとっては本当にただの土産話である。知り合った友人の事を話すと輝夜は面白そうに聞いていた。
「ふうん、輪廻ね。私には縁のない話だわ」
「私はどうもその円を外れかかっているようです」
 輝夜は少し考えるようなそぶりをした。
「妖怪なんてそんなものでしょう」
「……そうなのでしょうか。妖怪も皆、いずれは死ぬのでしょうか」
「さあてね、でも言うじゃない。お化けは~死なない~って」
 輝夜は歌いながら答えた。あながち間違いではないのだ。妖怪は人に比べて寿命も長く、再生能力も高い。そのうえ人が妖怪を認識している限り、そこに常に彼らはいるのだ。ゆえに存在は不変なのである。
「私は、死から逃げ続けてきました。でも最近、それが間違いだと思うようになったのです」
「それは、知り合ったお友達の影響でってこと?」
「ええ、まあ。そうです」
「ふうん。変な人ね。普通死は怖いものなのに。もしかしてその人、額に目でもついていなかった?」
「いいえ、ある種悟ってはいるのでしょうけど、目は二つでしたよ」
 幽々子の語るそれはとても宗教家の受け売りだとは思えなかった。彼女は仏さんではあるが悟りの境地には至ってないだろう。
「まあいいけど。少なくとも今までのあなたが間違っているとは言い切れないと思うの」
「なぜです」
「なんとなく。生き物は皆死から逃げているわ。どうしても体がもたなくなった時に諦めるだけ」
「諦め……」
「諦めきれない人が不死を求めるのよ。今までに何人も居たわ。まあ不可抗力でなったのも居るけど」
 ぶっ殺すぞこの野郎。……輝夜は昔を思い出すように語った。
「ええ、私も見てきました。試行錯誤しながら近づいてるようです。寿命も延びたみたいですし」
 てゐも同調した。よく世界を見てきた彼女は輝夜以上に人の愚かさを知っていた。
「でも届かない。永久に」
「……そうなのでしょうね」
「だからいいのよ。目標があるってこと。だから人類は月を目指しているわ、今も」
「辿り着けますかね」
「どうかしら。少し興味はあるけど。着いたらどうするのかしら、何にもないわよあそこ」
「着くのが目的なんですよきっと」
 あくまで到着が目的である。その後など知らない。先を打算する必要などない。浪漫だけで空を飛ぶことがあってもいい。飛びたいから飛んでいるのだ。てゐはそう思った。
「そうなんでしょうねきっと」
「そうか、私も同じなんだ。先の事なんて考える必要はないんだ」
「え。どしたの急に」
 輝夜は戸惑っていたが、てゐは自分を肯定できたようだった。気持ちを伝えられればそれで十分だ。たとえ、突っぱね返されたって上等。あとは大往生すればいいのだ。
「いえ、なんでも。姫様のおかげでスッキリしました」
「ああ、そ、そう。それは良かったわ。うん良かった。元気が一番よ」
 輝夜は結局よくわからなったが、てゐがそう言うならいいのだろうと思い、やさしく頷いた。何もしていないくせに、まるで母親のように柔らかに微笑むのだった。


 てゐは考えた。自分は目的を果たした時に終わる。はたから見たら偏愛ともとれる自分の片思いは肉体を失って完成するのだ。死に至る病、それは恋慕の念だ。そんなつける薬のない話、なんとも劇的ではないか。
 ラボから出たてゐは首飾りを握りしめて廊下を歩いていた。今日もかの地に赴こうと思っていたのだ。縁側から外を見ると、溶けた雪をかぶった竹が見えた。まだ肌寒いが春が近づいてきているのがわかった。
「どうしたのてゐ。調子が悪そうね」
 てゐは声をかけられてびくりとした。やましいことがあるとき、つい臆病になってしまうのは兎の性だろうか。
「あっお師匠様。いえ、最近どうも貧血気味で」
 これは真っ赤な嘘である。眩暈も息切れもない、身体的には健康そのものである。顔色を見て永琳はすぐにそのことを見抜いたようだった。
「嘘おっしゃい」
「はい……」
 しばし沈黙が訪れる。てゐは言い訳をする気にもなれなかった。
 先に切り出したのは永琳だった。
「最近、いえだいぶ前からね。ある薬が減っているのよ。あなたが使ったのでしょう」
「はい」
 どうやら幽体離脱薬をくすねていたことに気づいていたらしい。だが咎めるでもなく、今まで黙認してくれていたのだ。てゐは途端に申し訳ない気持ちになった。
「副作用も少ないから問題ないと思っていたのだけれども、その顔じゃ何かあったようね」
「いえ、大したことでは……」
 すべてお見通しと言った具合だ。
「……無理に話さなくてもいいわ」
 永琳は何か訳アリだと察したのか、目を見てそう言った。
 その言葉に甘えることもできた。だが、てゐは意を決したように目を見つめ返し、話し始めた。
「いや、話します。きっとお師匠様なら理解してくれるはずです」
 てゐは今までのあらましをすべて話した。薬を使って冥界に赴いていたこと、それには目的があること、ある神様に恋慕の念を寄せていること、この身体を捧げる心中であること。永琳は頷きながら、黙って聞いていた。
「というわけなのです」
「そうだったのね。……話してくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ薬をくすねて申し訳ないです」
 てゐは思いを吐き出せた。それだけでだいぶ楽になった気がした。
「そんなことはいいのよ。そう、とても強い思いを持っているのね。医者にはどうすることもできないわ」
 永琳は朗らかに笑っていた。まるで娘を励ます母親のように、冗談を交わす友達のように。
「応援はする、大黒様に祈っておくわ」
「今だ通じておりませんがね」
 てゐが焦がれるのは、この国随一の縁結びの神様である。純粋で純朴な兎の想いを無碍にするはずがないのだと永琳は力説してみせた。途端にてゐにも笑顔が浮かんだ。
「本音を言うとね私は、あくまで私はね。行ってほしくない」
 永琳はあくまでを強調して言った。
「ええ、私も寂しいです。だからきっともやもやするのでしょう」
 そう簡単に割り切れるものではない。決別は、何度繰り返しても慣れないものだ。たとえその日が来ることがわかっていてもである。夢が叶ったら、永琳だけではない、輝夜や竹林の自分を慕っている兎たちとも別れることとなるのだ。
「どうしてもというのなら、その悩みを断ち切る薬を処方してあげるわ」
「さっき医者にはどうもできないって」
「私は薬剤師よ、しかも天才、博識、そして美少女。不可能はないわ」
「くく」
 てゐは笑ってよいのかわからなかったが、少し口角が吊りあがってしまった。一応天才であることは否定のしようがないのだが。
「もう一度聞くけどやめる気はないのね」
 声のトーンが一つ下がった。
「はい……」
「そう、なら仕方ないわ。好きになさい」
 永琳がそう言ったあとてゐは大きく頷いた。そして振り向き、輝夜の部屋へと向かった。今日は行くのをやめることにしよう。なに、次行くときに倍の手土産を用意すればいいだけの話だ。
「てゐがね。知らなかったわ……」
 遠ざかるてゐの背中を見てぼそりと呟いた。永琳の口元は若干歪んでいた。


「そろそろこの話もクライマックスだよ。とその前にどうだ、足は動くかい?」
 唐突にそう聞かれたので戸惑った。今だに痛みがあるが、何とか動かすことはできるようになっていた。だが、立ち上がって歩くのは少々厳しい。
「良かった。とりあえず血は止まったみたいだな」
 血とは何のことだろうか、尋ねてみた。
「やっぱり覚えてないのか。竹林に倒れてたんだよ、あんた。多分妖怪に襲われたんだろうね。足の出血がひどかったからとりあえず焼いて止血したってわけ」
 そうとは知らなかった。とするとこの少女は善意で助けてくれたのか。そう考えると申し訳ない気持ちになった。
「ああ、いいよいいよ。ちょっと楽しんでいたのは事実げふんげふん、失礼。」
 嗜虐心だろうか、やはりほんの少しは狂っているらしい。
「ほんとは永遠亭に連れてけばいいんだろうけど、ちょっと喧嘩してきたばかりでね、間に合わせで我慢してくれ。明日、里に送るよ」
 助けてもらっただけでもありがたいため、そこに文句は言わなかった。
「じゃ、続きを話そうか。夜はまだ長い」


 茶色い地面がところどころ顔をのぞかせている雪解け道を歩く。向かうは白玉楼だ。ぴゅうと心地よい風がてゐの垂れた耳を撫でた。まだ寒さは身に染みるが、どうやらこの風は春一番のようだ。近いうちに春告精が騒々しく辺りを飛び回るだろう。
 蟄の候だ。てゐは土の中に潜む虫のようにこの日を待ちわびていた。
「ふーふふん、ふふふふーん♪」
 春は目覚めの季節だ。あたたかな陽気に誘われて冬眠から覚めた者たちが姿を現す。そろそろ八雲にお目にかかれるはずだ。そう思うと気分が高揚した。
「さあて」
 てゐは幽明結界の真下に着いた。あとはいつもの通りに丸薬を取り出し飲み下すだけである。カランと首飾りから丸い薬、永琳特製の幽体離脱薬を取り出す。ひょいと宙に放り投げ、落ちてきた丸薬を口で受け止めた。
「よし、と」
 すぐさま眠りに落ち、気づいたころには霊魂となっている。
 その手はずなのだが今日は違った。
「あれ?」
 まったく眠気が襲ってこなかった。薬を間違えたのだろうか。持ち出す際に何度も照合して確認したはずだとてゐは首をひねった。丸薬は今の一粒だけなので確かめようもなかった。幸い、激しい悪心や嘔吐と言った症状に見舞われていないので劇薬の類ではないだろうとてゐは思った。
「ううん、どうしよう」
 一度、永遠亭に戻ろうかと思った。忘れ物をしたとでも言えばよいだろう。
「春ですよー!」
 てゐが踵を返そうと思った矢先、春告精の声が響き渡った。
「やめた」
 時間が惜しい。八雲がいつ起きだすかはわからないが、悠長にしている暇はないのだ。幽々子ですらいつ来るか予想がつかないと言っているほどに気まぐれなのだ。会うことのできる機会を一日でも逃したくはなかった。
 てゐは生身のまま、地を一蹴りして宙に飛び上がった。雲をかき分け、ひたすら上へ飛ぶ。長い道のりも慣れたものだった。
「そろそろかな」
 白玉楼に続く階段がようやく見えてきた。だが、その前に結界がある。生身では通ることができないはずなのだが、てゐには一つ疑問があった。というのは、従者の存在である。あの妖忌という剣客は半分は人間であるそうだ。頻度は少ないが彼は時折地上に降りて買い物をしたりするらしい。その時に使う抜け穴もしくは裏技があるだろうと踏んでいた。
「あっ」
 結界の前に妖忌が浮かんでいるのが見えた。やはり、彼は結界の外に出ることができるらしい。てゐはほっとして近づいた。
「……」
 妖忌は仁王立ちして、そこを動かなかった。いつも以上に仏頂面であったが、目の奥には何か冷たいものが宿っているようだった。てゐが目の前まで来ると妖忌はゆっくりと口を開いた。
「来たか、地上の兎よ」
「……丁度良かった。庭師殿、なぜだかはわかりませぬが、ここから先に入ることができないのです。霊体になることができなくなってしまったのです」
「ならば、門をくぐることは叶わん。生者が立ち入ることは許されぬ」
 重く吐いた言葉は威嚇行動にも似ていた。刀を抜く素振りも見せてはいないが、纏う雰囲気には殺気が籠っているようだった。冷たい視線がてゐに突き刺さった。
「あなたは、半分生きていながら入ることができています、何か方法があるのでしょう」
「無論、ある」
「では」
「ならぬ」
 てゐは何か言葉を紡ごうとしたが一刀両断されてしまった。理由を尋ねることも許されないような、重い沈黙がのしかかった。そのまま、黙っていると言い聞かせるように妖忌は口を開いた。
「幽々子様を、悲しませるわけにはいかないのだ」
「なぜ、悲しむのです」
「……わからぬか、幽々子様はおぬしを待っておるのだ。おぬしは、死を約束したそうではないか」
 それは妖忌の悲憤であった。静かだが、重い怒りが込められていた。
「なぜだ、なぜ、嘘をついた。幽々子様はおぬしを……」
「そんな、嘘なんて私は」
 理解が追いつかずにてゐは戸惑った。嘘など一つもついていない。約束も目的が達成出来たら果たすつもりであった。だが、なぜか妖忌の言葉は痛みを伴って胸に突き刺さるようだった。それはどんな刃物よりも鋭利に思えた。
「わかりません、私には。誓って言います。あの方に嘘などついておりません」
 潔白を証明しようと、胸にこみあげる痛みを堪え、何とか言葉を紡いだ。妖忌はてゐの戸惑いを察したのか、少しだけ怒りの念を抑え込んだようだった。
「……事情は分からん。だが、おぬしの身体は今、魂魄と密接に絡み合っておる。私にも絶つことができない」
「それは……どういうことでしょう」
 答えはわかっていた。だが聞かずにはいられなかった。ほんの少し、否定を期待したのだ。
「おぬしの魂は生に囚われておる」
「ならばっ……! なおさら行かせてください。あの方なら、幽々子様ならっ、私を『誘える』のでしょう!」
 てゐはすがるような思いで言った。苦しみもなく、安らかに逝くことができる力。本来畏怖されるべき能力が、今のてゐにとっては希望であった。
「それも不可能だ」
「なぜです」
「あのお力は、魂魄のみを繰るのだ。境界があいまいで、生に縛られているおぬしの魂は、たとえ誘われても揺らぐことはない」
 妖忌はそう言い切った。
「そんな……」
「まじないか、はたまた変異か。判断はつかないが、今のおぬしに白玉楼の門が開かれることはない、立ち去れ地上の兎よ」
「っ私は、私はっ!」
 腹の底から何かが逆流するような感覚に陥った。目じりから熱い液体が溢れ出そうだった。歯を食いしばり、言葉を押し殺し、てゐは踵を返して空を蹴るように駆けだした。
 背後から小さく「すまない」という声が聞こえた気がした。


 てゐは目が覚めると、見覚えがある空間にいることに気づいた。汚れ一つない雪のようにまっさらな白い天井が目に映る。鼻にツンとくる薬品のにおいが意識を覚醒させた。
「永遠亭の、処置室?」
 布団ではなくベッドに横になっていることがわかった。カーテンのような仕切りがあるため部屋全体は見渡せなかったが、里の診療所にこのような洋風の設備はないため、此処が永遠亭であることを確信した。
 てゐは体の怠さを覚えていたため、しばらく横になったまま誰かが来るのを待っていた。その間に状況を整理しようと試みた。
「ええと、確か、白玉楼に行こうとして。そして、門前払いされて、あれ、そのあとは……」
 何か感情がひどく揺さぶられ不安定になったことだけを覚えていた。具体的に何をしたのかは今一つ思い返せなかった。
 一刻ほどてゐが思案していると、カーテンが開き、永琳が顔を見せた。
「あら、目が覚めたのね。どう、調子は? 痛い所とか」
「とくには……」
「そう、良かったわ。あとで詳しく検査するとして」
 そう言うと永琳は輝夜を呼びに一度部屋を出た。そしてすぐに二人で戻ってきた。
「よかったわぁ、目が覚めて。おかえりイナバ」
「ええ、ただいまです姫様、お師匠様」
 その言葉を言った途端になんとなく落ち着いた気分になった。家に戻ったという実感が沸いたのだ。
「貴女、昨日から眠りっぱなしだったのよ」
「はぁ、そうだったんですか。ええと、よく昨日のことを覚えてないのですが」
「一時的な記憶の欠落ってやつかしら、そうでしょ永琳」
 わからないのなら初めから言うな。
「ええ、多分。頭を打ったのでしょう。あとで精密検査するわ」
 永琳はそう言ったが、てゐは現状がイマイチ飲み込めなかった。それを察したのか、輝夜が発見したときのことを話した。
曰く、てゐは殆ど意識のない状態で竹林を彷徨っていたとのことである。偶々散歩をしていた輝夜が見つけて声をかけたのだが反応がなくふらふらと歩いていたとのこと。服が血濡れで一部破けていたが、目立った外傷は見当たらなかったそうだ。
「いやぁ驚いたわ。あれ、返り血かしらね」
「覚えてないですが」
 てゐは長年生きてはいるが、丸腰での戦闘は殆どしたことがない。凶器となりうる爪や牙を持っていないからである。精々切歯が鋭い程度で、到底肉食動物には敵わないものである。争いは基本的に逃げの一手である。それが返り血を浴びることなどあり得るのだろうか、てゐは疑問を持った。
 首をかしげているのに対し、輝夜はお構いなしに話を続けた。その後は永遠亭に連れてきたとのこと。幸いなぜか足は動いていたので、少し誘導すれば問題なくたどり着けたそうだ。その後はベッドに寝かせると事切れたかのように眠りについたとのこと。
「帰巣本能って兎にもあるのかしら」
「多分、私もここに住んで長いですからね」
 話を聞く限りだと、何らかの原因で殆ど意識や知性を失ってしまい、無意識に住処に帰ってきたというのが自然である。無意識とは、自己をより安全で正常な状態に導こうとする力でもある。本能に刻まれた住処の記憶がてゐの足を動かしたのだろう。永琳もその考えを否定しなかったので、きっと正しいはずである。
「じゃあここからは私ね。と言っても寝ているときの事なんだけど」
 永琳は経時的に記録したバイタルサインとその時の状態を話した。特に顕著な変動はなし、意識レベルだけが低下していたとのこと。全身を改めたが、外傷どころか内出血や骨折等もなかったとのことだ。
「で、一応確認するわね。貴女の名前は?」
 永琳はカルテを取り出した。
「……因幡てゐ」
「はい。今いる場所は?」
「永遠亭の処置室か医務室」
「はい。今がいつだかわかる? 大体でかまわないわ」
「ええと、啓蟄ですかね」
「はい、見当識正常っと。もう大丈夫そうね。とりあえずは様子を見ましょう」
 いくつかカルテに印をつけて近くの棚にしまった。これだけでよいのかとてゐは思ったが、何か痛みや熱感と言った異常を覚えているわけでもないのでとくに何も言わなかった。
「あっ、私、おかゆ作ってあげるわね」
 そう意気込んで輝夜は部屋を後にした。味の期待は出来なさそうだが、こういった気遣いができるのは流石姫様というべきか、いや普段仕事してないのだからこれくらいはやって当然だ。むしろ今ので埋め合わせができると思っていたとしたら浅ましいにも程がある気がする。
「改めておかえり、てゐ。無事でよかったわ」
「はい、ただいまです。この通りピンピンしてます」
 薬師の柔和な笑みがこの上なく暖かく感じられた。兎はそれに応じるように笑顔を作って見せた。不安や疑問はまだ残っているが時間が解決してくれるだろう。そう前向きに考えた。


 二日程度でてゐはすっかり回復した。目覚めた直後から食事も摂れていたのもあり、体力や筋力も低下することはなかった。まだ記憶はしっかりと戻っていない。やはり頭を強く打ったのだろう。欠落した記憶というものは下手に呼び起こさない方がよいとは薬師の談である。もしもそれがトラウマ体験であった場合、無意識が閉じ込めている可能性があるからだ。
 てゐはいつものように永琳のラボへと向かった。いつもの幽体離脱薬をくすねるためだ。てゐが白状したため永琳はこのことをすでに知っているのだが、忍び足になってしまうのは悪戯兎の性である。そろりそろりと足を運んでいた。
「良し、ええと」
 ラボに入るとさっそく薬剤の入った瓶を探し始めた。ラボは灯りがついてない時は薄暗いが、それでも何とか薬の名前を確認するくらいはできる。一つ、また一つと瓶を手に取り確認していった。
「あれ、おかしいな」
 今日はなぜだか瓶が見つからなかった。薬の配置を変えることはまれにあるのだが、そうだとしてもまったく見当たらない。どうしようか考えていると机の上にあった瓶がふと目についた。
「あった、これだこれ」
 紫色のラベルに髑髏の印。失敗作を意味するらしいがはたから見たらただの毒薬である。一応毒薬には毒と大きく書いているらしい。兎も角、その目立つラベルの印の下に薬の名称と効能が記されている。失敗作なので名称は経口麻酔(仮)と書かれていた。これで間違いない。確かに今まで使っていたものである。
「ん、あれ」
 瓶のふたを開けてみると中には一枚の紙切れしか入っていなかった。
「えっと何々、『あまり遠くに行っちゃだめよ。』これどういう……あっ」
 てゐは突然激しい頭痛に襲われた。脳を直接殴られたような衝撃を感じ、映像が流れ込んでくるような錯覚に陥った。てゐの脳は記憶を呼び起こそうとしていた。


 白玉楼を門前払いされた後、てゐはさながらクラゲのようにふわふわと雲海の上を漂っていた。動く気力がなく、辛うじて浮いているだけであった。
 あの方を裏切ってしまった、嘘になってしまった、約束は本意であったはずなのにと幽々子と話したことを思い出していた。悲願が叶う直前ですべてを打ち砕かれた。これが夢であることを、現実ではないことを願った。
 てゐは自らの頬をつねった。
「痛い」
 そのまま指先に力を入れ爪を立てた。爪先に血がにじんだ。
「痛いっ」
 さらに力を加え、ねじりながら引きちぎった。頬から流れ出た真っ赤な血が手にべっとりとついた。
「痛い、痛いよぉ」
 大粒の涙が頬を伝った。塩辛いそれは体の底から湧き上がるように溢れ出た。生命力そのものをも上回るほどに強大な悲しみの力がてゐの心を押し動かした。
「ああ、ああ」
 てゐは筋弛緩剤を打った時のように脱力した。重力に逆らうことを止めた身体は雲を突き抜けながら下へと真っ逆さまに落ちていった。
 身体で風を感じた。引き裂くような痛みが頭からつま先までを抜けた。雪解けの土が見え隠れする地面が目に映った。
「これで逢えないだろうか」
 小さくつぶやき、漠然と亡霊少女の姿を思い浮かべながらてゐは意識を手放した。


「思い出した……私は」
 返り血などではない、あれは確かにてゐ自身の血であった。
 てゐは頬に手をやった。そこにはいつもの若々しい柔らかいほっぺたがあるだけだった。
 最悪の考えを振り払おうとてゐは目の前にあった空の瓶を投げ捨てた。床に叩きつけられた瓶は衝撃で砕け、大小いくつかの破片になった。そのうち比較的大きめのものをてゐは拾い上げた。
 そしてごくりと唾を飲み、恐怖を押し殺して破片の先端を自らの手首にあてがった。心音が高鳴るのを感じた。呼吸も乱れていたが、何とか深呼吸して落ち着かせようとした。
「すーはー、良し……」
 一度大きく息を吸い込み、そこで止めた。そして目をそらしながらガラス片で自らの手首に大きく切り込んだ。
「痛っ」
 その痛みに思わず手を離してしまう。だが、深さは十分動脈まで達していたようでどくどくと鮮血が流れ出た。あまりの勢いで溢れる血液を見て、てゐは恐ろしくなり傷口を傍にあったガーゼで押えた。必死で押えこんでいるうちに、出血の勢いは治まっていった。
「う」
 くらくらと目が回るような感覚を味わった。貧血を起こしてしまっていたが、何とか意識を保っていた。すでに出血は完全に止まっていた。てゐは恐る恐るガーゼを外した。
「うあ、ああ……!」
 そして頭を抱え込んだ。いやな予感が的中してしまった。傷口が完全に治癒していたのだ。それこそ傷など始めからなかったかのように、いつもと変わらない皮膚がそこにあった。
 この尋常ではない回復を可能とする薬が一つだけ思い浮かんだ。それを飲んだ者は生に縛られるという秘薬。それを飲んでしまったに違いない。
 では、それはいつなのか。
「決まっているっ……」
 冥界に向かう前、飲んだ丸薬。あれしか考えられなかった。だが、勘違いして持ってきたわけではない。そこらの劇薬とは非にならないほどの効果を孕んだ秘薬、誰かがすり替えたことは明白である。
 では、誰か。
「決まっているっ……」
 このラボに出入り可能で、薬に詳しくて、なおかつてゐの目的を知っている人物はただ一人しかいなかった。
『遠くに行っちゃだめよ』というメッセージはそのまま、束縛を意味するのだ。永遠の竹籠は一度捕らえたものを決して逃がすことはない。それはシンデレラに限らずである。
 因幡の白兎は泣き崩れた。そしてそのまま、一晩涙を流し続けた。だが、涙が枯れることはなかったという。


「どうだ、面白いだろう。狂ってるよな」
 私は驚いた。少女の語る物語は夢のように思えるのだが、なぜかその狂気は真実味を帯びているように感じたからだ。
「まあ、ただ束縛したいだけではないと思うんだ。一応理屈は通るんだよ。これは仮説だけどね、多分あいつは、兎が月に行くのを恐れたんだ。何せ、つい最近までは姫様と一緒に隠れていたわけだからね。ほら、兎は神話になぞらえて神様に身を捧げたいって言っただろう。ほら、あの話のおしまいはどうなったけ」
 兎の話は自らの身を削り他人に優しくするという教訓としても有名である。語り部によって内容は変わるがあらすじはこうだ。猿と狐と兎、それぞれが老人に何かを献上しようとした。猿は集めた木の実を、狐は川で捕った魚を捧げたが兎は何も採ってくることができなかった。そのため、自らの身を焼いて献上しようとした。老人は仏様としての姿を現し、兎を称えて、月へと連れて帰ったという。だから月には兎が居るのである。
「そう、神話通りだと兎は月へ行ってしまうのさ。それはあいつらにとって非常に不味い。仏様と神様とじゃ宗派が違うから必ずとは言い切れないが、危険は少ない方がいい。可能性の芽は必要以上に摘み取るのがあそこのやり方だ」
 そこまでしなくてもと思った。それを口にすると妹紅は大声で笑った。
「だから狂ってるのさ。執着心が強すぎるんだ。あんな姫様のどこがいいのかねぇ」
 執着心で言えば目の前の少女も相当なものであるような気がするが口に出すと怒りそうなのでやめておいた。その代わりに、今、兎がどうしているのかを尋ねた。
「どうしたも何も、もともとはあいつ自身から聞いたことだからねぇ」
 それを聞いてまた驚いた。ということはてゐという兎はまだ竹林にいて、永遠亭に住んでいるのだろう。変貌した自分を受け入れることができたのだろうか。
「あ、一つ言っておくよ、あんたは会ったことないみたいだからね。里に来る薬売りの嬢ちゃんと違って、地上のイナバは嘘をつくのが上手い」


 後日、私は無事に里に戻ってくることができた。何人かに事情やその日の出来事を尋ねられたが、私はただ妹紅という少女に助けられたとだけ話した。彼女と親交のある慧音先生にもそう伝えた。兎の話は胸の内にしまっておくことにした。想い人のために身を捧げる覚悟をした兎と、それを束縛する薬師、そこに平然と佇むお姫様、一介の人間である私には全員狂ってるように思えてならないのだ。そんな話をどこまで真実かわからないのに広めるわけにはいかない。それに……
「置き薬交換しておくわね」
「おお、ありがとうございます。いやぁいつも永遠亭の薬には助けられてます」
「そりゃぁそうよ、うちの師匠の腕は一流を飛び越して異次元に達しているもの」
 あまり勘ぐってしまうと恐ろしいだけである。この薬はよく効く、交換に来るお嬢さんが可愛らしい、里の住民はそれだけを知っていれば十分である。
生きてるって何だろう? 生きてるってなぁに?
ちょっと昔の地上のイナバのお話でした。彼女の悲願が叶うときは来るのでしょうか。
月の兎の話は諸説ありますね。兎たちは修行中であったとか、狐ではなくカワウソだとか。……カワウソ可愛いです。
https://twitter.com/tougan833
灯眼
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コメント



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1.100サク_ウマ削除
うむむ……確かにそうですよね。村人さんからしてみれば、嫌な話にも程があります。
ともあれ、見事で残酷な話でした。妹紅の文句が時折混ざってくるあたりも非常にらしいなと感じました。面白かったです。
2.90奇声を発する程度の能力削除
らしさがあって良かったです
面白かったです
3.100モブ削除
上手くまとめられないので。面白かったです。
5.100すずかげ門削除
ある意味では、希望のあるお話だな、と思いました。
これからは時間を味方につけることができますし、幻想郷では選択肢は一つではないですし。
問題は身内をどう出し抜けるかですが。。。
6.100名前が無い程度の能力削除
語り口やキャラクターの掛け合いが軽妙でさくさく読めました
最後にてゐが飲まされたのは蓬莱の薬? そんな簡単に用意できるんだろうか。いやそれとも、話自体がてゐのついた嘘?
あと幽々子が圧倒的にかわいい。「ゆゆさまにまかせなさい」←かわええ…………
8.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
これから他の作品も読んでみます