Coolier - 新生・東方創想話

第九話『二色蓮芥瞳』 5/8

2019/04/08 18:25:15
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   西暦一八八三年 九月

「ハァイ、マイオーディエンス」

 僕は舞台に立っていた。

 舞台と言っても、観客の誰よりも低い位置にある、円状に区切られた床に過ぎない。

「アンチュウゴナセイ、〝ハロー〟?」

 返ってくるのは、老若男女様々な「ハロー」。はて、僕はこれだけたくさんの人の前で堂々と喋れるほどに勇敢な人間だっただろうか。

「上海アリスサーカス団へようこそ。来てくれて嬉しいよ!」

 視界の下が赤い。

「僕はセドリックさ! よろしくね」

 視界の下が赤い。

「最初に診てもらったのは、ナイフ投げの舞だ!」

 視界の下が赤い。

「いやぁ、かっこよかったねぇ」

 僕の視界に僕が映っている。

「僕もやってみようかな」

 手にした一本のナイフ。僕はそれを頭上に投げた。

「それ!」

 きらり。宙に舞う銀の刃。二度、三度回り、軌道の頂点に達し。また二度、三度回って落ちてくる。そして。

「あれ?」

 ぶすり。

「アウチ!」

 脳天にナイフが突き刺さる。何人かの悲鳴。観客が目を丸め、あるいは息を飲んでいた。そのまま、一秒、二秒、三秒が経過する。物言わぬ屍となった僕。不気味な沈黙が会場に漂い始める。そわそわ、ざわめき、どよめきが始まる……
 ……今だ。

「……なんちゃって」

 ナイフが刺さって、動かなくなった僕。その陰から……僕が現れた。

「こいつは人形さ。僕の変装をしたね」

 そう、人形。劇団長のアリスは、この人形を上海人形と呼んでいた。アリスの魔法じみた人形作製・操作技術のおかげで、この人形は僕の姿を、その表情や振る舞い、それに声に至るまで完全に再現する。それだけではない。この回が終わり、別の演目になれば、別の衣装やパーツを付け替え――但し、左目は除く――、別のメイクをし、全くの別者として登場させることもできる。それに、短時間ではあるが、アリスの糸無しに完全に自律して行動させることも可能だ。上海人形あまりの出来の良さ故、こうやって種明かしをしても、実は本当に人間なのではないかと疑いを持つ観客も多く。その謎、不気味さこそが、上海アリスサーカス団の観客席に多くの人間を集めている。

 人形のおでこを、とん、とひと突き。体を硬直させたまま、人形はばたりと倒れた。それを真似して、僕も反対側に倒れてみる。
 観客の口から笑いが漏れた。
 笑いには、緊張と緩和の落差が必要だ。それを僕は、この四年間で実感として学んでいた。

 というのも、僕はこのサーカスで、道化師[クラウン]をやっている。
 クラウンの役割は、言ってしまえば、演目と演目の間の尺稼ぎだ。だが、その短い尺の中で、観客の緊張を緩め、あるいは笑いを誘って楽しませ、次の演目を心地よく見てもらうムードを作る大切な役割も担っている。
 僕はこの役が気に入っていた、というより、僕の中の道化がこの役を気に入っていた。もちろん、ただ舞台に上がるだけでも僕には勇気がいるけれど。それでも、空中ブランコを飛び移ったり、高いところで綱渡りをしたり、たくさん積みあがった椅子の上で逆立ちしたりするよりは、断然マシだった。それもこれも、アリスの魔法の命綱……もとい操り糸のおかげで、どんなアクロバットな演目であっても成功することが約束されている。彼女を信頼して、彼女に身体を預ければ、あとは勝手に身体が動いてくれる。しかし、だからと言って、それならば安心だと思える程、僕は肝が据わってはいない。絶対に成功すると言われても、それを完全には信じられないのが人間である。理性が怖がらなくとも、本能が怖がるのだ。僕は毎晩寝床に就く度に、危ないことをやっている他の仲間たちの演目を想像しては、身を危険に晒さずに済んで自分の立場の良さを再確認している。

「おっと、そろそろ次の演目だな」

 僕はフラフラと立ち上がり、舞台の端まで出た。一番前の席に居る、山高帽の紳士に尋ねる。

「ミスター、名前を聞いてもいいかな?」
「エアリーだ。ジョージ・ビドル・エアリー」
「では、エアリーさん。質問だ。僕は人形でしょうか。それとも……本物でしょうか?」
「う~ん。本物じゃないか?」
「正解! はいこれプレゼント」
「お、おう、そりゃどうも」

 彼に差し上げたのはフウチョウの羽だ。いわゆる伏線と言うやつである。
 舞台の中央に引き返す。引き返すときに再びコケるのが、お約束の天丼だ。まばらな笑いが起こったところで、僕の出番は一旦終わりである。
 今みたいに、道化というものは失敗して人に笑われるのが仕事である。これがもう一つの、僕がクラウンになった理由だ。成功しなければならない演目で失敗におびえながら演技するより、初めから失敗して笑われる前提で演技をする方が僕の性に合っている。
 人に馬鹿にされ、笑われるのには慣れているのだから。

 しかし。それでも僕は、どこか違和感を抱いていた。今ここで、こんなにも笑顔で、大勢の人に向って喋っている僕。それは本当に、あの臆病な僕なのだろうか。本当に、舞台裏に戻ればすぐにガタガタと震えてしまう、あの臆病な僕なのだろうか。
 クラウンを務める経験を重ねるほど、僕は僕を、僕でないと感じることが多くなった。その感覚は、例えるなら、透明の箱の中に閉じ込められ、箱の外にいるもう一人の自分を眺めているようなものだ。自分にとっての自分は箱の中に居るけれど、皆にとっての自分、皆が見ている自分、皆が思い描く自分は、箱の外に居る方なのだ。そう思うと、ここに居る自分はいったい何なのだろうと問わずには居られなかった。ここに閉じこもっている自分は本当に必要なのかと疑わずには居られなかった。自分が箱の中に居るということを、そして、ここに居る自分自身の存在さえも、忘れてしまいたいと思わずには居られなかった。実際、自分がクラウンである間、臆病者の自分を忘れてしまうことも増えた。自分はクラウンであり、臆病者の誰かさんなどではないと思い始めていた。時には、終演後にクラウンになっている間の記憶が消えていたこともあった。
 何かを演じる者として、それはある意味、上出来なことなのかもしれない。役者として、究極の段階に至っていると言えるかもしれない。……自分を捨て、役になりきることこそが、役者の目指す境地だとするならば。だが……自分の味を生かし、それを役として昇華できる者こそ役者に相応しい、という見方をするならば。僕は役者には向いていないと言わざるを得ない。
 それも、こうして顔を真っ白く、鼻を真っ赤にし、煩いほどに華やかな衣装に身を包んでいるからだろうか。舞台の上で朗々と口上を述べる僕は、煤で汚れて顔は黒く、栄養不足で血色の悪い、みすぼらしい衣服を纏ってガタガタと震えていた盗賊団時代の僕とは全くの別人だった。

「さて、お次は鳥人間の登場だよ。この鳥人間、なんと人間と、遥か南の国にしかいない世にも珍しい、ゴクラクチョウとの間に生まれた子供だよ。親はとっくに死んじまって、かわいそうな孤児だったのを、うちの劇団で助けてあげたって訳だ。えらいだろう?」

 そう。クラウンという面を被り、こうして狂気を演じて踊っている間だけは。僕は僕を、忘れることができた。何もできずにいた僕を。何の役にも立てなかった僕を。何の勇気も無かった僕のことを。最も臆病な僕の心の安住の地は、大勢の観客に囲まれた舞台にあったのだ。最ものっぽでもある僕は、舞台でも目立ち役に相応しかった。
 こうして僕は、次第にこのクラウンという仮面に縋るようになり。
 気づけば、この仮面こそが本当の自分なのだと思うようになっていた。

 















「ああ、この人形、どうにかして早く捨てたいのに」

 盗賊団のアジトの地下。自分で勝手に区切って作った自室で、私は上海人形の手入れをしていた。衣装を剥ぎ、ほつれを直し、リボンを結びなおす。髪を洗い、ゆっくりと乾かし、丁寧に漉く。関節を外し、汚れを取り、潤滑油を塗る。そして……腐った右目を取り出し、眼孔を綺麗に拭き、ニスを塗った。
 このまま一晩、片目だけで彼女には我慢してもらおう。

 この子が左に蒼い瞳を宿してから十八年が経つ。人間の子供ならそろそろ独り立ちしてもいい頃だ。だがこの子は何時までたっても子供のまま。大人になれないまま。もちろん、我の強い子を上手く育て上げる楽しさはあるにはあるけれど、流石にここまでくると飽き飽きしてくる。
 彼女は今、どっちつかずの中途半端な存在だ。人形でもなければ人間でもない。私の元を離れられない程度には人形だが、私のいう事をあまり聞いてくれない程度には人間である。
 私は何度もこの人形を捨てようとした。旅先の街で置いてけぼりにしたこともあった。でも気づけば私のところに戻ってきていた。これはある種の呪いなのだと思う。この呪いを解くには、私が強い強制力を身に着けて彼女を完全に人形にしてしまうか、或いはその反対に彼女に完全な自我を芽生えさせて人間として自立させるか、そのどちらかだろう。しかし あの強力な左目を宿してしまった以上、彼女が只の人形に戻ることは無いだろう。であるならば、彼女にはどうにかして〝完全〟に〝自律〟してもらうしかない。
 私はこう考えていた。彼女を人形以上のものたらしめているのが左目であるなら、彼女を人間未満のものたらしめているのは右目ではないのか、と。となれば、上海人形が時々言うことを聞かなくなる原因にも、凡その検討はつく。

 彼女は〝完成〟しようとしているのだ。

 彼女は時折人を襲った。そして被害者から右目をくり抜き、自分の右目と入れ替えるという行為を繰り返した。左目にある程度〝適合〟する右目は腐らずに何週間も持ったが、合わなければ数時間で腐った。そうして彼女は、左目に〝見合う〟だけの右目を探し続けた。私がブクレシュティから上海に至るまでの、長い旅路の間、ずっと。
 ルーマニアを出て以降、私は上海人形の扱い方を試行錯誤しながら、東を目指していた。イスタンブールから一旦海路を取り、ダーダネルス海峡から地中海へ。アテネで船を乗り換え、アンタルヤ、メルスィン、ベイルートを経てテルアビブで船を降りた。これは上海人形の我儘だった。あの十字架をたいそう気に入っていた彼女は、どうしてもイェルサレムを巡礼したかったらしい。人形でも信仰心を抱くものなのだろうかと当時は疑問に思ったが、今思えばこの頃から、彼女は人の心を持ち始めていたのかもしれない。それを終えれば再び海へ。未だ建設中だったスエズ運河の代わりにアレクサンドリアからナイル川を遡り、カイロを通過してアスワンの第一急流に至った。

 そこから東へ山を越え、紅海に出てからは全て海路で上海なのだが、ここで重要なことは旅の序盤は常に地中海沿岸に居たという点にある。

 というのも、この地域は世界で最も青い目の人間が多い場所だ。初めは私が上海人形を制御しきれていなかったこともあり、目の〝交換〟頻度が高くなっていた。故に上海人形が手に入れる瞳も青いものが多かった。彼女はいつしか、青い瞳の人間を好んで襲うようになった。 思い出してみれば、あのハーン少年のミドルネーム。ラフカディオとは地中海のレフカダ島のことではあるまいか。そして彼の右目もまた青かった。
 上海に着くころには上海人形も落ち着くようになった。人間に近づいているからか、人形のくせに阿片が効く事も判った。以降は大伽藍飯店で阿片を仕入れ、自前でモルヒネを精製し、万一の時のために小瓶で持ち歩くことにしている。
 それでも右目に生きた眼球を入れないまま一月も経ってしまうと、私でも手が付けられなくなる。だから時々、私は彼女をあえて自由にした。人に気づかれないように適宜結界を張ることはあったが、人を襲い、目を奪う一連の犯行は上海人形が勝手にやった。年々、彼女の暗殺技術も向上しており、私が気を遣うことは少なくなってきている。そうして新たな右目を宿した彼女は、また一時の平穏を得るのだ。幸い、上海租界は英国人や仏蘭西人などが行き交っており、地中海ほどではなくとも青い目を持つ人間はそれなりに居る。だから彼女が獲物を探すのに苦労することは無かった。
 こうしてこの人形を宥めながら、私は研究を続けた。これだけの手間と労力をかけるのも、この上海人形こそが〝完全自律〟を成し遂げる個体だと信じていたからだ。サーカスを始めたのも、自分の人形操作の技術を磨き、そして〝人間操作〟の技術も新たに磨き、上海人形の操作に役立てるためだった。盗賊団を従えたのも、研究に必要な〝生贄〟を調達するにあたり、元から殺しをやっていた彼らが隠れ蓑として都合が良かったからだ。それに、上海という人種、国籍の入り乱れる都市ならば、彼女の右目に相応しい人物も見つかるかもしれない、と私は密かに期待している。
 早く捨てたいと言っておきながら、その子に執着するのは、自分でも言動不一致だと思う。時々、自嘲してしまう。だが、別に矛盾したことは言っているわけではない。彼女を捨てられたのなら、彼女を捨てても帰ってこなかったのなら、それは彼女が〝自律〟した証なのだから。
 親心とはこういう面倒くさいものなのだろうか。自ら育てた子を愛でたい気持ちと、早く自立して自分の元を去ってほしいという気持ちの葛藤。それは私が人形を育てるときに抱く気持ちと大して変わらないのかもしれない。

「母親……かぁ」

 ふと、魔界に居る、私の母ともいうべき存在の顔が浮かんだ。「どうして私以外に人間が居ないの」「どうして私だけみんなとは違うの」「どうして私の友達を作ってくれなかったの」と幼いながらに怒って、半ば家出のように私が魔界を出て行ったとき、彼女はどんな気持ちだったのだろうか。
 上海人形が本当に自律したとき。彼女が本当に私を必要としなくなったとき。本当に捨てられてしまうのは、私の方なのかもしれない。

「アリスさん。入っていい?」

 仕切りの向こうから声を掛けられ、私は思考を現実に引き戻した。

「サイラス?」
「うん。ココア持ってきたよ」

 人形に布を被せ、それから答える。

「……入りなさい」
「わーい」

 入ってきたのは、最も幼い彼だ。二つのティーカップを机に置き、彼は手近な木箱に座った。ふーふーと冷ましながらココアを飲む姿は、やはり子供である。

「で、どうしたの?」
「またハブられちゃった」
「やっぱりね」

 上では酒宴をやっているのだろう。盗賊団だった頃からの習慣で、騒ぎ声が通りに漏れるのもお構いなしに酒を飲むらしい。あんまり地下のアジトに閉じこもっていては、地上の表向きの家があまりにも静かで、逆に怪しまれる。だから敢えて窓を開けて騒ぎ、生活感を出していたのだという。

「みんなお酒飲んでばっかりで、退屈だよ。……僕も飲めるようになりたい」
「あんたには早いわよ。それに阿片もね」
「……そういうアリスさんはどうなの?」
「……あんたと一緒よ」

 正確には、違う。私の身体は成長することがない。だから早いも何も無いのだ。母は私をそういう風には作っていなかった。ただだけのこと。
 おそらくそれが、彼女の趣味なのだろう。
 そんなの、人形と一緒だ。
 成長するという意味では、寧ろ上海人形の方が人間に近いのかもしれない。ブクレシュティを出て以降、彼女は少しずつ「大きく」なっていた。気づけば各部位には生きた肉がつき始め、上海に着いてしばらくすると血が流れ始めた。サーカスの舞台での成果か、表情まで豊かになっている。更に、最近では彼女は食事の概念を覚え始めている。稀に用意した食事が一食分消えていることがあり、初めは欲張りな誰かが二人分食べたに違いないと喧嘩になったが、後に犯人は上海人形だと判明した。
 生きた目を宿すことで、彼女の身体は、少しずつ命の匂いを漂わせ始めていた。そのうち関節も肉で繋がって、普通の人形のように分解することができなくなるだろう。

「……そろそろサーカスの演目を考え直さなくちゃね」

 自室に置いた机。そこに転がっていた義眼を箱に詰め、並べ直した。

「それって上海人形の?」

 私が手に取った青い目を指して、彼が尋ねる。

「いいえ。これは間に合わせの紛い物よ」
「どういうこと?」
「だって、あの青い目。時折黒い烏がくわえて持ってっちゃうのよ? あの目は本物の目よ」
「えっ……? それって……生きてる人の目、ってこと?」
「そうよ。いつも、私が新しい目を入れるんだから」
「……こわ」

 元盗賊団が何を言う。

「私だって怖いわよ」

 これは嘘。今少しだけ飲んだ、ココアのように甘い嘘だ。

「そうね。次からは……あんたに〝目の調達〟を頼もうかしら」
「えっ……?」

 実際、彼は他の誰よりも質の高い技術を持っていた。初めて彼らと会った晩に私は確信していた。本来ナイフ投げは、持ち歩くコストが高い割に精度の低い攻撃法で、実用性は殆ど無い。が、彼くらいの技量があれば話は別だ。これだけ人が密集する街では銃声は暗殺に不利だが、投げナイフは音も無く放てる。それに、路地の込み入った租界では弓矢ほどの飛距離は必要なく、彼の並外れた投擲精度さえあれば弓矢以上のダメージを与えられる。そして何より、その幼い見た目は敵を油断させるのに好都合だ。
 ……案外、暗殺者に最も相応しいのは彼かもしれない……

「……なんて。冗談よ、冗談」
「なーんだ。冗談か」

 言って、彼はぼすりと仰向けになった。

「あら? そろそろおねむの時間かしら?」
「そんな子供みたいに言わないでよ」
「子供でしょ」
「子供だけどさ」

 気づけば彼のカップは空になっていた。こんな時間に温かいココアを飲んだなら、眠くなるのは当然だ。

「じゃあそろそろ戻りなさい。私はまだ衣装を直す作業があるから」
「はーい」

 言って、彼は自分のカップだけを持ってそくさくと出て行った。私も冷めないうちに、ココアを飲もうかな……

「……あれ?」 

 自分の机に目を戻してみると、そこには空になったティーカップが。
 取り違えたのだろうか。しかし彼が持って行ったカップも確かに空だったはず。

「もしかして」

 振り返る。彼がここに入ってくる前に、人形に被せておいた布。その布の下には何も無くなっていて……
 ……代わりにその横に、上海人形が立っていた。
 口の周りを、べっとりとチョコで濡らして。

「あんた……」

 ぐ、と首をつかむ。

「私のココア勝手に飲んだわね!」

 その頭をぐらぐらと揺らす。が、こういうときに限って彼女は人形に戻る。突然自分が人形であることを思い出したかのように、無抵抗になる。全身を脱力させて、腕や頭をぷらぷらと垂らして、私に揺さぶられるがままになる。これでは、私が意思も無い人形に向って勝手に怒っているようではないか。自分が馬鹿らしくなって仕方がない。

「ふ~ん? 随分ずる賢くなったじゃない」
「……」
「そうやって黙っていれば私が諦めるとでも思うの?」
「……」
「あんたいい加減に……」
「……」

 死人に口無し、ならぬ、人形に口無し。

「はぁ」

 人形と根競べして、勝てるはずもなく。適当に人形を放り投げ、机に戻る。私の人形は、お前だけではないのだ。いつまでも構ってあげている暇はない。

「次やったら本当にその左目潰すわよ」

 聞いて、自分の顔を隠して怖がる上海人形。サーカスのおかげか、人に見せるための演技はもう一人前である。 そして、自分の〝魅〟せ方も。
 ばさりと広がる長いブロンド。傷一つない陶器のような肌。きらりと光る蒼い瞳。








 ――彼女だけが、私に最も美しい。
 
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