Coolier - 新生・東方創想話

空想イマイマシー

2019/04/07 21:58:54
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 第四章『UNDERGROUND』


 ……。


 …………。


 ………………。


目が覚めたら、守矢神社が消滅してしまっていた。

私の名前は東風谷早苗。
目が覚めると知らない場所にいた、という状況がどんなに怖い事か、私は身を持って知った。まずは心を落ち着かせ、私は辺りを見渡した。とても広い建物の内部、その中央で私は眠っていたのだ。広場恐怖症じゃなくて本当に良かった。ここは洒落にならないほど広い。壁に向かって走ってみても、一向に進んでる気がしない。
そして、恐ろしい事に気付いた。
守矢神社の神である八坂神奈子様と、洩矢諏訪子様の力が一切感じられないのだ。幻想郷にいた時は体内に流れる霊気でどんなに遠く離れていようと御二方の神力を感知する事が可能だった。なのに、今はそれが完全に遮断されているのである。
つまり……御二方に何かあったか、もしくは、この場所に問題があるのか。とにかくここから出なければいけない。せめて、この場所の手がかりになるものでもあれば……。


《その時、早苗はある事を思い出していた。》


「あぁッ!?」
思わず悲鳴をあげてしまった。白い天井以外は何もなかったのに、急に頭上から無数の巨大な石像が落下してきたのである。
かなり特殊な形だ。不自然に丸みを帯びていて、まるで、『文字』の形をしている……。
そこで、私はそこから少し遠ざかってその石像を見た。これは文字、『日本語』だ。文字の形をした石像が私の周りに出現したのだ。一つ一つ確認してみると、それは一文の言葉になった。
「……《その時、早苗はある事を思い出していた。》って……」
ますます訳が分からなくなってしまった。落下してきた文章に、私の名前がある。意味が理解出来なかった。私は別に何も思い出してはいない。私はずっとここからの脱出法を考えていたのだから。
すると、文字はすぐに消滅してしまった。波打ち際で作られた砂の城のように、音もなく溶けてしまったのだ。

《早苗は思った。》

私が口を開けたままポカンとしていると、再び上空から文字が降ってきた。今度は《早苗は思った。》と書かれていた。
「どういう事……? 何なんですかこれは?」
辺りを見渡したって誰もいない。しかし、疑問を口にせずにはいられなかった。一体この文字は何なんでしょう?

《そういえば私、友達から『ジャ○ボ尾崎のホールインワン・プロフェッショナル』を貸しっぱなしにしていたわ……。》

「……は?」
今度はなんかえらく長い文章が落ちてきたなぁと思ったら、何これ、どういう事? 知らないよ。何だよ『ジャ○ボ尾崎のホールインワン・プロフェッショナル』って。
説明しよう!
『ジ○ンボ尾崎のホールインワン・プロフェッショナル』とは某研究所から発売されたFCソフトの事である。バグが多い事で有名。もうめんどうみきれよう。
「ちょっと! 誰かいるんですか! 私の名前出して変な文章落とさないでください! 何かちょっと恥ずかしいし!」

《(笑)。》

今度は短い文章が落ちてきた。
《(笑)。》と書かれている。
「何笑ってんだよッ!」
ここに来て私も流石に苛立ちを隠せなくなっていた。こんなに大声を出して怒ったのは久々だ。神奈子様が私の大事なスガ○カオのアルバムを踏んで割ってしまった時の事だ。その時は流石に温厚な私でもめちゃくちゃ怒った。夜中まで。
(笑)。の文字が消えた瞬間、しばらく無言が続く。結局あれは何なのか?色々思考を巡らせたところで何も思い浮かばなかった。とりあえずもう少しだけここから移動してみようと思い、私は腰を上げようとした。

《徐ろに、早苗は立ち上がろうとする。》

すると、再び先ほどの文字の石像が上空から落下してきた。まるで予め私の行動を予想していたかのように。落下してきた文を見て、私は一つ仮説を立てた。
私は立ち上がり、そのまま歩き出す……。

《――再び、早苗はその場に座り込んでしまう。》

と見せかけて、その場にもう一度座ってみせた。新たな文字が降ってきたのは、その行動とほぼ同じタイミングであった。『再び、早苗はその場に座り込んでしまう。』私の行動とほぼ一致している。
では、思考はどうだろうか?
(お腹すい……)

《――たなぁと早苗は思った。メロンパンが食いたい。》

間髪入れず、同様に文字が落ちてきた。
(やっぱり……!)
落下してくる文字は、私の行動や思考とリンクしているのである。
だが、それは完全というわけではなく、ほんの少しズレが生じていた。確かに私は(お腹がすいた)と脳内で呟いたが、詳細な事までは考えていない。それなのに、何故か勝手に「メロンパン」が食べたいという事にされている。これは、不本意だ。
「上に誰かいるの? さっきから変な文字落としてきて! 勝手に人の事メロンパン好きにしないで!」

《――早苗は叫んだ。メロンパンが食べたい、と。》

早速文字が落ちてきた……のだが、もう今は文字のついては気にしなくてもいいような気がした。だって書いてある事のほとんどがどうでもいい事ばっかりなんだもん。

《――早苗はメロンパンが落ちていないか辺りを見渡し始める。》

(……無視無視! これ以上この変な現象に突っ込んでいたら体力が持たないわ……)
私は文字が落ちてこようが気にしない事にした。とりあえず横になり、無心で文字が落ちてくる光景を眺め続ける。

《早苗は何度も頭の中でメロンパンを食べたいと唱えた。》

(そんな事微塵も思ってないっつーの! 全く、本当にいい加減な事ばっかり言うんだから)

《早苗はメロンパンを探しに行こうと考えた。》

もちろん無視した。だが、何もしていなくても相変わらず文字は勝手な文面で引っ切り無しに落ちてくる。

《早苗はメロンパンを……。》

(あーもう、いい加減にしてほしいわ! 私は別にメロンパンなんか食べたくないし! もう、何なの……ッ!)


《――早苗はメロンパンである。》


は?
いや、なんか雑になってない? もう色々と混ざり過ぎて「私=メロンパン」みたいな図式が出来ちゃってんだけど。

《早苗はメロンパンになりたい。》

「いや、なりたくねーし!」
つい声を荒げて反応してしまった。無視を決め込もうと思っていたけど、流石にこれには反応せざるを得なかった。

《――本当にメロンパンになりたいのか? 早苗は……。》

「なりたくねーって言ってんでしょうが! 何なのさっきから! 私の事をメロンパン変身願望がある人みたいに言わないでよ!」

《――フランスパンという選択肢もあるぞ、早苗。》

「急に何だ! メロンパンが無理だったら第二希望のフランスパンという道もあるぞ、みたいな言い方すんなよ!」

《――お母さん、早苗さんの今の成績ですと第一志望校のメロンパン高校は時期的にも難しいですよ。もう少しランクを下げてフランスパン高校などを視野に入れてみては?》

「三者面談かよ! 先生みたいな人出て来ちゃったよ! っていうか何だメロンパン高校って! 誰が通うんだよそんな高校!」

《――でも先生、メロンパン高校に通うのが私の夢なんです! 私にはもうメロンパンしかないんです!》

「私別にメロンパン高校に通いたいとか思ってないし! っていうか何だメロンパン高校って! 何処に願書出せばいいんだよ!」

《――その日から、早苗は受験戦争へと身を投じる事になる……憧れのメロンパン高校を目指して……それが、思いもよらぬ悲劇の序章である事も知らずに……ッ!》

 ……。
「……え! 何っ? なんかすっごい不穏な感じになったけど、え! 私これどうなるの!? スッゲーどうでもいい事のはずなのにスッゲー続きが気になるんだけど!」
このままでは体力を消耗するだけだ。こんなくだらない、クッソくだらない事に関わっている場合ではない。だけど、今のところこの空間で動きがあるのはこの文字だけだ。この先どれだけ歩いても出口に辿り着く気がしないし、あの落下してくる文字の中に脱出の手がかりがある可能性もある。くだらない事のように見えて、実は何か「ヒント」のような物が隠されているかもしれない。そう思い、私は座ってじっと次の文字が落ちてくるのを待った……のだが。
それから数分が過ぎた。それなのに、次の文字が落ちてこないのだ。何かおかしい。あのメロンパン以降何も落ちてこない。そのままシーンと静まり返った状態が続く。
「さっきまで引っ切り無しに落ちてきていたのに……」
だんだん不安に駆られていった。もしかして、もう文字が降ってくる事はないのか? 確かに鬱陶しいとは思っていたが、今のところこの空間の手がかりはあの文字しかないのだ。このままでは永遠に外へ出られない。
「急にどうしたのよ! 黙ってないで何か言いなさいよ!」


《どうしたの?》


不意をつくように文字が落下してきたので心臓が止まるかと思った。しかもこの文、私の言葉に対して返事をするような文面である。まるで、意思を持った誰かが言葉を選んでいるかのように。
「誰か、いるの……?」

《正確には違う。》

再び文字が落ちてきた。私の質問に対してちゃんと返事をしている……。これはチャンスだ。何か、この際何でもいい。些細な事でもいいから何か情報を聞き出さなければ……。
「ここは、何処? ここは、幻想郷なの?」

《違う。》

落ちてきた「違う」の二文字を見た瞬間、背筋に全身の血が冷たくなってしまったような悪寒が走った。ここは、幻想郷ではない?
じゃあ、ここは一体何処なんだ?
それと同時に別の疑問生まれた。もちろん私もそうだが、では他のみんなは? 神奈子様や諏訪子様はどうなった?
「だ、だったら他のみんなは……みんなは何処にいるの? ひょっとして私と同じように、この空間にいたりする?」

《いないよ。》

ほんの少しだけの希望だった。だが、それは呆気なく崩れ落ちた。つまり、ここには私以外誰もいないという事か? じゃあ、みんなはどうしたの? どうして私だけこんな場所に……?

《本当の事を教えてあげる。》

「本当の、事って……?」

《結論から言うと、君は『     』じゃない。》

……。
 一瞬だけ、脳が止まった。
「何を……言っているの?」
 混乱を通り越して最早お笑いだった。この、コイツは一体何を言っているのだろうか? 私が『     』じゃないって……。
 
 ひょっとしてそれって冗談で言っているつもりですか? 私は苦悩と疑問によって生まれた謎の異物感に吐き気を催した。これは甚だ狂気である。それも一際悪辣な意思を持っている。だが、この喪失感は何だ? 文字は、この白い空間の意思なのではないか? それに気付いた時、私はどうして「自分だけがこの場所に立っているのか」を知ってしまった。異変解決である。だが、この悪寒は、この焦燥感は拭えない。では、私は何だ? 私が『     』ではないと言うのであれば、私は一体何者だ? 何度も空間に向かって叫んだ。だが、答えは返ってこない。非情だ。否、非常である。そして、まさしく非現実の世界、その世界でただ一人、私は真実を知った。知ってしまった。だが、これを告げる先など存在しない。困惑しているが、答え合わせはもう出来ている。私はこの事実を知るべきではなかった。最後まで、それこそ、永遠に何もわからない方が幸せだったのだ。私は、自分の頬に触れてみる。これは夢ではない。これは現実である。だが、その「現実」という言葉すら何の意味もない。私がここに立っている。それは私自身、そして私を形作ってきた全ての物事が「無かった事になる」証明でもある。何だか寒くなってきた。そして、酷い空腹であった。まるで自分の身体の内部が空洞になってしまったかのように空虚であった。私は空っぽだ。何も入っていない。私は自分の頭を横に振った。カラカラと音がする。何も考えられない。頭が空だ。私は何も注がれていないガラスのコップに等しい。いや、いやいや否、どうしよう。どうしよう。どうするのが正解か? どう在るのが正解か? 先ほどまで広々としているように思えた空間が、今はやけに狭く感じる。ここは、あまりにも窮屈だ。外、外に出たい。誰かと話がしたい。そして、これが冗談だと教えてほしい。ただの冗談だと、全て、ここで起きた何もかもが嘘であると言ってほしい。鏡に映る自分の姿に向かって「お前は誰だ」と言い続けると、本当に自分が誰なのか分からなくなるという話を聞いた事があるだろうか? 知覚の現象を利用した自己に対する一種の洗脳と言われている。バカバカしい話に聞こえるかもしれないが、それと似たような経験をした事はないだろうか? それも、幼少期の頃に。私はある。生まれて初めて鏡で自分の顔をまじまじと見つめた時、奇妙な感覚に襲われたのだ。まるで、鏡に映る自分の姿が得体の知れない人物のように思えた。誰だコイツは、と思ってしまったのだ。まるで、自分が自分ではなくなるような、不気味な感覚に襲われた。違和感を覚えた。何もかもが疑わしく思えるのだ。これは、私ではない。鏡に映るコイツは、私ではない。今、私の意識の中でそれが起こっている。そして私は、人間が最も辿り着いてはいけない疑問へと辿り着いた。いや、そもそも「自分」って誰ですか? 自分は、私は一体誰だろうか? 疲れた。では私はこれからどうなるのだろう? 頭の中で都合のいい展開を想像しても虚しいだけだ。ある程度の事はなるようになるが、今回ばかりはどうしようもない。打つ手がない。願う事すら無意味だ。ならばせめて思考を停止させなければならないのでしょう。我思う、しかし我は既に亡き也。最早恐怖心すらない。諦観も、絶望もない。在るのはただ一つ、途方もないほどの疲労感だけだった。私は目をつむり、両手を組んでその場に跪く。私は『幻想郷』に会いたかった。誰かに私の名前を呼んで欲しかった。私が『私』である証明に程遠い事だとしても、私は誰かに出会い、その人に私という存在を肯定してほしかった。誰か、私の名前を呼んでくれないか。私の事を、『東風谷早苗』と呼んでくれないか。

恐らく、私は『東風谷早苗』ではないのだ。

その途端、何もかもがどうでも良くなった。私が誰であろうと、ここに奇跡は存在しない。私は『東風谷早苗』だ。だが、『東風谷早苗』ではない。私はなんで此処にいる? 何のためにここへ呼ばれた。私は、どうなりたい? 何を欲するのが正しいのか。ここでは何を求めるのが正解なのか。考える時間が永遠に足りない。それでは皆さんまた会う日まで、さようなら、どうかお元気で。たとえ、次に会う私が『私』ではないとしても、そういう『設定』だとしても。それはきっと素敵な事なので。それで、いいのです。
さっきから記憶が曖昧だ。この記憶は誰の物だろう。


 私、『東風谷早苗』は、メロンパンになりたい。


 ……。


 …………。


 ………………。

 ・・・

 カン、カン、と小気味のいい音を立てながら、こいしは梯子を下りていく。思っていたよりも地下通路は長く続いている。こいしは額に汗をかき始めていた。何が潜んでいるかも分からない未知の暗黒がすぐ真下に広がっている。不気味極まりない。
「ひえぇ……やっぱり引き返そうかな……」
 こいしがしょんぼりした表情で泣き言を漏らす。すると、何やら下の方に青白い光が見えた。地下通路の終わりである。
こいしは勢いよくその場に降り立った。ようやく地に足が付いた事でこいしは安堵のため息をついた。しかしそこは、何やら古びたパイプ管が無数に伸びており、そこから更に通路が複雑に奥へと続いていた。こいしは目をつむり、霊夢達の無意識の声を聞き取る。微かではあったが、声のする通路を見つけた。壁には青い光を放つ電灯が付いている。こいしはゆっくりと通路を歩き続けた。
しばらく経つと、こいしは開けた空間へと辿り着いた。真っ白で無機質な空間だった。名称も用途も分からない機械が所狭しと並んでいる。例えるなら、まるで病室のような場所であった。
 ちょうど病院の待合室のような、消毒液の香りが辺りには充満している。先ほどまでの通路とは打って変わり、けっこう清潔な雰囲気であった。こいしは興味深そうにあたりを探索する。しばらく歩いた先で怪しげなドアを見つけた。こいしは躊躇する事無くドアを開け、内部に侵入する。何やら科学実験を行うための場所のようだ。人間や別の生き物の死体でも転がっていそうな雰囲気である。
しかし、その部屋には奇妙な物ばかり置いてあった。培養液に入れられた鉛筆。ビーカーや細長い試験管の横にコーラの瓶が置いてあり、中には真っ白な砂が入れられていた。何の実験をしているのかまるで分からない。こいしは目を細め、首を傾げながら部屋を物色していく。特に面白い物は見当たらない。すると――。
「あっ! あなた達は……っ!」
 部屋の中を歩いていると、地上で見つけた謎の黒い球体の群れがいた。手足もないのに謎の器具を持ちながら、慎重にこいしのリュックの中身を取り出そうとしていたのである。
『何か、危ない物が入っていたらどうしよう……』
『でも、金属探知機には反応が無いよー』
『というか、どうしてこんな物持ってきたのさー?』
 真っ黒な球体が会話をしていた。こいしに気付いている様子はない。球体達はちょっと怯えたような仕草をしていた。
『やめなよー、怖い物が出てきたらどうすんのさ!』
『そんな物入ってないよー』
『ほんとだ、中はガラクタばっかりだよ!』
 こいしはムッとした表情で黒い物体達からリュックを取り上げた。リュックを背負い、こいしは彼らをじぃっと睨みつける。黒い物体達は何が起きたのか分からない様子でワタワタと慌てふためく。こいしにリュックを取り上げられた事に気付いていないのだ。
「失礼ね! ガラクタじゃないもん! ……それよりっ」
 ……生き物で言えば、彼らはそう、真っ黒なヒヨコのような姿をしていた。こいしは黒い球体の一人を抱き上げ、質問してみた。
「ねぇ! あなた達って何者なの?」
 黒い球体は、こいしに抱き上げられている事にも気付かず、ごく普通に、当たり前のように、こいしの質問に答えた。


『僕達は、「ヤマシタ星人」だよ!』


「や……っ、ヤマシタ星人ッ!?」

 ヤマシタ星人ッ!?

もう駄目だ。これは駄目だ。誰か止めろ。終わりだ終わり。
 こいしが目を輝かせながら、その真っ黒な球体、ヤマシタ星人をモフモフと抱きしめた。まるでぬいぐるみのような感触だった。
 すると、その場にいた他のヤマシタ星人達がこいしの元に集まり、こいしに向かって自分達の素性を話し始めた。無論、彼らはこいしの姿を視認出来てはいない。質問されているという事にすら気付いていない。まるで独り言のようにこいしの問いかけに応える。
『そう。ヤマシタ星人。アンドロメダ銀河NGC752にあるヤマシタ星から、ある目的でこの地球にやって来たんだ』
 月に都があるくらいだから今更地球外生命体が登場してもあんまり新鮮味が無いように思えるが、こいしにとって、コレは今世紀最大の出会いであった。もう既に彼らに興味津々の様子である。
「何の為に来たの? まさか……地球侵略とかっ?」
 キラキラと目を輝かせ、ワクワクを抑えきれていない表情でこいしはヤマシタ達に質問した。鼻息がとても荒いこいしちゃん。
『まさかっ! ただの調査だよーっ!』
 ヤマシタ星人達は一斉に飛び跳ね、こいしに群がりながら嬉しそうに答えた。恐らく、彼らの中で今の問いは重要機密に当たる内容の可能性が高い。しかし、それもこいし相手では無意味だ。彼らは機密を漏洩している事に気付いていない。
「へぇ、何の調査?」
『地球上に住む生き物について。だけど……手違いがあって……』
 すると、部屋の奥に備え付けてあったモニターが突然起動する。そのモニターに映る映像を見て、こいしは悲鳴を上げた。

 それは、霊夢、魔理沙、咲夜の三人がベッドで寝ている映像であった。こいしは抱き上げていたヤマシタ星人を離し、モニターの前に駆け寄る。三人共、魘されているような、苦悶の表情を浮かべて三つ並んだベッドの上に横たわっている。しかもよく見ると、三人共、電極に繋がれた謎のヘルメットのような物を頭に付けられている。まるで拷問を受けているかのような光景であった。

「ちょっとあなた達! 霊夢達に何をしているの!」
 こいしが怒った顔でヤマシタ達に叫んだ。
「まさか……霊夢達を解剖する気じゃ……そんなの許さないよ!」
こいしの言葉を聞いたヤマシタ達は慌てながらこいしの方へ駈け寄り、次々と弁解の言葉を並べる。重ねて言うが、ヤマシタ星人達はこいしの事に気付いていない。こいしがここに居る事にも気付いていないし、こいしの声も聞こえていない。彼らは意識なく、こいしの問いかけに応えているのだ。
『そ、そんな事しないよーっ』
『大丈夫だよう。あの三人には傷一つ付けちゃいないよう』
 こいしは訝しむような目でヤマシタ達を見つめる。すると――。
 ヤマシタ達の後方から、何やら柔らかいボールがバウンドするような音が聞こえた。こいしが音のする方に目を向ける。

『……おやおや、これはまた奇妙な侵入者だ』

それは、ヤマシタ達と同様の、黒くて丸い物体である。しかし、他のヤマシタ達より一回り大きい。他のヤマシタ達がバスケットボールほどのサイズであるのに対し、コイツは自転車の車輪ほどの大きさであった。そして、頭と思われる部分に、何やら金ぴかの王冠のような物を被っている。明らかに、ボスの風格である。
『エンペラーだ……』
『エンペラーが来たよ!』
『みんな、整列してーっ』
 他のヤマシタ達が一斉にこいしから離れ、エンペラーと呼ばれた黒い球体の為の道を作るかのように綺麗に並びだした。
「え……あなた……私の事……」
 こいしは気付いた。このエンペラーと呼ばれた黒い球体は、何とこいしの事をちゃんと認識しているのである。無意識を操る能力が効いていないという事だ。これは流石のこいしも驚きを隠せない様子であった。今まで、この能力を一目で見破った者など皆無だった。
「あ、あなたは一体何者なの……?」
『……申し遅れた、私の名前は……』

『……そう、私こそ……っ。ヤマシタ星の王様であり、ヤマシタ星人を未来へ導く偉大なる指導者っ! 私の名前は……、エンペラー・ヤマシタであーるっ!』

 エンペラー・ヤマシタだってよ! もう駄目だ!

「じゃあっ、じゃあっ、あなたはこの子達のボスなのっ?」
 こいしは神を拝むような厳かな顔でエンペラーの顔を見た。
エンペラーは何処にあるのかも分からない鼻をふーっと鳴らし、真夜中の外灯のような目でこいしを見つめた。
『そう、私はエンペラー、偉いのであーる!』
 こいしは感激し、エンペラーに向かって拍手をした。ぱちぱちぱち。こいしの嬉しそうなリアクションにまんざらでもなさそうな様子のエンペラーは、ボムボムと弾みながらこいしの方へと近付く。どうやら、エンペラーはおだてられるのが好きな様子だ。
「初めまして、エンペラー。私の名前は古明地こいしだよっ」
『ふむ……ふーむ、ふむふむ、なーる、なーる、なるほど……』
 すると、エンペラーはいきなり何処からともなく、板状の機械を取り出す。液晶の付いた、銀色の薄い機械だ。エンペラーが器用に液晶に触れると、画面が青白く光った。確実に、幻想郷には存在しない、最先端の技術で作られた機械だ。その様子を見るに、エンペラーは何やらその機械を使ってメモを取っているようだ。「メモを取るなら紙と鉛筆で十分なのに」とこいしは呟いたが、エンペラーは嬉しそうに『でも、こっちの方が何かと便利なのだよ』と答えた。王冠が落ちそうになったのでこいしが支えてあげる。
『おっと、どうもどうも』
「どういたしまして」
 その時、エンペラーの手元(手が何処にあるのかは分からない。球体だし)にある機械の液晶に書かれている文字がチラと見えた。

《古明地こいし、姿は人間と似ているが、種族は全く異なる。また、他者の認識に明らかな障害を及ぼしている。そのエネルギーの正体は今のところ不明。ただし、敵意はない様子……》

 メモの内容は、目の前にいる古明地こいしについて、である。こいしは両手を広げながらエンペラーの上にのしかかる。毛布のように柔らかい感触だった。エンペラーはわずかに『うぐぐ』とうめき声を漏らしたが、邪険には扱わず、そのままこいしのやりたいようにやらせていた。
 エンペラーは寛大な存在だ。
 こいしのような子供のやる事にいちいち腹は立てない。
 何故なら、エンペラーは偉いから。
「そんな事より、霊夢達をどうするつもりなの?」
 画面に映る霊夢達の映像を指差しながらこいしが質問する。
『アレはね、彼女達の記憶を読み取っているんだよ』
 エンペラーの応えに対し、こいしは良く分からないと言った表情を浮かべて首を傾げた。すると、エンペラーが他のヤマシタ達に合図をする。すると、ヤマシタ達はバケツリレーのように奥から一つの機械を運んできた。それは、モニターに映る霊夢達が揃って頭部に装着している謎のヘルメットであった。
『これは人間の記憶から様々な情報を読み取り、データとして保管する事が出来るんだ。この機械を装着する事によって対象の記憶に干渉し、都合の悪い記憶を抹消する事も可能だ!』
 サラッと怖い事を言うエンペラーであった。
《……本当は、記憶を読み取る際に電磁波の影響で変な夢を見るような弊害が生じるんだけど……それは黙っておこう……》
「ねぇっ、ねぇっ、あなた達は何の調査をしているの?」
 こいしの質問に、エンペラーは『よくぞ聞いてくれた!』と声を上げ、全身をボンッ、と弾ませた。その弾力でこいしの身体がフワッと宙に浮く。こいしが見事に床に着地すると、エンペラーは興奮した様子でこいしの周りをグルグルと回りながら力説する。
『我々の調査の目的は、この美しい星、地球上に住む生物達の調査……だが、その途中で予期せぬ事態が起こってね……』
 すると、エンペラーはぐいっとこいしに顔を近付ける。
『それは、この幻想郷という空間の存在だよ……』
 そのまま、エンペラーはこれまでの経緯を語り始める。
 ……。
『我々、ヤマシタ星人は宇宙星艦、『無敵要塞ヤマシタ』に乗って』
 宇宙星艦、無敵要塞ヤマシタだってさ! もう駄目だ!
『地球へと訪れた……。地球上に生物が誕生した時期から、この短期間で「ヒト」と呼ばれる種族が爆発的に増えたからだよ。明らかに増殖の数値がおかしい。しかも、星のエネルギーから生まれる自然を破壊しまくっているじゃないか! これはイケない。私はそう思い、この「ヒト」という種族を知る事にしたのだよ』

『結論から言うと、人類は生きるに値しない生き物だ……』

 そんなっ! と、こいしは悲鳴のような声を上げた。しかし、エンペラーはこいしの声を無視し、言葉を続ける。
『行動がまず矛盾しているんだ。自らの住む星で、命の源である海を汚し、森林を伐採し、他の動物を何種も絶滅に追い込んでいる。傍から見ていてこれほど危ない生き物は見た事が無い!』
 エンペラーは断言した。こいしはシュン、と落ち込む。
『地上の生態系を調べていくうちに、我々は『日本』という国にやってきた……そこで、発見したのが、この『幻想郷』という空間だ。いやはや、これには我々も驚いたよ……地球上から、一定の地域を隔離し、時空を歪めて遮断するなんて、我々の技術でもそれは難しい……まぁ、侵入するのは簡単だったがね』
 エンペラーはドヤッとした態度で膨らんでみせる。
『ここは良い……自然を保護し、人々を保護し、何より『時間』を保護している……あの子達三人の記憶を読み取って得たデータだが、この幻想郷はどれもが『保管』に適したシステムを採用している……ここに来て、私は思いついた……』
 あ、真似しちゃおう、ってね。
 エンペラーの言う幻想郷のシステム、それは、幻想郷に住む妖怪の賢者である八雲紫の境界を操る能力と、幻想郷を外界から隔離する博麗大結界の事を指している。
「真似……ど、どういう事……?」
 こいしが恐る恐るエンペラーに質問すると、エンペラーは演説のように声高らかに答えた。
『これ以上この美しい星が破壊されるのを見るのは堪らない! しかし、人間は傲慢だ。欲を持ち、意思を持ち、全てをその手中に収めなければ気が済まない生き物だ。金に飢え、権威に飢え、利己の為にそれ以外の物を踏みつけにする。否、その在り方を否定するつもりはない。生き物とは得てしてそういう物だ。だが……そうだな、例えばだが……その人間の欲、いや、人間の意思その物を、コントロール出来るようになったらどうする?』

『人間達の脳を操る事が出来たら、どうする?』

 こいしは「うー」と苦そうな表情を浮かべるばかりで何も答えられなかった。そんなこいしを無視し、エンペラーは力説する。
『私はこの幻想郷という土地を見て思いついた。生き物からあらゆる自由を奪い、『脳』という檻の中に閉じ込める方法をね。人間達を捕獲し、あのモニターに映る三人と同じように、この記憶を操作するヘルメットを装着させる。そして、人間達は我々がプログラムした架空の世界の中で生き続けるんだ。半永久的にね……』
「で、でもでも、そんなの……可哀想だよう!」
 こいしは堪らずエンペラーに抱き着いた。エンペラーは何処に付いているのか分からない手でモフモフとこいしの頭を優しく撫でた。エンペラーには敵意が感じられない。
『別に命まで取るわけではないよ。ただ、彼らを現実から切り離すんだ。彼らは自身の脳内で夢を見る。その夢が『現実』だと信じてね。脳の中で、彼らは楽しく、自由に暮らすんだ。我々が設定した世界を、現実世界だと信じながら、脳内だけで生きるんだ』
 エンペラーの言っている事は、人類侵略のそれとほぼ変わらない。だが、そこにあるのは憎しみ、怨嗟ではなく、ただの慈悲であった。
「どうして……エンペラーは、人間は嫌いなの?」
『まさか! 人は美しい生き物だ。だが、同時に醜い物でもある』
 すると、エンペラーは徐に手元にあった板状の機械に人間の身体のホログラムを映し出した。エンペラーは更にその立体映像を拡大し、人間の心臓と、脳を映した。
『人間の脳は美しい……だが、人間の心臓は、あまりにも醜い』
 エンペラーがそう呟くと、人間の心臓が大きく映し出される。エンペラーは苦虫を噛み潰したような様子でそれを見つめた。
『心……と言うのか、この臓器は、あまりにも不安定だ。本来ここは思考するための部位ではない筈なのに、人は心で物を考える事がある。それは脳よりも単純だが、脳よりもはるかに複雑に物事を分析し、「意思」は「意志」となって脳を支配する。そしてそれは、脳で吐き出された答えよりも固く、力強い。心とは……我々の現在の技術ではまだ完全に理解出来ない。これは、恐ろしく、醜い……』
 そこで、こいしは異議を唱えた。
「だけど、一番大事な場所だよ……心は……」

『でもこいしちゃんは、心を手放しているじゃないか』

 エンペラーは煌びやかに輝く瞳でこいしの第三の目を見つめた。こいしは、反論する事が出来なかった。口を噤むこいしの様子を見て、エンペラーはそれ以上、こいしの「心」については何も言わなかった。聞くべきではない、踏み込むべきではないと思ったのだ。
「で、でも……やっぱり人間には心が必要だよ……私は、確かに、心を捨てた。でも、私は妖怪だから、人間とは違うから、それでも何とか今まで生きてこれた。でも、人間は違う……。人間は、早苗達は、心が無きゃ、きっと、生きていけないよ……」
 早苗、という言葉を聞き、エンペラーは何かを考えた。
『早苗、というのは、この子の事かな?』
 エンペラーの言葉と同時に、モニターの映像が切り替わる。
 先ほどと同様、ベッドの上で少女が例のヘルメットを被りながら寝ている。その少女の顔を見た時、こいしは驚愕の声を漏らした。

「さ、早苗……ッ!?」

 そこに映っていたのは早苗であった。こいしと別れた直後、ヤマシタ達に眠らされ、ここまで拉致されていたのだ。
『一番最初に、あの銀髪の女の子を捕まえ、記憶を読み取ったのだが、彼女の記憶によると、どうやらこの幻想郷には「異変を解決する人物」がいるそうだね。我々はその子達を数人ピックアップし、ここ数日ずっと探し回っていたんだよ……でも、この早苗という子だけは今まで見つける事が出来なかったんだ……』
 それは、今までこいしと共にいたからである。こいしの能力が作動し、早苗という存在は一時的に隠され、ヤマシタ達は彼女を見つける事が出来なかったのだ。こいしはエンペラーの説明も聞かず、怒った顔でエンペラーの頭部をポカポカと叩いた。
「酷い! 早苗まで捕まえるなんて!」
 こいしに叩かれた衝撃でエンペラーの身体がボンボンと音を立てて跳ねる。エンペラーは小声で『ぐっ』と呻くが、それを無理に止めさせることはなかった。エンペラーは寛大だ。

 ……この、いかにも「じきぐみ!」って感じの面子なら白玉楼の庭師である「魂魄妖夢」もこの場に居そうな物だが、どうやら妖夢は捕まっていない様子である。何故かというと、妖夢は今、四季映姫が企画した慰安旅行で白玉楼の主である西行寺幽々子、そして八雲紫と共に熊本の黒川温泉に出かけているからであった。温泉行きたい。九州いいトコ一度はおいで。話を戻そう。

『我々は早苗ちゃんに傷一つ付けていない。それは約束しよう。実験が終わったら、ちゃんと四人共解放してあげるつもりだよ』
「じ、実験……?」
『さっきも言ったように、人の脳を特殊な電磁波で操る実験だ』
 こいしは涙目になってエンペラーをバンバンと叩いた。
「そんな事して、早苗が死んじゃったらどうするのーっ!」
『ぐっ、うっ、待ってくれこいしちゃん……実験は、もう既に成功したんだ……早苗ちゃんの表情をよく見てごらん』
 エンペラーに言われ、こいしはじっとモニターに映る早苗の顔を見つめた。悪夢に魘されていた霊夢達とは違い、穏やかな表情を浮かべていた。まるで、母に抱かれる赤ん坊のように、読書に飽いて、そのまま木漏れ日の暖かさに包まれながら眠るかのように、安らかな顔であった。早苗は夢を見ていた。
『あの子は今、とても幸せな夢を見ている。覚めるのが惜しいほどの幸せな夢。その夢を設定したのは、我々だよ……』
 エンペラーの言葉の意味が分からず、こいしは口を開けてエンペラーの方へ振り向いた。
『この世界に住む全ての人間達を眠らせ、今の早苗ちゃんと同じように穏やかな夢を見せる。そこが現実だと思いながら、人類は皆、子供のように眠り続ける。我々の技術なら、それが可能だ』


『我々はそれを『全世界空想覚醒』と呼んでいる』


 そういうとエンペラーは部屋の奥に設置してある奇妙な形をした機械の方に目を向けた。それは、一種の砲台のようにも見える。
『これは、『空想設定装置』、人間の脳に特殊な信号を送り、一時的に全ての記憶を破壊し、新たな「記憶」を植え付けるための装置だよ。射程範囲は、この星に存在する人類全てだ』
エンペラーはそう言いながら装置の方へ歩み寄る。
 砲台、その砲口の部分には輝くリングが固定されてあり、まるで電波を発する古典的なレーザー光線銃のように見える。脅威を感じないのは、人間に対する一種の兵器である筈なのにそのフォルムがあまりにも奇抜だからか、それとも、この兵器が宇宙規模の視点で見れば「本当に正しい物」だから、なのか。
「だけど……人間は、そんなの望んでいないと思うよ……」
 こいしは弱々しく反論するが、エンペラーは落ち着いた態度を崩さない。その返答を最初から予測していたような様子だ。
『では、そうだな……例えばだが、こいしちゃんが一番欲しい物は何かな? もしくは、一番行きたい場所、一番会いたい人、とかでもいい。君の「望み」を、自由に思い浮かべてほしい……』
 エンペラーに言われ、こいしは良く分からないまま言われた通りに自分の今一番欲しい物を思い浮かべた。漠然とした内容だったが、こいしは頭の中で、自身の姉と一緒に遊んでいる光景を想像した。それだけではない。脳の、記憶の奥からドロドロと欲が流れ出した。地霊殿で共に過ごしている家族や友達と共に、想像出来る限りの楽しい物が詰め込まれた場所で過ごす光景。地霊殿だけではない。地上で出会った妖怪や人間達もそこにいる。いや、もうそこにはそれ以上の幸福などいらないとこいしは思った。ただ何気なく当たり前のように会話をする、それだけでこいしは「幸せ」と思えた。
 その中には、東風谷早苗もいる。
『……私の脳には、全ての者が「幸福」と思える設定資料が入っている。言うなれば、『誰もが幸せになれる台本』だ。私があの空想設定装置にその情報を打ち込み、装置を作動させれば、全ての人間達は、幸福な夢を見続ける事が出来るんだ。あの子を見てみなさい』
 エンペラーは早苗の方を指した。こいしは恐ろしい物を見るような視線で早苗の寝顔を見つめた。
「今、早苗は、本当に幸せなのかな……」

『……こいしちゃん、一度体験してみるかい?』

 エンペラーはそう言いながら、例のヘルメットをこいしに手渡してきた。こいしは有無関係なしに、無意識のままそれを受け取る。
「みんなが、幸せになれる、夢……」
 こいしはエンペラーの瞳をじっと見つめる。こいしには誰かの心を読む事は出来ない。いや、そもそもエンペラーに「心」があるとは思えない。だが、こいしには、「何となく」だが、エンペラーは悪心あってこれを言っている訳ではない事が分かった。
「……分かったよ、あなた達がそこまで言うなら……」

「私の『望み』を見せてみろっ! 私は空っぽだっ!」

 そう言いながら、こいしはヘルメットを頭に被った。エンペラーは周りにいるヤマシタ達に指示を出す。ヤマシタ達はピョンピョンと嬉しそうに跳ねながら空想設定装置に「こいしが幸せだと思える夢」の情報を打ち込み、装置を起動させる。
『エンペラー、準備完了だよーっ』
『ふむ。では早速……こいしちゃんの頭の中に、電磁波を流し込むのだ。これ以上ないほどの幸福な夢を見れるように……』
 装置が激しい音を上げながら振動する。強力な電磁波が放たれ、こいしの脳に流れていく。その瞬間、こいしは頭を抱えながら悲痛な叫び声を上げた。

「あ、あば、あばばばばばばばばばばばばばばばばばばッ!!」

 こいしの頭の中に様々な映像が乱射される。記憶が瞬時に次から次へと切り替わる。こいしはありったけの力で叫んだ。その瞬間、こいしの視界からエンペラー達の姿が消える。

こいしは眠りに入った。


 ……。


 …………。


 ………………。


『?』


「霊夢……今は何も聞かないで」

サイレンの音が緩やかに小さくなっていく。それに合わせ、咲夜は真顔へと表情を戻していく。
咲夜は私の正面へと座り、何事もなかったかのように息をついた。先ほどまであんなに切羽詰まった様子だったのに……。
「ねえ、咲夜……」
その後の言葉が見つからない。何と声をかけるべきか、しかし、疑問と不安が綯交ぜになって上手く言葉が出てこない。
先ほどのサイレンは一体何だったのか? 咲夜は何故あんなに焦っていたのか。確かな事は分からないけれど、一つだけ、あの時の咲夜は「いつもの咲夜」だったと思う。それに……。
(聞き取る事は出来なかったけど、あの時咲夜は確かに「助けて」と言っていたわ……アレはどういう意味なの……?)
 まことに頭がコンガラガッタンである。とりあえず、まずは咲夜の言葉を待つしかない……のだが、こちらが何もしなければ咲夜は永久にこのまま静止し続けるのではないかというとんでもない不安が頭をよぎったので、何でもいいからまずは質問をぶつけてみる。
「とりあえず……、まずあなたは、本当に咲夜なのよね?」
「十六夜咲夜でございます」
 返答が滅茶苦茶早くて気味が悪い。まるで私がそういう質問をしてくると思って予め用意されていたような回答だ。そうじゃない。何でもいいからとにかく、私は確信が欲しかった。
「だったら、あなたが咲夜だっていう証拠を見せてよ!」
すると、咲夜は少しだけ眉をひそめて見せた。やっとコイツの人間っぽい表情が見れて安心した。さて、何を聞こう?
「そうね、じゃあ、アンタのご主人の種族と名前は?」
 まずは小手調べといった感じ。本物の咲夜ならわかって当然の質問である。答えはレミリア・スカーレット、吸血鬼である。いきなり何を言い出すのよ……と咲夜は少々呆れた様子であった。
「レミリアお嬢様よ。レミリア・スカーレット、種族は吸血鬼」
 渋々といった様子で咲夜は答えた。流石にこれは答えられるのか。
「……だったら、次は「レミリアが言いそうな事」を一つ答えて。ずっと仕えていたのなら、そのくらい簡単よね?」
 咲夜は少し間を空け、自身の額に指を添えながら何かを考えていた。不自然な仕草ではない。しばらくして、咲夜は答えた。
「……『こんなにも月が紅いから、お前ら構わんけ、そこらの店ササラモサラにしちゃれい!』……とか?」
「いや、最初はレミリアっぽかったけど後半から明らかにおかしいでしょ。なんで最後の方『仁義なき戦い』みたいになってんの?」
「でも、お嬢様ってこういう事言いそうじゃない? 日光が嫌いだからって幻想郷中に紅い霧撒くような御方よ?」
 そう言われたら確かにレミリア……っぽい……のかなぁ? そんな訳ないだろうと思いつつも、私は納得した、フリをした。本当はまだこいつが咲夜だと100%信じたわけではない。
「っていうか、霊夢こそどうなのよ。あなた、本当に霊夢?」
「なっ……いきなり何を言うのよ!」
 急に矛先を向けられ、私は動揺した。何度も咲夜を疑っておきながら、まさか自分が疑われるとは微塵も思っていなかったのだ。断言する。私は博麗霊夢、幻想郷の巫女である。それ以上でも以下でもない。何故なら、『私がそう思っているからだ』。
「どうかしら、あなたが本当に霊夢なら、証拠見せなさいよ」
 なんでそんな事しなきゃいけないの、とは口にしなかった。咲夜が言っている事は、数分前に私が咲夜に放った言葉と同じである。あれだけ咲夜を疑ったのだ。私だけそれを拒む権利なんてない。
「じゃあ、『魔理沙が言いそうな事』を答えて。毎日神社に入り浸っている奴だから、「本物の」霊夢なら当然答えられる筈よ?」
 振られて初めて分かるこのお題の難しさよね。え、魔理沙が言いそうな事って何だろう? あれだけ一緒に過ごしていたってのに、全く思いつかない。何でも言いそうっちゃ言いそうなのよね……。咲夜の疑いの眼差しから目を逸らし、しばらく考える。
「……『霊夢、一緒にどら焼き食うぜよ!』……とか?」
「なんでどら焼きなの? っていうか、語尾おかしくない?」
 だよねぇッ! 咲夜もそう思うわよねぇッ! ああ良かった!
また無言の時間がやってくる。私と咲夜は互いに少し距離を取り、訝しむような目つきで見つめ合っていた。そう、疑心暗鬼になっているのだ。私も、咲夜も。表情からは何も読み取れない。一体、咲夜は何を考えているのか?
・・・
その時、私の背後でカタンッ、と何やら無機質な音が鳴り響いた。今まで無音同然だった空間だっただけに私は思わず凄味のある顔で振り向いた。
「よう、霊夢。一緒にどら焼き食うぜよ」
そこには、魔理沙が立っていたのだ。
先ほどまで一緒にいたあの魔理沙である。この時点で解せない事が山のようにあった。先ほど魔理沙は、どうして急に姿を消したのか、それと同時に、一体「何処」へ行っていたのか。
「まっ、魔理沙っ!」
「あら魔理沙、あなたもいたのね」
咲夜は私と遭遇した時と同様に無感情な様子で言った。魔理沙は互いに距離を取り合っている私と咲夜のちょうど真ん中あたりに座った。私にとっても、咲夜にとっても丁度良い距離である。やっぱり魔理沙は昔から「適切な位置」という物を心得ている気がする。
「咲夜も、どら焼き食うかぜよ?」
「え、何その「ぜよ」って語尾? 怖……」
 だよねぇッ! 咲夜もそう思うわよねぇッ! ああ良かった!
「どら焼き、いるのか? いらないのか? ぜよ」
「いらないぜよ」
何でアンタも語尾に「ぜよ」付けてんの? 流行ってんの?
とにかく、様子はおかしいけど顔見知りが二人も現れて内心嬉しさを感じたのは事実だ。下手したら一生この意味のわからない空間で孤独のまま過ごさなければならないのかと思っていたから。
「それで魔理沙、あんた一体何処へ行っていたの?」
……。
「……何で黙ってんの?」
私が質問した途端に魔理沙は黙りこくった。まるで私の言っている事が何らかのタブーであるかのように。
「ええぇーっと……何から説明すればいいんだろう? 咲夜、代わりに説明してやってくれ。私じゃ口で説明するのは無理だ。色々と複雑で私自身もよくわかっていないんだよ……」
急に魔理沙に振られ、明らかに動揺した様子を見せる咲夜。私は咲夜を見つめ続けた。懇願を含んだ凝視だ。私から視線を逸らし、咲夜は永遠に続いている真っ白な天井を見上げた。そして唐突に、本当に何の前触れもなく、咲夜は恐ろしい事を口にしたのだ。
「……ねぇ霊夢、私は、今、ここで何が起きているのか、全部知っている。だからこそ言わせてもらうわ。『知らない方がいい』……だけど、どうしてもというのなら答えてあげる。私は何も強要しない。あなた次第よ霊夢。あなたが決めて」
咲夜のその言葉を聞いた瞬間、これは誘導的強制なのではないかと思った。二人は知っているだろうか? 無数に分岐する選択肢の中で『確実に最悪のケースを踏む法則』を。曖昧だが、確かにそういう物があるのだ。「人は一日に何度決断をするか?」答えは、およそ9000回。一日、人は身の回りの選択肢に直面しては決定を繰り返す。意識していないだけで、人はこれほどの回数の決断をして過ごしている。その結果、時間の経過と共に人の判断力は低下していく。いわゆる「決断疲れ」という状況だ。特に日常的ではない物に直面している場合は精神的なエネルギーの消耗が激しく、人間の判断力は通常より格段に低下し、人は決断を意識的に放棄する、決断忌避の状態となる。……そして、『最悪のケース』はよりによってそのタイミングを狙って用意される。人は決定権をほんの一瞬手放した時に限って危険を踏み抜いてしまう生き物だ。そう、今の私がそれになりかけている。そして、おそらく咲夜はそれに気付いている。
だからこそ、彼女は私に選ぶ権利をくれたのである。否、この場合は義務と読んだ方が適切か。特殊な状況下だ。私自身ここに来て完全に疲弊しきっている。判断力が鈍っている。こういう時、人は普段しないようなミスをする生き物である……。
で、私の答えは決まっている。無論、咲夜に懇切丁寧に今の状況を説明してもらう事だ。まず、「知らない方が良かった」と思える事実とは一体何なのか? そんな言い方されて「聞きたくない」なんて思う奴はいないでしょ。だけど、私だって多少は不安だった。
ここ、この白いドーム内は魔法や妖術が通用する場所ではない。恐らく、八雲紫の能力を使用したとしても到底及ばない領域にこの空間は位置している。そんな場所に、私は知らない間に拉致されたか、もしくは迷い込んでしまったのだ。それだけならまだ良い。
 問題はこの二人だ。
 どうしてこの二人もここにいるのか? 何かの意思を感じる。私一人だけだったらまだ想像出来る。一体何が起こっているのかを。これはあくまでも仮説だけど、幻想郷の侵略を目論む妖怪の新手の攻撃とも取れる状況だ。私を幻想郷から隔離した場合、幻想郷と外の世界とを隔てている博麗大結界が崩れ、幻想郷は今の形を維持出来なくなる。故に、邪な妖怪達の画策により、私だけこの場所に閉じ込められた……と考えるのが妥当だ。だけど、そうじゃなかった。二人、それも、私と同じように幻想郷で異変が起きた際に活躍するメンバーがここに二人もいる。それも含めて、私は咲夜に言い放った。全てを話してくれ、と。

「例えばなんだけど、霊夢。あなた、自分が創作の中の登場人物だと思った事はない?」

 咲夜の言葉に、私は少しだけ眉をひそめた。予想すらしていない言葉だったからだ。咲夜はいきなり何を言い出すのか?
「例えば、例えばよ。霊夢、あなたの生きている幻想郷は、コンピューターゲームの中で作られた架空の世界なの。そして、その世界で生きている人達も、全て架空の人物なの」
「いきなり、そんな荒唐無稽な事を言われても訳分かんないわよ。そんな事……」
 考えた事も無かった。
似たような話で、胡蝶之夢という物がある。
夢の中で、私は蝶となって空を飛んでいました。それはそれは素晴らしい心地でした。しかし、目が覚めて私はこう思った。私は蝶となった夢を見ているのか、それとも、私という存在そのものは、蝶が見ている夢なのではないだろうか? 夢と現の境界は不可視です。果たして、私は本当に存在するのか? それともやはり、私は、胡蝶が見ている夢に過ぎないのか? この世界は、この幻想郷は、誰かが見ている夢に過ぎないのではないか?
そこで、私は息を止めてみた。苦しくなる。十秒ほど経ってようやく私は空気を吸い込んだ。私は、ちゃんと呼吸をしている。次に、心臓に手を当ててみる。ドクンと、脈打っている。私の心臓は動いている。つまり、私はここにちゃんと生きている。
「じゃあ何……アンタはつまり、私達が、誰かの創作物だって言いたいの? そんな話、信じられる訳ないでしょ……」
「ええ、その通りだと思う。だけど……いや、少なくとも、『この場所』ではそういう事になっているのよ……」
 ……。
 吐き気がする。
「おい待てよ霊夢、何処に行くんだ?」
 私は無意識のまま立ち上がり、その場から離れる。背後から魔理沙が声をかけてくるが、私はそれを無視した。そもそも、最初からずっと分かっている事だった。
 ここから出なければならない。咲夜の放った言葉、それの意図する部分が何となく分かった。マジに言っているのだとしたら。
 咲夜のヤツ、本格的にイカレてしまったのだわ。そして、魔理沙も。自分達がゲームや漫画の世界の住民だって? それを、マジに言っているのだとしたら、まずい。そう、危ういのは私だ。
 魔理沙も咲夜も、そんなバカな話を鵜呑みにするような奴ではない。咲夜は普段から少し不思議な性格をしているが、この状況で冷静さを欠いてあり得ないホラ話を信じてしまうほど弱者ではない。そして、何より魔理沙だ。魔理沙は基本的に頭が良い。どんな事態でも彼女は「自分だけはまともでいる」ように努める。そういう風に自分を律する筈。狂気に陥るほど精神的にヤワではない。
 そんな二人が揃っておかしくなっているのがまずい。自分だけは正気を保っていられる、という確証がない。
とにかく、逃げなければならない。ここではない場所に行かなくてはならない。出口は何処? 出口は何処? 出口は何処? そう呟きながら、私はしゃがんで辺りの床を指でなぞりながらのそのそと進む。何かしら仕掛けがある筈だ。そうでなければ嘘だ。
「お、おい霊夢……大丈夫か?」
「出口は何処? 出口は何処よ? ねえ魔理沙、アンタ、さっきまで何処にいたの? 何処から出てきたの?」
「……言えないんだよ、それは言っちゃいけない事になっている」
 何でよ、と、私は少々乱暴に吐き捨てた。魔理沙が少し申し訳なさそうにしているのが見えた。それがちょっぴり心苦しかった。だが、今は魔理沙に構っている場合ではない。何か一つ、一つだけでいい。外部へと繋がる何かを見つけなければならない。すると――。

 唐突な話だが、メロンパンが落ちていた。

「何で、メロンパンがここに……」
 私は二人に気付かれないようにそっとそのメロンパンを手に取る。ザラザラとした触感に、仄かに漂ってくる甘い香り、柔らかさ、明らかにこれはメロンパンだ。それは間違いない。
 私は無意識のまま、そのメロンパンに齧りついた。私の歯がメロンパンの表面に接触した次の瞬間――。
『いたーーーいっ!』
 わっ! メロンパンが喋った!
 私は咄嗟にメロンパンを床に落としてしまう。床にポトンっと着地した瞬間、メロンパンは『うぐ』と鈍い声を漏らした。まるで生きているかのようなリアクションだ、きもちわるい!
「おいおいどうしたんだ霊夢」
 魔理沙が私の方へ駈け寄ってくる。私は何も言わず、というか何も言えず、黙ったまま床に落ちているメロンパンに指差した。
「……何だこれ? どうしてメロンパンがこんなところに……」
 魔理沙はそう言いながらメロンパンを拾い上げ、何の迷いもなくメロンパンに齧りつこうとした。何コイツ、何で何の疑問も感じないで道端に落ちているメロンパンを口に入れられるの?
『やめてーっ! 食べないでーっ』
「わっ! メロンパンが喋った!」
 魔理沙はびっくりしながらメロンパンを床に落とした。『うぐ』。
「何、どうしたの?」
 後方で座っていた咲夜も何事かとこちらの方へ歩み寄ってくる。
「メロンパンが喋ってるんだよ!」
 魔理沙が慌てた様子で咲夜に叫ぶ。咲夜は心底馬鹿を見るような目で私達を見つめた。ほんとなんだってば!
「メロンパンが喋る訳ないじゃない……」
 咲夜はそう言って床に落ちているメロンパンを拾い上げた。そして、何の迷いもなくメロンパンに齧りつこうとした。え、何コイツ。
『食べないでってばーっ!』
「わっ! メロンパンが喋った!」
 咲夜は驚いてメロンパンを床に放った。『うぐ』

『いい加減にしろーーーーーっ! 並べーーーーーっ!』

 メロンパンの絶叫が辺りに轟く。メロンパンの言う通り、私達はメロンパンの前に並び、正座した。えー、説教っすかー?
「っていうか……何か聞いた事がある声ね……」
『ぎくっ』
 私がそう呟くと、メロンパンは『ぎくっ』と言いながら身を強張らせた(はぁ?)。明らかに動揺している様子だ(はぁ?)。
「そうね……何か……早苗さんの声みたい」
『ぎくぎくっ』
 咲夜が言うと、メロンパンは更に変な声を出した。
 あ、何? これ早苗なの?
『そそそ、そんな事ないですよう!』
 あ、何? これ早苗じゃん! 早苗じゃんこれ!
「嘘つきなさいよ! アンタ早苗なんでしょう?」
 私はパロンメンをむんずと掴んで叫んだ。パロンメンじゃねぇや、メロンパンだ。何だパロンメンってギャハハハハハハッ!
「ツボに入り過ぎだろ! 何だよパロンメンって! いや、そんな事より……お前、本当に早苗なのか?」
 魔理沙が私からメロンパン(早苗?)を奪う。
『ち、違います! 私は早苗なんて名前じゃありません! 私は正真正銘、ただのメロンパンですってば!』
 明らかに早苗の声だ。一体何が起こっているの……? 魔理沙や咲夜がバカになっちゃったのはギリギリ許容出来るけど、流石に早苗がメロンパンになっちゃったのは、理解出来ない。
「私と魔理沙と咲夜、そして……早苗、異変解決に携わる四人がいっぺんに集められたってわけね……」
 メロンパンとなってしまった早苗の言う事を無視し、私は一人で推測を並べていく。これは、アレか? ひょっとして、私の知らない間に幻想郷で戦争が起こったのか? 人間対妖怪の。そして人間は負けて、私達は捕虜となって記憶をいじられ、魔力のかかったこの空間に閉じ込められているのか? それとも……何? これはもしかして、紫の考えた新しい道楽か何かか? それに、咲夜がさっき言っていた「私達は架空の人物」って言葉も引っかかる。明らかに精神に異常をきたした人間の戯言だ。だが、それを百%否定する事が私には出来なかった。これが現実なのか、それとも夢なのか、その境界は恐ろしいくらいに曖昧だ。この場所、この異様な空間がそれを物語っている。そして何より、この喋るメロンパン、早苗の唐突な登場があまりにも決定的だった。ここまで来てしまえば、もう何が真実で何が嘘なのか、今の私には分からない……。
 その時――。
「こ、今度は何なの……?」
 突然、この白い空間が歪み始めたのだ。地面が大きく揺れている。白い天井がグルグルと回転する。私達はよろめき、その場に倒れ込んでしまう。その拍子に魔理沙がメロンパンを手放した。
『な、何? 何が起こっているの……?』
 メロンパンは困惑の声を上げた。唐突に眩暈を覚えた。私は頭を抱え、魔理沙を、咲夜を、そして、メロンパンの形をした早苗を見つめていた。ここで目を離したら、もう二度と、会えないような気がした。咲夜は息を呑みながら額に汗をかいていた。魔理沙は、俯きながらひたすら怯えていた。私は声を張った。
「咲夜、私達……どうなるの……?」
「分からない……私にも、それは分からないよ……」
 咲夜は目をつむり、何かに祈るように手を組んだ。私は魔理沙の方を見た。静かに何かを呟いている。よく聞き取れないが、「どうして」とか「何で私達が」という言葉は聞こえた。私は、魔理沙が落としたメロンパンを拾い、抱えながら皆に言った。
「落ち着いて……落ち着いてよ! 私達が創作物? 架空の存在ですって? そんなの……そんなのあってたまるもんですか!」
 私の言葉に、魔理沙が泣きそうな表情を浮かべた。咲夜はそもそも私の声なんて聞いてすらいなかった。何を言っても無駄だっていうのが、肌に伝わってきた。寒気がした。
 正直に言うとね、本気で、怖かったんだ。強い魔理沙が、冷静な咲夜が、二人して何もかも諦めたような表情を浮かべているのが、とても怖かった。その瞬間、自分が自分でなくなっていくような感覚に襲われた。私は誰だ? 私は、何処から来た?

 博麗霊夢が、溶けていくような感覚だ。

「い、嫌だ……みんな、何か言ってよ! 嫌だ、嫌だ……ッ!」
 私は悲鳴を上げた。しかし、二人は何も言わず、悲しそうな顔を浮かべるばかりであった。メロンパンは、応答なし。
 どうなってしまうのだろうか、そう思いながら、私の意識は白い空間の中へと急降下していく。魔理沙、咲夜、そして、早苗を残し、私は、ドロドロに溶けていく。嫌だ。嫌だ。それは、嫌だ。


 ……。


 …………。


 ………………。


 ・・・


「こ、ここは……」
 目が覚めると、私は博麗神社の境内、賽銭箱の前で横たわっていた。頭がズキズキする。記憶がない……。先ほどまで何処にいたのか、何をしていたのか思い出せない。私の名前は博麗霊夢。それは分かる。ここは幻想郷、それも分かる。私は、この幻想郷の異変を解決する巫女、そして、外の世界から隔離するための博麗大結界の管理者である。そこまでは分かる。私の記憶は正常だ。
「……どうしてこんなところで眠っていたんだろう?」
 私は眠気眼を擦りながら、おぼろげな視界を徐々にクリアにしていく。まるで酒で酔い潰れたみたいに意識が朦朧としている。高熱で魘されている時のようだ。
 そこで、境内に誰かがいる事に気付いた。誰だろう? と思いながら、私はそいつに近付いていく。
『……あら、霊夢、おはよう』
 そこには、見覚えあるいつもの顔があった。私は少しだけ安心し、ほっと息をついた。私はその人に近付き、笑顔を浮かべる。







「おはよう、お母さん……」





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