Coolier - 新生・東方創想話

第九話『二色蓮芥瞳』 2/8

2019/03/16 00:55:43
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   西暦一八七九年 二月

 霧が棚引く、租界の夜明け。行き交う人馬は未だ少なく、冬の冷気は乱されぬまま。鳥たちだけが、朝の空気を歌っている。
 最も早起きな僕は、いつも通り見張りをしていた。背にしているのは、レンガ造りの建物。表向きは、隣に建っているものと大して変わらない。だが僕らのアジトはこの地下にあり、地下への入り口、本物の扉は、正面の扉とは別に門の中に隠されている。僕はその門の前で、朝の一服をするフリをして座っていた。明け方は最も奇襲をされやすい時間帯である。だから僕が見張るのだ。
 最初は、今も奥でぐっすり寝ているであろう彼らに、半ば押し付けられるように任された役割だった。だが今では、この役割をすっかり気に入っている。というのも、僕ら七人の中では、最も平和な仕事だと思うから。この役割のために、僕は夜の本業を免れているのだから。

 それに、奇襲なんて、されたことは一度もない。

 当然である。何せ、僕らの正体を知る者など、この租界には一人もいない。無害な少年たちと理解されている限りは、襲われることはない。この土地は英国、米国、日本が監督する工部会が行政、警察その他全てを担っており、上海の外よりは断然安全だ。もちろん、治安が良いとは、言えないけれど。
 正体を隠している限り、僕らは暮らしていける。表に面をつけて、裏を見せない限り、僕らは面として認識される。人はそれを、嘘つきと言うだろうが。
 それは違う。騙されているうちは、人は騙されていることに気づかない。なぜならそれが、騙されているということだから。そして嘘も、嘘だと気づかれない限り、嘘にはならない。なぜならそれが、嘘であるということだから。
 屁理屈だと思うだろうか。しかしそれも、僕がこうやって話してしまったから。だから僕らを疑うのだろう。だが言った通り、僕らの正体を知る者は、この租界に一人もいないのだ。
 何故なら僕らは……秘密を知った者を、全員殺しているのだから。
 故に、僕らは嘘つきではない。
 故に、僕らは正直者なのだ。

「ぐっもーにん、そこのお兄さん」

「っ……!」

 突然声をかけられ、僕は思わず身構えた。初めて聞く声だったから、尚更だ。近所の人間とはそれなりに挨拶を交わすが、これほど若い、もしかすると幼い女性の声は、この辺りで聞いたことがない。

 見れば、それは金髪の少女だった。

「それとも、你好[ニーハオ]の方が良かった?」

 敵意は無いと見える。しかし……少し妙だ。こんな幼い子供が、こんな時間に、一人で? 確かにこの街には、路頭に迷う子供も居る。太平天国以降、たくさんの孤児が租界に流れ込んできたのも事実だ。だが、彼女はそういった類の子供では無い。身なりも綺麗で、整っている。髪も丁寧に揃えられていて、肌も艶やかである。体に傷も無いし、食にも困っていなさそうだ。どう見ても上流階級の、あるいは裕福な家庭の娘だ。例えば英国人か米国人。或いは隣の租界の仏蘭西人。そうした子供は、普通こんな、外れ者だらけの薄汚れた地区には足を踏み入れない。たとえ、親と一緒であっても。
 しかし現に、彼女はここに居る。そう。こういう奴が……



 ……僕らの餌食になるのだ。



「何の用ですか」

「道を聞いてもいいかしら」

 英語は流暢だ。やはり英国人なのだろうか。

「あ……はい」

「大伽藍飯店ってこの辺よね」

 大伽藍飯店……大伽藍飯店だと? それこそ幼い子供の行く場所じゃない。あそこは一応、英国にあやかった「レストラン」とされているが、その収入源の殆どは阿片だ。所謂、阿片窟というやつである。

「そうですね。ここを真っ直ぐ行って、三番目の角を右……」

「せんきゅー」

 感謝を述べるとすぐ、彼女は歩き出してしまった。

「店はまだ開いていないはずですがー?」

 背中に声を投げかけるが、返事は無かった。しかしそこで初めて、彼女には連れが居ることに気づく。遠くで僕と少女のやり取りを見張っていたのだろうか。そいつは長い、ブロンドの髪をしていて――






 ――左目だけが、蒼かった。





   *   *   *






 上海の夜は眠らない。英国風の街並には、英語とは限らず、仏蘭西語、チャイニーズ、ジャパニーズなど様々な異国の言語が響いていた。
 租界は夜の街だ。通りは明るく、行き交う人々で足元は暗い。あちこちに生えるガス灯が、目にうるさいほど輝いている。大通りには所狭しと屋台が並び、香ばしい匂いが立ち込めていた。少し路地を変えれば、アルコールやタバコ、それに阿片の香りだって漂ってくる。
 いつものメンバーと共に、僕は待ち伏せをしていた。この辺りでも有名な阿片窟、〝大伽藍飯店〟。そかから少し離れた、この暗い裏路地が狙い目だ。我々はこの裏路地の、そのまた路地裏に隠れていた。店から出てきた酩酊状態の人間が、ときおりここを通る。自我も記憶も曖昧な者ならば、仕留めるのは容易い。それに、こちら側のリスクも小さくて済む。そして何より、阿片窟に通い詰める奴は金をたくさん持っている。だからここを選んだんだ。なんてったって、僕は最も聡明なのだから。

「今日こそ誰か来ないかなぁ~」

 いま、隠れる気も更々無く、路地に顔を出している彼は、我々の中でも最も好奇心が強い。考え無しに前に出てしまう随一のトラブルメーカーで、しばしば皆の身にも及ぶ危険を連れてくる。一方、皆が目を向けないような事物に興味を持ち、新たな発見をもたらしてくれるのもまた彼である。

「君、もっと引っ込んでてよ……」

 その彼を路地裏に引き戻し、げんこつを食らわせたのは、最も警戒心の強い少年。いつも好奇心旺盛な彼のストッパーになっている。危険や異変に初めに気づくのはいつも彼だ。

「まぁまぁ良いじゃねえかよぉ」

 最も大人びた彼は、葉巻に火を付けてくつろいでいた。我々の中では年齢が一番上だが、少々だらしないところがある。

「あんまり気を張ってると、肝心な時に失敗するぜ?」

 ただ、言っていることはそう間違ってはいない。
 他のメンバー二人も、その後ろに控えている。最も臆病な少年と、最も幼い少年だ。残りの一人、最も早起きな彼は、アジトで留守番である。
 そう。我々に名前は無い。あったとしても言わないだろうし、知っていても口には出さないだろう。自分のためにも、相手のためにも。
 我々、盗賊団のメンバーは、一人一人が孤児や捨て子だ。本来持っていた名前など、とっくの昔に捨てている。そもそも自分の名前を知らない奴や、忘れている奴もいる。それに、万一のことを想定して、どんなに親しいメンバーにも、自分の素性は明かしていない。どこで生まれ、そこで育ち、どんな経緯で独りになったのか。そんなことは誰にも分からない。本人だってきっと忘れている。その多くは、覚えていたい記憶よりも、忘れていたい過去の方が多いはずだから。
 僕だって、自分の名前を忘れている。
 だが今はそれでいい。僕はここに居て、彼らと共に生きている。それ以上のことは、生きるのには不必要だ。
 だから我々は、「盗賊団」なのだ。上海盗賊団でもなければ、租界盗賊団でもない。単なる、盗賊団。そこに名前は必要ない。
 必要ない……はずなのだ。

「ねぇ、見てよあれ」

 誰かが通りの方を指した。この暗い路地に、青いワンピースを着た金髪ショートの少女が差し掛かろうとしていた。

「おぉ? 何だァ? かわいいお嬢ちゃんじゃねぇか」

 大人びた彼が、タバコを投げ捨てて立ち上がった。

「こんな夜更けに、こんなところを歩いてるっちゃあ、そういうことだよなァ?」
「なるほど~そういうことかぁ~!」

 好奇心旺盛な彼が同調する。しかし。

「待ってくださいよ。妙じゃありませんか?」

 やはり彼の警戒心は警鐘を鳴らしているようである。

「同感だ。あんな綺麗な身なりの子が、一人で居る訳がない」
「何だよぉ、お前ら、いっつも水を差しやがって。ぼかぁ溜まってんだ、一発ぐらい……」
「やめておけ、きっと何か裏が……」

「行ってきま~す!」

 好奇心には耐えられなかったようである。彼は持ち前の短剣、グラディウス片手に、裏路地を飛び出してしまった。

「あっちゃぁ……」

 迷うことなく、一直線に駆けていく彼。短剣を振りかざし、今にも少女に斬りかかろうとしていた。

「おい馬鹿! 殺すんじゃねぇぞ!」

 しかし。大人びた心配事は、想定とは別の形で杞憂となった。
 短剣の間合い五つ分ほど手前に差し掛かったとき、突如、彼の目の前で何かが爆ぜた。

「うぉっ?!」

 足元に、ぬいぐるみに入っているような綿が散乱する。

「ひぃっ!?」

 後ろの方から、臆病な彼の悲鳴。
 爆煙が切れ、視界が晴れたとき。彼は尻もちをつき、剣を手放してしまっていた。その視線の先、そこには先程の青服の少女と……もう一人、暗い紫色のドレスを着た、長いブロンドの髪の少女が立っていた。

「何だァ?」

「ちょっと! 危ないじゃないの! いきなり襲ってくるなんて……」

 言って、ショートの子は大きく距離を取った。もう一人が、その場を動かずに立ち塞がっている。

「君、なにもの~?」

 しかしブロンドの彼女は答えない。

「ねぇってば~」

 好奇心がますます掻き立てられてしまったようだ。彼は立ち上がり、剣を取ろうとした。

「待て、僕がやる」

 かしゃり。大人びた彼は路地裏から、立ち塞がる彼女に銃を向けた。

「頭ァ下げてろ!」

 一発。
 二発。
 影がよろめいた。しかし……

「おい……」
「……嘘だろ?」

 ブロンドの彼女は倒れなかった。額と胸。どちらも急所に命中したはずだ。にもかかわらず、血が全く流れていない。
 次の瞬間、ブロンドの少女は地面を蹴った。手にはいつの間にか鉈が握られており、頭を伏せていた彼に飛び掛かろうとしていた。

「危ない!」

 きっいん。
 火花が飛び散る。彼はぎりぎりのところで剣を拾い、受け止めたようだった。鉈を弾き飛ばし、間合いを取る。
 僅かの間、静寂が流れた。

「どういう事か説明して貰おうじゃぁねぇか。え? お嬢ちゃん」

 大人びた彼は路地裏を出て、二人の少女の前に堂々と姿を現した。

「ふん、だ。アンタ達に喋ることは何も無いわよ」

 喋るのはいつも彼女である。

「そうか。ならば死ね。僕らの正体を知られちゃあ……生かしてはおけねェからなァ!!」

 彼のリボルバーが炸裂する。今度は、後ろに控えるショートの少女に向けて。
 一発、二発……。
 残った四発、全てが放たれた。
 だが……その弾丸は、彼女の眼前に迫ったところで――

「は?」

 ――不自然にも軌道が屈曲。周囲の壁に、地面に、あらぬ方向へ飛び散った。そのうちの一発が、弾丸を打ち出したはずの彼の頬を掠め、遠く上海の夜空の彼方に消える。

「っ……!」

 僕は幻想を見ているのだろうか。この阿片の充満する空気に頭をやられたか? 

「さっきの言葉、そのまま返そうかしら。私の技を見てしまったのなら、生かしてはおけないわ」

 その幼く甘い声に見合わぬ発言が、却って皆を恐怖させる。
 気づけば、彼女の姿は無く。代わりに、物言わぬブロンドの少女が動き始めていた。グラディウスを握った彼が応戦する。彼女の動きは大きく、剣筋は読みやすいようだが。一つ一つの剣劇が重いため、彼はそれを受け止める度に押し込まれていった。
 弾丸が曲がって見えたのは、確かに幻覚かもしれない。だが彼が殺されかけているのは、紛れもない現実だった。警戒心の強い彼も、耐えかねたのか、持ち前の長剣、クレイモアを引きずり、路地に出て行った。

 何か対策を立てなくては。いち早く、突破口を見つけ出さねばならない。そのためにも敵を知る必要がある。すぐにでも助けに行きたい気持ちを必死に抑え、僕は敵の観察に集中した。
 大人びた彼は物陰に隠れ、何度も弾を装填しては、二人の剣劇の隙に銃を放って応戦していた。だが結果は先程と同じ。弾丸の物理的な衝撃を受けるだけで、致命傷には至らず、彼女が倒れることは決して無かった。正直、意味が分からない。何故血が流れない? あれは血が少ないだとか、そういうヒト個性の次元を遥かに超えている。ヒトでないとしか言いようが無い。ではヒトでないなら何なのだ? 魔物? 心霊? それとも神か? そんな者が、もしいたとして、それに唯の人間が敵うわけがない。ならば、僕がすべきことは一つ。それは、我々でも対応可能な敵の可能性に絞り、その中で最善の方法を見つけ出すことだ。
 再び意識を視覚に戻す。
 三対一になっても状況は変わらず、形勢逆転とはいかなかった。路地には金属と金属がこすれあう音、それに発砲音が響き渡り、もしかしなくても通りすがりに気づかれてしまいそうだ。そうなる前に仕留めたいが、しかし、彼女はまるで踊っているかのように、二人の剣を上手く躱していく。あれだけ大胆な動きをしておきながら、なぜ当たらない? 今の二人の一撃だって、普通の人間なら確実に仕留められていたはずだ。どちらかの剣が必ず死角になる向きとタイミングだった。だというのに、その両方を見切っているかのように、彼女はそれを受け流して見せた。あんな芸当ができるとしたら、それこそ、頭の後ろにでも目がついていなければあり得ない。
 そうした離れ業が、まるで当然のように繰り返されるその光景。僕はまるで、全てが予定された演劇台本を見せられているような錯覚に陥った。その軽やかさは、最早不自然ですらあり、どこか現実離れしている。それはまるで、舞台の上を踊る人形……



 ……人形?



「まさか……!」

 僕は咄嗟に上を見上げた。外付けの螺旋階段のさらに上、路地に四角く切り取られた夜空。そこに一つだけ、丸みを帯びたシルエットが揺らめいていた。

 ――当たりだ。

「おい、君。出番だ」

 奥に控えていた、最も幼い彼に声をかける。僕の視線の先を見て、彼は頷いた。

「分かった」

 彼は指の間に、両手では収まりきらない数のナイフを挟んでいた。間もなく彼は駆け出し、路地に出る。
 そして叫んだ。

「伏せて!」

 風切り音とともに、数十のナイフが投擲される。うちいくつかが、見えない何かに引っかかるように軌道を変えた。
 同時に、張り詰めた弦が切れるような音がする。

「なっ……!」

 がしゃり、と、人間からは出そうもない無機質な音を立てて、ブロンドの少女は膝から崩れ落ちた。

 ――それこそ、糸が切れた人形のように。

 状況をすぐには理解できないメンバーが、沈黙の中、周囲に散らばったナイフを見回し、あるいはお互いに目を合わせていた。

「助かっ……た~?」
「その……ようです……」

 直前まで剣を振っていた、二人が膝をつく。息を乱し、肩を大きく上下させていた。何度も重い鉈を受け止めたせいか、二人の剣はあちこちが刃こぼれしている。

「はぁん? そういうことかァ」

 間抜けな声を出しながら、大人びた彼が物陰から姿を現す。

「こいつはお人形さんだったワケだ。ほんで……お前は人形遣い」

 建物の屋上を彼は指さす。

「きっ……!」

 夜風が路地を通り抜け、彼女のスカートをはためかせた。

「そんなとこに居ちゃぁ、お嬢ちゃん。……かわいいドロワーズが丸見えだぜ?」
「あんた……面白いこと言うわね」
「そりゃあどうも。……さぁ、とっととそこから……」
「私もうしーらない!」

 彼女が叫ぶと同時に、手にしていた書物のようなものが光を放った。



 ――何か悪い予感がする。



「おい、構えろ!」
「何だと?」



 自律『上海人形』



 閃光が走る。今度は頭上からではなく、目線の高さからだ。誰もが目を閉じ、顔を覆った。そうせざるを得なかった。そうして再び、目を開けたとき――



 ――〝人形〟が、再び立ち上がっていた。



 その左目は、蒼く、輝いていて。
 〝彼女〟は初めて、言葉を発した。








 ――ユルサナイ
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