Coolier - 新生・東方創想話

リスタートは突然に

2018/12/20 08:39:03
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 古明地姉妹が地底に降りてきて十年も過ぎると、旧都はそれまでと比べものにならないほどに様変わりした。
 穀物や砂糖、綿に絹など自作できないものは数多いが、キノコ類や地底で採れる作物で生きるのに必要な分の食事はまかなえる。街は隅々まで手を入れられ、道路や水路も整備された。怨霊金を分解する炉は規模が大きくなり、十近い種類の金属を精錬できるようになっている。掘っ立て小屋でさとりが示した、地上や彼岸と対等に交易をできる都の姿は時をかけるほどに明瞭になっていった。
 こうした変化を受け、覚妖怪へ向けられる恐怖や嫌悪は僅かばかり和らぎ、今にも全壊しそうだった掘っ立て小屋は頑健な石造りの館へと変貌を遂げた。地霊殿と名付けられた館の主に対する旧都の評価は「恐ろしいが、言うことを聞いておけば最終的に間違いはない」というものだ。尤もこの言には「でもやっぱりできるだけ関わりたくないからなにかあったときは星熊の姐さんを経由しよう、そうしよう」と続くのだが。
 初めて対峙した時、意識のない妹を背負い、自らもぼろぼろだった少女が願ったのは「身の安全と、静かな暮らし」だった。地霊殿の完成披露に招かれた際に見た彼女は、自覚しているのか知らないが、ずいぶん安らいだ面持ちだった。
 よく頑張った。素直に感心している。同時に、これでもうあまり気にかけずとも良いだろうと思う。
 頭が切れるくせに妙に無防備で、図々しくふてぶてしいのに変に生真面目な覚妖怪は、放っておくといつの間にか底なし沼に沈んで行ってしまいそうな危うさを纏っていた。せっかく地底が変わっているのにその旗印が折れてしまいましたではあんまりだ。そう思ってなにくれとなく世話を焼いてきたが、それも終いである。こんなに立派な館に住まえるようになったのだから、さとりはもう大丈夫。
 言葉に表現できない靄に似たわだかまりを感じるのは奇妙だが、分からないということはさほど大したことではないのだろう。旧都の嫉妬心も最盛期ほどではないし、これで遠慮なく縦穴付近でボーッとする日々に戻れそうだ。
 そう、思っていたのに。
「──というわけで、いっしょにごはんでもいかがですか?」
 にっこり笑って自宅の戸を叩いたさとりの手には行李弁当があった。面食らった勢いで思わず招き入れたら、いそいそと蓋を開ける。俵型の握り飯に瓜の浅漬け、ほうれん草のおひたし、馬鈴薯と里芋の煮っ転がしと豪勢だ。
 薦められるままに箸を取って、パルスィは思わず瞠目した。甘い白味噌や淡い出汁で味つけが成された食事。意図が読めないのは不気味だったが、甘辛く濃い味が主流の旧都では滅多に食べられない食事をはねのけることはできなかった。過去の記憶を想起しかねないのは辛いけれど、それ以上に、舌に馴染んだ味が震えるほど懐かしい。
 結局すべてを平らげたパルスィにさとりはほのぼのと微笑を浮かべる。その表情に引っかかりをおぼえながらも、まあ気のせいだろうと首をふった。己は嫉妬の妖怪だ。情に弱い自覚はあるが、ただの気まぐれにまで心を動かしていては身が持たない。
 そう、思っていたのに。
 以来、さとりはパルスィの家に通ってくるようになった。不定期ではあれどそれなりの頻度で、当然という顔をして扉を叩く。つれない態度をとっても気を悪くした様子がなく、往訪に不在で応えてしまっても気にしたそぶりもない。「今回はこれを作ってみました」と手料理片手にやって来て、パルスィが食べる様子を安らいだまなざしで見つめている。
 それだけならまだ、百歩譲って燐や空に向けるような母親めいた気持ちだろうと思いこめるのに、ふとした拍子にパルスィに近寄る第三の眼は薄気味悪い見かけが嘘のように甘えてくる。こちらを見つめる穏やかな紫色の瞳は痛いくらい真摯な光を宿している。
 目は口ほどにものを言う。さとりの場合、それがひとより多いのだ。分かりたくなくても分かってしまう。そんな気持ちを向けてもらえる妖怪ではないというのに。
 勘弁してくれ。何よりもまずそう思った。身を切られるような思いで口にも出した。
 だというのに、さとりは小首を傾げてみせるだけで、聞き入れてくれる様子は少しもない。悔いと悲しみばかりが残る過去を読ませても「私とのことを考えられるようになるまで、いつまでもお待ちしますよ」と静かに笑うばかりだ。そういえば、こいつは基本的に、ひとの話を聞かない。
 嫉妬狂いの橋姫に懸想したところで、得られるのは水橋パルスィという面倒で捻くれ者の妖怪だけだ。自分の価値は知っている。差し出される手を取ることなどできない。さとりに報いることなどできない。
 そう、思っているのに──

「見切りをつけるとか、程好いところで切り上げるとか、諦めるとかの言葉を知らないわけさとりは!!」
「知らないねぇ、お姉ちゃんは」
 杯を片手にちゃぶ台を叩く。向かいに腰かけたこいしが噴き出した。姉のさとりとは似ても似つかない朗らかな笑みを浮かべ、ちゃぶ台に両の頬杖をつく。パルスィはこめかみを押さえた。
 障子で仕切られた廊下が軽く叩かれる。どうぞ、と声をかけると、今や二階建ての料理処の主となったザクロがお通しを片手にやって来た。
 さとりの庇護を離れたこの妖怪が、旧都の裏通りの一角に店を築いて二百年そこら。店主としての貫禄も出てきて、お運びの雪女を雇う身ながら、パルスィなどの古い知り合い相手にはいつも手ずから配膳をするのだ。律儀者というか、なんというか。
 地底を放浪しているこいしをとっ捕まえ、ザクロの店に連れてくるのは初めてではない。品書きを覗きこみながら「とりあえず、馬鈴薯の煮付けでしょ、厚焼き卵と、今日はお肉もあるんだね。だったら角煮と……あ、前食べたあれもほしいな、長いものおまんじゅう」注文する姿は手慣れたものだ。
 こくこくと頷いて、幼子が泣き出しそうな笑みを浮かべたザクロに空になった徳利を示す。
「冷で」
「私も!」
「ひとまず四本。……あ、瓶で出せる? じゃあそっちで頼むわ」
 一礼したザクロはすぐにキンキンに冷えた一升瓶を持ってきた。小ぶりの桶に、雪女が作ったのであろう細切れの氷が満載されている。互いの杯に酒を注ぎ、桶の中に瓶を戻すとしゃりんと涼やかな音が鳴った。
 辛口の清酒に舌鼓を打ち、お通しの焼きネギを混ぜこんだ味噌に口を付けて、パルスィはおやと目を見張った。赤味噌かと思ったらこくりとした甘みもある。合わせ味噌だ。いわゆる「普通の食事処」であるザクロの店でも白味噌や味醂を惜しげなく使えるようになったのか。
 そういえば、ザクロが着ていた濃紺の作務衣も頑丈そうで良質なものだった。さとりが地底のまとめ役になって三百年。旧都もずいぶん豊かになった。「おいしー」と頬に手を当てるこいしを見ていると、ひねくれ者の自分でも素直に良いことだと思える。
「お姉ちゃんは粘着気質だからねー。……大丈夫?」
 すわ内心が読まれたかと動揺してしまったが、その前のやりとりに戻っただけだと思い直した。軽く咳きこんでしまった口元におしぼりを当てて「なんでもない」と手をひらひらさせる。そう? と小首を傾げたこいしは「例えばだけど」とお通しをぱくついた。
「今はほら、料理は得意分野ですって顔してるけどさ、最初の頃なんかひどかったの。皮は分厚いし、大きさバラバラだし、自分の手を切るなんて日常茶飯事だったし。お米を普通に炊けるようになるのも一年くらいかかったんじゃないかな」
「そんなに?」
 毎回手料理を持参する今の姿からはとても想像できな……いや待てよくよく考えてみると、切った指先を見てあの眠そうな表情のまま「あら、うっかり」とか言ってそうである。うっかりじゃない、うっかりじゃ。早く手当てをしなさい。
 想像上のさとりにすら小言を言ってしまいそうになったが、こいしの「それにねー」に意識を引き戻す。さとりはこちらから問わないと自分の話をあまりしないから、知らない話を聞けるのは貴重なのだ。
「弓は的に届かないし、山刀で枝じゃなくて自分の服切っちゃうし、直した服の縫い目はギザギザで。信じられないくらい不器用なんだよねぇ」
 そのどれも、今のさとりは達者にこなすことをパルスィは知っている。けれど、そこに至るまでの悪戦苦闘っぷりもなんとなく想像できてしまって、思わず微苦笑した。
 お通しを箸先でつつくのを「行儀悪いわよ」と咎めると、こいしはいたずらっ子のように顔をくしゃつかせる。「はぁい」と応じてぱくりと一口。おいしそうに目を細めた。
「でも、諦めないんだよ。不器用だってわかってるから、できないのは当たり前だから、時間をかけて、できるようになるまでがんばるの。そういうところ、敵わない」
「というか、あなたは最初っからできるんでしょ」
「あれ、よくわかったね」
「さとりに自慢されたのよ。私の妹は優秀なんですって」
「えー」
 不満顔を浮かべてみせるが口元はくすぐったそうにむずついている。ほほえましい。パルスィの反応をどう見たか、何事かを言いつのろうと口を開いたこいしだったが、上手く言葉が見つけられなかったのだろう。唇を尖らせるに止めた。
 けれど一転、だからね、とこちらをにこにこ見やる。
「お姉ちゃん、しつっこいし、のんびりやさんだし、いちど決めちゃうと頑固だから。パルスィさんが折れたほうがはやいと思いますよ?」
「あ、その話につながるの」
「えへん」
「悪いけどその気はないから」
「あっちも頑固、こっちも頑固。もどかしいどころの話じゃないわー」
 やれやれと肩をすくめるこいしに、頑固なわけじゃない、と心中でのみ反論する。どう頑張っても無理だとしか思えないのだ。
 その発露を抑制する理性こそあるが、パルスィの本質は激情家である。数百年も嬉しそうに通い詰められて情が移らないわけがない。だが、己が思い入れたら碌なことにならないことは嫌というほど知っている。あんな想いをするのは一度で十分だ。応えられるものか。
 尤も、さとりにはきっと、こうした内心さえ筒抜けなのだが。だからこそ、辛辣に扱っているのにも関わらずにこにこ寄ってくるのだろうが。そんな彼女の姿勢に、このひとなら裏切らないのではとか、このひとになら裏切られてもとか、そういうことを思ってしまう自分がいるのが、そうした声が日に日に大きくなっているのがもうほんとうに。
 あらゆる感情が入り交じりやりきれなくなって、思わずとちゃぶ台を叩いてしまった。抜け目なく自分の杯と小鉢とを避難させたこいしが「な、なに?」と緑青色の目をぱちくりさせている。
「……ごめん、ちょっと、うん。読心ってほんっとうに妬ましいわ」
「それ私に言う?」
「さとりに言ったら調子づくでしょう」
「もう伝わってると思うけど」
 やっぱり妬ましい。
 爪を噛もうとしたら「だめー」と背後から止められた。いつの間にやらパルスィの背中にへばりついたこいしは、固く閉じた紫紺の眼を示してくる。焦点がぼやけるほど近づいてきた。なんだか一文字に結ばれた口にも見える。
「パルスィさんといるとねぇ」頬同士をぴたりとくっつけられ、耳元で囁かれる。甘ったるい声音がこそばゆい。
「眼を開いてみてもいいかもって、極々たまーに思うんだけど」
「ロクなもんじゃないわよ」
「きっときれいだよ。言われない?」
 言われる。しかもしょっちゅう。もっと言うなら和まれる。嫉妬狂いの心模様を眼に映して「あなたの心はきれいですねぇ」とほのぼの笑うなんて、趣味が悪いにも程があると思う。おそらく、しかめっ面になるのを面白がられているだけだろうけれど。
 沈黙したパルスィに「やっぱり」と鈴を転がすような笑い声をこぼした。ひっついてくる両腕に力がこめられる。
「お姉ちゃんはね、不器用で、頑固で、しつこくて、ついでに頭でっかちで、甲斐性なしだけど」
「ひどい言われようね」
「ほんとのことだもん」
「それにしたって、言いかたがあるでしょう」
 ぽんぽんと頭をなでたら楽しそうに笑う。さとりのものとは違う、さらさらでふわふわの柔らかい髪が指先をくすぐった。
 でもね、とこいしは言う。
「パルスィさんのこと、一生懸命守ろうとしてくれると思うよ。それじゃだめ?」
「べつに守られたいわけじゃないし、やり合ったら勝てるし」
「あー。お姉ちゃん残念」
 ころころ笑ったこいしは宙に浮かんでひっくり返った。
「こら、ごはん食べてるときに飛ばないの。あと、裾。はしたない」叱ると「はーい」と素直にに落ちつく。弾むような返事になんとなく毒気が抜かれてしまった。やれやれとまなじりを下げる。
「外堀を埋めてこいとでも言われたのかしら」
「ううん。ただ、好きなひとといっしょにいられたら喜ぶだろうなーって」
「……そう」
「そしたら、私も」
 こいしはそこで口を閉じた。視線で促してみたが「なんでもない」と感情が読めない笑みを浮かべる。気にはなったが、ちょうどザクロが料理を運んできてしまったのでなんとなく有耶無耶になってしまった。
 仕方あるまい。パルスィは内心で肩を竦めた。機会があればその先を聞くこともあるだろう。

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