Coolier - 新生・東方創想話

あの地獄に頼政はいない

2018/12/02 20:57:52
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 聖白蓮の姿は、甲板にあった。
 胸の前で軽く手を組み合わせて、聖輦船の船首近くに静かにたたずむ。そんな白蓮の姿は、西洋船の船首像を彷彿とさせた。実際のところ白蓮は、聖輦船の守り神みたいなものだ。
 だからこそ、どれほど美しい光景だっただろう。聖輦船が吹きすさぶ風と、波しぶきみたく甲板を流れ続ける雨の中にいなければ。
 入母屋造りのお堂めかした屋形の引き戸が、かすかに開いた。村紗水蜜が阿弥陀かぶりした水夫帽を片手で押さえつけ、声を張り上げる。
「聖様、せめて船室にお下がりください! この嵐では船から落ちかねません!」
「大丈夫ですよ、船長」
 ひときわ強い風が、甲板を吹き抜けた。帆柱がビリビリと震え、白蓮の長い金色の髪が水平にたなびく。しかし、全身に雨を受け止める彼女の体は、動かない。
「むしろここで見たほうが、あの子を見つけやすくもあります」
「滝行やりながら探せるんですかねぇ!?」
 水蜜は自分の顔を襲ったおびただしい量の水難事故を、どうにかぬぐい取った。
「もう勝手にさせませんかね。嵐に巻かれて落っこちても自己責任でしょう?」
「ごめんなさいね、船長。これは私自身のけじめでもあるのです」
 白蓮の視界に、雲と水以外のなにかが映った。それは嵐の中にあって赤青緑の光彩を放ち、しかも時おり上下左右へ無作為に動く。
 見間違いではないだろう。封獣ぬえ。命蓮寺の中でもいちばんの問題児。少なくとも、今は。
 白蓮が腰に携えた巻物を抜いた。芯を両手で持ち広げる。巻紙の代わりに浮き上がったのは、虹色に光彩を変えていく幾何学模様だ。魔人経巻。白蓮を大僧侶にして大魔法使いたらしめる仏具であり魔具でもあるもの。
「ここから先は一人で行きます。船長は風雨の影響が及ばない範囲まで船を退避」
「どうかお気をつけて!」
 魔人経巻に記された魔術記号が、高速で白蓮の目の前を通り過ぎる。詠唱が終わるまでに、新たな雨滴が白蓮の顔に当たるのを待たない。白蓮の両足に、ほの明るいオーラが集まった。
 聖輦船が右に傾く。面舵いっぱい、急速回頭の兆しだ。白蓮は左船側に向け走り、聖輦船の慣性をも借りて空中へ飛び出す。
 爆発じみた響きを残しての跳躍。背を向けた聖輦船が、一分を待たず豆粒になっていく。
 しかし白蓮には、聖輦船の無事を見送る余裕がない。代わりに見据えるものは、三色の光に照らされたぬえの姿だ。鋏の片刃のような赤い右翼、くねる矢印のような青い左翼を体よりも大きく広げる。周りでは赤青緑の円盤が不規則な軌道を描き、傘と風防の役割をこなしていた。
「どこに行くのですか、ぬえ! こんな嵐の夜に!」
 風雨を切り裂く声が、どうにかぬえまで届いた。彼女は首だけをわずかに白蓮へ向ける。
「なんだい、聖。あんたも見にきたの?」
 白蓮は眉間を押さえる仕草を見せかけた。しかし両手をふさぐ魔人経巻のせいでかなわない。
「その気はまるでありませんが! なにを見ようと言うのですか!」
「龍を!」
 横殴りの風が、白蓮の体をさらっていこうとした。魔人経巻を流し、力づくで体勢を整える。
 幻想郷に住まう者ならば、白蓮は元より乳飲み児でも知らなければ恥ずべき知識だ。龍神。幻想郷を守り天地の全てを司る、絶対上位の存在。かの龍宮の使いとて、それの意思を空気の揺らぎでもって読み取っているに過ぎないという。
「こんな嵐の日には、よく出てくるの!」
 それを物見遊山の観光客めかして、ご覧の調子だ。意地悪な風が白蓮の体を左右に揺さぶる。
「龍を見ると、どうなるのです!」
「なんかの反応を返してくれりゃ、私が楽し」
 空気を切り裂く爆音がぬえの声を途中でかき消した。姿はマグネシウムの燃焼じみた閃光の中に消えた。網膜に居残った残像が白蓮の目をふさぎ続ける。目をつむり、半ば強引に追放。目を開けると、ぬえの周りにあった使い魔が二体に減っていた。
 さっきまで赤い円盤だったものが、割れた陶器の形をして白蓮の頬をかすめた。ようやく、彼女は気がつく。さっきの音は、光は、龍神の咆哮であると。
 白蓮は目を見開き、自らにいっそうの負荷を強いた。風雨を押しのけ、ぬえが間近に迫る。
「馬鹿なことを! 大怪我をする前に帰りますよ」
 ぬえの足首に手を伸ばす。しかしすんでのところで、白蓮の肉薄をすり抜け錐揉みを描いた。
「まあ、待って。あともう少しで見えてくるから。やつの体」
 新たな爆発。白蓮は反射的に閉じた目を開ける。ぬえを守る使い魔は一体だけになっていた。
 二人はもはやもつれ合うように飛んでいた。しかしなお、ぬえは白蓮の手をかわし続ける。
「これ以上近づくと、あなた自身がただでは済みません!」
「まあまあ、せめてやつの鱗の一枚も引っぺがしてから」
 三度目の閃光が、今度は白蓮の意識すらも真っ白く飛ばした。
 数秒か、数十秒か。どれだけ落ちていたかを判断する材料は、白蓮にはない。しかし、気がついたときには天地が逆になっていた。波打つ森が、自らに押し寄せてくる。
 魔人経巻は手の中にあった。自我を持つ魔道書は白蓮を決して裏切らない。再び巻物を開き、ぬえの姿を探す。幸い、五十間ほど上に回りながら落ちてくる赤青の翼が見えた。
 体を裏返し、ぬえの体を受け止める。木の枝先を目の前にしたところで、再び飛び上がった。
 背後から断続的に、轟音爆音が聞こえてくる。そのたびに空が光に満たされ、大蛇みたいな雷光が雲の合間をうねり踊った。
「あっはっはっは!」
 その合間を縫って聞こえてきたのは、ぬえの哄笑である。腹を震わせ、足をばたつかせて、白蓮の両腕から滑り落ちそうな勢いで。
「もう、死にかけるような真似をして。いったいなにがおかしいのですか」
「だって、楽しいじゃない? 見てよ、今日のあいつはあんなにも荒ぶってるわ」
 体をひねって、はるか上空を見る。稲光に混じって、真珠色に輝くなにかがそこにあった。胴体なのか、尻尾なのかも定かではない途方もなく大きな存在が。
 人間はおろか、白蓮やぬえですらもまるで相手にならないのは明白である。
「楽しいものですか。余計に危険なだけではありませんか」
「危険が増すほどお宝が手に入る可能性は増すわ。虎穴に入らずんば虎子を得ず」
 白蓮はぬえの軽口を聞き流した。魔人経巻が、一際輝きを増す。白蓮もぬえも満身創痍だ。今は聖輦船を操る水蜜が、一刻も早く光を捉えてくれることを祈る以外にない。
 そんな白蓮のつぶやきは、果たして笑うぬえの耳に届いたかどうか。
「もう、いったいどうしたら私の言うことを聞いてくれるのかしら?」

 §

 同時刻、幻想郷の東の果て。古びた赤い鳥居の、博麗神社がそこにあった。
 住居を兼ねる、母屋の中。博麗霊夢は、すでに白い寝間着へと着替え終えていた。頃合いを図ったように、閉め切った雨戸がガタガタと鳴る。薄くため息。
 霊夢は雨戸に歩み寄り、留め具を開ける。三寸の隙間を作るだけで廊下に雨の運河ができた。顔だけを隙間からのぞかせると、境内に妙なものがいる。
 参道沿いに設けられた石の台座。上にはおびただしい量の巻き毛と一角を持つ女がしゃがみ込んでいた。雨風の勢いが強まるたびに、その体が小さく震えているのが遠巻きでもわかる。
 霊夢は、高麗野あうんに向けて声をかけた。
「やっぱり、中に入ってたほうがいいんじゃない?」
「へ、平気で」
 境内を流れていく雨の波が歩調を上げる。あうんの巻き髪が大きくたなびいて、彼女自身の重心を大きくずらした。結果彼女は台座の上で均衡を保てなくなり、台座から落ちる。ぐえ、という声が霊夢の耳にまで届いた。
「これ以上風が強くなったらね。もう雨戸開けるわけにはいかなくなるから。それまでずっと外で番をすることになるんだけど。本当に大丈夫?」
 あうんは台座を風よけ代わりにして、身を起こす。手が台座の頭に引っかかったところで、もう一度強い風が吹いた。そのまま凍りつくこと数瞬。雨、泥、その他もろもろで感情表現の不可能になった顔を霊夢に向ける。
「す、すみません、よろしくお願いします」
「はいはい、早く入って」
 あうんを招き入れる。その後の霊夢の動作は、機敏だった。雨戸を元に戻す。あうんの頭に手ぬぐいをかぶせる。台所から新たな拭きものを持ってくる。ここまで一分かからない。
 顔と髪にかかった水と泥を拭い落とす。しかしなお、あうんの顔は冴えなかった。
「うう、情けない。この程度の嵐、ちょっと前まではなんてことなかったのに」
「そりゃ石像だからねえ。妖怪になってから、いろいろ弱くなってない?」
 何気なし、かつ容赦ない一言。あうんは目を見開いて、霊夢を見る。雨戸が再び大きな風を受けて、騒音を屋内に三秒ほど伝え続けた。
「そ、そそそ、そんなことないですよー!? 代わりに自由に動けるようになりましたし、弾幕だって撃てるようになったんですから。自由の代償ってやつです多分」
 あうんが必死に唾を飛ばす。霊夢はそんな彼女の頭にぽんと手を置いた。
「まあ、そういうことにしておきましょう」
 廊下に残った雨や泥をふき取る。霊夢はその作業を終えて、一思案した。ちゃぶ台を部屋の片隅に立てておき、もう一度あうんに声をかける。
「一息ついたらちょっと手伝ってもらえる? 雨脚が強くなる前にもう一仕事しないと」
「お任せください。なにをやりましょうか?」
「ちょっとここの畳を返して」
 中央の畳を指し示したところで、あうんを見る。彼女は口を台形に固めていた。
「なに、その顔」
「あいつも入れるんです?」
「仕方ないでしょ。この嵐でテンション上がって、なにか燃やされたらたまったもんじゃなし」
 霊夢の説明でも、あうんはむくれ面を作りっぱなしだった。うながされしぶしぶ指示に従う。畳を二枚ほど剥がし、敷板も外す。するとむき出しの地面に、地下へと続く木戸があった。
 霊夢が床から手を伸ばして、コツコツ叩く。
「ちょっと、地獄妖精? こっちに上がってきなさいな」
「んー、なんだぁ?」
 木戸が開いた。顔を出したのは、道化じみたとんがり帽子をかぶった妖精。亜米利加国旗をそのまま服に仕立てたようなワンピースを身につけ、手には燃え盛る松明を持っている。
「これから雨が強くなると、そこまで水が入ってくるわ。嵐の間大人しくしててくれるのなら、一晩部屋を貸してあげる。どうする?」
「地獄に比べたらちゃっちい風だよ、あんなの」
 強風が、今度は軒下に雨を運んできた。外から流れ込んだ雨が、妖精クラウンピースの顔を濡らし松明をたなびかせる。
「はいはい、ここは現世。ここがいやなら下で雨に耐えて大人しくしてるか、そうでもなきゃ自力で光の三妖精(あのさんばか)のところに転がり込むかだけど」
「さらっと読み方に悪意が混じってんなー。まあしょーがねぇ、世話になってやるかー」
「あんたね。仮にも霊夢さんの好意をそういう風に」
「まあ、落ち着きなさい」
 あうんがつっかかりかけたが霊夢がいさめる。代わりに自身がクラウンピースへ詰め寄った。
「あくまでも、騒ぎを起こさなければの話だからね? その物騒な松明で騒ぎを起こそうものなら、有無を言わさず嵐の中に放り出すことになるわ」
「へいへい」
 霊夢はうなずいて、クラウンピースを床に引っ張り上げた。その間あうんは畳に爪を立てて、凶悪妖精をにらみ据えている。松明は雨風に煽られても、変わらぬ勢いで燃え続けていた。
「消せないの、それ」
「ヘカーティア様の松明は不滅なのさ。長く見てると気が狂うぜ」
「本当、物騒だな」
 再び三人で畳を戻しにかかる。そのさなかに、外から奇妙な音が聞こえてきた。
 風、雨とはまた異質のものだ。甲高い調子で、ヒョーヒョーと鳴く鳥のような声。あうんが畳を持つ手を休めると、自分の肩を抱きしめた。
「こんな嵐の夜に、不吉な声ですね。どこのどいつが鳴いてるんでしょ」
「ふむ。あれは紛れもなく鵺の鳴き声ね。嵐で居ても立ってもいられなくなったのかしら」
「おお、いつぞやの異変で霊夢さんに付きまとっていたという、あの妖怪ですか。また面倒な騒ぎでも起こさないといいのですが」
「どうかな。確かにたちの悪い妖怪だけれど、今は命蓮寺の下にいるからね。白蓮がなんとかするんじゃないかしら」
 そこで霊夢はあうんの微妙な変化に気がついた。彼女は表情を失って、つぶらな目で霊夢の顔を眺めている。
「今度はなんなの、また意外そうな顔して」
「いや、霊夢さんにしては、妙に柔らかい対応だなぁと思いまして。いつもだったら、なにかしでかしたら承知しないぞーくらい言いそうなものですけれど」
「私をなんだと思ってるの」
 霊夢は両手を広げると、あうんから視線を外した。
「今んとこ白蓮にいる妖怪は、おおかた大人しくしてるし。不本意だけど。そもそもあいつの能力って、タネが割れればあまり怖くはないものでもあるのよ」
「本当にそんだけですかね~」
 なんだこの野郎お前から先に放り出してやろうか、勘弁してください、と、とりとめのないやり取りが続く。クラウンピースは部屋の片隅で、口をとがらせながらそれを見ていた。
「鵺、ねえ」

 §

 夜が明けると、嵐はすっかり通り過ぎていた。人里では朝から強い日光が照りつけ、汗ばむほどの陽気になった。外に出てきた里人たちが、風に飛ばされてきた泥や瓦礫を片付けている。
 そんな中、手の空いた者たちの一部が額の汗を拭いながらある場所へと向かっていた。里の中心地にある、龍神をかたどった石像がその目的だ。河童が造ったという不思議な石像には、天候予知の能力がある。前日はその目が紫色に輝き、嵐の訪れを住人たちへ見事に知らせた。
 その龍神像の周りに、人だかりができている。像のすぐ隣には、有り合わせの木箱を重ねて作ったお立ち台が設けられていた。蛙と蛇の髪飾りを着けた少女が立って、熱弁を振るう。
「皆様、昨日の嵐でお怪我はありませんでしたか? ご健勝のようでなによりです」
 東風谷早苗は両手に大幣を携え、龍神像を見た。
「龍神様のご利益でしょうか? しかし皆様、今年は油断禁物です」
 集まった聴衆が、ざわめきに満たされる。守矢さんのお告げだ、また悪いのでも来るのかと。
 早苗は人々に静粛をうながした。
「守矢神社におわします八坂神奈子様の仰せをお伝えいたします。今年は嵐の当たり年です。昨日のような嵐は、冬の前に数度訪れるとのこと」
 聞く人間たちの表情は、苦い。彼らの中には、窓の補強板を外してからここに来た者もいる。そして守矢の天気予報は、龍神像以上によく当たる。
 たまらず一人が質問の手を挙げた。
「次の嵐は、いつごろに起こるのですか」
「残念ながら規模、時期までは特定がなりません。ですがここよりもはるか南の空に、とても暖かい空気の集まりが見られます。神奈子様のお見立てによりますと、嵐の素となる雲と風が起こりやすい状態が向こう二ヶ月は続くであろうとのことです」
 人々は額ににじむ汗をぬぐい取った。
「今日の暑さも嵐が雨風とともに、暖気を南から連れてきてしまったからと考えられます」
「防ぐ手立てはないのですか」
「家のもろくなっている場所を、天気のいいうちに補強すること。強い風が始まったら絶対に外には出ないこと。水辺には近づかないこと。浸水に備え、大事なものはなるべく高い場所に保管すること。きれいな水、日持ちのいい食料を何日分か貯め置くこと。基本の心構えですが、これをしばらくの間続けることが肝心です。当面の間は、備えを怠ってはいけません。無論我が神社も神奈子様の神力をもって、全力で皆様をお守りいたしますが!」
 聴衆がどよめいた。早苗は大幣を振り上げて鼻息も荒い。
「下らぬ。体のいいことを言ってはいるが、結局里人のやることは普段と変わらんではないか」
 よく通る低い声が、聴衆の喧騒をさえぎった。人垣が、モーゼの奇跡じみて左右に割れる。その場に残ったのは頭に白髪を蓄えた初老の男であった。背筋は立ち、また身なりもよい。
「材木屋の大旦那さんだよ」
「こんな日が続きゃ、さぞかし羽振りもいいだろうさ」
 聴衆のひそひそ話が早苗の耳にも届いた。頬の筋肉を強張らせて、その男を見返す。
「神様は人の手助けをする者ではありませんから。正しい生活をして、その上で正しく奉れば相応のご利益を与えてくださるものです」
「それで暮らし向きがよくなったとて、やれ神のお陰だと言い切れるものかよ。そんなものは偶然の産物に相乗りしとるだけに過ぎんではないか」
 早苗がお立ち台の上でたじろぐ。実際正論なのだが、それゆえにたちが悪い。
「ですけど、人事を尽くして天命を待つとも言います。正しいことを続けていれば、それだけ奇跡を拾う可能性も増すというものです」
「結局それでは、運任せではないかね。儂は違うぞ。努力した者には、相応の恩恵を与える。もっとも努力の証には、こいつを少々いただくことになろうがのう」
 と、右手の親指と人差し指で丸を描く。聴衆から笑いが漏れた。
「嵐が来るというなら、来るがいい。そのときが店の蔵を開いて、安普請が不安な者を守ってやろうじゃないか。そしてゆくゆくは、この里の全てが儂の商品で守られるようになるのだ」
 再び聴衆からどよめきが巻き起こる。しかしその対象は、もはや早苗ではない。
「さすがは大旦那、心強いや」
「今の話をぜひ詳しく聞かせていただけませんか」
 すっかり早苗は、置いてけぼりになった。大幣を弄びながら、囲まれた大旦那を眺める。
「うーん。あの人からは、外の人たちと同じ匂いがするなぁ。資本主義が幻想入りするのは、まだ早い気がするんだけど。どうしたものでしょうかね、神奈子様」

 §

「どうしたもんかのう」
 龍神像の周りにできた人だかりの、早苗とは別の場所。人の輪から少し離れた場所に一人の女がいた。長身にして長髪。丸縁の眼鏡をかけ、髪には木の葉を模した髪飾りを着けている。
 彼女は未だにざわめく人だかりを捨て置いた。歩きながら、独りごちる。
「多少商売が上手くいっとるからとて、調子づきすぎておるな。あの若造は」
 聴衆を省みる。彼女の視線はただ一点。聴衆の問いかけに応える材木屋に向いていた。
「悪気がないのはわかる。わかるが、志がちょいと高すぎるのう、あれは。身の丈に合わない野心は、己の身を滅ぼすことになろうぞ」
 不意に、日が陰った。女が上空を見る。太陽をさえぎったものの正体は、一艘の帆掛け船であった。あろうことか、空を飛んでいる。
 船は人里の上空を、東に向けて通り過ぎていった。

 §

 その空飛ぶ船、聖輦船の中でもちょっとした騒ぎが起こっていた。
「やだやだやだやだ、勘弁して」
「あまりわがままを言うものではありません。ほら、暴れたらもっと大変なことになりますよ」
 片手でぬえの肩をつかみ、もう片方の手に持った桶をひっくり返す。濁流が湯気を立てて、ぬえの裸身に襲いかかった。
「うひゃー」
 ぬえは首を振り回し、水を払い飛ばした。白蓮も湯浴み場も、飛び散る飛沫をもろに浴びる。
「もう、犬じゃないんですから」
「だって、水浴びは苦手なんだもん」
「さっきまで嵐の真っただ中にいた口で、なにをおっしゃいますやら」
 ぬえの頭に手ぬぐいをかぶせる。髪を濡らす残り水をわさわさふき取ると、黒髪がよじれて重力に逆らうようにほうぼうへ反り立った。
 そのまま首へ体へと拭う手を下ろしていく。白蓮はその感触の不可解さを確かめた。
 封獣ぬえ。正体不明のタネという使い魔を用いて、なんでも正体不明にしてしまう妖怪。
 左右非対称の翼が背中から生えているのを除けば、人間の娘とも大差のない外見。しかし、薄皮一枚の下は鋼みたく引き締まっている。大の男が長年鍛えてようやく手に入るかと思えるほどの筋が詰まっていた。封ぜられた獣の名は伊達ではないと言えよう。
 浴室の外に気配があった。聖輦船の乗員は、現在三人だけである。
「聖様ー、新しい着替えを置いときますので、使ってくださいね」
「ありがとう」
「ほかになにかやることはないです?」
「神社まで安全航行を」
「了解」
 水蜜の気配が去っていく。すると今度は、ぬえが声を上げた。
「命蓮寺に戻るんじゃないの?」
「もう少し早くあなたを捕まえられていたら、そうしたかもしれないわ」
 白蓮は浴室からぬえを連れ出すと準備に取り掛かった。超人スペルで残る水気を半ば強引に吹っ飛ばす。水蜜の準備した衣類をぬえに身につけさせ、自身も肌襦袢から法衣に着替え直す。ぬえの手を引いて甲板に出ると、博麗神社の鳥居が近づいてくるのが見えた。
「寺を抜け出した罰を受けてもらいますよ? せっかくですから、あなたも会議に同席なさい」
「会議って、なにさ。宗教戦争の決着でもつけに行くの?」
「そんな物騒なものではありませんよ」
 二人は揃って鳥居の前に降り立った。境内では霊夢が、先の嵐で散った落ち葉の掃除に手をつけている。そこへあうんがすり寄ってきて、霊夢のうしろで白蓮たちを待ち構えた。
 霊夢は一度あうんの肩に手を置くと、箒を落ち葉の山に立てかける。
「ずいぶん派手なご到着ね。日が陰るからほどほどにしてもらいたいのだけど」
「申し訳ありません。込み入った事情で急ぐ必要がありまして」
 あうんの視線は目下のところ、ぬえのほうへと多く向いている。霊夢の位置からは、それが見えていないはずだった。
「夜遅くまで捕物だったんでしょう? そいつの鳴き声がここまで聞こえてきたわ」
「あら、お恥ずかしい」
「ちゃんと仕切れているのかしら? そいつを始め、わりと自由にやってるみたいだけれど。最近じゃ、あの疫病神もか」
 白蓮は黙り込んだ。隣のぬえが、それを見上げる。
 霊夢は白蓮の答えを待たなかった。代わりにぬえに歩み寄って、尋ねる。
「なんなら、うちに来てもいいのよ? 鵺神社の分社作って祀ってあげてもいいし」
「霊夢さん!?」
 あうんが文字通りに吠えるが、霊夢は意に介さない。一方、誘いを受けたぬえはと言えば、顎をしゃくって一度天を見上げた。
「待遇次第によっては考えてもいいアバッ」
 次の瞬間、ぬえの頭はうなりのきいた白蓮チョップによって石の参道に叩きつけられていた。敷石にめり込んだぬえの頭を中心に直径一間の窪地が出来上がる。
「ぬえに宗旨替えさせるつもりはありませんので」
「冗談よ。あうんが怖い顔してるし。ほかの面子は揃ってるから、早く入ってもらえる?」
「かしこまりました」

 §

 数ヶ月前。疫病神の依神女苑が、命蓮寺を去った。
 彼女はある異変の首謀者だった。白蓮は更生の余地ありとして、強制的に預かることにした。修行は当初、予想外に順調だった。女苑にも思うところがあったらしい。
 しかし女苑が敬虔な門徒だった時期は、あまり長くはなかった。次第に白蓮の目を盗んで、破戒を楽しむようになった。他の門徒たちと同様に。
 早春のある夜。白蓮はなんとなく寝付けず、頭を冷やすために宿坊を出た。そこで偶然に、女苑を見つけた。まさに命蓮寺の通用門の、かんぬきを外そうとしているところだった。派手な柄の、紫色のコートを着込んでいた。それで直感した。もう戻る気はないのだな、と。
「行くのですか」
 そう声をかけると、女苑はほんの少しだけ動きを止めた。彼女が首だけをこちらに向けると、翡翠色のイヤリングが彼女の耳元で揺れた。
「止めるつもり? だとしたら日を改めるだけだけれど」
「理由だけ、聞かせてもらえないかしら」
 女苑は肩を揺らして、木戸に手をかけた。
「禁欲的に生きていくのは、結局私には無理だったってこと。まあ、ここでの暮らしはそんなに悪くはなかったけどね」
「嘆かわしいことです。誰も彼もが欲求に抗えない。なにが足りなかったのかしら」
 通用門越しに、女苑の薄く笑う横顔が見えた。
「意外と透けてるのかもよ? あんたの本心。実際のところあんたは、もっと楽に悟りを開きたいと思ってるんでしょ? そのために門弟をこき使ってるんじゃ、反発も出るわ」
「そんなことは」
「あるのよ。例えあんた自身がそう思っていないつもりだとしてもね。でも、私は別に悪いと思わないな、そういうの。食う寝る遊ぶは生き物全ての基本欲求よ? 人間でも、妖怪でも」
「それでも、私は」
「命蓮寺を統べる立場だって? 流行んないわよ、そういうの。もっと、ありのままをさらけ出してみたら? さもないと、今後ほかの連中も、ささやかな破戒じゃ物足りなくなるかもよ」
 木戸が、閉まる。そうして女苑は、二度と戻って来なかった。
 以来、白蓮の胸にはずっとわだかまりが残り続けている。命蓮寺を開いて以来、彼女を頼り門を叩く妖怪はだいぶん増えた。しかし魔界に封じられる千年前に比べたら、彼女らの掌握は難しくなったように感じられる。
 環境の違いだろうか。この幻想郷は、妖怪に対してだいぶん緩い。禁欲を重んじる仏教的な哲学では、彼女らを御しきれない。統制を強めるのは、白蓮の負荷的にまず不可能。さりとて破戒に走るのは、自身の半生を否定するのにも等しい。
 この板挟みの状況にあって、白蓮は妖怪との新たな接し方を模索する必要に迫られていた。問題児の第一位に返り咲いたぬえは、その最たる例である。


 §

 母屋の八畳間に入る。白蓮はそこであぐらをかいていた先客に、目を丸くした。
「珍しいですね。あなたが表に出てくるなんて」
「神奈子も早苗も、今日は忙しくてねえ。こういうときくらい、私も手伝わないと」
 小柄な体躯、金色の髪。守矢神社に祀られる神の一柱、洩矢諏訪子はケロケロと笑う。
「そういうあんたも、奇天烈な付き添いを連れてきたもんだね。いつもの入道じゃないの」
「研修のようなものです。たまには寺の仕事を経験させておこうかと」
 門弟の脳天にぶちかますののどこが研修よ、というぬえのつぶやきは無視された。
「かく言うあなたの付き添いも、意外なかたですね」
「私は諏訪子様の付き添いというより、立会人みたいなもんだからな」
 諏訪子のうしろにいたのは、河童の河城にとりだった。命蓮寺で縁日が開かれるたびに屋台を出すので、白蓮とも馴染みは深い。
「秋祭りは稼ぎどきだからね。各寺社のスケジュールはなるべく早くに押さえておきたい」
「なるほど」
 ぬえが白蓮の肩を叩いてくる。
「ねえ、スケジュールってなんの話?」
「あら、あんた聞いてなかったの?」
 急須と湯呑みを盆で抱えた霊夢が、茶の間に現れた。
「本日の議題は、秋の縁日開催スケジュール調整よ」
「うわっ、しょーもねえ!」
 秋。祭りの季節。春夏冬も祭事はあるだろうというツッコミは要らない。
 盆、彼岸という暦上避けられないイベントが過ぎたこの時期。各寺社がそれぞれに特色ある祭事を催すには、絶好の機会である。だが、しかし。各々が自分たちの都合のみを優先すれば、日取りの競合、参拝者の取り合いは避けられない。
 ならば、どうするか。祭事がかち合わないよう、別々の日に開催すればよい。
「祭事の日取りがかぶらなければ、みんな同じ日に同じ祭事に参加できるようになるわ。そう、これぞまさしくウィン・ウィンの関係というやつよ!」
 と、霊夢は手をわななかせつつ力強く説いた。にとりが「よっ天才!」と合いの手を入れる。ぬえはそんな様子を眺めながら、白蓮に耳打ちした。
「巫女が妙に今様な横文字を使ってるけど、誰に入れ知恵されたの?」
「菫子さんの話を興味深そうに聞いてたのは見ましたね」
 ふと、霊夢が白蓮に向き直った。
「仙人連中は、結局なにもやらないのかしら。白蓮は聞いてる?」
「いえ、特には。別の形で催事を行うのではないでしょうか」
「そういうことなら、ちゃっちゃと始めちゃいましょうか」
 三者が同じちゃぶ台を囲む。霊夢のうしろにはあうんが座り、全陣営二名ずつとなった。
 ぬえは白蓮の横で、眉を寄せている。白蓮はそんなぬえの態度を察し、軽く肩を叩いた。
「まずは各々の希望日を出してもらおうかしら。じゃあ、白蓮からどうぞ」
 霊夢にうながされ、白蓮がうなずいた。
「毘沙門天を祀る私どもとしては、寅の日を外したくはありません。具体的には来月の一日か、十三日を希望します」
「どちらでもいいなら、我々に一日を譲ってもらいたいなぁ」
 口を出したのは、諏訪子である。
「あら、かぶりましたか」
「一日で、大安でしょう? 押さえられるなら押さえときたいっていう、神奈子のごり押しがあったのよね。命蓮寺のが十三日でよければ、そこにしたいんだけど」
「ふーむ、なるほど」
 では私たちが十三日に回りましょう、と白蓮が二の句を継ごうとしたときだった。すかさず霊夢が口を開いたのは。
「じゃあうちは命蓮寺と守矢神社の間でも取ろうかしら。うちは十二支とか気にしないし」
「軽いなぁ博麗は。神様をみんなで楽しませようって日なんだし、もう少し慎重に決めない?」
 諏訪子もすかさず乗りかかった。流れが二人のやり取りに移ったなどと、考える暇もない。
「慎重といっても、ときの運でなんとでも変わるものだし。慎重になれるのといったら、この中では守矢くらいじゃないの?」
「と、いうと?」
「そもそも神奈子や早苗がここに来ていないのは、二人が嵐の予想や予報につきっきりだからでしょう? あんたたちだったら、ある程度は次に来る嵐の予測もつくんじゃないかしら? まがいなりにも風神を名乗っちゃいないでしょ」
 空気が唐突に張り詰める。白蓮の、あうんの、にとりの注意が諏訪子に集まった。
 霊夢は好きにしゃべり終えたところで、湯呑みを傾けている。
 ややあって諏訪子は薄く笑い、再び口を開いた。
「守矢を、あんまり万能の予想屋だと思ってもらっちゃ困るよ。確かに神奈子は今、嵐予測の真っ最中にある。だけどあくまで、人間に我らの神徳を伝えることが目的よ。意図した日付に嵐をもたらせるわけじゃない」
「じゃあ、例えば一日がいちばん嵐が来ない日だ、なんてことはないわけね?」
「もちろん。来月の一日が嵐となることも、七日が嵐となることも、十三日が嵐となることも今は均等にあり得るとしか言えないねえ。全部当たっちゃうかもしれないし、全部外れるかもしれないものだわ。条件はみんな同じ。寅の日でも、巳の日でも、蛙の日でもね」
 十二支に蛙なんてあったかしら。ぬえがそんな独り言をつぶやいて、茶菓子に手を伸ばそうとしたところを白蓮に手をはたかれた。
「果たして、どこまで信用したものかしらね?」
「こんなことで嘘ついてなんになるよ?」
 あうんが身を乗り出す。にとりが立て膝を突いてニヤニヤ笑っている。不意に外からカラスがゲーゲー鳴く声が聞こえてきた。
 場が静まり返ったところで、白蓮がゆっくり手を挙げる。
「では、私たちが一日に祭事を催しても、特に問題はありませんか?」
 その場の全員が、白蓮を見た。諏訪子が尋ねる。
「理由は?」
「このままでは別の者が一日を取らなければ、収まりがつかないように思います。守矢神社の希望が通らなくはなりますが」
 再びの静寂。それを破ったのは、やっぱり諏訪子だった。
「まあ、それも仕方ないか。信用は大事だ。それじゃあ守矢は十三日に回ることにしようかな。神奈子は残念がるだろうけど」
「あら、そう? じゃあ全寺社の日取りは決定ってことで」
 霊夢がすんなりとそれに続いた。やにわに場が慌ただしくなる。にとりは膝を打ちすっくと立ち上がった。
「日取りは確定でいいね? じゃー、さっそく準備にかからないとな。住職、数日中に屋台の位置を確認にうかがうが、いいね?」
「え、ええ」
「さあさあ、これから忙しくなるぞ」
 にとりが荒々しい足音を立てて部屋を出ていく。その他の面々も帰り支度か片付けの準備だ。
 白蓮は瞬きしながらその様子を見守るばかりだった。そこに、ぬえが顔を近づける。
「聖。あんた駆け引き下手な」
「え、ええ? そうでしょうか」
 ふう、というぬえの息がかすかに耳へとかかった。
「ま、あんたの決めたことだから。幸運を祈るよ」

 §

 かくして、三寺社による祭事日程調整会議は、つつがなく終わった。霊夢は諏訪子と白蓮を送り終えると、再び境内に立つ。参道脇の茂みや軒下などに、素早く視線を巡らせながら。
 あうんが、彼女の様子に気がついた。
「霊夢さん、どうしました?」
「いや、いつもだったら茶々入れてきそうな連中が、今日は気配もないなって」
 あうんも霊夢にならい、鼻を鳴らす。そうして、妖精どもの匂いをかいだ。楽しそうなことをやっているところにこっそり近づいて、悪戯を働こうとする連中。
 そのうち、ある輩の顔を思い出す。嵐が止むとともに居なくなっていたやつのことを。
「そういや、地獄妖精も見当たりませんね」
「あいつのこと? まあ、妖精は気まぐれだからねえ。嵐が止んだのを見計らって、どっかへ遊びにいったんじゃないかしら」
「そうかも、ですね」

 §

 霊夢たちの予測は、おおむね当たっていた。違うのは、クラウンピースに連れがいること。しかもその連れは、妖精ではない。
「相変わらず突然ですねえ、こっち来るの」
「ごめんなさいね、今回は緊急の用事。あなたにも少し働いてもらうことになるわ」
 隣を歩く女が穏やかに笑う。そのまた横を、たまたま農夫が通りすがった。すれ違いざまに、点になった目を二人連れに向ける。
「おっ、仕事ですかい? いよいよ本格的に混乱をばらまきますかい?」
「ことによっては、そうなるわ。目的地にたどり着く前に説明するけれど」
 人里近くに、小山が見える。そのまた上には、仏塔などの建築物が建っていた。
 彼女たちの目指す先こそその場所。白蓮の本拠地、命蓮寺である。

 §

 その日は最悪の来客を迎えた日として、命蓮寺の来歴に刻まれることになった。
 昼下がり。その日の門前掃除当番は、雲居一輪が務めていた。命蓮寺の掃除当番は、門徒による持ち回りだ。妖怪としての実力で格差がつけられることはない。
「姐さんたちは遅いねえ、雲山。今日は重要な会議と聞いたけど、直接向かったんだろうか?」
 彼女は箒の手を休めて、相方の見越し入道、雲山を見た。宙を漂う無骨な老人の顔が、青筋立てて下界をにらむ様子を。
 そこで彼女も、並々ならぬ気配が門前の石段を堂々登ってきていることに気がついた。
 雲山に目で合図を送る。一秒と待たず雲山の姿は膨れ上がった。一輪の全身よりも大きな拳を露わにして、門前を完全にふさぐ。一輪も金輪を両手に一つずつ持って、身を低くした。
「あら、剣呑ね。そんなに警戒されるとちょっと傷つくわ」
 警戒されないわけがなかった。頭の上と両手に携えられた惑星を模した三つの球体といい。殴り書いたような「Welcome Hell」のロゴが入った黒いTシャツといい。どこから見ても、ただの参拝者ではない。横に付き添う派手ななりの妖精も、並々ならない力の持ち主に見える。
「命蓮寺に、なにかご用でしょうか?」
「別にこの寺を攻め滅ぼそうってわけじゃないのよ。私たちこのお寺に、折り入っての相談に来たの。住職様に取り次いでもらえないかしら?」
「聖様なら出かけております。日を改めてというわけには?」
「こう見えてわりと忙しくてね。今日中に戻るのなら、待たせてもらいたいわ」
 一輪の額から、汗がしたたり落ちた。雲山の目が怪しい光を放ち始める。
 背後から声がかからなければ、このまま殴り合いが始まるところだった。
「中で待ってもらいましょう、一輪。ここは人目につきますので」「星さん」
 一人の女が雲山をかき分けて現れる。右手に淡い光を放つ宝塔を携えて。
「聖はいつ帰るかわかりませんが、それでもよろしければ。あいにく今は本堂が不在ですので、宿坊にてお待ちいただくことになりますが」
「どっちも構わないわ。それでは失礼して」
 寅丸星が珍客の先に立って寺に引き返す。一輪はやむなく雲山を下げて、門の脇に控えた。
 その客がすれ違いざま、一輪を横目で見る。
「立派な姿ね、彼女。まるで神様みたい」
 一輪は新たな冷や汗を浮かべながら、奇妙な二人組が門を通り過ぎるのをただ見送った。

 §

 一刻後。白蓮が聖輦船と共に戻ってきた。
 宿坊の一室で、背後に星を控えさせて座る。客の女は一つの乱れもない正座で白蓮に対した。三つの球体は、相変わらず女の頭上にあったけれども。
「はじめましてかしら。私はヘカーティア・ラピスラズリ。地獄で女神をやっているわ」
「聖白蓮です。この命蓮寺で僧侶をしております」
「んー、それはよくわかっているんだけど。とりあえず、外で剣呑にしている子たちを鎮めてもらえないかしら?」
 星のさらにうしろ、障子戸越しに三人分の人影が見えた。ついでに話し声まで聞こえる。
「これ、雁首揃えて控えてる意味あるのかしら?」
「なに言ってんの。あの格好、あの気配。星さんを一目で毘沙門天代理と見抜くあの眼力」
「いいからたまには大妖怪らしい仕事をしなさいよ」
 白蓮が一つ咳払いをした。場が静まり返る。
「すみません。少々うちの者が、過敏に反応しておりまして」
「さすがにショックだわ。もうちょっとマイルドな反応を期待してたんだけど」
「ご用件をお願いできますでしょうか。穏当なものなら、みな納得してくれますでしょうし」
「そうね。では単刀直入に言わせていただくわ」
 白蓮の背中のほうから、唾を飲む音が聞こえた。
「ずばり。戦争の準備のために訪れたのよ」
 次の瞬間。障子戸の影が、二つばかし盛り上がった。ただ一つ、左右非対称な翼を持つ影が手を伸ばして、二つの影の裾をつかんでいる。
「全然穏やかじゃないんですが」
「言い方が悪かったわ。近々、地獄のならず者どもが戦争を始めそうなのよ。影響は私の領土にも及びそうでね。戦力の増強のために、こちらの妖怪をスカウトしに来たというわけ」
「お断り申し上げます。この寺は不殺生戒を守る妖怪たちのために開かれております。そんな門弟たちを死地に送り込むなどと」
「まあ聞きなさい。あなたはそう言うけれど、弟子たちはそうではないかもしれないわ」
 たたん、と音がした。一輪と水蜜が部屋の敷居に片足ずつ引っかけた体勢で、各々の武器をつかんでいる。ぬえだけがただ一人、二人の服の裾をつまんだまま座り続けていた。
「現にあなたの身になにかあれば、私を殺してでもあなたを守ろうとする連中がうしろに控えてる。私はそういう血の気の多いやつに、活躍の場を与えたいと言っているの」
「あり得ないです。うちの者に限って」
「では、その者の名を聞いてはどうかしら。私が欲しいのは、ずばりあの子」
 ヘカーティアの腕がするりと伸びた。人差し指が、まっすぐ白蓮の頭上を指している。
 一輪と水蜜、命蓮寺きっての武闘派二人によって無理やりせり上げられたぬえの背中を。
 左翼の一本が、ぬえ自身を指差した。
「ぬえを?」
「そう。封獣ぬえ、東洋のキマイラ。うちのケルベロスと並び立てても遜色ない存在。彼女が我が軍勢に加われば、テューポーンが牢を抜け出してきたとて互角以上に戦えるでしょう」
 白蓮たちは、動きを止めてヘカーティアの話を聞く。そして同時に、首を傾げた。
「横文字は苦手だったかしら?」
「あなたがぬえを大いに評価していることは、よくわかりました。それでも私の立場としては、反対であることに変わりはありません」
「そうは言うけれども、住職? あなた本当に自分の弟子を理解し、御せているのかしら?」
 白蓮は言葉を喉に詰まらせた。
「私は予習して来たわ。あの子が快く申し出を受けてくれるように。例えば鵺にゆかりの深い人間のこととか。ヨリマサ・ミナモトだったかしら?」
 白蓮が目を見開いた。源頼政。ぬえの前では誰しもが無意識に避けている禁句の一つ。
 それを証拠に、ぬえの変化は劇的だった。今度は一輪と水蜜が、ぬえを止める番になった。
「ちょっと、鵺さん?」「いいから」
 二人の手を振り払って部屋に踏み入ると、白蓮の隣に腰を下ろす。
「その名前を出しておいて、私の興味を引けないなんてことはないよね?」
「もちろん」
「話してみなよ。しょーもない話だったら、聖が出るまでもなく追っ払うから」
 ヘカーティアはにっこり笑い、両手を広げた。
「地獄の軍勢は、死者からも選抜される。北欧の戦女神どもが、そうするみたいにね。地獄はおおかた過酷だから、減刑をちらつかせれば志願する者も多いでしょう。もしもあなたが私の軍勢に加わってくれるのなら、ヨリマサに会えるように便宜を図ってあげてもいいわ」
 ぬえはあぐらに立て肘をつき、うつむき加減の無表情でヘカーティアの顔を見上げていた。
「頼政は、地獄に落ちたのかい?」
「あなた自身が、いちばんよくわかっているのではなくて?」
「その返答。頼政についても予習してきたと見える」
 ぬえが顔を上げる。
「いいよ。地獄の鬼どもを相手にドンパチか。悪くないじゃないか」
「ぬえ!」
 とがめる白蓮に手を伸ばした。ヘカーティアを見るぬえの目は、鋭い輝きを放っている。
「だけど、その話が本当だったらの話よ。仮に頼政が地獄に落ちてたとしても、希臘の地獄に渡ったなんて荒唐無稽な話だからね」
「私はその地獄を支配する者。ハデスとペルセポネの名誉にかけて、最善を尽くすわ。あとは住職さえよければ、この話は万事解決なのだけれども」
 ヘカーティアの視線は白蓮に向き直った。対する白蓮は、唇を噛みしめる。
「やはり承服いたしかねます。不肖の門弟なれど、その扱いを変えるつもりはありませんので」
「梃子でも譲るつもりはない、といったところね」
 一輪と水蜜が部屋に入った。星もまた宝塔を手元に引き寄せながら腰を浮かしていた。ただ一人、ぬえだけが姿勢を変えもせずに白蓮とヘカーティアのやり取りを見守っている。
 クラウンピースも、松明を手に立ち上がりかけた。しかしヘカーティアが静かに手を伸ばし、彼女の膝を押さえる。
「でも、私も力ずくで連れ去るのは本意じゃない。ここの妖怪と遺恨を残したくもないからね。だから、きちんと手順を踏んでスカウトに来たの。どうしてもあなたが私の提案を拒否すると言うのなら、私から一つの試練をあなたに授けましょう」
「試練、ですか」
「そう。私、あなたのことについても予習してきたの。あなたは不老不死を得るために修行をなし、魔道をも取り入れてその力を手に入れた魔女。そうよね?」
 白蓮は息を飲んだ。ヘカーティアは構わず、自身の胸に手を当てる。
「そして私は、そんな魔女の守護神でもある。ゆえに魔女・聖白蓮。私はあなたの研鑽を試す。七日間の猶予をあげる。その間に封獣ぬえの正体について、あなたなりの結論を見いだすのよ」
「正体不明の」「正体だって?」
 一輪と水蜜が、素っ頓狂な声を上げた。
「あなたが真に弟子たちを理解しているというのなら、苦もない試練であるはずよ。才の限りを尽くして、乗り越えてご覧なさい。見事正解したら、スカウトの話はご破算にするわ」
 白蓮のこめかみから、一筋の汗が流れて落ちた。
「つまりあなたは、正解を知っていると?」
「予習してきたと言ったでしょう? 当然、この子の素性から限りなく正解に近いと確信する答えを、すでに導き出したわ。私は、その答えに沿った受け入れ準備を進めてもいる」
 白蓮は隣を見た。ぬえが目を丸くしている様子がよくわかる。
「ヨリマサの話を抜きにしたって、わくわくしてくる話じゃないかしら。なにしろ正体不明の正体こそ、この子が最も知りたいことの一つなのだから。さあ、どうする住職? 私の試練を突っぱねて幻想郷のルールで決着をつけてもいいけれど」
 しばし、白蓮は沈黙した。一輪、水蜜、星は無言で固唾を呑む。
 ややあって、一度目を伏せると、ヘカーティアを直視した。
「門弟のことを本当に知っているのかなどと問われては、引き下がるわけにはいきませんね。この試練、甘んじて受けましょう」
「決まりね」
 ヘカーティアは歯を見せて笑った。
「繰り返しになるけれども、これはあなたの魔女としての資質をも問う試練でもある。よってこの試練を解決するために他の魔女、賢人、文献の知識を用いることは許されないわ。あなた自身の知識と技術をもって試練に挑みなさい」
 白蓮は眉根を下げて、うなずいた。
 ついでヘカーティアが、クラウンピースの肩に手を置く。
「審判役として、クラウンピースをあなたに預けるわ。あなたの行動が制約の範囲内であるかどうかは、彼女に尋ねるように。ピースも、いいわね?」
「了解でーす」
「また、立てた仮説は実証しなければ意味がない。あなたが導き出したぬえの正体に基づいて検証を行い、あなたの仮説が正しいことを白日の下に示しなさい」
「七日間の間に、ですね?」
「その通り。私の要件は、今日のところはここまで。あなたの答えを楽しみにしているわ」
「一輪、お客様をお送りしなさい」
 かくして地獄の女神は、一輪に連れられて部屋をあとにした。彼女らの足音が小さくなる。
 水蜜は恐ろしい気配が十分遠ざかったところで、白蓮の向かいに座った。
「いいんですか、あんな無茶振りにホイホイ乗って」
「船長。申し訳ないけれど、その子に宿坊の部屋を融通してあげてくれませんか?」
「聖様?」
「お客様なのですから、丁重に扱うのですよ」
 水蜜はしばらく眉尻を下げて、白蓮を見た。やがて息を吐くと、クラウンピースを立たせて自らも立ち上がる。
「あんたとりあえず希望は?」
「全体的に殺風景な部屋ばっかだよなー、この寺。アレンジしていい? 地獄風に」
「駄目に決まってるでしょ。居候の立場になるんだから、ちったぁわきまえろ」
 水蜜とクラウンピースが、部屋を出る。白蓮は続いて星に向き直った。
「寅の日の縁日について、日取りが決まりました。七日後、来月の一日です」
「なんと、くだんの試練の最終日ですか」
「申し訳ないけれど、準備を進めてもらえないかしら。私事の都合で心苦しいのですが」
「いえいえ、お気になさらず。つつがなく進むように尽力いたしますので、どうぞ心置きなく試練に挑んでください」
 白蓮は、胸をなで下ろす。彼女が不在であった千年もの間、毘沙門天として命蓮寺の前身を取り仕切っていたのが寅丸星という妖怪だ。
「心配なのは聖様のほうです。本当に条件の通りにやるなら、界隈の知識人、例えば図書館の魔法使いや竹林の賢人などの助けも借りられないということになります。本当に聖様一人で、この試練をやり遂げられるのですか」
「あら、そんなに辛い試練に見えて?」
 星が目を瞬きさせる。白蓮は彼女の前に、あの魔人経巻を広げてみせた。
「魔人経巻には、法界に封じられていた一千年の技術と知識が詰まっています。これを用いることは、あのかたの条件に違反するものではないはずです」
「なるほど。では、ぬえの正体に至る知識も魔人経巻に?」
「それができていれば、あのかたを帰す必要すらなかったでしょうね」
「あまり都合よくはいかない、ということですね」
 星は続いてぬえに向き直った。彼女はこの間、やり取りをただ座って聞いていただけである。
「あなたはどうなのですか? 自分自身の正体に、なにか心当たりとか」
「あったら聖のテストは終わってるね。聖も言ったけど」
「では聖が正しい答えを出せなければ、あの神様について命蓮寺を出ると?」
「今のところ、半分はそうかもね」
「半分」
「頼政云々はさて置いても、あの女の言ったことに間違いはないからね」
 やおらぬえが両腕両手を広げる。
「正体不明の正体! なんて魅力的な響きでしょう。あいつの言う正解が信用に足るものだとしたら、着いていくのもありなんじゃないかってそう思ったわけ。省みて、聖はどうなの?」
 魔人経巻の上で、幾何学模様が右へと流れる。
「確かに私の記憶の限りでは、ぬえの正体についての記述はありません。闇雲に調べる前に、手がかりが必要です。そういうわけで、ぬえ」
 白蓮は経巻を閉じて、ぬえを見た。
「あなたの体を調べさせていただけませんか?」
 廊下の向こうから何人かの足音が聞こえてくる。
「体を調べるって、なにやるの」
「ご存知とは思いますが、私の術は肉体強化に特化しています」
 白蓮が人差し指を振った。
「肉体になんらかの能力を付与する、あるいは強化するためには、肉体、骨、筋肉、神経組織、もろもろのことに精通しておかねばなりません。その観点であなたを調べるということです」
 次第にぬえの体がうしろへずり下がり始める。
「あんまり聞こえのいい調べかたには思えないね?」
「安心なさい。多少は痛い思いをするかもしれませんが、死ぬわけではありませんから」
「その言いかたで余計に不安になるったら」
 そこに一輪と水蜜が戻ってきた。障子戸の脇からクラウンピースも顔を出す。一輪と水蜜は一度顔を見合わせる。十秒を待たず一輪は金輪を、水蜜は錨を取り出した。
 ぬえは無言でへへらと笑う。
 そして白蓮がわずかに腰を上げた瞬間、黒い風が吹いた。
 白蓮は、腰に重い衝撃を感じた。次の刹那には彼女の体はうしろへと吹き飛び、隣の部屋に続く襖ごとなぎ倒されていた。
「ごめんね」
 小さくつぶやく声と同時に、黒い影が白蓮の頭上を通り過ぎる。あとには宿坊の天井だけが残された。畳の上に大の字になったまま、白蓮は状況を整理する。
「雲山、宿坊を封鎖!」
 遅れて一輪の怒号が聞こえてきた。脇腹がキリキリと痛み始める。そこでようやく白蓮は、自分がぬえの奇襲的体当たりで動きを封じられたものと理解した。
 魔人経巻による詠唱がなければ、彼女は普通の人間と大差ない。しかしそれを差し引いたとしても、今の突撃はあまりにも重いものであった。
「猛牛のごとき動きでした。まさに迷悟一如」
「関心している場合ではないのでは」
 星が白蓮に向けて手を伸ばす。起き上がると外からドタンバタンという喧騒が響いてきた。雲山が逃げるぬえに手を伸ばし、水蜜が柄杓を手に追いかけるのが見える。
 このような追跡劇は、昨日今日に始まったことではない。雲山が上空から蜘蛛のように手を振り下ろし、境内の池から水蜜の水難事故がぬえを襲う。そのたび彼女は雲山の手を急加速ですり抜け、水蜜が起こした小津波を三間の跳躍でもって跳び越える。
「今日のぬえはかなり気合の入った逃げかたをしますね」
「ええ、まるで馬が乗り移ったみたいに」
 白蓮と星が動きを評している合間に、ぬえは命蓮寺の外壁にまで達した。何度目かの雲山の手を避けると一気に塀を飛び越え、バサリという音を残して消える。命蓮寺の外は小山の自然が手付かずで残っていた。
 しばらくして、水蜜と首だけになった雲山とが宿坊に戻ってくる。
「駄目です、取り逃がしました。忍者かなにかかあいつは。黒いし」
「いいのですよ。私もいささか性急が過ぎたようですし」
 手を伸ばして水蜜と雲山をねぎらう。
「さて置き、困りました。ここまで拒絶されては立つ瀬がありません」
 白蓮は肩を落とした。星、一輪、水蜜が目配せする。クラウンピースは縁側に腰かけると、四人の成り行きを立て肘突いて見守った。
 しばらくして水蜜が白蓮の目前に立ち、手のひらを振る。
「あの、聖。あんまり気を落とさないで。あいつはだいたいあんな感じなんで」
「ええ、わかっています」
「大丈夫、聖ならきっと成し遂げられますって。覚えておいでですか。私を傘下に加えたときのことを。聖輦船から差し伸べられた聖の手は、千年経った今でも鮮明に思い出されます」
「ええ」
 一輪が片目だけ細めて、水蜜を見る。一見場を取り繕う言葉だった。しかし白蓮にとっては重要な暗示である。
 水蜜が白蓮の傘下に加わったのは、白蓮が法界に封じられるより前。荒ぶる船幽霊であった水蜜を念縛の海から救い出すことができたのは、運よくも彼女の本質を見抜けたお陰である。白蓮は付近の漁村に足を伸ばして、船幽霊が現れたころに沈んだ船のことを調べ上げた。その結果、船幽霊の大元たる少女を導き出し、彼女とともに沈んだ船を法力で蘇らせたのである。
「ぬえの体を調べることも必要ですが、まずはあの子の普段の行動を改めるべきでしょうね。ええっと、クラウンピースさん?」
 呼ばれたクラウンピースは、松明を手慰みにしていたところだった。
「ぬえが逃げ出してしまいましたが、一人で探すのはさすがに骨が折れます。身内から人手を募ってあの子の行方を追いたいのですが、構いませんね?」
「オーケー。部外者を呼んでくるとかじゃなきゃ問題なし」
 白蓮はうなずいて星に目配せをした。
「ええ、わかっています。あの子を呼びましょう」
 星が穏やかに微笑み、袂を探る。一匹の小鼠が、キィと鳴きながら星の手のひらに乗った。

 §

 一晩を越えても、ぬえは帰ってこなかった。ここにきて白蓮たちは、命蓮寺でいちばん、否、幻想郷でも屈指である失せもの探しの達人を頼ることになった。
 宿坊の一室いっぱいに、薄汚れた地図が広がる。その上を鼠の耳をつけた小柄な少女が行き来していた。彼女は両手両足を使って動きながら、銀色の振り子をくるくると回す。
「今回はずいぶん本腰だね。家出の常習犯探しに私を呼ぶなんて」
「少々急がなければいけない理由がありまして」
 ナズーリンは地図の上に長い鉄定規を置く。そのまま顔を上げて、白蓮を見た。
「事情はご主人から聞いた。地獄の女神と賭けをしたらしいね? しかし今回の引き抜きは、ぬえにとっても悪い話じゃないように思える。なぜ聖はそこまで、あいつを引き止めることにこだわるんだい? あまり優秀な門弟でもないだろうに」
「自分自身を省みるよい機会かと思いまして」
「謙虚だね。過剰なくらいに」
 ナズーリンは再び地図に視線を落とし、ペンデュラムを振った。
「少々、思うところもありました。寺をまとめることに躍起になりすぎて、寺に集うみなさんの一人一人を見ることを疎かにしてはいまいかと」
「私は常にここへいるわけじゃないが、聖はよくやっていると思うよ。我の強い妖怪がここまで団結できているだけでも奇跡的さ。一人二人抜けるくらいは許容できる程度にね」
「大将と比べてしまったら私などはとてもとても」
「私の部下たちはずっと単純さ。食うに困らなければ忠実だからね」
 何本目かの鉄定規が、地図の上に乗った。それらの一つ一つの向きを見る。
「ダウジングの下調べが完了したよ。予想はついていたけれど、面倒な場所に隠れたね」
 鉄定規はある一点を基準として、放射状に広がっていた。白蓮はその一点に見当をつけると、命蓮寺のすぐ近くにあるその場所を見る。
「人里に紛れましたか」
「これ以上の調査は我々にとっても危険が伴う。人間は大の天敵だからね。これ以上の捜索は、どうしてもというなら別報酬になるよ」
「止むを得ませんが」
 そこへ素早くしゃしゃり出てきた影がある。
「やはり人里ですか。いつ捜索に出かけますか? 私も同行します」
「一輪」
 すすす、と一輪は白蓮の背後に回り込み、両肩を押さえる。
「と、いうかですね。姐さんには調べ物に専念していただくとして、ここは『りんリン組』にお任せください。鵺さん探しには時間がかかると思いますので」
 変なチーム名作るな。あと雲山がハブられてる。というナズーリンのつぶやきが聞こえた。
「でも」
「鵺さんを見つけたら、すぐ伝えるようにしますから。我々も姐さんの力になりたいのです」
「まあ、そこまで言うのなら。くれぐれも、里で騒ぎを起こさないようにね?」
 一輪は続いてナズーリンに寄っていって、その腰をドシンと叩く。
「よし、姐さんの許可が出たわ。一緒に頑張ろうねナズーリン君」
「誰がワトソンか。君、楽しんでないか?」

 §

 クラウンピースが、閑散とした室内に顔を出す。白蓮が文机の上に、魔人経巻を広げているところだった。文机の上で流れ出す幾何学模様を、覗き込む。
「不可解な記号だね。あんた、これを読めるの?」
「私にしか読めない仕掛けなのです。よろしく魔人経巻、源頼政公の記録を探して」
 幾何学模様の流速が増し、傍目には巻物の狭間を虹が流れるようにしか見えなくなった。
「ヨリマサコー? ご主人様の言ってたヨリマサなんとかのことかい」
「まずは、ぬえと頼政公の関係を確認しておきたくて。頼政公の名前が出たときの、あの子の受け答えが気になったものですから」
 魔人経巻の流れが、突然に止まる。白蓮は彼女自身にしか読めない魔術記号を読み取った。
 源頼政。弓を得意とする武人であり、優れた歌人でもあった。二つの大きな戦争で勝者側についていたことが幸いし、源氏の中でも当時最高位だった従三位に任じられる。このため後世では「源三位頼政」とも称された。
 時代は平家の天下だった。専横に危機感を覚えた頼政は、以仁王とともに反旗をひるがえす。しかし平家側に情報が漏れ、挙兵は失敗。三十倍近い戦力を相手にして息子たちとともに奮戦するが及ばず、宇治平等院で自害した。享年七十七歳。
 頼政が名を挙げる切っ掛けとなったのは、戦争の直前にあった鵺退治である。都に夜な夜な黒雲が現れ、不気味な鳴き声が響き渡った。帝はそれを恐れて、ついに病で伏せってしまう。そこで呼ばれたのが、頼政だった。
 頼政は大弓と鏑矢を持ち、夜の都に出る。丑寅の方角から現れた黒雲に向かって矢を放ち、黒雲に潜む妖怪を射落とした。その後頼政の郎党、猪早太が切りつけてとどめを刺したという。
 その妖怪こそが、伝承に残る妖怪鵺。猿の頭、狸の胴体、虎の手足、尾は蛇という化け物である。しかし伝承によっては背が虎、足が狸、尾は狐で胴は鶏だったともいう。
 白蓮は一通りの情報を読み上げてから、息を吐いた。
「ぬえと頼政公の関係を記したものは、残念ながらこれだけのようですね。このころの私は、法界に封ぜられていましたから」
「いろいろとごちゃ混ぜな妖怪だな、鵺ってやつは。なるほど、ご主人様が東洋のキマイラだなんてあいつを呼ぶわけだよ」
「きまいら、ですか。やはりそれもごちゃ混ぜの妖怪なのですか?」
「この地の妖怪と一緒にするなよ。おっそろしい怪物なんだぞ。そいつは」
 と、クラウンピースが人差し指を立てたところで、その動きが固まった。
「と、いけねえ。あんまりヒントを与えちゃいけないっていうのが、ご主人様のお達しだった。キマイラのことなんか教えてやらないぞ」
「そうですか」
 白蓮は、腕組みしたクラウンピースの姿をしばらく眺めた。
「な、なんだよ」
「あなたのご主人と、ぬえが話していたときのことを思い出していました」
 魔人経巻に視線を戻す。
「頼政公の話は私も他のみんなも、ぬえの前では出さないようにしていました。もしも伝承の鵺退治に出てくる妖怪がぬえだとしたら、頼政公はぬえにとって仇のようなものですからね。だけどご主人が頼政の名前を出したときの態度は、そんなものとは無縁でした。むしろあれは、頼政公の安否を気遣うようですらありませんでしたか?」
「あたいに言われても知らなーい。知ってても言っちゃ駄目な決まりだし? ご主人様だってヨリマサとかいうやつのことは、あたいに教えてくれなかったもん」
「ええ、そうでしょうね」
 クラウンピースは白蓮に背を向け、あぐらをかいた。

 §

 一方ナズーリンと一輪の二人は、身なりを整え、編笠をかぶって人里に入った。
「ふふふ、スパイ作戦みたいでドキドキするね」
「遊び感覚でやってたら、むしろ困るのは君たちなんだけどね。聖を同行させなかったのは、君にしちゃいい判断だと思ったけれども」
「姐さんはいやが応にも目立つからねえ。コソコソするのも苦手そうだし」
「少し寄り道をするよ。そこへ入る」
 二人は家と家の間の小さな裏路地に踏み込んだ。ナズーリンがしゃがみ込んで小さく口笛を吹く。しばらくして、物陰や板囲いの隙間などから鼠が次々に姿を現す。
「妖怪探しを頼む。見つけたら無理に深入りはせず、すぐに私まで知らせるんだ」
 鼠たちはチーズの薄片を与えられると、次々とほうぼうへ散っていった。
「さすがは鼠の大将。彼らの統率はお手の物だね」
「食べ物の捜索には向かないけどね。そちらのほうこそちゃんと動かせてるのかい?」
「ばっちり。今のところは誰にも気づかれてないはずよ」
 一輪は、上空を指差した。嵐が通り過ぎて一日を経た空は、新たな秋雲を多くその身に取り込んでいる。それに紛れるように、薄桃色をした雲が低く垂れ込めていた。
「万が一にもあれが気づかれてないとして、だ。私にはあれの正体が雲山と気づかれるのは、時間の問題に思えるね」
「そうかなあ。完璧な擬装だと思うんだけど」
「まあ、そうだと思てるうちに移動しようか。こっちに強い反応が出てる」
 ナズーリンが再びペンデュラムを振る。銀色振り子が振れる方向を目指して歩いていると、彼女の目には次第に陰りが現れた。
「うーむ、あまりよろしくないな。厄介なところに潜んでいるようだ」
「ああ。この方向ってことは」
 人通りは閑散となる。代わりにかすかな酒の匂いが漂ってきた。未だ日は高い。
 彼女らが踏み込んだのは、茶屋の暖簾がかかった店が連なる繁華街であった。その実酒類を振る舞う店も多いのであろう。路地の奥には真昼間から壁に寄りかかって座り込む酔っ払いの姿まで見える。日雇い人足などの溜まり場でもあるのか。
「こういう場所は鼠たちの鼻が鈍るし、彼らを嫌う人間も多い。雲山に探してもらえないか」
「任せなさい」
 二人は再び裏路地へと身を隠す。そこへ、雲山が上空から降りてきた。
「さっそく強い妖気を見つけたって。ここから三軒先にある飯屋の中。見に行ってもらおう」
「見に行ってもらうって。客にでもなりすますつもりかい」
「雲山の変幻自在を、なめてもらっちゃあ困るね。普段は大きくなるほう専門だけど、豆粒になることだってできるのよ。得意ではないけど、姐さんの一大事だから引き受けてくれたわ」
 桃色のもやが建物を隔てた先に降りていくのが見える。二人はそれを追い路地から路地へと渡り歩いた。一輪が問題の店に背を寄せる。
「ほう『げんこつ』を選ぶとは通だな。店主が頑固だけど腕は確かだからね」
「君、絶対普段通いしてるだろう? で、雲山は?」
「うん、もう中」
 一輪のそばに、雲山の顔が現れる。彼女は雲山の声なき言葉をうなずきながら聞いた。
「店の中は店主と、一組の客だけ。全部で三人」
「それが全部、妖怪か。ぬえもその中にいるのかい」
「いるね。て言うか、残りの二人も見覚えがありすぎるって雲山が」
 雲山がゆっくりとうなずいた。
「ちなみに聞いておくが、外見の特徴は?」
「一人は長い髪の、丸縁眼鏡をかけた背の高い女。髪には木の葉を模した髪留めをつけてる。もう一人は癖のある髪の毛を二つお下げにした女で」
「うん、もういい。だいたいわかった」
 ナズーリンは目頭を押さえる。
「マミゾウ親分と見て間違いないな。もう一人は、この前命蓮寺を出てったっていう」
「女苑ね。それが鵺さんと会っているとなると、もはや悪巧みの予感しかないわ。雲山、三人の話をうまく聞き取ることはできないかな?」
「おい、止すんだ」
 雲山はやはり無言で首を振った。
「顔を寄せて話し合ってて、全然聞き取れないって。仕方がない、いったん撤退だ」
「賢明だね。妖怪三人の目を盗んで近づけるとは、とうてい思えないしね。それで、これからどうする。まだ素行調査を続けるのかい?」

 §

 ナズーリンと一輪は、夕方になってようやく命蓮寺に戻ってきた。
「それで、どうなりました?」
「ええ、三人が店を出てから行方を追おう、ということになりまして。鵺さんは今、マミゾウ親分のところに身を寄せていますね。人里の外れにある『二ッ岩商店』という貸金屋です」
「あの御仁ですか。まあぬえとは古い付き合いみたいですしね」
 二ッ岩マミゾウはかつて、ぬえが命蓮寺の助っ人として勝手に呼び寄せた化け狸妖怪である。特に命蓮寺に居つくことはなく、幻想郷在住の狸たちを手下にしてよろしくやっている。
 白蓮とは、顔を合わせるたびに嫌味を言い合う程度の仲だった。
「女苑は今、なにをしているのですか?」
「ええ、そちらも念のため、ナズさんに追ってもらったのですが」
 変に略すな、とナズーリンが憤慨する。
「人間を装って、奉公人として働いております。里中央に立地する、大きな材木商です」
「あの子ったら、やはり疫病神の活動を続けているのかしら」
「姐さん、あの三人、なにかやらかす気満々ですよ」
「そう決めつけるのは、性急に過ぎますが」
「それがですね。その材木商、かなり評判が悪いみたいなんですよ。主に妖怪からですけど」
 一輪たちは女苑の行方を追う過程で、里に紛れて暮らしている妖怪の何人かから話を聞いた。材木屋の評判を貶めているのは、彼が持ち上げる壮大な計画だ。
「人里と外を隔てる塀を現在より高く強固なものにしようとしてるみたいなんですよ。こう、城のようにぐるっと」
 一輪は人里の地図を持ち出し、集落の周りを指でなぞった。命蓮寺はその輪の中に入らない。
「加えて、門には自警団員を置いて出入りする者を見張る仕組みも整えるとか。こりゃもう、外から入ってくる妖怪を締め出すつもりかもしれません」
「大掛かりな工事ですね。たった一軒の店で、それを進められるものかしら?」
「けっこうな数のお金持ちがその計画に賛同していて、材木屋を援助しているそうなんですよ。里の人間も多くは諸手を振って歓迎しているとか」
「ぬえたちは、その材木屋さんを狙っているということですか」
 白蓮は口元を歪め、地図を凝視する。
「どうして、こんなときにまで騒ぎを起こそうとするのかしら」
 白蓮の胸中に生じているのは、恐らく女苑が命蓮寺を出たときの記憶だろう。しかも今回の件には、その女苑も確実にからんでいる。
「どうしますか、姐さん。止めるなら今のうちかと」
「一度事情を聞く必要がありそうですね。ぬえを連れ戻すかどうかは、そのときに判断します」
 外は日が落ちて、妖怪の時間が訪れようとしていた。

 §

 翌日、白蓮はクラウンピースを伴って、一輪の見つけた店へと向かった。
 二ッ岩商店は、人里の外れに建つ五十坪に届くかどうかの小さなたたずまいの商家だった。民家を改装したと思しき建屋の入り口には、揃いの半纏を身につけた奉公人の姿が見える。
「ごめん下さいまし」
「おや、さっそくのお出ましかね」
 暖簾をかき分けると、間髪を入れずに声がかかった。問題のマミゾウが、玄関の小上がりにどっかと腰かけて煙管を吹かしていた。頭に狸の耳はないが、気配は妖怪のそれである。
「まあ、上がるがいい。酒でも出そうか」
「お人が悪いですわ」
「まずもって人ではないからのう。ほっほ」
 マミゾウは柏手を打った。何人かの奉公人が、待ち構えていたかのように現れる。彼女らは座布団と茶の湯を持って、マミゾウの前にあつらえる。いずれも見かけは人間である。しかし白蓮は、目の前の化け狸と同じ匂いを奉公人たちからも感じ取った。
 クラウンピースを先に座らせ、マミゾウに対する。口火を切ったのは、狸のが早かった。
「わかってるとは思うが、ぬえは出せんぞい」
「承知の上です。こちらも無理に連れ戻すつもりはありませんので」
「ほう。ではどのような用事で?」
「単刀直入に申し上げますと、あなたとぬえと女苑が会っているのを見た者がおりまして」
 奉公人が弾く算盤のパチパチ鳴る音が、しばらく辺りに響いた。
「あんた、もう少し嘘を覚えたほうがええぞ」
「慣れないことはするものではありません」
 マミゾウは破顔して、煙管の燃えかすを灰皿に落とす。
「まあ、ええわい。その様子だと儂らがなにを企んどるかも、おおかた調べがついていよう」
「ええ、今日はその真偽を確かめにも」
 マミゾウがなぜか一瞬、軽く手を振る仕草を見せた。白蓮は背後から、奉公人が幾人か外へ出ていく音を聞く。
 マミゾウは肘掛けにもたれ、声を潜める。
「材木屋は人里の周りを壁で囲む算段じゃが、それに先駆け盛大な竣工式をやらかす予定よ。期日は、来月の一日」
 白蓮は畳を軽く打った。
「私たちの縁日と同日? そのような知らせは聞いておりませんが」
「そうであろう。きやつは竣工式を人間だけの祭りとして、巧妙に外部へ漏れぬよう根回しをしておる。命蓮寺が寅の日に祭事をやることは周知の事実であるからのう。あわよくば祭事とかち合わせて、そちらの顔を潰そうというわけじゃ。放っておいてよい話ではあるまい?」
「あなたがたはその竣工式を中止させようというのですか」
「中止とは生ぬるい」
 白蓮には、マミゾウの毛髪が全て逆立ったかのように見えた。
「完全に潰す。そのために女苑にも入ってもらっとるからの。店が傾かん程度に搾り取って、事業がままならぬところまで持っていくつもりよ」
 女苑の疫病神としての力は誰かに取り入り自制心を失わせ、財運を奪う。それだけでも白蓮にとっては、十分に嘆かわしいことではあるのだが。
「そのようなことにぬえを巻き込むのは、どうかお止めいただきたいのですが。あの子は体面上命蓮寺の、仏門の徒なのですから」
「心外じゃのう。そちらこそ、儂が主犯格みたいに言うのは止めてもらおうか」
 マミゾウは顔をしかめて、白蓮に告げた。
「そもそも今回の話を儂のところに持ってきたのは、誰ならぬぬえなのじゃからな」
「本当ですか、それは」
「信じるも信じぬもおぬしの自由よ。人里で派手に立ち回るのは、儂らにとっても危険を伴う。儂らはそれを承知の上で、ぬえの誘いに乗ったのじゃ」
 白蓮は天井を見上げた。商店の中では算盤の音とクラウンピースの松明が燃える音が、ただ響くばかりだった。マミゾウは無言で煙管に新たな煙草を詰めている。
「あなたがたはなぜそこまでして、あの子のために?」
「おぬしは、なぜだと思う? きやつのことをわかっておるなら、儂が答えるまでもあるまい」
 白蓮は一度、首を傾げた。ぬえをわかっているのなら、ときた。先日命蓮寺を訪れた珍客と同じく、白蓮を試すような、挑発するような口ぶりで。
 マミゾウは恐らく、ぬえからヘカーティアの話を聞いているに違いない。目の前の化け狸は、いったいどこまでぬえのことを知っているのか。
 白蓮はクラウンピースの視線を感じた。マミゾウにぬえの正体を問いただすことは、制約に反する。ならば彼女の言葉に、どう答えるか。
「源頼政の鵺退治」
「うん?」
「頼政公はときの帝に請われて、ぬえを射ったと聞きます。しかしあの子には、頼政公を恨むそぶりはありませんでした。あの子が都を襲ったことには事情があったのでしょう」
「やれやれ、なにを言い出すのかと思えば」
 マミゾウは煙管に新たな火を灯す。
「此度のことと九百年も昔の話を同じに見ようてか、おぬしは。とんだ時代錯誤じゃのう? それで、仮にその事情とやらが今回にもあったとして、おぬしはなんとする?」
 白蓮は、マミゾウの片方だけを細めた目つきをしばらく眺めた。
 ぬえが頼政に射たれたことには、相応の事情がある。マミゾウは多分、その事情についても知っている。だから、恐らくは、今回も。
「あの子のことを信じるしかないのでしょう。材木屋さんを襲うことにも、あなたがたがそれに賛同したのも、相応の事情があってのことと」
 また沈黙が店内を吹き抜ける。
「つまり、おぬしは儂らのやることに邪魔立てしない。そう思っていてよかろうな? 材木屋に迷惑がかかるのを知って、みすみす傍観するということになるが」
 白蓮はマミゾウの言葉を聞くと、いったん目を閉じた。そのまま長いこと、息を吐き出す。
「ええ、結果としてそうなるでしょう」
 灰皿に、二つ目の灰が落ちた。
「では、儂もおぬしの言葉を信じることにしよう。決行の期日は明かせぬが、竣工式の前には必ず動く。その間、妙な行動は慎んでいただくぞい」
「いいでしょう。さあクラウンピースさん、おいとましましょうか」
「えっ、いいの?」

 §

 二つの影が二ッ岩商店の暖簾を押しのけて、外に出てくる。白日のもとにさらされた白蓮の表情に、笑みはない。
(その場の勢いで、大変なことを約束してしまったわ)
 白蓮は頭の中で葛藤を繰り返している。マミゾウとの口約束を、律儀に守るかどうか。門徒がまさに人里で騒ぎを起こそうとしているものを、黙って見ていていいものかどうか。しかもマミゾウの言う「こと」が起こるまで、ぬえを捕えられない。
「ねえあんた、これからどーすんのさ。連れ戻すんじゃなかったの?」
 クラウンピースの声が、白蓮を葛藤の渦から引き上げた。
「様子を見ながら、できることを考えます。まずは材木屋さんに寄りましょうか」
「さっき言ってた店のことか? あいつらとの約束を違えて大丈夫なんかい」
「約束は守ります。ただ、竣工式の予告をうちに隠してきたことに対しては、不服を言う権利はあるでしょう?」

 §

 しかし白蓮はその材木屋で、けんもほろろな対応を受けることになった。
「あんたと話すことはなにもない。お帰り願おうか」
 玄関の小上がりに、材木屋の主人が直立し白蓮を見下ろす。ほかの奉公人たちはちらちらと白蓮のほうに時おり目線をよこす程度だった。白蓮は、彼らの目つきに思い出すものがある。千年前、自身を魔物呼ばわりして法界に封印した人間たちと同じ目だ。
 ちなみに女苑の姿は見当たらない。白蓮がやって来たのを目ざとく見つけて、どこかに身を隠したのではないだろうか。
「お話だけでも聞いてはいただけませんか。寅の日に祭りを予定していたことは、事前にふれ回っていたはずです。それに大きな式典を重ねてくるのは、あまりに不誠実ではありませんか」
「この里は人間のものだ。妖怪に気がねする必要がどこにあろう」
「それは、元人間である私にも当てはまると?」
「そうだ。そも妖精なんぞ連れ回す輩に、まともな者などおるとはとうてい思えん」
 隣のクラウンピースが眉を寄せるのが見えた。白蓮は素早くその両肩を抑え込む。
「これは妖怪に対する利敵行為と捉えてもらってもいっこうに構わん。儂はかねがね、妖怪に養われるが如き今の人里のありかたが気に入らなんだ。無論壁一枚で妖怪を完全に隔てられるとは思うとらんが、人の心は確実に変わっていくだろう」
「例えそれが、取り返しのない軋轢を産んだとしてもですか?」
「承知の上だ」
 白蓮は、一段上から自分を凝視する材木屋主人の姿を見た。厄介な相手であると、確信する。
「聞き入れていただけないとあれば、仕方がありません。今日のところは引き下がりましょう。竣工式の無事をお祈り申し上げております」
「貴様らに言われるまでもない。おい、誰か塩を持って来い!」
 追い立てられて店を出る。結局、白蓮は最初から最後まで材木屋の畳を踏むことがなかった。塩の壺を手に現れた奉公人から逃げるようにクラウンピースの手を引く。松明の炎が、彼女の動きに合わせて大きく揺れた。
「気に入らねえやつだな、あいつ。言われ放題でいいのかい?」
「慣れてますよ。千年前から変わらぬ反応です。誠に独善で唯我独尊」
 あの調子では、ぬえたちが襲撃を思い立つのも無理はないとまで思えてくる。彼女らの振る舞いを許容できないことには変わりがないのだが。
 ぬえたちの事情を、正しく知らなければならないだろう。

 §

 その夜、白蓮は再び魔人経巻と向かい合った。
「よろしく魔人経巻。平家の歴史について、記録されていることを検索しなさい。可能なれば鵺退治の近辺に重きを置いて」
 幾何学模様が虹となった。白蓮の背後にはクラウンピースに加えて、一輪が控えている。
「それで、寅の縁日は予定通りに催されるのですか?」
「すでに多くのかたが、その予定に沿って動き始めています。もはやこちらの一方的な都合で延期するわけには参りません」
「それではいっそ、鵺さんがその材木商をやっつけてしまえばなにもかもうまくいくのでは」
「不謹慎ですよ、一輪」
 一輪は自分で自分の頭を小突いた。
「だけど指をくわえて見ているのも性に合いません。マミゾウさんに釘を刺されている手前、どう手を出したものか」
「あんまりぼんやりしてると、霊夢さんに退治されちゃうんじゃないの?」
「え?」
 白蓮、一輪がクラウンピースをいっせいに見る。
「だって人里で悪戯は絶対やっちゃ駄目って、霊夢さんにきつく言われたよ? そいつが里で騒ぎを起こしたら、やっぱり霊夢さんが出てくるんじゃないかなあ?」
「い、言われてみればそうですよね。そうなると命蓮寺の責任問題、ということになりますか」
 眉間を押さえる。
「あの察しのいいぬえが、そこまで気が回らないとはとても思えないのですが」
 白蓮はしばらくその姿勢のままで固まった。
 だが、切羽詰ったわけではなかった。
「そうですよね。そんなはずがありません。気が回らないなどと」
「え、どうしました?」
「霊夢さんを呼び出すことこそが、ぬえたちの目的だとしたら、どうかしら」
「えっ」
 魔人経巻はすでに検索を終え、机の上に幾何学模様を浮かび上がらせている。
「鵺退治のあったころは、武家が大きく躍進した時代でした」
 頼政のころは、源氏と平氏という二大氏族が従来の貴族を押しのけ勢力を広げる時代だった。しかし源氏の主だった武士は、鵺退治の直後に起こった二つの戦争により大半が戦死を遂げた。頼政はそんな中源氏で唯一生き残り、朝廷での位を上げていくことになる。
 それら全ては、鵺退治を機に始まった出世街道でもあった。
「ぬえは頼政公に、討たれるべくして討たれたのではないでしょうか。あくまで世相を鑑みた推測でしかありませんが。そしてぬえは、今回も同じことをしようとしています」
「じゃあ今回は、巫女の顔を立てるためにそんなことをやってると? 失礼ながら、鵺さんにそんな殊勝な心がけがあるとは思えないですね」
「ええ、私もそう思います」
 ひでえ言われようだな、というクラウンピースの声が聞こえた。
「いずれにせよ、あえて退治されることが目的だとすれば事情は変わってきます。相変わらずその事情が不明なことには変わりありませんが」
 そのとき、なにかの鳴き声が遠くから聞こえてきた。闇夜に紛れるような、ヒョーヒョーという不穏な鳴き声が。
「え」
 白蓮と一輪はいっせいに宿坊の外へと目を向けた。クラウンピースがぽつりと言葉を漏らす。
「鵺の鳴き声?」
「ご存知なのですか」
「霊夢さんから聞いたことがあるよ」
 白蓮は一輪に目配せをする。障子戸を開けると、雲山の手が二人に差し伸べられた。それに飛び乗り、上空へと向かう。下界を一望して、言葉を失った。
「なんと、ずいぶんと気が早いこと」
 黒雲が低く垂れ込めて、人里の灯りをかき消している。それは闇夜にあってなお暗かった。

 §

 その、少し前。材木屋主人の姿は製材置き場にあった。仕上げを終えた木材が、ずらりと埋め尽くしている。竣工式を間近に控えて、彼らが着々と取り揃えたものだ。
「旦那様、いよいよでございますね」
「うむ」
 付き添う番頭の言葉に、力強くうなずく。
「お前たちには、儂のわがままで苦労をかけてしまったな」
「とんでもねえ。旦那様の志はみんな知っておりますので」
 番頭ばかりではない。作業を終えた職人、製材の見張り番、その他奉公人に至るまでが目をギラギラと輝かせて主人に首肯している。
「幸い多くの賛同者が出資をしてくれて、ようやくここまでこぎつけた。いよいよ竣工式まで残り五日。みんな、最後まで気を引き締めてことにあたってくれ」
「もちろんでさぁ」
 奉公人たちの言葉に、主人は胸を張る。ついにときは来た。万全の対策を敷いても定期的に行方不明となる樵や仲買人。大切な人的財産が奪われるのはもうたくさんだ。この壁をもって人間の砦を築き、妖怪への宣戦布告とする。ゆくゆくは森にも橋頭堡を設け、妖怪に怯えずに済む暮らしを手に入れるのだ。
 そのとき、なにかの鳴き声が遠くから聞こえてきた。闇夜に紛れるような、ヒョーヒョーという不穏な鳴き声が。
「なんだ気味の悪い。こんな夜に、なんの鳥だ?」
「旦那様、あれを」
 奉公人の一人が空を指差す。星空がみるみるうちに黒雲で覆われた。そして雲の内側からは、断続的に不穏な鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「なんなんだあれは。妖怪か」
「畜生、店を襲うつもりか。どうすりゃいいんだ」
「みんな、うろたえるな!」
 店主が奉公人たちを一喝する。
「考えても見よ。ここは里中だ。こんな場所で公然と人を襲えば、妖怪滅ぼすべしの機運はますます高まるだけだ。みな下がっておれ」
「だ、旦那様」
 主人は強引に人払いをすると、上空に向けてよく通る声で、吠えた。
「さあ、儂は逃げも隠れもせん。殺せるものなら殺してみよ」
 しばらくヒョーヒョー言う鳴き声だけが、辺りに響き渡る。
「どうした、なにも手を出せんのか。臆病者め」
 黒雲が主人の挑発に乗ってくることはなかった。やがて雲は北東の方角へと流れ出し、元の星空が戻ってくる。様子を見ていた奉公人たちが、胸をなで下ろした。
「だ、大丈夫ですか旦那様」
「心配は要らん。この通り、五体満足だ。いかな妖怪とて、里の中にいれば手も足も出んわ」
「さすがは旦那様です」
 奉公人たちが、歓声とともに店主へと群がった。
 女中が一人、その輪から少し離れた場所にいる。二つお下げを結ったその女は、薄い笑みを浮かべたまま歓喜に沸く人の群れを眺めていた。

 §

 縁日まで四日となった、次の日の早朝。鼻息の荒い巫女が、命蓮寺まで文字通り飛んできた。
「見るからに鵺妖怪っぽいものが、人里に現れたって聞いてきたんだけど」
 霊夢はお祓い棒を畳に突き立てて、白蓮をにらむ。
「ご迷惑をおかけしております」
「あっさり認めるのね」
「あいにくぬえは今、家出中でして。やっていないと言い切れないのが、正直なところです」
「いや、そこははっきりしようか。保護者でしょ一応」
 白蓮は霊夢に、深々と頭を下げた。
「なるべく早くにぬえを捕まえて、潔白を示します。平にご容赦ください」
「頼んだわよ? あんたでもどうにもならないと言うのなら、私が調伏しに行かなくちゃならないわ。あんまり気が進まないのよ、今回に関しては」
「と、言うと?」
 霊夢は後頭部に手をやった。
「なんと言うか。わりとしょーもないオチになる予感がするのよ。これが茶番で済むのなら、それに越したことはないわ」
 そう言い残して、霊夢はひとまず帰っていった。入れ替わり水蜜が顔を出す。
「ぬえのやつ、どストレートに暴れてますね?」
「ここまであからさまに来るとは思いませんでした。マミゾウさんには申し訳ありませんが、これでは動かざるを得ません」
 白蓮はいったん深呼吸した。
「でも、それも含めてぬえたちの思惑通りに思えます。まるで手のひらの上で踊らされているかのようですね。まあ、今回に関してはあえて乗るのが賢明と思いますが」

 §

 一方、霊夢は博麗神社に戻る。石段の麓に降り立ち登っていくと、珍客があった。
 彼女は鳥居の前で、石段に座り込んでいた。霊夢の姿を見つけると、手をひらひらと振る。人差し指から小指まで、金ピカの指輪がはまっていた。よく見るとあうんを尻に敷いている。
「はぁい。久しぶり」
「またろくでもないのが来たわ」

 §

 一方の白蓮は法衣を身に着けると、クラウンピースを伴って人里に入った。
「どうやって鵺を探すんだい」
「現れるのは日が沈んでからでしょうね。時間がありますので、しばらく散策しましょうか」
 二人揃って人里の外縁を歩く。今も塀はあるにはある。しかし大人一人の高さにも届かず、身軽な者なら軽々飛び越えられてしまうだろう。空を飛べる妖怪なら、なおさらたやすい。
 加えて、中央から離れると塀はただの垣根に変わる。ところどころ壊れた場所もある。これでは不安に思う者も多いだろう。
 ふと、白蓮は路傍にたたずむ人影を見つける。つぎはぎだらけの服を着た老人である。杖に身を預けたまま、塀を眺めてため息をついている。
「どうかなさいましたか」
「塀を高くすると聞いてね。困っとるところですわ」
「なにか、不便になることでも?」
「見晴らしが悪くなります。なにより日が昇っても影の差す時間が長くなる。冬場は寒くなるし、洗濯物の乾きも悪くなるでしょう。それで、どうしようかとね」
「その件については、材木屋さんが仕切っていると聞きました。そのことを先方にお伝えしたほうがよろしいのでは」
「言いました、言いました。ですが、妖怪に怯えぬほうがよほどよかろう、日当たりが悪いのならば引っ越せばよいと言って、聞き入れてもらえんのです。そうそう簡単に引っ越すこともできませんし、もうどうしたものか」
「そう悲観したものではありませんよ。耐え忍べばよいところも見つかるかもしれません」
 白蓮はそう諭して老人と別れた。命蓮寺として彼にしてやれることは、そんなに多くない。
 少し歩いてから、振り返る。老人は未だ、塀を眺め続けていた。
「もう少し、歩きましょうか」

 §

 二人はそれからさらに、一刻ほど歩いた。道行く人から話を聞きながら。
「ねえ、いつまで続けんのさー」
「お疲れかしら。そうね、そろそろ休憩しましょうか」
 一件の茶屋に入り、軒先の長椅子で一息ついた。湯呑みを傾けていると、通りの向こうから見慣れた影が歩み寄ってきた。
「おや、誰かと思えば。こんなところで会うとは奇縁じゃのう」
「ええ、まったく。白々しいにもほどがありますね」
 マミゾウはけたけた笑うと、クラウンピースと反対側に腰かけた。
「今日はなにごとかい。遊行でも思い出したかえ」
 と、煙管で白蓮の足元を指し示す。土ぼこりが貼りついて、ブーツを茶色く汚していた。
「少々、みなさんの話を聞いて回っておりました。霊夢さんはあなたがたが材木屋さんを襲う理由を、ご存知なのですか?」
「あやつは恐ろしく勘がいいからのう。なんも言わんでもきっと伝わったであろうよ」
「それは本来の意図も含めて、という意味ででしょうか?」
「言っとることの意味をわかりかねるのう」
 マミゾウは煙管を吹かして、笑いながら白蓮を見ている。
「人里のみなさんは、全てが全て材木屋さんの計画を歓迎しているわけではなかったのですね。景観が損なわれ、日照が損なわれ、なにより四方を覆われることによる閉塞感が、みなさんの心を暗くしてしまうことでしょう」
「材木屋も、それを支持しとる連中も、壁を間近に見んで済む里の中心地に住んでおる」
 間髪を入れずに、白蓮の言葉を継ぐ。
「ゆえに連中は材木屋のきれいなお題目ばかりを信じ、副作用のほうに気がついておらなんだ。当の材木屋本人も賞賛に気をよくして、功罪の罪を見ようとしておらぬ」
「もう一つ。この事業には、膨大な量の材木を必要とします。森を切り崩して、治水にも悪い影響を与えかねないほどの」
「さすれば、先日のような嵐が起こるたびに川は溢れる。壁の外にあぶれた田畑はすべからく水浸しとなろう。人里の食糧事情は逼迫し、やつらはやつらのしでかしたことに対する手痛いしっぺ返しを受けることになるのう」
 白蓮はマミゾウを見返す。
「ときが経てば、弊害に気がつくかたも増えることでしょう。それをどうして、妖怪の襲撃という形でご破算にしようとなさるのですか」
「人間同士でいがみ合う原因となる程度の知恵なぞ身につけてもらわんほうが、儂らにとってはよほど都合がいいということよ。そんなものよりも儂らが率先して汚れ役を引き受ければ、連中も儂らに対する恐怖を思い出すことができよう」
「それはどこまでが、あの子の言葉なのでしょうか?」
 マミゾウは白蓮から視線を外した。往来には様々な人間が行き交っている。
「あんたはどこまでだと思うかね? それとも、どこまであやつを信じるかと言うべきか」
「そうですね。間近でのあの子だけを見ていたら、信じがたかったと思います。悪戯が好きで、頻繁に行方をくらまして。そんなあの子が、そこまで見越して材木屋さんを襲うのだとしたら」
 白蓮は今一度、湯呑みを傾けてから言った。
「まるで里を、都を守るかのようではありませんか」

 §

 日が傾くころ。霊夢はお祓い棒に退魔の護符、封魔の針など一式抱えて人里に踏み込んだ。
「あんたまで、着いてこなくてもよかったのよ? あんたの本分は神社の守護なんだから」
「ええ、そうなんですけど。あいつに太刀打ちできなかった負い目もありますので」
 あうんが霊夢の背後につき従い、巻き毛をいじる。
「ま、邪魔にならないように見ていなさい。あんたの出番、今回はなさそうだし」
「そんな、ひどい」
「それだけイージーレベルだ、という意味で言ったのよ」
 そんなことを言っている間に、材木屋へとたどり着いた。外にあうんを待たせ暖簾を潜ると、一人の女中と玄関で目が合う。彼女はほんの一瞬だけ薄笑いを見せた。
「旦那様ぁ、巫女様がいらっしゃいました」
 この野郎。という言葉を飲み込み、主人が店先に現れるのを待った。
「ふん。妖怪巫女のお出ましか」
「会うなりご挨拶だわ」
「用件はわかっておるぞ。あの黒雲を祓うつもりであろう? だが配慮は要らんぞ。あやつは昨日も襲ってくることはせず、店の上を泳いでるばかりだったからのう」
 霊夢はいやな気配を感じ取った。周囲の空気、主人の態度が、全力で彼女の存在を否定している。視界を広げると、奉公人たちが時おりにやけた顔をこちらに向けるのが見えた。
 正直、凶悪な妖怪よりも、濃密な弾幕よりも、おぞましく思える。
「たかだか一回、襲われなかっただけじゃない。妖怪をなめてかかると、ひどい目に遭うわ」
「心配は要らんよ。ちゃんと対策は打ってあるからのう」
 霊夢は主人の反応に言葉を詰まらせた。自身が来る前に、誰かしらの入れ知恵でもあったか。それにしては店内が雑然としており、普段以上に身構えているとは思いがたい。
 対策とやらの仔細について問いただすのは、面倒だった。
「とにかく、例の黒雲が現れるまで近くに詰めさせてもらうから。邪魔はしないでね」
「するわけがなかろう。おい、巫女をお送りしなさい」
 先ほどの女中が、楚々と霊夢の傍らについた。髪を二つお下げに結ったその女の正体には、とうの昔に察しがついている。霊夢は女苑に、小さく耳打ちした。
「誰も彼も気が大きくなってるわね。あんたの仕業かしら」
「私は財布の紐は緩くできるけど、その程度よー。店主の自信にみんな引っ張られてるだけ」
「まあ、そういうことにしておくけど」
 霊夢は外に出ると、再びあうんを連れ適当な路地に身を潜めた。すでに逢魔時は過ぎている。時おり足早に通り過ぎる人影はあった。しかしその中に白蓮はいない。
「あいつはどこに行ったのかしら? このままぬえが出てきたら、遠慮なく退治してしまうわ」

 §

 一方の白蓮は、すでに茶屋を出ていた。しかし彼女は、材木屋から少し離れた通りを巡っていた。時おり日の沈んだ方角に腕を伸ばすような仕草を見せながら。
「おい、夜になったぞ。材木屋のほうに行かなくてもいいのかい?」
 と、クラウンピースからも声がかかる。
「そちらには恐らく霊夢さんが向かっているでしょう。私が出向くまでもありません」
「いいの、それで? 鵺が退治されちゃうよ?」
「でしょうね。ぬえが単純にそちらへ向かったのであれば」
 クラウンピースは、眉を顰めた。白蓮はもう一度夕日の方角を確かめる。
「昨夜材木屋さんに現れたのは、あくまでただの黒雲ということです。ぬえではありませんし、頭が猿、胴体が狸、足が虎で尾が蛇の怪物ですらない」
 通りをさえぎる建屋の向こうに手をかざす。
「妖怪なら誰しも、ただただ上空を出歩いて退治されるような愚など犯したがらないでしょう。増してぬえもマミゾウさんも、人を騙すことに長けた術の使い手でもある」
 一瞬、空の星が陰って見えた。闇夜に紛れて、どす黒い煙のようなものが家屋の向こうから立ち上っているのが見える。
「北東の方角。間違いなさそうね。行きましょうか」
「いいのかい、あそこで」
 白蓮はゆっくりと歩き出した。
「あくまでぬえを捕まえることが目的ですので」

 §

 霊夢は星空を見上げると、自身の肩を抱いた。
「さすがに彼岸を越えると、夜は寒くなるわね。早く終わらせて帰りたいものだわ」
 横から竹筒が差し出される。
「霊夢さん、どうぞ」
「ん、ありがと」
 あうんから竹筒を受け取ると、水を少し口に含んだ。それからしばらくして、北東の空からヒョーヒョーという鳴き声がした。
「どうやらお出ましですね」
「空気読んでくれたのかしら。ありがたいわね」
 護符を探して、袂を漁る。すると、材木屋に変化が生じた。ガラリガラリと窓が開け放たれ、奉公人たちが次々に顔を出した。梯子をかけて屋根によじ登るものまでいる。
 霊夢がそれを見上げていると、彼らは手にした鍋やら柄杓やらをガンガン打ち鳴らし始めた。
「来るなら来てみろ、妖怪め!」
「俺たちはどんなに脅してもひるまんぞ!」
 お祭り騒ぎが、鳥の鳴き声を完全にかき消す。霊夢はその光景を見上げ、額に手を当てる。
「これが? あいつらの言う対策? あんなことやったって、追い払えないわよ」
 視線を持ち上げる。なるべく馬鹿騒ぎを目の中に入れないように。現れた黒雲は依然として、材木屋の上空を漂っている。
 次いで、周囲を見回した。白蓮が出てくる様子はない。
「もう、仕方がないわね。行くわよ、あうん」
「了解です!」
 あうんが立て膝をついて両手の拳を合わせる。霊夢はそれを踏み台に、上空へと飛び出した。あうんがそれに続くと二体へと分身し、一対の狛犬となって黒雲の左右へ回り込む。
 霊夢が黒雲に向けて、護符を投げる。それらは目標を違わず飛び、全てが黒雲の中に消えた。ヒョーという鳴き声がより甲高く響く。
 あうんが左右から弾幕で逃げ道をふさぎ、霊夢が針を投げつける。悲鳴とともに黒雲が晴れ、なにかの影が姿を現した。すかさずお祓い棒を振りかざし、叩きつける。
 影にはもはや逃げるすべもない。それはヒィーという鳴き声とともに、材木屋の前へ落ちた。霊夢とあうんは、空中からそれを見下ろす。
「ずいぶんと、あっけなかったですね?」
「ええ、手応えがなさすぎるわ。もはやベリーイージーレベルね」
 奉公人たちが、店先に次々と現れた。彼らは落下物を見て、声を上げる。
「なんだ、この大猿は」
「いや、虎だろう」
「蛇にしか見えないが」
 奉公人たち同士の話が噛み合わない。霊夢はそれを、無表情で見下ろした。
「あいつら、何言ってんのかしら。まあ、タネがわかってなければそう見えるのかもだけれど」
 霊夢に見えているのは、なんのことはない。藁を束ねて作った、精霊馬みたいな物体だった。
「あれは人形に正体不明のタネをつけただけの影武者じゃない。だから気が進まなかったのよ」
「ええ、それじゃ陽動ってことじゃ」
 あうんが口走った瞬間、下界の騒ぎに新たな変化が生じた。店内から小走りに女中が、女苑が出てきて声高に叫んだ。
「大変です。誰か、大変です。材木が、材木に虫が」
 店主が人だかりの中から顔を出す。
「なんだと? 損害はどれほどだ」
「食われかたが尋常ではありません」
 資材置き場のほうから、悲鳴が聞こえてきた。見張り役らしき男たちが、腰を抜かしている。
 そこへ他の奉公人が駆けていく。たちまち怒号が飛び交い始めた。
 角材と呼ぶにはあまりにもおこがましいものが、並んでいるのが見える。
 霊夢のところに、店主の怒声が聞こえてきた。
「なんだ、なんだこれは。見回りはなにをしていた」
「三刻ほど前に製材を運び込んだ際には、異常ありませんでした」
「馬鹿な。そんな時間でこれほどの穴を開ける虫などあってたまるか」
 資材置き場はあっと言う間に大混乱となった。その隅っこで、女苑が霊夢のほうを見上げている。彼女は陰ながらピースサインを送っていた。
 霊夢は空いたほうの手で、頭をかいた。
「あうん、帰るわよ」
「え、でも。あちらのほうは見ていかなくても?」
「いいのよ。巫女など要らないって言ったのは、あいつらなんだから」
 霊夢は通りに降りていく。あうんはしきりに資材置き場と、材木屋の前とを交互に見やった。
「うーん、あれは」
「早くしなさい、あうん」
 あうんも一体に戻ると、霊夢の背中を追いかけていった。

 §

 一人の少女が、路地裏の闇に紛れている。
 彼女はなにをするでもなく、塀にもたれかかったまま星空を見上げていた。
 そこに、うごめく何者かが現れる。彼女はその場でしゃがみ込むと、それを手繰り寄せた。それは少女の腕を伝い登って、気配を消した。
「もう、襲撃ごっこはやらなくてよろしいですか?」
「よく隠れ場所まで探り当てられたね」
 クラウンピースの松明が、白蓮と、隠れていたぬえの姿を照らし出した。
「丑寅の方角、材木屋さんにとっての鬼門に、的を絞ってありましたから。もう材木屋さんを襲わなくても大丈夫なのですか?」
「ええ、目くらましの役はもうおしまい。あとはマミゾウと女苑がうまくやるでしょうよ」
「目くらまし?」
「材木屋の上で暴れ回るのは、本命から目を逸らせるためのまやかしだったってこと」
 ぬえの話によると、悪戯の準備は数週間前から始まっていた。材木屋と提携している木樵や仲買人の中に、マミゾウの手下を忍び込ませた。その上で木材として使い物にならない原木や間伐材に正体不明のタネを仕込み、材木屋に売りつけた。
「あとは連中が頭の上に気を取られてる隙に正体不明のタネを解放すれば、一瞬にして材木が腐り果てる謎の手品が完成というわけよ」
「竣工式まで待っても、別によかったのでは?」
「それだと無関係な大工や左官などにも迷惑がかかることになるからねえ。それに、命蓮寺にとっても竣工式が潰れてくれたほうが都合よかったでしょう?」
「それは結果的にそうなった、という話じゃないですか。さて」
 魔人経巻を片手に掲げる。
「あなたが材木屋さん以外の人間のこと、寺のことをきちんと考えていることはわかりました。ですが、やっていいことと悪いことがあります。嘘をつき、人を騙すこと。まさに不妄語戒に反すること。相応の罰を受けてもらいます。それとも、もう一度追いかけっこをしますか?」
 ぬえが少しあとじさった。
「先日の体当たりは油断しており、けっこう痛かったので。今度は本気で追いかけますね?」
「まあ、待った。もう逃げる理由もなくなったし、甘んじて受けるって」
 白蓮は歩み寄って、ぬえの手を取る。
「逃げ出すほどのことだったのかしら?」
「マミゾウにはこっちから振った話だったし。義理は果たさないと。それからね、次に尾けるときはもう少し慎重にやったほうがいいと思う」
 ぬえの手を引きかけたところで、立ち止まった。
「いつから気づいてたのです?」
「最初からよ? 具体的には『げんこつ』で疫病神と落ち合って打ち合わせしてたときから。マミゾウも疫病神も、気づいてたんじゃないかなぁ」
 白蓮は息を吐き出す。一輪はともかく、ナズーリンの尾行にも気がついていたというのか。
「あの子たちに、どんな落ち度が?」
「いつもよりも鼠の足音がうるさかった。加えて風の流れを無視して動く雲。私はナズ公ほどじゃないけれど、探し物は得意なんだよ。自前の使い魔はいっぱいいるし、耳もいいからね」
 と、ぬえは空いた手を耳朶のうしろに当てて、兎めかしてひょこひょこ振った。
 白蓮はしばらく、ぬえを眺める。本人が目を丸くして白蓮を見上げるくらいの時間をかけて。
「行かないの?」
「鼠に兎。寺から逃げ出すときは牛と馬。嵐へ無謀に突進していくのは犬か猪か」
「なんの話よ」
 ようやく白蓮は路地の出口に目を向けた。
「あなたの姓は封獣だけれど、いろいろな獣の顔をのぞかせるのですね。あの鵺の怪物、猿と狸と虎と蛇を合わせた獣のように。どれが本当のあなたなのです?」
「わかんないよ。だって私、正体不明だもの」
 二人は路地の出口に向けて歩き出す。クラウンピースは無言で、そのうしろに続いた。

 §

 縁日まで、あと三日になった。
 白蓮が寺を外している間も星の主導で準備は進んでいた。この日になると河童たちが機材をリュックいっぱいに持ち込んで、境内で屋台の設営準備を始める。
「事前に申し合わせた位置をはみ出さないよう、準備をお願いしますね。参拝の導線をふさぐわけにはいきませんので」
「先刻承知さ。さぁ同胞、とっとと取り掛かるぞ」
 金属パイプを組み合わせる音が、境内を満たす。その喧騒の中、にとりはふと中央の広場に目をやった。見慣れない組み合わせの二人組が、その場に進み出るところだった。
 片や、命蓮寺の住職。片や、寺の不良鵺妖怪。いずれも祭りの準備とはまるで異なる空気を放っている。それはにとりがしばしば体感するものと同じだった。
 瞬間、にとりは後ろ手を作業する河童たちに向けて伸ばした。
「みんな、作業中断だ。事情はわからんが、面白いことになりそうだぞ」
「どうした、同胞?」
 河童たちは、にとりの差す方向をいっせいに見る。住職と鵺が広場で向き合うところだった。
「ほう、弾幕ごっこか。こんな白昼堂々とやるのは珍しいな」
「しかも滅多に見られん組み合わせじゃないか。これを見逃すのは大損だな」
 にとりは仲間たちに笑顔を見せた。
「観戦を許可する。流れ弾が自分と屋台に当たらないよう気をつけろ。それから誰かカメラを持って来ているのはいるか?」

 §

 そんな周囲の騒ぎは、向かい合う当の二人の耳にまで届いていないようだった。
「なるほど体を調べるっていうのは、結局こういうことになるのね。いつもの弾幕ごっこで、どんなことがわかるというのやら」
「考えなしにやってると思ってません?」
「うん、ぶっちゃけ」
 白蓮が咳払いをする。
「極限状況下における身のこなしを見れば、体にどんな強みがあるか、あるいは弱みがあるかなど、わかることがいろいろとあるのです。それを理解する最も簡単な方法が、普段から慣れ親しんだ弾幕ごっこだというだけですよ。相手のことを観察するのに、最も適した瞬間です」
「なるほど、一見理にかなっているように聞こえる。聞こえるけれども、聖自ら弾幕る必要はないじゃない。本当にそんなんで、私の正体がわかるというの?」
「わからなければ、仕方がありません。その際はもっと込み入った検査をすることになります」
 魔人経巻が広がり、幾何学模様が宙を踊る。
「よってこの弾幕ごっこに、手抜きは許されません。本気でかかってこないと、より痛い目を見ることになりますよ?」
「なるほど、それは確かにヤバそうだね。それじゃあ、わりと本気を出すとしよう。十枚」
 周囲がざわつく。十枚ものスペルカードは、一人の対戦者が出せる数としては最多である。
「こちらはスペルカードを使用しません。勝つことが目的ではありませんので」
「真面目にやらないと怪我するよ? その上で、全部破ってもらわないと」
「承知の上です」
 二人は同時に上空へ跳んだ。
「じゃ、始めるよ。スペルカード宣言、妖雲『平安のダーククラウド』」
 ぬえの姿が暗闇に包まれる。境内の石畳からぬえの影が消えるほどの密度である。そこから白蓮に向けて、雨のようなレーザー光が打ち出された。
「意外とイージーな弾幕だな」
「大物ほど、ああいう弾幕を最初に見せるのさ。相手の力量を測るためにな」
 河童たちの解説が、下界から聞こえる。事実白蓮は、難なくレーザーの隙間に潜り込んだ。そのままするすると黒雲の中へ潜っていく。なにをする気だ、と河童たちが色めき立った。
「昨日から、うすうす思っていたのですが」
 黒雲の中から、ぬえが顔をのぞかせる。
「なんなの、いったい。弾幕中よ?」
「これらの雲は、いかなる原理で生み出されているのですか。まるで羊の毛のような。そも、なにがが雲を黒く染めているのか」
「深く考えたことはないね!」
 ぬえの手に、三叉の槍が現れた。なお近づこうとする白蓮に向けて、素早く二突き。白蓮は素手でそれらを受け流し、距離を取る。
「タイムオーバーまで逃げ切るつもり? やらせないよ」
 密度を高めたレーザーが新たに放たれる。その一条が、白蓮をかすめた。
 服の脇腹辺りが、きれいに裂けているのが見えた。
「今のは、少々迂闊でした」
「初っ端から被弾じゃ、先が思いやられるよ?」
 黒雲が晴れる。代わってぬえの周りに赤い円盤が現れる。二枚目のスペルカード、正体不明「忿怒のレッドUFO襲来」。
 円盤がぬえの周りを巡りながら、白蓮目掛けて弾丸を放つ。白蓮は目の前に漂ってきたその一つにチョップを叩きつけた。百五十、という謎の数字を残して、消える。
「また一つ、聞きたいんですけど」
「慌ただしいな。今度はなによ?」
 白蓮が動いた。残像を残すほどの動きで円盤の一つに近づくと、槍じみた飛び蹴りを見舞う。それを踏み台にして次の円盤へ、また次の円盤へと繰り返し、一秒を待たず円盤が全て落ちた。
「あなたの弾幕は、近代の都市伝説を題材としたものが多いですね? そこで疑問に思ったのですが、題材にする前はどうだったのですか?」
「意味わかんない。もっと具体的にお願い」
「空飛ぶ円盤が広く知れ渡る前から、あなたは同じ弾幕を使っていたわけではないでしょう?」
「そりゃあ、ねえ」
 新たな円盤がぬえの周りに現れる。次の瞬間、白蓮はぬえの目の前にいた。
「ちょ」
 白蓮の水平チョップが、ぬえの体を円盤ごと薙ぎ払う。さらに彼女の右手に現れた独鈷から光が伸びて、剣の形を形成した。追い討ちの斬撃と、ぬえの槍とがぶつかり合う。
 二人は互いに飛び退いた。ぬえが脇腹を押さえて、顔を歪める。
「これで、おあいこかしら?」
「こんにゃろう」
 三枚目、鵺符「鵺的スネークショー」を宣言する。いっせいに放たれたレーザーがとぐろを巻き、うねり、白蓮へと押し寄せた。白蓮は蛇と蛇の隙間から動かず、ぬえを見据える。
「例えばあなたが好んで使うこのスペルカード。くねる蛇を模した弾幕は近代においても生理的恐怖を与えるものとして通用するので、あなたは蛇のまま使い続けているのでしょう?」
 四枚目、正体不明「哀愁のブルーUFO襲来」。青い円盤が現れて、四方八方にレーザーをまき散らした。白蓮はレーザー同士の隙間を見切り、入り込む。
「UFOの弾幕はそうではありませんよね? これは現代の都市伝説を、弾幕に取り入れたに過ぎません。元は別の姿を模していたと思うのですが。例えば群れ集う凶鳥のような」
「そもそも、弾幕決闘協定に沿った弾幕を出すようになったのはつい最近よ?」
 五枚目、鵺符「弾幕キメラ」。再びぬえが放射状にレーザーを放つ。それらは白蓮の左右で連なる弾丸に変化すると、彼女を挟み込んだ。あぎとに捕らえるように。
 右へ左へと動いて、弾幕の隙間に潜り込む。白蓮はなお、論説を止めなかった。
「それでもあなたには、スペルカードの素となり得る弾幕があったはずです。いかなる弾幕にも属さない、このキメラと称した弾幕のような」
「推理すんのはあとでよくない? あんまり要らん考えを巡らせてると、怪我じゃ済まないよ」
 六枚目、正体不明「義心のグリーンUFO襲来」。ぬえの背後に緑色の円盤が並ぶ。隊列を組んだ円盤の斉射レーザーが白蓮を襲った。白蓮の手にした独鈷が、再び剣の形を取る。
「もちろん、弾幕に集中した上で推論を巡らせておりますよ。例えば、あなた自身は動かない弾幕が多いことなど、ちゃんと見ていますから」
 独鈷を投げる。うなりを上げて飛んだそれはぬえのすぐ脇を通り過ぎて、円盤の一つを貫通しそのまま彼方へと飛んでいった。
 ぬえの額から、一筋の血が伝って落ちる。
「殺す気かっ!」
「本気を出さないと怪我で済まないのは、お互い様です」
「なら、望み通りに動いてあげよう!」
 七枚目、鵺符「アンディファインドダークネス」。ぬえの姿は、再び黒雲に包まれた。その黒雲が、白蓮に殺到する。
「こちらに向かってきては、目くらましの意味がないのでは?」
「試してご覧!」
 黒雲の突撃を横っ跳びにかわす。通り過ぎたあとに現れたのは、無数の光弾だった。
「これは」
 さらに大きく跳んで、迫る光弾も避ける。この弾幕の真の狙いはこれということなのだろう。現れたぬえのほうを、もう一度見る。
「猪突猛進に見えて計算ずくで敵を狩る様は犬狼のよう。あなたのスペルカードは『鵺符』を冠するものほど、あなた自身の本質を表しているように見えますね」
「冷静に解説してる場合なの」
 再び、ぬえの姿は黒雲の中に沈む。対する白蓮は新たな独鈷を取り出し、再び剣を作り出す。そのまま動かず、突撃する黒雲を迎え撃った。光弾が何発かかすめていったが、動じない。
「なっ」
 ぬえが目の色を変える。振り下ろされてきた光剣を槍の柄で受け止めた。鍔迫り合いになる。
「あなた自身の視界をふさぐのはいささか難があるのでは?」
「抜かせっ」
 躊躇なく白蓮の腹を蹴りつける。しかし白蓮もひるまない。突き出される槍の穂先を、剣で逸らして切りかかった。そこへ赤く刺々しいぬえの翼が打ち出される。
 三度距離を取った二人が、各々の得物を構えた。
「さあ、もっとしっかり見せて?」
「弾幕ごっこの意味をわかってんのかなあ?」
 八枚目、正体不明「恐怖のレインボーUFO襲来」。激しく明滅を繰り返す円盤の編隊が、弾幕を雨霰と降らせる。
 二人はその雨の中で、激しい打ち合いを始めた。

 §

 河童たちが水の皮膜を張って、降り注ぐ弾丸を食い止めている。
「こら、屋台まで被害が来てんぞ! もう少し抑えろ!」
「いやぁ、あれは聞こえてませんね。二人とも、かなり熱が入ってきています」
 星が手をかざして、戦況を見守る。
 かたや白蓮、手数と力で押し切ろうとしている。
 かたやぬえ、長物の不利を足技と翼を用いた攻撃で補い、白蓮に抗う。
 にとりはその様子を双眼鏡で眺めながら、独りごちるように言った。
「鵺妖怪もまあ、よくあのバトル僧侶の肉弾戦に付き合えるな?」
「そりゃあ、聖が連なる門徒を差し置いて組手の相手に指名するのは、あの子だけですからね」
「そんなに!?」
 にとりの隣で、星が口を真一文字に結んでうなずく。
「一輪も船長も、聖の胆力、瞬発力にはとうてい及びません。普通に打ち負けてしまいます。そんな聖と互角に打ち合えるのは、ぬえただ一人です」
「どんだけなんだよ、あいつは。伝え聞く限りじゃ、ものを正体不明にするしか能がないって聞いてたのにさ」
「それは誤った認識ですね。ときとしてあの子の戦いは、私にもなにかを思い出させます」
 にとりは見た。星の手にした宝塔が、小刻みに震える様子を。
「ずっと昔に捨て去ったはずの、野生を」

 §

 白蓮とぬえの打ち合いは、それからさらにしばらく続いた。しかし円盤からの射撃も擁するぬえのほうが、手数で次第に白蓮を上回り始める。
「やはりあなたの戦いかたは、とても洗練されていますね。この寺にいる誰よりも」
「こんな状況でよく無駄口を叩ける!」
 突き込まれた独鈷の剣を、一寸に満たない距離で避けた。そのまま転がるように背後をとり、白蓮の首に槍の柄を渡す。
 白蓮はその柄をとっさに掴み取った。首筋に食い込み、喉を完全に潰すすぐ手前で。
 白蓮の腕力と、ぬえの全体重を乗せた力とが、拮抗する。
「あなた自身の特徴を活かすため、多少の亜流は混ざっています。しかしこれは紛れもなく、武術の一種です。能力を持たない、人間の戦いかたです。いったい誰に教わったのですか」
「教わってなんかない。ただの猿真似よ、こんなものは」
 白蓮は瞬間的に両腕へ全力を籠めた。首に食い込んだ槍を力ずくで引っこ抜き、放り投げる。ぬえの体が、前方に飛んでいき、弾幕の雨の中へと消えた。
 不意に、降り注ぐ弾丸が止んだ。その代わりに継ぎ目のないレーザー光が、白蓮を取り囲む。九枚目のスペルカード「平安京の悪夢」。
「逃げるのはなしですよ?」
『安心して。力を溜めてるだけだから』
 ぬえの声がどこかから聞こえた。同時にレーザーがキメラ弾幕へと変じ、白蓮に迫る。
「平安京で思い出しましたが、昨日の黒雲」
 白蓮は左右から詰め寄る弾丸をすり抜けた。
「あなたは頼政公の鵺退治のときも、離れた場所から黒雲を操っていたのですか?」
『聖はどう思う?』
 天上、地上からも弾幕が迫る。その合間を縫って、円盤が新たな光線を撃ち放った。
「もしもその通りであれば、あなたは頼政公に退治されなかったことになる。しかし鵺退治を境に、異変はなくなったのでしょう。これの意味するところはなにか?」
 レーザーの檻が上下左右を取り囲み、白蓮を閉じ込める。
「考えられるのは、鵺退治が作られた妖怪討伐であったということです。あなたと、頼政公が共謀することによって」
 キメラ弾幕はより密度を増して、白蓮を押し潰そうとする。
「あなたは都の上空に黒雲を飛ばせることで騒ぎを起こし、頼政公にそれを射ち落とさせた。自作自演の討伐劇で、頼政公に手柄を上げさせるために。いったい頼政公とあなたとの間には、どのような関係があったのかしら」
『最後のスペルカードを破ることができたら、教えてあげるよ』
 最後の弾幕をすり抜ける。瞬間、弾幕も円盤も全てが消え失せた。白蓮より少し高い空中に、ぬえがたたずんでいる。
「最後は『頼政の弓』ですね。さっきの推測が正しければ、あなたは頼政公を恨んでいないということになりますが。あなたは、どうして」
「おしゃべりはそこまで。ちゃんと避けなよ」
 ぬえが三叉槍を立て、翼を広げる。十枚目のスペルカード、恨弓「源三位頼政の弓」の体勢。羽、槍からおびただしい数の矢が放たれ、上空を舞った。
「頼政公が射た鏑矢はたった一発。なのにあなたの弾幕は、だいぶ性質の異なるものですね」
 矢は上空で放物線を描く。落下の最中に小さな矢弾へと別れ、最大密度の弾幕となった。
「なのに、あなたの『頼政の弓』は大量の矢が雨のように降り注ぐ。伝聞とはいえ、あまりに違いすぎると思うのですが」
 ぬえは答えなかった。矢を放つのに集中しているのか、祈るような姿勢のまま動かない。
「なるほど、質問の猶予はもはやないようです」
 独鈷の剣を振り回し、頭上の矢弾を叩き落とした。そしてそのままじりじりと距離を詰める。
 野次馬河童たちが口々に囃し立てた。
「住職はあくまで接近戦で決着をつけるつもりか」
「根っからの肉弾系だな。おまけにスペルカードも使わんときた」
 切り損ねた矢弾が二発三発と体をかすっていく。しかし白蓮は進撃を止めなかった。ぬえもまた槍を握りしめ、矢弾の密度を上げる。
 その場にいた誰もが、決着の瞬間を予測した。この弾幕ごっこは、一撃で決まる、と。
 そしてそれは、現実となった。
 白蓮の姿が、消えた。同時に、ぬえの体が大きく弾き飛ばされる。無数の弾幕を問答無用でグレイズし、居合じみた独鈷剣の一撃が全てを薙ぎ払った。
 白蓮の姿が、ぬえのいた場所のすぐうしろに現れた。剣を手に残心する。
「これでへぶっ」
 観衆が凍りつく。白蓮の首が大きく傾いた。そしてそのままゆっくりと境内に落ちてきた。ぬえが撃ち放った残りの矢弾とともに。
 境内に、重いものが立て続けに落ちるドサリドサリという音が鳴る。
 にとりは口を半開きにして、石畳に突き立つ二体の屍を眺めた。
「し、締まらんラストになったな」
「引き分けですかね、これは」
 星が二人を助け起こすべく、歩み出た。

 §

 ぬえは顔の下半分を湯船に沈めた。浴槽で体を丸めたまま、洗い場の白蓮を見る。
「この構図、少し前にもあった気がするね?」
「単純な巡り合わせでは」
 と、白蓮は体についた泥を洗い落とした。
「なんつーか、聖。あんたアホでしょ」
「失敬な」
「弾幕ごっこ中に問答始めるような真似しなけりゃ、楽に勝てたでしょうに。質問があるなら、あとでまとめてやりゃいいじゃないのよ」
「先ほども言いましたが、勝つことがあの弾幕ごっこの目的ではありませんでしたから。最後は少々欲目を出してしまい、失敗しましたが」
「そこまでして、あの女神さんの宿題を解きたいかい? 新参の私がいなくなったところで、あんたには大して痛手にはならんでしょうに」
「寺にいた時間など、私にとっては瑣末な問題です」
 盥に湯をすくい取り、肩口から流した。体の起伏を、湯の雫が伝い落ちる。
「あのかたが声をかけたのが誰であれ、私は同じようにしていたと思います。星でも一輪でも船長でも、例えば女苑があの場に残っていたとしても」
「単純だねえ。少なくともあいつはもっと不可解だったってのに」
 白蓮は手ぬぐいを操る手を止めた。
「あいつ、とは」
「会ったのは下総だった。根を食み草を食み、野の獣と大して変わらない生きかたをしながら、流れ流れてたどり着いた東の最果てで、あいつに出くわしたの」
 ぬえは白蓮を見ようともせず、独り言のように訥々と話した。白蓮は止めた手を再び動かし始めると、ぬえがしゃべるに任せることにした。
「今も思えば、おかしな男だったよ。もう家督を継いで妻も子もいるくせに、自分の手で私の世話を焼いた。人並みの食事人並みの衣服をもらい、戯れに武芸百般を教わり、私はようやく妖怪たる己を見つけたんだ。だから私はあいつに恩を返したくなって、郎党の一人として都に上ったときに、正体不明のタネを都に舞わせてあいつに射らせた」
 ゴツン、と浴槽に羽のぶつかる音がした。
「あとは、聖もだいたい知ってるだろうけれども。あいつは弓もうまかったけど、それ以上に歌詠むのと世渡りがうまかったのよね。従三位までなるのに、それなりに汚い手も使ったし。だからきっとまあ、地獄に落ちたんだと思う。宇治で死に別れて、以来それっきり」
「今でも会いたいと思っていますか? そのかたと」
「会いたい、というか。千年近くも未練を残すなんて、ちゃんちゃらおかしな話だわ。ただ、一つ聞いてみたいことはあったかな。できた、というか」
 ちゃぷん、と水音。
「あいつなんで妖怪の私に目をかけてくれたのか、未だによくわかんないのよ。物心つかないうちに首の一つも取っときゃ、誉れにできたかもしれないってのにさ。そのころの私は思慮も浅かったから、それをおかしいなんて思いもしなかったわ」
 以降の言葉はゴボゴボ言って、うまく聞き取れなかった。
「お行儀が悪いわ。のぼせないうちに早く上がりなさい。それと」
 白蓮はぬえを見る。
「上がったら大事なお話があります。もう少し、付き合って頂戴」

 §

 二人は新しい服に袖を通した。揃って宿坊の一室に入る。そこにクラウンピースも呼んだ。
 白蓮は二人の前で、魔人経巻を開く。
「まずはあなたの思い違いを正しましょう。弾幕ごっこ中に問答することには、大きな意味があります。あなたと私のやり取りは、全て記録されているのですよ。この魔人経巻によって」
「その巻物、そんな便利なの!?」
「一千年の研鑽が詰まっていると言ったでしょう? これに加えてこれまでのあなたの行動、人里でのあなたの振る舞いなどを総合して、あなたの正体を推理してみることにしましょう。よろしく魔人経巻、先ほどの弾幕ごっこの記録を見せて」
 流れる幾何学模様に手を伝わせる。
「はあ、なるほど。羊に蛇に犬に猿に。あら星がそんなことを。じゃあ、虎も入りましょうか」
「いったい、なんなの。私らには読めないんだから、一人で完結しないでもらえる?」
「あら、失礼」
 幾何学模様の流れを手でさえぎって、止める。
「あなたの行動を見て実際に弾幕を交えてみて、はっきりしたことがあります。あなたの能力には、複数の動物の特性が混ざっているように見えるのです」
「私は正体不明だからね。そういう風に見えることもあるだろう」
「正体不明になったことはあくまでも結果であると、私は考えています。よろしく魔人経巻、キマイラについて記録されていることを教えて」
 クラウンピースがかすかにうなる。魔人経巻の幾何学模様が少し流れた。
「広義におけるキマイラとは、複数の動物の特性を持つ生き物のことを指します。そしてその語源は、希臘にいた同名の怪物に由来する。その怪物もやはり、獅子の頭、山羊の胴体、蛇の尾を持っていました。地獄の女神様も、あなたを東洋のキマイラと呼びました。これがなにを意味するかわかりますか?」
「だいたいわかってきたけれど、あまり納得はいってないな。鵺の怪物は人間がそういう風に認識して、虎だの猿だの言ってるだけだよ。私自身がキマイラってわけじゃない」
「キマイラが生み出したものもまたキマイラとなる。そういうことだと思います。違いますか、クラウンピースさん?」
 クラウンピースは一瞬声を上げかけたところで、そっぽを向いた。
「ひとまずぬえが、複数の動物のキマイラであると仮定して話を進めます。あなたがどうしてそのように生まれたのか。具体的にはあなたの親が誰なのか、という話です」
「親、ねえ。そんなものが本当にいるのかどうかも、よくわからないや」
「生まれについては、覚えがないのですよね?」
「物心ついたときの話は、さっきしたよね? 残念ながらオギャアと泣いたときのことまでは覚えていないよ。そこんとこは人間とおんなじ」
 白蓮はうなずいて、魔人経巻を指で流す。
「あなたの行動に垣間見える動物の特性を挙げてみましょう。大量に使役し、またもの探しに長けるところは鼠に似るところがあります。体格に見合わぬ体の頑健さは牛に、瞬間的な戦闘能力の高さは虎に、聴力の鋭さと瞬発力の高さは兎に」
「全部挙げる前に、質問いいかな」
 ぬえが手を挙げた。
「今挙げた動物、そしてその順番。作為があるように思えるんだけど。子丑寅卯ときたよね」
「その通り、十二支の獣です。残りは蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪、狐、狸」
「ずいぶんと欲張ったね? かなりこじつけくさい動物もいるけれど。でも、なんかおかしかないかい? 特に最後の二つ」
「鵺の怪物にはなぜかこの二獣が混ざっているのですよね。確かに狐狸の化け術は、あなたの力にも通じているところがありますし。しかしこの組み合わせにはもう一つ、不自然なところがあります。十二支の獣から抜けているものが、一体だけいる」
「龍、ね」
「その通り。治水を司り、ときに災厄すらもたらす龍の特性。それだけはどうしても、あなたの中から見いだすことができませんでした」
「そうか、だから、私は」
 ぬえはうつむき、もごもごと言葉にならないつぶやきを漏らす。白蓮の脳裏には先日の記憶、ぬえが嵐の中に飛び出したときのことが思い描かれていただろうか。
「いったいどこの誰が、そんなキマイラを作ろうとしたんだろうね? 私のことだけれど」
 ぬえの手が、スカートの裾を握りしめるのが見える。白蓮はその様子を見て、押し黙った。
「続けてよ、聖」
「ここから先の推理は、あなたにとっても辛いものになるかもしれません。それでも、自分の正体を知りたいと願いますか?」
「聖の推理が大当たりだとして、見ず知らずの女神から聞かされるよりかは、ずっといい」
 ぬえの瞳が、白蓮の顔を射すくめた。
「では、話しましょう。十三もの獣。しかもそのうち十一は十二支の獣、すなわち霊獣です。これらの獣が、偶然に一つに合わさるとは考えがたい。何者かが、なんらかの意図をもって、十三の獣を合わせたとしか思えないのです」
「どこの誰が、そんなふざけたものを作ろうとしたのかな」
「まずは、あなたの記憶をたどってみましょう。あなたが下総にたどり着くよりもさらに前、あなたはどこで、なにをしていましたか」
「物心つくよりも、さらに前のことを思い出せと言うんだね。なかなか難儀だよ」
「お手伝いできることは、あまりありません。小さい手がかりでも構いませんから」
 ぬえは腕を組んだ。片方の手を眉間に当てて、目を閉じる。
「思い出せるのは、私が逃げてたってことだけ。暗い山の中を泥だらけになって、なにかからひたすらに逃げ続けてたんだ」
「どこから、なにから、逃げていたのでしょうか」
 ぬえの顔に皺が増えていく。
「私は、暗い部屋の中にいた。私のほかに何人かいた」
「それは、どんなかたたちですか」
「思い出せない。そいつらは、手に刃物みたいなものを持っていた。なにかをわめきながら、そいつを振り回してた、ような気がする。見ているうちに、逃げなきゃ、って思った」
 ぬえの言葉は徐々に浮つき、白蓮もクラウンピースも視界に映してないように見えた。
「ぬえ?」
「ああ、駄目だ駄目だ、それを私に向けるな。殺すつもりなんだろう私を。あいつらみたいに。あいつらと同じように私をゴミのように屠るつもりなんだ。止めろ、こっちに来るな」
 様子がおかしい。自失状態に陥っている。白蓮はすぐさま身を乗り出し、ぬえの体を支える。
 焼けた鉄芯を持ったかのような衝撃が、白蓮の両手に走った。
「ぬえ!?」

 §

 寅の日の縁日まで、あと二日になった。
 水蜜は日課の聖輦船、と言うか本堂のメンテナンスを終えると、宿坊の一室へと向かった。極力足音を立てずに近づき、障子戸の向こうに声をかける。
「入って大丈夫ですか、聖様」
「大丈夫ですよ。今は落ち着いているみたいですし」
 障子を静かにずらす。そこには魔人経巻を膝に乗せて座る白蓮、壁にもたれて寝息を立てるクラウンピース、布団の上に横になったぬえがいた。ぬえの額には、濡れ布巾が乗っている。
「まさかぬえが知恵熱を出すとは。こんなの旧地獄にいたころでもありませんでしたよ」
「だけど体以上に、心に大きな傷を与えてしまいました。結論を急ぎすぎた私の責任ね」
「あまり気負わないで。こいつ無駄に頑丈ですから、すぐに回復しますよ」
 そのとき、ぬえが身じろぎをした。額から手ぬぐいがずり落ちる。白蓮がそれを支えた。
「うーん、どうして」
「大丈夫ですか、ぬえ」
「どうしてなの、頼政。なんであんたは、私を」
 ぬえは依然としてうなされている。白蓮は、そんな彼女の寝相を正してやった。水蜜が憔悴したぬえを見下ろす。
「こいつ今、頼政って」
「夜通しこんな調子です。可哀想に。夢の中でまで出ない答を追いかけ続けるなんて」
「出ない答、とは」
「ぬえの正体ですよ。恐らく頼政公は、知っていたのでしょうね。その上でぬえに近づいた」
「聖様は、どうなんです。ぬえの正体について見当はついているのですか」
「まだ完全には。しかし本人がこの状態では、答えを出すのは難しいわね」
 そこへ新しい影が、障子戸の向こうに現れる。隙間がわずかに開いて、一輪が顔を出した。
「姐さん、一大事です。龍神像の予報が出ました。明日、嵐が来ます!」

 §

 境内に出てみると、河童たちが慌ただしく働いている様子が見えた。彼女らは揃って、昨日建てていたはずの屋台を解体している。にとりが白蓮に、声をかけてきた。
「よー住職、話は聞いているかい? 悪いがいったん店を畳ませてもらう。嵐の長さによっては明後日まで響くかもしれないからね」
「外れる、ということはあり得ないのですか?」
「そりゃ龍神像の予測も三割は外れる。だがあれを見て大事を取る人間は多い。人里に降りてみなよ。もうどこもかしこも嵐への備えを始めていて、とても祭に精を出せる状態じゃないよ」
「そうですか」
 強い雨風は、命蓮寺の立地上影響が大きい。あまり風が強くなると転落の危険があるので、閉山の案内を出さなければならない。
「あんたらも、自分とこの心配したほうがいいね。祭までに嵐が止むかもしれないし。戸締りをちゃんとしておかなんだら、嵐が過ぎても祭どころじゃなくなるよ?」
「そうですね、気をつけましょう。そちらもご自愛ください」
 手を振ってにとりと別れる。そこへ一輪が、声をかけてきた。
「我々はどうしますか。中止か順延が妥当と見ますが」
「参拝者が見込めないのであれば、開催価値は薄いと思います。残念ですが」
「待って」
 三人目の声が、白蓮の言葉をさえぎった。白蓮が血相を変えて振り返る。
 声の正体は、ぬえであった。未だ寝間着姿、顔色は青白い。肩を水蜜に預け、千鳥足という体たらくである。白蓮が駆け寄り、ぬえの腕を支える。
「まだ寝ていないと駄目じゃないですか」
「目が冴えちゃったのよ、あんまり外が騒がしいから。それより、私は中止も延期も反対」
「なにを言うのですか。意地を張ったところで誰も来なければ無意味ですよ」
 ぬえは白蓮の腕をつかみ返した。
「ここで縁日中止したら、神社連中の思う壺よ。引くべくして引いた貧乏くじなんだから」
「どういうことです?」
「聖はあいつら、主に山の神さんに、都合よく誘導されてたってこと。山の神さんは巫女が、アホみたいに鋭い直感持ちなのを知ってたはずだもの。あいつは巫女の横槍が入ることを見越して、あえて私らと同じ開催日を希望したんだよ」
 一輪と水蜜が顔を見合わせた。
「そんな馬鹿なことが」
「いや心外だね。まったくもって、心外だ」
 白蓮たちはいっせいに、声の方向へ振り向いた。蛙みたいな目玉のついた市女笠。諏訪子が腕組みして踏ん反り返っている。その隣で、早苗が白蓮に頭を下げた。
「仮に嵐の来る時期がわかってたとして、その日を避けて希望を出せばよかっただけのこと。わざわざ住職の希望日にかぶせる必要もないわね」
「巫女の口出しを見越してたんじゃないの?」
「下衆の勘繰りもいいとこだわ。下賤の妖怪は疑り深くていけない」
 ぬえはなおも諏訪子に噛み付こうとしたが、それを白蓮が止めた。
「それより、本日はどのようなご用で?」
「いやね。嵐が近いと神奈子から聞いたから、ここの地盤の様子を見にね。万が一土砂崩れを起こそうものなら、私の沽券に関わるから」
「なるほど」
 理解できない理由ではない。命蓮寺建立の際にこの場所の地固めをしたのが、坤の力を操る諏訪子であった。嵐は前にも来たのになぜ今回に限って、という疑問は残れども。
「なにか私どもで、お手伝いできることはありますか?」
「心配は要らない。こちらも手勢を連れてきた」
 地面が何箇所かで、突然隆起を始める。それは長く伸びると、白い蛇の姿になった。しかしその目、その口腔は血のように赤い。
 一輪が、水蜜が、河童たちが一様に腰を抜かした。
「では調査に入るよ。地響きがするかもだけど、破壊につながるものではないから安心してね」
 諏訪子の姿が、地中に消える。水の中へと飛び込むように。顔を出した白蛇、ミシャグジ様たちもそれを追うように姿を消した。一輪、村紗が恐る恐る体を起こす。
「さすがは古代からブイブイ言わしてた祟り神だわ。すごい迫力」
「あんなんにビビってるようじゃ、私らもまだまだだね」
 地中から、ゴウンゴウンという音が聞こえてきた。白蓮はそれを無言で見下ろす。
「恐怖をもって信仰される神というのもいるのですね。やはり妖怪と大差ないように思えます」
「その力を人のために役立てているからこそ、神様なのです。妖怪と一緒にされては困ります」
 と、早苗が胸を張る。
「話は変わりますが、人里の材木屋さんご存知です? 現実主義的で、私苦手なんですけど」
「ええ、話には聞いております。里に大きな壁を建てるつもりだとか」
「そうなんですよ、私も信者様から聞きまして。なんと竣工式を、明後日やる予定だったとか」
 よく知りすぎてる話だったが、白蓮はあえて口には出さなかった。
「だった、とは?」
「明日の嵐もありますが、無期延期となったそうですよ。妖怪の襲撃で、仕入れた材木が甚大な被害をこうむってしまったとか。里中で大胆なことをする妖怪もいたものです」
「そうなのですか。どなたがやったかは存じあげませんが、さぞや恨みを買っているでしょう」
「いえ、それが逆なのだそうです」
 白蓮は、首を傾げた。
「事件のあと、壁の建設に反対する里人のみなさんが、材木屋さんに大勢押しかけたそうです。みなさんが口々に壁のデメリットを訴えたことで、さすがの材木屋さんも間違いに気がついたようでして。みなさんに頭を下げて計画の見直しをすることになったとか」
「まあ、そんなことが」
 脇腹に衝撃を感じた。ぬえが満面の笑みで、白蓮を見上げている。
「それで、その材木屋さんは?」
「ええ、今回の被害は怪我の功名と取ることにして、あえて店を襲った妖怪の行方を追わないことにしたとか。里人のみなさんは、むしろ妖怪に感謝してるくらいですからね」
 蛙の市女笠が、顔をのぞかせた。
「早苗、無駄話はおしまいだよ。だいたいわかったからね」
「あら、お早い」
 諏訪子は完全に姿を現し、白蓮に言う。
「地質に瑕疵はない。向こう百年は、多少の雨風で崩れる心配はないでしょう」
「そうですか。わざわざご足労様でした」
「だけど、地上に出てる部分についちゃその限りではない。せいぜい元気な妖怪どもを使って、寺を守らせることだよ。少なくとも明日は下手に縁日の準備などしないほうがいい」
 そう言い残して、諏訪子は早苗とともに帰っていった。ぬえは舌を出してその背中を見送る。
 二人の姿が正門の向こうに見えなくなったところで、白蓮はつぶやいた。
「突然来て、あんなことまで話して。守谷さんは、犯人が誰だか気づいていたのかしら?」
「気づいていたとしても大目に見ると、そういうことでしょうよ。本当に壁ができていたなら、神社にとってもいろいろ不都合があるからね」
 白蓮はぬえを見る。
「あなたはそこまで見越して、あの襲撃を思いついたのですか?」
「多少は色気もあったかもね。人間に感謝されるまでは予想外だけれど」
「本当に?」
「え、どうして?」
 白蓮はしばらくの間、ぬえを眺めた。どんな生き物にも当てはめられない、非対称の翼を。
 唇を噛みしめて、周囲を見回す。一輪と水蜜が、白蓮たちの様子を見守るのが見えた。
「一輪、船長。みなさんに伝えてください。嵐に備え本堂、宿坊の戸締りを強化するようにと。そして、縁日を決行すると」
「はい、わかりまし」「た?」
 一輪と水蜜は、いったん顔を見合わせた。
「あの、今なんて? 特に二つ目のほう」
「言葉通りの意味ですよ。決行すると言ったのです」
「河童は屋台を畳んでますし、来場者も見込めませんよ」
「承知の上です。私も修行が足りないわね。少し、挑発に乗ってみたくなってしまいました」
 二人が揃って瞬きした。ただ一人、ぬえが口の端を吊り上げている。
「私のわがままに巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。ただし今回だけは、ぬえの言う通りにしてみようと思います」
 一輪も水蜜も、両手を挙げる。
「私ら、姐さんの決定には従いますよ。それに今回のことは、姐さんが謝ることじゃない」
「そうそう。私たちが、ぬえのわがままにつき合わされてるだけ」
「肝心なところは私のせいにするつもりかい、お前ら」
 ぬえはそう答えながらも、笑顔を崩さなかった。
「屋台が開かない以上、催し物はあんたが考えるのよ」
「外したときは、今後の勤行をきちんとこなしていただきますので」
 ぬえは迫る一輪と水蜜に対し、胸を張る。
「任しといて。未だかつてない正体不明の縁日を見せたげるわ」
「集客のこととかも、きちんと考えろよ?」

 §

 そして縁日の前日。命蓮寺の境内では、縁日の準備が進んでいた。屋台には軒並みシートがかかり、建物の多くに打ち板をするという有様で。
 案の定、参拝者はまばらだった。昼前からは雲がどんどん分厚くなって、また時おり強い風が幟を巻き上げるようにもなった。昼過ぎからは雨も降り始め、境内の敷石を薄く濡らした。
 にとりは仲間の大半を、水害対策のため玄武の沢に返した。自身は残った仲間数人とともに、畳んだ屋台を見回っていた。軒並み防水シートで厳重に覆ってある。
「順延とかでもなく、決行とはな。さすがに正気を疑うよ」
「ねえ、同胞。あれ、なにしてんのかわかるか?」
「さてな。宗教屋のまじないかなんかじゃないの?」
 にとりは仲間の指すほうを侮蔑的な目で眺める。先ほどから境内を水蜜が歩き回り、柄杓で水をまいていた。雨も相まってほうぼうに水たまりができているにも関わらず。
 さらに風上のほうには、薄桃色の入道雲が湧き立っているのが見える。それは徐々に、巨大かつ筋肉質な人間の形を取りつつあった。にとりが顔をしかめてそれを見上げる。
「正気か、あいつら。まさか嵐を止めるつもりじゃあるまいな?」
「あんたも手伝ってもいいのよ? 水害対策は河童の範疇でしょ」
 通りがかる水蜜から、声がかかった。にとりは頬を膨らませてむくれる。
「対策費いただくぞ。嵐に突っ込んでく馬鹿は対象外だから、特別料金になる」
 水蜜は口の片方を持ち上げて、笑った。

 §

 正門を再び閉めて、数人がかりでかんぬきをかける。重い扉が風に揺られてゴトゴト鳴った。
 星は通用門から外に出て石段を見下ろす。この天気になってもなお、登ってくる者が何人か見えた。さらに風が強まったなら、何人か護衛をつけねばならないだろう。
「あの、寺はまだ開いてますか?」
「本堂を開けてありますので、中で雨露をしのいでください。もう少し経ったら風が収まるまで下山できなくなりますが、よろしいですね?」
 星はそんな天気にも関わらず、来客を受け入れた。こうしてやって来る者が、数分に一人か二人の間隔で現れる。閉山の通達は出していない。出してはいないが、この天気ではさすがに物好きが過ぎまいか。星は首を傾げずにはいられなかったが、それでも来る者は拒めない。
 再び下界を見る。外套に身を包んだ、見覚えのある人影が石段を登ってくるのが見えた。
「おや、二ッ岩さんもご参拝ですか?」
「なにやら面白そうなもんが見られる予感がしてのう」
 外套の頭巾をずらして、マミゾウが微笑む。
「出足はなかなか絶えませんよ。あなたのような好事家が、数多く訪れている」
「里のほうでも噂になっとるぞ。嵐の予報は出ておるというのに、中止の知らせがいっこうに回ってこん。しかも麓から見る寺は妙に明るく、なにごとか始めるのではないかとな」
「実のところ私もなにが始まるのか、きちんと聞かされてはいないのです」
「あれじゃろう? おおかたぬえがなにか企んどるか」
「どうしてそれを」
「あやつとは腐れ縁じゃからのう」
 マミゾウがクックッと含み笑いを漏らす。
「正体不明の仏事の顛末、拝ませていただくぞい。なにが出てくるか、今から楽しみじゃ」
「どうぞごゆっくり。あ、本堂での喫煙、飲酒はご遠慮願いますよ」
 マミゾウが通用門を通っていく。星は顔を歪めながら、その背中を眺めた。
「どこからああいう話を仕入れてくるのだろう?」
「あ、あの」
 新たな来客に気がついた。外套の下に、もっさりとした巻き毛が見える。
「おや狛犬の。今日はちょっと、手伝っていただくほどのことはないかなあ」
「ええ、今日は参拝者としてまかり越しまして」
 星はあうんを見下ろし、またたきする。
「とは言っても、本当になにもできない状態ですよ?」
「うーん、なんと言うか、ですね。狛犬の本能が告げるのです」
 あうんは腕を組んだ。
「守る者として、後学のため見ておかねばならないと思ったのです」
「守る者? はて、そんな催しがあるのかどうかも」
「ひとまず、お邪魔いたしますね。どこか境内を迷惑なく見渡せる場所で」
「あ、だったら本堂へどうぞ」
 星は通り過ぎるあうんを見送ると、空を見上げる。
「いったい誰が、なにを守ると?」
 喫緊、寺に迫る脅威というと、嵐くらいしか考えられない。それから寺を守る者といえば、嵐への対策を進める一輪や水蜜のことだろうか。
「それを言ったら、この場にいる全員がそうなのですが」

 §

 雨風は勢いを増し、荒波が境内を何度も横切っていく。
 ぬえはその中心にいた。白蓮が寄り添って、傘で雨風から彼女を守る。
「今回は、出向かなくてもよいのですか」
「向こうさんから来てくれてるからね。山の神さんが、様子を見に来るわけだよ。こんなの、百年に一度あるかどうかよ。あいつの気配が近づいてくるのを、ひしひしと感じるの」
 白蓮は傘の陰から上空を見た。厚い雲の向こう側に時おり真珠色の光がほとばしる。あの日ぬえと白蓮を打ちすえ、ほんの少しだけ姿を見せた龍の体に、よく似ていた。
「もう傘は要らないよ。あっても意味ないし、邪魔になるだけ。少し離れていてもらえる?」
「あまり無理はしないでね。あなたは病み上がりなのですから」
 白蓮が離れる。すぐさま雨風がぬえの服を濡らし、じっとりと肌に貼りつけた。その姿は、嵐を受けて立つ銅の裸身像じみていた。
「いい雨だね聖。頼政と最期に別れた宇治でも、こんな雨だった」
 振り向いた白蓮の目に、ぬえの歯が映る。
「降っていたのは、弓矢の雨だったけれどね」
 白蓮は目を細める。なるほど、だから恨弓。ぬえが向けた憎悪の先に、頼政はいなかった。
 本堂からは十数人の参拝者が顔を出し、境内に残ったぬえへ目を凝らしている。その中から、赤青緑のレインコートを着た頭の縦長い女が歩み出てクラウンピースとともに白蓮へ近づいた。
「来たわよ、住職」
「雨風の中、お疲れ様です」
「タルタロスの過酷に比べれば、こんなのただのそよ風よ。回答期限まであと一日あるけれど、東洋のキマイラの正体について考察は進んだかしら?」
「結論は見えました。しかしお約束の通り、それが正しいものであるか検証せねばなりません。だからこそ、ぬえの勝手を許したのです」
「魔術の徒に相応しい心がけだわ」
 境内を流れる雨水が、奇妙な挙動を帯び始めた。ぬえを取り囲むように弧を描いて、やがて津波の壁を作り出す。参拝者たちが大いにどよめいた。
「まずは答え合わせといきましょう。あなたの仮説を聞かせてもらえるかしら?」
「はい。ぬえの体は十二支の獣によって形作られています。十二支の獣とは一年を交代で守る霊獣ですが、同時に十二の方位を守る者でもあります。それらを全て合わせようとした理由は、たった一つしか考えつきません」
 へカーティアはそれを聞いて満足げにうなずく。
「キマイラもまた哀れな娘だったわ。テューポーンとエキドナの忌まわしき落とし子の一つ。だけどあの子もいっときは、ある国の王に飼われた守護獣だったの。あの子の体をなしていた獅子、山羊、蛇もまた春夏冬、四季を司っていた。だけど、一つだけ足りなかったのよ」
「ぬえもどうやら一つ足りません。代わりにあの子を作ったかたたちは、同じ神獣の格を持つ狐と狸を合わせようとしたようです」
「背徳の創造主の正体は、わかって?」
「間違いなく人間でしょう。しかも、かなり高位の。あの子の中には虎や羊など、この国にはいないはずの獣も含まれていますから。亜細亜諸国から帝への献上品を流用したものかと」
「そんな連中でも、どうしても手に入れられなかった獣が一匹いたということね」
「その通り。手に入るはずがありません。だって、彼らは」
 へカーティアが人差し指を立てる。
「愚かにも龍という荒ぶる聖獣を、あの子の一部として欲してしまった」
 白蓮は重々しく首肯した。
「彼らにとって、あの子は失敗作であったようです。恐らくは、殺されかけたのでしょうね。ぬえはそのころの記憶を思い出せないようですが、思い出したくないというのが正解でしょう」
「身勝手なものね。自分たちで作っておきながら」
「まったくです。結局のところ人間は、心の持ちようによって神と妖怪の線引きをしているに過ぎません。誰かが、あの子に、本来の役割を気づかせてあげなくては」
「あなたにそれが、できるのかしら? ヨリマサには無理だったようだけれど」
「誰かに教えてもらうものでは、意味がありませんからね。私たちの考察も、身勝手な憶測に過ぎません。それに縛りつけるのは、あの子を妖怪と決めつけた者と同じになってしまいます。だからこそ、頼政公もぬえにあの子の正体を伝えなかったのでしょう」
 白蓮が境内を見る。津波の壁の向こうで、ぬえはなお空を見上げていた。
「自ら、気づいてもらいましょう。あの子を欲した者たちの、本来の思いを」

 §

 水蜜が津波の壁に向けて柄杓を振るう。押し寄せる雨が逸れて、津波へと集まった。
「ぬえ! 水難事故をあんたから遠ざけるのにも限界があるわ。やるなら早くしな!」
「そう急かさないでよ、ムラサ」
 ぬえは空を見上げたまま、動かない。六本の羽を地上に突き立て、風に抗っている。
「荒ぶる龍神は、すぐそこまで迫ってきてる。やつに気づかれたら、そこでいっかんの終わり。決めるなら、一発で決めないとね」
「一発って。ここから?」
「そう、ここから」
 そのとき水蜜は、船の竜骨がきしむような異音を聞きつけた。ぬえの背中からである。柄杓を振り、走り回りながら、彼女は確かに見る。ぬえの翼が肥大化し、歪んでいく様子を。
 そんなん聞いてない。水蜜はその言葉を、口の中に押し込めた。
 赤い右翼の二本が組み合わさって、三日月型の板へと変わる。残る一本はぬえの背中に添い、なにかを乗せる台座となった。
 青い左翼は細く長く伸びて、右翼へと絡みついた。板、台座、弦が組み合わさって、ぬえの背中で一つの形をなす。水蜜はその姿を見て、口走っていた。
「クロスボウじゃねーか!」
「弾幕ごっこにゃ、とても使えたもんじゃないよね。装填に時間がかかりすぎる」
 三叉槍を取り出すと、一回転させる。それは回り終わるころに、ぬえの身長を超える鏑矢に姿を変えていた。背中に回し、弓につがえる。
「我こそは命蓮寺が封獣ぬえ! 寺を荒らさんとする龍神を鎮めてくれよう!」
 水蜜は本来の役割を忘れかけた。ぬえの体格を軽々と上回る大弓、しかも弩。しかし撃ったところで龍神に届くのか、そして当たるのか。
 空が一瞬明滅した。水蜜には、そのように見えた。遅れて、爆音が響く。
「雲山!?」
 轟音に混じって、一輪の悲鳴が聞こえてきた。雲山の体がゆっくり崩れ落ちるのが見える。
 風の勢いが増し、ぬえの体が大きくよろめいた。
「ちょっと、雲山がやられたよ! 撃つなら早く!」
「あっはっはっはっは!」
「なに笑ってんのさ!」
 背負った弩を抱え、大地を踏み締める。
「だって、楽しいじゃないの。あちらさんなんと、こっちが狙ってんのに気がついたのよ? いつもは歯牙にもかけないくせに!」
「いいから早くして! 私は水難は防げるけど、雷はちょっと」
 再び、雷鳴が境内を満たした。水蜜の体が、綿ぼこりのように吹っ飛ばされる。津波の形がとたんに崩れ、境内いっぱいに広がった。
「せっかちなやつめ」
 滝のような雨を受けながら弩の弦を引いていく。その間も雷光が蛇のように雲間でうねり、ぬえの姿をつけ狙っていた。
「ぬえ!」
 白蓮の声とともに、光り輝く物体がぬえの背後に突き立つ。直後に雷鳴が轟いて、境内へと突き立った独鈷を粉砕した。
「やはり龍神を射るなど、無理にもほどがあります。中断して逃げなさい!」
「そう言わないでよ、ここまできて。あともうちょっとで撃てるんだから」
 白蓮は歯噛みしてさらに独鈷を投げた。投げる端から雷撃が、無駄な足掻きを打ち砕く。
「闇雲に撃ったところで、当たりませんよ!」
「わかっちゃいるけど、やらずにはいられない!」
 最後の独鈷を投げた。砕かれた。
「ならば聞きなさい。本気で龍神を射たんと欲するのであれば、射るべき方角があるはずです。思い出しなさい、あなたに欠けたるものがなんなのか!」
 ぬえは瞳を輝かせ、白蓮を見た。
「辰の方角か!」
 雨水に脛まで浸かりながら、方向を変える。水蜜が柄杓を杖にして、ぬえの向きを見上げた。
「そんなんで本当に当たるの。まるで見当外れの方角じゃない!」
「いいの、これで! 全く外れる気がしなくなったわ!」
 ガチン、とぬえの背中で音がする。弩の巻き上げが終わった合図か。
 今や上空を覆う雷光は、龍神の怒りそのものであった。幾条もの怒れる龍が空を這いうねり、小癪な小獣を完膚無きまでに焼き払おうとしている。
 ぬえは弩を肩に担ぎ、裂けるほどに口を歪めた。
「南無八幡大菩薩!」

 §

 本堂に残った参拝者たちは、にとりは、マミゾウは、あうんは、へカーティアは、目の前に広がった光景に釘付けとなった。
 雷撃と負けず劣らずの爆音が鳴り渡る。同時に境内から、光り輝く矢が上空へと放たれた。
 それは一度明後日の方角へと飛んだように見えた。しかし強風が矢を煽り、軌跡が変わる。回りながら天に昇る様子は、光り輝く螺旋に見えた。
「すげえ」
 クラウンピースがそれだけ言って、松明を握りしめた。
「ちゃっかり教えてんじゃないのよ」
 へカーティアが苦笑いを浮かべた。
「守護神だ」
 あうんが口を半開きにして矢を見上げた。
 輝く螺旋は次第に小さくなって、雲の隙間へと消える。
 直後、昼間のような雷光が境内の全てをかき消した。
「わああああっ!」
 猛烈な突風が本堂にまで吹き込み、参拝者たちは悲鳴を上げてなぎ倒された。爆風に耐えるへカーティアの目には、小さく飛んでいく赤青の翼が見えた。それを矢よりも速く追いかけていく、小さな僧侶の姿も。
 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
 本堂に転がる参拝者たちは、みな一様に一つの声を聞いた。雷鳴ではない。風音でもない。雄叫びのようでもあり、悲鳴のようでもあるその声を。
 何秒か何十秒か、どれほど続いたのかも覚束ない。しかしそれが小さくなっていくにつれて、参拝者たちはあることに思い至った。
 本堂の中まで渦巻いていたはずの、風の圧力を感じない。身を起こして境内を見てみると、雨もいくぶん和らいだように思えた。
 そして彼らは、境内の中心にわだかまる光を見た。
「なんだ、あれ」
 雷光の一部が地上にとどまった。そう錯覚するような光だった。境内の庭石が小さくえぐれ上がり、光が瓦礫をほのかに照らし出す。
 にとりは屋台の影からそれを認めて、目の色を変えた。背負ったリュックからおびただしい数のマジックハンドを伸ばすと、河童たちの襟首をひっつかんで屋台を飛び越える。
「行くぞ、同胞。あれを回収する!」
「え、なんで、なんで?」
 にとりはマジックハンドの一本で光を差した。正確には、境内を穿った真珠色に輝く物体を。
「わからんか。あれは、紛れもなく龍の鱗! 膨大な妖力を秘めて、しかも金剛石よりも硬い究極の素材だ。手に入れりゃあらゆる研究が十年は進むぞ!」
 河童たちは顔を見合わせた。ことの重大さをすぐさま理解し、自分の足で走り出す。しかし河童の群れが鱗を取り囲もうとした瞬間、二つの影が立ちふさがった。
「あんたらの事情は知らないけれどねえ」
「あれはうちの境内に落ちたもの。しかも撃ち落としたのはぬえよ。少なくとも、あんたたちには所有権がないわ」
 一輪が金輪を、水蜜が錨を構える。にとりは二人に向けて、歯を見せて笑った。
「知るかボケぇ!」
 次の瞬間、スパナを振りかざして殴りかかっていった。ほかの河童たちもレンチやらバールのようなものやらを取り出し、二人に飛びかかる。
「屋台百回分の売り上げにも相当するお宝だ。どきやがれ!」
 水蜜が科学の亡者と化した河童どもに向けて、錨をぶん回した。
「それなら縁日千回分、お前ら全員出禁にするぞぉ!」
 参拝者たちは、口をあんぐり開けた。突如始まったすさまじく低レベルな殴り合いを、ただ呆然と見守るしかない。へカーティアが指を差して笑っている。
 しかし一輪、水蜜が二人なのに対し、河童側には五人ほどの手勢がいた。しかも二人とも、雷撃のダメージが抜けきっていない。
「くそっ、雲山! 馬鹿どもを止めて!」
 雲山が、本堂の向こうから這い出てくる。しかし雷の直撃は、雲の体にも多大なる損傷を与えていた。その動きは、あまりにも鈍い。
「おらおらっ、どけよ死に損ないめ!」
 にとりがブーツからバネを伸ばして、大きく飛び上がる。水蜜がその足をつかもうとするが、彼女の手は半寸だけ足らなかった。
 着地。一輪の手も振り払う。にとりは光る物体に、体ごと飛びついた。
「よっしゃあ! 龍の鱗、ゲットだぜえええ、え?」
 にとりは鱗を頭上に掲げたまま、凍りついた。彼女の横顔を、なにかの薄片が落ちていく。
 それははらはらと、にとりの両手からこぼれ落ちた。手に残った、わずかなそれらを見る。
「木の、葉、だと?」
「お前が先に死ねーっ!」
 水蜜の怒れる錨がにとりの後頭部に落ちた。にとりが白眼をむき、前のめりに倒れる。
 残る河童が凍りつく。一輪はそれを捨て置くと、にとりの手に残った木の葉を拾い上げた。
「マミゾウ親分の仕業だわ。まんまと化かされたわね」
「みなさん、大丈夫ですか?」
 風がわずかに吹き荒れる。白蓮が騒ぎの中へと降り立った。背中にはぬえを負ぶっている。
「なんですか、この様相は。なぜこんなときに喧嘩なんか」
「こいつらがだいたい悪いんです!」
 一輪は身振り手振りを交えて、龍の鱗を巡る一部始終を語って聞かせた。
「喧嘩両成敗」
「理不尽!」
 その上で白蓮が、一輪、水蜜、河童たちへ平等にチョップを分け与える。
 境内は頭を押さえうずくまる妖怪たちによる、死屍累々の惨状となった。白蓮はその中心で、石畳を穿ったクレーターを見下ろしため息をついた。
「まったくしょうがない狸です。抜け目がないと言いますか。あるいは」
 口元に手を当てて、龍の鱗が落ちた場所を眺める。
「最初からこうなることを予想して、やって来ていたということかしら」
「まあ、勘弁してあげて?」
 耳元でか細い声が聞こえた。白蓮はそんなぬえの頭を撫でる。
「あなたはマミゾウさんにずいぶん甘いのね。手柄を横取りされたというのに」
「あいつにも、あいつなりに事情があるんだろうしね。あとで、私から話をつけておくよ」
 白蓮は無言でぬえを背負い直した。宿坊に足を向けようとしたところ、里人たちが現れた。
「聖様、今のはなんだったのです」
「あの弓矢で、嵐がぴたっと止んだみたいですが」
「そうですねえ」
 改めてクレーターを見る。あの一撃が龍神の鱗を撃ち落とした。それは間違いない。しかし、問題の鱗はマミゾウが持ち去ってしまった。なんと説けば信じてくれるだろうか。
「縁日の催しものを増やそうよ、聖」
 再びぬえのささやきが、耳元で聞こえた。
「面白いことを思いついた。嵐の大損も、きっと取り返せるよ」

 §

 同時刻。一つの影が、人知れず命蓮寺の麓に降り立った。
「ふ、ふふふ、やりよったわい、ぬえのやつめ。よもや龍神に一撃を入れるとはのう」
 マミゾウは声を震わせて、懐を探った。真珠色の光がこぼれ落ちる。
「そいつを持っていって、どうするつもりだい?」
 マミゾウの動きが止まる。すぐ近くの地面が盛り上がって、市女笠の女が姿を現した。闇夜に映える諏訪子の顔は、途方もなく白い。
「この大嵐の日に、なぜあんたがここにおる」
「神社は早苗と神奈子が固めているから、安心だ。たまには神社の外にも出てみるもんだわ。博麗の神社で初めて会ったときから、なんかピーンと来ていたのよね、あの出来損ないには。そいつは狸にゃ過ぎた宝よ。こっちに渡してもらおうか」
「あんたの持ち物でもあるまいよ。それにこの鱗には、狸千匹にも匹敵する妖力が篭っておる。妖怪ならば誰しもが、一つは手にしておきたいものであろう」
「お前の場合は、それだけの理由ではあるまい」
 マミゾウは片眉を吊り上げた。
「私も神奈子も、中央の動向には大変ナイーブな時期があってね。いつ連中に攻め入られてもいいよう、国津神を密偵に差し向けていたものよ。そいつらが仕入れた噂の一つに、都守りの獣の話があった。お前が知らんはずがあるまい。んん? 鯨海の古狸よ」
「儂とて小耳に挟んだ程度よ。それがあやつと知ったのは、ずっとあとの話じゃ」
 ざり、と地面を擦る音がした。
「あの都は風水上完璧に設計された都だったけど、建って三百年もするとほころびも出てくる。そこで陰陽師どもが思いついたのが、都を守る新たな霊獣を自らの手で作り出すことだった。まあ愚かな試みもあったものよね。そいつをよしとしなかったのが、お前らだろう?」
「知らんな。儂の同胞は全国に山ほどおるゆえ。ただその中には狐どもと結託して同胞の皮を持ち寄り、龍の髭よと陰陽師連中を騙して売りつけた者がいたとしてもおかしくはないがのう」
「すっとぼけるなよ狸の頭領。お前は詰まるところ、あの出来損ないのエイリアンに鱗が渡るのを恐れているのだろう? 渡れば、あいつがなにに化けるかもしれないからね」
「あれは千年来の友人じゃからのう。得体の知れない化け物に変わっていくのは忍びない」
「だったらなおさら、お前が鱗を持ってる必要などないよね? こちらへ引き渡せ」
「ふん。いやだと言ったら、なんとする」
「愚問だなぁ。まっこと愚問」
 諏訪子の背後が盛り上がる。屹立したミシャグジ様たちは、闇夜にあってなお白く輝いた。
「小童に過ぎた玩具は、取り上げるのが道理でしょ。今は地の利がある。そして雨は我が領分。天の利も我に味方する。素直に引き渡したほうが、余計な怪我を負わずに済むよ」
「小童呼ばわりとは、ずいぶんこの二ッ岩も軽く見られたものよ」
 煙が湧き立ち、無数の狸たちがマミゾウの周囲に降り立った。
「ならば、儂は人の利をもって全力で抵抗しよう。我が軍団を甘く見ていると、怪我をするのはそちらということになるぞい」
 諏訪子が口を三日月にして笑う。その口腔はミシャグジ様と同様、血のように赤かった。
「面白い。追い詰められた狸がどう化けるのか、この私に見せてみよ」
「とっとと社に戻って、茶でもすすっておるがいいわい」
 暗闇の中、一柱の神と一人の妖怪による戦いが幕を開けた。
 その結果は宵闇と、未だ残る雨風とが覆い隠して、明るみになることはなかった。

 §

 縁日当日の命蓮寺は、石段の登り始めにまで及ぶ人の列で賑わっていた。
 行列のお目当ては、境内に設けられた天幕である。一輪が入り口に立ち、先頭を呼び寄せる。
「それでは次のかた、お入りください」
 天幕の中に、参拝者が入っていく。入れ替わりで前の者が中から現れた。行列待ちの一部が、出てきた者に尋ねかける。
「どうだった?」
「うん、ピカピカ白く光っててきれいだったね。なんとなく霊験あらたかな気がしたよ」
「いやいや、あれはギラギラという感じだった。それにあれは、赤色ではなかったか?」
 天幕の中を見た人間たちは、そんな言葉を交わしながら境内をあとにする。
 命蓮寺の妖怪が、荒ぶる龍神の鱗を射落とした。そんな噂は一日を待たず、人里へ広まった。ぬえの弓を間近で見た参拝者の声があったし、天を射る鏑矢の軌跡を里で見た者も多くいた。実際それを境に嵐が治まっている。その事実は荒唐無稽な噂を信じさせるのに十分だった。
 ごく一部の例外を除いて。
「だから、私らにも見せろよ。本当に龍の鱗を取り返したのか?」
「あんたたちを鱗に近づけたら、なにしでかすかわかんないでしょうが!」
 にとりたちが、水蜜と言い争っている。
「そもそも本当にあそこに龍の鱗があるってんなら、なんでわざわざ天幕で隠す必要がある? おおっぴらに見せびらかせばいいじゃないか」
「盗人対策! 途方もない価値があるものなんだから慎重になるのは当たり前! わかったら、さっさと屋台に戻りな。さもないと本当に出禁にするぞ!」
 境内の騒がしいのを、ぬえと星が本堂から眺めていた。参拝者の興味は、おおむね龍の鱗に向いている。せっかく開帳しているにも関わらず、本堂のほうは閑古鳥が鳴いていた。
「こんなことをやって、よかったのでしょうかね?」
「別にいいじゃないの。人間たちへの触れ込みは嘘じゃないし。嘘なのは、あそこにあるのがイミテーションだってところだけよ」
 マミゾウとともに消えた龍の鱗は、夜が明けても命蓮寺に戻らなかった。そこで星たちは、ぬえが発案した作戦をしぶしぶ受け入れることになった。それは龍の鱗が落ちた場所に瓦礫をそれらしく積み上げ、正体不明のタネをつけた上であれが龍の鱗でございとふれ回ること。
「噂が噂を呼んで大好評。イミテーションがばれてる気配もないし、寺にはいい話でしょ?」
 と、ぬえは胸を張る。しかし星の表情に笑顔はない。
「里人のみなさんに限っての話じゃないですか。正体不明のタネのタネをご存知のかたには、簡単にばれてしまうでしょう。そうとなれば、やましいことを企む御仁も出てきますよ」
 星は天幕に目を向けた。赤い服の巫女と青い服の巫女が、満面の笑みを浮かべながら一輪にすり寄っていく様子が見える。
「ま、いいんじゃない? 一日限りの公開ってことにしてあるし」
 それから一刻ほどして。霊夢と早苗によるありがたい破魔矢を売る屋台が、天幕のすぐ近くに出来上がった。一輪と水蜜は、再び不満を爆発させた河童の対応に追われることになった。

 §

 白蓮は境内の騒ぎを、へカーティアと並んで見ていた。
「なかなか面白いものを見せてもらったわ」
「一つ、確認させていただきたいことがあるのですが」
 へカーティアに視線を移す。地獄の女神は相変わらず三つの星を頭に抱えて悠然としていた。
「今回のこと。よもや昨日嵐が来ることをわかって、あのような試練を課したのでしょうか?」
「天気予報を見たのよ」
 視界のへカーティアが、わずかに傾いた。
「人間の技術も、進歩したものよねぇ。五日先にやってくる嵐の上陸ルートがわかるんだから」
 外には予知能力者でもいるのだろうか。白蓮はそんな面持ちでへカーティアの話を聞いた。
「さて置き、あなたはよく試練に立ち向かったわ。そして、あの子の霊獣としての一面を引き出すことにも成功した。おめでとう。今回のところはスカウトを諦めることにするわ」
「今回は、ですか」
「だって、あれだけのポテンシャルを内包した子ですもの。簡単に諦められるわけないでしょ。それにあなた、これからが大変よ? 人はわりと簡単に、受けた恩を忘れるものだもの」
 白蓮は表情を曇らせた。彼女は千年経った今でも忘れていない。彼女が妖怪たちを保護していると知ったとたんに手のひらを返した人間たちのことを。
「人間ってわりと薄情な生き物よね。自分が普段通りの生活を送れているのには、周りの人間、神や妖怪の尽力があってこそだというのに。増して龍を射った霊獣の話は今回こっきり。彼らが忘れてしまうのは、七十五日よりも早いでしょうね」
「そうなるでしょうね。残念ながら」
「だから霊獣への信仰が失われ、あの子が絶望に満たされたころを見計らって、またスカウトにうかがわせていただくわ。あなたはそのときが来ないように、信仰を稼ぐことね」
「ご忠告痛み入ります」
「では、あなたに女神の祝福を。今後とも精進しなさい、千年の魔女」
 へカーティアはその場を離れる。クラウンピースがその背中につき従うと、白蓮に一度振り向いて、手を振った。白蓮は頭を下げて、二人の姿を見送る。
 白蓮は一人になったところで、大きく息をついた。またしても大変な役割が増えてしまった。ぬえは自ら信仰を稼ぎに行くような性格ではないし。否、材木屋への襲撃は布教活動の一種と言えるだろうか? だとしても少々ひねくれすぎている。
「小じわが増えそうな顔をしているよ、聖」
 自分を呼ぶ声が聞こえて、我に帰った。つい先ほどまでへカーティアがいた場所に、寺守りの霊獣がいた。ぬえは近くの石段に腰かける。
「あなたは今も、女神様の誘いに応じたいと考えていますか?」
「断ってたろうね。少なくとも、今のところは」
「やはり今は、ですか」
「あいつから私の正体聞く必要なくなっちゃったしね。神さんの尖兵として働かされるのにも、耐えられるかどうかわかんないし」
「誰かの命令を聞くことも、ときには必要だと思いますけどね」
「それになにより、あっちの地獄には頼政はいないと思うから」
 白蓮は両眉を吊り上げ、ぬえを見た。彼女は白蓮を見上げて、笑っている。
「わかるのですか」
「地獄の広さは一辺二万由旬。底に落ちるまで、二千年はかかるという。だから今も頼政は、悲鳴を上げながら落ち続けてる真っ最中かもしれないねえ。あいつ意外と気が小さいのよ」
 ぬえはケラケラと一しきり笑った。
「だからあの女神でも、探して見つかる保証はないってこと。あいつの口ぶりで、なんとなくわかったもの。あっちに行っても見つからないなら、行く意味もないでしょうよ」
 そう言うと、彼女は膝を抱え、あの天幕でもない、境内の向こうに視線を舞わす。
「気長に待つよ。千年経っても頼政は還ってこなかった。もう千年待つくらい、わけもないわ」
 白蓮はそんなぬえの背中をしばらく見下ろすと、歩み寄った。ぬえの隣に腰かける。
「私も、頼政公を探すののお手伝いをさせてもらってもいいかしら?」
「聖が? いいの?」
 白蓮は微笑む。ああ、女神の試練など介さずとも気がつくべきだった。ぬえを、妖怪を理解するとは、結局そういうことなのだ、と。
「だから私にも、頼政公のことをもっと教えてもらえますか?」

 §

 それからしばらくして、命蓮寺の境内に小さな宝物堂ができた。
 龍の鱗を収めているという触れ込みで、説明の看板まで置いてあるこの宝物堂。当然中にはなにも入っていない。嵐からしばらくの間は、手を合わせにくる参拝客もいた。しかしそれも、新たな嵐が通り過ぎるにつれて途絶えていった。
 それでもときどき、宝物堂の周りを掃除する門徒がいる。彼女は丁寧に落ち葉を集め、柱の汚れをふき取り、屋根によじ登ると飄々と鼻歌を唄っていた。こんな言葉を口にしながら。
「さあ、早く戻って来なよ頼政。早くしないと見逃しちゃうぞ。ひひひ」
(あの地獄に頼政はいない 完)
もう少し押さえたかったのですがやっぱり長文投稿です、すみません。
関係ないけどマミぬえ女苑って噛み合うと凶悪なトリオになるよね。
「はぐれ命蓮寺」とでも命名しようか(身勝手

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コメント



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良かった、すごいねこれ
3.100サク_ウマ削除
素晴らしいですね。構成も考察も非常にしっかり組み立てられていると感じました。とても面白かったです。

駄目だめっちゃ書きたい>「はぐれ命蓮寺」
5.90名前が無い程度の能力削除
これは面白かった。
ただだが申し訳無いことに、主題であり一番見せ場があったぬえちょんより、まともに女神らしいヘカちゃんや龍の鱗を捜索しに来た諏訪子さまの方が渋くてかっこよかった
6.100名前が無い程度の能力削除
とても良かった
8.100名前が無い程度の能力削除
滅多に出会えないですよ。
ぬえのことがますます好きになるお話。
10.100終身削除
伏線とかの細部の作り込みがすごく印象的でした。登場人物がこんなにたくさん居たのにそれぞれに見せ場があってキャラが立っていて最高でした