Coolier - 新生・東方創想話

霜夜のぬくもり

2018/11/16 21:59:00
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 何処とも知れぬ森の奥。
 寒風《さむかぜ》に揺れる樹海の波をするすると抜けて、黒猫が妖しい屋敷の庭へと躍り出る。
 丁度、縁《えん》に出ていた九尾の狐は、嬉しそうに駆け寄って来る彼女を笑顔で迎えた。

「此処へ来るのが巧くなったね、橙」
「はい! 今日は三回しか間違えませんでした!」
「ほう。間違えた箇所は憶えているかい?」
「忘れました!」
「次からは記録を取りなさい。改めないと繰り返すからね」
「はい! 藍さま!」

 朗々たる返事が木霊する。
 橙ははっと何かを思い出した様にきょろきょろ辺りを見回し、口許を手で押さえた。

「大声ぐらいでお目覚めにはならないよ」

 藍が彼女の頭を帽子の上から撫でつつ言った。

「今日はまだ点検すべき所が残っている。全部済むまで、火に当たって待っていてくれるかい?」
「お手伝いしたいですッ」

 大きく手を挙げて主張する幼子のいじらしさに、彼女は忽ち絆されてしまった。

「それじゃあ、最後に一つだけ手伝ってもらおう。その時になったら喚ぶから、聞き逃さない様にしっかり待機していなさい」
「はいッ」

 返事の声は心做しか、先程までより控え目である。
 橙は音も無く屋敷に上がると、脱いだ靴を手に持ち、居間へ暖を取りに行った。
 喚ばれた時にはすぐに出て行ける様、靴を傍へ置いておこうというのである。
 藍は目を細めて微笑み、その小さな背中を見送った。



  ◆



「紫様がお目覚めになったら、今日のことをお伝えしなくてはならないね。橙の勤勉さを褒めていただかないと」

 夕餉も済んで暫く経った夜夜中。
 寝間着で床《とこ》に入った橙を感慨深げに見下ろしながら、藍が言う。
 自身も間も無く眠りに就くつもりらしく、隣に布団を並べている。
 嘗ては彼女の腕の中でばかり寝ていた橙であるが、近頃は少し遠慮して、こういう形を取る様になった。

「紫さまはいつお目覚めになるんですか?」

 矢庭に橙が尋ねると、藍は小さく笑って答えた。

「それは私にも判らない。……待ち遠しいかい?」
「そうでもないです」

 存外冷たい返答に、藍の面《おもて》が呆気を示す。
 橙は大きな瞳をちらりと逸らし、天井と壁の境目辺りを徒に眺めながら、今一度口を開いた。

「でも、藍さまは寂しいと思って」

 数秒の間、返る言葉は無く、ただ愛おしさを纏う視線だけが、しゅんと俯く黒い耳を見詰めていた。

「……私は平気さ。いつでも御側に居られるんだから」

 と、彼女は遙か遠くを見る目になり、彼方で春を――目覚めの時を待つ、亡霊の姫君へと思いを馳せた。

「だが、幽々子様はさぞ寂しがられていることだろう。寝息の一つも聞かれないのだから」

 それに肯んずるものは無かった。
 幼子は不満げな鼻声を布団にくぐもらせ、小さく体を丸めている。

「……でも、藍さまの方が紫さまのこと好きだと思います」
「そうかな」
「そうです」

 己に代わって悋気の念を燃やす橙のぐずった態度は、藍を少なからず困らせた。
 自身が受ける寵愛と、かの姫君が受ける愛慕とは、たとえそれが同じ行為によって示されたとしても、全く同じものではないのだと、それをこの幼子に伝える術が、彼女には判らなかったのである。

「だって、藍さまの方がずっと前から一緒にいるのに……」

 その時、彼女の脳裏に霜が降《お》り、冷たい記憶が描き出された。



――貴方は昔から、あのひとを慕っていたのでしょう?
――やめてくれ。
――私が居なくなっても、貴方が傍に居てくれる。ねえ、そうでしょう?
――違う……違う……。私は、貴方の代わりにはなれない……。



 自責を覚えた事は無い。己の為にされた事とも思っていない。
 しかし、微かに抱いた妬み嫉みを、それ故に魘された悪夢を、彼女は忘れられなかった。千年の時を経ても。
 刹那の内に霜は融け、小さな雫となって左右の眼から流れ出した。
 藍は自らそのことに気付かず、驚き、息を呑む橙の顔を通じて、ようやく己の様を知った。

「すまない。みっともないものを見せたね」

 涙を拭い、改めて見ると、橙は尚も驚愕の表情を浮かべたまま、じっと彼女を仰いでいた。
 正しくは、彼女の背後を。

「ッ……!?」

 尻尾の先まで凍ってしまいそうな程の酷い寒気に襲われ、彼女は即座に振り返ることが出来なかった。
 尤も、そうするまでもなく、その正体は知れていたのであるが。

「……煩いわよ、藍」

 ぞっとする程に冷ややかな、静かな声で主《あるじ》が言う。
 従者達は慌てて陳謝しようとしたが、橙が体を起こすより、そして藍が頭《こうべ》を垂れるより早く、紫の手が伸びた。

「申し訳御じぁ……!?」

 襟の後ろを掴まれ、引き倒された藍は懸命に藻掻くも、その手が放されることは無い。
 紫はそのまま彼女を引き摺り、自分の寝床へ帰ろうとしたが、その足が三つ音を立てたところで不意にぴたりと歩みを止めた。

「……貴方も一緒に寝る?」

 身を低くし、恐々と成り行きを見守っていた猫に、誘いの声が降り掛かる。
 橙は見るからにぎくりとして、冷や汗を掻きながら両目を右往左往させた。

「ああ、橙。伽の相手をしろという意味ではないからね?」

 苦しげに藍が言うと、彼女はほっと安堵の息を吐き、枕を抱いて立ち上がった。
 途端、紫の手が開き、藍の上体を畳へ――もとい、尾へ落とす。
 心配の音を上げる橙に、藍は笑顔で無事を伝え、己の枕を拾い上げた。

「私を何だと思っているのかしら」

 呪詛を垂れ流しつつ、再び歩き始めた主の背を、枕を抱えた獣らが追う。
 その夜、八雲の閨は、いつにも増して温かかった。

 
お久し振りです。お読みいただきまして誠にありがとうございます。

今回はかなり短めのお話になりました。
八雲一家と、ゆかゆゆらんを布教したい。します。よろしくお願い致します。
昭奈
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コメント



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2.80奇声を発する程度の能力削除
良かったです
5.90南条削除
面白かったです
嫉妬を隠しきれていない藍がよかったです
6.90名前が無い程度の能力削除
登場もせずに思い出だけでゆからんに干渉してくるとはさすがゆゆ様だぜ
橙が良いアクセントになってますね