Coolier - 新生・東方創想話

そんなリンゴに騙されて

2018/10/18 16:00:44
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「河童のウンコってのは、やっぱり水っぽいもんなのかね」鈴瑚が酒が不味くなる話を振った。「そこんとこ、どうなの?」

「河童のクソをいったいどうしたいってんだ?」河城にとりは飲みすぎて呂律が回っていなかった。「月の技術で核クソ爆弾でも作るっての?」

鈴瑚が爆笑したけれど、わたしには笑いどころが分からなかった。にとりも鈴瑚につられて笑った。兎と河童との距離は着実に縮まりつつある。わたしは一人で飲む気分で酒をあおった。

「胡瓜をアソコに突っ込んだ馬鹿野郎がいてな、なんつーか、イボの形が良かったんだろうよ」

店主が出て行ってくれと言わんばかりに肩をすくめた。極めて同感である。わたしは酒を新しいグラスに注ぎ、店主に渡してやった。せめてもの詫びのつもりだった。

「あんまり気持ちいいもんだからゴシゴシやってたら中で折れちまったのさ!」

鈴瑚が死にそうになった。店主まで酒を吹き出してしまったから、わたしはとうとう孤独となってしまった。

「それでそれで?」鈴瑚とすけべな店主は耳を立てた。

「コーマンに胡瓜をぶち込んだ河童がよ、恥も外聞もなく泣き喚くのさ。どうしよう、このまま一生出てこなかったら!ってな具合に」鈴瑚が同意を示した。「そこでさ、河童の一人がおずおずと手をあげたんだよ」

にとりの口ぶりから話がピークに近づいていることがわかった。鈴瑚が息を呑み、店主の酒は矢継ぎ早に消えていく。

「なんとそいつが〈コーマンの中で折れた胡瓜の回収装置〉を作ってたんだ!」

「えっ!あははは!」わたしは声をあげて笑った。「つまり、そいつも経験があったってこと?」

「えへへへへ!じゃ、じゃあさ、そいつはまたやらかした時用に対策してたってことかい!」鈴瑚の爆笑は世界を破滅させる威力があった。何人もの客が代金を置いて出て行った。「河童の技術力様々だなあ、おい!」

わたしは酒を置いて便所へ行った。いったい、この状況はなんだ?なんで河童なんかと酒を飲んでるんだ、わたし達は?遡ろうにも記憶の糸が途中でぷっつり切れてしまっていた。もしかしたらとんでもなくどうでもいい事なのかもしれないけど。

月と違って地上の暮らしには毎日変化が伴う。天気が変わり、季節が移ろい、人が死に、そして飲み友達が増える。あの河童には悪いけど、どうにもソリが合わない。わたしは鈴瑚と二人で酒が飲みたかった。鈴瑚は飲めるなら誰とでもいいらしい。

今日の飲みは蚊帳の外だ。鈴瑚はあの生臭い河童にすっかり心を奪われてるみたいで、とても歯がゆい。ちくしょう、わたしにもアソコに何かぶち込んだエピソードがあったらな!

帰りにかんぴょうを一ダースくらい買おうか神妙に悩んでいると、隣の個室からぎったんばっこん聞こえてくる。気になったので蹴破ると、中でおっさんと女がよろしくやっていた。壁にもたれて逆さになってるおっさんはケツの穴に立派な長ネギをこさえていて、女はそれを上下に動かしていた。

「な、なんだね君は!」おっさんが吠えた。

「こんな時分にいちゃつきやがって!」女を押し退けてネギを引っこ抜いた。「どっか行け!」

何か喚きながら下着も履かずに去っていくおっさん。その場にはわたしと女が残された。

「くそ、稼ぎがパァになったじゃないか」女が悪態をついた。

「あんたが金を貰う方だったの?」

「わたしが好んでおっさんのケツにネギを挿入させるような女に見えるってのか?」

わたしはかぶりを振った。

「なんであんなことしてたの?」

「ケツの奥になあ、気持ちよくなれる場所があるんだよ」

じゃあネギじゃなくても良かったのか。わたしはてっきり風邪でも治してるのかと思っていたのでびっくりしてしまった。

「あんたのせいで金を貰えなかったんだから、幾らか払ってくれよ」

「良いけど…真っ当に働いた方がいいよ」

女は舌打ちをした。「働くなんてごめんだね。わたしは弱者が尊ばれる世界を作るための活動をしているのさ」

女はわたしから幾らか引ったくった。世界を変えるにはケツの穴に飛び込むくらいの覚悟が必要なんだろうな。幻想郷は楽園から程遠いのかもしれない。

「いたぞ!」便所の扉が開かれて、屈強な男が女を指差した。「捕まえろ!」

女は壁を小ぶりなハンマーか何かで殴って大穴を開けると、振り返って小悪魔的な笑みを浮かべ、それから何処かへ去った。男達が寒空の下、息を切らしながら追いかけて行く。

人生は続く。

便所を出ると、鈴瑚がにとりと抱き合っていた。冗談抜きで死にそうになった。兎はカテコールアミンっていう成分を出して時に自分の心臓を自分で止めてしまうのだ。けどそれは痛い目に合う前の処置なのであって、だから、このタイミングで心臓が止まりそうになるのには何の意味もなかった。

わたしは奴らに戻ってきたことを悟られないように努めて平常を装って、カウンターの端に置いてあるレコードをかけた。悪くない曲が流れ出す。わたしの心情を表すようであり、鈴瑚とにとりのロマンチックな夜を彩るようでもった。

二人の座る席を見やると、やはりそこにも変化があった。便所に行く前のにとりの席はわたしと鈴瑚に挟まれる場所だったのに、今は鈴瑚がにとりを独り占めするかのように鈴瑚の右側から左側にズレている。

どういうことだ?

席に座ると、ようやく鈴瑚がわたしに気づいた。

「あ、清蘭」

「そろそろ帰らない?明日も団子屋あるし」

「わたし、団子屋やめる」

「…」

「にとりさんとこで働くことにするんだ」

「おい…おい、ちょっと待って」

わたしは立ち上がってレコードを止めに行った。

「何があったの?」わたしは半分キレていた。

「知ってる?清蘭」鈴瑚の声はメスがオスを誘う時のそれだった。「河童語じゃ〈愛してる〉って言葉の中に二つの意味があるんだ。一つはそのまんまの意味で、もう一つは一緒に働こうって意味」

にとりが照れくさそうに微笑んだ。その笑顔で鈴瑚をも誑かしたのか?くそ、やるじゃないか。

「つまり、あれか?鈴瑚はにとりに愛してるって言われたの?」

頷く。

「どっちの意味で受け取ったんだよ?」

「そりゃあもう、ねえ〜!」

「ねー!」

鈴瑚とにとりは顔を見合わせて笑いあった。あまりに幸せそうな光景にこっちまで幸せのお裾分けをされたみたいだ。受け取るかどうかはさておいて。

「にとりさんのところで団子を作るんだ。安いけど美味い、そんな団子をね」語る鈴瑚の目つきは、ひたむきに前に向かって進めというキリストのそれに近かいように感じる。 もう死ぬと決めた者に何を言っても無駄なように、今の鈴瑚を止めるのは不可能だった。

二人が愛の巣に帰るのを黙って眺めていた。店主が便所に行って、壁に空いた大穴に悲鳴をあげた。


どうやって帰ったのかは覚えていないが家には帰れた。目を覚ました時には部屋から鈴瑚の荷物が消えていた。二人で囲んだちゃぶ台の上に鈴瑚からの手紙が置かれていたので、読まずに破り捨てる。どうせ何処かへ消えるんなら、わざわざ書き置きなんてする必要はないんだよ。

団子屋を開くには中途半端な時間だったが、何かをしていないとするべきでないことをやってしまいそうなので、開くことにした。

とにかく叫んで客引きをした。それがストレス発散になった。時折見知った客が来ると、幾らか気が楽になった。鈴仙が来た時には泣き出しそうになってしまったほどだ。友情ってのは何にも勝るもので、永遠に続かなくてはならないものだ。つまり、わたしと鈴瑚の間にあったものは友情でも何でもなかったってこと。

「あれ、鈴瑚はいないの?」

「二度とその名前を口にするな」

鈴仙が可哀想になるくらいビビって帰った。客足は上々だった。

何事もなく夜になった。そろそろ店を畳むかと準備をしていると声をかけられた。鈴瑚と河童だった。

「やあ、清蘭」鈴瑚とにとりは手を繋いでいた。たったそれだけなのに一線を超えてる様を見せつけられているような気がした。「元気かい?」

「昨日の今日で元気じゃないってことはないよ」わたしは平静を装ったが、声と拳が震えていた。

「今日はね、清蘭さんにお話があって来たんだ」にとりが言った。清蘭”さん”?

店を畳みながら話を促す。

「わたし達、結婚するんだ」耳を疑った。事ここに至っては鈴瑚の脳みそまで疑った。

「式をあげるんだけど、清蘭さんには友人代表として出て欲しいんだ」

「あんたら、一晩共にいただけでそんなに愛しあえたっていうの?」口を挟まずにはいられない。

「愛に日数は関係ないよ、清蘭」鈴瑚のボケナスが愛を極めたと言わんばかりに宣った。「そうだろう、ハニー」

「そうだね、ダーリン」にとりが応じた。

わたしは二人に向かって出来る限りの最高の笑みを浮かべた。

「いいよ、いつやるの?」

「おお、やってくれるかい!じゃあ月は○○で〜」

にとりが日程を伝えて、またぞろ鈴瑚と手を繋いで何処かへ行った。幻想郷にまた一つ、新しい愛の形が生まれようとしている。

気が付けばわたしは博麗神社に向かっていた。鈴瑚とよく通った場所にはいたくなかったし、家なんて以ての外だ。とにかくそこら以外のどこでも良かった。神社へ導く階段を一歩一歩踏みしめるたびに、あいつとの思い出が抜け落ちていくようだった。

夜空にぽっかり浮かんだ月を見上げる。鈴瑚が残ると言って一緒に残ったこの地上に、わたしの居場所はもう無いのかもしれない。だが、仕事を放棄した身の上で月には今更帰れない。わたしは新しい故郷を求めて階段を登り続けた。

「…え?」

突然、地上を照らす満月が暗雲に覆い隠されてしまった。それどころかゴロゴロと轟き始めるのだった。何かが変わったような気がしたが、何が変わったかと聞かれれば雰囲気という他ない。

階段を登るたびに上から漆黒のオーラが漂って来て全身をくすぐり始める。嗅いだことのない匂いが立ち込める。何の匂いかと聞かれたら、死の匂い。

階段を登りきって、鳥居の前に立つ。ドス黒い瘴気のようなものが本殿から伸びていた。何処からか走って来た犬が、たまたま近くに落ちて来た雷に打たれて黒焦げになった。わたしは何かに魅入られてしまったかのように、ゆっくりと本殿へ向かう。はるか上空でまた雷が鳴った。

闇を掻き分けて進むと、先客がいた。髪が緑色の女だった。そいつが瘴気の発生源らしい。

「あら…」女は振り返ると、取ってつけたような笑みを浮かべた。

「あんたも?」

「ええ、お参りをしようと思って」

「そうですか」

わたしは賽銭箱に小銭を投げ入れた。そして居るかも分からない神に申し立てた。わたしは清蘭と言うものです。これこれこういう事情で鈴瑚というやつを叩きのめしても良いものでしょうか?返事はなかったが、わたしが神様なら良いと言っただろう。

「もしかして、あなたも捨てられた口ですか?」

「え?」唐突に話しかけられたので間抜けな声になった。「なぜ分かったんですか?」

「いえね、あなたから出ている厄のオーラがあまりにもわたしと似ているから」

何を言っているかわからなかったが、この女もまた、誰かにないがしろにされたということはわかる。寂しさを分かち合えたような気がして、悲しい気持ちなのに何だか優しくなれるような気がして来た。この世に愛なんてものはないが、愛に似たものは稀に見つかるのだ。

「よければ話をしませんか?」

わたしは快諾し、鈴瑚とよく行った酒場へ向かった。もう行くまいと決めていたのにそこへ行くのは、鈴瑚との思い出をほかの思い出で塗り潰してしまおうという気があったからだ。神社を出る途中、本殿の方から断末魔が聞こえて来た。女はヒナと言った。

ヒナは酒場に着くなり大泣きに泣きだした。

「何を泣いているんですか?」

「うう…わたしは近くにいるだけで誰かを不幸にしてしまう、厄を振りまく女なんです…」

「もしかして、厄神様とかだったり?」

冗談めかして言ったことだが、ヒナはうんうん頷いた。可愛らしい瞳から流れる涙はとても綺麗で、月並みな言葉だが山を流れる川のようだった。それがどうしても欲しくて、わたしは大粒の涙を指で拭った。

「きっと、あの人もわたしといるのが嫌になって!」ヒナの悲痛な叫びはオペラのような壮大なスケールを感じさせた。「ああ!わたしはなんて罪な女なの!」

罪な女、か。わたしは手酌で酒を飲んだ。この世に罪じゃない女なんていない。罪を犯さずして愛なんてのは手に入らないのだ。愛に仁義を云々するなんて、猿にテーブルマナーを説くくらい不毛なことだ。罪じゃない女の方がよっぽど分からなくて恐ろしい。

きっと事情があったんですよ、なんて言うこともできず、酒も無くなった。やり場を失ったわたしは泣き続けるヒナを置いて便所に立つ他なかった。

壁に空いた大穴は突貫工事で直されていた。隙間風が流れてきて冷たい空気が便所中に充満しているが、換気にはちょうどいいかもしれない。個室からギッタンバッコン聞こえてくるから、そこでも工事かなんかしているんだと思う。わたしは個室の扉を開けた。

「むっ!?くっ…ほあぁ…」

全身を縛られて猿轡を噛まされた全裸のおっさんが執拗に壁に尻を打ち付けている。その度に個室が地震みたいに揺れた。女がその光景をじっと眺めていた。わたしもそれに倣った。

神秘的な光景に見えなくもない。裸婦画を見て感じる美しさを、わたしは今感じている。

それにしたって、どうして人は自分の穴に何かを入れなきゃ気が済まないんだろう?まるでそこに宝が埋まっているとでも言うようじゃないか。胡瓜を入れた河童は自分の寂しさを埋めるため、おっさんは何かを引きずり出すためにけつの中を棒で掻き回してる。しかもそれを女に見せながら。世界はなんて寂しいんだろう。

「おおっ…くふっ!」

おっさんは果てると、しばらくまな板に置かれた魚みたいに震えていた。そこまで全部眺めてから、女は縄を解いた。おっさんは金を渡すと服を着て何処かへ行った。

「また会ったな」女は再会を喜んでいるみたいだった。「どうして泣いてるんだ?」

「え?」頰を撫でると、しっとりと濡れていた。「分からないけど、何でだろう」

「きっと、嫌なことがあったんだな」

「かもしれない」

「安心してくれ。弱者が涙を流すことのない、そんな世界をわたしは作ってみせる」

女の目には決意の炎が滾っていた。

「いたぞ!」屈強な男たちが便所にずかずかと入ってくる。「逃すな!」

男たちが女を羽交い締めにする。

「もう逃がさんからな、あとはこいつをあの方に差し出しゃあ…」

わたしは便所を出た。その直後、爆音が轟いて世界を揺らした。煙が便所から漂ってきたが、店主以外は気にも留めなかった。わたしは棚から適当な酒を見繕ってヒナの分とわたしの分を注いだ。ヒナはすっかり泣き止んでいた。

「大丈夫ですか?」

ヒナは酒を飲んだ。「はい、落ち着きました」

「まあ、出会いがあれば別れもありますよ」

「わたしはそうじゃないんです」ヒナは訥々と語り始めた。「わたし、居るだけで厄を振りまいてしまうから、そもそも人と出会わないようにしてるんです。なのに、あの人ったら、そんなこと気にしないでわたしのところに遊びにきてくれて、それがとても嬉しくて…」

「まったく、とんでもない奴ですね、そいつは!」

「わたし、騙されていたんでしょうか、遊ばれていたんでしょうか?」

捨てられてこんなに自分を責められる女なんてのはそうそういない。ヒナになら、わたし思った。ヒナならわたしの心に開いた穴を埋めてくれるかもしれない。彼女は幻想郷のジュリエットだった。

「ヒナさん、よかったら──」

「よかったら、これからわたしの所へ来ませんか?」

「…」

ヒナの目は真剣だった。真剣に見せかけて、わたしをおもちゃに愛を埋め立てようとしているだけかもしれない。しかし、 世の中には真剣になるより真剣に見せかけた方がいい時もあるのだ。つまり、わたしは鈴瑚や酒に完全に参っちまっていた。

ともあれ、最高の夜だった。


眼を覚ますと、わたしは自分の家にいた。ヒナが言ったのだ。「わたしと一晩を共にするなんてとんでもない。そんな事をしてしまったら、わたしはもうあなたしか愛せなくなってしまうわ」寂しい夜は続く。

団子屋を開く。昨日のような元気はなかったが、客足が遠のくことはなかった。常連は常連のままで、新規はリピーターになる事を誓い、見知った奴らの顔は昨日と同じまんまだった。

昼の休憩時間に誰かが新聞を置いていった。〈博麗の巫女、緊急入院!〉と書かれている。酒の飲み過ぎには注意しようと誓う。何も体調の事だけではない。酒を飲むとやるべきでない事をやっちまいそうになる。言うべき事を言わないままにしちまう事もある。酒なんてのはロクデナシの飲むもんだ。

休憩を終える。

「ねえ、あいつ結婚するって聞いたんだけど…」団子を買いに来た鈴仙がおずおずと尋ねて来た。

「あいつの話はするな!」

「…」

「鈴仙?」

「何が結婚だ、クソ!」

団子屋の看板を蹴っ飛ばして鈴仙は立ち去った。鈴仙のあとを誰かが尾けていた。大変な時間を過ごした奴がわたし以外にもいるらしい。

夜になり、店を畳む。空を見上げたら寂しさも紛らわせるかもと思ったが、そんな事はなかった。月は雲に隠れていた。心の拠り所は、今日は空だけのものだった。

家に帰る。鈴瑚の面影はどこにもない。どうしてか、部屋がひどく狭く感じた。悲しみに暮れて、わたしは風呂に行った。二人入っても広く感じられるでかい風呂。もう鈴瑚はいない。

一人で身体を洗っていると涙が溢れて来た。わたしは足りない愛を探すために自分の身体を弄った。どこかにそれがあると思った。酔ってるわけじゃないのに、とうとうそれは見つからなかった。瞳はこんなに濡れているのに、わたしは悲しいほど乾いていたのだ。

風呂を出て髪も乾かさずに酒場へ向かった。故郷へ帰って行くような足取りだった。酒場にはヒナがいた。一人で酒を飲んでいた。

わたしは隣に座って、ヒナが飲んでいるものと同じものを頼んだ。ヒナと軽く会釈して、程なくして出されたグラスを合わせる。

「ねえ、清蘭さん」藪から棒に切り出した。「わたし達はまだ過ごした時間も短いけれど、あなただけの事を愛せたらすごく幸せだと思うの」

わたしは黙って酒を飲んだ。

「わたし達には愛があった。あの夜でわたしは清蘭さんの愛を感じたの。あの餅を搗く用に激しく、それでいて繊細な動きに」酒で喉を潤す。「わたしは腰砕けになった。機械でしか弄ってくれないあの人とは違った」

「わたしがあの時、あなたと過ごしたのは、自分の寂しさを誤魔化すためですよ」本心だ。あの夜に愛を感じたのだとしたら、それはきっと紛い物に過ぎない。

「それでも構わないわ。わたしであなたの淋しさを埋めることができるなら、それもわたしの愛です」

「少し考えさせてください」

わたしは便所に向かった。便所の扉には〈使用禁止!〉と張り紙が貼られていた。仕方がないので席に戻る。

「ねえ、清蘭さん…」

ああ、鈴瑚よ。お前のせいでわたしはこんなにも苦しんでいるのに、お前は何処の馬の骨ともわからない油臭い河童とよろしくやっているのか。わたしを見るヒナの目は愛している者に捧げるそれでも、媚びるような目つきでもない。自分を永遠の苦しみから解放してくれる細い糸に縋るような目つきだった。たとえここに愛が無くても、情けでヒナを愛してしまいそうになる。

「少し…少し待ってください」

わたしは席を立って店を出た。今日も月は出ないが、月なんか空に浮かんでいるだけで相談相手にもなりゃしない。こんな時に鈴仙でもいてくれればな。いや、鈴瑚。あんたならどうしただろう。きっと考えもなしにやってだろうな、くそったれ。

考えもまとまらずに店に戻ろうとしたところで目に入ってしまった。鈴瑚とにとりが仲睦まじく歩いているのが。もしかしたら幻影かもしれない。わたしはきっと後押しが欲しかったのだ。ヒナとの暮らしと鈴瑚との思い出の崖っぷちで揺れるわたしの背中への後押しが。

わたしは決心して店に戻った。が、席にヒナはいなかった。代わりに手紙が置いてあった。くそ、どうして愛だの恋だのに浮かされちまった奴は手紙を書きたがるんだ!急いでそれを読んだ。厄神のわたしが誰かと幸せになろうなどとおこがましいことでありましたとか、あなたとは幸せになれませんみたいなことが書いてあった。

しかし、ヒナはいったいどこから消えてしまったのか?わたしは店の前にいたんだから、ヒナが店を出ようとしたら必ず気付いたはずだ。

「…まさか!」

〈使用禁止〉の張り紙の貼られた便所の扉を蹴破る。ビンゴ。塞がれていたはずの壁の穴がまた空いてしまっていた。ヒナはわたしの顔を見まいとここから逃げ出してしまったのだ。

「ヒナさん!戻ってきてくださいよー!」わたしは走った。ヒナが向かったと思われる場所へとにかく走った。「ヒナさーん!」

足が棒で動かなくなる頃には、夜もすっかり更けていた。その上雨まで降り出したとなれば、もはや世界ぐるみでわたしのことを馬鹿にしているとしか思えない。どこで間違ってしまったんだろう?地上に残ったことかな、河童と鈴瑚とわたしで飲んでいた時かな。くそ、過去に戻ってにとりの野郎をぶち殺してやりたい!いや、それは今からでも遅くはないんじゃないか?よぉし、わたしは意気込んだ。にとりと鈴瑚を殺してわたしも死んでやる!

「何やってんだ?」

後ろから声をかけられて死ぬほどびっくりした。振り返ると、おっさんとピーチクやってた女がいた。

「あんたこそ何してんの?」

「ちょっとな」相変わらず謎めいた女だった。「風邪引くぜ」

女は折りたたみ傘を貸してくれた。わたしには意図がさっぱりわからなかった。

「なんなんだ、あんたいったい」

女は何も答えずに、雨の中に佇んでいる。何を見ているのかもわからないが、もしかしたら幻想郷の未来のことでも考えているのかもしれない。弱者が涙を流すことのない世界を作ってみせる、いつか彼女はそう言った。

「わたしは弱者の味方だ」女が言った。毅然としていた。「お前みたいな奴を救うために世界を変えるのさ」

「わたしが弱者だって?」しばし考える。「確かにな」

「あんたにこれをやる」女はどこからか四尺くらいありそうな玉を取り出して渡してくれた。「いざって時に役立ててくれよな」

そう言うと女はまたぞろ何処かへ走り去っていくのだった。唖然としてしばらく雨に打たれていると、別の方向から屈強な男たちが肩で息をしながら走ってきた。

「おい、そこの兎!頭にツノを生やした女を見なかったか!」

わたしは女が去って行った方を指差した。男たちは礼を言って走り出した。

世界を変えるだって?はっ!逃げ続けているだけの奴に何ができる?わたしは雨の中を歩き出す。だけど、逃げることで開ける道があったっていいじゃないか。わたしは月から逃げて団子屋を開いて幸せだったんだ。

ああ、しかし、けどなあ。

鈴瑚と一発くらいかましとけばよかったな。


吹っ切れたわたしは、よくヒナのところに遊びに行くようになった。考えてみれば、あんな雨の中を走らずとも住処に行けば普通に会えたのである。わたしはわたしの気持ちをヒナに伝えた。ヒナはたいへん喜び、世界の終わりまで共にいようと約束さえした。

「ごめんなさい、わたしの側にいたら厄があなたに降り注いでしまうわ」ヒナがしおらしく言った。

「構わないよ、厄ならもう一生分身に受けたさ」

「ああ、強い人!いえ、兎!あなたと出会えて良かったわ!」

わたし達の愛は順調に育まれて行く。鈴瑚のことなど遠い過去のものだった。そういえば、結婚式の日程が近づいていたっけな。スピーチなんて柄じゃないけど、かつての最愛の友のためだ。

そんなわけで、わたしは鈴瑚と詳しいことを決めるためにいつもの酒場で落ち合ったのである。

「やあ、清蘭。なんだか久々な気がするね」

「そう?」鈴瑚がわたしの酒を注いでくれた。わたしはそれを、撹拌された色々な感情とともに飲み干す。「まあ、そうかもね」

わたし達は取り止めのない話をしながら差しつ差されつ飲んだ。きっと最期の夜になるだろう。そのせいか、流石の鈴瑚もどこか元気がなかった。

「どうしたんだよ、鈴瑚。らしくないな?酒が足りてないんじゃないの」

わたしは鈴瑚に酒を注いでやった。が、鈴瑚は素面でいたいらしかった。

「なあ、あのさ」 見たこともない神妙な顔に、嫌な予感がした。 「わたし、このままでいいのかな」

「どういうこと?」

「いやね、勢いのまま結婚するとか抜かしたけどさ、本当にしていいのかなって」

「おい、おいおい、ちょっと待って」わたしは鈴瑚の胸ぐらを知らず知らずのうちに掴み上げていた。「つまり、冷めてきたってこと?」

一瞬の間も無く鈴瑚は頷いた。わたしは鈴瑚の頭をカウンターにしこたまぶつけてやった。

「ざけんなよ!意地でも結婚させてやるからな!」

「な、なんでそんなに怒ってるんだよ!」

「テメーの大事なところに胡瓜をねじ込んでやる!」

わたし達は店の外で気がすむまで殴り合った。そのやり取りがなんだか久しぶりで心が暖かくなって行く。今、この瞬間は世界に愛が満ちていた。倒れ込んで見た空には、欠けたお月様が浮かんでいた。きっとあの月はわたしの心そのものなんだ。わたしの心は、あの欠けた月の分だけ戻ってきたんだ。

月の表側みたいに凸凹な顔になった鈴瑚をほっといて、店に戻って酒を飲む。程なくして鈴瑚が戻ってくる。

「だいたいさ、考えてみなよ」鈴瑚が何様口調で語った。「兎と河童の組み合わせなんておかしいって」

「でもお前は快諾しただろ」

「酔った勢いなんだよ」

「死んでも結婚してもらうからな」

「ちくしょう」

鈴瑚に痛い目を見てもらいたい一心のわたしは、結婚させることに躍起になった。結婚の素晴らしさを説き、河童の技術力を月の技術力と照らし合わせ、河童と兎のハイブリッドはこれからの世界を担う全生物の後継種だと因果を含めた。実際のところ、結婚とは他人のクソの臭いを我慢することであり、自分を捨てることであり、人生の破滅への一歩に過ぎないのに。

こうして、鈴瑚もとうとう根負けして結婚すると納得させてやった。どうかこいつの結婚生活が波乱万丈なものでありますように。


鈴瑚の結婚式までの間を、わたしはヒナと過ごしていた。鈴瑚が結婚するということを話してやると、彼女は自分のことのように喜んでくれた。

「お友達が結婚するのはおめでたい事ね。わたしも参加していい?」

「もちろんだよ」

「お相手は?」

「それが聞いてよ、相手は河童なんだ。兎と河童!笑っちゃうよね」

ヒナは笑うどころか、それまでの物腰柔らかな表情を一瞬で凍りつかせ、いつか神社で見たあのドス黒いオーラを津波のように放出させ始めた。遠くで雷が鳴り、川を泳ぐ魚達が一斉にプカプカ浮かび始めた。

「ふうん、そうなんだ」ヒナの声は凍えそうなほどに冷たかった。「兎と河童…へぇ」

「どうしたの?」

「何でもないよ」

それからとうとう結婚式の日がやってきた。会場は河童の工場で、予定通りにヒナもついて来たがやはり様子が変だった。当日は生憎の土砂降りで、河童は大喜びだったが、明らかに土砂降りの度を超えていた。どこかのあばら家が流されて河童の資源にされているほどだった。

わたしとヒナは指定された席に着き、にとりと鈴瑚の登場を待った。鈴瑚がどんな風体で出てくるのか楽しみで待ちきれないわたしは「先に乾杯しとこっか」とグラスを掲げたのだが、ヒナは「めでたいことなど何もない」と言わんばかりに沈黙を貫くのだった。

「新郎新婦の入場です!」

司会が高々に宣言した。ヴァージンロードを歩く二人は、にとりの方は人生の幕開けだと言わんばかりに幸せそうだったが、鈴瑚の方はすでに人生に幕を下ろしていた。河童達から賛辞の言葉を浴びせられるたびに舌打ちをしているように見える。わたしはどんな気の利いた言葉をかけてやろうかワクワクしていたが、その時は訪れなかった。

「にとり!」やにわにヒナが席を蹴って立ち上がった。「あんた!わたしというものがありながらそんな兎と…!」

「ひ、雛!?」新郎なのか新婦なのかわからないにとりがびびって尻餅をついた。

何が起こったのかわからないわたしと、もしやと笑みを浮かべる鈴瑚。

「あんたのせいで…あんたのせいでわたしは…!」ヒナがジリジリとにとりに近づいていく。にとりは完全に逃げ場を無くしていた。会場はざわついたまま事の成り行きを見守っていたが、それもヒナがよく研がれた包丁を取り出すまでだった。「殺してやる!」河童たちが席を立って壁の方へ寄って行く。

「ち、違うんだよ雛!これには…その…」

鈴瑚がさっきまでヒナの座っていた席に座した。

「どう違うって言うのよ!わたしを置いて結婚するだなんて!」ヒナは語尾に殺してやる!と付け加えた。癖になっているようだった。

「なあ、清蘭」と、鈴瑚。

「ん?」

「こんなの月じゃ絶対にお目にかかれなかったよな」

「うん」

わたし達はまったりと修羅場を眺めていた。すると、にとりが司会からマイクをぶんどった。

「雛、わたしが悪かった」頭を下げたりはしなかったものの、誠意の伝わる謝罪だった。「この結婚は全て、雛のためだったんだ」

そう来たか!鈴瑚が手を叩いた。

「どう言うことよ!」

「君はいつも憂いていたね。自分が側にいたら、誰もが不幸になるって」

ヒナが頷く。

「君はとても優しい。わたしの不幸は君にとっても不幸だった。わたしは君から離れるために、だけど君に落ち目を感じさせないために、あえて悪者になって君を捨てたんだ」

信じ難いことに嗚咽が聞こえてくる。世界は変える必要もないくらい優しいのかもしれない。

「そ、そんなの…そんなの口から出まかせよ!」鈴瑚が頷いた。そのまま首が取れればいいのにと思った。「だって、あなたはわたしとする時だって本気で愛してはくれなかったじゃない!いつも機械でばかりして!」

「それは違う!わたしだって、わたしだって怖かったんだ!」泣き出した。「君を本気で愛してしまったら、もう離れられなくなってしまうから…」

誰かがヴァイオリンを鳴らした。それに続いてピアノの音色が響き、トランペットが後を追って、自信のあるやつが喉を振り絞った。荘厳な音色達が一つのドラマとなって、またドラマを彩っていた。

ヒナは包丁を床に落とし、すっかり殺意も消えていた。にとりはとどめと言わんばかりにマイクを強く握りしめた。

「でも、わたしの選択は雛にとって辛いものだったんだね…」

「にとり!」

ヒナがにとりに駆け寄って、にとりがヒナを抱きしめた。目の前の感動的な光景に河童たちの万雷の拍手が響き渡る。わたしも思わずスタンディングオベーションをしていた。

「行こう、清蘭」鈴瑚が立ち上がる。「ここにわたし達の居場所はないよ」

「だからと言って、わたしの隣にもお前の居場所はないぞ」 わたしも立ち上がった。「バカ鈴瑚」

鈴瑚はいたずらっぽく微笑んだ。

会場を出て、わたしは忘れ物に気付いた。

「何忘れたの?」

「いやさ、お前にぶつけようと思ってた四尺くらいある玉なんだけど」

「何しようとしてくれてんの?…まあ、そんくらいいいじゃん」

「良くないんだよ。あれはある意味恩人がくれたもので…」

その時だった。眩いばかりの閃光が辺り一面に広がり、大地を震わす爆音が轟き、圧倒的な爆発が会場を吹き飛ばしたのは。

「なんだ!?」頭に火のついた河童がパニックになって走り回った。「何が起こったんだ!」

「誰かがボールか何かを投げた途端に爆発したんだ!」司会の河童が喚いた。「おい、にとりさん達は無事か!?」

阿鼻叫喚の地獄絵図をしばらく眺めていた。鈴瑚がわたしをチラと見て、言った。

「お前の持ってきたその玉さ、世界を変えるためのアイテムだったのかもしれないぜ」



わたしと鈴瑚は団子屋を閉め、いつもの酒場で飲んでいた。隣にいるのはやっぱり鈴瑚じゃあないとな。わたしは鈴瑚の頭をしばきながら思った。ちくしょう、やっぱり叩きやすいな。

「河童と神様ってのもなかなか凄いカップルだと思うな。なんつーか、幻想郷でしかあり得ない組み合わせな気がするよ」

それだけの愛を受け入れてくれる幻想郷は、やっぱり楽園なのかもしれない。そのうちサグメ 様と夢の世界の獏なんかの熱愛が報道されるかもな。

わたしは便所に行った。気のせいかもしれないが、最近はやけに尿が近い。酒のせいかもしれない。個室を開けると、いつぞやの女とおっさんがいた。おっさんは尻で火のついた蝋燭を咥えて、この地上を照らしていた。

「よう、久しぶり」女はわたしのことを覚えていた。「幸せそうな顔をしているな」

「まあね」

「何か良いことでもあったか?」

おっさんが呻く。蝋が左の尻に垂れて身悶えしていた。これがこのおっさんなりの愛され方なのだろうか。

「こういうのを見ていると、まだまだ世界も捨てたもんじゃないと思えてくる」と、わたし。

「本当にそうか?」

「うん。革命、頑張ってね」

わたしは便所を去った。おっさんの喘ぎ声がわたしを引き止めるかのように一際高くなった。わたしに見られることでさらなる興奮を得ていたのかもしれない。が、あんな汚いもんを見続けるなんてまっぴらごめんだ。

仮にああいう愛の形があって、世界がそれを受け入れたとして、それを個人個人が受け入れられるかはまた別問題なのだ。
誤字脱字あったらすいません。
いびでろ
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コメント



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1.100名前が無い程度の能力削除
最高にクソッタレですね
清蘭おかえり!
2.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい世界観だと感じました
3.100サク_ウマ削除
安定してキマっててとても良かったです
4.80奇声を発する程度の能力削除
良かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
なんかもう、持ってけ! 面白かったわ!
6.100南条削除
とてもおもしろかったです
最初から最後まで一貫してトチ狂ってる世界に平然と順応している住人達
誰しもがその場のノリで生きてるような怒涛の展開が素晴らしかったです
なんだこの正邪は
7.100仲村アペンド削除
素晴らしい!圧倒するテンションの高さで最後まで楽しめました。
8.80名前が無い程度の能力削除
>「死んでも結婚してもらうからな」
>「ちくしょう」
ちくしょうって至極普通のリアクションなんだけど何故かうけた
オマエが結婚とか言い出したのに心底イヤがってる台詞だからか
10.80名前が無い程度の能力削除
文才を感じます