Coolier - 新生・東方創想話

ほふく前進

2018/10/08 00:36:25
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ほふく前進


 
 ふいと、霧雨魔理沙が気づいたとき、四方にはぐるりとアスファルトの壁。閉じ込められた! よじ登ろうにもとっかかりがなく、途方に暮れたところで、壁の一面に、そのスキマを見つけたのであった。
 正方形の、謎のスキマである。膝下くらいまでの高さしかない。横幅は、魔理沙がひとりぶん入って、一方通行といったくらい。実に、狭苦しい。しかし、先が続いていそうに見える。トンネルだ。願わくば、このような場所には入っていきたくない。魔理沙は大きくため息ついて、しばらくその場でうろうろし、何か考えているような素振りでぐるぐる回り、結局もう一度ため息ついて、地べたに這いつくばり、小さなスキマへ向き合った。

 ほふく前進。ほふく前進。
 気が狂いそうになりながら、魔理沙は、懸命にトンネルを進んでいく。
 入ってみると、想像したとおりに苦しい空間である。まるで、身体を自由に動かすことができぬ。ホコリ臭い。じめじめしている。肘から下――前腕のあたりを地面につけ、力をこめて、うんしょと身体を前にやると、ようやくほんの少し、前進する。ほふく前進。苦しい。頭を上げることすらままならない。頭を上げた瞬間、アスファルトの天井に激突、叫びを上げる暇もなく、頭蓋骨の中がぐわんぐわん回り、それ以上はいけないってくらい回って、失神、気がつくと、トンネルの入り口まで強制送還されている。なぜだか、そんな未来が容易に想像せられた。
 身体を自由にできないというのは、これほどまでに、鬱屈とするものなのか。身体の色々なところで、澱みが溜まっていく。うんと伸びをしたくなる。伸びをしたうえで、うわあと意味不明に叫び、澱みをいっせいに吹き飛ばし、自分もそのまま、どこかへ逃げ去ってしまいたい。しかしそれは、なにやら甘ったれた願望のように思われ、湧きあがってくるのは、逃亡に対する侮蔑・軽蔑の念である。仕方なく、魔理沙はトンネルの中で、どうにかこうにか踏ん張っている。

 じわじわ、じわじわ、ほふく前進、ほふく前進。
 けっこう進んだかなあ、などと、いっそう頑張って、後方を肩越しに覗いた。そうして、げんなりする。明らかに、光が見えるのであった。入口の光である。たいして進んでいないことが、嫌というほど分かった。自分でも驚くほど、大きなため息が出てくる。

「いったい、いつまでかかることやら。嫌だねえ」

 愚痴は、トンネル中に響きわたった。ひとりでよかった、などと安心する。

「本当。嫌になります」

 ところが、声が帰ってきたのである。誰か、いた。聞かれていたのだ。仰天して、左肩のあたりを壁に激突、唸り声をなんとか殺し、必死で押し黙る。
 突然のコンタクトであった。女の声。左側から、聞こえてきた。どうも、壁の向こうにいるらしい。聞いたことがあるような、ないような。トンネルの壁で共鳴するせいか、もわんもわんとこもった感じになり、本当にこういう声音なのかはわからない。ともあれ、魔理沙は、返事をしなかった。人見知りというわけじゃないのだ。ただ、このような状況下で、自分以外の存在が近くにあるということが、なんとも異物のように思われたのだった。
 魔理沙が黙っていると、相手方もなにか察したのか、居心地が悪そうに黙った。失敗したかもしれない。いきなり魔理沙は後悔する。しかし、長い戦いである。人に気を遣っている場合ではない。どうにかこうにか、納得して、魔理沙はほふく前進を続ける。

 このほふく前進は、いつまで経っても、慣れることがなかった。トンネルが一本道ではなかったのである。もしもそうならば、途中からは作業になっていたかもしれない。ところが実際には、道が九十度曲がったり、登り坂があったり、下り坂があったり、ごつごつしていたり、すべすべしていたり。ちょうど慣れてきたころに、そういう変化があるので、たまらない。嫌がらせをするために生まれてきたもののようにさえ思われた。もう少し、楽にしてほしいなあ。そう思いつつ、魔理沙はどうしてか、絶対にそういうことはないと、謎の確信を得ていたのである。
 平坦ですべすべした領域となり、魔理沙は少し、息をつくことにした。腕、首、背中、腰、全身の筋肉が疲れきっていた。これだけやっても、出口が見える気配はないのであった。ぐったり弛緩して、うつ伏せのまま、目を瞑り、意識を遠ざけるための準備を整える。

「あのぉ」

 再び、あのときの声が聞こえた。入眠する、ほんの直前のことであった。もう少し後だったら、魔理沙は眠ってしまって、その声に気づかなかったであろう。
 魔理沙の心境は、先ほどとは、すっかり異なっていた。どうしてか、その呼びかけに応えたい。そういう気持ちになっていた。

「このトンネル。なかなか、酷いなあ。嫌だ、ってところを、突いてきやがる」

 声はトンネルに響いた。まるで独り言のように思われた。少し心配になる。相手方に聞こえているであろうか。しかし、そういう懸念は、すぐに取り払われた。

「本当に。嫌がらせでもしてるんじゃないかしら」相手の女も、毒づいた。
「ほふく前進かい?」
「ええ。貴方はもしかして背面前進?」
「なんだそりゃ。苦行すぎるだろ」

 相手の女は、けらけら笑った。釣られて魔理沙も笑ってしまった。嬉しさがあった。いつの間にやら、二人の間には、共通の話題が生じていたのである。無機質で、しかし性の悪い、トンネルに対する愚痴であった。驚くほど、楽しい瞬間に思われる。眠気によって理性がとろけ、恥じらいが和らいでいたのかもしれない。とにかく、魔理沙は、不思議な安らぎを感じていた。

「貴方はどうして、こんな穴に入ったの?」
「どうしてって言ってもなあ」魔理沙の口は軽快に回った。「入りたくなんてなかったけど、入らざるを得なかったというか」
「どういうこと?」
「閉じ込められてね。ここ以外、出口らしいとこがなかったんだ。あんたは違うのかい」
「閉じ込められてたわけじゃないけど……たまには苦労するのもいいかな、なんて」

 魔理沙は急に、対話する相手が、自分よりものすごく上等な人間に思われてきた。共感などと、偉そうに言っていたが、まるで虚構なのではないだろうか。取り組み方が、まったく違うではないか。愚痴を言い合っていても、たとえそれが彼女の本音であったとしても、もっと根源的な部分、本質が、ぜんぜん違うではないか。ただその場しのぎで取りつくろっているのとは、わけが異なる。魔理沙は、打ちのめされた。トンネルの先にあるものが、まるでしけているのではないかと、心配になってきたのであった。

「おぅい。聞こえてる?」左側から。
「いや、なに。眠くなってきてね。疲れたんだ」適当な嘘を言う。「ちょっと休むよ」
「あら、失礼。私も寝ようかなあ。それじゃ、お休みなさい」

 その日は、なかなか眠れなかった。いつでも真っ暗なトンネルの中、昼なのか夜なのかは知れないが、疲れをして溜まっていたのは間違いない。しかし、妙に精神が興奮し、心臓の鼓動はやたら強く感ぜられて、まぶたの後ろ側がちりちりと熱かった。色々な考えが頭の中を巡り、無理に納得しようとしても、ぜんぜん駄目で、眠りにつけるまでは、ものすごく長かった。

「聞こえてる? 私、そろそろ行くけれど」

 浅い眠りを、そんな声で起こされた。ぼんやり頭を持ち上げて、アスファルトの天井にぶつける。ぐぇ、などと奇怪な声を発し、壁の向こう側から、苦笑に近い反応が返ってきた。

「こんな狭いところじゃ寝慣れてないもんでね。こりゃどうも、失礼」
「怒らないでよ。ごめんごめん。それじゃあ、お先に」

 左側から、物音が聞こえ始める。前進を始めたのだろう。魔理沙も、遅れを取るわけにはいかなかった。先に何があるかなど、ひとまず、考えても仕方があるまい。遅れるわけにはいかぬ。止まっていては、差が広がり続けるばかりである。両腕に力を入れて、じりじりと、ほふく前進、ほふく前進。
 二人はしばらく、黙って、ほふく前進を続けていた。それは、お互いがお互いに配慮し合っている証明であった。しかし、その段階においても尚、魔理沙が安心を得ることはなかった。原動力となっているもの、そのエネルギー、根源的な隔たりを、どうしても否定することはできなかった。
 そんなとき、突然、がらがらと、アスファルトが崩れ落ちる音を聞いた。仰天する。まさか、このトンネルのどこかが崩落したのであろうか。とんでもない欠陥建築である。

「おいおい、聞いてないぜ。おぅい、こら、なんだいこりゃあ、……」大慌ての魔理沙。
「そう慌てなさんな」左隣の声は、落ち着いている。「この音はそんなに近くじゃない。遠くの誰かが、いよいよ辛抱ならず、トンネルごとぶっ壊したに違いないわ」
「そんなことができるのかい」魔理沙はひとりで目を丸くする。
「ええ。できます、できますが、……」歯切れが悪くなる。「やります?」
「……いいや。遠慮しておくよ」

 そこから二人とも、また、黙りこくってしまった。意味がなんとなく、分かってしまったのである。トンネルの崩壊は、破局であった。致命的なやつである。魔理沙が軽蔑しているそれよりも、ずっと滅亡的で、おそらく、並みの覚悟ではできないような、究極の逃亡。あとにはガレキだけが残る。魔理沙は思わず、身震いしてしまった。

「陰気くさいなあ。そんなに大変か?」

 今度は、反対側の、右側の壁から、なにやら聞こえてきた。幼い声であった。幼い挑発の色が込められていた。魔理沙も、余裕なく、ムッとして、言い返す。

「そういうお前は、そんなに楽しいのかい?」
「うん」即答である。
「なにが、楽しいんだい」
「だって、進むたびに新記録じゃないのさ。進めば進むほど得。ごちゃごちゃ言ってないで、あたいみたいに、進むことだね」

 ふん、と最後に鼻で笑われ、その声は途切れた。おそらく、いいや絶対、この壁の向こうで「どや」とやっている。悪態をつきたくなって、やめた。それは、この穴ぐらから脱出できたときまで取っておこう。なにしろ、このままならば、右側のそいつは、順調に脱出できそうなのである。あんな、馬鹿そうだというのに。私のほうがよっぽど、教養があって、思慮もあり、いつもたくさんのことを考えているに違いない。しかしここでは、この穴から出られるか否か、それにすべてが懸かっている。思慮なんてもの、役には立たぬ。そんなものはいらない。ごちゃごちゃ考えるな。魔理沙は俄然、二の腕に力を込めて、ほふく前進を続けた。
 真っ暗なトンネルの中、かれかれ数十時間は、うつ伏せの旅を続けていて、瞳孔はすっかり開ききり、よって、ほんのわずかな光を魔理沙は捉えることができた。ぼんやりと、前方から、光を感じる。右曲がりのカーブに差し掛かっていたときであった。それが意味することに気づくと、夢中になって、ほふく前進する。出口は近いぞ。最後だ、気張れ、霧雨魔理沙! いよいよ、光の輪郭が、四角くまぶしいトンネルの出口が、わずか前方に現れてきた。目を細めながら、いきなり震えはじめた全身の筋肉を、なんとか動かして、ラストスパートを仕掛ける。あと五尺、三尺、一尺、……

「こんちくしょう!」

 謎の掛け声とともに、魔理沙は、狭苦しい穴ぐらから這い出した。全身が、太陽の光に照らしあげられる。熱を感じる。温かい。寒々しく、じめじめして、ホコリ臭いトンネルから、地力で、脱出したのだ。この温もりは、その苦労を打ち破ったものだけに与えられる、正当な報酬であるように思われた。
 もはや、後頭部をぶつける心配もないのである。すがすがしい心持ちで、魔理沙は顔を上げた。その先に何が見えてもいい、と思っていた。どんなものがあっても、それこそが、自分自身で勝ち取った対価なのである、と。実に殊勝で、実に志豊かな思想。魔理沙が穴の中で見つけた、ひとつの結論であった。
 ところが、どっこい。そんな結論が打ち破られるまでに、わずか数秒も、要されることはなかった。

「おい、おい。冗談はよしてくれ」

 顔を上げて、魔理沙は、絶句する。太陽が爛々と降り注ぐ場所、そこは、四方をアスファルトに囲まれた、いつか見たような閉鎖空間。真ん中には、まるで図々しく置いてある日本酒の一升瓶、そして、その向こう側の壁に、魔理沙の膝下くらいの高さ、いかにも先に続いていそうなスキマが、あった。
 言葉を失っている魔理沙の耳に、なにやら叫び声が聞こえてくる。右の方からだ。ついさっき、嫌味を言ってきた、幼い声であった。

「またかよぉ! もう、たくさんだって、……」

 いつかの殊勝な心掛けとは正反対の叫び、自分も同じ立場ではありながらも、なにやら魔理沙はおかしくなってきて、大笑いしてしまった。

「こら! 笑うな!」怒る右側の住人。
「だって、お前、言っていることが違うじゃないか。進むたびに新記録なんだろう? じゃあ、これからも頑張って進むことだ」
「ぐぬぬ……」

 意趣返し、といった感じで、あらかた満足して、魔理沙は「おぅい」と、左側にも声をかけてみる。案の定、返事が戻ってきて、どうも、全員同じ状況のようであった。

「まさか、こうなるとはねえ。いい加減、耳が引っかかって辛いんだけどなあ」
「耳?」
「ん。いやぁ、なんでもないわ」

 しかし、ああ、こりゃあ、いけない。魔理沙は頭をかく。また、狭苦しく、ホコリ臭くて、じめじめした長ったらしいトンネルに、入らなきゃいけないのかい。どうも、救済にはほど遠いようである。
 救済。
 自分で思って、馬鹿らしくなった。なにをされたら救済だというのだろう。うまく答えられそうにない。形のないものを求めて、手に入れられず、欲求不満に苦しむ。なんとも、お馬鹿としか言いようがない。
 
「うがー!」突如、右側が発狂。「こうなったら、行くとこまで行ってやる。気づいたらずっと遠くにいるんだからな」

 どうやら、開き直ったようである。無思慮、無教養のお馬鹿は、立ち直りも早いのだろう。痛烈に批判する一方、しかし、感心もしていたのであった。あっちのお馬鹿と、こっちのお馬鹿。どっちがマシなのだろう。きっと、どっちもどっちである。たいした違いなど、たぶん、ないのだ。
 魔理沙は、一升瓶のフタを開けると、とりあえず、一口飲んだ。うまくもなく、まずくもなく。胸がかあっと熱くなったことだけは確かだ。きっと、対価なんてものは、こんなもんなのだろう。対価の先にあるのは、結局、対価を得るための過程である。対価とか、救済とか、そういうものは、道程のごくわずかを占めているだけに過ぎない。

「それじゃあ、気を取り直して」
「行くしかない、だな」

 左側からの呼びかけに、魔理沙は応えて、一升瓶を地面に置いた。みんなこんなもん。諦めるしかないぜ。
 結局、いつでも、ほふく前進、ほふく前進。そういうことになるらしい。
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コメント



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1.80奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
4.90名前が無い程度の能力削除
何だ人生か
5.100サク_ウマ削除
嫌な味わいの話だなあ・・・
6.100南条削除
とてもおもしろかったです
わけもわからず巻き込まれて最後まで意味は明かされないのに、なんとなく法則性というか方向性みたいなものがうっすら見えて素敵でした
いつまで続くことやら
9.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
左うどんげとチルノかな?
ゆかりが何か仕掛けてるんでしょうね
あとやっぱり魔理沙好きだわ