Coolier - 新生・東方創想話

それでも僕らは息をしよう

2018/08/26 12:09:43
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 少女が阿求になって初めて読んだのは、題名のない真っ白な表紙の本だった。背表紙はなく、上質な厚紙の片側同士がつながれ、紙の表裏両面が使えるように造られたものだ。このような形式は蛇腹式と呼ぶのだと、後で知った。
 少女がその本を手に取ったのは、おそらく偶然だった。
 歳を三つ数え、少女が御阿礼の生まれ変わりだということを名実ともに確かなものとする、御阿礼神事。それをつつがなく終え、これまで暮らしていた家から広大な屋敷へと居住を移した少女は、唯一共にやって来た老いた姥から「まずは、ここにある書物に目をお通しください」と小さな部屋に連れて行かれた。そこには、稗田家の歴史や決まり事、歴代当主が成した成果、御阿礼の転生体が生まれるまでの当主代行(生まれてからは当主補佐)の仕事などが、平易な言葉で書かれた書物がまとめられていた。
 二桁を優に超える書物にかこまれ、さてどこから手を付けようと困っていたら、隙間に隠れるように置かれた真っ白なその本に気がついた。少女はこれまでも、訓練兼趣味として多様な書物を読んできたが、題名のない本を見るのはこの時が初めてだった。さほど厚みがないのもとっかかりとしてちょうど良い気もした。
 上質な座布団が敷かれた座椅子に腰を下ろし、少女には少し大きめの文机に本を置く。表紙を開くと、予想に反したものが目に飛びこんできた。それは、文章が綴られた本ではなかった。
 本には古びた紙が貼られていた。見開いて右側に人の名が、左側に、歳を表していると思われる数字と、日付が記されていた。少女はその名に見覚えがあった。稗田阿一。かつて己が名乗っていたと聞く名前だ。
 項をめくる。同じように、稗田阿爾の名と、数字、日付が記されている。おや、と思った。前項と筆跡が違う。書かれている紙の年代も違う。別の者が紙に書いて貼ったのだろうか。
 再び項をめくる。半ば予想していたが、稗田阿未の名と、数字、日付。やはり筆跡も紙も違う。加えてこの文字は、止めはねが中途半端で筆が震えていた。その上どことなく文字が滲んでいるようだ。読みづらい、と眉をひそめる。
 ぱら、ぱら、と項をめくっていくうちに、いつしか少女は、無意識に小さく震えていた。目の前の本が何を表すものなのか、それが自身にとってどんな意味を持つのか、実年齢に見合わぬ聡さを持つ彼女は、徐々に理解しはじめていた。
 阿余、阿悟、阿夢、阿七と続き、先代である阿弥の項を見て、少女は喉を引きつらせそうになった。書かれている日付には覚えがあった。先代が彼岸での「勤め」に向かったと聞かされた日だ。ならば、次の項にあるのは。
 言うことを聞かない手を無理くり動かして項をめくる。まっさらな白が目に飛びこんできた。何も書かれていないし、何も貼られていない。
 きっとここには自身の「記録」がされるのだろうと察した途端、少女の全身から力が抜けた。ふらりと倒れそうになって、とっさに床に置いた手のひらもぶるぶる震えていた。落ち着かなければ、と理性は己を窘めるものの、底が抜け落ちるような恐怖が少女をくるんでいた。
 日付が彼岸に渡った日ならば、歳を思わせる数字は此岸で過ごした年月を表しているのだろう。改めて見返すまでもない。少女は見たものを忘れないのだから。
 ところどころ水を落としたような滲みがある筆跡も、表す数もばらばらな数字は、しかし、示し合わせたかのように三十に満たないまま終わっていた。

 以来、この本は阿求の生き方を定める指針になった。

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