久々に、召し上がりたいものはありますかと聞いた。
「迷うなー。デザートでもいい?」
「できれば主食になるものも挙げて頂くと助かります」
「じゃあ、咲夜の好物が食べたい」
そういうのが一番だるい。
「おにぎりでいいですか」
「面倒臭がらないのでよ」
「わかりました。では、次の仕入れまでに考えておきましょう」
さて困った。私の好物はなんだろう。
いざ聞かれてみると困るものである。
しかし、わからないからといって適当な選択はできない
ミートパイは好きだ。それに鯵の煮付けなんかも結構好きだし、カルボナーラも好きだ。
好きなのか?
カルボナーラは鯵よりどのくらい美味しいかと言われると困るし、両方美味しい味がするとしか答えられない。
好きな食べものってなんだろう。
◆
食堂の窓際の二人席からは遠くに妖精の喧騒が聞こえて、窓の外では色とりどりの花が揺れている。中でも数輪の白いダリアは、かすかな日光でも眩しかった。
「そういえば、最近花に凝っててね」
「花?」
私の言葉に、魔理沙は窓から視線を切った。
「そう花、育てたことなかったから不安だったけど、思ったより元気に咲いたわ。この前も全滅しちゃったと思ったら元気に生えてて、あのダリアなんて、枯れてたようには見えないでしょう」
「ん、ああ、そうだな」
私はてっきり花を見ているものだと思って話しかけたのだが、魔理沙はただ上の空なだけだったらしい。なんだか自慢するタイミングを見計らっていたことが筒抜けになったようで無性に恥ずかしくなった。そういう気持ちがなかったわけではないけど。
「あなたの番」
「え、何が?」
「なんか話しなさいよ。私ばっかり話して馬鹿みたいじゃない。はいあなたのターン」
「会話ってそういうルールだったのか」
魔理沙は私の強がりに笑って紅茶を口に運んだ。
「なんだ、まあ私の家ではキノコが元気に咲いてるぜ」
「へえ……」
会話、終了。
「……そういえば咲夜はメイドの面倒見たり、意外とそういうの好きだよな」
「そう?」
妖精メイドに対してそこまでなにかしてやっただろうか。仕事を教えたり、集団生活の心得を多少教えてやったり、遊んだり、せいぜいその程度な気がする。
「この前、道に迷って泣いてる妖精メイドを館まで連れ戻してたじゃないか、珍しく時間も止めずに。咲夜がレミリア以外にあそこまで優しくしてやってるのは初めて見たぜ」
「お嬢様は道に迷って泣いたりしないわ」
「なら、優しい咲夜を見たのは初めてだったってことだ」
「……私、そんなに冷血?」
「冷血っていうか、あんまり誰かに感情を向けないよな。いつも一人で喜んだり楽しんだりしてるだろ」
「ずいぶん詳しいのね」
勝手に性格診断をされると、少しむかっ腹が立った。
「こういうのは他人の方がわかるのさ」
「あなたのことも分析してあげる」
「無理無理、お前に乙女心がわかるもんか」
「……そういうことを自分で言える魔理沙は最高ね」
「よく言われるぜ」
くそう、こっち方面から攻めるのはダメか。グリモワールにポエムを書き連ねたり、堂々と恋符を宣言するような”自称少女”は強かった。
「そうだ、魔理沙、あなた香霖堂とはどういう関係なのよ」
「どうもこうも、香霖は兄貴分さ。お前らがあれこれ言うような関係じゃない」
決まり文句とばかりにスラスラと答える。
「ふーん。よく聞かれるのね。やっぱり」
「娯楽の少ない幻想郷だと、男女を見ると色々言いたくなるのだろうさ。あんな枯れ木みたいなやつが相手でもな」
自分のことを少女だのと言っておきながら、魔理沙はこういった話題に淡白だ。
「顔立ちは結構男前よね」
「アリだってんなら、くっついてみたらどうだ。色なんかおそろいじゃないか」
「それはちょっと……私にはお嬢様がいるし」
魔理沙は不思議そうな顔をした。
「別に、レミリアに仕えることと、恋をすることは関係ないだろ」
「私はお嬢様に身も心も捧げているの。誰かのものになるなんて、もってのほか」
いつも心の中で繰り返している言葉だった。そういうことにしておくと楽だから。
「誰かのものになるとか、そういう形じゃなくても恋はできると思うけどなあ」
「でもきっと、私はそうせざるを得なくなるわ。メイドだし」
「まあ、咲夜はかなり尽くすタイプだよな。メイドだし」
「ちょっと、メイドは関係ないでしょ。偏見はよくないわよ」
「え、お前が先に言ったんじゃん」
「あの妖精メイドを見なさい。とてもじゃないけど『尽くすタイプ』には見えないわ」
「そうだけど、お前が言ったじゃん」
「言ってないわ」
「……」
言った。
「じゃあ魔理沙はさあ、店主が相手じゃないとしても、誰かと、その、そういう関係になることはどう思ってるのよ」
「うーむ、私は十年も経ったら、そもそも人間でいるのかもわからないからな。将来なんてなるようになるとしか言えないぜ」
「自由ねえ」
「いいだろう。どうだ、咲夜も根無し草連盟に入るか。今なら残機が一つ付いてくるぜ」
「洗剤の方がいいわね」
そういえば、洗濯物がまだ終わってない。時間を止めないと。
「そろそろお嬢様を起こす準備をするわ」
「そんじゃ、私は図書館に顔を出してから帰るか。またな」
見送ろうかと思ったけれど、強盗についていくのもおかしいのでやめた。そして私は一人になった。
◆
魔理沙とは、霧の異変以来の付き合いである。図書館に強盗に来る際に相手をしたり、宴会で話したり、ときたま異変解決に同行したりしているうちに、なんとなく二人でお茶を飲んだりするようになった。たぶん、紅魔館の外に住んでいる人物で一番付き合いがある人物だ。
はっきり言って彼女はめちゃくちゃな奴だ。平気で人の家から本を借りて行くし、宴会のあとなどにはいつの間にか空き部屋に泊まっていたりする。
私には、そういう振る舞いはできない。これでもそれなりに責任ある立場なのだ。
そのことに対する不満は全く無い。私はお嬢様のためにあれこれやることが楽しい。
というわけで、今日も頑張ろう。起き抜けに夕食を口に運ぶお嬢様の美しいうなじを眺めながら、改めて奮起した。
「ごちそうさま」
お嬢様が食器を置くと同時に時間をとめて、それらを片付ける。入れ替わるようにお茶を淹れ、テーブルにそっと置いて、時間を再び動かす。時を止めているので誰が見ているというわけでもないが、一つ一つの動作は確実に、素早く行う。一人の時間は寂しいから、そんなにはいらない。
「ありがとう」
顔は見えずとも、カップを手にして嬢様が微笑んだのがわかった。
この紅茶には、なんの変哲もないアールグレイだ。日々刺激を求めるお嬢様には変わったお茶を出すように工夫はしているのだが、一杯目にあんまりふざけると、一日じゅう機嫌が悪くなるということがわかって以来、タイミングを見計らうようにした。お嬢様は機嫌が悪くなると、心なしか口数が減り、不機嫌オーラを出す。正解だと、「まっずー」などと言って喜ぶ。
「今日は何かあった?」
これは何か予定はあったか、という意味でもあり、自分が寝ている間になにか起こらなかったか、という意味でもある。
「魔理沙が来ました。お茶を飲んで、図書館で本を強奪した後帰った模様です」
「ここのところ続くね」
お嬢様は天気の話をするように言った。
そういえば、霧雨だったか。
「暇なのでしょう。宴会も、少し前に大きいのをやったばかりですし」
「咲夜は出なかったね」
「ええ、お嬢様が出ませんでしたから」
「別に勝手に出てもいいのに。こんな、真っ赤な館に閉じこもっていたら目が疲れるでしょ」
「慣れましたわ。それに、私一人で出席するのも」
「なんで?」
少し迷った。前ならば、即答できた気がする。魔理沙が変なことを言うせいで調子が狂ったのかもしれない。私は慣れ親しんだ言葉を選んで並べた。
「……私はお嬢様のメイドですから」
「ふーん……」
言葉が尻切れになって沈黙が降りてきた。お嬢様はときおり、こうやって私の言葉を吟味する。でも、私の言葉をあげつらってみせたりということはしないし、お嬢様がこの時間を楽しんでいるということはわかっている。
「魔理沙とは、どういう話をしたの?」
「ええと、中庭の花の話や、少々、恋バナなど」
「恋バナ?詳しく詳しく」
「ええと、魔理沙と香霖堂の関係を訪ねたところ、ただの兄貴分だと躱されて、それで、なんなら私に付き合ってしまえと」
「それで、咲夜は店主をどう思う?意外と脈ありだったり?」
「ないですね」
店主は悪い人ではないけれど、どうもそういった対象にはなりそうにない。
「ないかー。私は珍料理って感じでありだとは思わなくもないけどなー。ほら、ラジオみたいでいいじゃん」
「ラジオがお好みですか」
「ノスタルジックだろう?」
「それは男性に対する評価ではないですよね」
「うん。それもそうか」
なんとなく、お嬢様の次の言葉がわかった。
「ねえ咲夜、添い遂げたいと思う人ができたら、連れて来てもいいのよ。それに、いつまでも紅魔館にいなくても」
「いえ、私は死ぬまでここにいます」
言ってから少し、らしくない、強い言葉だったと思ってドギマギした。
「ごめんね。出て行けと言っているわけではないの。ただ……」
気付くとお嬢様は立ち上がっていた。私はお嬢様のまっすぐな眼差しと、冷たい手のひらを頬に感じた。
「あなたは十六夜咲夜なのよ」
◆
私の名前はお嬢様から授かったものだ。それまではいろいろな、おどろおどろしい渾名だけがあった。
当たり前に身についていた能力を隠そうなんて思わずに、能力を活かして、最小限の手間で日々を過ごしていた。
過ぎていく時間を見送って、都合が悪くなったら引き止めて、なんとなく明日の自分を手繰り寄せていた。
そうやって過ごしていて、私は一人だった。
殺しも生きるために必要だったというわけではない。この世界で出来ることについて確かめているうちに、随分殺してしまったというだけだ。死んでいく心の代わりに、他人を殺していたのか。理由はどうであれ拭えない罪だが、現在は調理という明確な目的の為に罪を重ね続けている。
そう、最終的にはお嬢様に見初められた。殺そうとしても殺せなかった初めての相手がお嬢様だったので、私は始めて世界に興味を抱いた。力の呪縛から開放された瞬間だった。
お嬢様に名前を頂いたとき、終わりの安らぎを感じた。
◆
何日かして、なんとなく顔が見たくなって魔理沙の家を訪ねた。
「珍しいな。うちに来るなんて」
「どうせ今日くらいにはまた強盗に来るつもりだったんでしょう」
「まあな、ちょっと待っててくれ。そっちに椅子があるから」
そう言うと魔理沙は実験器具らしきものが広げられた机で、フラスコを暖めていた八卦炉の火を止めた。魔理沙がぼそぼそと呪文らしきものをつぶやくと、青色だったフラスコの中身が紫色に変化した。パチュリー様が同じようなことをやっていたのを何度か見たことがあった。同じものかはわからないけれど、そのときは魔法の触媒を作っているのだと教えてくださった。
私は言われた通り、ガラクタだらけの部屋で指さされた場所にあったガラクタに座った。
「……お邪魔だったかしら」
「いやいいんだ。こういうのは、空いた時間でいつでも出来るしな」
「お昼は?」
「まだ食べてない。適当に食べるさ。最近あんまり規則正しい生活はしてないんだ」
よくよく見ると、魔理沙の瞳は相変わらず爛々としていたが、目元には隈が見えた。
「ずいぶん根を詰めてるみたいじゃない。新しいスペルカードでも作っていたの?」
「新装備だ。まだ作り始める段階にも達してないけど、傑作の予感がするから楽しみにしておいてくれ」
「それを使ってまた図書館から本を強奪するのかしら」
「いや、これは対霊夢用装備なんだ。パチュリーには使わないさ」
「対霊夢用?」
「ああ、ここのとこ勝ち越されててな。いつの間にかまた強くなってやがった。あいつ、修行なんかしてないって言ってるけど絶対やってるに違いないぜ。じゃなきゃ納得いかん」
魔理沙は私を座らせて、二人分の紅茶を用意した。マンドラゴラとかではなく、つまらないアップルティーだった。
「それで対抗策ってわけ?」
「あいつの強みはここぞと言うときの勝負勘だ。特に、本調子のときは何を仕掛けても知ってましたって顔で避ける。だからそれを崩すために、ちょっとした工夫をしてるのさ」
「ふうん。霊夢以外に使わないなら、私は何を楽しみにすればいいのかしら」
「完成したら、お披露目に付き合えよ。お前にもぶっ放すからさ」
「対霊夢用なんじゃないの?」
「パチュリーには使わないってだけだ。こういうことをやっても逆効果だからな。あいつの弾幕は正面から打ち破るに限る」
実験を行っていた机には手順を示すようなメモ書きや、魔法の理論を記しているらしい紙が散らばっていた。たぶん私には書いてある内容の一割も理解できない。
「すごいわね。ま、楽しみにしておくわ」
「すごくはないさ。なんせまだ出来てもないんだから」
魔理沙は当たり前のように賞賛を受け流した。魔法のこととなると頑なだ。
「褒めたんだからちょっとは喜んだっていいのに」
「ほら、狂人の真似とて大路を走らばそのうち痩せるなりって言うだろう」
「言わないわよ」
なんだそれは、ダイエットの格言か。
「……とにかく、一歩一歩進めていくだけさ。なんだっていいんだ」
意味不明な格言を引用する必要はなかったと思う。魔理沙はことさらに自分の努力を隠そうとするし、私に褒められた照れ隠しだったのかもしれないけど。
「お昼、あてがあるの?」
「アリスにたかろうかと、お前も一緒にどうだ。たかりのコツ、教えてやるからさ」
「遠慮しておく」
「だよな。まあ昼くらい抜いてもいいかと思ったんだが……」
「だったら、人里で食べない?」
「それでいいか。どこで食べる?」
「考えてないわ。とりあえず行きましょうよ」
それからなんとなく里を放浪したが、夏の熱気に消化器官がやられた私たちは蕎麦屋に向かうことにして、群衆の流れに身を任せていた。
角を曲がろうとして、魔理沙が立ち止まった。
「こっちはダメだ」
もっとも、理由はわかっている。
「実家があるから?」
「お前、わかってて来たのか。さすが悪魔の狗だな」
「止めなかったから」
「お詫びはパフェでいいぜ」
「売ってるの?そんな高そうなもの」
「ほらあそこ」
魔理沙が指差した先は、どうみても和風な建築物にかけられた洋菓子屋の看板だった。
「なんでも、幻想郷にある材料で安く洋菓子を作る方法を外の世界から来た人間が持ち込んだらしい。それでいま人里は洋菓子ブームなんだとさ」
「へえ。面白そうじゃない。入ってみましょう」
「やった」
「奢らないわよ」
「ええー、あんなでかい屋敷に住んでるくせにケチだなー」
私は屋敷の金勘定はほとんど任されているし、紅魔館には十分すぎるほど蓄えがあることもわかっている。だからといって、お嬢様の財産をほいほいと使っていい理由にはならない。それに、魔理沙は恵んでやらないといけないほど困窮してないはずだ。
「あなた、この間うちまで来る商人の護衛やってたでしょう。そこそこ貰ったはずよ」
「バレたか」
「いい根性してるわホント」
「見習ってくれよな」
「誰が」
店内は外観と同様和風な作りで、二人席がちょうど空いていた。
「キャロットパフェふたつ」
「人参の甘味とはな。ちゃんと甘いのか?」
「人参のデザートは聞いたことがあるわ」
なんでも、永遠亭では武勲を立てたもののみが食べられる幻のデザートだとか。
もっとも、兎の言うことなので本当かは怪しいところである。適当なことを言って部下のやる気を捏造しているのかもしれない。
「お待たせしました」
和装の店員が物腰柔らかに二人分のパフェと紅茶を運ぶ。
「きたきた。いただきます」
魔理沙は慣れた手つきで淡黄色のクリームをスプーンですくって口に運んだ。
釣られて私もスプーンをそっと口に運んでみた。
「意外とうまいな」
「ええ、思ったより風味が合うものね」
口の中に溶ける甘みの中に、たしかに人参の存在を感じた。新しい感覚だった。
「そういえばさ、咲夜は外の生まれなんだよな」
「まあ」
なんとなく曖昧な返事をすると、魔理沙は大げさに身を乗り出した。
「どうやって幻想郷に来たんだ?」
「さあ、パチュリー様に任せっきりだったから」
「そうかあ。夜でもあそこまで明るいと、星は見えないよな」
外の世界、思い出すのはナイフの感触と乾いたパンの味だけ。空なんて覚えてない。
「思い出すほどのものでもなかったけど」
「うーむ残念」
「なにが」
「外の世界から、結界越しじゃないナマの星空を観測したかったんだけど、あんま見えないなら仕方ないかと思って」
「そもそも博麗大結界の外に出れないでしょう」
「実は、結界をちょっとくぐる方法はわかったんだ。最近色々と機会があってな」
博麗大結界というのはそんなに軽く超えられるものなのだろうか。
「戻れなくなっても知らないわよ」
「マミゾウあたりに幻想入りの方法は聞いておく」
「魔理沙だって魔法使いなんだから自分で研究したらいいじゃない」
「専門外だしなあ」
「素直にパチュリー様に教えてもらったら?」
「あいつに指導を頼むなんてぞっとしないぜ。散々馬鹿にした挙句、断るに違いない」
「そこはほら、本と引き換えにとかで」
「……なんかだかマッチポンプみたいでいい気分じゃないな」
「でもきっとパチュリー様、おもいっきり悔しがるわ。怒りをこらえながら魔法を教えてくれるパチュリー様を見たくないの?」
「お前はどっちの味方だよ」
無論、お嬢様の味方であり、面白い方の味方である。
「それにどっちにしろ、星が見えないんじゃ外の世界に出ても意味ないけどな」
魔理沙は背もたれに後頭部を乗せると、木目ばかりの天井を見上げた。
「でも、そうね、街からは見えなくても山とか、人があんまりいないところからなら見えるかもね、星」
「そうだよなー」
魔理沙は顎を上げたまま、三つ編みを弄んでいた。
「……ねえ、結界を超えて、戻ってこられるような目処がついたら連れて行ってよ」
「いいのかよ。メイドのくせに不良だな。十六の夜か?」
「なにそれ」
「外の世界では、そんな名前の不良の歌が流行ってるらしいぜ。たしか十五の夜だったかな」
「詳しいのね」
「香霖堂に記録が置いてあったんだ。結局聞く方法がわからなかったんだけどな。十五の夜に暴走する歌だそうだ」
たぶん十五夜の満月に変身するウェアウルフの苦悩を綴った曲なのだろう。外の世界にもまだいるのだ。
「結界を越えて空を見ることがそんなに重要なの?」
「重要だと思う。重要じゃないかもしれない」
「わからないってことね」
「わからないってことさ。でも、この空がわずかでも本当のものじゃない可能性があるってわかったら、本物に近づきたくなるだろう?結果として私には差がわからないかもしれないけど、確かめておきたいんだ」
「それで月にも?」
「この前も行ったんだけどな。前回も前々回も、慌ただしかったし、いまいちよく見れてないから、観測機器を持ち込んで見てみたいんだけど」
「熱心なことねえ」
「お前は何で出たいんだ?」
「さあ……強いて言えば、外ってどんな世界だったけって……」
あまりにも覚えていないので、少し気になったのだ。いままで考えたこともなかったけれど。
「このパフェ、結構美味しいわ」
◆
空を飛びながら、沈む夕焼けを見ていた。
青空はうす明るくて、赤い雲と、白く霞んだ三ヶ月の下で、里には暗い陰が落ちている。
「魔理沙は、なんのために魔法使いになったの?」
私の知っている魔法使いはみな、荒唐無稽な目標を持っていた。真理、創造、平和。とてもつまらなそうだった。
「確か、きっかけは流星群だな。それで、香霖のつてで師匠を探して、魔法の修行をさせてもらった」
魔理沙はそこに星空があるように、焼ける雲に手を伸ばした。
風が私達をなでて、西方から澄んだ空気を運んだ。
「あの時、星空を手に入れたいと思ったんだ」
それはやはり魔法使いの荒唐無稽な目標だったが、可愛らしい少女の夢にも聞こえた。
「最近ね、あなたのことを考えて、自分は何もしてないんじゃないかって思ったの」
「一日二十六時間労働のメイド長さまに言われると皮肉に聞こえるぜ」
「私がやっていることなんて、多少規模が大きいとはいえ、人数と十分な時間があれば誰にでもできることだし、魔理沙みたいに、目標もないのよ」
魔理沙は、星空を追いかけたり、霊夢に勝とうとしてみたり色々と日々努力している。誰のためでもなく、自分のために。自分が何を欲しているのか知っている。
私は自分を知らない。自分の好きなものを知らない。自分の欲するものを知らない。自分がどうされたいのか知らない。
「お嬢様は、下のもののことをよく考えてくれるし、ずっと美しいままで、私が朽ち果てたあとでもきっと私のことを忘れない。あんまりにも出来すぎた主、誰だって仕えたくなるわ」
お嬢様にお茶を淹れることも、紅魔館の掃除も、メイドをまとめるのも、私がやる必要はない。お嬢様に忠誠を誓う人物だって、探せば私以外にもいるだろう。
私が忠誠だと思っていたものはただの思考停止で、私は人生の重荷を全部お嬢様に託しているのだろうか。
それでお嬢様はあんなことを言ったのだろうか。
確かに、レミリア・スカーレットという墓標に、ただ与えられた名前を刻むことは無意味に思えた。
「そんなにいいやつかね」
魔理沙は困ったような顔をして、頬をかいた。少し申し訳なくなった。
「私はさ、自分の道を切り開いているなんて言われるようなことはしていない。ほとんど考えなんかない。やりたいようにやってるだけだ。たまに、お前みたいな生き方が羨ましくなることがあるけどな。紅魔館で過ごしているだけでいつも満たされていて、便利な才能もあって、なんだか楽そうだって」
もっともな感想だ。
「でも、今のお前はそこまで楽じゃないんだな」
言われると不思議な事だ。なんとなく、高ぶった気持ちが冷めていった。
「ねえ、ちょっと魔理沙の家に寄っていい?」
夜は私達を飛び越えて空を暗く染め始めていた。
◆
魔理沙の家は相変わらず雑然と混沌の中間だった。散らばる物の密度で言ったら紅魔館の倉庫に引けをとらない。
「さあて、腕が鳴るわね」
「お前……まさか」
私が右肩をひねってみせると、魔理沙は私が何をしようとしているか感づいたようだった。
「そのまさかよ」
「待てっ!やめるんだ!ここにある物の配置は私にしか把握できていない!それに場所が変わったら後でどこに何があったかわからなくなって困る!」
「横着者はいつだってそう言うのよ」
そして世界が静止する。
さて、手始めにこの床に散らばるガラクタをどけないと作業もままならない。
おっと、その前に魔理沙を外にどかしておこう。邪魔だし。
パーティーの始まりだ。
「せめて机だけでも―――ってうわっ」
魔理沙を再び設置する頃には、部屋はすでに別物になっていた。
物で埋まっていた床はさっぱりと片付けられ、その下にカーペットを描いていた埃はすべて消し飛ばした。テーブルや棚といった家具は隅々まで美しく磨き、まるで新品のようである。あちらこちらに散らばった資料は、配置から推測される使用頻度ごとにまとめて机の横に置いておいた。合ってるかは知らない。
「うおお、ここの床ってこんな色だったのか……それになんだか部屋が明るく見える……」
「全部やっておいたわ」
「落ち着かないぜ」
「妖怪みたいなこと言わないの」
魔理沙は恐る恐る部屋を見回していった。
「ありがたいけど――いや、ありがた迷惑だけど、なんなんだ?掃除中毒の禁断症状?」
「似たようなものかしら」
「なにそれこわい」
いや似たようなものではなかったのかも。
「ここを片付けながら考えてたの。もし、魔理沙がお嬢様だったらどうかなって」
「レミリアも大変なんだな」
「でもね、やっぱり魔理沙をお嬢様だとは思えなかったわ。二人とも特別みたい。ありがとうね」
魔理沙は帽子を壁に掛けた。
「意味わからん」
だって私は他人だから。
◆
エプロンを掛けたお嬢様はわざとらしい咳払いをした。
「そういえば今日は咲夜が好物を出してくれる日ではないかね」
「はい。こちらキャロットパフェでございます」
「思ってたよりハイカラなものが出てきたわね」
「この間、人里でいただいて美味しかったので」
私の中で特別枠だと判断された食べもので、栄えある第一号である。
「っていうか今日の夕飯はパフェとデザートだけ?やったね」
「ええそうです。ただやはり主食は必要だと思ったので、パフェの下部に米を敷き詰めておきました」
「なんてことを……!生クリームオンザ米なんてグロすぎだわ……!」
「お嫌いですか?」
「むむ……新しいので良しとする」
お嬢様は果敢にもスプーンを握り、「クリー厶はいけるな。米は……どうだろう。イケるのかこれは……混ぜると…………ダメだな」などと呟きながらパフェを崩していた。
そういうお嬢様が大好きで、私は幸福だ。
「迷うなー。デザートでもいい?」
「できれば主食になるものも挙げて頂くと助かります」
「じゃあ、咲夜の好物が食べたい」
そういうのが一番だるい。
「おにぎりでいいですか」
「面倒臭がらないのでよ」
「わかりました。では、次の仕入れまでに考えておきましょう」
さて困った。私の好物はなんだろう。
いざ聞かれてみると困るものである。
しかし、わからないからといって適当な選択はできない
ミートパイは好きだ。それに鯵の煮付けなんかも結構好きだし、カルボナーラも好きだ。
好きなのか?
カルボナーラは鯵よりどのくらい美味しいかと言われると困るし、両方美味しい味がするとしか答えられない。
好きな食べものってなんだろう。
◆
食堂の窓際の二人席からは遠くに妖精の喧騒が聞こえて、窓の外では色とりどりの花が揺れている。中でも数輪の白いダリアは、かすかな日光でも眩しかった。
「そういえば、最近花に凝っててね」
「花?」
私の言葉に、魔理沙は窓から視線を切った。
「そう花、育てたことなかったから不安だったけど、思ったより元気に咲いたわ。この前も全滅しちゃったと思ったら元気に生えてて、あのダリアなんて、枯れてたようには見えないでしょう」
「ん、ああ、そうだな」
私はてっきり花を見ているものだと思って話しかけたのだが、魔理沙はただ上の空なだけだったらしい。なんだか自慢するタイミングを見計らっていたことが筒抜けになったようで無性に恥ずかしくなった。そういう気持ちがなかったわけではないけど。
「あなたの番」
「え、何が?」
「なんか話しなさいよ。私ばっかり話して馬鹿みたいじゃない。はいあなたのターン」
「会話ってそういうルールだったのか」
魔理沙は私の強がりに笑って紅茶を口に運んだ。
「なんだ、まあ私の家ではキノコが元気に咲いてるぜ」
「へえ……」
会話、終了。
「……そういえば咲夜はメイドの面倒見たり、意外とそういうの好きだよな」
「そう?」
妖精メイドに対してそこまでなにかしてやっただろうか。仕事を教えたり、集団生活の心得を多少教えてやったり、遊んだり、せいぜいその程度な気がする。
「この前、道に迷って泣いてる妖精メイドを館まで連れ戻してたじゃないか、珍しく時間も止めずに。咲夜がレミリア以外にあそこまで優しくしてやってるのは初めて見たぜ」
「お嬢様は道に迷って泣いたりしないわ」
「なら、優しい咲夜を見たのは初めてだったってことだ」
「……私、そんなに冷血?」
「冷血っていうか、あんまり誰かに感情を向けないよな。いつも一人で喜んだり楽しんだりしてるだろ」
「ずいぶん詳しいのね」
勝手に性格診断をされると、少しむかっ腹が立った。
「こういうのは他人の方がわかるのさ」
「あなたのことも分析してあげる」
「無理無理、お前に乙女心がわかるもんか」
「……そういうことを自分で言える魔理沙は最高ね」
「よく言われるぜ」
くそう、こっち方面から攻めるのはダメか。グリモワールにポエムを書き連ねたり、堂々と恋符を宣言するような”自称少女”は強かった。
「そうだ、魔理沙、あなた香霖堂とはどういう関係なのよ」
「どうもこうも、香霖は兄貴分さ。お前らがあれこれ言うような関係じゃない」
決まり文句とばかりにスラスラと答える。
「ふーん。よく聞かれるのね。やっぱり」
「娯楽の少ない幻想郷だと、男女を見ると色々言いたくなるのだろうさ。あんな枯れ木みたいなやつが相手でもな」
自分のことを少女だのと言っておきながら、魔理沙はこういった話題に淡白だ。
「顔立ちは結構男前よね」
「アリだってんなら、くっついてみたらどうだ。色なんかおそろいじゃないか」
「それはちょっと……私にはお嬢様がいるし」
魔理沙は不思議そうな顔をした。
「別に、レミリアに仕えることと、恋をすることは関係ないだろ」
「私はお嬢様に身も心も捧げているの。誰かのものになるなんて、もってのほか」
いつも心の中で繰り返している言葉だった。そういうことにしておくと楽だから。
「誰かのものになるとか、そういう形じゃなくても恋はできると思うけどなあ」
「でもきっと、私はそうせざるを得なくなるわ。メイドだし」
「まあ、咲夜はかなり尽くすタイプだよな。メイドだし」
「ちょっと、メイドは関係ないでしょ。偏見はよくないわよ」
「え、お前が先に言ったんじゃん」
「あの妖精メイドを見なさい。とてもじゃないけど『尽くすタイプ』には見えないわ」
「そうだけど、お前が言ったじゃん」
「言ってないわ」
「……」
言った。
「じゃあ魔理沙はさあ、店主が相手じゃないとしても、誰かと、その、そういう関係になることはどう思ってるのよ」
「うーむ、私は十年も経ったら、そもそも人間でいるのかもわからないからな。将来なんてなるようになるとしか言えないぜ」
「自由ねえ」
「いいだろう。どうだ、咲夜も根無し草連盟に入るか。今なら残機が一つ付いてくるぜ」
「洗剤の方がいいわね」
そういえば、洗濯物がまだ終わってない。時間を止めないと。
「そろそろお嬢様を起こす準備をするわ」
「そんじゃ、私は図書館に顔を出してから帰るか。またな」
見送ろうかと思ったけれど、強盗についていくのもおかしいのでやめた。そして私は一人になった。
◆
魔理沙とは、霧の異変以来の付き合いである。図書館に強盗に来る際に相手をしたり、宴会で話したり、ときたま異変解決に同行したりしているうちに、なんとなく二人でお茶を飲んだりするようになった。たぶん、紅魔館の外に住んでいる人物で一番付き合いがある人物だ。
はっきり言って彼女はめちゃくちゃな奴だ。平気で人の家から本を借りて行くし、宴会のあとなどにはいつの間にか空き部屋に泊まっていたりする。
私には、そういう振る舞いはできない。これでもそれなりに責任ある立場なのだ。
そのことに対する不満は全く無い。私はお嬢様のためにあれこれやることが楽しい。
というわけで、今日も頑張ろう。起き抜けに夕食を口に運ぶお嬢様の美しいうなじを眺めながら、改めて奮起した。
「ごちそうさま」
お嬢様が食器を置くと同時に時間をとめて、それらを片付ける。入れ替わるようにお茶を淹れ、テーブルにそっと置いて、時間を再び動かす。時を止めているので誰が見ているというわけでもないが、一つ一つの動作は確実に、素早く行う。一人の時間は寂しいから、そんなにはいらない。
「ありがとう」
顔は見えずとも、カップを手にして嬢様が微笑んだのがわかった。
この紅茶には、なんの変哲もないアールグレイだ。日々刺激を求めるお嬢様には変わったお茶を出すように工夫はしているのだが、一杯目にあんまりふざけると、一日じゅう機嫌が悪くなるということがわかって以来、タイミングを見計らうようにした。お嬢様は機嫌が悪くなると、心なしか口数が減り、不機嫌オーラを出す。正解だと、「まっずー」などと言って喜ぶ。
「今日は何かあった?」
これは何か予定はあったか、という意味でもあり、自分が寝ている間になにか起こらなかったか、という意味でもある。
「魔理沙が来ました。お茶を飲んで、図書館で本を強奪した後帰った模様です」
「ここのところ続くね」
お嬢様は天気の話をするように言った。
そういえば、霧雨だったか。
「暇なのでしょう。宴会も、少し前に大きいのをやったばかりですし」
「咲夜は出なかったね」
「ええ、お嬢様が出ませんでしたから」
「別に勝手に出てもいいのに。こんな、真っ赤な館に閉じこもっていたら目が疲れるでしょ」
「慣れましたわ。それに、私一人で出席するのも」
「なんで?」
少し迷った。前ならば、即答できた気がする。魔理沙が変なことを言うせいで調子が狂ったのかもしれない。私は慣れ親しんだ言葉を選んで並べた。
「……私はお嬢様のメイドですから」
「ふーん……」
言葉が尻切れになって沈黙が降りてきた。お嬢様はときおり、こうやって私の言葉を吟味する。でも、私の言葉をあげつらってみせたりということはしないし、お嬢様がこの時間を楽しんでいるということはわかっている。
「魔理沙とは、どういう話をしたの?」
「ええと、中庭の花の話や、少々、恋バナなど」
「恋バナ?詳しく詳しく」
「ええと、魔理沙と香霖堂の関係を訪ねたところ、ただの兄貴分だと躱されて、それで、なんなら私に付き合ってしまえと」
「それで、咲夜は店主をどう思う?意外と脈ありだったり?」
「ないですね」
店主は悪い人ではないけれど、どうもそういった対象にはなりそうにない。
「ないかー。私は珍料理って感じでありだとは思わなくもないけどなー。ほら、ラジオみたいでいいじゃん」
「ラジオがお好みですか」
「ノスタルジックだろう?」
「それは男性に対する評価ではないですよね」
「うん。それもそうか」
なんとなく、お嬢様の次の言葉がわかった。
「ねえ咲夜、添い遂げたいと思う人ができたら、連れて来てもいいのよ。それに、いつまでも紅魔館にいなくても」
「いえ、私は死ぬまでここにいます」
言ってから少し、らしくない、強い言葉だったと思ってドギマギした。
「ごめんね。出て行けと言っているわけではないの。ただ……」
気付くとお嬢様は立ち上がっていた。私はお嬢様のまっすぐな眼差しと、冷たい手のひらを頬に感じた。
「あなたは十六夜咲夜なのよ」
◆
私の名前はお嬢様から授かったものだ。それまではいろいろな、おどろおどろしい渾名だけがあった。
当たり前に身についていた能力を隠そうなんて思わずに、能力を活かして、最小限の手間で日々を過ごしていた。
過ぎていく時間を見送って、都合が悪くなったら引き止めて、なんとなく明日の自分を手繰り寄せていた。
そうやって過ごしていて、私は一人だった。
殺しも生きるために必要だったというわけではない。この世界で出来ることについて確かめているうちに、随分殺してしまったというだけだ。死んでいく心の代わりに、他人を殺していたのか。理由はどうであれ拭えない罪だが、現在は調理という明確な目的の為に罪を重ね続けている。
そう、最終的にはお嬢様に見初められた。殺そうとしても殺せなかった初めての相手がお嬢様だったので、私は始めて世界に興味を抱いた。力の呪縛から開放された瞬間だった。
お嬢様に名前を頂いたとき、終わりの安らぎを感じた。
◆
何日かして、なんとなく顔が見たくなって魔理沙の家を訪ねた。
「珍しいな。うちに来るなんて」
「どうせ今日くらいにはまた強盗に来るつもりだったんでしょう」
「まあな、ちょっと待っててくれ。そっちに椅子があるから」
そう言うと魔理沙は実験器具らしきものが広げられた机で、フラスコを暖めていた八卦炉の火を止めた。魔理沙がぼそぼそと呪文らしきものをつぶやくと、青色だったフラスコの中身が紫色に変化した。パチュリー様が同じようなことをやっていたのを何度か見たことがあった。同じものかはわからないけれど、そのときは魔法の触媒を作っているのだと教えてくださった。
私は言われた通り、ガラクタだらけの部屋で指さされた場所にあったガラクタに座った。
「……お邪魔だったかしら」
「いやいいんだ。こういうのは、空いた時間でいつでも出来るしな」
「お昼は?」
「まだ食べてない。適当に食べるさ。最近あんまり規則正しい生活はしてないんだ」
よくよく見ると、魔理沙の瞳は相変わらず爛々としていたが、目元には隈が見えた。
「ずいぶん根を詰めてるみたいじゃない。新しいスペルカードでも作っていたの?」
「新装備だ。まだ作り始める段階にも達してないけど、傑作の予感がするから楽しみにしておいてくれ」
「それを使ってまた図書館から本を強奪するのかしら」
「いや、これは対霊夢用装備なんだ。パチュリーには使わないさ」
「対霊夢用?」
「ああ、ここのとこ勝ち越されててな。いつの間にかまた強くなってやがった。あいつ、修行なんかしてないって言ってるけど絶対やってるに違いないぜ。じゃなきゃ納得いかん」
魔理沙は私を座らせて、二人分の紅茶を用意した。マンドラゴラとかではなく、つまらないアップルティーだった。
「それで対抗策ってわけ?」
「あいつの強みはここぞと言うときの勝負勘だ。特に、本調子のときは何を仕掛けても知ってましたって顔で避ける。だからそれを崩すために、ちょっとした工夫をしてるのさ」
「ふうん。霊夢以外に使わないなら、私は何を楽しみにすればいいのかしら」
「完成したら、お披露目に付き合えよ。お前にもぶっ放すからさ」
「対霊夢用なんじゃないの?」
「パチュリーには使わないってだけだ。こういうことをやっても逆効果だからな。あいつの弾幕は正面から打ち破るに限る」
実験を行っていた机には手順を示すようなメモ書きや、魔法の理論を記しているらしい紙が散らばっていた。たぶん私には書いてある内容の一割も理解できない。
「すごいわね。ま、楽しみにしておくわ」
「すごくはないさ。なんせまだ出来てもないんだから」
魔理沙は当たり前のように賞賛を受け流した。魔法のこととなると頑なだ。
「褒めたんだからちょっとは喜んだっていいのに」
「ほら、狂人の真似とて大路を走らばそのうち痩せるなりって言うだろう」
「言わないわよ」
なんだそれは、ダイエットの格言か。
「……とにかく、一歩一歩進めていくだけさ。なんだっていいんだ」
意味不明な格言を引用する必要はなかったと思う。魔理沙はことさらに自分の努力を隠そうとするし、私に褒められた照れ隠しだったのかもしれないけど。
「お昼、あてがあるの?」
「アリスにたかろうかと、お前も一緒にどうだ。たかりのコツ、教えてやるからさ」
「遠慮しておく」
「だよな。まあ昼くらい抜いてもいいかと思ったんだが……」
「だったら、人里で食べない?」
「それでいいか。どこで食べる?」
「考えてないわ。とりあえず行きましょうよ」
それからなんとなく里を放浪したが、夏の熱気に消化器官がやられた私たちは蕎麦屋に向かうことにして、群衆の流れに身を任せていた。
角を曲がろうとして、魔理沙が立ち止まった。
「こっちはダメだ」
もっとも、理由はわかっている。
「実家があるから?」
「お前、わかってて来たのか。さすが悪魔の狗だな」
「止めなかったから」
「お詫びはパフェでいいぜ」
「売ってるの?そんな高そうなもの」
「ほらあそこ」
魔理沙が指差した先は、どうみても和風な建築物にかけられた洋菓子屋の看板だった。
「なんでも、幻想郷にある材料で安く洋菓子を作る方法を外の世界から来た人間が持ち込んだらしい。それでいま人里は洋菓子ブームなんだとさ」
「へえ。面白そうじゃない。入ってみましょう」
「やった」
「奢らないわよ」
「ええー、あんなでかい屋敷に住んでるくせにケチだなー」
私は屋敷の金勘定はほとんど任されているし、紅魔館には十分すぎるほど蓄えがあることもわかっている。だからといって、お嬢様の財産をほいほいと使っていい理由にはならない。それに、魔理沙は恵んでやらないといけないほど困窮してないはずだ。
「あなた、この間うちまで来る商人の護衛やってたでしょう。そこそこ貰ったはずよ」
「バレたか」
「いい根性してるわホント」
「見習ってくれよな」
「誰が」
店内は外観と同様和風な作りで、二人席がちょうど空いていた。
「キャロットパフェふたつ」
「人参の甘味とはな。ちゃんと甘いのか?」
「人参のデザートは聞いたことがあるわ」
なんでも、永遠亭では武勲を立てたもののみが食べられる幻のデザートだとか。
もっとも、兎の言うことなので本当かは怪しいところである。適当なことを言って部下のやる気を捏造しているのかもしれない。
「お待たせしました」
和装の店員が物腰柔らかに二人分のパフェと紅茶を運ぶ。
「きたきた。いただきます」
魔理沙は慣れた手つきで淡黄色のクリームをスプーンですくって口に運んだ。
釣られて私もスプーンをそっと口に運んでみた。
「意外とうまいな」
「ええ、思ったより風味が合うものね」
口の中に溶ける甘みの中に、たしかに人参の存在を感じた。新しい感覚だった。
「そういえばさ、咲夜は外の生まれなんだよな」
「まあ」
なんとなく曖昧な返事をすると、魔理沙は大げさに身を乗り出した。
「どうやって幻想郷に来たんだ?」
「さあ、パチュリー様に任せっきりだったから」
「そうかあ。夜でもあそこまで明るいと、星は見えないよな」
外の世界、思い出すのはナイフの感触と乾いたパンの味だけ。空なんて覚えてない。
「思い出すほどのものでもなかったけど」
「うーむ残念」
「なにが」
「外の世界から、結界越しじゃないナマの星空を観測したかったんだけど、あんま見えないなら仕方ないかと思って」
「そもそも博麗大結界の外に出れないでしょう」
「実は、結界をちょっとくぐる方法はわかったんだ。最近色々と機会があってな」
博麗大結界というのはそんなに軽く超えられるものなのだろうか。
「戻れなくなっても知らないわよ」
「マミゾウあたりに幻想入りの方法は聞いておく」
「魔理沙だって魔法使いなんだから自分で研究したらいいじゃない」
「専門外だしなあ」
「素直にパチュリー様に教えてもらったら?」
「あいつに指導を頼むなんてぞっとしないぜ。散々馬鹿にした挙句、断るに違いない」
「そこはほら、本と引き換えにとかで」
「……なんかだかマッチポンプみたいでいい気分じゃないな」
「でもきっとパチュリー様、おもいっきり悔しがるわ。怒りをこらえながら魔法を教えてくれるパチュリー様を見たくないの?」
「お前はどっちの味方だよ」
無論、お嬢様の味方であり、面白い方の味方である。
「それにどっちにしろ、星が見えないんじゃ外の世界に出ても意味ないけどな」
魔理沙は背もたれに後頭部を乗せると、木目ばかりの天井を見上げた。
「でも、そうね、街からは見えなくても山とか、人があんまりいないところからなら見えるかもね、星」
「そうだよなー」
魔理沙は顎を上げたまま、三つ編みを弄んでいた。
「……ねえ、結界を超えて、戻ってこられるような目処がついたら連れて行ってよ」
「いいのかよ。メイドのくせに不良だな。十六の夜か?」
「なにそれ」
「外の世界では、そんな名前の不良の歌が流行ってるらしいぜ。たしか十五の夜だったかな」
「詳しいのね」
「香霖堂に記録が置いてあったんだ。結局聞く方法がわからなかったんだけどな。十五の夜に暴走する歌だそうだ」
たぶん十五夜の満月に変身するウェアウルフの苦悩を綴った曲なのだろう。外の世界にもまだいるのだ。
「結界を越えて空を見ることがそんなに重要なの?」
「重要だと思う。重要じゃないかもしれない」
「わからないってことね」
「わからないってことさ。でも、この空がわずかでも本当のものじゃない可能性があるってわかったら、本物に近づきたくなるだろう?結果として私には差がわからないかもしれないけど、確かめておきたいんだ」
「それで月にも?」
「この前も行ったんだけどな。前回も前々回も、慌ただしかったし、いまいちよく見れてないから、観測機器を持ち込んで見てみたいんだけど」
「熱心なことねえ」
「お前は何で出たいんだ?」
「さあ……強いて言えば、外ってどんな世界だったけって……」
あまりにも覚えていないので、少し気になったのだ。いままで考えたこともなかったけれど。
「このパフェ、結構美味しいわ」
◆
空を飛びながら、沈む夕焼けを見ていた。
青空はうす明るくて、赤い雲と、白く霞んだ三ヶ月の下で、里には暗い陰が落ちている。
「魔理沙は、なんのために魔法使いになったの?」
私の知っている魔法使いはみな、荒唐無稽な目標を持っていた。真理、創造、平和。とてもつまらなそうだった。
「確か、きっかけは流星群だな。それで、香霖のつてで師匠を探して、魔法の修行をさせてもらった」
魔理沙はそこに星空があるように、焼ける雲に手を伸ばした。
風が私達をなでて、西方から澄んだ空気を運んだ。
「あの時、星空を手に入れたいと思ったんだ」
それはやはり魔法使いの荒唐無稽な目標だったが、可愛らしい少女の夢にも聞こえた。
「最近ね、あなたのことを考えて、自分は何もしてないんじゃないかって思ったの」
「一日二十六時間労働のメイド長さまに言われると皮肉に聞こえるぜ」
「私がやっていることなんて、多少規模が大きいとはいえ、人数と十分な時間があれば誰にでもできることだし、魔理沙みたいに、目標もないのよ」
魔理沙は、星空を追いかけたり、霊夢に勝とうとしてみたり色々と日々努力している。誰のためでもなく、自分のために。自分が何を欲しているのか知っている。
私は自分を知らない。自分の好きなものを知らない。自分の欲するものを知らない。自分がどうされたいのか知らない。
「お嬢様は、下のもののことをよく考えてくれるし、ずっと美しいままで、私が朽ち果てたあとでもきっと私のことを忘れない。あんまりにも出来すぎた主、誰だって仕えたくなるわ」
お嬢様にお茶を淹れることも、紅魔館の掃除も、メイドをまとめるのも、私がやる必要はない。お嬢様に忠誠を誓う人物だって、探せば私以外にもいるだろう。
私が忠誠だと思っていたものはただの思考停止で、私は人生の重荷を全部お嬢様に託しているのだろうか。
それでお嬢様はあんなことを言ったのだろうか。
確かに、レミリア・スカーレットという墓標に、ただ与えられた名前を刻むことは無意味に思えた。
「そんなにいいやつかね」
魔理沙は困ったような顔をして、頬をかいた。少し申し訳なくなった。
「私はさ、自分の道を切り開いているなんて言われるようなことはしていない。ほとんど考えなんかない。やりたいようにやってるだけだ。たまに、お前みたいな生き方が羨ましくなることがあるけどな。紅魔館で過ごしているだけでいつも満たされていて、便利な才能もあって、なんだか楽そうだって」
もっともな感想だ。
「でも、今のお前はそこまで楽じゃないんだな」
言われると不思議な事だ。なんとなく、高ぶった気持ちが冷めていった。
「ねえ、ちょっと魔理沙の家に寄っていい?」
夜は私達を飛び越えて空を暗く染め始めていた。
◆
魔理沙の家は相変わらず雑然と混沌の中間だった。散らばる物の密度で言ったら紅魔館の倉庫に引けをとらない。
「さあて、腕が鳴るわね」
「お前……まさか」
私が右肩をひねってみせると、魔理沙は私が何をしようとしているか感づいたようだった。
「そのまさかよ」
「待てっ!やめるんだ!ここにある物の配置は私にしか把握できていない!それに場所が変わったら後でどこに何があったかわからなくなって困る!」
「横着者はいつだってそう言うのよ」
そして世界が静止する。
さて、手始めにこの床に散らばるガラクタをどけないと作業もままならない。
おっと、その前に魔理沙を外にどかしておこう。邪魔だし。
パーティーの始まりだ。
「せめて机だけでも―――ってうわっ」
魔理沙を再び設置する頃には、部屋はすでに別物になっていた。
物で埋まっていた床はさっぱりと片付けられ、その下にカーペットを描いていた埃はすべて消し飛ばした。テーブルや棚といった家具は隅々まで美しく磨き、まるで新品のようである。あちらこちらに散らばった資料は、配置から推測される使用頻度ごとにまとめて机の横に置いておいた。合ってるかは知らない。
「うおお、ここの床ってこんな色だったのか……それになんだか部屋が明るく見える……」
「全部やっておいたわ」
「落ち着かないぜ」
「妖怪みたいなこと言わないの」
魔理沙は恐る恐る部屋を見回していった。
「ありがたいけど――いや、ありがた迷惑だけど、なんなんだ?掃除中毒の禁断症状?」
「似たようなものかしら」
「なにそれこわい」
いや似たようなものではなかったのかも。
「ここを片付けながら考えてたの。もし、魔理沙がお嬢様だったらどうかなって」
「レミリアも大変なんだな」
「でもね、やっぱり魔理沙をお嬢様だとは思えなかったわ。二人とも特別みたい。ありがとうね」
魔理沙は帽子を壁に掛けた。
「意味わからん」
だって私は他人だから。
◆
エプロンを掛けたお嬢様はわざとらしい咳払いをした。
「そういえば今日は咲夜が好物を出してくれる日ではないかね」
「はい。こちらキャロットパフェでございます」
「思ってたよりハイカラなものが出てきたわね」
「この間、人里でいただいて美味しかったので」
私の中で特別枠だと判断された食べもので、栄えある第一号である。
「っていうか今日の夕飯はパフェとデザートだけ?やったね」
「ええそうです。ただやはり主食は必要だと思ったので、パフェの下部に米を敷き詰めておきました」
「なんてことを……!生クリームオンザ米なんてグロすぎだわ……!」
「お嫌いですか?」
「むむ……新しいので良しとする」
お嬢様は果敢にもスプーンを握り、「クリー厶はいけるな。米は……どうだろう。イケるのかこれは……混ぜると…………ダメだな」などと呟きながらパフェを崩していた。
そういうお嬢様が大好きで、私は幸福だ。
咲夜さんせめてポン菓子にしてやってよ・・・w
特に「でも、今のお前はそこまで楽じゃないんだな」「いや似たようなものではなかったのかも」「でもね、やっぱり魔理沙をお嬢様だとは思えなかったわ。二人とも特別みたい。ありがとうね」のくだりが好きです
言葉少なくシンプルに綴られた地の文の行間に意味を隠したような文体が「瀟洒なメイド」の内面にじつに馴染んでいて、この咲夜の語り口をもっと読んでみたいと思わせる不思議な魅力がありました
お嬢様も素敵でした。
だが生クリームオンザ米。てめえは駄目だ
咲夜の不思議な価値観と信念みたいなものがこれでもかというくらいに魅力的に表現されてるように感じました