Coolier - 新生・東方創想話

アルマゲスト・フリーフォール

2018/07/27 12:02:43
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 私のあらゆる経験の出発点は、前と後ろを取り違えたままたどたどしい足取りで九天の滝へと滑り落ちた、あの秋の日の午後の記憶だった。
 滝の飛沫に全身を包まれながら墜落するおそらくごくわずかな時間、晴天の中で巨大に発達した雲を眺めていると、ふと違和感を覚えた。青空へ向かう白い雲と、滝壺へ落ちる私の姿とがまぜこぜになって見えたのだ。
 だが、そう感じた次の瞬間には強い身体的な衝撃によって、その錯覚は霧消していた。私はしばらくぼうっとして、それからはじめて息をしなければならないと思い当たって水面に顔を出した。肝を冷やした両親が一目散に飛んできて、私を抱え上げて様々な言葉を掛けたが、どのような内容だったかは覚えていない。たぶん、ありきたりな心配と注意の言葉だろう。
 確かなのは、それ以来前と後ろを取り違える癖は無くなったということだけだ。そして、それは空と水についても同様だった。
 幼い私にとって、前方と後方とは同義であった。そこに上下や左右を含めてもよい。感覚の鋭敏な白狼天狗の中でも特に秀でた視力を生得的に備えていた私の視界は、幼年期の興味のめまぐるしい流転と同じ速度で回転していた。前を向いていてもつねに左右に気掛かりなものを捉えていたし、右を向いてみても前と後ろに視界の裾野は果てしなく明晰に広がりつづけていた。そのようにして、視覚と意識があまりに自由な素早さを備えていたために、私にとって首や手足は非常に緩慢な器官に感じられてならなかった。
 ゆえに私はあの日から、この身体と知覚の隔たりを解消しようと努めた。つまり、身体を鍛えるか、知覚を制限するか、二つの道があった。そして、私はどちらも実行した。前者も後者も、ごく自然な習慣として可能なことだった。それは時間が解決してくれる種の問題と大差無い。身体は成長と鍛錬と共に強靭になってゆくものだし、知覚を無闇にさまよわせる興味も次第に薄れていくものだ。ただ一つ誤算だったのは、私の視界も時間と共に拡大していくという事態だった。自立に際して注意の対象が身近な俗事に占められていく傍らで、私の目はいつしか千里先まで見通す視力を獲得していた。だが、それが真に役に立つことは無かった。それから間もなく世界の半径は千里未満に縮まったからだ。もはや比喩表現ではなく、視界はすなわち世界となった。つまり、幻想郷のことだ。
 昔のことを思い出すのは久しぶりだった。おそらく前回の回想よりも記憶が鈍っている気がする。もちろん、幼少の自分の振る舞いなど正確に覚えていたところでただ恥じ入る材料が増えるだけなのだろうが。
 それでも、こうして私の原点を再確認することは重要だった。特に、自己についてのおそらく最大の同一性が、ふとした出来事で曖昧に思われてきたときには。

 きっかけは昨日の夜会の席でのことだった。適当な月を口実に、安い盃を交わすだけのごく日常的でささやかな会。集まる天狗のほとんどは顔馴染みの白狼か、あるいは気まぐれに訪れるいくらかの鴉天狗だった。
「ねえ、あの月はどう見える?」と背後で問う声がした。
「普通の月だと思いますが」
 何の問いかけだろうと思って振り向くと、声の主は射命丸文だった。私は少し驚いたが、考えてみれば、彼女がこうした場に現れることはそう珍しいことではない。一般の鴉天狗の例に漏れず、彼女もまた新聞の趣味を持っていて、風と噂と多少の(人間にとっては多く、鬼にとっては少ないという意味だ)酒を好んだ。一般的でない話をするならば、私たちはおそらく互いに互いを遠ざけていたはずなのだが。少なくとも、私はそうだった。私は彼女が苦手だった。
 射命丸文について私は多くのことを見聞きしていたが、それらの知識は彼女を理解する助けにはならなかった。むしろ、知識は私を混乱させた。無秩序な建材を余さず用いて秩序だった建物を造ることはできない。彼女は人間に対して友好的であるようにも見えるが、驚くほど保守的な言動を見せることもあった。個人としての自由を希望していながら、組織への伝統的な帰属を示している。良く言えば器用だが、悪く言えば不誠実だ。私は、どちらの言葉で彼女を評すべきなのか決めかねていた。私は彼女を理解できなかった。そして、理解できない私を彼女は嫌っているのではないかと思っていた。
「そうじゃなくて、その眼で見るとどうなのか、と」
 質問を上手く呑み込めないでいると、「千里眼でしょう、それ」と彼女は言った。
「千里眼と、千里を見通す目は別です」
「それくらい知っていますよ」
 彼女は茶化すようにして返すと、ふたたび念を押すように尋ねる。
「それで、どう見えるの」
「変わりませんよ、何も。ただよく見えるだけです」
 私はそれ以上詳しく語らなかった。彼女も問いの真意を詳らかにしていないから、過剰な説明の義務は無いと思った。
 空を仰ぐ。私の目には、月がよく見えていた。それはとうに理想的な球の形態を損なっていて、一種の流刑地、あるいは磔刑の象徴にしか映らない。幼い頃と同じだ。月は、空に浮かぶ神々の荒涼たる墓標でしかなかった。
 手元に視線を戻し、盃をあおった。私には月見酒というものの風趣が今一つ理解できなかった。他者の口ぶりから心情の推測はできるけれども、それが私のものになることはけっして無かった。そこに盃を捧げるべき神の不在を知っているからだ。
「もう少し楽しそうな顔をしたらどうなの」
「詮索されて良い気分になる者は少ないでしょう。それがどんなに的外れな問いであったとしても」
 あからさまに反抗してみたものの、彼女は気にも留めない様子で、「そういえば」と新たな話題を切り出した。「はたてがあなたに用があるって」
「千里眼が必要な用なら、無理だと伝えておいてください」
「その心配はたぶん無い……と思う」
「どうして言いよどむんですか」
「私も詳しくは知らないのよ。二人まとめて話した方が都合がいいらしくて」
「それはなんというか、ちょっと面倒事のような気がしますが」
 私たち二人に共通する用事と聞いて、私は疑問に思った。私と彼女がまっとうに協力しなければならない用件というのはなかなか想像がつかない。それが姫海棠はたての提案となればなおさらだ。だが、私たちに彼女の誘いを断る明確な理由は無かった。私たちは彼女を信用していた。少なくとも、提案がどんなに面倒なものであったとしても、それは悪意に基づくものではないだろう。むしろ、彼女は善意によって面倒事を引き起こすのだと私たちは理解していた。
 私は射命丸文に従ってその場を離れ、滝の裏にある洞窟の一つに降りた。天狗が内密な相談をするときにはよくこうした場所が用いられる。あまりに便利なので、これらの空間が自然の物だと信じている者はほとんどいない。そのため、昔は天狗たちの与太話の格好の材料にされていたけれども、やがて話の類型も飽和してしまったのか、今となってはいくつかの噂が残っているだけだ。
「こんばんは、二人とも」
 洞窟の少し奥、滝の飛沫の及ばない所で姫海棠はたてが待っていた。「こんばんは」と挨拶を返す。
「それで、用件って何なの。わざわざ連れてきたんだから」
「その前に見てほしいものがあるの」とはたては河童の印が入った箱を見せた。
「ただのカメラ自慢なら帰るわよ」
「いきなり本題を言っても伝わらないかなと思って。いいから見て。それから聞いて。すぐ終わるから」
 そう言うと、彼女は板状の物体を取り出して見せた。
「これって、あの外の女学生の」
「そう、その模倣。といっても試作機だし、まだ撮影機能の一部しか再現されていないけど」
 まったく見慣れない機械だったが、二人の会話からカメラなのだろうという察しは付いた。それも、どちらかといえばはたての持つケータイに近い種類の。
「二人とも距離を取ってそこに立って」
 前提知識を欠いているために、私だけまだ上手く状況を呑み込めずにいたが、はたての指示に従うことにした。彼女によれば本題はこの後なのだから、今はおとなしく言うことを聞いておこう。
 私たちが十分離れたのを確認してから、はたてはケータイを私の方に構えた。この角度だと、おそらく二人一緒には画面に収まらないはずだ。それから彼女はゆっくりとケータイを射命丸文の方へ動かしはじめた。じっとしていると、まもなく彼女はケータイを下ろした。「いいよ」と告げられて、私たちは彼女の元へ駆け寄った。
「暗いからあまり上手く写っていないかもだけど」
 そう前置きして彼女はやけに横に伸びた写真を見せてきた。そこには私たち二人がしっかりと映っていた。
 はたては嬉しそうな顔をしているが、カメラの趣味が無い私には何が新しいのか分からない。なんだか申し訳ないなと思う。
「要は絵巻物ね。理解したわ」と射命丸文は言った。私は少し納得できた気がした。
「絵巻物って……」
 はたては少し呆れたような表情になって、「なんか、文ってたまに古いよね。色々と」と言った。
 射命丸文は指摘を受けて、心外な、という表情をしたけれど、その古い説明を聞くまで私は理解できなかったのだと思うと、どうにも恥ずかしくなってくる。今度からは機械の話ももう少しちゃんと聞くようにしようかな。
 そんな私の心情など知らず、はたてはいよいよ本題を切り出した。
「で、文にはこれを持って全速力で飛んでほしいの」
「えー」
「え、なんでそんな嫌そうなの」
「なんであなたの道楽のために私が頑張らなきゃいけないのよ」
 はたてはその問いを待っていたかのようにすかさず宣言した。
「幻想郷全体を一枚の写真に収めるためよ!」
 あまりに規模の大きな目標に、私たちはどう反応していいか分からなかった。驚きあきれる私たちに構わず、はたては続ける。「私は気付いてしまったの。このケータイと文の速さがあれば、時間内に幻想郷を一周して写真を撮れるんじゃないか、って」
「はあ、そうですね」
 はたての熱量に対して、期待されている当人は気の抜けた返事で答える。
「それで、私は何をすれば」と私は尋ねた。
「椛には文が飛ぶ前の空の安全確認をお願いするわ。他の妖怪が飛んでいたりしたら危ないからね」
「はあ……」
 私の返事も同じくぼんやりとしたものになってしまった。突然よくわからない大任を命じられては誰でもこうなってしまうだろう。
「ねえ、見返りはあるの、これ」
 まったく期待していない口調で射命丸文は言った。
「考えてなかったけど、そうね、撮れた写真は文々。新聞で使ってくれていいわ」
「いいの?」
「もちろん、私もその日の様子を記事にはするけどね。でも肝心の写真を撮るのは文なんだし」
「そういうことなら、引き受けるわ」
 引き受けられてしまった。
「あとは椛次第だけど、いい?」
「はい」
 そうして、私も引き受けてしまった。

 翌日、私たちは山の中腹で落ち合った。そこには昨日の二人に加えてにとりがいた。
「何か頼まれたの?」と私は尋ねた。
「花火師」と彼女は答えた。「花火師?」
「合図に使うんだよ。椛は耳を押さえておいた方がいいかな」
「なるほど」
「じゃあ椛、お願いね」とはたては言って、私の肩を叩いた。
 私は出来る限り高く飛んでから、注意深く幻想郷の空を観察した。万に一つの間違いも許されない仕事だ。射命丸文が一人で勝手に怪我をするならまだいいかもしれないが、他の妖怪との衝突が起きたとなるとそれは他の天狗を巻き込む事態に発展しかねない。
 今だけはあの日の錯覚を羨ましく思った。前と後ろを、空と水とを取り違えるようにして、幻想郷を一望したいと思った。
 幸いなことに、空には不思議なほど他者の気配が無かった。代わりに、地上には至る所に見物者が立っていた。とりわけ、カメラを構えた天狗の姿がやけに目についた。誰もがこの後に起きる出来事を知っているかのように、期待した眼差しで空と手元のカメラに交互に注意を向けていた。例外は渋面を作っている博麗の巫女だけだったが、彼女にしてもこれからのことを知っているという点ではきっと彼らと同じなのだろう。
 天狗は噂が好きだ。噂をいち早く知って広めるのが好きだ。それが貴重な出来事の情報ならなおさらで、つまり昨夜決まった射命丸文の全速力の飛行の噂なんてものは広まらない方がおかしな話だった。
 それでも地上からのおびただしいカメラレンズの反射光を見ていると、彼らの性質に少しうんざりしてしまう。手間が省けたと思えばぎりぎり許容できそうな気がするが。
 地上で待つ三人に異常無しの合図を送る。はたてが頷いて、注意を喚起するための花火が上がった。最後まで周囲に気を配りながらゆっくりと着地を終えると、空はとうとう無人になった。
 二発目の花火が上がる。その号砲が幻想郷中に響き渡った瞬間、射命丸文は飛翔した。
 彼女はあっという間に最高高度に達すると、そのまま私の視界から消えた。私は必死に首と眼を動かした。それはほとんど本能的とすら言える速度の反射だった。だが、彼女はそれより速い。彼女は私の視界から逃れ出ることのできる唯一の存在だった。一様に青い空の中、私は懸命に彼女を探した。
 そして――気付けばあの秋の日の錯覚と同じように、私は幻想郷を俯瞰していた。左右には雲一つない青空が広がっていて、眼下を彼女が黒い星となって飛んでいた。突如変化した視界の理由を理解できないまま、私はただ彼女を追っていた。ほとんど一瞬の出来事のはずなのに、彼女の周囲がひどく緩慢に、明晰に見えた。
 私の眼はとうに私の身体を離れていた。射命丸文が山を抜け出したとき、飛び立った彼女の風が私の身体を襲った。湖の霧を裂く彼女を眼が捉えるとともに、号砲に揺られていた身体は静止した。明らかに超常的な経験をしているというのに、私はうまく感動できないでいた。彼女を捉えつづけるためには、つねに俯瞰に徹する必要があったからだ。
 一方で、私の意識は今なら彼女を完全に理解できるという錯覚に囚われつつあった。私は今はじめて射命丸文のすべてを認識できている。それは能力についてもそうだが、内面についてもそうだ。私が彼女を理解できずにいたのは、その内面が矛盾していると思い込んでいたためだった。でも、それは全体の断片の評価であって、全体そのものについてのそれとは異なっている。矛盾。彼女はそうした両翼を用いることで、あの驚異的な速度を実現しているのだ。もちろん受け入れがたい結論ではあるけれども、私の意識は目の前の光景を受け取ってそのような判断を下していた。
 彼女はいよいよ博麗神社の上空に差し掛かろうとしていた。あの巫女は妖怪が自由に飛び回るのを許しはしないだろう。対妖怪の結界が張られているのが見える。おそらく彼女にも見えているはずだ。
 だというのに、彼女はまったく速度を落とさない。ひそかに恐怖しながら眺めていると、彼女は懐からもう一つのカメラを取り出してシャッターを切った。そうして結界の一部に生じたわずかな隙間から、彼女は減速することなく抜け出でた。
 唯一の不安が解消されたのを見て、私は胸を撫で下ろした。彼女を阻む物はもはや何一つとして無い。だが、それは致命的な油断だった。
 神社の真上で、彼女は突然身を翻して空を撮った。私は驚いた。彼女のカメラと、俯瞰していた私の目が合った。彼女は、彼女を見ている私を撮ったのだ。それとも、私の後ろに何かがあるのか――すべて気のせいだという考えが浮かぶより先に、私は思わず振り返ってしまった。太陽がそこにあった。強い光に目が眩む。俯瞰する私は墜落した。逆さまに。
 間もなく、暗闇の中で歓声が上がった。射命丸文が帰ってきていた。

 翌朝、私を起こしたのははたての元気な声だった。
「おはようございます。花果子念報です!」
「おはようございます」
 起き抜けの顔を簡単に洗って彼女に答える。
「早いですね」
「うん。思っていたよりも良い仕上がりになったから見せたくて」
 玄関の扉を開けてみると、外はまだ朝日が出て間もない時間だった。
「良かったなら幸いです。手伝った甲斐がありました」
 そう言って、私は彼女から新聞を受け取った。そこには一面の青空が広がっていた。
 「分かる?」とはたては尋ねた。私は頷いた。
 よく見ると、青空は将棋盤の升目のように微妙に区切られていて、そのどれにも掠れた黒い線があるのが見えた。
「念写を継ぎ合わせているんですね」
「うん! 椛と文には悪いけど、花果子念報としての本命は最初からこっちだったの」
 射命丸文が幻想郷中の地上を撮っているあいだに、姫海棠はたては幻想郷中の空を撮っていたのだ。あの至る所に存在していた天狗の好奇心を利用して。
 おそらく天狗たちに噂を広めたのもはたてなのだろう。射命丸文は噂好きだが、自身についてのそれを吹聴するようには見えない。特に、今回のような件については。
 気付いてみれば、彼女の計画は確かに腑に落ちた。念写能力を活かしつつ、射命丸文の書かないような記事を書く方法として、射命丸文自体を材料にしてしまうというのは好手だった。
「本当はどちらも上手くいけばよかったんだけどね。でも、やっぱり難しかったかな」
「向こうの写真は失敗したんですか」
「にとりに預けたままだから分からないけど、たぶんそんな感じがする。昨日にとりに計画を話したときに、『それは無理だよ』って言われたし」
 どうして私たちに相談を持ち掛ける前に尋ねなかったのかと思ったが、それは言わないことにした。もうすべて過去の話だからだ。
 それよりも私は今の話をしようと思って、彼女の新聞を読むことにした。といっても、一面の青空の念写の継ぎ合わせが紙面のほとんどを占めているため、文字を読むというよりは写真を眺めるという形になったのだけれど。
「これも昨日の写真ですか」
 私は升目の一つである一枚の写真を指した。そこには射命丸文の姿は無く、ただ巨大な雲が映っていた。初めはただの撮り損ねだと思ったが、そうではない。
 昨日の、幻想郷を俯瞰したあの空を私は思い返した。左右には青空が広がっていて、下では射命丸文が飛んでいて、上を振り返ってみると太陽があった。雲なんて一つも無かったはずだ。
「撮影日時で検索を掛けたから、間違っていないはずだけど」
 はたてはなぜそんなことを聞くのだろうと不思議そうな顔で頷いた。
 そう聞いても、私の抱える違和感はまったく解消されなかった。一面の青空の中に一つだけ雲の写真があるという視覚的な異質さもその要因なのだろうが、これはもっと重要な直感に思えてならない。
 私はその雲の升目だけをじっと観察しつづけていた。すると、「その写真、気になるなら別に印刷しておくけど」とはたてが言った。
「お願いできるならそうしてほしいです」
「協力してもらったから、少しはお礼をしないとね。でも、どうして気になったの? 目立つから? それとも、親近感とか?」
「どういうことですか」
「いや、ほら、白いし、もふもふっぽいし」
 はたては両手を広げてもふもふを表現してみせた。
「よくわかりません」
「まあ、そうよねー」と彼女は少し落ち着いてから言った。「知ってる? 雲の中を飛ぶとひどいのよ。何にもよくない」
「どうしてそんなことを……」
「好奇心よ。小さい頃のね」
 はたてはそう笑って続けた。
「雲は柔らかくて、月は掌に収まって、虹は手の届く所にあって……馬鹿みたいな話だけど、昔はみんなそうだと思っていたの。空に浮かんでいる物はみんなそうだ、って。だって私たちは飛べるから」
「なんというか、らしいですね。良いと思います」
 微笑んで返す傍らで、そこに射命丸文は含まれるのだろうか、と私は思わず連想してしまった。彼女もまた空に浮かんでいる物で、そして、未だにけっして掴めない物だった。
 そう思ったとき、私はふと理解した。これは射命丸文が博麗神社の上空で撮った写真だ、と。他の天狗の写真に雲が映っていないのは、彼らが神社の近辺に寄り付けなかったからだ。そして、私の視界に雲が映らなかったのは、それが私の視点そのものだったからだ。
 私は雲を見つめた。これは私だ。私の眼だ。そうなると、射命丸文は果たしてどこまで知っているのか、という疑問がたちまち浮かび上がった。
 つまり、彼女は俯瞰する私の眼について何事かを知っていて、一昨夜の問いを投げたのか。
 彼女ははたての計画に気付いていて、花果子念報の青空を完成させるために、欠けている神社上空の写真を撮ったのか。
 すぐに結論を出すのは難しかった。だが、推測を立てるには十分すぎる材料があることに私は気付いてしまった。
 そうして、私の興味の流転はついに幼年期を終えた。今や私の興味はもっぱら視界の外側にあるものに占められていた。つまり、私の眼と射命丸文について、より多くのことを知りたいのだ。だから、これからもあの写真を幾度となく見直すことになるのだろうと思う。彼女にとって私がどう見えているのか、それが気になって仕方ないから。
ありがとうございました。
空音
http://twitter.com/ideal_howl
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コメント



0.180簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
幼い椛がふわふわした自我のうちに生きて世界を俯瞰している様子
天狗たちのやりとり
雲に突っ込み虹を追いかけたというはたての話
幼年期を終えて視界の外部へと踏み出したという最後のくだり……
全部が非常にしっくりきて面白かったです
4.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気も良くて面白かったです
6.100そひか削除
ちょっとしたところに現れる発想の面白さ、目の付け所がすきです
7.90名前が無い程度の能力削除
発想と雰囲気が好みでした
8.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。