Coolier - 新生・東方創想話

インフレーション

2018/07/27 00:00:34
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『インフレーション』

 私が喫茶店に入ったのは約束の時刻ちょうどのことだったが、店内に蓮子の姿はまだ無かった。私は空いているテーブル席を見回し、奥まった隅の席を選んで座った。壁際は少々暗いようだったが、他の客たちから離れている分だけ落ち着いていられた。隣の席を片付けている若い女性店員がテーブルを拭き終わるのを待ってから、手を大きく振ってそれを呼んだ。近頃は人に合図するときはこのやり方ばかりしていた。
「お待たせいたしました! ご注文をお伺いいたします!」
 そばに寄って来て高い声を張り上げる店員を私は無言のまま手で制し、用意しておいたメモ用紙を見せた。店員ははじめわずかに困惑したようだったが、そこに書かれていること読むとすぐに調子を取り戻した。すっと息を吸い込んだかと思うと「ご注文を繰り返します!」と叫んで私の頼んだアイスクリームと紅茶のセットを長い商品名で一息に唱えた。
 これでひとまず安心できるかと思ったところへ、店員はさらに続けて「紅茶はアイスクリームと一緒にお持ちしますか! 食後にいたしますか!」と訊くのだった。これは予想していなかった。
「一緒に、で、大丈夫です」
 私はできるだけはっきりとそう言ったつもりだったが、結局店員から二度同じことを聞き直されてしまい、注文を終えるとそれだけでひどくくたびれてしまった。
「人が多くて、でも静かな店が良い」という私の希望に対し、蓮子が示してくれた待ち合わせ場所の一つがこの喫茶店だった。そして実際、ここは店の規模にしては比較的静かな方だった。二人掛けのテーブル席十二組がほぼ全て埋まっていながら、そこで談笑している中には歯をむき出すほど叫んでいる客は一人も居ないし、カウンター席では皆手元の端末を見つめて黙っている。蓮子の見立て通り、ここは私の希望に沿う店と言わなければならなかった。しかしそれでも、紅茶を待つ間深く座り直して目を閉じたりなどすると、人々の話し声は壁や天井やそこら中に反響して、インインという空気の震えを聞こえさせるくらいではあった。
 そうして座っていると、テーブルの対面で椅子を引く音がして「メリーお待たせ!」という聞き覚えのある声が私の顔に強くぶつかってきた。私はやや落胆しながら首を振った。
「大丈夫、私も今来たところよ」
「ここ良い店でしょう! 頼まれてたものはちゃんと持って来たよ! でも、ちゃんと話を聞かせてもらうまでは貸せないからね!」
 目を開けると蓮子は薄く日焼けした顔の額に汗を浮かべて、肩掛け鞄の中身を探っている。私の声は聞こえていないようだった。蓮子はそのまま鞄からタオルを取り出して顔をぬぐい始めた。まさかこんな場所で荷物を広げて見せはしないかと慌てそうになった私に蓮子はしかし気づくこともなく、今夏の湿気について思い切り文句をまくしたてた。私は蓮子がタオルから顔を上げるまで口を挟むことを諦めて黙っていることにした。
 そこへ注文のアイスクリームと紅茶が運ばれて来た。「お待たせいたしました!」と言う店員の声は先ほどの蓮子の第一声と同じ勢いで私の横顔に張り付けられた。大して待ったわけでもないのにどうしてこんなことを言われなければいけないのだろうと思った。
 蓮子はそのついでに店員を呼び止めてアイスコーヒーの注文をとらせる。店員はやはり高い声を張り上げて一つきりの注文をわざわざ繰り返す。蓮子と店員とのやりとりは、ほとんど怒鳴り合いの喧嘩のように見えた。
 二人に挟まれて私は何か途方に暮れたような気持ちになりながら、もう一度目を閉じた。
 怒鳴り声は店のいたるところで交わされていた。うるさかった。

 近頃、自分の周囲で聞こえる人々の声が大きくなっているようだった。誰と話しても相手の口は林檎をかじるときのように大きく開いていたし、電話越しの声であっても受話器を床に伏せたまま聞き取れるくらいなことが多かった。背中から名前を呼ばれるとどうしても驚いてしまって飛び上がらずにはいられなかった。
 この異変がなぜ、そしていつから起こっているのだろうかということは、私には全く不思議だった。
 私個人の感覚を基準とすれば、人々の声量が日常的と呼べる水準を超えたのは今からちょうど一週間前の朝からだった。
 その朝、私は人の話し声を聞いて目が覚めた。声はアパートの正面を横切る道路から聞こえてくるようだった。私は、いやに高く張り上げられたその話し声を近隣住民の喧嘩だろうかと想像しながら身支度を整え、普段より少し早く家を出た。それからすぐに理解されることだったが、アパート前から聞こえていた声は喧嘩ではなく、単に大声で交わされる世間話にすぎなかった。下宿を一歩出ると、市内はどこも喧騒で揺れていた。
 若者の通う大学構内はもちろん、他人同士が往来する街の路上や地下鉄の駅、飲食店でさえ耳が痛くなるような大音声の渦ができていて、そしてそれはいつまでも消えないのだった。
 あまりにやかましいので、最初の日私は思わず何度も手で耳を覆って気を鎮めなければならなかった。その日は買い物の必要が迫っていたが、スーパーマーケットへ入る勇気が出ずに早々帰宅した。自分の神経過敏を疑って半日休息してみたものの、残念なことに街の声は翌日も喧しかった。
 声は、例の朝から急激に音量を増したのかもしれなかった。あるいは数ヶ月も前から徐々に増していて、それがとうとう私の耳に障るようになったのかもしれなかった。どちらにせよ、声は昔と同じではなかった。
 それに反して、私自身の声は周囲から聞き取り難いものになってしまっていた。もっともこれは私が小声で話すようになったわけではなく、群衆の中では私の声は周囲の声にかき消されてしまい相手まで届かないのだった。その証拠に相手と一対一になって話す場合には私の声量で誰とでも十分会話ができた。こうした比較は、異変が人々の声ではなく私の聴力の方にこそ起きているというもう一つの可能性をとりあえず除いておく理由にもなる。
 他人の声が聞こえ過ぎることと、自分の声が聞き取られないことと、つまり私は二重苦の状態に置かれていたのだった。
 気がついたときには状況はすでに危機的に思えた。忍耐は解決策にはならなかった。それどころか異変から一週間経った今では人々の声はますます大きく、ほとんど怒声にさえ似始めているようだった。

「そう言われると、確かに最近は皆声が大きかったかもしれないわね」
 私の話を聞くと、蓮子は自分も何か思い当たるという顔をして頷いた。こういう仕草によって湧き出した安堵感は私の表情にも出ていたようで、蓮子はもう一度はっきりと頷いて「そうね」と言ってくれた。何よりも、それが普通の声量だったのが嬉しかった。
 私たちはテーブルの対面に座りながら、イヤホンを接続した端末を手にして通話していた。この方法によれば、やはり私の声は十分蓮子まで届いていた。また、蓮子の方も以前のような落ち着いた声で私をなだめる言葉が言えるようだった。
「確かにこの店にいる他の客だって、あそこまで声を張る必要は無い。何を話しているかここまで聴こえてくる……。不思議なことね」
「あんまりうるさ過ぎるわ。ここ数日はイヤホン無しで外に出られないし、筆談しなきゃ何も伝わらないのよ」
「それは気の毒に」
 そう微笑む蓮子の口調には本物の同情が表されていた。ある種の低声でしか感じさせることのできない感情だった。
「でも、そういうことなら、例のものを貸してもいい。ただし十分注意してよ。場所は……できれば私が決めてもいいかしら」
 蓮子は落ち着いた低声のうちにやや緊張した響きを込めてそう言った。驚いたことに、この頭の良い友達は私の現状を簡単に聞き取っただけで既に私の考えている解決策にまで手が届いているらしかった。
「ええ、場所なら任せるわ。でもその前に、もう少し話を聞かせてもらえないかしら」
 そう頼まなければならなかったのは、だから私の方だった。
「もちろん良いよ」と蓮子は何気無く答えて、手元のストローからアイスコーヒーをグラスの半分以下まで吸い上げた。それを見て私も皿に残ったアイスクリームを無くしておくことにする。
「メリーが聞きたい話っていうのは、私たち、メリーを除いた人間たちがなぜこんなに大声で喋っているのか、そうして、なぜそのことに自覚的でないのかということなんでしょう」
 ひとまず周辺的なことから質問していくべきかなどと考えていた私は、いきなり先方が切り出したこの核心に対して多少のためらいを感じもしたが、結局素直に頷くことにする。
「メリーならある程度予想しているかもしれないけど、その答えの一つはたぶん、メリーが特殊な人間だからじゃないかな」
「私の能力のことを言ってるのね」
「そう、メリーには境界が見える。今回は、境界が聴こえたんじゃないかしら」
「そうなのかしら」
「少なくとも、それくらい敏感なアンテナを持っているじゃないの。対して、ほとんどの人はまあ、メリーに比べればぼうっとしてるのよ。単に意識していない状態ね。私もさっきまではそうだった」
「じゃあ、今日話したのは蓮子に悪いことしたわね」
 私は一瞬本気ですまなくなってそう言ったのだったが、蓮子は別にどうでも良さそうにさっと手を振っただけで話を再開した。
「メリーが敏感でみんなが鈍感だから、というこれだけでもある意味質問には答えたことになるんだけど、まだ伝わりにくいでしょうね。もう少し仕組みを説明するべきかしら」
「異変の原因が知りたいのよ」
「そう、それが肝心なことなんだけど……、これについては、私はむしろ逆のことを質問したいわ。つまりね、メリーは、あなたはなぜ……周囲に合わせてもっと声を上げなかったの」
 話を始めたときとは様子が変わり、蓮子は言葉の要所ごとに小さなためらいを見せていた。私は蓮子の質問に正確に答えたいと思ったが、自信が無かった。だから始めに思い浮かんだ理由をそのまま口にすることにした。
「私は、普通にしていたいから……。大声で話すなんて嫌だし……」
 これを聞くと蓮子は軽く首をひねった。私はこの間にイヤホン越しの喧騒がまた一段大きくなったような気がした。
「良い答え……なのかもしれないわね」
「ありがとう」
「まあ、メリーは普通って言ったけど、結局そこの感覚が他の人と少し違ったのよ。みんな大声を上げてるわ。そうしないと誰にも聴こえないでしょう」
 蓮子のこの説明のおかげで、ようやく私にも異変の全体がほぼ見えた。
「要するに人混みの中で自分の声を他人に聞かせようとしたら、それだけ声を大きくするしかないってだけの話ね。でも、そうして大きくした声は隣の会話を阻害してしまう。すると隣は隣で、さらに大声を出す必要が生じるから、際限なく大声のインフレーションを起こすことになる……。私たちは声量で他人の耳を競り合っているのよ」
 蓮子はグラスに残ったアイスコーヒーを最後まで吸い上げ、そうしながらテーブルの下から手を伸ばして私の手にビニールの袋を受け取らせた。
「だからメリーの考えている方法には効果がありそう。もしかしたら一瞬で異変を解決できるかもしれない。特にメリーがそれをやる場合にはね」
 ビニール袋はコンビニエンスストアでよく見るレジ袋だった。私はそれを膝の上に置いてそっと中を覗いた。白いビニールの底に、同じく白いプラスチック製の小型拳銃が見えた。おそらく家庭用の立体印刷機を使って作られたものだろう。
「ねえ、メリーはこの異変、自然に解消されると思うの」
「分からない。人間の声なんだから、たぶんどこかで膨張の限界がくるでしょうけど、それでまた元どおりになるのかどうか……」
 私は袋の中の非現実的な道具を見つめて、そこで数秒間黙考した。
「でも、どちらにせよ、私は一度やってみるつもりよ。これがインフレーションなら、力を失っているのは私の声だけじゃないってことなんでしょう。それに、高騰させられる耳にだって限度があるんだわ」
 私が立ち上がるのと同時に、蓮子も立ち上がった。そうして二人同時に通話を切断してレジへ向かった。イヤホンを外した瞬間、店内の喧騒は入店時より何層も増して鼓膜に流れ込んできた。「居酒屋にいるみたい」と蓮子が言うのが、かろうじて口の動きから分かった。店の出口前では「もうここで良いんじゃないの」という冗談らしき手振りも見たが、私は首を横に振った。
 膨張しすぎた喧騒の境界を破棄するため、あるいは内側から新しく引き直すために、まずはできるだけ大きな群衆の中に紛れ込む必要がある。そして群衆は、秘封倶楽部がその喧騒を突き破って銃声を轟かせる際には有効な隠れ場所になるだろう。
 店を出たとき、夏の日は既に暮れかかっていた。市内が最も賑わう時間帯が近づきつつあった。私たちは計画を実行するのに相応しい場所を探すため、まるで助けを求めているような痛々しい叫声が渦巻く往来へと、早足に歩き出した。
英語のタイトルが作品集の中に一つあってもいいのではと思い書きました。


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コメント



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4.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
5.100サク_ウマ削除
見事で深い、とても面白い話でした
8.100名前が無い程度の能力削除
群衆の中でも自分の声にマイペースだからこそ、世界との間に違和感を増大させていくメリーの疎外感が印象的です
視覚ではなく聴覚の境界にすることでメリーも慣れない疎外感の感じがいっそう引き立っているように思いました
9.100名前が無い程度の能力削除
人が多いところでイヤホン外した時の感覚を思い出しました
面白かったです
11.100モブ削除
この後二人はどうするのか。知らず自分で想像してしまうほどお話に引き込まれました。面白かったです。御馳走様でした
12.100名前が無い程度の能力削除
惹き込まれた面白かったです
18.90名前が無い程度の能力削除
メリーの症状は少しアリス症候群っぽいですねぇ
あれは周りの物が凄く大きく見えたり小さく見えたりして恐怖となっちゃう心的外傷ですが、このメリーは些細な物を物凄く大きく捉えてしまうみたいな症状がそれっぽい

…いや、普通は周囲が段々おかしくなってきていると解釈すべきなんでしょうが、自分はおかしくなってるのがメリーに見えてしまって
この後テロ染みた真似した彼女らがどうなるのかを想像すると、藤子不二雄系の異色短編のような後ろ暗い気持ちになって、余韻が良いですね
19.100名前が無い程度の能力削除
情報社会における発信力の競争状態、といった感じ。
では膨らみきったバブルを突き破る銃声は…何を意味しているのか。
不思議で考えさせられる作品でした。
20.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
22.90名前が無い程度の能力削除
バブルのように怒声のインフレは膨れ上がり、やがて自壊する。
虚言と妄言に満ちた現実世界を風刺するようなお話で興味深かったです。