Coolier - 新生・東方創想話

雨音虫

2018/07/20 22:04:02
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 連日の熱気にも増して、特にきつい日差しが照り付けている、そんな真夏日の事。

 霧雨魔理沙は蒸れた緑の臭いの中を歩いていた。魔法の森とはまた別の、人里近くにある何の変哲も無い、普通の小さな森の中である。木立は密集し過ぎることもなく健康な間隔で並んでいて、森の中には人が通るための、踏み均された道もあった。この辺りならば、まだ十分に里の人間の行動圏内にある。
 しばらく歩いた頃、魔理沙は脇道を見付けて、そちらに逸れる。道は、まろやかな坂道になっていて、これくらいの傾斜では逆に、気付かない内に足に疲れが溜まりそうだった。額を伝い落ちてくる汗は、前髪の生え際あたりから際限なく染み出してくるようで、魔理沙はその度に顔を顰めて、手の甲で汗を拭った。
「……あっついなぁ、もう」
 ひとり呟いて、頭の上のとんがり帽子に手をやれば、黒い布地は焼けたように熱せられていた。日除けの角度を直して、とっとと向かってしまおうと足を速める。鬱陶しいくらいの蝉の鳴き声が響いていた。
 道の途中に仰向けになった蝉が転がっていて、もうとっくに干からびた死骸かと思っていたのに、魔理沙がまたいだ瞬間に激しく叫喚し、束の間、出鱈目に振動を繰り返していた。その動きは非生物じみていて、何か、得体の知れない装置みたいだった。
 蝉時雨、とはもちろん蝉の鳴き声のことで、一斉に雨の降る様に喩えて言うのだとか。違うんじゃないか、と魔理沙は思う。時雨なんて風情のあるものじゃない。炎天下の蝉の声は、槍でも降らせるように激しいのだもの。
 緑の臭い、虫の声。自然の色が濃くなってゆくにつれ、視界には小さな毛玉も飛び交い始めた。もうすぐか、と思った予感は的中。途切れた道の先に、お目当ての廃屋を見付けた。

「い~~~~だっ!!」

 いったい何なのか知らないが、アゲハ蝶の翅の妖精が、両手で口の端を思い切り引っ張り、無人のはずの廃屋に向かって何やら威嚇していた。
 何なんだぜ、と夏の暑さにバテ気味の魔理沙が声を掛ける前に、妖精は青空の彼方へと飛んで行った。戻って来る気配は無い。何だったんだ。

 幽霊小屋。聞いた話では、そう呼ばれていた。
 古い木造の建物で、窓ガラスは割れて、目張りのブルーシートも斜めにずり落ちている。隙間から覗いてみると内部も相当に荒れ果てていて、成る程、幽霊小屋と呼ばれるのも、むべなるかな。が、魔法使いの視点から見れば、その他にも所感がある。
 幻想郷の人間は、こんな場所に家を建てない。だからこれは、外から流れ着いた廃屋だ。
 風雨で汚れた壁や、腐りかけた木材の、古く朽ちた気配は、どこかしら、死を思わせないでもない。道具の生きている時が使われている時と同一ならば、放置された廃屋は、死んでいる、と言えるのだろう。幽霊が出る小屋ではなく、この廃屋が死んでしまっているのだ。
 とか何とか述懐してみたりして、クイっと帽子の鍔を持ち上げた。
 鬱蒼とした藪の中では真夏の日差しも遠くに感じられ、廃屋の蕭条とした様子と、冷えた空気の心地良さに、魔理沙は押し出すような溜め息を吐く。不思議と熱気が遠のいている。こういった廃墟にありがちな涼しさ、と言って良いかどうか。どのみち、少々背筋まで冷んやりしたくらいで怯む魔法使いではない。
 ……でも、例えば。
「なんだ、魔理沙じゃないか」
「ってうおおおおおおおいッ!!」
 急に知った顔が現れたりしたら、いたく動揺するかも知れない。完全に油断していた。一人で廃墟探訪なんぞ気取って、若干、カッコ付けていなかったでもない。なんだか勝手に一人で恥ずかしいような気分にならないでもない。
「なんだ、香霖じゃないか」
 咳払い一つ。魔理沙は眼鏡の青年に向き直る。
 体付きはがっちりしているのだけれど、体格以上に背が高いせいで、にょきりとした細面の印象のある男だった。ぼさぼさの頭やら微妙に皺の寄った服やらが残念味を増して、彼のポイントを下げている。物の手入れは出来るくせに、自分の事となると途端に無頓着になるのだ、と魔理沙は常日頃から不満に思っている。
 香霖こと霖之助は、ぼさぼさの頭を掻いて、次に顎に手をやって、最後に首を傾げて、ようやく頷いた。妙に真面目な顔をしているのが気になった。どうせまた、安いかき氷の味みたいに薄い商才で、当てにならない損得の計算でもしているのだろう。
「よし」
「いや、何がだ」
「入ると良い」
「言われなくてもそのつもりだったがな」
 空も薄く曇ってきたような気が、しないでもない。不意に冷たい風も感じられ、一降り、夕立でも来そうな気配だった。

 こんな噂話を聞いた。

 森の道を通った里の者が、ふと雨の気配を感じて、雨宿りにと、その小屋の中に入った。
 やがて、サアアアァッと激しい音が鳴り始めた。ところが夕立にしては奇妙なことに、いつまでも止む気配が無いので、仕方なく、日が暮れてしまう前に走って帰ることにした。
 だが、そもそも雨なんて最初から降っていなかったのだ。その証拠に、地面は濡れていない。空だって、やや薄く曇っているだけ……と言うよりも、空は晴れているのに、この小屋の周辺だけが冷えて感じられるようだった。
 ああ、これは、幽霊の冷たさだ。
 と、その人は実にあっさりと、その不思議な体験に納得した。

「でもって、誰も何にも不思議に思っちゃいないんだとさ」
 幽霊小屋などと言う名前に反して、夏の風物詩たる怪談としても不足らしい。話題に上る頻度も低く、わざわざ訊ねて回った魔理沙としては、そこそこ苦労させられた。
 確かに、偽物の雨音が聴こえるだけの異常は、別に大したことがない。ただ魔理沙が疑問に感じたのは、本当の意味で、誰も不思議に思っていなかった事なのだ。例えば今の話をすると、里の大人であれば、まるで怪奇現象の正体に思い当たる節でもあるように納得する。その納得は、「不思議なこともあるものだ、いつものことだね」と言うよりも、「細かいことは知らないけど、ああ、あれね」という感じ。自分だけが疑問に思っているみたいなのが納得いかず、魔理沙はこうして件の現場に訪れたのである。

 朽ちた廃屋の内側は、饐えたカビの臭いに満ちていて、更にもう一段と空気が冷えていた。湿気の籠った空気は洞窟の中をも思わせて奇妙な程に熱気が無く、今が夏だということも、忘れそうになる。
 様相としては、物と言える物は、ほとんどが無い。外から見ても分かっていたが、家屋と言うか、簡単な道具小屋のようなものだった。鈍い銀色の層が降り積もって、指でなぞるまでもなくザラザラとした手触りを伝えてくる。埃の塊の一つ一つが大きいのだ。
「んで、香霖はどうしてここに?」
「さあ、ただの雨宿りかな」
「冗談だろ」
 話の通り、サァサァと微かな音が、頭上から降って来た。
 静かだった。ほぼ無音に近い中、ただ、葉擦れのような音だけが響いている。その音は、まるで、たしか世界には“音”というものがあったはずだと思い出すかのように、次第に激しさを増していった。絶え間なく降り注ぐ、忙しなく木々を揺するような音に、魔理沙は少し驚く。先ほどまでの蕭条とした様から一転して、今や、サアアァッと激しく響き渡る音が、空気に隙間無く満ちているかのようだった。
「ほら、夕立が来た。これは止むまで帰れないな」
 すっとぼけるように、霖之助。
「おいおい、人の話を聞いてたのか?」
「もちろん、聞いていたとも。と言うより、僕も別口でその話を耳に挟んでいてね。だから僕はこうして、それを取りに来たんだ」
「……」
 むっす~っ、と。霖之助まで訳知り顔なのに、なんだか腹が立った。
 朴念仁は、魔理沙の表情の変化には気付かない。霖之助が、まるで他の大人と同じようなことを言うのがつまらないとか、そんな繊細な機微まで分かるはずない。自分の趣味以外はぽんこつの、わりとダメな男だった。
「で、魔理沙に頼みがある。魔理沙は入口にいて、誰かが来たら追い返して欲しいんだ。魔理沙みたいな物好きが来ないとも限らないからね」
「嫌だ」
「何故だ」
「何故だかも分からんのか」
「……分かった」
 沈黙を経て、霖之助は重々しく頷いた。
 もしかして本当に分かってくれたのではないかと、魔理沙はついうっかり一縷の希望を抱いてしまった。
「二割、譲ろう」
「何も分かってないなッ!」
「三割? いや四割? これ以上はダメだ。僕の方が先に来たんだ」
「……もう良い」
 霖之助はこういう奴だ。
「なんで入口を見張ってなきゃいけないんだ?」
「ほら、できることなら、独占したいからね。僕はこれでも商人だから」
「はっ、商人ねぇ」
 ひとまず鼻で笑っておいてやる。
 価値の流通は、水の性質だね。商人達の守護神メルクリウスを例に出すまでもないけれど云々……と、霖之助はそんなことを言っている最中から、既に窮屈な陳列棚に、お構いなしにまた一つ売り物を並べていた。魔理沙が言えたことでもないが、どれもこれも値の知れない商品ばかりである。死蔵品もどれだけあることか。まあ霖之助の商人適性はさておき、そこまで言われて察せない魔理沙ではない。霖之助よりも余程、人の感情に敏感なのだから。
 霖之助は魔理沙を出迎えた時、何か思案してから中に入れた。そして、魔理沙を信用し、外を見張っていて欲しいと頼んだ。つまりは、お宝の気配と言うわけである。取り分の話をしているし確定で良い。
「むぅ」
 だからこそ余計に面白くない。何かあるらしいのに、自分はそれを知らない、なんて。
「いったいこの廃屋に何があるんだ?」
「ん? 魔理沙は分からないのかい?」
 たった今初めて、そのことに気付いたような表情だった。
「まあ分かってるけどな」
 魔理沙は強がりました。意地を張ったのです。魔理沙はこういう奴なのです。
 流石の霖之助も、少しは察しが付いたようだった。
「そうか。分かっていると言うなら、わざわざ僕も口に出しては言わないよ」
 と言って、壁に寄りかかって腕を組んだ。何か作業を始めるような動きは無い。
「おい、何だか知らんが……いや知っているが、急ぎじゃなくて良いのか?」
「日の明るい内は、おちおち回収もできないだろうからね」
「……そうかよ」
 話している間も、サァサァとした音は降り続いている。もし仮にこれが雨の音ならば、かなりの大降りで、強い風が木々を揺すっている様子までも、瞼の裏に浮かぶようである。
 魔理沙はもう一度、廃屋の中を観察する。と言っても、そもそも見るべきものが無い程の荒れ具合。床板の上に砂利混じりの土が被さっていて、割れた窓ガラスの欠片が散乱しているくらいなのだから、相当だ。四角い空間をぐるぐると歩き回っていると、時折、靴の爪先でガラス片を蹴り飛ばしてしまう。一応、物と言うなら、薄汚れた毛布や、他には古い雑誌が転がっているけれど、読めない状態であろうし霖之助も反応を示していないので、あれが目当ての品ということはないだろう。あとついでに、壁に掛かっていたはずの時計が落下している。
 あとは、二階か屋根裏に続く、急な階段とも梯子とも付かない物がある。では、お目当てはあの上に?
 いや、それでは出題として成立していない。あの上にあるにはあるのかも知れないけれど、少なくともそれは、昇る前から正体の分かるものでないと。
「……」
 ふと思い立って、外の様子を確認する。音のせいで錯覚するが、雨なんて降っていないのだ。冷静に考えれば、四隅の方に少しだけガラスを残したアルミサッシの窓枠から大降りの雨が吹き込んで、床を濡らしていなければおかしいのに。身を乗り出して確認しても、それは同じ。ほの暗く、しかし雨が降っているにしては鈍色の雲が半端に掛かっているだけの、ほんのりと薄明るい空を見上げる。もちろん雨粒は一滴も顔に当たらないし、雨の臭いも感じない。
「そう言や、前には香霖堂の周りだけ雨が降り続けたこともあったけか?」
 廃屋の中に戻りつつ、素知らぬ顔で、そう声を掛ける。さり気なくヒントを引き出してやろうという魂胆だった。
「ああ、あったね。あの剣の時か」
「あれは結局、どうなったんだっけか?」
 うろ覚え。
 ボロい鉄屑の剣の話の時のあれ、何があって、どうなったんだっけ。雨が降っていた事しか覚えていない。
「さて」
 と、またもやすっとぼける霖之助。これくらい教えてくれても良いだろうに。
「それにしても、思い込みの効果というのは面白いものだね。一度そうだと思うと、そうとしか思えないらしい」
「……」
 ぐぬぬと呻かんばかりの魔理沙。どつぼにすっぽりと嵌ってしまっている。
「雨は降っているが、降っていない。つまり、実体としての雨は降っておらず、霊体としての雨が降っている。これは、雨という気象現象そのものの幽霊だ」
「全然違う」
「言ってみただけだがな!」
「そもそも雨とは関係が無い」
「うん?」
 魔理沙は怪訝な表情で首を傾げる。今だって、この廃屋はサァサァとした音に包まれているのだ。
「……最近だと、里ではやってないのかな、どうかな。まあ魔理沙は小さい内に出て行ってしまったし、聴いたことがなくても無理がないのかも。少なくとも、霧雨の家ではやっていなかったからね」
「?」
 今度はきょとんと首を傾げて。
「風習とか文化とか、魔理沙は里で育った子供と比べると、基本的な部分が抜けてることがあるよね」
「私は魔法使いだぜ? つまりは識者だよ、識者」
 いやいや待て待てといった感じで魔理沙が抗議すると、霖之助は、「いや、だから。魔法のことじゃない、里の、普通のことをだよ」と。
「親父さんは、そういうのとは無縁の人だったからね」
 ぽつりと、霖之助は呟いた。雨上がりをとっくに過ぎてから、軒先からぽつりと一滴垂れるような、忘れ物みたいな呟きだった。
 一代で財を築き上げた魔理沙の父は、幻想郷の中では珍しい合理的で建設的な価値観を持っている特殊な立場の人間であり、それ故に年配世代との間に断絶があった。伝統文化が必然的に持つ負の側面を嫌ってもいた節もあり、自分では伝統を知識としては知ってはいても、それを我が子に継承する必要を感じなかったようだ。かと言って霧雨家での催事が欠かされていたわけではないないが、必要以上ということもなかったのだろう。
「あいつの話は、しないで欲しい」
「ああ、悪かったよ」
 なんとなく気まずくなって、お互い無言が続き、魔理沙は葉擦れのような音に耳を傾けた。どこか優しい雨を思わせるような音色なのは、きっとただの感傷だ。
 雨に似た音だけが響いて。肌が感じる空気は冷たくて。
 だから、感傷に引き摺られて、つい、言いたくもないことを言ってしまう。
「雨ってさ、私は好きだったよ」
 活発な子供だった魔理沙にしては意外かも知れない。ただ、外で遊ばない雨の日にだけは、家の縁側で、祖母の膝の上に収まっていたのだった。落ち着きのない悪戯っ子は、その時だけは、おとなしく祖母の語る物語に聴き入っていた。
 大半は、夫、つまりは魔理沙の祖父に当たる人物との馴れ初めの惚気話。当時の英国に渡航していたというのだから丸っきりの民間人というわけでもなかったろうが、普通の人間だったらしい。二人は海外で出逢い、時代の荒波に翻弄されつつもどうとかこうとかエクストリーム新婚旅行、最終的に、夫の生まれ故郷の、誰の手も届かない山奥の楽園を愛の巣に決めたとか。正直、こちらはほとんどつまらなかった。魔理沙の子供心をときめかせたのは、祖母自身が体験した魔法物語の方だった。
 今になって分かるが、祖母と父の折り合いが悪かったのには、それも理由の一つ。父は、魔理沙が絵空事に傾倒するのを快く思っていなかったのだろう。我が子を愛する親としては当然過ぎる対応。だって絵空事は、危険だ。異能のせいで巻き込まれなくて良い面倒事にも巻き込まれる、ということもある。そんなものに進んで関わって欲しいと思う親が、どこにいる?
 思えば、家を飛び出したのも、祖父の葬式と、夫を追い掛けるようにこの世を去った祖母の死後の事だった。結局の所、魔理沙は両親よりも祖父母に懐いていた、と。ちなみに母親は父が人里から娶った嫁で、良く言えば貞淑な妻で、悪く言えば父の味方だった。魔理沙の中では影が薄い。
 父は父の母に反発し、娘は父に反発している。血は争えない、とでも言って笑い話で済ませてしまれば良いのに、意地っ張りな分からず屋ばかりだ。

 魔理沙は金髪の前髪を、指で摘む。
 父は、西洋魔女とこの国の夫とのハーフのくせして髪は黒かった。目鼻立ちのはっきりした顔付きと、直情気味で人の話を聞かない性分は祖母に似ていたというのが祖母自身の言葉だけれど、まさか。別に似ていなかっただろうと魔理沙は思う。まあ、父の事で思い煩うのはここまでとして。
 今よりもずっと幼い頃、本場の魔女から受け継いだこの金色を、何か特別なものだと思っていた。

 西洋の西洋魔女。北欧の森のヘクセン系でなく、南欧に多いサバト魔女でもない、伝統的なウィッチーとしての魔女を自負していた。
 ウィッカンやらネオペイガニズムの流れもあったりもしたが、そんな流行とは何の関係も無い。精々が、里の外れ辺りに住んでいる変わり者で、カニングフォーク。ただし、やたらとアセイミの扱いが堂に入っていて、そのナイフ捌きは魔法使いと言うよりシーフの類いではないかとツッコミを入れたくなるのはご愛敬。と、そんな魔女だった。
 残念ながら魔理沙が幼い頃に没した上に、もう引退していたとかで、祖母から魔女としての薫陶を受けていたわけではない。
 魔理沙はウィッチーではなく、メイガスだ。魔女を名乗らず魔術師を自称しているのは、血縁に頼らず独り立ちしてみせるという、ささやかな自己主張、だったのかも知れない。勢いに任せて突っ走って、走り抜けた後に寂しくなるような、克己と反抗期を取り違えただけの、青い反発心。
 これも今にして分かることだけれど、祖母はわざと魔法を教えてくれなかったのだ。息子との折り合いが悪いのを気にして、わざと。だから祖母の話は、いつも益体の無いものや、参考にならないようなものばかりだった。精々が、“お隣さん”とは賢く付き合うんだぜとか、そのくらい。
「面白くないな。私だけ、のけ者だったみたいだ」
 今だって、同じ。
 雨に似た音の正体を分かっていないのは、魔理沙だけのようで。
 本当は面白ければそれで良いのに、どうして、どんよりとしてしまうんだろう。雨音のせいにしよう。いや、雨ではないのだけれど。
「魔理沙」
 霖之助は、普段と同じように、何でもないことみたいに。
 女の子を気遣うなんて、出来やしないのだ。僕が付いているよとか、そんな甘い言葉なんて少しも吐きはせずに、いつも閑古鳥と一緒に店番をしている時のような凡庸な顔で。
「魔理沙は昔から意地っ張りだったからね。こうだと思い込むと、ずっとそうなんだ」
 いや、なんだそれは。もっと気の利いた事が言えないのか。
 ……でも。霖之助は昔から、そんな奴で。霖之助自身が里を出る前と後、魔理沙が家を飛び出す前と後でも、驚くほど何も変わっていない。きっと、彼自身が真っ当な大人に成り切れていないからだと、魔理沙は密かに思っている。父の仕事の話を聞くのと同じくらい真剣に、魔理沙の遊びにも付き合ってくれる、そんな人だった。
「思い悩んだ時は、一から考え直してみると良い」
 魔理沙には分かる。この朴念仁は、何も分かっていないのだ。魔理沙が昔のことを思い出して珍しく感傷的になっているのに気付いていなくて、きっと魔理沙は雨音の不思議が自分だけ分かっていないのが悔しいのだろう、とか思っているだけなのだ。
「……うん、香霖は香霖だな」
「いや、何の話だい?」
「何でもないよ」
 適当に返しておく。
 一から、と言うのなら、まずこの話を小耳に挟んだのが最初。霖之助が言った一から考えなせと言うのは、本当に最初の出来事から回想しろという事ではなく、一旦でも頭を空っぽにして落ち着きなさいという意味だったのだけれど、魔理沙は止まらない。突っ走るのが霧雨魔理沙だ。直情気味で人の話を聞かない性分は、いったい誰に似たのやら。
「話を聞いて、調べて、そしてここにやって来て、そう言えば、アゲハ蝶の妖精がいたな」
「ん?」
 急に、霖之助が声を上げた。
「それは、前に話してくれた、エタニティラルバという妖精のことかい?」
「ああ、そうだけど。なんかこの小屋を威嚇してたな」
 何気なく返事をした魔理沙は、ますます不思議がることになる。
「なんだ、知っていたのか。それはもう、ほぼ答えも同然じゃないか」
 と、霖之助がそう言ったのである。
「どういう……ことだ?」
 言っちゃったよ。がんばって見栄を張っていたのにね。
「着いておいで」
 霖之助は、茫然としたなんだか味わい深い表情を見ないまま、屋根裏へ伸びる梯子に手を掛けた。しかもそのままヒョイヒョイとした身のこなしで昇って行ってしまう。魔理沙は慌てて後ろを追い掛けた。
「最近ではあまりやらなくなったのかも知れないけど、里の大人なら、心当たりがあって当然だよ。地域差はあれど、農村の副業としては、これ以上ないってくらいの定番だからね。天井裏のスペースを有効利用したりして、育てていたそうだよ」
「何の話だし」
 梯子を昇り切って、魔理沙はひょっこりと顔を出す。何か、埃っぽいのとも違う、籠ったような臭いがした。
 屋根裏の空間は、想像していたよりもずっと広いスペースが取られていた。が、肝心の値打ちの張りそうな物は置かれていない。がらんとした暗がりに、屋根や壁の隙間から夏の光が差して、キラキラと埃っぽい空気を輝かせているばかり。屋根裏であるために頭上は奥まった形になっている。中からだと分かりにくいが、外から見ればつまりこれが屋根の形である。
 霖之助は腰を屈めて、窮屈そうに魔理沙を待っていた。
 狭そうではあるが、霖之助が大柄なのだ。梯子に通じるこちら側の端から反対側の端まで、屋根の形の三角形の空間が続いており、中にあるものと言えば、棚である。どこか工場を思わせるような機能的な連なりが、廃屋の屋根裏には隠されていた。
「……で、ここに何があるんだ?」
「もう分かって良いと思うけどな。例の妖精は、常夜神とか言われているんだろう? さっきも言ったけど、それなら、ほぼ答えも同然だ。常夜神、つまり家蚕の対立概念である山繭蛾の一種にとっては、仇敵のようなものだろうからね」
 魔理沙はふと、あれだけ響き渡っていた不思議な雨音が止んでいることに気付いた。
 末期症状ともなれば別だろうが、基本的に、ラップ音は人目を盗んで鳴るものだ。
「この小屋にいたのはね、これだよ」
 そう言って、霖之助は棚の中から何かを手に取った。

「────カイコ、だよ」

 ふっくりころころとした俵のような形。白くて、そして半透明に透けている、繭玉だった。
「多くのカイコが一斉に桑の葉を食む音はね、雨の降る音に似ているんだよ。この小屋で聴こえていた音は、まあ、ただの残響だね。カイコの幽霊が、すっかり忘れられたことにも気付かないまま、今まで通りを繰り返していただけだ」
「カイコ」
 その、何でもないと言えば何でもないような正体に、魔理沙は開いた口が塞がらない。でもって霖之助はと言えば、妙に生き生きとしている。珍しい物には目が無いのだ、こいつは。
「さあ、霊体のシルクなんて、中々の貴重品だ。誰も来ない内に、僕たちで頂いてしまおう。どうせ忘れ物だからね、使ってあげた方が、おカイコ様の供養にもなるだろう」
「なんか勝手なことを言っているな。にしても、香霖が道具を使う宣言するなんて珍しい。で……そうだな。私の取り分は良いからさ」
「おや? 魔理沙こそ珍しく殊勝だね」
「また何か作ってくれよ」
 妙に生き生きとした霖之助と二人でいると、魔理沙まで妙に生き生きとしてきた。
「帽子が良いな。日に当たっても熱くならない帽子が欲しいぜ。頼むな」
「もちろん構わないとも。どんなのが良いか、考えてみよう」

 やがて二人が作業を終えた頃、本当の夕立が降り始めて、今度こそ雨宿りをすることになるのだけれど、それはまた、別の話なのでした。
 雨が降って、すうっと気温が下がっていく夏の夕方。あの時間が好きなのです。
珈琲味のお湯
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コメント



0.270簡易評価
1.100サク_ウマ削除
なんだろう、とてもほっこりするお話でした
2.100名前が無い程度の能力削除
蚕時雨?
きれいですね
3.100名前が無い程度の能力削除
文章の端々から自然に夏を感じられました。
ちょっとした事で強がってみたりヤキモキしてみたり感傷に浸ってみたり調子を取り戻してみたりする魔理沙の少女らしさがすごく好きです。
4.80奇声を発する程度の能力削除
良い雰囲気でした