Coolier - 新生・東方創想話

彼女は如何にして再び引きこもったのか? ③

2005/12/04 10:57:41
最終更新
サイズ
49.48KB
ページ数
1
閲覧数
838
評価数
9/35
POINT
1830
Rate
10.31



 ※題名一部変更しました。




















 紅魔館に行った。
 正確にはパチュリーに会いに行った。

 そうしたら、パチュリーはアリスたちと一緒になって何か魔法の実験をしていた。

 何だか除け者にされたみたいで面白くなかった。
 だから仲間に入れてもらおうとしたら、ドアには鍵が掛かっていた。
 それも私に開けることができないような、とびきり複雑な奴が幾つも。

 本当に除け者にされたみたいで、面白くないというより悲しくなった。腹も立った。
 それでドアを箒で殴って壊そうとした。
 でも、ドアにも魔法が掛かっていた。
 人間の力ではどうやっても壊せないような、強力な奴が。
 これ以上やったら箒が壊れてしまうので、今度は魔法で壊すことにした。

 やっぱり駄目だった。
 生半可な魔法じゃ傷の一つもつけられない。
 そんなにまでして私を中に入れたくないのだろうか? そんなに私が嫌いになったのだろうか?
 ちょっとだけ涙が出た。

 でも、ここですごすごと引き下がるわけにはいかない。
 こうなったら何が何でも中に入ってやる。
 そして、どうして私を中に入れてくれなかったのか問いただしてやるんだ!



 スペルカードを使ってドアを壊す。
 使ったスペルは『彗星・ブレイジングスター』。お気に入りの一枚だ。

 いつもどおり迎撃用に魔道書が出てくるけど気にしない。
 今の私に攻撃を当てられる奴なんていないんだから。

 アクセル全開、スピードがどんどん上がっていく。
 きっと音より速く飛んでいるに違いない。
 弾は一発たりとも私にかすることはなく、レーザーも曲がってあらぬ方向に飛んでいく。
 魔道書たちは私に触れることもできずに墜ちていった。

 ――ん~♪ 気分爽快!

 パチュリーたちを肉眼で確認。
 あとはそこに向かって突っ込むだけだ。
 掛かる時間は見積もってだいたい三十秒。……でも、もっと早くたどり着きたい。そんなに長く待ってられない。
 もっと早く、もっと速く、一秒でもいいから――!

 さらにギアを上げたその時、ガクンと視界が揺れた。
 原因はすぐにわかった。
 気持ちが急ぐあまり、魔力をスペルカードにつぎ込みすぎたのだ。

 結果、スペルカードは魔力の許容量を超えて暴走していた。
 術者の意思を無視して加速と減速を繰り返しながら飛び続ける。
 私は目をぎゅっと瞑って、箒にしがみついて落とされないようにするだけで精一杯だった。
 こんなスピードで投げ出されでもしたら……トマトみたいに潰れた自分を想像して気分が悪くなる。

 右に左にと振り回される中、スピードが少しだけ緩む。
 目を薄く開けると、大きく弧を描きながらパチュリーに向かって正面からぶつかっていくところだった。
 けれどパチュリーは動けないのか、逃げようとしない。
 目を見開いて叫んだ。力の限りに叫んだ。
 このままじゃパチュリーが!
 音速を超えて体当たりでもされたらきっと命はない。生きてる奴なんていない。
 少しでも進路をずらそうと必死に力を込めるけど、箒はまるでパチュリーに狙いを定めたように動かない。

 ――くそ! 曲がれ、曲がれ、曲がれぇ!!

 手のひらの皮が破けて血が滲む。それでも箒はびくともしない。
 次から次から流れる涙は風に吹き飛ばされて散っていく。
 相変わらずパチュリーは動かない。
 見ればパチュリーと私との間に、白い光の壁のようなものがあった。
 この壁で私を受け止める気なんだろうか?
 でも駄目だ。そんな薄っぺらい壁じゃ絶対に止まらない。
 だから早く逃げてくれ!
 叫びは声にならなかった。

 どんどんパチュリーの顔が近づいてくる。
 はっきりと顔の輪郭が見えてくる。
 目が、合った。
 その中に自分の顔が見えるくらいに近づいて――











 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇











「……何で私は寝てるんだ?」
 気がつくと、魔理沙は草の上に仰向けに寝転がっていた。
 しばらくの間、焦点の合わない目でぼーっと前を見ていた。
 そのうちにだんだんと頭の中で整理がついてくる。


 そうだ、私はさっきまで紅魔館の中にいたはずだ。

 でも私は今、知らない場所にいる。
 じゃあ、あれは夢だったのか?
 そんなはず、ない。荷物を持って家を出て、紅魔館に着いて、図書館に行って……全部覚えてる。
 それに――ほら。


 手を開くと、皮が破けていて、流れ出た血が固まっていた。
 もちろん箒にだってついている。それも、記憶と同じところに。
「夢じゃ……なかったんだ」
 とりあえず起き上がろうとしたら目の前がちかちかと光った。
 しかも自分の意思とは無関係に景色がぐらぐらと揺れる。
「うあー気持ち悪いー」
 立ち上がると酷いことになりそうなので、起き上がるのをやめて、魔理沙はもう一度ごろんと仰向けに寝転がった。
 そういえば、気を失う直前に光の壁の中に突っ込んだような。このちかちかはあれのせいだろうか?
 ごろんと転がって辺りを見る。
 たくさんの木が茂った森。
 立ち並ぶ木々に邪魔されて、太陽の光はここまで届くことはない。
 湿った土のにおいのする空気。
 でもって木の根元にはキノコキノコキノコキノコキノコ……。
 間違いない、ここは魔法の森だ。

 ――じゃあ、紅魔館からここまで飛ばされたっていうのか?

 相手はパチュリー。しかもアリスたちと集まって魔法の実験をしていたのだ。
 「えーと。忍び込んでくる黒白を効率よく追い出す方法は……」なんて言って新しい魔法を開発したのかもしれない。
 それがあの光の壁だったのだろう。
「なんか癪だけど……今度ばっかりはそれに感謝だな」

 ようやく眩暈も治まってきた。
 起き上がり、ふらつかないことを確かめてから立ち上がる。
 皮の剥けた手のひらにはとりあえず携帯用の包帯を巻いておいた。
 消毒をしておきたいところだけど生憎持ち合わせがない。
 我が家に帰るか、もしくはあの店からもらっていきたいところだけど……。

 魔理沙はここで初めて、意図的に目を逸らしていた問題に目を向けた。
 つまり。



 ――どこだ、ここ?



 いかに住み慣れているとはいえ、魔理沙もこの森のことを隅から隅まで把握しているわけではない。
 目隠しをしたまま歩けば迷ってしまうように、気絶している間に適当なところに放り出されれば、自分のいる場所がどこなのかわからなくなるのは当然だ。
 それにもう一つ重要なことがある。
 一体、今は何時なのだろうか?
「夜だったら……まずいよなぁ」
 手持ちの武装を確認しながら魔理沙はぼやいた。
 箒にミニ八卦炉にスペルカードが何枚かと、一通りは揃っている。魔力もたいぶ回復したところだ。
 状態で言えば申し分ない。
 しかし、幻想郷における夜というのは、日中に比べて危険度が格段に跳ね上がる。
 ここ魔法の森ならなおのこと。
 よほどのことがない限り、なるべくなら出歩きたくないものだ。
 もっとも、夜の森で気絶していようものなら十分と経たないうちに妖怪の餌になっていただろうから、いいとこ夕方だろうとは思っているのだが。 

 紅魔館に乗り込んだのが昼前で、それからどれくらいの間気を失っていたのかはわからない。
 でも、昼だろうが夕方だろうが、夜までに目的の場所にたどり着けなければ同じことだ。時間に余裕はないと思ったほうがいいだろう。

「まいったな……」
 未だかつて、どこぞの紅白みたいに勘だけでなんとかなる奴をこれほど羨ましいと思ったことはない。
 あいつなら適当に歩いているだけで、妖怪とも出会わずに目的地までつけたりするんだろう、きっと。
 まあ、無い物強請りをしてもしょうがない。とにかくここから動かないことには何も始まらないのだ。

 そう自分に言い聞かせるけど、暗くて静かで知らない場所というのはとにかく薄気味が悪い。おまけに鬱蒼と茂る木のおかげで、前も後ろも、右も左も全部同じに見えてしまう。
 右を向けば目的地は左にあるような気もするし、前に進めば後ろにあるような気がする。
 一歩進めばそれだけ行きたい場所から離れてしまうんじゃないか? 迷ったまま夜になってしまうんじゃないか?
 震え上がるほど冷たい感情が足元からじわじわと這い上がってくる。

 ――怖い、怖い、怖い!

 急かされるように、追い立てられるように。
 迷子になった子供のように行ったり戻ったりを繰り返しながら、結局、目を覚ました場所とはまったく違うところにいることに気づいて、魔理沙は膝を抱えて座り込んでしまった。
 顔をうずめると、こぼれた涙が袖やスカートに染み込んで冷たかった。
「こういう時、昔はあいつが迎えに来てくれたんだけどな……」
 普段は頼りないくせに、こんな時はいつも一番に自分を見つけて家まで連れて帰ってくれた。
 弱いくせに。本当は自分だって怖かったくせに。
 顔は笑っていて声も優しいのに何故か足が震えていて。
 それが可笑しくて笑うと一緒になって笑ってくれた。そうしたらもう怖いものなんてなくなっていた。
「……ふふっ」
 そのときの様子を思い出して、少しだけ笑った。

 そうだ。別に道に迷ったっていいんだ。
 そんな時はいつだって、自称保護者が迎えに来てくれるからな。

「さて、こんなところでめそめそしてる場合じゃないぜ!」
 心持ち帽子を深くかぶり直してから魔理沙は歩き出した。
 今度は迷わずに、真っ直ぐ前に向かって。










 ――で、しばらく。





「……嘘」
 魔理沙は呆然となった。
 覚えのない道を真っ直ぐ歩いていたはずが、気付けば目の前に店が建っていた。
 『香霖堂』と古めかしい文字で掛かれた看板を掲げる店は、確かに香霖堂だ。
 やたらと森に馴染んでいる外観といい、繁盛してそうにない雰囲気といい、間違いなく香霖堂だ。
 安心したら一気に肩の力が抜けた。
「でも、なんでこんなところに……?」
 辺りを見回してみる。
 覚えがない。
「……」
 気を落ち着けて、もう一度辺りを見回してみる。
 やっぱり見覚えのない場所だった。
「となると、二号店でも出したのか?」
 いやいやそれはない、とすぐに否定する。
 あいつは趣味や道楽で商売になってない店を始めるような酔狂な奴だけど、まさかそこまでアレなことはやらないと思う……いや思いたい。
 第一、店番はどうする? 霊夢……はやらないだろうし……私か?
 目を閉じて店番をしている自分をイメージ。



 ~空想~


 午後、香霖は買出しに出かけていった。
 そこで仕方なく私が店番をしてやっている。
 適当にお茶を飲んで本を読んでいると、扉が開く。客が来たらしい。
「いらっしゃい。香霖堂へようこそ、だぜ」


 ~了~



「っ……だああああああ!!」
 叫んで邪念(?)を追っ払い、ついでに扉を蹴破る。
「――よお香霖!」
「な……お、お嬢!?」
 珍しい光景だった。
 店主――森近霖之助が椅子からずり落ちて目を白黒させている。
 で、床には割れた湯飲みとその中身。ビックリした拍子に落としてしまったらしい。
 あれは「結構気に入ってるんだ」とか言ってたやつじゃなかろうか……。
 扉を蹴破られるわ湯飲みが割れるわ、彼にとってはいい迷惑だろう。




 ……二人の間に気まずい沈黙が流れる。




 先に耐えられなくなったのは魔理沙のほうだった。
「あー、何やってるんだよ香霖。……ほら、掴まれ」
「ぁ……いや、いい」
 魔理沙の手は借りずにそう言って一人で立ち上がると、霖之助は割れた湯飲みを手際よく片付けて戻ってきた。
 手に薬箱を持って。
「お嬢。ほら、手を見せて……いや、その前に水でよく洗ってくるんだ」
「お、おう」
「『おう』じゃないだろう。それに、家の中で帽子をかぶるんじゃない」
「あっ!」
 魔理沙が帽子を手で押さえるよりも早く、霖之助はそれをひょいと取り上げてしまった。
 そしてふと気づいたように、魔理沙の顔を覗き込む。
「お嬢……もしかして、泣いていたのかい?」
「う、うるさいな!」
「ははっ。どうせ、また道に迷ったんだろう? 昔から迷子になるとすぐ泣いていたからなぁ」
「――!!」
 まあ、道に迷ったのは事実だ。少し弱気になったことも事実だ。
 そして、見知った店と顔を見て、ふと気が緩んでしまったことも認めよう。
 だが泣いてはいない。
 これは目にゴミが入った、または目が乾いただけなのだ。
 というか。

 ――昔の話を持ち出すなんて卑怯だ。何も言い返せないじゃないか。

 睨むと何を考えているのかわからない顔で見返された。
 むぅ。こいつがこういう顔をしているときは決まって旗色が悪い。
 これ以上からかわれる前に、魔理沙は台所へと避難した。








「……こりゃ酷いな。いったいどうしたんだい?」
「ん……いや、ちょっと箒に乗ってスピードを出しすぎたんだ」
「嘘はいけないな、お嬢」
 言って、霖之助は明らかに適量以上の消毒液を魔理沙の手に吹き付けた。
「痛たたたた!! う、嘘じゃないって!」
「ふ~ん?」
 生返事を返しながら、それを布で拭き取って新しい包帯を巻きつけていく。
 で、続けてもう片方の手に取り掛かる。
 こっちの手の包帯は、染み出してきた血で所々が赤黒く染まっていた。
 無言のまませっせと包帯を剥がしていく霖之助。
「でさ、香霖。一つ聞きたいんだけど」
「なんだい?」
「この店って、前からここにあったっけ?」
「?」
 頭に疑問符を浮かべながら魔理沙を見る霖之助。
 まあ、魔理沙も同じように頭に疑問符を浮かべていたわけだが。
「この辺りに見覚えがないんだよ。初めは二号店でも出したのかと思ったくらいだぜ」
「そうかい? この店はずっと前からここに建っているよ。……店の場所まで忘れてしまうなんて……迷子になって、よほど怖い目にあったんだね」
「しみじみ言うな! 違うって言ってるだろ!」
「はは。じゃあ、そういうことにしておこうか。……終わったよ」
 結んだ包帯の余りを切って出来上がり。
 怪我をした魔理沙の両手には、白い清潔な包帯がしっかりと巻かれていた。
「ん、サンキュ」
「どういたしまして。で、これからどうするんだい?」
「とりあえず紅魔館に行ってくる。返すものもあるしな」
 包帯やらを薬箱にしまっていた霖之助の手が止まる。
「返すもの、ね。……お嬢が行くって言うなら止めはしないけど。危ないと思ったらすぐに帰ってくるんだよ」
「まあ、香霖がそう言うなら……?」
 会話が噛み合っていないような気がする。
 それも何か根本的なところで。
 いったい、紅魔館の何が危険だというのだろう?
「ま、いいか。じゃあ行ってくるぜ」
「ああ、いってらっしゃい」


 霖之助に見送られて店を後にする。
 空には太陽が輝いていた。高さから計算して、おおよそ二時くらい。
 パチュリーに会って用事を済ませて……一応、いろいろ壊してしまったことも謝っておこう。それから、急げばもしかしたら咲夜の作ったおやつを食べられるかもしれない。

 なんだ、いいことずくめじゃないか。
 こりゃどうあっても急がなきゃな。

 俄然やる気が出てきた。
 一気に飛び上がり、さらに上昇して雲の上に出る。
 目指すは紅魔館。
 その紅魔館を取り巻く湖を探すと……あった。
 いつもとはほとんど逆方向にあるような気もしたが、「たまにはこういうこともあるだろう」と、紅魔館へ向かって飛んでいった。
 でも、気になることが一つ。

 ――……香霖の奴、いつから私のことを『お嬢』なんて呼ぶようになったんだ?



 追記。
 その下を箒に乗った何かが飛んでいったが、高度を上げていたせいで魔理沙がそれに気づくことはなかった。
 それは、はるか上を飛ぶ魔理沙のことを、黒い鳥くらいにしか思わなかった。










 ◆◆◆◆◆◆◆










 魔理沙はもの凄い速さで上昇して紅魔館のあるほうへ飛んでいった。
 彼女の姿が見えなくなると、霖之助は店の中へと戻っていった。
 椅子に座り、新しく持ってきた湯飲みを片手に思う。

 ――あれは本当にお嬢だったのか?

 姿かたちはそっくりだけど、扉を蹴破るし男言葉だし黒白だし。
 初めは狐にでも化かされたかと思った。
 でも本当に人を化かすつもりならもっと上手く化けるはずだ。何も本人と正反対のことをやる必要はない。
 それに僕を化かしてからかっても何の得もないだろうし。

 となると、あれは本物で。
「お嬢が急にそんな性格になったっていうことか……?」
 誰かから悪い影響を受けたのでなければいいが。
 心当たりもないし、考えても答えは出ない。
 わからないものは仕方がないので、霖之助は諦めて読みかけていた本を開いた。
 と、そのとき。
「霖之助ー、いるー?」
「な――っ!?」
 扉が開いて二度ビックリ。
 こうしてまたも森近霖之助は椅子から落ち、二つ目の湯飲みが割れることになった。










 ◆◆◆◆◆◆◆










 湖がどんどん近づいてくる。
 まあ湖に足が生えてどこかへ行こうとしない限り、こっちが近づけば近づくのは当たり前なのだが。
「チルノの奴、もう出て来ないだろうな……?」
 紅魔館に向かう途中で、無謀にも弾幕ごっこを挑んでくるから軽く捻ってやったのを思い出した。
 あいつは根に持つから性質が悪い。
 一日二日たてば忘れてしまうけど、その日のうちに顔を合わせるとしつこく勝負を挑んでくるのだ。
 暇なときはいいが、今はそうも言っていられない。早く行かなければいろいろと予定が狂ってしまう。

 とは言うものの、青い空に黒を基調とした魔女服が目立つのは当然のことで。
 岸から湖からわらわらと妖精たちが飛び出して来た。
 展開される弾幕。
 その圧倒的な数をかわすため、魔理沙は大きくトンボを切った。
「悪いけど、お前たちの相手をしてる暇はないんだ」
 急降下。そして水面付近で急停止。
 風の塊が水面を叩き、巨大な水柱が上がる。
 妖精たちの動きが止まった一瞬を、魔理沙は見逃さない。
 再び急加速、水の壁を破って湖の表面すれすれを全速力で抜けていく。
 不意をつかれたこと、太陽の光を受けて輝く水面と魔理沙の後ろに上がる水飛沫のせいで、妖精たちは狙いを定めることができない。
「適当にばら撒かれた弾に当たるほど私は甘くないぜ」
 弾と弾の間を潜り抜けて、魔理沙は湖を抜けていく。
 結局、妖精たちの中にチルノの姿を見ることはなかった。












 紅魔館が見えて来る。
 少し遅れてしまったけど、このペースならレミリアのお茶会に間に合うだろう。
 ほっと一息つきながら、
「……ん?」
 魔理沙はおかしなことに気づいた。
 いないのだ。メイドが一人も。
 すでに紅魔館の敷地に足を踏み入れているというのに、メイドを一人も見かけない。
 確か休業中なのは門番とメイド長だったはず……。
「変だな……楽だからいいけど」
 これで紅魔館の扉に『本日休業中』なんて札が掛かっていたらどうしよう。
 魔理沙はそんなことを思った。




 無人の敷地を進んで、門の前にたどり着く。
 箒から降りて、門を潜ろうとしたところで足が止まった。
 胸のうちに降って沸いたような感情――得体の知れない不安とでも言えばいいのか。
 注意深くあたりを見回す。
 ここに門番はいない。
 メイドもいない。
 誰もいない。
 ここにいるのは私だけ。
 じゃあ、なぜ、足が前に進まない――?

 ここには何かがある。
 彼女に足を止めさせるだけの何かが。
「面白いじゃないか。じゃあ、それが何か確かめてやる」
 ほとんど強がりに近い一言だったが、今の魔理沙にはそれで十分だった。
 緊張のためかすっかり乾いてしまった唇をなめて、地面に張り付いたように動かない足を無理矢理前に出す。

 一歩。
 踏み出した足と一緒に門を潜る。



 ――瞬間、空気が変わった。



 本来、門とは建物の内側と外側を隔てる壁でもある。
 ならば、今まで立っていた場所は紅魔館の外側。この門の内側こそが、紅魔館ということになる。
 そして、そこには紅魔館への入り口を守る一人の人妖――紅美鈴が立っていた。
 腕を組んで真っ直ぐに魔理沙を睨んでいる。
「貴方も本当にしつこいわね。……今なら引き返すことを許可してあげる。怪我をしないうちに帰りなさい」
 叩きつけられる『敵意』。
 また、足が止まる。

 ――怪我? 怪我をしないうちにって何のことだ? 私はいつもここを通っていたじゃないか。

 魔理沙は何の冗談だと笑いとばしたかったけれど、声は出ず引きつった笑いにしかならなかった。言葉に乗せられた気迫、覚悟……これが冗談ならほとんどの言葉が冗談になってしまう。
 同時に魔理沙は目の前の人妖に違和感を覚えた。


 彼女はこんな物言いをしていただろうか? 「しつこい」とは何のことだろう?
 それに、あの上からものを言っているような態度。
 あれは強がりでもなんでもない。だとすれば、まるで私が彼女に何度も追い返されているみたいじゃないか。


 目を覚ましてから何度か感じたそれが、はっきりとした形を持って見えてきた。
 私はもしかしたら……。
「帰る気はないようね。貴方のそういうところ嫌いじゃないけど……それが答えなら、二度とそんなことが出来ないよう徹底的にやらせてもらうわ」
「いいぜ、やれるもんならやってみろ。その代わり、私が勝ったらいろいろ聞かせてもらうからな!」




 ――ドンッ!




 返事の代わりに、突然、地面が波打つように動いた。
 揺れに足を取られて魔理沙は倒れてしまう。
 何が起こったかを理解するまでのわずかな間、真っ白になった頭で、魔理沙はとにかく横に転がることだけを考えた。
 やや緩慢ながらも、思考に反応して体が横へと転がる。
 半瞬遅れて目の前に手刀が突き刺さる。見れば土の中に手が丸々埋まってしまっていた。
 魔理沙の顔から血の気が一気に引いていく。
「ちょ、ちょっと待て! 「怪我しないうちに」ってお前、今の当たったら死んでるぞ!」
 ごろごろ転がって服を土まみれにしながら立ち上がって魔理沙は叫んだ。
 弾幕ごっことかそういうレベルではない。今の一撃には明確な殺意が込められていた。
「……何を言っているの? 私は言ったはずよ、『徹底的に』って」
「だからって――!」
「生きるか死ぬか。私が守る紅魔館の門を潜ろうとするってことは、そういうことなの」
 美鈴が軽く足を持ち上げ、
「破ッ!」
 鋭く吐き出された息とともにその足が地面を踏みしめる。
 また地面が波打つ。まるで地の底を巨大な竜が泳いでいるように。
 が、それは対象が地面の上にいればこそ意味がある。
 間一髪、空に飛び上がる魔理沙。
「初めはビックリしたけどな、一回見ればそんなの当たらないぜ!」
 地面に足を着いたままの美鈴に手のひらを向けて、収束させておいた魔力を、
「――疾!」
 霞むほどの速さで繰り出された拳に破壊された。

 衝撃で吹き飛ばされる。
 ただ、魔力が拳の威力を軽減してくれたらしい。まともに当たっていれば五体無事では済まなかっただろう。
 緩い放物線を描いて地面に背中から落ちる。
 視界が二転三転。肺の空気が搾り出されて、しばらく咳き込んだ。
「少し見ない間にずいぶんと腕を上げたみたいね。変わったのは格好と言葉遣いだけじゃないってことかしら?」
「ああ……そうかい、そりゃ……どうも」
 よろよろと立ち上がる魔理沙に対して美鈴はまったくの無傷。
 怪我らしい怪我はなく、それらしいところといえば突き出した拳が少し赤くなっていることぐらいだ。
「でも、その体で次は受けきれないでしょう?」
「さあ……そいつはどうかな……?」
「強がりはそこまでにすることね。滑稽を通り越して哀れに見えるわ」

 美鈴が片足を地面から離す。
 その様は、いつか本で読んだ断頭台の刃が引き上げられていくように感じられた。


 ――美鈴の足が地面を踏みしめるまでのわずかな時間。魔理沙に残された猶予はそれだけしかない。

 逆転の可能性を探して、魔理沙は必死に考える。
 美鈴の攻撃はとても単純なものだ。
 大地を足で踏みしめる『震脚』、それを踏み込みに使っての拳による高速の打突。
 威力は先ほど体感済み。二度は耐えられそうにない。そして避け易いように見えてその実、あの一瞬の踏み込みを上回る速度で動けなければ直撃を免れない実践的な攻撃だ。
 大出力の攻撃で押し返すには時間が足りず、完全に避けきるにはスピードが足りず。
 防ぐ手立てはおろか、逆転の可能性なんて残っていない。
 こんな短時間に答えを見つけるなんて……不可能だ。
 体から力が抜けていく。

 ははっ……そりゃ護衛のメイドも要らないわけだ。
 こんなのが門を守ってりゃ、誰だって近づきたくなくなるぜ。

 ――ほら、もう足が地面に着く。


 断頭台の刃が落ち、三度、地面が波打つ。
 よろけた拍子に魔理沙の懐から一枚のカードが零れ落ち、それは吸い寄せられるように魔理沙の手の中へ収まった。
 虚ろだった魔理沙の目に生気が戻る。
 カードの名は『恋符・マスタースパーク』。
 この絶体絶命の窮地において、たった一つだけ残された逆転の可能性――

 揺れる大地をしっかりと踏みしめ、魔理沙はスペルカードを構える。
 真っ直ぐに前だけを見据え、不適に笑う。
「なんだってこう、いざって時は一か八かになるんだろうな、私は……!」
 魔力はすでに補填されている。あとはそれを解き放つだけでいい。
 大きく息を吸い、
「――マスタースパーク!!」
 眼前に出現したそれに向けて、ありったけの魔力を叩きつける――!!



















 刹那、景色からあらゆる色が消えていく。




 ――まったく。窮鼠猫をかむとはこのことかしらね。




 身体の自由が奪われて……意識が……。




















「――っ、今のは……!」
 一秒か一分か。魔理沙が身体の自由を取り戻すと、全てが終わっていた。
 地面には仰向けに倒れた美鈴。
 手にしていたスペルカードは二つに断ち切られて燃え尽きた。マスタースパークは強制解除されたらしく、辺りに被害はない。
 それらを行ったのは目の前に立つ一人のメイド。


 時間と空間の支配者――十六夜咲夜。


「どうして……邪魔を、するんですか……!」
 美鈴が立ち上がる。腹を抑えているところを見ると、そこに一撃を加えられたらしい。
 邪魔をされたことがよほど気に入らなかったのか、目には殺気めいたものさえ見える。
「『どうして』ですって?」
 対照的に、咲夜は氷のように冷たい視線を投げかける。
 魔理沙は周囲の気温が急激に下がったような錯覚を覚えた。
「そんなことも解らないのかしら?」
「ええ解りませんね。答えを教えてもらいたいくらいですよ」
 きつく拳を握り締める美鈴。
「あら、そんなに殺気立って……嫌だと言ったらどうするつもり?」
「貴様――!!」
 咲夜に飛び掛る美鈴。
 二人の距離は二メートルとない。美鈴にとっては、必殺の間合いと言っても過言ではなかった。

 ――相手が咲夜でなければ。 

「馬鹿ね」
 見開いた咲夜の目の色は、血のように紅かった。
 瞳に映る美鈴の顔に二つの表情が入り混じって浮かぶ。
 後悔と、畏怖。
 それは神の裁きを恐れる咎人の顔によく似ていた。
 美鈴が――正確にはその周りの空間が、大きな手に握りつぶされるように縮む。
 魔理沙の目に、その現象はそう映った。
 縮んだ空間が元に戻る。雷に打たれたように仰け反って、血の混じった泡を吐きながら、美鈴は倒れた。
「前にも言ったわね、美鈴。『生き残ることも私たちの務めだ』と。それを忘れて生死を掛けた戦いに臨むことは私たちに許されることではないわ。しばらくそこで反省していなさい。……さて」
 倒れた美鈴を一瞥してゆっくりと振り返る。
 まさに蛇に睨まれた蛙。目を合わせただけで魔理沙は金縛りにあったように動けなくなっていた。
 咲夜はそんな魔理沙の様子を見て、優しく微笑んだ。
「そんなに怖がらなくてもいいわ。さっきの勝負はとりあえず貴方の勝ち。いろいろと聞きたいこと、あるんでしょう?」
「……ぁ」
 そういえば美鈴と戦う前に、そんな約束らしきものをした気がする。
 今の今まですっかり忘れていた自分が情けないやら恥ずかしいやら、魔理沙は顔を真っ赤にしながら帽子を目一杯深くかぶった。
「ついていらっしゃい」
「――お、おう!」
 慌てて荷物を拾い集め、魔理沙は咲夜の後に続いて紅魔館の中へ入っていった。











 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇











 しんと静まり返った廊下を、咲夜に連れられて歩く。
 カツ、カツと二人の靴音だけが響いている。
 咲夜は何も喋らない。メイドというより、よくできた機械人形のように、無感情に、正確に歩を進めていく。

 館の中にもやはりメイドの姿はなかった。それどころか、生きているものの気配がまったくしない。
 これで中が荒れ果てていればまだ納得もできるのだが、そこは咲夜、埃の一つも見逃さないほど掃除は徹底している。
 そのギャップが、余計に不気味さを引き立てていた。



「……なぁ」
「何かしら?」
 この空気に耐えられなくなって、魔理沙は咲夜に尋ねた。
 かれこれ十分以上も無言で歩いていたのだ。魔理沙にしてはよく持ったと言うべきか。
「美鈴、あのまま置いてきてよかったのか?」
「構わないわ。あの程度で死ぬような、やわな鍛え方はしていないし」
「……そっか」
 会話が途切れる。再び、不気味な静けさが舞い降りてくる。
 それを追い払うように、魔理沙は話を続けた。
「さっきの勝負」
「?」
「なんで私の勝ちなんだ? あれはどう見ても相打ちだろ?」
「それは違うわね。さっきも言ったけど、生き残ることも私たちの役目。引き際を心得ておくことも大切よ。だって、門番が玉砕覚悟で外敵と戦って死んだら、その後は誰が門を守るのかしら? 美鈴はそこそこ腕は立つけれど、その辺がわかっていないのよねえ……」
 やれやれと嘆息する咲夜。
 いろいろと苦労が耐えないらしい。
「はは……あれで『そこそこ』ね……」
 魔理沙は凹んでいた。が、ふと思い出したように言う。
「ところで、何でこんなに静かなんだ? 他に誰も居ないのか?」
「……ええ。今、この紅魔館に残っているのは、パチュリー様と、私と、美鈴だけよ」

 ――この時、機械のように正確だった咲夜の歩がわずかに乱れたことに、魔理沙は気がつかなかった。

「レミリアは? それにフランもいないのか?」
「……お嬢、様?」
「ああ、そうか。またいつもみたいに霊夢のところにで」
「――博麗の巫女、ですって……?」
 感情を押し殺した声が咲夜の口から漏れる。ギリ、と砕けるほどにきつく歯を食いしばる音が聞こえた。
 心臓を鷲掴みにされたような圧迫感。
 呼吸をすることさえ忘れて魔理沙は立ち尽くした。


 しばらくして、ふらふらと足取りも危なく咲夜は歩き出す。
 まるで石になったように動かない足を必死に動かして、魔理沙はその後を追った。
 確信があったからだ。咲夜の背中を決して見失ったが最後、とんでもないことが起こると。







 どれくらい歩いたのだろうか。
 大きな一枚のドアの前で、咲夜は立ち止まった。コンコンと、ノックをする。
「パチュリー様、お客様をお連れしました」
「……どうぞ」
 ドアの向こうからは静かな声が返ってくる。
 助かった。ここまで生きた心地のしなかった魔理沙は、心の中でほっと一息ついた。
「よかったわね」
「――え?」
 まるで心の中を見透かされたような一言。
 顔を上げると、そこには紅い、二つの目があった。
「あそこでもし貴方が動かなかったら、切り刻んで殺してあげようと思っていたのに。……ええ、とても残念だわ」
 にぃ、と唇の端がつりあがる。
 目を逸らそうとしても吸い付いたように紅い目から離れない。
 カチカチ、カチカチ……震えが止まらない。
「あら、そんなに震えてどうなさったのですか? さあお部屋へお入りください。中はとても暖かいですわ」
 180度違う笑顔で、わざとらしく、恭しい口調で言ってドアを開ける咲夜。
 魔理沙は何も言うことができず、促されるままに中へと足を踏み入れた。





 部屋の中には見慣れた光景があった。
 倒壊の危険があるほどに本が詰まれた机、そこに座っている紫の髪の少女。
 ありとあらゆる知識を溜め込んだ、果てしなく広い図書館……。
 元から人気のなかった場所だけあって、ここだけは記憶とそう違わない雰囲気を漂わせていた。
「ようこそ、別世界からの来訪者さん」
 顔を合わせるなり、紫の髪の少女――パチュリー・ノーレッジは言った。


 私が抱いていた疑問が氷解する。ああ、やっぱりなと納得してしまう。
 違う場所に建てられていた香霖堂、何度も私を追い返したという美鈴、私を知らない咲夜、レミリアのいない紅魔館……これらは、私がいた幻想郷と違う別の幻想郷だと考えれば説明がつく。
 だとすれば、あの時パチュリーたちが行っていた実験というのは……。


「で、他に聞きたいことはあるかしら?」
「――え? あ、ああ……」
 思考が現実に引き戻される。
 何が面白いのか、パチュリーはにこにこしながら魔理沙の質問を待っていた。
「じゃあ、私が元の世界に戻る方法はあるのか?」
「ええ、もちろん」
「どうやって?」
「急かさなくてもきちんと元の世界に帰してあげるわよ。そうしないといろいろ面倒なことになるから。それで、他にはないの?」
 そう聞かれて魔理沙は言葉に詰まった。
 聞きたいことは確かにある。それも一つだけ。
 だが……。
 ちらりと咲夜に目線を送る。
 咲夜はパチュリーの斜め後ろに立って、微動だにしない。
 今なら大丈夫じゃないのか?
 パチュリーもいるのだ、きっと彼女を止めてくれるだろう。
「じゃ、じゃあ……」
「――待って。咲夜、席を外しなさい」
「……畏まりました」
 一礼して、咲夜は部屋から出て行った。



 彼女の足音が聞こえなくなって、パチュリーは話を続けるよう促した。
「パチェ、レミリアはどこに行ったんだ?」
「やっぱり……はぁ。咲夜を部屋から出して正解だったわ」
 疲れたように机に突っ伏するパチュリー。
 その様子から見て、ああなった咲夜はパチュリーの手にも余る存在らしい。
「……で、レミィのことだったわね。残念だけど、彼女がどこにいるかは私にもわからないわ」
「どうして?」
 パチュリーは少しの間、目を閉じた。
 表情が幾分か険しくなる。これから話すことは、思い出したくない嫌な出来事のようだった。




 ◆◆◆◆◆◆




 二年くらい前かしら。レミィは太陽の光を嫌って、それを遮るために霧を出したの。それもただの霧じゃなくて、妖気を含んだ有害な霧。
 本当はこの紅魔館と周辺の湖を覆うだけでよかったのだけれど、力の加減を誤ってしまったのね。霧は人里にまで下りて、多くの人が狂って死んでいったわ。
 悪いことに、レミィはそのことに気づいていなかった……いえ、気づいていなかったというより、関心がなかったのね。
 そして霧を出したまま半月以上過ぎたある日、あれが来た。この幻想郷の守り手である博麗の巫女が。
 私はあんな化け物がいるなんて知らなかった。私やレミィも十分に強い方だと思っていたけど、あれは格が違ったわ。
 結局、半日も経たないうちに紅魔館は制圧されて、レミィとフランは空間の狭間に封印されてしまった。空間を操る咲夜でさえ、手の届かないところに。




 ◆◆◆◆◆◆




 パチュリーは語り終える。
「ついでに教えてあげる。咲夜がおかしくなったのはそれからよ。あの娘はずいぶんとレミィに依存していたようだったから……あの日以来、必死に自分を誤魔化して生きているの。……それももう限界だろうけど」
「? 外で会ったときは普通に見えたけどな」
「それは……実際に見てもらったほうが早いわね」
 パチンと指を鳴らすと、パチュリーの周りに十枚ほどの絵が浮かび上がった。
 紅魔館の門、ロビー、廊下……侵入者に備えてそれぞれの場所を見る物だと、魔理沙は思った。
 そのうちの一枚が拡大される。
 置かれた家具や調度品には見覚えがあった。趣味や嗜好が同じなら、ここはレミリアの部屋だ。
 部屋の中には一人のメイドがいた。
「これ……誰だ?」
「咲夜よ」
「……嘘だろ」
 これが、あの咲夜だって……?
 声が震えているのが自分でもわかった。
 欠片ほどの精気も感じさせない姿でベッドに縋り付いているメイドは、よく見れば、確かに十六夜咲夜その人だった。
 しきりに何事か呟いている。
 確かめようと顔を近づけた魔理沙は、とっさに両手で耳を塞いで目を瞑った。声を聞かずともわかってしまったのだ。彼女が何と言っているかが。

 ――『お嬢様』。

 暗く虚ろな目から涙を流し、命のない人形のような顔でずっと呟いている。
 恐ろしかった。少しだけ見えてしまった咲夜の顔が、例えようもなく恐ろしかった。
 あれはまるで……。
 パチンと指のなる音。浮かび上がっていた絵が全て消える。
 恐る恐る目を開いて両手を耳から離す。手が、震えていた。
「わかったでしょう? 今のあの娘は『メイド長・十六夜咲夜』という仮面を被ってないと自分を保てないのよ」
「……その割にお前は平気なんだな」
 意識せず口をついて出た言葉に、パチュリーは表情を強張らせた。そして自嘲するように笑う。
「そうね。私はここにいれば満ち足りるから。レミィがいなくなって咲夜がああなって、つくづくそう思い知らされたわ」
「……悪い」
「いいのよ別に。自分でもわかっていることだから。……じゃ、次は私の番ね」
「は? 『私の番』?」
「当たり前じゃない。ただで面倒ごとを引き受けるほど、私はお人好しではないわ」
 いつの間にやらパチュリーは陰謀めいた笑みを浮かべていた。



 ――はは……お手柔らかに頼むぜ。









 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇










 ――いろいろあってパチュリーの自室。



「……なぁ、もういいだろう?」
「駄目よ。まだまだこれからなんだから」
 二人の魔女は一つのミニ八卦炉を前になにやらやっていた。
 ちなみに、時たま魔理沙の悲鳴が聞こえてくるのはパチュリーがどうにかしてこれを解体しようと試みるせいだ。

 なぜこんなことをやっているのか?
 原因はパチュリーが魔理沙のミニ八卦炉を調べたいと言ったことにある。
 ヒヒイロカネという特殊な金属でできており、人間という種族に魔法使い並みの魔力を与え、小型で、しかも外の世界の機械まで組み込まれている。
 とまあ、そんな規格外なマジックアイテムに、パチュリーが興味を持たない方がおかしいのかもしれない。
 一方の魔理沙に断る権利はなく、パチュリーは喜々としてそれを調べ始めた。
 五分ほどであらかたの機能を調べつくし、それから十分と経たないうちに図面その他を紙に書き起こして、いざその中を……とミニ八卦路の解体に取り掛かったパチュリーだったが、何をどうすれば解体できるのかが全くわからなかった。
 継ぎ目があるようでない。様々な機能が溶け合って一つの形になっている。
 まるで、炉にいろいろな物を放り込んで溶かし、鋳型の中に流し込んで固めて作り上げたようなマジックアイテム。
 製造方法もさることながら、これを作ったのはどんな奴だろうかと好奇心が湧いてくる。
 この霧雨魔理沙という少女を送り返したら、一度、魔法の森まで足を伸ばしてみよう。
 パチュリーはそう思った。
「はい、これ。返すわね」
「……どこも壊してないよな」
 その追求は笑って誤魔化した。











「さて、本題に入るわね」
 片付けを終えた後、二人はテーブルに向かい合って座っていた。
 パチュリーの顔にさっきまでのふざけた様子は微塵もなく、魔理沙は自然と体に力が入るのを感じた。
「貴方はどうやってこの世界に来たの?」
「よくわからない。白く光る壁……もしかしたら魔方陣の光だったのかもしれないけど、その光に体が触れた途端、気を失って……目が覚めたら森の中に倒れてた」
「なるほどね」
 頷きながら、パチュリーは方程式のようなものを紙に書いていく。
「光の壁は……十中八九、魔方陣の光でしょうね。それもおそらくは召喚陣をアレンジしたもの。用途を変えるなんて、中々面白いことを考えるのね……それで、その場にいたのは誰かしら?」
「……えーと、パチェにアリスに、レミリア、咲夜、美鈴だな。見えたのはその五人だ」
「ふむふむ」
 式を書く速度が倍近くに上がる。頭の中では、それ以上の速度で術式が組み上げられているのだろう。
「私にレミィに咲夜、美鈴はわかるわ。このアリスっていうのは?」
「魔法の森に住んでる魔法使いで、手先が器用な奴だ。たくさんの人形を一度に操ったり、いろいろな魔法を使うことができる。でも……」
「――パワー不足」
「おぉ、正解だぜ」
「何か一つに特化するということは、その対極にある欠点を補うためでもあるのよ。貴方がパワーに頼るようにね」
 そう言ってパチュリーはペンを置いた。
 どうやら、術式が完成したらしい。
「向こう側の私が何をやろうとしていたか、大体わかったわ。これは、おそらく自分の世界と別の世界とを繋ぐ門を作る魔法ね。とすれば、魔方陣を書くのが私、このアリスというのが魔方陣の起動と維持、咲夜が空間の制御、美鈴は……補助かしらね。レミィはどこに繋がるかわからない門の出口を、なるべく自分たちの都合の良い場所にするため。で、門を潜るのは私の役目。こんなところかしら?」
「……ずいぶんあっさりと答えを出すんだな」
 「とてもじゃないが信じられないぜ」魔理沙の目はそう語っていた。
 パチュリーはそれを一笑に付す。
「当たり前よ。私が考えたことが私にわからないはずがないでしょう?」
 ごもっとも。
 魔理沙は深く頷いた。
 だがしかし。それは単に問題点を浮き彫りにしたようにしか感じられなかった。
「なぁ、パチェ。私は元の世界に帰れるんだよな?」
「それは保障するわ」
「どうやって? 人数も足りないのに」
「さあ、それはどうかしらね?」
 意味ありげな視線を窓の外に投げて、パチュリーは部屋を出る。
 魔理沙もそれに習って窓の外を見るが、何の変哲もない風景しかなかった。
 振り返るとパチュリーの後姿が廊下へと消えていく。
 慌ててその後を追おうとして、もう一度、魔理沙は窓の外を見た。









 ――空には夜の帳が下りていた。高く、高く、満月の月が輝いている。
 ――そんな、何の変哲もない風景があった。











 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇











 パチュリーを走って追うこと数分。
 館の最も奥にある大扉の前に立つ彼女に、魔理沙はようやく合流することができた。
「遅かったわね。何をしていたの?」
「……パチェが窓の外を見るから気になったんじゃないか」
「あらそう」
 そんなやり取りをしながらパチュリーは扉を押し開ける。
 ぎしぎしと重たい音を立てて開いていく扉の向こう側を見て、魔理沙は言葉を失った。

 幅は少なく見積もって十メートルほど、奥行きはその倍近くはある広間。
 全てが整頓された紅魔館にあって、そこだけが異質な空間だった。
 ひびの入った壁、割れた床、燃え尽きた絨毯……。
 それに、何と言えばいいのか。……この広間には戦いのにおいが強く残っている、とでも言えばいいのだろうか。
 目を閉じるだけで、ここで行われた壮絶な戦いの様子が浮かんでくるようだった。

「どうして私をこんなところに……?」
「必要だからよ」
「……必要って、いったい何に?」
 パチュリーは答えない。じっと一点を見つめたまま、歩き出す。
 その目は真剣そのもの。仕方なく魔理沙も並んで歩く。
 広間の奥、段を上り、一つだけ置かれた椅子の前でパチュリーは立ち止まった。
 豪勢な装飾を施されたその椅子は、間違いなくレミリアのものだろう。
「なぁパチェ。ここでいったい何をするつもりなんだ?」
「二年ぶりの再会」
「?」
 口元に笑みを讃えてパチュリーは振り返り、魔道書を開いた。
 彼女の口から一片の淀みなく呪文が紡ぎ出されていく。
 その体から解き放たれた強大な魔力の奔流がパチュリーの髪を揺らす。極上の絹糸のようなパチュリーの髪が揺れ、輝く様は、ある種の神秘的な光景だった。
「これが本調子のパチュリーか……ほとんど反則だぜ」
 この魔力量には自慢のマスタースパークでさえ軽く霞んでしまう。それにあの髪の毛も羨ましいなぁ……。
 こっちの幻想郷は規格外が多くて困る。魔理沙はまた凹んだ。

 ――そうしている間にもパチュリーの詠唱は続く。

 広間の中央に、紅い光で描かれた十メートル近い巨大な魔方陣が浮かび上がった。
 「こんな複雑で大きいの……私が十人いても無理だぜ……」さらに追い討ちを掛けられた魔理沙は膝を抱えて座り、どこか遠い目をしてその様子を眺めている。
 魔方陣がどのように構成されているか、一目見ればわかるというのも考え物である。
「――来た」
 パチュリーが静かに言う。
 ぞわり、と総毛立つような圧迫感。魔理沙の目に、魔方陣の中央を貫いて天に昇る真紅の光が映った。
「あれは……レミリアのグングニル――?」
 直後、光を追うように魔方陣にあいた穴の中から二つの人影が飛び出してくる。
 それが誰か、魔理沙は一目でわかった。
 消え行く魔方陣の光に照らされながら、大きく翼を広げた吸血鬼の姉妹――レミリアとフランドール。パチュリーの「二年ぶりの再会」とはこのことを指していたのだ。
「久しぶりね」
「そうね。何年ぶりかしら?」
「二年ぶりよ。……お帰りなさい、レミィ、フラン」
「ええ……ただいま、パチェ」
「――ただいま、パチュリー!」
 差し出された手に、そっと自分の手を重ねるレミリア。パチュリーの胸に飛び込むフランドール。
 フランドールを受け止め、優しく微笑むパチュリー。


 楽しい? 違う。
 可笑しい? 違う。
 嬉しい? ……似ているけど違う。
 幸せ? ……そうだ、あれは幸せな奴が見せる笑顔だ。
 パチェの嘘つき。何が「私はここにいれば満ち足りるから」だ。さっきまであんな顔、一度だって見せなかったじゃないか。

 一人離れたところで成り行きを見守っていた魔理沙はそんなことを思った。
 と、床が微かに振動していることに気づく。床だけではない。壁も、天井も――言うなれば紅魔館そのものが揺れている。
「……ああ、そういうことか」
 初めは驚いたが、何のことはない。
 紅魔館も喜んでいるのだ。
 レミリア・スカーレット――自らの主の帰還を。

 そして、主の帰還を待ちわびていた者がここにも。
「お嬢様……?」
 開け放たれた扉の前に呆然と立ち尽くす咲夜。
 夢か、幻を見ている。そんな顔で、熱に浮かされたように一歩、また一歩と歩き始める。
 彼女にとっては夢や幻でも構わなかったのだろう。それが何であれ、もう一度主の姿を見ることができるのなら。
「……咲夜?」
「――ぁ」
 咲夜は小さく息を呑む。夢や幻にはない、はっきりと意思を感じさせる声。
 その声が自分の名前を呼んだ。夢じゃない。幻でもない。あの日から続いていた悪い夢は終わったのだ。
 瞳に光が戻る。のろのろと踏み出していた足はやがて小走りになり、しまいには駆け出していた。
「――お嬢様ぁっ!」
 レミリアに飛びつく。レミリアはそれを正面から受け止める。
 肌の触れる確かな感触。もう離すまいと、咲夜は精一杯の力でレミリアを抱きしめた。







「わぁ……!」
 目を輝かせて二人を見ているフランドール。背中の羽がピンと伸びたりくねくねと動いている。それが彼女の心の動きを如実に表していた。
 その目を後ろから両手で塞ぐパチュリー。
「ちょ、ちょっと何するのよ!」
 二人を気遣ってか、フランドールの声は思ったよりも小さい。暴れることもない。
「ああいうのは他人がじろじろ見るものじゃないわ」
「だって……」
 渋るフランドールを振り向かせ、少しだけ強く。
「レミィに嫌われたくはないでしょう?」
「う、うん」
「じゃあ、二人だけにしておいてあげましょう」
「うー……わかったわよ」
 と口では言いながらも動こうとしないフランドールを、猫のようにひょいと持ち上げてパチュリーはその場を離れた。







 ◇◇◇◇◇







「いつからうちのメイドは泣き虫になったのかしらね?」
 冗談めかしてレミリアは言う。その声と表情はどこまでも優しい。
 咲夜は小さく体を震わせて、
「だって、お嬢様……いなく、なって……でも……いなく、なる……信じられなく、て……」
 ぼろぼろ涙をこぼしながら泣きじゃくる。そこにはメイド長の仮面をかぶっていた咲夜はいない。一人のか弱い少女がいるだけだった。
「まったく。泣くか喋るかどっちかになさい」
 やれやれ。レミリアは小さな子供にするように優しく背中をなでる。
 まるで母親のように。幼い娘を愛おしむように。
 不思議と、そのときだけは、レミリアの黒い翼が白い羽のように見えた――。






 ◇◇◇◇◇







「覗き見なんて、いい趣味してるわね」
 悪魔の妹を片手にぶら下げて、パチュリーはそんなことを言った。
「失敬な。私は覗きなんてしてないぜ。遠くから眺めてるだけだ」
「……威張って言うことじゃないでしょうに」
 呆れた顔をしながら魔理沙の横に腰を下ろす。フランドールはその横に。
 が、フランドールは降ろされてすぐに魔理沙のほうへ移動した。遠慮なしにじろじろと魔理沙の顔を眺める。
「フラン……あんまり人の顔ばっかりじろじろ見るもんじゃないぜ?」
「む。人間のくせに馴れ馴れしいわね貴方」
「そりゃ弾幕ごっこで遊んだ仲だからな……って、こっちのフランとは初対面だったっけ」
「……『こっち』? どういうこと、パチュリー?」
 知識人に助け舟を求めるフランドール。
「彼女はね、別の幻想郷からやってきたのよ」
「別の幻想郷?」
「ええ。この幻想郷と隣り合った幻想郷のこと。そこには私じゃないパチュリーもいるし、貴方とは違うフランドールもいるわ」
「向こうのパチェは病弱だったし、フランは手の付けられないやんちゃでな。こっちとは大違いだ」
「ほぇー……」
 好奇心を湛えた目で魔理沙をじっと見る。かと思うとぽんと手を打って。
「なるほど。それでお姉さまは」
「? レミリアがなんだって?」
「ちょっと前……こっちではお昼くらいかな? お姉様が言ったの。「別のものがこの世界に入り込んだ。これで出られるわ」って」
「……どういうことだ?」
 今度は魔理沙がパチュリーに助けを求める。パチュリーは少し考えてから言った。
「貴方が魔方陣を潜ったとき、もしかして魔法を使っていたんじゃないかしら? それもかなりの出力の高い」
「よくわかったな」
「……やっぱりね。ちょっと待って。今、考えを整理するから」
 頭痛を堪えるような仕草で言ってから、パチュリーはしばらく黙り込む。
 そして、「これから私なりの解答を聞かせてあげる」と、コホンと一つ咳払い。
「二つの世界を魔法で繋げるためには、かなりの魔力を消耗するの。だから魔方陣が小さければ小さいほど、術者の負担は減るわ。でも、小さすぎると役には立たないし、ギリギリの大きさにしても同じこと。肉体を欠損させる恐れがあるから。これは、魔方陣は内側に寄れば寄るほど安定するからよ。だから人一人を送るためには二メートル前後が適当と言うわけ。ここまではいい?」
 頷く二人。真面目な生徒にパチュリーは機嫌を良くしたようだった。
「でも、それは陣の内側において魔力の干渉がなかった場合。二つの世界に一定の方向で流している魔力に別の魔力で干渉されれば、それがどんなに腕の立つ魔法使いであったとしても制御は困難だわ。それが高出力の魔法ならなおさら。下手をすれば、魔方陣という通路を抜けて世界の狭間を彷徨い続けるか、魔力の干渉に巻き込まれて消滅するか。……どちらにせよ、五体無事にこちら側へたどり着けたことは奇跡といってもいいわね」
 パチュリーは同じ魔法使いとして、奇跡を起こしたことへの賞賛と、それと気づかず無謀な行為に走ったことへの侮蔑とを込めた視線を魔理沙に向けた。
「あ、あはは……」

 聞いていて鳥肌が立った。
 暴走していたとはいえ、光の中に突っ込んだときにはブレイジングスターを使っていたような……。

「でも、それがお姉さまの言ったことと、どう関係するの?」
 乾いた声で笑っている魔理沙は放っておいて、フランドールは話の続きを促す。レミリアの言葉の答えはまだ出ていないのだ。
「そうね……レミィがそう言ったのは、貴方たちが封じられた場所が世界と世界の間にある『スキマ』だったから、かもしれないわね」
「スキマ?」
「そう、スキマ。……ねえフラン、私がさっき『この幻想郷と隣り合った幻想郷がある』って言ったこと、覚えてるかしら?」
「覚えてるわ。ここと同じ場所があって、別の私たちがいるんだよね?」
「その通りよ。そして、隣り合った幻想郷――世界は決して重なることがないように、壁のようなものでわけられてるの。その壁もやっぱり重ならないように間を空けられているわ」
「えーと……難しいことは良くわからないけど、お姉さまと私はその壁と壁の間にあるスキマに封印されていたということ?」
「ぁ……」
「パチュリー?」
「咲夜の能力を使っても見つけられない場所なんて、考えてみればそこしかないのよね……盲点だったわ」
 がっくりとうなだれるパチュリー。「答えがすぐ近くにあったことに気づかないなんて……」しまいにはいじけ始める始末だ。
「――まあそれは置いといてだ。私が魔法を使ったことと、スキマに封印されていたフランたちが脱出できたことの関係が見えないんだが?」
 途中から聞き耳を立てていた魔理沙の質問に、パチュリーは我に返る。
「え? あ、そ、そうね。説明が途中だったわね。……貴方は魔方陣の中で魔法を使った、そしてこちら側に送られた。これは例えるなら世界を隔てる壁と壁の間に作った通路を壊しながら進んでいくようなものなの。で、通路を壊しながら行くわけだから、当然、周囲にはその影響が出るわ。レミィはそれを察知して、封印にできた綻びを見つけたんでしょうね」
「……なるほど。それでか」
 パチュリーがわざわざこの広間に巨大な魔方陣を描いた理由がようやくわかった。
 仮に封印の綻びから脱出したとして、そこはどことも知れない場所。状況は何ら好転しない。
 ならばこちらの居場所を彼女らに教えてやればいい。帰るべき場所を示してやればいい。
 それが、あの魔方陣。紅魔館という灯台に点された篝火だったというわけだ。
「――で、投げれば必ず中るグングニルに道案内をさせたと」
「そういうこと。あれには私の力も上乗せしたから途中で止まることもなかったわ。凄いでしょ?」
 ありとあらゆるものを破壊する必中の神槍・グングニル……聞いただけでぞっとする。これにはさすがのパチュリーも閉口していた。
「あーやだやだ。スケールが大きすぎて普通の人間様にはとてもついていけない話だぜ。しばらく休むから、あっちが起きたら起こしてくれ」
 帽子を顔に乗せて、不貞腐れたように魔理沙は寝転がった。
 パチュリーとフランドールは魔理沙の指した『あっち』に目を向ける。



 ――そこには、泣きつかれたのか、レミリアの膝の上で静かな寝息を立てる咲夜がいた。












 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇









 眉間の辺りがちりちりする。これはなんだっけ?

 考えるが頭が上手く働かない。意識は霧がかかったようにぼんやりとして、簡単に思考を分散させてしまう。
 これはきっと眠っていろという神の啓示に違いない。
 彼女に信じている神がいるかどうかはわからないが、とりあえずこの時だけはいたようだ。
 例えば魅魔のような。

 ……ん? 魅魔様? そういえば、昔の魅魔様との修行は大変だったな……。
 上から落ちてくる岩を魔法で全部砕いて見せろとか、針山の上に一昼夜、浮いたまま止まっていろとか。
 あの時も、本当に危なくなると今みたいに眉間の辺りが……眉間の辺りが――!?

 氷水をかけられたように一気に意識が覚醒する。
 魔理沙が目を開くのと持ち上げられたレミリアの足が落ちてくるのは同時だった。
「うわああああああああ!!」
 絶叫しながら転がる魔理沙。その影にレミリアの踵が突き刺さる。
 ――だが、何も聞こえなかった。床を砕く音とか、そういったものが一切。
 体を起こし、錆付いてしまったように動かない首を回して地面を見る。
 レミリアの踵がゆっくりと上がる。その下には、細く小さな穴が一つだけ開いていた。
「お見事ですわ、お嬢様」
「ええ。さすがはレミィね」
「膨大な力を小さな一点に集中する……さすがです」
「お姉様すごーい!」
「この程度、雑作もないことだわ」
「――お前らちょっと待てーーーー!」
 力いっぱい怒鳴る。普通の人なら萎縮するほどの声の大きさだった……が、そんなものに臆する紅魔館一同ではなく。
「煩い」
「静かにして頂戴」
「怒鳴れば解決するというものでもないわ」
「私もっと大きな声出せるよ?」
「黙れ」
 散々な答えが返ってきた。

 ――ちくしょう。多勢に無勢なんて卑怯だぜ。

 泣きたくなるのをぐっと堪える魔理沙。
 パチュリーはくすくすと笑って、
「冗談よ。貴方がいつまでたっても起きないから、ちょっと驚かそうということになったの。ね、レミィ?」
「ええ。幸せそうに寝ているからそのまま永遠に眠らせて欲しいんじゃないかって話だったわね」
 レミリアが止めを刺した。
「お前ら私をだしにして遊ぶなぁ!」
 轟、と吼える魔理沙。
 レミリアとパチュリーは顔を見合わせて笑った後、天井の穴――グングニルによってあけられた穴だ――を見上げた。
「そろそろね」
「そうね。もうじき夜が明ける。その前に一仕事して、私は久しぶりに自分の寝床で眠らせてもらうわ」
「じゃあ、早く終わらせてしまいましょう」
 地面に描かれた魔方陣の両端に立った二人の口から、それぞれの呪文が紡ぎだされていく。
 一人は世界を結ぶ門を開くため、もう一人は運命を手繰り寄せるために。

 ――パチュリーの魔力が魔方陣に浸透し、光を放つ。光は柱となり、二つの世界を繋ぐ門となる。
 ――時を同じくしてレミリアも最高の運命を掴み取ったようだ。自信に満ちた笑みがそれを証明している。

 ここまで、時間にして二分と経っていない。
 夜の吸血鬼と本調子となった紅魔館の魔女。この二人がいかに常識というものを無視しているか、それを改めて見せ付けられた気分だった。
「さあ、早く」
「お、おう」
 パチュリーに促されてようやく足が前に出た。一歩、また一歩、魔方陣に近づいていく。
 近づくほどにはっきりとわかる。この魔法がどれほど高度なものか。
 道を作り、門を開き、世界を繋げ、固定する。これほどの魔法を扱える者が、幻想郷にどれくらいいるだろうか。……きっと両手の指で数えられるほどだろう。
 そして、パチュリーはその一人だ。
 彼女に少しでも近づきたくて、肩を並べたくて、日々努力を重ねてきた。
 弾幕ごっこなら何度か勝った。でも、まだまだだ。力の差はこんなにも大きい。
 だけどいつか――
「いつか、絶対に追いついてやるさ」
「……どうしたの?」
「んにゃ。自分の無謀さを改めて確認しただけだ」
「そう」
 魔理沙の心の内を知ってか知らずか、パチュリーは嬉しそうに笑う。

 ああそうさ。目標のハードルはいつだって高いほうがいい。
 簡単に越えられる目標なんて面白くもなんともない。生涯を掛けられるくらいのやつじゃないとな。

 最後の一歩。魔理沙は魔方陣の内側へと踏み込む。向こう側でそうだったように、視界が真っ白な光で閉ざされた。
 何も見えない。何も聞こえない。だんだんと意識が薄らいでいく中、魔理沙は自分が温かいものに包まれるのを感じた。
 真っ白な、何も見えないはずの光の中で、レミリア、フランドール、パチュリー、咲夜、美鈴……みんなが笑っていた。
 そして、聞こえないはずの声で言った。


 ――ありがとう。


 魔理沙はそれに応えるよう、最高の笑顔で言う。


 ――どういたしまして、だぜ。





本当は後編で終わる予定だったのですが…もう一話だけ続きます。
どうかお付き合い下さいませ。 


※紅魔館について

 レミリアが不在のため、どこかの妖怪(@とか)に攻撃を受けていたのではないかなと。
 吸血鬼含む悪魔は嫌われ者らしいですから。
 特に美鈴はそれらと戦っていくうちに強くなった、という設定です。でも、メイドたちは…。
aki
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1130簡易評価
7.90名前が無い程度の能力削除
インターバルとして楽しく読ませていただきました。
完結までがんばってください。
しかし、パチェの体を治す本という方向性が・・・。
9.80名前が無い程度の能力削除
後編でどのようにまとまるのか。
楽しみにしております。
14.70まっぴー削除
今回は魔理沙視点という事ですか。

病弱じゃないって言うだけでここまで変わるのかこの連中は。

こっちのこーりんの見ている魔理沙ってやっぱうふふ魔理沙かな?
……そりゃ驚くわけだ。
でも、まだ「お嬢」と呼んでいたのなら霧雨家にいたという事かな?
19.70名乗らない削除
この世界には絶対正義な霊夢、真面目なゆかりん、しっかり者のゆゆ様がいるわけですね。オソロシヤ(ぉ
20.80bernerd削除
最初のくだりに良い味わいを感じました。
視点、展開が変わっても上手く書かれている点が素晴らしいと思います。
次も期待しています。
22.70那須削除
話が終焉に入って、いよいよ続きが気になります。
こちらのわがままとは思いつつ、早く完結が読みたいです。
23.70名前が無い程度の能力削除
なんかすごいな…
ゆあきんは「ドキッ!ゆあきんだらけの大宴会」を開いてそう
26.80ええ名乗りませんとも削除
そっち側の紅魔連中、熱いな。パチェかっこよすぎ。
それだけで話が倍倍に膨れ上がりそうだ。
あとジブリ並の暖かさ?もgood。

「後編」としてはちょっと評価が下がるかなといったところ。
ラスト、非常に期待してますぜ旦那。
29.90名前が無い程度の能力削除
これはいい紅魔館ですね。依存する咲夜さんがたまらない。
アッチ側の幻想郷にはもう触れないんでしょうけど、レミリアとフランが霊夢に再封印されないことを祈るばかりですね。多分きっと、害を為さない限りは霊夢も手出ししないと思いますが。幻想郷のバランサーですし。