Coolier - 新生・東方創想話

座薬の伝承者(前編)

2005/11/28 18:33:21
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 鈴仙・優曇華院・イナバは思い詰めた表情をしていた。
 
「あの……閻魔様……相談があるんですけど」
「しかし地獄行く」
「うわあああああああああああああんっ!」
 
「……ちょっと、巫山戯すぎたかしら?」
 泣きながら駆けていった鈴仙を眺めて、四季映姫・ヤマザナドゥは冷や汗を流した。
 何か悪い病に罹ったのか最近部下が真面目に働くようになり、仕事の忙しさが増してきて、ちょっとストレスが溜まってきたところに、からかい甲斐のありそうな知り合いがやってきて、つい悪ノリをしてしまった。
 というかそもそも、こんなのは自分のキャラではない。
 白黒はっきりつけることを至上とする地獄の閻魔様が、よりによって思い詰めた表情の月兎にくだらないイタズラを。最悪だ。閻魔失格である。
 兎は寂しかったら死んでしまうほど繊細な生き物なのに。
 もし、自分のせいであの月兎が死んでしまったらどうしよう。
 
「…………天国、予約一名、っと……」
 
 自分にできることは、これくらいだった。
 
 
 
 
 
「うう……やっぱり私……地獄に行くのかな……」
 竹林をとぼとぼと歩きながら、鈴仙は掠れた声で呟いた。
 死後の裁判を司る閻魔様が断言したのだ。間違いないだろう。
 ──地獄。
 ぼんやりとしたイメージでしか知らないが、悪いことをした者が送り込まれる、ということはわかっていた。
 
 悪いこと。
 
「──逃げて、来ちゃったんだよね」
 
“外”の人間どもが月に攻めてきて。
 怖くなった自分は逃げ出した。
 仲間も家族も、全部捨てて。
 
 できることなら、償いをしたい。
 それはずっと前から思っていたこと。
 何をすれば償いになるのか──それを相談しに、四季映姫のもとへと向かったのだが、浴びせられたのは先程の言葉。
 わかりきっていたことなのかもしれないが、はっきりと言われたことでより胸が苦しくなった。


 自分は、逃げてしまった悪い兎。
 せめてもの償いに、と永遠亭で身を粉にして働いてきた。
 永遠亭の皆は優しかった。輝夜や永琳と敵対しているはずの月の兎だということも気にせずに、仲間として扱ってくれていた。
 
 許されないのかもしれないけど──ここでなら、自分は幸せになれるのかもしれない。
 
 そう、思っていたのに。
 
 
 歯車が狂い始めたのはいつからか。
 輝夜の引きこもりが酷くなった頃だろうか。
 永琳の稼ぎが悪くなった頃だろうか。
 てゐがネットオークション詐欺を始めた頃だろうか。
 具体的に、いつ、と定めるのは難しいが──気付いたときにはすでに遅く、永遠亭は、歪み始めていた。
 
 
 鈴仙の尊敬する永琳が、彼女を自室に呼び出した。
 
 
「鈴仙。貴女も薬師として働きなさい」
 
 とうとう認められたのだと思った。
 永琳に弟子入りして長い時が過ぎたが、未だに一人前として認められていなかった。しかし、とうとう一人前と見なされたのだ──そう思い、心から喜んだ。
「はい! 師匠のような薬師を目指して、一生懸命頑張ります!」
 宣言した時、きっと自分の表情は、緩みきっていたに違いない。涙腺すら緩んで、泣いていたのかもしれなかった。
 嬉しかった。
 頑張ろうと思った。
 薬師としてより多くの人を助けていくことが、罪の償いになると思った。
 
 月からは逃げてしまったけれど、永遠亭からは絶対に逃げない。
 そう、決心した。
 
「ちょっと待って鈴仙。私のことを目指す前に、座薬の実演販売をやりなさい」
 
 永遠亭は、気付いた時には歪みきっていた。
 
 
 
 
 
「はあ……」
 鈴仙は重いため息を吐きながら、これからどうしようか頭を悩ませていた。
 永遠亭でちょっとベクトルのねじ曲がった仕事をこなすうちに、鈴仙はふと疑念を抱くようになった。
 
 ──永遠亭で頑張り続けることが、果たして贖罪になるのだろうか?
 
 妹紅と殺し合いをするとき以外は部屋から出てこないNEETのために働いたり。
 薬学を学ぶためとはいえ師匠の怪しげな薬の実験台に毎回なったり。
 てゐのネズミ講にサクラとして無理矢理参加させられたり。
 果てには、大衆の前で臀部を晒して、座薬の実演販売を行ったり。
 
 こんなことを続けていて、自分は許されるのだろうか。
 
 
 永遠亭の者に相談するわけにはいかない。
 かといって、相談できるほど親しい者が永遠亭の外にいるわけでもない。
 そこで浮かんだのが、説教好きの閻魔様。
 白黒つけるのが大好きなら、自分の現状が良いのか悪いのか教えてくれるに違いない──そう思って、相談に行ったのに。
 
「地獄行き、かあ……」
 
 地獄に行くのは別に構わない。
 自分はそれだけのことをしてしまったからだ。
 だが──地獄に行く前に、できる限りの償いをしたい。
 誰かに、その償いとは何なのか、教えて欲しかった。
 
 
 
 
 独り竹林を静かに歩く。
 永遠亭に戻るしかないのか。
 あの、賑やかしくも少々歪んだ所に帰るしかないのか。
 永遠亭のために働くことは苦ではない。
 しかし……できることなら、もう少し、人助けになるような、そんな仕事をしてみたい──
 
 
 
 
 ──と、竹林の奥に、誰かが倒れているのを発見した。
 
 
「って、えええええええええええええええええっ!?」
 
 永遠亭ほどではないが、ここは竹林の奥深く。
 普通の人間が徒歩で来るのは自殺行為──そんな場所である。
 もしや遭難か?
 そう思い、鈴仙は倒れた人の元へ駆け寄った。
 
「……ん?」
 近寄ってみると、なにやら見覚えのある色のような……。
 所々に泥が跳ねて汚れているが、その赤と白の2色装備は、そう簡単に忘れられない。
 幻想郷の住人なら、誰もが一度は聞いたことのある、楽園の素敵な巫女──
 
「……博麗、霊夢?」
 おそるおそる声をかけてみると、ぴくり、と反応した気がした。
 うつぶせに倒れているので顔は見えないが、近くでまじまじと見る限り、こいつはどう見ても博麗神社の巫女である。
 この竹林は、博麗神社からそこそこ近い。
 まあ、近いとはいっても普通の人間が踏破できる距離ではないが、空を飛べるこの巫女なら、到達するのは難しくないだろう。
 問題は──何故倒れているのか、ということ。
 
(誰かにやられたとか!?
 でも、こんなところに敵がいるのかしら……?)
 
 そもそも、ロリ吸血鬼や大食い亡霊、果ては永遠のNEET姫まで撃破した博麗霊夢が、誰かにやられるなんて想像も付かない。
 あのキワモノどもを超える、更なる強敵が近くにいるのだろうか。
 
「う……う……」
 
 うつぶせの霊夢がうめき声を上げた。
 そうだ、ぼうっとしている場合ではない。
 どこか怪我をしているかもしれない。その場合は早急に手当てをしなければ。
「えっと、大丈夫?」
 まずは背面をチェック。薄汚れている以外に特に異常は見あたらない。
 続いて、激しく動かさないようにできるだけゆっくりと、霊夢の体をひっくり返す。
 目に見える傷が無くとも、表情や顔色で、どこか異常があるか確認できる──
 
「お、お腹空いた……」
 霊夢の口元には、生の筍の欠片があった。
 
 ズシャーッと鈴仙はその場にヘッドスライディング。巫女のお腹にヘッドバッドを叩き込まなかったのが奇跡である。
 まあそれはそれとして。
「なによ……空腹で倒れてたってこと?
 で、生の筍を囓ったけど、思うように体が動かなかった、と」
 気を取り直して霊夢の顔をチェックする鈴仙。多少痩せこけたような気がしないでもないが、完全な飢餓状態に入っているわけでもない。すぐに消化の良い物でも食べさせられれば回復するだろう。
「気を付けなきゃいけないのは食中毒か……。
 ねえ、何か変なもの食べたりしてないでしょうね?」
「大丈夫……毛虫しか食べてない」
「…………はあ」
 鈴仙は深い深いため息を吐いた後、霊夢をよっこらせと担ぎ上げた。
「……ちょっと、何のつもり?」
「どうせ動く体力も気力もないんでしょ? 神社まで運んであげるわよ」
「……お茶菓子なんて出ないわよ」
「期待してない」
 鈴仙はやれやれと肩をすくめた後、そのまま博麗神社へ向かっていった。






「ありがと。今回は助かったわ」
 
 あれから。
 博麗神社に着いたはいいものの、食料棚を見て軽く絶望したり、衰弱した顔で出涸らしは10回目まで色が残ってることを主張されたり、手持ちの貨幣で近くの村から食料を手に入れてきたり、調理している間に霊夢の腹部から獣の唸り声のような音が間断なく聞こえてきたり、貪るように粥を啜る巫女を見て自分たちはこんなのに負けたんだと軽く鬱入ったり、まあ色々あったわけだが。
 鈴仙の作った卵粥を、さも美味そうに平らげたあと、博麗霊夢はものの数分で元通りになった。
 とんでもない回復力である。
 
「しっかし、飢えてるとは聞いてたけど、まさか竹林に突っ込んで生もの貪るほどだとは思ってなかったわね」
「うるさい。いつもこんなんじゃないんだから、其処は勘違いしないこと」
「…………じとー」
「ちょっと賽銭の周期が遅れただけよ。もう数日早めにお賽銭箱が満たされてれば、私は今頃優雅にお昼寝してたんだから」
「はあ。……んで、そのお賽銭は今のところどんな感じなの? 家の中を見た感じ、金目の物は見当たらなかったんだけど」
「3日後には満杯になってるわ」
「今は?」
「夢が詰まってるのよ」
「つまり空、と」
 鈴仙はため息を吐いた。
 なんで自分たちはこんなのに負けたんだろうか。
 師匠も姫も、実は大したこと無いんじゃないのかしらん。
 ……悲しくなってきた。
 
「収入はお賽銭だけなの?」
「十分よ」
「……まあ、別にどうでもいいけどね」
 そう言って、立ち上がる。
「あら? もう帰るの? お茶ぐらい出さなくもないけど」
「色つきのお湯なら遠慮しとくわね。
 ……あー。普通の茶葉なら、食料と一緒に棚に置いてあるから、他のお客にはそっちを出してあげなさいよ」
 
「…………」
 
 何やら、巫女がこちらをじっと見つめている。
「ど、どうかしたの?」
「……いや、少し幻聴が聞こえただけ。
 やっぱり空腹で耳が悪くなってるのかしらね。
 あんたがウチに食料を置いていくようなことが聞こえた気がしちゃったんだけど」
「? っていうか、持って帰っても仕方ないしね」
「──ッ!?」
 ぴしり、と霊夢が硬直した。
「……え? 驚くところなの?」
 
「てっきり、欠片も残さず持ち帰るものだと思ってた……。
 どうやって強奪するか一生懸命考えていた私の努力は一体……?」
「…………」
 一体何が巫女をここまで荒廃させてしまったのだろうか。鈴仙は心底疑問に思った。というか生まれつきこういう生き物だったのやもしれぬ。
 
「……そんなに生活苦しいのなら、お賽銭も入れてこうか?」
 どうせ使い道もないし、と軽い気落ちで提案してみた。
 と、次の瞬間。
 
「あんたっていい人だったのね!」
 
 犬の尻尾が生えていたなら勢いよくぱたぱた振っていそうな表情で、霊夢が鈴仙にすがりついてきた。
「きゃ、ちょっと、なに!?」
 ぐわばーっと霊夢は押し倒してくる。気を抜けば顔をぺろぺろ舐めてきそうで怖い。なにこの犬巫女。ここまで飢えていたというのか。
「今まであんたのことをただの座薬兎としてしか見てなかったわ!
 本当はこんなに良い奴だったなんて! 勘違いしててごめんなさい!」
 座薬兎と思っていたのか──と、それはともかくとして。
 
「別に……良い奴なんかじゃ、ないんだけど」
 
 ぽつり、と。
 つい、心の迷いが零れてしまった。
 
 鈴仙の雰囲気が変わったのを察知したのか、弾けていた霊夢は、ふと真面目な顔になる。
「……なにか、悩み事でもあるの?」
 その表情が、普段の巫女らしからぬ、心配したようなものになっていて、きっと、それがいけなかったんだと鈴仙は思った。
 
 ちょっと、人助けをしたいと思っていた。
 
 別に、誰かが助けを求めるほどに不幸になればいい、などと思ったわけではない。
 自分の背負った罪の重さを意識してしまい、人助けでもしてみればそれを軽くできるのでは、と空想してしまっただけ。
 でも──霊夢が倒れていたのを見つけた、あの瞬間。
 一瞬、ほんの一瞬だが。
 
 自分は、喜んでいた気がする。
 
 人助けができるのかも、と思ってしまった。
 罪悪感を紛らわすために、他人の不幸を喜ぶなんて最低だ。
 既に重い罪を背負っていてなお、己を貶めることしかできないのだろうか。
 そう考えると、泣きたくなってくる。
 やはり自分は罪深き兎で、地獄に堕ちるのが当たり前なんだ──
 
 
 ──心の裡にため込んだモノを、思わずその場で吐き出してしまった。
 言葉を紡げば紡ぐほど、冷たい鎖が鈴仙の胸を締め付けた。
 
 
 
「……はあ。馬鹿みたい」
 
 
 
 頭に軽く暖かい感触。
 ぽんぽん、と霊夢が優しく撫でていた。
 その顔は、今までに見たことがないくらい穏やかで。
 手のひらは暖かく、じんわりと鈴仙の体を火照らせた。
 
 凍えるような罪悪感を覚えていたのに。
 気付けば霊夢を見つめていた。
 
「ねえ、鈴仙」
 巫女は、まっすぐ兎を見つめる。
「私は、あんたに助けられた」
 狂気の瞳すら、優しく包み込むかのように。
「鈴仙がどんなに悪い奴だろうと、それでも私は鈴仙に感謝する」
 そう言って、にっこり笑った。
 
「そんな──だって、倒れてたんだから……それに、喜んじゃったし」
 半ばぼーっとしながらも、鈴仙は言い訳のようにそう言った。
 そんな言葉を聞いた霊夢は、さもおかしそうに声を上げて笑った。
「あはははははっ。
 倒れてる人を放っておけなかったり、自分の悪いところを許せなかったり。
 ──そんなあんたを、私は嫌いになれないかな」
 
 ふいに、胸の内側がノックされた。
 最初は軽くとんとんと。
 やがてそれは激しくなり、どくんどくんと激しくなっていく。
 視線は霊夢から離せずに。
 夢でも見ているかのような、そんなぼんやりとした感覚の中、巫女の笑顔を見つめていた。
 
 あれ?
 なんで私は、霊夢から目が離せないのかな。
 笑顔がまるで絵画のように、心の奥に焼き付けられる。
 撫でてくれてる頭はぽかぽかと暖かくなり、その熱で意識は曖昧になる。
 心臓の音が頭の奥まで響いてくる。
 自分はこんなに、心拍数が高かったっけ?
 霊夢が喋る時の唇の動き、笑った際の目元の曲線、呼吸のせいか微かに動く慎ましやかな胸の膨らみ。今なら全て、明確に記憶できる。
 まるで病に罹ったみたいだ。
 風邪でも引いてしまったのだろうか。
 先程までの冷たい罪悪感はどこへやら。
 今は全身が温かかった。
 
「そ、そんなこと、言っていいの?
 貴方の仕事って妖怪退治でしょ?」
「そりゃそうよ。異変が起きた時にあんたを見かけたら即懲らしめるわ。
 でもね鈴仙。それとは関係無しに、鈴仙・ウドン何とかって妖怪を、嫌いになれないって言ってるの」
「……優曇華院よ。うどんげいん」
「変な名前ね」
「……否定はしない」
 
 霊夢の優しい笑顔につい釣られて。
 気付けば鈴仙も笑っていた。
 
 
 
 約束通り、お賽銭を入れていった。
 霊夢に見送られながら、鈴仙はゆっくり空を飛ぶ。
 賽銭を入れた時の霊夢の嬉しそうな顔を思い出し、ついつい苦笑が漏れてしまう。
 あそこまで困窮しているのなら、また今度も賽銭を入れに行ってあげようと思う。「気が向いたら遊びに来なさい」と言っていたので、料理を作りに行ってあげるのも良いかもしれない。
 私のお賽銭で救われた、と霊夢は嬉しそうに語っていたが。
 ──なんだかんだで、私も救われた気がする。
 
「遊びに来なさい」だなんて初めて言われた。
 仲間と呼べる存在は、永遠亭にいっぱいいるが、先程の霊夢のような存在は、いないんだなあ、と思ってしまった。
 
 ひょっとしたら。
 これが「友だち」というものなのかも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……えーっと、こんにちはー」
「あら、来たのね。素敵なお賽銭箱はあっちよ」
「はいはいっと……」
「……え、ホントに入れてくれるの?」
「…………困窮してるのね……」
 
 
 鈴仙は博麗神社に通うようになった。
 
 
 幻想郷に来てから随分経つが、博麗神社に通い続けた短い時間は、とてもハリのある楽しい時間だった。
 霊夢は鈴仙のことをあくまで“妖怪”としてしか見ていない。自惚れても良いのなら“お賽銭を寄越す妖怪”と認識してくれているかもしれない。
 博麗霊夢はあくまで中庸。何者にも属さない、まるで空気のような立ち位置である。
 異変があったら妖怪を退治する。それ以外では何もしない。
 鈴仙の過去やらしがらみやらは全部すっ飛ばして、ただの一匹の妖怪として見てくれる。
 永遠亭では、確かに皆、気さくに接してくれるものの、少なからず温度差があったのも事実である。
 輝夜や永琳には恩もあるし、従うことに抵抗はない。しかし、対等な関係としては付き合うこともできなかった。上下関係が一度成立してしまうと、それを覆すのは難しい。
 しかし、霊夢の前では全て平等。どんな大妖怪でも小物妖怪でも、霊夢にとっては“妖怪”でしかなく、それが鈴仙には心地よかった。
 
 
 そして。
 
 そんな霊夢が、自分のお賽銭で喜んでくれるのが、とても嬉しかった。
 
 
 
 
 
 
 ──思えば。
 この、初々しい喜びを感じていた頃が。
 鈴仙にとって、一番幸せな時期だったのかもしれなかった。
 
 
 
 
 
「こんにちはー……って、うわ!
 また倒れてるーっ!?」
「た……炭水化物……(ガクリ)」
 
 
 
「ウドンゲ。新規開拓ということで、今度は離れた村で実演販売をやるわよ」
「えっ……? 師匠、それって……」
「大丈夫。今回も見せるだけだから。もう慣れたものでしょ?」
「…………はい」
 
 
 
「ほら、お賽銭。これで何か栄養の付くもの食べなさいね」
「ふ……買いに行く体力すら残ってないわ……」
「……そうだろうと思って材料も持ってきたわよ。台所借りるわね」
「あんたは兎の神様ね……」
「巫女がそういうこと言うな」
 
 
 
「ねーねー鈴仙。今度ね、クリックした相手に架空の請求書を見せて、むやみやたらとリンクを辿っちゃいけませんよ、って教える注意喚起サイトを開こうと思うんだけど」
「……ふーん。それで?」
「引っかけるため──じゃなくて、興味を持たせるための画像に鈴仙のを使わせて貰うから」
「私の……? ちょっと、どんなの使うつもり?」
「ニンジン食べてるところだから心配しないで!
 ちゃんとモザイクもかけるから大丈夫!」
「ならいいけど……」
 
 
 
「はい、お賽銭持ってきたわよ」
「おおー。ありがと。
 ……しっかし、こうちょくちょく貰っておいて聞くのも何だけど」
「ん?」
「あんた、そんなに頻繁にお賽銭持ってきて大丈夫なの?
 なんだか、額もどんどん増えてる気がするし……」
「別に気にしなくてもいいわよ。私はこう見えても永遠亭の稼ぎ頭なんだから」
「ふーん……。まあ、私にできることがあったら何でも言ってね。なんか貰いっぱなしってのも悪いし」
「霊夢がそんなことを言うなんて…………悪いものでも食べた?」
「失礼ね。井戸の苔くらいしか食べてないわよ」
「……駄目だこの巫女」
「溜息吐きつつも、ちゃんとお賽銭を入れてくれるあんたは好きよ」
「そ、そんな嬉しそうな顔で言わないでよ……!」
 
 
 
「えーりん、お腹空いたー」
「もう少しお待ち下さい姫。今晩はすき焼きですよ」
「おおー。もちろん牛肉?」
「当然です。最近はウドンゲが頑張ってますから」
「ああ、あのイナバね。そういえば、モザイクかかったモノをくわえてる画像がネットで流れてたわね。
 あちこちの18禁サイトに紹介されちゃって、もう人気者って感じ。
 私が作ったもこたんコラなんて見向きもされないし……って、そういえば、そのイナバは?」
「ちょっと出張先でトラブルがあったそうで、部屋で泣いてます」
「なんだ、いつものことね」
「ええ。ですから先に食べちゃいましょう」
 
 
 
「しっかし、私が通う前はどうやって食糧補給してたのよ……?」
「お賽銭……」
「えっと、空想の話は置いておいて」
「んー。まあ、魔理沙が材料持ってきて、交代で食事作ってたりしてたんだけど」
「…………ふーん」
「でも、なんか最近魔理沙ってば、紅魔館に入り浸ってるみたいなのよね。
 あー。魔理沙のキノコグラタンが懐かしいなあ。アレだけは妙に得意だったのよ魔理沙ってば」
「……奇遇ね。今日は私、グラタン作るつもりだったの。それじゃあ、材料買ってくるね」
「あらそう。じゃあ、楽しみにしてるわ」
 
 
「ウドンゲ。最近、稼ぎがいまいちよね」
「す、すみません師匠。でも、ノルマはちゃんと……」
「そういうことを言ってるんじゃないの。
 売り上げ自体は好調なのに、随分とピンハネしてるみたいじゃない」
「そ、それでも他の子たちの20倍以上は納めて……」
「私が欲しいのは言い訳じゃないわ。
 とりあえずノルマ3割増しね。
 ……あら。ちょうどまとまったお金があるじゃない。これ貰っていくわよ」
「そ、それは霊夢の……!」
「? あの巫女がどうかしたのかしら?」
「……いえ。何でもありません」
「そ。じゃあ、これからも頑張ってね」
 
 
「……こんにちは」
「あら、来たのね──って、随分と暗い顔しちゃって。何かあったの?」
「ごめんなさい……今日はお賽銭は無いの」
「? そんなこと気にしなくてもいいのに。
 ま、偶には私が振る舞う側じゃないとね。鈴仙のおかげで最近余裕もできてきたし」
「あ……」
「ん? 今度は呆けた顔してどうしたのよ」
「……名前で呼んでくれたの、初めて」
「あら。そういやいつもは『あんた』とかばっかだったっけ。
 いつも大量のお賽銭貰ってるってのに、悪かったわね鈴仙」
「……霊夢ってさ、その場にいない人は名前で呼ぶけど、目の前の相手を名前で呼ぶことって、滅多にないよね」
「そうだっけ? というか、目の前にいるんだから名前で呼ぶ必要もないじゃない」
「…………嬉しいな」
「何か言った?」
「う、ううん! なんでもない!」
 
 
「……れ、れいせんの、座薬……か、買って……くだ、さい……。
 使いやすくて……こ、効果も……んっ……抜群ですよ……」
 
 
「……鈴仙、最近疲れ気味じゃない? 仕事とか忙しいの?」
「大丈夫大丈夫。ちょっとスケジュールが立て込んでるだけよ」
「そう? 無理はしないようにね。
 休憩中の話し相手が疲労で倒れるってのはいただけないわ」
「霊夢が心配してくれるだけで、疲れなんて吹っ飛んじゃうから平気。
 それより、霊夢の方こそちゃんと栄養あるもの食べてる?」
「……あー。照れくさいこと言うわねえ。
 まあそれはそれとして、最近は空腹で倒れることもないから大丈夫。
 これもたくさんお賽銭をくれる鈴仙のおかげだわ。ありがとね」
「そう言ってもらえると嬉しいな。
 ……うん。私、まだまだ頑張れるよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 月は夜の雲に隠され、暗い夜闇が竹林を包んでいる。
 
 因幡てゐは、夜の廊下で一人ケタケタと笑っていた。
 
 某ネットゲームから流出した個人情報を使って、どこぞの死神にオレオレ詐欺を繰り返し、かなりの大金をせしめることに成功していた。
 何度も同じ手に引っかかるなんて、あの死神も⑨だなあ、とてゐは笑う。今頃借金を返済するために必死になって働いているのかもしれない。
 住所氏名に電話番号、メールアドレスや職場の情報まで、かなりのネタを押さえてある。騙す手段は一つだけではない。まだまだあの死神からは搾り取れるだろう。
 他にもカモは何匹か確保してある。
 しばらくは安定した収入が見込めるだろう。
 NEETや永琳には感付かれないよう、慎重に慎重を重ねて今までやってきた。
 おかげで今やてゐの個人資産はとんでもないことになっている。当然マネーロンダリングは済んでいるので、使うことに不自由はない。
 
「そうだ、資金もかなり集まってきたことだし、今度は闇金融でもやろうかなあ」
 取り立てにはへにょり耳もとい鈴仙を使えばいい。
 鈴仙で取り立てられなさそうな奴には、最初から貸さないようにすれば、回収業務も滞ることはないだろうし。
 
「……ふむ。意外といいアイディアかも。んじゃ、いずれ使う予定の鈴仙には、できる限り取り入っておかなきゃね」
 てぺてぺと、永遠亭の廊下を進む。
 向かう先は鈴仙の部屋。
 この時間だったら、実演販売用の座薬を準備しているところだろうか。
 
 ──そして、鈴仙の部屋の前に到着する。
 
「さて、鈴せ──んん?」
 部屋に入ろうと声を上げ──奇妙な気配にてゐは慌てて口をつぐんだ。
 永遠亭は年季の入った和亭である。毎日兎たちによって丁寧に掃除されているため、外見は古式ゆかしき美しさを保っているものの、基本的な構造がそもそも昔のものなので、防音性は殆ど無いと言っても良い。
 しかも鈴仙の部屋は明かり障子。薄紙一枚で遮られているだけなので、向こうの音はよく聞こえる。
 
 聞こえてくるのは、荒い吐息。
 
「…………」
 無言で人差し指をくわえ、ちろちろと先端を舐めた後、静かに障子の薄紙に突き刺した。
 指先ほどの小さな穴から、中の様子をこっそりうかがう。
 幸いなことに、今宵は月も隠れた暗い夜。
 行燈の明かりに照らされた室内からでは、よほど周囲を注意しない限り、廊下の人影には気付かないだろう。
(さて。鈴仙ちゃんは何をしているのかしらん)
 何度も訪れたことのある鈴仙の部屋。
 その中央に、鈴仙はいた。
 
 
 
 
 ……今日も仕事を頑張った。
 羞恥心をかなぐり捨て、永遠亭のために頑張った。
 売り上げの9割以上を師匠に納めなければならないが、それでも少なからず収入を得られる。
 今週は特に頑張ったから、まとまったお金が手元にある。
「これだけあれば……霊夢もきっと喜んでくれるよね……」
 うふふ、と笑みがこぼれてしまう。
 仕事が立て込んでいて、今週は霊夢のもとに行くことができなかったけど、これだけの額のお賽銭を持っていけば、霊夢は尻尾を振って嬉しがるだろう。
 きっと感激のあまり、私の手を握ってぶんぶん振るに違いない。
 その手の感触を想像して、今週の疲れが一気に吹き飛ぶ。
 ──きっと、今の自分は、博麗霊夢こそが生き甲斐だ。
 彼女を見ると、元気が出る。
 彼女が喜んでくれると、とても幸せな気分になれる。
 そして、彼女が頼りにしてくれると──それを独占したくなる。
 
 霊夢を助けられるのは自分だけ。
 そんな空想は甘く心をとろけさせる。
 
 もし、そうなることができたら、どんな気分になれるのだろうか。
 自分だけが、霊夢に賽銭をあげるようになり。
 自分だけが、霊夢にご飯を作ってあげるようになり。
 自分だけが、霊夢に感謝されるようになり。
 自分だけが、霊夢に見てもらえるようになる。
 
 ぞくぞくした。
 
 博麗霊夢は、本来あらゆるものに中庸である。
 決して何者にも与せず、あらゆる境界の中間に位置する巫女。
 だからこそ、地獄に行くはずの悪い自分も、ただの妖怪として見てくれる。
 そんな霊夢の“特別”になるなんて、きっと誰にも不可能なこと。
 もちろん、自分にそれが成し遂げられるとは思えない。
 現実の霊夢はあらゆるものに対して平等で、それは自分も例外ではない。
 
 でも、今この瞬間、自分の妄想の中でだけ、霊夢を自分だけのものに──
 
 それはまるで禁断の果実。
 ひと囓りしただけで、意識を高い空の果てまで昇らせていく。
 もう、何も考えられなかった。
 
 
 
 
 
 
 
「……うーむ。まさか鈴仙が、あの巫女にお熱だったとは……」
 障子の向こう、へにょり耳の鈴仙が、上擦った声でひたすら博麗霊夢の名を呟いている。
 これは──使える!
「この様子なら、あと5分くらいは大丈夫でしょ。部屋に戻ってデジカメ持って来なきゃ──」
 幸いなことに、自分の部屋はすぐ近く。
 音を立てないよう、かつ最速で部屋に戻り、デジカメを持ってきて撮影する。
 不可能ではない。
 むしろ余裕だ。
 撮ることができれば、使い道は幾らでもある。
 様々な用途を思い浮かべ、てゐの頬は自然と緩む。
 そしててゐは踵を返し、抜き足差し足忍び足──
 
 
「──てゐ。何処に行くの?」
 
 
 聞こえた瞬間、それが誰の声なのかわからなかった。
 てゐの全身は硬直した。
 声は、鈴仙の部屋の中から聞こえた。
 ならば、今の声は鈴仙のものだったのか?
 
 鈴仙の声は、あんなにも冷たく重い声だったっけ?
 
 す、と静かに障子が開く。
 てゐは振り返ることができない。
 ほんの数歩後ろ。ひたひたと、足音が近づいてくる。
 ぽん、と肩に手のひらが置かれる感触。
 
「……てゐったら、覗いてたのね」
「ご、ごめん。なんだか入りにくくて……」
「……聞こえてた……よね?」
「な、何が……?」
「誰にも言わないよね……!?」
「い、痛っ! ちょ、鈴仙、肩……!」
 今の鈴仙は何だか危険な感じがした。ここは逆らってはいけない、とてゐは確信し、慌てて言葉を紡ぎ出す。
「い、言わないよ! 絶対! 誰にも!」
「……ふうん。……でも、きっと嘘なんだよね。だって、てゐは嘘をついてばっかりなんだもん」
「嘘じゃない! 今度は嘘じゃない!」
 ──実を言うと嘘なのだが、ここで本当のことを言う必要はない。てゐは必死の表情を作り、鈴仙に訴えかけた。
 しかし。
 鈴仙は、とりつく島もなく。
 
「霊夢とは違って、てゐは嘘をつくんだもん。きっと、誰かに喋っちゃうよね」
「そ、そんなこと言われたって。
 ……今まで嘘をついてきたことは謝るってば。
 軽い気持ちで嘘ばっかり言ってたのは反省するよ!
 それに、ほら、霊夢だって今まで嘘をついたことくらいあるって!」
 ──だから私のことも許して欲しい。そう、言おうとした。
 誰だって一度は嘘をついたことがある。それはきっと博麗霊夢だって例外ではない。そう思って、つい言ってしまった最後の言葉。
 それが、余計だった。
 
 みしり、と掴まれた肩が軋んだ。
 
「──てゐ?
 何言ってるの?
 霊夢は嘘なんてつかないのよ?
 霊夢はね、誰にだって平等なの。嘘なんて絶対につかないで、真っ正面から付き合ってくれるの。
 そう、霊夢は誰よりも公正で、汚れなんて欠片もない。
 そんな霊夢が嘘なんてつくはずないじゃない。
 ひどいよね、てゐってば。
 霊夢が嘘をつくだなんて……霊夢は誰よりもキレイなはずなのに。
 うん……てゐはひどいよね。ちょっと、お仕置きしなきゃいけないかも」
 
「むがっ!?」
 何か言おうとしたときには、既に口を塞がれていた。
 反論も悲鳴も許さずに、鈴仙の手はてゐの口を──否、てゐの顔の下半分を鷲掴みにした。
 ぎりぎりと、顎の骨が悲鳴を上げる。
 暴れようとしたが、その前に、後頭部に重い衝撃。
 
 それきり、永遠亭の廊下は静かになった。
 
 
 
 
 
 
 
「ねえ、えーりん」
「どうかしましたか、姫」
「最近、嘘をよくつくイナバを見かけないわね」
「ああ、てゐのことですか。……そういえば、姿を見ませんね。
 何やら色々やっていたようですから、少し危なくなって雲隠れしたのかもしれません。
 まあ、しばらくすれば戻ってくるでしょう」
「ふーん。まあ別にいいや。それより今晩のメニューは何?」
 
 
 
 
 
 いつの間にか、全部ぜんぶ、歪みきっていた。
 しかし、それすらも心地よかった。
 なのに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「──それで、相談って何なのよ」
 急須から茶を注いで、突然の来客に湯飲みを突き出す。
「ああ、すまないな。
 それで、相談というのはだな──」
 小野塚小町は、沈んだ表情で、博麗霊夢に向かって頭を下げた。
 
「──金を貸して欲しいんだ!」
 
「……は? お金?」
 最初、霊夢は小町の言葉の意味を理解できなかった。
 しかし、じわじわとその意味が脳に浸透してくるにつれ、一つの思いが浮かび上がる。
「……何で?」
 特別親しいわけでもない自分に、どうしてこの死神は金を貸して欲しいと思ったのか。
 それが、霊夢にはさっぱりわからなかった。
 
「う、うむ。実は今、やんごとなき事情で、かなりの額の借金を背負うことになってしまったんだが、その借りた先が……少々暴利というか、よろしくないところだったんだ。
 それで、他の友人に一旦金を借りて、そこから手を切ろうと思ったんだが──」
 
 小野塚小町は、そこで泣きそうな顔になり。
 
「──私には、金を貸してくれるほど親しい友人が、いなかったんだ!」
 そう、叫んだ。
「……そうなの? 別に友達がいなさそうには見えないけど」
 人を外見で判断するなら、某人形遣いの方が友達いないように見えるけどね、と霊夢はさりげなく酷いことを思ったりした。
 まあそれはそれとして。
「……仕事柄、知人はかなりいるんだ。
 ただ、職場兼居住地域がかなり閉鎖的なところでな。
 友人、と呼べるほど親しい人間は、仕事仲間くらいのものだ」
 じゃあそいつらから借りればいいじゃない、と霊夢が言うと、小町は涙腺決壊寸前な顔を向けて、
「──駄目なんだ。同僚は皆、基本的に真面目な奴ばかりなので、よく仕事をサボってる私は、あまり好かれていないらしい」
 それって友達とは言わないのでは、と霊夢は思ったが、敢えて言わないようにした。
 言ったら決壊するだろうから。
「他に、仕事をサボって遊んでいたネットゲームで知り合った、TERUYOってのがいるんだが、こいつは会話をする限り生粋のニートのようなので、金銭面は期待できないし……。
 そういうわけで、頼める相手が誰もいなかったんだ」
「上司は? あの山田とかいう奴」
「……借金返済の一部に、映姫様が机の中に隠していたへそくりを使ってしまったんだ。
 知られたら、きっと私は殺される……!」
 なにこの駄目人間、と霊夢は思った。人間ではなく死神だが。
 
「そこで思いついたのが、博麗霊夢、お前だ」
 
「……何でよ」
「一昔前のお前にだったら、頼もうという考えすら浮かばなかっただろう。
 飢餓巫女という称号は、三途の川まで伝わっていたしな。
 しかし、風の噂で聞いたんだが、お前は最近、飢えることもなく、それなりに裕福な暮らしをしているそうじゃないか」
 
 確かに、少し前と比べて、霊夢の生活レベルは著しく改善されていた。
 それもこれも、鈴仙・優曇華院・イナバが大量のお賽銭を納めてくれるようになったからである。
 もし鈴仙がいなかったら、きっと今も霊夢は餓鬼のように辺りを徘徊していただろう。
 まあそれはそれとして。
 
「まあ、最近は生活が楽になったのも事実だけど……。
 だからといって、あんたに貸してあげる義理も義務もないわ」
 しかも話を聞く限りでは、利子もろくに取れなさそうである。
 霊夢としては、貸すメリットは何処にもない。
「そこを何とか! 頼む!
 共に怠惰の道を歩む者として!」
「ってか、金を借りたい相手に随分な言いぐさね……って、きゃあっ!?」
 
 がばーっと、小町が霊夢に抱きついてきた。
 勢い余って、そのまま霊夢は押し倒される。
 小町はえぐえぐと涙を流しながら、霊夢の顔を至近距離で覗き込む。
 どうやら泣き落とし作戦に移行した模様。
 
「ちょ、なにすんのよ!」
「頼む! なにも全額というわけじゃないんだ。
 ちょっとだけでいいから! 頼む!」
「……ちょっとって、どれくらいよ……?」
「とりあえず、今まで頑張ったから結構な額は貯まってるんだ。だから…………──くらいでも大丈夫だ」
「……まあ、それくらいなら、私は大丈夫だけど……。
 でも、私にはメリットが無いじゃない」
「大丈夫! ちゃんとお前を満足させられるよう、後々おまけを付けて返していく。
 私としては、今のところと手を切りたいだけなんだからな」
「……まあ、それなら、別に前向きに考えても構わないけど……それより、そろそろ離れなさいよ」
「え? ああ、すまんな。
 ……しかし、お前、本当に経済状態は悪くないみたいだな。
 ガリガリだった昔とは違って、肉付きも良くなってるし」
「余計なお世話よ。それより早く離れなさい」
「わかってる……っ!?」
「きゃっ!?」
「す、すまん。布地で足が滑った……」
「もう……気を付けなさいよ……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 鈴仙・優曇華院・イナバは、大量のお賽銭を携えて、博麗神社にやってきていた。
 ついでに食料もどっさりと買い込んできてある。
 今晩は空模様が危ういから雨が降りそうなので、ひょっとしたら泊まっていけるかもしれない。
 となると、夕餉の支度にも気合いが入る。
「今晩も、霊夢が喜ぶ料理を作ってあげたいな」
 るんるん気分で玄関へ。
「こんにちはー……って、あら。来客かしら」
 三和土の上には、見慣れない靴。──いや、どこかで見たことがあるような気もしたが、誰のものかはさっぱり思い出せなかった。
「…………お邪魔します」
 荷物を玄関脇に置き、鈴仙はぺたぺたと上がっていく。
 玄関からほど近い客間に、人の気配。
 できるだけ音を立てないよう、近付いていく。
 
 私……何をしてるんだろう?
 
 霊夢はあらゆる者に中庸のはず。
 下卑た勘ぐりは無駄以外の何ものでもない。
 霊夢はとってもキレイな存在なんだ。
 汚れてしまった自分なんかとは違い、とってもとっても、キレイなはず──
 
 
 
 ──ちょ、何するのよ……
 ──頼む ちょっとだけでいいから…… 
 ──ちょっとって……どれくらい……
 ──溜まってるんだ……
 ──私は大丈夫だけど……
 ──ちゃんとお前を満足させられる……
 ──まあ、それなら、別に……
 ──しかし、お前…………肉付きも良くなって……
 ──それより早く……
 ──わかってる……
 ──きゃっ!
 
 
 
 気付けば喉はカラカラに渇いていた。
 世界がぐらぐらと揺れている。
 気を抜けばこの場で倒れてしまいそう。
 震える指先で、恐る恐る、障子を微かに開けてみる──
 
 
 客間の中で。
 重なり合って、もぞもぞと。
 
 
 
 
 これ、なに?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……ん? 何か今、音がしなかったか?」
 霊夢の上から退いた直後、小町がそんなことを言ってきた。
「あら。来客かしら? これ以上厄介なのは御免だからね……」
「厄介とは酷いな」
「いきなり来て、金の無心で泣き落としだなんて、厄介以外の何ものでもないわよ。
 ……ちょっと待ってて」
 
 霊夢はやおら立ち上がり、障子を開けて玄関の方へと視線を送る。
 来客の姿は何処にもない。
 
「誰もいないわよ。気のせいじゃない?」
「そうだったか? すまんな」
「……あー。それと、さっきの貸してあげる話だけど」
「い、今更無しってことはないよな!? 一瞬安心させてから反故にするのは酷すぎるぞ!」
「あー違う違う。そうじゃなくて。
 ──私がお金出せるのは、鈴仙のおかげだから、彼女にも感謝しなさいよ」
「鈴仙? ああ、永遠亭にいる月の兎か。
 わかった。今度会うときにしっかりと頭を下げておくよ」
「よろしい」
 
 霊夢が笑った。
 小町も笑った。
 笑わなかった誰かがいたが、2人はついぞ知ることはなかった。
 
 
 
 (後編に続く)
ちと長くなりすぎましたので、前後編に分けました。
ここまで読んでいただいて、誠にありがとうございます。
後編もごゆるりとお楽しみ下さい。
猫の人
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