Coolier - 新生・東方創想話

Le deuxi

2005/11/22 17:23:49
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 この作品は、拙作「Valse de la vie et de la mort~Le premier volume~」の続き物となっております。
 そちらを未読の方は、まず、そちらをご一読くださいませ。




「輝夜……輝夜ぁ……輝夜……ぁ……」
 動かない彼女の体を揺すりながら、流す涙も枯れ果てて、妹紅はただ、うわごとのように同じ言葉を繰り返す。
 言葉一つで、人の命を手繰り寄せることが出来たら、どれほどいいだろうか。どれほど幸せだろうか。すでに冷たくなった、壊れた人形は、その言葉に反応を見せることもなかった。
「……遅かったか」
 その場に、人の姿が二つ、舞い降りる。
 一つは、慧音。そしてもう一つは――、
「……姫……」
 辛そうに、視線を逸らす永琳だった。
 妹紅は、こちらに気づいていない。彼女自身も壊れてしまったかのように、何度も何度も輝夜を揺すっている。
「妹紅、もうやめろ」
 肩に手を置かれて、ようやく、彼女は慧音の方を振り返った。その顔を見て、慧音は声を失い、足を引いた。
 月の光が翳っていく。顔に刻まれる陰影が意味をなさずにフラットに消えていき、妹紅が慧音にしがみついた。
「慧音……慧音ぇ……。輝夜が……輝夜が壊れちゃった……壊れちゃったよぉ……」
「……見ればわかる。
 永琳どの、さすがは、あなたの作った薬だ。全く……吐き気がする」
「ええ、そうでしょうね……。だけれど、これが姫の望んだことだから……」
「……」
 横に佇む永琳の胸ぐらを掴み挙げ、叫ぶ。
「貴様の贖罪だからと、やっていいことと悪いことがある!」
「……だから?」
「だから……だと?」
「それは、あなた達の価値観であって、私の価値観とは違う。たとえ、どのような罪を背負っても……私のやるべき事は、私が定義する。あなた達の定義と意識の外側に位置する、私の存在を、あなた達の持つ世界のファイルで固定化されたくないわ」
 どこか冷たく、空虚に言い放つと、彼女は輝夜の死体に歩み寄った。
 膝をついて、脈を取る。体温の低下、筋肉の硬直、そして。
「……姫、お疲れ様でした」
 完全な心臓の停止。
 それを確認してから、彼女は立ち上がる。そうして、ポケットから取り出した小瓶のふたを開ける。
「私も、あなた様と一緒に……」
 刹那。
「っ!」
 手を押さえ、永琳は隣の慧音をにらんだ。
 彼女の手が、永琳の手から、小瓶を叩き落としたのだ。それは地面に落ちて、その中身を土の中へと消していく。
「……なぜ、邪魔するの?」
「あとを追うこと自体に意味がない」
「なぜ?」
「お前には、輝夜しかいないのか」
「……」
 自分にすがりついて泣いている妹紅の肩を優しく抱きながら、
「お前を慕って、お前がいないとダメなくらいに、お前に依存している奴らが、どれほど多いと思っているんだ。お前が死ぬと言うことは、死ななくてもいい命を増やすことになる。愚直なまでに愚鈍な連中だ、お前のような天才にはわからない精神の葛藤なんて腐るほど抱えている。
 また、罪を増やすのか? 今度はあの世で償いでもするつもりか。いい加減にしろ」
 ぎろり、と。
 その擬音が聞こえてきそうなくらいに鋭い視線で永琳をにらむ。永琳は一歩も引かず、その視線を真っ向から受けた。両者の間で、一瞬、火花が散る。そんなはずはないのだが、青白い光がぱっと散って弾けていく。
「そう言うのを自己満足の身勝手というんだ。
 お前がやるべき事は、贖罪なのかもしれない。だが、そこまで独善的でいてどうする。……今のお前の周りには、どれだけ、お前を必要とする奴がいると思っているんだ」
「鈴仙のこと?」
「……それがわかっているなら、死ぬな。バカ野郎」
 すっと立ち上がり、輝夜の元へと、慧音は歩み寄る。
「火葬の後、灰を蓬莱の山に撒いてやるか……」
 それが、彼女なりの、輝夜への弔いの気持ちなのだろうか。
 倒れた輝夜の膝の裏と、首元へと手を差し入れ、それを抱き上げようとする。だが、次の瞬間、慧音はぐらりとよろめき、その弾みで、輝夜の死体を取り落とす。
「輝夜は……輝夜は、私のものだ!」
 後ろから、慧音にタックルをかまして、輝夜を奪い取った彼女は叫ぶ。
「姫……!」
「近寄るな!」
 駆け寄ろうとした永琳の足下に火炎を叩き込み、
「誰にも……誰にもやらない……! こいつは、一生、私と殺し愛をするんだ!」
「妹紅、もうやめろ。輝夜どのは……」
「うるさいっ! うるさい、うるさい、うるさい!
 輝夜は、私のものだぁっ!」
 叫びと同時に、思わず、慧音は足を引いた。
 真っ赤な炎が、妹紅を中心に立ち上る。それは、月夜を焼き焦がさんばかりに激しく、天に向かって突き立った。火柱の中に、妹紅と輝夜の姿が消える。
「妹紅!」
「近寄ってはダメ! あなたまで巻き添えになる!」
 猛烈な火炎の輻射熱で、周囲の竹林にすら炎が飛び火している。根本から、あるいは逆に、天にそびえ立つ頂点から炎上し、次から次へと竹が炭へと変じていく。そのあまりの熱量に、一瞬、我を忘れた慧音も正気を取り戻し、足を止めた。
「輝夜……私たち……いつまでも一緒だよ……」
「妹紅、やめろ! そんなことをしても、何の意味も……!」
「うふ……ふふふ……」
「……狂ったか」
 元から、意識が危ういところで保たれていたのが、あの二人だったのだが。
 永遠を生き続けてきたのが悪かったのか。それとも、どちらか片方が力を失えば、共に命を失ってしまうと言われる比翼の鳥であるためなのか。
 妹紅も、もはや、まともではない。
 引きつった笑みを浮かべ、死んだ輝夜の死体を、心から愛おしそうになで回しているその姿は、戦慄すら覚えるほど、不気味で美しかった。
「……永琳どの、一つ聞く」
「何?」
「……あなたは……あなたは、これを予想していたのか……?」
「あの二人は……そう……運命共同体とは言わないけれど。互いが互いを認識して初めて動く、プログラムに過ぎないというのなら……。それは、わかっていたつもりです……」
「……そうか」
 火炎の中に、二人の姿が消えた。
 甲高い妹紅の笑い声だけが残って、炎が閉じていく。
「……どうして、みんなバカなんだ……」
「この世に生きているもので、バカじゃないものなんて、一つたりともあり得ませんよ……」
 炎が一度、炸裂するように弾け飛び。
 その爆風にあおられて、二人はその場から吹き飛ばされていった。


 目を開けてみれば。
「……?」
 まず、視界に映るのは、ぼんやりとした景色だった。それがどこであるのか、それを認識するために意識をフル回転させ、同時に、虚ろにたゆたっていた存在を引き戻してくる。そうすると、今、自分がどういう状況なのか、彼女に理解することはたやすかった。
「……ここは?」
「何を仰っているのですか。それとも、お疲れでしたか?」
 目の前に見えるのは、女の顔。
 ゆっくりと、彼女は身を起こした。
「……この服は……」
 全身をゆったりと包む十二単の着物。実に動きづらい。
 視線を巡らせれば、そこに佇むのは、見たことのある顔だった。
「突然、お休みになってしまわれたので。心配になったので」
 自分に使える従者の姿。
 それを見て、彼女は理解する。
「ああ……ごめんなさい。少し、うとうとしていたみたい」
「左様ですか」
 それでは、失礼致します、と彼女は頭を下げて部屋から退出していく。
 広い部屋。畳の枚数は、さて、何枚あることだろう。十枚や二十枚ではきかないような気もする。豪奢な衣装に身を包まれ、優雅な空間に、一人、座している彼女は、まるでお姫様のようだった。
 ――そう。私の名前は、輝夜。月の姫。
「ダメね……疲れているのかしら」
 そうつぶやいて、降ろしていた腰を上げる。体にずっしりとかかる着物の重さに意識を完全に取り戻すと、彼女は襖を開けた。外に広がる、美しい世界の光景に目を細めながら、板張りの廊下を進む。
「皆さん、ごきげんよう」
 すれ違うもの達が、皆、彼女に向かって敬意を表して頭を下げる。
 ここでは、彼女は姫だった。誰もが、彼女に向かって叩頭しなければならない。それがここのルールだからだ。誰も、それを違えることがなく、そして彼女自身も、それが当然だと思って生きていた。
 ここは、彼女が姫であることの出来る場所。
「何だか、悪い夢を見ていたみたい」
 歩いていくと、その先で、何やら女官達が集まって楽しそうにおしゃべりしているのが見えた。
「こんにちは」
「ああ、姫様。ごきげんよう」
「お一人で出歩かれているなんて珍しいですね」
「ええ。
 悪いのだけど、永琳はどこかしら?」
「永琳さまでしたら、自室です。
 ご案内致しますね」
「いえ、いいわ。ありがとう」
 彼女たちに軽く微笑みかけて、輝夜は足を進める。
 広い屋敷の中、自分に仕えてくれる従者達がどこに住んでいるのかくらいは知っていた。そこへと歩みを進めるのだが、
「永琳」
 襖を開いた先には、誰もいない。
「……あら?」
 確か、この部屋だったはず、と首をかしげながら室内を見渡す。しかし、その部屋は、もう何年も使われていないかのように、うっすらと畳の上に埃すら積もっているのが見えた。
 勘違いしていたかしら。
 彼女は襖を閉めると、また、建物の中を歩いていく。
「ああ、そうそう。この部屋だった」
 またそう言って襖を開くのだが、やはり、誰もいない。
「永琳?」
 どこに行ったの? と内心で愚痴をつぶやく。自分が彼女を見つけられないのに、それの責任を相手に押し付けているのだ。
 ああ、これじゃダメだ、と自分の中の意識を書き換えて、永琳を探す。
 ――どれほど歩き回った頃だろうか。
「永琳」
「おや、姫様」
 ようやく、その姿を発見することが出来た。その部屋に辿り着くまでに要した時間は、およそ一時間ほど。
「もう。どうしてこんな所にいるの? 普段の部屋にいないで」
「え? 私が、姫様達よりあてがわれているお部屋は、今も昔も、ここですが?」
「……え? そうだったっけ?」
「はい」
 ボケたかな、とつぶやいてから、
「ねぇ、永琳。悪いのだけど、ちょっと、調子が悪いみたいなの。何かいいお薬はないかしら」
「何でも薬に頼るのはよくありません。どんな具合に調子が悪いのですか?」
「えっと……頭が痛くて、何だか、ぼんやりしていて……」
「左様ですか。
 単に眠りすぎか、あるいは、一時的に寝ぼけているだけですよ。それは」
「……」
「ね?」
「いいから、お薬ちょうだい。何でもいいわ」
 ふぅ、と永琳はため息をついた。
 頑として譲らない輝夜を見て、やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめると、立ち上がって、壁際に置かれている薬棚から小さな、粉末状の何かを取り出して、輝夜へと渡してくる。
「どうぞ」
 一緒に手渡された水と一緒にそれを飲み干して、こほこほと少しむせてから、
「効くの?」
「ええ。とっても」
「そう。ありがとう。
 ねぇ、永琳。今は、どんなお薬を研究しているのかしら」
 その場に、座布団を用意させて腰を下ろす。
 そうですねぇ、と永琳は、机の上に広げている書物を一瞥してから、
「ずいぶん前に、調合法が絶えてしまったと言われている、とあるものなんです。これの効能ですが……」
 何やら、自慢げに、得意げにしゃべり出す永琳。
 だが、そちら方面に知識のない輝夜にとっては、何が何だかちんぷんかんぷんだった。だから、退屈しのぎに部屋の中をきょろきょろと見渡す。薬の収まった棚と、大きな本棚、それが、この部屋の大半を占めている。
「……あ」
 その中から、興味深いタイトルが書かれた本を一冊、抜き出す。
「ねぇ、永琳。これは何かしら?」
「……それですか?」
「そう。不老不死の妙薬……?」
「……文献のみの入手に過ぎませんけれどね。単に、書物を集めているうちに、たまたま手に入ってしまったのです。まぁ、どんな文献であろうとも、そこに書かれているものは、今の技術に応用が可能ですから。それから考えるに……」
「不老不死って、永遠に年を取らないし、死なないという、あれでしょう?」
 ええ、と永琳はうなずいた。
「作れる?」
「……それは……」
 目を輝かせ、訊ねる輝夜に、彼女は困ったように笑ってみせた。
「姫。人の命というものは、常に流転していくものなのです。人為的に手心を加えてそれを止めてしまっては、命の摂理に反します。いわば、恒常的に作用している自然的効果を、刹那的現象で遮ってしまうことに等しいのですよ」
「よくわからないわ。
 楽しそうね、不老不死って。絶対に死なないんだから、色んな事が出来そうだわ」
「ですから……」
「それに、この月の都だって未来永劫続いていくというわけではないでしょう? 盛者必滅の理に従って、いつかは必ず崩れていく。でも、その『盛者』が必滅しなければ、永久に崩れることはない。
 私は今の生活を失いたくないわ。とても優雅で、楽しいこの生活をずっと続けていたい。死ぬなんていやよ」
「……姫。しかし……」
「作りなさい、永琳。この薬」
 にこりと笑って。
 無邪気に。そして、とても残酷に。輝夜は告げた。
 永琳は、彼女に反論することも出来ず、ため息をついた。
「……わかりました」
「あははっ、嬉しい。出来上がったら、すぐに呼んでね。楽しみに待ってるから」
 返事はなかった。
 手にした本を永琳に返すと、彼女は輝夜に背を向けて、机の上に各種の薬剤を取り出し、調合を始めた。ここにいては邪魔になるかな、と判断した輝夜は、永琳の部屋を後にする。
「うん。さすがは永琳の薬ね。ずいぶん、体の具合もよくなってきたわ」
 さあ、今日は何をしようかな、と。
 彼女は楽しそうに口ずさむと、のんびりと廊下を歩いていったのだった。

 それから、およそ、一ヶ月近くが過ぎた頃だろうか。
 今日は、永琳が、あの不老不死の妙薬を完成させる日だった。踊るように、輝夜は永琳の部屋へと向かって歩いていた。
 一体、不老不死とはどのようなものなのか、と。
 思い描いても、それが頭の中に具体的な形として出てくることはない。だから、楽しみで楽しみで仕方がなかった。死ななくなったら何をしようか。時間は無限にあるのだから、とにかく、やりたいことが山ほど出来ていくのだろうと。
 彼女は『ごきげんよう』とすれ違うもの達に、いつものように頭を下げながら、足早に永琳の部屋へと向かっていた。
 ――だが、
「……どうしたのかしら?」
 何か、廊下の向こう側が騒がしい。
 一体、何があったのかと、足早に進む。足下までを覆う着物というのは、こう言うとき、邪魔になるものだ。邪魔くさいわね、と内心でそれを罵りながら歩みを進めて、
「永琳!?」
 彼女が見たのは、この屋敷に仕えるもの達によって引っ立てられていく永琳の姿だった。
「永琳、どうしたの!? 永琳!」
「姫様、近づいてはなりません」
「どきなさい! 永琳が何をしたっていうの!?」
「あの女は、禁忌に触れました」
 彼女を押しとどめる男性の言葉に、輝夜は声を失った。
 視線を、永琳の部屋に向ければ、そこには大勢の人の姿。彼らは一様に、一つのものに見入っている。自分の邪魔をする彼を押しのけて部屋に飛び込めば、そこには、
「……それは……」
「あの女め、何を考えているかと思えば」
「あの知識と技術は、将来において必ず脅威になると、かつての帝が予想した通りだ」
 自分が永琳に頼んだ、不老不死の薬。そして、それの作り方などが記された本がぞんざいに置かれたままになっている。そこに佇む誰もが、顔をしかめ、蛇蝎の如く、それを嫌う。
「おお、姫。このようなところに、何のご用ですか?」
「それは……」
「ああ、これですか。
 あの女、人の命の理を狂わせる薬を作っていたのです。我々に隠れて」
「命に関わる流れを揺るがせるもの――人が人たる理由をないがしろにする研究というものは、古来、この世界では禁忌とされておりましてな。彼女はそれに触れたため、厳罰に処せられるということです」
 バカな、とつぶやいた。
 一体、誰がこの話を外に流したのか、と。自分と永琳以外、知らないはずなのに。
 目を見開き、声を失う輝夜の肩に、そっと、後ろから手が載せられた。彼女の世話をする女官達のものだ。
「姫様、お部屋に戻りましょう」
「こちらには、姫様はいてはいけません」
 彼女たちに連れられるまま、部屋を後にする。
 視線を巡らせれば、
「……永琳……」
 長い廊下を連れて行かれる永琳の姿が映る。
「ま……待って……! 待って! 永琳を連れて行かないで!
 永琳は……永琳は悪くないの! 悪いのは……悪いのは……!」
 女官達が、慌てて輝夜を押しとどめる。数人がかりで押さえつけられては、さすがにどうすることも出来なかった。
 伸ばした手が、無意味に空を掴む。指先が、寂しく、遠ざかっていく永琳の背中へと向いている。
「永琳、待ってぇっ!」
 その声が届いたのか。
 ふと、立ち止まった永琳が輝夜を振り向いた。そうして、にっこりと微笑み、ぺこりと一礼をして。

「……え……い……りん……」
 その日のうちに、彼女の処断が決まった。
「姫様」
 輝夜の服の袖を、女官が引く。
 だが、呆然と、そこに佇む輝夜は、動かなかった。動けなかった。
 月の都の一角にある、罪人達の処刑場。そこに置かれた、美しい、一人の女の首。
「え……り……」
 ふらふらと輝夜はそれに歩み寄り、切り落とされた首に手を差し伸べた。呆然としながらそれを両手で掴み、そのまま、胸に抱く。
「姫様、服が汚れます。それに、そのような罪人に……」
「……それ以上言ったら、お前の首を切るぞ」
 彼女からすれば、輝夜のその行為は、どう見ても異常なものにしか見えなかったのだろう。ただの罪人に過ぎない女の首を胸に抱き、涙を流すという、その姿は。
 だが、それは輝夜にとっては、これ以上ないほど、許せない言葉でもあった。胸に抱いた永琳は、何も語らない。目を閉じて、どこか、笑顔にも見える死に顔を浮かべているだけだった。
「永琳……え……いりん……え……!」
 もう、声にならなかった。
 何も語らず、どんな言葉を投げかけても、動くこともなくなった彼女は。ただの『もの』になってしまった彼女は。
 目を閉じて、ただ、静かにその場で沈んでいるだけだった。

「あれから、姫のお姿を見かけないわね」
「どうなされてしまったのかしら……」
「お食事を差し上げても、全く手をつけないで。あのままでは倒れてしまうわ」
「この前、招いたお医者の方を、何の罪もないのに斬首にしたそうね……」
 そんな話が、屋敷の中に満ちる頃。
 一人、輝夜は、自分の部屋の中で座していた。意識も命も、何もかもが抜け落ちた、ただの魂の入れ物として。言葉を口にすることもなく、ぴくりとも動かず、ただ生きているだけの人形(ひとがた)となって、そこにいるだけ。あるだけの存在となって。
 時折、口がぴくりと動く。何をつぶやいているのかは、本人にもわからないだろう。もしかしたら、ただ、息をするために動かしているだけだったのかもしれない。
 ともかく、彼女は、まるで死人のようだった。
 一度、その姿を確認するべく、彼女の父親が部屋を訪れたが、あまりにも変わり果ててしまった娘の姿に戦慄したのか、すぐさまそこから退出し、以後、一度もここを訪れたことはない。
 いつまでそう過ごしているのか。いつまで、そうしていなければいけないのか。どれくらいの存在が、その間に失われてしまっているのか。もはやわからない。
 生きていることが苦痛なのかもしれない。
 ただ座り続けているだけのそれは、もはや、生きているとは言えないのかもしれない。だから、生きることを苦痛に思っているのかもしれない。
 ――ある時、部屋の障子が引き開けられ、食事と一緒に、一本の脇差しが差し入れられた。無論、それを行った女官は、輝夜の知らないところで殺されていった。輝夜は、そんなことを知るはずもなく、差し入れられた食事には手をつけず、ただ、脇差しだけを手に取り、それをどこかへと隠してしまった。わずかなりとも、反応を見せた『命』に、彼女の父親はこの機会を逃してなるものかと、自分が知る限りの医術に長けたもの達を集めたが、その誰もが、輝夜の部屋に入るなり、逃げ出してきていた。
 彼らが一体、何を見たのか。
 それを知るものは、そこにはいない。

 ふと、輝夜が立ち上がった時があった。
 それが彼女の命に基づいて行われていることなのか、それを理解することが出来るものなど、誰もいない。彼女はふらふらと、揺れながら歩いていく。
 誰も、声をかけない。誰も、彼女に手を差し伸べることすらしない。
 どれほどの間、輝夜が部屋の中にこもっていたのか、知るものもいない。皆が不気味がって、いつしか、輝夜のことを忘れようとしていたからだ。
 事実、今の彼女に、かつての『姫』としての姿はなかった。
 体はやせ細り、濁った瞳は、死人の瞳。美しかった黒髪も今は見る影もなく、輝いていた着物も色あせ、ぼろぼろに朽ち果てていた。まさしく、生きる死人。動くだけの肉の塊だった。
 彼女の足はそのまま屋敷を抜け、彼女が心を壊されてしまった場所へと赴いていった。永琳の首が置かれていたその処刑場には、すでに、あの時の風景はない。ひときわ美しい死人の首も、日々が過ぎてしまったことで風化し、野ざらしのしゃれこうべとなっていた。それへと歩み寄った輝夜は、永琳のものと思われるどくろを胸に抱く。
「……永琳……」
 言葉すら忘れた人形の口から、初めて言葉らしい言葉が漏れる。
 彼女はそれを胸に抱いたまま、腰を落とした。
 視線を彼方に向ければ、美しい青い星が見えた。それの名前は知らない。知ろうとも思わなかった。瞳だけをそれに向け続けて――何かのきっかけだろうか? それとも、ただの偶然に過ぎなかったのだろうか。
 彼女の瞳は、とあるものを捉えていた。
「……かわいそうに……」
 その時、彼女の瞳に、本当にそれが見えていたのかどうかはわからない。ただの感覚的なものだったのかもしれないし、幻覚だったのかもしれない。
 輝夜が見ていたのは、大きくて豪奢な屋敷だった。
 それが今、火をかけられて燃えている。まさに盛者必滅の理に従って、栄華を築いた何者かの命が、今まさに終わらんとしているのだ。人々が慌てふためき、屋敷から逃げ出していく。だが、その中に一人、逃げ遅れたものがいた。
 色素の薄い、長い髪をした、一人の少女。「助けて」と泣き叫ぶ彼女の周りにも火は回っていて、誰も助けに来る様子はなかった。燃えさかる炎に巻かれながら「熱い、熱い」と泣きわめく。白い肌が炎に焼かれて黒く染まっていく。髪にも火が回り、根本までを焼いていく。それでも彼女は、最後の最後まで、自分を助けに来てくれる誰かのことを信じて、「誰か助けて」と叫び続けていた。
 ……誰だろう、あの娘は。
 どこかで見たことがあるのだが、思い出せなかった。確か、その記憶の中にいる彼女も、真っ赤な炎に巻かれていたような……そんな記憶があるのだが。
 やがて、程なくして、少女は悲鳴を上げることもなくなった。炎に焼かれて、倒れた彼女の肉が燃えていく。骨だけになった彼女は、そのまま火の中に消えていった。屋敷が真っ赤に炎上して、この世界から消えていく。
「かわいそうね……」
 永琳の頭蓋骨を愛しながら、輝夜はつぶやいた。
 ふぅ、とため息をついて。
「……かわいそう」
 誰に向けた言葉なのか、その時の輝夜に、わかったのだろうか。ゆったりと、懐に隠していた脇差しを抜く。その刃をじっと見つめ、青く、黒く輝くそれに、引きつった笑みを見せる。
 振り上げた刃が肌を切り裂き、肉をえぐり、心臓を貫く。痛みすら感じない。本当に一瞬のことだった。
 ぐらりと体がよろめいて、そのままどうと倒れる。胸からあふれる血が、衣服を赤く染めていく。視界も徐々に赤く染まり、冷たく、乾いた笑い声が漏れた。それは、不吉を告げる悪魔のように、月の都中に響き渡り、人々を恐怖させた。


「……今のは?」
 目を開けてみれば、今度は闇の中にいた。
 四方八方が、夜のように暗い。手を伸ばしても、その先に触れるものなど、何もない。輝夜は視線を周囲に巡らせて――そして、気づく。
「あれは……」
 それは、自分たちの元に転がり込んできた、一人のうさぎが言っていた光景だった。
 だが、そのうさぎは、自分たちの知っている彼女ではない。もはや満身創痍であるというのに味方を鼓舞し、鏃を受けながらも、敵陣へと果敢に挑みかかる。そんな彼女の姿に敵は恐怖し、なお一層、攻撃の手を厳しくする。
 腕が飛んだ。
 足がもげた。
 それでも彼女は、戦うことを諦めない。
 手足を失い、芋虫のように這いずり回りながらも、一人でも多くの敵を道連れにするべく、ぎらぎらと赤い瞳を輝かせ、戦い続け。
 そして、無造作に振り下ろされた一本の剣がその首を落としたとき、全てが終わった。
「……」
 誰が、これを私に見せているのだ。
 戦慄しながら、彼女はしきりに周囲を見やる。誰もいない。何もいない。
 ……怖くなった。
「出てきなさい! 誰か……誰か、そこにいるんでしょう!?」
 上げた声に反応するものは何もなく。
 ただ、くすくす、という小さな笑い声が響いてきた。その笑い声は徐々に大きくなり、やがて鼓膜を震わせて、心すらわしづかみにするほどに不気味に響き渡る。
「いや……!」
 その笑い声に恐怖を覚え、彼女は耳を押さえた。
「いやぁっ! 笑わないで! その声で、私を嗤わないで!」
 あまりにも、耐え難い。
 苦痛という言葉など、生ぬるい。この状況に当てはめるには、この世界は、あまりにも無力だった。
「やめて……やめて……やめて……!」
 笑い声は消えない。耳を覆う手を、邪魔だと追い払い、脳を揺さぶり、意識を削り、薄皮をはぐように体の奥まで響き渡ってくる。
「やめてぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 絶叫と共に、ふつりと音が消えた。
 肩で息をする輝夜。その小さな両方の肩に、ぽんと手が置かれる。顔を上げて、彼女は愕然とした。
「改めて味わう、罪の記憶はどう?」
 自分がいた。
 そこに、にやにやと嗤う、自分がいた。
「あ……ああ……」
「ずいぶん昔に忘れ去ってしまった記憶を掘り起こされるのは、どうかしら?」
「……誰……」
「わたしは、あなた」
「あなたは、わたし」
「ひっ!?」
 背後から響く声に振り返れば、さらに一人。
「記憶というカオスの中に埋没した、輝夜というファクターを定義づけるカテゴリの一つ」
「忘れ去ろうなどと言う、図々しいまでに肥大化した独善の世界が排除した、危険因子の一つ」
「危険であり、同時に、あなたに必須の意識の姿」
「思い出した?」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 声が嗄れるほどに叫び。
 彼女は、その場から逃げ出した。
 走って走って走り続けて。ただひたすら、闇の中を逃げていく。
『逃げられない』
『ここは、あなたの世界』
『あなたが、私たちを捨てたと同時に形成した、あなたの中に内在する真実の世界』
『だから、ほら。逃げないで』
『一緒になりましょう?』
 くすくす、くすくす、くすくす。
 あの笑い声が、また耳を貫く。意識が侵されていく。足がもつれ、彼女はその場に思い切り、無様に転がった。彼女を覆い尽くす、不気味な声の波。耳を押さえ、体を丸め、震え続ける輝夜に、残酷に降り注ぐ罪の刃。
「姫。私は、姫の命令を聞いたばかりに、罪を背負いました」
「……えっ……!」
 ぼんやりと歪みながら現れる、永琳の姿。
 彼女はにっこりと嗤いながら、
「本当なら、私ではなく、あなたが裁かれるべきなのに。結局、いずれにしても、私だけが裁かれることになってしまった。あなたが罪に背を向けてしまったから」
「違う! 違う、私は……私は、自分の罪を知っているから……!」
「知っているというのなら、どうして同じ事を繰り返してしまったのでしょう?」
「イナバっ……!」
 次に、輝夜のそばに現れたのは、冷たく光る赤い瞳の持ち主だった。
「罪さえ知っているのなら、それを繰り返さないようにするのが、人間というもの」
「許して……お願い……」
「姫は、どれほどの原罪を背負ってしまっているのでしょうね」
「姫が生まれてきたこと、それ自体が罪」
「姫がいるから、私は罪にまみれなくてはならなかった」
「姫がいなければ、あの星の人々も、このようなことは考えなかった」
「姫さえいなければ」
「姫がいたから」
 その言葉のみが延々と繰り返される。
 壊れたオルゴールのようにさび付いた声となって、永遠に輝夜を苛み続ける。繰り返し、繰り返し。どれだけ逃げようとしても逃がさないと。太い鎖となってからみついてくる。鎖は真っ赤に灼熱し、肌を焼き、肉を焦がし、絶え間ない激痛を与えてくる。
 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
 泣いても叫んでも、誰も許してくれない。これが、彼女が背負ってしまった罪なのだから。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさいっ……!」
 泣きじゃくり。
 ただ、謝罪の言葉を繰り返し。
 ――罪人は、裁きを受ける。

「古来より、十字架は、血塗られたものの末路だった」
 焼けただれた素肌をさらす輝夜を見上げながら、『輝夜』は言う。
「罪は、誰かに裁かれなくては、決して晴れることはない」
 振り上げる赤い刃を輝夜の肌に押し当てて、永琳が言う。
「自分で自分の罪を裁くことは不可能なれば」
 鋭い槍を、輝夜の胸に向けながら、鈴仙が言う。
『私たちが裁きましょう』
 唱和する声と。
「あっ……!」
 もはや、言葉に形容することの出来ない絶叫が輝夜の口からほとばしった。
『輝夜』が振り下ろした剣のようなものが彼女の頭を割り。永琳の突き出したいくつものナイフが彼女の手足と体を突き刺し。最後に、鈴仙のかざした槍が心臓を貫いた。
「美しいわね。自分の罪に血を流す聖人の姿というのは」
 凄絶な笑みを浮かべながら、『輝夜』が感想を述べた。楽しそうに。
 全身を赤く染めた輝夜が、もはや虚ろな眼差しと、意識すら宿らない口で『許してください』とつぶやき続ける。
 ここまで傷つけられたというのに、罪というのは許されないものなのか。これほどまでに痛みを伴いながら償わなくてはいけないものだというのか。
「重ねてきたものは、それに見合うものでしか償うことは出来ない。それを痛みと表現するのなら、激痛があればあるほど、罪をぬぐい去る汚れなき白い命となる。いくらでも傷つきなさい、輝夜。あなたの罪は、まだまだこれで終わらない」
「死ぬことで許される罪などないのよ、姫。あなたは未来永劫、苦しまなくてはならないのです」
「血を流し、傷を作り、明けぬ夜に恐怖しながら。それでもあなたは、償わなくてはならない」
 ――何を?
「あなたが持ってしまった許されない――許してはならない業の魂は、辛いことでしょうけど、己の血でしかあがなえないのよ」
 にたにたと嗤いながら。
『輝夜』は傷ついた輝夜を見上げ、赤い舌でぺちゃりと唇をなめた。
「次は、どんな罪を教えてあげようかしら」
 差し伸べられる手が、輝夜の肌をなでる。
 赤い血が、べったりと、そこに鮮やかに彩られた。あまりの美しさに、『輝夜』は陶酔したような視線を浮かべ。
 そうして――、
「……?」
 聞くに堪えない絶叫が響き渡る。
 どうしたのだろうかと、世界を映さない輝夜の瞳が、その声の源を探して彷徨う。
「輝夜に罪を教えるのは、お前達の役目じゃない」
 燃えさかる炎が、次々に亡霊どもを焼き尽くしていく。一人残らず、炎は『罪』を飲み込み、荒れ狂う。
 ――凄まじい火炎の饗宴が終わると、その『誰か』が輝夜を振り返った。投げつけられる赤い炎が、彼女の手足を十字架の戒めから解放する。どさりと、輝夜の体はその誰かの元へと落ちていく。
「傷つけられることで知る罪なんて、初めから、誰も持ってない」
「……誰?」
「罪を贖うことは、永遠に出来ない。過ぎ去ってしまった時間は還らない。出来る事なんて、過去に生きることが出来ない命には、一つもない」
 もう一度、誰、と訊ねる。
 答えはなかった。
「だから、何も出来ないのなら、何もしなくてもいい。ただ、いつまででも忘れなければ。覚えていてもらうことが、本当に、その罪に苛まれていると言うこと。傷つけられるよりも辛い責め苦を受けていると言うこと。
 罪は、忘れない。自分を苦しめたものの事を。
 だから、対価を要求する。同じだけ、自らを苦しめたものが苦しむのを」
「私は……」
「お前は、まだまだこれからも苦しみ続ける」
 ぼう、と炎が点る。
 それは、輝夜と、その誰かを中心として火柱となって立ち上り、激しい熱をともなって荒れ狂う。
「苦しみ続けろ、輝夜。お前は、まだまだ解放されてはいけない」
「……ええ」
「お前の罪は、誰も肩代わりしてくれない。だから、お前は――」
 その先の言葉は、聞こえなかった。
 炎の熱が音すら焼き尽くす。体が燃え上がり、熱いと感じる間もなく、一瞬で意識が途切れていく。

「生きて、死んで、生き返る。罪のサイクルは、いつまでも繰り返される」

 いち、に、さん。いち、に、さん。
 ぐるぐる回って元通り。

 いち、に、さん。いち、に、さん。いち、に、さん。いち、に、さん。
 ぐるぐるぐるぐる。いつまででも踊り続けましょう。
 生きて、死んで、生き返る。この、罪のワルツを。
 ――いつまでも。
本来なら後編で終わるつもりだったのですが、予想以上に長くなりました。
エピローグにつながります。
ご容赦くださいませ。
haruka
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