Coolier - 新生・東方創想話

上白沢慧音は眠りたい

2018/05/30 00:28:50
最終更新
サイズ
5.68KB
ページ数
1
閲覧数
324
評価数
0/3
POINT
90
Rate
5.75

分類タグ



 今日の夜空には、満ちるより僅かに欠けた月が昇るだろう。
 そしていまは昼下がりで、青空には太陽が笑っている。
 表に『休診日』の看板が出ている永遠亭の診察室では、八意永琳が調剤の在庫表を睨みつけていた。
 細く唸ってはペン先が紙で踊り、止まる。また少しだけ踊って、止まる。
 その不規則な音が耳障りだったのか、診察台で横になっていた彼女が薄く目を開き、

「……っ、ああッ!」

 跳ね起きた。病人が横たわるだけの簡素なベッドが、その衝撃でギシギシと悲鳴をあげる。
 頬をりんごのように紅潮させているのは、寝起きの体温のせいだけではなさそうで。三角座りの傾いだ身体を腕が支えて、上白沢慧音は確かに目を覚ました。

「すっ、すまない、永琳。私は――」
「はい。おはよう」

 診察台に近づいた永琳は、慧音のしゃがれた声を遮るようにして、水の入ったコップを差し出す。

「朝からの汲み置きだから、ちょっとぬるいけど。酷い声よ、また飲まず食わずだったんでしょう」

 眉をハの字に曲げた慧音は少し逡巡したが、きっと永琳は譲らないだろうと悟り、コップを手にすると一気に呷った。
 それから大きく息を吐いて、吸って、また吐く。
 無言のまま俯いて何度か瞬きをしてから、身体をぐっと垂直に起こし、足を診察台の外へ投げ出して座り直す。
 伸びた背筋はいかにも教育者然としていたが、目元の疲れと、豊かな髪の乱れたそれはどうにも隠せそうにない様子である。

「生き返った、ありがとう」
「どういたしまして」

 返されたコップを受け取ると、永琳はそのまま、慧音の隣に座った。二人分の体重を診察台は少し嫌がったが、すぐに文句は言わなくなった。

「それと、お疲れ様」
「いや、それほどでも――とは、言えないか」
「ええ、言えないわね。こんな時間までうちのベッドを占領しておいて」
「それは本当にすまないと思っているから……今度、埋め合わせをさせてもらうよ」

 最後に見た日、一昨日の夜に見たその時よりも、確かにやつれた慧音の横顔を見て、永琳は穏やかに笑う。
 そしてあるいは、なだめるような優しい声音で言った。

「つらいでしょう」

 その一滴の雫から起こり、揺れる波紋が、続く慧音の声を揺らすのだ。

「……ああ、本当に。どうしてもね、つらいと思う」
「きっと誰にも出来ないことではないわ? というのも少し憚られるけど。ええ、誤解しないでね」
「分かっているさ。でもそれは、誰にもはやらせたくないことだから」

 その主体のないやり取りが示すのは、ただ一つ。

「嘘ばっかり」
「……見透かすようなことを。いや、本当に視えているんだろうけどさ。全く」

 満月の夜。その燃えるような瞳の色は、いつか新緑の髪を焦がすかもしれない。
 閉ざされた歴史の全てを開き、其処に揺蕩う解れた『時』を、拾い、紡いでは撚り、束ねる。
 それは義務で、もはや儀式と呼べるほどに、上白沢慧音を形作る意識の一つになっている。
 歴史をつくる。
 少なくともいまは、彼女だけに許された特別な権限である。

「本物には敵わない」
「あら。褒めてくれている? 本物だなんて、そんな大層なものじゃないわよ」
「さあどうだろう。少なくとも……私より物を識っているじゃないか」

 この幻想郷に、神と呼ばれるものはそれこそ、八百万とあるだろう。
 しかし、しかし。賢者と呼ばれるものに限れば、三人をおいて他にない。
 時を識る者、上白沢慧音。
 理を識る者、八意永琳。

「物知りだけが、賢さじゃないでしょう」
「そうだとも。里の子にもそう教えているさ。でも、そうだけど、そうじゃないんだ」
「どうして?」

 あまりにも白々しい。嘘ばっかり、と笑った口が同じ声で、どうしてと聞くのだ。
 だけど焚き付けられるように、慧音の言葉は止まらなかった。

「私は――私のような器では、本当は、駄目なんだと思う。いつか辞めなければと思っているんだ。私なんかより相応しい者が居るさ。私は、できるからやっているだけでっ。叶うなら、可能なら、より良い『時』を紡ぐ語り部がいるはずなのに、私はね、月の夜、何かに狂いながら、燃えるように、燃やすように……それは恨みとか僻みとか、きっと幸せなものばかりではない、呪いのような歴史を紡いでいるのかもしれないと――思わずには、いられない」

 愚かだけれど、馬鹿ではないから。
 愚かの意味を識っているから、悔しくて、怖くて。

「だけど、貴女が賢者たる由縁を、私は識っているわ」

 永琳が自ら揺らした、慧音の心の水面は、その一言でしん、と。

「貴女が誰よりも人を愛していることは。
 貴女が誰よりも里を愛していることは。
 貴女が愛する人のために、貴女が歴史を選んでいると。
 その選択が間違いじゃないことは私が識っている。
 いえ……そんなことくらい、もしかしたら、貴女以外の誰でも識っているかもしれないわね。
 慧音。
 貴女が導く歴史の先端に生きているからこそ、みんな、貴女のことを賢者と呼ぶのよ。
 だからそれを識る私は、貴女を賢者と呼ぶんだもの」

 歌うように語るように。
 自然がなびいて揺れる音だけがしばらく聞こえた。

「……永琳。きっと埋め合わせをするから、もう一つだけお願いをしてもいいかな」
「ええ、なんでも」
「ちょっとだけ、膝を貸してほしいんだ」
「ええ、どうぞ」
「ありがとう。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから――もう少しだけ、眠りたい」

 そう言って慧音は診察台に丸まり、永琳の足に頭を置いた。

「『ハクタク様』を、やめてもいいかな」
「うん?」
「この瞬間だけ――人間の、上白沢慧音に戻っても、いいのかな」
「心ゆくまで」

 今日の夜空には、満ちるより僅かに欠けた月が昇るだろう。
 そしていまは昼下がりで、青空には太陽が笑っている。
 表に『休診日』の看板が出ている永遠亭の診察室では、永琳が慧音の髪を撫で梳かしていた。

「……少し太ったかい」
「余計なお世話よ」
















 輝夜が、寝室から渡り廊下に続くふすまを開けると、ちょうど永琳が通りかかるところだった。
 穏やかに眠る慧音を、お姫様抱っこで抱える永琳が。

「あら、まあ、まあまあまあ」
「おはよう輝夜」
「おはよう永琳。永琳が力仕事をしているわ」
「しっ、もう少し静かに喋っていいのよ」
「本物のお姫様には一度もしたことがないくせに」

 輝夜が口を尖らせながら。眠る慧音を覗き込む。

「失礼じゃない?」
「いいのよ、どうせ寝てるんだもの。それにしても――ふふっ、珍しいものを見たわ」

 おかしそうに輝夜が笑うので、永琳は首を傾げた。

「私の力仕事がそんなに珍しい?」
「いいえ、だって――」








「牛が俵を運ばずに、俵が牛を運んでいるんだもの」

 蓬莱人がひとり死んだ。




橙「紫さまはなんの賢者なんですか?」
霊夢「欲を識る者」
豊姫「恥を識る者」
藍「ただの痴れ者」
紫「怒りを識る者だオラァ!」
水上 歩
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.90簡易評価
4.無評価創想話好き削除
落ちが滑るどころか浮遊しちゃってる……。
本編にパーツがもう一つ二つ欲しい。パーツとパーツを絶妙且つ密やかに繋ぐキーも欲しい。落ち物に関しては作者が一番分かってる筈だが、どうか