Coolier - 新生・東方創想話

ルーガルー・ルール

2018/05/13 20:50:01
最終更新
サイズ
45.27KB
ページ数
1
閲覧数
520
評価数
5/14
POINT
810
Rate
11.13

分類タグ

● ● ●


 耳に届くのは、人間の悲鳴。
 続くのは、獣の雄叫び。
 それも熊や猪の類いではない、欲にまみれた妖怪の声。それらが夜道で聞こえれば、否応なしに惨劇を想像する。 
「や、やだ、やめて」
 案の定、帰路を進んだ脇道から二度目の悲鳴が聞こえた。
 里の者とおぼしき少年が、二足の妖怪に前足で握り込まれている。
 妖怪が、人間の下処理をしているのか。
 この統治された御時世。血肉に拘るのは、大方無粋な下級妖怪だろう。
 命の瀬戸際で目線を走らせる少年が、私の姿を捉えるのにそう時間はかからなかった。
 少年の目は絶望のものにも、感動のものにも変わる様子はない。
「た、助けて」
 絞り出した声が、微かに私の元へ届いた。
「待って、おねがい、おねがい」
 妖怪の背に隠れて分からない点はあるが、見える情報から識別し、観察する。
 少年の衣服、装飾、持ち物。
 判別はついた。私が観察を続けるうちに、妖怪も力を入れているらしい。砂の擦れるような音が強くなり、彼の苦悶の色が濃くなる。
「おねがい、助け」
 少年の声を、乾いた音が塗り潰した。
 逆さに折り曲げられた骨格は人間の急所を傷つけ、彼の命を簡単に事切れさせる。それに伴い、発声気管の機能が止まった。
 下級妖怪が私に気付く様子はない。目の前の法外な食事に興奮の色を露にしている。
 少年だった血溜まりに、鈴飾りが沈んだ。


● ● ●


 線香の香りが漂う人の間を、伏し目がちに歩いて集団から離れる。
 屋敷の門前を抜けた直後に気配を感じたので、もう一段腰を折った。意識を回すと、やはり背後に、喪主である父親が居た。
 同情もない、平坦な気持ち。私はあくまで妖怪なのだから当然の状態だろう。
 先程の空間での作業を思い返しながら歩いていると、目の前の少女の存在に気がつくのが遅れた。底の平らな靴に力を込めて立ち止まると、黒髪の中に見知った顔が見える。
「げ、博麗の巫女」
 咄嗟のことに堪えるのを忘れ、思わず本音が飛び出した。
 黒髪に紅白の巫女装束、掴み所のない表情で通りに目線を走らせる横顔は、いつかの満月の夜に見覚えがあるものだった。
「あら。あんた」
 意外にも、彼女は私の発言に不快な表情は浮かべなかった。代わりに記憶を辿るように目線を真上に向け、そこからぐるりと半周したところで、私の名前を見つけたのか、再び正面に瞳を向けた。
「確か、今泉っていったかしら」
「影狼とは名乗ったわ」
 適度に改変されているらしい記憶を指摘してから、私は居住まいを正す振りをして、半歩だけ後ずさる。
 軽くとはいえ博麗霊夢に退治された苦い記憶はそう遠くなく、理由を付けて逃げ出さなかっただけ、堪えたとも言える。
 あの時は“弾幕ごっこ”のルールに乗っ取ったものだから大事に至らなかったものの、本気を出されたらどうなっていたのか。想像しただけで身震いがする。
 そんな私の恐怖を知らぬ顔で、霊夢は「喪服なんて持ってたのね」と自分の事を棚に上げた発言をする。
 普段は巫女装束と思われる紅白の衣装にリボンで髪を結んだ彼女だが、どう考えても葬儀の場には適さない。今日はよく見れば、普段より服の赤い部分が少ないかもしれない。
「そりゃあ、淑女ですもの。多少は持ち合わせてます」
「着る機会なんて無さそうなのに」
 売り言葉に買い言葉。とりあえず否定してみようかと思えたが、確かに妖怪の時間感覚としても久方ぶりに袖を通した代物だ。事前に着れる状態であることは確認したが他の参列者のものと比べると、時代が滲み出ている。
 今日の収穫の一つをぐるぐる考えていると、霊夢が気にしていた点に、思い切り矢を立てる。
「お婆ちゃんみたい」
 んな。と。
 声にならない衝撃が漏れた。
 彼女いわく老人らしい長い袴、もといロングスカートの中で、危うく尻尾が跳ねそうになる。
「あなた、たまに忘れてるかもしれないけど、そっちは人間でこっちは妖怪やってるのよ。時間感覚ってものがねえ」
「なに狼狽えてんのよ。年期重ねてる方が淑女っぽいじゃない」
 そんなお婆ちゃんが、はるばる人里の葬式に来るなんて意外だったわ。
 彼女がそう続けるので、そのまま話題を流すことにした。どうやら、私がここに出向いたのが相当気になっているらしい。
「私も人里は程々に世話になってるからね。たまには行事に出るようにしてるのよ」
「行事ってあんたね」
「それでも贔屓の店だけ」
 しかも蓋を開けてみれば、よりにもよって今代は世話になろうと決めていた店の息子に不幸が起きた。顔は割れているので、参列しないわけにはいかない。
 説明しようとしたところで、通り過ぎた喪服の主婦が「あらあら巫女様」と深々とお辞儀をした。
 私が呼ばれたわけではないので、何となく口を閉ざして様子を見る。霊夢がどう応対するのかと思えば、先程まで鼻で笑いながら話していたものとは別の態度が姿を現し、粛々とお辞儀をした。
 つぐんで口の中で小さく舌を巻きながら、同じ動作をする霊夢を眺める。
「で、なんだっけ」
 世間話の延長を続けるらしく、再び彼女は宙を仰ぎ見た。
「贔屓はするのね」
 尤も、贔屓の程度はあるが。その言葉は、再び人が通り過ぎたのでなんとか飲み込んだ。
 そして沈黙の穴埋めとして、先程の焼香と遺族の顔、それに否が応でも、少年の最期の場面が思い起こされる。
 飾られていた猫の模様入り行灯と、鈴飾り。
 なんて運がなかった子なのか。
「まあ、うん。この子の家には、結構お世話になってたからね」
 段階はあれど、そこまで薄情ではない。そう説明すると、霊夢の意識が、僅かにこちらに向いた。
「へえ、そんなに知った仲だったんだ?」
 張り上げた訳でもないのに、私の奥に響く声が届いた。
 何か様子が変わったことを察知して、本能的だろうか、瞳孔と汗腺が僅かに開いた。
 寒気の方に意識を向けると、博麗の巫女の目線がこちらを捉えている。
「あんた今“この子”って言ったわよね。贔屓の店の息子程度なら“あの子”の方が妥当なんじゃないの」
 彼女の気配が変わったことに、ようやく気がついた。
 針のように鋭い巫女の目線が、私の瞳を捉える。
 いつかの恐怖がフラッシュバックしたが、目を逸らすわけにはいかない。彼女の言わんとしていることは分かった。
 間違いなく、私が殺害したのかを疑っている。
「あんた最近、“あの子”に会ってたんじゃないの?」
 語気は静かだ。
 続く言葉も、急いた判決もない。
 それならば、私が狼狽える必要は無い。むしろ焦って、誤解を招くような行動を避けるべきだ。
 思考の中、硬直と取られないよう、口を少し開ける。
 不自然な呼吸にならないよう、腹に力を込めた。
「それは、言いがかりじゃないかしら」
 語尾まで震えず、自然に発声できた。
 追撃も、捲し立ても、ない。
 私の回答が満点だったのかは分からないが、巫女の気配が一段、柔らかくなった。
「ま、どっちでもいいけど」
 急速に私に興味を失ったのか、目の前の霊夢は鼻から息を吐いた。
「依頼があった以上、私も本格的に退治に回るから。逃げるつもりなら早めにしなさいな」
 それから彼女は喪主の元へ向かうべく、私に背後を向けた。その背中に、もう先程までの殺気はない。
 過ぎ行いたのと、彼女との距離を確認して、一人で呟く。
「まったく、どっちが妖怪なんだか」
 スカートの中でくるまっていた尻尾が、私の脚から離れた。


○ ○ ○


 がやがやとした喧騒に紛れて聞こえる、ばうばうという声。
 誰のとも知らない飼い犬の声を聞きながら、人里を歩く。
 天候は良好。買い出しも順調。変装も問題なし。
 強いて挙げるなら、文月の熱気だけが私の気分を妨げる。
 あちこちに意識を散らしながら歩いていると、私を一人の声が呼び止めた。
「そこにおわすは今泉じゃないか」
 何処に居るとも知れない犬の姿から意識を外し、奇妙な声のした方向を見る。
 製氷屋と、ラムネ屋が並んでいる。その手前側、ラムネ屋に座り込んでいた女が立ち上がり、その拍子に目が合った。
「赤蛮奇」
「その通り」
 清涼飲料を補給したてで機嫌が良いのか、ろくろ首の友人は笑顔のままこちらに歩み寄り、おもむろに、ラムネ瓶の底を私の首筋に軽く付けた。
 瞬時の予想より、刺激は遥かに小さかった。これでは冷たさの余り飛び上がったりなんて真似はしない。
「結構、ぬるいんだけど」
「一度やってみたかっただけ」
 真面目な顔をして瞬きを数度する赤蛮奇。立てた襟で、口元の様子は分からない。
 少年少女的な遊びを試して満足したらしい彼女は私が買い出し中であることを確認すると「道中の暇潰しに付き合おう」と言う。
 ならば荷物を持ってくれと喉元まで出かかったが、その気があれば自分から口にしている。彼女も住まいに帰る途中なのだろうと判断し、飲み込んだ。
 赤蛮奇は手頃な話題を拾って投げ込んだ。
「人里はいま、坊っちゃん殺害の話題で持ちきりだよ」
 ちらと横目で、彼女の表情を窺い知ろうとする。
 目線からは同情の色は見えない。
「やっぱりね」
「私の中では、妖怪嫌いが一人増えたことで持ちきりだけど」
「ああ、やっぱり」
 少し残念だが、当然だろう。最愛の息子が妖怪の食事にされてしまったのだから。
 暴徒化していないだけ、まだマシなケースだろうか。
「私ら妖怪としては複雑だよね」
 特に潜伏組。と彼女は自分の立場を付け足した。
「評判が落ちるのは嫌な気がするけれど、幻想郷のルールには反してないから咎めようもない。口を出すのは自分の都合だ」
「ええそうね。お互い麻痺してるけど、人里以外はずっと以前と変わりないのよね。割り切れてる人間ならいいんだけれど、そんなの中々居ないものだし」
 それからどちらからともなく口を閉ざし、向こうから歩いてきた主婦たちとすれ違う。主婦の話題もやはり、妖怪に殺された人間についての話だった。
 赤蛮奇は耳に飛び込んできた単語を拾い上げ、再び同様の話題を私に向ける。
「昨日の葬儀、出たんだってね」
 肯定しかけて、違和感に気がついた。どうして知っているのかと訪ねてみたが、「さっき博麗の巫女から聞いた」とあっさり言うではないか。
「自分から言ってたのよ。影狼が来てて驚いた、って」
「どれだけ珍しがってるのよ」
「いやいや、私だったらフケちゃうけどね」
 赤蛮奇はラムネ瓶を口元に運ぼうとして、空であることを思い出したようだ。手持ち無沙汰に、瓶を振りながら歩く。
 そんな動作を横目で見ながら、葬儀の場を思い出す。妖怪寺の者が来ていたのは当然としても、竹林を根城とする薬売りらしき人物もいた。普通の黒髪の女にしか見えなかったが、恐らく擬態か何かをしているのだろう。
 私以外にも、今は妖怪まみれではないか。考えていると、隣の友人が口を開いた。
「なんだか最近、多くない?」
 主婦たちの話は、人間が襲撃される事件数のことだった。ならば当然、彼女の焦点もそこだろう。
 私は思うことがあり、足を止める。
「別に、増えたわけじゃないわ」
 声の距離で気がついたのか、余所見をしていた友人がわたわたと草鞋を踏み鳴らして立ち止まる。それから言葉の内容に対して、遅れて相づちを打つ。
「人間を襲う妖怪自体は以前から居たわ。たまたま葬式をやる身分の人間が続いたから、そんな気がするだけ」
「ふむ」
 彼女は同じ返答を繰り返すと、腰に手を当てて私の横顔へ語りかけた。
「あれ、でも散発的なら程々に退治されてるはずだよね。どうして増えてないとまで言えるのさ」
 私が回答する前に、彼女は「もしかして知ってるのか」と畳み掛ける。
 正解だったので、黙って眉を上げる。
「近いのよ」
 私の言葉に対応して、羽織った上着の襟越しに、赤蛮奇のくぐもった声が聞こえる。
「何が」
「そいつの食事スポットと、私の小屋が」
 ははあ、と一言。
 彼女は驚いたのか興味がないのか、計り知れない言い方をする。
「とすると、人間に優しい方の妖怪ってのは、影狼のことか」
 そんな妖怪の噂は初耳だ。
「竹林に迷い込むと、たまに狼が出口まで案内してくれるのよ。噂じゃ、狼女のペットなんじゃないかって」
「はあ」
「人の姿で案内してくれることもあれば、二匹の獣が警戒と先導をしてくれることもあるらしい。世代差はあるけど、結構有名だよ」
 証言がバラバラではないかと指摘すると、彼女は「噂だからね」と手を広げた。
「最新の証言は、先月の女の子。迷子の捜索をしたのは本当だから、嘘じゃなさそうなパターンだ」
 一拍置いて、彼女は私の顔を覗き込むように腰を折った。
「して、それって影狼なの?」
「そうだったかもね。随分と前だから忘れちゃったわ」
「まだひと月の話だよ」
「じゃあ意識を払わないほどの気まぐれなのよ」
 不満そうな声を上げてから、赤蛮奇は僅かに歩調を整えた。周囲の様子を探るように顔を動かしてから、私にだけ聞かせるよう、声量を絞った。
「だけど、今回の男子は助からなかった」
 声は届いたが、聞こえなかった振りをした。彼女はといえば、私の応答がなくても、文句や不満は言わない。代わりに、しばらく考え込むような間を持った。
 それから何かに気がついたのか、だらだらと歩く私の前に躍り出た。
「噂じゃ、迷い込んだ竹林で助けられた子は、過去全員少女だったって話があるんだが」
 目の前の双眼が、怪訝そうな顔を作る。
「あんた、もしかして『そっち』なの?」
 非常に曖昧な投げ掛けだった。何と答えればいいのか、そもそも何の話題を指しているのか。同じような顔を作り、疑問符を示してやる。
 彼女は一人で追求を諦め、自分から話題を変えた。


◎ ◎ ◎


 夜になると、頭上から足音を耳にすることがある。
 不自然な重みが鳴らす板音。音源は小屋の屋根裏空間。当然、同居の者では無い。
 初めは警戒も警告もしていたのだが、足音は小さく、危害を加える気配がないと分かってからは無視を行うようになり、今では「また来たか」程度の感情で済むくらいには慣れてしまっていた。
 今宵は微睡みの最中にやって来た。私が日中活動の消費を取り返すように布団の中でうとうととしていると、頭上から部屋の様子を探るような足音が聞こえた。
 加えて今宵は、私に声をかけてきた。
「おや、今日はもうお休みかい」
 こうしたことは今までもあった。が、私は無視するか天井を突き返すかで、ろくに相手をしていない。にもかかわらずこの者は、こうしてたまに話しかけてくる。
「日とともに活動し、夜は屋根の下で眠る。まるで人間のような生活だ」
 悪かったわね。
 返答するのは覚醒を認めることになるため、意識の中だけで毒づく。どんな考えで生活しようと、私の勝手であろうに。
 屋根板を通しているからか、謎の声はごわごわとしていて聞き取りづらい。減衰したその声は、少女のようにも、老婆のようにも受け取れる。
 何れにしろ、発言内容と私を襲わないことから、女の妖怪であろう。
「ただし君は人間ではない。半妖ならまだしも、人狼は立派な妖怪だ」
 そういえば、月の満ちる日まで半分弱といったところか。酒と献立の予定を考えておかなければ。
 意識を散らして、声を無視するように努める。
「人間を助けるのが良悪かは問わない。ただ、無暗に関わるのは妖怪としての君を殺すことになる。自分の中で線引きは、できているかな」
 余計なお世話だ。
「いや、余計なお世話か」
 苛立ちから。
 無視を務めていたつもりだが、尾が動いた。寝返りのついでに追い払おうか考えたが、常駐する匂いに重なる、新しい気配を感じたので留まった。
 雨の匂いだ。
「ああ、雨が降ってきた。いけないね、風邪をひいちまう」
 発言から間もなくして、ぱたぱたと、屋根を叩く雨音が聞こえてきた。新しい音に代わり、いつの間にか妖怪の声はしなくなっていた。
 どうやら今日は、屋根の上に居たらしいな。
 些末なことを考えながら意識を雨音の中に沈め、眠りについた。


● ● ●


 昼前になって、雨があがった。
 昨晩からの雨によって多少和らぎはしたが、先日の現場からは血の臭いがまだ残っている。それを処理しようと寝起きの髪を整え、シャベルと処理用の袋を持って現場へ向かうと、予期せぬ妖怪が姿を見せた。
 とある人間が命を落としたちょうどその場所に、何か黒いものが蹲っている。
 始めは猪か何かかと思ったが、猪に細く長い尻尾は生えていない。よくよく見たところで、正体に気がついた。
 猫だ。それもかなり大きい。
「うんうん」
 人型に長い尻尾を生やしたそいつは、一人で何か発している。探し物で嫌々徘徊しているのかと思ったが、聞こえてきたのは興奮を隠すような、明るい声色だった。
 迷惑な野良猫とあれば、取る態度は一つと決めている。
「まだ怨があるねえ、凄惨だねえ」
「ねえ」
 足を踏み鳴らしこそしないが、音を気にせずに近づいた。それにも構わずこちらに背を向けるものだから、あえて枯れ枝を踏むようにして、立ち止まる。
「ちょっと」
 私の不機嫌を詰め込んだ声は、黒猫の気に止まらない。
「人ん家の前でふんふんするのやめてくれる?」
 黒猫は地面のその辺りをすんすんと嗅ぎながら「これは男子かな」などと現場鑑定を続けている。
 いきなり武力行使に走るほど、半月の私はまだ本能的ではない。息を吐きながら透明な袋を片手にぶら下げ、猫が退くのを待つしかない。
「こっちは早く土かけて埋めちゃいたいんだけど」
「いやあ、昨今の幻想郷でこんな刺激にありつくのは滅多にないことだから」
 悪びれる様子のない女は、尻を上げて飽きずに地面を覗き込む。正しく猫のする体勢で、地べたから声を発する。
 人間が居ないからなのか、そもそもこいつは自制心というものがないのか。恍惚の表情すら浮かべて暫く地面を這い、一時して満足したかのようにがばりと起き上がる。
「んにゃあ、堪能させてもらいました」
 じゃあさっさと片付けて帰ってね。その言葉をなんとか飲み込んで、自分の怒りの制御に努める。
 快活そうな目が私に向いた。
「お姉さん、目が怖いよ」
「知ってる」
 語気に乗せて感情を少し吐き出し、落ち着きを計る。
 それから、観察をする。
 まず見逃せないのが、頭頂部に立った耳。毛は短く、私に比べて刺々しい。そして感情を乗せて揺れ動く尾。細くて頼りない割にはやたらと動く。長い三つ編みの髪もそうだが、小綺麗な西洋風の服は、誰かに飼われている証だろうか。それがどうしてこんな所に。
 どう見ても、猫の妖怪だ。
 この時点で嫌気が増し、目の前の対象への興味が失せる。その間にも黒猫は、無念がどうであるとか、聞いてもいない感想を語り始めていた。
「贅沢を言えば、当時の骸の様を一目見たかったかもね」
 それからやっと、私の住む小屋を認識したようだ。ふとした顔で、狩りのあった現場と、私の住居とを見比べるように首を動かす。
「お姉さん、まさかとは思うけど」
 この女、変な勘違いをしなかっただろうな。
「やるからには巫女にバレないようにね」
「そら来た」
 自分の眉間が一度、ぴくりと動いたのが分かる。
 今時そのまま喰らう妖怪がどれだけ居るのだ。そして私がそう見えるのか。どうして妖怪は人の家の前で食事をするのか。なぜ自分で後始末もできないのか。
 反論はいくらでも浮かんだが、彼女が私の生活を知るわけもない。加えて、猫又が私の悩みを理解してくれるとも思えない。
 何処を抽出するか考えた結果、「私じゃないから嫌々後片付けしてるのよ」と言うに留めた。
 女は納得した表情で頷く。理解能力は高いらしい。
「やるなら隠滅まで、その時にやってるよね」
「加えてあの夜は、満月までまだ遠かった」
「おん、もしかして狼女ってやつ?」
 女は爪先の土汚れを気にしながら、ははあこんなところに、などと竹林をきょろきょろとしている。
「最近聞かないと思ったら、竹林に潜んでいたのね」
「この辺りにあなたを助けてくれる猫は住んでないから、私への態度には気を付けた方がいいわよ」
「知ってるよ。他に居ないからこそ、私が直々に出向いてリサーチしてるんじゃないか」
 ふんすと胸を張る猫女。感心はしたが、称賛はしない。
 再び死体談義が始まると面倒だったので、ざくざくと近づいてから目的の土にシャベルを突き立て、牽制する。
 猫の大きな双眼がぐるりとこちらを見上げた。
 反抗する目ではない。解っているよ、とでも言いたげな瞬きが一つ返ってくる。
 威嚇するつもりは無かったが、黙って睨み付けるしか、こちらはすることがない。
「まあなんだ、また刺激が出そうなときは私を呼んで。ご相伴に預かるからさ」
 女は今度こそ四足の黒猫に姿を変え、笑いながら草の向こうへ走り去った。
 舌打つ暇もなく、言い逃げに近い形で消えられた。猫特有の間延びした笑い声が腹立たしかったが、今の気力と格好では、追いかけて首根っこを掴む気にはなれなかった。
「これだから……」
 独り言を飲み込んで、自分を落ち着かせるために手の甲を握る。一人で苛立ってどうする、と。
 力を入れたついでにそのまま袖口から手を入れ、肘の辺りまで無意識に手を滑らせる。
 獣人の証が、爪先に触れた。


◎ ◎ ◎


 今日の目的である片付けを終えて、ついでに小屋の掃除も行ってしまう。自分の空腹度合いと相談し、遅めの昼食か早めの夕食として一食食べてしまいたい。
 鍋で湯を沸かしていると、沸騰音以外のぱたぱたという音が上方から聞こえた。
 また、あいつか。
 どうせ小屋の掃除をしたのだから、屋根に柵でも付けるべきだったのか。考えてから仮想の労力を天秤にかけ、断念する。
 頭上からは相変わらずくぐもった声が聞こえる。
「今宵の献立は、人参に青野菜。別に肉食主義ってわけではないんだね」
 日のあるうちから現れたいつもの女は、水洗いした香りで食材を当ててきた。
 猫に続いて、鼠か虫か。昼から多数に言われっぱなしなのは気に食わないので、今度は応答することにする。
「私一人分の、ロールキャベツよ」
「ふうん、なかなか良いね」
 声は昨晩よりも近い。屋根裏に居るのだろうか。
 何用かは知らないが香りが届く位置まで来ているらしく、私が調味料を鍋に入れた後は「それがコンソメかい」と興味を見せる言葉が降ってきた。
「用件は何かしら。今更食べ物を集りに来たわけではないでしょう」
 そういえば、頭上の妖怪から異臭や血の臭いがしたことはない。身なりを整えているならば、そこそこの妖怪なのだろうか。
「なに、見回りの途中で立ち寄っただけよ。今朝は起きられたのかなあとね」
「見回りなんて、大層ね」
「好きに言うが良いさ」
 くつくつという気泡の音が続き、二つの空間に香りを溜めてゆく。
 やがて頭上から衣擦れのような音がして、仕切り直すような声が聞こえてきた。
「さて狼さん、ちょいと見かけたんだがね」
 さて、であるとか、本題、であるとか。改まって始まる話は、私にとって面倒であった記憶ばかりだ。
「どうしたのかしら、臆病虫さん」
 湯の中に野菜巻きを投入したかったが、それは会話中で急いているだけだろうか。
 もう数瞬待ってから、順に串を持つことにする。
「さっきの猫のお客さん、当たりが強すぎたんじゃないかい」
 はっきりとした主語が無くても分かる。私の当たりが、強いのだろう。
 別段言い逃れする気は無かった。
「仲が悪いのかい」
「そうね、永遠に相容れないくらいには」
「喧嘩でもした?」
「初対面だけど」
 悪意はなく、正直な回答をするのみ。
 初めて頭上の女が、納得できなさそうな沈黙を降ろした。
「意固地というか、偏食か。なるほど」
 応答する気は無かった。
 今度こそ、串を持って湯の中に投入する。
「食物はまだしも、人付き合いは隔てなく行こうよ」
「長く生きてれば好き嫌いのいくつかも増えるでしょう」
 人付き合いが多い妖怪なのか、はたまた嫌いなのか。それすら私は知らない。
「あなたにはそういう相手、居ない?」
「私は妖怪だからなあ」
 私も妖怪だ。
 頭上では、納得したようなうんうん呟く声が聞こえる。そういえば、今朝のスープの皿汚れを落とさなければいけなかった。
 面倒な応答は、別の事に思考を割いて意識から外すよう勤めるのが私の癖らしい。
「これでも昔は獣で、それに、草食だった。今や肉、野菜、感情、なんでも食べる雑食に成り下がったが、好物は増やせるように、食わず嫌いはしないよう努めてる。反対に、君は好き嫌いははっきりしていると言ったね」
 続く頭上の声に、すっかり見なくなった、御近所の姿を思い描く。
「果たして狼のお好みは何なのかな?」
 皿の片付けが済んだ時、既に頭上の気配は消えていた。


○ ○ ○


「よおう娘さん、そろそろ引き籠りの支度かい」
 鍔帽子に長袖ワンピース、指先だけ出したアームカバー。この頃の日中としては流石に堪える格好で買い物をしていると、横から赤蛮奇の顔が覗いてきた。
 首元こそしっかりと隠しているが、半袖に膝丈スカートという夏らしい姿で出歩くのは、正直羨ましいと感じた。
「貴女は襟だけで済んで、楽で良いわね」
 私の重装備を日焼け対策の一言で信じた店主に聞こえないよう、小声で赤蛮奇に言葉を飛ばす。
 また軽い返しが飛んでくるかと思ったのだが、彼女は何も言わずに肩を竦め、同情する、といったような素振りをした。迂闊に逆撫でする発言よりも沈黙を選んだということは、私の機嫌を損ねたくない理由があるのだろうか。
 八百屋の店主に礼を言い店を後にすると、次なる青果店を目指す私の隣に、赤蛮奇は並んで歩き出した。
 顔を少しだけ近づけ、内緒話のように告げてくる。
「ちょっと考えてみた。影狼が人間を助ける条件について」
 ちらと目線をやると、彼女は並走したまま眉を上げ、聞く気はあるか、と目線で訊ねた。
 歩く中、ひたすら暑さと対峙するというのも苦痛な時間。移動中は話を聞いてみる。
「着くまでの間だけよ」
「やったね」
 人懐っこさは人並みの域を脱しない彼女が、話し相手を捕まえるなんて。草の根集会も無い今、時間を持て余しているのだろうか。
「してその条件、何かしら」
 彼女は私が人間を助けた事象と、見捨てた事象を知っている。先日は気まぐれだと突っぱねたが、彼女は私の中に、一定の決まりがあると捉えたらしい。
 赤蛮奇は指を立て、目線を走らせる。
「まず一つ。影狼が気に入った奴かどうか」
 それはそうでしょう。
 予想以上にストレートな答えが来て、咄嗟に言葉が頭に過る。が、いきなり否定するのも憚られるので、黙って続きを聞くことにした。
「里で挨拶した人間、その面、知名度、まあ店主レベルは、私なら助ける。とにかく、影狼が覚えてる人間かどうか」
 死んでほしくない人間と、そこまででもない人間がいる。そして“そこまででもない人間”に対して善行を働くほど、私は積極的ではない。
 私が黙って聞いていると、赤蛮奇はその結論に移行した。
「そこで考えた予防策が、人間が影狼に対してお供え物をする。具体的には、定期的に生肉を供えとくとか」
「調理する手間があるから、どちらかと言えばお弁当がいいわあ」
「あ、確かにそうだ、私もそれがいい。んで、積み上がった高級弁当を私に分けて欲しいな」
 赤蛮奇は既に決まった出来事のように、にっかりとこちらに顔を向けた。
 しかし彼女の気ままさが災いしたのか、話はたちまち脱線しつつある。仕方ないので、こちらが口を開くことにした。
「残念ながら、その予想は違うわね」
「違うのか」
 彼女は心底驚いた、とんでもない、といった表情をした。
「影狼は気に入った人間でも見捨てることがあるのか」
「それはそれ、これはこれよ。今は見知らぬ子を助けた理由を探っていたのでしょうが」
 彼女は真面目な顔で手筒を打って、話題の原点を確認した。
 その上で、私は否定の回答へ戻る。
「その役目は、竹林の所有者の仕事。お供え、予防、護衛。それは間借りしてる私が仕切ることじゃないわ」
「ふむ。ところで、本来の所有者って?」
「兎たちよ」
 発言してから、屋根裏を叩く小さな足音を思い出した。昨日も現れたあの妖怪は、妖怪兎のものだったのだろうか。
 赤蛮奇は小さく頷きながら「そういえば竹林の医者ってのも、兎なのかな」などと別の思考に容量を割いている。
「というかお供えするなんて対策、よく真面目に持ってきたわね」
「仮定と判断と、次に活かせる結論が大事だろう」
 彼女らしい考え方だが、間違ったまま先行するのは如何なものか。
 口には出さずに思考していると、彼女は少し唸る。その後、先程一本立てた指を、今度は二本に変えた。
「じゃあ二つ」
 さっきの発言は、理由の一つという意味ではなかったのか。
 続行すると思ってなかったもので私が少し怯むと、彼女も言い出した手前引けないのか、狼狽えつつも「複数案を持ってきたのだ」と答える。
 時間はあるし、構わないのだが。
「で、二つ目」
 彼女は一拍おいてから、自分の予想を放った。
「被害者が、特定の物を身に付けていたかどうか」
 ほう。
 先程より絞った回答が来て、尚且つその着目点に少し驚いた。
「まあ、もっと不確定で、理由はなくなるんだが、影狼のルールの中では、例えば『紫色の物を身に付けていたら助ける』みたいなものがあるんだ。もしそれが見えたら助ける、そうでないか判断しかねた場合は、残念ながら諦める」
 それから赤蛮奇は、自分の発言を補填し始めた。これは彼女が考えながら話しているときの癖だ。
「闇夜の中とするなら、顔立ちとかより、もっと目立つもので判断してるはずだ。色、特に黒じゃない、赤は血の色と判断しかねるから違う。とにかく、端から見れば『この薄情者!』と呼ばれるような小さな点で決断してると見る。本来死んでたはずの状況なら、命拾いする条件なんて、小さくていいのかもしれないけど」
 一度息を止め、赤蛮奇は自分がつらつらと思考を喋った事に気が付いたようだ。口を閉ざし、私の顔を見て判断を仰ぐ。
 思考を急かされた時には、咄嗟に頭の中のすべてを口にする。そういう動作をしているときの彼女は、彼女は非常にさっぱりしている。
「そうね、さっきより遥かに近付いた。けど、色じゃないわ」
 回答者は大袈裟に頭を押さえ、「だめかあ」と悔しがった。先程の様子からすると、口にしてから自信が出てきた回答だったのだろう。
 それにしても。と口にすると、うっかり外れそうなほど抱えられた頭から、二つの目線がこちらを向いた。
「もっと単調な、例えば、『隔日で助ける日かどうか決めている』というような説は無いのね?」
 赤蛮奇は初めて思い当たったのか、はっとした顔をした。それから首を捻り、顔を白黒させて考える。しばらくその動作を繰り返した後、怯える様な表情の顔を、かっとこちらに向けた。
「この、薄情者!」
 別にそれが真実ではないのだが。


○ ○ ○


 買い物を終え、熱気の篭もる人混みから脱出する。後は満月越えの支度をするのみと意気込んでいた私。
 どういうわけかその後ろを赤蛮奇が着いてきたまま、里を出てしまった。聞けば「この後とくに予定がないから、影狼の家に遊びにいこうかと」とのことらしい。急な来客だったが、帰宅してすぐに引きこもりの準備を始めるのも寂しいもので、狭い我が家に上げることにした。
 小屋に入って早々、彼女はちゃぶ台の前で胡座を組んでくつろぎだす。
「久しぶりだな、影狼の家は」
「そうだったかしら」
「草の根集会は専ら湖の方になるからなあ」
 私は保冷庫に氷と食品類を入れ、暦表を見ながら物資の量を確認する。これならば、症状の止む頃まで人里に行かなくて済みそうだ。
 自分の計画性に笑みを溢し、表情を戻してから赤蛮奇の方へ向き直る。彼女は外した頭をちゃぶ台の上に乗せ、両手で抱えてリラックスしていた。
 振り替えると頭が無くなっているのは、未だに少し心臓に悪い。
「あ、西瓜が余ってるわ。食べる?」
「お客が頭抱えてるのを見て思い出すのはどうかと思うけど、食べるわ」
 残念ながら、綺麗に一玉ではない。
 先に申告してから、保冷庫の場所取りになっていた半玉を取り出して包装膜を剥ぐ。やたらと爪にくっつく科学膜に気を付けながら、西瓜を適当な大きさに等分する。
 いざ乗せる皿はどうしたかと思えば、水切り途中のものがない。戸棚を開けなくてはいけない。
 手を洗う一手間に眉を潜めながら、西瓜の残りをちらと見る。あと六分の一といったところか。
「そういや近いと噂の、坊っちゃんがいただかれたあの現場」
 直近の事件。私が葬式に出たあの子の話だろう。
「掃除したんだってね。血の臭いは私じゃ分からなかったわ」
 巫女情報? と訊ねると、赤蛮奇の胴の方が左右に揺れた。
「いいや、妖怪の情報交換を聞いた。猫顔で火焔車の、何と言ったか」
 私の頭の中を、尻を上げて地面を嗅ぐ、猫女の姿が過る。
 反射的に舌打ちしそうになる感情を、鼻から息を吐くだけにして、なんとか堪えた。
「あの黒づくめの女ね」
「言い方、言い方」
 赤蛮奇に指摘され、もう一度だけ、息を吐く。
「この間、そこの現場に来たわ。骸の様が見たいとか言ってたけど、有名なの?」
 私は赤蛮奇に当たるような言い方にならないよう気を付けながら、知れぬ女の素性を訊ねる。
 切り分けた西瓜を目前に置くと、赤蛮奇はスプーンを器用に扱い、自分の頭へ運んだ。それから食道へ飲み下す術がないと気が付いたのか、頭部を浮遊させて胴体と接続する。
「有名、有名。人里の墓所はしょっちゅう掘り返すし、黒猫姿で死臭付きのまま徘徊したり」
「まあそれは。屋根裏には住んでほしくないわね」
 しゃく、とスプーンが西瓜の果肉を掻き分ける。
 口に含んだ西瓜は、僅かな甘味を残してすぐに水分と消えた。
「ええと、何て名だったかな」
 赤蛮奇は目を閉じながら、両手をそわそわと動かした。彼女の場合、思考中に文字通り頭を回しかねない。
 会話が途切れた拍子に、外の原で、りん、と響く音が鳴った。
 虫の音ではない。鈴だろうか。
 彼女も聞こえたのか、首だけをぐるりと戸の方へ向けた。
「飼い猫か、飼い犬かね」
「猫ね」
 私が即断する。
 彼女は首を回さず、横目だけをこちらに向けた。
「なぜ分かる?」
 戸口と私の顔にきょろきょろと目線を移す様は、判断の根拠を探るようであった。
 私は彼女が正解を挙げることを考え、一拍だけ待ってから、返答した。
「私の好きな音じゃないから」
 本気と冗談、半々から来る私の答えは、彼女を満足させなかったようだ。唇をへの字にして、私に首を回す。
「そういうときだけ、イヌ科の判断基準を使うのはどうかと思うわ」
 ごもっともではある。しかし、経験的なものが役立つシーンは少なからずある。
「狩りの記憶があるから鳴り物自体落ち着かないし、飼い犬は主を立てるから目立つのを嫌うのよ。ほら、犬はおしとやかだから」
 冗談交じりの返答は黙って流される。
 猫も狩りをしてたのでは、と赤蛮奇の小さい声が聞こえたが、こちらも聞こえなかったことにしてやる。
「真面目な話、猫が嫌がらないのは同族の声に近いんじゃないかしら、私は狼だから知らないけど。遠吠えのような心地良い鈴があれば、別な気がするわ」
「まあ、でも、確かに。大きいのには不格好だし、やけに嫌がるから外した記憶はある」
 彼女の胴体は犬の大きさを表現したいのか、両手の平で箱状に空間を区切る動作をした。
 その言い方としては、自分で飼っていたような口ぶりだ。
「うん、遥か以前。猟犬とかじゃないんだけどね」
「へえ、初耳」
 頭の中で、赤蛮奇の傍らに犬を並べる努力をしてみる。視界の中心にある彼女の頭は「幾つだったっけなあ、結局妖怪化しなかったのよねえ」などと回想に浸っている。
「まあ、それなら、あなたは贔屓してあげる」
「なんの話よ」
 私の想像の結果としてはあまり似合わなかったが、重要なの点は一つ。犬派なら構わない。
 会話の中で何処かが刺激されたのか、赤蛮奇は唐突に顎を上げて「思い出した。火焔猫燐だ」と黒猫女の名を口にした。


◎ ◎ ◎


 夕刻になり「晩御飯まで御馳走になるのは悪い」と退散した赤蛮奇を見送ってから、いそいそと篭もりの支度を始める。
 火を通した挽肉に葱と味噌を混ぜ、大きく二つに分けて片方を保存用とする。もう片方は、今宵の分。
 西瓜と煎餅が消化されるのを待つ間、温かいお茶を淹れて投函されていた妖怪用新聞を膝に置く。今日は日が落ちてから気温が下がったのか、屋内に嫌な暑苦しさはない。
 適温、適湿。そんな言葉を思い浮かべながら文字に目を落としていると、頭上から板の軋む音がした。
「また、盗み見かしら」
 女は怪訝そうな声を漏らしてから「どういうこと?」と説明を求めて来た。
 説明する気になれず、両面一枚の新聞を裏返す。
「今日は何を言いに来たの?」
「話が早いね。今回は報告に。いや、まだ、世間話かな」
 言葉の切れが悪いが、躊躇った気配はない。伝えるべきか悩んでいる様子ではない。
「小娘が一人、竹林に迷い込んだんだよ。里の人間、非力で可憐な少女さ。ああ可哀想。理由は分かるかい?」
「あなた、本当に毎日見張っているのね」
「どうやら、愛しのシロちゃんを探しに来たらしいのさ」
 そんなことは聞いていない。
 指で肌を一つ叩いたことを知る由もなく、頭上の女は他人調子で続ける。
「今宵の土模様からして、助かるかどうかは運次第。幸運なら命だけでも助かるし、不幸ならバラバラ。当然シロちゃんも、バラバラだろう」
 あくまで高みの見物を決め込む頭上の声は、あっさりとして世間話を続けるよう。
 その態度に思うところがあり、この際だからと天井へ声を飛ばす。
「いい機会だから、言っておこうかしら。私、あなたの事が嫌いよ。自分が上位と決め込んで、徘徊しては訳の分からぬ小言を降らす臆病者」
 頭上からの声は無い。私が噛み付いた事に、面食らっているのだろうか。
「そこまで予見がついているなら、貴女が全部助けて回れば?」
 当然の思考を投げつけてみたが、即座に返答はない。逃げ出す様子もなく、静かに「ふむふむ」と溢す声が聞こえる。
「そんなに怒ってる?」
「怒ってはいないけど、苛立っているわ」
 手元の新聞をひっくり返す。今日二回目の、表の一面と目が合う。
 頭上からは「ま、それには回答しよう」と声が届く。
「私はあくまで管理人。清掃員でも御奉行でもない線引きを守っているだけ。手を出しちゃフェアじゃない立場だってあるのさ。その点君は、あれ、なんて言ったらいいかな」
「都合が良い?」
「そう、それだ」
 この女の唯一助かる点は、相手をすれば素直に回答が返ってくるところだろう。
 それでも手のひらの上から抜け出せていないのが癪に障るところだが。
「んじゃあシロちゃんの件は伝えたからね。じゃあ最後に、もう一点」
「そういう切り出し方は何事でも気が滅入るわ」
「これだけさ。流行りの気になるお嬢さんには人間の流行を伝えておこうと思ってね」
 私が肘をつき、聞き流す準備を整える。さほど勿体ぶらずに、女は言葉を続けた。
「昨今の人間は、仔犬にも鈴を付けて可愛がるらしいよ」
 なんだそれは。
 疑問符と一緒に天井を見上げる頃には、今度こそ屋根裏から気配が消えていた。
 なんだったのだろう。そんな感情しか湧いて来ず、追い立てる気は起きない。
 静かになった小屋で、茶の湯気を見ながら考える。
「幸運ならば助かる命」
 時間帯、空模様、気温、月齢。
 頭上の言葉、人間を助ける線引き、向かった場合の癪と借り。
 最後に気分を天秤に乗せると、傾きに合わせて膝が動いた。そのまま体を持ち上げて、玄関口へ向かう。
 土汚れの可能性を考えて、ヒールの高い靴に足を通した。


● ● ●


 これがフィルムか演劇ならば、はぐれた愛玩動物が愛しの主人の元へと導くのだろう。付け足すのならば、振りかぶった爪の間に助けが割って入り、一命を取り留める。
 劇的で必然的。先程まで赤蛮奇が話していた漫画の内容も、概ねそうだった。
 私のケースは何てこともない。ぽそぽそと主通りを歩いているうちに、前方から悲鳴と竹の割れる音が響いた。息切れの吐息と藪を掻き分ける音が、どちらに向かっているかだけを確認する。
 方角を絞って歩を進めていると、さほど時間をかけることなく相手と遭遇は出来た。
「いや、いやぁ!」
 ばさりという音とともに、獣道に尻餅を着く人間。
 私を恐れているのだと気が付くのに、少し時間がかかった。
 悲鳴で聞き逃さなければいいのだが。
「あなたを助けてあげられるかもしれない」
 悲鳴がひたと止まった。
 言葉を理解して、瞳孔が二度、開閉する。
「手短に答えなさい」
 少女の背後で大きく乾いた音が鳴る。それに反応して、跪くように、私に縋るように。上半身を地面に投げ出す格好になる。
「シロっていうのは、犬かしら、猫かしら?」
「え」
 背後に迫る死に不釣り合いな、短い言葉。
 その後が続かないようなので、しゃがんで回答を待ってみる。
「犬かしら、猫かしら?」
 それから、もう一度だけ同じ質問をする。
 回答は帰ってこない。
 無回答ならば、仕方がない。膝を伸ばして立ち上がる。
 明らかに立ち去る素振りを見せた私に焦ったのか、少女は泣き付くように声を発した。
「い、犬です! わたしの仔犬が迷い込んだんです! ごめんなさい!」
「そう」
 屈んだ拍子に、スカートの裾が地面に擦ってしまっていないだろうか。念の為片手で払いながら、言葉を続ける。
「お願い、お願いだから!」
「だったら、助けてあげる」
 重なるように放り込んだ言葉は、悲鳴の間を縫って彼女の元へと届いたらしい。続く悲鳴はぴたりと止んだ。しかし解せないのが、彼女の表情。
 命を救われたはずなのに、ぽかんと口を開けて呆けたままだ。
 表情の原因を確認したかったが、目線の高さで物音がしたため、目線を向けられなかった。
 折れる寸前までかき分けられた竹の間から、二足二手の妖怪がこちらを見つめている。
「御到着」
 少女は飛び上がってから私の元まで進み、足に巻き付く仔犬のように肌を寄せた。土で汚れた爪は、擦っていないだろうな。
 妖怪の血走った目から順に、軽く対象を観察する。
 鼻は尖っている。耳は毛に覆われて判別できない。衣類の類は身に付けておらず、全身が毛むくじゃら。竹にかけた前足の爪には血がこびりつき、興奮から垂れている粘性の涎が清潔感を感じさせない。
 筋肉量からして、雄だろうか。
 観察と分類を終えると、ちょうど向こうも判断を終えたのだろうか、涎を撒きながら、唸るように一吠え。
 獲物が二体と思われたのならば、不快だな。
 戦闘準備に備えて脚を軽く振り、腿から引き離す。
 恐らく背後では、先ほどと変わらぬ表情で少女が座り込んでいる。そして疑問と希望の混じった目で、訴えかけているのだろう。
 目の前の女は何を言っているのだ。本当に助けてくれるのか?
 しかし私は、彼女を安心、納得させることができない。説き伏せるほど厚く根拠のある説明は、残念ながらできないのだ。
「私の中では、そういうルールになっているの」


● ● ●


 さあ、適当に離れていなさい。
 そう口を開きかけたが、首を回した拍子に、地べたにへたり込む少女が目に入った。脱力した上半身とは裏腹に、指令に従おうとする脚は小刻みに震えている。
 この状態の人間に、暗がりの中を逃げられるか。
「と、いうのは無理な話か」
 風切り音がする。
 腰を屈めて、恐らく頭部を狙ったであろう、背後からの爪をかわしておく。
 屈んだことにより、不意に少女と目線が合った。少女の目は驚いたように開いていて、未だに逃走を始めようと脚を震わせている。
 この状況と相手ならば、早めに終わらせる方が他の妖怪も呼び込まないし適切だろうか。
 計画とかける言葉を考えながら、身を反転させて指先を高く掲げる。想像通り、妖怪は左腕を振り抜いた格好で私に肩を向けていた。
 月光に照らされて見えた毛並みは、やはり美しくない。
「うんと、そうね」
 言葉を溢しながら、妥協して左肩に狙いを付ける。致命傷にはならないが、一応皮膚の硬さを確認しておきたい。
 指先から貫通させるための弾を数発放ち、もう半回転して再び少女に身を向ける。
「逃げられないのなら、いいわ」
 私の放った弾が着弾したのだろう。背後の声が煩い。
「目を瞑って小さく座っていない。ちょっと、血が出るから」
 弱々しい応答と共に、少女が折り畳むように小さくなる。抱えた膝の上で頭を伏せ、抗争が過ぎるのをただじっと待つ、私を信じた動作を取る。
 そういえば、耳を塞ぐよう伝えるのを忘れたかもしれない。
 背中に接近する気配を感じたので、膝を伸ばして横に跳ねて回避する。自らの傍らに妖怪の拳が着弾したのを見て、そのついでに先程弾を打ち込んだ左肩に目線を走らせる。
 出血はある。が、貫通した様子はない。肉弾戦主体の雄となれば、流石に筋肉は付いている。すると狙うべきは、関節か剥き出しの急所に限るだろう。
「その術、見覚えがあるぞ」
 気に入らないものを見るように、妖怪が唸った。
「女同士で光を飛ばし合う酔狂な連中だろう。その程度で戦いになるものか。理解が出来ぬ」
「そう、ご勝手に」
 言葉が終わる前に、私の居た場所に左爪の突きが飛んでくる。
 妖怪の端くれならば多少なりとも霊力は飛ばせるだろうが、未だに獣妖怪は前足による肉弾戦に拘る。横をすり抜ける風切音を聞きながら、時代不適合、なんて言葉を考える。
「ちょろちょろとまだるっこい!」
 突きが入らないのならば、次は当然振って来る。左手を利用した大振りな横薙ぎが猛スピードで私の頭上を掠める。
 そして振り切った左腕は、体の正面をオープンにする。
「本当、何も見えてない」
 左目に集中して、楔弾を連射で撃ち込む。
 急に訪れた生命に関わるダメージに、野太い悲鳴が上がる。
 狙うのは、片目だけ。両目を傷付けて無策に暴れられては隅で震える少女が危険だ。それに獣に準じた妖怪では、嗅覚に頼った戦いの方が強いまである。
 負傷した妖怪は、やけに人間的に前足で傷付いた目を押さえている。
「悪いわね、『ごっこ遊び』では目を狙わないのがマナーなんだけど」
 挑発に対して、右の前足。視界を残した甲斐があり、誘導はしやすい。
 腕に連動して、死角を庇うように顔を振る。その隙に合わせて蹴り返し、股下を潜った。
 次に狙う足は、この際どちらでも良い。指先で空気を振動させながら、視界に入った方の足へ指先を向ける。切断を目的にした鎌鼬の弾を、接射で腱に撃ち込む。
 甲高い音はするが、両断というわけにはいかない。
「使わなければそりゃあ鈍るか」
「なにを、ぶつぶつと!」
 痛みからか、激昂からか。全身の毛が逆立って針のように尖る。棍棒の様に振り上げられた尻尾を見て、僅かに警戒する。
 このままでは危険だ。霊力の層で脚を保護してから、強めに蹴り上げておく。
「ひっ!」
 針山が肉を掻き分けた音に恐怖したのだろうか、胴体の向こうから少女の声が聞こえる。続いて、かき消すような声量の叫び声が辺りに響く。
「自爆する武器を持つのが、悪いのよ」
 抵抗する間を与えず、もう片方の後ろ足を、こちらは立てないよう傷付ける。
 腱を断たれてのたうち回る妖怪を追い、暴れまわる前足を踵で踏み抜く。思い切り踏み抜いたため、粘土質の地面に対象がめり込む感覚がある。
 妖怪は仰向けのまま地に寝転がり、左前足を踏まれて押さえられた格好になる。これは屈辱的だろう。
「この、アマ――」
 見苦しいようだが、生物としては当然の抵抗か。妖怪は残った右足を曲げて私を掻きに来る。
 大振りだが、一本に絞った決死の攻撃の分、見るからに強力だ。血流を集中させ、筋肉を増強させた雄の一撃となれば、格の違いがあっても人型の私の脚を断つには十分だろう。
 ただ。
「遅すぎ」
 空いていた左足のヒールを、振りかぶった前足に突き立てる。
 興奮状態の血管から鮮血が飛び出し、苦痛の叫びが上がった。
 私の踵は今度こそ皮と肉を貫通し、ぬかるむ地面に到達した。それから指を曲げて傷を付けられないよう、弾を撃ち込んで爪を折っておく。
 交戦の意思が途絶えるように、当初より数段小さくなったうめき声が足元から聞こえる。
「はい、詰みよ」
 仰向けで大の字になり、後ろ足は腱を断たれて。可能性がある尻尾は背に刺さり、両前足の平は私の踵に踏み抜かれて。
 仁王立ちになる私の下で、妖怪は完全に地面に張り付けとなる。
 目を開けてしまったのか、背後からは少女が「はわ、はわ」と困惑する声が聞こえる。
 さて。両足が動かせない事に今更気が付いたが、ここからどうしたものか。
「私はあなたを殺せるけど、別にそこまでする理由がない。寧ろ現行犯として突き出したほうが、私の周囲としてはプラスなんだ、けど」
 話している最中、接近してくる人間の気配を感じた。足音や騒ぎ声はしない。
 単独で、音も立てずに飛行する人間となれば、相手は確実だろう。
「捜索ご苦労様。腐る前で良かったわ」
 夜間で視界が効かなかったのか、私の声に少し遅れて、巫女服の少女がこちらへ旋回してきた。半身を傾け、ブレーキをかけるようにして霊夢が私の目の前で停止する。
「ああ、今泉の。まさか既に片付いてるとは」
 踵から着陸し、片手の行灯で状況を把握する霊夢。私、少女、妖怪と足元の血を順に照らして「ふむ」と呟く。
 自分が血糊を踏みしめている事を認識したはずだが、動揺する様子は一切無い。
「あんたがここ二回、人里を襲った妖怪かしら」
 仰向けに転がる妖怪の顔に近付き、屈み込んで外観を観察し始める。途中何度か邪魔だったのか、行灯で退かされるようにスカートが押し返される。
「ちょっと、スカートが邪魔で顔見えないんだけど。ていうかあんた、どんな破廉恥な立ち方してるのよ」
 腕を落としてないのだから、押さえつけておく必要があるではないか。「何か可笑しいことをしているか」と訊ねても、彼女は続きを言い淀んだ。
 とりあえず、誤解されぬよう証言しておくべきだろう。危害を振り撒く妖怪の一味と判断されてしまったら、私も巻き添えで退治されかねない。
「これだけは言っておくけど、別に私から仕掛けた訳じゃないからね。八つ当たりに対する正当防衛よ」
 私の説明に、巫女はふんすと鼻を鳴らして、腰に手を当てて残念そうにした。
「なんだ、報酬が二倍かと思ったのに。けれど、見れば分かるかね。決闘の意味を理解できなさそうな雑魚だもの」
 倒れ伏した状態でも自分が侮辱されていると気付いたのか、起き上がろうとする気配がある。
 右足を捻り、踵を押し付けることで静かにさせる。
「低級で前時代的。決闘するまでもなかったわ」
「にしては派手にやったじゃない」
「そう? 騒がしいから、少し仕置きしてあげただけなんだけど」
 私の発言に、巫女は再び顔をしかめる。
 そして暫し考える間を持った後、気まずそうに質問した。
「もしかしてあんた、『そっち系』なの?」
 だからどっちだ。


○ ○ ○


 かんかんかんかん、と包丁が夏野菜を両断していく。事前に切り落としたヘタの跡に辿り着いたところで手を止めて、隣にいた赤蛮奇の腰を突いて合図する。
「ははあん、やっぱり影狼が噂の狼さんだったわけだ」
 赤蛮奇は小言を添えながら、そちらから取った人参を手渡してくる。私は配給のように受け取りながら、細切りにすべく包丁を通す。
 先日の騒動からほど近い、残暑の昼下がり。
 狭い台所に二人並んでの料理は、お世辞にも快適とは言い難い。
「ていうか雄妖怪組み伏せてたらしいけど、影狼ってそんなに強かったんだ」
 それから片手を顎にやり、赤蛮奇は考えこむ。「そういえば弾幕ごっこ以外は見たことないね」と溢すのが聞こえる。
 当たり前だ、私達は本気で戦い合った試しがない。
「喋るのはいいけど、手は動かしてちゃんと茹でてよね」
「あいよ心配なさらず。ながら作業は得意なもので」
 そろそろ良いかな、と赤蛮奇は続けて、流水を使用させるよう要求した。
 水道を開けてやり、包丁を動かす手を一旦止める。赤蛮奇の腰が寄ってくる。
「妖怪は博麗霊夢に退治され、少女は五体満足と。めでたしじゃない」
 半ば寄り掛かるようにして、狭い台所で麺を冷やし始める赤蛮奇。前後にずれようにも、食器棚が邪魔をして行き違えない。
 赤蛮奇がこんなに狭苦しい場所へ私を追い込んだのは、事の顛末を聞き切るまで私を逃さない配置のためらしい。
 生返事を返しながら、流水によって冷やされていく中華麺を眺める。
「んで、シロちゃんは?」
 残念ながら、未だに見つかっていない。流石に飼い主はもう捜索に来ることはないが、生活している私もそれらしき影を見かけたことがない。
 首から九十度以上捻られた、ろくろ首特有の頭部に回答する。
 胴体が麺の処理を終え、皿に盛り付けるべく元の体勢に戻る。遅れて頭部が追従し、皿に向き直った。
「そうか。だが死体は見つけてないんだろう、ひょっこり出てくるかも」
「無理じゃないかしら。彼女は生きて帰れただけで幸運を使い果たしたし、丸ごと飲まれれば死体なんて残らないわ」
「案外妖怪化したりして」
 赤蛮奇が手を拭いてから、盛り付け皿とは別のものに調味料を注ぎ始める。
 人の家で料理する時くらい、目分量は正確にね。
 私の小言に赤蛮奇は曖昧な声を漏らす。
 彼女の横顔を見て、思い出したことがあるので聞いてやる。
「私が人を助ける時の理由。思いついた?」
 空間が空いたので、再びまな板の上で人参を刻み始める。事前に皮むき器で丸裸になっている人参は、どんどん二人分の盛り付けへと変わっていく。
「正直白旗寸前。暦かなあ、っていう程度」
「あら、もうちょっと粘るかと思ったのに」
 赤蛮奇は首を横に振りながらも、先程より慎重に瓶を手に取る。こちらは野菜を切り終えてしまい、包丁を水で流す寸前。少し考えてから、残った人参の上半分を、最後まで四半切りにする。
「先月の件、葬式のとこの子、今回の件。月齢は様々だけど、被害者の持ち物は覚えてるかしら?」
「やめろお、分量分からなくなる」
 言いながらも彼女は手際良く調味料を混ぜていく。
 私が切り終わった野菜を皿に盛りつけてから、最後に箸で一かき混ぜしたものを上からかける。
 中華麺、胡瓜、人参、トマト、中華風ドレッシング。
 夏の風物詩、冷やし中華。
「はいおつかれ。じゃあそのままちゃぶ台まで運んでね」
 文句は言わず、慣れた手つきで両手に皿を抱えて台所を出ていく。私は今度こそ包丁を流し、最後に切った人参に軽く保護膜をかける。
「じゃあじゃあ、ヒントちょうだい。影狼に弁当お供えの話はありそうなの?」
「別に、今回お供えされてないしなあ」
 居間から皿の並べられる音がする。
 こちらは、小皿は用意しない。片手で遊ばせながら、下駄をつっかけて戸に手を掛ける。
「それにこの間も言ったけど、竹林の主は私じゃないの」
「どうするのさ、それ」
「お供え物かしら」
 地蔵でもあったっけ? という彼女の声が聞こえる。先日の現場は出血も少なかったため、戸を開けても不快な空気は流れ込んで来ない。
 少し考えてから、屋根の上に投げることにする。地面よりはマシだろう。
 履物を脱ぐと、赤蛮奇の不思議そうな顔に迎えられる。
「運は天から降ってくるものよ。どれも他人の幸運だけど」
「なんだい、それ」
 屋根上をてしてしと歩く気配がある。
 僅かに、鈴ではない、貴金属の揺れる音がした。
「次の愛好家に、運は舞い込むかしら」
 当然、回答はない。
 聞き逃したらしい赤蛮奇が「運が回って来てもツキが巡ってこなくちゃね」とずれた回答をした。
 妖怪と人間が暮らす幻想郷。
 本編で語られる弾幕ごっこ以外にも接触と衝突があるはずで、どれだけ妖怪に近づくのか、どこまで人間を助けるのか。彼女たちなりに秘めた線引きがあるように思います。
 それを素直に言わないのが幻想少女達の意地。

 リアル多忙+考え事で離れておりましたが、それでも帰るのは幻想郷。
 季節合わせすら放棄した、善は急げの投稿です。
 半ば短くまとめることを諦めていますが、ここまで読了いただき誠にありがとうございます。
 ご指摘諸々、いつでもお待ちしております。
くろさわ
http://twitter.com/KRSW_063
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.360簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
いい雰囲気で面白かったです。
どうやら自分は助けてもらえなさそうだなぁ。
5.100ばかのひ削除
いやあ面白かった!
みんないいキャラしてて良かったです
7.80奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
8.70名前が無い程度の能力削除
影狼宅を訪れる屋根の上の彼女は結局誰だったんだろうか

>口を紡ぐ
黙る、と言う意味なら口をつぐむ、では無いかなと
9.無評価くろさわ削除
>>1コメ
 高評価ありがとうございます。
 雰囲気だけの作品でしたが、今回のルールが伝わってよかったです。

>>ばかのひ様
 高評価ありがとうございます。
 人数が少ないぶん、各々の個性が出る場面が多かったように思います。文量と濃さの調整に迷いましたが、良い方向に働いていたなら良かったです。

>>奇声を発する程度の能力様
 評価ありがとうございます。
 感性にあったのなら幸いです。あと20点を埋められるよう粗をなくしたいと思います。よろしくお願いします。

>>4コメ様
 評価ありがとうございます。
 屋根上の妖怪、誰だったのでしょうね。今回は「特定の誰か」であることが重要ではなかったので、伏せたままにしておきました。
 誤字について、仰るとおりです。修正しておきます。ご指摘ありがとうございます。
11.100名前が無い程度の能力削除
いい…この影狼ちゃん、いい…
自分ルールを適度に守って、人間には程々に冷淡であったり
イラつきを持ってるんだけど、表面にはなるべく出さない配慮とか
結局お人よしだったりするとことか、ヒールで踏まれたいとか
なんかもう、いい…

ばんきっきの条件反射的な思考と発言もいいっすね

屋根裏の存在の推理は楽しかったです
イマジナリ―フレンド系かなとかも思ってましたが
妹紅?小傘?てゐ?うどんげ?輝夜?
と推理するのが楽しかったです

最終的に女苑だったのかなあと思ってますが曖昧なのもいいですね

いい時間を過ごさせて頂きました。感謝!
14.無評価くろさわ削除
>>6コメ様
 ひゃああ高評価ありがとうございます!
 テーマ半分、自分の中の像半分で整えたキャラが突き刺さったのは本当に嬉しいです! 彼女のイラつきは比較的前面に出していったのですが、それが嫌いな要素でないなら良かったです。
 こちらこそ高評価いただきありがとうございます。感謝し励みにいたします!