Coolier - 新生・東方創想話

少し遠くへ

2018/04/03 01:27:53
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『少し遠くへ』

 はじめそれは、人里を流れる運河の中に、半ば錆びかけた状態で発見された。水面から上に出ている部分はわずかで、日が高くなるまで見逃されていたというくらい目立たない異物だった。それでも目を凝らして見ると、確かに五尺ほどの大きさをした影が水草に絡まって沈んでいる。
 珍しいものが出たというので、すぐに近隣の人間たちが集まって運河のほとりに見物の輪を作った。偶然通りがかった私と姉さんもその中にいた。春先とは思えないほど暑い日で、皆ひしめき合いながら川の上に屈みこんで、水面にぽたぽた汗を落としていた。
 男たちの手が水中の影に縄をかけ、それを引き揚げた。
 それの全体はぴかぴか光る滑らかな金属でできていた。構造は大まかに二つの細い転輪を、湾曲した棒が繋いでいるというものだった。転輪の周囲にはゴムが巻かれ、棒には回転する二本の取っ手が表と裏に突き出ていた。このままではどう見ても奇妙なくせに、欠損している箇所はどこにもないらしい。いよいよこれが何なのか見当がつかなかった。
 そこで鑑定眼に優れるという道具屋が呼びにやられた。まもなく里に現れた道具屋は、土手に投げ出されて水の乾きかけたそれを一目見るなり見物人を振り返り、それの名前は「自転車」で用途は「少し遠くへ行く」というものであると発表した。その場の誰もが予想していたことだったが、幻想郷の外から入り込んだ漂流物だった。道具屋はすすんでこの奇妙な自転車を引き取り、いずれ手入れをしてお目かけるからと言い持ち帰った。
「少し遠くへ行くだって、なんか可笑しいわね。少し遠くへ行くくらいなら、思い切ってうんと遠くまで行けばいいのに……」
 そう私が言うと、姉さんは「きっとお金かかるから我慢してるんだよ」と貧乏くさいことを言って返した。
 今ではもう随分昔のことになるが、私たちはそのときまであんなものは決して見たことがなかった。


 事件から一週間を待ち、私は晴れた日の朝に森の入り口にある例の道具屋を訪ねた。
「少し遠くへ行く車」は錆を落とされて見違えるほど良い格好になっていたが、錆の他はゴムを張り直した以外どこをどう手入れしたのだか分からない。おおかた自分の店で売りたいためにでたらめを言っていたのだろう。店主も平気な顔で「それは高いよ」と言っている。
 改めて眺めつけると、私にはそれがいかにも半端にできあがったもののように思われた。二つの車輪をつなぐ車台には確かに人の座るためらしい席が付いているが、小さすぎてとても落ち着きようがない。舵取りのための二本の取っ手は曲がっているうえに先が別れていて握りにくそうに見える。なにより車輪が二つでは支柱を下ろさないと自立することさえできないのだった。
 私が訝しく思う頃合いを見計らっていたのだろう、そこで店主が出てきて得意そうに説明を始めた。説明はひどく長々しかったのでほとんど覚えていないが、それによるとどうやら自転車とは、乗り手が自分の体を使って左右の平衡を保ちながら足元の櫂を漕いで前へ転がって行くというものらしい。しかも慣れて乗れるようになるまでは過酷な訓練を要すると言うので、私は呆れながらこの克己的な珍物を笑った。それほどの曲芸師的な修業をした成果が「少し遠くへ行く」だけではどうも益が無さすぎるようだと思ったのだった。
 私が笑ったのに店主はどうやらむっとした様子で、車輪の数と動物の足の数に関する物語を中止して「だったら補助輪をつけてあげよう」と言い出した。見ていると店主は店の外に放置してあった小型の荷車を引いてきて、大ねじと縄を使って自転車の後部に簡単にくくりつけた。
「これで初心者が乗ってもひっくり返る心配は無いし、荷物も運べるよ。荷車は特別に只であげよう」
 私はそれを買った。


 私は道具屋の戸をくぐり抜けてすぐに自転車にまたがった。
 櫂を踏む足に力を込めると、自転車はまるで透明な車夫に引っ張られるように徐々に速度を上げて転がりだした。振動する座席もふらふらする舵取りもはじめはなかなか愉快だった。ところが、そうして道具屋の前から漕ぎ出して松原の下の砂利道を通って行くうち、すぐに私はこの乗り物が気に入らなくなった。
 自分で櫂を回さなければ進まないということは最初から承知していたが、櫂を踏み込む際に足に感じる抵抗は私の予想より大きく、しつこかった。その抵抗を徐々に振り切り、動きだした自転車はしばらく慣性を得て転がって行く。しかし数秒後にはその慣性も尽きて動かなくなり、自転車は再び厚かましい沈黙に戻って乗り手の援助を要求するのだった。
 これは恐ろしく奇妙な感覚だった。まるで乗り物と乗り手との間に対等な取り決めでもあって、前へ進むのに必要な力を両者が公平に半分ずつ分担しあっているようなのだった。これでは自転車が私を遠くへ運ぶのだか、私が自転車を遠くへ運ぶのだか分からない、と思った。
 今にして思えば滑稽な見方をしていたようだが、そのときはそれがあんまり慣れない感覚だったので、私はこの道具との関係をどのように割り切れば良いのか迷っていたのだろう。
 結局、滑稽な私は初めて乗った自転車に対して「つくづく半端にできた代物」「だらしないやつ」「付喪神のなりそこない」「痩せ馬」といった乱暴な評価を与えてその背から降りてしまった。
 そのときとっさに出た「痩せ馬」という表現は、私の頭に姉さんの陰気な顔を連想させた。そうしてその顔が、自分と自転車との間を取り持つのにいかにも相応しいものに思えたのだった。


 自転車を降りた私は、もはや自分からは少しも動こうとしないその不思議な鉄馬を押して歩きながら人里へ来た。当然周囲からは奇異の目が集まったが、何でもないふりをして大通りを南へ下った。川で自転車が見つかった日と同じくらい良い陽気の日だった。そのうえ山には桜も咲いたというので店屋通りは大変な人出だったが、自転車を押して歩く私の周りは人が勝手に避けて通った。
 途中、目に付いた店で笹寿司と焼き蕎麦と饅頭と酒を買い、荷車の中にどんどん積んだ。
 食べ物屋の並びの途切れる先まで行くと、果たして見慣れた物乞いの姿が見えた。
 蹴られないよう道の隅にしゃがみこんでいて、通り過ぎる人々に空の茶碗を差し出している。離れて眺めるとその姿は、今日の明るい陽射しが地面に一層濃く落とした小さな影絵のように見えた。私の姉さんだった。
 私はそんな姉さんの視界をわざと遮るようにと、ぴかぴか光る鉄の車を押し出しながら「おい、そこの痩せっぽち」と声をかけた。
「昼飯食わせてやるからこっちに来て座らんか」
 姉さんは声を聴いて私が分かったらしい。しかしそう急いでまで妹の顔なんか見る必要は無いとでもいう様子で、いかにも気だるいゆっくりした動作をとってこっちを見上げた。
「女苑が買ったの? それ……」
 会ってもまともに挨拶しないのは、私たち姉妹の古い癖だった。
「今朝買ってきた。けっこう高かったわ。ここへ来るまでも、里中に珍しがって見られたのよ。だけど今日は特別に姉さんにも乗らせてあげる」
 そう親切にかけてやった妹の言葉に、しかし姉さんはにこりともせず「お金無いよ、私」と聞くまでもないことを言った。無論私も姉さんの茶碗なんかをあてにして来たわけではない。
「妹が花見に誘いに来たんだよ。そうは言わなかったけど」
 姉さんはしばらく考える様子だったが、ふと荷車から漂う匂いを嗅いで「お寿司?」と訊いた。私がそれに頷いて、里で買ったものを数え上げてやると、ようやく細長い体をぐらぐら揺らしながら立ち上がった。


 自転車の漕ぎ方を姉さんに説明し終えると、私は荷車の方に乗り込みブーツを脱ぎ捨てて荷台の下に放り出した。
「桜の見えるところまで運んでね。そんなに遠くまで行かなくていいから」
 姉さんははじめ批難がましい目でこっちを見たが、やがて諦めたようにブーツを拾って裸足の上から履いた。
 一日一度の食事さえ摂るのに苦労している姉さんの足では自転車を動かすにも相当の時間がかかったが、しばらくの間うんうん唸って頑張っていると、少しずつ車輪が回り始めた。まず動きさえすれば自転車は律儀なもので、労力の半分を確かに受け持ってくれる。ゆっくりとではあったが、姉さんの漕ぐ自転車は私のふんぞり返っている荷車を曳いて人里を出発した。
 目指す見当さえ漠然としたまま、自転車はガタガタ音を立てて野道を南へ下っていく。道沿いの景色は爽やかに春めいていた。田の稲はどこも緑の葉をめいっぱい大きく広げていた。畦では咲いている菜花が鮮やかな黄色で目を惹いた。遠景の山々には桜の花が咲いて、ところどころに薄桃色の帯が伸びていた。
「本当に良い春日和ね」
「暑いよ」
「楽しいでしょう、姉さん」
「女苑、これ結構疲れる……」
 ひどく明るい、夢のような昼の中で、自転車は田畑を漕ぎ抜けた。
 半里ほど走ったところで、道は視界前方を遮る広い丘を登り始めた。丘の斜面には大きな太陽が真っ向からこちらを見下ろして、あんまり眩しいので私は額に掛けたサングラスを下ろした。姉さんは地面の影に潜ろうとでもするように終始頭を下げていた。
 赤く照る陽射しの中でふうふう息を吐いて自転車を漕いでいる姉さんの背中を見ていると、私は何とも言えず満足だった。私が胸中に描いた絵はそこに正しく実現されていた。
 姉さんに自転車は、私よりずっと良く似合っている。借り物のブーツを履いた細い足が櫂を回していると、その先につながる頼りない駆動部まで姉さんの身体の延長であるように思えた。私の胸中に映った自転車と姉さんの共通する印象が、今は目の前で一体となってより相応しい図になっていた。
 そうして何よりも、私が姉さんに世話を焼いてもらうなどということは随分久しぶりのことなのだった。
「女苑も坂くらいは降りて押してよ」
「そりゃ無理よ。靴が無いもの」
 斜面の向こう側へ視界が開けたところで、その道の先にもう一つ丘が見えた。その上にはちょうど見頃の八分咲きに開いた桜が二本、美しく並んで生い立っていた。
 しかし、姉さんはようやく丘を登りきったところでぐったりと体力尽きたらしく、稜線の上で足を止めてしまった。私が笑いながら水筒を出してやると受け取りはしたものの、顔を伏せて荒い息を吐くままで水を飲もうともしない。
「姉さん、あと少しだよ。もうそこに桜が見えてるよ」
 私の励ましに返事をしたものは姉さんの空腹の虫だけだった。私は急に情けなくなってしまった。姉さんはどうにか顔を上げて道の先を見ていたが、荷台からうかがっていると、姉さんの目線は桜を視界に入れるにはまだ低すぎるように思えた。
 前を向けば、すぐ目と鼻の距離に桜の丘があった。振り返ると、人里の入り口もまだ見えるところにあった。私たちはその両点を結ぶ直線上の丘に登って、しばらく無言のまま立ち往生していた。
 ふと、後ろの斜面を見下ろすと、先ほど通り過ぎて来た田畑から野良仕事の人間たちがこちらを見上げて指さしたり笑ったりしていた。
 私は不意に、何か自分に対して残酷な、自嘲的な衝動に襲われて、思いがけないことを口走った。
「見てよ姉さん、あの連中、私が痩せ馬乗り潰してると思ってるのよ、ねえ」
 そう言った。私の声は最後には思わず涙ぐんでいた。自分でも訳の分からないことだった。
 とっさに荷台の中で俯いて顔を隠したが、前に居る姉さんが驚いて振り返ったのが分かった。
「もうここで良いよ。ここで降りよう。私も飽きたし、もうここで良い」
 口から生じた不覚を取り繕うために、とっさの言葉が次々と続いて出た。私は既に錯乱した言動に制御がきかなかった。自身をどう保てば良いのかも分からなくなりながら、ひどく恥ずかしい気分だけを他人事のように味わっていた。
「でも女苑、桜はもうすぐそこに見えてるんだよ」
 それならどうして今すぐ漕ぎ出してくれないのか、それができないならどうして今さら先を望むようなことを言うのか、考えると腹が立ったが、姉さんの頭が鈍いおかげで救われたような気もした。
「とにかく、ここで良い。私たちここで花見するのよ」
 今度は断固とした調子になって言った。姉さんはそれ以上あえては拘らなかった。
 私と姉さんはそのまま停車した自転車の荷台の縁に腰掛けて昼食を摂った。姉さんは目覚しい食欲を示したが、私は食べ物を姉さんに譲って酒ばかり飲んでいた。饅頭を頬張る姉さんの背後には可愛らしい紋白蝶が飛び回ってどの花にとまろうか迷う様子だったが、姉さんは一向に気付かない。
 おそらく私か姉さんか、どちらかがしっかりしていれば、自転車はもっと遠くまで二人を運んでくれたはずだった。しかし貧乏神と厄病神の姉妹なのだった。結局、私も姉さんも、この乗り物に見合う乗り手ではなかったのだろう。そう考えて私は寂しい気持ちで笑った。
 ときどき首を回して向こうの丘の桜を眺めたが、花見と言うにはやはり、少し遠いようだった。
前作の「海が見たい、ある晴れた日に、人知れず」と内容を補足しあうつもりで書きました。
桜が咲く前に投稿するつもりでしたが、散りぎわに間に合わせる形になってしまいました……。

https://twitter.com/ubuwarai (ツイッター)
うぶわらい
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コメント



0.720簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
4.90名前が無い程度の能力削除
二人の複雑な距離感の描き方が良い
5.100仲村アペンド削除
序盤から強く興味を引く話運び、自転車にまつわるどこか滑稽な語り口、すこしほろ苦い締め方、どれをとっても素晴らしいの一言です。
6.100ばかのひ削除
ずっと読んでいたくなる二人でした
胸が締め付けられまふ
とても面白かったです
7.100大豆まめ削除
とても素敵でした。
9.100名前が無い程度の能力削除
お姉さんに自転車こいでもらってご機嫌なジョオンだったのに、ふっと自分がいやになって声が涙ぐんで、そんな微妙な関係の姉妹愛最高です。最後に二人は「少し遠くへ」たどり着けなかったのか、それとも…と深読みして考えたくなりました。
12.100名前が無い程度の能力削除
 今回も楽しませていただきました。
13.100てんな削除
素晴らしかったです。何回も読んでしまいました。
14.90小野秋隆削除
ほろ苦い読後感が良かったです
15.100名前が無い程度の能力削除
物乞いから始まり痩せ馬で終わる紫苑の侘しさが何とも言えぬ良さでした。女苑の理不尽な感情の動きが読んでいて面白かったです。
16.90スベスベマンジュウガニ削除
美味しい白身魚みたいなさっぱりした美味しさを感じて面白かったです。
17.100南条削除
とても面白かったです
女苑の気ままな雰囲気や紫苑の馬力の低さに肩の力が抜ける思いでした
少し遠くへ行く、という自転車の用途に妙な説得力を感じます
初めて自転車に乗った時の事を思いだしました
ある日ふと、また読みたいなと思ってしまいそうな爽やかな作品でした
20.80名前が無い程度の能力削除
面白かったです
22.90Mankey削除
前作も読ませていただきましたが、本作でも良い姉妹を楽しませて頂きました
ただバイクを乗り回す和尚がいる幻想郷で、自転車は人里でもそんなに珍しくないんじゃないかと、そんな気もしました
24.100乙子削除
ついたところが目的地、そんな痩せ馬が好き

とても良い作品でした。
28.90名前が無い程度の能力削除
浮世の悲哀を体現する姉妹の「少し遠くへ」という気持ちが切ない。もどかしい自転車の歩みと姉妹の生き方の相似。その苦さを含めて見守るような不思議な読後感でした
31.90kad削除
面白かった