Coolier - 新生・東方創想話

海が見たい、ある晴れた日に、人知れず

2018/02/09 22:17:20
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『海が見たい、ある晴れた日に、人知れず』

    一

 買い物と、そのあとに必ず追いついてくる督促状の束とが、私に持てる生活のほとんど全部だった。だからこの春に自分の企てた計画がいっとき大きな成功を見せてからあとで忘れずに大きな失敗を伴ってきたときにも、実はそれほどひどく落胆したわけではなかった。せいぜいのところ、また読むつもりのない督促状が届いたかと思い、自分が積み上げた金額の桁に呆れていたくらいだった。
 ただ今回の件で私が困惑させられたのは、その失敗の代償をお金ではなく私自身の更生で求められたことだった。私は良いとも嫌とも言わせてもらえないまま命蓮寺へ引き渡され、要するに住職の命令で雑用をする不本意の修行者、という変なものにされてしまったのだった。当然、質素を守った克己的な生活などに私が馴染めるはずもなく、妖怪たちの飛び回る境内で半日ほど塵を掃いていると、すぐに疫病神らしい気晴らしが必要になった。
 早くも修行の初日から住職の目を盗んで夜の寺を抜け出し、人里へ降りた。身内に溜め込んだお金はまだまだ下らないほど残っていたので、異変騒ぎを起こした直後にも関わらず、どの店でも喜んで迎えられた。私は何も変わらないそうした店々を一晩中飛び回り、むやみに高いお酒を飲んで料金を余計に払ったり、居合わせた客たちに歌を歌わせたりして気持ちよく振る舞った。
 明くる朝の帰途、浮ついた足どりで麓の門をくぐり山へ一歩入ると、参道の空気がにわかにひんやりと寒く感じられた。着崩れていたコートの前を薄暗闇の中でかき合わせようとして、自分の周りに細かな水の飛沫が降り注いでいることに気がついた。立ち止まって見上げると、山の木々が夜に溜め込んだ水滴を霧雨のようにして下へ撒いているのだった。纏い付くこの寒さはブランド品のコートでは防げそうにないと思うと、なんだか住職と同じ説教を繰り返されているようで面白くなかった。不愉快な想像を振り切るつもりで無意味にのしのしと威勢良く歩いた。
 そうして長い石階段を登り尽くしたとき、境内へ続く三門の影にうずくまっている大きな藁の袋のようなものが目に付いた。私の姉さんだった。
 姉さんは膝を抱いた姿勢でぼろ蓑をかぶって木の根元に縮こまり、途切れ途切れになる苦しげな寝息を立てている。その寝顔は背中から針にでも刺されているかのようで、腕に抱いた猫のぬいぐるみに頬を擦り寄せている。足元にはいかにも哀れみを誘うやり方で、ふちの欠けたお碗が空っぽうの底を見せている。
 これを目にしたとき私は、全然驚いたりしなかった。つまり、これは心密かに予感されていたことなのだった。私が寺を抜け出してしまったのと同じこの夜に、双子の姉さんが神社を抜け出してくるというのは大変ありそうなことに思える。おそらく、姉さんは盥廻しの末にようやく引き取られたあの神社でも何か厄介を引き起こしてしまい、そのせいでものも食べられずに私を頼って寺まで来たのだろう。しかし境内に入ることは禁じられていたため、ここで夜を明かして待たなければならなかった。もしかすると、私が深夜に三門を乗り越えたときから既に近くをうろついていたのかもしれない。それも間の悪い姉さんにはありそうなことだった。
「あっ女苑」
 私が無意識に鼻をすすった音に反応して、姉さんが顔を上げた。姉さんはちょっとした物音にも敏感に目を覚ましてしまう。「女苑、私よ」と隙間風のような寂しい声でまた呼ばれると、寒さが一層身に染み込んでくるような気がした。
「姉さん、何も食べてないの?」
 こっくりと、首が折れたように頷かれた。しかし姉さんはもうそれ以上何も言わず、暗い目で私の顔を見つめていた。こういうときの姉さんの目には、哀れさの中にいつもどことなく腹立たしいようなところがある。
「寒かったでしょうに、なにもこんな場所で待ってなくたっていいじゃないの」
「でも、お寺は朝が早いだろうし、こうして待っていればじきに……それに帰ろうにももう疲れたし、それに寒いし、どうでもよくなって……」
 私はがっかりして物も言いたくなくなった。
 あるいはもしかすると、姉さんにも私と同じような双子の予感があってここに留まっていたのかもしれない。しかしそれにしても、他力を頼むために姉さんが発揮するこうした無気力な辛抱強さとでも言うようなものはどう理解したらいいのだろう。
 辛気臭い空気に伝染して溜め息つきたくなるのをこらえ、袖口から焼き鳥の笹包みを出して開いた。寺の連中に隠れて食べようと里で買ってきたものだった。もうすっかり冷めてはいたが、寺に似つかわしくない香ばしさが周辺に広がり、たちまち姉さんのお腹が鳴りだした。
「ああ、女苑ありがとう」
 私は六本買ってきた串から全ての肉を抜きとった。刺したまま与えようものなら一週間経っても未練がましく串をしゃぶっていることにもなりかねない。私はそれを、卑屈に手を合わせんばかりにしている姉さんの鼻先に突き出した。姉さんは蓑の中にしゃがんだまま手を出して受け取った。そうしたやりとりの中、姉さんの細い指先がほんの短いあいだ私の手の甲を撫でていった。
「姉さん、手、冷たいな」
 果たして私の呟いたことが聞こえていたものか、姉さんは答えようとせず、包みの焼き鳥をその冷たい指でつまんで黙々と口に運び続けた。鼠に似ていた。
 私はその前に立って、さっき感じた姉さんの手の冷たさについてぼんやりと途方に暮れていた。そのときふと、先日の異変騒ぎのあとで自分宛に届けられた督促状の内容には、待たせたままでいる姉さんへの支払い分も含まれているはずだということを今更のように思い出した。
 私は何気ない調子を装って「姉さん、何か欲しいものはない?」と訊ねてみたが、妹の唐突な質問に姉さんはやはり答えようとしなかった。
「何でもいいから言ってよ。姉さん、何が欲しい?」
 再度問われると姉さんは砂肝を噛みながらようやく困ったように眉を寄せ、そうして上目遣いに妹の顔を見つめた。無論、姉さんは本当には困ってなどいない。おそらくこのときなら普通に答えることもできたであろう。しかし姉さんはただ、そんな顔をしていればしまいに妹が呆れ果ててまたものをくれるのではないかと待ち受けていたのだった。
 私はそこで手を振って姉さんと別れた。寺へ戻ると住職も内弟子たちもとっくに起きだしていて、朝の勤行を始めていた。私は脱走の罰としてその日から一週間、毎日出る山のような洗濯物を一人で片付けなければならないことになった。

    二

 そんなことがあって、私は夜中の脱走を止してしまった。しかし姉さんの方は相変わらず飢えているようで、その後も初日と同じ木の根元にたびたび姿を見せた。
 姉さんが来ると私は例の欠けたお椀を預かって寺の炊事場へ行き、これに食べ物を入れてもらえるよう取り次いだ。寺では施しを渋るようなことはされなかったが、日によっては盛ってくれる麦飯の量が少ないことがある。そういうとき私は自分でも意識しない自然さでたちの良くない疫病神の性格を発揮してしまい、一度などは「この寺は姉さんを引きとってくれなかったくせに……」という無茶苦茶な強請りを仕掛けようとして炊事当番と喧嘩になった。
 炊事場から戻って姉さんにお椀を返すときは、いつも必ず「欲しいものはない?」と言った。また、二度目からは分かりやすいように付け加えて「私が買ってあげるから」とも言うようになったが、これを聞いた姉さんはいつもの無気力さの下から貧乏人らしい小心さを顕わして、妹を警戒の目で見るようになった。どうやら、繰り返されるこの問いを例の失敗した計画と同じようなろくでもない破産への誘いではないかと恐れている様子で、困り顔を装った沈黙の壁は私が探ろうとするほどますます厚くなっていった。
 やがて半月ほどが経ち、春の陽気はいよいよ本盛りとなった。寒い参道に佇んでいた姉さんにとっても耐えやすい気候に変わり、そのためか三門に現れる頻度が少しだけ増したようだった。はじめはそこにあるだけで内弟子たちから不吉がられていた姉さんの姿も、いつのまにか普通の物乞い同様すっかり見慣れられたものとなった。困り顔を盾にとった姉さんからようやく例の問いの答えを聞くことになったのはこの頃のことだった。
 その日、私は突風で曲がってしまったという雨樋を修理するために本堂から庫裏へ続く廊下を渡っていくところだった。そこでふと、誰かと話をしているらしい姉さんの声を耳にした。寺では珍しいことだったので、ひとまず雨樋をほったらかすことにして三門の方へ行ってみると、門の境に姉さんと並んでしゃがみこんでいるのは内弟子の船幽霊だった。
 この妖怪は大変口達者なお喋り屋として皆に好かれてはいたが、また決して陽気とは感じられない不穏な表情の持ち主で、私には一目見たときからその正体は自分か姉さんどちらかの仲間に違いないと思われたほどだった。そのためか、門の下の二人が頷いたり首を傾げたりしあっている周囲には、淡々としている裏で何かむごたらしい秘密でも共有していそうな、かすかに殺伐とした空気が漂っていた。
「……ああ、それでみんな不思議がったらしいよ。せっかく良い家を建ててもらったのに……」
 自分も姉さんと一緒にいるときはあんな風に見えるのだろうかと考えながら遠まきに二人の様子を伺っていると、船幽霊の方がこちらに気付いて立ち上がった。そうして途中だった話を未練なさそうに打ち切って、「里までお遣いに行くところだった」と走り去ってしまった。
「何の話をしてたの?」
 船幽霊と入れ替わって側に立った私が訊ねると、姉さんは船幽霊が降りていった参道の方を見下ろしたまま「野良犬の話」と言った。「野良犬を飼って、立派な犬小屋を建ててあげた人がいたんだけど、犬は中に入るのを嫌がって、死ぬときまでわざわざ屋根の上に登って寝てたんだって」
「その話がどうかしたの?」
「分からない。最後まで聞けなかったから……」
 そう言いながらお腹をグウグウ鳴らしていた姉さんには、普段と変わったところは何もないように見えた。
 ところが、その見立ては外れていた。普段の通りにお椀を預かった私が炊事場でそれに蒸した芋を入れて戻ってきたとき、姉さんは私の頭上を通り越した遠いところを見つめて、問われるより先にその答えを口にした。
「女苑、私ね、海が見たいわ。いつか良い天気の日に一人で、……それから、誰にも知られずにね……」
 そうして、自分の考えたことがいかにも上出来だったとでもいうように、薄く笑って見せた。
 その言葉に明らかに込められている姉さんの不幸と疲労の深さに、私は凍りついてしまった。思わず唖然となった。こんなものは「消えてしまいたい」と言っているのと大して変わりがない、冗談にしても情けが無さすぎる答えではないかと思った。姉さんのような人に馬鹿げたことを訊こうと思った自分を今更のように後悔した。
 あまりにもがっかりさせられたので、私はしばらくのあいだ穴に落ちたように目の前が暗くなってしまい、まだお昼を過ぎたところなのに自分の手元さえよく分からなくなった。ようやく我に返ったときには、預かっていたお椀はいつのまにか私の手から持ち主へと返されていた。姉さんはまた普段通りの無気力な表情に戻って、特別美味しくもなさそうに芋を食べていた。
「姉さん!」
 私は久しぶりに姉の貧乏が我慢できなくなり、思わず声を上げてその肩を掴んだ。しかし強く掴まれた姉さんが芋を頬張ったまま泣きだしそうな目をしたので、揺さぶるのは思いとどまった。
 代わりに、姉さんの目は私に例の腹立たしさを取り戻させてくれた。
「ごめん」と謝って姉さんを離してやった。両の掌を嗅いでみると湿気たような臭いがしたので、指にはめていた十個の指輪は全て外してその場に捨てた。
「ああ! ああ!」
途端に顔色を変えた姉さんが地面に転がっていくそれらを説明に苦しむ機敏さで拾い集めたが、私は構わずその手を引いて「ほら行くよ」と言った。「その指輪じゃ、姉さんの指には大きすぎる」

    三

 参道を降りた私は、天狗の山の麓を通る道から無縁塚の丘を回り込んで川の中流へ出た。玄武沢から来る水の流れは、速いが春の柔らかさで、これが河童の住処でなければ靴を脱いで足を浸けたかった。
 姉さんはいつものように一歩下がって私の後ろをついてきている。はじめから中途半端だった抵抗と抗議のそぶりは参道の松林を抜けたあたりから消えてしまい、すぐに手を引く必要もなくなった。春の花の咲く美しい野道をただ一人面倒臭そうな顔をして、手に持った芋の残りを食べながら漂い流れてくる。
 姉さんの様子とは反対に、私はなんだか昂然としていた。後ろから姉さんが見ていると思うと、寺を抜け出した最初の夜に参道を登ったよりさらに威勢良く歩きたかった。そうやって歩くほどに私は頭が冴え、そしてますます腹が立つ気がした。
 川の右岸に沿って流れを遡っていくと、しばらくして大きな池にたどり着く。私は目指す先の池のほとりに、見覚えのある大きな階段状の観覧席と、その右半分ほどを既に解体しつつある河童たちの姿を認めて足を速めた。連中がこれほど集まっているとは予想していなかった。一見したところが二十匹ほど居る。小さな体で観覧席をよじ登って、蟻のような根気強さで長い板や棒を外そうとしている。池のほとりに着いたところでこちらから呼びかけて手を振ると、巨大な鞄を背負った代表らしき河童一匹が進み出てきて「だめだめ、今は作業中! あっちへ行けよ」と押しとどめた。
「ここに居た万歳楽はどこへ行ったの?」
「もう居ないよ。ショーも無い。あっちへ行けよ」
 河童は口を開くたびに「あっちへ行けよ」と言って大きな目をした。それでも負けずに居座って話を聞いているうちに、簡単ながら状況を知ることができた。どうやら毎夏この場所で行われていた珍魚の見世物は人気が衰えて廃業され、今は新たな商売を準備しているということらしい。
「詳しくはまだ秘密だが、噂だけ先に流している」「次の計画はプラネタリウムとネッシー号の合体だ。プラネタリウムは雨でも夜でも稼げるし、前のブームが去ってからもしばらく安定して客が来た」「ネッシー号が口から水を吐いて涼も取れるとなれば今夏の成功は確実……。万歳楽のときだって、客席にしぶきがかかると皆喜んだもんさ。もういいだろう、あっちへ行けよ……」
 私は河童たちの儲け熱心なことに恐れ入ってしまった。この日は姉さんの気怠い声ばかり耳に残っていたので、その精力的な話はなおさら印象深かった。しかし万歳楽ショーやプラネタリウムの流行については今ではその概要のほかに朦朧とした雰囲気しか思い出すことができなかった。
「どう姉さん、気持ちの良い場所じゃない?」
 私は改めて周囲を見回すよう姉さんに促した。
 木々に囲まれた池は大きな楕円形をしていた。水は半透明で底が見えず、風に波立って常に動き続けていた。ちょうど私たちの立つ正面から南西の日差しを反射して光り、青いビー玉を砕いてばら撒いたようになっていた。もっとも、大きいとは言っても円周は四半刻あれば徒歩で巡れる程度しかない。だから当然これは海ではなかったが、そこから出て行く流れは遥か遠くまで終わりなく続いていると思えるはずだった。
「そうね、綺麗なところね女苑。もういいから帰ろうよ」
 姉さんは私の背中に隠れたまま、相変わらず気のなさそうなことしか言わない。河童はこの声で初めて気がついたかのように姉さんを見た。
「お姉さん、ずいぶん陰気なんだな」
「ほっといてよ。それよりこの水地、いくらで売る?」
「女苑やめて!」
 河童の頭が私の発した質問を飲み込むよりも早く、姉さんの方が悲鳴をあげて飛びついてきた。あらかじめ私のすることに気づいていたのだった。
「離れてよ。貧乏がうつるわ」
 私は右腕にぶら下がってすがる姉さんの顔を見なかった。ただ自由な左手を突き出して、自分の身内に溜め込んだ富をアタッシュケースいっぱいに詰まった紙幣の形にして見せた。そのままケースの口を開いて中身が見えるようにぶら下げてやると、札束がばらばらと溢れ落ちて足元に山を積み上げた。
「これだけあれば、万歳楽ショーで出る費用と利益の一年分くらいになるでしょう。代わりにここを譲ってもらうわ」
 この提案には河童も流石に面食らった様子で、大きな目をさらに大きくしてしばらくは何も言えずにいた。しかし身に染み付いた習慣がすぐに崩れかかった態勢を立て直し、見開いた目に油断ならない商人の目使いを取り戻した。
「でも、水辺は河童の縄張りなんだぞ。変なことに使われちゃ困る」
「使うつもりなんかない。姉さんがここにしゃがんでめそめそ泣くのよ」
「そんな馬鹿な話……、うちらはここで次の見世物を始めたいんだよ。急に中止できない」
「よそへ行ってやればいい」
「そう上手くいくもんか。ここに代われる場所が見つからないかもしれない。それに見つかったとしても、設備の移設や新設にどれだけ費用がかかるか予測がつかないぞ……」
 河童はその他にもまだまだ小狡い頭から出る理屈を早口でまくし立てていたが、私のしたことも習慣通りのものだった。私は絡みついてくる姉さんの細腕を振りほどき、右手にも左手と同じアタッシュケースをぶら下げて見せた。足元に札束の山がもう一つ峰を増やし、河童は再び声を詰まらせた。たとえ相手がどんなに欲張りでも不条理過ぎて要求しようとは思えないであろう大金だった。
「このお金を持って行って。この池を置いて行って」
 私は先日の異変で手に入れた財産を全て池のほとりに捨てながら、ようやく腹の癒えてきたところだった。少しも惜しくなかった。
「いや、しかし……」
 売り手は困惑しながらもまだ何か言おうとしていたが、私には何も言うことは無かった。
「姉さん、さっき拾った指輪、出しなよ」
 平生のような気安さを保とうとして、かえってひどく強権的な響きを纏ってしまった声で私が促すと、姉さんは無言のまま後ずさりしてかぶりを振っている気配だった。しかし、それもほんの十秒ほどで沈黙の圧力に負け、震える手の中に指輪を握って出してきた。
 ぴかぴか光る十個の大きな宝石が、既に十分過剰な支払いにさらに上乗せされた。これで決着がついた。

    四

「念のため言っておくが、遠からずそこのお姉さんからこの場所を買い戻すとき、うちらは今日払ってもらったほど払うつもりはないよ」
 そう言って河童たちは水中に引き上げていった。商談がすっかりまとまってからは、土地が法外に高騰をしたことなどは気にしなくなったらしい。皆で大金を抱えて上機嫌だった。しかし、あんな風にして受け取ったお金はどうせ一ヶ月と持っていられないだろう。私はあんまり馬鹿馬鹿しくて苦笑さえできなかった。
 そして、池のほとりには半分まで解体されて捨て置かれた観覧席と、そこに腰を下ろして水面を見ている私たち姉妹だけが残った。
 そっと横目で姉さんの方を盗み見ると、姉さんは赤みの差し始めた西日を長い髪に受けて、黒々とした大きな影を引きずっているように見えた。その顔はまるで何日も歩き通してきたみたいに草臥れて、眠たげな目をしていた。
「姉さん」
「わかってる、もういいよ」
「それじゃあ」
 私は立ち上がって手振りで寺へ帰ることを示した。姉さんは水面から目線を上げないまま、最後に「うん」と小さく返事した。姉さんとはそれで十分だった。
 私は来た道を一人で帰っていった。昼のようにことさらな歩き方はしなかったが、身軽になったせいでなんだか全身がふわふわして地に足がつかなかった。私は思わず笑いそうになった。これは新鮮な体験だった。こんなふうに一文無しになって歩きながら歌でも歌ったら、自分にも買い物と督促状以外の生活が持てるような気がした。
 ふいに、姉さんの欲しがってみせたことの意味が初めて本当に解った。「海が見たい、ある晴れた日に、人知れず」と、そう私に答えたとき姉さんは、その実、私たち姉妹がどうしても望むことのできないはずの望みについて口にしていたのだった。
 しかし、姉さんはそんな意味には全然気がついていなかっただろう。きっとまだ池のほとりで頬杖をついて、波立つ水面をただひっそりと見つめているはずだった。
憑依華ストーリーとても良かったですね。
依神姉妹も思わず書きたくなりました。
女苑の4Cで札束に火をつけるときの表情がとてもすきです。

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コメント



0.1170簡易評価
2.80奇声を発する程度の能力削除
楽しめました
3.100SYSTEMA削除
満たされない生活、閉塞感。でもその中でも希望を持ち続けることが大事なのだとなんとなく感じましたありがとうございます
7.90名前が無い程度の能力削除
良かったです。
8.100南条削除
とても面白かったです
パーッと散財してなんか憑き物が落ちたような感じがありました
10.90名前が無い程度の能力削除
これはいいですね
次作も楽しみです
13.90名前が無い程度の能力削除
女苑ちゃん可愛いっすよねぇ
>地面に転がっていくそれらを説明に苦しむ機敏さで拾い集めた
この表現でちょっと笑いました
15.100名前が無い程度の能力削除
なんという完成度の高い作品!
文章と物語はさっぱりとしているのに二人の心情が痛いほど伝わってきました
20.90名前が無い程度の能力削除
憑く側の憑き物が落ちるオチが素敵でした。
21.100ふつん削除
何がどうとはうまく言えないけどとても良かったです。
明確な救いは無くともどこか前向きな感じの結末に心温まりました。
この姉妹はずっと安寧と崩壊の境目を行ったり来たりしながら
生きてきたのだろうかとなんとなく思いました。
22.90名前が無い程度の能力削除
冬の日本海、小春日和の砂浜、漠然と佇む貧乏神の少女…
紫苑を日本海に連れて行きたいと思った。雪に閉ざされた町から思う。
23.90もなじろう削除
終始姉思いな女苑が素敵でした
24.100大豆まめ削除
雰囲気大好き。
27.100名前が無い程度の能力削除
これは良い依神姉妹を読ませてもらいました
28.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
29.100仲村アペンド削除
彼女たちの生の一部を切り取ったように、これまでとこれからに地続きの生活感を感じさせるお話でした。とても素晴らしいです。
30.100ばかのひ削除
胸が締め付けられました
ずるいタイトルです。とてもキレイで素敵すぎて。
31.100名前が無い程度の能力削除
 楽しませていただきました。
34.90名前が無い程度の能力削除
とても良かったです