Coolier - 新生・東方創想話

最上の音楽について

2018/01/25 17:23:40
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「ねえ、素晴らしい音楽を聴いたの」
 とメリーが言った。待ち合わせの喫茶店で席に着いた、私の顔を見るなりのことだった。
 私は先日のとある一件について文句を言おうと勢い込んでいたから、その言葉にはずいぶん虚を突かれてしまった。
 とはいえ、しばらく暖かい喫茶店で待っていたメリーと違い、私は着いたばかりだったから、その話題に触れるのは指や口が温まって良く動くようになるのを待っても良いように思い、背もたれに身体を預けた。
 彼女は、私がおとなしく聞く姿勢になったことを見て取ると、こう繰り返した。「最上の音楽よ。そう、この世のどんな音楽よりも素晴らしかった」
 耳にした音楽を心の中で再現しているのか、平素の彼女にしては珍しいことに、うっとりと目を細めていた。楽しそうだったり、困っていて、困ることに楽しそうだったりすることはよくあるが、このような表情は珍しかった。
「どこで聴いたの?」
 コンサートか何かに行ったのかと尋ねるとそうではなく、聴いたのは家でだという。
「昨日のことなんだけど、大雪が降ったでしょ」
 暦の上ではとっくに暖かくなっていないとおかしかったが、京都は三月も半ばになってもどうしたことか最低気温が氷点下の、雪がちらつく日が続いていた。雪をかけどもかけども翌朝には道いっぱいに積もっているという状況で、年末年始は小さな交通事故が頻繁に起こったという。そもそも雪に慣れていない京都の住民はとっくに諦めて、人生で初めて足を通す雪靴に、ぐずぐずの雪を染み込ませながら歩き回っていた。
 一昨日から昨日にかけては特に雪が降ったから、寒さに弱いメリーが、一日家から出ずに過ごそうと決めたとしても不思議ではなかった。
 目を覚ましたメリーは寒さに震えながらベッドから這い出ると湯を沸かし始め、暖房を点けるとすぐさま、温もりの残るベッドへ撤退した。部屋が温まった頃にようやく脱出して、窓から雪景色を見下ろし、熱いコーヒーを飲みながら、この休日をどう過ごしたものかと考えていた。
 あり物で簡単な朝食を済ますと、彼女はまずは映画を二本見繕って、それを観て過ごした。メリーが挙げたタイトルには聞き覚えがあった。一本目は大規模な気候変動で氷河期が訪れた都市をえがいた古いパニック映画だ。最後には北半球が氷に覆われて終わる。今の京都はそこまでひどくはないが、確かに大雪の中で鑑賞するのがちょうどいい作品のように思われた。
 もう一本も雪の映画だった。クリスマスに悪徳金貸しを訪れて更生を促す三人の幽霊の話で、これもまた、寒い中で暖かくして観るべき映画という気がした。
 二本を見終えたころには昼を回っていた。
「お昼ごはんを食べようという気にもならなかったし、何をしようかと思ってたんだけど、そこで、蓮子からの着信音を特別な音楽に変えようと思いついたの」
 メリーの話に突然登場したことに何と相槌を打ったものか考えあぐねて、私は目の前のコーヒーを一口飲んだ。砂糖をまだ入れていなかったことにようやく気付いて、苦い液体をしぶしぶ飲み下した。
「つまり、着信があったときにいちいち画面をたしかめなくても、蓮子からの電話ってわかれば取るかどうか決められるでしょ?」
「取ってよ……」
 砂糖を入れながら文句を言ったが、メリーはどこ吹く風だった。
 この場合は着信音が他と異なっていることだけが必要なことだったので、彼女はよく聴きもせずに、「プリズム」という名前の着信音に設定したという。
 メリーの携帯に実際に着信があったのは夕方のことだった。普段の着信音と違っていたから、メリーにも私からの電話だとわかった。取らなければとも思ったというが、すぐにそれどころではなくなった。
「携帯から微かにヴァイオリンの練習をしているような音が聞こえてきたの。耳を澄ませて聞かなければ分からないような大きさで、まるで着信音だとは想像しづらいくらい。ヴァイオリンが一丁だけの素朴な構成だった。そうね、ウォームアップだったのだと思う。練習場で、指に馴染んだ曲を軽く弾いているような、ゆったりとした気軽な演奏だった。でも、私はすぐにその音に惹きつけられてしまっていたわ。あんなに感情を揺さぶられたことはなかった。ううん、揺さぶられたというのは違うわね。すっごく憂鬱になったの。誰でもいつも抱えている、心の憂鬱な部分だけが急にふくれあがって、そこから目を離せなくなるような重たい気分だった」
 憂鬱なメリーは、着信を受ける元気も失ってしまい、ただうなだれていたという。
「私の気持ちが晴れやかになることなんてもう二度となくて、雪は永遠に降りやまなくて、このまま街ごと雪に埋もれて何もできなくなるんじゃないかって思ったとき、演奏に別の音が加わったの。空気を切り裂くようなトランペットの音が乱入してきたのよ。それはとても賑やかで、ヴァイオリンの音色をかき消してしまった。かき消すというより、というより場所を譲ったのかしら。ソロの演奏のパートが交代したような感じだったのかもしれない。それまでのヴァイオリンとはうってかわって、底抜けに明るい曲調だった。始めからすごいハイテンポだったのに、時間がたつにつれてどんどんヒートアップしていった。とはいっても技巧を誇示ような悪い印象は無くてね。ただ奏者が楽しんでいるのが、まっすぐ伝わってきたわ。私もすっかり楽しくなってしまった」
 今度は反対に、気持ちが明るくなりすぎてしまったという。この世のすべては取るに足らない些細な出来事で、気の持ちようによって何事も乗り越えていけるという確信さえあった。いてもたってもいられず、内なる衝動を何らかの形で発散しようと腰を浮かせたときだった。
「しばらくするとヴァイオリンが再び参加してきた。即興のセッションみたいになったけど、それは思いのほか酷いものだったわ。ヴァイオリンとトランペットのどちらにも相手を活かそうとか、立てようというつもりが全くない演奏だったの。自分のフレーズを奏でることだけに固執していて、聴いている私は紛糾した議論の議長にされたようだった」
 そう冷静に振り返るメリーは、それでも聴いていた時のことを思い出したのか、そっと胸に手を当てて深く深呼吸した。聴いているときにはひどかったらしい。心の陽の部分と陰の部分がそれぞれ独立して膨張して、心に容器があるとするならそれは破裂する寸前まではちきれそうになっていたという。
 メリーのことなどお構いなしに、ヴァイオリンとトランペットの音はエスカレートしていった。
 このまま聞き続けたらさすがに気が狂うと思った時だった。
「別の音が混じった、ピアノの音だった。驚いたわ、これまでに一度も聴いたことのない旋律だったけど、それが今の状況にぴったりだってことは分かった。ヴァイオリンとトランペット、陰と陽の2つのほとんど対極の音色を、あっという間にまとめ上げて一つの作品に仕立ててしまった。そこからの体験は素晴らしいものだった。私はその演奏が終わるまで、ただ聞き惚れていたわ。ただただ……無心で……」
 記憶がよみがえったらしいメリーは、恍惚とした表情を浮かべていた。
 そこまで聞いて、私は皮肉たっぷりに言った。
「それが、私の電話をずっと無視したいいわけってことね。良い度胸じゃない」



 私にはどうにも、彼女が私を担ごうとして、あるいは着信を無視したことを題材にしてこの話を創作したことを疑わずにはいられなかった。
 とはいえメリーは、紛らわしい嘘は言わない人物だ。本人の能力に関係することが笑いごとで済まないことを分かっているのだろう。彼女の言う冗談はもっと露骨で明快なものが多い。
 私が信じる気になったのは、ついさっきのことだ。家に呼び出したメリーが着くのを待ちながら彼女の話をまとめていたとき、どこかから喝采が響いた。立ち上がって音の元を探し、それがインターホンの受話器から聞こえてくることがわかった。唖然としているうちに、憂鬱なヴァイオリンの演奏が始まり、すぐに陽気なトランペットが後を追った。風変わりな重奏がしばらく続き、とどめとばかりにピアノが二つの音色をまとめあげた。私は棒立ちになってその演奏に聞きほれていた。
 素晴らしい演奏は、メリーが寒さに耐えかねて呼び鈴ではなく、ドアを叩き始めるまで続いた。
 演奏に打撃音が加わり、まるでパーカッションが参加したようだったと言うと、メリーは複雑そうな表情で、自分では役者不足だ、と答えた。
あけましておめでとうございます。
さとうとしお
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コメント



0.640簡易評価
4.70奇声を発する程度の能力削除
良かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
ビックリするくらい面白い
6.50名前が無い程度の能力削除
ここまで突飛なシチュエーションなのに、日常のごく一風景に見えてしまったのが、勿体ないなあという印象です。
憂鬱なメリーがなにをしでかすのか、躁ではどうなのか、勝手に色々妄想してしまいます。
8.100怠惰流波削除
短いのにしっかりと落ちていてとても楽しめました。

役不足だと嘆息するメリーがやや外れていて、愛らしいです。
9.100大豆まめ削除
好き。
意図されたものかどうかは知りませんが、プリズムリバーの音楽が聞こえてきたのって、スマホもインターホンも、どちらも「隔たれた空間をつなぐための道具」なんですよね。だからこそ、そういうガジェットを通じて幻想郷という隔たりを超えて音楽が届く、という構造がファンタジックな感じで凄く好きで、短いながらも私の中ですっと腹に落ちてきた感じでした。
10.90ばかのひ削除
面白かったです いいオチ
11.100名前が無い程度の能力削除
音楽を聞かせるために家にまで押しかけるメリーが可愛い
12.90名前が図書程度の能力削除
電話を取らなかったのは着メロに聞き入っていたからだ、という話の筋が既にどこかおもしろく、また不必要な理屈付けをバッサリとオミットしてちょっと不思議な話のまま終わったのも良かったと思います。
13.100南条削除
面白かったです
特に最後のオチが良かったです
14.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
日常の中で境界を越えていくの、危ういですけど、そういうメリー好きです。
20.100乙子削除
読み終えて「なるほど」とストンと落ちる筋書きでした。
今回の最上の音楽の演奏者たちは、同じ作者の異なる二つの小説できっと同じこの人が——と想像するような、名前の呼ばれないあの人、を見るような気持ちでした。
秘封倶楽部の躁と鬱、というのも見てみたいですね。
23.90もなじろう削除
題材が秘封ならではでとても良かったです