Coolier - 新生・東方創想話

永環の華

2018/01/18 18:46:50
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  永環の華《とわのはな》




 その昔、とある商人の男に貧しき神が取り憑いた。彼は商才に恵まれ、それ故に裕福で、また滑稽なほど気立ての好い人物だった。
 
――でも、私を一目見るなり『みすぼらしい』なんて言って笑うのよ。
――姉さんを見たら釈迦でも腹抱えて笑うわ。
 
 余りに人が好いものだから、初めて出会ったみすぼらしい女神にも、進んで施しを与えた。
 
――取引先の旦那に頼まれて買ったは良いけど、自分にはどれも似合わなかったからって。
――勿体無い。姉さんに物をあげるなんて。
 
 やがて海が荒れ、船が沈み、忽ち男は財産を失った。富に貼り付いていた名声も霧散し、人々から全てを失くした男と揶揄された。
 だが、それでも彼は、自らに取り憑いた神を恨まなかった。
 
――返そうとしても受け取らなかったわ。坊主になるには不要な物だって。
――よく受け入れてくれる寺があったわね。
――それも貧しいお寺よ。だけど、あの男は随分好くしてたから。
 
 金が切れても、切れない縁が有る。それはとても幸福なことだと、男は最後まで疑わなかった。最期まで。
 女神は彼を破綻した心の持ち主だと思ったが、その魂はきっと、浄土へ逝くのだろうと考えていた。
 彼女はそれを、酷く羨ましいと思った。
 
――で、驚くべきことに、私の手許にはこれらが残ってるのよ。
――吃驚仰天ね。どうせすぐに失くしちゃうでしょうけど。
――そうね。だから……。
 
 
 
   ◆
 
 
 
「姉さんってば、あの天人と一緒に居れば自分も幸せになれるって聞かないのよ」
 
 南中間際の命蓮寺。厨の一角、釜戸の前でしゃがみ込み、パチパチと燃える火を眺めながら女苑が言った。
 
「少なくとも、貴方と居るよりはマシなんじゃないの」
 
 一輪が冷たく言葉を返す。その冷やかさは、再三聞かされた愚痴に対する倦厭と、午餉を器に盛る事への傾注とから成っていた。
 新しきに挑戦するのは悪い事ではない。お前の姉にはきっと、そういう意図が有ったのだろう。雲山がひっそり慰めるのが、果たして彼女の耳に届いたのか。女苑はどうにも不愉快そうに、フンと釜戸の火を揺らした。
 
「今にあんた達も不幸になるわ」
「やってみなさい。うちの毘沙門天は貴方如きに負けないけどね」
 
 人々から金銭を巻き上げようと、姉と共謀してとある異変を引き起こしてから、早幾日。博麗の巫女と八雲の賢者に敗れた彼女は、反省の為と放り込まれたこの寺で、存外真面目に暮らしていた。
 肉の無い食事、面倒な作務、退屈な説教。何もかもが気に食わなかったが、そこから自分の幸福を見つけ出すことが出来るかも知れないと、そんな淡い期待を活力の源として。奇遇にもそれは、雲山が姉の行動について語った推量と似ていた。
 
「だったら、もっとバーッと稼いで皆に分けてやれば良いじゃない。衆生を救うのが仏様の仕事じゃないの?」
「ただお金をばらまく事が救済じゃありません。第一、闇雲に稼ぐというのがどういう事かは貴方が一番よく知ってるでしょ」
 
 女苑は言い返さなかった。幸福とは何か。そこへ至る道筋を誤り、人々と自分自身を不幸にしただけの彼女には、仏道を往く者の在り方などさっぱり分からなかったのである。
 
「じゃあ、どうしたら人を幸せに出来るのかしら」
 
 少し意外な言葉が出て、一輪は目を丸くした。まるで不思議な生き物を見ているかの様に、まじまじと彼女を見詰めた。
 女苑の手が擽ったそうに身動いで、左右の手首にぶら下がる腕輪がシャラリシャラリと音を鳴らす。彼女はそれを指で摘まんだり弾いたりして弄りながら、すっと素早く腰を上げた。
 
「熱いわ、これ」
「炊事の時くらい外しなさいよ」
「イヤ」
 
 きっぱり拒む彼女の態度に、一輪はむっと眉を吊り上げる。
 
「何度も言ってるでしょう。そういうチャラチャラした装飾に拘るのは」
「女苑ちゃん! ご飯まだ!?」
 
 始まり掛けた説諭を、響子の大声が遮った。女苑と一輪は――そして雲山も、呆気に取られて固まっていたが、程無く響子の後ろから水蜜がパタパタ駆けて来て、時の止まった空間を再び動かし始めた。
 
「見るだけで良いんだって。火も刃物も使ってるんだから、邪魔したら危ないでしょう」
「ホントだ! ごめんなさい!」
 
 大いに呆れて脱力する一輪を横目に、女苑は布巾を両手に鍋を持ち、火から降ろす。
 
「もう出来るから、ちょっとだけ待って。あと私をちゃん付けするのやめろ」
「なんで!? かわいいのに!」
「私らは可愛くないのか」
 
 水蜜が苦笑しながら響子の耳を指で突《つつ》く。
 
「御免なさいね。私がこの子に『見て来て』って頼んだんです。また一輪と喧嘩してないかと思って」
「余計なお世話よ」
 
 そう言って剥れながらも、一輪は女苑に椀を差し出しては、杓で汁物を入れてもらい、並べた膳へと置いていく。やがて一切が整うと、彼女らは銘々膳を手に持ち、厨から運び出して行った。
 放たれ掛けた小言は鳴りを潜め、尼の腹中へと沈んで消える。しかし、女苑は今なおそれを聞かされているかの様な、何とも煩わしげな顔をして、ちらりと手許に目を落とした。
 指を彩る宝石に光は無く、くすんだ色は器を満たす食事の魅力に遠く及ばない。しかし、膳の下で揺れる黄金の環だけは、いやに明るく輝いていた。
 
 
 
   ・
 
 
 
 八つ時。水音けたたましい渓谷に、河童どもの呼び声が響く。
 
「ねーちゃん、ちょいと見ていきな! 外来の上等な鞄だよ!」
「こっちや、こっち! あんたに良う似合う石がゴロゴロ有んで!」
「あー、うるさい! 私はもうそういうのは要らないの!」
 
 賑やかな勧誘の波を押し退け、女苑は居並ぶ露店の中を行く。その傍らには、如何にも面倒臭そうな顔付きで彼女を睥睨する、ナズーリンの姿が在った。
 
「そんな形《なり》で言っても説得力が無いだろう。ごてごてと悪趣味な輪っかを着けまくって、羽織も帽子も品の無い成金丸出しでさ」
 
 その言い分は女苑を酷く怒らせたが、かっと赤らむ面の峻険とは裏腹に、彼女は何一つ反論しなかった。ただしそれは、何ら悪態を吐かなかったという事では無い。
 
「口の減らない鼠」
「よく言われるよ。告げ口するのが仕事なものでね」
 
 悪びれる様子は微塵も無く、女苑は益々苛立っていく。
 
「何であんたみたいのと買い出し来なきゃなんないわけ!?」
「気が合うじゃないか。私も全く同じことを考えてたよ」
 
 何故《なにゆえ》彼女らが河童の市まで足を運んだのかと言えば、それは塩を買う為である。近頃、幻想郷の彼方此方で猛威を振るう天人と貧乏神のお蔭で、人々の間では軒先に塩を盛ったり、撒いたりするのが流行っていた。そうした理由から、里の塩に些か不足の気配が見えた為、命蓮寺ではこの度、山の妖怪の提供する物を仕入れることに決めたのである。
 その任に毒舌気味の鼠が就いたのは、謂わば気紛れに近い厚意であったが、そこに疫病神が荷物持ちとして付いて来たことは、互いにとって全くの不本意だった。
 市場を賑わす妖怪達の関心は、概ね例の天人達に向けられていて、女苑が先の異変を引き起こした張本人だということは余り知られていない。それどころか、あの一件も天人が主犯だったのだという、誤った情報さえ流布している。それは不幸中の幸いだとナズーリンは言ったが、女苑にとっては極めて不満な事実だった。
 
「あの七光バカにあんなスマートな稼ぎ方出来るわけないのに!」
「やってた事は只の泥棒じゃないか。しかも全部姉の能力任せで、君はただ偉ぶってただけ」
「うるっさい! 私が考えたんだから私の手柄なのよ! 大体、姉さんなんか居なくたって……!」
 
 いやに声が大きくなる女苑に、周囲の視線が集中する。諫められるまでもなく、彼女は自ら口を閉ざし、皆の興味が消えるまで何気無い風を装った。
 やがて余熱《ほとぼり》が冷めると、ナズーリンは如何にも邪険に彼女を追い払った。
 
「塩は私が買って来るから、君は好きに屋台を見てて良いよ」
「厄介払いってわけ」
「疫病祓いさ。粗相はしないでくれよ。仕事が増える」
「はいはい。わかったから、さっさと済ませなさい」
 
 刺々しい別れを経て、女苑は言われた通りにふらふらと出店《でみせ》を見て回った。先の様な高価な品を勧められることが多かったが、そういった誘いはきっぱりと断り、文字通り見るだけの時を過ごした。
 しばらくして、ふと気になる話が彼女の耳を突いた。先週、どういうわけかしっかり持っていた筈の財布を落としてしまい、当面の生活に窮しそうだと言う、河童のたわいない世間話である。
 そいつはきっと、噂に聞く貧乏神の仕業に違いない。誰かが言ったのを聞いて、女苑の中で何かが閃いた。
 
「ねえ、あんた。そんなに困ってるんなら、この指輪をあげましょうか」
 
 彼女が八つの指に着けた環を一つ抜き取ると、河童はそれを冗談だと思ったらしく、へらへら笑って「良いのかい」と訊ねる振りをした。ところが、現に差し出された指輪は頑なで、引き下がる気配が見られない。
 
「貧乏神にやられたんでしょ。ツイてなかった……って言うか憑かれてたのね。でもほら、捨てる神あれば拾う神ありって言うじゃない」
 
 河童は少しく戸惑っていたが、どうやら彼女の本気であるらしいことを覚り、有り難そうにそれを受け取った。まるで仏様の様だと、合掌されて拝まれて、女苑は何とも得意げに微笑んだ。
 しかし、財布一つの補填にしては、これは少々物が過ぎる。河童は少し考えて、それから隣の河童に声を掛けた。そう言えば、お前のところは先月おめでたが有ったじゃないか。色々と物入りだろうから、こいつを売った金を二人で割るとしよう、と。
 得意顔の女神には、その半分しか聞こえていなかった。
 
「そうなの? おめでとう。だったら、あんたにもこれをあげるわ」
 
 七つの指輪がまた一つ減り、河童の手に半ば無理矢理渡される。流石にこれは悪いだろうと、突っ返されそうになったそれを、彼女は頑として拒んだ。
 
「良いのよ。私はもう、こういうチャラチャラしたのは要らないの。だから何でも好きに持って行ってちょうだい」
「ふうん。何でも……?」
 
 不意に背後で声がして、女苑はぎょっと振り向いた。ところが、そこには誰も居ない。ただ、賑わう市の様子が見えるばかりである。
 気の所為か。そう思って再び翻った彼女が目にしたのは、世にも恐ろしい光景だった。
 
「ひッ……!?」
 
 数多の魑魅魍魎が群れを成し、亡者の如き赤い目をして、彼女に迫って来ていたのである。
 瞬く間に市場は戦場となった。我も、我もと、亡者共が群がって、忽ち女苑を呑み込んだ。
 
「ちょっと待……! やめなさい! やめろ!」
 
 欲を制する喚叫は、荒れ狂う濁流に掻き消され、何人《なんぴと》の耳にも届かない。
 亡者は一切合切を奪い始めた。彼女から、そして、互いからも。怒号が飛び交い、呪詛が渦巻き、いよいよ血さえ流れ始めた。
 
「違う! そうじゃない!」
 
 そうじゃない。彼女が施しの果てに見たかったものは、断じてこんな悍ましいものではなかった。
 望んだものは、唯一つ。願ったことは、唯一つ。
 
「私は……!」
 
 唯、一つだけだった。
 
 
 
   ・
 
 
 
「迂闊なことをしたもんだね」
 
 荒野と化した市の跡。
 塩の詰まった袋を重たそうに抱えながら、ナズーリンが呟いた。
 
「何よ、あいつら!」
 
 間髪を入れず、女苑の怒声が天を衝く。
 
「私はあんなクズどもの為に何かしてあげたかったんじゃない! 困ってるひとが居たから……! だから……!」
 
 つい先刻まで体を飾り立てていた何もかもが今ではすっかり無くなって、彼女はただ沢山の爪痕と質素な洋服に身を包むだけの、小柄な少女となっていた。強引に引き千切られた耳飾りの痕が痛々しい赤味を帯びて、潤む眼の煌めきを際立たせている。
 
「生きていただけ儲けものだよ。報せを聞いた時には正直肝が冷えた」
 
 ナズーリンは至って平坦で、努めて静かに彼女を宥めた。
 
「どうしてあんな事になったのかは、聖か星様に教えてもらうと良い。君が理解出来るかどうかは知らないが、あの二人なら頭くらい撫でてくれるだろう」
 
 自分は愚者を慰めるなどまっぴら御免だ。はっきりと言うその口振りは如何にも冷徹だったが、それが同情に値すると示した事は、ナズーリンなりの気遣いであった。
 尤も、怒りに震える女苑がそんな細かなことに気が付く筈もない。彼女は真っ赤な目をしてナズーリンを睨み付けた。そのまま今にも掴み掛かりそうな剣幕だったが、彼女の手は己の眼前まで持ち上げられた所で、はたと止まった。
 左右の手首には、情け容赦の無い掴み痕がくっきりと残されていて、何とも痛々しい。女苑はそれをぼんやりと見詰めて、やがて大きく目を見開いた。
 
「……無い」
「うん?」
 
 怪訝に眉を顰めるナズーリンに、怒りとは異なる少女の面が向かい合う。
 
「ブレスレットが無い!」
 
 当たり前だろう。そう言い掛けて、ナズーリンはぴたりと口を閉ざした。目の前の少女が、見るからに焦燥し、大きな不安を湛えていることに気が付いて。余りにあからさまだったお蔭で、大事な物かと問う気も失せた。
 
「やいやいやい! この疫病神! えらい事をしてくれもんだァ!」
 
 そこへずかずか遣って来たのは、二人の顔見知りの河童、にとりである。
 お大尽の惹き起こした暴動によって、今日の市は散々であった。その収拾が如何に大変だったか、三つ四つと文句を言ってやらねば気が済まぬと、わざわざ素寒貧の許へ駆けて来たのだ。
 ところが、今まさに糾弾を始めようとするその胸倉を、反対に女苑の両手が掴んだ。
 
「ブレスレットは!?」
「ひゅい?」
 
 思いも寄らぬ詰問に、気の抜けた声が洩れ出す。
 
「腕輪は! どいつが持ってったの!?」
 
 にとりはその剣幕の只ならぬことを解していたが、それでも迷惑を被った同胞の為に怒《いか》らねばならぬと決意して、彼女の右手首を掴み返した。
 
「知るもんかい。帳簿も付けずに散撒いたのは手前じゃないか。今更どうして取り返そうってんだ」
 
 女苑は眉間に深く苛立ちを刻み、いよいよ煩く高声上げた。
 
「私はあんな事がしたかったんじゃない!」
「だったらどうしてそんな事に成んだよ!」
 
 すかさず返った河童の譴怒は、薄っぺらな少女の逆恨みを跳ね退け、力を奪う。
 
「私は、ただ……!」
 
 震える彼女の眼には、己の腕にきらりと輝く、環の幻が見えていた。
 
――だから、これはお前にあげる。
――イヤよ。姉さんから施しなんて受けない。
――でも、きっと似合うわ。
――そう?
――ええ。
――……じゃあ……。
 
「ただ……姉さんみたいに……」
 
 記憶は遠く、深く、暗い水底へと沈んで行く。溢れた水面は眦を伝い、少女の頬に線を描く。
 いよいよにとりは息を吐き出した。怒気の伴っていない、只々深い息である。
 
「……しょうがないな。うちの仲間内だけ当たってやるよ。でも、見付かってもホイホイ返してもらえると思うなよ」
 
 分かったらとっとと放せと、払い除けられた手はじんと痛む。だが、女苑はその痛みなど気にならない程、河童の厚意に驚いていた。
 その裏には、彼女を余り責めないでやってほしいと言う、同胞からの嘆願も有ったのだが、女苑がそれを知る由は無かった。
 
「あ……ありがと……」
「高くつくよ」
 
 二本の指で銭を象りつつ、にとりは皮肉に微笑んだ。
 寺に請求が行きやしないか。ナズーリンは少々不安だったが、敢えてそこに口を挟もうとはしなかった。
 
 
 
   ・
 
 
 

 兎の餓鬼がそれらしい物を持って行くのを見た。そう言う河童の情報を頼りに、女苑は竹林に住む妖怪兎達の本拠、永遠亭を訪ねた。
 ナズーリンは早く寺へ戻って用事を済ませたそうにしていたが、あの屋敷は辿り着くのが難儀だし、兎との交渉がどうなるか判らないからと泣き付かれ、渋々彼女に付き合った。独りで何かしようとすると、碌な事にならない。彼女がぽつりと洩らした本音が酷く惨めで、「しょうがないな」と何処かで聞いた様な言葉を吐きながら、情に流されて来たのである。
 ところが、いざ妖怪兎の長老――てゐに質してみると、その返答は想像以上に悪いものだった。
 
「私にそういうことを訊くってことは、あんたが直接手を下したわけじゃないんだね」
「何を?」
「その腕輪を持って帰ろうとした坊主なら、奥で寝てるよ。器用にあんたの腕から抜き取ったまでは良かったものの、何でか知らんが竹林で迷った挙げ句、古い落とし穴に嵌まって足首挫いて額を打って、ぴいぴい泣きながら帰って来たのさ」
 
 疫病神から物を奪おうなんて考えるからそうなる。そう言って、てゐは大袈裟に肩を竦めた。
 では腕輪はどうなったのかと訊ねれば、いつの間にか消えて無くなっていたのだと言う。何処で落としたのかは自分には判らないし、件の兎も憶えていない様だ、とのことだった。
 
「あんたは嘘吐きで有名な兎でしょ。隠して法螺吹いてるんじゃないの」
 
 女苑は己の素行を棚に上げ、臆面も無く疑念を口にしたが、てゐはきっぱりとそれを否定した。
 
「私ゃ損得の勘定くらいちゃんと出来るよ。何なら捜し物と同じだけの金をくれてやっても良い。その代わり、次に来たらお師匠様に質《たち》の悪い集り屋だと報せるけどね」
 
 その言い方が些か癪に触って、彼女はまた声を荒らげた。
 
「そんな物要らないわよ!」
「ならさっさとお引き取り願うわ」
 
 余りに冷淡な対応に、それまで黙っていたナズーリンも思わず口を出した。
 
「此処は診療所だろう。彼女を見て何かしてやろうとは思わないのかい」
 
 だが、てゐはやはりきっぱりと答えた。
 
「助けが欲しけりゃ、お人好しな薬師の弟子でも呼ぶんだね。仲間が怪我して機嫌の悪い兎じゃなくてさ」
 
 お前の所為で。自業自得の理を説きながらも、心中にそういう思いの有ることは否めない。それが果たして筋違いの恨み言であるのかどうか、女苑には判らなかった。
 
「良いわ。診てもらってる暇なんか無いし。誰かに取られる前に捜さなきゃ」
 
 言って彼女は振り返り、足早にその場を後にした。誰にも顔を見られない様、一度も振り返らずに。
 出会った者に幸福を齎すという、因幡の兎。その存在に真っ向から拒まれた事は、彼女の心に浅からぬ傷を与えていた。
 
 
 
   ・
 
 
 
 見付からない。見付からない。
 竹林をひたすら彷徨い歩き、地面を這い摺り回っても、失くした腕輪は見付からない。
 高かった陽は西の彼方へ落ち、天を仰いでも生い茂る黒葉の隙間から赤紫の空がほんの僅かに見えるばかりで、辺りの暗さはすっかり夜中の様である。
 
「駄目だ。鼠達は何も見付けて来ない。ダウジングも外ればかりだし」
 
 そもそも、まともに捜索出来ているのかどうか、それさえも判らない。もしかすると、同じ所を何度も廻っているだけなのではないか。不安は疲労を一層積もらせ、ナズーリンは既に随分くたびれていた。
 それは女苑も同じだったが、彼女はどうしても諦められず、視界の悪い竹叢をしつこく捜し続けた。膝は擦れ、手は爪の中まで砂にまみれて、裾も残らず汚れ切っている。度々溢れそうになる涙を何度も手で拭った所為で、顔や髪さえ酷い有様だった。
 
「女苑。そろそろ帰らないと拙《まず》いよ。じきに夜だし、昼間の事をきちんと聖達に言っておかないと。鼠に遣いを頼みはしたけど、帰りの遅くなる事くらいしか伝えられてないからね」
 
 女苑は答えない。聞こえていない訳ではなく、地を這う手が一時止まって握り拳を作ったりしていたが、その口は何らの返事を紡がなかった。
 数秒待っても沈黙が続き、ナズーリンは大きく嘆息した。
 
「灯りも持ってないだろう。今日のところは諦めた方が良いんじゃないか」
 
 改めて言葉を重ねると、ようやく消え入りそうな声で「やだ」の返事が有った。
 これはどうやら、何を言っても聞き入れそうにない。ナズーリンもとうとう諦めて、彼女が不格好に背負っていた塩の袋だけを取り上げた。
 
「もう私達を捜してるかも知れない。余り心配させるのも悪いから、私は寺へ行くよ」
 
 そう言われると、彼女はまた小さな声で「うん」と答えた。間も無くナズーリンはふわりと飛び立ち、慎重に方角を確かめながら去って行った。
 女苑は尚も腕輪を捜し続けた。当ても無く、到底見付かりそうにないそれを、延々と求め続けた。
 そんなに大切な物なら、どうしてもっと大事にしないのか。敢えて誰一人問わずに居てくれた言葉が、勝手に頭の中で反響し、彼女の胸を締め付ける。
 またも涙が溢れ出した、その時。視界の歪んだ彼女は、己の足元で大きく口を開ける穴に気付かず、まんまとその中へ落ちてしまった。もはや悲鳴を上げる気力も無い。ただ砂の一緒に滑り落ちるのと、体が土壁にぶつかる低い音とだけが、穴の内から吐き出された。

――じゃあ、貰ってあげるわ。それで、こっちは姉さんにあげる。
――え?
――ほら、これでお揃い。こんな物でも無いと、姉妹だって判んないもんね。
――有っても変わらないと思うけど。
――良いから。それより、失くさないようにしてよ。折角私があげたんだから。
――元は私のじゃない。大体、女苑はすぐに飽きて売ってしまう癖に。
――これは売らない。だから、姉さんも。
――はいはい。わかったわ。努力します。
 
 涙の中に垣間見られた思い出は、打った頭が見た夢か、はたまた慚悔の辿る記憶か。雑に掘られた陥穽の底で、遂に彼女は座り込んだまま動かなくなり、土壁に凭れてめそめそと泣いた。
 昔から、姉が羨ましかった。貧乏臭くて敗北主義者で怠け者の、到底自慢し難い姉だが、たった一つ、どうしても彼女には出来ない事をやってみせた。
 人々を不幸にすることで富を得る己と違い、姉は人々の富を失わせることで不幸にする。しかし、同一の原因は時として異なる結果を生み出す。彼女が他人の不幸を自らの益と出来ぬ事が有る様に、姉が貧しさを与えた人々に平穏の訪れる事も有るのだ。財禍の種を手放し、美しき縁《えにし》に依って生きた商人の様に。
 彼女はそれを、ずっと羨んでいた。誰よりも、姉に憧れていた。だから、その真似をしてみたくて、自分なりの遣り方を考え、ひとに施しを与えたのだ。その昔、自分にあの腕輪を――ささやかな幸福をくれた姉の様になりたくて。
 だが、全ては裏目だった。幼い善意は禍を呼び、皆を混乱に陥れ、彼女自身からも大切な物を奪い去ってしまった。
 何もかもが巧くいかない。自分はそういう星の下に生まれてきたのだ。一切合切を諦め、遠い空を見上げた彼女の目に、不意に誰かが映り込んだ。
 
「……姉さん」
 
 それは紛れも無く、彼女の姉――紫苑だった。穴の上から身を屈め、じっと彼女を見詰めている。
 女苑は咄嗟に涙を拭い、そこに腕輪の無いことを思い出して、慌てて手を後ろに回した。
 
「女苑。さっき、お前に似合いそうな金の輪っかを拾ったんだけど」
 
 彼女は忽ち綻んだ。姉の発した言霊が、ぞっとするほど冷たく、まるで氷柱の様な鋭さを備えていることにも気付かずに。だが、紫苑が穴の縁に腰掛け、その両足をぶらりと下げると、彼女の面は見る見る冷え固まっていった。
 履き物の無い寒そうな踝の上で、シャラリシャラリと、黄金色の環が揺れている。女苑はかっと頭に血を上らせ、姉に一言《いちごん》噴き上げようと首を傾けた。
 次の瞬間、紫苑の足の片方が、彼女の頭を土壁へと叩き付けた。女苑は鈍い悲鳴を洩らしたが、踵は構わず額を踏み躙り、爪先が髪を乱暴に掴む。
 彼女は起こった事が理解出来ず、呆然と痛みに苦悶しながら、眼前にぶら下がる環を見ていた。
 
「欲しいのなら恵んであげるわ。要る?」
 
 頭を踏み付ける足に一層強く力が入り、女苑を容赦無く痛め付ける。彼女が思わず両手を上げて、その脹ら脛を掴もうとすると、紫苑は足を一瞬浮かせ、今一度額を強く蹴り付けた。
 どうして。どうして。初めは怒りを伴っていた疑問も、次第に痛みに怯え出し、とにかく自分が傷付かない為だけに、正しい答えを求め始める。やがて一つの解に辿り着いた時、女苑はまるで子供みたいな声を上げて哭き出した。
 
「ごめん、なさい……。あげるづもりなんか、無かっだの……。なのに、無理矢理……取られぢゃっで……」
 
 泣きじゃくる少女の言葉は濁り、詰まり、まるで要領を得ていない。応えてくれる声も無く、彼女は益々憐れに泣いた。
 
「もう、無ぐざないがら……。だがら……」
「女苑」
 
 再び名前を呼ぶ声と同時に、足蹴の痛みが引いてゆく。しかし、彼女が安まることは無い。
 
「ひぅ……ッ!」
 
 もう一方の足が顎を軽く蹴り上げ、伏していた彼女の頭を強引に上へと向ける。滲む視界の遙か彼方で、真っ青な二つの眼が彼女を見下ろしていた。
 
「私は、これが要るかって訊いてるのよ」
 
 それは余りに冷淡で、まるで彼女の言うことに――或いは彼女自身にさえ興味が無いかの様な、黒鉄《くろがね》の如き声だった。
 自分には全く重要なことではない。この腕輪も、お前も。そう言われているような気がして、女苑はまた酷く欷泣した。
 
「……要る……」
 
 詰まる息をどうにか堪え、やっとの思いで絞り出した、唯一言の返事。
 打ち返された相槌も同じく短かったが、その音色は全く異なっていた。
 
「そう」
 
 シャラリシャラリと音を立て、足首を飾っていた腕輪が落ちる。穴は暗く、地に伏した黄金の輝きは僅かばかりも見られない。かと言って、その暗闇が何処かへ通じている道理もないのだが、女苑はさも危急であるかの如く、必死になって穴の底を手で探った。
 間も無く彼女の手は腕輪を捕らえ、後生大事そうに胸の前でそれを抱える。
 そこへまた「女苑」の声がして、彼女は大きく体を震わせた。恐る恐る仰いで見ると、一転温かな笑みを浮かべた紫苑が手を伸ばし、彼女を迎えようとしていた。
 女苑は一瞬躊躇って、その事に自ら怯えて身を屈めた。だが、姉の手は少しも変わり無く、じっと静かに彼女を待ち続けている。
 ようやく姉妹の手が繋がり、引き上げられた女苑の体は、姉の胸へと抱き寄せられた。尚も震える彼女の頭を、紫苑の掌が優しく撫でる。恐れと安堵の狭間で惑い、彼女はやはり、泣いていた。
 
「女苑」
 
 幼子を諭す様な、柔らかく穏やかな女神の嬌声。それは吉夢の様に心地好く、彼女の胸に絡み付いてゆく。
 
「何が有っても、お前は私の妹だからね」
 
 十重に二十重に彼女を包む、優しき姉の温言は、本意を隠して真意を告げる。曇った瞳は幽かな明かりだけを頼りに、その喜びを見付け出し、澄んだ至福を心に宿す。
 彼女は小さく「うん」と答えると、まるで幼い乙女の様に微笑んだ。
 
「おーい!」
 
 宵闇の彼方で、誰かが大きく叫んだ。女苑ははっとして、思わず紫苑に両手を突き立て、その身を押し退けようとしたが、左右の腕は伸ばすに至らず、恐怖と罪悪感とに引き留められた。
 直後。紫苑が反対に彼女を引き寄せ、互いの頬を擦り合わせながら、耳許でぼそりと呟いた。
 
「またね、女苑」
 
 忽ち姉の姿が消えて、彼女は独り、闇に立つ。
 ほんの僅かな間を置いて、幾人かの足音が彼女の孤独を消し去った。
 
「女苑! 其処に居るのね!」
 
 立ち並ぶ竹の間から現れたのは、白蓮と一輪、そして雲山の三人だった。
 白蓮は彼女の姿を認めるや否や、脇目も振らずに駆け寄って、その両肩をしっかりと支えた。そして、擦り傷や引っ掻き傷にまみれ、土で汚れた彼女の有り様に、一等辛そうな顔を見せた。
 
「経緯《いきさつ》はナズーリンから聞きました。大変だったでしょう。誰にも暴力を振るわず、よく堪えたわね。偉いわ」
 
 存外優しい言葉を掛けられたものだから、女苑は何とも擽ったくて、ちらりと目を逸らした。すると、丁度一輪と目が合い、それがまた情に満ちた眼差しをしていたので、彼女は益々はにかんだ。
 
「兎の長老が言うには、自分と話した後すぐに見付からないのなら、捜し物は竹林には落ちてないだろうって。悔しいでしょうけど、今日は諦めた方が……」
 
 言い掛け、一輪ははっと驚いた。彼女が手に持つ、黄金の腕輪に気が付いて。そして、白蓮もまた、同じだけの驚きを味わっていた。
 
「嘘を言っている様には感じなかったのだけれど……」
 
 兎の理屈は女苑には解らない。だが、その言葉が正《まさ》しく偽りの無いものであったのだろう事だけは、何となく理解出来た。
 
「ごめんなさい。心配掛けました」
 
 彼女が大きく頭を下げると、一輪はまた目を丸くして、その頭をじろじろと不思議そうに眺めた。一方、白蓮は何やら喜ばしげに、にっこりと笑って彼女を見詰めている。
 
「姉さんが拾ってたの」
 
 彼女達は疑わなかった。白蓮も、一輪も、雲山も。そして、女苑でさえも。或いは、彼女こそが最も強く、それを信仰していたとも言えるだろう。
 彼女は気が付かない。その悍ましき愉悦に。醜く歪んだ寵愛に。
 
「離れていても、ずっと貴方を気に掛けているのね」
「天人様に媚び売るのに飽きてきたんじゃないの」
「照れること無いじゃない」
 
 彼女は気が付かない。
 
「さっさと帰ってお風呂入ってご飯食べたいわ」
「じゃあ、お説教はその後にしてあげましょう」
「えー!? 何で!?」
「あら。今やった方が良い?」
「そうじゃないっての!」
 
 闇色に染まる空には細い三日月の明かりが覗き、愚者を妖しく嘲笑う。
 だが、女苑は決して空を仰がず、ただ己の手許を見詰め、幽かに煌めく金環の、優しい輝きに見惚れていた。


 
 お読みいただき誠に有り難うございます。
 心温まる百合を期待されていた方には申し訳御座いません。虚勢を張りつつも何かと姉に依存する女苑が可愛く、この様な話になってしまいました。なお、最初から例の場面が書きたくて書き始めた物でした。
 こんなに優しいひと達に囲まれているのに、最後まで姉の愛から脱却出来ない彼女は、とてもしあわせだとおもいます。夢の世界の女苑が「だって姉さんは優しいんだよ?」と言って聞かないのを見て呆れるドレミーなど、宜しいのではないでしょうか。
昭奈
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コメント



0.300簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
これは面白い
3.90奇声を発する程度の能力削除
良いですね
5.80名前が無い程度の能力削除
こんな関係が描かれるのを待ってました
6.100非現実世界に棲む者削除
依神姉妹のこういう百合話を待ってました。
素晴らしかったです。
7.90名前が無い程度の能力削除
美し…くない姉妹愛
いや美しい
どっちか自分でも分かりませんが、ナズやにとり、響子やてゐなんかの脇役が良い味を出していたと思いました
8.90名前が無い程度の能力削除
とても良かったです
10.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
13.90名前が無い程度の能力削除
うわ、なんという貧乏神。
これだと件の男に取り憑いたのでさえ女苑を縛り付けるために見えてしまうのだけど、そこんとこ如何に。

人を幸せにしたいのに上手くいかない女苑ちゃん可愛い。
14.無評価昭奈削除
>>13
コメントありがとうございます。女苑の可愛さをお伝え出来て嬉しく存じます。

紫苑の行動についてですが、おそらく初めからそこまで意図出来ていたわけではないと思います。ただ、彼女は女苑が自分を羨んでいることには気付いていたと思われますので、隙有らば呪縛の種を植えようとしていたのでしょう。