Coolier - 新生・東方創想話

さとりんが勇儀に「大好きです」って言う話

2017/12/23 23:42:19
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 旧地獄は旧都の街外れ、更にその外周辺りともなると、灼熱地獄の熱量も、繁華街の喧騒と活気も遠い、廃獄らしい死んだ光景を見ることができる。

 冬の今は、見渡す限りの銀世界。
 動く命の気配は、何処を探しても見当たらない。年の瀬も近付いた冬の日、旧地獄の辺境へ向かう物好きが、私達の他にいてたまるか。

 あの白銀の地平線の先に何があるのか、などと益体も無いことを考える。大方、岩の壁か。地上と違って、地底の世界には果てがあり、こうして雪原を歩き続けていれば、そのうち行き止まりに突き当たることになるだろう。
「おや、行く末に思いを馳せるなんてロマンチックですね。それとも夢が無いのでしょうか。ええ、どうせ地底世界。地底の住民は、果てしなく高い空とは縁を切って久しいです」
 と、私の腕の中から。
 モコモコのコートに包まれているのは、誰あろう地霊殿の女主人。黙ってさえいればビスクドールじみた美貌は、生気に乏しい眼差しやら蒼褪めた唇やらで台無しになっていた。そのくせ口だけは達者で困る。
「まあ、岩の壁にぶち当たったところで、壁の向こうの世界だってあるかも知れませんね。でも、遠足は温かい日にするものです。暖炉が恋しい。熱いコーヒーが飲みたい」
「自分で歩けば、体も温まるだろうに」
 ところで私は、虚弱なものに苛立ちを覚えてしまう。こればかりはどうしようもない。
 古明地さとりは、悪びれもせずに小さく肩をすくめてみせる。
「この深い雪では絶望的ですね。貴方こそ、そんな薄着では見た目が寒いです」
「手荷物のおかげで体が温まるよ」
 着ている服は、まともだろう。そして荷物の方だが、巨大な鞄が一つで、中身は聞いていなかった。
 つまりは、荷物持ちに駆り出されているわけだ。
「……ん」
 くいくい、と服をつままれる。
「どうした?」
「何故、私なのか。とか、そんなことを疑問に思って欲しいんですけどね」
 ここまで、気にもならなかった。
 気を利かせて質問する程のことでもなかったが、改めて、理由らしきものを考えてみる。
「荒事か?」
「いえ、全然。自分の身くらいは守れますとも」
 そうか。では雪の中に放り捨ててやろうか。
「え? いや、なんで半分くらい本気でそう思ってるんですかっ!?」
「自分の身くらいは守れるんだろ?」
「やめてください、この通りの不摂生なのです。自慢ではありませんがね、私は肉体的には驚くほど無力ですよ?」
「本当に自慢にはならないな。んで?」
 私を借り出した理由は?
「ああ、簡単なことですよ。貴方のことが好きだからです」
 成る程、単純な理由だった。
「少しも照れませんね。朴念仁ですか、貴方は。動揺してくれても良いんですよ?」
「ところで、何処へ向かってるんだ?」
「色々言いたいことはありますが、そういうことは出掛ける前に確認しません?」



 旧地獄の成り立ちを一言で言えば、地獄の要らなくなった場所だ。
 あるいは地底に限らず、どこにでもあるような場所だろう。例えば、時代の流れに取り残された炭鉱都市だとか、一時期流行したレジャー施設だとか。
 そんな場所は、不良共の良い受け皿になった。暴力と退廃の中にも、彼らなりの秩序じみた規律が生まれ、そんな空気が肌に合う奴が更に移り住むようになり、後はまあ色々あって、現在まで至る。
 かく言う私も、その口だ。
 誰も彼もが好きに生きる、楽園。綺麗なんかじゃなく、濁った場所。濁っていることが許される場所。どいつもこいつも同じ穴の貉で、だからこそ誰にも憚る必要なんかない。そこが旧都。
 などと言ってしまうと無法地帯のようだが、別にそういうわけじゃない、はずだ。たぶん。
 私が荷物を運ばされている目的地とは、そんな廃地獄とも違う、本当の最果ての場所だった。

 何があるのかは、着いてからのお楽しみです。きっと、驚くと思いますよ?

 そう告げて笑ったのは、古明地さとり。地霊殿の女主人。
 ラズベリーの果実のような紅い瞳。華奢な体躯に上品な態度は、力が秩序の旧地獄では異色だ。人当たりは間違っても良い方ではないが、決して乱暴ではなく、無害にすら見えるだろう。
 だが、控え目に評価して、彼女の性格は最悪だ。
 などと本人の前で思おうものなら、「いえいえ、私は私よりも酷い方を何人も知っているので、断固として抗議しますけれど」となるのだが。

 ともあれ、出不精の彼女もようやく自分の足で雪の大地に立った。
 延々と歩き通した長い行程の先に、とうとう辿り着いた地底の果ての外周部は、左右には何処までも岩の壁が続いている行き止まりだった。岩の壁は湾曲して反り返っており、押し潰すかのような圧迫感がある。その壁の手前に、ぽつんと小さな集落があったのである。それとも、コロニーとでも言った方が、それらしい雰囲気を醸せるだろうか。
 様相としては、味気ない感想になるが寒村だ。作物は実っていないが、柵らしきもので囲われた場所は畑だろう。住居には、外周部の壁を掘って洞穴を作っている。また、道具小屋らしき陋屋が何棟か。他に、打ち捨てられたらしき道具類を除いては、目に付く物は無い。私の観察力が乏しいと言えばそれまでだけれど、目立つものは、物の乏しさだけだった。
 この規模だと、住人は少なく見積もって十数人、多くてその倍。所々に見える生活の痕跡から、この集落が辛うじて生きていると判別できるが、全体的な印象がくすんだ灰色であることは否めない。廃墟群の一歩手前、遺跡か何かだと言われたら、それで納得してしまうかも知れない。
 それと、私達は、あまり歓迎されている雰囲気ではなかった。家の中に怯えた気配を感じるものの、姿を見せる者はいない。
 旧地獄も外れの辺境に集落があると、私は知らなかった。
 どんな者達が? どうして?
 疑問はすぐに氷解する。何せ、その嫌悪感は、本人達が身を潜めて隠れていたところで、隠し切るつもりもない、露骨なものだったのだから。
 誰かが、怨嗟を込めて吐き捨てる声が聴こえた。

 ──お前のせいで。

「紹介しましょう」
 さとりは視線と悪意を意にも介さず中へと進んで行き、灰色の集落を背に振り返って、両手を広げる。
「ここには、私の同族が住んでいます」
「……そういうことか」
「そういうことです」
 頷いて、さとりは微笑む。いや、笑い事ではない。
 古明地さとりは恐れられ、嫌われている。
 そもそもが旧都の住人なんて、地上を嫌ったか嫌われたかで落ちぶれてきたようなものだが、私は彼女の同族を、彼女の妹以外に旧都で見かけたことがなかった。
 旧都にすら、いられなかったのだ。
 それを思うと、曰くし難い苛立ちが込み上げてくる。同類同士が集まって大きくなっていた、私達の街なのに。同じ嫌われ者で、日陰者、そのはずなのに。
 私は、私達の旧都が良い街だと信じている。だが所詮、街は街だ。それぞれ事情のある者達が集った場所で、必然的に、弾き出される者もいる。あるいは、嫌われ者の同族に宿を貸す気立ての良い奴もいただろう。だけどそれは、その程度でしかない。
 そもそもの発端として、さとりの同族まで忌み嫌われるようになったのは、誰のせいなのだろう。答えは、既に聞いていた。
 お前のせいで。
 責任を擦り付ける呟きは、この集落の総意と見て間違いない。

 ここは、迫害されたサトリの集落だった。

「……罪滅ぼし、か?」
「心にも無いことを言うんですね。嘘はお嫌いだったのでは?」
「いや、ただの冗談だよ」
 本当に、ただの悪い冗談だ。
 さとりは、そんな殊勝な奴ではない。
「ほ~ら、さとりお姉ちゃんサンタから妹候補達に、食べ物のプレゼントですよ~♪ バタークッキーは、お好きですか?」
 集落を見た時から勘付いてはいたが、荷物の中身は食糧のようだ。
 厳しい冬の間は、食糧の確保は難しいだろう。自給自足が成立しているようには見えないのだから、外部の助けは必須だった。いや、そもそもこの立地からして、さとりが彼らを保護するために用意したものだろうか。彼ら自身がひっそりと暮らしているだけなら、さとりが知る由も無いことだ。いくつか辻褄を合わせて考えていくと、さとりが成立に関わっていることは明らかだった。
 そのさとりが呼び掛けても、風の唸るような声が聴こえるだけで、反応はそれだけだった。余程、嫌われているらしい。
 立ち尽くしていても仕方がない。荷物をこのまま手に持っていても近寄っては来ないだろう。私は広場らしき場所の中心に荷物を下ろし、離れて待つしかなかった。
「いつも、ただ置いて帰るだけなんです」
 どうでもよさそうに言った口振りからは、本心は窺えない。
「そうか」
 歓迎されている空気ではないのは分かっている。この集落の同族は、自分達の種族が忌み嫌われる原因を、嫌われ者な女主人に求めている。歓迎など、するはずがない。
「……一応、確認したい。この集落のこと、他には誰が知っているんだ?」
「いえ、誰も。足に使うペットにも、近付いたところで下ろしてもらいますので、中まで入れたのは、貴方が初めてです」
 ではやはり、さとりが……
 そこから先の、さとりがそんなことをする動機を考えて、私は自分の発想が嫌になった。
 さとりは、自分のせいで風評被害を受け、迫害された同胞のための、その罪滅ぼしではないと言った。その言葉が嘘でなければ、さとりが彼らを囲っておく必然性が無いし、放っておいたところで、良心は痛まないだろう。つまり、理由が無いのだ。
「だってほら、私は妹のこと、好きですし。妹が増えたら嬉しいでしょう?」
「いや、意味が分からないよ」
「妹候補の養殖場なんです」
 どういうことだ、それ。
「益々、意味が分からないな」
「そうですか。難しいものですね、会話というものは」
 さとりは困った風に溜め息を吐く。どこまで本気かは分からない。
「まあ冗談ですよ、半分は。なにせ、ここは地上と地底を含めても、この私が最も嫌われている場所ですからね」
「見りゃ分かる」
 未だに誰も顔を見せない集落の様子と、さとりの態度と。両方を見れば、一目瞭然であった。
 こんな場所で妹候補探しとは、いくらなんでも無謀だろう。
「私の妹になれば、良い生活は保証するんですけどねぇ」
「普通、嫌っている相手からの施しは、素直に受け取れないものだよ」
 ましてや、さとりの態度が態度だ。
「さっきから、何ですか、もう。さとりお姉ちゃんの包容力は評判なのですよ?」
 この通り、悪びれる気など、さらさら無い。
 私が彼らの立場なら殴り倒しているところだ。
「それは勇ましいことですね。あの子たちにそんな気概が無いことなんて、隠れて出てこない様子を見れば分かっているでしょうに」
「……」
 厭な予感があった。
 私だって、ノコノコと阿呆面を晒しながら無防備に着いてきたわけじゃない。ほぼ間違いなく、私はここで、厭な目に遭うだろう。さとりがどんな展開を用意していようとも、上等だ、望む所だとも。そういう気概で、結局はノコノコと着いてきてしまったわけだが。
「まあ、何事も無ければ、それでも良いんですけどね」
 さとりは呟く。
 物資を届けるという用事は済んだはずなのに、この寒い中、そろそろ帰りましょうかと言う様子を見せない。
「……あっ」
 はずんだ声だった。心なしか、目までキラキラとしている。
「見てください見てくださいっ。ほら、あの子ですっ」
「おい待て引っ張るな、分かったから」
 広場に置き去りにした荷物に、小さな少女が一人、すり寄ってきたのである。
 周囲を警戒しているし、ちらちらとこちらの様子を窺っているが、相当お腹を空かせているのか、我慢できなかったようだ。
「あの子は一番の末っ子でして。妹候補なんです」
「とてもそうは思えないけどね」
 嬉々として様子を見守るさとりの様子は、餌場にやってきた野生動物を見るそれだ。妹を見る目では、ない。
「私はペットのことも家族と思うタイプですから、動物扱いでもセーフですっ。この点に関しては外道じゃありません」
「どういう種類の言い訳よ」
「食べてくれますかね?」
 不安がる様も、完全に動物相手のそれだ。
 とは言え、私も興味が無かったわけじゃない。運んで来た以上、無事に受け取ってもらえるかどうかは、その行く末程度までは見届けたい気持ちはあった。
 女の子は古明地姉妹に似ている……というわけでもなかった。襤褸切れのような服を着た、ボサボサ頭の少女だ。
「目玉は、付いてないんだな」
「そう言えば、そうみたいですね」
 体外に露出して何本かの管で繋がった、特徴的な第三の目玉。
 俄かに、さとりの同族なんて本当にいるのだろうかという疑問が首を擡げた。本物の妹の存在を思い出し、すぐさま頭から振り払ったが。
「あの子たちの心が聴こえる能力は本物ですよ」
「……」
 それを承知で、よくもまあ、そんな態度が取れるものだ。きっと中身はもっと酷いのだろう。
「もっとも、あの子たちはこちらの話の内容なんて分かっていないので、別に何を話していても問題無いです。つまり今の状況は、子供には聴かせられないような話を、子供の前でも平気でしてしまうような駄目な大人みたいな、感じですね。まあ、分かってないのは分かってないですけど、その分、単純な悪意とかにはよく反応しますけどね」
「ん、どういうこと?」
「簡単に言えば、知性の有無ですね。サトリって、比較的無害らしんですよね。ヤマビコの親戚だとか、そんな説もあるくらいで。もしそうなら、本当に無害なものですよね」
「お前は有害だがな」
 そんな感想が口をついて出た。が、失言とは思わない。
 古明地さとりさえ存在しなければ、彼らは今も故郷の山奥で平穏に暮らしていたかも知れないのに。さとりも、少しは責任を感じるべきだ。
「貴方はそういうこと思っていても言わない方だと思ってたんですけどね。ひどいです……ぐすん」
「知るか」
 さとりのことは放っておき、覚悟を決める。
「おや、何をするつもりなんですか?」
 意味の無い質問だった。
 なんでも良いから、黙っていろ。
 面白がるような視線を背中に感じつつ、呼吸を落ち着かせて進んでいく。残念ながら、私はかなりの強面らしい。下手に柔和に微笑んでみせたところで狙い通りにはいかないだろうが、なるべくの努力くらいは怠らない。
「寒く、ないか?」
 ……ああ、大失敗だ。
 少女は怯えたように身を竦め、獣を思わせる仕草でその場に蹲る。
「あのさ、私は別に、貴方達をどうこうしようとか思ってるわけじゃないからさ……」
 旧地獄の外縁部。果ても果てのこの場所は、あまりにも貧しい。
 私は同情を好まない。弱者に向けて拳を振り下ろすことはないが、意味も無く手を貸すこともない。弱い奴は嫌いだし、その境遇から脱する気概も無い奴など、助からなくたって良いとすら思う。一生そのままで、震えていろ、と。
 だからこれは、無駄な手を差し伸べているだけだ。その場の勢いと、安い同情心でしかない。
 だが、それがどうしたって?
 馬鹿馬鹿しいと思いながら、それ以上に清々しい気持ちで、少女の前にしゃがみ込む。できる限り、目線の高さは合わせるべきだろう。
「だから、顔を上げてくれないか?」
 地上から追われ旧都にも住めなかった彼らは、温もりとは言い難いにしても、熱と活気に満ちた都市を知らず、寒村で細々と命を繋いでいる。
 何とかしたいと思って、何が悪い?
 私は、好きなようにしたいからこそ、旧都で生きているんだから。
 畑仕事をしよう。家の修繕も必要だろう。大工仕事だってやってやる。とにかく、力仕事なら何でも任せて欲しかった。
 けれど同時に、我ながら卑怯だとも思っていた。
 相手は心が聴こえるというサトリだ。嘘偽りの無い真っ直ぐな気持ちは、率直にそのまま通じるだろう。さとりよりも格が劣る彼らの能力が、私の打算まで見抜かないでいてくれることを祈るばかりだった。
 ……分の悪い賭け、だろうか。
 さとりと一緒に来てしまった時点で、私の印象と信頼は、最悪の評価が出発点になる。だがどうか、私に心を開いて欲しい。
「…………」
 どれだけの時間を、待っただろう。
 結論から言えば、祈りは通じた。怯えながらもぞくぞくと集まってくるサトリ達の姿に、私は深い安堵と、ささやかな誇らしさを感じた。別に勝負事というわけでもないけれど、これは勝利と言えるだろう。
 さとりは、どんな顔をしているだろう。

 ええ、貴方ならやってくれると思っていましたよ。

 できれば、そんな顔をしていて欲しいものだと、また一つ、祈るように思った。



 それからは、忙しく駆け回ることになった。
 住居に使われている洞穴は、私が思っていた以上に、浅い穴だった。これでは雨風や寒さを凌げているとは言い難く、仕事は岩壁の掘削から始まることになる。畑についても同様で、固い地盤のままも同然だったそこを、ロクな道具も揃えられないままに掘り返して砕いていく。
 体は丈夫なつもりだったが、休みなく働き通して一段落する頃には、すっかり良い汗を掻いていた。気分は、悪くない。

 いくつか、分かったこともある。
 一つは、さとりと彼らは同族などではない、ということ。厳密な種としての違いは私には分からないし、人の訪れない場所で過ごしたことによる、ある種の去勢、ないし牙が抜かれたような状態と言えようか。集落の彼らは非常におとなしく、小さな物音にもビクビクと震えていた。
 成体の個体についても、最初に見た少女と大した違いは見受けられず、さとりのような高い知性を有している様子ではなかった。読心の能力も、危惧するほどではない。あるいはさとりも言ったように、聴こえても意味が理解できず、だから無意味に繰り返しているだけだとか。「おー」と言えば「おー」と言うし、「やっほー」と言えば「やっほー」と反響してくるだろう。山彦との違いは、声に出して言わずとも、思っただけで返ってくる点か。
 問題もあった。彼らは無害であり、すなわち弱い。取って喰われるとまでは言わないが、彼らを旧都に連れていくことは、ほぼ不可能だろう。かと言って地上に放すのも無謀なように思い、徐々に慣らしていく期間を稼ぐ意味でも、やはり集落の状況を改善するより他には無いようだった。

「うふふっ、あははっ、誰がそこまでやれと言いましたかっ」
 旧地獄外縁部の岩壁に凭れ掛かって休んでいると、特に何もしていなかったさとりが声を掛けてくる。大笑いしてくれているようで、何よりだ。
 普段は気怠そうにしているくせに、彼女の家の飼い猫曰く、私といる時にはニヤニヤしている事が多い、らしい。テンション4割増しとも言っていた。
 お腹を抱えて笑うさとりを気味悪がってか、サトリ達は一匹も近寄って来ないが、私だってこんな怪しい奴とはお近付きになりたいとは思わない。
 欲を言えば、さとりとも和解して欲しいというのもある。が、それにはまだ時間が掛かるだろう。それはともかくとしても、一度でも手を出したからには責任は持って、これからは定期的に足を運ぶつもりだ。そこで問題になるのが、旧地獄にはさとりを恐れるあまり、悪い感情を持つ者も少なくはないということ。似たような種族に害が及ぶ可能性を考慮すれば、隠れ里の秘匿性を保つため、出入りは最小限に留めることにも気を使わなければならない。考えるべきことは、多くあった。
「姉貴分、なんですかねぇ。誰かの世話を焼いている時の貴方って、なんだかイキイキとしていますよ。そんなだから、私を差し置いて旧都の皆さんに頼られるんです」
「自分では、そんなつもりは無い」
 誰だって一人一人が好きに生きて、有事の際に団結するのも勝手。とにかく勝手にしろと言うのが、私の思想なのに。だから、何かと頼られてしまうのは、実は不本意であるのだ。
「そう言って恩着せがましくない所とかも、素敵なんですよね」
「……」
 では、どうしろと言うのだ。
 物陰からじっと様子を窺っているサトリの目とか、鬱陶しいとか思っているのに。
「あの子達にも懐かれていて、流石です。勇儀さんは、頼り甲斐のあるお姐さんですね。さとりお姉ちゃんよりも人気があるんじゃないですか? 私はコミュ力皆無で嫌われてばかりなので、嫉妬しちゃいますね、ぱるぱる」
「茶化すなっての」
「ふふふ、本気で疎ましいと感じていますね。でも、少し照れているのも本当でしょう?」
 臆面もなく指摘されては、しばし閉口するしかない。
「……思うようには、いかないものね」
「そうでもないですよ。今日は、思い通りに行き過ぎて怖いくらいです」
 などと、しれっとした顔で言いやがる。
「そりゃ、あんたはそうでしょうよ」
 集落の件は、さとりと相談して進める必要がある。一度、地霊殿に顔を見せるにしても、私はあの豪奢な館の雰囲気がどうにも肌に合わず苦手なのだが、まあ、そんなことは言っていられないか。機密性を鑑みても、あの館が打って付けであることには違いない。
 なにはともあれ、始めるべきことは、多くあった。これまで、さとりが一人でやっていた集落の維持に、これからは私も手を貸すのだ。幸いにして、信頼できる相手の心当たりは少なくない。その中から、この件に巻き込んでも良い奴を絞り込みながら、これからのことに思いを馳せる。
「……ああ」
 認めよう。
 益体のあることが出来ているような気分になって、こういうのも結構、楽しいもんだな、なんて思っていた。少し、浮かれていたのかも知れない。
「星熊勇儀さん?」
 さとりは、厭な笑顔を私に向ける。
 呼び掛けに混じり、雑音が周囲で反響した。サトリの群れは、まるでコダマのようでもあった。
「貴方は、鬼ですよね。鬼種です、魔性です」
 悍ましい予感に、冷たくなった汗のせいではない悪寒が走る。致命的な何かを見過ごしているような気がした。しかし、何かを間違った覚えは無い。厭な予感ならあったのだ。着実に、最後には笑っていられるように選択を積み上げてきた。その報いとして直面する事態を、私は恐れたりしない。
「その通りだ。鬼だよ。自分の流儀以外のことは、心の底から、どうでもいいね」
 慎重に言葉を選び、言った。
 間違ったことは言っていない。いや、一般的な価値基準で言えば間違っているのだろうが、鬼の私がそんなことを気にしてどうする。その上で、鬼として、間違ったことは言っていない。
 生命である以上、己の我を通すこと、さとりならばエゴと呼ぶものは、絶対だ。
 他者が掲げる正しさよりも、自分のルールを優先する。
 私は、自分のやりたいようにやるだけだし、同類共が集まった旧地獄の街が好きだった。旧都では、誰も彼も私と似たようなものだ。だから遠慮の必要が無くて、だから好きなんだ。
「……」
 私は今、己を曲げているのだろうか。
 何度も繰り返し検証してみるが、そうは思えない。
 今の状況を見ても、妥当な行為だと言えた。私は彼らに手を貸すし、半端な所で投げ出すつもりもない。偽善的なエゴとは誹られるだろうが、その横暴を通してこその鬼だ。そんな下らない嫌味は、痛くも痒くもない。褒められる方が歯痒いくらいだ。
 それに私は、最後の最後まで面倒を見てやるような優しさも持ち合わせていなかった。一定の線まで漕ぎ着けたのなら、そこから先は、彼らの勝手だ。厳しいと非難されても知ったことではない。弱い者が立ち上がり、強くなろうとするのなら、その手助けは喜んでしようとも。それだけで、そこまでだ。逆に問うが、助けるとは、身の安全と衣食住を十全に保証してやることなのか? だとしたら、私はそんな施しが嫌いだ。
 困っている誰かの味方はする。だが、弱きを助け強きを挫くなんて事にも、興味が無い。断じて、私は弱者の味方じゃない。
「さとり。貴方は、何が言いたいの?」
「なにがいいたいの?」
 と、サトリの少女が私の真似をして繰り返す。嬉しいことに、懐いてくれたのだった。
 腰の辺りに抱き着いた少女はボンヤリとした顔で私を見上げている。私の顔を映しているその瞳に、知性の色は無い。
「ところでさっきから気になってたんですけどね、私には、貴方と協力して集落の開発をするつもりとか、特に無いんですけど?」
「?」
 では何故、私を連れてきた。
「助けてあげて欲しいからだとか、そんなことだと思ってました? そんなわけが、無いじゃないですか」
「……」
 確かに、そんなわけがない。
 最初から分かっていた。さとりは、彼らを手厚く保護しているわけじゃなかった。半ば以上に、どうでもいいと思っていた。
 でも、さとりのやり方は回りくどいことも多いから、結果的に私が助けることになる、そういう話だと思っていた。違った、のか……?
「本気で言っているのか?」
 ふざけているのなら、こちらにも、相応な態度というものがあった。
 ぞろぞろと、今まで遠巻きに隠れているだけだったサトリ達が集まってくる。その数は、大体が最初に見立てた通りだ。
 だが、何故だ?
 怒気を発している私が、怖くはないのだろうか。今更になって私にすり寄る理由が分からない。
 今や、無数の瞳が私を見つめている。彼らは、その口では私が思ったことを繰り返しているだけだ。つまり、「だがなぜだ?」とか、それだけの無意味な断片に過ぎない。彼らが実質の無言で私に訴えていることが、理解できない。
 私の意図に反し、絵図としては、どうなるのだろう。
「子供達に大人気になって戸惑う、ちょっと怖い感じのお姉さんでは?」
 そんな生易しい状況でないことだけは確かだった。
「ねぇ、何か忘れていませんか?」
 さとりは、いよいよという感じの薄ら笑みを浮かべた。
「ここは、私が世界で一番嫌われている場所なんですよ? そして、勇儀さん。貴方が嫌いなものでもある」
「………………」
 ……
 …………
 集まったサトリ達は、何も言わない。私が何も言わず、思っていないからだ。
「私に悪意を抱いた者達を集めたこんな場所に、無防備な私と、力持ちの貴方。どうなると思います?」
「おいっ……」
 だが、さとりの意図を理解した瞬間のことだった。

「「おまえ」」「「さいてい」」「「だな」」

 耳障りな反響に、頭痛と眩暈を感じた。
 私が言われた言葉じゃない。私が、さとりに対して思った事だった。
「お前らは、」
 こちらの語る言葉は、さとりに聞かせるものでなく、集まった有象無象に向けたものだ。
 私がさとりに敵意を向けた途端、私はこいつらから決定的に味方だと認識された。それが何を意味するか、私には分かってしまった。
 奥歯を噛み締めた。握った拳が震える。
「自分に力が無いから、私がさとりを害してくれることを期待しているっての?」
 それはつまり、壮絶なまでの、卑しさだった。
 私が言う“強さ”とは、なにも腕力だけではなく、むしろ、矜持や精神といった要素にも重きを置いている。
 サトリ達は、さとりのことを嫌っている。
 それは良い。存分に嫌えば良いし、妥当な根拠だってあるのだから、憎んで当然だ。もしも彼らが手頃な武器を手に取り、誰もが恐れる女主人に襲い掛かるなら、私はその勇気を称賛し、応援したことだろう。戦況が不利そうならば、拮抗する程度には加勢したって良い。
 だが、これは何だ。自分達では、どうするつもりもないのか。
 悪意でも、強烈なものならば好ましい。だが、彼らのそれは違った。
 弱い悪意。それは、私が嫌う卑しさだ。弱者であることは良い。ただし、その地位に甘んじている惰弱は、見ているだけで苛付いてしまう。
 慈悲深い聖人君子ならば、赦すだろう。だが、鬼の私は許さない。
「何だよ、それは……」
 私がさとりに怒気を感じてから、彼らは私に、さとりを傷付けろと訴えていた。
「残念ですね。折角、助けてあげようとしたものが、こんなものだなんて」
 そしてさとりは、相変わらず薄く微笑んでいる。あまりにも無防備に、誘っている。さとりが誘発した状況であることは確かだった。
「はなれろ」「はなれろ」「はなせ」「はなせ」「はなせ」「はなせ」「はなせ」
 夥しいと、そう感じる程の数の小さな手が、私の服を引っ張った。吐き気が、した。
 彼らは私の心を聴いてか「離せ」と譫言のように繰り返しているが、彼らが訴えていることは、別にある。
 ──早く、殺して。
「はなせ!」
 大声が、耳元で聴こえた。
 自分で言ったのか、サトリが一斉に叫んだのかは分からなかった。空気が、振動でビリビリと震えていた。
「離せって言ってるだろッ!」
 自分の喉を掻き毟るような気持ちで、私は猿共を振り払う。二度、三度、腕を振り回し、ようやく猿は離れて行ってくれた。最後まで腰にしがみついていたのは、最初に見付けたあのサトリの少女だったかも知れない。なのに、どれもこれも似たような猿にしか見えなかったとあっては、確かなことは言えなかった。そんなことも分からない私には、悲しむ資格すら無い。だから、この胸に満ちる喪失感には無視を決め込む。
 やけに、辺りが静かになっていた。

「うふふふふっ」
 その静けさを裂くように、反響音以上に怖気の走る笑い声が、さとりの唇から零れる。
 恐ろしく高い知性を有した瞳が、私を映す。観察ならまだしも、その目付きの種類は、鑑賞と言った方が適切だ。
「ええ、まあまあな反応ですね。貴方は意気地なしのことが嫌いですもんね。こうなると、思ってましたよ?」
「……そうかよ」
 目の奥の方が暗くなって、後ろ向きに倒れてしまいそう。
 絶望感、というやつなんだろうか。
「……ああ、いや、酷いよ、それは」
 私は、なんて馬鹿なことを期待していたのか。
 なんだかんだ言いつつ、これは彼女なりの罪滅ぼしなんじゃないか、などと。
 全然、違った。
「妹探しなんて、思えば最初から無謀でしたね。やっぱり、こいしだけは特別です」
 ここのサトリは知性の薄い獣のようなもので、唯一感じられる知的な部分は、卑しさに集約されていた。
 サトリは、古明地さとりとは似ても似つかない。
 彼らは美しい少女ではなく、薄汚れた野猿でしかなかった。いくら探しても、可愛らしい妹など見付かるまい。
「それでも、世話だけは続けても良いだろうに」
「おや? 貴方は私に善意を期待するほど、おめでたい頭をしていましたっけ?」
 ごもっともだ。
「確かに世話はしていましたけど、貴方との娯楽ために消費するなら惜しくはないですよ。私だって、いい加減うんざりなんですよね。むしろ、これまでよく生かしてやった方では?」
「最低だよ、あんた」
「よく言われます」
 私の罵倒に答えて、さとりは嫣然とした笑みを散らす。
 何を言っても無駄なのは分かっていた。無駄だと分かっていながら、このまま引き下がることはできそうになかった。

 雪が、ちらちらと舞っていた。
 一切の反響音が消えて、耳に痛い程の無音が、空気を満たしている。
 サトリ達は姿を消した。逃げていてくれ、と願う。弱い妖怪は、精神的に強烈な打撃を受けただけで消滅してしまうということも有り得た。しかしどちらにしても、さとりは二度と集落を訪れず、物資を運ぶ者はいなくなる。それは集落の消滅を意味するのだから、無駄な感傷だった。
 私はもう二度と、彼らに慈悲らしきものを向けられない。胸に残った事実は、たったそれだけ。私はそれを悲しんでいるし、一度でも手を出した責任を取り切れないことを情けないと思っているが、悪いことだとは少しも思っていなかったのだ。
 猿共の卑屈な態度に、虫酸が走る。鬼として感じた苛立ちが最優先で、鬼として行動するしかなかった自分に対する苛立ちと殺意すら、二の次になった。そして、それを二の次にしてしまう自分に対してすら腹が立つ。
 複雑に入り組んだ怒りが、総身を蹂躙して苛むかのようだった。歯を食い縛り、深呼吸を繰り返す。どうにかして怒りを収めなければ、何を壊してしまうか、自分でも分からない。
「ねえ、さとり」
「何でしょうか? 貴方が口に出した質問にだけ、お答えしましょう」

 古明地さとりの性格は、控え目に言って、最悪だ。
 私はその事を、十分に承知していた。

「楽しかったか?」
「ええ、そこそこ」
 どかどかと大きい足音を立てて、さとりに歩み寄った。
 大股でわずか数歩の間に、呼吸を落ち着ける。しかしそれでも、半ば衝動的に胸倉を掴んで、華奢な体躯を外縁の壁に叩き付けていた。
 首を締め上げ、問い質す。
「何が、楽しかったって言うんだ?」
 言いたい事、言うべき事は他にもあった。
 さとりは、集落の処分を私に求めたわけではない。もう要らないなら放っておけば良いだけだ。なのに何故、私を連れてきたのか。私が猿を殺してしまう場面でも見たかったと言うのか。
 それは無い。
 さとりは、そんな単純なものを楽しまない。つまらないと呆れるだろう。
 そう断言できた。さとりの性格が悪いことは分かっている。どういう風に悪いのかについても、おおよその理解があった。
 猿では、娯楽にはならない。なのに何故、さとりは微笑を絶やさないのか。
「私は性格が悪いので、誰かの苦しんでいる様を眺めるのは、とても愉快です」
「知ってるよ」
 さとりは悪趣味だ。だが彼女は、矮小でつまらない者の苦しみを面白いとは思わないだろう。それに、さとりは最悪だが、誰かの弱さ故の無様を笑ったりするような奴でもない。
「獣の心は単純です。それは、獣以外でも、同様ですね。獣性に、欲望に従って行動する者の心は、素直ですが単純です。ましてやそれが矮小なものならば、見るに堪えない。この辺りの感想は、卑しさを嫌う貴方と似ていますね。臆病、卑怯、矮小、そんなものを鑑賞しても、嘲笑はできても微笑はできない」
 しかし実際には、さとりは微笑んでいた。
 さとりを殴ろうとして、どうしても、できなかった。
 代わりに、彼女の背後の壁に拳を振り下ろす。それでも尚も荒い呼吸は収まらず、固く握り締めた拳は鬱血して震えていた。
「あ、壁ドンってやつですね」
 パラパラと、砕けた壁の破片が零れ落ちていく。
 与太話に興味は無かった。唇と噛み締めて睨み付けていると、さとりは平然と澄ました顔で首を傾げた。
「か弱い少女のことは殴れませんか?」
「……そんなんじゃねぇよ」
 普段は抑えている乱暴な言葉遣いで吐き捨てる。
「では、どうして?」
 さとりは、何もかもを見透かした上で、きょとんと可愛らしい仕草で、今度は逆の方向に小首を傾げた。
「だって、そうだろう? どうして、私が貴方を責められる?」
 腹の底からは滾々と怒りが沸き上がってくる。行き場を無くした怒りと拳は、自分の体に向いた。何度も自分の胴体に拳を殴り付ける姿は、気でも狂ったのかと思われてもおかしくはない。本当にもう、頭の中がどうにかなりそうだった。
 自分で自分を傷付けながら、その認め難い事実を認める。

 ──さとりの方が、圧倒的に可愛い。

「……強い奴のことは、好きだからね」
 さとりは私の告白に耳を傾けながら、私のことを、上目遣いに睥睨している。
 その視線には、紛れも無い、驕慢な女王の嗜虐性が滲んでいる。その姿は、臆病とも卑屈とも程遠く、ただただ、愉快そうにしているだけだ。何か面白いものを見ている目だ。
 私はその笑顔を、中々どうして悪くないと思ってしまうのだ。
 私は、鬼だ。この身は善なるものとも明るい正しさとも無縁で、自分の流儀こそが最優先。そして困ったことに、私の流儀に照らし合わせるのなら、古明地さとりは好ましいのだ。女主人とは、このように美しく微笑んでいるべきだ。
「誰が何と言おうと、私は自分の性格を直すつもりはありませんよ? それでも、貴方は私のことを殴らないんですか?」
 自分の娯楽のために、誰かが苦しんでいても良いと言う。それは紛れも無い、悪だ。愛と正義の使者ならば説教の一つでもしてくれると信じているが、生憎と、ロクでなしの鬼はそれで良いと思っていた。それでこそだ、と。誰かに何か言われたくらいで自分を曲げるような奴のことは、好きにはなれない。
 絶対的なものは、自我であり、己だ。それが私の認識だ。他者を慮ることはしようとも、それでもある一線で己のエゴを絶対としている限り、その一点においてだけは、さとりも私も同類だった。同じ、旧都に住まう者だ。
「最低だよ、貴方も、私も」
 枯れそうな声で呟いた。
 私は、弱いものよりも、強いものの方が好きだ。強いものは好ましい。弱いものは好ましくない。そこに、善悪なんて価値基準は、一切の関係が無い。
 だから当然、外道だが美しい女主人のことを、卑しい猿よりも好ましいと思ってしまう。思ってしまうことに、引け目も感じない。私は胸を張って、さとりのことが好きだと言える。たとえ、胸を掻き毟りたくなるほど、この事実が認め難いとしても。
 さとりのことを美しいと思う私は最低でも、それは別に、卑屈になるようなことじゃない。悪いことをして悪いと思わないことは、最悪に輪を掛けて最悪だろう。もはやどうしようもなく救い難い程に、私という存在は鬼だった。

 どうして、こんな風に考えている私が、大して好きでもなかったサトリの少女のために、さとりのことを責められるんだ?

 さとりを殴るだけなら、好きにすれば良い。殴れば、さとりはそれなりに不快な思いをするだろう。それだけだが、それだけでも十分だとも言える。でも、あの子のために怒ってはいけない。こんな私には、義憤を発するその資格だけは、どうしても無いのだ。鬼の私は、卑屈なもののために怒ってはならない。たとえ、どれだけ腹の底が煮え立つようでも。

「何が楽しいのか、という質問でしたね。もちろん、貴方ですよ。今日はずっと、貴方のことだけを見つめていました」
 陶然と、甘く蕩けるような囁き。
 さとりは、私のことを見て、微笑んでいた。
 私を見て微笑むということは、つまり、私が面白いということで。恋の告白にも似ていて、忌まわしい予言にも似た言葉だった。
「私も貴方と同じです。私も、弱い心より、強い心の方が、好きなんです」
 否定は、できない。さとりの嗜好も、非難できない。
 弱いものよりも、強いものの方が好ましい。それは私の価値観の、絶対的な大原則だ。
「貴方は自分に正直ですね。正直過ぎるくらいです。少しも、自分を誤魔化そうなんて思わない」
 当然だ。私は嘘が嫌いだし、自分を誤魔化す嘘なんて、虚弱で卑怯で、私が最も嫌いなものだ。自分らしく正しくあることが、私を支える誇りだった。
「実直なくせに、素直ではない。真っ直ぐなのに、自分で決めたことに雁字搦めになっていて、もう滅茶苦茶。怒りたいなら、怒れば良いのに」
「……それは、できないんだよ」
 地上の誰もが信じる愛と正義に背を向けて、旧地獄の生活を謳歌するこの身は、せめて、自分で決めた鬼の流儀くらいは守らなければならない。自由には責任が伴うという、ひどく簡単な理屈だった。
「そんなに、今にも泣き出してしまいそうな顔をしているのに?」
 そうか、私は泣きそうな顔をしているのか。
 他人事のように、そう思った。
「辛いですよね。それでも貴方は、己を曲げないのですね」
 吐息のような甘い声が、白く尾を引いた。
 さとりの身長は私の胸の高さにも満たない。小柄な彼女は、精一杯に爪先立ちで背伸びをして、逆に私の首を絡め取った。まるで恋人同士がそうするように仲睦まじく、さとりは私の顔を引き寄せる。
「まあ、ね」
 この期に及んでも、私は今日の出来事をやり直したいとは思わない。もしも次に同じような目に遭うとしても、私はまた同じように行動して、同じように馬鹿を見るだろう。また今度、別の件に誘われるとしても、私はさとりに付き合うだろう。まったくもって度し難いにも程がある。萃香あたりなら、こんな私のことでも、相変わらず馬鹿だなと笑い飛ばしてくれるだろうか。
 さとりは、笑い飛ばしてはくれなかった。優しく受け入れるように、冷たい小さな手が頬に触れる。涙の跡でも撫でるように、指先が頬を這った。
「心と行動の乖離。そして、心と心の乖離。大切にしたいことがあって、悩んで、苦しんで、それでも自分で正解と思えるものを選んだのに、その選択に胸を掻き毟りたくなるような後悔。そういう、言ってしまえば面倒臭い心の動きの方が、見ていて面白いんですよ。そして本当に面白いのは、苦しんでいても折れない、強い心です」
 そう言うさとりは、本当に楽しそうにしていた。
 さとりは私のことを面白がって、笑っている。

「貴方のことが、大好きです」

 古明地さとりの性格は、控え目に言って、最悪だ。
 だが彼女は、誰かの弱さを嘲笑することよりも、強さを見て面白がることを好んでいる。
 ロクでもないことに、私はそんな彼女のことを、嫌いではなかったのだ。


 外道可愛い系ヒロインと、真っ直ぐな性格の主人公。この組み合わせが好きなのです。
珈琲味のお湯
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コメント



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1.80名前が無い程度の能力削除
変わった組み合わせだったような、割りと見るような
ともあれ面白かったです
4.80名前が無い程度の能力削除
メッセージ性が強いなあという印象でした
決して悪くはなかったです
6.100名前が無い程度の能力削除
まあ弱者をいたぶらないと精神の安定がはかれない&弱者をだしにしないと強者と対等になれない卑怯なさとり可愛い
なんだかんだでサトリが懐いてくれることも少しは期待してたんだろうね
7.100名前が無い程度の能力削除
お湯さんの作品って私を理解してくれ!くれ!くれ!本当の私を見て!見て!見て!もっと見てちょーだい!ってキャラがよくでますよね
そういうキャラが共通してダーティーぶってるのがなんだか面白いです