Coolier - 新生・東方創想話

庇を貸して母屋を取られる

2017/11/10 22:41:07
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 季節外れ、いや、季節どおりの桜に囲まれた博麗神社。その軒下で、霊夢は手に持った半分の饅頭を口に放り込んで咀嚼すると、お茶を一口飲んで静かに息を吐く。
「庇を貸して母屋を取られる、という言葉を知ってるかしら」
「えーっと、恩を仇で返される、ってことでしたっけ」
 そして、隣に座るあうんにそう問い掛けた。聞かれたあうんは白く丸い饅頭を手で半分よりやや小さく千切りながら答えた後、それを口に運ぶ。
「そうね。それと、少し貸したつもりが全部取られちゃった、なんて意味もあるわ」
「……んむ、物騒ですねぇ。あ、でも、そんな侵略者じみた奴は私が追い払うのでお気になさらずー」
 あうんは口内の饅頭を飲み下すと呑気に笑い、残りもぱくりと一口で食べる。そんなあうんの様子に霊夢は、はあ、と溜め息をついて、持ったままだったお茶をあうんとの間に置かれたお盆の上に置く。
「私はあんたのことを言ってるのよ」
「んー、わふぁふぃ? ……ん、ひどーい」
「あんた、一昨日はどこで見張ってたっけ?」
 新たな問いにあうんは顎に手を当てて「んー」と記憶を辿ると、鳥居を指差した。
「えーっと、確か鳥居の近くでしたね」
「昨日は?」
「あの辺りですね」
 続けて、鳥居より手前を指差す。ちょうど神社と鳥居の中ほどの辺りだ。
「しかも、リリーと遊んでたわね」
「遊んでましたね」
「……で、今日は?」
「ここですけど」
「どんどん神社に近づいてるじゃない!」
 霊夢は足元を指すあうんの鼻先に向かって人差し指を突きつける。しかし、あうんは慌てもたじろぎもせずに、視線を斜め上にずらして空を覗く。
 厚い雲に覆われて鈍色に染まった空には、昼過ぎだというのに太陽の姿すら見えない。それは、今日という日が始まってから、何も変わらない光景だった。
「だって、朝からずーっとこんな曇り空なんですよ。今にも雨が降りそうですし、縁側に居るくらいは許してくださいよぅ。それに、私の分のおやつも出してくれるし、ここに居てもいいのかなって」
 あうんはお盆の上に乗った、空になった皿を持って屈託のない笑顔で言う。小さい白い欠片が僅かに残ったそれは、さっきまで二人が食べていた饅頭が乗っていた物だ。
 霊夢曰く、昼前に行った里への買い出し中におまけとして貰った物で、それがそのまま今日のおやつとなっていた。
「タダで頂いた物だし、たまたま気が向いたから分けてあげただけよ」
「でも、私が最初遠慮した時に『お茶も用意したし、無駄になるから食べちゃいなさい』って」
「多めに淹れちゃったから、それならってだけ」
 不機嫌そうにそっぽを向く霊夢。一方、あうんは霊夢に向けた笑顔を崩さない。
「やっぱり霊夢さんはなんだかんだ言って優しいですねー」
「……私はいつでも優しいんだから、なんだかんだは余計よっ」
「あうっ」
 霊夢は抗議の声を上げると共に、あうんの額を軽くぺしんと叩く。あうんは痛くもないのに大げさに仰け反って、縁側にばたりと倒れ込む。
 その瞬間、あうんが倒れることを合図にしたかのように地面を叩く小さな音が鳴った。その音は次第に数が増え、大きくなり、神社中を包む。
「……はぁ、本当に降って来たわね。強くなりそうだし、戸締りするからあんたも手伝いなさい。それにしても、頭冷やせって言われてるようで何だか癪ねぇ……」
 あうんにそう呼び掛けると霊夢はお盆を脇にどけて立ち上がり、ぶつくさ言いながら雨戸に手を掛ける。だが、あうんは寝転んだ姿勢で境内を睨んだまま、動かなかった。
「どうしたのよ? あ、さっき言ったこと気にしてるの? ……別に今日は構いやしないから、早く……」
 神社に近づいてることを咎めたからかと思い、霊夢は前言を撤回する。しかし、霊夢が言い切る前にあうんは急に体を起こすと、外に向かって駆け出した。
「あっ、ちょっと!」
「霊夢さんは中で待ってて下さーい。出来るだけ早く戻りますのでー」
「戻るんなら、玄関の方から来なさいよー! 他は閉じちゃうからねー!」
 雨の中、境内の桜の林へ駆けて行くあうんに、霊夢は雨にも負けないように声を張る。それにあうんは一度足を止めて振り返ると手をぶんぶんと振り、また林の方へ走って行った。



 霊夢は玄関の式台にタオルを五枚程用意してその傍らに腰掛け、開けたままの戸から先程よりも勢いが増した雨を見ながら、あうんを待っていた。頭の中で「早く来ないと閉めちゃうわよ」なんて唱えながら、戸の近くまで歩いて外を覗いてまた戻る。
 それを三回繰り返し、四回目の外を覗く所作をした際、こちらへ走って来る人影が二つ見えた。片方は大きく、もう片方は小さい。大きい方はあうんなのだろうが、小さい方は誰か分からない。一体誰か、その答えを導き出す前に、正解は霊夢の元にやって来た。
「お待たせしましたー」
「お邪魔しますー……」
 かたや雨に濡れたことなど気にしていないような明るい笑顔で、かたや雨に降られて憔悴した顔で、二つの人影は雨から隔たれた空間への敷居を跨ぐ。一人は先の予想どおりあうんだったが、もう一人の方も、霊夢のよく見知った者だった。
「リリーじゃない。あーあ、こんなに濡れて。酷い有様ねえ」 
「霊夢さん、その、いきなりこんな姿で来てしまって、ごめんなさい……」
「そんなのはいいから。ほら、これで拭きなさい。あうんも」
 服や髪からぽたぽたと水滴を落としながら頭を下げるリリーに、霊夢はタオルを押し付けるように渡して、次いであうんにも渡す。リリーはおずおずと、あうんは大きく礼を言いつつそれを受け取り、揃って顔を拭いた。
「成程、さっき出て行ったのは、雨に降られたリリーを助けに行ってたってわけね。まあ、詳しくは後で聞くから、まずは二人共、お風呂に入って温まって来なさい。もう沸かしてあるから、すぐに入れるわ」
 霊夢は玄関の戸を締めながら、あうん達に風呂に入るように促した。
 すると、わしゃわしゃと荒っぽく頭を拭いていたあうんは、え、と驚愕と嬉しさを混ぜたような上ずった声を上げた。
「わざわざ用意してくれてたんですか?」
「傘も持たずに飛び出したんだから、濡れて帰ってくるのなんて分かってるもの。えーっと、場所は……あうん、あんた知ってるでしょ? ほら、二人共行った行った」
「あ、あの、私もいいんですか?」
 自分を置いて進む話に、リリーは遠慮がちに口を挟む。但し、それは断りを入れる為ではなく、本当にいいのかという内容だった。聞かれた霊夢は、一瞬きょとんとした顔をした後、呆れつつ口元を緩めた。
「いいのよ。一人だろうと二人だろうと変わんないわ。それじゃ、私はあんたたちが着れそうな服でも探してくるから」
 霊夢はそう言い残すと、衣装箪笥のある部屋へ歩いて行く。その姿が玄関の土間から見える視界から消えると、あうんは、あははと頬を掻いた。
「お風呂まで借りちゃった。これはいよいよ気にした方がいいかなぁ」
「借りるの、駄目だったんですか?」
「え? あー……、えっーと……」
 あうんの言葉の意図が掴めず首を傾げるリリーに、あうんは斜め上に視線を逸らしながら苦笑する。霊夢本人はもう構わないと言っていたし、元々そこまで本気の叱責ではないのは分かっていたけど、恰好いい所を見せた後にあの話はちょっと恥ずかしかった。
「あ、そうだ」
 しかし、あることを閃き、苦みの取れた顔をリリーに向ける。
「お風呂で教えてあげますね。だから、早く温まりに行きましょうか」
 そして、リリーの手を取ると、共に風呂場へと駆け出した。



 あうんとリリーが湯船に浸かり冷えた体を温めながら話をしていると、二人の着替えの準備を終えた霊夢が遅れて風呂場に入って来た。
「境内の桜の傍でうとうとしてたらこの有様と。確かにこの雨じゃ木の下でもびしょ濡れよね。災難だったわね」
「どうしようかと思ってたら、あうんさんが来てくれて」
「声がした気がしたんです。多分、リリーさんかなって」
 そして、今は洗い場で体を洗う霊夢に、あうんとリリーが当時のことを話していた。
 四季異変以来未だ春のままの神社で、リリーが境内をふわふわと飛んでいたり、あうんと遊んだりしていたのは霊夢も何度も見ていた。雨が降る前にあうんが言っていたように、昨日もそうだった。しかし、今日は姿が見えなかったのでどこか別の場所で妖精達と遊んでいるのだろうと思っていたが、実際は林の奥まった所で居眠りしていたらしい。そして、突然雨に降られて上げた驚きの声が、あうんが聞いた声だったとのことだ。
「あんた、いかにも鼻が利きそうだけど、耳も利くのねぇ」
「勿論鼻も利きますよ! うーん、石鹸とシャンプーのいい匂いがしますー」
「……それじゃあ、私やリリーと変わんないわよ」
 そんなことを話しているうちに体を一通り洗い終えた霊夢はあうん達と入れ替わり、二人はそのまま風呂から上がった。二人の着替えとして脱衣所に用意されていたのは寝間着用の襦袢であり、それを着たリリーはお泊りみたいだと楽しそうにしていた。
 そのことを風呂から上がった霊夢にあうんが言うと、「え? 泊まってくのかと思ってたけど、帰るつもりだったの?」と驚いていた。霊夢は元々そのつもりだったらしく、それならばと二人共好意に甘えることにした。
 その後、三人で役割分担をして作った晩御飯を食べ、片付けも終えてからは多少弱まった雨音を背景に駄弁り、いつだったかは出来なかった花札をした。そうこうしている間に夜は更け、リリーが大きな欠伸をしたところで今日はお開きにして、就寝することになった。
「それじゃ、消すわよー」
「はーい」
「お休みなさいですー……」
 明かりを落とした寝間には、妖精、巫女、狛犬というなんとも珍しい川の字が出来上がっていた。
 眠そうにしていたリリーは早々に寝てしまい、その数十分後、次は霊夢が寝息を立て始める。最後に残ったあうんは、今日のことを思い出しながら、一人小さく呟いた。
「寝床も借りちゃいましたし、頑張らないといけませんね。さて、私もそろそろ寝ないと」
 眠る二人の静かな呼吸音を聞きながら、あうんは眼を閉じる。だが、すぐに開けると、霊夢達の掛布団を綺麗に直してから、改めて瞳を閉じた。



「ん……」
 霊夢は小さな寝起きの声と共に目を覚ました。外側に面した戸のガラス部から差し込む柔らかな陽の光を感じながら、しばし天井をぼうっと見上げた後、首だけを動かして左を見て、右を見る。どちらの布団も畳まれて部屋の隅に寄せてあり、二人共既に起きた後のようだった。
 のそのそと布団を出て服を着替え、布団を畳んでから縁側に出ると、予想どおりの快晴だった。昨日の雨が嘘のようだ。
 何気なく境内の方に目をやると、箒を持って掃除をしている、紅白の巫女服に身を包んだ春告精の姿があった。普段の自分の装いと違うところといえば、後頭部に付ける大きな赤いリボンが、頭の向かって右側面に付いていることくらいか。全体的に服の丈が少し合っていないが、まるで背伸びをしたがる妹が姉の服を着ているようだった。
「……リリー? 何でそんな恰好……」
 霊夢が寝起きの回らない頭で思考を巡らせながら眺めていると、リリーも霊夢に気付いたらしく、掃除を中断し縁側の方にぱたぱたと駆けて来た。
「おはようございます。お昼ですよー」
「……おはよう。……お昼?」
「はい。まだ一応午前ですけども」
 リリーの挨拶をオウム返しする霊夢。そのままにこにこ笑うリリーの顔を見ていると、台所に繋がる方の廊下から、こちらへ向かって歩く足音が聞こえた。
「あ、霊夢さん、起きたんですねー。そろそろ起こさないといけないかなって思ってたところだったんですよ」
 声の主は、やはりあうんだった。服は昨日貸した襦袢の上に割烹着を着用した出で立ちで、台所で食事の準備をしていたのだろうなと、多少回り始めた頭で霊夢は予想する。
「さっき、起きたばかりだけどね」
「そうでしたか。起きて早々、もうすぐお昼ご飯ですけど、入りますか?」
「あー、うん。食べる」
 しかし、霊夢はそのことを確認することもなく、あうんの質問に頷きを返す。それにあうんは笑顔で返事をするとリリーにもそろそろお昼だと改めて伝え、また台所の方へ戻って行く。
 霊夢はその後ろ姿と揺れる尻尾を見送りながら、まずは顔でも洗おうかななどと考える。すると、台所の方から漂う、魚を焼く香ばしい匂いに気付いてお腹が小さく鳴ってしまい、リリーに聞かれないように慌ててお腹を押さえたのだった。



 それから程無くして、昼食の時間となった。当然のようにあうんもリリーも同席していたが、霊夢は何も言わず、三人で食卓を囲っていた。
「それにしても、なんでリリーがこんな恰好してるのよ?」
「私は屋内仕事でしたからこれでも構いませんけど、リリーさんは外でしたから。流石にあのままはちょっと」
「でも、巫女服以外も一応あったでしょ?」
「そりゃ、ありましたけど、やっぱり神社でのお仕事ならこの服ですよ。それに」
 あうんが左斜め前に座るリリーの方を見たのに釣られ、霊夢もリリーを見る。焼き魚の骨取りに勤しんでいたリリーは二人の視線に気付くと、首を傾げた。
「どうかしましたかー?」
「いえ、リリーさん、その服お似合いですよ。ね、霊夢さん」
「……わざわざリボンとかまで用意する必要あったの?」
「どうせ着るなら、ちゃんと着せてあげたいじゃないですかー。それに、リリーさんも着てみたいって」
「……まあいいわ。で、私が寝てる間に掃除をしてたと。ありがとね、リリー」
 霊夢が礼を言うと、ちょうど骨を取り終わったリリーは「いえいえー」と笑い、魚の身とご飯を共に食べる。
「霊夢さん霊夢さん、お昼は私が作ったんですよ?」
「はいはい、ありがとありがと」
 あうんの催促を霊夢は軽くあしらうと、味噌汁を啜る。しかし、そんな投げやりな謝辞でもとても嬉しそうにするあうんの笑顔がなんだか照れ臭くて、すぐに別の話題を振る。
「それにしても、昼前まで寝ちゃうとは思わなかったわ。洗濯とかもあっただろうし、起こしても良かったのに」
「霊夢さんは最近異変のことでお疲れだから、寝かせてあげて下さいって、あうんさんが」
「一応、異変の大本はどうにかしたと言ってましたけど、霊夢さんはここの所忙しそうでしたので、今日くらいはと。それに、元々今日はお休みだったみたいですし」
 あうんの言うとおり、既に四季異変の元凶ともいえる存在は叩いた。しかし、だからといってこれ以上何も起こらないとは限らないので、ここ最近は幻想郷中をあちこち飛び回って、季節の狂っている場所を改めて確認していた。そして、その作業はちょうど昨日の午前に終わったところだった。
「それに、お洗濯なら私達がしておきましたので、ご安心を」
「バッチリですよー」
「……ふーん……」
 話を逸らしたつもりが、自分への二人の気遣いをありありと知る結果となってしまい、さっきよりもずっと照れ臭い。
 それを流し込むように、霊夢はさっき啜ったばかりの味噌汁をまた一口啜った。



 昼食を終えた後、あうんは乾いたばかりの自前の服に着替えると、「入口近くの見回りに行って来ます」と言って神社の階段を軽い足取りで降りて行った。霊夢とリリーはあうんを見送った後、リリーは雨に降られた桜が気になるからと、参道近くの桜の周りをふわふわと飛びながら様子を見回り、霊夢は縁側に腰を下ろしてそんなリリーを観察していた。
 桜の花びらと共に舞う春告精という光景は、異変解決に乗り出す前はよく目にしたものだが、最近忙しかったせいか何だか懐かしく感じた。勿論、その時は今のような巫女服の春告精などではなかったが。
 そうしてのんびりと過ごしていると、一通り桜を見終えたのかリリーが霊夢の前まで嬉しげに駆けて来る。
「皆さん雨にも負けず元気そうですよー」
「そう。それは良かったわ。ま、あんたが傍まで行けば、どんな桜も元気になるだろうけど」
 霊夢がリリーの報告に言葉を返し終わったその瞬間、ざあっと桜の枝葉が一斉に揺れた。
「ひゃっ」
「お、っと」
 強い風が、神社中を吹き流す。それと同時に桃色の欠片が風に乗って舞い、ひらひらと落ちる。
「まるで春一番ですねー」
「今年の春は長いし、春七番くらいかしら」
「かもですねー」
「……リリー、ここに座って待ってなさい」
 くすくすと笑うリリーに霊夢はそう言い残すと、居間の方へ歩いて行く。リリーは不思議そうに首を傾げた後、言われたとおりに縁側に座って霊夢の帰りを待つことにした。



「ただいま戻りましたー。……あー!」
 見回りから帰ってきたあうんは、縁側に座る霊夢達の姿を認めると、大きな声を上げて二人の元へ走り出す。
 あうんが見た光景。それは、リリーの長い金髪を後ろに座った霊夢が櫛で梳いている姿だった。
「いいなー。どういう風の吹き回しですか?」
「春七番の吹き回しですよー」
「春、七番?」
「さっき、ちょっと強い風が吹いてね。それでリリーの髪が乱れちゃったから」
 楽しげなリリーの言葉にあうんは疑問符を浮かべる。そんなあうんに霊夢は説明しながらも櫛を通す手は止めず、リリーの髪を梳く。
「でも、始めたら何だかだらだらやっちゃってたのよね。……ま、こんなもんかしら」
 リリーの細く長い金糸のような髪を一通り整え終わると、霊夢はリリーの頭に、櫛を入れる前に外したリボンを結び直す。リリーは梳いてもらった髪に自らの指を通すと、感嘆の声を上げた。
「ありがとうございますー。じゃあ、次は私が霊夢さんの髪を……」
「私? 私はしなくてもいいわよ」
 張り切るリリーの提案を、霊夢は手をひらひらと振ってあっさりと断ってしまう。言ったリリーも傍らのあうんも、霊夢のあまりにもバッサリとした断りに一瞬固まってしまった。
「……え、あの、駄目ですか?」
「いや、駄目じゃないけど、面倒でしょ」
「面倒なんかじゃありませんので、だから……」
「そうですよ霊夢さん。やって貰いましょうよぅ」
 霊夢とリリーの問答にあうんも混じり、霊夢にやって貰えと催促する。
 すると、霊夢は訝しげな顔で二人の顔をじっと見る。巫女の直感が、何かあるのではと告げていた。
「二人して言うなんて、随分強情ね……」
「だって、恩返しが……」
 リリーはそう言った後、あ、と口を噤む。しかし、目の前の霊夢がそれを聞き逃すはずもなく。
「恩返し?」
「えっと、その……」
「あはは……」
 追及されたリリーは気まずそうにあうんの方に視線を送る。向けられたあうんは、苦笑いしつつ、頬を掻いた。



「つまり、私が庇を貸して母屋を取られるって言ったから、借りた分を返すべく、仇なんかではなくちゃんと恩で返そうと」
 あうんが言うには、雨が降る前のやり取りのことをリリーに話し、恩義が有る者同士二人で恩返しをしようと、二人で風呂に入っている間に結託していたらしい。
「はい」
「私も、あうんさんと霊夢さんに恩返しがしたくて……」
「だから、あうんの考えに協力してたって訳ね。でも、それなら別にこそこそする必要はなかったんじゃないの?」
「気付かれないようにするのが、恩返しですから」
 霊夢がそう言うと、二人は同時に声を重ねて反論する。あうんが入れ知恵した言葉なのだろうなと、霊夢は口角を僅かに上げて笑う。
「まあ確かに、恩ってのは返しますって言って返すものじゃないかもしれないけどねえ。……リリー、手、出して」
 言われたリリーは素直に手を出すと、その手の上に霊夢は持っていた櫛を置いた。しばしきょとんとするリリーだったが、もしかしてと思い霊夢の顔を見る。
「してくれるんでしょ? お願いするわ」
「はい!」
 そして、その考えが間違っていなかったことが分かると嬉しそうに返事をした。
 そんな二人を、あうんは柔和な笑みを浮かべて見守っていた。しかし、霊夢はその優しい表情に、別の感情が混じっていることに気付く。
「……リリー、ちょっと待って」
 霊夢は再びリリーにそう言い残して立ち上がると、また居間の方へ歩いて行った。



 二人のところへ戻ってきた霊夢は、リリーに渡した物よりも少し小さい櫛を持っていた。そして、リリーの前に座り直すと、あうんに自分の前に座る様に促す。あうんはそれだけで何をしてもらえるかを察し、照れつつも尻尾を揺らしながら応じた。
 三人が縁側に並んで座り、リリーは霊夢の、霊夢はあうんの髪を梳く。
「分かってたけど、あんた物凄いくせ毛ねえ」
 霊夢はあうんの前髪を指先で摘まんで、上に少し伸ばしてから離す。すると、髪はすぐに元通りの巻き毛になってしまう。これは櫛でどうにかなるものではなさそうだとぼやきながら櫛を通すが、あうんは気持ちいいから構わないとご機嫌だった。
「霊夢さん、この後は何かして欲しいこととかありますか?」
 もう隠さなくなったあうんの新たな恩返しの種に、霊夢は少し考えてから口を開く。
「そうねえ、それじゃ三人分のお茶でも淹れて貰おうかしら。昨日買ったお饅頭の残りが戸棚にあるから、それも一緒に出してね」
「いいですねー……?」
 霊夢の魅力的な提案にあうんは昨日の饅頭の味を思い出しながら同調するが、それと同時に引っかかりを覚えて、違和感の元の言葉を聞き返す。
「買った?」
「……違う。貰った」
 すると、霊夢は櫛を動かす手を一瞬止めて言い直し、また再開する。
「あれ? 霊夢さん、耳が赤くなってますけど、どうかしましたか?」
 だが、霊夢の後ろに構えて髪を梳いていたリリーの発言に、再び櫛を持つ手が止まった。
 リリーが昨日あうんから聞いたことは、庇に関する話だけ。なので、饅頭の出所どころかそんな物があったことも知らぬリリーには何気ない質問だったのだが、結果的にはあうんが記憶違いをしていたわけではないということを証明する追及になってしまった。 
「……く、ふ、ふふふ、やっぱり霊夢さんは、いつでも優しいんですね」
 笑い声を抑えつつあうんがそう言うと、それを合図にしたかのように、心地良い風が神社を駆け抜ける。霊夢はその風に頭を冷やせと言われているように感じたが、真っ赤な耳すら冷めることはなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
奈伎良柳
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コメント



0.230簡易評価
2.60名前が無い程度の能力削除
これはいい霊夢
3.100南条削除
面白かったです
雨上がりのお泊り会が可愛らしく、容赦なく見せつけられる霊夢の優しさが素晴らしかったです
自分より幼い子がいるとお姉さんになっちゃうタイプなんでしょうね
5.80奇声を発する程度の能力削除
良いですね、面白かったです
7.70もなじろう削除
これほどまでに善人な霊夢は初めて見ました
新鮮で良かったです
11.80名前が無い程度の能力削除
ゆるい雰囲気に、思わずクスリとくるお話でした。こういう何にも起きない内容も良いですね