Coolier - 新生・東方創想話

霧雨魔理沙と魔法の箒

2017/10/16 07:09:44
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 時は深夜、幻想郷の空は夜の闇に覆われ、それに抗うかのように輝く満月の光が、地表を青く静かに照らしていた。
 人々は皆眠り、里の家からこぼれる灯りは一つとしてみる事ができない。それはまるで、里そのものが眠っている様だった。
 人間が夜眠るように、妖怪達もまた夜は眠りに就く。
 人と共存する妖怪、人を襲う妖怪、そのどちらであれ、人間が居ない夜は妖怪にとって退屈なものだ。そんな退屈な夜に活動する妖怪は今やもう少なく、妖怪達が住む山もまた、退屈そうに静まり返えっているのだった。
 だが、そんな退屈な夜に出歩き、心躍らせている人間が一人だけ居た。その人間は今、箒に跨って里の真上の高い所をゆっくりと飛んでいた。

「もう里の人間は寝静まってるな」

 そう発した人間の声は女性のものであり、十代半ば程か、まだ若い印象を受ける声だった。その姿は上から下まで黒を基調とした衣服を身に纏い、腰からは白いエプロンを着けていて、頭には内側にフリルの付いた大きなつばを持つ立派な三角帽子をかぶっている。
 その出で立ちを見れば、彼女が魔法使いの類であるという事を察するのは誰にでも容易だろう。
 彼女の名前は霧雨魔理沙。カールのかかった長い金髪を風に揺らしながら、冷たい月の光を浴びて飛んでいる姿がよく似合っていた。

「山の方にも…… 人影なし。よし、頼むぜ相棒」

 そう言って魔理沙は自分が今跨っている箒の柄を指で軽く叩く。
 小気味良く鳴った音は硬く締まった音で、とても丈夫な木材があしらわれているのが判る。形状は真っ直ぐではなく、所々しなやかに湾曲していて、跨った時に楽な体勢が取れるように工夫されていた。先端には前方のみを明るく照らすランタンが、風や振動でグラつかないよう頑丈に取り付けられている。
 反対に根元の部分からは、長く伸びた口ひげの様な形をした金具が、穂先に向かってやや下斜めの角度で取り付けられていて、魔理沙はそこに足首を引っ掛けて飛んでいた。

「ワクワクするぜ、お前と出会ったあの時ぐらいにな」

 そう言って、魔理沙はゆっくりと目を閉じる。
 この箒と出会ったのは二ヶ月前の事だった。




 ある日の朝、魔理沙は毎日の日課である森の散策に出かけた。 
 森の美しい景色を眺めながら、燃料になりそうな木の枝や甘い木の実、魔法の材料となるキノコを拾っては手に提げていたカゴの中へと入れていく。
 森の中にある家で暮らす魔理沙は、そうやって生活に必要な物のほとんどを森の中でそろえていた。
 そうやっているとふと、視界の隅に見慣れない物を見つける。
 道の辺に立つ木の根元に転がっていたそれは、まるで狐の尻尾の様な形と色をしている箒の穂先と、それと本来は繋がっているはずの、今は根本から真っ二つに折れてしまっている箒の柄だった。
 始めはただのガラクタのように見えたそれらだったが、本来真っ直ぐであるはずの柄の部分は不自然に曲がっていて、掃除道具にするにはあまりにも不適切な形をしていた。
 魔理沙はそれを不思議に思い、柄の部分を拾い上げる。予想以上に重かった。
 柄の素材は硬く引き締まった、まるで高貴な楽器のような、重厚で上質な木材で出来ていた。
 そして柄の先端に目をやると、くすんだ黄金色で書かれた文字がある事に気付く。魔理沙はそれを見るなり息を呑んだ。

「まさか……実在していたなんて」

 そこにはこの箒の名前が印されていた。昔本で見た事のある、たったのさっきまで空想の物だと思っていた、空を飛ぶ魔法の箒の名前だった。
 魔理沙は急ぐ様に穂先の部分も拾うと、その二つを抱えて自宅へと走る。そして自室の作業机にそれらを置くと、早速修復に取り掛かった。
 しかし、その修復には持ち前の知識や魔法を用いてもかなりの手間と時間を要した。魔理沙は来る日も来る日も、ほとんどの睡眠時間を削って作業に没頭した。
 そうやって時間はあっという間に過ぎ、やっと箒が元の姿を取り戻したのは、箒を拾ってから二十日が過ぎた昼下がりの事だった。
 眠気と疲労にふら付きながら、魔理沙は自室で完成したばかりの箒に試しに跨る。その瞬間、今までに感じた事の無い、沸き立つ様な強大な力を箒に感じた。激しい興奮を覚え、疲れや眠気は彼方へと消えて、心臓は壊れてしまったのではと思うほど脈打った。
 その箒は紛れもなく、本で見た通りの魔法の力が宿った箒、言わばマジックアイテムなのだった。
 いてもたってもいられなくなって、箒を片手に玄関へと走る。玄関の扉を勢い良く開けて外へ出ると、頭上に昼下がりの気持ちの良い青空が広がっているのが見えた。その空はまるで、今の魔理沙の高鳴る気持ちを反映しているかの様にとても高く、深く、澄んで見えた。
 気持ちを抑えつつ、そのまま走って家から少し離れると、再びゆっくりと箒に跨る。

「まずは、ちょっと浮くだけ」

 興奮しつつも、冷静にそう考えて一度大きな深呼吸をする。そして目を閉じて少し間を空けた後、いつものように両手に軽く力を込めると、そこからほんの少量の魔力を箒に送った。
 するとその箒は、魔力を瞬時に何倍にも何十倍にも増幅させ、次の瞬間にドン! という衝撃音と共に魔理沙をその場で弾き飛ばして一瞬にして空高くへと飛び上がってしまった。
 魔理沙の体は一緒に吹き飛ばされた辺りの落ち葉と共に宙を舞い、そのまま受身を取る間もなく背中から地面へと叩きつけられる。
 魔理沙は突然の出来事に一瞬何が起きたのかが理解できず、呆然とした表情で自分を置き去りに飛んで行った小さな点を見つめた。
 遥か上空にある小さな点はやがて魔力を失って、まるで枯葉の様にひらひらと舞って落ちてくる。
 その光景を前に、自分は夢でも見ているんではないかと頬をつねる。

「痛い……」

 呆然としていた表情が綻んだ。
 しばらくして魔理沙が立ち上がっても、箒は空を落ち続けていた。



 その日から、魔理沙は箒と格闘する日々を送った。
 ほんの僅かな力を増幅する箒を相手に、初めは力加減がうまくいかず、何度も箒に体を振り回され、引きずられ、地面や木に体を叩きつけられた。全身傷だらけになりながらも、魔理沙は諦めなかった。魔法使いにあこがれていた幼い頃、箒で空を飛ぶために必死に努力した昔の日々を振り返っている様だと魔理沙は感じた。
 努力は報われ、一ヶ月も経つと魔理沙はその箒で広い空を何の不安もなく縦横無尽に飛びまわれる様になった。そのスピードは文字通り目にも留まらぬ速さで、弾丸の如く空を突きぬけ、その跡に筋状の雲を作る程だった。
 魔理沙は箒の力に魅了され、幻想郷の空を意味も無く飛び回る日々を過ごした。
 その姿は里の人々の間で未確認飛行物体としてすぐさま噂になり、皆その姿を何とか捉えてやろうとカメラがよく売れるようになった。



 
 ある日、魔理沙はかつて二十分掛かっていた家から神社までの道のりを三分で飛んで霊夢に会いに来ていた。その顔はどこか浮かなく、魔理沙は母屋の縁側でせんべいとお茶を脇に座っている霊夢の横で、ごろごろと横たわりながら堕落した時間を過ごした。

「なー霊夢、なんか面白い事無いのか」

 その言葉に本日四回目のデジャヴを感じた霊夢は、いい加減うんざりだという表情を浮かべて魔理沙を見下ろし、ため息を挟んでそれに答える。

「あんた、この前面白い箒手に入れたってはしゃいでたじゃない。こんな所でごろごろしてないで、その箒でその辺かっ飛ばしてくれば?」
「うーん、それはそれで楽しいんだけどな、それはもう行き着くとこまで来ちまったっていうか……」
「って言うと?」
「だからさ、達成感っていうの? 今までは箒を直したり乗りこなすために必死になって、ああでも無いこうでも無いっていろいろ試して毎日が充実してたんだが、もう一通り乗りこなせるようになってくるとな……。いくらスピードを出しても、なんて言うか、だんだんと満たされなくなってきたんだよなぁ」

 箒を自由に乗りこなせるようになってからおよそニ週間、魔理沙は既に物足りなさを感じていた。その箒に飽きた訳ではない。箒の修理に没頭した毎日、乗りこなすために体中を痛めて悪戦苦闘した毎日、そうやって過ごした日々に感じていた達成感を魔理沙は欲していたのだった。

「ふーん、飽き性なのね」

 つまらない顔をしながらせんべいをかじり、適当な返事をする霊夢を見て、魔理沙はため息をつきながら横たえていた体を起こし、急須から自分の湯飲みにお茶を注ぐ。

「ああ、霊夢はまるでこのお茶みたいな奴だぜ」

 湯飲みを手に、中を覗き込みながら魔理沙がそう言うと、霊夢は怪訝そうな顔をして、どういう意味よと聞いた。

「冷めてるって意味だぜ」

 そう言って、魔理沙は湯飲みのお茶をぐいっと一気に飲み干して見せる。
 霊夢はそれを見て特に気にする様でもなく、返事の代わりに同じ急須から注いだお茶をわざとらしくすすって見せた。
 どうにもつまらなくなった魔理沙は、程なくして箒にまたがり神社を後にした。
 吹き飛ばされたせんべいと、お茶をかぶった霊夢が取り残された。

 「本でも読んで気晴らしするか」

 神社を出た魔理沙はその足のまま、今度は湖の畔にある真紅の建物。紅魔館へと向かった。
 神社からあっという間に館の正門にたどり着くと、寝ている門番に手で挨拶をしながら、音を立てない様門をくぐる。

「パチュリー、いるかー?」

 誰にも気付かれる事無く館の地下にある図書館に辿り着いた魔理沙は、いつもの様にパチュリーを尋ねる。部屋の中心にある広い読書机に分厚い本を置き、地下室特有の肌寒さにも負けない暖かなひざ掛けをかけて座っていたパチュリーはとても不機嫌そうだった。

「居ないとでも思っているの? 私はいつもここに居るわよ」

 相手がすぐ傍に居るにも関わらず、本から視線を外す事無く冷たく言う友人を前に、魔理沙はバツが悪そうにして頬をかく。
 パチュリーは読書の邪魔をされると、大抵そういった態度をとるのだった。
 いたたまれなくなった魔理沙は体の向きをパチュリーから逸らし、たまたま近場にあった本棚を眺める。興味を引く本は存在しなかったが、構わずそれを続けた。

「それよりあなた、毎度毎度どうやってここまで侵入して来てるのよ」
「それは企業秘密だぜ」
「…………」

 訪れた静寂。
 それがしばらく続いた後、そこへ涼やかなで上品な印象を感じる金属音が響き渡る。音がした方を見ると、パチュリーの片手に小さな白銀のベルが見えた。部屋の外から足跡が聞こえ始め、その足音と共にパチュリーの使い魔である小悪魔が姿を見せた。

「お呼びですか、パチュリー様」
「いつもの侵入者さんよ、紅茶とお菓子をお出しして」
「はい、かしこまりました」

 小悪魔は一礼すると、体の向きを今来た方へと戻す。そして顔だけを魔理沙の方へ向け、にこりと笑いながら会釈をして部屋を後にした。
 本を閉じ、椅子の背もたれに体を預けながら長い息を吐くパチュリーを見て、魔理沙は肩をすくめてくすりと笑った。
 

 二人は紅茶や菓子と共に、沈黙が八割の会話をした。図書館らしい静けさが心地よい、いつもと変わらないティータイムだった。
 魔理沙はその後、立派な造りの本棚に収められている分厚い本をいくつか取り出し、パチュリーの机向かいに積んでそれを読み始める。
 図書館にはパチュリーが集め続けた膨大な数の魔道書や、それに関する資料等が保管されていて、魔理沙が読むのもそういった類の本だった。
 魔理沙は右に積んでいた本の山を一冊ずつ切り崩し、かなりの時間をかけて左に既読の本の山を作って行く。
 凄まじい集中力を持って全ての本を読み終えると、その本を元の位置に戻そうと幾重にも並ぶ本棚の間の通路を歩く。
 目的の本棚に向かいながら、次に読む本を探るべく周囲を見渡していると、通路のずっと遠くにある一つの本棚が目に留まる。その本棚に違和感を感じた魔理沙は、手に持っていた本を適当な本棚に無造作に積むと、そのままその本棚に向かう。
 目の前まで来ると、その本棚には他の本に比べて貧相な造りの、大きさも一周りも二周りも小さい手のひらサイズの本が納められているのが分かった。その中の一冊を手に取り、適当に数枚ページをめくると、その本全てのページには絵がぎっしりと印刷されていた。しかも本の命とも言える文字に至っては絵の脇に少し添えられている程度だ。
 見慣れない本を不思議に思い、その本を持ったままパチュリーの元へと戻る。

「なーパチュリー、この本何なんだ?」
「ん? ああそれね、漫画本というものよ」
「漫画本?」

 怪訝な顔をして魔理沙が聞き返すと、パチュリーは説明を続けた。

「乱暴に言うと、高度な文字をまだ扱えない子供向けの書籍といった所ね。絵を多用する事で、使用する文字を大幅に削減して読みやすくしているのよ」
「へー、でも何でそんな本置いてるんだ? こどもとしょかんでも開くのか?」

 からかい混じりにそう言うとパチュリーは軽くため息をついて、少し面倒くさそうに返す。

「日ごろ硬い本ばかり読んでるとね、気分転換にそういったジャンクな本もたまには読みたくなるものよ」
「気分転換なら本以外でしたらどうだ?」
「余計なお世話よ、本は私の全てなの」
「そんなもんかね」

 適当に返しつつ魔理沙は手に持っていた本に視線を向け、ページをめくりながら質問を続ける。

「んで、あの本棚の本は全部読んだのか?」
「いいえ、最後までちゃんと読んだのはニ冊ぐらいだったかしら。とりあえずで集めてみたものの、やっぱりああいう本は私には合わなかったわ」
「そうなのか、でも私は意外と好きかもしれないぜ、こういうの」

 そう言う魔理沙が読んでいたのは、ある日突然不思議な力に目覚めた青年が、母親の命を脅かす宿敵を倒すため、仲間と共に砂漠の国へ向かって冒険するという内容の本だった。表紙には奇妙なポーズをとった、強靭な体つきをした主人公の青年が力強いタッチで描かれている。

「あなた、よりによって随分濃い本を手に取ったものね」
「そうなのか? 他のを知らないからよく分からないぜ」
「まぁ他にも読んで気に入ったものがあれば構わず持って行ってちょうだい。どうせ近々処分する予定だったし」
「そうか? うーん、でも持って帰って読むほどでもないかなって」
「そ、何でも良いけど、とりあえず散らかさないようにだけはしてちょうだいね」
「あいあい、てきびしーね」

 魔理沙は手をひらひらさせながらそう言うと、片手で本を閉じて体の向きを変えそのまま漫画本が収められていた本棚へと戻る。
 持っている本を元の場所に戻し、本棚に並ぶ本の背表紙を順番に眺めていく。
じっくり見ていくと、所々にいくつか同じ題名の本が並んでいる連載物の本があるのが見えた。しかし巻数はバラバラで、一、二巻を飛ばして三巻からしか揃っていないものもあれば、四巻まで続いて次が七巻であったりと、それらがかなり適当に集められているという事が窺い知れた。
 そんな中で恐らく偶然だろうが、一巻から抜けも無く比較的連載数も多く揃っている本が目に留まり、その第一巻を何気なく手に取った。先ほどと同じようにパラパラと適当にページをめくっていく。
 始めこそはそうやって本を読むと言うより眺めていた魔理沙だったが、あるページからふと指が止まり、数秒かけて初めてそのページを読んだ。次のページも、その次も更に次のページも同じく時間をかけて読んでいく。そうやっている魔理沙の顔は真剣そのもので、まるでその本に憑り付かれているかのように釘付けになっていた。
 あっという間に1巻全てを読みきってしまうと、今度は本を閉じて表紙を真剣な眼差しで見つめる。

「これだ……」

 そう一人つぶやき、唾を飲み込みながら棚に収められている残りの連載に視線を移す。棚には同じ題名の本が十七巻まで収められていた。
 魔理沙はその十七巻の本を抜き取ると、両手にからがら抱えながらそう遠くに居ないパチュリーの名前を大声で叫んだ。

「ちょっと、いきなり大きな声ださないでくれる? 心臓にわ――」「この本もらって行くぜ!」

 机に小走りで戻ってきた魔理沙の目には、もうパチュリーの事などは映っていない。
 魔理沙は抱えていた本を机に投げた後、パチュリーからひざ掛けをひったくり、それを風呂敷代わりに本を包んだ。

「ちょっと! 何す――」「また来るぜじゃあな!」
 
 あっという間に魔理沙が走り去って、図書館に再び静寂が戻る。
 その静寂は、パチュリーの耳にしばらくは聞こえなかった。


 紅魔館から表へ出ると、空は既に赤く色を変えていた。
 魔理沙は低い角度から射す日の光が眩しくない様、帽子を深めにかぶり直してから箒に跨り、担いでいる本がバラバラに吹き飛ばないぎりぎりの速度で飛んだ。そして森の中にある自宅に帰ると、すぐに持ち帰った漫画本を時間も忘れて読み漁る。
 その本には、外の世界で自動車と呼ばれる乗り物に乗って、右ヘ左へとうねる峠道を巧みに走り抜け、その速さと技を夜な夜な競う青年達の姿が描かれていた。

「そうか、私に足りないのはこれだったんだ」

 持ち帰った本を一通り読み終え、その内容に感銘を受けた魔理沙は眼を輝かせながら部屋の天井を見上げて一人呟く。気がつけば、部屋の壁にある時計は全ての針が真上を向いていた。それはいつもなら就寝の準備を始める時間であったが、魔理沙はそうはしなかった。冷たい水で顔を乱雑に洗って、ベッドには向かわず箒を手に家の外へと飛び出した。見上げた真っ暗な空には、夜の闇に抗うように輝く満月が浮いていて、その光が地表を青く静かに照らしていた。


 魔理沙は踊る気持ちを抑える様に、髪をなびかせながら青い夜空をゆっくりと飛んだ。
 地上に邪魔だてとなる人影がない事を確認すると、魔理沙は箒に声をかけながら目を閉じて過去を振り返る。しばらくして、里の上空を経て山の麓にある田園地帯までたどり着くと、その高度を落として地表へ足を着けた。降り立ったのは道の上だった。
 ランタンが照らす前方に伸びている道は、人が五人横に並べる程の幅で、土を硬く押し固めて作られた淡い茶色の道だった。道はそのまま山の中へと伸びていて、鬱蒼とした木々に隠れながらそれらの間を縫う様に激しく蛇行し、頂上にある守矢神社まで長く長く続いていた。
 
「さあ、お待ちかねだ」

 緊張した面持ちでそう言って、箒に座り直してその柄を握り締める。
 魔理沙を中心にしてざわざわと風が沸き起こり、自然界には存在しない不思議な低い音をたてながら、箒と魔理沙の体がゆっくりと宙に浮く。

「いくぜ!」

 叫んだ次の瞬間、辺りに轟音が鳴り響き、魔理沙と箒はその音が自分達に伝わるよりも早く、真っ直ぐ前へと飛び去った。
 道沿いに低く飛んで、土ぼこりを上げながらあっという間に山の中に入った。道を囲む壁の様に立ち並ぶ木々が視界に入っては背後へと消え去り、目下の道は次第に左右にうねりを始める。
 幾つかのうねりを波に乗るようにかわしていくと、その先に待ち構えていた急な右のカーブが目前に迫る。
 魔理沙はすぐさま上体を起こして猛烈な減速を始め、同時に箒の向きをカーブの曲線に合わせる。道の外側ぎりぎりからカーブへ進入し、内側へ向かって体を滑り込ませながら中程まで到達すると、再び加速して道の外側へ膨らんで素早くカーブを抜けた。
 スピードを維持しながらカーブをできるだけ最短の距離で潜り抜ける、理想の飛び方だった。
 間髪入れず、今度は更に急な左カーブが待ち構える。魔理沙はそれに慌てる事無くまた減速しながら体を反対側にひるがえして体勢を作ると、安定した挙動でそのカーブを往なす。巻き上げた大量の砂や小石が周りの植物にシャワーの様に降り注いで、バラバラと音をたてた。
 その後も次々と訪れるカーブに合わせて、魔理沙は右へ左へと体を捩る。
 その様は、その暴力的で荒々しい飛び方とは裏腹に、まるで優雅に踊りを舞っているかの様に滑らかで、繊細で、可憐だった。

「いい感じだ、このまま頂上までしっかり頼むぜ相棒」

 そう言う魔理沙の顔は充実感にあふれた表情をしていた。箒を相手に悪戦苦闘していた時と同じ顔だった。
 闇雲にスピードを出し、何も無い空を飛ぶだけでは得られなかった箒との一体感。そしてカーブを抜けるたびに湧き上がる達成感。それらが魔理沙の心中を充たしていた。魔理沙の求めていたあの感覚だった。
 同じ調子で、魔理沙はどんどんと山を駆け昇っていく。気が付けば、魔理沙はあっという間に山の八合目辺りまで辿り着いていた。
 その時、前方に伸びる道は今までと様子を変え、微塵のうねりも無い長い直線が目の前に姿を現した。その道はひたすら頂上に向かう方向に真っ直ぐ伸びていて、そのまま遥か遠くに見える神社への石段と繋がっていた。

「ラストスパートだ!」

 魔理沙は渾身の力を込めスピードを加速させる。
 木が密集している今の環境ではその体感速度は桁違いに速く感じられた。あまりのスピード感に魔理沙の中に恐怖心が湧き上がる。それでも尚、魔理沙は更に速度を上げ続けた。恐怖心よりも高揚感が勝っていた。
 そして、魔理沙は背後で起きている異変に気付かなかった。
 魔理沙のすぐ背後には、丸い円を形どった白い雲の輪が出来ていた。その雲は飛行機雲のそれとは全く違う性質の、物体が超高速で飛ぶ事で発生する衝撃波が生み出した雲だった。その衝撃波は何も無い空間であれば魔理沙自身には影響の無い物なのだが、今の様に地面や木々に囲まれている場合は別だ。衝撃波は魔理沙の背後で放射状に拡散して地面をえぐり、木々をなぎ倒していた。そしてその一部は魔理沙自身の方へと跳ね返り、新たに発生した衝撃波と衝突して超高圧な気流と真空とが混ざり合った複雑な渦を生み出す。

「うわっ!」

 気が付いた時には、その渦は魔理沙の背中を襲っていた。
 あちらこちらの方角から押す力と引く力がでたらめに加わり、魔理沙はもみくちゃにされてバランスを失う。立て直すのは困難だった。
 魔理沙は超高速を保ったまま箒から投げ飛ばされ、体は回転しながら大きく宙を舞う。その軌道の先には、あろう事か道の終点から伸びていた神社の石段があった。不時着する直前、魔理沙にはその石段が無慈悲に黒光りするノコギリの歯のように見えた。覚悟を決めた。
 鈍い音が山中に轟き渡り、そしてすぐ不気味な程静かになった。






 目を開けると、そこは灰色の世界だった。
 上も下も、距離感もつかめないまま、ぼやけた灰色の濃淡のかたまりが目の前にふわふわと浮いていた。しばらくすると、ぼやけていた視界はゆっくりと鮮明になって、その正体が目に飛び込んでくる。
 そこには、普通なら見ることができないはずの自分の後ろ姿があった。灰色の博麗神社を背景にして箒に跨り浮いている、灰色の魔理沙だった。
 
「走馬灯…… いや、もうあの世か」

 魔理沙は自分の死を悟り、うわ言のようにつぶやく。
 すると突然、目の前の灰色の世界はグシャグシャと音を立てて崩れ去り、代わりに現れた眩い閃光が目を襲った。
 魔理沙は目を眩ませ、それから逃れようと体を捩る。

「あ、気が付いた?」

 そう聞こえて来たのはとても聞き覚えのある声だった。緊張感の無い間延びしたその声は、光の射す方から聞こえていた。
 眩い光をなんとか手で遮り、目を凝らしてようやく見えたのは、よく気の知れた友人の顔だった。

「…………霊夢も、死んだのか」
「勝手に殺さないで」

 そこには、窓から眩しく射す太陽の光を背に安っぽいパイプ椅子に座り、読んでいた新聞を悠長に折りたたむ霊夢の姿があった。
 光に慣れた目で周囲を見渡すと頭上には白い天井、四方には白い壁、そして白いベッドと、その上に力無く横たわっている白い包帯が巻かれた自分の腕や足。いつの間にか椅子から立ち上がりこちらを見下ろす霊夢の纏う赤い色だけが酷く浮いて見える、何もかもが真っ白な部屋だった。

「病院?」
「そうよ、あんた、何で自分がこんな所にいるのかちゃんと覚えてる?」

 そう聞かれ、魔理沙の脳裏に蘇ったのはあの迫り来る黒い石段だった。吐き気を催す程胸が締め付けられ、今まで感じていなかった全身の痛みが一気に押し寄せて来る。それらを受け入れたくない気持ちと後ろめたい気持ちが、魔理沙に嘘をつかせた。

「あー、確か霊夢が戸棚に隠してた饅頭を私がこっそり食べたのがバレて、それでボコボコに」
「……やっぱりあれ食べたのあんただったのね」
「ぁ、いや、ただの冗談だぜ」

 次の瞬間、魔理沙の右の頬を霊夢のビンタが襲った。空気が張り裂ける様な音がして、一瞬にして頬が腫れ上がる程の、手加減の欠片もない強烈な一撃だった。

「ってえな! ぶつ事無いだ……ろ?」

 威勢よく怒鳴った魔理沙だったが、目の前に信じられない光景があるのを見て言葉を詰まらせた。魔理沙を睨む霊夢の目から、大粒の涙が落ちていた。

「人の気も知らないで…… どれだけ心配したと思ってるのよ!」

 吐き捨てるように霊夢が叫ぶ。魔理沙の頬は新たに左側も腫れた。
 体ごとそっぽを向いた霊夢の背中は小さく震え続け、流石の魔理沙も言葉を失う。頬の痛みより霊夢の言葉が突き刺さった胸の痛みの方が強かった。
 霊夢の背中を見つめながらかける言葉に迷っている内に、魔理沙はある事に気付く。
 霊夢が座っていた椅子の傍らにある小机に、あの箒が立てかけてあった。箒の柄の根本の部分には大量のガムテープが厳重に巻きつけられていて、それはまるで子供が図工の授業で作った張りぼての様な酷い仕上がりだった。箒はその部分で真っ二つに折れている様だった。

「それ、霊夢が直してくれたのか」

 霊夢の背中にかける言葉としてそれが正しいとは到底思わなかったが、魔理沙は無意識の内にそう言っていた。
 霊夢は深く息を吐いて、背中を向けたまま答えた。

「そうよ、本当ならこんな箒とっとと燃やしてやりたい所だったんだけどね」
「じゃあ、何で」

 霊夢はしばらく黙って、体の前で落ち着きなく指を絡めながらゆっくりと続けた。

「その、ボロボロになったあんたに私が出来る事は何も無くて。だから、もどかしくなって、気が付けばそうしてたのよ。そしたら、あんたが早く目を覚ますような気がして……」

 霊夢の声はだんだんと小さくなって、後半は殆ど聞き取れない程になっていた。そのか細い声が魔理沙に届いたかどうかは、魔理沙の両眼に滲んだ涙が物語っていた。

「霊夢……私――」「さあ! あんたが無事目を覚ました事だし私はもう帰るわ。それじゃ」

 霊夢はそう言ってその場を去ろうとうつむきながら体の向きを変える。長い付き合いの魔理沙にはそれが霊夢の照れ隠しからくる行動だと分かっていたが、魔理沙はそれを許す訳にはいかなかった。魔理沙はまだ、霊夢に謝っていなかった。
 歩き出した霊夢を引き留めようと、魔理沙はとっさにベッドから勢い良く体を起こした。

「待てよ霊夢、私まだ……うぐっ!」
「魔理沙! きゃっ!」

 飛び起きた瞬間、魔理沙は全身に走る激痛に襲われバランスを崩す。振り向いた霊夢が駆けつけるが支え切れず、二人はそのまま仲良くベッドから床へと転げ落ちた。その途中、霊夢はベッドの脇にあった小机に頭を強打し、頭を抱えながら動けなくなった。小机からは上に置かれていた新聞や小物が落下して、仰向けに落ちた魔理沙の顔を埋めていた。

「霊夢、大丈夫か」
「全然大丈夫じゃ無いわよ。無茶しないで」
「だよな、本当に悪か……ん?」

 床に転がったまま、霊夢を気遣いながら顔の上の物をどかしていると、魔理沙は見覚えのある光景に遭遇した。灰色の博麗神社、それを背景に箒に跨り浮いている、灰色の自分の後ろ姿。
『真夜中の奇行! 未確認飛行物体の正体は森の魔法使い』
 小机から落ちてきた、先程霊夢が読んでいた新聞の一面だった。

「さっき見たのはこれだったか……あ!」
「あ!」

 魔理沙は更にある事に気が付き声を上げた。そして霊夢も魔理沙が新聞を見ている事に気が付き声を上げた。
 魔理沙はジト目で霊夢を睨み、霊夢は床から飛び起きて距離を取ると、気まずそうに視線を反らし続けた。
 新聞の写真の隅には、
『写真提供 博麗霊夢さん』
 と書かれていた。

「霊夢、これはどういう……」
「さ、さあ? 何の事かしら」
「おまえな、ぶん殴るぞ」
「ふ、ふん! お茶を引っ掛けたお返しよ。それに殴れるもんなら殴ってみなさいよ。ほら、ほら」
「ぐ…… 覚えてろよ、こんな怪我すぐに治して殴り込みに行ってやるからな! お茶と煎餅用意して待ってろ!」
「いいわよ、楽しみにしてるわ。来る前にはちゃんと連絡しなさいよ? 煎餅と言わず、ご馳走作って待ってるから」

 二人はお互いを見て気が付けば笑い合っていた。湿っぽいセリフより、皮肉や憎まれ口を叩き合う方がずっと自分達らしくいられた。
 霊夢はそのまま、おだいじにと皮肉っぽく言って病室を後にした。魔理沙は、おうと軽く返事をしてそれを見送った。そして自力でベッドに戻れない事に気がつくと頭をかかえた。


 数日後、退院した魔理沙は箒に乗って病院を後にした。跨がる箒は柄の根元から半分に折れていて、折れた部分には大量のガムテープが厳重に巻かれていた。その仕上がりはまるで子供が図工の授業で作った張りぼての様な酷い有様で、それが祟ってか、その箒はどんなに魔力を送ってもゆっくりとしか飛ばなかった。
 博麗神社の方角へ舵を取る魔理沙の表情は、とても穏やかだった。
  
 
 
 
 
 
 
 
 東方と全く関係有りませんが、私はクルマ好きが講じて生意気にも屋根が開く車に乗っています(二桁万円のボロ)。あちこちを自分で修理したくたびれたエンジンに火を入れ、屋根を開け放って峠道に繰り出すと、頭上に伸びる木々の間からやさしく刺す木漏れ日や沢の音、風と共に流れる山の香りがいっぱいに感じられ、この作品で魔理沙が意味もなく空を飛び回っていた様に、私も休みの日は意味もなくそこら中をドライブする様な日々を送っています。
 屋根の開く車は天気の良い昼間に走っているイメージがあると思いますが、夜のドライブもまた乙なもので、満月の夜に屋根を開け月の青い光に照らされながら冷たい夜風を切って走ると、まるで空を飛んでいるかの様に感じられる事さえあります。
 この作品はそういった私の実体験(あんまり理解されない)や愛車への気持ち(あんまり理解されない)を表現したいという思いから、それらを魔理沙と箒に置き換えて書かれています。
 それと同時に、車に限らずスピードの出る乗り物を操縦するという行為の危うさや、有事の際の代償の大きさというものも表現したく思ってこの様な作品に落ち着きました。

 車やバイクに乗る人も、自転車の人も箒の人も、皆さんどうかお気を付けて。
もなじろう
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コメント



0.220簡易評価
1.20名前が無い程度の能力削除
本文や後書きを見て思うのは相手のことを考えてないのに一方的に理解しろというただのだだっ子だということです。
3.70名前が無い程度の能力削除
所々にパロディが含まれていてとても楽しめました
ゆえに元ネタがわかるかどうかで面白い面白くないははっきり別れる作品の様に感じました
6.80沙門削除
今日もバイクで元気に走る沙門です。
12年前に自爆事故を起こして肩にボルトが入ってます。
いやあ、自分以外にも魔理沙の箒を主題にした作品が読めてウホウホ。
速さを追い求める魔理沙の姿がよかったです。
バイクはいいですよ、バイクは。
最後に。
「あいつはハードラックとダンスしちまったのさ」
博麗霊夢談。
7.80名前が無い程度の能力削除
面白かったのですが、ちょっと構成が悪いかなぁと思いました。
魔理沙が飛び始める前にいきなり回想が始まってしまうのは、読んでいて置いてけぼりを食らったような気がしてしまいました。あと、描写的に確実に死んだと思った魔理沙が生きていて、しかも後遺症も無いというのも、御都合主義的な感じがしちゃいました。
とはいえ、飛び抜ける魔理沙の描写は読んでいて引き込まれました。御都合主義云々に目を瞑れば、爽やかな終わり方も素敵ですね。
8.70名前が無い程度の能力削除
速さとは正義である 魔理沙らしいお話でした
9.70仲村アペンド削除
箒をかっ飛ばす魔理沙のスピード感や高揚感が良く描けていると思います。霊夢との関係も微笑ましくて良い。
ただ、ちょっと色々と詰め込みすぎかも? ドライブの楽しさなのか、スピードの快感なのか、心配してくれる相手の大切さなのか、どれかに絞って描いた方がもっと伝わりやすくて良いかもしれませんね。
10.70怠惰流波削除
峠を走り出した魔理沙のシーンが最も引き込まれました。
個人的な嗜好を言えば、後書きの熱量をそのまま本文に落とし込んでも、面白かったのではないかなぁと思います。
11.100南条削除
面白かったです
興味が沸いた物にひたすら没頭する魔理沙が魔法使いらしくて良かったです
13.80名前が無い程度の能力削除
車と箒の相関性についてはあまり同意できなかったけど、内容はなかなか面白かったです