Coolier - 新生・東方創想話

肝試し

2017/08/17 02:23:15
最終更新
サイズ
22.91KB
ページ数
1
閲覧数
716
評価数
5/7
POINT
510
Rate
13.38

分類タグ

 

 
「どわああぁぁぁぁっ!?」

 道場に悲鳴が響き渡ると、直後にゴンと鈍い音が鳴る。
 突然目の前に巨大な影が降りてきたので、仰天した物部布都はものすごい勢いで後ずさりし、そして柱に頭を強打したのだった。
 火花の散る視界をなんとか持ち直し、問題の影を凝視してみると、黄色と黒の縞々が一本の糸でぶら下がっていた。
 
「布都……」

 布都が影の正体を理解すると同時に、後ろからさぞ愉快そうな声が聞こえてくる。
 振り返ってみれば、柱の向こう側で、ニヤニヤ笑う亡霊が宙に浮かんでいた。
 
「と、とじっ……これはちが」
「いいの、いいんだよ布都。不老不死の尸解仙さまだって蜘蛛が怖いことくらいあるわ」
「違う! 断じて違う!」
「赤くなっちゃってまあ」

 暖簾に腕押し、糠に釘。どんなに釈明しても、目の前の亡霊――蘇我屠自古は、面白いおもちゃを見つけたと邪気たっぷりの笑顔を崩さない。
 ぐぬぬ、と唸る布都は屠自古への弁解を諦め、いまだぶら下がったままの蜘蛛に向き直った。
 黄色と黒の縞々が鮮やかな、手のひらサイズのジョロウグモだ。要するに、コイツを処理さえしてしまえば、これ以上馬鹿にされることもあるまい。
 
「この程度の小動物、道場の外に放り投げてくれようぞ」

 決心を固めて、ぶら下がる蜘蛛に手を伸ばす布都。
 気取られぬようゆっくりと右手を近づけ、いざ掴んでやろうというところで、蜘蛛は糸を引っ張り上げて急上昇した。
 そのとき8本の脚を激しくカサカサさせたので、布都はまたもや奇声を上げ、ひっくり返って頭をぶつけた。
 
「~~~~~~~~!!」

 後頭部を抱える布都と、爆笑する屠自古。宗教戦争の溝はある意味根深い。
 ここで我慢の限界を迎えた布都がマッチに火をつけ始めたので、屠自古もいよいよ揶揄うのを止めたのであった。
 
「ちょ、ストップ、布都! 炎上するから! 道場!」
「何事にも犠牲はつきものじゃ」

 布都の目が据わっている。こいつは本当に燃やすぞと屠自古は察した。
 屠自古の脳裏に、ガレキの山と化した道場と感情を失った神子の姿がありありと浮かび上がる。
 最早先手必勝であった。

「ガゴウジサイクロン」

 高度にコントロールされた雷矢は、天井近くの蜘蛛をピンポイントに射撃する。
 一瞬、蜘蛛の身体を電撃が纏って、すぐにぶら下がったまま動かなくなった。
 更に、棒立ちの布都の右手に息を吹きかけ、燃焼するマッチの火をかき消したのであった。

 

 
「……取り乱したようじゃ。すまない」

 お互い畳の上に正座して(屠自古は正座風だが)、一呼吸置いたところで、布都がしゅんと謝罪した。

「燃やすのは寺社仏閣のたぐいだけにすると、1000年も前に決めたはずなのに」
「それもどうかと思うけど……わたしも馬鹿にしすぎた。ごめんね」

 ふたりで頭を下げ合い、ようやく事態は沈静化する。
 それにしても、布都のかんしゃく癖を看過することもできない屠自古であった。
 今に始まったことではないが、そのままにしておくといつか本当に炎上するやも分からない。
 
「布都はちょっと怖がりが過ぎるわ」
「ぎくり」
「怖がりなうえに、リアクションがオーバーすぎ。自覚はある?」
「だって……原因は根絶やしにするのが一番安心だと思って」
「過激派かお前は」

 根絶のためには無差別攻撃を辞さない布都である。
 フットワークの軽さは布都のよいところだが、この悪癖だけは正されるべきである。屠自古はそう信じていた。
 
「布都。太子さまは、将来幻想郷を治められるかもしれないお方よ。その側近である私たちが、小さなことで狼狽えていてはいけないの」
「うむ……言いたいことは分かる」
「よろしい。素直な布都がわたしはすきよ」

 そこで、と屠自古は懐をごそごそ漁りだした。
 色々な雑品を外へ放り出し、コイツはもしかして未来型ロボットなのではないかと布都が疑念を持ち始めたところで、「見つけた」と屠自古が声を上げた。
 
「布都。このチラシは『ふれあい怨霊ネットワーク』の連絡網で回ってきたものなんだけど」
「なんだその物騒なネットワーク、絶対ふれあいたくないぞ……」
「そこはいいの。とにかく見て」

 屠自古は畳にチラシを置くと、手のひらで押し付けるように叩いた。
 チラシの見出しに一番大きく、太く書かれた『きもだめし』の文字が、布都の視界に飛び込んでくる。
 
「……肝試し?」
「おっしゃる通り。って、もしかして肝試し知らない?」
「いや、肝試しは知っているが……これは幼い子供の遊びであろう? 流石に我がやるのは」
「違うのよ、布都。下の方を見てごらんなさい」

 言われるがまま、見出しの下の本文に視線を移す布都。
 活版印刷でところどころ滲んでいる行書の文字が、どことなくおどろおどろしい。

 
 勇気ある無謀者たちよ集え
 愚かなる人間の肝を我らが試そう
 妖怪の主宰、安心の高品質

 
 以降は、具体的な開催場所を伝える文章のみが書かれていた。
 すべてを読み終え、顔を上げた布都は、震える唇で屠自古に問いかける。
 
「……普通の肝試しではないか」
「ちゃんと読めどあほ」
「あべし」

 後頭部を軽くチョップされ、布都の視線が再びチラシに落ちる。
 屠自古の指を差したのは『妖怪の主宰』という一文だ。
 
「妖怪が主宰する肝試しよ。これが普通なわけないでしょ?」
「……まぁ、確かに」
「もしかすると、ただ肝を試すだけじゃ済まないかも」

 やけにうきうきと話す屠自古。布都は少しずつ嫌な予感が募ってきた。
 
「屠自古。ひとつ訊きたいのじゃが」
「なんでもどうぞ」
「これ、まさか、我が参加するなんてことは、ははは、まあ、そんなことは」
「ありまぁす」

 光の速さで立ち上がった布都は道場からの脱出を試みたが、畳から立ちのぼった雷の網が襖を覆い尽くして万事休す。
 こんなこともあろうかと秘密裏に用意していた天然ゴム製の皿も、ババロアを食べたときに使って洗い場に出していたのであった。
 
「……降参じゃ」
「よろしい。だいたい、どうして逃げる必要があるの。妖怪が主宰とはいえ、貴方が恐れる相手じゃないでしょ」

 言われてみればその通りだ、と布都は思った。
 ろくなことが起こりそうもない肝試しだが、布都も決して弱くはない。妖怪が襲ってこようとも、返り討ちにすればよいのだ。
 
「なるほど納得した。むしろ、先制攻撃で皆殺しにしてくれようぞ!」
「ちなみに戦闘は一切禁止ね」
「なんで!?」
「あんたの怖がりを治すために行くんでしょ! 皆殺しにしたら今までと変わらないじゃない」

 ぐぅ、と布都は歯噛みする。特に反論の言葉も見つからなかったためであった。
 屠自古は「決まりね」と笑って、襖を覆っていた雷を解除し、拾い上げたチラシを布都に押し付ける。
 滲んだチラシの文字にも笑われているような気持ちになって、布都は大きくため息をついた。

 

 
  肝試し

 

 
 チラシには『開催:妖怪の山の麓』などと書かれていて、布都はあまり行ったことのない土地だったので、人里から飛んで向かうことにした。
 一度でも行ったことがあれば、道場のある仙界から直接繋げることもできるのだが。

「……心が重い」

 胸の奥に鉛でも詰まっているんじゃないか、という気持ちだった。
 別に、妖怪と対峙することが嫌なわけではない。屠自古も言っていたが、この幻想郷で、布都は決して弱い存在ではない。
 ただ単純に、いきなり驚かされたり、脅されたりといった、そういう類の『怖い』が苦手なのであった。
 眼下の木々が深さを増してくる。小雨が土と植物を濡らし、もやもやとした霧が立ちのぼっている。
 季節こそ真夏だが、時分は夕刻で、西日も厚い雲が覆い隠している。暑さはなく、むしろ寒々しさを感じる布都だった。

「あれか?」

 青緑色に茂る草木の間に、一か所だけ植物のない空間を見つけた。
 そこには木製の小屋が一軒立っていて、隙間から明かりが漏れていることも分かる。
 布都は懐からチラシを取り出すと、開催場所を改めて確認した。やはり妖怪の山の麓としか書かれていなかったが、辺りを見回しても、それ以外の建造物は見つけられない。
 不気味な様相であったが、布都は意を決して小屋の前に降り立つ。
 予想に反して、小屋からは何かいい匂いがした。布都は昼食以来何も食べていないことを思い出して、鳩尾に一抹の寂しさを覚える。
 
「……ここに入ればいいのかの」

 入口と思しき引き戸に手を伸ばし、少しだけ開いて中を覗こうとする布都。
 戸に手がかかった瞬間、突然それは勢いよく開いて、案の定布都は後ろにひっくり返った。
 
「誰かいるのかや?」

 中から現れた人影を見上げて、布都は絶叫どころか喉がつまって声が出なくなった。
 その人影が、まさか特大の包丁を右手で握りしめているとは夢にも思っていなかったので無理もない。
 尻もちの布都に気づいたそいつは、一瞬怪訝な表情を浮かべたのち、布都の握っていたチラシを見つけて「ああ」と声を上げた。
 
「肝試しのお客さんだべ。なるほどなるほど。ささ、入ってくんろ」
「は、はは、はぁ……?」
「なに、呆けた顔して座ってるんだ。濡れた地面は冷たいぞ」

 ずいと顔を近づけてくるそいつに、布都はいよいよ心臓が止まりそうになる。
 更に、そいつは布都の顔を凝視したまま、にわかに眉をひそめた。
 強く握りしめられた包丁だけは絶対視界に入れないよう、布都はそいつの目を見つめ返す。

「な、なんじゃ」
「……いや、気のせいだ。あんた、一瞬人間かと思ったけど、人間じゃないな」

 にんまり笑うと、そいつは踵を返して、小屋の中に戻っていった。
 ボサボサと伸びた白髪が特徴的な女。いや、女の姿をした妖怪だ。
 布都は、自分が人間ではないと断じられて、少し複雑な気持ちになる。尸解仙として復活したとはいえ、心の中では人間のつもりでいたのだが。少なくとも、布都は妖怪の味方ではなく、人間の味方であった。
 
「失礼する」

 女の後に続いて、布都は小屋の中に入った。
 思いのほか広い座敷には、いくつものちゃぶ台が無造作に並んでいる。ちゃぶ台の傍には、布都以外の者が何人か座っていた。
 布都はすぐ、それらが人間でないことに気づく。人型をしてはいるものの、ところどころに異形の部分が見える。妖のたぐいであることは自明であった。
 
「ここに座ってくれ」

 空いているちゃぶ台の横で、女が手招きしている。
 言われたままに布都が腰掛けると、女は「よく来てくれたべ」と笑った。

「うちは坂田ネムノだ。よろしくたのむ」
「あ、あぁ。我は物部布都じゃ」
「物部殿。まるで豪族みたいな名前だなぁ」

 実際にそうなのだ、とは面倒なので言い出さない布都である。
 ところで、と布都は、周囲の妖怪たちに目配せしながらネムノに問いかけた。

「あやつらは妖怪じゃな。なぜこのような場所におる?」
「喋り方もまるで豪族様だべ。別に、妖怪がいたっておかしいことはないだろ?」
「……そういうものか?」

 そういうもんだ、とネムノは一言返すと、勝手口の裏から出ていってしまった。
 当然のように妖怪と同居している空間に、布都はむずむずした違和感を覚える。
 妖怪の跋扈する世を生きてきた布都にとっては、1000年以上経った今も妖怪は憎むべき人間の敵だ。
 戦闘を禁止されているから大人しくしているとはいえ、どうにも落ち着かない。

(しかし……いい匂いじゃな)

 別のことを考えて違和をかき消そうとすると、このかぐわしい匂いが一番だろう。
 普段、屠自古が作ってくれるような煮物の匂いに似ている。しかし、それ以上に濃厚な芳香は、腹を空かせた布都の食欲を誘った。
 匂いは、妖怪たちが座っているちゃぶ台から漂っているようだった。それらにはひとつずつ深皿が置かれていて、妖怪はその中身を箸で突いては、真面目な顔でもぐもぐ食べている。
 よほどうまいものなのか、と布都が考えていると、勝手口からネムノが戻ってきた。その手には、湯気を漂わせる深皿が乗っている。
 
「待たせたな。腹を空かせていることだろう、ささ、食べてくれ」
「あ、ありがとう」

 目の前に置かれると、先ほどとは比べ物にならない濃厚な香りが、布都の鼻腔を刺激した。
 大根と魚肉のような塊を煮込んだ料理だった。煮汁の滲み込んだそれらは、よく味を吸っているように見える。
 今すぐにでも手をつけたい布都だったが、「なあ」とネムノに声をかける。

「我は肝試しに来たのじゃが……これは、腹ごしらえのようなものなのか?」

 一応にも、布都は肝試しに来たのだと心得ていた。ところがどうにも、肝試しの始まりそうな雰囲気が感じられない。
 布都の問いかけに、ネムノは一瞬目を丸くしたのち、我慢ができなくなったように破顔した。
 
「あんた、面白いなぁ。腹ごしらえ。それもいいだろう」
「はぁ……?」
「中々豪胆なやつだな。気に入った! ゆっくりしていくといいべ」

 何が何やらという布都を後目に、ネムノは再び勝手口から去ってしまった。
 結局、肝試しがいつ始まるのかは分からなかったが、まあいいかと布都は思い直す。
 腹が減っているのは確かであったし、目の前の料理はとても美味そうだ。
 布都は初めに大根から手をつけた。細かく切られた大根を口に入れると、齧ったそばから煮汁が滲み出して、布都は背筋から脱力するような感覚に見舞われた。うまい。煮込まれて柔らかい大根の食感もそうだが、なにより染み込んだ煮汁が絶品だった。
 おそらくその出汁は、この魚肉のようなものから出ているのだろう。気づいた布都は、次にそれを箸で掴む。
 少し強く挟めば、すぐにほぐれて無くなってしまいそうな肉だった。注意深く箸に取り、ゆっくりと口へ運んでいく。
 
(これは……)

 口に入れた瞬間、中で溶けてなくなってしまう。
 ところが一方で、肉汁は余りにも濃厚で、布都が今までに食べたことのない味だった。
 口の中身を飲み込んで、途方に暮れるように固まっていた布都の視界へ、煮込みの載せられた皿が見える。
 まだ食べられるのだ、と布都が気づいたときには、既に箸は肉を突いていた。
 
「おぅい。ええと、坂田殿!」

 皿の中身は瞬く間になくなり、布都はお代わりを貰おうと、何の躊躇もなく声を上げていた。
 ネムノはさも「待ってました」と言わんばかりに勝手口から登場し、その手には同様の深皿が掴まれている。
 
「はやいなあ、あんた。うまかっただろう、それは」
「うまい。うまいな、これ。お主が作ったのか。すごいなあ」
「そんなところだべ。ささ、次も食べてくんろ」

 ネムノは空いた皿を下げて、持ってきた煮付け入りの皿を置くと、足早に戻っていった。
 お代わりの準備まで万端とは、と布都は感心しつつ、さっそく肉に箸をつける。
 溢れる肉汁は変わらず旨味に満ち溢れていた。しかし、布都は若干の食感の違いを感じた。
 どこか繊維ばっているような、固いような。率直に言うと、さっきよりも美味しくはない。

「坂田殿」

 それでも素早く完食して、ネムノに声をかける。
 ネムノはやはりすぐに現れて、その手には新しい煮付けの皿を持っていた。
 
「喜んでくれているようで何よりだべ」
「あぁ、とても美味いぞ。しかし……今の肉は、もしかしてさっきと違うものなのか?」
「どうしてそう思った?」
「なんとなく、筋が強いような、固いような。いや、美味しかったのは間違いないのだ」

 遠まわしに「不味い」と言ってしまったことに気づいた布都が慌てて弁明するが、ネムノは何故か満足げににまにま笑っていた。
 
「いいや、気にするな。ささ、次も食べていくべ」
「うむ」

 それから布都は、次々に出てくる煮付けを次々と食べ続けた。
 布都が驚いたのは、出てくる肉の味には確かな個性があり、それが毎回変わっていることだった。
 はじめの肉が最も美味かったのには変わりがないが、それ以降も、筋張った肉、歯ごたえのある肉、極めて濃厚な肉、スカスカな肉、半分溶けてしまっている肉など、様々な種類の肉が登場した。
 食べていくうち、布都はなにやら不思議な、あえて例えるならば、冒涜的な興奮を感じ始めていた。
 布都は道士であり、普段は精進料理を食べている。そのため肉を食べることはほとんどないのだが、そうした背徳とは異なる感情だった。
 自分を作っていたもの、人格、自己同一性、それらがまるでひっくり返っていくような、逆転していくような、感覚だ。

「あんたやるなあ。全部食べたやつは初めてだ」

 呼びつけたネムノの手には、遂に煮付けの皿がなくなっていた。
 どうやらお代わりは終わりらしいと気付き、布都は残念がる反面、確かにどれだけ食べていたのだろうと自身を顧みる。
 もはや、どれだけ食べたのか布都には分からない。すっかり腹は満たされていた。
 
「礼を言うぞ、坂田殿。これほど美味いものをたらふく食べたのは初めてかもしれぬ」
「うちこそ、たくさん食べてくれて満足だべ」
「そうか。……ところで、じゃが」

 布都は既に、周囲のざわつきを肌で感じ取っていた。
 布都の周りに集まっていた妖怪たち。食べるのに夢中で気にしていなかったが、何故だか布都が注目されている。
 少しだけ振り向いて目配せすると、妖怪たちは気まずそうに散開した。そのまま、ぞろぞろと小屋を後にしていく。

「あいつらはいったい何なのだ? 珍しいものでも見るように」
「そりゃあ、あれだけ食べまくったあんたは注目の的だべ」
「食べまくった? そんなに食べたつもりはないぞ」

 布都は自分のお腹をさする。確かにたくさん食べはしたが、大食いと言われるほどではない。
 むしろ、大食いなら妖怪の方が専売特許だろうに、なぜ騒然としていたのかと、布都は首を傾げる他ない。
 そもそも妖怪たちは帰ってしまったようだが、それも釈然としない。まだ腹ごしらえしかしていないというのに。
 
「そうだ。肝試しはいったいいつ始まるのだ? 我は肝試しをするために、ここへやってきたのだが」

 不意に本題を思い出して、布都は目の前のネムノに問いかける。
 それまで一貫してにまにましていたネムノは、布都の言葉に突然眉をひそめた。
 
「あんた、大丈夫か? まさか、おかしくなったのか?」
「なんじゃ、突然に、失礼なやつだな。肝試しはいつ始まるのかと訊いているのだ」

 布都の強い言葉に、ネムノは鼻白み、眉尻を下げて、腫れものに触れるかのごとく、ゆっくりと口を開く。
 
「肝試しなら、心行くほど堪能していたじゃないか。今の今まで、夢中になって」

 ネムノの言葉は布都の耳から入り、脳をぐるぐると回って、反対の耳からそのまま出て行った。
 思考が追いつかない。目の前の、包丁を握りしめた女の妖怪は、いったい何を言っている?
 
「そんなはずはない。我はまだ腹ごしらえしかしておらぬ」
「何を言っているのか分からん。腹ごしらえではなくて肝試しだ」
「分からんのはお主だ。我はまだ、それこそ、鬼火もろくろ首ものっぺらぼうも見ておらぬというに」

 噛み合わない会話、疎通できない意志。その齟齬の原因を、先に見つけたのはネムノだった。
 「あんた、なにか勘違いしてるな」と切り出すと、布都は変わらず怪訝な顔を見せる。
 
「なにを勘違いしているというのだ」
「うちが言う肝試しは、肝を試すことだべ」
「だから、つまるところ肝試しではないか」
「肝を食べて、試すのだ。それがうちの肝試し」
「だから――」

 反論しかけて、ふと、違和感が布都の口を留めた。
 肝を食べて、試す。肝を、食べる?
 
「なんじゃ、それは。肝を食べるって、どういう」
「そのままの意味だべ。散々食べてきたじゃないか。うちの用意した肝を」

 ネムノに投げかけられた言葉が、ようやく布都の頭の中で処理され、再構成を始めていた。
 肝試しなら堪能したじゃないか、という言葉。堪能する、という不可解な表現。肝を食べたじゃないか、という破局的な指摘。
 布都もようやく、ネムノとの会話の齟齬に気づいた。ネムノのいう肝試しは、布都の考えていた肝試しではない。
 肝を食べる。食べ比べる。すなわち、試す。肝試しなのだ。
 なんの肝を?

「我の食べた肉は……肝は、なんの肝なのだ?」

 その質問は、いまだ単純な好奇心から出たものだった。
 質問の答えが持つ意味に、布都は気が付いていない。ネムノも、そんな配慮をする性格ではなく、またする必要もなかった。
 
「それなら、チラシに最初から書いてあるだろう」

 ネムノが、畳の上に放置されたチラシに目を落とす。
 それを拾い上げた布都は、まだ気が付いていない。改めて読み上げてもなお、気が付いていない。

 
 勇気ある無謀者たちよ集え
 愚かなる人間の肝を我らが試そう
 妖怪の主宰、安心の高品質

 
「変哲のないチラシではないか」
「よく読め。確かにうちは書いた」

 再三と布都は読み返す。見出しから開催場所まで、じっくりと、ゆっくりと熟読する。
 布都がそれに気付いたのと、両手からひらりとチラシが落ちたのは同時のことだった。
 回転していた脳が再び停止する。全身が硬直して、視界が凍り付き、対照的に、心臓の拍動だけがどんどんと強くなっていく。

「うちの『育てた』肝を全部食ったのは、あんたが初めてだべ」

 布都の様子を見て気が付いたと判断したか、ネムノは改めて満足げな笑顔を見せる。
 
「山に入ってくる人間はだいたい追い返してやるが、それでも縄張りに深入りしてくる阿呆がいるでね。そういうやつはとっ捕まえて、うまく育ててやるんだ。条件を変えて、色々な育て方でな」
「は……?」
「何不自由なく過ごさせて、たらふくうまいもん食わせて、太らせた奴。これが一番最初に出した美味いやつだ。他にも、最低限の食事だけ与えて、やせ細らせた奴。文字通り死ぬほど食わせて、太らせた奴。一日中棒にぶら下がって、筋肉隆々になった奴、……」

 ネムノの言葉は、もはや全く布都の耳には入ってこない。
 布都にはただひとつの事実だけが突きつけられ、その事実は布都の人格を根底から翻した。
 妖怪は人間を喰らい、人間は妖怪に喰らわれる。その原理原則は、飛鳥の世も今の世も変わらないのだから。

「妖怪たちもさぞ驚いたろう、一口食べるだけでも勇気がいるものを、目の前でばくばくと……なんだ、顔が真っ青だべ」
「……失礼する……!」

 ネムノの返答を待つことなく、布都は引き戸から小屋を飛び出した。
 ふらふらと近くの茂みに入り、鳩尾にせり上がるものを感じて、全てを地面にぶちまける。
 いや、全てを無かったことになどできないだろう。どれほどが身体に取り込まれてしまったのか、布都には見当がつかないし、考えたくもなかった。
 不意に、頭上から翼の音と、ぎゃあぎゃあと嘶く声が聞こえる。見上げれば、鳥とも妖怪とも分からぬ群れが狭い空を覆い尽くして、布都に襲い掛かろうとしていた。
 布都は慌ててその場から這い出し、わずかな空間から仙界への道を作り、必死でそれを潜り抜ける。
 最後、布都の視界の片隅に入ったのは、決して布都を追いかけることなく、布都の吐き出したものに群がるそいつらの塊だった。

 

 
   ◇◆◇

 

 
 どれだけ眠っていたかは分からない。
 何度か起きそうになったことは覚えている。起こしにきた屠自古の声、それを拒絶するように布団に潜り込んだ自分。
 寝てさえいれば、現実に直面することもなく、夢の世界で楽しく過ごせるかもしれない。
 そんな期待とは裏腹に、夢などほとんど見ることはなく、もはや目を瞑っても現実から逃げられなくなった。
 布都は観念して、のそりと布団から這い出した。寝すぎたせいか、身体中に変な張りを感じる。こめかみにも重い痛みがのしかかって、どうにも気だるい。
 水でも飲もうと台所へ足を進めかけて、布都は躊躇した。屠自古がいるかもしれない。先ほど呼びかけられ、それを無視してしまった相手。
 怒っているだろうか。布団に戻ろうかと考えたが、胃酸と乾きで焼け付いた喉を潤したい欲求がそれに勝った。
 
「……いない、か」

 おそるおそる台所を確認して、誰もいないことを確認する。
 近くの水溜めから水をすくい、柄杓で2, 3杯ほど飲み干した。胸やけが少しだけマシになったように感じる。
 台所のすぐ横にある座敷に入ると、やはり誰の姿もなかったが、机の上に、1枚の書置きが残されていた。
 拾い上げると、その筆跡からすぐに屠自古のものだと分かる。

 
『太子さまと外出中。何があったのか知らないけど、あとでちゃんと話すこと。それから、ごめんね。』

 
 布都は泣き出したい気持ちに駆られて、書置きを元の場所に戻した。
 別に、屠自古が悪いだなんて気持ちはない。いいや、誰も悪いやつなんていないのだ。
 ただ、昨日の夜の真実を、屠自古へ正直に伝えられるかどうかは分からなかった。
 それを聞いた屠自古はどんな反応をするだろう。軽蔑するだろうか。憐れむだろうか。いずれにしても最悪だ。
 
 道場にいては、屠自古たちがいつ帰ってくるやも分からないと、布都は外出することにした。
 仙界から人里へ空間を繋げ、人に見られぬようのそりと抜け出す。
 時刻はおよそ南中を過ぎた頃で、雲ひとつない空で太陽がじりじりと照り付けていた。白々しいほどの晴天だ。
 布都はどこへ向かうでもなく人里を歩いた。何も考えず、同じ道を何度も何度も通り過ぎる。
 里の人間は、見知らぬ相手には基本的に無関心なので、構ってくる者はいなかった。布都にとってはそれが有難い。

 しかし、太陽が西に落ちようという頃、「物部様」と初めて声をかけられた。
 大きな敷地に建てられた屋敷、その門から現れた人間は、里でも大きな商家の主人だった。
 布都は道教の布教者として里に出ることが多く、その際有力者と関わることもしばしばある。この主人もまた、布都たちに何かと便宜を謀ってくれる人間のひとりだった。
 
「物部様、もしかして、当家に何かご用件が?」
「あ、いや……そういうわけではないのだ。偶然、散歩中でな」
「なるほど。これは失礼いたしました。しかし、ご用命の際はなんなりとお申し付けくだされ」

 そう言って主人は頭を下げる。不思議なものだが、里では有力者ほど腰が低くなる傾向にあると布都は感じていた。商いの世界はよく分からないが、それが成功の秘訣なのかもしれない。
 何の気なしに、布都は主人の身体を眺めてみる。頭から足の先まで、丸々と太った身体。整えられた髭や、立派な着物からは、裕福な生活の一端が垣間見える。
 きっと、何不自由なく生活し、うまいものをたらふく食って過ごしているのだろう。
 そんなことを考えた布都の心臓が、いきなり強く鼓動を刻み始めた。信じられない衝動が布都に襲い掛かる。
 
(おい、嘘だろう? こんな……)

 ぶんぶんと頭を振り回して、あり得ない考えを思考から除こうとした。
 それでもその衝動は、除かれるどころか、布都の頭の中でどんどんと膨れ上がり、理性をぎりぎりと圧迫する。
 いつしか立っていられなくなり、布都は膝から地面に崩れ落ちる。目の前の主人が、慌てた様子で声を上げた。
 
「物部様!? 大丈夫ですか、おぅい、誰か――」

 人を呼ぼうとした主人、その腕を、不意に布都が強く掴んだ。

「よい……大丈夫だ。疲れがたまっていてな、立ちくらみがしただけじゃ」
「しかし」
「それよりも主人。実は、商いに関わることでひとつ相談がしたいのだ」

 唐突な布都の申し出に、主人は一瞬ためらった様子を見せる。
 しかし、立ち上がった布都の姿がしっかりしていたことから、とりあえず話を聞いてみようと心を変えた。
 
「お話をお聞かせください。どのようなご用件で」
「それが、……少し訳有りでな。ここでは話せぬ。そうだな」

 布都はくるくると辺りを見回すと、塀に囲まれた物陰を見つけて、そこに指を差した。

「あそこで話そうぞ。なに、すぐに終わる」

 布都の瞳が怪しく光る。そこに躊躇の色は感じられない。

 

 
次は優しい2ボスを書きたいと思いました

>誤字のご指摘感謝です。修正いたしました。
SARAyear
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.90簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
布都ちゃんが一昔前のホラー漫画みたいになっちまっただ

それと発見した誤字です
>目が座る
据わる
>カゴウジ
ガゴウジ
2.80奇声を発する程度の能力削除
楽しめました
3.80怠惰流波削除
逆かと思ったらホラーだった。

妖怪たちが食べるのを躊躇う、という部分だけがわかりませんでしたが、面白かったです。
4.90ばかのひ削除
これはおもしろい
見事に王道な作品でした
6.90南条削除
面白かったです
山姥が山姥らしくて良かったです