Coolier - 新生・東方創想話

マエリベリー・ハーンの消失

2017/07/24 03:47:26
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「事の発端は一ヶ月前まで遡るわ」

 宇佐見蓮子は行きつけのカフェでコーヒーを飲みながらそう言った。砂糖もミルクも入れていない、コーヒーそのままの味と香りを、宇佐見蓮子は楽しんでいた。

「一ヶ月前、私とメリーは市内にある廃寺に結界暴きに行ったわ。廃寺の中にあるほつれた結界の向う側にあるという、呪われた古井戸を見に行くのが目的だったの。まあ、結果的にはその古井戸は単なる古井戸に過ぎなかったのだけど。呪いなんてなかったのだけれど。まあそれは重要じゃないわ。それから私たちはなんの収穫もないまま最寄りの駅から地下鉄に乗って、途中の駅で私が降りてメリーとは別れたわ。それが、私が最後に見たメリーの姿だった。

 翌日、メリーとはお昼休みにこのカフェのこの席で待ち合わせをしていたの。そう、ちょうどここ。あなたが今座っている場所にメリーが座るはずだった。……けれどもメリーは来なかったわ。抗議の一つでもしてやろうとメリー携帯に電話をかけたわ。でも、『おかけになった電話番号は現在使われておりません』っていうアナウンス音声がスピーカーから聞こえただけだったの。メールも送ったのだけれど、アドレスが存在しないから送信できないってメッセージが送り返されてきたわ。私はメリーとの連絡手段を失ってしまったの。

 メリーの家は知っていたから、放課後になってその家を訪ねたわ。メリーの家は三条大橋近くのマンションで、入り口にあるオートロックシステムのパネルでメリーの部屋のインターフォンを呼び出したわ。けれども、出たのは知らない男の人の声。メリーのことを聞いても知らないと言うし、話を聞くと彼は何年も前からここに住んでいると言うし……。でも、そんなはずがないのよ。だって、廃寺に向かう当日、私はまさにこのマンションまでメリーのことを迎えに来ていたんだもの。

 私は大学に向かっていたわ。メリーが専攻している相対性精神学の教授に話を聞きに行ったの。……まあ、お察しの通り、マエリベリー・ハーンなんて名前の学生は記録されていなかったし、そもそも相対性精神学なんて学科もない。メリベリー・ハーンに関するあらゆる存在が、この世界から消え失せてしまったのよ。……この私を除いてね。

 いよいよ私は混乱したわ。なにかがおかしい。私がおかしいのか、それともこの世界がおかしいのか。わからないけれども、なにかがおかしい。私はあらゆる可能性を考えたわ。私がメリーの存在しない世界に来てしまったのかとか、実は最初からメリーは存在しなくてすべて私の妄想だったのかとか、メリーの存在を隠蔽するために暗躍する裏世界の組織が暗躍しているのかとか、まあとにかく色々とね。疲れていたのよ、私だって。そりゃあ、人が一人、ありとあらゆる痕跡を消していなくなってしまったんだもの。

 ところで、シュレディンガーの猫って知ってる? そう、あの思考実験。箱の中に入っていて観測できない猫が死亡する確率が半々である場合、箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせであり、箱を開けて観測するときに初めて結果がどちらかに収束する。まあまあ、そう焦りなさんな。ここから私がメリーを救出する一大スペクタクルストーリーに展開するんだからさ。

 で、そうそう、シュレディンガーの猫よ。あれは量子の重ね合わせの現象を猫に見立てて説明したものでしょう? で、思ったのよ。メリーがいた世界とメリーがいない世界の両方を経験している私は、その量子重ね合わせの状態なんじゃないかって。

 つまりよ? 私はメリーがいた世界を知っている。私はメリーがいない世界を知っている。異なる二つの世界、その両方を私は観測しているの。私がメリーを忘れない限り、この世界はメリーがいない世界に収束しないし、私以外の人々がメリーの存在を認識しない限り、この世界はメリーがいた世界に収束しない。ね? この世界はまさに猫が入れられた箱のようになってしまったのよ。

 ところで私、思うのよね。箱の中に入れられた猫はどうして観測者たりえないのだろうって。それは客観性が無いからだと私は思うの。例えば半々の確率で死に至る猫が入っている箱が置いてある密室に観測者を一人入れたとして、それは死んだ猫を観測した観測者と、生きた猫を観測した観測者の重ね合わせ状態とは考えられないかしら。つまり、密室の中の観測者には客観性がない。主観なんてものは曖昧で、人によって見えている世界は違うものだなんて、まさに私達がよく知っていることじゃない?

 私は月を見れば現在位置がわかって、星を見れば現在時刻がわかる力を持っているけれど、私が月や星を観測して入手しているその情報を、誰か客観的に認識している人っていないじゃない? 当たり前だけど、私みたいな特殊な力を持った人なんてどこにもいないんだもの。

 メリーの能力はもっとすごいわよ。誰も観測できない結界の境目を、彼女だけが観測できるの。つまり、メリーの主観による観測。だからもちろん、彼女が見ている結界の境目は重ね合わせの状態で波動関数が収束していない状態なの。そうなると、もうそれはメリーの意のままに操ることができる存在ってわけ。あらゆる重ね合わせ状態の中から、自分の気に入った結果に収束させることができて、そこからさらに別の結果へと終息させ直すことだってできるのよ。

 じゃあ、それを踏まえた上で私が置かれた状況はと言うと、まず異なる二つの世界が重なり合った状態に置かれているわよね? そしてその両方の世界、メリーがいた世界といない世界の二つを観測してしまったのが私。どうして世界は重ね合わせの状態になっているのか……それは、メリーがいた世界は観測者が主観的観測者である私一人だけであるからであり、メリーがいない世界は私という存在が収束の邪魔をしているからなのよ。

 私たちは猫。あるいは、密室にいる猫の観測者。私という存在がいる限り、世界は重ね合わせの状態で居続けるの。むしろ、私が唯一の重なり合った部分と言ってしまったほうが早いかもしれないわね。だからね、私はメリーを取り戻すために波動関数を収束させることにしたのよ。もちろん、メリーがいた世界にね。

 じゃあ、どうすれば世界はメリーが存在する世界へと収束するのか。私はメリーがいない世界を、メリーがいた世界に引きずり込むことにしたの。えっ、どうやってそんな大それたことをしたのかって? そんなの簡単じゃない。存在しないものを存在しないと証明するには、世界のありとあらゆるものすべてを観測しなければならないけれど、存在するものを存在すると証明するのはとても容易なことなのよ。

 ここで取り出したるはこの金髪のかつらでございます。これをどうするのかって? そりゃあ、もう、被るしかないじゃない。こうやって……こうすれば、ほら、メリーそっくりの髪型になる。あとはメリーそっくりの服を着て、大学構内を歩き回るだけ。メリーを知らない人たちがメリーを観測し、メリーの存在が客観的事実として世界に定着する。私以外の客観的観測者がメリーを観測したことによって、その事実は道標となって波動関数はメリーが存在した世界へと収束する。

 とまあ、そんなわけで、私はこの天才的な頭脳を駆使して見事世界を動かし、無事に世界からメリーを救い出したってわけ。もっとも、私以外の全員がそんなことが起きたなんて事実を認識すらしていないでしょうけれどもね。だからほら、あなたは私に多大なる感謝の念を抱いて、ここの支払いは自ら率先して支払ってくれてもいいのよ?」

 宇佐見蓮子はそう締めくくると、美味しそうにコーヒーを一気に喉へと流し込み、それから伝票をテーブルに置いたままカフェを颯爽と立ち去っていった。彼女の対面に座っていたマエリベリー・ハーンはその背中をじっと見送り、やがて小さく、なにそれ、と心底呆れた様子で呟いた。彼女は結局、宇佐見蓮子が彼女に奢らせるための長ったらしい壮大な作り話を聞かされただけだった。

 主観客観問わず世界は変わらないし、主観客観問わず世界は変わっていく。マエリベリー・ハーンが宇佐見蓮子の飲んだ分のコーヒー代を支払わされることもまた、主観客観問わず変わりようのない事実なのであった。
宇佐見蓮子は相手に奢らせるためには一切の妥協を許さない。
雨宮和巳
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コメント



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3.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
4.90奇声を発する程度の能力削除
とても良かったです
5.60名前が無い程度の能力削除
頭と尻尾を切り落としたような作品でした。
7.70沙門削除
こんな不思議な話もありだと思う。
10.80スベスベマンジュウガニ削除
壮大に何も起こってなかった
12.60名前が無い程度の能力削除
東方じゃなくても成り立つ話で、単なる世界線物としては説明に尽き、惜しいと思いました。
13.90南条削除
面白かったです
蓮子がこの話を即興で考えているのだとしたら凄まじいなと思いました