Coolier - 新生・東方創想話

冬色天の川

2017/07/06 18:22:42
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 0.

 私が住んでいる地下に比べたら、地上はいつもお祭りだ。
 それが私、古明地こいしにとって好ましいかどうかは別にして。
 たとえ無意識であっても、感情をどこかに置き忘れても、五感から未選別な情報が私の中に入ってくる。私にとって、地上というものは騒がしすぎるかもしれない。
 地底、地面の下の世界には、そんな眩しさやら五月蠅さやらを嫌った者達が集まってくる。勿論その他の理由を抱いて地下に来る者も存在するが、いずれ地下の空気に絆されて“そうなる”のだ。
 お姉ちゃんと私は前者、潜在的に地下へと惹かれていった。さとりという妖怪にとって、心の静寂は何よりも手に取りたいものであり、それは上では得られなかった、ってこと。
 けれど、お姉ちゃんと私は別々の方法で静寂を手に入れた。お姉ちゃんは他者を周りから排除する事で、私は第三の眼を閉じる事で。
 結果としてお姉ちゃんは地霊殿と呼ばれる我が家から滅多に出なくなり、私は自制と感情を大きく失った。
 とは言っても、当人は「だからどうしたの?」くらいのものである。
 そして、私達の周りに集まってきた物好きも、まったく気にしない奴、そういうものと受け入れる奴、何を持って不思議とするか判断できない奴、殆どは動物である。
 お姉ちゃんと動物達の相性は良好だった。本能のままに生きる生命は、余計な雑念をお姉ちゃんの心に与えなかったのだろう。地霊殿が別名ペット屋敷と呼ばれるのも、大半はお姉ちゃんのせいである。
 そんなペット達の中でも力を得て、知性を手に入れた者もいる。
 一匹は死体運びの専門家である火車、お燐。
 恐らく地霊殿の中で一番真っ当で真面目なのだが、お姉ちゃん大好き猫で、お姉ちゃんが関わる案件では判断と常識が大きく歪むのが玉に瑕。
 一羽は焼却の嗜好家である地獄鴉、お空。
 元々、彼女はお姉ちゃんから私に充てられたペットであったが、飼い主の放任主義が彼女に合っていたのか、のびのびとした良い子へと育った。
 好戦的なところと、理解力に乏しいところは、地霊殿の皆から見ればご愛敬といったところである。
 我らがアイドル、お空であるが、どうやら妖怪の山に引っ越してきた神とやらによって八咫烏にレベルアップしたらしく、その自信過剰な性格にも最近磨きが掛かっている。



 そんな一羽は目下、行方不明である。
 地霊殿の太陽は忽然と姿を消し、季節は巻き戻しを始めていた。






















1.

 憂鬱な灰色は空から消え、恵みの雨の季節を越えつつある。
 本格的な緑の世界、夏の始まり、喧しいまでの生命の躍動。
 一番騒がしい季節が始まろうとしている。

 けれど、地下にはそんな気配は全く無かった。
 緑が無いのはいつも通りだし、騒がしいのは旧都市街地くらいなもので、あそこは年中無休で騒がしい。
 ならいつもの地下の夏なのか、と問いかければ、そうではない。
 夏は吐いた息が白くなったり、粉雪が風で舞い上がったりはしないものだ。
 地上と地下の季節にズレは生じない。地下には梅雨は無いけれど、地上の梅雨が明ければ、この薄暗い世界にも夏がやってくるもの。
 しかし、今年は代わりに冬が猛スピードで帰ってきた。
 昨日から降り続いた雪は、地下を半年前の光景に変化させたのだ。
 地霊殿の門の前に立っている私は、開いている二つの眼で辺りを再度確認してみる。
 遠くに見える旧都の住居、地霊殿をドーナツのように囲う建造物は軒並み雪を被っており、その周囲も雪に化粧され、白い世界となっている。
 この場所も見えた光景と然して変わらず、塀や門は白によっていくらか塗りつぶされて色を失い、代わりにその重さをわずかに増している。
 一歩踏み出してみると、ぼすりという靴が埋まる音の後に、ぎゅううと何かを凝縮する音。半年前ならばどこでも聞けた冬の雪道の音だった。
 地下の雪。空が地で覆われているのにどうして雪が降るのか?
 お姉ちゃんの回答は「冬だから」である。
 つまり今は、冬なのだ。

「くちゅん!」

 冷え切った自分の手で残った手を握ると、少しだけ暖かさを感じた。
 いつものように意識無く外に出てきたようで、私は上着を羽織っていなかった。
 普通の格好で出歩くには厳しい環境だし、外出する予定でも気分でもない。季節外れの雪にはしゃいだところで、暖は取れないのだ。
 大人しく床暖房完備の自宅へと戻るとしよう。
 家に入る前にもう一度空を見上げてみる。
 やはり雲に覆われており、偽りの地下の太陽は今日も見られないままだ。



 残念ながら地霊殿の妖怪手動式床暖房は現在、弱設定しかできないらしい。
 理由は明白で、地霊殿の下が弱火状態を維持するのが精一杯であるから。
 今、地霊殿の下に存在する灼熱地獄の火力の調整を行っているのはお燐である。常に人材ではなく妖怪材(?)不足で悩む地霊殿では、お空の代役になれる存在などいない。よって、手順を知っている上に、自身で判断できる知能を持っているお燐以外に作業の指揮を取れる者はいないのだ。
 お空の持つ空気に影響され、自由気ままに生活してきた地獄鴉達を制御するのは、お燐でも骨が折れるらしく、火力不足な上に本来の自分の仕事、怨霊集めは完全に滞っている。
 そういう時こそ、地霊殿の主の威厳や管理能力が試される筈。筈……なんだけど、お姉ちゃんは約三ヶ月ぶりに復活した大好きな炬燵の中から出てこない。

「お空は無断外泊するし、そのせいで冬に逆戻り。最悪だわ」

 私が玄関から入ってくるなり炬燵で寝転がりながら悪態を付いて見せるお姉ちゃん。
 中々ベストな体勢を発見できないのか、うつ伏せになったり、仰向けになったり、忙しない。
 炬燵を拠点にして外には一歩も出ようとしないお姉ちゃんは、地霊殿冬の風物詩であり、“さとつむり”とでも命名すべき新種である。

「まあ、炬燵さえあれば寒さには負けないからいいとするわ」
「何か大切なものに負けてるよ、お姉ちゃん」

 気温が下がるとやる気とテンションが比例して下がるお姉ちゃんに、全体の指揮を取れというのがそもそもの間違い。
 私達は基本的に頑張らない為に、周囲とは距離を置いた場所に住まいを構え、死体と協調性、気力などを灼熱炉に廃棄しているのだ。
 お空の抜けた穴を埋めるべくして頑張っていたお燐は今、猫が好む炬燵にも目を向けず、椅子に深く腰掛けて、ぐったりしている。
 赤い髪の毛に付着している灰は、彼女が慣れない場所で働いていた証である。

「灼熱制御のほうは大丈夫なのかしら?」
「休憩中です。休まないと身も心も持たないです」

 当者よりも業務を心配するお姉ちゃんの問いかけに答えた後、お燐は「はは、はははっ」と表情一つ変えずに笑っていた。
 ぷすぷすと煙を頭から上げながら、溜息を付いたお燐は、肉体的にも精神的にも追い込まれているようである。
 今のお燐を見ていると、何故か親近感を覚える。
 忙しさは無意識を誘発するのだ。

「死体はどんどん燃やしていいわ。こんな場所で休んでいないで、働いて動いたほうが二重に暖かくなるわよ」
「身体が焦げるくらいには暑いですけど」
「なら家の外に出て、冷たい空気に当たってくるといいわ。その際はちゃんと扉を閉めなさい、隙間風が入ってくると部屋が冷えるから」

 掛け布団を厳重に覆っているお姉ちゃんにとっては、隙間風くらい何も影響は無いように思えるけど。
 労い方に棘を伴うお姉ちゃんの言葉であるが、お燐にとってはそれでも十分らしい。

「さとり様に冷たくあしらわれる。これはこれでいいかも……」

 良くないんじゃないかな?
 お姉ちゃんの英才教育は、地霊殿の唯一の常識持ちをも駄目にしている。
 まあ、とりあえずお燐はまだまだ働けるようだ。

「困ったわ。そろそろ七夕の時期なのに、準備する時間も手も無い」
「お姉ちゃんの出番ね」
「冬に七夕はしないわ」

 地霊殿の七夕中止のお知らせである。
 このイベントには特に思い入れが無いから、やらなくてもいいと思うけど。
 織姫と彦星が一年に一度、デートする日らしいけど、地下ではその様子は全く見えないし、多くの人と妖怪に見上げられては当人達も照れくさい事だろう。そんな目出度い日くらい、二人水入らずで放っておいてあげればいいのにな、と思ったり。
 地霊殿でも笹を拝借して、短冊や飾り付けを行った後にお空とお燐が旧都の中心地に持って行って、大きな笹の葉に備え付ける。軽労働ながら毎年欠かさずに行っていたイベントだ。
 私とお姉ちゃんは旧都には訪れないけど、そういう集団行事に参加している姿勢を見せる事は、地下でも浮いている地霊殿にとって良い機会ではあった。





 さて、本題に入ろう。
 今、地霊殿が抱えている問題は大きく二つ。
 一つは冬のように寒くなり、季節外れの夏がやってこないこと。
 二つ目はお空が神隠しの如く、地霊殿からいなくなってしまったこと。
 この二つのツケは共にお燐が抱えており、もし長く続くと、心が私のようになってしまうかもしれない。
 二つの事件に関連性があるのか? 正解は持っていないけれど、私の回答はイエス。
 地低の温度調整はお空が一任しており、彼女がいなくなってことで火力が足りず、世界が冷え込んでいる、とするのが一番分かりやすい。
 その仮定を元にすると、お空さえ帰ってくれば事は二つの問題は解決することになる。

「ねえ、お姉ちゃん」
「炬燵は渡さないわよ」

 いらないし。
 お燐の隣の椅子に座り、縄張り争いをする気がない事をアピールしつつ、質問を始める。

「お空は帰ってこないままなんだよね?」
「あんたの目にも映っていないのなら、そうなんでしょうね」
「探したりはしたの?」
「当たり前じゃない。貴方がそこらへんをふらふらしている間に捜したわよ、お燐が」

 お燐の仕事と疲労は溜まるばかりである。
 当事者に聞くのも一つの手ではあるけれど、下を向いたまま固まっているので、仕方なくお姉ちゃんと話を続ける。

「探した場所は?」
「お燐に指示したのは地霊殿周辺だけよ。旧都に範囲を広げるだけの労力は無いわ」

 当然、炬燵に入っている自身は労力として数えていないらしい。
 まあ、私だって地霊殿の為に動いているわけではないから、お姉ちゃんを棚に上げて事を口にすることはできないけど。
 いてもいなくても何も変わらない私、しかしお空にはこの家に役割、そして居場所がある。そう思うと、少しだけ私の中の空っぽがざわつく気がした。
 この場所にいる自分というものが希薄であるからなのか、今いるべき者がいないからなのかは分からなかった。

「寒いのはやっぱりお空のせいなの?」
「鴉達はあたいの命令をちゃんとは聞いてくれないです。地下の人工太陽の稼働は従来の1/3で、季節外れの冬到来も頷けます」
「お空が八咫烏の力を持つ前から、地底には四季があった。だから本来ならば、お空がいなくても上手く制御さえできれば、夏は維持できるの。理論的には」

 お空が抜けている穴は想像以上に大きい、それは中に貯めた水がざばぁと全部出てきてしまうように。
 まあ、水を止める方法、原因と問題解決法が明確なのだから、やるのか? できるのか? の話となっている。

「お空がいないことについては口外禁止よ」
「えっ、どうして?」
「もし外の連中が原因がここにあると確信したら、鬱陶しい鬼とかが苦情を言いにこの地霊殿に訪ねて来るのでしょうね。嗚呼、想像するだけで煩わしい。誰にも会いたくないわ」

 顔以外を炬燵に完全収納して、メランコリックな気分を隠さないお姉ちゃんを他者に見られるのは、私にとっても心外というものである。
 だらけているお姉ちゃんは地霊殿みんなのものであり、部外者の誰かには見せたくない姿なのだ。

「ということで、こいし。あんたがお空を捜してきなさい」
「えっ、私? なんで?」
「お燐は地霊殿の床暖房を適正に保つ義務があるの。貴方と違って忙しいのよ」

 温かい場所に潜ったままで私に任務を与えたお姉ちゃんは、やっぱり自分を頭数として数えていない。
 言い返したりはしない。お姉ちゃんの欲も言葉には乗っているけれど、きっと何かの意図があってそう口にしているんだと思う。
 お姉ちゃんは私に強要はしない。ただそうした方が良い事を口にするだけ。

「お空もきっとこいし様を待っていると思います」

 生き返ってきたお燐もお姉ちゃんのアイデアに同意してくる。
 私には汲み取れていないものを、お燐はお姉ちゃんの言葉から受け取ったのだろう。

「お空は自信家で頭が少しばかり弱いけど、優しくて強い。きっと何かの理由があっていなくなっただけで、きっと戻ってくる。あたいはそう思っています」
「だったら待っていればいいじゃん」
「駄目ですよ。こいし様が捜しているということが重要なんです」
「うーん、よく分からないなぁ」

 帽子のつばを触って働かない頭を回してみても、答えには辿り着かない。
 だからといって、したくないわけじゃない。どうせ暇しているし、一応お空は私のペットということになっている。
 お空が消えてしまった責任の一端は私にあるのかもしれない。

「寒いけど頑張ってみようかなぁ」
「その意気ですよ、こいし様」
「探している途中で目的を忘れちゃいそうだけど」

 自制がきかないというのは捨てた本人にとっても不便なもので、何で外出しているのか忘れてしまうのは日常茶飯事。時には無意識時に他者の夢現を見せられたりする影響で、自分が自分である事を忘却してしまったりもする。
 短期間で目的を達成するのが、脳みそ制限時間付きの私にとっては重要なのだ。
 そうでないとまた地霊殿に戻ってきて、同じ会話をすることになるだろうから。

「何かヒントとかはあるのかな?」
「正直、さっぱりなんですよ。いなくなった前日も普通に仕事してましたし。お空は急に思い付きで突飛な行動を取るタイプなので」
「くまなく探すにしても、幻想郷は広いからちょっと面倒だなぁ」

 手がかりなしでふわふわと彷徨っているのでは、いつもの散歩と然して変わらない。
 そんな気分で飛んでいたら、いつも通り思考は停止する。
 何か使える物は無いのだろうか、と思ったその時、私は電話を取り出した。
 これの正式名称は電話ではなくスマートフォン、略してスマホ、と雑貨屋さんは言っていたけど、使用用途は「遠くの誰かと会話ができる」という電話と変わりはない。
 電話自体が殆ど普及していない幻想郷なので、私が通話できる者は自宅に試作した電話を備えている雑貨屋さんだけである。
 雑貨屋さんの話によると、ある天狗さんも電話を持っているらしいけど、番号は未だに知らないままである。
 地上での知り合いも増えた事だし、切っ掛けが無くても取りかかれる誰かはいる。

「うん、上手くできるか分からないけど、やってみるよ」
「良く考えて第三の目を柔らかくしてきなさい」
「柔らかくなりすぎて開いちゃうのはやだなぁ」

 帽子を深く被り直して、私は立ち上がる。冷え込んでいる外に出るには、強い気持ちと上着が必要不可欠だ。
 上着を羽織って毛糸の手袋を嵌めると、温かい世界の中心にいるお姉ちゃんが見送りの言葉を掛けてきた。

「こいし」
「なぁに?」
「外へ出るなら蜜柑を買ってきてはくれないかしら?」
「覚えていたら買ってくるね」

 家を出て三歩で忘れるだろう。
 それくらいどうでもよい姉の願望を空っぽの胸に、私は玄関へと向かっていく。



「……大丈夫でしょうか?」
「こいしは幾分前よりも快活になったわ。今回も私の出る幕は殆ど無いでしょう」
「でも、実際の所、ノーヒントですからね。適当な探索で見つかるのでしょうか?」
「どのような結果であれ、報われるのならそれでいい」
「それはこいし様のことですか? それともお空?」
「勿論ふたりとも、よ」









2.

*****          *****




 さとりという妖怪が私達の縄張り近くに住み始めていたのは知っていた。
 熱を好む妖怪達が集まる灼熱の世界。そんな場所の上に平気で建物を立てるあたり、私達と同じように暑さが大好きな妖怪なのかと最初は思ったものだ。
 だから、良く覚えている、さとり様の最初の一言を、

「温かいと思って来たのに、こんなに暑いなんて聞いていないわ。すぐに弱火にしなさい」

 いきなり自分達に命令してきた尊大な妖怪、それが私を含めた多くの妖怪達の第一印象だった。
 反感を持った私達であったが、その思いはあっという間に萎んでいく。
 さとり様は私達よりも強く、それでいて強い干渉はしてくることなく、私達を認めてくれた。
 曰く「私は心を偽らない者の味方」だとか。
 そんなわけで、灼熱地獄は制御されるようになり、その上にある地霊殿はペット屋敷へと変わっていった。
 こいし様という存在を知ったのは、さとり様と出会ってから幾分後になった。
 無意識に制御されているこいし様の能力故に、私達のような一般的な妖怪には、こいし様を認知する術は無かったのだ。
 ならば何故私はこいし様と出会えたのか?
 それは、さとり様が私をこいし様のペットにすべく、紹介したからである。
 こいし様は心を閉ざしていた。さとり様とは異なり、第三の目は閉じていた。
 さとり様が私を使ってこいし様の閉じた心に何かを植え付けようとしていたのは、妹を思う姉だからなのか、それとも……。

「こんにちは鴉さん。なんか羽根とか身体とかがふぁさふぁさしてるね」
「大事にしなさいよ。あんたは壊すのと無くすのだけは得意なんだから」

 さとり様の不穏な一言に不安を覚えたのもその日だけ、こいし様が私を良く見てくれたのもその日だけ、だったのかもしれない。
 私は鴉の中では力を持ってはいたが、お二人とは比べるまでもなかった。それが、こいし様のペットになれた理由でもあり、こいし様が私に興味を持たなかった理由の一つなのだろう。
 貰った物はペットという名義と一緒に居られる権利。
 後ろをついていったりもしたけれど、こいし様はいつの間にかどこかへと消えてしまうのが常だった。
 餌を与えてもらって美味しく食べていたのに、こいし様は興味を失ったかのように部屋から出て行ってしまったりした。
 自分の仕事場に遊びに来てくれる事もあったけど、話をするのは他の鴉達とであり、私は「だっていつでも話できるじゃん」と正当に心に刺さる理由であしらわれた。
 そう、私の手にあるものは特別なものなんかではなかったんだ。偶々私が手にしただけで、誰であってもよかった。
 さとり様の膝の上で撫でられるお燐を、私は一人で隠れ見ていたこともあった。羨ましいと感じ、自分のご主人様に憤りを覚えたりもした。それなのに、頭に浮かぶ私を見て笑っている姿は、さとり様ではなくこいし様だった。
 嫌いになれたほうが楽だったかもしれない。でも、私には選択肢は一つしかなかった。心に嘘を付くものを、選択肢とは言えないんだ。
 いつだったか、こいし様は頭上の誰かに懇願するように、独り事を言っていた。

「私のペットには恋焦がれるような陰惨な力の神様が欲しいなー」

 特別になる為の方法。私が霊烏路空として認められる方法。
 どんなものでもいい、ただただ力が欲しい。



*****          *****






 意識が空になった時に、稀に入ってくる他者の感覚。これも不必要な目を閉じた事による弊害、無意識の副作用の一つだった。
 第三者の現実が夢を見るかのごとく、記憶や思い出が私の中へと入ってくる。正直な所、不必要で捨てたい能力でしかなかった。
 そんなものを見せられたからといって、私が何かするわけでも感じるわけでもないし、殆どの場合は誰のものであるのかも分からない。
 でも、今回ばかりは自分も出てきた事だし、誰のものであるのかは明白だった。
 どうやら、お空のことを考えていた為に、彼女の思考の断片を無意識に拾っていたようだ。
 まさか、自分というものを客観的に見る事になった上に、お空から見解まで頂くとは。
 更に、放任教育は大いにバッシングされていた。
 次にペットを育てる機会があったら、スパルタ教育が良いかもしれない。三日くらいで飽きるか、頭から忘れそうだけど。
 そんな事はまあ置いておくとして、少なくとも私が拾ってしまった時のお空は、私という存在を理解できずに苦悩していたようだ。
 私自身も私というものを良く分かっていないのだから、お空が私を理解できないものと考えていたのは当たり前なのだろう。
 動物達は素直だ。理不尽も“そういうもの”として受け取ってくれるのだから。だから、私だって“そういうもの”なのではないだろうか?
 なんて簡単に割り切れるのは、きっと面倒臭がり屋で脳を寝かせるのが趣味な私だけなのかな?
 彼女は理解の切り口を広げる為に、意識的に発言したとは思えない独り事にさえ、縋っていた。私がその言葉を覚えていない時点でそれは本質的ではないし、達成しても私は「えっと、それ何だっけ? 覚えていないや」と言ったことだろう。
 もしかしたら、お空がこうやっていなくなってしまったのは、私のせいなのかもしれない。
 そんなのお空の考えであって、私、関係無いじゃん。正直にそう思う自分と、そう考えている自分に不快感を覚えるもう一人の自分がいる。
 痛い、頭がずきずきする。空っぽの心を誰かがむぎゅうと掴んでいて、こっちも痛い。
 複雑に絡み合った糸は嫌いだ。思わず引っ張りたくなっちゃうから。
 だから、無意識の拾遺物は捨て置いて、シンプルに考えよう。
 お空は私のペットであり、行方不明だから探している、と。
 そう何度か繰り返したら、頭の奥に居座っていた痛みが和らいだ気がした。





 さて、いつの間にかやってきていた場所、旧都である。
 地底の中核であり、地下の居住区域であり、経済の中心地。この街はどの時間でも煌びやかな夜であり、眠らない街でもある。
 そんな旧都も半年前の季節に飲み込まれてしまっていた。
 瓦屋根が雪に埋もれ、三角屋根の先には滑り落ちた雪が積もっている。
 夏は黒っぽい壁ばかりに囲まれた上に多くの妖怪達が行き交うため、閉塞感を覚える事も多いけど、寒さが厳しいためか通りは疎らで、壁も雪が薄く付着しており白が目立つ。私にとっては空気も吸いやすく、歩きやすかった。
 不愉快なのは視界だ。昼間なのに無駄に行燈やら雪洞やら提灯やらが煌びやかに光り、白い世界を更に眩しく照らし出している。これでは第三の目どころか、両目も潰されてしまいそうである。
 所々、軒先には笹の葉が飾られている。お姉ちゃんが言っていたように、七夕が近いからだろう。
 光を逃れるように目を地面に落とすと、道にも雪と茶色い足跡。脇には工事好きの鬼が突貫で行ったのか、所々の空きスペースに土が混ざった雪が積み上げられている。
 雪が景色を変えているのは、別に旧都に影響を与えてはいないだろうけど、夏場だというのに閑散としている通りは間違いなく出戻り寒気の影響だろう。
 この時期は店先や道端、はたまた路上でもビールを煽っている妖怪だらけであり、私もよく知らない妖怪に奢ってもらっている。そのビールが無いと来たら、ここに来た意味も半減してしまうというものだ。

「ビール、じゃなくて、私はお空を探しているの……」

 一瞬、脳に黄金色の麦畑が見えたけど、それを振り払ってお空に変える。一度脱線してしまうと、色々なものを無へと追いやって、私は何も思い出せなくなっちゃうんだ。
 とは言っても、お酒が飲みたくなったというのも事実である。たとえ頭に描かなくても、足は無意識にアルコールへと向かうだろう。
 つまりは両方とも達成できれば問題は何も無いのだ。
 情報収集をするべく、私は近くの居酒屋さんへと入った。





「暖かいなぁ。外出たくないなぁ」

 店は大繁盛、理由は私の言葉通りなのだろう。
 こんな寒い日に外に出るくらいならば、暖房がきいた空間で湯気の出た熱燗でも飲んで、身も心もふわふわするのが、精神も身体も健康になるというもの。
 地底の妖怪達もそれが良く分かっているようで、店内は通りの閑古鳥が飛んで逃げだすほどの騒がしさである。
 ご相伴にあずかれそうな場所をぐるりと探してみると、見たことある顔が三名、ひとりは楽しそうに、ひとりは美味しい酒も台無しな感じにげんなり、ひとりは暑さにやられているのかボーっとしたまま飲んでいる。
 足が勝手にそこへと向かっている。理由は私の意識下にでも聞けばいい。

「昼間から酒盛りとは、ほんといい御身分ね。妬ましい」
「まあそのおかげあって、私もただ酒にあずかれるんだけどね」
「周りが寒くて仕事を放棄してな。連中の根性無しは頂けないが、季節外れの一日を酒盛りに変えても、誰も文句は言わないだろう」

 うん、それはその通りである。
 ジョッキの中身を一気に空にして見せた鬼のお姉さんは、酔っ払っているのかシラフなのか、豪快に笑ってみせた。
 それを見て呆れるふたり、とはいっても慣れた様子であり、マイペースにちびちびと飲んでいる。
 それにしても、顔は何度か見たことあるのに名前が思い出せない。
 みんな金色の髪をしていて区別しにくいのが原因なのではないだろうか。

「それにしても何で寒いのかしらね。今日は橋にも氷柱が出来ていたわ。こんな寒さ、冬でも滅多に見られないというのに」
「冬は好きじゃないのよね。眠くなるし」
「春も夏も秋も眠いと言っていたろ。ヤマメ、地下に来てからお前はやる気が常に無さすぎだ」
「いいじゃない。血肉躍る出来事を期待して待っている勇儀みたいな沸点低い連中よりは、よっぽど健康的だと思うけど」
「同じく。儚い期待なんて結局のところ、妬みしか生まないわ」
「お前らは思考がお年寄りだな」

 顰蹙を買っている鬼のお姉さんが勇儀さんと言うらしい。そういえば、そうだった気がする。
 茶色いリボンを付けていて、机に顔を乗っけてだらりとしているのがヤマメさん、会話より判明。彼女とは何度か話をした記憶があったんだけどなぁ。

「そもそも血と暴力を見るのが大好きな連中は地底の至る所ににいる。需要過多なのよ」
「私が知る京の土蜘蛛はそんな連中の顔すら真っ青にする存在だった筈だが」
「暴れる意味があるなら、どん引きさせるくらいするわ。でも、私今の地底生活に満足しているし。こうしてただで酒にあずかれるようにね」
「まあ、少なくとも地上よりはいいわね。ビクビクしながら人の顔色を窺って話をするような奴もいないし、光も眩しくない。足りないのは嫉妬を含めた負の感情くらいかしら?」
「とは言ってもだ、ヤマメもパルスィも妖怪だ。妖怪らしく振る舞い、時として戦う。妖怪らしさを一度忘れてしまうと、自身の存在意義をも忘れるぞ」
「だって、私が本気を出すと凄く陰湿なものになるし」
「同じく」
「お前ら性格の悪いお婆ちゃんだな」

 楽しそうである。
 お婆ちゃんの片方がパルスィさんのようだ。目つき鋭く勇儀さんを睨み付けている。
 眼光鋭い緑眼がとても綺麗な方で、思わず魅入られてしまいそうになっちゃう。
 お酒も進むというものだ。

「まあ、私は勇儀やヤマメと違って実際若いけど」
「まあ、勇儀さん。パルスィさんったら、若いのにこんな目つき悪くしちゃって。きっと色々と苦労してきたのね」
「そう言うな。これはこれで可愛いものだぞ」

 顔を紅くしてふたりに食って掛かるパルスィさん。
 間違いなく楽しそうである。

「んー。それにしてもさっきから妙だな」
「妙? 何が?」

 天井の照明を見ながら疑問符を浮かべるヤマメさんに問い掛けたのはパルスィさん。
 勇儀さんもその“妙”という言葉が指し示すものが何であるのか、確証を持っていない様子。
 しかし、私には心当たりがあった。
 私はヤマメさんと複数回話した事がある。しかも、私はヤマメさんに用があって話しかけた事は無い。
 それはつまり、

「私の糸が風を読むんだよね。近くに勇儀やパルスィ以外の誰かの風を、さ」
「店内に沢山客が入っているからだろ」
「地縛霊かしら? そういう類だったら、私でも感情が拾えそうだけど」
「ああ、分かった。地霊殿の子だ、これは」

 彼女は私を見つけられる程度には探査能力に優れているという事。
 蜘蛛は四つの目を持ち、糸を神経のように扱う。他者から感覚で捉えられなくても、私がここにいるという事実は変わらないのだ。
 誰かがいるという猜疑心は、私の能力に強く干渉する。故に徳利でお酒を拝借している姿が見られるのは必然だった。

「なっ、湧いて出た!」
「湧いて出てないもん、結構前からいたよ」

 四人席、空いていたパルスィさんの隣に座っていた私は、驚いて見せた彼女にも観測される存在になってしまった。
 別に姿を見られたところで、私にはやましい事なんて何一つ……、あった。
 手に持っている徳利は現行犯の証拠となるだろう。

「古明地のところの妹だな」
「そんな名前じゃない、こいしだよ」
「そうだな、失礼した。まあそっちも勝手に失礼しているようだが」
「ただ酒が飲める優しい世界と聞きまして」

 勇儀さんは溜息を付いてみせたけれど、まんざらでもない様子だ。
 散財も大きそうだけど、収入も多いのだろう。
 ならば、遠慮せずに頂けるものは頂いちゃおう。

「それで、どうしてここに? 貴方も酒目当て?」
「えっと、それはおまけみたいなものかな」
「へえ、目的を持って出回っているとは、糸で捉えた噂もまんざらじゃないみたい」
「噂? 私の?」
「そう。地上で大いに注目を集めたとか、外から入ってきた人間をオカルトで怖がらせたとか」

 ヤマメさんは目も良ければ、耳も良いようだ。
 その糸を多箇所に張り巡らせることで、色々な情報を振動から聞き取っているのだろう。
 ならば、彼女の情報網に私の目的のペットが引っ掛かっているかもしれない。

「ねえヤマメさん、ヤマメさん」
「はいはい、酒席だから面倒事は無しでね」
「うちのペットがどこに行っているか、わかる?」
「ペット?」
「黒い翼がばさぁ、って生えていてね、緑のリボンをした鴉さんなの」
「ああ。あの八咫烏か。よく妖怪の山を訪ねているんだっけ? 最近は見てないし、彼女の噂も特には聞かないかな」
「えー、残念」

 八咫烏の力は妖怪の山に住み着いた神様より貰ったと、お空は言っていた気がする。
 ならば、地上に行ってみて様子を見てくればいい。
 どうせ行き先知らずの散策だ。少しでも理由があるのなら、それに縋るしかない。
 もし、もしも、家にも帰らずに妖怪の山で働いていたならば、強制労働反対を理由にでもして、無理矢理にでも引き摺って帰ろう。それがいい。
 なんか胸がもやもやしているけど、これはもしかして怒り、というものなのかもしれない。
 昔懐かしすぎて、本当にそうなのかが判断できないけど。
 この怒りの矛先は、一体誰?

「ヤマメさん、ありがとう。妖怪の山に行ってみるよ」
「あそこは天狗の住処で危険だけど、貴方の能力なら問題ないか」
「あとね、山には雑貨屋さんがいるから協力してもらうよ」

 大きな鞄をいつも背負っている雑貨屋さんは、“スマホ”を使えるようにしてくれた凄い妖怪さんである。
 本人曰く河童であるらしく、天狗には頭が上がらないだとか。
 つまり、協力してもらってもあんまり力にはならないかも。
 まあ行ってから考えよう。少なくともここでちびちびお酒を飲んでいたら、間違いなくお空のことは頭から離れるだろうから。
 ただ酒がこっちを見ていて名残惜しいけれど、私は立ち上がる。
 暖を取り過ぎるともれなくお姉ちゃんになっちゃうし、寒いのは慣れっこだ。

「美味しいお酒、ごちそうさまでした」
「奢るとは言ってないが、まあいいとしよう」
「じゃあ、行ってきます」
「一つ、いいかしら?」

 別れの挨拶も束の間、パルスィさんは私にまだ用事があったみたいだ。
 緑色の眼は訝しげで、まるで自分が何か悪い事でもしたみたいである。ただ飲みは確かにしたけれど、事後許可を今し方頂いたばかりだ。
 私の予想は見事に外れる。まあ、当たるなんて思っていないけど。

「ここ三日間くらい寒いでしょ? その理由が気になってね」
「冬が帰ってきたからじゃないかな?」
「貴方のペット、霊烏路空だっけ? 灼熱炉を管理する鴉を貴方が捜している、それと帰ってきた冬、普通なら結び付けて考えると思うけど」
「うん、そうだね」
「寒くなったのって、どう考えても貴方の所の怠慢、からなんじゃないかしら?」
「そうかも?」
「はぁ、やっぱり。妬ましい」

 おでこに手を当てて息を深く吐いたパルスィさんは、まるで何かに呆れているようだった。
 別にがっかりするような回答じゃないし、パルスィさんの謎は解決したと思ったんだけど。
 まあ、いっか。質問は終わりみたいだから、今度こそ地上へと向かわなきゃ。
 お姉ちゃんに何か口止めをされていた気もするけど、上手く思い出せないから気にしないでおこう。





 3.

*****          *****




 私とこいし様が共有する思い出は多くない。
 独りでぼーっとしているのが、私のイメージとして浮かぶこいし様の姿である。
 自ら心を閉ざすほどに、他者に対してナーバスになっていたと考えると、独りでいる方が気楽でいられると思うのも普通だ。
 だから、私の存在自体が邪魔でしかない時もきっと何度もあったのだろう。
 でも、こいし様は何も言わない。
 それは私にとっては悲しさでしかなかった。
 文句であっても愚痴であっても、気に掛けて欲しかった。私というものを、私の存在を認めて欲しかったんだ。
 そんな私達のギクシャクした関係を目にしたさとり様が、一つ注文を付けた事がある。

「こいし」
「なぁに、お姉ちゃん?」
「自由を与えるのもいいけど、偶には構ってあげなさい。ほら」

 さとり様が持っていたのは「新装開店」と書かれているチラシである。引っ込む場がない手で受け取ったチラシを後ろから覗き込むと、お勧めのアクセサリーがいくらか並んでいる。
 私を含め、地獄鴉はキラキラしたものが大好きで、無価値なものでもついつい拾って集めてしまう。さとり様はそんな私達、私の習性を見て、気を利かせてくれたのだろう。

「お姉ちゃん」
「どう? 行く気になったかしら?」
「これ欲しいな。買ってくれるの?」

 でも、肝心のこいし様には伝わっていなかったみたいだけど。



 さとり様の説明を受けた後、追い出されるようにしてやってきたこのお店。
 開店当初であるからか、暇をしている妖怪達が集まって、綺麗な光を反射する石を見つめている。
 それにしても高い。どれもこれも魅力的な光沢を放ってはいるけれど、その値札についている0の数が一番目立っているのではないだろうか?
 さて、今回のコンセプトはさとり様の言葉通りであると、「私がこいし様から一個、欲しいものを貰える」というものである。こいし様が納得されているかどうかは顔色を窺っても分からなかったけど、「しょうがないなぁ」と回答していたので、買って頂けるものと考えてはいる。
 とは言っても、こんなキラキラしたものを受け取ろうと思ってはいない。
 身に合わないものを持っても仕方ないし、できれば無くさないようなものがいいな。
 “ジュエリーコーナー”と書かれたスペースにいてもしょうがないだろう。
 ということで、やってきたのは反物コーナーである。
 お洋服を仕立てる為の綺麗な色とりどりの布が並んでいるが、私には裁縫能力など全く無い。細かい作業は苦手なのだ。
 そのコーナーの片隅にあったのが、余った布地で造られているリボンだった。端切れといえども様々な色と種類が揃っており、ゆっくりと見ていたら時間が足りなくなっちゃいそうだ。
 何か一つ、プレゼントを貰えると決まった時点で、買いたいものは私の中で決まっていた。
 煌びやかな模様が多々入っている布の中から、私は無地のものを選んだ。
 どうして私が地味なこれを手に取ったのか、こいし様もしっくりはきていないようだ。

「なんか派手そうなのが他にもあるよ」
「この緑色のリボンがいいんです!」
「そーなの?」

 緑色は私にとっては特別な色。こいし様への忠誠の証にして、私にとっての憧れでもある。
 それを当人に言おうとしているのだから本当は恥ずかしいわけだけど、あらゆる事象を気にせずに許容するこいし様になら、口にすることができる気がした。

「さとり様の桃色でお燐の赤。だから、私は緑色にする、緑色になるんです」

 こいし様の髪の毛を見ながら口にした私は、きっと照れ臭そうに見えただろう。
 私もさとり様とお燐のような関係に、こいし様となりたい。そんな願いは通じたのだろうか、叶うのだろうか。




*****          *****






 見ていたものは再びお空の思い出の欠片。
 再び自分自身が出てきて、何やら記憶に無い事をしていたけど、きっと私がどっかに置いてきちゃっただけで、事実なのだろう。
 お空が大切にしていた思い出を一緒に共有していたのに、あの時に自分が何を思って言葉を受け取って、何を思ってそのリボンをプレゼントしたのか、全く分からない。
 今私が抱いているもやもやこそが、怒りとか苛立ちとか言うものなのだろうか。
 この気持ちは誰にも伝える事はできないし、自分の中にも正解は無かった。
 でもこれだけは突っ込みたいと思う。
 私の髪は“緑と白”ではなく“緑と黄色”、なんだけどね。
 過去の私が野暮なことを口にしなくて本当に良かったとは、今更ながら思ったり。
 そんなこんなでフラフラしていたら、地上に到着していた。



 憂鬱な灰色は消え、恵みの雨の季節を越えつつある。
 本格的な緑の世界、夏の始まり、喧しいまでの生命の躍動。
 一番騒がしい季節が始まろうとして……、いなかった。
 地上も地下と同じ、白に呑まれた冬景色である。

 地下の影響は地上にも反映されるものなのだろうか?
 地上の天然太陽と地下の妖怪性太陽では原理も違う筈だし、相関だって当然ない。
 そうなると、日の当たる世界でも冬となっているのは、お空の要因とは切り離すべき?
 でも、お互いに冬なんだから何か関係があるのかも。
 分からない。頭がぐわんぐわんしてきた。
 頭を回すのは得意ではないし、不慣れな事をしたって得られるものは少ない。
 だったら、いつも通りに内なる感性にでも身を委ねて、なるようになればいい。
 今回は目的もあるし、行き先も決まっているんだから、いつもの散歩に比べれば色々と定まってはいるんじゃないかな。





「もしもーし、雑貨屋さーん。今、貴方の後ろにいるのー」
「はいはい、まだそれ飽きていないの……って、本当にいるし!」
「えへへー」

 スマホを左手に持ったまま直接話しかけてみると、雑貨屋さんは大げさに驚いてみせた。
 あまり怖がっているようには見えないは残念である。

「いったいどうやって……」
「気が付いたら……いたの」
「ホラーだね」

 二、三歩、私から距離を取った雑貨屋さんは、本当に困惑しているようだ。
 まあ、どうやってここに来たのかも覚えていない私も、同じように困惑しているんだけど。
 妖怪の山を登った記憶も、誰かに止められた記憶も、ついでに言えば電話をかけた記憶も無いんだけど、まあいつものことである。

「えっと私は……、誰だっけ?」
「古明地のとこのこいしだ」
「あ、そうだった。そうだった、っけ?」

 名前を忘れたりするのもいつものことで、帰るべき場所が分からなくなったりして、非常に困ったりしたこともあった気がする。
 今は一番大切なことが零れ落ちてしまわないように、胸に抑え込みながら歩いているから、他のものがぽろぽろと落ちていってしまうのかも。
 思い出せるんだったらそれでいい。一番怖いのがお空がどこかに行ってしまった事すら、自分が忘れてしまいそうな事。

「それでこの妖怪の山で一番忙しい河童さんに何の用事だい? また携帯を故障させたのかなと思ったんだけど、どうやら使えているようだし」
「大切に扱っているよ」
「用件だ、用件。忙しいって言ったでしょ」

 彼女の忙しいの殆どが私用である。外のアイテムにご執心なのは、私だけでなく多くの者にとって周知の事実で、部屋に籠りっきりで色々と弄っているようだ。
 私が偶然にも手に入れたこのスマホとやらも、当然彼女の研究対象であり、日々アップグレードを目論んでいるらしいけど、使い方を良く分かっていない持ち主なのであんまり意味はないのでは?
 私の知りたい情報は雑貨屋さんの興味を引くものではない。突っ撥ねられる前に要件を口にして、得られるものがあるか確認をしよう。

「うちのペットを見なかったかな?」
「ペット? あの制御鴉のこと?」
「うんうん」
「最近見た覚えは無いかなぁ」

 折角、地上に上がってきたのにがっかりである。
 お空は地霊殿の中だけで言えば頻繁に地上に出て行っているほうであるけど、耳にしているのは妖怪の山のエネルギー開発とやらに一枚かんでいるくらいである。
 他にいつも行っている場所があったとしても知る由は無いし、私のように当てもなく彷徨っているならばそれこそお手上げだ。
 手がかりが途切れてしまって憔悴しても、目的に近付くわけじゃない。とにかくヒントを手にしなくちゃ。

「地上はいつからこんな感じなの?」
「こんな感じ、というのは寒くなって雪が降り始めたこと?」

 頷いてみせると、雑貨屋さんは数日前を思い出しながら言葉を紡いでいく。

「昨日、一昨日と雪だったし、今日は曇り空。寒くなったのは三日ぐらい前だったかなぁ。ここのところ研究が忙しくて外出てなかったから、自信は無いけど」
「いつものことだよね?」
「引き籠りみたいな扱いはやめて欲しいんだけど」

 急な冷え込みと雪、時期は地下の冬と一致している。そして、お空がいなくなった時とも同じ。
 地下の異変と地上の異変では、意味合いは大きく違う。ここには異変解決の専門家である巫女がいて、彼女が動き出すと、持ち前の勘によって一気に真実を暴く。
 待っていれば解決する、確かにその通りかもしれない。
 でも、お空が地霊殿にいないという事実は、私達の問題である。巫女に何とかしてもらうなんて、なんか格好悪いじゃないか。
 気持ちはいつになく前向き、なのに自分が出来る事が何であるのか分からない。
 もどかしい気持ちが痒く、むずむずしてしまう。
 そんな私の顔は雑貨屋さんの気持ちを少し動かすものになっていたのかもしれない。

「鴉を捜しているんだよね?」
「うん……」
「ちょっとスマホ、借りていい? 開発中のアプリを入れるから」
「お空と関係あるの?」
「そりゃあ、制御鴉の為に開発依頼されたアプリだから関係はあるさ」

 彼女は私のスマホの機能を拡張する為、いくつかのアプリ、電話以外の機能を持たせるものを開発している。
 今いる場所が分かったり、言葉の意味を教えてくれたり、明日の天気を表示したり、便利には便利なんだろうけど、電話すら玩具の延長上でしかない私にとって、必要のない機能ばかりだった。
 でも、今回は違うかもしれない。

「顔が近い、近いから!」
「あっ、つい無意識に」
「持ち主には使い方くらいちゃんと説明するさ。今までだってそうだったし」
「……覚えてない」
「まあ、そんな事だと思ったけど」

 今し方弄っていた緑色の板を雑貨屋さんは引き出しにしまう。部品が何個も乗っかっていたけど、その効果は雑貨屋さんにしか分からない。
 作業を中断してくれたという事は、どうやら優先順位を大幅に上げてくれるようだ。

「残念ながら現状のアプリの進捗は90%くらい、スマホへのアップグレードも含めて一時間くらいは時間を貰うよ」
「それくらいなら待つよ。急いで結果が良くなるものじゃないと思うし」
「あんたにしては合理的な判断ね。どこかに頭でも打ち付けた?」
「いつも気が付くと打ち付けているよ。痛いよね」

 同意を得られると思ったのに溜息、河童はお皿とか付いているし、雑貨屋さんは頭が丈夫なのかもしれない。





 待つ、とは言ったものの、部屋に置いてある“試作品”とやらを弄って眺めるのは、早々に禁止されてしまった。
 仕方なく特に興味も無い本を眺めてみるが、文字自体は理解できても、単語やら絵やらが全く意味不明で、一体何のことについて書かれているのかも謎である。
 欠伸をしながら窓の外を見てみると、再び雪が降り始めたのか、はたまた積もった雪が舞い上がっているのか、灰色の世界を細やかな白がまた覆い始めている。
 雪に多くを隠された夏の面影、緑の葉はなんとかその白をはたき落そうと、粉雪をまき散らしながら風に揺れている。

「どうだい、私の持っている本は? 面白いかい?」
「何が書いてあるのか、よく分からないよ」
「まあ、そうだろうねぇ」

 面白そうな事は早々に釘をさし、つまらないと分かる本を読ませる。
 手先は器用で頭も凄くいいんだろうけど、

「娯楽の一つも用意できないの? それじゃ友達できないよ?」
「ぐぬっ、仕方ないだろ、私の手が空いていないんだから」
「誰かを待たせる機会が今までに無かったんじゃ」
「…………」

 今まで使ってなかった先端が鋭い工具を急に取り出して、ニコニコし始める雑貨屋さん。私が色々話しかけるせいで集中できないようなので、黙っておこう。
 攻撃力の高そうな工具を手元に置いて、文字の書かれたボードをかたかたと押し始めた雑貨屋さんは、私の暇を潰すように話しかけてくる。

「本だって理解できるようになれば、面白い。理解ができないとは、そもそも判断ができないのと同じさ」

 確かに画面を見ながら両手を高速で動かしている彼女は、それにのめり込んでいるように見える。私がそれをする事でどうなのかは想像の範疇でしかないけど、雑貨屋さんが楽しそう行っているのは私でも観測できる。

「河童、というよりは技術者という奴は業なものでな、あらゆる事象を合理的に理解しないと気が済まないんだ」
「面白いかかどうか判断できないから?」
「いや、もっと大きな意味さ。理解するという事は物事に感情を付加させる為の第一段階だ、それがなければ正体不明、不明瞭、未知、そういうものは本能で恐れられる」
「私には分からないな。世の中知らない事だらけだけど、別に怖い事なんて特に無いし」
「私は貴方が怖かった」

 雑貨屋さんと初めて出会ったのは、散歩がてらに巫女や魔法使いに勝負を挑まれ、里の者達から注目を集め始めた時だ。昔すぎて記憶は薄いけど、別段彼女に怖がられていたような印象は無い。

「あんたと初めて出会った時、正直恐ろしかったよ。理解できる気がしなかった。心の瞳を閉じて感情を捨てたさとり妖怪、どんな冗談かと」
「人の心なんて見ても落ち込むだけで、良い事なんて何一つ無いもん」
「私はただの河童だ。その苦悩は理解できない」
「分からない事は考えるだけ無駄だよ。私は貴方じゃないし、貴方は私じゃない、私すらも私だと思えないしさ」
「本当にそうかい?」

 作業優先なのでこっちを見てはいなかったけれど、彼女は真面目な顔で言葉を口にしていた。
 一言一言、聞いていると瞳がむずむずするのに、嫌な感じはしない。

「今は貴方を古明地こいしとして理解しているし、それを踏まえた上で苦悩も想像はできる。正しいかどうかは別だけど」
「私の過去を知らないのに? 私でもよく分からないのに?」
「別に全てを知る必要なんてない。自分の中で納得できる程度に知る事が重要なんだ」
「正しくないかもしれないのに?」
「全て正しく知ろうとするのは大変、だから重要な所が分かっていればいいんだ。貴方は『ペットの鴉がいなくて困っている。そして私を頼ってくれている』。だから、私はこうやってアプリの作業を急いでいるわけだ」

 小気味良い打音と共に、私の今の状況を的確に説明してみせた。
 雑貨屋さんはものづくりが得意なだけでなく、頭もいいんだ。
 そう私は“理解”した。
 私は第三の目を閉じる事で多くの者を失った。けれど、別にそれが手に届かなくなってしまってもいいと思っていた筈だ。
 感情、意識、思考、他者への理解。さとり能力の消失と共に薄れていったもの。
 いや、中には自分で捨ててしまったものも含まれていた。
 さとりである私は感情を持つ対象の全てを見て、全てを知る事ができた。
 そこに自己の意思は存在せず、ノイズのように流れ込んでくる選別すら面倒な感情情報の氾濫が“正しい理解”へと繋がっていった。
 だから、私は雑貨屋さんと異なる理解の概念を持ち、“確からしさの保証が無い理解”を自分から捨ててしまったんだ。
 お空の気持ち、考え方を知らなかった。否、知ろうともしなかった。
 私の中で“もう知ることができないもの”として分類され、勝手に蓋をしていた。
 正しくないかもしれない、心が読めなければ答えも分からない、無駄と切り捨てて省いていた。
 今こうして困っているのは、私がお空のことを知ろうとしてこなかったツケそのものじゃないか。
 間違える事を怖がっていた自分が見えてくる。怖い事すら、ただ忘れようとしていただけだったんだ。

「なんか顔……赤いけど。大丈夫かい」
「うーん、普段頭なんか動かさないのに、色々考えてみたせいだと思う」
「思考は私達の特権。色々と考えるがいいさ」

 思考能力だってお空を理解する事だって、手を伸ばせば届くところにあるんだ。
 掴むかどうかは私が頑張れるかどうか。
 無意識に邪魔されて何度も忘れてしまうかもしれないけど、私の速度で行えばいいんだ。
 お空は一緒に歩いてくれる、私はそう理解しているから。
 頭をげんこつでぐりぐりしながら、うーんうーん唸っていた私を見て、雑貨屋さんは笑いながらからかってくる。

「私は今の貴方のほうが好きかな。何考えているかもまあ分かるしさ」

 軽快な音を笑い声に乗せて響かせている彼女は上機嫌だ。
 自分の研究を遮断されてご機嫌斜めないつもの雑貨屋さんの姿は、今日は無い。
 それはそれで、なんか癪ではある。
 今日は感情が良く動く日だ。それもこれもきっと、いなくなったお空のせいだろう。
 いまのうちに沢山の文句を考えておかなくちゃ。

「それにしても照れちゃうなぁ」
「んっ? 何が?」
「急に告白されたから、もっと混乱しちゃう」
「はっ……なっ! 違っ! な、何を言っているんだ!」
「悩み事が増えちゃうね」
「私が真に愛しているのは、真空管とトランジスタとLSIだけだから!」
「うん、よく分かんないけど知ってるよ」
「……ぐっ」

 私の中の雑貨屋さんの顔は少し困ったようなひきつった顔。
 彼女が笑っているのもいいけど、なんかこうやって少し驚かれているほうが安心するんだよね。





「さて、これで終わりだね」

 私の三倍くらい早くスマホの画面を指先で弄っている雑貨屋さんを眺めていた私であるが、それが私の元へと戻ってくる。
 画面には“高エネルギー反応検出ツール”と書かれており、その下にスタートボタンがある。

「さて、説明だけど」
「ぽちっと」

 雑貨屋さんの声をスイッチに押してみると、方角を示す矢印と距離が表示される。
 矢印のほうは正常に機能しているみたいだけど、距離の下は数字ではなく、?マークが並んでいる。

「少しは聞く姿勢を見せようよ。まあ、スタートボタンを押すだけなんだけどさ」
「もう押したよ」
「見てたって。スタートを押すと、近くにある高エネルギー反応を自動検出、距離と方角を算出してくれるわけ。距離の表示がちゃんと出てこないのは遠い場合で、近くに行けばちゃんと算出されるから」
「方角はあっちの部屋を指しているね」

 今いる場所は作業部屋なのだろう、見た事がない部品や大型の道具が並んでおり、炬燵を置くスペースも無い。
 スマホが指し示す方角、扉の前まで行くと、立ちはだかるのは雑貨屋さんである。

「いや、まずこの家から出てするべきでしょ」
「でもさ、結構矢印が動くよ、ほら」

 五歩くらい横に歩いてみせると、矢印の向きが横にずれていく。
 遠くにあるんだったら、数歩くらい誤差になるんじゃないかな、と素人ながらに思う。

「ん? 確かに。意外と近くにあるのか、ちゃんとバグを取りきれなかったのか」
「じゃあ開けるよ」
「まあ、ただのリビングだから別にいいんだけど」

 先にネタばらしがあった通り、隣は生活空間になっていた。
 作業部屋とは違って、そもそも物品の数があまり多く無く、よく整理もされている。
 というよりも、使われている形跡があんまりない。
 画面へと目を戻すと、矢印はどうやら台所にある扉のついた大きな白い箱を差し示しているようだ。

「これは冷蔵庫だね。中は低温度になっていて、食べ物が鮮度を保って保存ができる外の機器」
「この中にお空がいるんだね。ごくり」
「いるわけないから……」

 彼女が言うに、冷蔵庫なるものもエネルギーは溜め込んでいるけど、検出されるレベルには無いとか。
 だったら、答えは二通りしかない。お空が中にいるか、この道具が壊れているかだ。
 そう思うと少しドキドキしてきた。
 私はゆっくりと扉を開けて、雑貨屋さんと一緒に中を覗き込んだ。

「「あっ」」
「あっ」

 扉の先にいたのは、炬燵に籠って横たわり、蜜柑を頬張っている妖怪。
 私達は意図していない侵入者だったのか、首だけを動かして私達を視界に捉えている。
 長い金髪と整った顔に似合わない姿は、思わずお姉ちゃんを思い浮かべてしまう。まさかお姉ちゃんと同種族がいたとは。
 寒い時期が続くと、妖怪というものは炬燵という悪魔に心が奪われてしまうのかもしれない。
 私の隣で硬直している雑貨屋さんは、普段の三倍くらいは困窮しているのか、身体が小刻みに震えている。
 もしかして、顔見知りだったのだろうか?

「えっと、八雲紫様、ですよね? これは、失礼しました……」

 へこへこしながら扉を閉める雑貨屋さん。笑顔で見送るお姉さん。
 白い扉を閉め終わると、スマホの画面は最初のものへと戻っていた。





 入れた検出ツールとやらに異常がないと確認した後、改めてスタートボタンを押してみた。
 矢印が指し示している場所は地面、高い所にいる為にそうなっているのか、それとも地上よりも下なのか。
 相変わらず距離は表示されていないままだ。
 少なくとも雑貨屋さんの家は下には部屋は無いようなので、今度は外に出なくてはいけないだろう。

「うわぁ、吹雪いてきたねぇ」

 窓の近くに行くと、風が吹き荒んでいるのが見ていても分かり、甲高いびゅるるぅ、という冬の音が断続的に入ってくる。
 見える光景も暴力的な冬の景色で、空の灰色は白に塗りたくられて、どこからが空でどこからが雪なのかが判断できなくなっている。
 視界が見えなくても、今は道が見えている。だったら、立ち止まっている時間がもったいないじゃないか。

「おさまってから出て行ったら?」
「大丈夫。弾幕と違って当たっても痛くないし」
「まあ確かに弾幕の雨に比べたら大したこと無いか」
「雑貨屋さん。ありがとね! また暇な時に来るから」

 手をぶんぶん振った後に扉を開けると、部屋へと入りたがっている雪と風がすぐに扉を閉め、雑貨屋さんの姿を遮った。
 息が白いかも分からないくらいに白い世界が360度。身を震わせる寒さも伴い、生命には全く優しくない。
 やっぱり、陰鬱さすら視界不良で見られないこんな季節が続くのは良くない。
 さっさとお空を連れ戻して、凍ったものを温めてもらうとしよう。





4.

*****          *****




 私は神をも羨む力を手に入れた。けれど、こいし様の目は私でも地霊殿ではなく、外へと向いていた。
 さとり様は定期的に出て行くこいし様を止めなかったし、気が付くと外、地上へ出ている事も多かった。さとり様自体がきっちり観測できていたのかどうかも、知る由はない。
 そしてこいし様の地上での噂も、最近になって度々旧都から流れてきた。

 無意識である筈なのに、地上で注目を集めて、本人もまんざらでもない。
 希望の面という感情が高ぶるアイテムを手に入れ、感情をちょっと取り戻した。
 地下世界の都市伝説の受けは芳しくない。
 外の世界の人間を追い払い、最新の電話を手に入れた。

 そこには地上の誰かが隣や対面にいて、必ず私はいなかった。
 ふらふらといつものように宙に浮かんでどこへやら、そんなこいし様を私はもう見失ってしまっているのではないだろうか?
 私の目には確かにこいし様を捉える事はできる、けれど私はこいし様の目で観測されているのだろうか?
 分からないし、知りたくない。知って後悔するのが怖い。
 霊烏路空でも貴方のペットでもない自分を認めたら、私は私でいられなくなるのではないだろうか?
 離れていけば離れていくだけ薄くなっていく私、なのに思いだけはもっともっと大きくなっていく。



 私は七夕というものが好きではない。昔はただの定期イベントの一部で、特に何かを覚える事は無かったけれど、その感情は毎年の七夕を迎えるごとに変わっていった。
 理由は簡単、毎年毎年、叶わない願いを吊るすのは飽きてしまった。
 年に一度だけ、離れ離れになった男と女が出会える日、らしいけど、そんなことは私には何一つ関わり合いの無い話。
 願い事を短冊として飾るのも、気に入らない。そもそも、笹に飾られた願いを神様が無償で叶えてくれるわけでもないのに、どうしてこんな無意味な事をするのだろう?
 さとり様曰く、

「今は七夕って呼ばれているけど、昔は乞巧(きっこう)といって、機織りや縫製の上達を祈願するのもであったのだけど、それが時間によって諸々の願い事を飾るものに変わったのよ。短冊が使われるようになったのも、習字の上達の為と言われているわ。要するに、書くべき願い事は神頼みではなく意思表明に近くあるべきなのよ」

 だったら神様に見せる必要なんてない。
 私の願いを一つ叶えてくれたのは、妖怪の山の神々であって、年に一度しか出てこない上に自分のことしか考えない神様なんかいらない。

「七夕は嫌いじゃないわ」

 そう口にしたのはさとり様だ。
 こういうふうな皆が騒ぎたがる事からは積極的に距離を置くさとり様にしては、考えづらい発言ではあったけれど、続いた言葉によって説得力が生まれる。

「日々隠されていた心の願いが剥き出しになる。いいことじゃない」

 心の思いと口から出てくる言葉の乖離、さとり様が大嫌いなもの。
 七夕にはさとり様には見えている秘めた思いが短冊に乗る。それはさとり様からすれば、第三の眼で見る視界と同じで実に正しい姿なのだ。
 お燐が七夕が好きな理由は簡単だ。さとり様がお祭りの時期になると、いつもよりも饒舌になるからである。

「七夕には短冊以外の飾り付けもあるでしょ? あれにもちゃんとした意味があるのよ。吹き流しは元の祭りの意味である裁縫、機織りの上達。網飾りは漁業の大量を祝う飾り。巾着は主にお金回りの願いね」
「二人の永遠の愛、みたいな飾りは無いんですか?」
「赤い星と青い星でも飾ればいいんじゃないの? 正に織姫と彦星がそれに当たるでしょうし」
「ピンクの星と赤い星ですね!」

 いつも眠そうなさとり様よりも、少し明るいさとり様のほうが確かにいいと思うし、お燐との会話を聞いていると、どこかちぐはぐで面白いとは思う。
 でも、やっぱりこの祭りは良くないのだ。

「こいし様、短冊は飾りましたか?」
「うーん。多分飾ったと思うよ」

 私にとってもこいし様にとっても。
 こいし様自身はこのお祭り、イベントに感情を持っていないのだろう。好かれるのも嫌われるのも難しいのだから、大体の物事がこの区分になっている筈。
 七夕も私も同じ。感情が生まれるものではない。
 知っていても、こうやって改めて自覚すると、私の心は酷く揺さぶられる。
 何度も何度も揺さぶられ、いつものように時間によって落ち着きを取り戻し、何一つ解決せずに元の場所に戻る繰り返し。
 いい加減疲れてしまってもいいのに、何故私は振り向いてくれない背中を追いかけるのだろう?

「お空、笹の葉も完成したし、旧都に飾り付けに行くよ」
「う、うん」

 お燐ひとりで持てる程度の笹である。正直、私は行かなくたっていいんだけど、今までずっとこうしてきたから、今更断ることもできないのだ。
 もしも口にしたら、お燐は私が面倒臭いと思っていると勘違いするのだろう。それは一割くらいしか当たっていない。

「お空はなんて書いたの?」
「去年と同じ」
「そりゃあ……難儀だね」

 お燐は私とこいし様が上手くいっていない、全く前に進んでいないのを知っている。
 そして、私の一方通行の感情も知っているのだろう。
 私がさとり様とお燐の関係に嫉妬を覚えているのすら、お燐には筒抜けになっているのかもしれない。
 だからこそ、繊細な対応をされる。このことだけは。

「代われるならさ、あたいも代わってはあげたいけど……。さとり様じゃ駄目だよね」
「絶対駄目です」
「そう断言されると、ペット兼従者としては頂けない気分になるかな」

 一応憎まれ口を私に言うけど、私の主に代えなどいない事をお燐もよく理解しているのだろう。彼女がさとり様を慕うように。
 しばしの沈黙、お燐は何やら唸ったまま歩いている。そして、何かを思いついたようだ。

「こいし様の願い事、叶えちゃえば?」
「えっ?」
「願い事をこっそりと見てさ、お空が叶えちゃうの。それでお空の注目度もアップ!」
「覗き見なんて、なんか後ろめたい気が」
「飾り付けているんだから、大丈夫。事故だよ、事故」

 そういうものは確か、故意と呼んだような。
 そう思った時に本当に“事故”が起こったのだ。
 はらりと落ちる短冊。それはこいし様と同じ、黄緑色をしていた。
 結び付けが甘かったのだろう。笹を手に持って運んでいるのだから、こういうことも起こりうるのだ。
 先程までしていた会話、嫌でも私の眼は短冊を捉えてしまう。
 しかしそれは裏返しになっていたのか、文字は何も書かれていなかった。
 逸らす事もできないままに、足元に落ちている短冊を拾い上げる。
 そして、私は短冊を裏返してみた。




*****          *****






「あら、早かったのね。探しものは見つかったかしら?」
「まだー。でも、次に行く場所は決まっているよ」
「果物屋はこっちの方角には無いわよ」
「何の話?」

 地下も上と同じで吹雪いており、私は雪に溶けるように真っ白になっていた。
 そこらじゅうに積もった雪を払いのける。特に帽子はいつもよりも重く、雪が親指が埋まるくらいの厚みで積もっていた。
 そんな私を見るお姉ちゃんは、座椅子に寄りかかりながら、湯気の出ている甘酒を啜っている。脚は当然、大好きな炬燵の中で、寒さとは無縁の世界だ。

「その姿なんとかならないの? 見ているこっちまで寒くなるわ」
「見なきゃいいじゃん」
「ええ、あんたにしては名案だわ」
「私もさっさとこの下に潜るよ」

 画面は相も変わらず矢印が下を向いている。
 炎の世界くらいしかないこの下は、地霊殿の近くにありながら誰も捜そうとはしない見捨てられた場所である。
 溶鉱炉のように死体がくべられ、燃えている場所にはいない。お燐や他の鴉達が目撃していないのだから。
 だとしたら、もっと潜るしかない。地底と地獄の狭間の世界は広いのだから。

「お燐は下に降りているのかな?」
「何言っているの? そこにいるじゃない」
「何というか……、少し見ないうちにずいぶんと黒くなったね」

 目線を向けると、お燐を象った黒い影が灰を振り撒きながら、こっちに手を振っている。
 やっぱり、この仕事はお空にしかできないものなんだなぁ、と嫌でも実感する姿だ。
 そんなお燐に申し訳ないのだけど、私から一つ、依頼をする必要がある。

「これから地霊殿の下に潜るから、灼熱の火を少しの間だけ弱めてくれないかな?」

 私に頷く影。コミュニケーションはとれるが、言語能力はまだ復旧していないようである。
 極寒の後は猛暑ではなく高熱、いつもの私なら勝手に意識が避けるくらいなのに、今はそれを苦に思っていない。
 さがしものはすぐそこ、だから立ち止まらない。
 お空は今日の私の苦労を全部、聞かなきゃいけない義務があるんだ。



「こんなに寒いのに玄関は騒がしいわね。どなたかしら」
「やっぱりいたか。まあこんな寒い中出歩くようなタマじゃないよな」
「今日は見ての通り忙しく、生憎苦情の類の受付は行っておりません。特に鬼とかの言いがかりは結構なので」
「……色々と突っ込みたいが、まあ苦言を言いにはるばる来たわけではないとだけは言っておこう」
「ならば、一言で纏めて下さい」
「地上の太陽も行方不明だ」
「上下両方の太陽が堕ちたと。堕ちる太陽の話といえば、最近そんな噂を伴った妖怪が、地上の巫女と一悶着起こしたみたいね」





 灼熱地獄跡。
 昔は地獄の一部であったこの地は、罪を犯した者達を灰と魂に還す物騒な場所であった。
 価値のない土地として地獄から切り離されてから、地底には一部しか拾われず、あとの場所は管轄者どころか生命も寄り付かない忘れられた土地となった。
 今はお空の仕事場でもあり、遊び場でもあるが、その土地の大半は持て余している。この地獄跡でお空に管理されている空間はごく僅か、いくらお空の火力が莫大と言えども、すべてを炎で包み込む必要は無く、地底を温めるぬくもりさえ確保できればいいのだ。
 私が中へと入っていくために、お燐に頼んで熱源を一時的に止めた。旧都の冷えは今この瞬間にも増していることだろう。
 焼け焦げるような熱さを感じたのは少しばかりで、私達に使用されている場所を乗り越えたら、光の無いただの洞窟である。
 どこからか風が入ってくるのか、ひゅーひゅーと小さな音が断続的に聞こえている。その他は私が飛ぶ際に発生する音しかない。
 少し寒いくらいの湿気を持った空気は、地底と同じ環境である事を示している。
 明かりとして持ってきた雑貨屋さんのハンドライト。その光に映されるものは岩と土塊、灰土くらいのもの。私の場合、無意識に危険は回避できるので、照明は本来いらないけど、これで辺りを照らすことで、お空が早く見つかるような気がしていた。
 空っぽには慣れていたのに、自分で色々なものを捨ててきたというのに、私は今見える光景を寂しいものとして捉えている。昔の私は、こんな感覚を持っていたのだろうか?
 確かめるように第三の眼を触ってみる。相変わらず眼を閉じたままであるけど、何だか安らかに眠っているように見える。私が他者の欠片を見るようになったのも、このせいかもしれない。
 どれくらい飛び続けていたんだろう?
 遠くのほうに灯りが見えたことで、自分の意識と岩だらけの景色が戻ってきた。
 あそこには自発的に発光している何かがあるのか、火の存在を示しているのか、それとも光を必要としている者がいるのだろうか?
 私は誘われる羽虫と同じように、ふらふらとその光に導かれていく。
 そして、出会った。いつものように周囲を飛びまわり、炎と熱の世界へと変える鴉に。そしてそれを愉快そうに眺めている者に。
 私がすちゃっと地に着地すると、相手方は特に驚くこともなく、私を見定めるように呟いた。

「あらあら、地底の者がこんな見捨てられた場所に何の用かしら?」
「場所は捨てられているかもしれないけど、ペットは捨てた思いは記憶に無いよ」
「それは貴方の記憶が確からしいものではないからじゃない? 古明地こいしさん」

 ニコニコと笑いながら、私を知っているかのような言葉を名前と共に並べてみせる。
 彼女の言う通り記憶に信憑性は無いけど、初めて見る顔であり、名前を名乗った覚えも無い。
 そもそも、こんな見栄えの妖怪がいたら、まず忘れないと思うし。
 赤い髪に黒い半袖、まあそれはいいとして、三つのまあるいオブジェは一体なんなんだろう?

「何で頭にボール乗っけているの? 重くないの? 頭大丈夫?」
「どうしてこの次元には他者を煽るのが得意な者ばかりがいるのでしょうね。まあ、いいわ」
「頭大丈夫?」
「大丈夫だから、そんな心配そうな顔で見なくていいから」

 一つ咳払いをして間を開けてから、彼女は自分が何者であるのかを名乗ってみせた。

「私はヘカーティア・ラピスラズリ。色々な場所の地獄の女神をしているわ、勿論この幻想郷の地獄も私は見渡している」
「じゃあ、ここも地獄?」
「ここは知っての通り貴方達からも地獄からも見捨てられた場所。でも、この場所を欲している者がいるのよ」

 こんな何もない場所を利用しようとする物好きがいるらしい。
 確かに静かなのはいい事だと思うし、ベットを持ってきたら良く眠れると思う。
 でも、残念ながらそういう目的では使っていないみたいだ。

「求めているのは地獄からの脱走者達よ。この場所と地獄はそう遠くないから」
「こんな場所に逃げ込んでも何も無いのに」
「地獄は罪人達に様々な責め苦を受けさせ、現世の罪を清算させる。当然、彼等は苦しみを嫌がり、どこかへと逃げようとする。その受け皿がこの場所になってしまっているって事。今やこの場所は罪人にとっての避暑地、何も無いけど地獄から見れば素晴らしい場所」

 苦しいからこそ、求めるものが少なくなってくるんだろう。
 逃げられる場所なんかどこでもいいんだ、今が苦しいのは事実なのだから。
 私も心を閉ざす為の手段を探したりはしなかった。今が変わることが何よりも重要であったから。

「地獄は地獄であり続けなければならない。そうでなければ意味がない。罪から逃れる事は許されてはいけない」
「別に私もお空も関係無いじゃん。さっさと返してよ」
「それが関係あるのよ。現在、地獄は深刻な太陽不足だから」

 誰かが住めなくするには、灼熱で生命を炙り出してしまえばいい。
 その為に必要となるのが、周囲を炎に変えるような太陽の存在であり、お空もそれに含まれているみたい。
 神様ならば太陽くらいきっちり自分で用意してもらいたいものだけど、そんな高エネルギーなものは簡単には用意できないようだ。

「昔、地獄には太陽が10個もあったのだけど、そのうち9個は人間に撃ち落とされちゃって……本当、あの男の顔を想像するだけで虫唾が走る」
「それでもお空はあげないよ」
「別に取り上げようとなんてしてないわ。地上と地底の太陽をちょっとお借りしたのよ」

 好奇心旺盛でちょっと鳥頭なお空だから、耳触りの良い言葉を聞いてそのままついて行ってしまったのだろう。
 自分の言葉に納得したつもりでいたけれど、彼女が続けた言葉は私にとっては毒でしかなかった。

「餌はあなたよ」
「えっ?」
「協力してくれたら願い事を一つ叶えてあげる、って言ったら、彼女、貴方の名前を挙げたわ。こいし様に認められる従者になりたい、ってね」

 嫌になるくらいにお空の頭の中を覗き込んでいた私。
 記憶の欠片は過去を指し示すものだけど、お空の思いは未だに変わることなく、私へと向いているんだ。
 どうして? 私は彼女を特別なものとして認識していなかった。それはどちらにとっても不幸なことだと思うし、辛いなら忘れてもいいじゃないか。私のように。

「できそうなことだったら彼女に協力してあげようとは思っていたけど、どうかしら?」

 相手は赤の他人で、面白半分に顔を突っ込んでいる。
 でもそれを窘める権利が私にはあるのだろうか?
 気が付かなかった? 気が付かないフリをしていた? どっちにしたって、赤の他人よりも劣悪ではないか。
 頭が痛くて痛くて、割れそうだ。ずきずき、ずきずきしている。
 でも、その答えを出す時間はここにたどり着くまでに充分にあった。
 私は愚鈍で無神経かもしれないけど、それでもずっと見てくれていた者がいたのだ。

「あら? 協力はいらない? それとも本当にいらない? いらないのなら、彼女もらっちゃうけど?」
「……以前の私なら無意識にいいよ、なんて言っていたかもしれない」
「つまり、今は違うのかしら?」
「どうしてお空を捜しているのか、最初はお空にちなんだ理由なんてなかった。お姉ちゃんに言われたから、時間が空いていたから、そんなちっぽけな自分の為の理由」

 お空がいなくなったことを受け入れて、咀嚼しない結果がそれだった。お空がいなくなったどころか、私の頭の中にもお空はいなかったんだ。
 でも、彼女を探して、話を聞いて、お空の断片を見て、眠っていた頭を無理に起こして考えた。自分がどこかに捨てた感情や知識をも妄想して考えた。

「今は違う。お空は地霊殿に必要だし、私にとっても必要。後悔するような言葉は口にできない」
「今更それを言うの?」
「お空は待ってくれている。私がにぶちんなのも知っているし、すぐ忘れちゃうのも知っているし、急に気が変わるのも分かっている。それでもお空は待っていてくれたから」
「ずいぶんと自分勝手な言い分ね」
「自分勝手なのは貴方も含めてお互い様」
「……ふふっ、そうね」

 勝手に勝手を重ねてきたんだ。今回も同じように、対峙している彼女、お空の意志など関係なく、私の勝手で連れ帰る。そう決めた。

「このあたりが誰も住めない灼熱になったら、太陽は返すわ」
「それは今日? 明日? いつになったら夏が来るの?」
「夏が終わるくらいかな」
「許容できない」
「別に許可なんか求めていないわ。私は私のやり方で地獄を作るし、それを邪魔するならば誰であっても相応の態度で臨むわ。私も自分勝手だからね」

 広い洞窟内を飛んでいたお空が、スピードを緩めながら彼女の隣に着地する。
 それは確かに私が捜していた者。けれど、求めていた者ではなかった。
 少なくとも私の知るお空は、目が虚ろで気味の悪い笑顔を浮かべて私を見たりはしなかった。
 あれは何も見てはいない眼、私がよく知っている眼だ。
 お姉ちゃんもこんな眼をしていた私を見続けていたのだろうか?
 私の中に浮かび上がるよく分からない感情。それが怒りなのか悲しみなのか、忘れてしまって判断はできないけれど、高揚感にも似た感情の渦が私の中でぐるぐる回っている。

「ほら、この銀河のマントとか、私の従者にこそぴったりだと思わない?」

 私もお空も相槌は打たない。私は単に賛同する気がなかったから、お空はそもそも言葉を耳にしているかどうかさえも不明瞭な態度が続いている。
 その代わりと言うべきかどうかは知らないけど、何かをぶつぶつと自分に言い聞かせるように呟いている。

「辞めた方が良いわよ。彼女、今は狂気に魅せられているから」

 正気じゃないのは見ていてわかっていたけど、取り憑かれているのは狂気であるそうだ。
 地底という澱んだ世界で育ったというのにもかかわらず、負の感情に呑まれてしまうなんて。
 感情のままに思わず笑ってしまった。愉快というものは確かこういう時に使うんじゃなかったかな。

「まったくさ、世話の焼けるペットなこと」

 帽子を深く被り直して、私は顔と感情を隠す。
 今まで隠してきたものを抑えようとはしているけど、どうにかなりそうもない。
 まあ、お空だったら抑えなくても大丈夫かな。陰鬱で強大な神の力を手に入れた私のペットなんだから。

「全力で来ていいよ。調教してあげるから!」

 お空は彼女の言いなりでもないのか、ただ暴れていたいだけなのか、許可も取ることなく私の狂気に惹かれ、こちらへと飛び掛かってきた。
 突撃を身体が勝手にかわす、危機を察知した私のどこかが勝手に身体のみに命令を発したのだ。
 振り返り、四つん這いの三本足でこちらを見るお空は、鴉というよりも獣、地霊殿の礼儀作法も何もあったものではない野生の猛り。
 私はお姉ちゃんと違って、ペットに最低限の躾なんてものも必要ないと思っていた。私自身が何よりも自由に暮らしていたから。
 だから、お空もこういう狂気を内に秘めて、今私に向けて解放している。
 全部受け止める、そんな真っ当な事は言わないし、できない。
 だって、まともじゃないのは地底の常識、私達の普通なんだから。

「全く、地底というのは頭の螺子がおかしいのしかいないのかしら?」

 そう、地底はそういう場所だ。
 地獄には罪人が送られるのかもしれないけど、地底は精神異常者、ここは法の元に使役される地獄よりももっとおぞましい。
 沢山の者達と生きられるほど器用じゃないし、たった一人で生きられるほど完成した存在でもない。
 爛れた傷を曝け出してお互いに舐め合う。それが私達の、地底に住む者達の本来の姿。
 足を一本上げて、制御棒なるものを私に構えるお空。二足歩行は普段のお空のスタイルではあるけれど、その棒はあまりに危険なので、強敵との戦闘時と緊急時以外では誰かへと向けたりはしない。
 私もある程度は彼女に敵として認知されてはいるようである。
 射出されるのは太い一本から何本にも拡散していく熱線。お空の動作自体はゆっくりだけれど、打ち出されたものの速度は充分に速い。
 勘、もしくは虫の知らせで適当に避ける身体。制御できない身体は気持ち悪く、お空の悪意や狂気さえもそのまま流してしまっているような感覚。
 それでも避けるには限界がある。第二射は先程の二倍以上に拡散し、視界空間の殆どを埋めていた。
 後方に飛んで、退避路を検索する私のどこか。けれど、弾という名の熱源は悠長ではなく、更なる拡散を続けていく。
 そして、いくつかの細い線が私を貫いた。
 熱線によって貫かれた左肩付近、服が焦げたのか肉が焦げたのか、周囲に充満した嫌な残り火の臭いは、お空の反逆の証でもある。
 痛みはある。ざらざらのたわしで擦られたような痛みが、私の無意識を奪ってくれる。

「ふひっ!」

 理解できない感情の一欠片が、思わず口から出てしまった。
 里で知り合った者との弾幕勝負、観客野次馬からの視線、やみつきになっていたあの感覚とは少し違う、“大切なものを壊してしまう”ようなどきどきが、私をどうにかしているんだ。
 私の頭にあるのは、焼き切れて地面に横たわる自分ではない。見るも無残に壊されてしまった玩具のようなペットの姿を見て笑っている自分だ。
 私は本当はそうしたいのか、大切に思っているのに?
 だとしたら、狂気を抑制しているのは私のほうじゃないだろうか?
 そんな本能のままに私は思考と感情ともやもやを解放する。“イドの解放”と名付けたそのスペルは、感情を伴った私自身がそのまま外へと解放される、自己喪失のスペルだ。
 全てを捨て去って一度からっぽにする代わりに、私の周囲には濃密な弾幕の壁が発生し、球状に一気に射出された。
 被弾しながらもお空は迫る弾を自身の弾で迎撃している。動きは遅いながらも、フィジカルと弾の力で押しこむスタイルは健在みたいだ。
 数ヶ所、擦り切れたり掠ったりしたお空は、私と同じように感情任せに笑ってみせた。
 痛みはあるだろうけど、それ以上に何かが自分を満たしてくれているのだ。

 楽しい、こうやって大切なものを削り合いながら、他者から見れば意味の無い生傷を作るのが、たまらなく楽しくて、何にも変え難い。
 狂った笑い声が混ざり合い、弾幕も混ざり合う。色とりどりの弾とオレンジと赤の弾がぶつかって、綺麗な火花を作る。地上も地下も曇っているのに、私達は二人で作った星を見ていたんだ。

 ぼろぼろになった服を叩いて、私は一旦距離を取る。
 お遊戯を続ける事は私にとっては魅力的な選択肢だったけど、今の囚われているお空を見ていても先には進まない。さっさと帰ってきてもらって、仕事にしても愚痴にしても、溜まった分を清算してもらわなくちゃ。
 お空は距離が離れた今を好機とばかりに、掲げた左手の上に人工太陽を作り始めた。
 今までの弾幕とは規模が違い、所謂、周囲を灼熱へと変える太陽がお空の左手にあるのだ。
 もし、あんなものが直撃したら、私は炭すらも残らないかもしれない。
 元から薄い存在を自他共に認知はしていたけど、何も残せないままに消えるのは悲しいと思う。
 私も一応は、この時計がいつも反対に回っているような地底が好きで、地底の中心である地霊殿に住むみんなと共にいたくて、私の周りにいる者も大切で、そこにはお空が欠かせない。
 もしこれを全てかわしきることで、いつもの地霊殿を取り戻せるのならば、何も恐れる事はない。
 薔薇の弾幕を周囲に展開して、勢い良く彼女へと踏み込んだ。
 それが合図。彼女の造り出した人工太陽はゆっくりとその手から離れた。
 動きは遅く、それでいて単調な直線。普通ならば当たる筈が無い弾ではあるけど、それは異常なまでに大きく、見る者に全てを諦めさせる威圧感が目の前にある。
 けど私が見ているのは弾なんかじゃない。太陽の先にいるお空のみ。
 どうしようもなく熱くても、炭になっちゃう未来が見えても、私はそのまま太陽へと突っ込んだ。
 橙色と藍色の薔薇は焼け焦げていき、再展開が間に合わない。身体ももうこの太陽と同化していっているのかもしれない。
 それでも前に、もっと先へと進んでいくんだ。

「こいし様」

 私のペットが呼んでいる。
 いつもそんな声で呼んでいたんだろうけど、私は耳から耳へと声が抜けていっていた。

「こいし様」

 優しい声だった。
 私を慕ってくれているのが、声質だけで良く分かるんだから。

「こいし様」

 お空はいい子だ。
 私のペットには勿体無いくらいにいい子。
 真っ直ぐすぎて私のお付きには合わないかもしれないけれど。
 そんなのは些細なことと言えるだけの強い気持ちを持っている。

「こいし様!」

 今度は聞こえた。確かに聞こえた。無意識なんかではない。
 それは狂気に揺られてはいない、お空が私を呼ぶ声。
 いつもよりも凛々しく、でもどこか不安が混じった声。
 一体、何があったというのだろう?
 眼が閉じていることに気が付いたので開くと、そこには心配そうに私の顔を覗き込んでいるお空が目の前にいた。
 後頭部に手が添えられているあたり、私はどうやら倒れているようだ。

「おはよう」
「何言っているんですか。お身体は? って、傷付けた私が言うのも変ですけど」

 指とか足とかをぱたぱた動かしてみると、思い通りに動くのだから、大切なものが千切れたとかそういう症状は無さそうだ。
 身体中は服も含めて焦げている。どうやら太陽に突っ込んでいった所までは、意識は明白だったらしく、そこから先は途切れていたらしい。
 異常がない事を確認した私とは正反対に、お空の顔は真っ青である。

「私が、こいし様を……」
「許すよ」
「えっ?」
「うん、お互い無事だし大丈夫」

 それでもお空の顔は曇ったままだ。多分、だけど、私がお空を含める何もかもを気にしていないから、そう見ているのだろう。
 実際に今までずっとそうだったんだから、仕方が無いところはある。

「一昨日から今日まではお空が迷惑掛けたけど、それより前は私がずっと迷惑掛けてたからね」
「こいし様?」
「お空、おかえり」

 花が咲くような笑顔、やっぱり地霊殿にはこの花が必要なのだ。

「でも、偶にはこういう水入らずの弾幕ごっこもいいかも」
「私は主を消し炭にしかねない遊びは嫌なんですが」

 さて、お空も正気へと戻った事だし、この場所にはもう用は無いんだけど、そう簡単に帰れたら苦労はしない。
 私とお空が戯れている間は何の干渉もしてこなかった彼女ではあるけど、目的がある以上は当然邪魔をしてくるだろう。
 少なくとも私達の弾幕ごっこにちゃちゃを入れなかったくらいには、まだ余裕を持ってはいるんだろうし。

「まさか本当に願いを叶えちゃうとはびっくりだわ。地獄の女神じゃなくて、願い事を叶える女神にでもなろうかしら?」
「そんなころころ変えられるの?」
「所詮自称だし」

 神様じゃなくてただの妖怪らしい。
 とはいっても、自分の能力に自信が無ければ、地獄という凄惨な世界で神を名乗ったりはしない筈だ。

「さてさて、貴方達は目的を叶えたみたいだけど、私にしては何にも叶っちゃいないのよねぇ。これからどうしてくれるのかしら?」
「地霊殿に帰るよ」
「貴方は無意識で通過できるかもしれないけど、貴方のペットはどうかしらね?」

 逃げるのは得意な私ではあるけど、今回は一人ではない。
 それは不利ではあるけれど、どうしようもなく嬉しい事でもあった。
 誰かの手を引いて逃げる姿は悪いものではないと思える。

「私が残って何とかしますから、こいし様は……」
「何とかしようとして、さっき私を襲ったんでしょ?」
「では、どうすれば?」
「うーん、頭で考えるのは得意じゃないなぁ」
「知っての通り私も得意じゃないです。では思いつくまで、二人で頑張ってみましょうか」

 私は空いていたお空の左手を握ってみた。
 お空は一瞬だけ驚いた様子を私にだけ見せたけれど、すぐに相手を見据えるいつものお空へと戻っていた。
 可愛いお空の顔を見たのはきっと私だけ、と危機感の欠片すら無いことを頭に浮かべていたその時に、聞き覚えのある声が後ろから入ってくる。

「あら、少し見ない間にずいぶんと手懐けているわね」

 私とは異なるに感情が全く入っていない、疲れ切ったかのようなやる気の感じられない声を聞き間違える筈はない。
 そしてお空も私と同じ反応で振り返った。

「お姉ちゃん」
「さとり様!?」

 お姉ちゃんだけでなく、いつもの色に戻ったお燐と勇儀さんがお姉ちゃんの隣にいる。
 これは間違いなくお姉ちゃん自体はただ傍観しているだけのパターンだろう。
 とはいっても、堕落アイテムである炬燵から出てきてくれたのだから、それだけでもお姉ちゃんは充分にやる気を出してくれたんだろうけど。

「あらあら、地底のお偉いさんがガン首揃えて、一体何の用かしら?」
「用件は二つ。地上と地下に同時に喧嘩を売った阿呆の顔を眺めに来た事と、うちのペットを誘拐する身の程知らずの顔を眺めに来た事」
「美人でしょ?」
「来て後悔したわ」

 面と向かっていつもの溜息、失礼極まりない行為は家だけの姿ではない。
 お姉ちゃんは誰の前でもお姉ちゃんである事を見て、少しだけ安心した。

「それで私の顔を見て満足した? 古明地さとりさん」
「貴方は心と言動が一致する正直者みたいですが、それが唯一の美徳のようね」
「よく言うわね。心を読める貴方は心と言動及び行動が一致しているとは思えないけど」
「根拠は?」
「天敵の救出」

 お姉ちゃんの眉がぴくりと動いた。
 感情を顔に出せない私と違って、お姉ちゃんは感情を顔に出さない。
 一瞬の不快感を快感へと変えた彼女は、はっきりと言ってみせる。

「貴方の弱点が一番近い肉親だなんて、皮肉なものね」

 自分のことを言われている、鈍い私でも流石に理解できる。
 私は心を閉ざしたさとり妖怪、故に鍵を掛けた箱の中の心は私は勿論、お姉ちゃんでさえも私の心を読み取ることができなくなった。
 私にはお姉ちゃんの持つ優位性が働かない。
 だから、天敵、弱点であると口にしたのだ。
 その通りで正しい、嫌だなとは思ったけど、同意せざるを得ない。なのに、お姉ちゃんは堪えていた空気を破裂させるかのように、口に手を当てて笑いだした。
 笑う事が殆どないお姉ちゃんがげらげらと声を上げて笑う姿は、私にとって珍しいものであっただけでなく、周囲のお空、お燐、勇儀さんもただただ笑っているお姉ちゃんを見たまま固まっていた。
 一通り空気を吐き終えたお姉ちゃんは、やっとその嘲笑の意味を伝える。

「何を言っているのかしら? こいしが私の弱点? 心が読めないから? 全く見当違いで呆れるわ」

 対峙する相手はずっと余裕の表情であったのに、今は意図と感情を感じ取れないままの顔でお姉ちゃんを視界に入れている。お腹を抱えながら笑う姿に良い印象を持っていないのは確かだ。
 そんなのはお構いなしに、お姉ちゃんは挑発的な言葉を続ける。

「今の私はこいしの心を読む必要なんて、最初から無いのよ。何故だが分かる? 分からないから、貴方はそんな馬鹿な事を口にするのでしょうね」

 お姉ちゃんは相手の睨み付ける目線を気にせず、そのまま言い放った。

「この子は無意識であっても笑顔でいられる。それは、私の妹が無意識でも素敵で優しいからよ。そんな妹の一体何を恐れ、何を心配する事があるのかしら?」

 私は先程までも笑っているのだろうか?
 私は今も笑っているのだろうか?
 そして、これからも笑っていられるのだろうか?
 お姉ちゃんがそう言ってくれたから、きっと笑えていると思う。

「ところでお燐。私、恥ずかしい事を言ったかしら?」
「言ったでしょうねぇ」
「恥ずかしいし、役目も終えたことだし、帰ろうかしら?」
「帰ったら本気で怒りますからね、本気で」
「はい」

 格好いいお姉ちゃんの時間は長く続かない。
 何かお姉ちゃんがもじもじし始めたので、ここは私がフォローを入れておこう。

「私もお姉ちゃんのこと好きだよ」

 正直な気持ちそのままに口にしたつもりだったけど、お姉ちゃんは何故か私の視線を逃れるように、お燐の後ろへと隠れてしまった。
 さて数的な優位は5対1、保てている。私達は正直瀕死、お姉ちゃんは戦力になるかどうか分からないけど、後から来た組はフレッシュだ。
 それでも、赤髪の彼女はアクセサリーの二つの球をくるくると指先で回している。焦った様子も退いてくれる様子も見せていない。
 この中で一番焦れていたのは鬼、勇儀さんはその鉄下駄で地面を強く踏みしめ、大きな音が洞窟内に反響した。

「まどろっこしいのはもういいだろ。私達はそっちの二人を連れて帰る。お前さんは返すつもりはない、だったらやる以外に選択肢は無い」
「なら仕方ないわ。地獄がどういう場所で、私がどうして女神なのか、こちらに来る前に教えてあげましょうか」

 勇儀さんが臨戦態勢に入り、相手は未だ薄ら笑いの余裕を消さないまま。
 けれど、最初に動いたのはここにいる者達ではなくて、外部からの声。

「神性も品性も感じない妖怪風情が神を教えるなど、一体何の冗談だか」
「地獄の女神様なんだから、これくらいの品位が丁度良いんじゃない?」

 姿を現したのは妖怪の山の神様達だ。
 そして、その後ろにいるのは見覚えある姿。

「雑貨屋さん?」
「いやいや、お二人を説得するのに少々時間が掛かってね。言っとくけど、私は安全な所で見ているだけだよ」

 いつも欠かすことなく持っているリュックを背負うことなくこの場所に来た雑貨屋さん。焦っていたのか、重いものを持たないほうが早く来れると判断したのかは分からないけど、その姿をみていると何だかぽかぽかしてきた。
 流石にこれだけの者が太陽を取り返しにこの場所に辿り着く事は想像していなかったのか、地獄の女神さんは一度、前髪を掻き上げて溜息をついた後に、降伏の言葉を口にした。

「寄ってたかって苛めちゃイヤよ。ちょっと借りただけじゃない」

 両手をあげて降参をアピールしてみせる彼女の顔は、相も変わらず危機感は無い。
 抵抗の意志さえ見せなければ、こちらとしても無駄な手出しはできない、よく分かっていると思う。

「それにしても困ったわねぇ。この場所、放っておくと罪人の居住区にでもなっていくのかしら? そうしたらきっと、地底のほうに辿り着くんでしょうねぇ」

 彼女には目的があった。それは自分の為だけでなく、地底にも利があるものだと。
 この地底と地獄を繋ぐ空僻地は大いに広い。逃げ込んだものを捜すには手が必要になるのだから、逃げ込めないようにするというのが、彼女の目的だった。
 入口は地獄、出口は地底、というよりも地霊殿。被害を被る可能性があるのは彼女と私達、そう言いたいのだ。
 言い分にいち早く反応したのは、被害者であるお空だった。

「さとり様。私、定期的にこの場所に来てもいいでしょうか?」

 まさか拉致にあった当人から酌量の余地ありの言葉が聞かれるとは思っていなかったらしく、お姉ちゃんを含めて周りは硬直している。そして、その硬直には当然、地獄の女神さんも含まれているので、狂気が続いているわけではないのだろう。
 地上の協力に地下の人工太陽、お空はお姉ちゃんなんかに比べたらかなり忙しい。
 これ以上に仕事なるものを持って大丈夫なのだろうか?
 そんな中で彼女の行動に驚きつつも、手を叩いて見せる者がひとり。

「私達もこの子の力を借りている身だからねぇ。とやかく言える立場ではないさ」

 大きい方の山の神様はお空の意見に同意する。
 他の者達も当人が言うならば、といった意見である。
 お姉ちゃんとしても、自分の快適ライフを維持する為にも、憂いは絶っておきたいところだ。

「ご自由にしなさい。私は何か言う立場にはないわ」

 許可を貰ったお空は自分には特に何もいい事も無いのに笑顔満面だ。それは、お空の何よりもいいところだと思ったり。
 さて、そんな中で残るのは疑問。引っ掛かってなんかむずっとするので、私が聞いてみるとしよう。

「何で急にお空は協力しようと思ったの?」
「えっ、私がですか?」

 まさか、お空も相手の遠まわしな警告を理解したのだろうか?
 だとしたら、お空も日々、成長しているということだ。

「よく分からないけど、なんか一人ぼっちで可哀想だったので」
「ざくっ」

 地獄の女神さんに見えないけど鋭利な何かが刺さったようだ。
 私は結構好きなんだけどなぁ、一人ぼっち。
 でも、今はみんなと一緒にいるほうが好きかも。
 顔を叩いて気持ちを新たにした地獄の女神さんも、お空の決断には満足みたいだ。

「どう? 今度こそ私の従者に……」
「駄目です」
「駄目だよ」

 勝手な勧誘は許さない。だって、

「私はもう、こいし様のペットで、従者ですから」
「お空は私のペットで、従者なんだから」
「あらあら、本当にこれからは願い事を叶える神様にでもなろうかしら?」

 顔が合う、そして笑い合う。
 私達はこれでいいんだ、これで。

「さあ、我が家に帰りましょう。こいし様」

 盗まれた太陽と夏が帰ってきて、やっと季節の時計は進み始めるのかな。
 そして、私とお空の時間も。











5.

「うわー、綺麗だねー」
「そうですね」

 上下の太陽が休暇を終えた一週間後、空気はまだまだ冬のように冷たいままで、雪は未だに地面や樹木の葉、建物の屋根に残っている。
 夏の太陽の残照によって、月が静かに照らす星空は、未だわずかに青みがかっている。藍色の空に鏤められている発光した星屑達は数えきれないくらいにあって、空に輝く川を作っている。
 地下では見られない天の川は、わざわざ地上に出てきた価値があるくらいに綺麗だ。
 寒くて辺りも暗いから、こんなに星が綺麗に見えるのかな?

「さとり様が言っておりました。星と星を繋げると、何かの形になるんですよ。それを星座と呼ぶそうです」
「ふーん。お姉ちゃんは地上にも来ない引き籠りなのに、物知りだよね」
「さとり様はよく本を読んでおりますからね」

 お姉ちゃんは教えたがりなんだから、もっと外に出てみんなに教えてあげればいいのに。
 勿体無いなぁ、と思ったり。

「じゃあさ、あれはなんの形をしているのかな?」
「えーと、あれ、ですよね? 鳥が飛んでいる形をしているように見えます」
「じゃあ、お空だね」
「流石に私は星座になっていないような……」

 ちょっと戸惑っているお空を見て、思わずにひひと笑ってしまった。
 瞬く白い河の中を優雅に泳ぐ水鳥、お空を捜す前にお姉ちゃんがもうすぐ七夕と言っていたっけ。

「そういえばもうすぐ七夕だっけ?」
「七夕は明日ですけどね」
「織姫と彦星ってどれだろ?」
「私もよく知らないのですが、星の河の対岸で強く光っている二つじゃないでしょうか?」
「どっちがどっち?」
「星の性別を見分ける方法は知らないのでどうにも……」

 まあ、本人達が分かっていればいい事だし、覚えても次の七夕には忘れちゃうと思う。
 お空が戻ってきて落ち着きを取り戻した地霊殿では、七夕の準備が着々と進んでいる。今頃お姉ちゃんは、いつものように仕入れてきた七夕のうんちくを、飾り付けを行っているお燐あたりに人差し指を立てて説明していることだろう。
 私自身は、七夕というものを今まで強く意識した事は無かった。
 世の中にはそういうイベントがあって、そうする慣習があるから、私も一応しておく、みたいな淡い意識しか芽生えなかった。
 真剣に考えるのは得意じゃない。頭がなんかずきずきしちゃうから。
 だから、今まで短冊の飾り付けはしてきたけど、ちゃんと参加はできなかったんだと思う。

「私さ、短冊に願いを書いた事ないんだ」
「……実は、知ってました。前にこいし様の短冊が、笹から取れてしまったことがあったので」
「白紙だったでしょ?」
「こいし様には願いが無いのでしょうか?」
「うーん。あると思うけど、なんかすぐ忘れちゃうくらいにどうでもいい事、なんだと思う。だから、書いたとしても願いが叶ったかどうかも分からないじゃないかな?」

 数々の願いが昇華される明日の七夕、神様は願いを読み上げるのだけで大忙しなのかも。
 そもそも、お姉ちゃんは言っていたっけ? 七夕は元来、願い事を叶える為の行事ではないって。
 そう、そんなうんちくをお空の欠片から拾ったんだ。

「私は七夕が嫌いでした」
「うん、最近知ったよ」
「私は毎年、いっつも同じことを書くんです。私の願いは七夕の時も、七夕が過ぎても、その次の年の七夕も、願いは叶わないから」
「七夕は願いを書くだけで、叶えてくれるわけじゃないからね」

 結局は自分の願望を叶える為には自分の行動、そして少しばかりの切っ掛けや幸運が必要になる。
 お空は殆ど不可能な欲望ではなく、自分ができると思った願いを飾り続け、そして叶えられなかった。私が叶えてあげなかった、と言ってもいい。
 だからこそ、七夕と自己に嫌悪を持ってしまったのだと思う。

「でも、今年からは七夕が好きになれそうです」
「遅くなっちゃったね。ごめんね」
「私の願いは……叶いましたから」
「うん。知ってるよ」

 今年、新しくお空が何を願うのかは分からないけど、今年こそは私も七夕に参加しよう。
 短冊に願いを書いて、星々の神様に宣言をするんだ。
 お空とこれからも仲良くいられますように、って。





 草原に寝っ転がる私と、膝に手を回すようにして座っているお空。
 目線は黒と白の世界にすっかり変わった夜空へと向けたまま。

「これからは、うつほ、って呼ぶから」
「えっ? お空、じゃなくてですか?」
「だって、お姉ちゃんやお燐と同じじゃあ、なんか私の特別な従者らしくないでしょ?」

 うつほの満面の笑み、いつも見ていたような気もするし、久しぶりに見た気もする。そして、初めてちゃんと彼女の笑顔を見たような感覚もある。
 私達は近くにいたけど遠かったんだ。そして、距離を作っていたのはきっと私だったのだろう。
 うつほはずっと待ってくれていた。私がこっちを向いてくれるまで、ずっとずっと。
 何年も何年も、短冊に、天の川に願いを流し続けた。
 待たせていた私が言うのはどうかと思うけど、それはとてつもなく、途方に暮れるくらいに長く感じるものだったのかもしれない。

「ということで、うつほ。早速、指令を出すよ」
「はい、なんなりと!」
「明日の夜はお姉ちゃんとお燐も一緒にここに来よう」
「うっ……、それは。寒い中、さとり様を地上に連れ出すのは中々難易度が高そうです」
「それをこなしてくれるのが私のペットで従者なんだよ」

 表情豊かなうつほの困った顔を見るのも悪くないなと感じる。
 これからは、もっともっと、うつほの色んな顔が見られると思う。

「ちょっと寒いね」

 私は身体を起こして、背筋を伸ばす。ぶるると身体が震え上がって、忘れていた寒さを思い出した。
 太陽が本気を出すのもまだまだ先、今年は暑い夏さえも恋しくなりそうだ。

「くっついていいかな?」

 恥ずかしそうに頷いたのを確認した後に、少しだけ身体を寄せた。
 肩に頭を乗せて寄りかかると、彼女のぬくもりが冷たくなった身体に伝わってくる。
 やっぱりうつほは地霊殿の太陽なんだ、触れているだけでぽかぽかするからそう思えてくる。

「うつほはあったかいなぁ」

 寒いのもこれからは好きになれると思う。だって、うつほと一緒にいられる理由が自然とそこに生まれるのだから。

「こいし様のお身体は思っていたより小さいですね」
「子供扱いは駄目だよ」
「知ってます」

 うつほも私に身体をあずけ、ふたりで寄り添って温め合う。
 きらきらした夜空と私にはちょっと眩しい世界、今はそれも悪くはないかな。








 うかび上がる天ノ川。
 つきは綺麗な三日月型。
 ほしたちは煌めきを増している。
 となりで笑っているうつほ。
 いつもとは違う風景。
 つぎの日からは同じ風景。
 しがない日常が帰ってきた事。
 よかったと心から思えるよ。
もしもーし、今うつほの隣にいるのー
露雫
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コメント



0.100簡易評価
1.100もなじろう削除
すばらしい力作
時間を忘れて没頭して読んでしまいました
こいしの独特な気質が細部までかわいらしく表現されていて思わずニヤニヤしてしまいました
こんな文章を私も書けるようになりたいです
2.100名前が無い程度の能力削除
地霊殿の時に比べるとこいしちゃんが成長というか、柔らかくなったと思える作品
ごちそうさまでした
3.90怠惰流波削除
とてもよかった。うつこいは珍しいのでもっと増えて欲しいです。

最後の縦読みでやられました。地底の太陽はこれからも、ほんのりと主人を照らし続けるんでしょう。
4.90奇声を発する程度の能力削除
良いね
6.100名前が無い程度の能力削除
こいしは存在自体が空想的ですね。

誤字報告ですが、一つだけ、人口太陽ってなってるところが見受けられました。
7.100名前が無い程度の能力削除
良い話でした