Coolier - 新生・東方創想話

哭声は空に消ゆ

2017/06/27 20:21:30
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※ 拙作『第五番目のプライム』ならびに『くるみちゃんがころんだ!』を前日譚としております。宜しければ、そちらも併せて御覧ください。 ※
 

   哭声は空に消ゆ



 フランドール・スカーレット。それが私の名前。
 いつ、誰に名付けられたのかは判らない。
 憶えているのは、ずっと昔。たった一人の、私にとって世界の全てだった存在が、私のことをそう呼んでいた。
 だから、私はフランドール。レミリア・スカーレットの妹。
 ただ、それだけのフランドール……。


「おはようございます、フランドール様!」
 夕方。地下から起き出して来た私を、美鈴が明るく迎えてくれた。
 仕事をサボッて逢いに来てくれたのかって聞いてみると、彼女は笑いながら手を横に振った。
「サボッてませんよ。ごはん休憩です」
「じゃあ、仕事の合間に私に逢いに来てくれたのね」
「そうですね」
 さらりと笑って答える、この爛漫さが愛らしい。
 美鈴のことは好きだ。楽しいし、優しいし、私のワガママに困り顔で付き合ってくれるところなんか大好きだ。
 それに、彼女は何かと、私のことを気に掛けてくれる。
「今日は確か、お出掛けされる日ですよね」
「うん」
 私が館の外へ出られる様になったのも、美鈴がお姉様を説得してくれたから。おかげで、私は過保護な檻から解き放たれ、羽を伸ばして日々を過ごせている。
 彼女は私の恩人であり、愛すべき存在なのだ。
 だから、今日の外出だって、本当は美鈴と一緒に何処かへ行きたかった。
 なのに……。
「あら、フランドール様。もうお目覚めになっちゃったんですか? 今から私の蕩けるキスで起こして差し上げようと思ってたのに」
 実際は、この帽子屋と三月ウサギを掛けて二乗した様な奴が今日のお供である。
「美鈴。小悪魔がまた仕事サボッてるってパチュリーに言ってきて」
「はーい」
「サボりじゃないですよ! ちゃんと明日の分まで終わらせて来たんですから!」
 不届き千万な悪魔だけど、基本的に嘘は吐かない。
 だから、これもたぶん本当なのだろう。
「小悪魔さんって、実はめっちゃ仕事早いですよね」
「惚れちゃいましたか美鈴さん。でも、いけません。私にはフランドール様という御方が……」
「永遠亭って、こういうのも診てくれるのかしら」
「匙をプレゼントされるんじゃないですかね」
 どうしてこんなのを連れて行かなければならないのかと言うと、それは私を監視してもらう為だ。
 私は昔から、強いショックを受けたりすると我を失い、生まれ持った力を使って破壊の限りを尽くしてしまう『傾向』が有る。地下に引きこもっていた頃よりは遙かにマシになったのだけれど、未だにどうしても抑えきれない時が有るのだ。
 そういう事態を未然に防ぐ為、お姉様は私の外出に条件を付けた。ずばり、保護者の同伴である。
 保護者を選ぶ権限は私には無く、外出の度にお姉様やパチュリーが話し合って決める。咲夜も美鈴も、ついでに小悪魔も基本的には忙しいから、回り持ちさせないと本業が滞る、というのが表向きの理由だ。
「美鈴が私のものになってくれたら、小悪魔なんかと出かけたりしなくて済むのに……」
「あはは、そうですね。でも、私は門番ですから。いつも留守にしちゃうわけにはいきませんよ」
「私が『なんか』呼ばわりされてる事へのフォローは無いんですか!?」
 本当のところは、私の立場を明確にしておきたいってことだと思う。
 つまり、私は美鈴や咲夜やその他の主人ではなくて、あくまでも彼女達を貸してもらっているだけ。そのことを忘れない様に、わざとそういうやり方にしているのだろう。
「拗ねなくても大丈夫ですよ、小悪魔さん。フランドール様は本当に嫌だったら壊しても良いってパチュリー様に言われてるんですから」
「でも実際やったら絶対お姉様が怒るのよ。そんなしょうもないことで能力《ちから》使うなって」
「そんな照れ隠しを為さらなくても宜しいんですよ、フランドール様。はっきり仰ってください。愛しの小悪魔を壊すことなんて出来ないって。さあ!」
 壊してくれれば、次はちゃんと名付けの儀式もしたマトモな使い魔を喚《よ》べるのにって、パチュリーはいつもぼやいている。
 残念ながら、今のところ予定は無い。
 本当に不本意な話だけど、この小悪魔はコレでいて私とウマが合うのだ。悪戯の相談とか、魔導書探しとか、何だかんだで私の気に入るものを選んでくれるし。
 今日のお出掛けも、行く先は小悪魔に任せている。
 私が一番行きたい所へ連れて行く。前々から何度もそう嘯いていたけど、結局今日に至るまで、その具体的な場所は教えてくれなかった。
 どこだと思うって美鈴に聞いてみたら、どこかの温泉じゃないかと言われた。やりかねないけど、ホントにそうだったら一人で帰ろうと思う。
「気が狂れているのは結構だけど、私の可愛い妹をいじめたらタダじゃおかないわよ」
 ……うるさいのが来た。
 いつもはもっと遅くまで眠りこけてるくせに、今日に限って早起きなんて。面倒臭い。
「やん。レミリア様にお仕置きされちゃう」
「するなっつってんのよ」
「あ、私そろそろ門番に戻りますね。お嬢様がツッコミで来てくださいましたし」
「誰がツッコミよ!?」
 お前だ。
 美鈴も居なくなってしまったし、もうさっさと出掛けてしまおう。
 そうしないと、お姉様の過保護が始まって鬱陶しいことになる。
「ああ、フラン。出掛けるのは良いけど」
 ほら、きた。
「危ない所へは近寄らない様にするのよ」
「はーい」
「無闇に喧嘩もしないこと」
「はいはい」
「スカーレット家の子女として、恥ずかしくない振る舞いをしなさい。キュッとしてドカーンなんか以ての外だからね」
「わかってまーす」
「ちゃんと小悪魔の言うこと……は聞かなくても良いけど」
「どうしてですか!? レミリア様の言い付けで仕方無く恥ずかしいことさせられちゃうフランドール様の泣き顔を拝見したいという私の希望を圧し折られるんですか!?」
「フラン。襲われそうになったら遠慮無くぶっ壊すのよ」
「お姉様、気持ちはわかるけど矛盾しすぎ」
 とにかく私が心配らしい。
 うざったいと常々感じているけれど、それはたぶん、本当は嬉しいことなのだと思う。
 ……でも、この頃、ふと考えてしまうことが有る。
――私の可愛い妹を……。
 もし、私が妹じゃなかったら?
――スカーレット家の子女として……。
 もし、私がスカーレットじゃなかったら?
 私は…………?


 ◆


 私はくるみ。吸血鬼のようで吸血鬼でない、ごく普通の妖怪だ。
 くるみって名前は、化けて間もない頃の私を拾った、この世で一番偉大な妖怪がくれた。
 本当はずっと西の方で、もっと強い吸血鬼として生まれて、全然違う誰かに、全然違う名前をもらう運命だったらしいけど、ちょっとした事情のせいで予定が狂ったらしい。
 でも、それを悲しいとか、悔しいとは思わない。
 だって、そのおかげで私は、幽香さまとエリーに育ててもらうことができたんだから。


「今日は誰も来ないわねー……」
 昼間、私は湖の番人をしている。お日様の暖かい空の下、湖の上でぼーっと……じゃなくて、じっと侵入者が来ないか見張っているのが日課だ。
 湖底に眠る館、夢幻館にお呼びでない奴が来たら、殴って叩いて追い返す。
 と言っても、来るのは大抵、ちゃんとした用事のあるお客さんか、私と喧嘩したいだけの近所のチビ妖怪だ。何せ、うちのご主人様はあの幽香さまだから、それを知った上で館に手を出そうなんて奴は基本的にいないのである。
 そういうわけで、番人を自称しているものの、実際に私がしているのはただの日向ぼっこだったりする。湖面に突き出た岩の上に座って、一日中ぽかぽか陽に当たっているのが趣味なのだ。
 ……本当はそれだけじゃなくて、どこかへ散歩に行ったり、あちこち探検したりもしてみたい。だけど、それは許してもらえない。
 私はまだまだ未熟な妖怪だから、危ない奴らがいる湖の外へは行ってはいけないと、きつく言いつけられているのだ。
 出かけられるのは、いつも留守にしっぱなしの幽香さまがふらっと帰ってきて、気まぐれにどこかへ連れて行ってくれるときだけ。もちろん、その行き先は幽香さまが決める。だいたい、神社かお花畑だ。
 実は少し前から、行ってみたい所があって、会ってみたい妖怪がいるんだけど、そこへは一度も連れて行かれたことがない。
 いつか一人で、好きに外出できるようになったら、行ってみようと思う。紅魔館とかいう、本物の吸血鬼が住む館に。
『くるみ。もう陽が暮れてきているんじゃないかしら?』
 ふと気づけば、空が紅く染まり始めていた夕方。
 私の周りをふわふわと飛ぶ鏡。それを通じて、エリーが話しかけてきた。
 万が一、私の手に負えない敵が来たときとか、とにかく何かあったときのために、緊急の連絡手段として預かっている物だ。
 普段はこうやって、ちょっとした呼びかけのために使っている。
「いま山にかかったとこ」
『そう』
「晩ごはん何?」
『カルボナーラのペンネ。下りて来る前には教えてちょうだい』
「はーい」
 手短な話が終わると、鏡の通話が切れて、それまでエリーを映していた鏡面は本来の真っ暗闇に戻った。
 エリーはわりと頻繁に、こうやって声をかけてくる。自分は夢幻界の門を管理していて館から離れられないから退屈……というわけではなく、どうやら私が心配で仕方ないらしい。誰か来たか、喧嘩したか、怪我してないか、まだ戻らないのかって、それはもうしょっちゅう尋ねてくる。
 はっきり言って過保護だ。湖から出してもらえないのだって、そんなエリーの意向が少なからず働いていると思う。
 今度幽香さまが帰ってきたら、思いきって二人に言ってみよう。もう少しだけ、私を信用してほしいって。
「……う?」
 ちょっとした決意を固めた私の五感に、ふと怪しい気配が入り込んできた。今までに遭遇した覚えのない、奇妙な気配だ。
 少し、苦手な知り合いに似ているような感じもして、背中がぞくりと寒くなった。
「へー。こっちの山にも湖があったのねー。この辺りは水が流れてないから平気かしら」
「実は結構有名なんですよ」
「そーなの?」
「はい。何故なら、此処には」
「ちょっと、あんたたち! ここは立ち入り禁止……!」
 侵入者は二人いた。赤い髪の如何にも悪魔っぽい女と、もう一人……。
 そいつの姿を近くで見た途端、私は頭がぐらぐら揺れてるような錯覚に陥った。
 翼の形が変だとか、そんなことはどうでもいい。ただ何となく、よくわからないけど不安で、不快な気分になった。
 世界がぐるぐる回り始めて、自分が溶けて無くなってしまうような、意味不明の気持ち悪さだ。
――あなたは誰?
 何かが私に問いかけた。目の前のそいつらか、それとも全く別の何かか、それはわからない。
 でも、私はとにかく、その質問に対する答えを考えた。
 私は誰か。私は何者か。
 簡単だ。
――私は、くるみだ。
 それ以外の何でもない。
 そう考えた瞬間、ぐちゃぐちゃだった世界はぴたりと収まって、現実の光景を私に見せた。
 そしたら、今度はひどい悪寒が私を襲った。
 原因はわかっている。紅い瞳で私を見つめる、小柄な方の侵入者だ。
 その眼を見たとき、何となく分かった。こいつは今、さっきまで私を苦しめていたぐるぐるに陥っていて、そこから抜け出せずにいるのだと。
「……あんた、誰?」
 助けてあげようと思った。だから、私が正気を取り戻したのと同じ方法でいいと思って、同じ質問を投げかけた。
 たぶん、それが絶対に引いてはいけない引き金を引いた。
 瞳の紅さがますます濃く、飛び出すくらいに激しくなって、あっという間に辺りが真っ紅に染められた。夕焼けみたいな綺麗な赤じゃない。バケツで血をぶちまけたような、気持ちの悪い紅だ。
 それはもう寒気なんて言葉では表せないほどの、地獄めいた冷たさを伴って、私の全身をどろりと包み込んだ。
「……あげない……」
 そいつがぽつりと呟いて、右手のひらを私に向けた。
 次の瞬間、湖面からすごい勢いで飛沫が上がって、紅一色だった私の視界を水で覆った。それと同時に、奇声とも悲鳴ともつかない大声が周囲に響き渡った。
 私はもう、わけがわからない。呆然としていると、よくよく見慣れた赤色が飛沫の中から見えてきた。
 エリーだ。帽子も被らず、水を弾く呪術も使わずに湖を抜けてきたようで、飛沫を浴びた私よりもずぶ濡れの格好だった。
「くるみ! 館に戻って、部屋に鍵を掛けて待っていなさい!」
 投げ飛ばしていたらしい、外刃の大鎌が落ちてくるのを手で受け止めながら、エリーが大声で叫んだ。
 私は返事しなかった。できなかった。
 右手と体を、合わせて三つに切断されたあいつの体が、無数のコウモリになって元の形に戻るのが見えてしまったからだ。
 そのあまりにも奇怪な光景と、ずっと感じている恐さのせいで、頭と体が全く言うことを聞かなかった。
「早く行きなさい!」
 今まで聞いたことがないくらいの怒声が飛んできて、ようやく体が動いた。
 あんなに恐いエリーは見たことがない。
 慌てて水に潜ったけれど、紅い気配は湖の底まで届くくらい大きく広がっていて、どこまででも追ってきそうな恐怖を感じた。
 エリーは大丈夫なんだろうか。幽香さまを呼びに行った方がいいんじゃないか。
 いろいろ不安が渦巻いて、それでも、私は湖上に戻ることができなかった。
 たぶん、いや、きっと、戻ったら死ぬ。ほとんど確証に近い想像が、おもりみたいに私の足を引っ張って、湖の底へと沈めていった。
 怖くて、恐くて、悔しくて……。そのどうしようもなさに、私はただ、涙を流すことしかできなかった。


 ◆


 予感は知覚と経験によって齎される。
 例えば、何処か遠くで吸血鬼の魔力が暴走するのを感じた日は、重篤な怪我人が運ばれて来るのではないか、或いは某か厄介な相談事が持ち込まれるのではないかと懸念する。
 そして、そう言う懸念は大抵の場合に於いて、想定する限り最悪の形で訪れることを覚悟しなければならない。
 それが私の経験則だ。


「……お師匠様。急患が来たみたいです」
 鈴仙の声は酷く震えていて、今にも逃げ出したい心持ちで居ることが直ぐに解った。
「出迎えられる?」
「恐いです」
「じゃあ私が行くわ」
 私は一緒に来いとも、治療の準備をしておけとも言わなかった。本音を言うなら、逸早く輝夜と共に逃げていてほしかったからだ。
 だが、ほんの少し悩んでいる間に、鈴仙は私に付いて来ることを選んだ。ならば、それを止めることはするまい。
「何方《どなた》かしら?」
 戸口に寄ると、私をぞっとさせる程の瘴気が周囲に充満していた。
 やはり避難を指示すべきだったかも知れない。後悔さえ覚える程の、悍ましい負の気配である。
「……お願い」
 戸の向こうに居たのは、二人の妖怪と一人の――おそらくは死神だった。
 瘴気の源は、その妖怪の片割れ、風見幽香だ。
 彼女は死神を胸の前で横抱きにして、もう一人の妖怪――蝙蝠の様な羽を背に負う幼い娘にしがみ付かれながら、私を真っ直ぐに見ていた。
 その頬には、つい先程まで大粒の涙を流していたのであろう痕がくっきりと残されており、彼女の酷い焦燥が嫌と言う程滲み出ている。
「助けて……」
 願いは至極純粋で、簡潔だ。
 私はちらりと彼女の胸元に目を落とし、そして絶句した。
 死神の容態は、恐らく誰が見ても難しく、私の目には尚更であった。
 それは『人間に喩えて』言うと、『心臓が半分吹き飛んでいている』状態だったのだ。それがどうやら辛うじて生きているらしいから、こんな不可解なことは無い。
 思考が一瞬白く染まり、それから三秒余りも混沌に呑まれた。これだから幻想郷の妖怪は侮れない。
 一度呼吸を整え、改めて患者の状態を確かめた。相変わらず謎めいた有り様ではあったが、落ち着いたお蔭で、少しずつ理解出来る様になってきた。
 幽香は死神の失われた物を一時的に植物で置換し、妖術と魔術と、その他ありとあらゆる法を用いて彼女を騙し、どうにか魂を肉体に繋ぎ止めている様だ。
 もし、彼女がこの原因となる傷を負った時、その場に居たのが私だったら、こうして生き長らえさせられた自信が無い。これは間違い無く外法と呼ばれるべきものだが、同時に感嘆すべき奇跡でもある。
「奥に運んで。色々と確かめながら治療するわ。貴方も手伝ってくれるわね」
 私が言うと、幽香は小さく頷き、自分の裾を掴む娘の方を見遣った。
「くるみ。少し待っててね」
「……ん……」
 くるみと呼ばれた娘は、直ぐに彼女から手を放した。
 利口な娘だ。控えるべきことを弁えている。
「ウドンゲ。その子を見ていてあげなさい」
「え? でも……」
 それに引き換え、私の弟子は余り気が付かない。
 出来ることは有る。きちんと説明してやれば、この奇っ怪な死神の現状も三割程度は理解出来るだろうし、施術の際には助手として居てくれた方が助かる。
 だが、それでも、最悪の事態を想定するなら、この蝙蝠娘の傍に置いておくべきなのだ。
「輝夜にも手伝ってもらうのよ。良いわね」
「……はい」
 それで良い。
 てゐは既に他の兎達の避難を始めている筈だから、もしもの時も被害は最小限で済むだろう。
 ……後は、その『もしも』が無い様に、手を尽くすだけだ。


 ◆


――フランには近寄るな。
 お嬢様から受けた厳命を、私は長らく忠実に守っていた。
 お姿の見えない『妹様』の為に食事を用意することは有っても、給仕は美鈴か小悪魔に任せた。お嬢様が直々にお持ちになることも珍しくなかった。
 初めて見《まみ》えたのは、割合最近の事になる。
 しばらくは唯々可愛らしい妹様だと思っていたが、ある日を境に、認識を改めざるを得なくなった。
――ねえ、咲夜。咲夜は、ずるいね。
 意図は全く解らない。だが、瞳に憎悪が満ちていた。
 私は迷わず時を止め、一目散に逃げ出した。お嬢様は私を叱らず、ただフランドール様とお戯れになった。
 それ以来、私はフランドール様と正面から向き合えずに居る。
 彼女の無邪気な笑顔は、それはそれは可愛らしいのに。


 小悪魔と出掛けたフランドール様が、気を失った状態で帰って来て、目を覚ますと四人に増えていた。
 ……我ながら、何を言っているのか判るけれど解らない。
 だが、解らないことは大した問題ではない。
 問題は、館が保つかということだ。
『あいつを壊さなきゃいけないのよ! 邪魔しないで! 壊すの! あいつを壊すの!』
『イヤアアアァァ! 助けてェ! 殺される! あいつに殺される!』
『お前らうるさい! 黙って! 静かにしててよ! 私をほっといて!』
『やだ! お姉様! 行かないで! ここにいて! 行っちゃやだ!』
 聞いている様子だと、派手に暴れている『暴れん坊』は一人。
 だけど明らかにお嬢様の足を引っ張っている『甘えん坊』も居るから、相当苦労なさっていることだろう。
「……三日以内に収まらなかったら魔力保たないわよ。あと喘息来ちゃったらそこでゲームオーバー」
「流石はパチュリー様ですわ」
 一時的にとは言え、吸血鬼を閉じ込めておける結界など展開出来る魔女はそうは居ない。
 パチュリー様が居なければ、館はとっくに瓦礫の山である。
 それに加えて、フランドール様のお部屋と音声を繋いでくれるのがとても有り難い。様子を見に行く度に死線を潜《くぐ》るのは正直骨が折れる。
「それで、結局お憤《むずか》りの原因は何なのでしょう」
「知らないわ。小悪魔を美鈴方式で起こして訊いてみれば?」
 傷を負い、気を失ったフランドール様を抱いて帰って来た小悪魔だが、詳しい事情を話す前に、お目覚めになった『暴れん坊』の余波で目を回してしまった。
 寝込みにナイフを刺すのは簡単なのだが、それで起きる保証が無いのが困りものだ。
「お嬢様は大丈夫かしら」
「お馬鹿」
「あら厳しいお言葉」
「大丈夫なわけないでしょ。いつも子守してもらってる奴が問題児四人の子守してるのよ」
 仰る通り。
 実際彼女も、本も読んでいられない程に心配で、とにかく落ち着かない気持ちで居ることはよく解る。
 そして、不安は他にも有る。
 二人のフランドール様が仰る『あいつ』のことだ。それらがいずれも同じ『あいつ』とは限らないが、少なくとも一方は、フランドール様を気絶させた張本人なのではないだろうか。
 それが今、この館に来たらどうなるだろう。到底、スペルカード勝負で満足して帰るとは思えない。
 ……ああ。考えていたら心配事が増えた。
 あれは私の言うことを聞くだろうか。戦わず通せと、せめて死ぬまで戦おうとするなと言って、それを聞き入れるだろうか。あの駄目門番は……。


 ◆


 私が思うに、鈴仙ほど自分本位なイナバは居ない。
 そして彼女程、他人に対して親身になれるイナバも居ない。
 だからこそ、彼女は此処に居るのだろう。多分。


 急患が運ばれて来てからというもの、屋敷の中は全体重苦しい空気に包まれた。
 寛ぐ場所であるべき居間も、まるで牢獄の様な陰鬱で満たされている。
「師匠は月でも比べる人が居ないくらいの天才なのよ。だから、きっと大丈夫」
「……うん……」
 鈴仙の励ましは、隣に座る娘に向けられたものであると同時に、自分自身に言い聞かせている言葉でもある。
 そうしていなければ落ち着いていられない程、彼女は今、エリーなる人物の容態を真剣に心配している。ついさっき、初めて顔を見たばかりの、話したことも無い相手だ。
 くるみという娘の感情が、その波長が、耳の良過ぎる彼女の心にまで入り込み、もはや比喩では表せない程の同情を――同調を生んでいるのだ。
 ……つまり、今の私は手術待ちの御家族二人と一緒に居る様なものだったりする。
 どういうことか。
 要するに、気まずいのだ。居た堪れないのだ、物凄く……。
「……何か飲む?」
「いらない……」
 こういう時、どんな風に接してあげれば良いのか、私にはよく解らない。
 てゐなら「好きなこと喋ってりゃ良いんだよ」なんて言うだろうけれど、彼女の真似は簡単ではない。この場に居てくれたら助かったのに。
 仕様が無い。万が一に備えて、イナバは皆避難しているのだから。
 そして、もしその万が一が起こってしまったときは、私はどうにかして鈴仙を引き摺って行かなければならない。永琳が心配だとか、そんなことを言い出す前に。
 きっと、永琳はその為に彼女を私に預けたのだろう。
「鈴仙。私はお茶が欲しいわ」
「あ、はい。只今……」
「ついでに貴方達のも淹れて来なさい」
「はい」
「お願いね。それじゃ、貴方はこちらへいらっしゃい」
「う……」
 こういう具合で良いのだろうか。
 分からない。
 だけど、鈴仙が持って来たお茶を、結局その娘も飲んだから、そんなに外れてはいないと思う。
 ……嗚呼。一体、いつになったら、この息苦しい雰囲気から抜け出せるのか。
 いよいよ私も待ち遠しくて、三人共に落ち着かないまま、じっとその時を待ち続けた。
 そうして、時はゆっくり、ゆっくり、一刻、二刻と過ぎていく。
「……無事に、終わったみたい……」
 逸早くそれを察した鈴仙が呟くと、娘は慌てて駆け出そうとして、私の脚に引っ掛かって転んだ。
 鈴仙は彼女を起こすと同時に、その手をしっかりと掴まえた。
「容態に響くといけないから、静かにね。一緒に行こ?」
「……うん」
「いってらっしゃい」
 二人が手を取って歩き出し、私はようやく安寧の時を迎える。
「……はあ……」
 疲れた。この溜まった疲労感、早めに発散したい。
 少し経ったら出掛けよう。
 生きるか死ぬかと終世無縁の、無意味な殺し合いをする為に。


 ◆


 ずっと昔の話。まあ、ずっとって言っても、五百年くらい前の話。
 流離《さすらい》の拳法家として世界を巡っていた私は、一人の子供に出会った。
 棺桶をズルズル引き摺って歩く、気味の悪い、高慢で世間知らずな子供だった。
――家をちょうだい。大きな屋敷がいい。ごはんも欲しい。お前が運んできて。あとキレイな服も。
 土を嘗めながら聞かされた戯れ言は、その後の私の運命を大きく変えた。
――流行り病で誰も居なくなったらしいです。此処で良いですか。良いですよね。じゃあ、お荷物運び入れますよ。
――フランに触るな!
――ッ!?
 それはこの世で唯一つ、たった一つだけ残った、自分の全てだ。触るな。触るな。
 彼女は気狂いみたいに叫んだ。
 何もかもを壊してしまった。自分だけを残して。もう何も壊させない。何にも壊させない。
 譫言の様に繰り返した。
 その姿があんまり悲しくて、わけも解らず慰めた。
――泣いたらお顔が溶けちゃいますよ。ほら、私も一緒に居ますから。この子も、私も居ますから。ずっと一緒に。
 私はそれを、家族と呼んだ。


 フランドール様だって、皆と同じ様に暮らせる筈だ。
 ……どの口がそんなことを言ったのか。何を根拠に、彼女を理解出来た気で居たのか。
 責任は私に有る。誰が何と言おうと、私に有る。
 だけど、私はそれを命で贖うつもりは無い。
 この背に大切なものが在る限り、この目に敵が映る限り、私はここを動かない。何が有っても逃げ出さない。絶対に。
「……咲夜さんには、手に負えないものが来るから黙って通せと言われました」
「なら、どきなさい」
「嫌です」
 こんなに殺意に溢れた女を、素通りさせて良い筈が無い。
 皆、今はフランドール様の事で手一杯なのだ。
 行かせない。負けられない。
 ……けど、本当は凄く恐い。
 この女が、風見幽香が? いいや、違う。
 私が恐れているのは……。
「じゃあ、さよならね」
「いッ……!?」
 勝負にもならなかった。
 館を丸ごと消し炭にする勢いで放たれた妖光《ようこう》を、私は打ち払うことが出来なかった。門と庭が吹き飛んだだけで済んだのは、殆ど奇跡と言っても良い。
 勝てない。次は耐えられない。
 解っていても、膝を折りたくなかった。絶対に倒れたくなかった。
 なのに……。
「邪魔」
「がッ……!? ……ぁ…………」
 飛び込んだ所に傘が在った。拳を出したら手に阻まれた。上げようとした足は花に絡み付かれていた。
 何もかも。何もかもが読み切られてしまっていた。
 まず悔しさが込み上げて、次に痛みが体を駆け抜けた。
 どんなに不屈のつもりで居ても、どうしようも無い時が有る。脚に力が入らなくなって、そのことを文字通り痛感した。
 こんなに悔しいことが有るのかって、涙さえ流れてしまいそうだ。
 こいつを止めることは、私には出来ない。だったら、せめて……せめて、恐れだけは抱えずに居よう。
 そう思って、私は幽香の足を掴んだ。
 頭を上げる気力は無かったから、どんな顔で私を見下ろしていたのかは判らない。
 でも多分、凄く鬱陶しそうにしていただろうと思う。
「……教えて、ください……。フランドール様は……何を、しましたか……?」
 教えてほしい。答えてほしい。
 私の家族が、何をしたのか。
「大事な物を、壊しましたか……? 大切なひとを……奪いましたか……?」
 怖がらないから。後悔しないから。絶対に、目を逸らさないから。
 だから、どうか。
 どうか……。
「…………竹林の薬師に感謝しなさい」
 意味が解る様な、解らない様な……。
 でも何と無くほっとして、次の瞬間、自分の頭に何かが叩き付けられる音を聞いた。


 ◆


 幽香様の腕の中でぐったりしている娘を見た時、私はすぐにそれを殺すべきだと思った。
 過った魂、誤った身体。
 長くは生きられない。辛く、苦しい生しか得られない。
 出来るだけ早く、正しい輪廻に戻そう。苦しみが罪を生む前に。
 それだけが唯一、私がしてあげられることだと思った。
 けれど、あのひとは私に待てと言った。
 夢幻の魔力で時を止め、そのちぐはぐな心と体に――自我さえ朧な儚い命に、お前はお前だと教えてやるのだと。
 私は渋々、それに従った。
 あのひとが名付けた、その娘の名は、くるみ。
 私の……私達の、可愛い娘……。


「エリー、エリー……!」
 くるみ。
 どうしたの、くるみ?
 ……ああ、そうだ。私が大声で怒鳴ったんだわ。
 御免なさい。恐かったわね。御免なさい……。
「ッ……そんなの……!」
 泣かないで。
 心配要らないわ。幽香様が来てくれたから。だから、もう大丈夫。
「安心させたいのなら、もう少し自分の身も省みなさい」
 あら、ラファエル様……? 御無沙汰しております。
 そう言われてみれば、私は酷い有り様でした。あのまま黄泉へ逝くものとばかり思っていましたけれど……。
 貴女様が助けてくださったのですね。感謝します。
「……お礼は後で改めて聞くわ。今はまだ寝ていなさい」
 待ってください。
 居ない。あのひとが居ない。
 あのひとは何処?
 くるみ、教えて。幽香様は何処? 館へお戻りになった?
「わかんない……」
 そうよ。そうだわ。
 止めないと。止めないといけないのよ。
 お願いです。幽香様を止めてください。お願いです。
「落ち着いて。興奮すると傷が開くわ」
 御免なさい。
 だけど、あのひとは殺すつもりです。あの子を殺すつもりです。
 殺してはいけないのに。それではいけないと教えてくれた。他の仕方も有るのだと、あのひとが教えてくれたのに。
 嗚呼。あの子は怯えていました。あんなに怯えていました。くるみよりずっと怖がりな、とても臆病な子です。
 言ってあげないと。怖がらなくても良いんだって、教えてあげないと。
 殺してはいけない。
 きっと殺すつもりです。
 止めてください。お願いします。
 可愛い兎ちゃん。貴女も、どうか私の……願いを、聞いて……。
 止めて……ください……。
「有り難う、ウドンゲ」
「エリー、大丈夫……?」
「大丈夫。麻酔みたいなものよ。ちょっと安静にしててもらうだけ」
「でも……」
 ……お願い…………。
 …………。


 ◆


 妹のことを話すレミィは鼻高々で、手の掛かる難儀な奴なのだと、それは嬉しそうに言っていた。
 まだフランという存在を知らなかった私は、会ってみるのが楽しみだとか、暢気なことを考えていたものだ。
――アなタがパチェ……?
 或る日、図書館を漂う害意に、そう声を掛けられるまでは。
 その瞬間程、レミィに付いてこの館へ来たのを後悔した事は無い。
 まあ、強いて言えばエイボンの写本に紅茶を零された時とか、ひとが使い魔を召還してる最中に暇だからってしつこく茶々を入れてきた時には殺意を覚えたし、他にも天日干しにしてやろうかと思ったことは数え切れない程有るが……。
 ……兎に角、フランに初めて会った時、彼女は私を酷く敵視していた。レミィが来てくれなかったら、私はきっと『終わって』いただろう。
 レミィはそれ以来、彼女の監禁をより強固にし、私にフランの――そしておそらくは、フランに私のことを話す機会が極端に少なくなった。
 私も最近まで、フランとは余り関わらない様にしていた。
 だけど、もう少し早く、考えてあげるべきだったと思う。
 彼女の不安定さ、その原因について。


 咲夜が応接室へ連れて来たものは、私の覚悟と裏腹に存外大人しく、それ故に却って不気味だった。
「こんばんは、風見幽香。まずは主《あるじ》の不在をお詫びさせてもらうわ」
「居たらぶち殺してるところよ」
 とてもそうは思えない。
 席に就き、出された紅茶を飲み始めても、彼女はレミィ達を殺しに行く素振りなど微塵も見せようとしない。
 地下に居ることは疎か、そこで繰り広げられている『姉妹喧嘩』の気配にもとっくに気が付いているだろうに。
「むしろ丁度良かったわ。少しはマシな頭《おつむ》の有る奴と話したかったの」
 門番が有無を言わさず倒されたわけである。
「何をお話しすれば良いのかしら?」
「決まってるでしょ。あんたらの飼ってるアレのことよ」
 その言い種に、私は自分でも驚く程、腹が立った。
 フランとはずっと疎遠で、余り気に掛けてもいないつもりだったが、こうして随分な言い方をされると、やはり好い気はしないものだ。
 そういう私の不愉快を、この女が察知していない筈は無い。だが、その為に態度を改めるということもまた、更々無い様だった。
「貴方は何処までアレを理解してる?」
 アレでは分からない、と、抗議したい気持ちが込み上げてきたが、どうにか呑み込んだ。
 今、私がすべきことは弁護でも擁護でもない。口惜しくも彼女の言う通り、理解なのだ。
「……初めてフランを見た時から、ずっと頭の中で燻ってる言葉が有るわ」
 馬鹿げている、そんなわけが無いと感じながらも、いつまで経っても消えない一つの可能性。
 それは、姉妹たる二人の吸血鬼の、その『ちぐはぐ』を説明し得る仮説。即ち――
「チェンジリング」
 取り替え子。
 と言っても、只の取り替え子ではない。魂の取り替え子だ。
 これから或る存在として誕生する筈の肉体に、それとは違う何かとなる予定の魂が入り込んでしまう事象。文献によると、それは例えば、宿るべき体を失い、冥府へ還る筈だった水子の魂が、他の誰かを横取りすることで生じる。
 あんたの体は私が使うから、代わりに冥土へ還ってくれ、ということだ。
 だが、乖離した心身は往々にして安定しない。必ず何処かに不調を示す。
 フランの羽の異形と、情緒の脆さは、その特徴を表しているのではないか。かつて、私はそう考えた。
 だが、そこには大きな疑問が有った。
 一つ。この世に、吸血鬼として生まれる『べき』肉体など存在するのか、ということ。
 そしてもう一つ。私の知る限り、魂の取り替え子は総じて短命である、ということだ。取り分け、精神に依存して生きる魔族に於いて、その傾向は顕著になる。
 果たして、吸血鬼のチェンジリングが誕生し、且つ、五百年もの歳月を生き抜くなどということが有り得るのだろうか。
「有るわ」
 まるで私の思考に返事をするかの様に、幽香が言った。
「生まれる前から化け物になることを運命付けられた奴ってのが、少なからず居るのよ。それは貴方より、あの餓鬼の方が取っ付きやすい話かもね」
 きっと、そうだろう。
 尤も、レミィが運命というものを正しく理解出来ているとは思わないが。
「でも、そういう運命を背負った奴の中には、信じられない程おバカなのも居たりするわけ」
「……例えば?」
「方向音痴」
 言わんとしていることが分かる気がして、私は早くも呆れてしまった。
 要するに、レミィの妹になる筈だった魂が『それ』だったと言うのだ。その所為で生まれ損なっている間に、他の誰か――現にフランとして存在している魂が、体を横取りしてしまったと。
 全く解らない話ではないし、そこに異を唱える積極的な理由も無い。
 ただ、やはり不可解なのは、フランの異様な長命。
 そして、どうして幽香がそんなにも、あの子の存在に詳しいのか。いや、そもそも、何故そこに興味を持っているのか、だ。
「……どんな花もね」
 と、彼女はちらり、壁飾りの花を見遣って言った。
「大切にしてあげれば、長く元気なままで居られるのよ」
 その眼差しに、私は嘗ての、妹を語る親友の面影を見た気がした。
 それが何を意味するのか。少し考えて、或る存在に思考が行き着いた。
 フランの魂が吸血鬼の『留守』に入り込んだとして、彼女の言うところの『おバカな方向音痴』は、当然生まれるべき肉体を失い、何処かへ行ってしまったわけだ。
 本来、それはフランの魂が還るべきだった場所へ代わりに還るものである。
 だが、もしかしたら……。
「……貴女がそれを拾ったの?」
 彼女は言葉を発しなかったが、ふっと小さく微笑むことで、私の問いに答えた。
「もし、そうなら……二人は互いに、互いの欠けたアイデンティティを持っていることになるわ」
 微笑は瞬く間に掻き消えて、重たげな影が差し込む。
「そう。だから、あいつらを会わせる事は……」
 その時。
 突然、幽香が驚きの表情を見せ、今度は部屋の入り口の、閉め切られた扉の方を向いた。
「あいつ、もう動けるの?」
「え……?」
 直後。扉の向こうで、誰かが慌ただしく廊下を駆けて行った。
 行く先は見当が付く。恐らく……我が不肖の使い魔が眠る部屋だろう。


 ◆


――貴方は一番臆病だけど、一番勇敢にもなれる。その耳を誇りなさい、レイセン。
 私を励ましてくれた御主人様の言葉を、私は信じることが出来なかった。
 怖い、恐いばかりが耳について、前向きな言葉も沢山聞こえていた筈なのに、それに耳を貸すことが出来なかった。
 結局、私は逃げ出した。何もかもを放り出して。
 そうして辿り着いたこの場所で、私はやっぱり、臆病に生きている。
 未だに、こう思わずには居られない。
 こんな耳《もの》、持って生まれなければ良かったのに……。


 エリーというひとの言っていることは、途切れ途切れで、さっぱり訳が解らなかった。
 ただの譫言なのか、それとも、ちゃんとした意味が有るのか。
 永琳様は理解出来ていたのだろうか。
 それと、あの子は……。
「ああ、もう……! どこ行ったのよ……」
 油断した。
 永遠亭《うち》へ来てからずっと、聞き分け良く、大人しくしてくれていたから、ちょっとぐらい目を離しても大丈夫だろうと高を括っていた。
 飽きたから遊びに出掛けた、なんてことは有り得ない。気分転換に散歩、ということも、たぶん無い。
 出来ることなら、完治するまで傍に居たい筈だ。それぐらい、あの娘は彼女のことを心配していた。
 それを放ってどこかへ行こうって言うんだから、行き先は一つしか思い当たらない。幽香の居るところだ。
「やっと見つけた!」
「うきゅ!?」
 ……なのに、後を追って来たこの場所は、どうしてこんな中途半端な山裾の林なのか。
 ここに幽香が居るのだろうか。とてもそうは思えないけれど……。
「大人しく待ってろって幽香に言われてたでしょ」
「だって、エリーが……」
 そんな泣きそうな声を出さないでほしい。
 潤んだ眼でこっちを見ないでほしい。
「事情は分からないけど、私はあなたを見とく様に言われてるのよ。勝手に怪我されたら滅茶苦茶叱られるわ」
「……でも……」
 やめて。
 私にそれを聴かせないで。
 お願いだから。
「エリーがあんな風に言うの……はじめて見たもん……。幽香さまに……言わないと……」
 わかってる。
 そうしないと、何か大変なことになる。
 わかってる。解らないけど、判ってる。
 だけど、それは私には関係の無いことだ。関係の無いことなんだ。
「あの……宝石みたいな羽の、紅い妖怪がいるところ、教えて……ください……。幽香さま、きっとそこにいるから……」
 嫌だ。嫌だ。
 そんな所に行きたくない。私は絶対行きたくない。
 なのに、どうしても行かなければならない。
 すぐ見付けて戻りますって、永琳様に約束した。
 だけど、幽香を止めてって、彼女に頼まれた。
 悩む理由が無い。
 それなのに、どうしてこんなにも……。
「お願い……!」
 ……ああ、もう。
 本当に、本当に……。こんな波長《こえ》、聞こえなくなってしまえば良いのに。


 ◆


 知っていたのか、ですって?
 知らない筈が無いでしょう?
 初めてお目に掛かった瞬間から、その歪さに夢中だったんですよ?
 あんな大きな器の中に、子兎みたいな少女が一人、広さと寒さに怯えて、震えて……。可愛らしいったら無いじゃないですか。
 どうして、彼女を放っておいたんですか? どうして大事に仕舞っていたんですか?
 あんなに壊し甲斐が有るのに。あんなに壊され甲斐が有るのに。
 あんなに、淋しそうにしていたのに……。


「じゃあ、全部わかってたんですか……?」
 嗚呼、美鈴さん。
 そんな熱い眼差しを向けないでください。
 そんな眼で見詰められたら、私、体が火照ってしまいます。
「フランドール様がチェンジリングだってことも、その片割れが、幻想郷に居るってことも……!?」
 吃驚したでしょう? 私もですよ。
 チェンジリングに体を横取りされた魂が、また違う所で生まれているなんて、滅多に有る事じゃありません。しかも、それが偉大なる吸血鬼の許で起こったんです。
 片や吸血鬼の体を得た凡庸な魂。片や凡庸な体を得た吸血鬼の魂。
 彼女達は正に取り替え子。これは奇跡ですよ、美鈴さん。
「だったら、それを何でお嬢様やパチュリー様に言わなかったんですか!?」
 そんなの決まってるじゃないですか。
 言えば、絶対会わせない様にしろって命令されてしまいますから。
 そうしたら、フランドール様のあんな可愛いお姿、見られませんでしたよ。
「ッ……!」
 あらあら。
 こんな立派な拳《モノ》を打ち付けるなんて。
 嬉し過ぎて果ててしまうじゃないですか。
「何考えてんのよあんたは!」
 容赦が無いですねえ。
 ついさっきまで気絶してたんですよ、私。
「そんなにフランドール様を苛めて何が楽しいの!? あの方はあんたを信頼して付いてったんだよ!?」
 苛めることの愉しさは、お話ししても解っていただけないでしょう?
 それに、誤解しないでください。私はフランドール様の信頼を裏切ったりしていません。
 彼女の許を訪れること。そして、彼女を壊すこと。
 それらは何れも、あの御方が望まれたことなんですから。
「そんなわけないでしょうが!」
 本当に?
「あんたが、フランドール様の何を知って……!」
 貴女が何を知っていますか?
 レミリア様を通じてフランドール様と接する貴女に……貴女達に、あの御方の何が見えていますか?
「私は、ちゃんとフランドール様自身と……」
 レミリア様の妹。
「ッ……」
 貴女がフランドール様を説明するとき、きっと真っ先にそう言うでしょう。
 咲夜さんも、メイドの妖精さん達も、パチュリー様だって、『入り口』は常に其処なんです。そしてそれは、レミリア様にとっても。
「……それの何が悪いのよ」
 悪いだなんて、とんでもない。
 それは只の事実です。善いも悪いも有りません。
 でも、考えたことが有りますか?
 もし、フランドール様がレミリア様の妹じゃなかったら、って。
「……!」
 考えたことが有りますか?
 もしも、フランドール様自身が、そう思っていたら……。
「関係無い。そんなの……そんなこと関係無く、私は皆を家族だと思ってる」
 それは『貴女だけです』。
「違う!」
 ……或る日、皆からそう言われたら、貴女はきっと酷く落ち込むでしょうね。
 じゃあ、考えてみてください。
 いつかそんな日が来る、いつか自分は家族じゃなくなる、と、怯えて暮らす子供の気持ちを。
 いつの日か、自分に取って代わる『スカーレット』が現れる。それを危惧するあの御方の気持ちを。
「……そんなこと……」
 私は彼女の願いを叶えてあげようとしました。彼女の『スカーレット』を脅かす、その存在を葬り去る為に。
 だって、私は私の御主人様から命じられたんです。
 フランドール様とお出掛けする時は、あの御方の為に事を成せ、と。
 だから私は、その通りにしたんですよ。全ては、この忠誠の為に。
 もしも、そこに不純が混じっているとしたら、それは…………。


 ◆


――幽香様。先日お話ししたこと、友人に調べてもらいました……。
 話を切り出すエリーの苦々しげな顔を見て、すぐに解った。
 くるみの片割れ――元々あいつが成る筈だった吸血鬼は、やはり違う魂を得てこの世に存在しているのだと。
 そして、それは酷く不安定な、危険な存在だということも。
――幻月の言った通りだったみたいね。
――ええ。忌々しいことに。だけど、当然と言えば当然ですわ。くるみがあれだけ落ち着いているのが凄いんですもの。
――落ち着いていようが、弱いことには変わり無いわよ。
 スペルカードルールの制定は、外出を許してやる良い契機になる。
 そう思っていた矢先の事だった。
――可哀想だけど、もうしばらく我慢してもらいましょうか。
――仕方無いですわね。また何処かへ連れて行ってあげてください。
――気が向いたらね。
 あっちも幽閉されているらしいから、くるみが湖から出ようとしない限り、遭遇してしまうことは無いだろう。
 ……その読みの甘さは、予想以上の惨事となって私達に降り掛かってきた。


 きちんと縄を付けておけないのなら、殺してしまうしかない。そうすれば、うちのペットも窮屈な思いをしなくて済むし、私の気も少しは晴れる。
 それが、この館を訪れた時の心情だった。
 怒りで我を忘れた、という程ではないけど、相当頭に来ていたことは間違いない。
 ……だけど、あの門番に『どけ』と言った時、あいつならこう答えるだろうなと思ったことが、そっくりそのまま返ってきて、ちょっとだけ頭の血が引いた。
 こいつらにとってのあの娘は、私とあいつにとってのくるみなのかも知れない。そう思った。
「レミィにも、聞かせてあげたわ。途中からだけどね」
 盗み聞きしていた門番の後を追い、そこで聞かされた『主犯』の自白。
 それは、私の中で変わりつつあった印象を明確に塗り替えるものだった。
 初めは、単に持て余しているだけだと思っていた。強大な力を持つ、情緒不安定な吸血鬼を扱い兼ねて、とにかく閉じ込めているだけだろうと。だから、アレがうちの湖へ来たのは、一種の事故だと考えていた。
 だけど、そうではなかったらしい。
 私達がくるみを外へ出してやりたいと思っていた様に、こいつらにもあの娘に与えてやりたい自由が有ったのだ。
 問題は、その方法と目的、そして危険への認識がてんでバラバラで、纏まった対処が出来ていなかったこと。それが一人の独断を許し、あの娘の暴走を招いた。
 バカな話だ。私でさえ、時に悪魔の知恵を借りて、あいつと相談しながら物事を考えるのに。特に、くるみのことに関しては。
 あの吸血鬼も、それぐらい真剣に考えてほしいものだ。大切なもののことくらい。
「……どうして、そんな意地の悪いやり方をするんですか……」
「小悪魔ですから」
 この小賢しい小悪魔も、馬鹿正直な門番も、欠陥だらけの愛情を補う為には必要だ。勿論、頭でっかちの魔女も、未だに私を警戒し続けている過保護なメイドも。
 それら全ての手を借りて、あの幼児はやっと自分の妹を護れるだろう。本当の意味で語り合い、理解してやれるだろう。
 今の今まで、その不足に気付いていなかったのかと思うと、全く呆れた話だが。
『……フラン。ごめんなさい。ずっと悩んでいたのね。ごめんなさい。気付いてあげられなくて……』
 魔女が繋いだその声は、随分酷く困憊していて、今にも倒れそうに聞こえる。
 もう三十分ばかり遅く来ていたら、勝手に死んでいたかも知れない。
 間に合ったと言うべきか、早まったと言うべきかは、少し悩むところだけど。
『フラン。貴方が何者だろうと、他の何者が居ようと、貴方は私の妹よ。それは貴方がスカーレットだからじゃない。そんな事実が無くたって、貴方が大切であることは変わらないわ。だから、壊さないと、なんて言わないで。そうしないと愛してもらえないなんて、そんな悲しいことを言わないで……。私も、美鈴も、パチェも、咲夜も……小悪魔も、貴方自身を愛しているのよ、フラン……』
 こんな当たり前のことを、ずっと伝えていなかったのだろうか。それとも、伝えても伝わらなかったのか。
 ともかく、今はどうにか伝わったらしい。
 地下に感じていた四つの不穏の内、一つが薄らぎ、一つが静かに消えていった。
『……ずっと閉じ込めてた癖に……』
 不貞腐れた餓鬼の言葉が、隙間風の様に耳をつく。
『それは……だって……他にどうしたらいいか……わかんなかったから……』
 いよいよ姉の方が涙声になってきて、メイドが忽然と姿を消した。
 それに気付いたらしい残りの三人が、どいつも苦笑を洩らしていたのがなかなか笑える。
 そうしている間に、薄らいでいた一つもそのまま消えた。
『イヤアアァ!』
 残った二つの内、特に煩い方が叫んだ。
『お姉さま! あいつが、あいつが来た! 助けて! 殺される!』
『フラン。大丈夫よ。大丈夫。彼女に、貴方のしてしまったことを謝りましょう。私も一緒に謝ってあげるから。そうしたら、きっとゆるしてもらえるわ』
 やった事を赦すつもりは更々無い。
 だけど、心の底から謝れるのなら、生きることくらいは許してやっても良いだろう。
 ……つくづく、あいつらが死ななくて良かったと思う。
『違うの! あいつが来たのよ! あいつが! 私の全部を奪いに来たのよ! 私からお姉さまを! みんなを奪いに来たの! 部屋もお人形も本も取られちゃう! 私を殺して、みんなみんな取ってくんだわ! 私が羨ましいから!』
 姉が何も答えなくなった。
 大方、あの娘の言っている意味がよく解らないのだろう。
 簡単だ。この喧しい餓鬼は、最初に消えた奴と同じものを恐れている。それが過ぎて、幻覚まで見ている様だ。
 つまり、こいつの言う『あいつ』とは、私ではなく――
『バーッカじゃないの!?』
 ……。
 ……。
 …………?
 !?
「くるみ!?」
 何で居る。何で此処に……よりによって其処に居る。
 あのバカ。大人しく待ってろって言ったのに。
 と言うか、あの天性の方向音痴が此処へ辿り着ける筈が……。
『うわぁ!? 手を放しちゃダメだってば!』
 しまった、そういうことか……。
 世話の焼ける……。


 ◆


 
 父か、母かも、憶えていない。
 その『誰か』は、とにかく私を可愛がり、私の我が儘を何でも聞いてくれた。欲しい物は何でも与えて貰えた。
 代わりに求められたことは唯一つ。愛することだけだった。
 だから、私は沢山愛した。沢山、大好きを言った。『誰か』に。そして、ずっと眠りっぱなしだった妹に。
 いつかこの子が目覚めたら、目一杯可愛がってやってほしい。そう言われて、その通りにしようと思っていた。私がしてもらった様に、何でもしてあげようと思っていた。
 その日がとても待ち遠しくて、一つ一つ夜を数えた。
 だけど、百を数え、二百を数え、千を数えても、妹は目覚めなかった。
 そうして、このまま二千も過ぎてしまうかという頃、とうとう待ち望んだ日がやって来た。
 何もかもが壊れる日が。
 ……私達の親らしき存在が本当は何をしたかったのか、それはもう誰にもわからない。地獄の果てまで捜しても、見付かることは無いだろうから。
 遺された私に出来ることは一つだけ。ただ、フランを愛することだけだった。


 もしも、もう一人妹が居るなら。
 つい最近、ちらっとそんなことを考えた。特に切っ掛けが有ったわけでもなく、突然。それはもしかしたら、今日のことを暗示していたのかも知れない。
 きっと、フランに負けず劣らず可愛くて、賢くて、強い。そんな娘だろうと思った。
 だけど、こうして実際に顔を合わせてみると、その夢想は大きく外れていたことが分かる。
「こんなボロくて陰気くさい館、私が欲しがるわけないでしょ!」
 ……こんなに可愛げのない奴だったなんて。
 親の顔が見てみたい。
「あんたのお姉ちゃんなんかもっといらないわ! 私のご主人さまはね、世界でいっちばん強い大妖怪なのよ! そんなちんちくりんじゃ比べもんにもなんないし!」
 なんとなく、逆に可愛いんじゃないかという気がしてきた。
 考えてみれば、フランも割とこんな感じである。何かと言うと私を邪険にするし、小馬鹿にするし、ムカつく。
 それはさておき、よくもこの部屋まで来られたものだ。美鈴が小悪魔をぶん殴りに行っていたとは言え、他の誰にも……あの幽香にさえ気付かれなかったらしいことに驚きだ。
 たぶん、後ろで毛を膨らませている兎のお蔭だろうけれど。
「ちょっと……! 喧嘩しに来たんじゃないでしょ……!?」
「だって、あいつが……!」
 指を指された『あいつ』は、もうほとんど見えなくなっていた。
 今回、フランを怖がらせた四つの不安の、三つ目が消えようとしているのだ。
 残る一つだけは、いつも消えない。いや、まあ、消えてもらっては困るのだけれど……。でも、いつも最後に残るのは、決まってこの子だ。
 私の可愛い、可愛い、甘えん坊な、寂しがり屋の妹。
「……お姉さま」
「なあに?」
「ジャマ」
「うぎゅ……ッ!?」
 一人に戻るといつもコレだ……。
 突き飛ばし方に遠慮が無い。
 咲夜が受け止めてくれなかったら、瓦礫に頭をぶつけていたかも知れない。
「あなたね! お姉さまがちんちくりんなのは事実だからどーでもいいけど、うちの館がボロいってのは撤回しなさい!」
「ボロじゃない! 柵はぶっ壊れてたし、庭も荒れ放題だったわよ!」
「そんなわけないでしょ! 嘘つき!」
「はあ!? 嘘なんかついてないっての! 壁もあちこち塗りなおしてあったわ!」
「リフォームの跡よ、それは!」
 よく言った。
「門番だっていなかったし!」
「いるわよ! すっごく格好いい門番がいるのよ、うちには!」
「いなかったし! サボッてんじゃないの、そいつ!?」
 ここ最近で一番頑張ったのに酷い言われ様である。
「世界一おいしい料理作るメイドだっているんだから!」
「だから!? エリーなんか宇宙一おいしいお菓子作るわ!」
「妖精も妖魔もいっぱいいるし!」
「うちなんか悪魔がいんのよ! すっごくヤバイの! 二人も!」
「そんなのうちにもいるっての!」
 アレで張り合うのは無理が有ると思うが。
「あんたが見たことないようなお宝もいっぱい持ってるし!」
「ガラクタの間違いじゃないの!? うちはでっかい図書館もあるわよ! うかつに入ると魔女に食べられちゃうんだから!」
 だんだん脚色が強くなってきた。
「だいたい何よ、この部屋! あんたの部屋!? 瓦礫の山じゃないの!」
「こんなの半日でキレイになるわよ!」
 誰が片付けると思っているのか。
 一応苦言を呈しておこうと思った矢先、瞬きする間に景色が変わった。
「う……?」
 突然清楚になった視界に驚き、娘はきょろきょろ不思議そうに周りを見た。
 対するフランは、呆れるくらいのしたり顔を浮かべている。
 力仕事の有るときは美鈴にも手伝わせる様に言ってあるのに、まったく自分勝手なメイドである。……ただ、滅茶苦茶満足そうな顔をしているのを見ると、あまり叱責する気にはなれない。
「別に夢を見てるわけじゃないわよ」
 いつの間にか地下まで降りて来ていたらしい幽香が、何となく不安そうな娘の首根っこを掴まえながら言った。
 フランはぎくりと一瞬体を硬直させて、それから私の後ろへ回り込んだ。
 やっぱり、一度昏倒させられた事実を忘れたわけではない様だ。
 幽香の後ろには、ここまで彼女を案内して来たらしい、パチェと小悪魔の姿があった。
 美鈴がいないのは、上を妖精達だけに任せるわけにはいかないからと、そういう配慮があったのだろう。ついさっき死に損なったばかりのくせに、生真面目なバカ正直め。
「どうしてこんな所に居るのかしら?」
 まさしく子供を叱るときの語調で幽香が言う。
 それに怯えた反応を示したのは、娘よりもむしろ兎の方だった。
「ご、ごめんなさい……!」
 その兎から謝罪が飛ぶも、幽香は全く取り合わない。
 と、娘は首根っこを掴まれたまま、無理矢理体を捻って後ろへ振り向き、その腕を両手で掴まえ返した。
「幽香さま」
「ッ……」
 必死そうな、懇願めいた顔で見上げられ、幽香も少し狼狽える。
「エリーが、やめてって……」
 言っていることの意味は、私にはよくわからない。
 だけど、幽香にはしっかり伝わったらしい。
 彼女は持っていた傘を兎に投げ渡すと、空いた手で娘の頭をよしよしと撫でてやった。
 そうして、一頻り撫でた後、今度はじろりとこっちを向いた。
 私の陰に隠れていたフランが、ますます体を低くして、この身を盾にし始める。いつもこうなら可愛げに溢れているのに。
「……あんたの妹がエリーにしたことは、門番が代わりに贖ったわ。九割引でね」
 瞬間、裾を掴むフランの手に力が入る。
 自分のしたことは、時に自分以外の誰かにも跳ね返る。私が庇ってやれるとは限らない。それが今度こそ身に沁みてくれたのなら良いのだけれど。
「貴方の寛大さに最大限の感謝を示すわ」
 私が言うと、彼女は忌々しそうに鼻を鳴らした。
「次は負けてあげないわよ」
 肝に銘じておこう。
 今回のことが身に沁みたのは私も同じだ。
 もう二度と、フランに何かを壊させたりしない。それをずっと掲げていたつもりだったけれど……。結局、色々なことから遠ざけるだけで、何の解決もしようとしていなかったのだ、私は。
 これからはもっと、この子をちゃんと理解してあげようと思う。何をしたいのか。何が嫌なのか。
 私に根掘り葉掘り訊かれたくないなら、美鈴に相談してくれたら良い。パチェと咲夜にも、普段からフランのことを気にしてくれるように頼もう。
 何か不安を感じたら、小悪魔に訊けば教えてもらえるだろう。腹黒い奴だけど、嘘は吐かないし、それに……腹の立つことに、実は一番、フランと気の合う奴だから。
「あんた、ちゃんとお礼言ったの?」
「う?」
「連れて来てもらったんでしょ。迷惑掛けて」
「あ、いや、そんな……!」
 ああ、羨ましい。
 あんなに自然に、あの娘と接していられる幽香が、心の底から羨ましい。
 いつか私も、ああいう風になれるだろうか。姉であることを気負わずに、気張らずに、フランと話せるだろうか。
「……お姉さま」
「ん?」
「…………ごめんなさい……」
 何と言えば良いのだろう。
 この愛らしい妹に、何と言ってあげたら良いだろう。
 そうだ。例えば……。
「「あまり心配させないでね」」
 あっちとこっちで声が重なって、互いに互いを見合わせた。
 幽香が上から目線で微笑んで、私は思わずムッとしたけれど、実は少しだけ嬉しかった。
 その陰に隠れ、べっと舌を出す娘の姿が、また可愛げ無くて愉快だ。それに「ふん」と鼻で返す我が妹など、愛らしくて堪らない。
 今、心に決めたことが有る。
 近い内、必ずフランと一緒に彼女らの許を訪れよう。
 そして、誠心誠意謝って、ゆるしてもらうことが出来たら、彼女にどうしても言いたい言葉が有るのだ。
 どうか、うちの妹と仲良くしてあげて、って。




 ◆ ◆ ◆




 鈴仙かね。
 しこたま怒られたよ。
 いやいや。幽香に、じゃない。お師匠さまにさ。
 まさか風見と吸血鬼が戦争してるかも知れないとこにお邪魔してるなんて思わないでしょ。
 月の頭脳もあいつのお人好しには吃驚仰天ってわけだ。姫様も呆れてたね。
 だけど、お蔭であのくるみって娘に随分懐かれて、幽香の憶えも少しだけ目出度くなったらしい。結局あの死神が退院するまでずっと子守してたからね。
 まあ、善かったんじゃないの? たまにはお礼言ってもらえることも無いとさ、折角の能力《ちから》を切り捨て兼ねないから、あの子は。
 今日は幽香に呼ばれて、お師匠さまと一緒に出掛けたよ。頭を揃えて治療代と慰謝料の相談さ。
 どこに行ったって、決まってるじゃない。
 夢幻館だよ。


 ◆


 幽香ったら、あいつが退院して帰って来るまで、ずーっと門を閉じっぱなしにしてたのよ。酷いと思わない?
 おまけに、私達が吸血鬼を呼び込んだんじゃないかって、謂われの無い疑いまで掛けられて、嫌になっちゃうわ。
 私はただ、あの小悪魔にちょっとした『お手紙』を……あ、ううん。なんでもないの。
 ん、んー……そういえばー、その小悪魔ってどうなったのかしら。……半年の接近禁止命令? あはは。お気の毒ね。
 ……まあ、その、良いじゃない。結局誰も死なずに詰まんな……じゃなくて平和に片付いたんだから。
 医療費だって、吸血鬼が支払うってことで決まったんでしょ。
 その吸血鬼は色々と落ち着いたみたいだし、くるみだってやっと好きに外出させてもらえることになったわけじゃない?
 私はなーんにもしてないけど、もししてたとしても、むしろ恩人だと思うわ。ね?
「幽香さまー。夢月がこいつと遊びたいって」
 いや、言ってないわよ?
「年上をこいつ呼ばわりするんじゃないの」
「フラン。その台詞、私の目を見て言えるかしら?」
 悪魔に長幼の差なんて有って無い様なものよ。
 あ、待って、姉さん。違うの。そういう意味じゃないの。
「レミリアちゃんが提示した金額ですけれど、ちょっと大き過ぎません?」
「貴方の手術の難しさを鑑みると強ち高いとも言えないけれど、実費には程遠いわね」
「うわッ、ホントだ。桁《ゼロ》一つと思ったら二つ多い……!」
 そこ、冷静にお金の話してる場合じゃないわ。
 特に赤いの。吸血鬼の為に門を開くなんて以ての外でしょ。止めなさいよ。
「エリー。門開けて。サンドバッグ殴りたい奴は一緒に来ても良いわよ」
 待って。幽香の拳はマジで痛いから。
 姉さん。ちょっと、私は悪くないってことを説明……姉さん? 何処行った?
「はい、はーい。私、エリーの分しばきたい」
「じゃあ私、美鈴の分」
 それどっちも私がやったわけじゃないでしょ!?
 目の前にいる仇を殴れば良いじゃない!
「それはそれ」
「これはこれ」
「だよねー」
「ねー」
 息合わせてんじゃないわよ!?
 もっとお互いを憎みなさいよ! 啀み合いなさいよおぉ!



 
お久し振りです。
お読みいただき、誠に有り難うございます。

くるみとフランドールだとくるみの方が吸血鬼っぽいけど、でもあの子弱いよね。
と、そういうところから色々膨らんで、こんな事になりました。
考察と言うには余りにも荒唐無稽な妄想ですが、内容をお伝え出来ていれば嬉しく存じます。

部外者で事情も分からないのに振り回された可哀想な兎さん。新作での活躍が期待されますね。
頑張れ鈴仙。

それでは、お疲れ様でした。
昭奈
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魂の迷子でフランがくるみでくるみがフランってのはなかなか見ないタイプの設定ですね…
うどんちゃん今回はとばっちり、か?