Coolier - 新生・東方創想話

気怠き世界を活かせきるだけ

2017/06/23 15:07:45
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「井戸型ポテンシャルの量子分布は――」
 大学の大型教室で教鞭を執る老齢の男性講師。
 学生たちは板書とノートを交互に見て写しをとる。考査が近いこともあり、普段より出席率は高い。出題範囲を聞き逃さないようにと、皆必死だ。私の前の席に座る学生も例にもれず。いえ、この人は普段から真面目だ。確か先日、成績優秀者として表彰され奨学金を得ていたのだから。
「一次元のシュレーディンガー方程式を変数分離するために解を――」
 視線を教室の外に向ける。風が木々をそよぎ、アスファルトに映る影が揺らぐ。梅雨入りしたはずなのに降雨の頻度は少ない。今年もまた水不足に陥るのだろうか。
「定常状態の波動関数を求めるためにポテンシャルを確認すると――」
 そうだ。梅雨といえば梅酒だ。去年漬けた物が綺麗な琥珀色に仕上がっているはず。旧型酒のホワイトリカーに漬け込んだ、呑めばしっかりと酔える梅酒。メリーは喜んでくれるだろうか。
「波動関数が求まったので次に境界条件と規格化条件を与えるために――」
 講義の終了を告げる鐘が鳴る。いけない。板書を写すのを忘れていた。視線を窓から黒板に戻す。幸いにもあまり後れをとっていなかった。
「しまったなぁ……ここまで終わらないと来週考査ができないのだが」
 講師は眉間にシワを寄せ、頭を悩ませている。すると前方から、再来週実施しましょう、という声が上がり、講師は渋々その提案を受け入れることにした。私としてはいつ考査を行っても結果に大差はないのでどちらでもよかった。この講義はいつも進行が遅く、当日に復習すれば理解をすることは容易い。とはいえ、ノートがないと勉強のしようがない。講師に消される前に手早く写さなくては。

 

 ノート見開き一頁分を写し終え、教室を後にする。午前の講義が終わり、キャンパス内は学生で溢れかえっていた。このあとはどうするか。適当に食事を摂って研究室に戻るか。それとも帰宅するか。どちらにせよ、気怠いことには変わりはない。
 思案していると、鞄の中で携帯端末の通知が鳴った。取り出し、画面を確認するとメリーからのメールだった。
「今日の午後、時間があったら出かけましょう。 Maribel Hearn」
 メリーが外出の誘いをするなんて珍しい。午後の予定を決めかねていた私は当然、メリーの誘いに乗らせてもらった。
「良いわよ。ちなみにどこに行くつもり? Renko Usami」
 メリーに返信送り、手荷物を減らすため一度研究室に向かう。道中、再度端末から通知音が聞こえた。おそらくメリーからだろう。あちらに着いてから確認すればいい。
 研究室に到着し自身の机に荷物を置く。必要なものは財布と定期券と携帯端末。それ以外は置いていこう。せっかく研究室に戻ってきたのだから一杯、コーヒーを飲んでおきたい。
 自分専用のカップにインスタントのコーヒーを雑にいれ、電気ポットでお湯を注ぐ。自身のデスクに着いて一息していると向かいの席にいる先輩の女性研究員が声をかけてきた。
「宇佐見さん、今ちょっと時間ある?」
「あまりないですけど……どうされたのですか?」
「それならいいわ。今書いている論文の要旨を見てもらいたかっただけよ」
「でしたら……メールで添付してくだされば後ほど見ておきます」
「ありがとう! 今送っちゃうから、時間があるときにお願い!」
 手を合わせ、頭を下げくる先輩に申し訳なさを感じる。研究室で扱っているテーマの一つなので興味があるのは当然だけれど、査読したいと思えるほど、活き込んでいるわけではなかった。気怠いが引き受けざるを得ない。
 携帯端末で先輩からのメールが受信箱に届いたのを確認。その一つ前に来ていたメールは案の定メリーからだった。開封し、中身を確認すると。
「行ってみてからのお楽しみ。十三時に正門で待ち合わせね。 Maribel Hearn」
 いけない。端末の時計を見ると待ち合わせ時間まで残り五分しかない。研究室のある建物から正門までぎりぎり間に合うかどうか。私は慌ててカップのコーヒーを飲み干そうとして、口内を火傷してしまった。
「――――ぁっつ!!」
「え、どうしたの?」
「ぁ……慌てて飲んだら、口の中火傷してしまって……」
理由を聴いて、大声で笑う先輩。酷い気もするけれど、このやり取りは何度も繰り返していることだからお互いに慣れっこだった。
「あまりハーンさんを待たせすぎると嫌われちゃうかもよ?」
「そんなに待たせていませんし、嫌われもしないですよっ! では、後ほど戻りますので。論文は時間が合えばその際に」
 お疲れさま、と先輩に言われ研究室を後にする私。待ち合わせ場所まで急がなくては。



 無事、待ち合わせ時刻丁度に到着できた。しかし、エレベーターを待たずに階段を一気に駆け下りた所為か。息は途切れ途切れ。一度噴き出した汗はタオルで拭ってもなかなか収まってくれない。とても厄介だ。手で仰ぎ、なけなしの涼を取っているとメリーがやってきた。
「お待たせ、蓮子。ごめんね、遅くなっちゃって」
「ううん。いいの。私も。今来たところだから」
「……もしかして走ってきたの?」
「えっ、うん。そうだけど」
「いつも通りで良かったのに……」
 メリーはそう言って鞄から紫色の扇子を取り出し、私を仰いでくれる。
「あぁー……涼しぃー……」
「もう。蓮子は仕方ないわね」
「んー……どのあたり?」
「蓮子っていう部分が」
「もはや全てじゃない……」
「はいはい。もうそろそろ良いかしら」
 メリーはそう言って扇子を鞄にしまう。ところでメリーはどこに行きたいのだろう。
「メリー。今日はどこに行くの? オカルトスポット?」
「いいえ。大学の近くを散策するの」
「オカルトスポットではないのね……」
「がっかりかもしれないけれど。ほら。大学の近くって意外にも散策したことなかったじゃない? 新しい発見があるかなと思って」
「言われてみたらそうね……」
「ほら、蓮子。早く行きましょう」
 メリーが私の手を取り、駆けていく。普段なら私がメリーを引いていくことが多いので新鮮な気分だ。何か、新しいことが見つかりそうな予感がしてきた。

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