Coolier - 新生・東方創想話

見栄を頑張るパターンクレイジー

2017/05/12 20:54:16
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 相手の目を見る。力を抜いて足を開き、自然な構えで向かい合う。相手の一挙手一投足に目を光らせ、隙を窺う。
 見る。走る。殴る。雲居一輪の格闘技は極めてシンプルだ。
 体系化された格闘技の下地を身につけていないので、足技はほとんど使えない。

 向かい合う相手は、ゆったりと直立の構えで待つ。
 それは正式な構えではない。半身を引き、胸の前で拳を作り、重心はやや後ろ。それが格闘戦における彼女の本来の構えだ。腰まで届く赤髪がふわりと広がり、まるで彼女自身が炎であるかのような佇まい。

 彼女にその構えを取らせるには、自分は未だ未熟であるだろう。その納得は胸にストンと落ち、けれど少しばかりの悔しみを腹に残し、それを握り拳の力強さへと変えて、雲居一輪は大地を蹴った。
 隙を見たからではない。隙を作るためだ。

 顔のやや下、喉元をめがけて左拳を小さく突き出す。あくまで牽制の、腰を入れずに繰り出す突き。相手は右手でこれを受ける。

 本命の、一歩踏み込んでの右ボディブロー。相手は片足を引き、半身を一輪の左手側に寄せて回避する。

 ここだ。一輪の攻撃が防御ではなく回避された時、相手の反撃が始まる。
 一輪は上体を捻り、左肘を小さい動きで繰り出した。狙いは顔の位置。相手はとっさにスウェーしてこれを躱す。

 ここまで予想通り。この瞬間、相手は上体を反らして僅かに踏ん張りが効かなくなっている。一輪は勢いのままに上体を沈め、右脚を振り上げて後ろ回し蹴りを放つ。
 普段見せていない、故に警戒されていないはずの蹴り。防御されても力づくで跳ね飛ばし、倒れたところに追撃する構えだ。

 ――が、この蹴りは何者をも捉える事なく空を切った。相手は上体を反らした勢いのまま後ろに倒れ、背に回した手を地面につくと、まるでバネ仕掛けのように腕の力だけで全身を跳ね上げて元の体勢へと戻した。

 一輪はといえば、渾身の蹴りが空振りに終わり、勢い余ってそのまま上体が泳いだ。辛うじて全身を支える左脚に、相手の蹴りが容赦なく突き刺さる。
 道端の小石をよけるような軽い蹴りだ。しかし、不安定な軸足は僅かな力を加えられただけであっさりと崩れ、一輪は背中から倒れた。すぐさま横に転がって距離を離すと、鋭い踏みつけが先程まで一輪のいた地面を鳴らした。

 素早く両足をついて立ち上がる。が、相手は踏みつけの勢いそのままに一輪へと肉薄し、態勢の整わぬところに容赦のない突きの連打を浴びせた。一輪は両腕で身体の中心を守るが、その隙間を縫うように突きが胸を、腹を打った。

「ぐっ……!」

 何度目かの腹への打撃に、一輪は呻いて上体を俯かせた。相手は一輪より背が高く、この体制は後頭部への打ち下ろしを防げない、致命的な隙だ。一輪はとっさに前に出て、肩から相手にぶつかった。体当たりというよりは、倒れ込むような形になった。
 当たりに威力はなかったが、懐に潜り込めた。一輪は密着したまま相手のボディへ一撃、二撃と食らわせる。相手は肘打ちを背中に、膝蹴りを横腹に繰り出して反撃する。どちらの攻撃も、距離が近すぎるため体重が乗らない。故にその威力は純粋な力の強さによる。そして、ただの力比べならば自分に分がある事を一輪は知っていた。

 相手が脚を引いて距離を取ろうとした気配を嗅ぎ取り、一輪は両手を相手の背に回して胴締めにかかる。

 背に回した手が組み合わさる。完全に極まった。後は相手が音を上げるまで締め上げるだけだ。一輪は自分の口角が僅かにつり上がったのを自覚しなかった。相手もまた妖怪、遠慮は不要と背骨を折らんばかりに力を込める。

 ぐ、と相手が上体を屈める気配がした。次の瞬間、その両脚が後ろへと跳ね上がる。

 相手は一輪に拘束される腰を支点に、脚を後ろへと振り上げる勢いで回転した。両手で一輪の胴を背中から抱え込み、両脚は逆立ちするように天へと向く。その勢いに負けて一輪の拘束は外され、相手は宙返りするようにそのまま一回転、両足を地につく。
 抱えられたまま、一輪は天地真逆の風景を見ることになった。直後、外された両手で後頭部を守ると同時に、一輪は背中から地面に叩きつけられた。

「うぐっ!」

 両手で守ってもその衝撃は頭をぐわんぐわんと鳴らし、一輪は前後不覚の状態に陥った。戻った視界が最初に捉えたのは、自分に馬乗りになって右手を打ち下ろす構えを取る相手。その手が一輪の顔面へと振り下ろされた時、目を閉じなかったのは最後の矜持である。

 拳は一輪の鼻先寸前で止まり、拳圧がふわりと一輪の前髪を揺らした。

「良い時間ですし、少し休憩にしましょうか」

 相手――紅美鈴は明るい声音でそう言って、右手を差し出し一輪が身を起こすのを助けた。



「あーあ、上手く行ったと思ったのになぁ」

 ぷは、と持参の竹筒から水を飲み、一息ついてから一輪はそう零す。

「やっぱり美鈴さんにはまだまだ叶わないや」

「いえいえ、いい動きでしたよ」

 美鈴は昼食のサンドイッチを飲み込み、返す。

「惜しむらくは、掴んだ時に脚を取らなかった事ですかね。貴女のほうが力が強いのだから、寝技に持ち込めば結果は違っていたかも」

「そんなこと言って、転んだ状態からの技とかもあるんでしょ?」

「まあ、倒したってそう簡単には……という所ですかね」

 あむ、と次のサンドイッチを頬張る美鈴。健啖家の彼女が持参した大きめのボックスには、卵、サラダ、燻製肉など様々なサンドイッチがぎっしりと詰め込まれていた。自分の弁当はとっくに食べ終えた一輪だが、見ている内に腹が欲深な主張をはじめたので、許可を得て一つ拝借する。

 チーズの濃厚な味わいと、リンゴのみずみずしい甘みが口の中に広がる。舌を刺激するほのかな辛味は、ハニーマスタードとか言うソースの風味らしい。
 美鈴が持参するサンドイッチ弁当は、いつも半数近くが肉類を使用していない。だから、肉食を禁じている一輪でも割と気兼ねなく頂戴できる。用意しているのは館のメイド長だと言うが、こういう場合のために美鈴が配慮しているのだろうと一輪は思っている。

「むぐ……何にしても、我流の拳闘からここまで動けるようになったのは相当なものです」

「まだまだですよ。美鈴さんにも土つけてないしー」

「入道さんの力添えがあったら、とっくに負けていると思いますがね……」

 そう、一輪は美鈴との戦いにあっては、雲山の力を借りず己の肉体のみで臨んでいた。曰く、自らを鍛える修行なのだから、雲山と一緒に戦っても意味がないという。
 一輪は美鈴に目配せで許可を取り、もう一つ、トマトとチーズのサンドイッチを取り出した。それを空高く掲げると、空から煙のようなものが集まって大きな手の形をなし、サンドイッチをつまみ上げた。手に次いで髭をたくわえた壮年の男性の顔が形作られ、その口の中にサンドイッチがひょいと放り込まれた。それから、また煙のように薄らいで空に登っていく。

「雲山は強いですからね。でも、それだけじゃ勝てない時もある。だからこその修行なのよ。弾幕ごっこはどうしても遠距離での撃ち合いが主体になるけれど、そこに近接格闘戦の概念を取り入れて発展させる事ができれば、全く新しい戦術を生み出せるはず!」

 鼻息も荒く豪語する一輪。
 思い立ったが吉日。行動の早い彼女は、すぐさま幻想郷でも格闘技に精通する人物を見つけ出した。紅魔館の門番、紅美鈴である。

 翌日には、彼女は身一つで美鈴の前に参じ、弟子入りを志願した。
 入道使いとして名を売っていながら、その入道を伴わずに現れるという大胆さに、美鈴は感嘆した。普段は弟子を取る事はしない美鈴だが、その豪胆さに惹かれて快諾し、こうしてたまに一輪を招いて稽古に明け暮れているのだった。

 一輪は飲み込みが早く、コツを掴む要領に秀でていた。彼女の格闘は我流そのものであったが、実戦的な体捌きや間合いの取り方を身に着けていた。今の旧地獄である地底で長く過ごしたというから、自然と身に着けた体術なのかもしれない。
 また、彼女は力が強かった。怪力を誇る雲山と日頃から通じているためか、彼女自身にもその怪力の一部が宿っているように見えた。

 もっとも、それだけでは美鈴には勝てない。体系化され長い歴史を連綿と続いてきた拳法を修める美鈴は、特に近接格闘戦において一日の長がある。双方無手である時にこそ、格闘術はもっとも力を発揮するからだ。
 美鈴は我流の格闘家という相手にも慣れているが、一輪はそうではない。優れた拳法家との戦いなどそうは経験できるものではなく、その点に決定的な差があった。

 裏を返せば、実戦経験によってその差を埋めることさえできれば、すぐにでも美鈴に比肩しうる実力はあるという事だ。

 寺の入道使いといえば、見越し入道こそが警戒すべき相手、娘はおまけのようなものと(主に神社の界隈から)聞いていたが、その評価が覆る日も遠くはないと思われた。

「さーて、もう一丁いきましょうか!」

 美鈴が昼食を終えるのを待って、一輪はやおら立ち上がった。

「熱心ですねぇ」

「そりゃもちろん! あのおチビ道士にいつまでもでかい顔をさせておけないからね!」

「ああ、そういえば最初に言ってましたね」

 それは弟子入りを申し出てきた時にも、口にしていた事だ。
 倒さなくてはならないヤツがいると。

「そうよ! この間は不覚を取ったけど、このところはずっと私が勝っていたんだから。あんな古臭い術をありがたがる、頭の固い懐古主義者には……」





「……という訳なのだ。全くあやつときたら、新しい技と言ってはけったいな攻撃ばかりを繰り出しおって、受け継ぎ繋がれてきた歴史の重みを知らんのだ」

「そう。貴女は確かに一族伝来の秘術を用いるものね」

 相槌を返しながら、パチュリー・ノーレッジは紅茶を一啜り。優雅なティータイムを彩るお菓子は、咲夜お手製のオランジェットだ。ピールの苦味とブランデーの香りを、チョコレートの甘みが優しく包む。

 物部布都は話の合間にも、頻繁にオランジェットを摘んでは口の中に放り込んでいる。甘いもの好きらしい。

「終いには弾幕を無視して格闘を仕掛けてくる始末。無茶苦茶も良いところだ」

「まあ、殴っちゃ駄目なんてルールは弾幕ごっこにはないからねぇ」

「だが、所詮は付け焼き刃に過ぎん。我が仙術を更に磨けば、あのように歴史のない技に遅れを取りはすまいよ」

 言いながら布都が菓子皿に手を伸ばし、最後の一切れをつまみ上げる。ちょうどそこに現れた咲夜が、流れるような動作で空いた皿を交換していった。新しい皿には小さな円筒形チョコが並び、表面には様々な模様があしらわれている。
 パチュリーは一つを摘んで口の中に放り込む。噛み砕くと、中から濃厚な甘みとウィスキーの香りが溢れ出した。

「それで、わざわざこんなところまで足を運んでいる、と」

「陰陽五行は仙術の根幹ですからな。ここは書物も豊富であるし、何より先達の知慧を得る事ができる。魔女殿には感謝しておるよ」

 物部布都は道士であり、仙術の修行中であるという。暴風や爆炎を生み出す術を操る彼女だが、本人によると本来の仙術はまだまだ未熟なのだとか。そこで五行――エレメントの扱いに精通するパチュリーの元を訪れ、修行に励んでいるのだった。
 曰く、負けるわけにいかない相手がいるのだと。

 古めかしい口調の彼女だが慇懃な所はなく、素直で聞き分けの良い生徒であった。
 置いていく菓子がよく食べられるようになったのが嬉しいのか、咲夜が張り切っていろんな菓子を用意するようになったのは、果たして良いことなのかどうか。もし彼女の来ない日に同じ量の菓子が出てきたら、五分の一も消費されないに違いない。

「……感謝も良いけど、あまり休憩が長引いても良くないのではなくて?」

「おっと、それはそうであった。では、よろしく頼むぞ魔女殿」

 言葉とともに布都が、やや遅れてパチュリーが立ち上がる。
 向かい合うと布都はニヤリと笑い、どこからともなく吹く風が服の裾を僅かにはためかせる。

 次の瞬間、ごう、と音を立てて、烈風が布都の身体を遥か高くへと跳ね上げた。

 風圧で顔に張り付く髪をどけながら、パチュリーはさっと中空に陣を描く。
 蔵書、ひいては図書館全体を守護する防御結界の状態を確かめ、問題がない事を確認する。

 陣を消し、上方へと顔を向ける。それを待っていたかのように、布都が両腕を振るい、その手に生み出された無数の火球を投擲した。

 パチュリーが飛翔して上空へ逃れると同時、火球が爆音を立てて炸裂した。
 ごう、と唸りを上げる熱風がパチュリーの髪をはためかせる。

 火球はパチュリーの飛翔を追いかけるように、少しずつ軌道を変えながら何度も炸裂する。
 散じる炎の赤が、中空に曲線を描き出すように流れていく。

 ぐるん、とパチュリーは宙返りの軌道で大きく旋回する。
 急激な方向転換に火球の誘導が追いつかず、炸裂の連続に僅かな間隙が生まれる。

 遅れて火球がパチュリーの位置を捉え、接近する。
 その時、すでにパチュリーは迎撃の魔法陣を展開している。

 前に突き出した両手の間に小さく展開された魔法陣。
 その中心に僅かな水滴が生まれると、それは爆発するように膨張し、瞬く間にパチュリーの身長を超える大きさの泡となる。
 そして、迫りくる火球をその内側に取り込み、瞬時に鎮火して消滅させた。

 やがて、火球の射出が止む。
 ちらと横を向けば、悠然と佇む布都の姿が目に入る。

 パチュリーは、傍らの巨大な泡にそっと手を触れる。
 すると、支えを失ったように泡が弾けて、無数の水滴となって降り注いだ。

 しゅるしゅると、その水滴が集まって結びついてゆく。
 やがて、それは水の槍となって、一斉に布都へ撃ち出された。

 布都がスッと後方へ退くと、元いた位置に無数の水槍が殺到する。
 槍は正確に一点を目指しており、その地点から目標が退いた事で、槍同士がぶつかりあってバシャンとはじけ飛んだ。

「そんなものでは――」

「捉えられないでしょうね」

 二人は向かい合ったまま、同時にニヤリと笑う。

 くい、とパチュリーが指を繰ると、水滴へと戻った水槍が再度形成され、再び布都へ向かっていく。

 布都はまた後ろへ退き、槍の軌道を回避しようとする。
 だが、今度は槍によって角度が異なり、若干のランダムパターンを含む軌道だ。下がるだけでは避けられない。

 布都は直撃する軌道の槍がある事を視認すると、今度は低い位置へと逃れた。
 パチュリーはその動きを見て、また指を小さく繰る。

 その動作に危機感が働いたのか、布都は大きい動作で横へと逸れた。
 次の瞬間、布都の後方より迫っていた水槍が、後頭部のあった位置を通過した。

 水槍は回避されて目標を失うと、途中で静止して水球へと戻る。
 そして、目標の現在地を察知し、再び水槍となって撃ち出される。
 どれほど回避しても振り切る事はできず、目標をどこまでも追い詰めてゆくのだ。

 大きく動けば動くほど、水槍が静止する位置はまばらになる。
 そうなれば多方向から狙われる事になり、より回避は困難となる。
 その性質を理解しないものほど、加速度的に追い詰められる。弾幕として言うならば、初見殺しだ。

 このままでは被弾は必至と見たか、布都はぐっと身を縮こませると、思い切り加速をつけて上方へと逃れた。
 何度か槍がかすめたが直撃はせず、下方より迫りくる水槍に相対する。

 両腕を胸の前で組み、力を溜めるような様子の後、勢いをつけて振り回す。
 すると、その正面に渦巻く烈風が生み出され、暴風の壁となって水槍を受け止めた。

(……へえ)

 水槍は風の壁にぼすぼすと突き刺さっていくものの、内側の烈風に切り刻まれて形を保てなくなり、霧散していった。

(本来、水行を阻むのは土行……だけど、力づくで強引に防いだか)

 教科書通りではないが、自らの得意を攻めに守りに活用するのは実戦的な考えといえる。

「……しかし、それでは」

 これはどうするの?
 その呟きは、もちろん布都には聞こえていないだろう。

 水槍を防ぎ終えてしばし、布都が風の壁を解除する。
 その直後、目を丸くして上空に目を向ける。

 そこにあるのは火球だ。ただし、布都が先に繰り出したものとは比べ物にならない大きさの。
 数人程度は飲み込んでしまいそうなほどのその火球は、布都が目線を送ると同時に動き出した。

 迫りくる火球を前に、布都は目に見えて逡巡していた。
 回避が間に合わない事はすぐに見て取っただろうが、ではどう防ぐのか、と。

 五行に照らし合わせれば、火行を防ぐのは水行。パチュリーが先程そうしたように、である。
 しかし、火の気が強い布都は水行を苦手としており、とっさに展開した所で文字通り焼け石に水。

 彼女自身、それは直感的に理解したのだろう。
 布都は一瞬の逡巡の後、先程まで展開していた風を再び纏った。
 急速に勢いを増す烈風の中で、布都は両手を重ねて正面に突き出す態勢を取る。

 そして、火球に自ら飛び込んだ。

 煌々と燃え上がる火球は、布都をその内に取り込むと急激に膨張した。
 中で渦巻く烈風が炎の勢いを更に強め、中心に風の通り道ができた事で、炎は爆発するように広がっていく。

 やがてその端から、炎風を纏わせた布都が勢い良く飛び出す。
 それと同時、広がりすぎて形を保てなくなった火球が、轟音を響かせて爆発した。

「……くはっ!」

 布都が大きく息をつき、失った酸素を体内に取り込む。
 風を纏い勢い良く飛び込む事で、炎に晒される範囲を最小限に留めたのだ。当然呼吸も出来なかったし、両腕の裾は真っ黒に焦げている。もう少し突破が遅ければ、腕そのものが炭と化していただろう。

「見事な風ね」

 唐突に背後で響いた声。
 その主が行動を起こすのは、とっさに布都が振り向くよりも早かった。

「うおっ……!」

 背後より接近したパチュリーが、布都の背中を抱きすくめるように拘束する。

「だけど力技すぎる。それでは大きな隙を晒すのは免れないわね」

 布都がその腕を振りほどこうとした瞬間、急速に風景が上方へと動き始めた。
 動を締め付ける腕、背中にしがみつく身体が、唐突に凄まじい重量を持ったのだ。
 重さに耐えかね、布都の身体はパチュリーもろとも急速落下をはじめた。

「ぬぉおおお!」

 不安定な空中ではその拘束を外す術がなく、布都はそのまま、パチュリーと共に地面へと勢い良く叩きつけられた。



「むぎゅー」

「はい残念賞」

 うつ伏せになって呻く布都の背中に腰を下ろし、パチュリーが淡々と言い放つ。
 先程までは鉛のような重量だったのに、今は羽毛のような軽さだった。

「風は木行に連なり、金は木を切り倒す。それを踏まえ、金行の魔力を全身に付与したのよ。鉛を背負ったみたいだったでしょう?」

「むう……という事は、今のは炎が正解であったか」

「火剋金。正解を一つに限定するつもりはないけれど、何度も力技での突破を許すほど甘くはないわよ」

 ふい、とパチュリーは立ち上がって、菓子と紅茶の置かれたテーブルに戻る。あれほど炎や風が荒れ狂ったにもかかわらず、紅茶の一滴すらもこぼれてはいなかった。

 布都は身体を起こし、だが立ち上がりはせずその場であぐらをかいて座り込んだ。

「最後のはそうだとして……ではその前の大火球は? あれに我の水行では太刀打ちできまいと考えたのだが……」

「火侮水、火が強すぎて水の克制を跳ね返してしまうことね。それは正しいけど、だからといって風は危ないわね。木行は火行を相生により強化する。加減を少しでも誤れば立ちどころにに火だるまだったわよ」

「確かに……」

「自ら飛び込む発想は悪くなかったのだけどね。木は火を強めるけど、火が木を生み出すことはない。私が想定した正解は、貴女自身もまた火行を纏って火球に飛び込む事よ」

「火行を? 確かに我の得意とするところではありますが……」

「同じ気は重なることでより盛んになる。この関係を比和というわ。自らが火を纏えば、火球と共に貴女自身の火もまた強化される。自らを同化させることで火の侵略をいなせるようになるでしょう」

「おお……なるほど。気の強さと五行の関係を熟知することで、あらゆる局面に対応する事が可能となるのですな」

 合点がいったと強く頷き、布都は立ち上がって机に戻った。
 目を輝かせて菓子皿の上のチョコを口内に放り込み、次の瞬間「むおっ」と呻いてむせた。どうやらウイスキーボンボンは初めて食べたらしい。

「けほっ……やはり魔女殿は明晰であらせられる。我の技などはまだまだ及びません」

「そうかしらね。貴女の十八番は皿を媒介とした秘術と、弓の技でしょう? ここで見せないのは油断を誘うためかしら?」

「いやいや滅相もない。五行を基礎から学び会得するにあって、余計とならぬよう排しているに過ぎません」

 カラカラと屈託なく笑い、ウイスキーボンボンをもう一つ手にとって口にする。
 食えない娘だ、とパチュリーは思う。

 パチュリーに技を一度でも見せれば、立ちどころに解析されて対処される事を知っているのだ。それはパチュリーにとって習慣のようなもので、特に相手と戦うつもりはなくとも、いざそうなった時に遅れを取らないようにする意味はある。
 彼女も同じだろう。いずれ戦う気でいるのではなく、単なる習慣として、切り札を見せないよう努めているのだ。かように無邪気であけすけにありながらも、その実はしたたかで油断ならない少女だ。

「それに、今はあの生臭坊主に世の理を教えてやらねばなりませんからな。あやつめ、普通に技をぶつけ合うでは我に敵わんと見るや、格闘になど精を出しおって。その後も妙な手練手管ばかりを磨いておる。新しきを有難がるばかりで、伝統ある技を疎かにするようでは知れたもの」

「ふむ。次々に新しい技を見せて、相手の対応が追いつかないように立ち回るのは一つの戦法ではあるけれど」

「しかし限度がありましょう。しばし不覚を取る事が続きましたが、前回は我が完勝しております。もはやヤツの時代は終わったと……」





「……思ってるでしょうねえ。あれで意外とすぐ調子に乗るヤツだから、『貴様の技はもはや見切ったわ!』とか言っちゃうのよきっと」

 一輪はとかくお喋りが好きなようで、一度話し始めると止まらない所がある。このところの話題は、もっぱら彼女曰く『おチビ道士』についての事だ。
 彼女の口からは相手を侮るような言葉しか出てこないが、それが一月以上も続き、しかも会う度に話のタネが増えている事を思えば、二人がどのような関係なのかは想像するに容易いだろう。

「そうならないために修行に明け暮れているんですし、ね」

「そうそう。美鈴さんっていう良いお師匠さんに会えたんだし、一つ一つ新しい動きも身についてきている。もうアイツの好きにはさせないわよ!」

 鼻息荒く豪語する一輪。もっとも、似たような事を聞くのはもう何度目かも知れない。
 毎度のごとくこうして意気揚々と次の戦いに出向き、首尾よく相手を打ち倒してくる事もあれば、あえなく返り討ちにあってスゴスゴと戻ってくる事もある。
 そうして、また修行が始まるのだ。違うのは、次も勝つ、か、次は勝つ、の一文字だけだ。

「そういう訳で、もう一本お願いします、師匠!」

「はいはい。では、次は少し本気でいたしましょう」

 目を輝かせて構えを取る一輪に、美鈴は拳を作ることで応えた。




「……お嬢様? 何をなさっておいでで?」

 紅魔館の一角。完全な暗闇を生み出すために他よりも重厚に設えられた扉の奥に、レミリア・スカーレットの私室はある。
 普段、日中は開くことのないその扉は、今は開け放たれている。
 掃除の最中に立ち寄った十六夜咲夜が目にしたのは、顔の前で両腕を十字にクロスし、力を溜めるかのように上半身を小さく屈める主の姿だった。

「咲夜、お前は自分の主が唐突に笑いだしたらどう思う?」

「ふむ。まず時間を停止します」

「ほう」

「次に、主の正気を確かめるため眼球運動のチェックを行い、最近甘いものを出しすぎているので虫歯のチェックを行い、耳垢が溜まっていないか耳内のチェックを行い、寝不足になっていないか目の隈のチェックを行い、正気かどうかは眼球運動では確認できないので永遠亭に運び込みます」

「チェックいらないだろそれ」

 返答しながらもレミリアは姿勢を崩さない。
 咲夜は手早く部屋のチェックを行い、やや乱れたベッドシーツに至るまで調度を手早く直して、再度レミリアを見やる。

「で、実際のところはどういったご事情ですか?」

「いやね、部下の前で唐突に笑いだして正気を疑われるような醜態を晒すわけにはいかないと思って、じっと耐えているのよ」

「はあ……?」

 咲夜はレミリアが、手に小さな水晶のようなものを持っているのに気づいた。
 それはパチュリーの魔法具で、外部に設置した発信機から映像と音声を受信して視聴できるものだ。
 水晶は二つあり、片方は門前の美鈴ともう一人を、片方は図書館のパチュリーともう一人を映し出している。

「ああ、それですか」

 合点がいったというように、咲夜もクスリと笑う。

 このところ紅魔館に訪れるようになった、二人の来客。雲居一輪と、物部布都。
 二人はお互いをライバル視しているらしく、相手に負けまいと新たな学びを得ようとした。一輪は格闘の師として美鈴を、布都は術の師としてパチュリーをそれぞれ見出したのだ。

 お互い、誰に学んでいるのかは秘密にしているらしい。同じ場所を学びの場とし、同じようなタイミングで訪れ、修行の合間に同じような話をしているくせして、全く何の示し合わせもしていないどころか、双方共に『ここに目をつけた自分はスゴイ。ヤツには真似出来まい』と思っているらしいのだ。

 今も、すぐ近くで相手が同じようなことをして、同じような話をしているとも知らずに、修行に明け暮れている。

「何なんでしょうねえ、あの二人。こっちで配慮して入り口を分けているとはいえ、どこかでニアミスしても良さそうなものですのに」

 この事態を大変に愉快としたレミリアの指示で、二人には別々の入り口を案内して、来る際にかち合わないようにしている。それぞれの師匠たちにも、相手も紅魔館に来ている事は言わないようにさせている。
 だが、配慮しているのはそれだけだ。どこかで偶然に遭遇しても不思議ではないし、片方がどこかで紅魔館の名前を出せば一発で露見する。
 にも関わらず、一月が経過しても双方が気づく様子は全くない。考え方も行動も、よほどに似ているらしい。

「……ふう。あー面白かった」

 レミリアが謎のガードポーズを解除して一息つく。

「どうやら近く、また決闘するみたいよ。私は布都に賭けるが」

「あら、次は一輪が巻き返す番でしょう。今までの統計からすると、負けた方が次に勝つ確率が僅かに高いようですし」

「パチェみたいな事を言うなあ。だが甘い甘い、このところの布都は成長目覚ましいからな。次も煮え湯を飲むのは一輪の方と見るね」

「では、他の面々にも周知しておきましょう。結果は特等席でご覧になれるようにしておきますわ」

 かように、似た者同士の戦いは、紅魔館の住人から体の良い娯楽として鑑賞されているのだった。
 知らぬは本人ばかりなり。
ご読了に感謝いたします。ご批評をお聞かせ願えれば幸いに存じます。
この二人はなんとなくプロレスが好きそうな印象です。
仲村アペンド
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コメント



0.100簡易評価
1.70沙門削除
めーりん、めーりん!!
少し淡々としてるかなと思いました。布都ちゃんも、一輪も頑張れ。
ご馳走様でした。
2.100名前が無い程度の能力削除
似た者同士の二人がとてもいい感じ
3.80奇声を発する程度の能力削除
良いね
5.100名前が無い程度の能力削除
紅魔館で修行というのはとても合点がいきました
あそこなら色んなことができそうですね
なんだかんだで息がぴったりないちふとが微笑ましかったです
7.80名前が無い程度の能力削除
面白いイタチごっこですな
8.90怠惰流波削除
ああ、戦闘描写がわかりやすくてイメージがよく湧きました。
接近格闘戦と、遠距離弾幕戦の対比もまたよかったです。
面白い発想のお話でした。二人とも頑張り屋だけど、どこか間抜けっぷりが紅魔の赤にに映える。