Coolier - 新生・東方創想話

小悪魔と祝うイースター ~for eastern nature deity~

2017/04/09 00:02:10
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 以前、小悪魔にこんな話を聞いた。

 かつて身近で、今となっては遠い神秘。
 神様とは“自然”だという話だった。
 例えばケルト文化圏では、団栗樹に、奇岩に、霊的な力が宿ることが知られていた。また、この日本と言う国でも、特別な樹を神籬と、特別な石を磐座と呼び習わし、神様が宿るものと考えてきた。仏教風に言うと、草木国土悉皆成仏。草に木に、あらゆるものに仏性を見出す、特に日本仏教で見られる考え方。いわゆる汎神論、アニミズム。八百万の神様。
 小悪魔の言葉を借りるなら、それは何も特別なことではなくて、自然で、とても素朴な、誰の無意識の中にも必ずあるはずのカタチ。
 でも。信仰の意味は薄れていく。権威的な性格の宗教が台頭した西洋は言うに及ばず、日本でさえ、カミの零落の三段階は広く知られた説だ。妖怪は神の零落した姿、という、やや一人歩きした感もありながら広く膾炙した部分のみならず、かの説によるなら、崇め奉る仕組みが完成したその段階で、既に零落の段階を一つ下っている。決まり事に縛られた祭祀は、それはもう原始信仰──ネイティブフェイスとは言い難い。

 画家のモネが、こんな言葉を残している。
『もしも私が盲目に生まれ、突然目が見えるようになったとしたら、目に映るものが何であるかを知ることなく絵を描けるだろうに』
 ある事物について知り過ぎたがために、そのものが何であるのか知り得ない。
 知識が境界の切れ目を明確にする。が、同時に、知識が人を純粋な原体験から遠ざけ、本質を見失わせる。私達の見ている世界は、価値観とか思い込みとか、情報という殻に、色々な結界に隔てられている。結界を強固にするのも、また知識なのだ。だから、“ほんとうのすがた”など見えないのだ、と。
 だったら無知であれば良いか。違う、そんな簡単な話じゃない。本当に無知であったなら、本質の意味を認識できても意味が無い。なんて酷い矛盾構造。

 薄れていく。忘れられていく。
 多分、本当の意味で取り戻すことはできっこない。
 どう言っても正しくなんてない。元からそこにあるものには、本来、名前なんて不純物は無いのだから。
 それでも。フランドールは知っている。
 仰ぎ見るものではなくて、何もかもを包み込む、あの大きな命。そんな捉えようのない存在を辛うじて定義する、その名称を。

 古くからそこにいる、その土地に根付いたもの、中でも取り分けて土着先住宗教の神格を指し、幻想郷では土着神と呼ぶ。



◇◇◇

 よく晴れた日の太陽が高く昇る頃になっても、迷いの竹林に立ち込める春霞は、視界を白くぼんやりと覆っていた。涼気と湿気は、運動で温かく火照った肌に心地良く沁みる。太陽の光も薄く差すのみ。吸血鬼のような日陰者には優しい場所だ。きっと、この迷わし森を拠り所にする妖怪も多いのだろう。
 静謐にして、幽邃。
 本来ならそんな形容が似合うだろう竹林には、森閑とした空気を突き破って、多くの歓声が響き渡っていた。

「見付けたわ!! 私はもうこれで二個目よ!!」
 フランの姉の、大声。
 おでかけ用の威厳メッキが早くも剥がれている。兎の皮よりも簡単に剥けるのではなかろうか。
「甘いな。私はもう五個だぜ?」
「籠がいっぱいになったわ。次のやつ借りてくる」
「何だとっ!? って言うかどこにそんなにあったんだよ」
「そこかしこに」
 姿は見えないけれど、あの声は巫女に魔法使い。
 少女達がこぞって探しているのは、卵の形をしたホワイトチョコレート。竹の根元に、地面の窪みに、はたまた小さ子譚のように竹の節の中に、可愛らしくラッピングされた宝物が隠されている。
 つまりはイースターのエッグハントの真っ最中、というわけだ。

 フランもまた一つ、手に取る。
 ちょうど目線の高さ、竹の枝に引っ掛けられていた籠を手に取ると、鳥の巣に似せてチョコが収まっていた。ちょうどそこにレミリアが駆け寄って来て──その姿が消えた。落とし穴だ。ちょっとした罠も仕掛けられているらしい。
 無事に落とし穴から生還した芸人気質のバカ姉は、その手にイースターエッグを掲げ持っていた。
 どうだ。と言わんばかり。
 フランは冷たい目で見下ろす。
「でも良かったの? お姉様がイースターのお祭りなんて」
「私は寛容なのだ。ハロウィンもクリスマスもお正月も祝ってやる。もちろんイースターもだ」
 揶揄に対しても、すっかり日本のダメな部分に馴染んだレミリアはそんな返事を。元からその辺りの意識は薄かっただろうと疑いの目を向けるのだけれど、レミリアは気付いていない。
「なんでまた急に」
 企画の主催者として他方へと声を掛けたのがレミリアだった。以前には春告精を捕まえようとしたこともあったか。
「夢に見たんだよ。あれは良い夢に違いない」
 で、その主催者がこれである。しっかりして欲しい。
「じゃあ、お姉様に質問。イースターって何?」
「パチェに聞け」
 それには及ばない。
 隠秘学者は当然知っているだろうが、その彼女から子供の手習い程度に魔術の薫陶を受けるフランでも、イースターの由来くらいは常識として知っている。

 イースターの由来は、必要最低限に削って、ざっとこんな具合。

 常識的には、聖人の復活を祝うカトリックの祝日。
 ゴルゴダの丘で磔刑に処された救世主は、三日後に復活を遂げる。言わずと知れたエピソードだ。
 灰の水曜日からイースター前日までの四旬節の間、信徒はキリストの苦痛を追体験する、斎戒し身を清める、あるいは喪に服すという意味合いで、断食ないし節食を行い、粛々と過ごす。そして来たる日曜日を、盛大に祝うわけだ。
 また、イースターに卵が関わるのは、信徒が自粛して過ごす四旬節の間も鶏は卵を産み続けているため。始めの内は、その間に溜まった卵は味気なくゆで卵にしていたそうだが、15世紀頃、卵に装飾を施して贈り物にする習慣が始まった。近年では卵を象ったチョコレートが一般的になったが、これはチョコを加工できるようになった18世紀の頃、最近のことだ。
 装飾を施す由来については、卵を保存するために蝋燭のロウに浸したことが、後にロウを用いた絵付けに発展したのだとか。あるいは、茹でたものと生卵を区別するため、殻を染色したことが起源とも。
 ともあれ、節制の後に控えるハレの日には、解放的な歓びも伴う。教会の祭壇がユリなどの白い花を中心に飾られて華やぐ、その日。日曜に打ち鳴らされる教会の鐘の音を、誰しもが心待ちにしている。
 簡単に言って、イースターとはキリスト教でも最古の部類の歴史を持つ復活祭だ。

「そう言えば、小悪魔がイースターは悪魔の祝祭だと言っていたな」
 なけなしの知識をひけらかして、レミリアは得意気な顔。
「……?」
 これには、フランも首を傾げた。その反応がお気に召したらしい。
「それもただの悪魔じゃなくて、ものすごい大邪神の類いの、って」
 どうだ、知らなかっただろう。
 レミリアは、そういう表情をする。
「そっか。こあが、そう言ってたんだ」
 別に知らなかったわけじゃない。
 イースターとは、キリスト教でも最古の部類の歴史を持つ祭日。
 ──に、習合された、異教の女神の祝祭だ。

 近くで、笹藪が揺れた。
「あら、姉妹で仲が良いことね」
 そう呟いた巫女は、山菜狩りでもするような大きな籠を背中に背負っていた。その後ろからは、東洋魔女の声も響く。
 賑やかなのは、嫌いではないけれど、少し苦手。
 フランは、そっとその場を後にした。



 逃げるように竹林をさ迷って、どのくらい歩いたのだろう。何かに呼ばれるように、無意識に歩いていたようにも思う。時間と距離の感覚が判然としない。
 鬱蒼とした竹林が、不意にぽっかりと開ける。忽然と目の前に広がったのは、現実と思えない程に荘厳な、純白のライラックの花畑。花畑は、春靄の立ち込めた池を中心に、唖然として立ち尽くすフランの足元の、更に後ろまで続いていた。振り返ったとして、果ては見えないだろう。

 池の畔に、白いワンピースドレス姿の少女が腰掛けている。
 幼さの強調された少女だ。
 そのあまりの可憐さに、息を呑んだ。言葉を失った。視界が、脳裏が、白く染まった。

「…………神様」
 ようやく絞り出した呻き声は、直感が導いた答え。
 理由は、その色だ。それは色彩の欠如でありながら、白化個体は絶対的な色彩を纏っていた。髪も肌も至るところまでが、本当に真っ白。白い髪。白い肌。白いドレス。唯一、瞳の色だけが毒々しい果実を思わせる深紅色に際立っていた。
「フラン様、もっとこっちに来ても大丈夫ですよ」
 呼ばれて、息を止めていたことに気付く。
 艶やかなワインレッドの長い髪と、司書風の服装。見慣れた姿に安堵を覚える。
 池のすぐ近くにテーブルと椅子が置かれていて、小悪魔はそちらに座っていた。テーブルの上にはボウルや型抜き用の道具が広げられている。ここで用意したイースターエッグを、同じくここから竹林のあちこちに隠しているらしい。言うなれば舞台裏。もしくは……
 フランは、近付くことを躊躇した。
 波紋が揺れる水面には、迷いの竹林の景色が映っていた。白い少女の細い足がぱしゃぱしゃと水面を叩く度、映し出される場所が切り替わり、足首に掛けてまで素足に直接巻き付けられた白いリボンが、美しい尾鰭のように透明な水の中をそよいだ。
 北欧神話にある、無数の扉が設らわれた高座を連想する。あるいは世界の出来事の全てを見聞きしたという天使ラジエルも、これと同種の座に同席を許されたのだろうか。ここは舞台裏と言うよりも、舞台を俯瞰する神の視座に違いない。
「いいえ、別に特別なものではありませんよ。うちの図書館にだって、皆様の夢を覗くための視聴覚室がありますから」
 何でもないことのように小悪魔。
 が、フランが躊躇しているのは、畏れ多いことが半分、自分の正気の心配がもう半分だ。
「ご安心くださいませ。どうぞ、こちらへ」
 フランは躊躇と遠慮を振り払って、小悪魔の傍らに歩み寄った。そして白い少女から身を遠ざけるように、小悪魔の影に隠れる。小悪魔は人見知りする子供をあやすように苦笑するが、これは切実に逼迫した問題のはずだ。
 いつも通りの司書風の服装の胸元では、普段は身に付けていないペンダントが揺れていた。フランは、その銀色のケルト十字に小悪魔がどんな思いを託しているのかは知らない。気軽に質問できるような事柄ではなかった。
「ねぇ、こあ。アレ、何?」
 代わりにではないが、たった今必要なことだけを端的に質問する。小悪魔ははぐらかす風に微笑んだ。
 当の白い少女はあまりフランのことを気にしていないようで、気まぐれに水面を蹴って、また気まぐれに、チョコペンを手にイースターエッグの飾り付けをしたりしている。
「お察しの通り、その白いの、彼女はこちらの土地の神様ですよ」
「……!!」
 神様と呼ばれる存在を見るのは、これで二例目だった。
「因幡の白兎と言えば、フラン様もご存知でしょう?」
 もちろん、知っている。

 大きな袋を肩にかけ、大国様が来かかると、ここにイナバの白ウサギ、皮をむかれてあかはだか。
 大国様は哀れがり、綺麗な水に身を洗い、蒲の穂綿にくるまれと、よくよく教えてやりました。
 大国様の言う通り、綺麗な水に身を洗い、蒲の穂綿にくるまれば、ウサギは元の白ウサギ。
 大国様は誰だろう、大国主命とて、国を拓きて世の人を、助けなされた神様よ。

 童謡としても知られる因幡の白兎は、古事記の有名なエピソードの一つに数えられる。明治の頃からは、絵本にも盛んに描かれるようになった。そのあらすじは繰り返すまでもない。
 しかし、おかしい。
 フランの知っている因幡の白兎神は、神様であって女神ではない。
 純真可憐な白い姿。可愛らしい、それどころではない、怖気すら震わす異常な美貌。可憐の概念を体現したかの如き幼い容姿。あまりにも倒錯的で、蠱惑的で、背徳的で、神聖娼婦じみて淫靡ですらある。聖的であることと性的であることが矛盾していない。
 これが真っ当な神様のはずがなかった。その完璧な容姿は、性愛に関わる女神でなければ有り得ない。
 この手の存在を知るのは、フランにとってはこれで二例目だ。
「そこが幻想郷の面白い所ですね」
「?」
 フランが首を傾げると、小悪魔は内緒話でもするように声を潜める。

「彼女は“因幡の白兎”であって、『因幡の白兎』ではないということです」

 勿体付けたような、含みのある言い方だった。
 そういう言い方をする時、小悪魔のそれは端的な真実を示している。だけれどその意味は、話の最後になってみないと分からないのも常であった。
「親しみを込めて、てゐちゃんと呼んで差し上げてください」
「……どうかな」
 フランの知る司書のお姉さんのように親しみ易い女神はそうそういないと思うのだが……いや、案外そんなものなのだろうか。いやいや、そんなはずないだろう。
「で、なんですけど。フラン様もこちらにご一緒されますか?」
 まだ無地のままのイースターエッグとチョコペンのセットが示される。
「お疲れでしたら、休んでください。お茶もご用意いたしますから」
 見透かされるのにも慣れた。もう何にでもなれと腹を括れる。
「そうする」
 ぶっきらぼうに言って、小悪魔の隣に座った。


 水の中に映る景色は、迷いの竹林を俯瞰している。
 魔理沙は霊夢を追い掛け、レミリアはパチュリーの腕を引っ張り、その後ろから咲夜と美鈴が連れ添って。
 知らない顔も多かった。永遠亭からは、黒髪の綺麗なお姫様や他として、妖怪兎が多数、竹林の妖怪も。そこから更に知り合いとなると、フランの知る由も無い。三つ編みの銀髪を背中に垂らしているのは、永遠亭のメイド長だろうか。真顔で天然ボケをかましそうな所とか、咲夜にどことなく似ている。
 色々だ。
 ちょっとしたミニゲームに熱をあげている者もいれば、その子にそっと着いていく者もいる。
 小悪魔と、パステルピンクのワンピース姿のてゐもいたが、フランは特に不思議には思わなかった。むしろ、先程までの、とぼとぼと歩いている自分の姿もここから見えていたのだと思うと、少し妙な気分になるのだった。

 ちなみに、集めようと欲を出すと見付からないシステムらしい。金の斧と銀の斧などの話にある通りの、ありふれた教訓だ。
「和風に言うと、舌きり雀の小さな葛と大きな葛でしょうかね」
 と、小悪魔が呟く。
「洋風に言うと、ホレおばさん? 善い娘と悪い娘のモチーフを取り出して言っているのなら、それは少しずれてる」
 と、てゐ。
 小悪魔が言い返されるところなんて、フランは初めて見た。萎縮と言うほどではないけれど、てゐのことを苦手そうにしている。
「……こぁぅ、私だって日本の昔話は勉強したのですけどね。ええ、やっぱり専門は西洋の童話ですね。と、いうわけで……そですねぇ、旅歩きの二人の職人のお話のパターンを、フラン様はご存じでしょうか?」
「一応、ね。こあと……てゐが何の話をしているのかも、たぶん分かる」
 知識と知恵の差異、だろう。
 旅歩きの二人の職人というのは、陽気な仕立て屋と陰気な靴屋が旅をする話だ。深層心理学で善い娘と悪い娘の話型を扱えば、人格の影の話になるのだが、小悪魔が例に挙げた話の面白い点は、類話よりも踏み込んで書かれている点だろう。二人の職人の話も、日本の昔話なら瘤取り爺の話がそうなるように、陰気な方というのは最後には酷い目に遭うのだけれど、職人達の旅は少々長く続く。そのためかこの手の話にしては珍しく、陽気な方が上手くいかない、という場面があるのだ。
 町と森があったとして。
 町では、陽気な仕立て屋が成功して。森では、陰気な靴屋が成功する。
 光は意識で、陰は無意識。光、すなわち意識の及ぶ範囲は人間の支配領域だが、無意識の陰の空間は、異界である。近代に入ってからは象徴的な話の中での認識だが、その昔、山や森、海、その他の人の生活圏外も含めて全て、紛れも無い異界だった。

 もちろん迷いの竹林は無意識の世界だ。そこでは即物的な知識よりも豊かな知恵の方を働かせなければいけない。
 物語の主人公達が持つ、恩寵を授かり、あるいは謎かけの正解を言い当てるような、知識にあらざる知恵を指して、俗な言い方になるが、勘、と言うこともある。例えば、あの巫女は勘が良い、という風に。
 ここで一つ重要なのは、これはどちらが上という話にはならないこと。意識と無意識で二つ、高い水準で両立することを、その手の心理学では自己実現と言うのだったか。相反するものが補完し合って、一つの全体像を作り上げる。ただし、きっかり半分と半分に分かれた陰陽の太極図ではなく、氷山に喩えられるわけだが。

 陽気な仕立て屋も無意識の森の中で失明し、象徴的な死を経験することで、無意識の世界で得た知恵を意識の世界に持ち帰る。また、王様の難題や陰気な靴屋の策略に対しても、やはり無意識の世界で得た糧や動物の援助が彼を成功に導く。
 つまりこの童話に深層心理学的な解釈を施すと、自己実現の過程を示している、ということになる。

 善い娘と悪い娘のモチーフを取り出して言っているのなら、それは少しずれてる。と、てゐが指摘したのは、安易な理解では不十分、ここまで踏み込んで初めて及第点と言えるからではないか。

 ……と、いうような内容のことを、フランは言葉を詰まらせながらも確実に訥々と語った。
「流石はフラン様です。その答えなら、私から補足することは何もありません。花丸の100点満点を差し上げますよ」
「うん、上出来かな」
「そう」
 紅と白の少女の双方に褒められても、フランの表情は浮かばない。
 所詮、今のは知識だけ。
「ってことを分かってるんでしょ? だったら私も褒めてあげる」
「……そう、ですか」
 どうして、素直に喜べないんだろう。
 ずっと前、生きていた頃からこういう性格だった。何かプレゼントを貰っても、姉の方は飛んで跳ねて舞い上がって嬉しがるのに、フランは頷くだけ。だから、相手に申し訳ないような気持ちになる。
 きっと、姉が素直な性格の善い娘なら、自分は嫉妬深い性質の悪い娘の方だ、と。そう思うこともあって、そう思う自分が時として惨めだった。本当は、朗らかに生きていたいのに。どうして、捻くれた性格になってしまったんだろう。
 無様、とまでは言わないけれど。中途半端。ちぐはぐ。何をすべきか、何をしたいのかも分かっていない。能天気な姉でさえ、肝心な芯だけは通していると言うのに。やっぱり無様かも知れない。

 せっかく集まった籠の中のイースターエッグも、持て余してしまう。
 欲してないから集まったのだと思っていたのに、それも少し違うらしい。
「……なんで、イースターなんか祝うのよ」
 陰気な声で、呟いた。



 西洋のほとんどの祭りがキリスト教以前の、西洋各地の土着信仰に由来すると言っても過言ではないだろう。逆に、現在まで残っている祭事は、例外なくキリスト教の影響を受けている。
 クリスマスを例に挙げれば、元はと言えば冬至祭であった。古代ローマにおいては農耕神サトゥルヌス。ケルトでは鹿の角を生やすケンノルヌス。ゲルマンではユールの祭日。と、いう具合に。それぞれ固有の文化を持ち、固有の神様を奉っていた。キリストの生誕祭たるクリスマスは、既存の土着文化を乗っ取り、上書きする形で普及していった。
 7世紀になる頃には、ヨーロッパ全土にカトリックの教会があったそうだ。フランの生まれるよりずっと昔のことである。
 最近の話をするなら、産業革命期に民衆の生活が一変したのがトドメになった。近代化、つまり工業化が推し進められれば農村文化は衰退する。必然的に、農事に深く根付いた季節の祝祭は、急増した都会の労働者にとっては何の利益の無いものとなった。
 宗教と言うと近代的合理主義とは相容れないように思うかも知れないが、西洋の近代化を推進した一因は、キリスト教の合理性にあるだろうことには触れておく。近代の合理的精神を育んだ土壌は、男性原理的キリスト教文化にあるのは間違いないというのが、フランの見解だ。
 体裁を重んじる都会的な社会においては、荒っぽい祭りは好まれない。野ウサギ狩りも野ギツネ狩りも、野卑で残酷な遊戯と非難された。比較的穏便なものだけを残し、伝統的な祭りは廃れていった。オルギア的な狂乱など、もってのほか、言語道断。断じて、赦されることじゃない。異教的どころか、人道的ではないと、強く非難すべきであろう。統治者、聖職者は一緒くたになって、これら蛮族共の奇習を駆逐すべく戦い続けて来た。
 ここで言うオルギア的、というのは、代表的にはカーニヴァル、スペインの牛追い、イタリアのトマト祭りなど、ああいった野蛮なエネルギーの奔流の感じられる祭りのこと。
 自然神は感覚の陶酔によって人類を疲れさせ、人間神は真面目な魂の躍動と殉教の喜びを与える。これはフランスの学者の言葉だったか。
 オルギア的な人の手に管理されない祭は、時に人の手を離れて暴走し、時に人知を超えた興奮と熱狂をもたらす。原始的、もっと言えば動物的で理性や知性の欠片も感じられない、悪習だ。しかしだからこそ、今でも残っているものは強く根付いている。なにせ原始的な祭りを求めるのは、ついぞ排除し切れなかった人間の本能なのだから。
 人間神の宗教、キリスト教が一般的な西洋でも、誰もが真面目な魂の躍動を求めているわけじゃない。

 フランは自分でも気付かない内に、皮肉気に唇の形を歪めて失笑していた。
 レミリアあたりは否定するだろうが、吸血鬼なんて人類の亜種のようなものなのに、何を他人事のように皮肉に思っているのか。

「ご存知の通り、キリスト教以前の土着信仰なんてごまんとあったわけです。日本では神仏混淆なんて言いますけどね、シンクレティズムは西洋にもありました」
 小悪魔はフランの顔を見て、そう話し始めた。
「と言っても、ミラノ勅令とかニカイア公会議の頃の話ですから、フラン様には馴染みが無いですよね」
「そりゃそうだわ」
 ニカイア公会議と言えば、たしか一度目は西暦で325年だ。時のローマ皇帝が開いた、キリスト教の教義を決定する一大議会では、布教の方策も話し合われたのだろう。異教の問題は悩みの種だろうから。そこで、多少は妥協する必要が認められた。
「ちなみにイースターの日取りが、春分の後の満月の後の最初の日曜日、ということに決められたのもニカイア公会議でした。それまでは、教会でも地方ごとにまちまちだったんですよ。で、イースターから逆算してクリスマスの日も決まりました」
「決める必要があったのね」
 他にはハロウィンこと諸聖人祭もそう。ケルトのサウィン祭に日付が近いのは、恣意的な結果。
 楽しいお祭りを弾圧してしまうと、当然、反発がある。だから代わりにキリスト教化した祭りが今に残っている、というわけ。春は復活祭、夏は聖マリア祭、秋に諸聖人祭、冬には降誕祭、と。キリスト教の大きなお祭りは、これで春夏秋冬を一周する。

 この辺りのことは、以前にも聞いた。
 全体として抑圧されながら、ある部分では拾い上げられたとしても、どうしたところでキリスト教はその二重性を認めないから、日本のように神仏が平行して残る、ということが起こり得なかった。混淆主義と言っても、妥協は妥協、あくまで上書き、すり替え。だから、上下がある。
 一般に、キリスト教は男性原理的な宗教だと言われている。男性原理には、秩序と規範性の遂行者としての権威を示す力がある。偏見混じりに言えば、神の悪性や破壊性に関しては、臭い物に蓋をするが如くの対応。それら負の側面を悪魔や人間に押し付けるから、偏っているし、歪んでいる。良くも悪くも横暴なのだ。
 神は悪くない。
 いや、率直に言って、それはちょっとおかしいと思う。本来のカミとは悪いものだろう。いくら否定しても過去には野蛮な未開社会があり、現在は過去の上にある。フランは神を特別視しない。神とてカミから分派したカミの一種に過ぎないだろうに。
 無論、カトリック側には正義も大義も善意もあった。自然神は人間を疲れさせるだけだし、蛮習を続けてどうしようと言うのか。生贄に差し出される命を哀れに思うなら、改宗はなんと正しいことであったか。万雷の喝采が聴こえるようである。カミを駆逐して神を盛り立てるのは、善を愛する人間として正しい行いだ。

 他の文化にしても似たようなこと。
 例えば、悪魔。
 今、フランの目の前にいるサキュバス風の司書少女だって、低級悪魔どころか、デーモンに代表される上級の大悪魔ですらない。
 悪魔とは広義では異教的な存在の総称であり、乱暴な言い方になるが、異教的であれば、それらは全て悪魔と見做された。吸血鬼、魔女、その他色々、全て広義の悪魔に当て嵌まる。天使と堕天使の混同の歴史を見ても、この辺りの雑然にはうんざりさせられる。意外に思うかも知れないが、妖精も悪魔である。特にケルトの妖精は、キリスト教の伝播に伴って零落した、ケルト神話世界の神々の姿だと言われている。ダーナ神族の末裔、ディーナ・シーがそれだった。考えようによっては、カミが広義の悪魔という分類に含まれることになる。

 時代の変遷に伴い、衰退し、変容し、時には再興しながら、異教文化は今日まで存続してきた。
 要するに、跡形など、今となってはほとんど残っていない。風化した破片が散らばっているだけだ。

「さてさて、イースターに兎と卵が関わるのは、土着文化の名残りですね。そして、この竹林をエッグハントの舞台に選ばせてもらった理由です」
 やっと、イースターの話題になった。
「……悪魔の祝祭。お姉様に、そう言ったんだって?」
 確かに、異教の神様は広義の悪魔だけれど。
「まあ、それは良いわ。で、イースターね」
 フランにとっては、やや退屈な授業になる。
 そんなわけで、フランは小悪魔よりも先に口を開いていた。
「まずは卵の象徴性を取り出していきたいところだけど、挙げていけばキリが無いわね。掻い摘んでいきましょう」
 錬金術においても卵は重要な意味を持つため、パチュリーの講義で繰り返し聞かされてきた部分だ。その内容は、すらすらと流れ出てくる。
「哲学者の卵と言えば、創造や変化の中枢で、フラスコを指す。また、第五元素のエーテルは熱せられた物質から立ち上る湯気に含まれている、というのが一時期の錬金術の考え方にあって、実際に物質を蒸留してエーテルを取り出す実験に頻繁に用いられたのが、卵だった。ウロボロスの意匠には、卵を抱えているパターンもある。そんな感じで、卵の神秘性は、容易に世界の創造と結び付いた。それが世界卵と呼ばれるものね。代表的なのはカレワラで、他にも世界中で見られる。けどまあ、中国の太極図で話をしようかな。宇宙の根源に喩えられる卵は、全体性の中に様々な潜在性を含む未分化な混沌。太極図は陰陽、つまり軽いものと重いものとに分かれて、天地を構成する。太極から両義、四象から八卦、という風に、まるで受精卵みたいに分裂を繰り返す。それが世界の始まり。あまり一般的じゃないけど、神道にもこれと同じ考え方があったはず」
 博麗で採用している神道は、マイナーな民間道教が混じっているのだろう。でなければ陰陽玉など使わない。
「……生徒があんまり優秀だと、先生の立つ瀬がありませんよ?」
「立つ瀬が無いなら溺れてれば? 勝手に先生になるやつなんか知らない」
 つんと澄ました顔でフランは言う。
 小悪魔は楽しそうに苦笑した。
「こははぁ~、手厳しいですね。では、ウサギさんについても当然、ご存知ですね」
「ま、豊穣多産のシンボルでしょうね。卵と同じ」
「はい、その通りです。ドイツの村などでは、ウサギが復活祭の卵を産むと言い伝えられています。他には、イースターエッグを庭に隠すのはお家の方ではなくウサギさんです、なんてのも。サンタさんを信じるくらいの年齢なら、それと同じように、兎がエースターエッグを隠すって信じているんじゃないですかね。現代っ子達がどうだかは知りませんけど」
 そこで小悪魔は一度、思案気に言葉を区切った。
「ところで、なんですけどね。最初からイースターと言っていますが」
「ああ、それね。英語とドイツ語だけよね? ドイツ語だとオースタンだっけ。で、それ以外だと」
「発音揺れは省略しますが、だいたいパスクと言いますね。日本語では、過ぎ越し祭と訳されることが多いですか。フランスではこっちです。アルザス地方のアニョー・パスカルは有名なお菓子ですね。過ぎ越し祭りの羊という意味です。後でご用意致しますね。さて、話を戻しまして、イースターの言葉がどこから来たかと言いますと……」
 ここにきて、ようやく話が繋がった。
 用意していた一言が自然と口から零れ出る。
「エオストレーは、春と夜明けの女神……」
「そしてウサ耳の女神様です」
「……いや、それはどうか知らないかな」
 ともあれ、イースターは悪魔の祝祭で、悪魔、つまり異教の女神エオストレーの春祭りということ。
 キリスト教以前のゲルマン系の民族が信仰していた、らしい。らしいと言うのは、フランはほとんどその古代の女神について知らないからだ。ウサギを生贄として捧げていたとも聞くが、真偽は定かではない。
 エオストレーという名の意味は、イーストか、ドイツ語読みのオスタラならラテン語のオリエンスに発音が近い。更に言うなら、イシュタル、アスタルト、アルテミス、アプロディーテー、エーオースやアウローラ、この辺りの女神と起源を同じくするのではないか。
「イースターは冬の夜明け、春分における新たな生命の誕生を祝います。ここにウサ耳女神様、月と共に地母神に関わる神格との関連を踏まえると、ただ単に誕生と言うよりも、繰り返す再生であり、生命の絶えざる更新と言った方が本質に近いでしょう。誕生は誕生ですが、回帰と再生と言った場合、循環の流れの中にある誕生となります」
「そっか、ウサギと言えば月だよね。ってことは」
「良い着眼点です。夜明けの曙光と言うよりも、夜明け前の黎明から夜明けにかけて。その瞬間の女神なのでしょうね。ウェールズの一地方では、イースターのバリエーションに、夜明けまで踊り明かすという風習もあったそうです」
「……夜明けの瞬間、それも春分の夜明けの瞬間……ん、瞬間の神様って言ったら、たしか、ユングが言ってたのにそんなのがあったような……?」
「素敵ですっ、フラン様っ。空にある太陽は神様ではなく、日の出の瞬間の太陽こそが神様である。ユングの自伝に綴られている、彼がアフリカの部族との対話で聞いた話ですね」
「あんまり褒めないで。さっき、知識と知恵の話をしたから、たまたま思い出しただけ」
 太陽が神様だと知識で理解してしまえば、原体験で経験した衝撃も知恵も薄れてしまう。
 要するに、無意識に解釈を試みることは矛盾しているのだ。理解など不可能だし、それを理解したと錯覚する度に、本当の理解から掛け離れていく。ユングの悩みは、モネの嘆きにも似ている。
「たった一瞬の原体験が、救いをもたらすのです。それがイースターの原動力なのだと私は考えています」
「……」
 正直な所、実感は遠い。
 当たり前だ。ユングが危惧した通り、言葉にしてしまった途端に分からなくなる話をしている。
「昔の冬は、酷かったんだよね」
 貧しい寒村の記憶は、他人事のように遠い。実感が遠退くのも当然だった。
 凍て付く冬は死だ。象徴の話ではなく、現実的に死の季節だった。本で得た知識として、フランはそれを理解する。
 空は厚い雲に覆われ、昼とは言え暗く、太陽の輝きはほとんど見ることができない暗黒の世界となり、農作物は枯死し、大地は雪で覆われ、道路は閉ざされ、隣人に会うこともままならず、食糧は満足になく、厳しい寒さのために病に侵され、あるいは凍死したり、道に迷ったり、雪崩によって一夜のうちに家が消えてしまうなど不慮の事故が頻繁に起こった。こうした人間の計り知れない災害が特に冬に多く、人々は恐怖に慄き、ただ室内に閉じ籠り、ひたすら夏の訪れを半年という長い冬の生活を続けながら待ったのであった。
 そんな時分に訪れる春の兆しは、まさに救いなのだろう。そう理解して、本当は何も分かっていない。
「まあ、だいたいそですよ? 冬ってわりと洒落にならないんです」
「その言い方だと余計に軽く聞こえる」
「私は見て笑う側ですから」
 そう言ってから、ふと小悪魔は首を傾げた。飽きっぽい態度でよそ見しているてゐに話を振る。
「……そう言えば、日本にはこれと言った春の祝祭がありませんね。ねぇ、白いの。どうなんです?」
「いや、あるでしょ?」
「と言うと?」
「お花見」
 何故それが出てこないのか、という風に。
「それが、そうなんです? 確かにサクラのクラは座の意で、山の神の依り代だとも聞きますが。時代によってはお花見の花は梅でしたか。こぁ~、やっぱり微妙な部分は分かんないですねぇ。春と聞いたら、真っ先に上巳の祓えを思い付いちゃいました」
 上巳の祓えとは、いわゆる桃の節句。それも確かに春祭りではあろう。別に間違いではないのだけれど、小悪魔としては違うらしい。
 それにしても、洋風と和風の両方が揃っていると隙が無い。
「まあ、ともあれ」
 ぱんと手を打って、小悪魔。

「もちろん私は、多くのものを失わせた排他的な宗教を、そして宗教を利用した者達を、手放しに快くは思っていません」
 重く、小悪魔は口にした。
 もしかしなくともフランのそれとは比較にならない強烈な嫌悪を秘めながらも、重く、しかし語気を荒げることはなく、穏やかな口調のままに。
「ですが、民草の祈りは正式なものとは違います。教えを正確に理解している人がどれだけいると思います? 信仰の本質は、いつだって同じなんです。素朴に、ただ神に感謝を。一人一人の心の中にある祈りは、きっと、尊いものですよ」

 聞き覚えのある言葉だった。
 温和な微笑みの裏には、底冷えのする怒りが畝っている。実の所、小悪魔はキリスト教そのものには好意的だ。祈りの言葉だって、すらすらと唱えてみせる。
 だから、小悪魔の憎悪は、もっと根深いものだ。一方的な正義や、身勝手な独善に対する、凄絶な嫌悪感。その全てを隠して小悪魔は優しげに微笑んだ。
 欺瞞だ。小悪魔は嘘を吐いている。聡いフランにはそれが分かってしまった。
「私はですね、祝祭のお菓子が大好きです。その日は特別なんです。家族みんなで集まって、お祝いするんです。ええ、家庭的で素朴で、大変よろしい。キリスト教はお菓子文化の発展に多いに貢献しました。そういう所は好きですよ」
 イースターは異教の女神の春祭り。
 エッグハントは最近の流行だとすれば、古代の信仰は、どんな姿だったのだろう。風化した残骸を拾い集めたところで、分かるはずもないが。
「産業革命以後、人々の暮らしぶりは大きく変化しました。物質的に豊かになったわけです。冬の寒さも、さほど切実ではなくなりました。工業化、都市化、近代化。これによって、これまでの村という大きな括りの単位ではなく、家族という単位が生まれます。そこで見直されたのが、家族の在り方。産業革命の影響は非常に大きく及びましたが、私が注目する変化は、『子供』という概念の再発見です」
「……」
 産業革命の時代に、イギリスの森林がどれだけ消滅したか、小悪魔はそこには触れないつもりらしい。
「家庭という新しい空間で、かつて大人に満たない労働力に過ぎなかった子供が、初めて、子供として愛されるべき存在になったんです。子は未来の労働力だから宝なのではありません。愛しているから、宝なんです。現在の家庭団欒のイメージはビーダーマイヤー期のそれでしょう。例えば顕著なのが、子供部屋という今までになかった空間の誕生でしょうか。他にも、おもちゃや児童書と、子供のための物が多く生まれます」
「……イースターも、それだと?」
「そうだと言えるでしょう。イースターやクリスマスが嫌いな子供なんていませんよね」
「ここにいるわ」
「まあ、そう仰らないでくださいませ」
 不満気なフランの眼差しをひらっと躱して、小悪魔は笑った。
「皆様に楽しんで頂けているようで、白いのに話を通した甲斐もあるというものです。と言いますか……だいぶ、エキサイトしてらっしゃいますね」
 小悪魔が視線を落とした水面では、エッグハントが熱狂を極めていた。イースターの由来はどうあれ、エッグハント自体は子供の遊びのはずだ。あれはあれで本来のイースターに近い、なんてことも無いだろう。
「お姉様は、ガキだけどね」
「霊夢様も負けず嫌いなんでしょうか。いつの間にか乗り気ですね」
「元々、みんな勝負事は好きだよね」
 エッグハントはチーム戦になりつつあった。
 ところで、弾幕が飛び交っているのは何故なのか。
「……これは、チョコを追加する必要がありますね」
 困った風に笑いながらも、小悪魔はどこか楽し気だ。
「予定を超えてくれるのは嬉しいものですよ。ですがもうちょっと、和気藹々としたものという予定だったような気がしないでもないです……可愛い女の子たちが、ですね……なんかこう、春っぽいふんわりオーラを纏いながら……」
 小悪魔の言いたいことは分かる。
 だが、一つ忘れてはいないだろうか。
「あそこにいるのは、幻想郷の少女達だからね」
「……まったくもう、勇ましいことです。フラン様も、そろそろあちらにお戻りになりますか? お姉様が劣勢のようですよ?」
「…………別に、いい」

 あそこに混じっても楽しめない。
 素直じゃない少女は、そう思って。膝を抱いて俯いた。



 会話の無い水辺は、ひどく静かだ。
 景品と、ちょっとした罠の仕込みが済むと、微かな物音まで立たなくなった。騒々しい竹林の様子も、まるで別の世界の出来事のよう。

 小悪魔はテーブルに頬杖を突いて、じっと視線を注いでいる。
 てゐも時折、思い出した風にバタ足で水を蹴るだけ。何を思っているのだろう。横顔を眺めたって分からない。
 他にすることも無くて、スカートのフリルを順繰りに指でたどった。それもじき、終えてしまう。

「似てるの?」

 言わなければ良いのに。どうして、口走ってしまったんだろう。
 いや、それは嘘。
 フランは、どうしても問いたかった。知りたかった。
 でも、少し卑怯。
 それは、似たもの同士の二つを並べて、一方がこうだったから、もう一方もそうなのだろうと確認するような、そんな類比を用いた、ただの類推。そんなことをしたって、本当の答えにはならない。
「そうかもね」
 てゐは、貌だけで微笑んだ。表面上は恬淡としているように見える。
 黒髪の綺麗なお姫様。彼女を見つめる少女の視線は、どこか、他と違った。
「おとなしそうで、意外とお転婆なところとか、ね。たまに、重ねて見ることもあるよ」
「……そっか」

 ほら、答えじゃない。
 けど、納得した。

 昔話としても知られる因幡の白兎は、古事記の有名なエピソードの一つに数えられるだろう。そのあらすじは繰り返すまでもない。
 ……本当に、そうか?
 違うはずだ。
 大国主が遭遇した白兎は、八上姫の化身とも遣いとも言われる。訪問先で出会う自然存在ないし動物霊の助言を聞いて成功する動物教導は、昔話に頻出するモチーフだ。異界の住人と善い関係を築いた者こそが、自然の援助を受け、成功を収める。ニーベルンゲンの歌においても、英雄ジークフリートは小鳥の囀りの意味を理解して難局を乗り越える場面があった。
 さて、それで話の続きだが……
 世にも美しき八上姫。彼女は予言の通り、八十神一行の誰でもなく、その当時は大穴牟遅神という名だった大国主命の求婚に応じる。

 で、そのザマがどうなったか。

 巡ってゆく島の岬ごとに、巡ってゆく磯の崎はどこにも、若草のようなお相手をお持ちでしょう。
 のちに大国主命の妻となった須勢理姫には、嫉妬深い歌が伝わっている。例に漏れず、須勢理姫は八上姫のことも妬んだ。八上姫のことは、大国主命が連れ帰ったとも、故郷で待ち続けた八上姫が追い掛けたのだとも伝わるが、どちらにしても、優男は何の役にも立たなかった。
 いや、別に悪く言うつもりは無い。ただ、彼は他に多くのものを背負い過ぎた。大己貴神は大国主命になって、昔のことなんて忘れてしまったのかも知れない。
 子の御井神を置き去りにして、八上姫は身投げした。神話はそのように伝えている。

 つまりそう、なんてことのない、よくある悲恋譚。

「知ってたの?」
 もっと考えてから口に出せば良かった。さっきから失敗してばかりだ。
 漠然とし過ぎて質問になってない。けれどフランの意図なんて、言葉にするまでもなく通じていた。
「結末は知っていたよ。でも……あんなに泣くなんて思わなかった」
 悲恋譚の発端となったのは、白兎の託宣。
 乱暴に言えば、こいつのせいだ。
「私も恋がしてみたい。姫様……あの子は、無邪気にね、頬を朱色に染めて笑っていたよ。しばらくの間は、本当に幸せそうだった。あの子はあの日々が永遠に続くと信じてた」
 けれど、結末は悲劇だ。
 だけど、それだけでもない。
 大己貴神と八上姫の、いわば新婚時代のエピソードも、因幡地方には伝わっているという。無論、本筋のものではなく、後付けされた民話の域を出まい。けれどそれは、人々の遺した思いでもあろう。
 しかしそれでも尚、悲劇は悲劇。起きてしまったことは変わらない。
「あの子が国を出る前に止めたのに。どうしてあの時だけ、あの子は私の言うことを聞かなかったのかな? ……なんてね。適当に遊ばせて、あとは適当に止めれば良いかと思ってた。この場合、どうしようもないのは私とあの子のどちらなんだろうね。私は全部知ってたけど、何も分かってなかった」
 そもそもが、記紀神話とは、朝廷の王権を正当化するために編纂されたもの。ここでも宗教の政治利用だ。葦原中津国の平定は、天孫族の侵略を意味している。古事記以前の土着信仰はごまんとあった。

 作った者の文脈だけで読み解けるのは、精々が作った者の意図だけ。細切れの断片を繋ぎ直せば、全く形の変わる話もある。
 フランの考えが的を射ている道理もない。だからこの先は想像だ。昔話でも神話でもなく、物語として想像する。白兎の少女は、誰のことを一番大切に思っていたのだろう、と。

「妖精達の、こんな噂話があります」
 俯くフランの隣で、小悪魔が静かに朗読を始める。

『この竹林はね、昔は幻想郷じゃない別の場所にあったんだって。伝承では大津波に流されてここに流れ着いたとか……』
『竹林が津波で流された? しかも流されて幻想郷にって変じゃない? 海も無いのに……』
『幻想郷は外の世界で消えた物が流れ着く事もあるのよ。魔法の森だって似たような伝承があるわ』
『時空の迷子になった場所ってことね。だから迷いの竹林って言うのかな』

「その日のことは覚えてるよ。大雨だった」
 その日というのは、八上姫が身投げしたという、その日だろうか。

 幻想郷は、外の世界で忘れられた存在の集まる場所。
 小悪魔の言葉の意味は、つまりそういうこと。
 白い少女は“因幡の白兎”であって、『因幡の白兎』ではない。



 古代において神とされるものは、天体の動き、自然現象、自然そのもの、特定の動物などから始まる。
 これを精霊信仰やアニミズムと呼ぶには呼ぶのだが、厳密にはそうではない。縄文のアニミズムでは、未分化なままの原初の全能神が自然物に宿っている。アニミズムと言ってしまえば同じだが、それは、千々に引き千切られて細分化された後世の八百万の神様とは、明確に異なるのだ。
 一神教の絶対神を神と言って、八百万の神様を広義のカミと言うなら、土着神とはカミ以前のカミ、狭義のカミとでも言うべきだろう。

「葬祭未分化、という説があります」
「……言葉通りの意味で良いの?」
「おおむね、構わないでしょう。葬儀と祭儀、この二つの遺物が同じ箇所で発掘されるために、そう言われているようです」
 日本各地の貝塚には、時に、人骨や宝物の類いが埋葬されていることがある。
 従来考えられていたような単なる廃棄場所ではなかったらしい、ということが、それらの発見によって分かったのだとか。
「神様の魂も動物の魂も人の魂も、全部が全部、同じ魂。同じ場所へと還ると考えられていたから……?」
 と、フランは推測する。
 人間の魂だけが死後に天国に昇る特別なものとするキリスト教とは違う考え方。有り体に言うと、全てのものが一つの自然に包含される感覚、だろうか。言葉にしてしまえば実に陳腐である。
「って言うか、それって何万年前の話よ……」
 水田稲作が伝わるより以前。縄文の文明は、成熟せる採集社会とも言われる。今とは全く違う世界観があっただろう。
「とりあえず断っておきますと、単一の縄文の文化、というものは有りませんよ。自然に密接に関わる以上に融合しているのですから、自然の多様性に応じて生活形態が変化するのは当然でしょう。ですが、素朴な信仰は、世界のどこでも変わりません」
「……」
 素朴な信仰。
 度々、小悪魔が繰り返す言葉だ。
 目に見えないものの気配を感じることを始めとして、無意識の中には、必ずこの感覚がある、と。
「基本的には豊穣神。ですが、農耕民族の豊穣神と狩猟採集民の豊穣神では、性格が違います。ある程度、という前置きはもちろん忘れませんが、努力が報われるのが、安定した水田稲作というものでしょう。しかし動物を追う狩りというのは、運に左右される要素が稲作よりも多いかと。この差は、信仰する神様の性格にも反映されます」
 土地を耕した努力を、秋になれば保障してくれる。それは真面目な魂の躍動と言える。
 だとしたら狩猟採集民の豊穣神は、何をもたらすか。
「無論、稲作と狩猟というのは必ずしも両立し得ない文化ではありませんし、民族の闘争や入れ替わりも必ず起きるわけではありません。文化の転換は、なだらか変化でも起こり得るものですよ。もっとも私としては、平穏に進む方がレアケースとは思いますけど」
 まったくね。新しい民族が島に上陸する度に戦争をしていたのはどこのケルトだったかな。
 それはひとまず言うのをやめて、フランは思考に没頭する。
「……」
 一つ一つ、フランは小悪魔の話した内容を自分の内に沈めていく。
 ここまでは何も難しい所は無い。葬祭や清いものと穢いものの区別をしない未開的思考と原始的な信仰心によって狩猟採集民が祀っていたのが、古代の神様だ。けれど、まだ分からない。素朴な信仰とは具体的にどういうことなのか。控え目に言っても野蛮な血祭であるだろう原始信仰を、何をもって、素朴と言うのか。
「アイヌには、イオマンテという儀式がありました。日本に近年まで残っていた、古代祭祀の姿を留めたものと思われますので、例として挙げますね。私はこの例が、素朴な信仰にかなり近いのでは、と考えています」
 小悪魔が言うには、それは、次のようなものだった。
 イオマンテをおおまかに説明すれば、獲物に敬意を払い、丁寧に殺す儀式。

 あの世へと送ることは、あの世へと返すこと。
 丁重に返還することは、再生を祈願すること。

「ものすご~く簡単に言うとですね。“いただきます”と“ごちそうさまでした”の最上級の表現なんですよ」
「……待ってよ」
 看過できない違和感に、フランはつい口を挟む。

 狩猟採集民にとっての貴重な動物性タンパク質。それは、ただの御馳走というだけの価値ではなく、もっと切実な、命の糧だった。
 古代人は、猟で得た獲物を、神が動物の姿で顕れ、我々を育んでくださるのだと考える。

 そこまでは、頭だけでなら理解できる。だが、その先の行動が解せない。
 丁寧に殺す。小悪魔は一言で随分とあっさり済ましてくれたが、その一言は、どれだけ残酷な意味合いを含んでいるのか。いや、残酷という感想が文化の違いからくるものとしても、やはり腑に落ちない。
「神様を殺しちゃうってこと? 罰当たり、ってことにはならないの?」
「罰当たりとか、そんなわけないじゃないですか。だって、一番綺麗なものを選んで丁寧に捧げているのに、それの何処か罰当たりなんです? 信仰の基本は、生贄を捧げることですよ」
「……」
「私が因幡の白兎の神話を聞いて思い出したのが、メソアメリカのシペ・トテックという神様でした。穀物関係ですが、こちらも春分の神様でして、生贄の人間の皮を生きたまま剥いで捧げるのだとか。神官は血の滴る生皮を纏って踊るとも。中々、盛り上がりそうなお祭りですね」
 盛り上がりそう、という感想に頷くかどうかはともかく、その酸鼻極まる祭りに嫌悪感は覚えない。だが、その行為が神様への信仰に繋がることだけはどうしても理解できない。悪魔崇拝か何かなのか。反キリスト教的な悪魔崇拝としてなら理解の範疇なのだが。
 これは、西洋人らしい感想なのだろう。フランも一応は吸血鬼として、趣味嗜好や感情の閾値に変化はあれども、基底となる物の見方や感じ方はそうそう変わるものではないようだ。頭と心が、ちぐはぐしている。
「意味分かんないんだけど」
 死と再生のモチーフ。ハイヌヴェレ型の殺される女神。そんな単語ばかりが頭の中を巡るだけ。知っているだけでは、何の役にも立たない。
「お返しするってことですよ。ちゃんと返しますから、またくださいね、ってことです」
「返す……? 輪廻転生? そんなのないんじゃなかった?」
「まあ、そうと言えばそうですね。ここで言う輪廻転生は、大乗仏教の観念的な輪廻転生とは違いますけれど」
「うん、それは分かる」
 相変わらず実感は湧かないものの、文字で読んだ知識としては知っている。
「輪廻転生は、ケルトでもかなり身近なものとして信じられていた。夜と朝が繰り返し、冬と夏が繰り返し、死と生が繰り返すように。同じものの表裏一体として」
「ええ、死は身近でした。古代では死生観からして、全く違うんです」
 そして小悪魔は、強めの口調で、こう断じる。
「敢えて断言しましょう。縄文の祭祀は、血祭です」
「血祭? いやでも、ケルトとかアステカじゃないんだからさ。日本は神道の国……」
 清浄なイメージ。
 それこそが誤解であったか。
「いいえ、フラン様。血を穢れと考えるのは新しい神道です。神道の原型となった古神道では、むしろ、がっつり血の滴る動物のお肉を神前に供えたりしますよ。例えば、諏訪の御頭祭とかがそうですね。もっともこちらは祟り神を鎮める方向性なので、だいぶ気色が違いますけど」
 自然神が流血を求めることは珍しくない。
「……でも事実、一般的な神道では、血は穢れと考えるよね?」
 疑問を口にしてから、フランはそれが愚問だったことに気付いた。
「西洋の、聖ジョージの伝説を挙げましょうか。典型的な竜退治の話ですが、これと似たものが日本にもあります」
「八岐大蛇」
「正解です。八岐大蛇は娘を生贄に要求し、稲田姫様が攫われそうになったそこに、須佐之男命が颯爽と登場して、お姫様を助け出すのです。キャー、かっこいいですねー。ひゅーひゅー」
 悪魔を退治して、めでたしめでたし。
 誰もがそう思うだろう。
「この神話が何を意味しているか、と言いますと、人身御供の廃止ではないか、とする説があります。生贄を要求する八岐大蛇は、聖ジョージに退治された竜と同様に、悪神、悪魔として排斥された、ということですね」
「……日本だと、人身御供はいつまであったの?」
「大々的に、という例に限って言えば、人身御供の廃止は、およそ7世紀頃が目安でしょうか。もちろん残っている例もあったでしょうけれど、それらの供犠も、次第に人間以外のもので代用されていきます。で、神道で殺生や血を穢れとすることには仏教文化の影響によるところもあります。ええ、そうです。命は尊いものだという考え方が一般化するんです。って言うかですね、すぐそこにあった異界と離れるから、死にたくないとか思うんですよ。そもそも地獄なんて無かったんです」
 人は死から離れ過ぎた。
 だから、死と、その延長線としての死者が怖くなる。
 小悪魔の言っていることは、分かるようで分からない。生き返った死者としては、死にたくないという渇望こそ身に染みている。生は喧しいもので、熱と苦しみを伴う。一方の死は、暗く冷たく、怖いものだ。
「弥生時代の稲作と、飛鳥時代の仏教と、太古と古代とで、二度、異なる文化が入って来ました。今の話題にしているのは前者ですが、後者もダメ押しにはなったでしょうか。まあ、滅ぼされる方が無力で無能なんですけどね。恨み言とか負け犬の遠吠えですし」
 自分のことのように、小悪魔は気兼ねなく罵倒した。
 そして、既存の土着文化は衰退した、と。
「……分かった。ううん、分かってないけど、もう良い」
 では。
 本来の因幡の白兎は、どんな神で、どんな風に祀っていたか。
 これもまた、類推の域を出るものではない。それでも、憶測は一つの推論に帰結する。

 ウサギは普遍的に豊穣多産や性愛を象徴する。
 古代祭祀は、丁寧に殺して返す、いわば返還儀礼である。
 だとするとこれしか考えられない。簡単なことだ。ウサギを至上の贄として血祭にあげるだけ。その年の糧に感謝し、自然という大きな枠組みの神様にお返しして、また次の再生を乞い願う。
 恐らくだが、その信仰の情熱が最高潮に達するのが、命の芽吹く春だったのではないか。

 フランの脳裏に、見たことの無い空想の原風景が鮮やかに甦る。
 深紅に染まる、澄んだ海と白い砂浜。
 暖かな春の日差しの中、寄せては返す波が、狂騒と命を運んで海の向こうへ浚っていく。饗宴は終わり、一定のリズムを刻む波の音だけが聴こえている。人々は再生の祈りと感謝を胸に、その様をじっと見送り続ける。それは静謐で侵し難い、タマオクリの神事の光景だった。

 断じて、他人が土足で踏み込んで良いものではない。
 けれど。神の子の復活に取って変わられた異教の女神の祝祭と同様に、白兎神の原始信仰もその意味を失っている。言うまでもない、皮を剥がれた兎を哀れんで、野蛮な風習を止める者がいたのだ。
 キリスト教によって本来の形を歪められた多くの邪神と同じ。排斥された悪魔と同じ。

 ……小悪魔と、同じ。



 ヨーロッパには前時代の古城が多く残っている。その内の一つ、何処にでもいるような、時代に取り残された没落貴族の館が、そうだったらしい。
 フランスの片田舎のブルターニュ地方、ケルトの残照文化が色濃く残るその土地の、小高い丘の上。悪魔が棲むと噂され長らく放置されていた荒れ城に、レミリアが勝手に住み始めたのが百年と少し前、季節は初夏のことだったと聞く。
 ──紅魔館。
 ──シャトー・ルージュ。
 ──エヴァン・ヴァハ。
 小悪魔どころか悪魔でもない紅い少女に、もしも的確な名前があるとすれば、それである。
 三位相の女神バズブ・カハの一角としても知られ、単独でも幾つかの土地の起源神話と密接に関わりを持つ、愛や主権を司る一方で、夜や死を象徴する、栄光と破滅の女神。
 ヒトの夢見る女性像をそのまま体現したような美貌は、ユングの言うアニマを思い起こさせる。

 どうしようもなく卑怯だと、フランは自分で認めていた。
 小悪魔には直接訊ねられないから、代わりに、てゐに答えを求めている。

「……ねぇ、貴方は何を思っているの?」

 答えを聞くことが怖い。
 もしも同じ質問を小悪魔にして、その答えが、優しいものじゃなかったら。
 いや、小悪魔ならば、貴方を愛していますと答えるだろう。だけどそれは嘘だ。
 祀られない神は祟ると聞く。
 小悪魔だって本当は、口で言っていることとは全く違うことを思っている。それは間違いない。その優しい微笑みは、ほんの気まぐれで、何かの間違い。そう考えただけで、胸が痛くて苦しい。
「覚えておいででしょうか、姫様。楽しかったですよね。幸せそうな貴方を見ることは、私もそれなりに楽しかったんですよ?」
 てゐは目を閉じ、どこにもいない誰かに語り聞かせるように言って。そうして、
「だから、ね」
 今ここにいるフランを見つめる。
「天国を見た後の地獄は、そこそこ笑えるよ?」
 そう言った時の表情は、全くの無表情だった。
「……!!」
 激しい胸の痛みは、心臓を穿たれたかのよう。
「私は……ううん、土着神の多くは、勝手な理由で世界から捨てられたの。貴方は、私達が祟らないとでも思うのかな?」
 胸が痛い。心臓を掻き毟ることができるなら、そうしている。
 姑息にも遠回りをしたのに無駄足を踏んだ。結局は痛い思いをする羽目になるなら、馬鹿な真似をしたものだ。
「で、どう? 紅いのの代わりに答えてあげたけど」
 分かり切っていたことだ。
 少なくとも、勝手な理由、身勝手な独善を、手放しに許してはいない。
 でも、もう少しだけ、分かっているかも知れないことがあった。てゐは嘘を吐いている。
 多分、てゐも小悪魔も、本気で怨んではいないのだ。だって、本気で怨んでいたら、たとえそれが嘘であっても、あんな風に優しく微笑んだり、楽しそうに笑ったりはしない。できない。
 小さな紙片は、少しの泥水でも汚れてしまう。憎悪で心を満たすには、想い出の断片があまりにも惜しい。きっと、そんな理由。
 つまりは、思っていた通りだ。女神様は常に本心を隠して、どこまでもフランを甘やかす。

 少し前のことを思い返す。
 つまり、神様は無慈悲で残酷で、きっと、私は神様に嫌われている。
 たった一人でそう思い込んで冷たく暗い部屋の隅で膝を抱えていた。そんなフランを抱き締めて、「私が、貴方を、愛しています」と囁いてくれる女神様がいた。
 なのに、フランは未だ、愛情の対価となる信仰の贄を支払えていない。
 だから、女神様がフランに向ける愛情が不当だとしか思えない。
「私に、何かできることはないの?」
 畏敬の念は、ある。
 だけど本当は、他に伝えたいことがある。それなのに、どうして言うべき言葉を見付けられないのだろう。受け取るだけで、何も返せていない。
「何も無いし、しなくて良いよ」
 予想していた答えだ。
「ええ、そうね、そうなんでしょうね。きっと小悪魔も、それで良いって言うわ。私達が健やかに成長するだけで良い、って。でも、それじゃ私が嫌なの。甘やかされているだけなのは、寂しいよ。だから教えて。私に、貴方達のために何かできることは無いの?」
 そんな弱々しい言葉が、精一杯の思いの丈。
「……私の方こそ、うまく愛せているでしょうか?」
 不意に、小悪魔が呟いた。
 美しいワインレッドの瞳は、不安げに揺れていた。
「良いですか? フラン様。自然神がもたらす喜びも恩恵も、麻薬の陶酔に似ています。理性と意識のある者にとって、自然神は猛毒となる存在です。特に、そういう意味での私達は、最悪の部類でしょうね」
 断言だった。小悪魔は強く言い切って、てゐも異論を挟まない。
「敵は皆殺しにして串刺しにしましょう。城門に吊るして晒した生首を見ると笑いがこみ上げます。心臓を一突きにしたり、手足の先から切り刻んでいたぶったり。かつてのケルトで行われていた人身御供ですが……ええ、あれは実に面白かった。流れる血が多ければ多いほど大地は潤うのです」
 ただし、血腥い信仰は過去のものだと、小悪魔は言う。
「生贄なんて、もういらないです。野蛮だと思うなら、もうしなくていいです。そんなものは、なくていい。血なんか、流れなくていい」
「……そうね。好きにすれば良い」
 てゐはそう言ったけれど、無論のこと、全ての土着神が頷くとも限らない。むしろ、そうでない方が多いはずだ。
 反駁しようにも喉が詰まる。
 フランは唇を噛んで俯くことしかできなかった。
「先程も言いましたね。私は、祝祭のお菓子が大好きです。血の滴る生贄は、甘いお菓子に取って代わりました。でもきっと、大切なことはそのままだと思うんです」
 そして小悪魔は、司書然とした丁寧で控え目な笑みを浮かべる。

『──あのいたるところ煌めくクリスマスの森や、透き通ったマジパンのお城を。それを見る目さえあれば、世にもすばらしく不思議な事物を見ることができる、一国の王妃である』

 小悪魔が口ずさんだのは、ホフマンのくるみ割り人形のラスト。
 主人公の少女が夢から醒めた場面での、物語の結びとなる一文だ。
「どうか、豊かであってくださいね」
「……」
 何も答えられない。
 何も答えられるわけがない。
 こんなに大切な時なのに、唇を噛んで俯くばかり。
 小悪魔が言っていることは、つまり、失われたものがそのままでも別に構わないということなのに。
 失われたものとは、土着神の信仰だ。それなのに。
「童話が好きです。絵本が好きです。本が好きです。フランドール、貴方のことが大好きです。貴方達のことを愛しています」
「何よ、それ」
「今日はイースターです。い~っぱい、ごちそうを食べましょうね。おいしいお菓子を食べて、いっぱい遊んで。それで良いんです。他のお祭りも全部同じです。私はですね、ハロウィンはお菓子の日、クリスマスはケーキを食べる日、それで良いと思うんです。他にも仏様の灌仏会だって甘茶を飲む日で良いんです。子供達の喜ぶ顔、それ以外に何が必要なのでしょうか」
 小悪魔にとって、それは大切な言葉の贈り物なのだろう。
 ゆっくりと息を吸い込み、胸のケルト十字を握り締めて、小悪魔はフランの顔を見て語り掛ける。

「人は、人の。貴方達は、貴方達の幸せを祈って良い」

 余韻が、胸を震わせた。
 優しくされるだけなのは嫌なのに、神様はどれだけフランを甘やかせば気が済むのだろう。
 悔しくて、涙が溢れそうになった。
「ふざけないで!」
 血腥い太古の女神が、何を言っているのか。どうしてそんなことを言うのか分からない。
 その優しさの理由がどうしても理解できない。納得がいかない。
 ケルト神話アルスター伝説の有名なエピソードに、クーリーの牛争いがある。大英雄クー・フーリンが一騎当千八面六臂と言っても控え目なくらいの活躍をする伝説の幕開けなのだが、そもそも彼が単騎で出陣したのは、アルスターの兵士達がある女神の呪詛により倒れていたためだった。彼だけが、一国を覆う呪詛から外れていたのだった。その理由は、彼が当時まだ子供だったからだとも、太陽神ルーの血を引いていたからだとも言われる。
 その紅い女神は、国を丸ごと呪うようなこともするのに。
「分かんないよ。どうして?」
「どうして、と言うのでしたら、旦那様方あってこそ、です。多くの旦那様方に寄り添って、私はようやく人を愛することの意味を、ほんの少しくらいは知ることができたつもりです。今の私があるのは、全部、旦那様方のおかげです。女神からリャナン・シーに、リャナン・シーからサキュバスにまで零落できて、これで良かったと思えているんです」
 小悪魔が言っているのは、恋とか愛とか、そういうものだった。今のフランには想像もできない事柄。
「だから。私は小悪魔です。親しみを込めて、こあとお呼びください」
「……!」
 噛み締めた唇が切れた。
 微笑んで言う小悪魔に、ある種の憤りすら感じた。全身が震えるほどの、激しい憤り。癇癪を起こすのは久し振りのことだった。
 どうして、怒りを押し隠したまま微笑めるのだろう。仮に一生を費やしたところで、フランには理解できないような気がした。
 人は、人の。貴方達は、貴方達の幸せを祈って良い。
 小悪魔はそう言った。
 絶対に違う。良いはずがない。小悪魔が何を言ったところで、フランは断固として認めない。小悪魔の言うことは、逆だ。どうして神様が人の幸せを願うのか。信仰とは、生贄だ。悍ましい化物を慰撫するために捧ぐ、流血だ。人間が神様に捧げ、神様は気が向いたら受け取る。そうやって存分に愉しんで頂けた時だけ、祟られずに済む。信仰とは、そういう構造ではないのか。
 男性原理的で傲慢な宗教は土着宗教から信仰を奪い去った。それだけならまだどうでもいい。大して興味もない。でも、他でもない小悪魔にあんな顔をさせた。血腥い信仰、そんなものは、なくていいのだと。
 赦せない。
 奪われて、蔑ろにされて、それで良いはずがない!
「あのですね、フラン様……」
「うるさい!」
 もうこれ以上、優しい言葉なんて聞きたくなかった。
 フランは思う。
 お姉様なら、きっと。
 あの大馬鹿ならば、嘘を吐きながら微笑む彼女のことを、放っておきはしないのだろう。
 頑是無い子供のように駄々を捏ねて、無様に足掻いて、叫んで泣いて喚いて、最後にはきっと、清々しく笑って前を向く。
 もちろん、自分にできることなんて何もない。フランはそれをよく分かっている。無力で、卑怯で、部屋の隅でしゃがんでいるだけの自分が、急に何かを決意したって、行動が伴うはずもない。
 ……だったらもう、神頼みするより他にない。
 神様のために神様の力を借りる。なんてふざけた倒錯なんだか。
「てゐ!」
 奇妙なことに、フランはてゐのことを、小悪魔に対してと同じくらいには信用していた。
 小悪魔は、それは予定には無かったと、少しだけ意外そうに。てゐも、同じように微かに驚いていた。
「……私に? 予定と逆だけど……別に良いか。何かな? 聞くよ?」
 神様の予定調和なんて、知ったことか。
「お願い! こあを黙らせて!」
 その瞳を曇らせたくない。
 寂しいことを言わないで欲しい。
 だからこれが、フランドールの出した答えだった。



 淡く白い光の滲む球体が、少女の手から、ぽとんと落とされた。
 似ているものを言うのなら、ミルククラウンが近いだろうか。地面は水面のように波紋を浮かべて、白い飛沫を跳ねさして散らした。そんな一瞬の光景が、やけに引き伸ばされて見える。
 もちろんそれは、滴が飛び跳ねただけの光景ではなかった。球体の落ちた辺りに、ぽっかりと開いた虚ろな穴の底から、太さが大木の幹ほどもある触手が幾条も躍り出たのだ。触手、しかし烏賊のそれと言うには、吸盤に当たる部位が、まず通常では有り得ない。顎だ。大口を開く顎の内側には、鋭い牙がずらりと何列も並んでいる。その畸形一つ一つが、鮫の顎のよう。
 和邇とは、神話の時代の海に棲んでいたシーサーペントの類いであるとか。するとあの異形は、白亜紀の海竜か、魔の海域に潜むクラーケンか。あるいは、それらが混ざり合った、この世には存在しない生命体ということも有り得る。
 ソレは恐るべき速さで風を唸らせ小悪魔に襲い掛かった。しかし牙は届かない。まるで時が止まったように、白い触手は動きを縛られている。小悪魔の手元から迸った無数の投げ矢は、フランの目にも焼き付いていた。
 ヤドリギの矢と言えばミスティルテインだが、ケルトの魔法でヤドリギを触媒とした場合、それ以上の意味合いを持つことになる。オーディンのグングニル、太陽神ルーの武器、光の御子のゲイボルグを始めとして、北欧やケルトの神話には、自動で敵を追尾する魔法の神器が数多く登場する。小悪魔の放ったヤドリギの矢は、まさにその系統にある魔槍だった。ヤドリギの矢は空中で千に分裂し、突き刺さって尚、更に千に増殖する。そうなれば荊の檻に閉じ込められるようなもの。無数の棘は凶悪な触手を外と内側から縫い上げ、尚も周到に、茨のルーンまで併用しながら、大穴の縁へと突き立てられていた。本当に恐ろしいのは、牙よりもむしろ、あの穴の底に引き摺り込まれることなのだろう。

「……成る程、東南アジアの辺りには、竹の中から竜の卵が見付かるという民話がありましたね。竹の中の小さ子譚のルーツもあの辺りでしたか」
 指先で和邇の触手をなぞりながら、小悪魔はそんな感想を口にした。
「三精は月。四季は春。五行は木」
 続けて言及したのは、白い少女の性質。
 もちろん私達はほとんど全能も同然の力を持っているわけですが、得意分野はあるでしょうと、そのように断りを入れると、更にまた続ける。
「八卦に置き換えるなら、震。震とは、始まり、事の起こり。象意をざっとまとめると、万物を活性化させる短波のエネルギーを放つもの。生命を育む春という季節。守矢に倣って言うのなら、これは『震の創造』とでもなりますね。震の方角は東です。そう言えば、十二支においても卯の方角は東でした。エオストレーも春と夜明けの女神で、当然、太陽は東から昇ります」

 歯の根が噛み合わない。最初、この空間へ迷い込んだ時、フランはてゐを怖がって小悪魔の影に隠れた。しかし今は自分でも気付かない内に、小悪魔から──いつの間にか紅いドレスを纏っている女神から、遠ざかっていた。
 紅い少女がケルトの女神であるのは知っていた。けれども実際にその力を目の当たりにする機会は無かった。知っていたのと思い知るのとでは、驚嘆の度合いが全く違う。
「心配しないで。あの紅いのに、目にもの見せてあげたいんでしょ? 何も問題無いわ」
 あれほどに凶暴な魔物を召喚した少女の声は、しかし可憐そのものの清らかさであった。頭がおかしくなる。声音一つで、脳髄が液化しそうな程だ。
 フランは気を確かに持つように、懸命に集中する。防衛瞑想は魔術の基本中の基本。
 ……姉ならば、精神的な作用に対する免疫も魔術的な素養もまるで無いにも関わらず、意地だけで前を向くだろう。
 そう思うと、少しだけ楽になるような気がした。これだから夢魔とかその手のやつは、と日頃からの鬱憤もまとめて、改めて抱く。
「ほら、あっちの手番だよ?」
「木生火。五行相生についての説明は不要ですね。せっかく良い焚き木を頂いたのですから、ぱぁっと燃やしてしまいましょう。ええ、命を燃え上がらせることは私の得意分野ですとも。八卦では離に当たります」
 言って、紅い少女は手にしたヤドリギの枝を、教鞭のように振るった。
 さながら油を撒いた絨毯に燐寸を落としたかのように、火の手は素早く燃え広がる。瞬く間に火焔が渦を巻き火柱となった。棘が導火線になったようでもある。
 吹き上がる火焔の渦は、和邇の触手の本数に同じ。吸血鬼など一瞬で灰も残さず焼き尽くしてしまうような炎の中で、未だに和邇の影がゆらゆらと蠢いていた。白い少女の加護を授かっているとすれば、並大抵の手段では傷一つ付けられはしまい。燃え方の渋いオーブンに手を煩わせるような仕草で首を傾げた紅い少女は、ヤドリギの枝を振り下ろす。炎が倍の高さに膨れ上がった。
 不思議と、高熱は感じなかった。あれ程の爆発的な火勢だと言うのに、爆風はそよ風ほども吹いて来ない。対象物だけを燃やす技は、まさに魔法の炎ならではであった。

「ブリュンヒルド・モチーフというのがあったかな。いばら姫や、この用語の名前になっている北欧の伝説の、乙女の眠りのモチーフを指してこう呼ぶの。お城の茨や、炎の壁、これらの王子やシグルドを阻む障害となるものは、精神分析的な解釈では、少女の心の壁、もしくは親の支配力の暗示とされる。こうして棘と焔を揃えて見てみると、案外、侵入を阻むものとしては極めて近しいものなのね。今は関係無いけど、茨と炎の組み合わせには納得するわ」
 今度は白い少女が、興味深そうに呟いた。
 どうしてこう、深層心理学関係の知識がほいほいと出てくるのか。単語だけならフランも知っているが、咄嗟に関連付けては出てこない。ましてや、こんな状況では。
「それはさておき、これは有名なウィッカーマンだね」
 ケルト文化には不明な部分が多く、特に口承で伝えられていたドルイドの祭儀の資料は、ほぼ皆無。の状態で、まさに忘却の祭儀──グレイソーマタージというわけだ。
 しかしながら、ガリア戦記など、ケルト外部から見たケルトの世界については、想像を含みつつもある程度の情報がある。ガリアとは現在のフランス辺り地域のことだが、かつてのケルト圏は、アイルランドやブリテン島だけでなく、ヨーロッパに広く分布していた。
 その記録によれば、ケルトの民は編み細工の巨大な像に人間や動物を詰め込んで火を付けたのだとか。野蛮な奇祭のようだが、生贄の風習自体は普遍的であることは、ここまでに散々繰り返された通りだ。

 華奢な指が、今度は指揮棒のようにヤドリギの枝を振る度に、その動きに合わせて炎が欣喜雀躍して踊った。楼閣が燃え落ちるように、藁束が炎に巻かれるように。その様の無常さは、後夜祭の侘しさすら思わせた。
 紅い少女はもう一度ヤドリギの枝を一振り、炎を操って、足元に魔法円を描いた。ボタニカルアートじみた精緻な組紐紋様で形作られる、渦巻き型のトリスケリオン。有機的に絡み合う三巴紋が、ケルトの魔法の使い手である紅い少女の魔法円だった。
 ぞっと、フランの背筋が閾値を超えた恐怖に凍り付く。異教の邪神とされるのも、むべなるかな。さながら円の内に召喚された悪魔のように、紅い少女は獰猛かつ妖艶に微笑んだ。
 最後に、火の粉の名残が散った。風の残滓に髪とスカートを揺らしながら、紅い少女は優雅に一礼する。
「いかがです?」
「すごいすごい、綺麗に焼き払ったね。褒めてあげる。さすがに戦乱の女神様、このくらいお手の物ね」
 ぱちぱちぱち、と白い少女はわざとらしく手を叩く。
 ふと、その手が止まった。
「本当に上手。別に茶化しているわけじゃないよ?」
 フランにも事情は呑み込めた。土着神は土地そのもの。自身の土地では全能の神たる土着神も、他所の土地では十全に力を発揮し得ないのが道理だ。場所が紅魔館なら力関係は逆転するが、ここは迷いの竹林の深層世界。
「さてと、どうしよっか」
 だから白い少女にしてみれば、死刑宣告を下すのはとても簡単なこと。
 悩みどころは、獲物をどうやって苛めるか。
「いいこと思い付いた。ねぇ、フラン。やっぱり貴方に花を持たせてあげるね」
 柔らかな囁き声と共にフランの手を取ったものだから、花という言葉の意味するところは、最初、白い少女の小さな手のことかと思った。
 その手の柔らかさだけで、ふんわり軽くて、とても甘いのだと分かるような、そんな感触。
 視界の端に、どこを狙ったものなのか、茨細工の巨大な掌が火の粉を散らしながら叩き下ろされるのを見た。白い少女に手を引かれ、少しだけ空間を跳び越えたのだと気付いたのは、少し遅れてのこと。場合によってはフランまで巻き込まれる所だったのだが、神様に盾突いた以上、この程度は覚悟しておけということか。ただ、そんなことはフランの意中には無かった。一体、二体、次々と立ち上がる火焔の巨人の脅威さえ、白い少女の手の感触に比べれば取るに足らないことに思える。大いなる存在を傍らに、フランは絶対的な安堵すら感じていた。
「杖を出して」
「……えっ?」
 意味が分からなかったのは、決して、少女の虜になって頭が蕩けていたからではない。
 杖なんか出して、この状況でどうしろと言うのだ。荒唐無稽にも程がある。おかげ様で、怪訝と愕然を混ぜ合わせたような、困惑の極みにある表情が出来上がった。
「……まさか、花を持たせるって」
 戦々恐々、呻くように呟いたフランに、白い少女は蕾の綻ぶような微笑を向けた。
 困ったことを企んでいる、悪戯っぽくも可愛らしい笑顔だった。
「そだよ」
「いや、そだよじゃなくてさ……」
 フランは正気を削られる思いで、ちはやぶる神代の戦場を見やる。
 そこは血の海であり、炎の海でもある。
 少女の姿は二つ。それなのに、まるで大軍同士の戦争でもしているかのよう。いや、そんな程度では済まないか。
 千波万波と押し寄せるシーサーペントの群れを、紅い少女が威力を増したヤドリギの矢で順々に仕留めていく。しかし倒したはずの残骸が、ぱしゃっと音を立てて割れて、ぷかぷかと浮かんだ気泡が、次から次に新手を湧かせる孵卵器となる。悪い冗談のようだ。が、思えば白い少女は、命のサイクルを司る女神であった。命は還元されて再生する。これでは際限が無い。
 その一本でさえ一騎当千の兵を千人単位で吹き飛ばすだろう触手が千本は躍れば、ヤドリギの矢が千の千乗の篠突く雨になって降り注ぐ。触手は紅い少女に届く前に、無数の棘によって内側から破裂し、矢は白い少女に届く前に触手によって叩き落される。
 巨人の腹部を鮫の頭が喰い破る。巨人の腕が鮫の頭を叩き潰す。だが到底、終わりは見えない。あらゆる海の魔物が犇めく中、辛うじて屹立する巨人像が溺れているようでもあった。
 なにはともあれ、あそこに参加しろ、というのは、眼前の光景よりもよっぽど悪い冗談だ。
「……」
 それでも自分の杖を、魔術武器を取り出したのは、いかなる心境の変化だったろう。
 近代魔術で言うところの杖とは、魔術師が瞑想に臨む際に、意識を切り替えるために用いる象徴的な道具。果たしてあの荒海を渡ろうとする時、杖として支えとなるかどうか。
「紅い瞳は、この世のものじゃないものを見る魔性の瞳。貴方の瞳がどういうものか、どこまで習ってる?」
「美鈴は、気の凝りとか、“目”とかって言ってた。どんな物にも緊張している部分がある、って。こあは……私には死の運命が見えているって」
「正解。物は必ず壊れるし、命は死ぬ。それは必然だから、運命の中では比較的見え易い方だよ」
「そうなんだ」
 そうだろうとは思っていた。
 自分が未熟だから、壊れる運命以外の運命が見えないのだと。ひどく限られた予知の一種だ。そして一応は、見えるものには触ることもできるけれど。
「貴方の目も、紅いね」
 赤よりも紅い真紅で、真紅よりも深い深紅。深く深く、どこまでも深いドロドロした紅色の渦。
 濃密なワインレッドの色をした紅い少女の瞳とでは、どちらがよく見えるのだろう。そんな取りとめもないことを思ったところで、神代の特級品と自分の瞳とを比べようとは思わない。
 宝石のように綺麗だと褒めてもらったこともある。吸血鬼の身で持つには過ぎた代物かも知れない。けれどフランの紅は、浅いし、薄い。
「まあ、そりゃね」
「でしょ?」
「でも、連綿と繋がっている同じものであることに違いはない。貴方が見ているものは、確かに私達が見ていることの枝葉末節。手伝ってあげるから、少し飛び級しよ?」
 尚も怪訝な表情を崩さないフラン。
 そんなフランにどこまでも柔らかく言い聞かせ、白い少女は優しく微笑む。その手にはいつの間にか、白い光で形作られた弓があった。
「薙ぎ払うのではなく、突いた方が良いわ」
 甘い声が、心地良く耳朶を叩いた。
 そう感じた時には、フランは弓を番える姿勢で、杖を矢にして、光の弦を引いていた。
「レーヴァテインは、巨人族が持つ炎の剣だったかな。これがあるとサエーナみたいな大きい鳥も倒せるのよね? ま、何でも良いんだけど」
 何でも良いと割り切ってしまえば、フランが杖として引用しているように、象徴性として応用が利き、便利に扱える。レーヴァテインは、剣とも杖とも、矢とも、木の枝だとも言われる。
 軽く添えられた手を通して、膨大な量の魔力が杖に流れ込んで来た。
「はい、深呼吸。落ち着いて」
 手に負えないと焦った所に、澄んだ声が体の内側まで響く。
 羽毛に埋もれるような不思議な浮遊感。必要なこと以外、何も考えられない。極限の集中状態。頭の中は真っ白で、視界はかつてなく澄んでいる。
 完璧なリードは、流石に導きの神様と言ったところか。自然神の表情ばかりを聞かされていたが、白兎神は道案内をする神様でもあった。
「波長は私が調律してあげる。だから集中して、フランはフランにも見えるものを見て」
 見えるもの?
 そう、狙うべき箇所。
 目を凝らすと、目線が吸い込まれそうになる一点があった。そこだろう。呪術的なパスは既に結ばれていた。
「お勉強の得意なフランなら、蟇目の祓えも知っているね?」
 こくんと、頷いた。
 確かにその方法なら、手で握り潰すには難しい物でも壊すことが可能かも知れない。フランの能力を最大限まで引き出すための、多分、最適解。
 蟇目の祓えや鳴弦と呼ばれる一連の古い呪法を簡単に言えば、弓矢で射る振りをする呪法だ。形の無い標的に形代という形を与え、弓矢で射殺す。これが基本。
 呪術的な物は、姿を真似る事を基礎とする。
 ある物に、別のある物を似せる。すると、別のある物は元となった物との間に、呪術的な繋がりができる。何かを何かに準えるその行為が、原始的な呪術の起こりなのである。近代魔術の世界では類比呪術と言われる基礎理論だ。

「……面白い趣向ですね。良いですよ。さあ、真っ向から撃ち合いましょう」
 遠くで、紅い少女の声がした。
 近くで、白い少女の声がする。
「お手本なら、見て、あの通り。あれを真似するだけ。簡単でしょ?」
 紅い少女の手の中でヤドリギが大きく成長する。すぐにそれは、弓に番えて引くのに足る大きさになった。手投げ矢ではなく弓矢として、あの魔法の神槍を放つ気なのだ。
「後はもう、その指を離すだけ」
 それはそうだ。狙いを定めるまでもなく、撃ち抜くべきものは、矢のすぐ先にある。
 篝火が閉じた空を焦がす、暗いのに眩しい深夜の海だった。すっと風が吹いて、そして凪いだ。炎も全部、ヤドリギの矢の魔力になって吸い込まれて、ふっと蝋燭を吹き消すみたいに簡単に消えた。
 怖くはなかった。
 なんて、嘘。本当は少しだけ、恐怖と、後悔とが、胸を掠めた。
 小悪魔は本気だ。怖い。だけど、恐れない。
 当たり前のことだけれど、神様に文句を言ってやるなんて無理だと思っていた。ただし今この瞬間だけ、神様が手伝ってくれる今なら届くんだ。

 大丈夫、隕石くらい、砕いたことがあるんだから。今なら、たとえそれが神様の槍だって。

 同じ魔法がぶつかって、虹色の光が、紅色に溶けたかに見えた。一瞬の後、大量のガラスを一斉に砕いたように壮絶な音が響く。まるで万華鏡を砕いたようで、後は全部、真っ白な光に呑み込まれていった。



 夢うつつに、白い霧に閉ざされた景色を眺める。
 少女の影は二つ。白い少女と、もう一方の紅い方は、フランと同年代ほどの幼い少女。ロゼワインの色の、ショートボブの髪。姿形は違うけれど、もちろん、小悪魔だ。
 少女の姿を取って現れる小悪魔とは、言うなれば、夢の世界にある紅魔館が落とす影のようなもの。土着神の実体は土地の方にこそある。
 フランは今更ながら、こいつらが共犯関係にあったことに気付いた。
 お茶会、と言うよりは、ただの休憩中といった具合に、テーブルについてカップを傾けていた。神の視座から俯瞰して、あれやこれやと話をしている。
「あれが貴方のお気に入り、ねぇ。趣味、悪いんじゃない?」
 てゐは容赦なく言って、じとっとした呆れ半分の視線を小悪魔に向けた。
 水鏡に誰が映っているのかは、見ないでも分かった。レミリア以外にはいない。当代の、紅魔館の主だ。
「私はあんまり好きじゃないかな」
「憤りに食を忘れ、楽しみに憂いを忘れる」
 小さい方の小悪魔は、目を細めて言う。
 普段は見ることのできない、楚々とした小悪魔の姿だった。もしかすると、フランの意識が半ば回復していることにも気付いていないかも知れない。
「……あ、そう」
 興味無さそうに頷きながら、てゐの目線はさりげなくフランに向いた。
 やはり、小悪魔を見せてくれているのだった。
「それだけではただの子供です。ですが、自分ではない誰かのために、本気で怒って、本気で喜んで、本気で泣いて。そういうことができるのが、王の気骨だと。って、これは美鈴さんが言ってたんですけどね」
 少し、微笑んで。
「あの子は、友達が小馬鹿にされていたら、相手が女神だろうが何だろうが構わずに盾突くような子ですから」
「愚かね」
「良いじゃないですか、別に。愚かではありますが、愚直です。私はあの子の、そういう頭の悪いところが好きなんです」
 フランもそう思った。
 他人を惹き付ける傍迷惑な引力のような何かがあると。
「不格好でも真っ直ぐに、強くて優しい子に育ってくれています」
 ああ。
 と、気付くことがあった。
 レミリアだけは、特別な意味で、小悪魔に好きだと言ってもらえる。
 レミリアだけは、神様を信じることしかできないフランと違って、神様に信じられている。
 だから、安心しても良いのかも知れないと思った。
 自分が何かするまでもないのだ、と。
 そう納得しかかった時だった。
「やっぱり姉妹ですね。フラン様も、レミリアに似てきました」
「……そう?」
 これには、フランも完全にてゐの側に賛成だった。
 姉の生き方は羨ましいけれど、姉のようになりたいとは思わない。と言うか、あんな馬鹿にはなりたくない。
「ええ、とても。ちょっと素直じゃないところもありますけどね。あの子があの子らしくいてくれることが、私は本当に嬉しいんです」
 反論を組み立てる前に、フランの意識はもう一度、柔らかい白色に溶けていった。



 手の中に、温かな感触があった。
 カップから香り立つ苦味を想起させる香りが、意識をはっきりと目覚めさせてくれるようでもある。ここの空気は甘過ぎて、生き物には毒だ。砂糖をたっぷり溶かしたホットミルクに溺れているような安らかな心地。死に直結する類いの安堵。
 懐かしさすら覚える。もしくは、生まれ落ちる前から条件付けされている。母胎の中にでもいるような気分だ。無意識の最深部にあると言われる太母元型が、そう思わせるのだろうか。
「お母様と呼んでくれても、構わないよ?」
 本当にそう呼んでもおかしくなかった。
「やっと起きたね。具合はどう?」
「……こあは?」
 まだ夢見心地。小悪魔の姿が見えないことを疑問に思う。
「席を外しているわ。元々、雑用は全部あっちの仕事。私は庭を貸すだけ」
 コーヒーのカップを手の平に収めて、フランはどっと溜め息を吐いた。てゐは小さな丸テーブルの対面に座って、そんなフランを愉快そうに眺めている。
「……そう」
 続く言葉は出なかった。
 カップを置き、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
 今しがた経験してしまった出来事は、フランの精神的な許容量を超えている。
「それで、少しは神様に触れられたように思う?」
「……そんなわけないでしょ」
 決着の行方はシンプルな呪力闘争。となれば、持ち出せる魔力の量が違ってくるのだから、どちらが有利かは言うまでもない。
 それに、基本構造は単純な呪術とは言っても、何も本当に簡単だったわけではない。実際の演術で難しい部分はてゐがやってくれたのだし、消費した魔力もてゐの負担。要するにフランは、九割九部九厘、何もしていない。何かしたかと言えば、本当に、指を離した程度のこと。
 ふざけた我がままの結果が、途方も無い虚脱感だ。死んでしまいそうなくらい疲れている。
 杖は、テーブルの上に。何もかも嘘だったように無傷のまま、素知らぬ顔で鎮座している。この手に残っている感触さえも、まるで他人事か、遠い過去の出来事のように現実味が無い。実は全部ただの夢だった、と言われれば、いや、悪夢だったと言い返したい。

 ただ、二つだけ、思い付いたことがあった。
「まず一つ、良い?」
「良いよ。どんなこと?」
「てゐとこあが、どこか似てるかもって、少しだけ思ったの」
 それは、てゐのことを小悪魔と同じくらいに信じていた理由。
「あのね……多分、こあはてゐのことが苦手だったんじゃないかな。同族嫌悪的に」
 ほとんど思い付きだったにしては、一度口に出して言ってみると、その通りであるような気がした。美少女には目が無い小悪魔が、てゐに対しては距離を取っていた。小悪魔がそんな思いを抱いていたから、フランはその微かな苦手意識を感じ取り、小悪魔とてゐは同族なのだと直感的に理解して、てゐのことを信じたのだ。
 同族と言うのは神様ということではなくて、要するに、能力値のほとんどを魅了に割り振っている所。あざとい笑顔とか。
「だけど、似てるのとは少し違ったんだね」
 実際には全然違った。似通っている点だけはあっても、似ているわけじゃない。一口に女神と言っても、リャナン・シーはアニマ的で、春の女神は地母神的だ。

 振り返れば、最初に神聖娼婦じみた蠱惑的な美貌を認めたその瞬間、真っ先に連想しても良いものがあった。
 そう、聖婚の花嫁だ。
 およそ人類にとって共通普遍で元型的な地母神信仰は、もちろん日本にもあって、縄文土偶にも多数の女神像が発掘されている。そして特に古代オリエントの一帯で執り行われていたのが、聖婚儀式であった。これは本来、天と地、海と陸といった神々の交わりを再現するのであって、新しい生命の誕生を祈るもの。
 死の冬から蘇りの春へ。地母神は春に命を芽吹かせ、性愛や豊穣多産を司る。
 小悪魔はタマオクリの神事と説明していたが、フランの手前、女神の母胎と海の化身の胤の生々しい話を、あのサキュバスも流石に自重していただけか。類推なのだから何が正解ということもないし、どちらの意味も含んでいる、ひいてはあらゆる意味が未分化なまま混在していると見るのが妥当である。原始時代の信仰でウサギが聖婚と結び付かないのは、それはそれで不自然だ。日本の民俗史でも巫女と娼婦の関連は論じられていることだし、あながち穿った見方でもないだろう。

「……それを分かったうえで言うけど、やっぱり、貴方達は、」
「あのねぇ、フラン。私は紅いのほど優しくないよ?」
「そうなんでしょうね」
 もっともそれは、小悪魔が異常とまで言えるくらいにフラン達全員に甘いからだ。世界中探しても、あんなにも優しい悪神はいないのではないか。てゐは違う。てゐは、小悪魔ほど優しくない。だからこそ、てゐがフランに優しく接する理由が不可解だったのだが、それもさっき了解した。
「それと、もう一つ」
「何かな? 言ってごらん」
「貴方って、お姫様には甘いのね」
「バレちゃったか」
 そう言う割には、気付くだろうと思っていた風な口ぶりだった。
「貴方は、篭目の魔法なんじゃない?」
 シンデレラケージ。あるいは、いばら姫の茨。

 日本のシンデレラを隠す檻は、無理に連れ出そうとしても、絶対に姫は出て来ない。それは篭目の所為である。
 しかし、天人の一言で全ての扉が開かれてしまう。

 西洋の眠り姫を飾る檻だって、不埒にも侵入しようとする花盗人を絡め取って殺す。それが茨の魔法。
 でも、百年の時が流れて王子が訪れれば、全ての魔法は解けてしまう。

 吸血鬼は、どうせ日陰者だ。
 だからというわけでもないが、定められた正しさの気色悪さを知っている。
 正しいことは当然、決して悪ではない。悪ではないが、何かが気持ち悪い。
 穏やかで密やかな姫のうたた寝の時間を打ち壊してしまう、王子様の無思慮な勘違いや、一方的な正義、身勝手な独善。純潔と秘密を暴き立てて、平気な顔。
 捻くれた性格だから、そんな童話を、どうしても好きになれない。
 そんなことを言えば、どこかおかしいのは自分の方だって。
 気が触れていると、よく言われる。
 知ってる。言われなくても、分かってる。

「どうしてシンデレラは舞踏会になんか行きたがったの? どうしてかぐや姫の元には貴公子共が押し掛けて来て静寂を破るの? ねぇ、どうしてなの?」
 八十神の後に訪れる大国主命は、差し詰め百年目の王子と言ったところか。
 どうして、そんな奴が来てしまったのか。いや、来てしまったとしても、まだ手はある。
「王子様なんて、殺しちゃえば良かったのに」
「私もそう思う。でもね、そんなことしたら出雲と戦争だよ?」
「戦争でも何でも、すれば良かったのに」
 てゐは、もう笑うしかないという風に、淡く微苦笑した。
 全能も同然の女神様が、まるで儚くか弱い少女のよう。フランは今になって初めて、白い少女は紅い少女と違って、戦女神ではないことを正しく認識した。
 当然、八岐大蛇がぶつ切りにされたことは知っていただろう。勝てる見込みの無い戦争なら、最初から避けてしまうのが小才の利いたやり方だ。
「そだね、私もそう思う。結局、私が姫様のためにしてあげたことなんて、なんにも無いのかも知れないね」
「……」
 そんなことを言われたら、もう何も言えなくなる。フランは早くも、てゐに苛立ちをぶつけたことを後悔した。胸が詰まるあまりに息が止まりそうだ。
 だからもう、余計なことなんて言わなければ良いのに。
 でもずっと考えていた。これだけは外しちゃいけないことだったから。
「…………八上のお姫様は、今、どうしてるの?」
 緊張で喉がカラカラに乾いていた。
 気付かない内に、空気を求めて喘いでいたかも知れない。
「どうもしてないよ。私の中に還ってきただけ。死んじゃうってのは、たったそれだけのこと」
 だから、悲しいことは何も無いよ。
 見なくたって分かった。その言葉が嘘だということ、屈託の無い貌で微笑んでいること。好きだったこと、大切にしていたこと。
「墓所は神社になって祀られているって。良かったんじゃない? 放置された怨霊の末路は、悲惨だから」
 少しだけ、重い荷物を手放したような安堵が声色に混じっていた。
 そんな言い方だと、まるでたったそれだけのことが唯一の救いであるような感じがして、フランは嫌だった。
「それにしても面白かったね。あの子ってば、最後に何を言ったと思う?」
 衝動的な絶望に駆られて命を絶った悲運の姫が、自分を唆した悪魔に何を言ったか、なんて。
「それは本心じゃない!」
 何故かフランの方が、衝動的に叫んでいた。
「やっぱり。フランには分かるんだね」
「……貴方を責めたんでしょ?」
 抑え難い気持ちを吐き出すようにして、負の感情の全てをぶつけたのだ。
 自分を制御できずに、その時たまたま近くにいただけの誰かを傷付けてしまうその気持ちは、フランにはありありと想像できた。胸腔の中身が裏返るようだった。痛い。会ったこともない、顔も知らない他人の話なのに、どうしてこんなに痛いんだろう。意味が分からない。滅茶苦茶だ。
「でも、本心じゃないよ」
 喉から空気が抜けるような頼りない声で繰り返す。
 何の根拠も無い。それでも確信を持って言えるのは、きっと、八上姫と同じように心を痛めているからだった。
「知ってるよ。あの子はちょっと悲しいことに耐え切れなかっただけ。あの子は優しい上に誠実だから、私を責めたことを後悔するんじゃないかな。とても稀有な心の形。分かる? 私が稀有だって言ってるのよ?」
 もちろん、フランが言うまでもないことだった。
「でも、そんなあの子に、私は何もしてあげられなかった。結局、そういうこと。言ったでしょ? 全部知ってたけど、あの子があんなに泣くなんて思わなかったって。だから、気に入らない部分はあるけど、あの子のことは私だけの責任。私にできたのは、あの子の絶望と怨念を全部持ち去ってどこかへ消えることだけ」
「……」
 どうしようもなかった。どうしようもなく、それは大昔の過去の出来事だった。話を蒸し返すには、あまりにも今更過ぎた。
「前に、お節介焼きの閻魔に言われたわ。私の家族を大切にすることが、私に積める善行らしいよ……私に家族なんて、もういないのにね」
「……永遠亭のお姫様は、違うの?」
「違うよ」
「そうやって」
「そうやって自分から離れていくから、私は孤独なの? ……知ってるよ。でもね、私は」
 てゐは何かを言いかけて、やめた。
 失敗したとフランは思った。
 寂しいことを言うのは、小悪魔だけではなかった。小悪魔は、呼べば来るかも知れないけれど、あのすぐ後には頼れない。だから、フランが自分の力で何とかして黙らせないといけなかった。それなのに。
「大切にするって、難しいね」
 その寂しげな微笑を前にして、胸の裡の全ての決意が崩れ去っていくのを感じた。



「例えばの話だけど、頭の中くちゅくちゅしてあげよっか?」
「くちゅ、何なのそれ?」
 ロクでもないことなのは分かったが。
「囁き一つで、もうおしまい。シアワセにするくらい簡単なコト、多幸感でいっぱいにしてあげる」
「そんなの、ただの麻薬中毒と幻覚症状でしょ」
「だから、そだよ? 自然神は毒だと紅いのも言っていたね。その通りだわ。おいで、って私が言ったら、ロリコンのマゾさん達は、みんな私の中に還ってくるの。自然の魔法に掛けられて、夢見るままに幸せなまま一生を終える。大昔はみんなそうしてた。余計な奴が来るまでね」
 古代人が狂信者の集まりであったように聞こえる。
 いや、間違いなく白い少女は邪神悪神の類いなのだ。いたずらに命を弄び、遊び終えた玩具には何ら頓着しない。しかし蛮族は、そんな少女に遊ばれることに至上の歓びを感じていた。それこそ、おいでの一声で、歓喜に身を打ち震わせながら元いた場所に還るくらいに。
 なんて馬鹿げた行いだろう。
 それをやめさせたとすれば、無思慮な勘違いで、一方的な正義、身勝手な独善だったとしても、善の側にある行為だった。もっとも、だからこそ気持ちが悪いのだが。万雷の喝采より耳障りな音を、フランは蠅の羽音以外に知らない。
 多分、この辺りの感じ方は、レミリアとフランの二人は、姉妹で似ている。
 しかし感じた後にどうするか、何ができるかで、はっきりと明暗が分かれてしまう。
「飼い殺して欲しいなら、そうしてあげる。死ぬまでずっと、鳥籠の中。お城の外には危ないことがたくさんあるから、それも良いんじゃない?」
 でも、それは……
 上手く言えない部分は、顔に出たのだろう。
 でもそれは、幻覚の中で生き死にすることと比べて、大した違いがない。
「そういうこと。でも、貴方を守るために貴方の風切り羽を切り落とすなんて、あべこべだよねぇ。大切にするって、閉じ込めておくことじゃないでしょ?」
 童話のお姫様の話が八上姫の話になって、そして今度は、フランの話になった。そこに継ぎ目はなくて、同じ話題の延長線上であるようだった。違いと言えば、過去か今かくらい。比喩混じりの表現も、フランは苦もなく理解した。
 お姫様は籠の鳥。
 フランは、自分の境遇くらい客観的に見ることができる。暗い地下室で、ずっと独り。眠りのお城のいばら姫。塔の上のラプンツェル。囚人、あるいはただの引き籠りのお姫様。いや、笑ってくれて構わない。
「雛鳥は巣立つものよね」
「そうね。ずっと、温かい布団で眠っていれば良いのにね」
 女神の言葉に、フランは頷いた。
 お姫様達には、たとえそれが永遠と須臾を操るお姫様だったとしても、永遠の安寧は許されない。望むと望まざるとに関わらず、鳥籠の鍵はいつか壊れる。いばら姫の魔法は期限付きだ。茨は外敵からお姫様を守る一方で、成長を妨げる。茨の魔法は、お姫様の心の壁でもあって、親の支配力の暗示でもある。
「ずっとずっと、私の中に閉じ込めておきたい。永遠にでも、私の中で迷い続ければ良い。そう思う時もあるよ」
 迷いの竹林とも呼ばれる少女は、そう言った。
 太母元型とは両面性のある概念で、包み込んで保護する一方で、自我を呑み込む否定的な側面がある。フランはその知識を反芻して、
「そう」
 と、馬鹿みたいに相槌を繰り返した。
 他に何も言えなかった。
「だけど今は、私の手の中から飛び立って欲しいとも思ってる。でも相変わらず私は鳥籠のまま。どうしたら良かったのか、どうすれば良いのかなんて、本当は、私も分かってないのかもね」
 呆れているのか、諦めているのか、その両方のような曖昧な表情で、深い溜め息のように吐き出した。
 本当に困ったものだと、フランも思った。
 フランも、フラン自身がそうだと思った。
 最近、少しは外を出歩くようになった。少しは、色々なものを見るようになった。
「外に出て、綺麗なものも、穢いものも、どっちも見た?」
 喉に何か詰まったように緊張した。詰まったのは、言葉だったと思う。何のことはない。答えに窮したのだ。
 フランは慎重に息を吸って、ゆっくりと首を横に振った。
「ううん。まだ、綺麗なものしか見てないよ」
 少し嘘で、ほとんど本当のこと。
 まだ何も知らない無垢な子供。本当にそうであれば、思い悩むこともなかっただろうけれど、違う。フランの強い感受性が、綺麗なもの、穢いもの、そのどちらも同じくらいに醜怪だと分からせる。見なくたって、分かってしまう。だからそういう意味では、本当に醜いものは、まだ実際には見ていない。
 ガラスのように硬質で脆い壁に閉ざした柔らかい心を傷付けるのは、いつだってフランの内側に向いたフラン自身の心の刃の切っ先。鳥籠に絡み付いた茨には棘なんて無くて、それはただの温かいブランケットだった。どうせ、煌びやかな舞踏会なんかに興味無い。指を咥えて嫉妬する振りをしつつ、温かい家の中でいつまでも暮らしたい。こんなに捻くれた性格のお姫様がいるだろうか。
「……やっぱり、私には」
 嫉妬して、失敗して、悪い娘の配役が分相応。
 吐き出そうとした言葉は、顔と一緒に甘い匂いのする場所に、ぱふんと沈み込んだ。
「そんなことないわ」
 気付けば椅子もテーブルも無く、周りにも何も無い。感じるのはただ、鼻腔をくすぐる甘い匂いと、頭の後ろを撫でる小さな手の感触。
 前にも小悪魔に、こうして抱き締めてもらったことがあった。
 つまりあの時から、フランは何一つ成長していないということか。
「今日の貴方は上出来。褒めてあげる」
 可憐の概念をそのまま少女の形にしたかのような存在が、フランのためだけに微笑む。
 フランには断言できる。生涯を通してフランの目に映るものの中で、最も綺麗なのが紅い少女なら、最も可憐なのは白い少女であると。
 だから、俯いてしまう。顔を上げられない。
 小さな体にしがみ付いてしまいそうになった手を、すんでの所で自分のスカートの裾に伸ばして、引き千切ってしまいそうな程に、ぎゅっと握り締めた。
「……どうして? なんでそんなこと言うの?」
 何かをやり遂げた覚えなど無い。過去にどれだけの人間が、女神の興味を少しでも自分に向かせるために供物を貢いできたのだろう。何もしていないフランには、褒賞を受け取る資格が無い。なのにどうして、顔を上げられるだろうか。
「自分が間違ってるって、貴方はちゃんと知ってるでしょ? 自分で自分の見たくない内面を見つめられる。苦しくても悩み抜くことができる。そういうのは、とても大切なことだよ」
「卑屈なだけよ」
 あまり褒めないで欲しかった。
 褒められたって、素直に頷くことなんか、絶対に無いのに。
「でも、もしもそういうことができないと、簡単に自分勝手な独善を振りかざすようになる。面白ければ道化で済むけれど、そうでないなら、最悪だわ。覚えておいて。貴方が自分の悪い所だと思ってる部分は、貴方の美質でもあるってこと」
 それがどうしたんだろうと思うだけ。
 口をついて出る言葉は、自嘲気味の皮肉。
「私は随分と高く買われているのね」
「あのね、フランドール。貴方の一番すごいところは、想像力なの」
 言い聞かすように、繰り返される。
「それは例えば、物語では語られない登場人物の心情を想像する力。貴方はシンデレラの魔女の気持ちを考えるでしょう?」
 それはただ単に性格が捻くれているからだ。フランの思索は、常に光の当たらない影の方を向いていた。それだけ。褒められたことじゃない。
「……そうね。きっと、幸せになって欲しかったんだわ」
 だけど魔女は、魔法でお城を用意してはくれなかった。ましてやあろうことか、どんな狼に襲われるか分からないのに、実際のお城に送り出した。
「私がお姫様なら、魔女にお礼が言いたい」
 そして叶うなら、優しい貴方の元で暮らしたい。
 でも残念なことに、それはいけない。何故なら太母は優しいだけじゃなくて、いつかお姫様を圧し殺してしまうから。童話の配役はえてして自然存在が姿を変えたもの、すなわち身近な神様であることは、言うまでもない。
 ラプンツェルの魔女はお姫様を閉じ込めた。いばら姫の魔女には善の魔女と悪の魔女がいた。幸せを贈る賢女の側面の反対側には、お姫様を閉じ込める顔がある。母が娘を愛するように、いつも魔女達はお姫様のことを考えていた。善くも悪くも、だ。
「そんなフランだから、私が今こうしているの。だって、普通は誰も、魔女や白兎の本当の気持ちなんか考えないわ」
「……そう」
 この頃には、フランは今日の出来事にまつわる全てのことが腑に落ちたような気になっていた。なので、
「ところでフランは、私が言うお姫様って、どんなものだと思ってる?」
「え? 閉じ込められているか、閉じ籠っている、女の子?」
 不意な質問には虚を突かれた。
「少しだけ、正解。私がお姫様と言うのは、檻の外の世界の歪みに耐えられない純粋な心を持った少女のこと。だからお姫様は、鳥籠の外では生きていけない」
「!?」
 顔が強張ったのは、一瞬だけ。
「……そっか。そうよね」
 口に出された残酷で真摯な真実は、思えば、ずっと前から知っていた。だから、真実を聞かされたという、そのことに驚いただけ。
 この次に言われることも、予感がある。
「でも、貴方の所の悪魔は、貴方の風切り羽根を切り落とさなかった。私が貴方の悪魔でも、同じように風切り羽根を残すと思う。その意味は、もう分かってるよね?」
 事実だけを見れば、それは、野犬に喰われて命を落とせと言っているに等しい。でも今のフランは、その言葉に含まれる二律背反を知っている。
 唇を強く噛んだ。最後の矜持で涙だけは流さない。
 それでも尚、自分より小さな少女の身体にしがみ付かずにはいられなかった。甘やかされているだけなのは嫌。そう言っていたのは、どうなったんだか。本当は、もうさっきからずっと泣きそうだった。心の柔らかい部分から溶かされていくようだった。やはり自然神は毒だ。

 フランは、強く思う。
 少女の腕の中は、とても温かくて、とても柔らかくて、とても安心して、ずっとこうしていたいくらいで……でもきっと、ずっとこうしてはいないのだろう。
 幸せは鳥籠の中にあると知っている。本当にずっとここにいたい。自由なんていらない。そんなものよりも、紅魔館の家族と過ごす日々が本当の幸せだと知っている。この気持ちまで変わってしまうの?
 飛び立つことは、寂しいことなのに。どうして?
 その質問には、神様でさえも答えてはくれなかった。

「……もう少しだけ、こうしてよっか」
 優しく包んでくれる柔らかさから、狂おしいほどの深い愛情を感じる。決して壊さないようにと、大切にしてくれている。
 いつか来る百年目に怯えているのは、神様の方だったかも知れない。だったら少しくらい、母なる存在に身を委ねても良いと思った。
 嗚咽が漏れる。悲しいのとも悔しいのとも少し違って、ただ意味も分からないまま溢れる涙が止まるまで、小さな手がずっと背中をさすってくれていた。



◇◇◇

 エッグハントの勝負は終わったのか、永遠亭の広い庭に全員が集まっていた。
 昔の貴族が歌合せする時に使いそうな敷物を引いている。あれは何と言うのだろう。後で小悪魔に聞いてみようと、ぼんやりと思った。
 賑やかな一団がしているのは、宴会なのか茶会なのか判断に悩む。いや、花見か。竹林の空からは、桜に似た何か別の花の花弁が、花を咲かせる木も無いのに何処からか舞っていた。ささやかな異変を気にすることなく、もう疑うべくもない宴会勢は酒まで持ち出して花見を楽しんでいる。
 そこには、本物のお姫様がいた。その後ろ姿にフランは目を細める。背中を覆う艶やかな髪は夜の河のように黒い。あれでお転婆と言われるのだから、見た目では分からないものだ。

 フランは縁側の端の方に腰掛けて、眠たげな目でその光景を眺めていた。喧騒も、水の中から上がった時のように遠く感じた。
 よく見ると、竹の葉を透かして見える晴れた空に、水面に反射したような光がゆらゆらと揺れている。けれど近くに水辺は見当たらない。あの光は、向こう側から漏れ出ているのだろう。まだあちら側に魂を置いてきてしまったような気分。

「あっ、フランっ。今まで何処にいたのよ!? 探したじゃない」
 他でもない姉の声に、現実に戻ってきたのだと実感する。頬に当たる春風も、水の中では感じなかったものだ。
 かなり心配されていたのかも知れないけれど、フランは気付かない振りをした。ぱたぱたと姉が駆け寄って来ても、目線は合わせない。
 相変わらず、フランは静かな方が好みだ。縁側は、背中の側から日本家屋特有の暗さと静けさが滲むようで、ひんやりと冷たい。その冷たさは、洋風の館の石の質感の冷たさとも違う味わいがある。竹林の中、というのも良い。
 折角、喧騒から切り離されていたのに。永遠亭の縁側を、フランは静かに堪能していたのに。騒々しい姉が隣に来たせいで台無しになった。
「フランってば」
「……」
「ねぇ、フランってば」
「……うるさいなぁ。何よ?」
「だから、どこにいたのかって」
「ああ、惜しかったわね。ぜんぶ見てたわ」
 結局、勝負は僅差だった。
「?」
 レミリアはきょとんと、どこで見ていたんだ、という顔。
「そうね。どこにいたと言うなら、ここにいたわよ?」
 別だけど、同じ場所。
「……どういうことだし」
「さあ?」
 神様の視座のことなんて、フランには分からない。
 分からないけれど、今日は少しだけ、その場所から、この迷路を眺めることができた。
「まあいいわ。ほら、貴方にも分けてあげる」
「私がお姉様に分けてあげるわ」
 小脇に置いた容器をすっと滑らす。
 あの後、てゐに持たされたものだ。ただ、貰ったものは別にある。物ではなくて、形の無いものだ。
 迷いの竹林は無意識下の森。影の世界をさ迷って、超自然の存在に遭遇して……
 という具合に、フランの体験にはそういった解釈を試みることもできるわけだが。
「なっ……いないと思ったら。ふふん、なるほど。さめた振りしてても、まだフランはお子様ね。張りきって参戦してたんじゃない」
 驚いた後、腕を組んでうんうんと頷くアホ姉。
 妙な納得の仕方をするレミリアに、フランは、特に何も言う気力が湧かなかった。
「……む。なんかバカにしてない?」
「してないわよ」

 ホワイトチョコレートの卵の殻をぱっくりと割ると、中からは宝石みたいなコンフィズリー。なかなか凝っている。中身は何種類もあるのだろう。摘み取って口に運ぶと、柔らかな甘みが舌の上に広がった。
 小悪魔が昨日の内から準備している光景を想像すると、また少しむず痒いような気持ちになる。フランの想像した光景の中では、てゐも半ば呆れたような目をしながら、一緒にチョコエッグに絵付けをしていた。
「フランフランっ、こっちゼリービーンズだったわ。それでね、さっきのはキャンディーが入ってたのよ。あっ、これは……なんかよく分かんないけどフランス語のおしゃれっぽい何かだわ!」
「楽しそうね」
 誰がお子様なんだか。
「あまーい!」
 お子様味覚だし。

 豊かであってくださいね。
 小悪魔はそう言っていた。白兎の迷路を舞台に選んだのは、童話を読み聞かせるようなものだったのだろうか。お城の外を、見て欲しかったのだろうか。

「……お姉様はさ、神様って信じてる?」
「信じてるわけないだろ。そんなものはいない」
 バカ姉に、何をバカなこと言ってるんだという顔をされた。
 ここで言う神様がどういうものかについて説くのは、いくらなんでも面倒だ。溜め息一つで軽く流すことに。
「じゃあ、悪魔なら、信じてる?」
「私も貴方も広い意味じゃ悪魔でしょうが」
「……紅い髪の、とても綺麗な女の子の話。前に私にしてくれたよね」
 ようやく、レミリアの表情が変わった。
 厳かで、ふざけた態度を打ち消したものだ。それ程までに、あの紅い少女の話題はレミリアにとって重いのだろう。
「貴方も見たの?」
 まるで妹が大人の階段でも昇ったような目付きだった。
 言わないでおくが、あれを見たのは初めてではない。それに、何も知らないレミリアと違って、あの少女が小悪魔で、小悪魔があの少女だという認識もある。
「うん」
「いいこと、フランドール。あれは夜なのよ」
 その声は、とっておきの秘密を打ち明けるように。
 息を潜めて語られる、しんと胸に沁み入るような、静かな声だった。
「本当は名前も付けられないような、夜の空気とか、神秘とか、そういうもの。神様でも悪魔でも何でもないわ」
「……」
 フランは知っている。
 そこにある自然とか、そういうもの。古くからそこにいる、その土地に根付いたもの、中でも取り分けて土着先住宗教の神格を指し、幻想郷では土着神と呼ぶ。
 でも、そう呼ぶことを知らないレミリアは、フランよりも純粋に、その存在の気配を感じ取っていた。
「私が紅魔館に住むようになって、しばらくした頃に夢に見たのよ。もちろん夢のことだから全然覚えていないけれど、あの少女が私に笑いかけてくれたの。その一瞬のことだけは、今でもはっきりと思い出せる。ただただ、見惚れたわ。すごく綺麗だった。断言できるわ。生涯を通して私の目に映るものの中で、あの夜が最も綺麗だって」
 見えているんだ。
 フランは心の芯の部分で、そう納得した。あのいたるところ煌めくクリスマスの森や、透き通ったマジパンのお城が、レミリアの瞳にはちゃんと映っているのだと。
 豊かであるとは、きっと、そういうこと。だからレミリアは、一国一城の主として、貴族然とした態度で胸を張れる。案の定、レミリアは誇らしげに顔を上げて、フランの顔を見つめた。緋色の瞳には、一片の曇りも無い。
「いつでも、あの紅い少女に見られているような気がする。だから私は、私自身と彼女に恥じない私でいなきゃいけない」
 レミリアは言った。それこそが、とびきりに最高の栄誉だと言うように。
 その胸には、決して消えることのない火が灯っている。
「約束したの。あの夜空を曇らせない、泣かせないって」
 そしてその灯火とは、決して違えることのできない誓いであった。

 見られているから、カッコイイところを見せたい。

 その単純で純粋な気持ちを、信仰の意義とは何かという問いの答えにしても良いとすら思わされた。
「……お姉様は、すごいね。頭悪いのに」
「それ、褒めてるの?」
「半分ね」
 そう言うフランの顔が、あまりにも涼しげで悟ったようだったからだろう。レミリアは怪訝に首を傾げた。
「分からんやつだな」
 気の抜けた呟き。
 そろそろ、姉の威厳も限界らしい。
「ねぇ、お姉様。その子、今はどうしてるかな」
「見てるだろうな」
「うん。私もそう思う」
 神様はここにいる。
 ずっと昔から、そしてこれからも、ずっといつまでもここにいて、面白可笑しく見守っている。
 神様と言っても残虐な邪神の類いだけど。それならむしろその方が、捻くれ者の日陰者が信じるには丁度良いのかも知れない。

 目を閉じると、浮かんでくる風景がある。白い少女のいる風景だ。
 巨大な水槽の天蓋によって閉じられた空の下、透明な水を湛えた池の辺には、過日の想い出を偲ぶように、純白のライラックが絨毯のように咲き誇っている。どのライラックも花弁は五枚。小振りの花を房状に目一杯に咲かせて、懸命に美しい少女を飾っているようでもあった。
 思えば、ライラックの花も、ヒントと言えばヒントだったのだ。白い少女の心の一端くらいを示す些細な手掛かりではあっただろう。
 イギリスの田舎での出来事だった。

 ある貴族の男が所用でその村を訪れた折に、村の少女を見初めて結婚を申し込んだ。戸惑う少女の元に男は熱心に通いつめ、次第に娘は心を開いていき、婚約を受け入れた。
 しかし、程無くして。男は都会の貴族の娘へと気変わりし、一度は愛を誓い合った少女のことを忘れてしまう。そして少女は、傷心のあまり、自ら命を絶った。

 つまりそう、なんてことのない、よくある悲恋譚。

 少女が眠る小さな教会の墓地には、生前の彼女が好んだというライラックの花が山のように供えられた。翌朝になると奇跡のように、鮮やかな紫色をしていた花は、全て純白に染まっていたそうである。花は白く白く、真っ白に、悲しいことなんて忘れてしまうように。ただ、幸せだった頃の想い出だけを偲んで。
 今、泣いてる少女はどこにもいない。
 むしろ賑やかなくらいだ。丁度、ウサギの形をしたケーキが焼き上がったところ。あとは粉砂糖を振り掛ければ完成、らしいけれど。
「あのですね白いのっ。何故ウサギなのですかっ!? アニョー・パスカルはヒツジさんだと言ったでしょうっ!?」
「だって、ラパン・パスカルの方が可愛いでしょう?」
「自分で可愛いとか言いやがりますかこの淫乱ウサギはっ!!」
「淫乱? サキュバスがそれを言うの?」
 お菓子にうるさい小悪魔が、ばしばしとテーブルを叩いて訴えると、てゐはちっとも悪びれずに答える。
 その様子が、なんだかおかしい。普段は余裕たっぷりの小悪魔も、そんな風にするのか、なんて。想像だけど。ただの空想でもないような気がする。

 遠くの方を眺めながら考える。
 そういえば、フランはまだ一回も、神様に感謝の気持ちを伝えていない。あんなに愛されているのに、あんなに優しくされるだけは嫌と駄々を捏ねたのに、こんな簡単なこと一つしていないなんて。
 違う、と。厳しく断じるフランがいた。
 神様が悦ぶのは残虐な狂宴だ、とか。迷いの竹林を越えて白い少女のいる深層へ辿り着くのは不可能だ、とか。まさかたった一言で済ますつもりか、だとか。そんな程度のことで供物に代えて良いはずがない、と。頭の中に浮かぶ幾つもの反対意見を振り切って、小さなことを決意する。
「お姉様。私、行ってくるね」
 てゐも、小悪魔も、そこにいる。

 ちゃんと、ありがとうって言おう。
 てゐの八上姫への気持ち。これだけは書かなきゃと思っていたものを、ようやく書けたように思います。

 今年のイースターは、4月16日の日曜日だそうです。


 アニミズム……しれっとした顔で直しておきますね。
 ちなみに、アニミズム→アミニズムとか、雰囲気が、ふんいき→ふいんき、みたいに言いやすいように音の前後が入れ替わっちゃうのを、音位転換と言うそうですよ。
珈琲味のお湯
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コメント



0.160簡易評価
2.80名前が無い程度の能力削除
面白かったですこの紅魔館(とてゐ)は相変わらず良いですね
4.80名前が無い程度の能力削除
人間は宗教的な生き物
それも異端や異教を攻撃する排他的で生贄や魔女狩りを行う野蛮さを持ち合わす独善的でカルト的なもの
ならばそれらとどう向き合うのか 
攻撃性を抑え寛容であるべきか攻撃性を認めつつ自虐するのか自らの攻撃性を誇るのか 世界は今攻撃性を抑えるスタイルに対して懐疑的になってきてるが
果たしてどうすべきか
まあ難しいですね


5.100名前が無い程度の能力削除
二次創作では狂気が目立つ彼女ですが、こういう作品と出会えてうれしいです
フランは小悪魔を優しいと言うけれど、彼女自身の他者に共感できる能力も十分優しいと感じられました
幻想の土台を順をおって見ていけたのも面白かったです
一つだけ言うところがあるとすれば、アニミズムを誤入力しているかもしれません
6.70名前が無い程度の能力削除
この二人に共感できて優しいといえるから狂ってるってことなんでしょうね
9.無評価名前が無い程度の能力削除
笑った、泣いた、酒が進んだ!
愛する事と、愛される事の差が隔絶すべきことの事実は、主観のように独善的なのか。
愛されなくたって愛してる。それは私だけの宝物。